Quantcast
Channel: 週刊俳句 Haiku Weekly
Viewing all 5929 articles
Browse latest View live

後記+プロフィール407

$
0
0
後記 ● 福田若之


少々舞台裏の話をすると、今年の「新年詠を読む」企画は依頼としては余裕のないスケジュールでの依頼になってしまいました。そこで僕も、人に無理を頼むなら自分も書かねばなるめえ、などと言いながら、もともと書きたかった一句について書きたいことを書けるだけ書いたというような次第。

皆様、多忙な中でのご寄稿、いつも大変ありがとうございます。



それから、ついでにもうひとつ舞台裏の話をすると、このあいだ携帯電話のソフトウェアが壊れてしまったので、修理に出しました。今週号は代替機によるテザリングで更新しています。

ええ、ほんとどうでもいい話ですが、後記くらい、ほんとどうでもいい話もわるくないのではないかと。



今週号の表紙は山中西放さん撮影の琵琶湖と比良山。画面下方やや右寄りに映っている二基のテトラポッドに自然と目が行ってしまうのは、いったいどうしてなのか、不思議。実物がどうなのかは写真だけでは判然としませんが、写っている三基のテトラポッド(二基のほかに、よく見るともう一基、画面下方やや左寄りに頭だけ映り込んでいます)には妙な不揃い感があって、しみじみとした趣があります。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.407/2015-2-8 profile

■笠井亞子 かさい・あこ
東京生まれ。エディトリアル・デザイナー。「麦の会」会員。現代俳句協会会員。「百句会」「月天」「塵風」所属。2010年より「はがきハイク」を始める。

■生駒大祐 いこま・だいすけ
1987年三重県生まれ。「天為」「トーキョーハイクライターズクラブ」所属。「東大俳句会」等で活動。blog:湿度100‰

■山田耕司 やまだ・こうじ
1967年生まれ。俳句同人誌「未定」を経て、俳句同人誌「円錐」創刊に参加。その後、俳句作品の発表を中断。2010年 句集『大風呂敷』出版。現在、「円錐」同人。共著『超新撰21』(2010)。サイト 大風呂敷  


■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■太田うさぎ おおた・うさぎ
1963年東京生まれ。「豆の木」「雷魚」会員。現代俳句協会会員。共著に『俳コレ』(2011年、邑書林)。

山中西放 やまなか・せいほう
1938年京都生。2012年より「渦」編集長。句集『風の留守』、『炎天は負うて行くもの』。他詩集2冊。

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「ku+」に参加。共著『俳コレ』。現在、マイナビブックス「ことばのかたち にて、「塔は崩れ去った」掲載中(更新終了)。


俳句自由詩協同企画について

$
0
0
俳句自由詩協同企画について

詩歌梁山泊「詩客」と「BLOG俳句新空間」では以下の協同企画を行っております。

俳人には書けない詩人の1行詩、俳人の連作(50~100作)を掲載

掲載は毎月最後の土曜日。

執筆は

1月 
自由詩 萩原健次郎
俳句 花尻万博

2月
自由詩 藤井貞和
俳句 小津夜景

3月
自由詩 柴田千晶
俳句 竹岡一郎

4月か5月
各作品に対する相互批評を掲載

「詩客」http://shiika.sakura.ne.jp/
「BLOG俳句新空間」http://sengohaiku.blogspot.jp/

よろしくお願い申し上げます。

詩歌梁山泊 森川雅美

〔今週号の表紙〕第407号 琵琶湖と比良山 山中西放

$
0
0
〔今週号の表紙〕
第407号 琵琶湖と比良山

山中西放



琵琶湖には二つの橋が架かっているが、北湖の南湖の頚れに架かる琵琶湖大橋を渡った東岸から北に湖岸街道に沿って見る比良山の雪景はとても美しい。さらに冬期の湖に黒く影する魞の侘びしさが旅情を深める。

荒れればそれなりに波の高い北湖、テトラポッドがあっても不思議ではないが、湖岸では滅多に見かけない。数個置き忘れられたように堤防に転がっていたのが何とも気になる。凄いオブジェだ。丁度ここ「なぎさ公園」の一部、菜の花畑が賑わう季節である。夕なれば広重の「比良暮雪」の浮世絵と重なる。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

第2回「詩歌トライアスロン」作品公募のお知らせ

$
0
0
第2回「詩歌トライアスロン」作品公募のお知らせ

現在、複数の詩型の表現を試みる書き手も少なくありませんが、多くは1つの詩型に限っての表現をしています。しかし、これからの詩歌の可能性を考えるには、複数の詩型を考えることが必用でしょう。

「三詩型交流」を目的とする「詩歌梁山泊」では、三詩型の内の二つ以上の詩形の要素を含んだ作品を公募いたします。

◆応募作品 
詩型融合型作品。
 (自由詩に俳句や短歌を織り込む、自由詩に準ずる前書(詞書)と短詩型を組み合わせる、短詩型を連ねて自由詩を構成するなど。)

◆締め切り 
2015年2月末日必着

送り先 
東京都杉並区永福4-24-9 森川方 詩歌梁山泊
お送り先アドレス masami-m@muf.biglobe.ne.jp

選者 
野村喜和夫、柴田千晶、石川美南

◆選考
公開選考会にて行われます。 

「詩歌トライスロン」公開選考会

3月22日(日)16時~19時

白山 喫茶映画館
文京区白山5-33-19 ℡03-3811-8932
入場料1,000円(定員30名 要予約)

予約およびお問い合わせは masami-m@muf.biglobe.ne.jp 詩歌梁山泊まで

自由律俳句を読む 79  第三回全国自由律句大会〔1〕 馬場古戸暢

$
0
0
自由律俳句を読む 79

第三回全国自由律句大会1

馬場古戸暢


2014年10月19日、第三回全国自由律句大会が東京にて開催された。投句数は561であり、投句者の互選によって入賞作品が決まった。自由律句大賞を受賞したのは、33点を獲得した「夕暮れがもっと一人にする」(田中里美)である。以下では大会作品集より数句を選び、鑑賞したい。

未婚の腹水泳ぐ胎児のプール  久保田晋一

「未婚の腹水」の表現が面白い一句。胎児にしてみれば、そんな社会制度など関係あるまい。来たるべき時に備えて、ただ泳ぎ続けるだけなのだ。

鈍行を乗り継いで行く子見送る  安門優

田舎に残る親側からの視点だろう。しかし鈍行を乗り継がなければいけない地方とは、現代の日本でどのあたりとなるのだろうか。いっそのこと、飛行機を用いた方が最近では安い気もした。

伸ばした小さな手も桜  徳永純二

入賞句。桜と子供は、景として非常に愛らしい。この子供の周囲には、たくさんの笑顔が広がっていたことだろう。

私の墓場に蝶が来ている  野村信廣

生前に墓地を入手すると、たまに掃除へ赴くことが日常生活のうちに組み込まれる。自分が逝った後の様子を想像できる、静かな景であった。

もう母でない母と座っている  島田茶々

準大賞句。恍惚の人とは、何になってしまった者なのだろうか。母でない母は、本当に母なのだろうか。

【石田波郷新人賞落選展を読む】 思慮深い 十二作品のための アクチュアルな十二章 〈第三章〉 田島 健一

$
0
0
【石田波郷新人賞落選展を読む】
思慮深い十二作品のためのアクチュアルな十二章
〈第三章〉


田島健一




03.水のふくれる音(兼信沙也加)

俳句をつくるひとがいて、俳句を読むひとがいる。この二者の間をつないでいるものは俳句作品には違いないのだろうけれど、実際にそこでやりとりされているものはいったい何だろう。

磨ぎ汁のいつしか透けて花は葉に   兼信沙也加
まばたきの多き役者や桜桃忌


俳句はながい間「イメージの詩」として語られ、いまでも多くの句はそのようなものとして書かれている。ここで言う「イメージ」とは、「視覚的イメージ」であって、いまだに多くの句は作者の撮った写真を読み手がふたたび見るようにして、読まれ、鑑賞されている。

なるほど、この「磨ぎ汁のいつしか透けて」や「まばたきの多き役者」はそのような「イメージ」を確かに読み手に伝えている。けれども真に問題となるのは、それによって作者と読み手が「何をやりとりしているのか」なのである。

黒蜥蜴毛先のいたみ持て余す
夏帽子電車まつすぐ遠ざかる
マネキンのまつげやはらか半夏生


いたみを持て余した毛先も、まっすぐ遠ざかる電車も、やはらかなまつげをもつマネキンも、こうして句に書かれた瞬間に、それはすでにそこに「ある」ものとして読まれる。

けれども、それに先がけて、これらの句がここに「書かれた」という事実が、それが書かれざるを得なかったために、「書いたこと」と「書かれたこと」との間で、書かれた内容以上のものを多かれ少なかれ読み手に感じさせる。

