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【週刊俳句時評85】今年の積み残しその2 2013年の角川「俳句」から 記事4つ 「年鑑」から1つ……上田信治

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【週刊俳句時評85】今年の積み残しその2
 2013年の角川「俳句」から記事4つ
「年鑑」から1つ 

上田信治



2013年の角川「俳句」から、考えさせられたトピックを引きます。


6月号「季語についての素朴なギモン」岸本尚毅 p.92

毎度おなじみ初心者向け季語特集「大特集 季語のギモンに答えます!」より。

一般にさけるべきとされる「季重なり」「春の○○、夏の○○」「即きすぎ・(季語が)動く」について、岸本さんが、虚子やホトトギス「雑詠選集」の句をあげながら、ほとんどタブー視する必要はない、と説いています。

の幹静にの歩き居り〉〈秋天の下に野菊の花弁欠く〉〈夏の月皿の林檎の紅を失す〉〈ぱつと火になりたる蜘蛛草を焼くなど20句を超える虚子の季重なりの句を挙げ、岸本さんは「見ての通り季語だらけです。これに違和感を覚えるかどうかですが、私は全く気になりません。私は、句の出来さえよければ「季重なり」も可と考えます」(p.94)と書く(違和感もなにも、この4句などは、虚子の名品に数えられるでしょう)。

また〈パリの月ベルリンの月春の旅 池内友次郎〉〈秋の谷とうんと銃の谺かな 阿波野青畝〉〈冬の路に日々に拡ごる穴一つ はじめ〉などをあげ「虚子選における句の評価には「春の街」や「春の旅」が季語か否かという観点は全く影響していません。「春の○○」という言葉が句の中で生き生きと働き、春らしい気分を出していればそれでよいのです」(p.96)と書く。

「即きすぎ・(季語が)動く」については(〈奈良茶飯出来るに間あり藤の花 虚子〉)藤の花という季語はいい線を行っているとは思いますが、唯一の「正解」かどうかはわかりません(…)季語が即きすぎかどうか、動くかどうかは考えるときりがありません。あまり悩むと俳句が楽しくなくなります(…)虚子にとって季語の扱いは「取り合わせ」ではなく「あり合わせ」だったのです(…)「即きすぎ」「季語が動く」という心配をしたからといって句がよくなるわけではありません」(p.98)と、じつに明解。

ようするに、それで句がよくなるのならタブーなどはない、自分のアタマで考えなさい(考え抜きなさい)ということです。


同号「軽舟の俳句入門 最終回 俳句とともにどう生きるか」小川軽舟(p.106)

詩歌は私たちの思い出を刻みつけるものだという考えが、私の中で年ごとに強まっています。抽斗の中の古いスクラップのように色あせた思い出ではありません。私たちの喜びや悲しみを今ここに呼び覚ます生きた思い出です(…)俳句はもともと作者と読者の思い出の共有によって成り立つ詩型です。(小川 p.107)

小川さんは、2012年スタートのこの連載中で「俳句は読者に思い出してもらうことを必要とする詩型なのだ」ということを繰り返し書いています。

自分が、小川さんのこの言い方にはじめて触れたのは、『超新撰21』(2010)の「俳句は何かを伝えるのではなく、読者に何かを思い出させるのだ、という考えが年々私の中で濃くなっている」でした。

それは「鷹」編集長時代の『魅了する詩型』(2004)と、自らを含む同世代作家を俳句の中心的集団として位置づけた『現代俳句の海図』(2008)では見られなかったアイディアであり、また「読者の想像力を喚起する」(『高浜虚子 俳句の力』)という岸本尚毅さんの言葉と並行するものです。

私は何を求めて俳句を始めたのだったか(…)今から思えば、私は、俳句に日常生活から切り離された遊びを求めていたのだと思います。
(澄雄、龍太の伝統回帰は)言うならば俳句のユートピアだったと思います(…)私もまたユートピアに遊ぶことが楽しくて俳句を続けたのです。 
本誌2月号で私は「単身赴任」と題する作品五十句を発表しました(…)私は俳句によって私の単身赴任生活を思い出に刻みつけたかったようです。
私に考えの切り替えを促したのは東日本大震災でした(…)私は昨年出版した句集『呼鈴』の「あとがき」に次のように書きました。
〈俳句が昔をなつかしむだけのものであってはなるまい。未来は刻々と現在になり、過去になる。それを深く豊かな思い出としてする営みが詩歌なのではないか。私の俳句一つ一つが読者とともにその過程を刻むものであってほしい〉
この思いを皆さんと分かち合いたいと思うのです。(同 p.108-p.111)

自分のことを引き合いに出すのはおこがましいのですが、「俳句」今年11月号掲載の拙作について、正岡豊さんが「飽満化した市民意識をその飽満化した市民意識でかぎりなくやわらかに打つ」と書いてくださいました。

そのことを、自分は「ジュブナイル/ユースカルチャーを通じて自己形成した世代として「成熟」の問題を引き受ける」ことだ、と受けとりました。

そして。小川さんも、きっと同じ問題を感じているのではないか、と思うのです。

水たまり踏んでくちなし匂ふ夜へ 『近所』
泥に降る雪うつくしや泥になる  『手帖』
燃えほそる燐寸の首や夕蛙     同
蝸牛やごはん残さず人殺めず    同

というように書いていた人が、じょじょに

平凡なことばかがやくはこべかな 『手帖』
死ぬときは箸置くやうに草の花  『呼鈴』
かつてラララ科学の子たり青写真  
春暁や妻に点りし厨の灯 「2013俳句年鑑」自選5句より

へと移行することは、そういうことに違いない、と。

それは自分には、正直「ベタへの後退」と見えていました。

しかし「深く豊かな思い出とする営み」「皆さんと分かち合いたい」と書く作家にとって、ユートピアの孤独な完成度をいったん棚上げにして、より共感性の高い内容を志向することは必然なのでしょう。

小川さんと私は同年生まれで、花田清輝が「なぜ一気に物々しく年を取ってしまうことができないのか」と書いた年齢より、すでに20も年上です。しかし、だからこそ、いまさら「一気に物々しく」年を取るような恥さらしはできない。

元「現代っ子」が、何ものになっていくのか、まあ、口で言ったってしかたがない、作品と行動で、それは示していかなければならないわけです。

『未明の闘争』読まれました? 思弁と猫と犬と「お姉ちゃん」が出てくる保坂和志の小説。あれも一つの回答かもしれないと思います。


9月号「4週間でラクラク身につく! 文語文法入門」(p.71)

本誌346号347号で、大野秋田さんに詳細な反論をご寄稿いただいた、当の特集です。

9月号「特集」は、大野さんの論の根本にある「なぜ、中古(平安時代)の文法に従って、俳句を書かなければならないのか」というギモンに答えるものではありません。そんなことは宗祇も芭蕉も子規もしていない、にも関わらず、です。

こういう特集は、中等教育に携わっていた方が執筆されることが多いわけですが、まさかそういう方たちが、教科書に書いていること「しか」知らない、ってわけでもないでしょう。

教科書への採択の方面とか、そういう問題があるのでしょうか(と、この話も、このあと出てきます)。



中世〜近世には、すでに「完了のし」も「已然形終止」(「こそ」なしで「けれ」等で終わる形)も「カリ終始」(「かなしかり」「空しかり」等)も使われていました。

「言葉は百年も使われ続ければいかなる誤用も正用となる。中世以降に生じた文語の文法で、已然形終止は数百年、カリ終止は仮に西鶴のころからと考えても三百年、「まじ」の未然形接続は数百年の歴史がある。これらは誤用ではない。文法が変遷したのだ」(大野秋田「文法外の文法と俳句の文語(前編)」

執筆の諸先生が、大野さんがあげた100例以上の用例の作者よりも、その言語感覚が純正であることを主張されるのだとしたら、それはいかなる蛮勇のなせるわざでしょうか。

俳句の書き手としては尊敬すべき皆さんなのですから、仕事を受けられる前にすこし考えられたらいいのに、と思ったことでした。



大野さんが指摘されなかった部分から、気になった箇所を。

(〈一本のマッチをすれば湖は霧 富沢赤黄男〉について)「この句は、形の上では文語句とも口語句とも取れますが、内容的には明らかに文語句です。「すれば」という表現は、口語文法では、動詞「する」の仮定形に接続助詞「ば」が接続した形で「もし一本のマッチをすったならば」という仮定条件になります」(p.73「文語文法は名句に学ぶ」 佐藤郁良)

いやいや、これって「お手々つないで野道を行けば」と同じ「ば」なんじゃないでしょうか。つまり、現代語にも偶然条件の「ば」は例外的に残っているのではないか。

だって〈秋風の下にゐるのはほろほろ鳥〉〈恋人は土竜のやうにぬれてゐる〉の『天の狼』の収録句ですから、その口吻からいって口語として書かれたか、すくなくとも口語とも文語ともつかない措辞を選んで書かれた、と見るほうが自然でしょう。



主格を示す「の」「が」を受ける述部は、そこで文が終止する場合でも連体形になるのが原則です。しかし、そうでない使用例もしばしば目にします(…)主格を示す「の」「が」は、連体修飾格からの派生的な用法です(…)原則として心得ておきましょう。(p.98「助詞 よくある間違い」 加藤かな文)

古俳諧では疑問の係助詞「や」も切字として用いられたようです。その場合は文末が連体形になります。(現在の切字「や」は詠嘆の間投助詞が大半なので)活用語の場合は、上五へと循環していくような連用形が好まれるようです。(p.99 同)

いやいや、原則としては確かにそうかもしれませんが、それでは、俳句の文末がずいぶん単調になるでしょう。いくら初心者向けとはいえ、文法特集で、その「指導」は、踏み込みすぎではないでしょうか。

雲霧暫時百景をつくしけり 芭蕉
露の幹静に蝉歩きをり 虚子
鶏頭雁の来る時尚あかし 芭蕉
うつくしき羽子板市買はで過ぐ高浜虚子

ようするに、時代時代のことをよく知った上で、自分のアタマで考えましょう、ということです。

自分は、俳句が中古の文法に従って書かれたほうがいい、というのは単なる「好みの問題」であり、逆にそれを間違いだと言うことは「間違い」だと考えます。

どこか、間違ってますかねえ。


12月号「現代俳句時評 最終回 答は要らない」櫂未知子 p.206

上田担当の当欄は、櫂さんの時評の第1回と「俳句年鑑」の年代別に驚いてスタートしたわけですが、櫂さんの時評の最終回において、再度こっち方面に矢が飛んできた、というような気がしないでもない。

櫂さんは、無季俳句は「手本のない荒野だ」と言った、という三橋敏雄の言葉を引いてから、こう書きます。

昨今のネットを中心に活動している俳人達がそこまで意識しているかどうか、いささか疑問である。……こういったことを書くと、またぞろツイッターやフェイスブック等でさんざん悪口を書かれるだろう。彼らは、すぐに答えが欲しいからである。つぶやく、誰かがすぐにフォローする。そこに「待つ」という語彙は存在しない。(p.209)

いや、櫂さんが「ネットを中心に活動している俳人達」を、どう思おうと、誰も全く気にしてないと思いますよ(見た限り、なんの反響もありませんでした)。

さて、この記事の本題インサイトゥー」第2号(2013.2.26刊)の座談会「俳句と教科書」を、櫂さんがどう取り上げたかです。
ここで言及されている通り、当時、かなりの数の人々が、俳人協会は「有季定型厳守」を主旨とする文書を教科書会社及び文部省(当時)に送ったと思っていたのではないだろうか。(同 p.207)
当時見えなかったことが、この藺草慶子の説明により、かなりの程度クリアになったように思える。(同 p.208)
ご記憶の方も多いと思いますが、俳人協会は「学校教育における俳句検討委員会」のとりまとめに基づき、1999年、会長名で、教科書会社に「俳句の取り上げ方に対する要請(俳句の季語および五七五定形の厳守)」を行ったのです。

そして、2010年に岡田日郎という人が、俳人協会副会長(当時)として(世の中で「俳句」といわれるものには)無季や自由律のものもあり、小中学校の教科書にも載せられている。しかし、これらは「俳句に似たもの」とし、「俳句」と区別する必要がある」と、学校関係者向けの講演で語り、それが俳句文学館の会報473号(2010年9月5日付)に掲載されました。

詳しくは、神野紗希さんによる小誌記事にゆずりますが、事実として「要請」はあったのです。そして、それを、筑紫磐井さんが「豈」50号(2010/6)で、蒸し返した。と、副会長という人の「私見」が会報になんともいいタイミングで掲載され、合わせ技で話題になった、と。

週刊俳句時評第10回 「俳句に似たもの」のゆくえ 神野紗希 

岡田という人は、その後も、同「会報」486号の座談会(鷹羽狩行氏ほか一名出席)で「俳人協会賞や新人賞選考のとき、句集に一句でも無季があったら選考対象から外す。一句ぐらいはいいだろうと言ったら崩れていく。「清規」の言葉を具体的にいえば、そういうこと」と言っているのだそうです。

まあ、誰がどれだけ不見識をさらそうが「馬鹿だな」と思っていればいいのですが、会員の人たちにとっては、ある意味「公人」なわけだし、いろいろたいへんですね(これで、なかなか役員人事に影響力があったりする人だという話を、聞いたような、聞かないような)。

