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2014新年詠
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週刊俳句 第350号 2014年1月5日
第350号
2014年1月5日
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■青柳 飛 ■青山酔鳴 ■青山茂根 ■赤羽根めぐみ ■安里琉太 ■小豆澤裕子 ■天宮華音 ■天野小石 ■飯島雄太郎 ■五十嵐秀彦 ■五十嵐義知 ■池田澄子 ■池田瑠那 ■生駒大祐 ■石井薔子 ■石田遊起 ■石原ユキオ ■今井 聖 ■今井肖子 ■今村 豊 ■岩田由美 ■宇井十間 ■上田信治 ■上野葉月 ■江渡華子 ■遠藤 治 ■淡海うたひ ■大井さち子 ■大江 進 ■大島雄作 ■岡田一実 ■岡田由季 ■岡野泰輔 ■岡村知昭 ■岡本飛び地 ■小川春休 ■小川楓子 ■小澤 實 ■押野 裕 ■越智友亮 ■小津夜景 ■柏柳明子 ■金子 敦 ■河野けいこ ■灌木 ■菊田一平 ■岸本尚毅 ■木田智美 ■北川美美 ■木野俊子 ■金原まさ子 ■九堂夜想 ■熊谷 尚 ■久留島元 ■黒岩徳将 ■小池康生 ■興梠隆 ■北川美美 ■神野紗希 ■小久保佳世子 ■小西瞬夏 ■小早川忠義 ■小林苑を ■近恵 ■齋藤朝比古 ■榮 猿丸 ■笹木くろえ ■佐々木貴子 ■佐藤文香 ■澤田和弥 ■塩山五百石 ■しなだしん ■島田牙城 ■清水良郎 ■下坂速穂 ■杉原祐之 ■杉山久子 ■鈴木牛後 ■鈴木茂雄 ■鈴木不意 ■すずきみのる ■鈴木桃子 ■涼野海音 ■関悦史 ■関根誠子 ■瀬戸正洋 ■曾根 毅 ■対中いずみ ■髙井楚良 ■髙勢祥子 ■高梨 章 ■高柳克弘 ■高山れおな ■高橋透水 ■高畠葉子■田中亜美 ■谷口智行 ■茅根知子 ■千葉皓史 ■津川絵理子 ■月野ぽぽな ■津久井健之 ■筑紫磐井 ■照屋眞理子 ■常盤 優 ■鴇田智哉 ■徳田ひろ子 ■十月水名 ■鳥居真里子 ■豊里友行 ■内藤独楽 ■仲寒蝉 ■中村光声 ■中村 遥 ■鳴戸奈菜 ■西村麒麟 ■西村小市 ■西山ゆりこ ■沼田美山 ■猫髭 ■野口 裕 ■ハードエッジ ■橋本 直 ■花尻万博■馬場古戸暢 ■東川こと乃 ■廣島屋 ■広渡敬雄 ■福田若之 ■藤 幹子 ■藤井雪兎 ■藤崎幸恵 ■渕上信子 ■堀田季何 ■マイマイ ■前北かおる ■松野苑子 ■松本てふこ ■三浦 郁 ■彌榮浩樹 ■三品吏紀 ■三島ちとせ ■三島ゆかり ■南十二国 ■宮崎二健 ■宮崎斗士 ■宮本佳世乃 ■村上鞆彦 ■村越 敦 ■村田 篠 ■喪字男 ■森賀まり ■矢口 晃 ■矢作十志夫 ■矢野錆助 ■矢野玲奈 ■山口昭男 ■山口優夢 ■山崎志夏生 ■山田きよし ■山田耕司 ■山田露結 ■山西雅子 ■山本たくや ■四ッ谷 龍 ■依光正樹 ■依光陽子 ■y4lan ■渡戸 舫
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2014年1月5日
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後記+プロフィール 351
後記 ● 村田 篠
年が明けて、早くも2号目のリリースです。
先週号は新年詠特集ということで、新年詠のみの掲載とさせていただきました。たくさんのご投句、ほんとうにありがとうございました。今週は先週とはうって変わって散文のみの掲載ですが、大変充実しています。ごゆっくりお楽しみ下さい。
今号から、「醍醐会レポート」が新しく掲載開始となりました。「醍醐会」とは、竹中宏さんを中心に、第五日曜日(12月は除く)に京都で開催されている、超結社の俳句研究会です。毎回テーマを決めて交わされた議論の中から、公開する意義があると判断された回の内容を、今後不定期に、醍醐会の若手会員の方々がレポートして下さいます。どうぞお楽しみに!
●
それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。
no.351/2014-1-12 profile
■池田澄子 いけだ・すみこ
句集『たましいの話』『拝復』その他。
■北川美美 きたがわ・びび
1963年生まれ。「豈」「面」同人。
-BLOG俳句空間-戦後俳句を読む http://sengohaiku.blogspot.jp/
■飯島雄太郎 いいじま・ゆうたろう
1987年東京生まれ。京都在住。「ふらここ」所属。
■小林苑を こばやし・そのお
1949年東京生まれ。「里」「月天」「百句会」「塵風」所属。句集「点る」(2010年)上梓。現代俳句協会会員。
■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。「俳句の創作と研究のホームページ」
■佐藤文香 さとう・あやか
1985年生まれ。句集『海藻標本』。
■栗山麻衣 くりやま・まい
1973年生まれ。「銀化」同人。
■生駒大祐 いこま・だいすけ
1987年生。「天為」「手紙」「ku+」。ustream番組「Haiku Drive」。
■石原ユキオ いしはら・ゆきお
憑依系俳人。『共有結晶』vol.2に「BL短歌クラスタに俳人能村登四郎をお薦めする3つの理由」、『線と情事』第二号に「SWEET HAIKU REPLAY」を寄稿しました。石原ユキオ商店 twitter
■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。
■小川春休 おがわ・しゅんきゅう
1976年、広島生まれ。現在「童子」同人、「澤」会員。句集『銀の泡』。サイト「ハルヤスミ web site」
■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。二人誌「五七五定型」(小池正博・野口裕)完結しました。最終号は品切れですが、第一号から第四号までは残部あります。希望の方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。進呈します。サイト「野口家のホーム ページ」
■淡海うたひ おうみ・うたい
1955年神奈川県横須賀市生まれ。2004年、写真集『寺ねこ』(河出書房新社)俳句担当。2010年、第一句集『危険水位』(本阿弥書店)出版。俳人協会会員。
■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。俳人協会会員。「Belle Epoque」
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年が明けて、早くも2号目のリリースです。
先週号は新年詠特集ということで、新年詠のみの掲載とさせていただきました。たくさんのご投句、ほんとうにありがとうございました。今週は先週とはうって変わって散文のみの掲載ですが、大変充実しています。ごゆっくりお楽しみ下さい。
今号から、「醍醐会レポート」が新しく掲載開始となりました。「醍醐会」とは、竹中宏さんを中心に、第五日曜日(12月は除く)に京都で開催されている、超結社の俳句研究会です。毎回テーマを決めて交わされた議論の中から、公開する意義があると判断された回の内容を、今後不定期に、醍醐会の若手会員の方々がレポートして下さいます。どうぞお楽しみに!
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それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。
no.351/2014-1-12 profile
■池田澄子 いけだ・すみこ
句集『たましいの話』『拝復』その他。
■北川美美 きたがわ・びび
1963年生まれ。「豈」「面」同人。
-BLOG俳句空間-戦後俳句を読む http://sengohaiku.blogspot.jp/
■飯島雄太郎 いいじま・ゆうたろう
1987年東京生まれ。京都在住。「ふらここ」所属。
■小林苑を こばやし・そのお
1949年東京生まれ。「里」「月天」「百句会」「塵風」所属。句集「点る」(2010年)上梓。現代俳句協会会員。
■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。「俳句の創作と研究のホームページ」
■佐藤文香 さとう・あやか
1985年生まれ。句集『海藻標本』。
■岡野泰輔 おかの・たいすけ
船団の会会員。共著『俳コレ』『季語きらり』。
船団の会会員。共著『俳コレ』『季語きらり』。
■小池正博 こいけ・まさひろ
1954年生まれ。「MANO」「豈」同人、「川柳カード」編集人。句集『水牛の余波』(邑書林)、評論集『蕩尽の文芸―川柳と連句』(まろうど社)、編著『セレクション柳論』。
「川柳カード」http://senryucard.net/
「週刊川柳時評」 http://daenizumi.blogspot.jp/
1954年生まれ。「MANO」「豈」同人、「川柳カード」編集人。句集『水牛の余波』(邑書林)、評論集『蕩尽の文芸―川柳と連句』(まろうど社)、編著『セレクション柳論』。
「川柳カード」http://senryucard.net/
「週刊川柳時評」 http://daenizumi.blogspot.jp/
■陽 美保子 よう・みほこ
1957年島根県松江市生まれ。札幌在住。平成12年「泉」入会。平成17年泉賞受賞。第22回(2008年)俳壇賞受賞。現在「泉」同人、俳人協会会員。
■月野ぽぽな つきの・ぽぽな
1965年長野県生まれ。ニューヨーク市在住。「海程」同人。現代俳句協会会員。2008年海程新人賞、2009年豆の木賞、2010年現代俳句新人賞。月野ぽぽなフェイスブック: http://www.facebook.com/PoponaTsukino
1957年島根県松江市生まれ。札幌在住。平成12年「泉」入会。平成17年泉賞受賞。第22回(2008年)俳壇賞受賞。現在「泉」同人、俳人協会会員。
■月野ぽぽな つきの・ぽぽな
1965年長野県生まれ。ニューヨーク市在住。「海程」同人。現代俳句協会会員。2008年海程新人賞、2009年豆の木賞、2010年現代俳句新人賞。月野ぽぽなフェイスブック: http://www.facebook.com/PoponaTsukino
■栗山麻衣 くりやま・まい
1973年生まれ。「銀化」同人。
■生駒大祐 いこま・だいすけ
1987年生。「天為」「手紙」「ku+」。ustream番組「Haiku Drive」。
■石原ユキオ いしはら・ゆきお
憑依系俳人。『共有結晶』vol.2に「BL短歌クラスタに俳人能村登四郎をお薦めする3つの理由」、『線と情事』第二号に「SWEET HAIKU REPLAY」を寄稿しました。石原ユキオ商店 twitter
■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。
■小川春休 おがわ・しゅんきゅう
1976年、広島生まれ。現在「童子」同人、「澤」会員。句集『銀の泡』。サイト「ハルヤスミ web site」
■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。二人誌「五七五定型」(小池正博・野口裕)完結しました。最終号は品切れですが、第一号から第四号までは残部あります。希望の方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。進呈します。サイト「野口家のホーム ページ」
■淡海うたひ おうみ・うたい
1955年神奈川県横須賀市生まれ。2004年、写真集『寺ねこ』(河出書房新社)俳句担当。2010年、第一句集『危険水位』(本阿弥書店)出版。俳人協会会員。
■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。俳人協会会員。「Belle Epoque」
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〔今週号の表紙〕第351号 冬かもめ 淡海うたひ
〔今週号の表紙〕
第351号 冬かもめ
淡海うたひ
昨年11月、倉田有希さんが代表をされている「写真とコトノハ展」に初めて参加させていただいた。それをきっかけに写真に目覚め、コンパクトデジタルカメラを購入した。カメラを買ったら、さっそく撮影してみたくなった。
撮影場所は、横浜市金沢区にある「横浜・八景島シーパラダイス」というプレジャーランド。このカモメたちがいるのは、「スプラッシュート」という水しぶき系アトラクションの池である。
坂の上からボートがレール上を滑走して来て、この池にザッバーンと着水する。同時に、噴水が5メートルの高さまで吹き上がる。噴水が上がると、虹がかかる。ボートは乗客を降ろした後、再び坂の上へと引き上げられて行く。カモメたちは、ボートが着水する直前に飛び去るのだが、ボートが去って噴水も収まると、再びやって来て写真のように遊んでいるのである。
池のすぐ隣は海なのだが、カモメたちはこの池の方が好きらしい。また、鴨たちもこのせわしない池で遊ぶのが好きである。
●
週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら
第351号 冬かもめ
淡海うたひ
昨年11月、倉田有希さんが代表をされている「写真とコトノハ展」に初めて参加させていただいた。それをきっかけに写真に目覚め、コンパクトデジタルカメラを購入した。カメラを買ったら、さっそく撮影してみたくなった。
撮影場所は、横浜市金沢区にある「横浜・八景島シーパラダイス」というプレジャーランド。このカモメたちがいるのは、「スプラッシュート」という水しぶき系アトラクションの池である。
坂の上からボートがレール上を滑走して来て、この池にザッバーンと着水する。同時に、噴水が5メートルの高さまで吹き上がる。噴水が上がると、虹がかかる。ボートは乗客を降ろした後、再び坂の上へと引き上げられて行く。カモメたちは、ボートが着水する直前に飛び去るのだが、ボートが去って噴水も収まると、再びやって来て写真のように遊んでいるのである。
池のすぐ隣は海なのだが、カモメたちはこの池の方が好きらしい。また、鴨たちもこのせわしない池で遊ぶのが好きである。
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週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら
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林田紀音夫全句集拾読 298 野口裕

林田紀音夫全句集拾読298
野口 裕
団栗をてのひらに見る沖は照り
平成五年、未発表句。かつての紀音夫なら、下五で回想・追想などに添う言葉を用意するところではある。「沖」にもその要素はあるが、希薄になっている。句は触覚を伴う近景から遠景への自然な推移を示す。
除夜の湯に新しいこと何もなく
平成五年、未発表句。平成五年最後の句になる。淡々とした心境句。
松黒く月夜の軋み身に及ぶ
病棟の消灯の刻雪来るように
平成六年、未発表句。新年になってからの四句目と五句目。五句目に、「国立循環器センター入院」の詞書。詞書から判断するに、四句目は身体の異変を告げている。松の黒さ、突然やってくる雪ぐもり、ともに暗澹とした心境を覗かせる。
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突然の鏡に涙涸らした顔
平成六年、未発表句。前後の句から入院中の句と判断できる。鏡に闘病に疲れた己の顔。k音の連続が自嘲めく。
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夜景眼にまだ病人の眠れぬ刻
平成六年、未発表句。病院の消灯が早く、眠れぬままに夜景を見て過ごす、ということはありそうだ。素直な句。四季と無縁の病棟にあれば、無季の句もまた自然と生じる。
下世話な話だが、六人部屋や四人部屋で夜景が見えるのは、幸運の部類に入る。少々、値は張るが、一人部屋ないしは二人部屋だったか。
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自由律俳句を読む 25 萩原蘿月 〔2〕 馬場古戸暢
自由律俳句を読む 25
萩原蘿月〔2〕
馬場古戸暢
前回に引き続き、萩原蘿月句を鑑賞する。
とろとろする父と子一人の子眠り 萩原蘿月
前回に紹介した「子ども健やか父の酒もゆたか」と合わせて鑑賞したい句。「とろとろ」からにじみ出る幸福感とあたたかさが、こちらにまで伝わってくる。
夕日夕日みんな女の子堀端 同
夕焼けのなか、堀端に座っている子供たちは皆女の子だった。こうした景が通常だったのは、昭和までのことではないか。平成の世にはなかなかみられないように感じた。
乙女よこち向くな沈む沈む陽 同
乙女と作者の関係が気になる句。この赤い景は、古き良き時代の浪漫を感じさせる。
梨を食ひ終わつて夜はひとりのものと知つた 同
梨を食っている間は、食うことに夢中なので気付かない。なにもすることがなくなった夜にはじめて、自身が孤独であることを思い知るのだろう。
酒を買ひ足して又新しい悲しみにゐる 同
前掲句の梨を食い終わったあとの出来事のようにもみえる。感情的なところを受け付けない人もあろうが、こうした直接の表現も悪くないと今夜は思った。
※掲句は、上田都史ほか(編)『自由律俳句作品史』(1979年/永田書房)、そねだゆ「内田南草(※蘿月への言及あり)」(『自由律句のひろば』創刊号/2013年)より。
萩原蘿月〔2〕
馬場古戸暢
前回に引き続き、萩原蘿月句を鑑賞する。
とろとろする父と子一人の子眠り 萩原蘿月
前回に紹介した「子ども健やか父の酒もゆたか」と合わせて鑑賞したい句。「とろとろ」からにじみ出る幸福感とあたたかさが、こちらにまで伝わってくる。
夕日夕日みんな女の子堀端 同
夕焼けのなか、堀端に座っている子供たちは皆女の子だった。こうした景が通常だったのは、昭和までのことではないか。平成の世にはなかなかみられないように感じた。
乙女よこち向くな沈む沈む陽 同
乙女と作者の関係が気になる句。この赤い景は、古き良き時代の浪漫を感じさせる。
梨を食ひ終わつて夜はひとりのものと知つた 同
梨を食っている間は、食うことに夢中なので気付かない。なにもすることがなくなった夜にはじめて、自身が孤独であることを思い知るのだろう。
酒を買ひ足して又新しい悲しみにゐる 同
前掲句の梨を食い終わったあとの出来事のようにもみえる。感情的なところを受け付けない人もあろうが、こうした直接の表現も悪くないと今夜は思った。
※掲句は、上田都史ほか(編)『自由律俳句作品史』(1979年/永田書房)、そねだゆ「内田南草(※蘿月への言及あり)」(『自由律句のひろば』創刊号/2013年)より。
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朝の爽波99 小川春休

小川春休
99
賞与出て奢りいささか嵐山 『一筆』(以下同)
年末賞与も冬の季語。この時期爽波は既に俳句専業だったはずで、同行の誰かのことか。冬の嵐山でどのような贅沢をしたのか、しかしそれも普段と比べて「いささか」、僅かばかりというところににやりとさせられる。調子も良く、ボーナスの時期にふと思い出す句。
晦日蕎麦もぐらの話出でにけり
大晦日の夜に食べる年越し蕎麦。そこに唐突に現れたもぐらの話。その取り合わせの唐突さから来るナンセンスな面白さもさることながら、気の置けない間柄で畑仕事の話でもしているのだろうか、リラックスしたその場の雰囲気が臨場感を持って想像される。
ここから「昭和六十三年」に入ります。
この年や破魔矢の鈴の鳴り過ぎよ
正月の縁起物として神社で破魔矢を授ける。今年は例年に比べて殊更に破魔矢の鈴が鳴る。それも鳴り過ぎと言って良いレベル。破魔矢は厄除けとも、一年の好運を射止める縁起物とも言われるが、果たしてこの鈴は、吉兆を伝えているのか、それとも凶兆か。
男山よりぞ破魔矢のちりぢりに
男山八幡宮は、京都府八幡市にある石清水八幡宮の旧称。日本三社の一であり、日本三大八幡宮の一でもある由緒ある男山八幡宮、さて新年の破魔矢は何本ぐらい用意されるのであろうか。それらが一本一本各家庭に分散していく様は、想像するだに壮観な光景である。
繕ひし垣膨れむと力かな
春になると、冬の間の霜や風雪に傷められた竹垣・柴垣などを繕う。繕ったばかりの垣は整然として美しいが、それは植物という自然物を整え、抑制して作られた美でもある。間も無く芽吹きを迎えようかという季節、整えられた垣も、膨れようとする力を秘めている。