それこそが〈意味〉と呼ばれるものである。

読み手はこの〈意味〉を通して、それを生んだ「主体」をそこに見いだす。作者がどんなに何かのフリをしてみせても、ここで見いだされる「主体」をごまかすことはできない。

仮に作者が別の何者かを演じて見せても、読み手は、その句に含まれる「主体」が生みだした〈意味〉を読みとってしまう。言い換えれば、作者のあらゆる意図を超えて、「主体」は〈意味〉を信じてしまっている。

このとき、ここで句として書かれた内容と、そこに読みとられた「意味」との間に生まれた空間において、読み手の同一化が行われる。つまり「主体」にとってただならぬ〈意味〉は、読み手にとってもただならぬものとして働きかける。俳句を読んだときに発生する感興はこれだ。

気をつけなければならないことは、この〈意味〉と呼んだものは、読み手の感興の「原因」であって「対象」ではないということだ。〈意味〉は、そこに書かれた句の些細な部分に付着し、読み手の視野から消せないシミとして、読み手の視線を釘付けにする。

それ自身は、奇妙でまとまりのない言語化不能な混沌であるにも関わらず、ある種の思想的空間から見た場合にのみ形を成し、それによって読み手自身の「私」を構成する。

青岬水のふくれる音を聞く

「水のふくれる音」という表現は、視覚的イメージとは異なり、かと言って聴覚的イメージとしても、どこか「変な」表現である。それは経験的な音を離れ、それがどんな「音」なのか説明しろと言われても他の言葉で言い換えることが難しい、おぼろげな感覚表現である。

けれども、そのような説明不可能性こそが、この句の核になっており、読み手が出会うのはまさにそれである。

その核とは「水のふくれる音」が、経験的などの音と一致するか、ということではなく、この説明不可能性そのものが直接的に読み手にとって「謎」であり、その奥に何か意味ありげな読みの可能性を感じさせている、という一点において、一部の読み手の視線をとらえて放さないのである。

さて、この読み手にとっての「謎」は、実は作者自身にとっても「謎」であるのだが、では作者はどの場所からそれを見ているというのだろうか。俳句をつくるにあたって「ものを見る」とは、いったいどういうことなのだろうか。

〈第四章〉へつづく

≫〈第二章〉

【週俳・2015新年詠を読む】あらタマる  笠井亞子

$
0
0
【週俳・2015新年詠を読む】
あらタマる

笠井亞子


にんげんにふぐりあること初笑   松本てふこ

<ふくらみがあって垂れているものをフクロ・フクリといったのだろう>
「ふぐり」を引いたら広辞苑にまずそうあった。

種(しゅ)を継続させるための大もとである、文字通りの「タネ」を製造・貯蔵するのに、袋入りにせよ外部に露出する形態というのはあまりにも無防備ではあるまいかなどとも思うが、何か生物学的理由があってのことだろう。

このうえなく大事なふたつのタマを維持するための機能のすばらしさ(たとえば温度変化に対応しての伸縮など)について、丁寧な説明を受けたこともあるが・・・。

そりゃあわかりませんよー 身体の中心にこのようなフラジールなものが下がっている感覚など。持たぬ側の作者もわたしも、たのしく想像するだけであります。

にんげんの半分には付いている(のだなあ)「ふぐり」について、年頭から考えさせてくれたこのおおらかな句に初笑い!


新玉のmailのメーも御慶かな   高山れおな

新たな年に届いたメール。干支の鳴き声も入っておチャメーな仕立てだ。

真価が発揮されていないというイミの「あらたま」もふくむし、「玉(ぎょく)」の意味合いもおのずとあるので、メールの出し主が若い女性のような気がしてしまう。とすれば、女性がこれからどんどん磨かれてゆくという「お慶び」かも。


てのひらに遠き手の甲年明くる   山田露結

手の仕事はすべて、てのひら側がやっている。それにひきかえ・・・。そんなことを言いたいわけではないだろう。
たしかに、料理人が手の甲に乗せて味見するなんてこと以外に、手の甲の仕事は思い浮かべられない。

しかし、この「遠さ」はそんな理屈をこえてよくわかる。
なぜだろう。

身体の背と腹のような表裏の感覚とも違う。

両者の間にあるものとは、たとえば東へとことん進んで行けば、やがては西に行きついてしまう、そのような遠さ、あるいは近さなのではないか。
これはもう丸い地球の上ならではの感覚と言っていいのではないだろうか。


太陽(ひ)の貎がきのうのかおと異うのよ   金原まさ子

年明けて見る太陽のようすが去年とはあきらかに異なるという。このようなスケールの感慨。太陽暦世界の中心である大タマを「お隣りのひー嬢」のごとく呼ぶ作者の君臨ぶりがみごとに女王様である。(まさ子句に、まれにあらわれる語尾「だな」が王様的なら、この「のよ」は女王的)

あらゆるものを玩具化し文様化するまさ子ワールドは、今年も絶好調なのだ。


繭玉に夜のマネキン人形が   鴇田智哉

繭玉は豊作祈願の餅花の一種。ほんものの繭を使うと思っていたら、米粉などを丸めてつくるらしい。
その白い玉にマネキン人形がどうした、ともこの句は言っていない。正月飾りをほどこしたウインドウディスプレイの実景にも見えるが、夜である。

繭からつむぎだされた繊維をまとい、人工的な光を浴びた人間のニセもの=マネキンは何を見ているのだろう。
繭玉のさなぎは感応して振動を始めてはいないか?

人形が夜どのようであるかは、そう、誰にもうかがいしれない。


≫2015新年詠
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/01/402201414.html


【週俳・2015新年詠を読む】新年詠を読んだ。 生駒大祐

$
0
0
【週俳・2015新年詠を読む】
新年詠を読んだ。

生駒大祐


遠くにいたので、正月の週刊俳句を見ていなかった。
それを利用して、今回は無記名で新年詠を読み、上から10句を選んでみるということを行ってみた。

俳句を無記名で選ぶ、というのは実は不思議な行為である。
それは犬が、知能ではなく嗅覚を元に算数の問題を解くのにも似ている。
かすかな手がかりを元に、私の中の「俳句」を探す。
コメントは、ノートの隅に書かれた落書きだと思ってくだされば。

1 物と物触れ合はずある淑気かな      
普遍的なことを言おうとしている。「ある」が動かない。

2 正月のいたるところに貼つてある    
白を想像させる句。正月とは白いものなのか。

3 歌いだすまえの冷たいお正月       
皮膚感覚の句。共感覚でもある。滲む感じがした。

4 からまつは縦に美し初茜         
a音は縦方向の音なのだなと思った次第。

5 鏡餅歯科医師レジスターを打つ      
アクチュアルな句だが、言葉の世界にいまだとどまっているように思った。

6 裏白や岬は空をつらぬけり        
下からのアングル。ここでも白が出てくる。

7 双六を司る手のきらきらす        
自らの繊細さを出すことを厭わない姿勢がある。正しいか。

8 静岡は良いところなり初笑        
初笑がテクニカル。俳句。

9 てのひらに遠き手の甲年明くる      
言葉の世界の構築の方法が確立されてしまっている。ほんとうに正月なのか。

10 鏡餅しんしんと杉立ち並び        
鏡餅の質感と杉の質感。テクスチャーの相違。言葉の質感の相違でもある。

俳句は、既に終わっている。
優れた問いとはおそらくそういうものだろう。
ゆっくりと閉じていく幕を見ながら、これまでを短く回想する。
そう感じた。

物と物触れ合はずある淑気かな        依光陽子
正月のいたるところに貼つてある       嵯峨根鈴子
歌いだすまえの冷たいお正月            田島健一
からまつは縦に美し初茜             南十二国
鏡餅歯科医師レジスターを打つ           瀬戸正洋
裏白や岬は空をつらぬけり                  五島高資
双六を司る手のきらきらす                   黒岩徳将
静岡は良いところなり初笑                   西村麒麟
てのひらに遠き手の甲年明くる            山田露結
鏡餅しんしんと杉立ち並び                   村上鞆彦

【週俳・2015新年詠を読む】初日 福田若之

$
0
0
【週俳・2015新年詠を読む】
初日

福田若之


さて、日曜日だ。日本語として「さて、日曜日だ」と書いてあれば、通常はこの「日曜日」を「ニチヨウビ」と読むだろう。不確定なところはおそらくない。

けれど、この「日曜日」のうちに、「日」の読みの定まらなさ、あるいは危うさが現れている。「ニチ‐ヨウ‐」。

初日薄氷を割る  矢野錆助

この冒頭を「ハツヒ」と読み、元旦の光を浴びて緩んだ氷が割れるイメージを思い描くことを自然だと感じてしまうのは、きっと、それが「新年詠」として〈初日薄氷を割る〉と書いてあるとすでに明らかにされていて、それを信じて読むからなのだろう。「初日」だけが新年の季語になりうるのであって、そのためには「ハツヒ」と読まざるをえない。

しかし、たとえば、「ショニチ」と読んではいけないことがあるだろうか。この句から、今日は何かの初日であるというおそらくはわくわくした気分を抱きながら、あたかも子どもが遊びでするようにして薄氷を蹴り割るイメージを、思い描いてはいけない理由があるだろうか。

余談――辞書類を調べると、「ショニチ」と同義で「ショジツ」と読むこともあるらしい:用例は思い浮かばない→漢文訓読に用いる読み?