さて「インサイトゥー」の座談会は、問題の「学校教育における俳句検討委員会」の委員だった藺草慶子さんを呼んで、話を聞いています。

その座談会で、藺草さんが説明したのはこういうことです(以下要約)。

要望書を文部省に送ったという投書が朝日新聞の「声」欄に送られたそうだが、それは間違い。文部省には送っていない。

ある会社で非常に偏った教科書が作成されつつあるという話が伝わってきた(どういうものかは確認していない)。そのことから、今後の子供たちへの影響力を危惧し、小学校と中学校の教科書会社に要請書を送った。

じっさいに送った要請書の文言を今回確認するために、当時の委員長、西嶋あさ子さんに依頼したが、現時点では見つからなかった。

……。

なにか、これではっきりした事実があった、と思われますか。これ以上フワフワした話もあまりないように思うのですが。

そして櫂さんが、座談会からとりあげている話題は、「文部省には送っていない」ということと、俳人協会が以前から、教員を対象にした講座を開く活動をしていた、ということだけ。

じつは、藺草さん、座談会で「一切のせないでくださいとは書いてないんですね。でも流れとしては、あまりに偏った教科書が出ないように早く止めなければという思いが強かった(…)危機感みたいなものが一番私には伝わってきました」(「座談会」p.52)「そこまで極端な教科書があったとすると「有季定型を厳守してほしい」とまで書かないと変わらなかったのかもしれないですね」(同 p.54)と発言している。

これは、神野さんの当初の懸念、すなわち、その要請がかなり強硬な言い方でなされたんじゃないかということを、裏付けるような発言です(これを言ってしまうのは、藺草さんの人の良さの表れでしょうけれど)。

つまりは、かなり強硬に「やった」のではないかと推測される。

にもかかわらず、12月号時評はその部分には触れず、「文部省」のことだけを言って(そもそも磐井さんも紗希さんも、「文部省」のことは問題にしていない)、この件について「当時見えなかったことが(…)かなりの程度クリアになったように思える」と書いています。

ほんとうに、いったい、なにがクリアになったのか。

これは「あれは大した話じゃなかったんだよ、一部の人が騒いでいただけで」という、印象操作ではないでしょうか。

「事件」自体は、ほんとうにどうでもいいし、じっさい大した話じゃなかったと思います。

ただ、確認不可能な「噂」に対する激しすぎる反応といい、老人のヘイトスピーチまがいの垂れ流しといい、「俳人協会」に、ある種のフォビアのような傾向があった、ということは記憶しておくべきでしょう。

協会の指導層が、新陳代謝することで、いいほうに変わっていくといいですね。



ところではじめに引用した櫂さんの「彼らは、すぐに答えが欲しいからである。つぶやく、誰かがすぐにフォローする。そこに「待つ」という語彙は存在しない」という文は、かなり意味が分からない。そしてこの記事は「人が皆、せっかちに答えを出したがる現代、どれほどわれわれは待てるのだろうか」(p.211)と結ばれます。

櫂さんの書かれることは最近、とみに意味不明だなあ(「京極杞陽ノート」の明晰さはどこへいったのか)と思っていたところ、よく似た言葉を見つけました。

片山由美子さんの「2013俳句年鑑」の「巻頭提言歳月の重ね方」の結びの言葉です。

何事も結論を早く出すことを求められがちな昨今、俳人はそれに巻き込まれずに生きてゆく覚悟が必要であろう。(片山「年鑑」p.31)

これが、どういう内容から出てきた言葉かというと……。

後藤、深見両氏の俳句に共通するのは、ひと言でいえば豊かさである。
俳句人口の高齢化を嘆く声が聞こえるが、それは俳句というものの特性を示していると肯定的に受けとめることが必要だ(…)若い人がいないジャンルは滅びると言う人もいる。これは(…)俳句の世界には必ずしも当てはまらない(…)これまで俳句の世界を中心になって支えてきたのは若い人たちではない。
若い世代を大事にすることはもちろん大切だが、特別に扱うのもまた問題である(…)多くの結社の中心は六十代、七十代である。その人たちは必ずしも若いときに俳句を始めたわけではない(…)俳句を次代に伝えていくのはこういう人たちなのだと思う。(同 p.31-p.32)

途中略してはいますが、内容は決してゆがめていません。この通りのことを、片山さんは言っています。

すごいなあ。どこから突っ込んでいいのか分からない、とは、このことです。

俳句は高齢者で回していくから、若い人は来ても来なくてもいい、ってことですか(いや、冗談じゃなく、そう言われてますよね)。後藤比奈夫さんにも深見けん二さんにも、若いときはあったんじゃないのかなあw いまの六十代七十代の俳句大衆とでも呼ぶべき人たちが伝える「次代」って、だいじょぶなんですか。

今の俳句って「この」人たちの指導のもと、いったん滅びないとダメなんですかねえ。

俳壇のオピニオンリーダー二人は、私たちに、簡単に答えを欲しがるな、結論を出すな、そして「待つ」べきだ、と言う。

え? けっきょく何を「待て」って? 

櫂さんの言う「待つ」ということを知らない行為とは、要するに、ネット上でご自身の発言に言及されることみたいですけど。

じゃあ、あれでしょうか、もうちょっと年季を積んで、しかるべき場所での発言を許されるようになってから、口をきけ、っていうことなんでしょうか。










10句作品 奥坂まや 海原

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週刊俳句 第348号 2013-12-22
奥坂まや 海原
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10句作品テキスト 奥坂まや 海原

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海 原   奥坂まや

聡明の白さなりけり蕪漬
水圧で洗ふ車体や日短
山の池鬼が見詰めてゐて冰る
梟のこゑ土踏まずより入り来
大音声飛び交ふ街の寒さかな
ワンルームに吊るす背広や年守る
卵割るやうに今年となりにけり
初湯して万の毛穴が鬨挙ぐる
切断面蒼む鋼や凍つるなり
海原は覇者のしづけさ寒夕焼


週刊俳句 第348号 2013年12月22日

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第348号
2013年12月22日


2013落選展 Salon des Refuses ≫読む

奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
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今夜は湯豆腐かおでんがよろしいです
五十嵐義知句集『七十二候』の二句……西原天気 ≫読む

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手を筒にして寂しけれ海のほとり 三橋敏雄
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2013年のフェアウェル〔前篇〕……西原天気 ≫読む

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後記+プロフィール 349

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後記 ◆ 西原天気


年末というとアレですよね、アレ。


週刊俳句・2013年の重大ニュース

金原まさ子さんの句集『カルナヴァル』とエッセイ集『あら!もう102歳』をお手伝い

上田信治さんと私(西原天気)が担当。「金原さんの本を出したいね」(言い換えれば、金原まさ子という素晴らしい存在を広く世に知らしめたい)から始まり、いろいろありました。少なからぬ方々のご好意とご尽力にも支えられ、2月に『カルナヴァル』、4月に『あら、もう102歳』刊行。

『カルナヴァル』では、選句から句の並びまで「よきにはからえ」と、著者の金原さんは貴族のような鷹揚さ。土台を信治さんが拵え、協議検討、詰めではデザイナーさんとの打ち合わせにも二人で出かけました。

エッセイ本の制作には金原さんのご自宅に十数回も通ったでしょうか。小久保佳世子さん(「金原まさ子百歳からのブログ」運営)、担当編集ヨシダさん、信治さん、私の4名。

こんなに楽しい取材もないというくらい楽しいもので、それはつまり金原さんが……いや、これ以上詳しい話はここではもったいないので、やめておきますが(どこかで訊かれればいくらでもお話しします)、ひとつだけ。半世紀近くも年長の方とおしゃべりしている感じはまったくなかった。もちろん最上の敬意をもって接するのですが、そんな慎みや遠慮をつい忘れてしまう。ちょっと年上の(とびっきり話のおもしろい)ガールフレンドと過ごしているようでした(信治さんもおそらく同じでしょう)。

と、自分たちばかり楽しんでしまい申し訳ないのですが、その楽しさは、金原さんの御本でみなさんにお裾分けできたつもりです。

追記:
第3句集『遊戯の家』刊行に尽力された柴田千晶さん(金雀枝舎)に拍手を。『遊戯の家』がなければ『カルナヴァル』もなかったのですから。


村田篠さん、三重から東京・月島に戻る

8月、ふたたび東京の住人に。月島の鍋屋で週俳の打ち合わせ(という名の飲めや食えや)と行きたいものです。


村越敦さんが「週俳」運営および大学を卒業、社会人に

しばしお別れの「後記」はこちら≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/03/310_31.html

上田信治さんの前口上(露払い)に「あまりに有為な人材なので、いったん実社会にお返ししたほうがよろしかろうということで、前のお二人同様、週俳スタッフとしても、とりあえず「卒業」ということになります」とあるように、週俳の美しい(笑)伝統を踏襲したかたち。


祝!元・週俳当番の山口優夢さん、パパに

詳細についてはこちらをどうぞ≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/10/10_2342.html


俳誌「ku+(クプラス)」創刊、決まる

上田信治も加わる新雑誌。

詳細はこちらをどうぞ
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/09/kuku.html
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/09/ku4.html



以上、運営の出来事を中心にまとめてみました。



今年も、読者のみなさん、執筆者のみなさんには、たいへんお世話になりました。来年もなにとぞよろしくお願いいたします。

あ、新年詠、例年どおり、お寄せください(お知らせはこちら)。たまに12月中に寄稿してくださる方がいらっしゃいますが、新年詠は新年に。

それでは良いお年を。

次の日曜日、明けて2013年1月5日に、またお会いしましょう。



no.349/2013-12-29 profile


■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。「俳句の創作と研究のホームページ」

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■小川春休 おがわ・しゅんきゅう
1976年、広島生まれ。現在「童子」同人、「澤」会員。句集『銀の泡』。サイト「ハルヤスミ web site

■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。二人誌「五七五定型」(小池正博・野口裕)完結しました。最終号は品切れですが、第一号から第四号までは残部あります。希望の方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。進呈します。サイト「野口家のホーム ページ」

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。俳人協会会員。「Belle Epoque」

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。「月天」同人。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter

自由律俳句を読む 23 萩原蘿月 〔1〕 馬場古戸暢

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自由律俳句を読む 24
萩原蘿月〔1〕

馬場古戸暢


萩原蘿月(はぎわららげつ、1884-1961)は、高浜虚子門下で学んだ。碧梧桐や一碧楼、井泉水の系譜には連ならない、また別派の自由律俳人である。俳句に作者の感動を直接に表現する、独自の「感動主義」を提唱したことで知られる。

子ども健やか父の酒もゆたか  萩原蘿月

韻を踏んでいるため、明るさが醸し出されている。吾子が健やかに育ってくれているだけで、父の酒も美味しくなるというものだろう。

草を刈っても冬からの草は青い  同

子供の頃から、冬にも青い草が生えていることが不思議でならない。そういうものなのだから不思議に思う必要もないはずだが、どうにもたまに思い出してしまう。

花に遠ざかる野には風も立つなれ  同

花に/遠ざかる野には/風も立つなれ、と読んだ。花と遠ざかる野の双方に、風が立つ様を詠んだものとみたのである。花に遠ざかる/野には/風も立つなれ、と読むと、最初の「花に遠ざかる」の意味を取り難かった。どうだろうか。

顔を撫でてすべつこくて冬が面白い  同

主観を前面にだして詠みきった、きわめて「面白い」句だと思う。ここでの顔は、子どもの顔かあるいは女の顔か。どちらにせよ、あたたかい。

忘る事の願はしう冬に籠り居る  同

今回の苦難を乗り越えるには、出来事そのものを忘れるほかないのだろう。この句における「冬に籠り居る」は、今のように文明が発達していない時代だからこそ、その重みを増す。

それでは皆さんよいお年を。


※掲句は、上田都史ほか(編)『自由律俳句作品史』(1979年/永田書房)、そねだゆ「内田南草(※蘿月への言及あり)」(『自由律句のひろば』創刊号/2013年)より。

林田紀音夫全句集拾読 297 野口裕

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林田紀音夫
全句集拾読
297

野口 裕





西瓜食う離ればなれの顔をして

平成五年、未発表句。どんな顔なのか、考え出すとよくわからないが、西瓜のあちこちにばらまかれている種を見ていると、そんな顔になるのだろうか。ユーモラスな響きの中に苦みもある。

 

鵙の声射す乳呑児のつくる拳

平成五年、未発表句。赤ん坊の未来に影が差すような印象は、第二句集「幻燈」の第一子誕生時の句風を彷彿とさせる。違いは、たとえば「泡の言葉のみどりご鉄の夜気びつしり」が、「露」というような季語から発想した句を無季に置き換える脳内作業を省略しているところか。この句の場合は、季語「鵙」の持つ毒気が強すぎて、あまり成功しているとはいえない。

 

前後して鳩のついばむ地の落葉

平成五年、未発表句。鳩にとって食えるものはあったのだろうか。いや、なかった。受験用英文和訳風のだめ押し文体で書けばそういうことになろう。「かな」を使わず、「地の」と流したところでそんな戯れ言も出てくる。ペシミスティックな情感は、かなり後退している。

〔今週号の表紙〕第349号 とんび 西原天気

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今週号の表紙〕
第349号 とんび

西原天気



いま暮らしているあたりに、とんびはいません。

生まれて育ったところでは毎日のように見ました。

小学生のときです。傷ついたのか飛べなくなったとんびが田圃にいました。何人かで教室に運び(野鳥に触ると群に戻れなくなることを知りませんでした。みな好奇心に駆られて)、先生に見つかるといけないので掃除道具入れにそっと置いてやりました。