沈丁の憎つくき家に満開に
そもそも憎んでいるのは住人の方であったはずだが、憎悪の感情が高じれば、その家までも憎くて仕方がなくなる。その家から、気付きたくなくとも気付かざるを得ない、沈丁の強い香。満開の花が甘ったるい香を周囲に放っていることさえ、腹立たしく感じられてしまう。
老いぬれば脳みそ減るとお白酒
歳とともに脳細胞は死滅し、その数を減ずる。その事自体はネガティブなイメージだが、折しも家族揃っての雛祭の席。脳味噌が減ったのを口実に、都合の悪いことを忘れた振りしているだけかも知れない。なだらかな詠みぶりがどことなくユーモラスでもある。
朝寝せしことより話し始めたる
朝寝を春の朝のことに限って季語とするのには、孟浩然の「春眠暁を覚えず」という詩句の影響もあろう。掲句、出会うや否や、朝よく寝たことから話し始めているが、余程気心の知れた間柄でなければこうは行くまい。何とものんびりとしたのどかな気分の句。
炉塞いで使はぬ櫛が家ぢゆうに
昔ながらの炉を備えた住居では、春になると使わなくなった炉に蓋をして塞ぐ。炉を塞いだ部屋は広々と感じられる。「使はぬ櫛」が誰の物かは明示されていないが、成長して家を出て行った子供や、既に鬼籍に入った年長者などの不在が改めて思い起こされる。
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【週俳12月の俳句を読む】それでも愛し愛されて生きるのさ 小津夜景「ほんのささやかな喪失を旅するディスクール」について 石原ユキオ
【週俳12月の俳句を読む】
それでも愛し愛されて生きるのさ
小津夜景「ほんのささやかな喪失を旅するディスクール」について
石原ユキオ
三白眼のおとめごころや寒プリン 小津夜景
たいていのひとは上目遣いをすると三白眼になる。「上目遣いでおねだり」なら単なる媚びだが、「三白眼でおねだり」に言い換えてみると途端に怖くなる。三白眼のおとめは鋭い目線で何かをたくらんでいる。寒のプリンの冷たさと甘さが歯にしみてくる。
とこしえと賭しあい冬のシェスタかな
「とこしえ」は「愛」と結びつきやすい言葉である。「とこしえと賭しあい」と言われてイメージするのは結婚だ。永遠の愛を誓いますか。誓います。永遠が勝つか愛が勝つか。ウェディングドレスと燕尾服の真っ白な昼寝。
前半の俳句十句のあとに詩が置かれている。
そこで語られるのは、ロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』を再読していること。
おそらく
実らなかった恋の果てに
終わってしまった愛の果てに
わたしは
言葉で人を愛するすべを学んだのだ
と、筆者は書く。そして
(ついでにいえば
わたしは言葉で人を愛すってのも
実はほとんどジョークなんだけど)
とも。
言葉は曖昧な関係性に輪郭を与える。たとえば「愛」。そして人は日々お互いの関係を言葉によって確認し、補強する。ゆえに「言葉で人を愛する」以前には、愛なんてなかったと言うこともできる。
けれど、かつて言葉も何もなく親しく寄り添う瞬間もたしかに存在していた。だからこそ、
そして今のわたしは
人さえ言葉で愛すのだ (下線引用者)
と言わねばならず、「わたし」の述懐はユーモアを交えながらも感傷の色を帯びるのだ。
前半十句には「溺死」という言葉が登場した。後半の十句には、死を連想させる言葉がさらに多い。「喪(ほろび)」「メメント・モリ」「殯」「血だまり」。
もがりぶえ殯の恋をまさぐりに
虎落笛(もがりぶえ)のさびしい音を聞きながら、死んでしまった恋に触れにゆく。「まさぐりに」という言葉は性的な接触も想起させる。
しろながすくじらのようにゆきずりぬ
シロナガスクジラは最大で三十メートル超(Wikipedia情報)。ゆきずりにしてはずいぶんと長いゆきずりである。「とこしえと賭しあい冬のシェスタかな」と対になって、二人にとっての永遠の時間がたっぷりとした量感で存在している。
この作品に登場する俳句は、多くが言葉遊びの要素を持っている。「三白眼」と「寒」、「もがりぶえ」と「殯(もがり)」と「まさぐり」等々。
音の類似性から言葉を選ぶことによって、言葉は日常言語における意味から解放され、論理では到達できない組み合わせで配置されることになる。いったん意味から離れて言葉を選ぶことは、言葉にならない領域を指し示そうとすることであり、「言葉をしらないわたし」に近づこうとする試みなのかもしれない。
性懲りもなく愛という煮こごりを
冷えて固まった「愛」を箸の先でつつき、口に運ぶ。
それが舌の上でとける瞬間、わたしたちは言葉をもたないだろう。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
■高崎義邦 冬 10句 ≫読む
第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
それでも愛し愛されて生きるのさ
小津夜景「ほんのささやかな喪失を旅するディスクール」について
石原ユキオ
三白眼のおとめごころや寒プリン 小津夜景
たいていのひとは上目遣いをすると三白眼になる。「上目遣いでおねだり」なら単なる媚びだが、「三白眼でおねだり」に言い換えてみると途端に怖くなる。三白眼のおとめは鋭い目線で何かをたくらんでいる。寒のプリンの冷たさと甘さが歯にしみてくる。
とこしえと賭しあい冬のシェスタかな
「とこしえ」は「愛」と結びつきやすい言葉である。「とこしえと賭しあい」と言われてイメージするのは結婚だ。永遠の愛を誓いますか。誓います。永遠が勝つか愛が勝つか。ウェディングドレスと燕尾服の真っ白な昼寝。
前半の俳句十句のあとに詩が置かれている。
そこで語られるのは、ロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』を再読していること。
おそらく
実らなかった恋の果てに
終わってしまった愛の果てに
わたしは
言葉で人を愛するすべを学んだのだ
と、筆者は書く。そして
(ついでにいえば
わたしは言葉で人を愛すってのも
実はほとんどジョークなんだけど)
とも。
言葉は曖昧な関係性に輪郭を与える。たとえば「愛」。そして人は日々お互いの関係を言葉によって確認し、補強する。ゆえに「言葉で人を愛する」以前には、愛なんてなかったと言うこともできる。
けれど、かつて言葉も何もなく親しく寄り添う瞬間もたしかに存在していた。だからこそ、
そして今のわたしは
人さえ言葉で愛すのだ (下線引用者)
と言わねばならず、「わたし」の述懐はユーモアを交えながらも感傷の色を帯びるのだ。
前半十句には「溺死」という言葉が登場した。後半の十句には、死を連想させる言葉がさらに多い。「喪(ほろび)」「メメント・モリ」「殯」「血だまり」。
もがりぶえ殯の恋をまさぐりに
虎落笛(もがりぶえ)のさびしい音を聞きながら、死んでしまった恋に触れにゆく。「まさぐりに」という言葉は性的な接触も想起させる。
しろながすくじらのようにゆきずりぬ
シロナガスクジラは最大で三十メートル超(Wikipedia情報)。ゆきずりにしてはずいぶんと長いゆきずりである。「とこしえと賭しあい冬のシェスタかな」と対になって、二人にとっての永遠の時間がたっぷりとした量感で存在している。
この作品に登場する俳句は、多くが言葉遊びの要素を持っている。「三白眼」と「寒」、「もがりぶえ」と「殯(もがり)」と「まさぐり」等々。
音の類似性から言葉を選ぶことによって、言葉は日常言語における意味から解放され、論理では到達できない組み合わせで配置されることになる。いったん意味から離れて言葉を選ぶことは、言葉にならない領域を指し示そうとすることであり、「言葉をしらないわたし」に近づこうとする試みなのかもしれない。
性懲りもなく愛という煮こごりを
冷えて固まった「愛」を箸の先でつつき、口に運ぶ。
それが舌の上でとける瞬間、わたしたちは言葉をもたないだろう。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
■高崎義邦 冬 10句 ≫読む
第346号 2013年12月8日
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第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
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【週俳12月の俳句を読む】何も聞こえなくなったあと 陽美保子
【週俳12月の俳句を読む】
何も聞こえなくなったあと
陽 美保子
杭ひとつ打ち了りたる冬の島 石 寒太
きわめて単純なひとつの事に焦点を当て、そこから季節感を表出し、読者に余情を感じ取ってもらう手法は、俳句のもっとも基本的な、そして俳句がもっとも得意とする手法であろう。
何の杭であるかは問題ではない。一本の杭を打つ音が響いていた。それだけでも満目蕭条とした冬景色の中、寒々とした趣があるが、その音が止んで何も聞こえなくなったあと、波音だけが聞こえているのは、一層わびしく、冬の寒さが心の中にまで染み込んでくるようだ。
あの家は今生きてます干布団 高崎義邦
布団が干してある家を見ると、まだ育ちざかりの子供がいる家族が住んでいて、多少雑然としていても活気がある、そんな一家を想像する。マンションでは通常、布団を干すのは禁止。ひとり暮しの家でも、布団が干してあるのはあまり見かけない。干布団は、本来の「家」の持つぬくもりを象徴しているかのようだ。「家」は、建物を表すだけでなく、家庭や家族といったその中に入る人々をも表している。「あの家は今生きてます」のフレーズで、テレビで流れる漫画のサザエさんの家、一家が家に入って、家がぼこぼこと動くあの家を想像したのは私だけではないであろう。
海原は覇者のしづけさ寒夕焼 奥坂まや
自然に親しむという言葉は、勝手な人間側の言葉であることを思い知らされたのは、3.11の大震災と津波。いつも穏やかな海、心を癒してくれる海が、突如牙をむいて大暴れをし、多くの人の命を奪った。その後、以前と同じように平穏な海に戻っても、自然の脅威を知ってしまった私達は、もはや、以前と同じような気持ちで海を見ることはできない。「覇者」という言葉が浮かんだのも、作者の心の中にそのような思いがあったからではないだろうか。眼前の海も寒夕焼も恐ろしいまでに美しい。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
■高崎義邦 冬 10句 ≫読む
第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
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何も聞こえなくなったあと
陽 美保子
杭ひとつ打ち了りたる冬の島 石 寒太
きわめて単純なひとつの事に焦点を当て、そこから季節感を表出し、読者に余情を感じ取ってもらう手法は、俳句のもっとも基本的な、そして俳句がもっとも得意とする手法であろう。
何の杭であるかは問題ではない。一本の杭を打つ音が響いていた。それだけでも満目蕭条とした冬景色の中、寒々とした趣があるが、その音が止んで何も聞こえなくなったあと、波音だけが聞こえているのは、一層わびしく、冬の寒さが心の中にまで染み込んでくるようだ。
あの家は今生きてます干布団 高崎義邦
布団が干してある家を見ると、まだ育ちざかりの子供がいる家族が住んでいて、多少雑然としていても活気がある、そんな一家を想像する。マンションでは通常、布団を干すのは禁止。ひとり暮しの家でも、布団が干してあるのはあまり見かけない。干布団は、本来の「家」の持つぬくもりを象徴しているかのようだ。「家」は、建物を表すだけでなく、家庭や家族といったその中に入る人々をも表している。「あの家は今生きてます」のフレーズで、テレビで流れる漫画のサザエさんの家、一家が家に入って、家がぼこぼこと動くあの家を想像したのは私だけではないであろう。
海原は覇者のしづけさ寒夕焼 奥坂まや
自然に親しむという言葉は、勝手な人間側の言葉であることを思い知らされたのは、3.11の大震災と津波。いつも穏やかな海、心を癒してくれる海が、突如牙をむいて大暴れをし、多くの人の命を奪った。その後、以前と同じように平穏な海に戻っても、自然の脅威を知ってしまった私達は、もはや、以前と同じような気持ちで海を見ることはできない。「覇者」という言葉が浮かんだのも、作者の心の中にそのような思いがあったからではないだろうか。眼前の海も寒夕焼も恐ろしいまでに美しい。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
■高崎義邦 冬 10句 ≫読む
第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
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【週俳12月の俳句を読む】グラビティ 岡野泰輔
【週俳12月の俳句を読む】
グラビティ
岡野泰輔
暮に評判の映画『ゼロ・グラビティ』を観た。IMAX、3D、サラウンドの巨大映像音響環境のど真ん中に身をおいた。サーカスである、シルクドソレイユを空中ブランコに乗って舞台の真ん中で観る感じ。主演は当初アンジェリーナ・ジョリー、マリオン・コティアール、スカーレット・ヨハンソン、ナタリー・ポートマン、などを経由してサンドラ・ブロックにたどり着いたようだ。この映画の出来をみれば、みなサンドラに嫉妬しているだろう。個人的には『ブラックスワン』のニューロティックな演技が印象に残ったナタリー・ポートマンでも観てみたかったが。
凍星やミルク垂らしたままの皿 高崎義邦
映画の余韻を引きずったままの粗雑な頭で読めば、この句など美しくも重力と宇宙創成のアレゴリーと読める。ミルクと皿とくれば「覆水盆に返らず」も想起されるが、むしろ皿のミルクにモノを落下させてできるミルククラウンが美しい。この皿は地球であり、世界であり、ミルクは地上600kmから眺めた恵みの海であってもよいし、地球に注ぐ銀河(ミルキーウェイ)であってもよい。
もちろん真っ白な磁器の皿を飽かず眺める小椋 桂のような静謐さもありではあるが、もうそこには私、戻りにくい。いずれにしても凍星とミルクの相性抜群。他に「着ぶくれてデモ隊一層非力なる」が妙な実感。
ゴミ箱を空にして天の川かな 五島高資
映画の余韻がまだつづく。映画では宇宙のゴミ(ロシアの衛星の破片)がサンドラを襲うのである。宇宙の塵あくたがものすごい勢いで遠隔力(重力)に引っぱられ全の空虚が現れる。はてしない暗黒の・・・(このへん文系ですのでいいかげん)「天の川ここには何もなかりけり」富田拓也も思い出す。
シリウスや人を吸い込む東口 五島高資
なにかを湧出させるというより、虚無化する、吸い込む、といわれれば納得する冬の夜空。星の目、神の目で見れば次々と東口に吸い込まれる人達はちっぽけで、愛しい。光年単位の星の消長と人の営みの対比は誰しも小学生ぐらいに胸をつかまれた覚えがあるだろう。映画ではサンドラがジョージが虚空に吸い込まれるように……。
落椿夜は首を持ちあげて 柿本多映
たしかに夜は何かが起る。我々は重力の奴隷にすぎないが、この庭の椿は渾身の力で諍う。赤い椿に違いない、それも深い赤。どこかに火が見える。それにしても椿とはつくづく夜のものであるとの思いを深くした。サンドラも諍い立ち上がる。
第345号 2013年12月1日
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第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
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第348号 2013年12月22日
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グラビティ
岡野泰輔
暮に評判の映画『ゼロ・グラビティ』を観た。IMAX、3D、サラウンドの巨大映像音響環境のど真ん中に身をおいた。サーカスである、シルクドソレイユを空中ブランコに乗って舞台の真ん中で観る感じ。主演は当初アンジェリーナ・ジョリー、マリオン・コティアール、スカーレット・ヨハンソン、ナタリー・ポートマン、などを経由してサンドラ・ブロックにたどり着いたようだ。この映画の出来をみれば、みなサンドラに嫉妬しているだろう。個人的には『ブラックスワン』のニューロティックな演技が印象に残ったナタリー・ポートマンでも観てみたかったが。
凍星やミルク垂らしたままの皿 高崎義邦
映画の余韻を引きずったままの粗雑な頭で読めば、この句など美しくも重力と宇宙創成のアレゴリーと読める。ミルクと皿とくれば「覆水盆に返らず」も想起されるが、むしろ皿のミルクにモノを落下させてできるミルククラウンが美しい。この皿は地球であり、世界であり、ミルクは地上600kmから眺めた恵みの海であってもよいし、地球に注ぐ銀河(ミルキーウェイ)であってもよい。
もちろん真っ白な磁器の皿を飽かず眺める小椋 桂のような静謐さもありではあるが、もうそこには私、戻りにくい。いずれにしても凍星とミルクの相性抜群。他に「着ぶくれてデモ隊一層非力なる」が妙な実感。
ゴミ箱を空にして天の川かな 五島高資
映画の余韻がまだつづく。映画では宇宙のゴミ(ロシアの衛星の破片)がサンドラを襲うのである。宇宙の塵あくたがものすごい勢いで遠隔力(重力)に引っぱられ全の空虚が現れる。はてしない暗黒の・・・(このへん文系ですのでいいかげん)「天の川ここには何もなかりけり」富田拓也も思い出す。
シリウスや人を吸い込む東口 五島高資
なにかを湧出させるというより、虚無化する、吸い込む、といわれれば納得する冬の夜空。星の目、神の目で見れば次々と東口に吸い込まれる人達はちっぽけで、愛しい。光年単位の星の消長と人の営みの対比は誰しも小学生ぐらいに胸をつかまれた覚えがあるだろう。映画ではサンドラがジョージが虚空に吸い込まれるように……。
落椿夜は首を持ちあげて 柿本多映
たしかに夜は何かが起る。我々は重力の奴隷にすぎないが、この庭の椿は渾身の力で諍う。赤い椿に違いない、それも深い赤。どこかに火が見える。それにしても椿とはつくづく夜のものであるとの思いを深くした。サンドラも諍い立ち上がる。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
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第346号 2013年12月8日
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第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
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【週俳12月の俳句を読む】冬の夜には夏の印象を 小池正博
【週俳12月の俳句を読む】
冬の夜には夏の印象を
小池正博
昨年、句集『仮生』を出した柿本多映の新作10句。
口語作品と文語作品が混じっているが、私は川柳人なので、口語作品の方に反応してしまう。
豚に背広斜塔には枯向日葵 柿本多映
「豚に真珠」という表現がまずあって、ここでは「豚に背広」なのだという。
「枯~」は冬の季語として使われて、「枯蓮」「枯薄」「枯芝」「枯菊」「枯草」など、いくらでも思い浮かぶが、「枯向日葵」というのはあまり聞かない。向日葵は夏のものだが、冬になるまでには切り倒されてしまうのだろう。「豚に背広」「斜塔には枯向日葵」という2セットの取り合わせから、イメージの意図的な落差やずらしが感じられる。
落椿夜は首を持ちあげて 柿本多映
椿は花びらが一枚ずつ落ちるのではなく、花全体が落ちる。切られた首が落ちるのと似ている。ここまでは誰でも思うことである。けれども、この句は更にその先を考えてみせる。落ちた椿は深夜に首を持ち上げているというのだ。「落椿」の後に切れがあるのかも知れないが、首を持ちあげているのは落椿だと受け取れる。
目に見えることがすべてではなく、見えていることの前や後のことを考える。そこに時間が存在する。古川柳に「祐経は椿の花のさかりなり」という句がある。工藤祐経はいま椿の花ざかりだが、次の瞬間には曾我兄弟によって首を落とされてしまうのである。