おそらく、日常生活の中で「初日」を「ハツヒ」と読むことは、「ショニチ」と読むことよりもずっと少ない。だから、単に「初日」と書いてあるときには、それを見て「ショニチ」という読みのほうが先に思いつくという人も多いのではないか。単に、「初日」という表記だけがある場合、個人的には、脳の中で、「初日」という表記と「ハツヒ」という読みをつなげる通り道よりも、「初日」という表記と「ショニチ」という読みをつなげる通り道のほうがよく舗装されているし、街灯で明るく照らされてさえいる。「初日」を「ハツヒ」と読むことは、決して、昇る初日のように自明なことではない。

――いや、俳句の言語は日常の言語とは意識の上でも区切られているのであって、俳句では「初日」を「ショニチ」と読むより「ハツヒ」と読むことのほうが多いだろう。

――たしかにそうだ。しかし、そもそもこの〈初日薄氷を割る〉を俳句として読むことは、決して自明ではない。「初日」にしろ「薄氷」にしろ、そこに季語はあるが、全体は五七五ではないのだから。そしてまた、仮に「初日」を「ハツヒ」と読むとしても、それと「薄氷」の両者を共存させることは、「初日」が新年の季語とされるのに対し、「薄氷」は初春の季語とされる近代以後の俳句の季節感覚からの逸脱となるのだから。

――そうやってつきつめてしまえば、そもそもこれを文字として、言葉として読むことすら、決して自明ではない(これは月並みな引っ掻き回しだ)。それでも、〈初日薄氷を割る〉は、言葉として読む場合には言葉になるのであって、日本語として読む場合には日本語になるのであって、俳句として読む場合には俳句になる。

そして、俳句として読むとき、この句の「初日」を「ショニチ」と読んだ場合の読み解きの可能性にも少なからず魅力を感じるものの、やはり「ハツヒ」と読むこともやめられない。なぜか。

七十二節季のもろもろの侯。たとえば、立春の第一候は「東風凍を解く」。この句はこうした七十二節季の文体を借りることによって、繰りかえされる季節の反復のなかへ織り込まれようとしている。そして、「ショニチ」は季節の反復とは無関係の時間の枠組みの中で規定される。対して、「ハツヒ」は季節の反復の枠組みのなかにある。「ショニチ」は句の時間に干渉するノイズとなるが、「ハツヒ」は句の時間に波長を合わせ、それを増幅させる。「ハツヒ」はそうして、「ショニチ」よりも、さまざまのことを思い出させてくれるのだ。

   

先へ進もう。もうひとつの、決定的な不確定要素がある。「薄氷」だ。これは「ウスライ」と読むことができ、「ウスラヒ」と読むことができ、「ウスゴオリ」と読むことができ、さらには「ハクヒョウ」と読むこともできる。

「ウスライ」はこの四通りの読みの中で発音が最も短く、音楽的な速度を感じさせる。「ウスラヒ」なら「ハツヒ」と「ヒ」の脚韻を踏むことができる。 「ウスゴオリ」なら「ゴオリ」の音のざらつきが出せる。「ハクヒョウ」なら「ハツヒ」とは「ハ」と「ヒ」の韻を踏むことができる。

これはもはや意味の次元の選択ではほとんどなく(どれにしても薄い氷だ)、こう言ってよければ、意味の音楽の次元の選択である。それらはどれも捨てがたいように思われる。それで、句を読み返すたびに、アドリブでそれを演奏する。「薄氷」の表記とそれが示す意味は、コード進行やモードのように読みの幅を規定しているが、それの中でどう読むかは、読む人間にかかっている。

   

ここまでですでに、読みは「初日(ハツヒ)〔が〕薄氷(ウスライ、ウスラヒ、ウスゴオリ、ハクヒョウ)を割る」と「初日(ショニチ)〔に〕薄氷(ウスライ、ウスラヒ、ウスゴオリ、ハクヒョウ)を割る」 という風に複数化した。さらに付け加えると、とりわけ「初日(ショニチ)〔に〕薄氷(ハクヒョウ)を割る」となると、これはわくわくした気分というよりはむしろ、初日から不安で「薄氷を 踏む思い」だったのがそのまま踏み割って失敗してしまうという不吉なイメージの具現にも読めるだろう。ただし、この読み解きではとたんに諷刺の色合いが濃くなるので、個人的にはあまり魅力を感じない。

さて、今、こうして「薄氷」を複数化し、すなわち、「ウスライ」と「ウスラヒ」と「ウスゴオリ」と「ハクヒョウ」に割ったのは、この句の読み手として仮構された〈私〉だった。そして、句の読み手である〈私〉は句自体において仮構されている語り手の〈私〉に共感しながら俳句を読みうるに違いない。ここからさらに、また別の読みの可能性にも思い至る。すなわち、「初日(ハツヒ)〔である。/そして、語り手の〈私〉、あるいはそれに共感する読み手の〈私〉は〕薄氷(ウスライ、ウスラヒ、ウスゴオリ、ハクヒョウ)を割る」と読むことも出来るはずなのだ。俳句として読む場合に、連続する名詞の間に意味上の切れを見出すことは特別なことではないのだから。

その時、句の言葉に共感している〈私〉は、今やすっかりそのものとして昇った初日の光のもとで、あたかも言葉を複数化していくように、薄氷を繰り返し割る。気の向くままに。そして、薄氷はそのたびに、さまざまな光と音を返してくれる。この句は、読むたびに新しい。



≫2015新年詠
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/01/402201414.html

【週俳・2015新年詠を読む】つながっちゃう新年 山田耕司

$
0
0
【週俳・2015新年詠を読む】
つながっちゃう新年

山田耕司



正月は、妄想にアマイ。
「初夢」「宝船」「七福神」。ここらへんの扉を開けると、おのずから一句はファンタスティックな方向に走り出しかねない。
それが悪いわけではない。むしろ、その手のファンタジーは「ああ、はいはい、お正月だもんね」「いちいち説明されなくても分かるような気がする」という民俗的な感覚に裏打ちされているようであり、すなわち、新年のファンタジーに目くじらを立てないことによりそこはかとない連帯感を味わうことさえできなくはないのである。「姫はじめ」などという言葉も、他の人と切り離された個人の営みを報告しているというよりは、むしろ、個の営みをなにやら大きなひとつの足並みに揃えさせている趣きが漂う。こうしたおおまかな連帯感というものこそ、俳句という営みを包み込む胎盤のような働きをしているようなのだが、そこらへんの自覚の有無にかかわらず、「ま、こまかいことを云うのはヤメとこ、今日は」という風情がずらっと並ぶのが、新年詠らしさ、というところになろうか。



というわけで、新年詠には、大きなものとつながっている感覚がただよう。

大楠を紀伊大王と呼ぶ淑気   堀本裕樹
御降や御門かたれば訓詁学   赤野四羽
初鶏やヌナカワヒメの胸の玉   小澤 實

それぞれにそれなりの「うんちく」というものが秘められているわけだが、「うんちく」について何か語りたがる知的な主体というよりは、自分自身が立つ座標に大きな柱を入れ直してそれこそ大きなものとつながっている感覚を内外に宣言のように示そうという趣きが、新年詠としての読みどころとなるだろう。ふだんは口にのぼることもないありがたそうな四字熟語を書き初めで大書する晴れがましさ、それとそれなりに地続き。

天地のあはひに生きて初明り   熊谷 尚
呼び名与えよ若水に若潮に   五十嵐秀彦

「メリークリスマス」と騒いでいたのが、一週間後には正月へ突入するのである。クリスマスが、西洋人(ああ、漠然としてるね、西洋人って。ひとククリにしすぎ。でも日本のクリスマスは、こうしたひとククリイメージの西洋を苗床としてこそお祭り騒ぎでいられるわけだけど)に自らを擬していたことをうけて、ことさらに「和」の方へ傾く。そういうわけで、歳神様のゆかりということもさることながら、句がことさら和のメンタリティを神として出現させてしまうことになるのではないだろうか。これはあくまで俳諧の連歌のことだけれど、オモテ六句では「神祇釈教述懐無常」の類は避ける気風がある。それは、しょっぱなから二の句が継ぎにくくなるからでもあるが、その重たさが和歌に対置するところの「俳」の軽やかさにそぐわないからなのではないかと思う。恋の句を越えたあたりからは、奥行きをもたらす風情で、重いのもドンと来なさいとなるようだけれど。