授業中、私たちは掃除入れの中のとんびが気になってしかたがない。

掃除の時間になり、女子(ホンモノの女子です)が道具入れを開けた。

一瞬間(ま)があって、その子は、「ぎゃー!」「鷹ー!」と叫びながら、職員室に向かって走っていきました。

その背中を見ながら私たち男子は、「鷹やない、とんびや」「あーあ、これだから女は…」と苦笑まじりでため息をついたのでした。






撮影場所:千葉県館山市洲崎。
 



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俳句の自然 子規への遡行25 橋本直

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俳句の自然 子規への遡行25

橋本 直
初出『若竹』2013年2月号
 (一部改変がある)

≫承前 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24


前回に続いて、子規の「時鳥」句について検討する。「俳句分類」との差異ということで考えると、大きく分かりやすい部分は、いうまでもなく近世にはなかった近代の事象との取り合わせ(配合)である。

交通機関(傍線引用者)

a 都まで幾行帰り子規   明治23
b 郭公馬車や車の広小路   25
c 時鳥表は馬車のひゞき哉   27
d 時鳥君がを呼び返す   29
e 時鳥上野をもとる汽車の音   25
f 踏み切りや戸をしめられて鵑   26
g 我庵は汽車の夜嵐時鳥   26
h 汽車道の丹後へ鳴くや時鳥   27
i 木曽路にも鉄道かけたか時鳥   27
j しまひ汽車に乗りおくれたか時鳥   30

a句については、ここに上京と帰省のニュアンスが織り込まれている印象があったので入れた。b~d句は馬車と人力車を詠んだもの、e~jは汽車を詠んだものである。子規の汽車の句については、既に本連載の第三、四回で触れてあるので参照されたい。これらの句は、いかにも明治に到来した近代文明の風景にふさわしいものである。では、それらとホトトギスの取り合わせは、どれほど効いているのだろうか。

まず、前回触れた故事由来の、血や死のイメージがここにはないことを指摘しておきたい。比較的そのような意味での伝統的な歴史性を纏わない、いわゆる「写生」的な句群である。そして基本の枠は、もちろん自然と文明のとりあわせということになる。その対比の付き具合が句の善し悪しを決めることになるだろう。

やはりホトトギスは、あまりみられない姿よりよく聞こえる声を中心に詠まれがちであり、真夜中にも鳴くことがある点もその特徴の一つであろう。そうすると、馬車や人力車の句b、cは、通りの表と裏を境に、文明と自然の世界が対比されているように読める。この場合、子規の意識の中での表は西洋文明が世の中を牽引している世界であり、あるべき人間の居住空間は、裏の自然側にあると思っていたように思われる。しかしそこでは、馬車程度の音ならばともかく、汽車の音は暴力的に表から裏へ簡単に越境してくるし、昔は自由だった往来を遮断もする。また、fやgの句は、ひどくネガティブな句ではないものの、そのことへの違和感が素直に句に表れていると思う。そして、hやi句では、その事象が国中へひろまってゆくことを、あたかもホトトギスが地域にちらばったレポーターになったかのような詠みぶりで句にしていくのである。

②文物一般

a ラムネの栓天井をついて時鳥   明治24
b ほとゝきす其声入れん蓄音器   25
c 軒らんぷ店は閉ぢたりほとゝきす   26
d 時鳥寒暖計の下りぎは   26
e 夜を眠る薬つれなし子規   26
f 時鳥横町横町の巡査哉   27
g ホトゝギス月ガラス戸ノ隅ニアリ   33
h 時鳥闇の神戸のともしかな   27
i 横浜の阜頭の崩れや時鳥   27

交通以外にも、明治後の文物で素材として新しいものはいくつもあっただろう。a~gの「ラムネ」、「蓄音機」、「らんぷ」、「寒時計」、「夜を眠る薬」(睡眠薬と解しておく)、「巡査」、「ガラス戸」は、いずれも近世にはポピュラーなものではなく、いかにも近代を感じさせる語群といって良いだろう。総じてこれらの句は、西洋の小文物に焦点化し、その新しさに面白味を感じて句に仕立てているという以外に、これといって見るべきものがないように思われる。

また、hの神戸、iの横浜は、子規が船で帰省する時には必ず通ることになる港であるとともに、いずれも西洋近代文明の玄関口であった。これらの句はその新しく慌ただしい場所とホトトギスの取り合わせに見るべきものがあろう。

③時事

a 名乗れ名乗れ議案の数を時鳥   明治27
b 時鳥島田三郎斬られたり   27
c 時鳥将軍山を出でゝ来る   27
d 時鳥六派の勝を名のりけり   27

これらはいずれも同じ年に詠まれた時事句である。子規は編集を任された新聞「小日本」で貴族院と衆議院の「随分録」を掲載しており、そこに時事句をいれた。いずれも政治事件を扱う意味で、歴史的事実が忘れられれば、意味がわからない句になり得る。その他に、「月並は何と聞くらん子規」(明治二六)も、「小日本」初出で、「ある俳人に対して」と副題がある。月例の意の「月並」を旧派批判の用語として用いたのは子規である。これもその一環であろう。


朝の爽波98 小川春休

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小川春休




98



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の冬、初冬から年末の頃。〈伐りし竹積んで餅箱その上に〉という句に登場する竹は、時期的に考えると正月用の門松などを作ろうと積んであったのかもしれないと後から思い当たりました。「青」の昭和六十二年十二月号の「枚方から」は「休載の弁」、二年近く連載を続けていましたがこれにて一旦おしまい(ちなみに五年ほど後にまた「続・枚方から」が連載されます)。「枚方から」で作句法などの理念や思想を述べるよりも、「選後に」で「青」会員の作品に沿った解説をしていく方向へシフトしたようです。
(前略)月に百句と書いたが、私はいやしくも俳句を勉強して、身体で俳句なるものを覚え、自分なりにこれを噛み砕いて自分の血肉とし、将来への糧とするためには、月に百句ぐらいのことはまず最低限の線と考えている。
 「枚方から」の第一回にまず「瞬時の詩」と題して私の俳句観の一番基本にあるものを書いたのは、それなりの目論見あってのことである。
 いまそれをここに引用しようとは思わない。
 心ある方は昭和六十一年二月号を取り出してもう一度じっくりと読み返して貰いたい。
 ただ一言で言うとすれば、「もの」に対して瞬時に且つ反射的に対応できるような体質づくりを着々と勧めて貰いたいということになろうか。
 第二回以降に書き連ねてきたことは大ざっぱに言って、すべてそうある為には何を如何にやればよいかについて、私なりのポイントを示してきたものと受け止めて貰ったらよいかと思う。(後略)

(波多野爽波「枚方から・休載の弁」)
目の醒めるやうな黄の蝶大根引  『一筆』(以下同)

大根の収穫時期は冬、地中深くまで埋まっている大根を引き抜くのにはそれなりに技術を要する。冬に入ってからの蝶は、暖かな日にしかあまり飛ばない。その黄の鮮やかさも日差しがあればこそ。一瞬の鮮明な映像が、周囲の景まで臨場感のあるものにしている。

啼き立つる鵯の頭のへこみをり

秋になると、山に棲息する鵯は人里近くへ降り、民家の庭の南天や八手の実を啄ばみ、山茶花や椿の蜜を吸う。あまり人を恐れぬ性質なのだろうか。必死で鳴く鵯をまじまじと見入ると、嘴の動きに合わせて頭が凹む。どこか人間の赤子を思わせる不思議な生態だ。

伐りし竹積んで餅箱その上に

竹伐り自体は秋に行うが、掲句では伐った竹がそのままに積んである、農家の庭先などが想像される。餅搗きのほとんどの工程を屋外で行い、綺麗に丸められた餅が次々と餅箱に収められる。青々とした竹と餅箱の木の色と搗き立ての餅とのコントラストが鮮やか。

週刊俳句2013年アンソロジー 66人66句

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週刊俳句2013年アンソロジー 66人66句



狼(おいぬ)炎ゆ遠流の神の香を辿り  竹岡一郎 第302号

鳥がきて雪の林のひかりけり  宮本佳世乃 第302号

生るるまでをりし日の闇雪催  照屋眞理子 第303号

寒夕焼から国境がこぼれおちる  皆川 燈 第304号

立錐の餘地春雨の傘立に  中原道夫 第305号

石段を掃き下りつつ春寒し  岩田由美 第305号

春眠の覚めぎは我を呼べるこゑ  新延 拳 第306号

菜の花を掠め船上アナウンス  中田尚子 第306号

背鰭あるものが過ぎゆくシクラメン  杉山久子 第306号

魚島や天気は筆のごと崩れ  黒岩徳将 第307号

花屋より流れ出てくる春の水  大穂照久 第308号

き…桐生は日本の機どころ
姉は手だれの
枯桑を伐らば天霧る
桐生かな  外山一機 第311号

島を漕ぐエイサー太鼓の月と太陽(ティダ)  豊里友行 第312号

光合ふ三面鏡や鶴帰る  西村麒麟 第312号

木曽の風身中に入れ鯉幟  渡辺竜樹 第313号

廃屋の窓開いてゐる春の暮  篠崎央子 第314号

鯉幟はこぶ少女の人魚めく  松尾清隆 第314号

音立てて雨が苺の花に葉に  菊田一平 第316号

黴臭き夫のレコード愛の歌  金中かりん 第317号

九階から上半身出す聖五月  金原まさ子 第318号

氣の重きことなり瀧を見にゆくは  閒村俊一 第319号

朝曇トングつかえる小抽斗  石井薔子 第320号

雷雲や一角獣の蹄痕  秦 夕美 第321号

まず裏を使い涼しき日なりけり  永末恵子 第322号

隅つこが好きな金魚と暮らしけり  飯田冬眞 第323号

ハッピーアイスクリームハッピーアイスクリームハッピーアイスクリン  マイマイ 第324号

とりあえず墓はあります梅漬ける  小野富美子 第325号

我の目に映る鬼灯市を去る  岸本尚毅 第325号

紫陽花は家禽と思ふ撫でやすい  藤 幹子 第326号

百合で打てほら深爪が攻めてくる  ぺぺ女 第326号

どんみりと枇杷の実のありうす情け  鳥居真里子 第327号

獅子眠るにほどよき高さ夏の月  ことり 第327号

金堂を遠くにきざみおくらかな  彌榮浩樹 第328号

河骨のひらく高さに目のみゆる  鴇田智哉 第329号

橋涼み水のゆくへに次の橋  村上鞆彦 第329号

まあなんて暗い恋楽天な海女  井口吾郎 第330号

夕ぐれはあまた翔び立ちなめくじら  久保純夫 第331号

顔寄せてミントにほへる浴衣かな  高柳克弘 第332号

ソプラノの空や少女のキシロカイン  佐々木貴子 第333号

私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海で我慢してね  内田遼乃 第333号

秋の暮とは階段の見ゆる窓  村田 篠 第334号

秋立つや氷に賞味期限なく  小早川忠義 第335号

秋扇としていつまでも使ひけり  今泉礼奈 第335号

おお男娼コート絡まる野菜市  仁平 勝 第335号

満月に少しほぐしておく卵  北川美美 第336号

なめくじり夢殿ひとつ産みおとし  高橋修宏 第337号

日傾くときの日影と日陰かな  西原天気 第338号

タクシーを降りれば雪の田無かな  上田信治 第338号

戸をたたくやうに夜長の胎動は  山口優夢 第339号

波音のあかるき小鳥来たりけり  生駒大祐 第339号

秋の象見るよコーヒーうすく淹れ  村越 敦 第339号

斃獣と呼ばれしものを露に置く  鈴木牛後 第340号

爆発以後豚が育ててゐるコスモス  荒川倉庫 第340号

秋声のひとつに2Hの鉛筆  髙勢祥子 第340号

城跡や柄長まじりに山雀も  本井 英 第342号

うしろより口笛よるの鰯雲  山岸由佳 第342号

ナッツの瓶ゆびでまさぐり日短  関根誠子 第343号

桃剝いてそこここに付く指の痕  大和田アルミ 第343号

梟に胸の広場を空けてをく  岩淵喜代子 第344号

俎板の傷光りをる小六月  相沢文子 第344号

虎ふぐのうらがへしてや虎の柄    石 寒太 第345号

短日の息吹き込んで鳴る楽器  高崎義邦 第345号

シリウスや人を吸い込む東口  五島高資 第346号

やよ狐大斎原(おほゆのはら)に尿せむ  柿本多映 第347号

青写真なみだのうみにうみなりが  小津夜景 第347号

水圧で洗ふ車体や日短  奥坂まや 第348号

【おんつぼ・番外篇】2013年のフェアウェル〔後篇〕 西原天気

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【おんつぼ・番外篇】
2013年のフェアウェル〔後篇〕

西原天気



「おんつぼ」はウラハイで不定期に掲載しているシリーズです(≫こちら)。

承前 2013年のフェアウェル〔前篇〕


2013年に他界した歌手・音楽家の追悼。今回は後篇です。


8月5日  ジョージ・デューク George Duke 1946年生まれ

ジャズ・フュージョン畑のピアニスト。1970年代~80年代にやたら多いアルバムは、ハズレもないが、アタリがどれがわかりにくい、というのが個人的印象。

George Duke with Billy Cobham - Rush Hour



8月10日  イーディ・ゴーメ Eydie Gorme 1928年生まれ

ちゃんと聴いたことはないが、耳に残る名前、イーディ・ゴーメ。

Blame It on the Bossa Nova(邦題「恋はボサノバ」)は、いま聴くとチープなかわいらしさのある音。

BLAME IT ON THE BOSSA NOVA



10月27日  ルー・リード Lou Reed, 1942年生まれ

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドにもルー・リードにも思い入れのある人は、私(と少し上)の世代には多い。

