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【週俳11月の俳句を読む】ふと夢想してしまう 藤幹子

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【週俳11月の俳句を読む】
ふと夢想してしまう

藤幹子



ナッツの瓶ゆびでまさぐり日短   関根誠子

ナッツの瓶の中をこの人は見ていない。探り慣れた瓶を探り慣れた指で,視認せずとも的確に木の実をつまみ出すだろう。

燈火親し眼鏡を透かす拭く掛ける

一連の行為はこれまでも何度となく繰り返されていることだろう。あるいは一晩のうちに何度も。冬の訪れと共に増える機械的な愛撫の繰り返し。愛されているのだ,この眼鏡は。

冬うらら水揚げてゐるモネのポピー

外の暖かい日差しも,わが身でなく絵の中のポピーに降り注ぐ光と呼応し,活き活きとしていくのもまた絵の中の事物の方である。
まなざしの主体は,おそらく室内に滞留している。身の丈の範囲に見たいもの,感じたいものがそろっている。外に出る必要はない。見たければ窓から落葉松を越える日の出を,大きな朴の葉の舞い散るのを見ることができる。かつて恣にした人形,夢の飛行船の模型,追憶の装置には事欠かない。美しい田園風景は絵として壁を彩る。
ぬくもりの満ちる部屋の中で,手の届く範囲で手の届くものを選び,好きなものだけに囲まれる生活は,ナッツの瓶からお気に召すまま探り出す行為を,延々拡大しているようだ。
あまりに充足した部屋に,一読者としてはどこかほころびを,いや,カタルシスを覚えさせるような破壊を,ふと夢想してしまう。
いつか,ガラスを破りツェッペリン号がこの部屋を飛び出す日が来るのではないか。その時初めて,かの人の問いに答えが見つかるのだろう。

山眠るわたしは何を探せたか


第342号2013年11月10日
本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
第343号2013年11月17日
関根誠子 ナッツの瓶  10句 ≫読む
大和田アルミ 桃剥いて 10句 ≫読む
第344号2013年11月24日
岩淵喜代子 広場 10句 ≫読む
相沢文子 小六月 10句 ≫読む




【週俳11月の俳句を読む】他人事とは思えない 近恵

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【週俳11月の俳句を読む】
他人事とは思えない

近 恵




最近、体力とか視力とか記憶力とか集中力の低下がはなはだしい。特に視力に至っては、老眼と視力低下が一気に到来し、近眼用のメガネを作るべきか老眼鏡にするべきか迷いつつ、もしメガネデビューを果たしたあかつきには「メガネっ娘」とか言われるんだろうかなどと妄想してみたり。かといって眼科にも眼鏡屋にも行く気にならないというやる気のなさ。ああ、これは明らかに老化なのだ。「メガネっ娘」ではなく「メガネ婆」ではないか。そういや「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡辺白泉)なんて句があったが、「戦争が老化の奥に立つてゐた」でも何かしら意味を持ちそうだなあ、などと思考は散らばり、くだらないことばかり考えてしまう師走の夜。


霜月の身を水平にして深夜   岩淵喜代子

さて、こちらは師走ではなく霜月。難しくない。ただ深夜に横たわっているだけのことである。けれど「霜月の身を」と言われると、なんとも寒々しい。布団の中ではなく、どこかに直に横たわって体の下側からどんどん冷えていく感じ。霜に持ち上げられて少しだけ体が浮いているような錯覚。こんな時、人は何を考えるんだろう。


林檎噛む時々顔を歪ませて   相沢文子
爪楊枝噛みすぎてゐる一茶の忌

噛むで始まり噛むで終わる小六月である。林檎を齧ると歯茎から血が出ませんか(ああ古い)、いやもうそれどころか歯がぐらぐらしてもげそうなんですよといった風情。そんなになっても爪楊枝をボロボロになるまで噛み続ける。仄かに貧乏くささも漂う。今年の一月から歯根の治療を開始し、来年の一月からは上の歯の矯正に突入する自分としては他人事とは思えない。


ナッツの瓶ゆびでまさぐり日短   関根誠子

歯根の治療は歯茎を切ったり張ったりして、ナッツ類はかなりの天敵である。歯の隙間にも挟まりやすいしね。と、これは個人的な事情であるが。指でまさぐるということは、多分他のことをしているのであろう。読書とかなんとか。で、そんなこんなのうちに日が暮れてしまうのである。ああ、なんと怠惰な一日。気付いたらナッツの瓶も空っぽに。ちなみにナッツ類は意外とカロリーが高いので食べ過ぎには注意したいところ。