白息や「ジャムおじさん」の描きをはり   中原和也
グールドの唸り溶けざる淑気かな   トオイダイスケ 

大きなものとのかかわりと言ったって、普段からなじむことの乏しいものにつながっちゃう気恥ずかしさのようなものも、この時期だからこそ意識されるのであろうか。「ジャムおじさん」も「グールド」も、作者にとってなじみ深いものでありながら、であるからこそ、自己とは別の大いなる他者というような役割を与えられているようだ。
こうした、新年詠ならではの大いなるものとのつながりをふまえた上でこそ、この内省にはグッと来るものがあると思うのだが、いかがであろう。

初明り(なに様だよお前)と俺   佐山哲郎



さて、文頭にも触れたファンタスティックな傾向について。

初夢やドーナツの輪を潜り抜け   金子 敦
初夢のムー大陸に行つたきり   松野苑子
初夢の巨人渋谷に現れよ   高柳克弘

「夢」を前提にしたら、誰が作ろうが、ほぼ言ったもん勝ち的なことになる。ともあれ、「ドーナツ」は場にそぐわないようなスイーツであるからこそ「潜り抜け」から類推される「茅の輪」との関連性が読者にほどほどにもたらされる仕掛けがあるようだし、「ムー大陸」「巨人」がそれぞれ大いなるものへのつながりという定石をふまえていると見ることもできて、すなわち、それなりに新年詠の顔つき。「渋谷」がどのような意図を持ってのあしらいなのか定かではないが、こうした「私の都合」というのがかいま見えるところに現代性のようなものを挿入しようとしているのだろうか。うまくいっているかどうかは、別として。

昆布噛めば鰊現れおらが春   岸本尚毅

昆布巻きの昆布を噛んだら鰊が出て来た、そんなことで喜んでいる「おらが春」の「中くらい」な慎ましさをあらためて感じている、というような内容。しかし、この「已然形+ば」は、ちょっとくせ者。因果関係の筋目を見出して驚いてみせるための仕掛け。驚いている主体の他にその主体を見とどけている自分の存在を示そうという工夫。「けり」や「かな」が絶滅しないどころか、いまだに重宝されているのと同じような風合い。それにしても、ほんとにどうでもいいことにこれ(「已然形+ば」)がついていることがあって、その因果関係がどうでもよければどうでもいいほど、主体と主体を見とどけている自分との距離が感じさせたがる度合いも高いようである。これを近代的な「知」と呼びたければそれでかまわない。「おらが春」という卑俗ないいまわしと並んだときに、その手の客観性はいよいよくっきりしてくることになり、すなわち「身の丈ほどほどのめでたさにとどまるつつましやかなよろこび」という本歌の趣意からクールに身を反らしているようでもある。まあ、この句を自分の状況を述べているとは取らずに、一茶の世界を大いなるものと捉えたうえでツナガロウとする行為として見れば、その知のありようも、新年詠としての格も、収まるところにおさまった感じ。ファンタジーとしての素材は扱っていないものの、こういう仕掛けは私の中でファンタスティックに感じられたので、ちょっと寄り道。


これは、おおむね、自戒として思うのだけれど、新年詠は、「年賀状に書くのにふさわしい句」という方向に傾いてしまいがちになる。それなりに立派だが、あたりさわりがない方向。写真屋さんに撮ってもらう家族写真のような気配とでもいえようか。自分を過度に晒すことも無いし他者をあげつらうこともない安全圏、その晴れがましさを素直に体現できる場としての新年でもあろうし、そうした安全圏そのものをとらえてガタガタいわせるという手もある。それもまた、俳味。

列島砕きつ惑星大の宝船   関 悦史

中途半端なファンタジーで年賀状の挨拶としてまとめてしまうよりも、ここまで突き抜けている方が、ともあれ、面白い。「いつおこるかわからないような未来のことをもてあそぶ荒唐無稽」というフラットな評を呼び込まないように仕掛けられているのが「完了の助動詞 つ」。列島が砕かれるような事態そのものを現時点での認識に座標付けすることで、「え? あなたはそれを感じませんか?」というような問いかけが内包されることになる。現実の列島が物理的には砕かれていないように思えるからこそ、その問いかけは喩なり寓意なりの方向に滲み出してゆくことになるわけだが、その問を読者に押し込んでくるのが「地球の歴史を考えてみればあながち荒唐無稽ともいいがたい惑星衝突」のイメージをまといつつの、ほれ、新年の大いなる妄想「宝船」。新年詠の趣意をワダチにしながら、その安全圏を揺さぶっていて、痛快。



大きなものとのつながりといっても、何もそれはファンタジー傾向ばかりではあるまい。

一月の川一月の谷の中 飯田龍太」。この句について、「谷の中に川があるのは一月ばかりじゃあるまい」という意見があり、なるほどと思う。ともあれ、一月とはすなわち新年詠の連帯感を引きずっているわけで、その連帯感のひとつに「同一性へのまなざし」というのがあるようにも思う。そんな感覚はおよそ合理的ではないため、「なぜ一月なのか」という理屈には太刀打ちできないものの、そもそも合理的なものを最優先に重んじるならば俳句にはあまり接近しない方が良いのでは、とも思われる。

蛸壺の口の揃ひし恵方かな   山口昭男
人日や二つにひとつばかりを問ふ   森賀まり
てのひらに遠き手の甲年明くる   山田露結
のどかさの顔から顔へ欠伸かな   兼城 雄
群れ立つペンギン替えた電球を試した   福田若之
正月のいたるところに貼つてある   嵯峨根鈴子
物と物触れ合はずある淑気かな   依光陽子
初声の後いつせいに飛びにけり   岡田一実

同一性をおもえばこそ、「同一にならざるもの」という差異への類推が立上がろうというものだし、差異があれば、その距離にも思いが及ぶ。そうした「差異」なり「相対性」なり、それらが抽象的な感覚であるからこそ、それを具体的な世界に引き寄せてみる手捌きにおいて、俳味が導かれる。「てのひらに遠き手の甲」は、「なにもわざわざ云うほどのことではないけれど、いわれてみればなるほどそうだ」という点を、身体を舞台にいいおさめる。「年明くる」が添え物の季語にならないでいるのは、「同一性へのまなざし」がさっくりと伝わってくるからなのであろう。個体はありながらその差異について見分けがたい点において「ペンギン」と「電球」は並べられる。およそ関連性がなさそうな事象をつなぎ止めるのは、むしろ新年詠にたいする古典的な認識。教養をそのまま見せるのではなく、語と語のカスガイとして活用し、作品として見せている手腕に注目した。

同一性と相対性などをもてあそんでいると、おのずからそれは自らの座標へとの思いに至る。

焼夷弾吊り上げてゐる初景色   谷口智行
南方に初花火あり火薬なり   橋本 直
自爆せし少女のごとく福笑   内藤独楽
日の丸を軍旗とすまじ初日の出   鳴戸奈菜
初刷りに戦果言祝ぐ世もありし   有川澄宏

重たい。この重たさは、その社会的な素材の重たさでもあるけれど、その手の重たさとは別に、俳句として重い、という感覚がある。「去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子」がその代表例だが〈漠然としていつつも「ああ、はいはい」と理屈抜きに共有されるような〉連体感、それを前提としてみると、その連帯感に明確な方向が発生してしまうのが、俳句としての重さの主要因。もちろん「やむにやまれぬ心情」というものがあって、そういうものは少なからず人に伝えたくはなるものの、それを新年詠で披露するのは「お年玉をもらう時にはじまっちゃった小言」のように「ついで」感が漂ってしまって、その素材の深刻さがかえって浮いてしまうのではないかとも思うのだが、いかが。「自爆せし少女のごとく福笑」は、その内容が不謹慎であるかどうかよりも、「ごとく」という繋ぎ方、そのバイパスとしての修辞の屈託の無さに戸惑ってしまった。
 
自らの座標を思えばこそ、そして、その世界の果てしなさを理解していればこそ、重ねて云えば、その果てしなさを俳句で表現することなどヤメておいた方が良いという分別があればこそ、「それはそうと、私」という姿勢があらわれるのは当然のことである。

二日はや僕のかたちの肌着かな   竹内宗一郎
新暦三箇所時計五個私室   小久保佳世子
地下鉄道みんな喪中じゃないんだね   佐藤文香
駅伝中継観てる場合か あっ雪の富士   池田澄子
初富士を東戸塚に見てかへる   上田信治

「僕のかたちの肌着」とは、「みんなが大いなるものでつながっていたお正月」を借景にしているからこそ、相対化された個として受け入れやすくなるわけであるが、ともあれ、そのフェティッシュな感覚がむしろ「お正月の一体感の暴力性」のようなものを伝えてくるようでもあり興味を持った。「あっ雪の富士」という台詞は、ともかくたいていの人が見ている駅伝中継という漠たる連帯感から、自己の感性をサクッと切り分ける効果を持つ。と同時に、「観てる場合か」と突き放しつつも、その画面から目をはなしていなかった、そんな「私」の発見がある。「東戸塚」が「西戸塚」や「南戸塚」じゃダメなのか、ということに関しては、「初富士」の「初」との相性というこれまた「それなりに古典的な文脈が無いわけではないけれど説明すると長くなるしたいして合理的でもない」解釈を持ち込むことになってしまって、面倒。それはそうと「見てかへる」の「かへる」にこそ、「それはそうと、私」フレーバーがこめられていて、であるからこそ、初富士の大いなるふくらみと「東戸塚」という俗世界の座標とをつなぎとめているのではないか。