「Street Hassle」(↓↓↓)は1978年発表の同名アルバムから。オリジナルPVで。

Street Hassle


ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1曲(↓↓↓)。日曜の朝の雰囲気。ちょっとキュートすぎるじゃないかという曲調・歌唱。

Sunday Morning


ルー・リードで、1曲上げるなら、有名曲 Walk on the Wild Side。歩くならワイルドなサイドを、と覚悟を決めても、それがどこだかわからなくて、青春が過ぎ去りましたですよ。

好きなアルバムは「コニー・アイランド・ベイビー Coney Island Baby」(1976年)。

ヴェルヴェット以来のデカダン的味わいなら、「ベルリン Berlin」(1973年)。アルバム全体が物語になっている(トータル・アルバムと呼ばれるスタイルですね)。


11月8日  島倉千代子 1938年生まれ

島倉千代子のベストソング、ベストトラックは、なんといっても「愛のさざなみ」(1968年)です。浜口庫之助(作曲)の代表作の一つ。伴奏(海外録音)のコーラスなど、当時の米国ポップスの要素をうまく取り込んでいます。




12月10日  ジム・ホール Jim Hall 1930年生まれ

ビル・エヴァンスとの共作『Undercurrent』(1962年)、そしてヒットしたアルバム『Concierto 邦題アランフェス協奏曲』(1975年)がジャズファン以外も知っている、聴いたことがあるというアルバムでしょう。

「アランフェス協奏曲」は切ないメロディと音色。

Concierto De Aranjuez (Rodrigo) 19:19


「アンダーカレント」からは、冬らしい、また私の大好きな曲「Skating In Central Park」を。

Skating In Central Park




12月17日  かしぶち哲郎 1950年生まれ

はちみつぱい、ムーンライダーズのドラマー。所属バンドだけでなく、あがた森魚のアルバムなどでも、この人のドラムを聴いていました。ライブで観たのはたった2回、一度はムーンライダーズ(中期)、あとは、その少し前、久保田麻琴と夕焼け楽団の、たしか立川基地での野外コンサート。そこで叩いていました。

ソングライターとしても知られる人です。



美しく、切ない歌ですね。



歌声や演奏は亡くなったあともずっと残っていきます。

今年他界したシンガー、ミュージシャンにサヨナラとアリガトウを。

(了)

「週俳の2013年」回顧 〔1〕一月~四月

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「週俳の2013年」回顧
〔1〕一月~四月:第298号~第314号 ……村田 篠


2013年は1月6日リリースの第298号からスタートしました。恒例の新年詠はなんと175句。年々ご投句が増え続けてうれしい限りです。好評連載中の小川春休さん「朝の爽波49」野口裕さんの「林田紀音夫全句集拾読247」もお正月からご登板いただきました。

第299号の10句作品は鈴木牛後さんの「蛇笑まじ」。〈干支回文12句〉という副題の付された、ユーモラスな動物回文句でした。田中悠貴さんの『「一月の川一月の谷の中」再考』は龍太の1句をビート面から考察した興味深い一文。また橋本直さんの「俳句の自然 子規への遡行」が第10回上田信治「成分表」が55回を迎えています。

第300号記念企画として「〔週俳アーカイヴ〕私のオススメ記事」を10人の方にご執筆いただき、「週刊俳句・第300号に寄せて」には16人の方が言葉をお寄せ下さいました。ありがとうございました。また、『角川俳句年鑑2013』の記事「年代別今年の収穫」について書いた小誌上田信治の時評「闘われているらしい」は、本号掲載後反響を呼び、twitter上での対話に発展しました。

第301号ではその反響を受け、一連の議論のまとめとして再び上田信治「続・闘われているらしい」を掲載。また、嵯峨根鈴子さん関悦史さんが金原まさ子句集『遊戯の家』を、小誌西原天気神野紗希句集『光まみれの蜂』雪我狂流句集『天地無用』を読みました。

【週俳12月の俳句を読む】は第299号第300号に掲載。

第302号の10句作品は竹岡一郎さん宮本佳世乃さん。音韻と記憶の関係を解き明かした四ッ谷龍氏の講演「俳句は音韻をどう利用してきたか」を黒岩徳将さんがリポート、さらに【句集を読む】では小津夜景さんが高山れおな氏の「三百句拾遺」(『俳諧曾我』所収)を、澤田和弥さんが山口優夢句集『残像』を鑑賞。また、俳誌『里』で始まった「佐藤文香選句欄《ハイクラブ》」において雑誌の外部に投句の門戸を開いたことを島田牙城さんがご紹介下さった「世界最年少俳句選者誕生」もこの号です。鈴木牛後さんの「牛の歳時記 第14回」は、牛の死と雪の関わりが印象的に描かれています。

第303号の10句作品は照屋眞理子さん福田若之さんの『「べき」との闘い、あるいは「コンビニ」との不貞行為』は俳句批評に一石を投じた意欲的な一文でした。

第304号では皆川燈さんの10句作品を。関悦史さんが刊行されたばかりの金原まさ子さんの句集『カルナヴァル』を「食」の側面から考察。印象に残る鑑賞でした。

第305号の俳句作品は中原道夫さん岩田由美さん。【句集を読む】では久留島元さんが宮本佳世乃句集『鳥飛ぶ仕組み』を鑑賞しています。

【週俳1月の俳句を読む】は第302号第303号に掲載。

第306号から3月です。10句作品は新延拳さん中田尚子さん杉山久子さんのお三方。連載中の小林苑をさん「空蝉の部屋 飯島晴子を読む〔 9 〕」は、難解と言われている晴子の句集『春の蔵』へ分け入るような鑑賞が印象的でした。

3月10日リリースの第307号、10句作品は黒岩徳将さん震災詠について戦争詠から言及した上田信治「俳句の宛先について」は2012年執筆記事の再掲、同じく上田信治の時評「忘れないこととマゾヒズム」は2013年現在での震災と俳句のありようについて論じています。菊田島椿さんの「小原啄葉句集『黒い浪』恵贈への礼状」菊田一平さんによる「解題」もまた震災を考える記事でした。小津夜景さんの「(ぶちまけられたおののき)のような」は、バタイユの思想を動員しつつ、配置、構成、着想の3点から高山れおな氏の「パイク・レッスン」(『俳諧曾我』所収)を読み解いた労作です。

第308号の10句作品は大穂照久さん。【句集を読む】は近恵さんによる金原まさ子句集『カルナヴァル』の鑑賞です。また、65名の方にご参加いただいた「第3回週刊俳句10句競作」の予選通過作品が発表されたのもこの号。本選は3月20日、岸本尚毅さん、阪西敦子さん、馬場龍吉さんの3名によりライブで行われました。

その10句競作の結果発表第309号誌上、意欲作の中から大賞2名(涼野海音さん「日曜日」三浦郁さん「見えぬもの」)と準賞1名(渕上信子さん「頽落の日々」)が決まりました。また、中嶋憲武さんが斉田仁句集『異熟』を読みました。

第310号では、久しぶりの【シリーズ・句集好き】として上田信治林正行句集『宙』を紹介しています。広渡敬雄さんの「俳枕」は本号で第17回。また、1年間小誌のスタッフとして活躍した村越敦がこの号で卒業、後記に言葉を寄せてくれました。

【週俳2月の俳句を読む】は第306号第307号第308号に掲載。

第311号の俳句作品は外山一機さんの「上毛かるたのうた」。もともとは第3回10句競作に応募された作品でしたが、10句のみでの応募を惜しんだ西原天気の呼びかけに応じて全44句を発表。「上毛かるた」を下敷きにした郷土色と言葉遊びが豊かに結びついた一編でした。

第312号の10句作品は豊里友行さん西村麒麟さん。【句集を読む】では西原天気佐山哲郎句集『娑婆娑婆』を読んでいます。また、上田信治本号第313号で「"石田郷子ライン"……?」の前篇後編を、第314号「"石田郷子ライン"余滴」を時評として掲載し、3回にわたって「石田郷子ライン」について検証、論評しました。「石田郷子ライン」とは俳誌『街』誌上の鼎談で中原道夫さんが提出された言葉です。「作品が全体として本当の意味でのライトバースではなくて、軽い。これはいつから起きたというのは定かではないけれどある時代を画して似たようなタイプが出てきた。勿論一人ずつを吟味すれば違うのですが、私の中では"石田郷子ライン"と名付けている。」

第313号の10句作品は渡辺竜樹さん第314号の10句作品は篠崎央子さん松尾清隆さんでした。

【週俳3月の俳句を読む】は第311号第312号に掲載。

俳句作品はもちろん、「時評」や「句集を読む」の充実、その反響、意欲作揃いの10句競作など、印象に残る4ヶ月でした。



「週俳の2013年」回顧 〔3〕九月~十二月

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「週俳の2013年」回顧
〔3〕九月~十二月:第332号~第348号 ……西原天気


9月は「SSTを蠟人形にしてやろうか」吟行レポート、澤田和弥による「ワタリウム美術館「寺山修司ノック展」テラヤマonリーディング」レポートを掲載した第332号からスタート。京都FMの番組音声が聞ける「俳句セブンティーンズ」は新趣向。関悦史さんの「斉田仁句集『異熟』を読む 因果の生々しい異形」は現代詩手帖』2013年6月号からの転載。他誌(紙媒体)からの転載も定着しつつあります。また第332号は【週俳8月の俳句を読む】も6本が並ぶ充実ぶりです。俳句作品は、高柳克弘さんの「ミント」10句

第333号「俳句甲子園」を特集青木亮人小池康生阪西敦子村越敦の4氏に寄稿いただきました。 橋本直さんの「きくのきせわた」は秋の季語「菊の被綿」にまつわる考証的エッセー。小津夜景さんには「星をつなぐ/時をつかむ 竹中宏「禹歩」(『翔臨』第77号)を読む」を寄稿いただききました。第333号のトピックは高校生・内田遼乃さん「前髪ぱっつん症候群(シンドローム)」10句。「モザイク mosaic」10句を寄稿いただいた佐々木貴子さんはこの直後の11月、第一句集『ユリウス』(現代俳句協会)を上梓されました。

この時期、「週俳」関係者が揃って俳句を小誌に掲載。まず村田篠第334号「草の絮」10句を、第338号上田信治SD」8句西原天気灰から灰へ」10句」、その翌週、第339号には、歴代の週俳OBの3人、山口優夢生駒大祐村越敦それぞれの、「戸をたたく」10句「あかるき」10句「秋の象」10句

第335号には新雑誌「「ku+」(クプラス)」の創刊予告特集今井聖さんの「奇人怪人俳人11 抒情派マルキスト・古沢太穂」はなんち(!)書き下ろし。俳句は、小早川忠義さんの「客のゐぬ間に」10句今泉礼奈さんの「くるぶし」10句に加え、仁平勝さんの「二人姓名詠込之句」というちょっと買わた趣向の8句も。

第336号には北川美美さん「さびしい幽霊」10句山田耕司さんの時評は「恩田侑布子『余白の祭』と〈祭の余白〉」三島ゆかりさん「華麗なるロケティッシュ・ワールド 山田露結句集『ホーム・スウィート・ホーム』を読む」は『銀化』誌からの転載。

10月に入って、第337号には高橋修宏さん「金環蝕」10句。この号から第338号にわたって【週俳9月の俳句を読む】を計9本。第338号には西原天気「玉田憲子句集『chalaza』の一句 踏みごこち」も。

第339号には【句集を読む】が2本。 太田うさぎさん「亀田虎童子『合鍵』を読む」は『雷魚』からの転載、西原天気「気分を伝える 高勢祥子句集『昨日触れたる』の一句」は書き下ろし。

第340号には俳句が3作品:鈴木牛後さんの「露に置く」10句荒川倉庫さんの「豚の秋」10句髙瀬祥子さんの「秋声」10句10句。【句集を読む】が4本:小野裕三さん「俳句の逆説 齋藤朝比古句集『累日』を読む」小津夜景さん「へテロトピアとその悲しみ 金原まさ子『カルナヴァル』を読む」関悦史さん「〈史的=始原的認識〉と抒情 高橋修宏第3句集『虚器』を読んで」(北日本新聞から転載)、西原天気「考へる 川名将義句集『海嶺』の一句」

第341号は恒例の「落選展」。

以降、落選展関連企画として、対中いずみ三島ゆかり両氏による【2013落選展を読む】を第342号第343号第344号と3回にわたって連載。上田信治「第59回角川俳句賞受賞作 清水良郎「風のにほひ」を読む」第342号生駒大祐さんは第343号候補作4作を読みました

号を戻って第342号山崎祐子さんと茅根知子さんに「あんばさまの町図絵」(津波で大きな被災を受けた地域の被災前の景観を忠実に復元)を紹介していただきました。俳句は本井英さん「柄長まじりに」10句山岸由佳さん「よるの鰯雲」10句。 【句集を読む】に西原天気「他者の到来柿本多映『仮生』の一句」

【週俳10月の俳句を読む】はこの第342号から第343号にかけて10本を掲載。

第343号佐藤文香さんの新シリーズ「SUGAR & SALT」(佐藤+敏雄)がスタート。俳句は関根誠子さん「ナッツの瓶」10句大和田アルミさん「桃剝いて」10句。【句集を読む】は谷口慎也さん「ショルダーバッグの中に高橋龍句集『十余二』」。『連衆』誌からの転載です。