霞むまで線路真つ直神の旅   大和田アルミ

霞みの向こうに伸びている線路は、まだ真っ直ぐなんだろうか、それとも緩やかに曲がっているんだろうか。神の旅だけに、もしかしたら雲に向かって上に伸びているのかもしれない。そんなことを思わせてくれる。


高く飛ぶときも鶺鴒波描き   本井 英

鶺鴒が道にいると、ついつい後ろをついて行きたくなる。鶺鴒は背後に何かを察知するのかちょんちょんとにげるように先へ進み、ついには飛び立ってしまう。そんなときも鶺鴒は一直線ではなく、確かに波を描いてちょーんちょーんと飛んで遠くへ行ってしまうのだ。なんだかさみしい。


銀杏降る夜空へ近き交差点   山岸由佳

降ってくる銀杏の葉を見上げるとそこのは藍色の夜空。四方の開けた交差点で、まるで自分の体が宙へ浮いていくのと同時に空が迫ってくるような錯覚。そう、すべて錯覚。信号が赤になる前に渡らないと、本当に天に召されてしまいかねないです。


かたや魔弓こなた鎌先夕刻に   仁平 勝

初めて異性と二人で見に行った映画は、千葉真一、真田広之、薬師丸ひろ子が出演していた「里見八犬伝」だった。バイト先で偶然一緒になった彼は、二つ年下の高校の後輩で、在学中は接点はなかったのだが実は顔が好みだったので密かに名前を知っていた。そんな訳で何かしらチャンス到来。バイトが休みの日に思い切って映画を見に行こうとデートに誘ったのだ。ただ映画を見て、喫茶店でお茶をして、それだけ。翌日からまたバイトに勤しみ、冬休みが終わってそれっきりである。映画の内容は全くといっていいほど覚えていないけれど、魔弓とか鎌先とか、いかにもその映画に出てきそうではないか。この句を読んで、そんなことを思い出してしまった。10代の終わり頃の話。


第342号2013年11月10日
本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
第343号2013年11月17日
関根誠子 ナッツの瓶  10句 ≫読む
大和田アルミ 桃剥いて 10句 ≫読む
第344号2013年11月24日
岩淵喜代子 広場 10句 ≫読む
相沢文子 小六月 10句 ≫読む

【週俳11月の俳句を読む】 ことりことりと 杉原祐之

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【週俳11月の俳句を読む】
ことりことりと

杉原祐之



週刊俳句11月に掲載の作品から一人一句ずつ引いてみた。

俳句というのはやはり季題が利いていて作者の得意げな顔が表に出すぎない作品というのが好ましいのではないか、という思いを新たにした。

閘門の照らされてゐる夜寒かな 本井英

→季題は「夜寒」。
「閘門(こうもん)」は船を通すために運河の水位を調整する機能を持った堰。世界的に名の知られたものではパナマ運河やスエズ運河にある。私もカナダにいたときにPeterborough(ペーターボロー)という町に世界最大の「何とか式閘門」というのを見た(下記写真)。


掲句の「閘門」はそのような大きなものでなく、日本のごくごく普通の川にあるものであろう。遡ってくる波が閘門に当たりそこに月明かりと電灯の明りが指す。如何にも晩秋の夜寒という風情が醸し出されている。

寝袋に入り木の実の音つづく 山岸由佳

→季題は「木の実降る」。
テント泊まりの夜、寝袋に入りしんと静まり返った闇の中では聴覚が敏感となり周辺の動植物の物音が妙に気になる。なかでも木の実の降る音が気になった。昼間の明るいときには気が付かなったが、夜の闇の中で音で聴く旺盛に木の実が降ってくる現実に自然の活動のスケールの大きさを見た。落ちた木の実から来年新しい命が誕生していく。


かたや魔弓こなた鎌先夕刻に  仁平 勝

→二人以上の女性俳人の名を五七五に読み込んだ十句。作者の華麗なる「技」に感嘆した。ある意味「解題」は不要であったかもしれない。結果として冗長に「技自慢」となってしまった感がある。それにしてもこの連作から、己の言葉の抽斗を充実させる必要を改めて実感した。