新年詠。その原点は、そもそも「挨拶」。新年の挨拶は「おめでたい」「おもしろい」の趣あり。

新玉のmailのメーも御慶かな   高山れおな
太陽(ひ)の貎がきのうのかおと異うのよ   金原まさ子

メールで挨拶を交わすのも現代的な新年のありさま。mailの「メー」、これはいうまでもなく羊。「新玉」と「御慶」、新年をしめす語が重なっているように見えるので、落語の「御慶」へと視野をひろげると、それでなるほどと落ちつく。〈富くじがあたった八五郎。正月は今まで身につけたこともない裃袴、脇差を差し、固まったようになって大家のところに行き新年の挨拶を教えてもらう。長いのは覚えられないからと言って仕込まれたのが「御慶」。八五郎さっそく長屋中を「ギョケイ」「ギョケイ」と言って歩く。すると向うから仲間が三人やってくる「ギョケイ、ギョケイ、ギョケイ」「何て言ったんだ?」「ギョケイったんだ」「あぁ、恵方詣り行ってきた」〉というような内容。聞き間違えの音遊び系サゲ。文字を音声化する契機が、噺の中に込められていて、まあ、それを知らずとも良し、知っていればなお好しという一句。
金原まさ子の作品。「大いなるものとのつながり」そして「同一性へのまなざし」「それはそうと、私」などもろもろ書き連ねては来たが、挨拶として日常の言葉でそのもろもろを一挙に言い切るパワーをしめくくりに掲げた。どこか遊び半分のようでもある。それこそが、かえって、新年詠の奥行きにふさわしい、そんなふうにも思えてくる。



≫2015新年詠
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/01/402201414.html

【鴇田智哉をよむ 9】宙にあそぶものたち 小津夜景

$
0
0
【鴇田智哉をよむ 9】宙にあそぶものたち

小津夜景

 
  息をのむエレベーターといふあそび   鴇田智哉

この句、どことなく阿部青鞋の香りがします。たぶん「息をのむ」という言葉の使い方に、身体に対する奇特な親愛が感じられるせいでしょう。

実際のところ青鞋の句にみられる身体性は、関悦史が解析しているように「鏡像段階以前の統一されない多幸的な身体感覚」への偏愛
〔*1〕に基づいているので、鴇田智哉のそれとは違う。いや違うどころか、実は今回とりあげる句は、彼独自の作句法がオーケストレーションを成していると言ってもいいくらい、作家その人らしい作品です。

この句を分析すると、まず「エレベーター」というのが、作者を包みこむ皮膜ならびに自己と世界との界域を担う〈ディアファネース〉の役割をしています。そして作者は、そんなディアファネースの内部で上下する〈線的運動〉を体験し、ドキッとして楽しいな、と思う。こういった内容です。

ここでの「息をのむ」体感については、ふたつの文脈が考えられます。ひとつはエレベーターが静止と運動との境界をまたぐ際の〈アンフラマンス感覚〉で、もうひとつはエレベーターが階移動する際の〈バレットタイム感覚〉です。

エレベーターが動き出そうとしているときや、止まろうとしているときって、なんともいえない緊張を覚えますよね。まさに息をのむといった感じの。他人と一緒に乗っていたりなんかすると、なおさら居心地が悪い。はっきり動くか止まるかしてくれれば割と平気なのに、身体のマッピングが微妙な状態に置かれた途端、他者との距離感までが恐ろしく不安定になる。あれ、どうしてなのでしょうか。あるかなきかの虚薄、〈アンフラマンス感覚〉をめぐる謎です。

で、もうひとつの〈バレットタイム感覚〉ですが、エレベーターというのは上昇する時、体に重力がかかるのが分かります。逆に下降する時は、内蔵がふわっと浮く感じになる。つまりどちらの場合も、移動の向きとは反対の方へ身体が引っぱられている。ここから読者に分かるのは、エレベーター内に生じる線的運動がまさに〈生ける間において引き裂かれる身体〉をリテラルに引き起こしている、といったことです。

この〈生ける間において引き裂かれる身体〉について、これまで私はいくども言及を重ねてきました。例えば「こなごなに凍てながら日は水底へ」や「ゆふぞらをつらぬく胼の体かな」といった句を、

伸びゆく線からうまれる〈生ける間〉が、現在性を無限に引き裂くことによって成り立つがために、それ自体の亀裂を同時に引き起こす原理(「生きながら永眠する日、それから」)

として見たり、また「風船になつてゐる間も目をつむり」の句について、

風船という皮膜になった作者。それは膨らめば膨らむほど、意識の浮揚感を増してゆくことでしょう。またそのときゴムの膜は薄くなってゆくので、身体は八つ裂き感を強めることになります。つまり風船という〈半透明の皮膜〉は、私と世界とが未分化の場所で引き伸ばされると同時に引き裂かれてゆくという〈生きながら/死んでいる/ことを知る〉時空の原理そのままを、目に見える境地に実現したすごいアイテムだったのです。(同上)

と考えてみたり。こうした境地を実現するアイテムとして、エレベーターをすら発見してしまう鴇田という人は、やはり自分の価値観に対してどこまでも保守的にふるまう作家だ、と断言できるでしょう。

ところで、エレベーターで想定しうる最大の「息をのむ」事態といえば、どう考えてもロープが切れて落下することに決まっています(少なくともわたしは、自宅マンションのエレベーターに乗るたび「切れたら、やだな」と毎回息をのんでいます)。この時、すなわちロープが切れてエレベーターが落下した場合、身体は上下に引き伸ばされる感覚を通り越して宙に浮いてしまう、というのはアインシュタインの「エレベーター思考実験」としても有名な話ですが、二冊の句集を眺めるかぎり、鴇田は〈重さなく宙に浮く〉現象というのが相当好きなようで、そこら中にこの手の描写が出てきます。この〈重さなく宙に浮く〉現象、俗にいう無重力状態は、エレベーターのような垂直落下のみならず、放物線を描くように物体を放り投げたときにもその物体内部に生じますが、私はこうした状態にまつわる句全般を、鴇田の「空虚な衝撃」或いは「フローモーション」への嗜好に関係するとみなして次のように書いたことがあります。

水面から剝がれてゆきし揚羽かな
川面からはなびらの吹きあがりけり
障子から風の離るる音のあり
落ちてくる鳥にひろがる秋の空


水面、川面、障子、秋の空といった語は、その薄さや表面性から、時空が時空となる手前の位相を演出するのに大変便利だが、そのような位相から揚羽、はなびら、風の音、鳥などが剥離するとき読者の心を占めるのは、剥離のイメージにまつわる詩性よりも、むしろひらりとめくれるものの線から生じる時空の契機/継起の、その空虚な衝撃そのものである。あるいはこの空虚な衝撃を〈運動によって逆に静止を膨張させる、バレットタイムのような間〉特有の潜勢力と言ってもよい。また次のようなフローモーションでも、作者の知覚の鋭さが逆説的に時間を引きのばし、線のうごきが永遠の継起に留まりつづける〈間〉が描かれている。

ぶらんこをはづれて浮かぶ子供かな
万緑の体育館に浮くボール


(「生きながら永眠する日」)

今、書きながら気づいたのですが、上の「ぶらんこをはづれて浮かぶ子供かな」の句、これ観念でも誇張でもなんでもなく、自由落下による無重力状態のベスト・ショット写生そのものですね。まるで子供が放物線飛行しているみたい。あるいは、私が飛行と感じるのは、たまたま無重力空間での物理現象を研究している人の話を聞いたことがあるからかもしれませんが。

ちなみにその研究者が実験するときは、やはり無重力空間で行うらしい。で、どうやってその空間をつくりだすかというと、仏空軍のパイロットに飛行機を斜め上方に向けて飛ばしてもらい、高度一万メートルまで昇ったら今度は空中でエンジンを停止し、ふわっと空から〈舞い/降りる〉かのように落下してもらう。サ—カスの空中ブランコ乗りみたいに。すると飛行機が地面に落ちてくるまで(ほんの数十秒)の間は機内の重力が消失して、実験が可能になるのだそうです。

という訳で「エレベーターであそぶ作者」のありさまを書くはずが、いつのまにか「
ぶらんこであそぶ子供」の話になってしまいました(どちらも〈宙に遊ぶ〉句だから、ま、いっか)。ともあれ、無重力の世界を舞い遊ぶこの子供、とてもキラキラしつつ、それでいて全然俗っぽくない。鴇田智哉の子供の句って、安易なセンチメンタリズムと断絶した〈異界の天使性〉を秘めていてどれも素敵ですけれど、中でもこの句には異色の天使性や脱俗感があって、幸せな気分になります。