第344号には岩淵喜代子さん「広場」10句相沢文子さん「小六月」10句。

第345号は、石寒太さん「アンパンマン家族」10句高崎義邦「冬」10句。論考に島田牙城さん「「忌」とは何か」【句集を読む】に谷口慎也さん「人間の俳句大沼正明句集『異執』」(『連衆』誌からの転載)。

第346号には〈「俳句」9月号「文語文法入門」に問う〉と冠した大野秋田さん「再説「俳句の文語」(前編)「完了のし」はよくある間違いか?」(後編は第347号)。俳句に五島高資さん「シリウス」10句。ほか上田信治の時評「「現代詩手帖」9月号「詩型の越境」西原天気「柿本多映第一句集『夢谷』の一句 コマ落としのように」も。

【週俳11月の俳句を読む】は、第346号および第347号に計8本。

第347号柿本多映さん「尿せむ」10句。柿本多映さんは句集『仮生』で今年の桂信子賞を受賞されました。運営側としてはうれしくタイムリーです。また小津夜景さん「ほんのささやかな喪失を旅するディスクール」は長い詞書の付いた20句。西原天気は久しぶりの【真説温泉あんま芸者】「全世界目録」

第348号には奥坂まやさん「海原」10句上田信治の時評「2013年の角川「俳句」から記事4つ「年鑑」から1つ」。話題は多岐にわたります。果たして「今年の積み残し」のありやなしや。また西原天気「今夜は湯豆腐かおでんがよろしいです 五十嵐義知句集『七十二候』の二句」、年末企画として「2013年のフェアウェル〔前篇〕」を掲載。

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SUGAR&SALT 07 夜衾にはるか名指しの海ひとつ  三橋敏雄 佐藤文香

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SUGAR&SALT 07 
夜衾にはるか名指しの海ひとつ 三橋敏雄

佐藤文香

「里」2010年10月号より転載



三橋敏雄の実質三冊目の句集は『鷓鴣』。

鷓鴣(しゃこ)とは中国に生息する雉の仲間の鳥らしい(蝦蛄ではない)。日本ではめったに見られず、敏雄もまた見たことがないという。見たことがないというのは、幻の生物と同義である。

『まぼろしの鱶』『真神』と合わせて三部作とも言えるタイトル。鳥と言っても鳳凰や孔雀でないのがいい。鷓鴣は走るのが得意、飛行は苦手だそうである。見た目は鶉に似ている。

『真神』はタイトルも中身の作品もかっこよかったが、『鷓鴣』になるとそれを超越した面白さ、愛らしさが感じられる。それは作家三橋敏雄に即したものであり、必ずしも言葉の力や俳句形式のみに依存するものではない。

飛んでくる雀の映る田植かな 『青の中』
墓参後を他の墓多し雀多し 『鷓鴣』
こがらしや壁の中から藁がとぶ 『青の中』
あたたかく交る藁や麥と稲 『鷓鴣』

今までの作品の中で面白さ・愛らしさといえば、SUGAR & SALT3 でも取り上げた『青の中』の「先の鴉」(s21~22年)という句群が抜きんでているという印象があり、そのなかで同じ雀と藁を用いた句を挙げてみた。

『青の中』の作品は無駄な言葉を使わず、切れ字の効果を活かし、いかにも俳句らしく整っている。内容の面でいえば、とまっている雀でなく飛んでくる雀であることや植田でなく田植であるとか、飛ぶ藁が壁の中のものであるあたりがツボをおさえている。

一方『鷓鴣』の作品は一見くどいが、それは文体の問題で中身はさっぱりしている。[墓参後→墓多し→雀多し]の複合されたリフレインや [atatakakumajiwaruwarayamugitoine]の音の流れは自然で巧み。リフレインなどはむしろ切実な内容に使い勝手のいい文体だが(「嶽々の立ち向ふ嶽を射ちまくる」「手で拭く顔手で拭く朱欒爆心地」など)、墓参の身に関わりのない墓や雀を描くのに用いるのが敏雄らしく、その敏雄らしさというのがつまりこのあたりで醸成されたものなのだろう。また、麦・稲は藁の中の要素であるにも関わらず、二音一字の和語三つはほぼ等価に迫ってくる。……などと、がんばって考えるのは苦手である。第一、作家は生き物。例外ばかりだ。

偶然にも今我が家のシマトネリコの木には鳩が巣を作っており、二羽の鳩の子が大きくなって、幻の鳥といった感じの奇妙な風貌になっている。そろそろ巣立つだろう。

おほぞらの我(わ)(どり)は汝(な)(どり)もろびとよ  三橋敏雄



「週俳の2013年」回顧 〔2〕五月~八月

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「週俳の2013年」回顧
〔2〕五月~八月:第315号~第331号 ……上田信治

 


5月5日の第315号は、連休仕様で記事少なめののんびり号。篠さんの後記がいいかんじです。

第316号の10句作品は菊田一平さ ん。澤田和弥さんの、「寺山」愛にあふれた論考「父還せ 寺山修司「五月の鷹」考」、松本てふこさんの「強くもなく弱くもない曖昧な存在として小豆澤裕子 句集『右目』を読む」。小川楓子さんが上越人ハーフであることが分かったり、「歳時記通信」の前田霧人さんが豊里友行の10句を、沖縄における歳時記的事象をふまえつつ読んで下さったり。

第317号では、外山一機さんのpdf版句集『平成』ならびに、『御遊戯』へのリンクがトピック。10句作品は金中かりんさん。 対中いずみさんが、西村麒麟さんの句を読んでいたり。小池康生さんが「猫苦手」を告白していたり。

第318号の10句は、今年大活躍の金原まさ子さん。山口優夢さんの沖縄旅行記(だいぶ以前、ロシアに卒業旅行に行った、元俳句甲子園組のメンツです)。さいきんの刊行物から、松本てふこさんが『東大俳句』を、小津夜景さんが「『塵風』『はがきハイク』『豆の木』を読んでいます。

第319号の10句は、閒村俊一さん。夢の記述とも旅行記ともいえる美しいテキスト「六月一日の夢 / 長崎編」は玉簾さん。

第320号の10句は、石井薔子さん。「俳句を読む」は、今年レギュラーでご登場いただいた瀬戸正洋さん(年末に句文集『B』を上梓)と上田です。あ、この週、上田は、後記を書くのを忘れました。

第321号の10句は、秦夕美さん。山田耕司さんの金原まさ子句読解が、よみごたえ。西原天気さんの「真説温泉あんま芸者」は句会について。

第322号の10句作品は、永末恵子さん(いいでしょう、このへんのラインナップ)。山田露結さんの『ホームスウィートホーム』を関悦史さんが「ほとんど全てが、着ること、まとうことと身体との関係によって成り立っている」と述べ読み解いていきます。

第323号の10句は飯田冬眞さん。上田の時評は、筑紫磐井さんの時評集について。宮本佳世乃さんの『鳥飛ぶ仕組み』を三島ゆかりが、大石雄鬼さんの『だぶだぶの服』をこしのゆみこさんが、それぞれ鑑賞。

第324号の10句は、マイマイさん。天真爛漫な詠みぶり、印象にのこっています。この号より、馬場古戸暢さんの連載「自由律俳句を読む」が開始。石田郷子ライン小津夜景さんが外山一機句集『平成』を、西原天気さんが今井肖子句集『花もまた』を読みます。

第325号の10句は小野富美子さんと岸本尚毅さん。岸本さんのタイトル、「ちょび髭」って。澤田和弥句集『革命前夜』を、山田露結さんと西原天気さんが読み、三島ゆかりさんが『都市の樹木433』という、さりげないたたずまいなのにひどく可笑しい本を紹介しています。後記では、天気さんが「あまちゃん」に言及。

第326号の10句は、藤幹子さんとぺぺ女さん。この組み合わせだけで、分かる人には分かる面白さです。三宅やよいさんによる長澤奏子さんの追悼記事後記を読んで思いだしたのですが、この日は参議院選挙の投票日。あの日から、今日のなににつながっているという。

第327号の10句は、鳥居真里子さんと、ことりさんと「とり」並び。小特集「俳句の「音」」、いろいろな角度から俳句の音韻、リズムについて考えますが、とりわけ鴇田智哉インタビュー「ボヤンの在り処」は、将来、鴇田論を書く人には必読。

第328号の10句は、彌榮浩樹さん。今号と次号で、本誌上田と村田篠が、『俳句』2013年8月号「希望の星たち 新世代作品特集」掲載の14人の作品を読んでいきます(前編)(後編)。そして長期連載「林田紀音夫全句集拾読」の野口裕さんが「林田紀音夫句集余談雑談」と題したメモワール「計算機器」を執筆。

第329号10句作品欄に、鴇田智哉さん、村上鞆彦さんとゴージャス。種々さまざまな紀行が載ることも本誌の特徴ですが、「いわきへ」は宮本佳世乃さんによる津波被害の海岸地域、再訪

第330号の10句は、井口吾郎さんの回文俳句。近恵さんの「気仙沼紀行」「感覚をあやつる」は、今泉礼奈さんの現俳協青年部勉強会「俳句ヴァーサス」レポート。藤幹子さんによる金原まさ子エッセイ、レビューも。

第331号の10句は、久保純夫さん。山田耕司さんの「時評」は、斉田仁さん、高橋修宏さん、志賀康さんという濃いメンツの句集評。「気仙沼紀行」後編は、俳句大会参加メンバーによるコメント寄稿多数。



 

2014年 新年詠 大募集

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2014年 新年詠 大募集

新年詠を募集いたします。

おひとりさま 一句  (多行形式ナシ)

簡単なプロフィールをお添えください。
※プロフィールの表記・体裁は既存の「後記+プロフィール」に揃えていただけると幸いです。

投句期間 2013年11日~14日(土) 20:00

〔投句先メールアドレス〕
上田信治 uedasuedas@gmail.com
村田 篠 shino.murata@gmail.com




週刊俳句 第349号 2013年12月29日

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第349号
2013年12月29日


新年詠2014 大募集 ≫見る
2013落選展 Salon des Refuses ≫読む

年末スペシャル

週刊俳句2013年アンソロジー 6666句 ≫読む

「週俳の2013年」回顧

〔1〕一月~四月 ≫読む

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〔3〕九月~十二月 ≫読む

【おんつぼ・番外篇】
2013年のフェアウェル〔後篇〕……西原天気 ≫読む

 

俳句の自然 子規への遡行25……橋本 直 ≫読む

SUGAR&SALT 07
夜衾にはるか名指しの海ひとつ 三橋敏雄
……佐藤文香 ≫読む

自由律俳句を読む25 
萩原蘿月〔2〕……馬場古戸暢 ≫読む
朝の爽波 98……小川春休 ≫読む
林田紀音夫全句集拾読 297……野口 裕 ≫読む

〔今週号の表紙〕とんび……西原天気 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む

第16回俳句甲子園公式作品集 発売のお知らせ ≫見る


 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





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後記+プロフィール 350

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後記 ● 上田信治

明けましておめでとうございます。

今年も小誌「新年詠」への多数のご寄稿をいただき、誠にありがとうございました。



いただきました169句、作者名アイウエオ順となっております。そして、こういうものには、どういうわけか、並びの「妙」のようなものが生まれるらしい。

越智友亮さんから小津夜景さんへつづくところ、金原まさ子さんから九堂夜想さん、あるいは齋藤朝比古さんから榮猿丸さんへの、雰囲気つながりの面白さ。

もちろん、個々のいい句、すこしびっくりするような句、いろいろございます。どうかごゆっくりお楽しみ下さい。



今年は、どんな年になるでしょう。

そんなことは、だれにも分かりません。お互い、なんとか生き延びましょう(生き延びられなかったら、それはそれですけどね)。

そしてまあ、できれば、お互い、生きててよかった、というようなことが、たくさんあるといいですね。



たまたま、ごいっしょに、地球にのって回っている同士、なんどでも新しい年の挨拶を言いあいましょう。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。





それでは、また次の日曜日にお会いしましょう。




no.350/2014-1-5 profile



■青柳 飛 あおやぎ・ふぇい
サンフランシスコ在住のバイリンガル俳人。「天為」「秋」同人、俳人協会会員。英語オンライン俳句マガジン「The Heron’s Nest」アソシエート・エディター。ブログ「Blue Willow Haiku World」

■青山酔鳴 あおやま・すいめい
北海道在住。「群青」同人。俳句集団【itak】幹事。俳句集団【itak】ブログ 

■青山茂根 あおやま・もね
1966年生まれ。「銀化」「豈」所属。

■赤羽根めぐみ あかばね・めぐみ
2008年より秋尾敏に師事。「軸」同人。

■安里琉太 あさと・りゅうた
本名、安里恒佑。1994年3月23日、沖縄県生まれ。「銀化」会員。「群青」同人。沖縄県俳句協会会員。琉球大学俳句研究会「a la carte」発足とともに参加。『17音の青春2012年』、『WHAT』、『沖縄文学賞作品集 はなうる』に作品掲載。

■小豆澤裕子 あずきざわ・ゆうこ
1957年生まれ。神戸在住。1974年「学生俳句集団がきの会」「青」で俳句を始める。現在「里」所属。現代俳句協会会員。句集『右目』(2010 邑書林)。