現代川柳では「キリンでいるキリン閉園時間まで」(久保田紺)という句がある。ふだん見ているキリンは閉園後どんな姿をしているか、私たちは実際に見たことがない。
蛇の目に鏡は眩し過ぎないか 柿本多映
「鏡」の句はいろいろ詠まれていて、鏡に映るものも様々である。
鏡には蛇が映っているのだろうか。それとも、別のものが映っているのだろうか。この句ではそのどちらでもなく、眩し過ぎて何も見えないのであるが、本当は何かが映っているはずなのだ。
怪盗王関の辺りで引き返す 柿本多映
怪盗王とは誰だろう。関とはどの関所だろう。また、なぜ引き返したのだろう。
白河の関などの古典的なイメージを思い浮かべることもできるし、西欧の怪盗を連想することもできて、読者は自由にイメージを代入することができる。それだけ、読みの楽しさがある句だと思う。
霜の夜はでんでん虫を考へる 柿本多映
でんでんむしは夏の季語。霜は冬の季語。
霜の夜に夏のでんでん虫はどうしているだろうと考える。ここでも眼前に見えないものが想像されている。
そういえば、ドストエフスキーに「冬に書いた夏の印象」という文章があった。
「豈」55号の「第二回攝津幸彦記念賞」で準賞を獲得した小津夜景。詞書と俳句のセットを連ねて、散文と俳句を融合する試みだった。
今回の「ほんのささやかな喪失を旅するディスクール」は俳句と詩の融合。融合詩といっても「豈」発表作と異なるのは、俳句→詩→俳句と三つのパートに截然と分かれていること。単独句として読んでもあまり意味はないかも知れないが、前半と後半からそれぞれ一句ずつ取り上げておく。
絵屏風の倒れこみたいほど正気 小津夜景
「正気」というのだから、当然ベースにあるのは「狂気」である。
絵屏風が倒れ込むのはどちらかと言えば狂気に属するだろうが、それを正気と言い張っているのである。
しろながすくじらのようにゆきずりぬ 小津夜景
シロナガスクジラが通り過ぎたら誰でも振り返るだろうな。それを敢えてゆきずりだと言っている。
残念に思ったのは、せっかくスケールの大きな試みなのに、最後の止めの句が「性懲りもなく愛という煮こごりを」という陳腐な表現になっていることである。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
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第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
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冬の夜には夏の印象を
小池正博
昨年、句集『仮生』を出した柿本多映の新作10句。
口語作品と文語作品が混じっているが、私は川柳人なので、口語作品の方に反応してしまう。
豚に背広斜塔には枯向日葵 柿本多映
「豚に真珠」という表現がまずあって、ここでは「豚に背広」なのだという。
「枯~」は冬の季語として使われて、「枯蓮」「枯薄」「枯芝」「枯菊」「枯草」など、いくらでも思い浮かぶが、「枯向日葵」というのはあまり聞かない。向日葵は夏のものだが、冬になるまでには切り倒されてしまうのだろう。「豚に背広」「斜塔には枯向日葵」という2セットの取り合わせから、イメージの意図的な落差やずらしが感じられる。
落椿夜は首を持ちあげて 柿本多映
椿は花びらが一枚ずつ落ちるのではなく、花全体が落ちる。切られた首が落ちるのと似ている。ここまでは誰でも思うことである。けれども、この句は更にその先を考えてみせる。落ちた椿は深夜に首を持ち上げているというのだ。「落椿」の後に切れがあるのかも知れないが、首を持ちあげているのは落椿だと受け取れる。
目に見えることがすべてではなく、見えていることの前や後のことを考える。そこに時間が存在する。古川柳に「祐経は椿の花のさかりなり」という句がある。工藤祐経はいま椿の花ざかりだが、次の瞬間には曾我兄弟によって首を落とされてしまうのである。
現代川柳では「キリンでいるキリン閉園時間まで」(久保田紺)という句がある。ふだん見ているキリンは閉園後どんな姿をしているか、私たちは実際に見たことがない。
蛇の目に鏡は眩し過ぎないか 柿本多映
「鏡」の句はいろいろ詠まれていて、鏡に映るものも様々である。
鏡には蛇が映っているのだろうか。それとも、別のものが映っているのだろうか。この句ではそのどちらでもなく、眩し過ぎて何も見えないのであるが、本当は何かが映っているはずなのだ。
怪盗王関の辺りで引き返す 柿本多映
怪盗王とは誰だろう。関とはどの関所だろう。また、なぜ引き返したのだろう。
白河の関などの古典的なイメージを思い浮かべることもできるし、西欧の怪盗を連想することもできて、読者は自由にイメージを代入することができる。それだけ、読みの楽しさがある句だと思う。
霜の夜はでんでん虫を考へる 柿本多映
でんでんむしは夏の季語。霜は冬の季語。
霜の夜に夏のでんでん虫はどうしているだろうと考える。ここでも眼前に見えないものが想像されている。
そういえば、ドストエフスキーに「冬に書いた夏の印象」という文章があった。
「豈」55号の「第二回攝津幸彦記念賞」で準賞を獲得した小津夜景。詞書と俳句のセットを連ねて、散文と俳句を融合する試みだった。
今回の「ほんのささやかな喪失を旅するディスクール」は俳句と詩の融合。融合詩といっても「豈」発表作と異なるのは、俳句→詩→俳句と三つのパートに截然と分かれていること。単独句として読んでもあまり意味はないかも知れないが、前半と後半からそれぞれ一句ずつ取り上げておく。
絵屏風の倒れこみたいほど正気 小津夜景
「正気」というのだから、当然ベースにあるのは「狂気」である。
絵屏風が倒れ込むのはどちらかと言えば狂気に属するだろうが、それを正気と言い張っているのである。
しろながすくじらのようにゆきずりぬ 小津夜景
シロナガスクジラが通り過ぎたら誰でも振り返るだろうな。それを敢えてゆきずりだと言っている。
残念に思ったのは、せっかくスケールの大きな試みなのに、最後の止めの句が「性懲りもなく愛という煮こごりを」という陳腐な表現になっていることである。
第345号 2013年12月1日
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第346号 2013年12月8日
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第347号 2013年12月15日
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第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
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【週俳12月の俳句を読む】サイコロの目 月野ぽぽな
【週俳12月の俳句を読む】
サイコロの目
月野ぽぽな
●アンパンマン家族 石 寒太
初木枯表札に父生きてをり
父の死、と言わずにそれを読み手に伝える「表札に父生きてをり」の措辞が秀逸。「木枯」ではなくその季節の初めての木枯である「初木枯」が透明で丁寧なニュアンスを一句に加えている。ところで世帯主が他界した後もその名の表札を残しておくことは実際によくあるようだ。筆者の実家は信州伊那谷にあり表札に父は生きている。
●冬 高崎義邦
あの家は今生きてます干布団
家に布団が干してある。これは、あの家には人が暮らしている、つまり人が生きているという証。それを換喩の効いた口語調で「あの家は今生きてます」といったことがドライな読後感を生み、古い昔からある「干布団」の世界観から、現代風な軽みの面白さを引き出している。
●シリウス 五島高資
ゴミ箱を空にして天の川かな
一日の終わりに、溜まったゴミを捨てた後ふと天の川を見上げたのだろうか。日常のささやかな開放感が気持ちよい。だが、待てよ。もしも「ゴミ箱を空にして見る天の川」だったとしたらそれだけかもしれないが、掲出句には、実景とともに香る普遍性への翼がほの見える。たとえば、雑念が消えて内なる声が聞こえる瞬間。
●尿せむ 柿本多映
サイコロの目の出る方に雪ばんば
サイコロは、目の出方が人の意に沿わないため昔は神の意思と捉えて宗教的儀式に用いられたという。一方、雪ばんばは綿虫の別名で、雪の頃に現れることや蝋物質を身にまとって飛ぶ姿が雪を思わせるのでこう呼ばれる。その現れる瞬間そして飛ぶ姿はそれはそれは幻想的だと聞く。この二つの出会いが、運命的で神秘的な空間を一句に生み出している。しばらくこの感覚を味わっていたい。雪ばんばと出会うその日を楽しみにしつつ。
●ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 小津夜景
もがりぶえ殯の恋をまさぐりに
意味の類似性による連想が人の日常の表層意識に起こりやすいのに対し、音の類似性によるイメージ喚起は意識の深層に生じるという。 <もがりぶえ><もがり><まさぐり>。言葉という生命体の生々しくて瑞々しい深層心理の領域特有の風合いが漂う。殯(もがり)とは日本古代の葬制で人の死後,本格的に埋葬するまでの間,遺体をひつぎに納めて喪屋内に安置したり仮埋葬して,近親の者が幽魂を慰める習俗。ここに見えるのは、たとえば心中の遺体二つを風が激しく音をたてて吹き巡る風景。一句が情愛を巡る世界の一となった。
●海原 奥坂まや
山の池鬼が見詰めてゐて冰る
鬼は想像上の怪物。「節分の鬼」や「鬼ごっこの鬼」に始まって、「仕事の鬼」などのように人を形容する言葉にもなる。目に見えない超自然の存在も担う鬼。その中には池を凍らせるものも確かにいそうだ。豊かな想像力から生み出された掲出句の鬼には実感があり、なんだかその続きを想像したくなるーーー冬が深まるとこの辺りでは大人が子供に言うそうだ。「だからあの池にいっちゃいけないよ。邪魔すると食べられちゃう。」
第345号 2013年12月1日
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第346号 2013年12月8日
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第347号 2013年12月15日
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第348号 2013年12月22日
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サイコロの目
月野ぽぽな
●アンパンマン家族 石 寒太
初木枯表札に父生きてをり
父の死、と言わずにそれを読み手に伝える「表札に父生きてをり」の措辞が秀逸。「木枯」ではなくその季節の初めての木枯である「初木枯」が透明で丁寧なニュアンスを一句に加えている。ところで世帯主が他界した後もその名の表札を残しておくことは実際によくあるようだ。筆者の実家は信州伊那谷にあり表札に父は生きている。
●冬 高崎義邦
あの家は今生きてます干布団
家に布団が干してある。これは、あの家には人が暮らしている、つまり人が生きているという証。それを換喩の効いた口語調で「あの家は今生きてます」といったことがドライな読後感を生み、古い昔からある「干布団」の世界観から、現代風な軽みの面白さを引き出している。
●シリウス 五島高資
ゴミ箱を空にして天の川かな
一日の終わりに、溜まったゴミを捨てた後ふと天の川を見上げたのだろうか。日常のささやかな開放感が気持ちよい。だが、待てよ。もしも「ゴミ箱を空にして見る天の川」だったとしたらそれだけかもしれないが、掲出句には、実景とともに香る普遍性への翼がほの見える。たとえば、雑念が消えて内なる声が聞こえる瞬間。
●尿せむ 柿本多映
サイコロの目の出る方に雪ばんば
サイコロは、目の出方が人の意に沿わないため昔は神の意思と捉えて宗教的儀式に用いられたという。一方、雪ばんばは綿虫の別名で、雪の頃に現れることや蝋物質を身にまとって飛ぶ姿が雪を思わせるのでこう呼ばれる。その現れる瞬間そして飛ぶ姿はそれはそれは幻想的だと聞く。この二つの出会いが、運命的で神秘的な空間を一句に生み出している。しばらくこの感覚を味わっていたい。雪ばんばと出会うその日を楽しみにしつつ。
●ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 小津夜景
もがりぶえ殯の恋をまさぐりに
意味の類似性による連想が人の日常の表層意識に起こりやすいのに対し、音の類似性によるイメージ喚起は意識の深層に生じるという。 <もがりぶえ><もがり><まさぐり>。言葉という生命体の生々しくて瑞々しい深層心理の領域特有の風合いが漂う。殯(もがり)とは日本古代の葬制で人の死後,本格的に埋葬するまでの間,遺体をひつぎに納めて喪屋内に安置したり仮埋葬して,近親の者が幽魂を慰める習俗。ここに見えるのは、たとえば心中の遺体二つを風が激しく音をたてて吹き巡る風景。一句が情愛を巡る世界の一となった。
●海原 奥坂まや
山の池鬼が見詰めてゐて冰る
鬼は想像上の怪物。「節分の鬼」や「鬼ごっこの鬼」に始まって、「仕事の鬼」などのように人を形容する言葉にもなる。目に見えない超自然の存在も担う鬼。その中には池を凍らせるものも確かにいそうだ。豊かな想像力から生み出された掲出句の鬼には実感があり、なんだかその続きを想像したくなるーーー冬が深まるとこの辺りでは大人が子供に言うそうだ。「だからあの池にいっちゃいけないよ。邪魔すると食べられちゃう。」
第345号 2013年12月1日
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第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
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【週俳12月の俳句を読む】無表情 生駒大祐
【週俳12月の俳句を読む】
無表情
生駒大祐
怖い話が好きだという人がいる。僕だ。まあ、怖い話をすることが一つの商売になるくらいなのだから、世の中には怖い話が好きな人はおそらく多いのだろう。
しかし不思議なのは、怖い話を話す人というのが、ふつう”怖がりながら話していない”ということだ。例えば眩しそうな映像や写真を見ると眩しいと感じたり、悲しそうな人を見ると悲しくなったりするのは、その場面が頭に浮かんだり、共感するといった作用によって起こるのだろうが、怖い話が本当に怖いのは淡々と話されているときで、それは怖い話をしている人に共感しているわけではたぶん、ない。それが論理的に考えた末に怖いというのならわかるのだが、怖い話が怖いという感情はかなり感覚的なものである。同じ話で、”面白い話”は話者が笑いながら話すと面白くないということも経験的にある。人間の感覚が他者によって揺り動かされるのはどうやら共感によってだけではなく、むしろその逆のことも多いらしい。
怖い話または面白い話の巧みな話者に共通しているのは、話の肝を語るときには無表情に近くなる、という点だ。そして、怖い話をしている話者と面白い話をしている話者の無表情は実はよく似ている、ということにあるとき気づいた。言うなれば”がらせ”顔というのものがおそらくあって、怖がらせること、面白がらせることを極めると、その顔に行き着くのだろうと思う。
俳句においても、読んでいるとさまざまな感情が内部に流れ込んでくるのを感じる。
水は音楽たとへば油零しけり 柿本多映
梟のこゑ土踏まずより入り来 奥坂まや
その感情というものは多分に肉体的なもので、たとえば油が垂れてゆっくり水に広がっていくところの官能性であるとか、板間に立って外を眺め、梟の声を聴いているところの懐かしさやほんの少しの恐ろしさであったりする。それが可能なのは文字情報というものが本来的に感情的なものであるはずの言葉を無理やり無表情の型に押し込めて作られているからであって、もっと言うならば言葉は文字になった瞬間に死ぬ。そういう意味では俳句に限らず文芸は無表情を装う芸であるということになる(あ、このあたり岸本尚毅さんが似た表現を使っていましたね)。無表情というのは情報が少ないということなので、情報が流れ込むという現象とは一見矛盾しているのだけれど、俳句における無表情というのは作者の足跡を句に残さない、または残したとしても跡自体が美的でなければならないということに繋がっている。文芸においては作者の余白に読者がどれだけ意味を感じ取れるかが重要なので、作者自身が無表情でなくてはならないのは必然のことだ。
能では面の傾きで感情を伝えるというのは、ストイックなのではなく実は貪欲な表現姿勢なのではないか。そういうことを思った。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
■高崎義邦 冬 10句 ≫読む
第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
無表情
生駒大祐
怖い話が好きだという人がいる。僕だ。まあ、怖い話をすることが一つの商売になるくらいなのだから、世の中には怖い話が好きな人はおそらく多いのだろう。
しかし不思議なのは、怖い話を話す人というのが、ふつう”怖がりながら話していない”ということだ。例えば眩しそうな映像や写真を見ると眩しいと感じたり、悲しそうな人を見ると悲しくなったりするのは、その場面が頭に浮かんだり、共感するといった作用によって起こるのだろうが、怖い話が本当に怖いのは淡々と話されているときで、それは怖い話をしている人に共感しているわけではたぶん、ない。それが論理的に考えた末に怖いというのならわかるのだが、怖い話が怖いという感情はかなり感覚的なものである。同じ話で、”面白い話”は話者が笑いながら話すと面白くないということも経験的にある。人間の感覚が他者によって揺り動かされるのはどうやら共感によってだけではなく、むしろその逆のことも多いらしい。
怖い話または面白い話の巧みな話者に共通しているのは、話の肝を語るときには無表情に近くなる、という点だ。そして、怖い話をしている話者と面白い話をしている話者の無表情は実はよく似ている、ということにあるとき気づいた。言うなれば”がらせ”顔というのものがおそらくあって、怖がらせること、面白がらせることを極めると、その顔に行き着くのだろうと思う。
俳句においても、読んでいるとさまざまな感情が内部に流れ込んでくるのを感じる。
水は音楽たとへば油零しけり 柿本多映
梟のこゑ土踏まずより入り来 奥坂まや
その感情というものは多分に肉体的なもので、たとえば油が垂れてゆっくり水に広がっていくところの官能性であるとか、板間に立って外を眺め、梟の声を聴いているところの懐かしさやほんの少しの恐ろしさであったりする。それが可能なのは文字情報というものが本来的に感情的なものであるはずの言葉を無理やり無表情の型に押し込めて作られているからであって、もっと言うならば言葉は文字になった瞬間に死ぬ。そういう意味では俳句に限らず文芸は無表情を装う芸であるということになる(あ、このあたり岸本尚毅さんが似た表現を使っていましたね)。無表情というのは情報が少ないということなので、情報が流れ込むという現象とは一見矛盾しているのだけれど、俳句における無表情というのは作者の足跡を句に残さない、または残したとしても跡自体が美的でなければならないということに繋がっている。文芸においては作者の余白に読者がどれだけ意味を感じ取れるかが重要なので、作者自身が無表情でなくてはならないのは必然のことだ。
能では面の傾きで感情を伝えるというのは、ストイックなのではなく実は貪欲な表現姿勢なのではないか。そういうことを思った。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
■高崎義邦 冬 10句 ≫読む
第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
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【週俳12月の俳句を読む】水は音楽、詩はリズム 栗山麻衣
【週俳12月の俳句を読む】
水は音楽、詩はリズム
栗山麻衣
いやあどうもどうも初めまして。銀化で勉強しております栗山麻衣と申します。このたびは貴重な機会、あざーっすあざーっすあざーっす。なにかと不勉強な身ゆえ、至らぬ鑑賞になるかと思いますが、何卒ひとつよろしくお願いいたします。
双六のはじめアンパンマン家族 石寒太
いやーん。編集長ではありませんの! 俳句アルファ愛読してマス。字も大きいしね!