〔*1〕関悦史「青鞋的身体」
http://etushinoheya.web.fc2.com/seia.html





【八田木枯の一句】ふるさとの紙鳶は糸より暮れにけり 太田うさぎ

$
0
0
【八田木枯の一句】
ふるさとの紙鳶は糸より暮れにけり

太田うさぎ


ふるさとの紙鳶は糸より暮れにけり  八田木枯(『夜さり』)

糸が風に鳴り、晴れ上がった空の遥か高みに、別な魂を持ったもののごとく幸吉の凧は高々と揚がりつづけた。夕暮れの光のなかで天高く静止したそれを見つづけていると、すっかり糸は消え失せ、まるで地上とは無関係に、凧だけが独立した別な世界に属していた。幼い兄と二人で、あの八浜の船着きから続く坂道の原で風を背に受け、夕空高くにとどまっている凧を見つめていた時の、何もかにもが輝いていた一切が弥作の中に蘇ってきた。
飯嶋和一の『始祖鳥記』を読んでいたら掲句の解題のような一節に出会ったのだった。これ以上何を付け加える必要があるだろう、という気がする。ただ両者が異なるのは、小説のなかで弟の追憶に浮かぶ凧は現在から完全に切り離され、故郷という王国に燦然と君臨するのだけれど、木枯句では夕映えに染まった糸が天上と地上とをかろうじて繋ぎとめているところ。やがて暮色が深まればその糸も掻き消え、紙鳶のみが薄闇にぼうっと揺らめくのかもしれない。そうなる前の、握った糸を引けばふるさとを手繰り寄せられるという手応え。その実感があるかぎり憧憬の夕空に紙鳶はいつまでも留まりつづけるのだろう。

凧上げはこどもの遊びだけれど、まさに「追憶はおとなの遊び」〔*〕なのだ。



〔*〕仁平勝《追憶はおとなの遊び小鳥来る》


週刊俳句 第407号 2015年2月8日

$
0
0
第407号
2015年2月8日


2014「角川俳句賞」落選展 ≫見る
2014「石田波郷賞」落選展 ≫見る

【週俳・2015新年詠を読む】
あらタマる……笠井亞子 ≫読む
新年詠を読んだ。……生駒大祐 ≫読む
つながっちゃう新年……山田耕司 ≫読む 
初日……福田若之 ≫読む

【鴇田智哉をよむ 9】
宙にあそぶものたち
……小津夜景 ≫読む

【2014石田波郷新人賞落選展を読む】
思慮深い十二作品のためのアクチュアルな十二章
〈第三章〉
……田島健一 ≫読む

自由律俳句を読む 79
第三回全国自由律句大会〔1〕……馬場古戸暢 ≫読む

連載 八田木枯の一句
ふるさとの紙鳶は糸より暮れにけり……太田うさぎ ≫読む


〔今週号の表紙〕琵琶湖と比良山……山中西放 ≫読む


3.11 4.11 いわき市 鈴木利明氏・中里迪彦氏の記録写真展のご案内 ≫見る


第2回「詩歌トライアスロン」作品公募のお知らせ ≫見る
俳句自由詩協同企画について ≫見る

後記+執筆者プロフィール……福田若之 ≫読む


 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る



新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ ≫読む
週俳アーカイヴ(0~199号)≫読む
週俳から相互リンクのお願い≫見る
随時的記事リンクこちら
評判録こちら

後記+プロフィール408

$
0
0
後記 ● 村田 篠


(Under Construction)


no.408/2015-2-15 profile

柳本々々  やぎもと・もともと
かばん、おかじょうき所属。東京在住。ブログ「あとがき全集。」http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。

■田島健一 たじま・けんいち
1973年東京生れ。「炎環」「豆の木」。現代俳句協会青年部委員。ブログ「たじま屋のぶろぐ」  

■角谷昌子 かくたに・まさこ
東京在住。鍵和田柚子に師事。「未来図」同人。俳人協会幹事、国際俳句交流協会評議員、日本文芸家協会会員。詩誌「日本未来派」所属。句集に『奔流』『源流』。木島始との共著に『バイリンガル四行連詩集〈情熱の巻〉』、角川書店 『鑑賞 女性俳句の世界(5巻 井沢正江)』、俳人協会紀要「中村草田男 第 一句集『長子』の時代」ほか。目下、揚羽蝶の飼育に熱中。近所の井の頭公園散策が日課(井の頭バードリサーチ会員)。  

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

西原天気 さいばら・てんき1955年生まれ。「月天」同人。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。俳人協会会員。「Belle Epoque」

〔今週号の表紙〕第408号 浅蜊 西原天気

$
0
0
〔今週号の表紙〕
第408号 浅蜊

西原天気



浅蜊は春の季語。

ボンゴレは傍題?





週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

自由律俳句を読む 80  第三回全国自由律句大会〔2〕 馬場古戸暢

$
0
0
自由律俳句を読む 80

第三回全国自由律句大会2

馬場古戸暢


前回に引き続き、第三回全国自由律句大会投稿句を鑑賞する。

拭いても磨いても老いていく鏡  富永鳩山

準大賞句。鏡と自身の両方に、「老いていく」の語がかかっているのだろう。どうにもこうにも、生きて行くほかない。

のれん押し上げて客は初夏の風  富永順子

先ほどうどんを食べてきたためか、この句ののれんもうどん屋のそれだと思う。初夏の風は、こちらの気持ちを明るくしてくれるので歓迎である。

小さな靴一つ残し春に立つ子  下瀬美保子

幼子がようやく立ったところと読んでもいいし、幼児だった我が子がひとりだちしたところと読んでもいいだろう。小さな靴が可愛らしくもあり、また、さびしさを助長しもする。

座布団枕に滝は見に行かず
  きむらけんじ

ホテルやスーパー銭湯にて、畳敷きの広場で休んでいるところを詠んだものと見た。滝よりも寝たいのである。横になりたいのである。

あれこれ忘れて生きたふりする  阿部美恵子

「生きた」とは、これまで生きてきたという意味か、それとも、現在進行形で生きているという意味か。おそらくは両方であって、きっと生きるとはこういうことんなんだろう。

〔ハイクふぃくしょん〕末裔 中嶋憲武

$
0
0
〔ハイクふぃくしょん〕
末裔

中嶋憲武


『炎環』2013年7月号より転載
する事はこれと言って無い。小さな川に沿ってぶらぶらと歩く。薄日の射し込む川面は、どんよりと重く鈍い煌めきを放ちながら、ゆっくりと流れていた。川の流れの先にスカイツリーが見える。虚無的な男の一瞥のようにくらりくらりと灯を廻している。鉄柵に凭れ暗い水のゆくえを眺めていると、視界の端を白いものが翻ったような気がした。まさかと思って見上げると、やはり鶴だった。鶴は仕舞屋の陰に隠れて見えなくなった。俺は再び川に目をやった。

夕食はどうするか。豆腐でも食うかと考えた時、背後に気配がして「もし」と声を掛けられたので、振り向くと妙齢の女が立っていた。ほっそりとした体を柔らかそうなカシミヤの白いコートに包み、大きな黒い瞳が恬淡と俺を見た。余りに恋愛と縁遠い生活を送っている俺は、これは好機が訪れたのかもしれないぞ、そうだ間違いなく恋だと考えた。俺は顔だってまあまあだと思っている。自信を持って誘ってみろと自分を鼓舞した。だがその必要は無かった。女は、どこかでお茶が飲みたいと言ったのだ。

しばらく歩くと「王城」という喫茶店があったので、そこへ入った。コートを脱いで、白いタートルネックのセーター姿になった女は、思っていたよりも豊満な胸をしていた。女はロシアン・ティーを頼み、俺はブラジルを頼んだ。ほくほくと女を見ると、「昔はよくこの辺にも飛んで来てました」と言った。俺は女が何を言ってるのか分からなかったので、よくよく聞いてみると、女は鶴なのだと言う。そう言われれば、そんな気もして来るのだった。「鶴って、やっぱ長生きなの?」何を聞いてるんだ俺は、と思ったが女は真面目だった。二百七十年生きているが、まだまだ若い方なのだそうだ。わたしの祖父は千五百年生きましたと付け加えた。広重の絵に描かれているのは祖父と兄です。兄は悲しい最期を遂げました。女はさめざめと泣いた。

どんな縁でも女に泣かれるのは気まずい。気まずい雰囲気のまま、店を出て堤防に沿って歩いた。宝暦二年の冬に、と女は切り出した。鷹狩があって兄は捕まりました。鷹匠が兄の肝を抜き、塩を詰めました。都へ献上するためです。翌日の朝、檜の立派な輿に羽根を広げた姿で兄は載せられ、都へ旅立って行きました。上様は微笑してご覧になっていました。鷹匠も傍に仕えていました。あなたはその鷹匠の末裔なのです。そう言って女は堤防を降りて行き、橋桁の陰へ入った。わたしの合図があるまで目をつぶっていて下さい。もしも途中で目を開けると、あなたは死にますと言った。目を瞑ると洋服を脱いでいる気配がしたので、目を開けてみたかったが我慢した。やがて女がいいですと言ったので目を開けると、一羽の美しい鶴が立っていた。あなたを見ておきたかったのですと言って、大きく二三回羽搏くと北へ向かって飛び立った。俺は鶴が見えなくなるまで北の空を見ていた。