■天宮華音 あまみや・かのん
俳諧師。1965年生。2012年頃より俳諧連歌を学び始める。2013年4月より発句修行として俳句を始める。

■天野小石 あまの・こいし
1962年東京生まれ。「天為」編集同人。「港」同人。よみうり文化センター北千住 俳句講師。俳人協会会員。

■飯島雄太郎 いいじま・ゆうたろう 
1987年東京生まれ。京都在住。無所属。

■五十嵐秀彦 いがらし・ひでひこ
1956年生れ。札幌市在住。「藍生」会員、「雪華」同人、迅雷句会世話人。俳句集団【itak】代表。第23回(2003年度)現代俳句評論賞。第65回(2013年度)北海道文化奨励賞。句集『無量』。サイト「無門」

■五十嵐義知 いがらし・よしとも
1975年秋田県生まれ。2001年、「天為」入会。2009年、「天為」同人。2010年「天為」新人賞。『新撰21』入集(邑書林、2009年12月)。句集『七十二候』(邑書林、2013年12月)。

■池田澄子 いけだ・すみこ
句集『たましいの話』『拝復』その他。

■池田瑠那 いけだ・るな
1976年11月18日生れ。「澤」同人。俳人協会幹事。

■生駒大祐 いこま・だいすけ
1987年生。「天為」「手紙」「ku+」。ustream番組「Haiku Drive」。

■石井薔子 いしい・しょうこ
1949年生。「槌」同人、「街」同人。句集『夏の谿』(2012)

■石田遊起 いしだ・ゆき
1948生まれ。「大」会員。

■石原ユキオ いしはら・ゆきお
憑依系俳人。『共有結晶』vol.2に「BL短歌クラスタに俳人能村登四郎をお薦めする3つの理由」、『線と情事』第二号に「SWEET HAIKU REPLAY」を寄稿しました。石原ユキオ商店 twitter 

■今井肖子 いまい・しょうこ
1954年神奈川生まれ。東京都在住。「ホトトギス」同人。

■今井 聖 いまい・せい
1950年新潟に生まれ鳥取に育つ。14歳より作句。1971年「寒雷」入会。「寒雷」編集部を経て、1996年「街」創刊、主宰。脚本家として映画「エイジアンブルー」他。句集『北限』『谷間の家具』。2007年『バーベルに月乗せて』(花神社)。2009年、長編エッセイ『ライク・ア・ローリングストーン』(岩波書店)「街」HP

■今村 豊 いまむら・ゆたか
滋賀県生まれ、東京在住。「澤」所属。

■岩田由美 いわた・ゆみ
1961年岡山市生まれ。「藍生」「屋根」に所属。句集『春望』・『夏安』・『花束』。

■宇井十間 うい・とげん
1969年、青森県生まれ・東京都出身。アメリカ在住。医師、研究員。「吟遊」同人。第26回(2006年度)現代俳句評論賞受賞。句集『千年紀』

■上野葉月 うえの・はづき
豆の木、THC、金曜句会CEO、はるみ句会幹事。ブログ「葉月のスキズキ」 

■江渡華子 えと・はなこ
1984年生まれ。句集『光陰』。共著『新撰21』。スピカ

■遠藤 治 えんどう・おさむ
俳号四童(よんどう)。1958年生まれ。1994年より作句開始。「恒信風」同人。四童HP http://www.asahi-net.or.jp/~xl4o-endu/

■淡海うたひ おうみ うたい
1955年生まれ。写真集『寺ねこ』俳句担当。句集『危険水位』。俳人協会会員。

■大井さち子 おおい・さちこ
1960年生まれ。長野県在住。「鷹」「里」所属。句集「秋の椅子」(2009年邑書林)。

■大江 進 おおえ・すすむ
1953年生まれ。無所属。サイト「木工房オーツー」

■大島雄作 おおしま・ゆうさく
1952年香川県生まれ。82年「沖」「狩」に入会。85年「狩」退会。88年「沖」新人賞、同人。2007年「沖」を退会。季刊誌「青垣」を創刊し代表。句集は『寝袋』『青垣』『鮎苗』。第9回(1994年)俳句研究賞受賞。

■岡田一実 おかだ・かずみ
1976年生。松山市在住。

■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。2007年第一回週刊俳句賞受賞。
ブログ「ブレンハイムスポットあるいは道草俳句日記」

■岡野泰輔 おかの・たいすけ
船団の会会員。共著『俳コレ』『季語きらり』。

■岡村知昭 おかむら・ともあき
1973年滋賀県近江八幡市生まれ。「豈」「狼」「蛮」所属。現代俳句協会会員。

■岡本飛び地 おかもと・とびち
1984年、愛媛県生まれ。無所属。

■小川春休 おがわ・しゅんきゅう
1976年、広島生まれ。1998年「童子」入会。2009年「澤」入会。現在「童子」同人、「澤」会員。句集『銀の泡』。サイト「ハルヤスミ web site

■小川楓子 おがわ・ふうこ
1983年、神奈川県生まれ。「海程」「舞」所属。

■小澤 實 おざわ・みのる
1956年長野市生まれ。1998年、句集『立像』により俳人協会新人賞、2006年、句集『瞬間』により読売文学賞、2008年『俳句のはじまる場所』で俳人協会評論賞を、それぞれ受賞。2000年4月、俳誌「澤」創刊、主宰。

■押野 裕 おしの・ひろし
1967年小田原市生まれ。平成24年、句集『雲の座』(ふらんす堂)にて第35回俳人協会新人賞受賞。「澤」同人。

■越智友亮 おち・ゆうすけ
1991年生まれ。池田澄子に師事。アンソロジー『新撰21』に入集。

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。

■柏柳明子 かしわやなぎ・あきこ
1972年生まれ。1996年「炎環」入会。現在同人。2012年第30回現代俳句新人賞受賞。ブログ「月日草子」

■金子 敦 かねこ・あつし
1959年 神奈川県横浜市生まれ
1996年 第一句集「猫」上梓
1997年 第11回俳壇賞受賞
2004年 第二句集「砂糖壺」上梓
2008年 第三句集「冬夕焼」上梓
2011年 未来塾・俳句教室講師(現在も継続中)
2012年 第四句集「乗船券」上梓
現在「出航」会員。俳人協会会員。

■河野けいこ かわの・けいこ
1955年生まれ。「街」同人、「船団の会」会員。句集「ランナー」。

■灌木 かんぼく
1948年 大阪府生まれ、大阪市在住。ハイヒール句会所属。

■菊田一平 きくた・いっぺい
1951年宮城県気仙沼市生れ。「や」「晨」「蒐」各同人、俳句「唐変木」代表。現代俳句協会会員。

■岸本尚毅 きしもと・なおき
1961年岡山県生まれ。現在「天為」「屋根」同人。

■木田智美 きだ・ともみ
1993年大阪府生まれ。関西俳句会「ふらここ」所属。週活句会メンバーによる合同句集WHATに参加。

■北川美美 きたがわ・びび
1963年生まれ。「豈」「面」同人。「-BLOG俳句空間-戦後俳句を読む

■木野俊子 きの・しゅんし
「里」「樹氷」(盛岡)同人。65歳。

■金原まさ子 きんばら・まさこ
1911年(明治44年)生まれ。草苑を経て現在「街」「らん」(筆名 金子 彩)在籍。句集に「冬の花」「弾語り」「遊戯の家」「カルナヴァル」、エッセイ「あら、もう102歳」。ブログ 金原まさ子百歳からのブログ「かねこねこ俳句便」

■九堂夜想 くどう・やそう
1970年生まれ。「LOTUS」「海程」同人。

■熊谷 尚 くまがい・たかし
1968年生まれ。秋田県秋田市在住。秋田大学教育文化学部附属小学校教諭。「狩」同人。俳人協会会員。

■久留島元 くるしま・はじめ
1985年1月11日生。「船団」会員。第七回鬼貫青春俳句大賞受賞。2012年~、柿衛文庫「俳句ラボ」講師。blog「曾呂利亭雑記」 

■黒岩徳将 くろいわ とくまさ
1990年生まれ。「俳句集団 いつき組」、10、20代の集まる「関西俳句会 ふらここ」所属。大学卒業に奮闘中。

■小池康生 こいけ・やすお
1956年大阪市生まれ。銀化同人。句集『旧の渚』。

■興梠 隆 こうろき・たかし
1962年鹿児島県生まれ。「街」「群青」。

■神野紗希 こうの・さき
1983年6月4日、愛媛県松山市生。句集『光まみれの蜂』。

■小久保佳世子 こくぼ・かよこ
1945年生まれ。「街」同人。句集『アングル』。

■小西瞬夏 こにし・しゅんか
1962年生まれ。「海程」同人。「明」同人。句集『めくる』2012年。

■小早川忠義 こばやかわ・ただよし
1969年富山県生まれ東京育ち。2009年「童子」入会。2012年新童賞受賞。2013年ネットプリントの同人誌「あすてりずむ」創刊。

■小林苑を こばやし・そのを
1949年東京生まれ。「里」「月天」「百句会」「塵風」同人。句集『点る』。

■近 恵 こん・けい
1964年生まれ。青森県出身。2007年俳句に足を踏み入れ「炎環」入会。「豆の木」参加。同人。2013年第31回現代俳句新人賞受賞。合同句集「きざし」。

■齋藤朝比古 さいとう・あさひこ
1965年東京生れ。1993年より石寒太に師事。「炎環」同人。「豆の木」副代表。第21回(2006年度)俳句研究賞。

■榮 猿丸 さかえ・さるまる
1968年生まれ。「澤」同人。句集『点滅』。

■笹木くろえ ささき・くろえ
東京生まれ。2008年より俳句を始める。「鏡」同人。

■佐々木貴子 ささき・たかこ
「陸」所属、青森県生。

■佐藤文香 さとう・あやか
1985年生まれ。句集『海藻標本』。

■澤田和弥 さわだ・かずや
1980年生。天為同人。第一句集『革命前夜』。

■塩山五百石 しおやま・ごひゃっこく
1945年熊本生まれ。十年ほど前から、ネット句会『光塵句会』、FAX句会『オクンチ句会』等に投句。

■しなだしん しなだ・しん
1962年、新潟県柏崎市生まれ。東京都新宿区在住。1997年「青山」入会。1999年「青山」同人、俳人協会会員。2008年、第一句集『夜明』(ふらんす堂)刊行。2011年、第二句集『隼の胸』(ふらんす堂)刊行。2013年、「塔の会」入会。「青山」当月集同人・「OPUS」所属。

■島田牙城 しまだ・がじょう
1957年京都市生まれ。波多野爽波に師事。「青」編集長などを経て、現在「里俳句会」代表。邑書林編集長。句集『火を高く』『袖珍抄』『誤植』。  邑書林 俳句の里の交差点 

■清水良郎 しみず・よしろう
1956年、大阪生まれ。2002年より作句活動開始。2013年角川俳句賞受賞。

■下坂速穂 しもさか・すみほ
昭和38年生まれ。平成4年クンツァイト入会。依光正樹に師事。平成15年俳壇賞受賞。句集『眼光』で2012年俳人協会新人賞受賞。

■杉原祐之 すぎはら・ゆうし
1979年生まれ。「慶大俳句」を経て「山茶花」「夏潮」に所属。平成二十二年第一句集『先つぽへ』を上梓。

■杉山久子 すぎやま・ひさこ
第2回芝不器男俳句新人賞受賞。句集『春の柩』他。句文集『行かねばなるまい』。「藍生」「いつき組」所属。

■鈴木牛後 すずき・ぎゅうご
1961年北海道生まれ、北海道在住。「藍生」会員、「いつき組」組員、「俳句集団【itak】」 幹事。

■鈴木茂雄 すずき・しげお
1950年大阪生まれ。堺市在住。「きっこのハイヒール」「KoteKote-句-Love」所属。HP「WEB 575 Internet Haiku Magazine」 Twitter Blog「ハイク・カプセル」

■鈴木不意 すずき・ふい
1952年、新潟県生まれ。杉並在住。「なんぢや」「蒐」所属。

■すずきみのる すずき・みのる
1955年生まれ。京都市在住。俳人協会会員。「参」「鼎座」所属。句集『遊歩』。 『日々録』ブログ版

■鈴木桃子 すずき・ももこ
1983年 静岡県生まれ。「澤」会員。

■涼野海音 すずの・うみね
1981年、香川県高松市生まれ。「火星」・「晨」同人。「草藏」会員。2013年、第四回北斗賞受賞。ブログ「俳句魂」

■関 悦史 せき・えつし
1969年、茨城生まれ。第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞、第11回俳句界評論賞受賞。「豈」同人。共著『新撰21』(邑書林)。句集『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011)にて第3回田中裕明賞を受賞。URL:http://etushinoheya.web.fc2.com/(管理人は別人) URL:http://kanchu-haiku.typepad.jp/blog/(句集紹介用ブログ)

■関根誠子 せきね・せいこ
1947年4月群馬県に生まれる。国立音楽大学声楽科を卒業。1988年「寒雷」入会。現在、「寒雷」「つうの会」「や」「炎環」所属。現俳協会員。句集に『霍乱』、『浮力』。東京都渋谷区初台在住。

■瀬戸正洋 せと・せいよう
1954年生まれ。れもん二十歳代俳句研究会に途中参加。春燈「第三次桃青会」結成に参加。月刊俳句同人誌「里」創刊に参加。2014年『俳句と雑文 B』を上梓。

■曾根 毅 そね・つよし
1974年香川県生まれ。「LOTUS」同人、現代俳句協会会員。

■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年大阪市生まれ。2000年「ゆう」入会、田中裕明に師事。2005年第20回俳句研究賞受賞。「静かな場所」代表・「椋」同人。句集『冬菫』『巣箱』。