色抜けし狗尾草よおまへもか 関根誠子

→季題は「狗尾草」。
上五で枯色を「色抜けし」と強く呼び、下五で「おまへもか」と畳み掛けることで周辺の野の枯色具合へと連想が広がった。「色抜けし」の把握に至るまでしっかりと季題と会話をしていたのではないかと思う。

霞むまで線路真つ直神の旅 大和田アルミ

→季題は「神の旅」。
神無月の傍題。意外に鉄路というのはレールと温度の気温差が発生しやすいので水蒸気が上がりやすく、靄が出てしまい易い。その光景を上手に切取り、ある年末が近づいてくることを実感させる「神無月」と取り合わせたところが手柄であろう。この句も写生が背景にあるので、取合わせの面白さだけではなく、一歩踏み込んだ余情が出ているのではないか。

誰からも見えて広場の冬帽子 岩淵喜代子

→季題は「冬帽子」。
実に巧みな句。難しい表現や技は見せずに、寒々とした冬の公園と原色(私は赤と思う)の鮮やかな冬帽子、そしてその帽子にふさわしい溌剌とした若い女性(女の子含む)がどんどんこちらに向かっている様子が手に取るように分る。省略の仕方含め極めて感心した一句。

古本の脇に白菜積まれけり 相沢文子

→季題は「白菜」。
作者は「ホトトギス」の編集部で働かれており、実に虚子以来伝統的な「ホ社」の俳句を感じた。日常の何気ない様子を写生し、何気ない風景から市井の人々の暮らしの息遣いをとらえている。古本と白菜に何の因果もないが、それを並べることで市井の人々の暮らしが浮かび上がってくる。



実はこの夏にカナダから帰国して以来あまり俳句に熱心になれない自分に戸惑っている。思ったより日本での仕事/暮らしが多忙というのもあるが、俳句に対し向い合わなければ・詠まなければという思いが強く、苦しくなってしまっていた。

今回、「週刊俳句」から鑑賞の機会を与えて頂き、しっかりと読み込むことで、難しいことや格好良いことを読むのが俳句ではなく、自の現状を肯定し季題に託してゆくという姿勢の大切さを改めて思うことが出来た。

第342号2013年11月10日
本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
第343号2013年11月17日
関根誠子 ナッツの瓶  10句 ≫読む
大和田アルミ 桃剥いて 10句 ≫読む
第344号2013年11月24日
岩淵喜代子 広場 10句 ≫読む
相沢文子 小六月 10句 ≫読む

【週俳11月の俳句を読む】ひととおりではない気持ち 阪西敦子

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【週俳11月の俳句を読む】
ひととおりではない気持ち

阪西敦子



閘門の照らされてゐる夜寒かな  本井英

開閉によって水位を変え、船を通してゆく閘門。その虚を突くようなからくりは人をひきつけ、見物もでる。その閘門が今煌々と照らされている。月明かりか、設備によるものか、大きな水をうごかす鉄の塊が夜に浮きあがるさまは、ふと体の奥から寒さをもたらせる。

二十歳でフランスへ留学した時、当地には本井英氏がいるだろうと句会の先輩方に言われていた。会うと良いと。なるほど興味を抱きながら、たいがいの二十歳がそうであるように(今ではそうでもないのか)、大人と関わるのは億劫だ。何がどう動くかわからないし、外国では特に。結局、連絡の取り方もわからず(もちろん求めれば見つかったと思うけれど)、お会いしにもいかなかった。最近、機会があって、氏の手がけた渡佛日記について調べ、氏がフランス滞在をきっかけに書かれた本を読みなおした。すっと悔いのようなものが消えた。物にも人にもきっと会うべき時には会う。あの時はきっとお会いしなくてもよかったのだなと思う。


遠くよりコスモス指してゐる水辺  山岸由佳

すこし言葉足らずな作りなのだけれど、水辺の遠く、同じ視界に入るか入らないかのところにコスモスがあって、そのしなった先が水辺を向いているのだと思う。コスモスの花を見ていて、その外を見るのは難しい。コスモスの群は大きいから。しかし、その視線の合わないコスモスを見るうちに、この花の意識はどこへ向いているのか気になりだしたのだろう。はっと気づいて眺めれば、そこには水辺があった。水辺との距離や、言葉足らずなことによって水辺からも照らされるコスモスが見える。由佳さんが吟行をする人だと知っていて、そう思っている。ときどき一緒に吟行する。月末が楽しみだ。