さて掲句。どこで切れるのかよく分からないのですが、タイトルが「アンパンマン家族」なことから「双六のはじめ」「アンパンマン家族」と分けて読みました。アンパンマン家族とは、もろもろアンパンマンファミリーのこと。新たな年を迎えた作者が子供たちと楽しむ双六は、この人気者たちが描かれたものだというわけです。
某国営放送の受け売りですが、彼らの生みの親で昨年亡くなられたやなせたかしさんは、若いころに理不尽な戦争で受けた心の傷と生涯闘い続けた方だったのですね。戦争反対、暴力反対。そうした願いが深く込められたキャラクターで遊ぶ子供たちには、日常的な平和への願いがごくさりげなく息づくことと思います。明るさと楽しさに加え、どこか厳粛さも感じさせる句なのではないでしょうか。
あの家は今生きてます干布団 高崎義邦
布団そうだよねー、生きてると干すよねー。かつて住んでいた家の近くには、洗濯ものがもうハンパ無いお家がありました。育ち盛りの姉弟&お父さんお母さんという、ごくごく平均的な家族構成ながら、朝からバンバンバンバンいろんなものが干されていく。そこにさらに布団も加わると、なんかもう「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」(ⓒ芥川竜之介)とか吹っ飛ばす勢いがある。
俳句ウェブマガジン・スピカによると、作者は1991年9月生まれの学生さんとのこと。ちなみに乙女座だそうで、布団が干されている景色を、家が生きていると表現した感性がまぶしいぜ。「生きてます」と言い切ったことで、冬だけど暖かな日射しも感じられる。「今」という言葉をあえて入れたことで、幸せの刹那感も込められている気がします。
吸殻を拾えば闇の凍みにけり 五島高資
これはアレですね。シケモク拾いのことを言っているのですよね? ワタクシ、ギャグ漫画家吾妻ひでおの壮絶エッセー漫画「アル中病棟」のワンシーンを思い出しました。人間のおかしみ、哀しみ、切なさもろもろが描かれた名著で、なんとも言えぬ闇を抱えた人物たちが登場するのです。
この句で描かれる闇とは、物理的な暗さを指すと同時に、心に影をもたらしそうなものの恐ろしさも含んでいる。寂しさやみじめさ、それでもどこかにある毅然とした気持ち…。そうした曰く言い難い感覚を「凍みる」という季語に託しています。こう表現されてみれば、シケモク拾いも詩情あふれる行為なんだなあ。
水は音楽たとへば油零しけり 柿本多映
何これ! 水は音楽ってなんとなく魅力的なフレーズですが、そう言われてもピンと来ない。なのに中七下五まで読むと情景が浮かぶではありませんか。水に油を一滴でも零せば、そこから皮膜にマーブル模様ができていく。その広がる様子と、音が遠くへ伝わっていく時の視覚的なイメージがオーバーラップするってことですね。
作者の柿本さんについて、文芸ジャーナリスト・酒井佐忠さんは毎日俳壇のコラムで「虚と実の間に踏み込む鋭い実存意識に基づいた作品」を書いてらっしゃいます。作者の以前の作品「折れ蓮の折れたき方へ折れて冬」も大好きなのですが、しっかりモノを見つめる目とイメージを飛躍させる力に感服させられました。
三白眼のおとめごころや寒プリン 小津夜景
句群もさることながら、十句と十句の間に挟まれたロラン・バルトやアンリ・ミショーの出てくる詩とも言える中書き。これは分からん。お前の話は分からんっと、大滝秀治のキンチョーコマーシャルの調子で叫んでしまったワタクシ。ええ、ええ、そうですよ。どうせ教養ありませんよと諦めかけたのですが、何度か読み返すうちに、もしかしてこの作者の根底にあるのは言葉に対する愛と疑いではないかと思い至りました。
例えば「わたしは言葉で人を愛する」と書いたそばから、「実はほとんどジョークなんだけど」と切り返す。そう考えると、言葉遊びの裏に込められた真剣さのようなものがほの見えてくる部分がある。ような気もする。掲句の「おとめごころ」と「三白眼」、「寒」と「プリン」。甘いけど怖い。柔らかいけど寒い。ビミョーな不協和音から目が離せなくなってしまう。つうか、それが作者の狙いだったのか!
梟のこゑ土踏まずより入り来 奥坂まや
ごく平均的なニッポンのサラリーマン家庭で育ったワタクシ。自然界のフクロウの声を聞いたことはございませんが、言われてみればそんな感じがするじゃありませんの。確かに、あの独特の低音。土踏まずにあるアンテナがキャッチして、体中に響いてくるような気がしてきます。さすが。今更ながら、地下街の列柱に感じた初夏を描き、俳壇に新しい風を吹かせた方ならではの新鮮な感覚に脱帽デス。
作者について、ワタクシの持っている入門書では「鮮烈な美が瞬発力をもって構成され、季語を肌で捉えた、独自の心象的宇宙を描写する」と解説されています。ふむふむ。なるほどなるほどなのでありました。
つうことで、あきないは、短く持ってコツコツあてる(ⓒ西原理恵子)。このたびは四苦八苦しながら書かせていただいたことで、ワタクシ大変勉強になりました。サンキューで~す!(ⓒ陽岱鋼)。ではでは。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
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第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
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第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
水は音楽、詩はリズム
栗山麻衣
いやあどうもどうも初めまして。銀化で勉強しております栗山麻衣と申します。このたびは貴重な機会、あざーっすあざーっすあざーっす。なにかと不勉強な身ゆえ、至らぬ鑑賞になるかと思いますが、何卒ひとつよろしくお願いいたします。
双六のはじめアンパンマン家族 石寒太
いやーん。編集長ではありませんの! 俳句アルファ愛読してマス。字も大きいしね!
さて掲句。どこで切れるのかよく分からないのですが、タイトルが「アンパンマン家族」なことから「双六のはじめ」「アンパンマン家族」と分けて読みました。アンパンマン家族とは、もろもろアンパンマンファミリーのこと。新たな年を迎えた作者が子供たちと楽しむ双六は、この人気者たちが描かれたものだというわけです。
某国営放送の受け売りですが、彼らの生みの親で昨年亡くなられたやなせたかしさんは、若いころに理不尽な戦争で受けた心の傷と生涯闘い続けた方だったのですね。戦争反対、暴力反対。そうした願いが深く込められたキャラクターで遊ぶ子供たちには、日常的な平和への願いがごくさりげなく息づくことと思います。明るさと楽しさに加え、どこか厳粛さも感じさせる句なのではないでしょうか。
あの家は今生きてます干布団 高崎義邦
布団そうだよねー、生きてると干すよねー。かつて住んでいた家の近くには、洗濯ものがもうハンパ無いお家がありました。育ち盛りの姉弟&お父さんお母さんという、ごくごく平均的な家族構成ながら、朝からバンバンバンバンいろんなものが干されていく。そこにさらに布団も加わると、なんかもう「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」(ⓒ芥川竜之介)とか吹っ飛ばす勢いがある。
俳句ウェブマガジン・スピカによると、作者は1991年9月生まれの学生さんとのこと。ちなみに乙女座だそうで、布団が干されている景色を、家が生きていると表現した感性がまぶしいぜ。「生きてます」と言い切ったことで、冬だけど暖かな日射しも感じられる。「今」という言葉をあえて入れたことで、幸せの刹那感も込められている気がします。
吸殻を拾えば闇の凍みにけり 五島高資
これはアレですね。シケモク拾いのことを言っているのですよね? ワタクシ、ギャグ漫画家吾妻ひでおの壮絶エッセー漫画「アル中病棟」のワンシーンを思い出しました。人間のおかしみ、哀しみ、切なさもろもろが描かれた名著で、なんとも言えぬ闇を抱えた人物たちが登場するのです。
この句で描かれる闇とは、物理的な暗さを指すと同時に、心に影をもたらしそうなものの恐ろしさも含んでいる。寂しさやみじめさ、それでもどこかにある毅然とした気持ち…。そうした曰く言い難い感覚を「凍みる」という季語に託しています。こう表現されてみれば、シケモク拾いも詩情あふれる行為なんだなあ。
水は音楽たとへば油零しけり 柿本多映
何これ! 水は音楽ってなんとなく魅力的なフレーズですが、そう言われてもピンと来ない。なのに中七下五まで読むと情景が浮かぶではありませんか。水に油を一滴でも零せば、そこから皮膜にマーブル模様ができていく。その広がる様子と、音が遠くへ伝わっていく時の視覚的なイメージがオーバーラップするってことですね。
作者の柿本さんについて、文芸ジャーナリスト・酒井佐忠さんは毎日俳壇のコラムで「虚と実の間に踏み込む鋭い実存意識に基づいた作品」を書いてらっしゃいます。作者の以前の作品「折れ蓮の折れたき方へ折れて冬」も大好きなのですが、しっかりモノを見つめる目とイメージを飛躍させる力に感服させられました。
三白眼のおとめごころや寒プリン 小津夜景
句群もさることながら、十句と十句の間に挟まれたロラン・バルトやアンリ・ミショーの出てくる詩とも言える中書き。これは分からん。お前の話は分からんっと、大滝秀治のキンチョーコマーシャルの調子で叫んでしまったワタクシ。ええ、ええ、そうですよ。どうせ教養ありませんよと諦めかけたのですが、何度か読み返すうちに、もしかしてこの作者の根底にあるのは言葉に対する愛と疑いではないかと思い至りました。
例えば「わたしは言葉で人を愛する」と書いたそばから、「実はほとんどジョークなんだけど」と切り返す。そう考えると、言葉遊びの裏に込められた真剣さのようなものがほの見えてくる部分がある。ような気もする。掲句の「おとめごころ」と「三白眼」、「寒」と「プリン」。甘いけど怖い。柔らかいけど寒い。ビミョーな不協和音から目が離せなくなってしまう。つうか、それが作者の狙いだったのか!