■髙井楚良 たかい・そら
子宝貧乏。

■髙勢祥子 たかせ・さちこ
1976年神奈川県生まれ。「鬼」「街」所属。句集『昨日触れたる』(2013)

■高梨 章 たかなし・ゆたか
1947年 埼玉県生まれ 所属なし

■高柳克弘 たかやなぎ・かつひろ
1980年生。2004年第19回俳句研究賞受賞。2005年より「鷹」編集長。2008年『凛然たる青春』(富士見書房)により第22回俳人協会評論新人賞受賞。2009年、第一句集『未踏』(ふらんす堂)上梓。

■高山れおな たかやま・れおな
1968年、茨城県生まれ。「豈」「ku+」所属。句集『ウルトラ』『荒東雑詩』『俳諧曾我』。

■高橋透水 たかはし・とうすい
1947年3月新潟生まれ。東京都在住。還暦後に俳句を始める。超結社の句会に出席。他に俳誌やインターネット句会に投句している。現代俳句協会会員。

■高畠葉子 たかばたけ・ようこ
「俳句集団【itak】」幹事。現代俳句協会会員。

■田中亜美 たなか・あみ
1970年東京都生まれ。「海程」同人。第24回(2006年度)現代俳句新人賞。共著に『現代の俳人101』(新書館)、共訳にS・A・ハンデルマン『救済の解釈学―ベンヤミン・ショーレム・レヴィナス』(法政大学出版局)。

■谷口智行 たにぐち・ともゆき
1958年 京都生まれ。三重県在住。「運河」「湖心」「里」所属。俳人協会会員。 句集「藁嬶」(2004年)、「媚薬」(2007年)。

■千葉皓史 ちば・こうし
1947年東京生まれ。早大卒。「泉」「夏至」同人を経て現在無所属。句集『郊外』で俳人協会新人賞受賞。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。

■茅根知子 ちのね・ともこ
1957年東京生れ。1999年「魚座」入会。「魚座」終刊にともない2007年より「雲」同人。2009年「雲」退会。第4回(2001年)「魚座」新人賞。第15回(2001年)俳壇賞。句集『眠るまで』(本阿弥書店)。「絵空」同人。俳人協会会員。

■津川絵理子 つがわ・えりこ
1968年、兵庫県明石市生まれ。91年「南風」入会。2007年、俳人協会新人賞、角川俳句賞受賞。句集『はじまりの樹』『和音』『津川絵理子作品集Ⅰ』

■月野ぽぽな つきの・ぽぽな
1965年長野県生まれ。ニューヨーク市在住。「海程」同人。現代俳句協会会員。2008年海程新人賞、2009年豆の木賞、2010年現代俳句新人賞、2011年海程会賞受賞。月野ぽぽなフェイスブック

■津久井健之 つくい・たけゆき
1978年生れ。早稲田大学俳句研究会OB。「貂」同人。

■筑紫磐井 つくし・ばんせい
1950年生まれ。同人誌『豈』発行人。句集『野干』『婆伽梵』『花鳥諷詠』(『セレクション俳人 筑紫磐井集』所収)。評論集『飯田龍太の彼方へ』『定型詩学の原理』、編著『俳句教養講座全三巻』ほか多数。

■照屋眞理子 てるや・まりこ
1951年、東京生まれ。塚本邦雄に師事。歌誌「玲瓏」所属。句誌「季刊芙蓉」代表。歌集『夢の岸』『抽象の薔薇』『恋』、句集『月の書架』『やよ子猫』。

■鴇田智哉 ときた・ともや
1969年木更津生まれ。第16回(2001年)俳句研究賞受賞、第29回(2005年)俳人協会新人賞受賞。句集に『こゑふたつ』。

■常盤 優 ときわ・ゆう
2005年「炎環」入会。石寒太に師事。2007年炎環エッセイ賞。2008年炎環新人賞。同人。

■徳田ひろ子 とくだ・ひろこ
紫波川柳社会員。現代川柳点鐘の会会員。

■十月水名 とつき・みな
広島在住。2013年より「鉄塊」参加。

■豊里友行 とよざと ともゆき
俳人、写真家。1976年沖縄生まれ。『バーコードの森』豊里友行句集。出版社沖縄書房代表。「月と太陽(ティダ)」俳句会代表。ブログ「とよチャンネル」

■鳥居真里子 とりい・まりこ
1948年東京に生まれる。87年「門」入会。97年「船団」入会。俳人協会会員。句集に『鼬の姉妹』(2002年)、『月の茗荷』(2008年)。

■内藤独楽 ないとう・こま
1969年、新潟県生まれ。現在「蛮」会員、「豆の木」メンバー。

■中村 遥 なかむら・はるか
1954年兵庫県生まれ、神戸市在住。2000年「斧」入会、斧同人、斧新人賞、斧結社賞受賞。第8回朝日俳句新人賞準賞受賞。

■仲 寒蝉 なか・かんせん
1957年、大阪市生まれ。「港」「里」同人。第50回(2005年)角川俳句賞受賞。句集『海市郵便』(邑書林2004年)、文集『鯨の尾』(邑書林 2007年)。佐久市在住。

■中村光声 なかむら・こうせい  
1947生。「河」編集同人。 

■中村 遥 なかむら・はるか
1954年兵庫県生まれ、神戸市在住。2000年「斧」入会、斧同人、斧新人賞、斧結社賞受賞。第8回朝日俳句新人賞準賞受賞。

■鳴戸奈菜 なると・なな
1943年京城生。「琴座」「らんの会」「豈」を経て、季刊同人誌「らん」創刊。句集『イヴ』『天然』『月の花』『微笑』など。評論集に『言葉に恋して―現代俳句を読む行為』など。

■西村 麒麟 にしむら・きりん
1983年生れ、「古志」所属。

■西村小市 にしむら・こいち
1950年生まれ。2007年より「ほんやらなまず句会」参加。「街」「童子」会員、「いつき組」組員。

■西山ゆりこ にしやま・ゆりこ
昭和52年生まれ。35歳。会社員。 平成15年「駒草」入会。

■沼田美山 ぬまた・びざん
1956年東京生まれ、「澤」同人。俳人協会会員。日本アルバン・ベルク協会会員。

■猫髭 ねこひげ
「きっこのハイヒール」所属。サイト「三畳の猫髭」

■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。長らく週刊俳句の誌面をお騒がせした「林田紀音夫全句集拾読」も、もうすぐ終わりそうです。サイト「野口家のホーム ページ」

■ハードエッジ
Twitter専業俳人、多産系。

■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。「俳句の創作と研究のホームページ」

■花尻万博 はなじり・かずひろ
1970年和歌山生まれ。和歌山県在住。 句集参加『現代俳句精鋭選集Ⅰ』(東京四季出版)、『現代俳句100人20句』(邑書林)。俳句歴20年ほど。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■東川こと乃 ひがしがわ・ことの
1965年生。東京都在住。無所属。

■廣島屋 ひろしまや 
山口県生まれ。紙芝居屋・似顔絵画家・活動写真弁士。ブログ「亭主の日乗」

■広渡敬雄 ひろわたり・たかお
1951年福岡県生まれ、「沖」同人、「青垣」会員、「塔の会」会員、俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)。2012年角川俳句賞受賞。

■福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。開成高校在学中に俳句部に入り、句作をはじめる。現在大学生。共著『俳コレ』。 「群青」「クプラス」所属。

■藤幹子 ふじ・みきこ
1978生。炎環所属。同人。今年は年女にして本厄。

■藤井雪兎 ふじい・せっと
1978年東京都生まれ。2012年自由律俳句集団「鉄塊」参加。第10回放哉賞入賞。「鉄塊」web

■藤崎幸恵 ふじさき・ゆきえ
1936年蠍座神戸市生まれ。「街」同人。俳人協会会員。句集『華甲』『異空間』。

■渕上信子 ふちがみ・のぶこ
2007年より超結社「鬼」会員。

■堀田季何 ほった・きか
「澤」「吟遊」「中部短歌」所属。

■マイマイ
1966年生まれ。松山市在住。「いつき組」組員。句集シングルに「翼竜系統樹」。

■前北かおる まえきた・かおる
1978年島根県生まれ。慶大俳句、「惜春」を経て、「夏潮」創刊に参加する。 第1回黒潮賞受賞。2011年第一句集『ラフマニノフ』上梓。 ブログhttp://maekitakaoru.blog100.fc2.com/ 

■松野苑子 まつの・そのこ
1947年生れ。「好日」「坂」「鷹」の同人を経て、現在「街」同人会長。俳人協会会員。昭和58年度青雲賞、平成元年度坂俳句賞、第8回俳句朝日準賞受賞。句集『誕生花』『真水(さみづ)』。

■松本てふこ まつもと・てふこ
1981年生まれ。2000年、作句開始。2004年「童子」入会。同年「新童賞」受賞。『新撰21』『超新撰21』(邑書林)に小論で参加。アンソロジー『俳コレ』に入集100句。2012年「童子賞」受賞。「童子」同人。

■三浦 郁 みうら・いく
神戸生まれ、横浜在住。「春月」同人。

■彌榮浩樹 みえ・こうき
1965年鹿児島生まれ。1998年「銀化」創立とともに参加、中原道夫に師事。第二回銀化新人賞受賞。銀化同人。句集『鶏』(2010 ふらんす堂)。2011年「1%の俳句」で群像新人文学賞評論部門を受賞。

■三品吏紀 みしな・りき
1980年生まれ。北海道帯広市在住。2010年、俳句を始める。 俳句集団【itak】幹事、「北舟」会員。

■三島ちとせ みしま・ちとせ
1988年北海道生まれ。平成16年に俳句を始める。平成22年に愛媛大学卒業後、現在まで北海道にて就農中。

■三島ゆかり みしま・ゆかり
俳人。1994年より作句。 http://misimisi2.blogspot.com/ 

■南 十二国 みなみ・じゅうにこく
昭和55年生まれ。平成18年2月、「鷹」入会。小川軽舟に師事。平成19年、鷹新人賞受賞。「鷹」同人。

■宮崎二健 みやざき・じけん
山本リンダと藤圭子が同齢。
「こまっちゃうな」と「新宿ブルース」がわが行く末を暗示した。
父長山は嬬恋村の無名俳人。87歳で健在。劣勢遺伝子を受け継ぐ。
1985年、自店で俳句に開眼。「風涛」に属し原子公平に親炙9年。
有季定型、当て漢字、自由律など実作。
6年間俳句メディア向け投句活動、多々入選。所構わず句会巡り。
「俳句空間」で攝津幸彦の選を受けてから新たな俳句形式を模索。
「現代俳句協会青年部」で5年間勉強と委員活動。(現在は非会員)
部長だった夏石番矢に教わった自由律の橋本夢道に私淑。
現在は「豈」「里」同人、「もののふの会」代表。
回文俳句は特に専念。回文俳句開眼は1994年10月19日、
ギネマに触発されて書き付けた当店業務日誌「燭蛾記」上の連作。
例えば〈下半身妊娠は可〉〈文庫本蜻蛉昆布〉などと捻って喜んだ。
「もののふの会」の句会報に初めて載ったのが、28号(1996.8.30刊)の
〈月下と内科/都会な蜥蜴〉。若い俳人達に好評を博した。
「豈」では、27号(1996.11.20刊)の「貝食べた烏賊」と題した
ルビ付25句が初めで、現在に続いている。
本では『21世紀俳句ガイダンス』(現代俳句協会1997.1.30刊)の
「弥勒の黒身(ミロクノクロミ)」ルビ付40句の連作。
「もののふの会」の「独演!俳句ライブ」や、
「里俳句会」の「朗読火山俳」で回文俳句の朗読を試みた。
里の方々と記念日協会の会長の尽力により、
12月21日を「回文の日」と制定して、世間様に認知された模様。
自己管理のウェブサイトでは、
ブログ「回文迷宮」で少人数ながら、回文作品を創作して見せ合っている。
BBS{俳の細道}は、個人的にまとめて作った回文俳句などを発表。

私の知る限りでは、回文俳句をれっきとした俳句の一形態として位置づけたものは、
個人句集や「豈」など同人誌やウェブサイトは別にしても、
大井恒行著『俳句―作る楽しむ発表する』(東西社2004.6.10刊)に、
〔2.こんな俳句表現もたのしい〕の章で、
〔回文を使って(回文句)〕と題されて例句入りで紹介されている位なものだ。
そして今回の「週刊俳句」の全国の俳壇ジャーナリズムに先駆けて、
回文俳句にスポットを当てた特集は、
先見性ということで特筆に値すると思う。
サイト「俳句天狗」

■宮崎斗士 みやざき・とし 
1962年東京都生まれ。「海程」所属。「青山俳句工場05」編集・発行人。第45回海程賞、第27回現代俳句新人賞受賞。句集『翌朝回路』(六花書林)。現代俳句協会会員。