シャイな旗抵抗もいま一途恋  仁平勝

「女の園」(二人姓名読込之句・弐)より。女性俳人二人の名を一句に詠み込む。全部を見つけ出すのに常磐線一駅分。羽鳥から石岡の間かかったので、約5分。これは早いのか、遅いのか。ご近所にしてお会いする機会の多い鳥居真里子さんが一番最後まで見つけられなかった。文字で認識していないからかもしれない。作者解題にある「一句の意味も偶然にできたものですから、変に深読みしないでください」というのが曲者で、余計いろいろ考えてしまう。それにしてもわが師・汀子、わが先達・千鶴子の名の掲句はやはりいい。華やかでおおらか。『民衆を率いる女神』を思う。


ナッツの瓶ゆびでまさぐり日短  関根誠子

引き続き常磐線に乗っている。ナッツを指でまさぐりながら。入れものはビニールのパックだけれど。パソコンに向かっているようだけれど、本当は斜め前の席に座っている、時を追うごとに奥さんが聞こえよがしに甘えたになってきている夫婦の話を聞いている。「ねえ、(車内のパンフレットに)トム・ハンクスよ!」などというのを聞いている。

ナッツは取りにくい。丸く、塩が振ってあったりして、油も滑る。壁面にそって持ち上げても、最後のところで落ちたりする。でも、それもまたよい。瓶をもちあげて、傾けてとれるようになってからつまめばよいのだけど、それだと両手を使う。ナッツを食べるのは両手を使うほどのことではない。日が落ちてゆく。


実朝の墓の暗きに残る蜂  大和田アルミ

源氏最後の将軍にして歌人であった源実朝。若くして暗殺によってこの世を去った実朝は今も若く美しい。墓は鎌倉寿福寺にある。この寺には高濱虚子の墓もある。ともに谷戸の中にあって、墓の影ならずともあたりは暗いのだ。その暗がりの中に秋の蜂を見つけた。冬を越すものは雌であるという。この蜂がどちらかはわからないけれど、若くして多くの人に慕われながら、当然にこの世を去った実朝の墓に姿を現した蜂は、季題としての膨らみがいい。「御恩と奉公」として教科書にさらりと残された関係性の中に、多くの情があったことを改めて思う。あ、アルミ姉さん、私もあの夜の吉祥寺の御恩は生涯忘れません。


梟に胸の広場を空けてをく  岩淵喜代子

「広場」と題された連作の最終句で、今、広場は「胸」にある。「胸」は心とも取れるけれど、胸部ともとれる。遠く鳴く梟に心を奪われているようであり、ふさふさした姿を抱きとめたい気分でもある。実体はないが、不思議に感触はある。


犬の毛のふくらんでゐる文化の日  相沢文子

文ちゃんだ。仲良しだ。書きづらい。そもそも知っている句が多い。どこかでとった句も多い。しかし、掲句はそうではなく、今回初めて見た句。文化の日に、身ぎれいでふさふさした犬がゆく。なにやらお仕着せめいた名の祝日に、人とともに満足そうにいる犬の姿は、明確な気分を伝えるわけではないのだけれど、こちらにひととおりではない気持ちにさせる。読む者、読む時によって、句意は変わらないが、余韻は変化する。友人でもあるが、好きな作家でもある彼女の句は、なかなかきちんと見るのが難しい。友人のする話はなんとなく通じることの高揚もあって、その話が実際面白いかどうかということだけで、笑うわけではない。友人の句も同様、聞いているそばからわかるということがある。句会の中、無記名で回ってきても、なんだか届くなあと思うものは、彼女の句であることも多い。一方で、作家として好きな句は、読みはじめて終りがわかるような類のものではなく、親しいものには通じる目端の効いたものでもなく、表現がすこぶる気持ちいいものでもなく、どちらかというと平らかで、終わってから少し漣が起きる程度のもの。その瞬間は、知らない人を見ているようだ。


第342号2013年11月10日
本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
第343号2013年11月17日
関根誠子 ナッツの瓶  10句 ≫読む
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相沢文子 小六月 10句 ≫読む

再説「俳句の文語」(後編) 文語・口語の混用は、歴史的に正当である 大野秋田

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 再説「俳句の文語」(後編) 
 文語・口語の混用は、歴史的に正当である