梟のこゑ土踏まずより入り来 奥坂まや
ごく平均的なニッポンのサラリーマン家庭で育ったワタクシ。自然界のフクロウの声を聞いたことはございませんが、言われてみればそんな感じがするじゃありませんの。確かに、あの独特の低音。土踏まずにあるアンテナがキャッチして、体中に響いてくるような気がしてきます。さすが。今更ながら、地下街の列柱に感じた初夏を描き、俳壇に新しい風を吹かせた方ならではの新鮮な感覚に脱帽デス。
作者について、ワタクシの持っている入門書では「鮮烈な美が瞬発力をもって構成され、季語を肌で捉えた、独自の心象的宇宙を描写する」と解説されています。ふむふむ。なるほどなるほどなのでありました。
つうことで、あきないは、短く持ってコツコツあてる(ⓒ西原理恵子)。このたびは四苦八苦しながら書かせていただいたことで、ワタクシ大変勉強になりました。サンキューで~す!(ⓒ陽岱鋼)。ではでは。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
■高崎義邦 冬 10句 ≫読む
第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
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空蝉の部屋 飯島晴子を読む〔 13 〕小林苑を
空蝉の部屋 飯島晴子を読む
〔 13 〕
〔 13 〕
小林苑を
『里』2012年5月号より転載(加筆)
ほんだはら潰し尽してからなら退く 『平日』
立秋はとうに過ぎたのに、長い夏がまだ終わらない。
気が付くと、ぼんやり,というかぼーっとしている。< 白き蛾のゐる一隅へときどきゆく 『蕨手』> そうこんな感じ。部屋の隅にじっとしている白い蛾。気だるく、どこか不快な夏。
この句、ネット上の週刊誌『詩客』に取り上げられたもの〔※1〕。筆者の柴田千晶によれば、この蛾は、そんなぼーっとしたものではなくて、人の心に棲むもののけ(「異形のものたち」)だという。「白い蛾の居る一隅はだれの中にもある。その一隅を見ないまま過ごせてしまう人間と、見ずにはすませられない人間がいる。晴子はもちろん後者だ」。筆者自身が「独断と偏見にもほどがあるだろう、というものを書いてゆきたい」と書く連載であり、謂わば、思い切り深読みしようというのである(とても面白いので、ぜひ読んでください)。深読みとは、作品を読み手の物語へと変換する方法であろう。
俳句は深読みしてはいけない、といわれたことがある。書かれたままに、人生とか人間の在りようなんていう恥ずかしいものを重ねたりせずに、書かれているままを読めということだ。この句をそのまま読めば、どこかの隅、日の当たらない薄暗い場所に、だからこそ浮かび上がる白い蛾が見え、そこへゆく <私> がいる。それだけである。それだけで、確かに <私>もゆくなと思えたとき、この句が腑に落ちる。
たぶん、それが俳句だ。
その上で、どんな深読みもできるから、俳句なのだ。深読みは、腑に落ちたところから始まる。よくわからないからと深読みして辻褄を合わせてみても、その句が面白くなるわけではない。句を評するのに説明的だから駄目だなどと言われるが、それは端から辻褄が合っているからで、深読みするなと言いながら、深読みを誘う装置がほどこされていることが句に奥行きを与えるようなのだ。ただそれだけのことを詠んでいるのに心魅かれる句は、只事であること自体が装置として働いている句だ。たとえば虚子。< 流れ行く大根の葉の早さかな > には深読みすべきなにごともないのに、この句が腑に落ちたとき、大根の葉を見ている<私>の気分の前後にある時間が流れ始め、そこから人の無聊などに心を泳がせていくことができる。否、泳がせずとも、勝手に泳いで行ってしまうのだ。
晴子の句は次第に平明になり、最後の句集『平日』は読んで躓くことがない。すとんと落ちる。どの句もどの風景も、そのようであるしかないのだと感じるのは、私が歳をとったからかもしれない。その中で、掲句に立ち止まる。なんだか少し笑いたくなる。どこか意地を張っているような、駄々っ子めいたものを感じる。
ほんだわらは海草で、ヒジキの仲間らしい。長さは十数メートルにもなるのもあるということで、春の若布は食用になる。ぷちぷちしたものがついていて、よく育ち黒褐色になって流れる夏が季語である。
晴子は、「私の一句」〔※2〕というエッセイで、この句ができた句材捜しの志摩半島への旅のことを書いている。「フェリーの発着所には、ほんだわらが山と引き上げられていた。子供の頃海水浴で、ほんだわらの玉をつぶして遊んだことを思い出した」というから、晴子には懐かしいものだったようだ。「船を待つ間、私はしゃがんでほんだわらをつぶしていた」という。ぷちぷちしたものは潰したくなる。潰し始めると止まらなくなる。
ほんだわらのことはそのくらいで、話のほとんどは出会った海女のことだ。海女小屋に入れて貰って隅の方に小さくなっていると、入ってきた一人の海女に「営業の)邪魔になるから出て行って」と言われたという。それも、サァ出ていけと言わんばかりに扉を開けて。退散した晴子はだんだん腹が立って来る。こんな扱いは受けたことがない、私の取材も営業なのだ、と苛々と考えを廻らせる。そして、「私が彼女に報復するには、お金を払って貰えるに足る俳句をつくることであると思うと、私の気も晴れた。…(略)… 帰宅してからの作句には身が入った。今はあの長身の海女も懐かしく思い出されるのである」と結ぶ。
最近読んだ岡井隆の『ぼくの交友録』〔※3〕には、この句のことが書いてあり、「さきに引用の句の『退く』という強い口調には、…(略)…(この)いきさつがかかっていた」というわけなのだ。
白い蛾のいる一隅にゆくことも、ほんだわらを潰し尽すことも、いかにも晴子だ。どちらにも女の凄みがある。晴子の句には、柴田が書く「人間の持つ業」というより、ぷるると寒気がするような「女の業」のようなものが立ち現れる。、どうも、それが晴子句の魅力で、これは句柄の変化とは関わりなく、最期まで晴子は晴子であった。
〔※1〕柴田千晶「黒い十人の女(一)」(『詩客』)
http://shiika.sakura.ne.jp/daily_poem/2012-07-25-9795.html
〔※2〕『飯島晴子読本』収録 『藍生』一九九九年三月
〔※3〕『ぼくの交友録』ながらみ書房 二〇〇五年八月
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SUGAR&SALT 08 もむ紫蘇の色香に揉まれ男われ 三橋敏雄 佐藤文香
SUGAR&SALT 08
もむ紫蘇の色香に揉まれ男われ 三橋敏雄
佐藤文香
句集『巡禮』は、全集で読むとわずか7ページ、作品数は50句である。
高橋龍氏の「句集解題」によれば「自ら間奏句集と名付ける小句集」。1ページ1句組、限定250部の私家版。永田耕衣『肉体』・加藤郁乎『秋の暮』と同じA6版の句集らしい。
今もし古本屋にあったらいくらくらいするだろうか、などと考えてしまった。よく古本屋に行く人に「敏雄句集あったら少々高くても買っといて」と言ってあるが、まだ見ないという。句集を謹呈された人や購入した人が、大事にしていてくれるのだろうと思うと嬉しい。
さて、50句しかないにも関わらず、この句集、触覚を刺激する句が多い。高橋龍氏は「この句集でいよいよ顕著にされるのは、エロチシズムという名の時間の消去法ではあるまいか」と述べており(「時間の消去法」あたりがいまいちつかめないが)、エロチシズムは納得。
言葉の表面ではなく、リアルを思い描いて“感じる”類のエロだ。しかも、作家が三橋敏雄だとわかって読むからなおエロい(「エロい」は褒め言葉です)。
皺伸ばすV字の指の合間かな 三橋敏雄
私もピースをしてみると「V字の指の合間」が生まれた、この指と指の間、河童なら水かきのある部分の皺が伸びるかと凝視してみる、手の甲側の指の皮膚に比べて色白なこの部分は伸ばせば少し赤らみ触れば感じる。
敏雄が「やってごらん」と女の子にやらせて、ほら皺が伸びるだろ、と触ったりするのまで妄想してしまった。
純粋にロマンチックな〈一日の日負けのひふを抱きあふ〉〈秋いかに砂の渚を踏みのぼる〉などもある中で、「皺伸ばす」の句に断然“感じた”。
そら豆の尻かあたまか口あそび 三橋敏雄
そら豆のつるっとした形状に、中七下五のリズムは阿波踊りのようで愉快、豆・尻・口という簡単な漢字しか使われていないのも明るくてよい。
そしてこの句に描かれている唇や口内の舌の動きを思い浮かべてやってみるか、やっている人(たとえば敏雄さん)を想像してほしい。そら豆の曲線が、それを弄ぶ口が、面白くてエロくてよい(ちなみに同じ平仮名で「あたま」を書いた句に〈晩涼のあたまの微光わが発す〉がある)。
ただ、エロティックだったり肉体的であったりすることは、敏雄の一部でこそあれ、本質とは言えないだろう。この50句、“感じて”という敏雄からのファンサービスの限定版ではなかろうか。
「俳句」(角川書店)昭和53年9月号所収の50句のうち1句を差し替えただけという、雑誌初出の連作のクオリティの高さにも脱帽である。
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もむ紫蘇の色香に揉まれ男われ 三橋敏雄
佐藤文香
「里」2010年11月号より転載
句集『巡禮』は、全集で読むとわずか7ページ、作品数は50句である。
高橋龍氏の「句集解題」によれば「自ら間奏句集と名付ける小句集」。1ページ1句組、限定250部の私家版。永田耕衣『肉体』・加藤郁乎『秋の暮』と同じA6版の句集らしい。
今もし古本屋にあったらいくらくらいするだろうか、などと考えてしまった。よく古本屋に行く人に「敏雄句集あったら少々高くても買っといて」と言ってあるが、まだ見ないという。句集を謹呈された人や購入した人が、大事にしていてくれるのだろうと思うと嬉しい。
さて、50句しかないにも関わらず、この句集、触覚を刺激する句が多い。高橋龍氏は「この句集でいよいよ顕著にされるのは、エロチシズムという名の時間の消去法ではあるまいか」と述べており(「時間の消去法」あたりがいまいちつかめないが)、エロチシズムは納得。
言葉の表面ではなく、リアルを思い描いて“感じる”類のエロだ。しかも、作家が三橋敏雄だとわかって読むからなおエロい(「エロい」は褒め言葉です)。
皺伸ばすV字の指の合間かな 三橋敏雄
私もピースをしてみると「V字の指の合間」が生まれた、この指と指の間、河童なら水かきのある部分の皺が伸びるかと凝視してみる、手の甲側の指の皮膚に比べて色白なこの部分は伸ばせば少し赤らみ触れば感じる。
敏雄が「やってごらん」と女の子にやらせて、ほら皺が伸びるだろ、と触ったりするのまで妄想してしまった。
純粋にロマンチックな〈一日の日負けのひふを抱きあふ〉〈秋いかに砂の渚を踏みのぼる〉などもある中で、「皺伸ばす」の句に断然“感じた”。
そら豆の尻かあたまか口あそび 三橋敏雄
そら豆のつるっとした形状に、中七下五のリズムは阿波踊りのようで愉快、豆・尻・口という簡単な漢字しか使われていないのも明るくてよい。
そしてこの句に描かれている唇や口内の舌の動きを思い浮かべてやってみるか、やっている人(たとえば敏雄さん)を想像してほしい。そら豆の曲線が、それを弄ぶ口が、面白くてエロくてよい(ちなみに同じ平仮名で「あたま」を書いた句に〈晩涼のあたまの微光わが発す〉がある)。
ただ、エロティックだったり肉体的であったりすることは、敏雄の一部でこそあれ、本質とは言えないだろう。この50句、“感じて”という敏雄からのファンサービスの限定版ではなかろうか。
「俳句」(角川書店)昭和53年9月号所収の50句のうち1句を差し替えただけという、雑誌初出の連作のクオリティの高さにも脱帽である。
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醍醐会レポート1 波多野爽波の現代性について 飯島雄太郎
醍醐会レポート1
波多野爽波の現代性について
飯島雄太郎
−第154回醍醐会『波多野爽波を読む~読者として/作者として』レポート−
9月29日、京都市国際交流会館にて第154回醍醐会が行われた。醍醐会は関西の俳人を中心に年に数回の頻度で(第五日曜日…醍醐会の名はここからきている)開かれている研究会である。
今回のテーマは、『波多野爽波を読む~読者として/作者として』。出席者はベテランから若手までおよそ三〇人ほどはいただろうか。基調報告は「杉」同人の岩井英雅氏と「いつき組」の黒岩徳将氏が行った。ベテランと若手という対照的な二人である。
黒岩氏は「ただごと俳句」をテーマに話した。「ただごと俳句」とは、俳句形式にその内容をおさめたことによって、ただごとに終わらない魅力を発揮すると述べ、「巻尺を伸ばしてゆけば源五郎」「蓑虫にうすうす目鼻ありにけり」の二句をただごとの名句として挙げた。
もっとも黒岩氏は爽波俳句にさほどの魅力を感じなかったようである。読み手にどういう感情をもってもらいたがっているかが分かりにくいとし、爽波俳句は言葉足らずであると指摘した。
「杉」同人の岩井英雅氏は「私の爽波体験」と題して、自らの来歴を絡めつつ報告された。氏は森澄雄門下として爽波の写生に関心を持ち、評論でも俳諧自由の俳人として爽波を取り上げたが、やがて生理的な嫌悪感を抱くようになった。氏が俳句に求めるのは心の安らぎであり、爽波にはそれがないのだと氏は語る。
氏が繰り返し強調するのは爽波的世界の無思想性の凄みである。それを秋桜子に始まる系譜と対比してみせる。森澄雄が秋桜子の師系に属することを思えば、そもそもこの離別は必然的な帰結であったとも言えるのだろうか。とするならば、氏は俳句史上の一つの裂け目を、身を以て生きたということになる。
「帚木」問題
岩井氏の爽波俳句への嫌悪を考察する上で、興味深い題材がある。それは『湯吞』に収拾されている二句、「帚木のつぶさに枝に岐れをり」と「帚木が帚木を押し傾けて」の優劣に関する問題だ。二句とも『湯吞』を代表する句として、度々引かれる句である。
前者からは対象に没入するような臨場感を、後者の句からは、帚木の生命力に対する驚きを看取することが出来る。この二句に関して、爽波は次のように語っている。
この句に読まれている帚木とは長身の爽波をしのぐような、巨大で猛々しい帚木だったのである。「つぶさに」の句もまた目の細かさを感じさせる写生句ではあるが、その場でなければ詠めないといった性質の句ではない。それに比して、「押し傾けて」の句には自然との一期一会の驚きがある。
次に引用するのは「写生と私 その態度と方法について」と題された対談における爽波のコメントである。
爽波は驚きという観点から、「押し傾けて」の方が優れているとしていた。しかし、誰もがこれに同意するわけではない。例えば同じ対談で山上樹実雄氏は次のように発言している。
自然への没入の度合いから、山上氏は「つぶさに」の句を評価している。写生が眼前の自然への集中を意味するものと解する限り、山上氏の見解は常識的なものであると思われる。
ここに現れている写生観の違いは自然を人間にとって親和的なものとして捉えるのか、それとも人間に驚きを与える異質なものとして捉えるのかという対立である。爽波は異質性を見出すための方法として写生を捉えている。それは作句によって自己を更新するための手段なのだ。
予期しないものを求める傾向はまた、爽波における新しさへの要請と結びついているだろう。爽波はしきりに態度としての写生ということを言うが、それは驚きを求める手法としての写生を自らの作家性にまで高めることに他ならない。爽波にとって写生とは、有季定型を更新するという作家的な意欲と根深く絡み合っていたのではないか。
ここには自然の中に入っていくことと、新しさを求めるということの二つの相反するかに思えるベクトルがある。後述するように、これが爽波という作家にねじれを内包させることとなる。
グロテスクなもの、卑俗なもの
爽波の驚きを求める傾向は、晩年になるにつれ、グロテスクであったり、卑俗であったりする要素を強めていくように思われる。岩井氏はとりわけ最後の句集『一筆』に嫌悪感を示しておられた。句集は手に入れることが出来なかったので、『再読 波多野爽波』(邑書林 平25)から引いてみよう。
籐椅子の一つ紛るる舟溜り
裂かれたる穴子のみんな目が澄んで
泰山木の花に怒りの相を見し
ゴミ捨て場と化した舟溜まりを描くことで、一句は使い捨てを旨とする社会のあり方をスナップショットよろしく切り取ってみせる。
目を輝かせたまま裂かれる穴子は、美食文化の背後にあるものを示すのみならず、無垢でありながら殺されていくものの象徴となっていよう。爽波は明らかに穴子に感情移入している。
泰山木の花の怒りが人間に対して向けられていないとしたら一体なんなのか。爽波俳句の抵抗精神は次のより卑俗さを強めた句においては、笑いという形をとって、より深く読者に纏わりつく。
だから褞袍は嫌よ家ぢゆうをぶらぶら
避寒して直ちに厠紙つかふ
卑俗な句は人を二度立ち止まらせる。一度目は笑いを齎し、二度目はぞっとするようなリアリティをもって読者を慄然とさせる。
褞袍を着て、もはや伊達男を決めることも、家族から相手してもらうことも出来ず、孤独に家を徘徊する老人の姿はどこか人間のわびしさの根本を捉えている。旅先で直ちに便所に駆け込んでしまう情けなさもまた多くの人にとって決して無縁なものではないだろう。
通俗的な句のうちに読者は自分たち自身の戯画をもまた見るのである。
爽波の肉体
岩井氏が嫌悪を示した爽波俳句の異質性に後半の議論は集中した。
口火を切ったのは中田剛氏である。氏は、爽波とは何よりも風景を構成するレトリシャンなのだと指摘する。氏は「山吹の黄を挟みゐる障子かな」は不自然であるし、「福笑鉄橋斜め前方に」は、福笑という季語によって鉄橋が自分の見たい位置にない違和感を語っているのだと解釈された。
さらに、「掛稲のすぐそこにある湯吞かな」を取り上げ、現実にはこの掛稲は湯吞みのそばにはなく、掛稲を見ている「私」が湯吞みを持っているという状況があり、レトリカルに掛稲のすぐそばに湯吞みがあるかのように構成しているのだと主張し、最終的に爽波とは自分の位置を提示したい作家なのだと結論づけた。
「掛稲」の句は不思議な句である。