鶴つつむ古い布あまねく朝日  田島健一

【八田木枯の一句】天袋よりおぼろ夜をとり出しぬ 角谷昌子

$
0
0
【八田木枯の一句】
天袋よりおぼろ夜をとり出しぬ

角谷昌子


天袋よりおぼろ夜をとり出しぬ  八田木枯

第4句集『天袋』(1998年)より。

句集名はこの句から採られた。「後記」に、「天袋とは何か。天そのものの意でもあり、少年のころより耽読した谷崎潤一郎の陰翳礼賛の美学でもある。天袋と言えば地袋、それを繋ぐ違い棚。仄ぐらい陰と翳のただよう中へわたくしの思いは入り込んでゆく」と記す。

谷崎は『陰翳礼賛』に「暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った」と書き、陰翳に深みを添える障子や床の間、そして、能楽、人形浄瑠璃などを賛美した。さらには、島原の角屋で遊んだとき見た屋内の闇こそ、「魑魅の跳梁するのは蓋しこういう闇であろう」と言い、「私は、われわれがすでに失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい」と結んでいる。

京都の島原は寛永18年(1641)開設以来の花街である。遊宴のみならず、和歌や俳諧などの文芸が盛んで、島原俳句会が催されるほどの盛況をみた。江戸時代、客を饗する揚屋「角屋」は現在の料亭にあたる。大座敷に面して広々とした庭があり、各部屋は趣向を凝らした造りだ。二階の座敷には青貝の間、扇の間などがある。

昨年、12月23日、角屋で開催された蕪村忌に参加した。谷崎が執筆した『陰翳礼賛』の世界がそのままそこにあった。行灯の明るさに違い棚や襖の絵が照らし出され、簾越しに次の間が透けて見えた。螺鈿の光が闇に妖しく浮かび、興趣豊かな部屋中にちりばめられている扇などの文様が密かに華やぐ。

谷崎は角屋に「魑魅の跳梁する闇」を見出した。その精神を継ぐのが、木枯なのである。木枯は、俳句によって、「陰翳礼賛」の世界を構築しようとした。

掲句〈天袋よりおぼろ夜をとり出しぬ〉では、天井に近い天袋に手が届くよう、踏台を持ち出す。伸び上って引戸を開けると中には闇が充満している。すっと手を入れて取り出したのは「おぼろ夜」だ。天袋から溢れた「おぼろ」の闇は部屋から家中に広がり、それとともに魑魅魍魎が異界から滑り出てくる。

 木枯の作品に〈澄みまさる水のゆくへを夜と思ふ〉〈かたちなきものまで暮れて秋の暮〉〈草もみぢ夜に入るとき昼消えし〉などがある。見えざるものを捉える時空はさらに開け、闇への視線はさらに深まる。前句集と同様、世阿弥、近松、谷崎らの精神、美意識が根幹をなす作風を貫いてゆくのである。


【鴇田智哉をよむ 10】しぼりだされるトポスへ 小津夜景

$
0
0
【鴇田智哉をよむ 10】最終回
しぼりだされるトポスへ

小津夜景


テクスト分析とは或る作品を還元し、組み替え、そのオルガニズムを再構築することで、作者の遺伝子を色濃く受け継いだ別の生命、言うなれば〈作者の認知していない非嫡出子〉を出産させる試みです。

この試みにあたって私は、①バレットタイム、②ディアファネース、③アンフラマンスといった三つの原理を鴇田智哉の俳句に持ち込み、その還元と再構築との過程から、あくまで無理のない自然分娩での「産婆術」を行おうと努めてきました。

作品を還元することの利点は、それがテクストの〈余剰〉を必ず取りこぼすことにあります。還元の方法が適切であることを大前提とした上で、なお読解に取りこぼしが多いとなれば、その作品はそれだけ多様な価値との互換性をもつといえる。つまり還元主義的読解は作品の内包する〈還元されえない命〉をより鮮明化するのです。

さて、この【鴇田智哉をよむ】は今回でおしまいです。というわけで、私が『凧と円柱』に対して感じた〈落とし穴〉について最後に述べてみたいと思います。

まずテクスト分析の結果から言って、句集『凧と円柱』は前作『こゑふたつ』と比べ遥かに図式的です。『凧と円柱』は前作より語彙が増えたことや、ことばの観念的嗜好が抑えられたことで、表面的にはカラフル&リーダブルな豊かさを得ることとなりました。とはいえ分析的な読みに抵抗する力、すなわち〈還元されえない命〉といった真の豊かさ関しては以前と比べて減じたと見るべきでしょう。

とても似ているように思える二つの句集。けれども『こゑふたつ』の句はそれぞれが「いきもの」の姿をしていました。各句がそのまま原生動物であり、伸びる糸であり、時空を生み出す奇蹟であったことは、あの句集があからさまに「線を引くこと」を出発点としていたことからも分かります。さらには好き勝手にひょろひょろと泳ぎ、みずからをほどいては新たな現象を編みなおす「いきもの」たちを、作者みずからが追い回して言葉にしてゆく様子も非常に生々しかった。

これに対して『凧と円柱』では、作者自身の居所とパースペクティヴとが、きわめて定位的・図解的に認識できるようになりました——あたかも世界の側からの複雑な語りかけが、作者自身おなじみとなった作句原理のモジュールへと一元的に変換されてゆくに過ぎないかのように。実際、こちらのテクストは還元された段階でかなりの部分が読み終えられてしまい、表現の意図がわからない箇所の諸関係を構造的に読み直す必要性が前作と比べて低い(つまり予想可能なことしか句中で起こっていない)というのが個人的な実感です。

これは批評であり、感想でも評価でもありません。私の感想を言うなら、この句集の美しさを、この先いくど同じ事がくりかえされても構わない純粋な喜びとして享受しましたし、また評価を言うなら、この句集の方法論とその達成度は、それが独自のものであることも含めて最大限に称えられるべきだと思います。そう、前作と比べた時、鴇田はとても巧みに〈世界を作品化する〉ようになったのです。そして私の考えるところそれは、作者の理解しうる範疇で句がコントロールされていること、すなわち作者の与り知らない〈私生児〉の生まれる可能性がきれいに葬り去られてしまったことを暗に意味しているのでした。

しかしながら「見通しの良い作句原理に依拠する」といった態度は、鴇田のような「時空が時空となる以前の〈間〉のひろがり」が重要とされる句の場合、とてつもなく危うい落とし穴となるかもしれません。なぜなら時空以前の〈間〉と関わる以上、作者の居場所は定位的であってはならないのですから。ところが『凧と円柱』は、作者が安定的な原理と居所を保持した上で繊細な事柄を語る(ふりをする)といった態度とほとんと紙一重ではないか、もしかすると鴇田はこのままそのような〈繊細を騙る通俗性〉へ向かうのではないか、と危惧される瞬間がありました。

この完成度の高い句集が、作品から損なわれつつある〈不安定性〉をふたたび回復するためには、おそらく今いる場所からさらに〈ずり落ちて〉ゆく必要があるでしょう。しかしどこへ向かって? それについては、たとえば次のような句が教えてくれるのではないでしょうか。

  つはぶきは夜に考へられてゐる   鴇田智哉

この句に見られる文の屈折。ここには、テクストがテクストそれ自身から〈間と思考〉を搾り出してゆく過程、すなわちことばが自らの肉を切り裂いて新たな生命を出現せしめるプロセスといったものが如実に現れているような気がします。しかもこの句の〈間と思考〉が、まるで物質さながらに夜の中を(つまり光ではなく闇の中を!)曲がりながら伸びてゆくさまも、鴇田のディアファネースのあり方としては異色です。

〈間と思考〉が、闇に〈屈折〉しながら、みずからを引き伸ばしてゆくといった現象。果たしてその闇に搾り出されるものとは、作者自身のいまだ認知していない新しい命そのものではないでしょうか。

そしてもうひとつ、掲句の「つはぶき、夜、考え」といった抑制の効いた思弁的情緒が、三橋鷹女「つはぶきはだんまりの花嫌ひな花」との間で〈磁場の引き合い〉を起こしていることにも注目すべきです。掲句にとって、鷹女の句は単なる「想起されうる重要な句」といったものではありません。鷹女の句は、鴇田の既に自己完結的なレベルに達した作句原理を瓦解させる〈外部〉ないし〈現実〉としてひっそりと、しかし確実に働いている。このような「テクストがその外部との引き合いを甘受する」といった現象は、鴇田の作句において極めて珍しい事例です。