■宮本佳世乃 みやもと・かよの
1974年生まれ。炎環、豆の木。2010年合同句集『きざし』。2012年『鳥飛ぶ仕組み』。

■村上鞆彦 むらかみ・ともひこ
1979年、大分県生まれ。現在「南風」同人。俳人協会会員。

■村越 敦 むらこし・あつし
1990年東京都国立市生まれ。中学2年の時に俳句をはじめる。「澤」所属。

■喪字男 もじお
1974年生れ。屍派に所属しております。

■森賀まり もりが・まり
1960年愛媛県生れ。「百鳥」「静かな場所」同人。句集『ねむる手』『瞬く』。

■矢口 晃 やぐち・こう
昭和55(1980)年 東京都生。1999年「鷹」入会。2010年「鷹」退会、「銀化」入会。共著『俳コレ』。

■矢作十志夫 やはぎ・としお
1948年生まれ。「街」同人を経て、現在、「あだち野」同人。2012年「句のある風景」(20俳人アンソロジー)に参加。

■矢野錆助 やの・さびすけ
1975年福岡県生まれ。福岡県在住。自由律俳句(随句)誌『草原』同人。

■矢野玲奈 やの・れいな
1975年 東京生。 玉藻同人・天為同人。共著『新撰21』

■山口昭男 やまぐち・あきお
1955年生まれ。「秋草」主宰。句集「書信」「讀本」。

■山口優夢 やまぐち・ゆうむ
1985年、東京生まれ。東大・早稲田など東京の学生俳句サークルやTHCなどの超結社句会に参加。第六回俳句甲子園団体優勝・個人 最優秀賞。第二回龍谷大学青春俳句大賞大学生部門最優秀賞。第四回鬼貫青春俳句大賞優秀賞。好きな惑星は火星。2008年12月より銀化所属。アンソロ ジー『新撰21』(2009)に参加。2010年第56回角川俳句賞受賞。ブログ「そらはなないろ」

■山崎志夏生 やまざき・しげお
1959年東京生まれ。藍生俳句会会員。いつき組組員。俳人協会会員。

■山田きよし やまだ・きよし
1955年生まれ。東京生まれ。2011年俳句を始める。

■山田耕司 やまだ・こうじ
1967年生まれ。俳句同人誌「未定」を経て、俳句同人誌「円錐」創刊に参加。その後、俳句作品の発表を中断。2010年 句集『大風呂敷』出版。現在、「円錐」同人。共著『超新撰21』(2010)。大風呂敷  

■山田露結 やまだ・ろけつ
1967年生まれ。愛知県在住。銀化同人。共著『俳コレ』(2011・邑書林)。句集『ホームスウィートホーム』(2012・同)。共著『再読 波多野爽波』(2012・同) 

■山西雅子 やまにし・まさこ
1960年生まれ。89年より岡井省二に師事。「晨」「槐」を経て「星の木」同人。「舞」主宰。句集『夏越』『沙鷗』。著書『俳句で楽しく文語文法』『花の一句』。

■山本たくや やまもと・たくや
1988年生まれ。「船団」会員、「関西俳句会 ふらここ」会員。

■四ッ谷龍 よつや・りゅう
昭和33年札幌生まれ、東京育ち。昭和四十九年「鷹」に入会。昭和62年、冬野虹とともに二人誌[むしめがね」創刊。平成九年ホームページ「インターネットむしめがね」開設。句集『慈愛』『セレクション俳人・四ッ谷龍集』、2010年12月、句集『大いなる項目』(ふらんす堂)を上梓。

■依光正樹 よりみつ・まさき
昭和37年生まれ。平成元年「クンツァイト」結成。「クンツァイト」主宰。

■依光陽子 よりみつ・ようこ
1964年生まれ。「屋根」「クンツァイト」「ku+」所属。'98年角川俳句賞受賞。共著『俳コレ』

■y4lan わいふぉーらん
1909年沖縄生まれ。「彼」同人、「傷」会員。句集『最高法院』。

■渡戸 舫 わたと・もやい
月に1、2回、句会に出る。1、2年に1句、世の中に句を発表する。(それが、この新年詠である)

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。俳人協会会員。「Belle Epoque」 

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生まれ。「里」「ku+」。

2014新年詠テキスト

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2014新年詠

ゆずりはの代はりアボカド飾らうか 青柳 飛
初春の駄洒落をぎゆうとお重箱   青山酔鳴
ノイズばかりのA面に初泣を    青山茂根
星遠く四日の顎をのせたまま   赤羽根めぐみ
一月の水より清き言葉告ぐ     安里琉太
口にせし言葉かへらず初鏡     小豆澤裕子
箸二膳あれば事足る四日かな    天宮華音
東方の経塚山へ初明り       天野小石
悴むや流線型の鳥の声       飯島雄太郎
読初の中井英夫を真似てみる    五十嵐秀彦
喰積や残りてひとつ甘きもの    五十嵐義知
TV延々火事中継中安倍川餅    池田澄子
海底に火山噴きつぐ去年今年    池田瑠那
初旅に眠りをいくつとほりすぐ   生駒大祐
裏白の乾く葉先に微震あり     石井薔子
枸杞の実の片手あふるる淑気かな  石田遊起
マカロンに挟まれている寝正月   石原ユキオ
琴櫻の手形の横の宝船       今井 聖
磴下る破魔矢小さく鳴らしつつ   今井肖子
漫画喫茶のイヤホンに聴く歌合戦  今村 豊
そこな人破魔矢で背中掻くと見ゆ  岩田由美
おおくじらのはらわたにいて山ねむる 宇井十間
変電所正月四日よく晴れて     上田信治
陽の差して紀伊国坂の初鴉     上野葉月
焼く餅の数聞きまはる祖母の家   江渡華子
白朮火をぶんぶん回す鮪かな    遠藤 治
吹初のリベルタンゴを指つるまで  淡海うたひ
松過ぎや刻ゆるやかにシガーバー  大井さち子
大旦大年の国より着信       大江 進
深海に灯ともす魚や去年今年    大島雄作
光線をいそぐ輓馬や四方の春    岡田一実
眉山へと帰つてゆきし初鴉     岡田由季
元日は夕日となりて塔へ落ち    岡野泰輔
口ごもる地蔵に鏡餅供え      岡村知昭
剃り残し無き顎撫でて初詣     岡本飛び地
待ち人の来たれば高く振る破魔矢  小川春休
福笹に紙の太鼓や紙の昼      小川楓子
初雀にまじりて一羽眼白なる    小澤 實
二日なりナン打つ音にカレー待つ  押野 裕
しあはせや花びら餅にあはき餡   越智友亮
ほのかなる世へのほほんと初鴎   小津夜景
読む声に山と谷あり歌がるた    柏柳明子
顔洗ふ猫の写真の初暦       金子 敦
初夢の泉谷しげる啼いてゐる    河野けいこ
そら色の少しよごれた三日かな   灌木
駱駝似の顔が湯舟に大旦      菊田一平
初凪や日向ぼこりの眼は遠く    岸本尚毅
初春の猫に睫毛はないといふ    木田智美
四日はや母の小言のはじまりぬ   北川美美 
正月の雑踏ブラジャー販売機    木野俊子
初日差さっとダビデを羽交いせる  金原まさ子
常少女とや万劫の手毬歌      九堂夜想
空と海分かつ神話や初茜      熊谷 尚
初詣神戸本日やや曇り       久留島元
あらたまや犬の分まで息うばふ   黒岩徳将
いくたびか地名に見惚れ年賀状   小池康生
賽振れず歌留多に伸びぬ右手あり  興梠 隆
ひかりからかたちにもどる独楽ひとつ 神野紗希
初夢を見てゐる足の白さかな   小久保佳世子
凍蝶よ今わたくしの咀嚼音     小西瞬夏
初刷や付録もろとも折り曲げて   小早川忠義
馬面のほのぼの年の酒に酔ふ    小林苑を
樽酒は升をあふれてお正月     近 恵
正月の母のうずうずしてゐたり   齋藤朝比古
未来派は野郎ばかりや初電車    榮 猿丸
初風や港を臨む長き橋       笹木くろえ
ヌ―やいま処女のどよめく月の川  佐々木貴子
枯薄原をゆく影はこの特急の    佐藤文香
初夢にいくさなき代の大本営    澤田和弥
去年今年一本橋をわたりけり    塩山五百石
あさやけのひかりのなかの初心   しなだしん
通夜へ群れ入る若きに羊日の月を  島田牙城
枡酒の盛り上がりたる淑気かな   清水良郎
初箒あまたの鳥が高く棲み     下坂速穂
元旦や信号無視をしてしまふ    杉原祐之
初夢に鱶の鼾を聞きしとも     杉山久子
木々に雪妻にわれある四方の春   鈴木牛後
元日の陽にゆれあへる船着場    鈴木茂雄
大仏の胎内温き二日かな      鈴木不意
午ひつじさるとりいぬゐ初日の出 すずきみのる
初富士を眺めていたるさくら棒   鈴木桃子
野のひかり入る元日の厨かな    涼野海音
一億のアイヒマン顔(がほ)初詣    関 悦史
枝移る鳥を見てゐる三日かな    関根誠子
すべり台に独楽を忘れてネオンかな 瀬戸正洋
初声や末法を生き存えて      曾根 毅
馬の名はスピカとアロウ初茜    対中いずみ
初日の出親父がひどくかすれ声   髙井楚良
筒にして覗くと青し初暦      髙勢祥子
初夢や誰かの足を踏んでゐる    高梨 章
初旅や鳥のとらへし魚光る     高柳克弘
はつゆめ に うまし くに あり うま の くに 高山れおな
初空や紙飛行機に夢乗せて     高橋透水 
一匙の酒は仕来り雑煮椀      高畠葉子
福寿草白き蹄の駆け抜けて     田中亜美
しいしいと虫歯鳴らして初しののめ 谷口智行
元朝のパラパラ漫画七枚目     茅根知子
屋上の妻より呼ばれ初景色     千葉皓史
飼ひ犬のうろうろとゐる御慶かな  津川絵理子
初夢を明るいほうへ歩みゆく    月野ぽぽな
巌のうへの小さき祠を初参     津久井健之
元朝の真暗闇の歩みかな      筑紫磐井
唇を次はあげます福笑       照屋眞理子
はつゆめのゆめのやうなる箒星   常盤 優
丘をとんびがリボン包みを結び目が 鴇田智哉
1月1日をソロリと游ぐ五十歳   徳田ひろ子
深海のいきものでいい寝正月    十月水名
なまこ餅ぷくりと薄暮白くなる   鳥居真里子
流星は馬たてがみの我が一騎    豊里友行
釈尊の手の内にいて寝正月     内藤独楽
神までの裏道とほし初手水     仲 寒蝉
水の星包みて薄き鶴の空      中村光声
初日の出埴輪のやうな顔をして   中村 遥

年新た大きな白紙持て余す     鳴戸奈菜
平穏な岡山に行く旅始       西村麒麟
初旅や見たくないものあえて見る  西村小市
山猿に気をつけろてふ初湯かな   西山ゆりこ
初夢の崖より落ちて空飛べり    沼田美山
老死かとかゞめば年酒聞こし召し  猫髭
汁物は酒にてすませ二日かな    野口 裕
金柑もピンポン玉もお正月    ハードエッジ
言葉散り初陽を湧かす科学かな   橋本 直
初凪を遠ざかる蝙蝠匂ふかな    花尻万博
鐘の音きこえる初風呂       馬場古戸暢
病む者に元旦といふしるしかな   東川こと乃
複雑な顔ぶれ揃ふ初座敷      廣島屋
踏切に虹のきれはし恵方道     広渡敬雄
バベルの塔更地に手毬よく弾むよ  福田若之
鉄塔に十二弦あり初烏       藤 幹子
なまはげの足跡辿る子供      藤井雪兎
順番待ちの二礼二柏手年迎ふ    藤崎幸恵
戦前来何色と問ふ初鴉       渕上信子
初日記より行間にはみ出でし    堀田季何
麗しく三日の魚肉ソーセージ    マイマイ
御あまりを分けて父子や屠蘇を酌む 前北かおる
鏡餅罅割れ怒濤聞こえ来る     松野苑子
息吸つて止めてまた吐き姫はじめ  松本てふこ
介護の間ぬすみ駆足初詣      三浦 郁
絵歌留多やつつつと道をゆく烏   彌榮浩樹
コンビニの袋にも満つ淑気かな   三品吏紀
新年や埃拭えば福音書       三島ちとせ
新年よ締切のない喜びよ      三島ゆかり
枯山に虹爛々と懸かりけり     南十二国
ジャズ聴いて無休無給の去年今年  宮崎二健
伊達巻や家族のいい朝が撮れた   宮崎斗士
謹賀新年笊のひとつひとつに空   宮本佳世乃
元日や田の刈株の吹きさらし    村上鞆彦
船橋に潮の香のなしお元日     村越 敦
初夢の終りに猫の鳴きゐたる    村田 篠
たまさかの妻の放屁や草石蚕食ぶ  喪字男
春風や聞こゆるやうに耳の向く   森賀まり
最後まで勝独楽らしく回りけり   矢口 晃
厠より般若心経淑気満つ      矢作十志夫
岩礁、茜に染まる         矢野錆助
乳飲み子の大きなおなら初笑    矢野玲奈
食べ残す青き野菜や吉書揚     山口昭男
兄弟姉妹黙つたり笑つたり雑煮   山口優夢
初声も動物園の塀の内       山崎志夏生
自己破産させた人から賀状来る   山田きよし
葉牡丹の氏素性など知るか、なあ  山田耕司
年酒酌むことをのみけふ一日かな  山田露結
七種の歌のはじめの芹摘まな    山西雅子
去年今年ヤカン持って来る女    山本たくや
読初のアッシャー屋敷日暮時    四ッ谷龍
山の水そこまで来たる初箒     依光正樹
家に居ればすぐ夕方やお元日    依光陽子
粛々とキャラ激突だるい倫理もうレゴリス改行せず観客の西遊記を批准した季語の神父ざけんな摂動乃至チョコチップ y4lan
なま白き初日抽斗半びらき 渡戸 舫


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