「すぐそこにある」は一見切れていない。切れていないことで、稲と湯吞の距離が近いと錯覚させるのだが、切れがあると考えないと読めないのだ。「掛稲」の句が読みの二重性を孕む危うさは当時の「青」でも物議を醸したらしい。
竹中宏氏は、掛稲と湯吞の質感の取り合わせに主眼があると解釈する。「すぐそこにある」ことで、稲の乾いた表面がクローズアップされ、琺瑯質の湯吞のてらてらした感触と一句の上で出会う。「爽波とは触覚的な人間であり、目玉から手が出るように物を見ているのだ」と氏は話す。この解釈によってようやく私は「掛稲」の句の魅力を理解することが出来た。
その他会場からは爽波俳句の異質性を指摘する発言が多く出た。
かいつまんで紹介すると、「対象を書くのが一般的な写生だが、爽波は対象を見ている私を書いている。そのことに爽波の可能性がある。」「爽波は句作によって自分がどう変化するかに関心がある。」また、「炬燵出て歩いてゆけば嵐山」の句を指して、「現実の構図が歪んでいる。」「クラクラする。」などの意見が出た。
総じて爽波句のメタ俳句とでも言うべき特性と、それ故の眩惑感に意見が集中していたように思う。
爽波の場合、そのメタ性は一句の中に織り込まれている作者の肉体性から生じている。通常であれば、作句現場に作者の肉体が介在することは、ごく当たり前のこととして、一句の背後に退く。しかし「湯吞」のような句においては、作者が肉体を持って現場にいることが奇妙な形で前景化するのだ。
それはまた作中主体の存在を隠さないということでもある。その意味で肉体性を持ち込んだ一句とは、無作為をよしとする俳句から、むしろ自己表現としての俳句へと、期せずして近づいているとも言える。
同様の事情は先述の『一筆』の句においても同様である。読まれる対象がごく平凡なものであれば読者は作品の意味内容を素直に享受するが、対象がグロテスクさや卑俗さを備えている場合、そのような対象を詠むという行為自体が、パフォーマティブな意味を有する。ここにあるのも同様に作者の作家意識である。
爽波のメタ俳句としての特性は晩年に至るまで一貫している。そもそも「態度としての写生」という言葉自体が奇妙さを有する。方法概念である写生が態度と言われているからだけではない。写生という自己消去を旨とするかに思われる概念が、作家性そのものに関連づけられているからである。
爽波は「自作ノート」(『現代俳句集成四』立風書房 昭52)と題されたエッセイにおいて、作句とは「有りの儘の自己をそこに現出させるかが最大の眼目である」と述べている。これは『湯呑』時代に書かれたものだが、『骰子』刊行直後の茨木和生氏との対談(「俳句」昭61年9月号「季語の力」)においても「人に帰する」という形で、微妙に言葉を変えながら、しかし同じ趣旨の発言を行っている。
ここには自己抹消の手法としての写生が、それ自体のあり方によって自己表出となるというねじれがある。
事実、爽波は写生を唱えながらも、あくまで自己表現への傾きを手放さなかったように思える。爽波においては作家としてのエゴが一句の肉体性として顕在化しているのではないか。
高野素十
この点を高野素十の「掛稲をひたと落ちしは青蛙」を較べてみるとより明らかになる。
素十的主体には読者を惑わせるようなところは何もない。掛稲を滑り落ちる青蛙に目を止める完成はごく常識的なものである。
爽波の句からは掛稲を凝視せんとする能動性を感じさせるのに対し、素十の句はふっと青蛙が目に留まったんですよ、とでも言いたいかのようだ。この違いが素十俳句の肉体性の希薄さに結びついている。
素十との出会いに関して、爽波は後年次のように語っている。
爽波にとって、歳時記に代表される「農のくらし」は決して所与のものではなかった。そして所与のものではないからこその興味を持ち、貪欲に俳句を吸収していった。
爽波は俳句によって自然を知ったのである。彼が自然に向ける眼差しは、あくまでも俳人としての面白さを求めるそれである。この点において素十とは自然詠のあり方を大きく隔てている。
素十の方が眼前の自然に対して受動的であり、また常識的でもある。それに対して爽波の視線はねばっこく、時として異様だ。これは作家意識の濃淡と比例しているのではないか。
ところで、戦前の都会に暮らす若者にとって、農民の世界とはどのような意味を持っていたのだろうか。農本主義は当時の改革的な社会思潮でもあった。五•一五事件に参画した農本主義者、橘孝三郎はその代表格である。どれほどの重みを持つかは量りかねるとはいえ、学習院の学生だった爽波が素十の書く農本主義的な世界に魅せられる時、そこには単なる表現上の問題にとどまらない意識があったのではないか。引用文中の「重かった」とはこの点を指しているように思われる。
新しさを求めて
爽波は「青」の三〇周年記念大会の講演において爽波は初学時代のエピソードを紹介している。
俳句に新しさを求める意欲と、都会人でありながらの素十への傾倒、この二つの傾向は、新旧という異なる方向性を有するようでありながらも、同時代への不満を根っこに持つという点では共通している。そして、現状への批判意識というひとつの根っこが、写生という爽波の方法論にねじれをもたらしている。
爽波の句が時として不穏さを漂わせているとしたら、それは彼が都会人としての自らのデラシネ性に忠実であったことの何よりの証である。
弱々しさとしぶとさと
私が爽波を好むのは、季語を現代社会においてなおリアルなものとして甦らせてくれるからである。
というと、それはあるレベル以上の伝統派俳人には当て嵌まることではないか、と言われるかもしれない。しかし爽波が人として頭一つ抜けていると思うのは、自分自身が世俗的な人間であると言うことを隠さない点である。そこに爽波の抵抗精神がある。爽波の句では人間界の風俗と季語とが実に巧みに組み合わされている。それゆえ一句の季語を肉体的な情趣を備えたものとして受けとることが出来るのだ。
骰子の一の目赤し春の山
この句を見るまで、骰子が春の山と結びつくなど思いもしなかった。しかし一句はどんな句よりも雄弁に春の華やいだ気分を伝えてくれる。骰子という日常的な形象を通して読者は季題の世界に触れる。この句の与える意外性が古びることはないだろう。骰子の目と山の取り合わせが一句を成すなどとは誰にでも思いつけることではないからだ。まさしく俳句の世界を古びさせないための爽波の手管である。
それはまた有季定型句を作り続けるために何としてでも必要な営為だったのだ。
どんなに美しい言葉も、読まれ、書かれなければそれは化石でしかない。歳時記的な世界がますますもって失われていく時代にあるならばなおさらである。もはや自然は人間のナルシシズムを保証する鏡ではない。
爽波はショック療法にも見紛う「驚き」によって、俳句に息を吹き込み、現代の風物のうちに季題の情趣を甦らせた。ここに爽波を読み直すことの何よりの現代的意義がある。
では何故爽波の句には驚きがあるのだろうか。一句に驚きを与えるためには季題という共同体的な価値観を知るとともに、それをはぐらかし、相対化する目線が必要とされるだろう。私見ではここに爽波がデラシネであることの積極性がある。デラシネとはまたひとつの価値観に落ち着けないことを意味するのだから。
様々な流儀の俳句と接触を持ちながらも、爽波は生涯を通して特定の俳壇的イデオロギーは持たなかったように思える。爽波にはただ写生だけがあった。
そのこともあってか、爽波にはいつも孤独の影がつきまとう。
「いろいろな泳ぎ方してプールにひとり」爽波の句が「薄味のよろしさ」とも評される弱々しさを持つ一方で、現代にまで生き延びるしぶとさを備えている由縁であろう。
●
波多野爽波の現代性について
飯島雄太郎
−第154回醍醐会『波多野爽波を読む~読者として/作者として』レポート−
9月29日、京都市国際交流会館にて第154回醍醐会が行われた。醍醐会は関西の俳人を中心に年に数回の頻度で(第五日曜日…醍醐会の名はここからきている)開かれている研究会である。
今回のテーマは、『波多野爽波を読む~読者として/作者として』。出席者はベテランから若手までおよそ三〇人ほどはいただろうか。基調報告は「杉」同人の岩井英雅氏と「いつき組」の黒岩徳将氏が行った。ベテランと若手という対照的な二人である。
黒岩氏は「ただごと俳句」をテーマに話した。「ただごと俳句」とは、俳句形式にその内容をおさめたことによって、ただごとに終わらない魅力を発揮すると述べ、「巻尺を伸ばしてゆけば源五郎」「蓑虫にうすうす目鼻ありにけり」の二句をただごとの名句として挙げた。
もっとも黒岩氏は爽波俳句にさほどの魅力を感じなかったようである。読み手にどういう感情をもってもらいたがっているかが分かりにくいとし、爽波俳句は言葉足らずであると指摘した。
「杉」同人の岩井英雅氏は「私の爽波体験」と題して、自らの来歴を絡めつつ報告された。氏は森澄雄門下として爽波の写生に関心を持ち、評論でも俳諧自由の俳人として爽波を取り上げたが、やがて生理的な嫌悪感を抱くようになった。氏が俳句に求めるのは心の安らぎであり、爽波にはそれがないのだと氏は語る。
氏が繰り返し強調するのは爽波的世界の無思想性の凄みである。それを秋桜子に始まる系譜と対比してみせる。森澄雄が秋桜子の師系に属することを思えば、そもそもこの離別は必然的な帰結であったとも言えるのだろうか。とするならば、氏は俳句史上の一つの裂け目を、身を以て生きたということになる。
「帚木」問題
岩井氏の爽波俳句への嫌悪を考察する上で、興味深い題材がある。それは『湯吞』に収拾されている二句、「帚木のつぶさに枝に岐れをり」と「帚木が帚木を押し傾けて」の優劣に関する問題だ。二句とも『湯吞』を代表する句として、度々引かれる句である。
前者からは対象に没入するような臨場感を、後者の句からは、帚木の生命力に対する驚きを看取することが出来る。この二句に関して、爽波は次のように語っている。
その斜面には私の丈を抽くほどの帚木が何本かあった。帚木というその言葉そのもののような木曽の帚木はまことに見事であった。斜面のその辺に散らばっていた同行の人たちもみんな何処かへ消えてしまったあとも、ひとりこの帚木の前に跼みこんでペンを走らせた。
また、同じ季節にあの場所へさえ行けば、きっとあの帚木と再び対面できる筈だ。あの辺の地理には詳しい魚目君も居ることだから、来年と云わず、今年にでも何とかあの場所へ連れて行って貰って再び帚木との対面を果たしたいものだ。(「青」昭五六年七月号)
この句に読まれている帚木とは長身の爽波をしのぐような、巨大で猛々しい帚木だったのである。「つぶさに」の句もまた目の細かさを感じさせる写生句ではあるが、その場でなければ詠めないといった性質の句ではない。それに比して、「押し傾けて」の句には自然との一期一会の驚きがある。
次に引用するのは「写生と私 その態度と方法について」と題された対談における爽波のコメントである。
今の帚木の句でもね、「つぶさに枝の岐れをり」というのは、仮にどこの場所でもね、一本の帚木にじっと対しておれば見えてくるわけでね。だけど二本の帚木が押し合うようにしてね、片方が片方を押し傾けているというのは、おそらくあの場所でなけりゃ、そういう出会いはなかったろうと思うんですよね。そういう不思議な姿が、自然そのものとしてそこに顕在してた訳ですよ。これの方が僕にははるかに驚きが会ったわけだ。そういう意味で、僕の考えている写生ということからすると、「押し傾けて」の方が上だし、「つぶさに」の方をよしとする人とは写生というものの捉え方にちょっとズレがあるように感じますね。(「青」昭五八年八月号)
爽波は驚きという観点から、「押し傾けて」の方が優れているとしていた。しかし、誰もがこれに同意するわけではない。例えば同じ対談で山上樹実雄氏は次のように発言している。
僕なんか考えますとね、「押し傾けて」の方は、まだすこし自分と距離を置いて、帚木を言っておられる感じがする。ところが「つぶさに」の方はもう帚木の中に入ってね。(同上、傍線引用者)
自然への没入の度合いから、山上氏は「つぶさに」の句を評価している。写生が眼前の自然への集中を意味するものと解する限り、山上氏の見解は常識的なものであると思われる。
ここに現れている写生観の違いは自然を人間にとって親和的なものとして捉えるのか、それとも人間に驚きを与える異質なものとして捉えるのかという対立である。爽波は異質性を見出すための方法として写生を捉えている。それは作句によって自己を更新するための手段なのだ。
僕には自分の世界をなんて意識なんか何もないわけですわ。もしあるとすれば、現場へ行ってそれを消すわけです。写生というのはそういうものでね。頭の作用をともかく排除していって、そして、予期もしていなかったものにいかにして出会えるかということですよ。自分の世界というのはそういうものの累積の中に結果として出てくるものでしょ。(同上)
予期しないものを求める傾向はまた、爽波における新しさへの要請と結びついているだろう。爽波はしきりに態度としての写生ということを言うが、それは驚きを求める手法としての写生を自らの作家性にまで高めることに他ならない。爽波にとって写生とは、有季定型を更新するという作家的な意欲と根深く絡み合っていたのではないか。
ここには自然の中に入っていくことと、新しさを求めるということの二つの相反するかに思えるベクトルがある。後述するように、これが爽波という作家にねじれを内包させることとなる。
グロテスクなもの、卑俗なもの
爽波の驚きを求める傾向は、晩年になるにつれ、グロテスクであったり、卑俗であったりする要素を強めていくように思われる。岩井氏はとりわけ最後の句集『一筆』に嫌悪感を示しておられた。句集は手に入れることが出来なかったので、『再読 波多野爽波』(邑書林 平25)から引いてみよう。
籐椅子の一つ紛るる舟溜り
裂かれたる穴子のみんな目が澄んで
泰山木の花に怒りの相を見し
ゴミ捨て場と化した舟溜まりを描くことで、一句は使い捨てを旨とする社会のあり方をスナップショットよろしく切り取ってみせる。
目を輝かせたまま裂かれる穴子は、美食文化の背後にあるものを示すのみならず、無垢でありながら殺されていくものの象徴となっていよう。爽波は明らかに穴子に感情移入している。
泰山木の花の怒りが人間に対して向けられていないとしたら一体なんなのか。爽波俳句の抵抗精神は次のより卑俗さを強めた句においては、笑いという形をとって、より深く読者に纏わりつく。
だから褞袍は嫌よ家ぢゆうをぶらぶら
避寒して直ちに厠紙つかふ
卑俗な句は人を二度立ち止まらせる。一度目は笑いを齎し、二度目はぞっとするようなリアリティをもって読者を慄然とさせる。
褞袍を着て、もはや伊達男を決めることも、家族から相手してもらうことも出来ず、孤独に家を徘徊する老人の姿はどこか人間のわびしさの根本を捉えている。旅先で直ちに便所に駆け込んでしまう情けなさもまた多くの人にとって決して無縁なものではないだろう。
通俗的な句のうちに読者は自分たち自身の戯画をもまた見るのである。
爽波の肉体
岩井氏が嫌悪を示した爽波俳句の異質性に後半の議論は集中した。
口火を切ったのは中田剛氏である。氏は、爽波とは何よりも風景を構成するレトリシャンなのだと指摘する。氏は「山吹の黄を挟みゐる障子かな」は不自然であるし、「福笑鉄橋斜め前方に」は、福笑という季語によって鉄橋が自分の見たい位置にない違和感を語っているのだと解釈された。
さらに、「掛稲のすぐそこにある湯吞かな」を取り上げ、現実にはこの掛稲は湯吞みのそばにはなく、掛稲を見ている「私」が湯吞みを持っているという状況があり、レトリカルに掛稲のすぐそばに湯吞みがあるかのように構成しているのだと主張し、最終的に爽波とは自分の位置を提示したい作家なのだと結論づけた。
「掛稲」の句は不思議な句である。
「すぐそこにある」は一見切れていない。切れていないことで、稲と湯吞の距離が近いと錯覚させるのだが、切れがあると考えないと読めないのだ。「掛稲」の句が読みの二重性を孕む危うさは当時の「青」でも物議を醸したらしい。
竹中宏氏は、掛稲と湯吞の質感の取り合わせに主眼があると解釈する。「すぐそこにある」ことで、稲の乾いた表面がクローズアップされ、琺瑯質の湯吞のてらてらした感触と一句の上で出会う。「爽波とは触覚的な人間であり、目玉から手が出るように物を見ているのだ」と氏は話す。この解釈によってようやく私は「掛稲」の句の魅力を理解することが出来た。
その他会場からは爽波俳句の異質性を指摘する発言が多く出た。
かいつまんで紹介すると、「対象を書くのが一般的な写生だが、爽波は対象を見ている私を書いている。そのことに爽波の可能性がある。」「爽波は句作によって自分がどう変化するかに関心がある。」また、「炬燵出て歩いてゆけば嵐山」の句を指して、「現実の構図が歪んでいる。」「クラクラする。」などの意見が出た。
総じて爽波句のメタ俳句とでも言うべき特性と、それ故の眩惑感に意見が集中していたように思う。
爽波の場合、そのメタ性は一句の中に織り込まれている作者の肉体性から生じている。通常であれば、作句現場に作者の肉体が介在することは、ごく当たり前のこととして、一句の背後に退く。しかし「湯吞」のような句においては、作者が肉体を持って現場にいることが奇妙な形で前景化するのだ。
それはまた作中主体の存在を隠さないということでもある。その意味で肉体性を持ち込んだ一句とは、無作為をよしとする俳句から、むしろ自己表現としての俳句へと、期せずして近づいているとも言える。
同様の事情は先述の『一筆』の句においても同様である。読まれる対象がごく平凡なものであれば読者は作品の意味内容を素直に享受するが、対象がグロテスクさや卑俗さを備えている場合、そのような対象を詠むという行為自体が、パフォーマティブな意味を有する。ここにあるのも同様に作者の作家意識である。
爽波のメタ俳句としての特性は晩年に至るまで一貫している。そもそも「態度としての写生」という言葉自体が奇妙さを有する。方法概念である写生が態度と言われているからだけではない。写生という自己消去を旨とするかに思われる概念が、作家性そのものに関連づけられているからである。
爽波は「自作ノート」(『現代俳句集成四』立風書房 昭52)と題されたエッセイにおいて、作句とは「有りの儘の自己をそこに現出させるかが最大の眼目である」と述べている。これは『湯呑』時代に書かれたものだが、『骰子』刊行直後の茨木和生氏との対談(「俳句」昭61年9月号「季語の力」)においても「人に帰する」という形で、微妙に言葉を変えながら、しかし同じ趣旨の発言を行っている。