〈言葉が言葉それ自身を搾り出してゆくプロセス〉にまつわるバレットタイム。〈光ではなく闇〉のディアファネース。〈テクストとその外部との間で引き合い、明滅する磁場〉としてのアンフラマンス。鴇田を支える三つの原理の、例えばこのような書き換えが、鴇田の今後の俳句にふたたび〈還元されえない命〉を呼び込むことになるのではないか——あまりに素朴な道筋の付け方ではあるものの、とりあえずの展望としてそのような考えを提出しつつ、私はこの文章を終わりにしたいと思います。

〈了〉

俳句/川柳を足から読む ホモ・サピエンスのための四つん這い入門(或いはカーニバルとしてのバレンタイン・メリイ・クリスマス) 柳本々々

$
0
0
俳句/川柳を足から読む
ホモ・サピエンスのための四つん這い入門(或いはカーニバルとしてのバレンタイン・メリイ・クリスマス)

柳本々々



第一、足が四本あるのに二本しか使わないと云うのから贅沢だ。四本であるけばそれだけはかも行く訳だのに、いつでも二本で済して、残る二本は到来の棒鱈(ぼうだら)の様に手持無沙汰にぶら下げているのは馬鹿々々しい。これで見ると人間は余程猫より閑(ひま)なもので退屈のあまり斯様(かよう)ないたずらを考案して楽(たのし)んでいるものと察せられる。(夏目漱石『吾輩は猫である』新潮文庫、2004年、p.220)

カーニバルの言語に特徴的なのは、〈裏側〉〈あべこべ〉〈裏返し〉の論理、〈上と下〉〈正面と背面〉の間の絶えざる変転の論理であり、さまざまな形のパロディ、もじり、そして、冒涜、道化的な戴冠や奪冠である。(阿部軍治「ミハイル・バフチンの生涯と創作」『バフチンを読む』NHKブックス、1997年、p.270)

神野紗希さんの『句集 光まみれの蜂』(角川書店、2012年)に、こんな句がある。

 犬の脚人間の脚クリスマス  神野紗希

この句には上昇し、了解する視点の移動のドラマがある。

「犬の脚」から「人間の脚」へと〈上〉へ移動するように視線が動き、そして「人間の脚」をみたことで〈いま・ここ〉という〈場〉が「クリスマス」なのだと〈了解〉する。

でも、わたしがこの句を去年のクリスマスの日に思い出しながらも、クリスマスの間、ずっと不思議だったのは、こんなことだった。

どうしてこの句は、「犬の脚」から〈視線〉がはじまってしまったのか?

私は酔っぱらい、ふらふらになりながら、チキンを片手にもちながら、三角帽子をかぶりつつ、鼻眼鏡はどこかに無くしてしまいつつ、かんがえつづけた。

でも、あまりによろけてしまい、どうと音を立てて後ろに倒れたときに、そこにいたひとびとの脚がみえた。

ああ、脚・脚・脚・脚だとおもった。

そのときわたしはふっと思ったのである。これは、《酔っぱらいのひとの視点》なんじゃないかと。

倒れたところから始まっているのだ。

そのとき、同時に、このわたしの、わたしのおなかを一所懸命にふみふみしている猫がいた。そこでわたしはもうひとつ、了解したのである。

ひょっとすると、これは『吾輩は猫である』のような四足歩行の〈動物〉が語り手となっている視点の句なのかもしれないな、と。つまり、この句の語り手は、猫かも、と。

この句では「人間の脚」と語られている。ふつうわたしたちは、ひとを「人間」とは呼ばない。それはカテゴリーの名称であり、わたしたちは友人や恋人を猫や犬とは間違えることはないので、《わざわざ》「人間」と使う必要はないからだ。

「人間」と《わざわざ》呼ぶのは、カテゴライズするときだ。だからこの句はある意味、「人間/動物」というカテゴリーの枠組みに基づいた句である。あるいはカテゴリーに敏感になって〈なにものか〉の句である(ちなみに漱石の『猫』は、「人間」と「猫」の差異に敏感になっていた)。

ふだん〈脚〉を気にする視線、もしくは〈脚〉から構成される世界にいる視点〈人物〉(ひと、じゃないかもしれないが)。それがこの句の中心にいるのではないか。わたしは脚がひしめくクリスマスのなかで、そんなふうにおもった。そして、ふいに、メリイ、クリスマスとろれつのまわらない声でいったようにも、おもう。だれかが、あのひとはもうだめかもしれないね、といったようにもおもったが、それは構わなかった。クリスマスだったから。

ここで〈脚〉をめぐる神野さんの俳句に、〈足〉をめぐる川柳を取り合わせてみよう。もう少し足を増やして考えてみたいという試みである。

2015年1月25日に『川柳カード叢書② 実朝の首 飯田良祐句集』が出版された。

飯田さんの句にこんな〈足〉の句がある。

 百万遍死んでも四足歩行なり  飯田良祐

わたしはこの句が神野さんのクリスマスの句とかすかに響きあっているように思えてならない。

この飯田さんの句は、徹頭徹尾〈足〉から考えようとする句である。ここには〈足〉しかない。「百万遍死」ぬことに、意味はない。むしろ意味があるのは、ここには〈足〉しかないということだ。そしてその〈足〉しかない世界が「百万遍死」ぬことと釣り合うくらいのエネルギーを有した、誤解をおそれずにいえば、祝祭的=カーニバルな空間だということだ。

「四足歩行なり」。

〈これ〉しかないのだ。だから、言い切る。〈足〉を、四つん這いを、つらぬく。ぶれない。語り手には、わかっているのだ。百万遍だろうが、壱千万だろうが、「四足歩行」なんだということが。

クリスマスとは、価値観がひっくりかえる祝祭空間のことである。みんな、鳥の脚をもって歩く。かれも、かのじょも、わたしも、あなたも、まあだいたいは、鳥の脚を目にする。脚にこのうえなくあふれた日、脚から構成されるカーニバル。それが、クリスマスだ。

だから、〈足〉から、〈下〉からかんがえるひとたちの祭りである(もちろん、「聖夜」が「性夜」と呼ばれるのもまたバフチン的な意味でのカーニバルである)。

ひとりで酔っぱらって倒れて、あるいは愛するひととねむりながら、あるいはそんなに愛さないひととねむりながら(クリスマスだからいろんなことが起こるから)、〈足〉からかんがえる祝日。そこには「犬」も「人間」もいる。ごちゃまぜの祝祭空間だ。

実はわたしは神野紗希さんの句を〈下〉の価値観を考え続けた思想家ミハイル・バフチンから読んでもおもしろいかもしれないなと去年かんがえていた。実際そうしようとおもっていた。でもクリスマスの日に、たおれ、それでもおきあがろうとし、四つん這いのままなんとかじぶんを取り戻そうとしているうちに、それは必要ないかもしれないなと、ふっと、おもった。問題は、思想=頭=知ではなく、〈脚〉=〈足〉だったから〔*〕

四つん這いから、クリスマスを、世界を、俳句を、川柳を、もういちど、かんがえてみたい。わたしは、そうおもった。

実際、リビングで四つん這いになったりして、手や足や犬や人間や二足歩行のカテゴライズをごちゃまぜにしながら、かんがえてみた。なにをやっているの、といったひとも、いる。でも、わたしは真剣だった。

クリスマスはたしかにおわってしまっている。でもまた今年もくる。今年がおわると、来年がくる。わたしがいなくなっても、くるだろう。クリスマス自体にも〈脚〉=〈足〉が、ある。

わたしは、ときどき、四つん這いをする。あなたも、すするかもしれない。でも、ときどきそんなふうに四つん這いするわたしやあなたは、その瞬間だけはきっと、クリスマスのまっただなかに、いる。体の一部が特権化されることのないような、「太平」としての祝祭空間に。

そうなのだ。漱石の『猫』だって、最後には悟ったのだ。「足」や「手」の、「動物」や「人間」の分別に意味は、ない。むしろそれらカテゴリーを放棄したところに、「太平」としてのカーニャバルは、あると。だから、
「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎり御免蒙(こうむ)るよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。(……)南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。難有い難有い。(夏目漱石『吾輩は猫である』、同上、p.544-5)


【註】
〔*〕その意味では、神野紗希さんの「図書室の脚立やバレンタインデー」(『句集 光まみれの蜂』)という句も、「図書」=知と、「脚立」=足が交錯し、転倒する句になっている。「脚立」は、「脚」を使って「図書」=知識を得るためのものなのだ。そしてその図書室をラッピングするのが、祝祭空間としての「バレンタインデー」である。実はそうした「脚」と「クリスマス」「バレンタインデー」の関係の主題を考えてみれば、エロティシズムの視点から読み直してみることも可能かもしれないとも、おもう。たとえば同じ句集から次のような句にも脚=足とエロティシズム(足からの身体の隣接性)の主題があるかもしれない。「明け方の雪を裸足で見ていたる」「おぶわれてサンダルの脱げそうな足」「雑誌繰る君素足なり寝ころんで」「詩に飽きて小猫の肉球と遊ぶ」

Viewing all 5929 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>