ここには自己抹消の手法としての写生が、それ自体のあり方によって自己表出となるというねじれがある。
事実、爽波は写生を唱えながらも、あくまで自己表現への傾きを手放さなかったように思える。爽波においては作家としてのエゴが一句の肉体性として顕在化しているのではないか。
高野素十
この点を高野素十の「掛稲をひたと落ちしは青蛙」を較べてみるとより明らかになる。
素十的主体には読者を惑わせるようなところは何もない。掛稲を滑り落ちる青蛙に目を止める完成はごく常識的なものである。
爽波の句からは掛稲を凝視せんとする能動性を感じさせるのに対し、素十の句はふっと青蛙が目に留まったんですよ、とでも言いたいかのようだ。この違いが素十俳句の肉体性の希薄さに結びついている。
素十との出会いに関して、爽波は後年次のように語っている。
僕は東京生れの東京育ち、まったくの都会人ですからね。農の暮らしなんか、まったく無関係のところにいた。だから素十を介してそっちの方に邁進したというものがあるんですよね。僕が地方の出身だったら、そんなことはなかったと思う。都会で生まれ都会のことしか知らない。田植えも稲刈りも見たことがないという環境の中から句作りをはじめて、素十の句に急速に魅かれた。僕としたら、必然的にそういうところに身をすり寄せていって、それが非常に新鮮であり、なおかつ重かったわけですよね。(「青」昭53年1月号)
爽波にとって、歳時記に代表される「農のくらし」は決して所与のものではなかった。そして所与のものではないからこその興味を持ち、貪欲に俳句を吸収していった。
爽波は俳句によって自然を知ったのである。彼が自然に向ける眼差しは、あくまでも俳人としての面白さを求めるそれである。この点において素十とは自然詠のあり方を大きく隔てている。
素十の方が眼前の自然に対して受動的であり、また常識的でもある。それに対して爽波の視線はねばっこく、時として異様だ。これは作家意識の濃淡と比例しているのではないか。
ところで、戦前の都会に暮らす若者にとって、農民の世界とはどのような意味を持っていたのだろうか。農本主義は当時の改革的な社会思潮でもあった。五•一五事件に参画した農本主義者、橘孝三郎はその代表格である。どれほどの重みを持つかは量りかねるとはいえ、学習院の学生だった爽波が素十の書く農本主義的な世界に魅せられる時、そこには単なる表現上の問題にとどまらない意識があったのではないか。引用文中の「重かった」とはこの点を指しているように思われる。
新しさを求めて
爽波は「青」の三〇周年記念大会の講演において爽波は初学時代のエピソードを紹介している。
僕が「ホトトギス」に投句しだす前に、今の東京新聞、当時は都新聞と言っていましたがそれに虚子選の俳句欄があって、それに入選した。すると親父がいろいろな人に、息子の発句が新聞に載っとるんだと言っているんです。僕はたいへん反発心を感じまして、発句なんてものをやっているんじゃなくて俳句という詩をやっているんですと、親父とものすごい言い合いをしたことがある。いやしくも今後一切、発句なんてことを言わないでくれというようないきさつもありました。ともかく古くさいものは駄目だ、だから俳句の中でどれだけ新しいことができるのか、ということから僕の俳句生活ははじまっています。(「青」 昭59年1月号)
俳句に新しさを求める意欲と、都会人でありながらの素十への傾倒、この二つの傾向は、新旧という異なる方向性を有するようでありながらも、同時代への不満を根っこに持つという点では共通している。そして、現状への批判意識というひとつの根っこが、写生という爽波の方法論にねじれをもたらしている。
爽波の句が時として不穏さを漂わせているとしたら、それは彼が都会人としての自らのデラシネ性に忠実であったことの何よりの証である。
弱々しさとしぶとさと
私が爽波を好むのは、季語を現代社会においてなおリアルなものとして甦らせてくれるからである。
というと、それはあるレベル以上の伝統派俳人には当て嵌まることではないか、と言われるかもしれない。しかし爽波が人として頭一つ抜けていると思うのは、自分自身が世俗的な人間であると言うことを隠さない点である。そこに爽波の抵抗精神がある。爽波の句では人間界の風俗と季語とが実に巧みに組み合わされている。それゆえ一句の季語を肉体的な情趣を備えたものとして受けとることが出来るのだ。
骰子の一の目赤し春の山
この句を見るまで、骰子が春の山と結びつくなど思いもしなかった。しかし一句はどんな句よりも雄弁に春の華やいだ気分を伝えてくれる。骰子という日常的な形象を通して読者は季題の世界に触れる。この句の与える意外性が古びることはないだろう。骰子の目と山の取り合わせが一句を成すなどとは誰にでも思いつけることではないからだ。まさしく俳句の世界を古びさせないための爽波の手管である。
それはまた有季定型句を作り続けるために何としてでも必要な営為だったのだ。
どんなに美しい言葉も、読まれ、書かれなければそれは化石でしかない。歳時記的な世界がますますもって失われていく時代にあるならばなおさらである。もはや自然は人間のナルシシズムを保証する鏡ではない。
爽波はショック療法にも見紛う「驚き」によって、俳句に息を吹き込み、現代の風物のうちに季題の情趣を甦らせた。ここに爽波を読み直すことの何よりの現代的意義がある。
では何故爽波の句には驚きがあるのだろうか。一句に驚きを与えるためには季題という共同体的な価値観を知るとともに、それをはぐらかし、相対化する目線が必要とされるだろう。私見ではここに爽波がデラシネであることの積極性がある。デラシネとはまたひとつの価値観に落ち着けないことを意味するのだから。
様々な流儀の俳句と接触を持ちながらも、爽波は生涯を通して特定の俳壇的イデオロギーは持たなかったように思える。爽波にはただ写生だけがあった。
そのこともあってか、爽波にはいつも孤独の影がつきまとう。
「いろいろな泳ぎ方してプールにひとり」爽波の句が「薄味のよろしさ」とも評される弱々しさを持つ一方で、現代にまで生き延びるしぶとさを備えている由縁であろう。
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桑原三郎『春亂』の無季句 北川美美
桑原三郎『春亂』の無季句
北川美美
桑原三郎は無季句の好手として名高い。その第一句集である『春亂(しゅんらん)』を読み解くことにより、三郎の無季句の原点を探っていきたい。
倒れしは一生涯のガラス板
昭和四九年、四一歳のときの作。ガラス板が倒れることを命の儚さとしてみる仕立てと解するが、そのガラス板の脆さに、作者の悟りと覚悟が伺える。倒れることの不安定さ、そしてガラス板という破壊性のある硬質素材を措辞することにより、美しく、儚くもあるこの世を思う。「ガラス板の一生涯」に読者は、限りある一生の時間、そしてそれが突然に終焉となりうることを考える。「倒れし」の「し」強調により、スローモーションのように倒れていく景を想像する。第一句集にしてこの風格。三郎の代表句として名高い。
いつせいに柱の燃ゆる都かな 三橋敏雄
鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中 〃
三郎の掲出の代表句に私は三橋敏雄の無季句を重ねあわせた。「鉄」も「ガラス」同様に都市景観の象徴であり、人間が作り出した無機質なものである。しかし、いつかは、あるいは、いずれは破壊、あるいは浸食される脆さがある。それが個々の人間、ひいては人類の儚さにもつながっていく気がする。
三郎には「第二回五十句競作」にて「佳作第一席」の賞歴がある(この時の一位入選に今坂柳二、佳作第一席に大屋達治、澤好摩、攝津幸彦、高橋龍)。その受賞作「むかし桃たちの唄へるうた」が解体、増作されこの『春亂』に同タイトルとして収録されている。
応募作「むかし桃たちの唄へるうた」自体に無季句が極めて多い。『春亂』収録句では一三七句中の二十九句が無季と読んだ。
三郎の無季の力は、前衛期の赤尾兜子・永田耕衣の影響が考えられるが、先師にある悲壮感、混乱、難解という印象がなく、より俳句形式として昇華していると思える。それは本人の生き方としての姿勢が大きいのだろうが、高柳重信、三橋敏雄との交わりにより、「俳句」をより「形式」として意識したことに依るのだろう。三郎の「五十句競作」への応募は無季句を多く配した三橋敏雄『眞神』発刊からわずか一年後のことである。ここに『春亂』の句を並べてみる。
山燃えて水ををろがむ夕べかな
山も晝や臼の襞より豆こぼれ
寝て待てば鐡道馬車が通るなり
頭暗しと廊下を磨く姉妹
まざまざと雙親見ゆる午の刻
提灯の脇腹赤く苦しけれ
絵蝋燭水の終りもみづの音
産み月の妹が曳きゆく藁の屑
土蜘蛛を飼ふ竹籠も武蔵かな
生き死には手燭のゆらぐ箪笥部屋
草小舎のわれをいくたり出てゆくか
荒縄よ指の力に敗れたる
松古りてときどき兄を名告りけり
横濱に来てさみしさよ人の名は
葦原や命(みこと)も棒も歩きつつ
渡り鳥箒は玉を掃きをらむ
その作は常に生きている境界線が曖昧領域であり、身近な幽霊、ごく親しい魂が主体となっていることである。
をちこちに荒縄結ぶ影の山
押入に百夜通へり俯むいて
ひとり来てまたひとり来て墓荒し
など「霊」が近くにいつもいるように読める。「霊」は確かに目に見えない、実在がないので、逆にいえば、どのようにでも描ける危険性も孕む。リアルでなくなるのだ。しかし三郎の句は「死生観」という観念を越え真の「霊」と対話している、実景として読めるのだが、それが作り話にならないリアルさがある、
うつうつと黒牛を乗り殺したり
双頭の亀を乗りつぎあきつしま
「霊」たちを迎え、向き合い、そして彼の世で生きる彼ら描くことにより、より身近な存在として共存しているということが伝わってくる。
『眞神』に於いて三橋敏雄は山に潜む神の力を各所に潜めた。また連句の手法を取り入れ、無季句を意識的に多く配置するためのシカケがある。ところが三郎の場合は、何のシカケもないように身近な霊を浮遊させ無季句を作ってしまう巧みさがある。
無季句を創作することは相当難しい。それは実作してみればわかるように、なかなか体を成さない。四季を超えるものを実作者は模索してきた。戦火想望俳句、そして東日本大震災時の震災句など、実作者たちはここぞとばかりに無季俳句を創作した。しかし、どこか他人事なのである。
見えがくれして水炊きの飯男
実際に水炊きをしていた男が見え隠れしていたのかもしれないが、無季句であるが故に霊が水炊きをしているように読める。それが誰なのかはわからない。三郎自身の喪失感からくる表現であると思われるが、やはりあの世とこの世の曖昧な境界領域を感じる。
『春亂』以降の『俳句物語』(一九八五年)の年譜を拝見すると三郎の人生そのものが壮絶であったことが明らかにされていく。作品の根底にある喪失感が身近に起きていたことがわかる。『春亂』にみる無季句には三郎が十代の時に遭遇した兄の自死による衝撃が永く三郎の心を支配し、それが創作の動機となっているように伺える。
極楽も陸続きなる麥埃
やはり三郎にとってその境界線はない。その距離はとても近くわれわれもいずれは行く黄泉の国が怖いところではないという大らかさがある。すでに老練である。
ついで「父」を詠んだ句が多く収録されている。その中にも無季句がある。
つれづれに父を加ふる火の見かな
青竹に父の人玉依りつつあり
はこべらや膝つけて立つ蛇の父
男子にとっての父親の存在は越えられないものとして本人にのしかかる。父親以上にはなれないという葛藤である。その「父」の存在をあえて登場させているのはまさしく「自我」の確立であり「父」との距離感を描くことにより、本人の「自我」を読み取ることができる。
「父母未生以前」は禅宗の言葉である。「父や母すら生まれる以前のこと」という意味である。三郎の「父」の登場は、「父」を浮び上がらせることにより相対的な存在にすぎない自己という立場を離れ、絶対・普遍的な真理の自我につながる。ここでも「父」は身近な霊として三郎の近くにいる。その存在は実在のない「在」である。三郎の父への態度は極めて慎ましく、そして紳士的である。三橋敏雄の描く「父」よりも高柳重信の「父」との距離に近いように読める。
東日本大震災の起きた東北の被災地では、現在、幽霊や天狗の話を集めた『遠野物語』によく似た不思議な話が次々に生まれている。「震災怪談」として生者の中に、震災犠牲者の想いが生きているというのだ。すでに三十九年前の三郎の句に見え隠れする幽霊はとても身近であり言霊となっていきいきと俳句形式に融合している。
俳句に没頭する初期俳句実作者たちは「句集」という目標に精進する。しかし後世に残したい、「第一句集」なるものが、極僅かであることは言うまでもない。タイトル『春亂』の意味するところは、「あらくれし若き日々」と察するが、この第一句集の無季句に焦点を当てることにより桑原三郎の創作の方向性がすでに確立されていたことに気付く。
◆『春亂』解題
桑原三郎第一句集。作句開始以降の一三七句を収録。一九七四(昭和五十三)年八月十五発行・端渓社版。布装上製本、函入。九六頁。一頁二句組。「むかし桃たちの唄へるうた」「補陀落のそら」「板東記」「唱和集」。序・高柳重信八頁、序・赤尾兜子四頁。著者後記二頁。本製版三百部限定版。頒価二八〇〇円。
北川美美
初出:『犀』No.190 (平成25年11月1日発行)
桑原三郎は無季句の好手として名高い。その第一句集である『春亂(しゅんらん)』を読み解くことにより、三郎の無季句の原点を探っていきたい。
倒れしは一生涯のガラス板
昭和四九年、四一歳のときの作。ガラス板が倒れることを命の儚さとしてみる仕立てと解するが、そのガラス板の脆さに、作者の悟りと覚悟が伺える。倒れることの不安定さ、そしてガラス板という破壊性のある硬質素材を措辞することにより、美しく、儚くもあるこの世を思う。「ガラス板の一生涯」に読者は、限りある一生の時間、そしてそれが突然に終焉となりうることを考える。「倒れし」の「し」強調により、スローモーションのように倒れていく景を想像する。第一句集にしてこの風格。三郎の代表句として名高い。
いつせいに柱の燃ゆる都かな 三橋敏雄
鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中 〃
三郎の掲出の代表句に私は三橋敏雄の無季句を重ねあわせた。「鉄」も「ガラス」同様に都市景観の象徴であり、人間が作り出した無機質なものである。しかし、いつかは、あるいは、いずれは破壊、あるいは浸食される脆さがある。それが個々の人間、ひいては人類の儚さにもつながっていく気がする。
三郎には「第二回五十句競作」にて「佳作第一席」の賞歴がある(この時の一位入選に今坂柳二、佳作第一席に大屋達治、澤好摩、攝津幸彦、高橋龍)。その受賞作「むかし桃たちの唄へるうた」が解体、増作されこの『春亂』に同タイトルとして収録されている。
応募作「むかし桃たちの唄へるうた」自体に無季句が極めて多い。『春亂』収録句では一三七句中の二十九句が無季と読んだ。
三郎の無季の力は、前衛期の赤尾兜子・永田耕衣の影響が考えられるが、先師にある悲壮感、混乱、難解という印象がなく、より俳句形式として昇華していると思える。それは本人の生き方としての姿勢が大きいのだろうが、高柳重信、三橋敏雄との交わりにより、「俳句」をより「形式」として意識したことに依るのだろう。三郎の「五十句競作」への応募は無季句を多く配した三橋敏雄『眞神』発刊からわずか一年後のことである。ここに『春亂』の句を並べてみる。
山燃えて水ををろがむ夕べかな
山も晝や臼の襞より豆こぼれ
寝て待てば鐡道馬車が通るなり
頭暗しと廊下を磨く姉妹
まざまざと雙親見ゆる午の刻
提灯の脇腹赤く苦しけれ
絵蝋燭水の終りもみづの音
産み月の妹が曳きゆく藁の屑
土蜘蛛を飼ふ竹籠も武蔵かな
生き死には手燭のゆらぐ箪笥部屋
草小舎のわれをいくたり出てゆくか
荒縄よ指の力に敗れたる
松古りてときどき兄を名告りけり
横濱に来てさみしさよ人の名は
葦原や命(みこと)も棒も歩きつつ
渡り鳥箒は玉を掃きをらむ
その作は常に生きている境界線が曖昧領域であり、身近な幽霊、ごく親しい魂が主体となっていることである。
をちこちに荒縄結ぶ影の山
押入に百夜通へり俯むいて
ひとり来てまたひとり来て墓荒し
など「霊」が近くにいつもいるように読める。「霊」は確かに目に見えない、実在がないので、逆にいえば、どのようにでも描ける危険性も孕む。リアルでなくなるのだ。しかし三郎の句は「死生観」という観念を越え真の「霊」と対話している、実景として読めるのだが、それが作り話にならないリアルさがある、
うつうつと黒牛を乗り殺したり
双頭の亀を乗りつぎあきつしま
「霊」たちを迎え、向き合い、そして彼の世で生きる彼ら描くことにより、より身近な存在として共存しているということが伝わってくる。
『眞神』に於いて三橋敏雄は山に潜む神の力を各所に潜めた。また連句の手法を取り入れ、無季句を意識的に多く配置するためのシカケがある。ところが三郎の場合は、何のシカケもないように身近な霊を浮遊させ無季句を作ってしまう巧みさがある。
無季句を創作することは相当難しい。それは実作してみればわかるように、なかなか体を成さない。四季を超えるものを実作者は模索してきた。戦火想望俳句、そして東日本大震災時の震災句など、実作者たちはここぞとばかりに無季俳句を創作した。しかし、どこか他人事なのである。
見えがくれして水炊きの飯男
実際に水炊きをしていた男が見え隠れしていたのかもしれないが、無季句であるが故に霊が水炊きをしているように読める。それが誰なのかはわからない。三郎自身の喪失感からくる表現であると思われるが、やはりあの世とこの世の曖昧な境界領域を感じる。
『春亂』以降の『俳句物語』(一九八五年)の年譜を拝見すると三郎の人生そのものが壮絶であったことが明らかにされていく。作品の根底にある喪失感が身近に起きていたことがわかる。『春亂』にみる無季句には三郎が十代の時に遭遇した兄の自死による衝撃が永く三郎の心を支配し、それが創作の動機となっているように伺える。
極楽も陸続きなる麥埃
やはり三郎にとってその境界線はない。その距離はとても近くわれわれもいずれは行く黄泉の国が怖いところではないという大らかさがある。すでに老練である。
ついで「父」を詠んだ句が多く収録されている。その中にも無季句がある。
つれづれに父を加ふる火の見かな
青竹に父の人玉依りつつあり
はこべらや膝つけて立つ蛇の父
男子にとっての父親の存在は越えられないものとして本人にのしかかる。父親以上にはなれないという葛藤である。その「父」の存在をあえて登場させているのはまさしく「自我」の確立であり「父」との距離感を描くことにより、本人の「自我」を読み取ることができる。
「父母未生以前」は禅宗の言葉である。「父や母すら生まれる以前のこと」という意味である。三郎の「父」の登場は、「父」を浮び上がらせることにより相対的な存在にすぎない自己という立場を離れ、絶対・普遍的な真理の自我につながる。ここでも「父」は身近な霊として三郎の近くにいる。その存在は実在のない「在」である。三郎の父への態度は極めて慎ましく、そして紳士的である。三橋敏雄の描く「父」よりも高柳重信の「父」との距離に近いように読める。
東日本大震災の起きた東北の被災地では、現在、幽霊や天狗の話を集めた『遠野物語』によく似た不思議な話が次々に生まれている。「震災怪談」として生者の中に、震災犠牲者の想いが生きているというのだ。すでに三十九年前の三郎の句に見え隠れする幽霊はとても身近であり言霊となっていきいきと俳句形式に融合している。
俳句に没頭する初期俳句実作者たちは「句集」という目標に精進する。しかし後世に残したい、「第一句集」なるものが、極僅かであることは言うまでもない。タイトル『春亂』の意味するところは、「あらくれし若き日々」と察するが、この第一句集の無季句に焦点を当てることにより桑原三郎の創作の方向性がすでに確立されていたことに気付く。
◆『春亂』解題
桑原三郎第一句集。作句開始以降の一三七句を収録。一九七四(昭和五十三)年八月十五発行・端渓社版。布装上製本、函入。九六頁。一頁二句組。「むかし桃たちの唄へるうた」「補陀落のそら」「板東記」「唱和集」。序・高柳重信八頁、序・赤尾兜子四頁。著者後記二頁。本製版三百部限定版。頒価二八〇〇円。
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俳句の自然 子規への遡行26 橋本直
俳句の自然 子規への遡行26
橋本 直
初出『若竹』2013年3月号
(一部改変がある)
≫承前 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25(一部改変がある)
今回、話がやや横道にそれるが、子規が新季語にしようとした例を紹介したい。冬の季語「熊」である。
なぜ、冬籠もりして目にしないはずの「熊」が冬季なのであろう。現在ニュースで耳にするように、熊が人と接触する機会が多いのは春の山菜の時期と秋の実りの時期である。戦前までの季語大観といえる改造社『俳諧歳時記』も、高度成長期のそれたる角川書店『図説大歳時記』も、「熊」は冬季で立項され、生態についての解説や古文献の記述は載せているものの、なぜ冬なのか明確な説明はない。滝沢馬琴編、藍亭青藍補『俳諧歳時記栞草』(岩波文庫版)には立項がないので、季語になったのは明治以降と考えていいだろう。
しかし、子規は既に『分類俳句全集』で「熊」を冬季に分類している。まず、第十巻冬の部「動物」の項「穴熊」に
はち巻や穴熊打ちの九寸五分 史邦
穴熊の寝首かいても手柄哉 山店
丹波路や穴熊打ちも悪衛門 嵐竹
(『分類俳句全集』第十巻冬の部「動物」の「穴熊」)
また、第九巻冬の部「時雨」の項の、下位分類「猪、熊、猿、狐、鹿」に、
穴熊の出てはひつこむしくれ哉 為有
がある。為有は山城嵯峨の人。『続猿蓑』元禄十一(1698)年刊「冬の部」に所収。ただし、子規はこれを「熊」として分類しているが、幸田露伴は『評釈芭蕉七部集』(岩波)で「穴熊」を冬籠もり中の熊ではなく、いわゆるアナグマ(貛)と解している。要は知識でつくった句と思われ、本当のところはよくわからない。また先の三句は「穴熊打ち」の様子を詠んでいるので、純粋に「熊」の句ではない。いずれも史邦編『芭蕉庵小文庫』元禄九(1696)年刊で、作者はみな蕉門の俳人達である。これら四句は作句年代がほぼ重なり、他に例がないので、すべてアナグマの可能性も残るだろうが、ともあれ子規は冬の「熊」と見ている。
さらに、調べた範囲で「熊」を冬季に立項した最も古い記録は、明治三十一年一月三十日の『ほとゝぎす』で、題詠「熊(冬季)」があり、子規が選者吟として
草枯や狼の糞熊の糞
冬枯や熊祭る子の蝦夷錦
の二句を詠んでいた。つまり、歳時記には載っていないこの段階で、少なくとも子規の新派(日本派)では、冬季の新季語として「熊」を認めていたということができる。
しかしながら、明治三十四年三月から三十八年四月の間の日本派同人の雑誌新聞発表五万句のなかから一万を選んだという、今井柏浦編『明治一万句』(博文館 初版明治三十八年)には、「熊」での立項はない。ただ「冬の部」人事の項に「熊突」での立項があり、
熊突や氷を渡る天鹽川 桐一葉
熊突の夫婦帰り来ず夜の雪 梧月
が載っている。また、明治四十三年刊の星野麥人編『類題百家俳句全集』冬之部には立項がない。星野は尾崎紅葉門で秋声会に参加。広く句を集めているが、冬季に「熊」はない。
子規は「熊」を冬季とみなそうとしたが、明治三十一年の「熊」による題詠募集は、実験的な試みどまりのものであったのかもしれない。子規の選者吟が両方とも既存の季語を交えた季重なりの形をとっているのは、その季感の薄さを証してもいよう。また、このうち「冬枯や熊祭る子の蝦夷錦」は、明らかに行ったこともない北海道を舞台にアイヌの「熊祭」を詠んでいる。子規はいわば、蝦夷地想望句を詠んでいるのであり、この年は短歌にも、「足たゝば蝦夷の栗原くぬ木原アイノが友と熊殺さましを」(連作「足たゝば」「竹乃里歌」明治三十一年『子規全集』第六巻)という歌がある。元は未詳だが、このころ何かをきっかけにアイヌの生活を知り、興味をもっていたようである。
齋藤愼爾他編『必携季語秀句用字用例辞典』(柏書房)では、熊に関する冬の季語に①「熊」(三冬・動物、類語に黒熊・月輪熊・羆)、②「熊穴に入る」「穴熊」(初冬・時候)、「熊穴に蟄る」(仲冬・時候、「本朝七十二侯」の十一月節「大雪」の次侯)、③「熊狩」「熊突」「熊猟」「穴熊打/突」(三冬・生活、)、④「熊の子」(三冬・動物、類語に贄の熊・神の熊)、⑤熊祭(仲冬・晩冬・行事)が掲載されている。これで冬の季語である熊の類語が勢揃いしていると考えて良いだろう。
①は熊そのもの、②は冬籠もりの熊、③は熊猟、④と⑤はアイヌのイヨマンテに関するもの。①以外は冬である理由が説明できる。だが、②から④が冬だから①も冬だというなら、近代になって季語になった理由はない。
紙幅が無いので結論を急ぐが、それは近代になって各地で開拓が進み、人の生活圏が熊と衝突して、初冬に熊が人前にあぶり出されるようになったことと、子規が詠んだようにアイヌの文化が知られたことによるのではないだろうか。また、江戸期までの「狩猟」も内実が変わり、生活の糧というだけではなく、開拓に邪魔な獣を排除する役割を担った側面があるのではないかと思う。狼が最も典型であったように、結果的に人の生活を脅かすものを滅びるまで排除してしまった例もある。熊は本土に残された最後の猛獣である。冬に目立つから冬の季語におさまったとしたなら、それは実に近代的な出来事だろう。
※「季語としての熊」(ウラハイ 2013年2月16日、19日、26日に掲載)を改稿
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桑原三郎 新句集『夜夜』を読む エッセー 季節はずれですが 池田澄子
【句集を読む】
桑原三郎 新句集『夜夜』を読む
エッセー
季節はずれですが
池田澄子
八月十五日あのとき御昼食べたつけ 桑原三郎
句集『夜夜』(現代俳句協会刊)を読むことで、私の2014年は始まった。
「よよ」と読むのではない。「よるよる」と読む。「よよ」と「よるよる」は同じ意味だけれど、重さ濃さがちょっと違う。
行く人は必ずまがりあきのくれ
春の風邪うはくちびるは舐めやすい
そうだわ、何処かで必ず曲がるんだわ。私は憑き物が落ちたように、いや、憑き物が憑いたように呆然とした。
三が日は過ぎて一応の日常に戻ったのに、『夜夜』を開いては呆然としている。時々、上唇を舐めて、次に下唇を舐めてみる。上唇のほうが舐めやすい。あんまり舐めて、唇が幾分かさかさになったような気がする。
昔、確か『俳句空間』に、桑原三郎の句集評を書いたことがあって、そのときの出だしを覚えている。「桑原三郎は変な人である」と書いたのだった。(ふらんす堂刊『休むに似たり』所収「巧みさを隠す」)
だって本当に、彼は普通の人じゃないのですよ。
普通の人は、「行く人は必ずまがる」なんて思わない。例え直線の道を真っ直ぐ歩いただけにしても、目的の家に入るには曲がらなければ入いれない、確かに。平仮名の「あきのくれ」が、どの道をも迷路につなげている風情。
あまりにも当たり前なので、普通の人間は、そんなこと気に留まらないし、それを言いはしない。ましてや一句の主題にしようなんて、とても思い付かない。
普通の人は、「うはくちびるは舐めやすい」なんて書かない。書かないだけではなく、そんなこと思わない。例え上唇の方が舐めやすいことに気が付いたにしても、そのことを言葉で反芻して、そのことを作品にしようとは思い付かない。黙って舐めていて、ひょっとしたら、それが癖になるだけだ。
この句集を読み終わるのは大変。頁を捲る度に呆然として、頬杖など付いてしまうから進まないのである。なにしろ唇を舐めてみては、なるほどー、とか、ホントだわー、なんて思っているのだから進まない。7ページから始まる俳句の、ここはまだ11ページ。19ページに、私がひどく痺れた俳句がある。けれど決心して、今夜はこのまま素通りする。
そして掲句。この句を前にして思考が止まった。まだ「Ⅰ」の項にある句だが、このところ日に何度か思い出しては、考え込んでいる。
母に聞いたら分かるかしら、などと思い、あぁ母はもう覚えていないだろうか、と、この数ヶ月前から急に衰えた母を思い出して心細くなったりしながら。
八月十五日、あの日、あの正午の様子は、昨日のことのように鮮やかに覚えていて、誰が居たのか、誰に何を言ったのかも、映像として見え、聞こえる。
正午、どうせ食事らしい食事ではないにしても、何かの用意は済んでいた筈の時刻、正午。大きいだけで美味しくないサツマイモか、食べると何故か私は頭が痛くなった饂飩か、トウモロコシか、そんなものが既に用意されていて、家族が食卓に集まる時刻。私はそのために遊びから帰ってきたのだった。
家の前に、近所の大人たちが集まってラジオを囲み聴いていた。大声を出すわけでもなく、皆がうろうろと、ただその場を離れられないという様子だった。言葉を失っていて、ひたすら暑かった真昼。
その景色を何度思い出しながら生きてきたことか。小学校低学年だった私がそうなのだから、大人達はどれほどその日を強烈に記憶し、どれほど切なく思い出してきたことか。と私は、言ったり書いたりしてきた。そして記憶も想像も、其処でぴたりと終わっている。
それなのに、小学校高学年だったのではないかと思われる桑原三郎の思考は、其処でストップしていなかったらしい。いや、そうではないのかもしれない。何年か前にふと気が付いてしまったのかもしれない。でも、どうして、そんなこと思い付くんだ?
あの玉音を聞いたあと「御昼食べたっけ」? 誰か覚えているだろうか。蒸した不味いサツマイモ、食べると頭が痛くなる饂飩は、どうなったんだろう。
本当に「あのとき御昼食べたっけ」? いくら考えても、玉音を聞いたあと何をしたのか、どういう午後を過ごしたのだったか、かすかにも思い出さないのである。
あのあと、私たち何をして一日を過ごしたのだろうか。映像はぴたりと止まったままだ。止まったままだということにさえ気付かずに、気付かないことを不思議とも思わずに生きてきた。
三郎さん、いつ、そんな疑問を持ったのですか? 何かきっかけがあって思い出したのですか? そして思い出しましたか?
思い出せないでしょうね、私たち。この一句によって私たちは一生、あぁあの日、あの昼、食事したっけ? 何か食べたっけ? と呆然とし続けなければならなくなってしまった。この一句を見てしまったから。
あの八月に生きていて、今も生きている人がこの一句を見たら、俳句に関心が無い人であっても百人が百人、あぁ あの日あの時、御昼どうしたっけ? と思うに違いない。
多分全員が、覚えていないことに気が付いて、以後、時折その覚えがないことを思い出して、すっきりしない老後を暮らすことになるのである。
桑原三郎という俳人が居なかったら、この一句がなかったら、誰も気にすることさえせずに一生を過ごすところだった。あの日に、午後はあったのだろうか。そんなことも思わずに、生きて死んでいくところだった。
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桑原三郎 新句集『夜夜』を読む
エッセー
季節はずれですが
池田澄子
八月十五日あのとき御昼食べたつけ 桑原三郎
句集『夜夜』(現代俳句協会刊)を読むことで、私の2014年は始まった。
「よよ」と読むのではない。「よるよる」と読む。「よよ」と「よるよる」は同じ意味だけれど、重さ濃さがちょっと違う。
行く人は必ずまがりあきのくれ
春の風邪うはくちびるは舐めやすい
そうだわ、何処かで必ず曲がるんだわ。私は憑き物が落ちたように、いや、憑き物が憑いたように呆然とした。
三が日は過ぎて一応の日常に戻ったのに、『夜夜』を開いては呆然としている。時々、上唇を舐めて、次に下唇を舐めてみる。上唇のほうが舐めやすい。あんまり舐めて、唇が幾分かさかさになったような気がする。
昔、確か『俳句空間』に、桑原三郎の句集評を書いたことがあって、そのときの出だしを覚えている。「桑原三郎は変な人である」と書いたのだった。(ふらんす堂刊『休むに似たり』所収「巧みさを隠す」)
だって本当に、彼は普通の人じゃないのですよ。
普通の人は、「行く人は必ずまがる」なんて思わない。例え直線の道を真っ直ぐ歩いただけにしても、目的の家に入るには曲がらなければ入いれない、確かに。平仮名の「あきのくれ」が、どの道をも迷路につなげている風情。
あまりにも当たり前なので、普通の人間は、そんなこと気に留まらないし、それを言いはしない。ましてや一句の主題にしようなんて、とても思い付かない。
普通の人は、「うはくちびるは舐めやすい」なんて書かない。書かないだけではなく、そんなこと思わない。例え上唇の方が舐めやすいことに気が付いたにしても、そのことを言葉で反芻して、そのことを作品にしようとは思い付かない。黙って舐めていて、ひょっとしたら、それが癖になるだけだ。
この句集を読み終わるのは大変。頁を捲る度に呆然として、頬杖など付いてしまうから進まないのである。なにしろ唇を舐めてみては、なるほどー、とか、ホントだわー、なんて思っているのだから進まない。7ページから始まる俳句の、ここはまだ11ページ。19ページに、私がひどく痺れた俳句がある。けれど決心して、今夜はこのまま素通りする。
そして掲句。この句を前にして思考が止まった。まだ「Ⅰ」の項にある句だが、このところ日に何度か思い出しては、考え込んでいる。
母に聞いたら分かるかしら、などと思い、あぁ母はもう覚えていないだろうか、と、この数ヶ月前から急に衰えた母を思い出して心細くなったりしながら。
八月十五日、あの日、あの正午の様子は、昨日のことのように鮮やかに覚えていて、誰が居たのか、誰に何を言ったのかも、映像として見え、聞こえる。
正午、どうせ食事らしい食事ではないにしても、何かの用意は済んでいた筈の時刻、正午。大きいだけで美味しくないサツマイモか、食べると何故か私は頭が痛くなった饂飩か、トウモロコシか、そんなものが既に用意されていて、家族が食卓に集まる時刻。私はそのために遊びから帰ってきたのだった。
家の前に、近所の大人たちが集まってラジオを囲み聴いていた。大声を出すわけでもなく、皆がうろうろと、ただその場を離れられないという様子だった。言葉を失っていて、ひたすら暑かった真昼。
その景色を何度思い出しながら生きてきたことか。小学校低学年だった私がそうなのだから、大人達はどれほどその日を強烈に記憶し、どれほど切なく思い出してきたことか。と私は、言ったり書いたりしてきた。そして記憶も想像も、其処でぴたりと終わっている。
それなのに、小学校高学年だったのではないかと思われる桑原三郎の思考は、其処でストップしていなかったらしい。いや、そうではないのかもしれない。何年か前にふと気が付いてしまったのかもしれない。でも、どうして、そんなこと思い付くんだ?
あの玉音を聞いたあと「御昼食べたっけ」? 誰か覚えているだろうか。蒸した不味いサツマイモ、食べると頭が痛くなる饂飩は、どうなったんだろう。
本当に「あのとき御昼食べたっけ」? いくら考えても、玉音を聞いたあと何をしたのか、どういう午後を過ごしたのだったか、かすかにも思い出さないのである。
あのあと、私たち何をして一日を過ごしたのだろうか。映像はぴたりと止まったままだ。止まったままだということにさえ気付かずに、気付かないことを不思議とも思わずに生きてきた。
三郎さん、いつ、そんな疑問を持ったのですか? 何かきっかけがあって思い出したのですか? そして思い出しましたか?
思い出せないでしょうね、私たち。この一句によって私たちは一生、あぁあの日、あの昼、食事したっけ? 何か食べたっけ? と呆然とし続けなければならなくなってしまった。この一句を見てしまったから。
あの八月に生きていて、今も生きている人がこの一句を見たら、俳句に関心が無い人であっても百人が百人、あぁ あの日あの時、御昼どうしたっけ? と思うに違いない。
多分全員が、覚えていないことに気が付いて、以後、時折その覚えがないことを思い出して、すっきりしない老後を暮らすことになるのである。
桑原三郎という俳人が居なかったら、この一句がなかったら、誰も気にすることさえせずに一生を過ごすところだった。あの日に、午後はあったのだろうか。そんなことも思わずに、生きて死んでいくところだった。
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