大野秋田


346号 再説「俳句の文語」(前編)完了「し」再説  ≫読む

237号「助動詞『し』の完了の用法」(以下「A稿」)
283号「文法外の文法」(以下「B稿」)
284号「俳句の文語」以下「C稿」)
  


Ⅱ. 文語俳句にまじる口語 


現代短歌の口語化はめざましく、老巧新鋭を問わず口語の歌、文語口語を混用した歌を詠んでいる。「私は文語で歌を詠むが、文語に口語を融合させることが、積年の課題となっている」(『短歌』平成20年8月号「特集 文語で詠むか口語で詠むか」中の日置俊次「文語と口語の融合について」)という歌人さえいる。

短歌においては口語の使用に何も制約はない。俳句で文語と口語を混用すると、短歌の世界では考えられない批判を受ける。

『俳句』9月号の文法特集では、形容動詞ナリ活用の連体形「…なる」を「…な」の口語形で使うことを誤用としている。

俳諧俳句において文語と口語の混用はありふれたものであり、歴史的に見て正当な用語法である。すでにC稿に触れたことだが、ここに具体例を挙げて再説し、またなぜ俳句=文語と思われるようになったかについて述べたい。

口語混用への批判

口語の俳諧俳句は近世近代現代を通じてあり、すべて口語を使って作った句が批判されることはない。しかし、文語の俳句に口語を混用すると、そのこと自体がしばしば批判の対象となり、文法上の誤りが指摘されることもある。



① 『俳句』9月号の「文語文法入門」第2週の「よくある間違い」の中で、龍太「汗の背にはるか夕日わかちなし」、節子「朝はたれもしづかこゑに寒卵」の形容動詞連体形の口語を、「うっかりミス」「注意不足」としている。 

→ 『七部集』にも「大きな」「たしかな」「あたたかな」は出てくるし、近現代俳句にはいくらでもある。

またナリ活用型の助動詞「やうなり」の連体形が「やうな」の口語形で使われることもはなはだ多い。

千川「しら梅やたしかな家もなきあたり」(『続猿蓑』)
蕪村「貧乏な御下屋敷や杜若」
子規「あたたかな雨がふるなり枯葎」
碧梧桐「磯山の日うらゝかな雪解かな」
不死男「芽のやうな胎児に柚子湯沸きにけり」
直人「おそはるるやうな暗がり桃熟す」
裕明「引鴨や大きな傘のあふられて」
絵理子「安らかな落葉の嵩となりにけり」
鞆彦「吊り革のしづかな拳梅雨に入る」
克弘「わが部屋のきれいな四角夏痩す」



② 池田俊二『日本語を知らない俳人たち』は、口語の一段活用「過ぎる」「跳ねる」「消える」などを使った文語の俳句を10句ほど挙げて明らかな誤りとしている。(文語の上二段・下二段活用は、室町時代に口語上一段・下一段活用になった。たとえば「起く」が「起きる」に、「流る」が「流れる」になった。一段活用化は江戸時代の初期に完成した。「出来る」はカ変「出来」から変化)

→ 口語一段活用も俳諧俳句を問わずありふれたものである。

芭蕉「秋をへて蝶もなめるや菊の露」
支考「涼しさや縁より足をぶらさげる」(『続猿蓑』)
蕪村「学問は尻からぬけるほたる哉」
子規「芒芽をふきぬ病もいえるべく」(明治31)
草田男「田を植ゑるしづかな音へ出でにけり」
六林男「砲いんいん口あけてねる歩兵達」
欣一「岩場涼しき山頂に牛追い上げる」
狩行「数へ日の数へるまでもなくなりぬ」
朗人「火を吐いてみせる男や巴里祭」「龍天に登る心に魚跳ねる」
紗希「次々と夢訪れる障子かな」。 



③ 『俳句』平成22年10月号のの「合評鼎談」に、奈菜「夏鴉羽を広げたまんまなり」について、誤りとしているわけではないが、「〈広げた〉〈なり〉という口語と文語の入り交じった表現には違和感があります。これからの俳句の大きい問題点ではないですか」という発言がある。

→ 「た」は俳諧に多く見られる。山田孝雄『俳諧文法概論』(昭和31)には「頗る頻繁に用ゐらるゝ」と書かれている。子規にも多い。漱石に12句ある。

貞徳「水桶にはつたは氷ざたう哉」(『犬子集』)
長之「いまきたといはぬばかりの燕かな」(『あら野』)
村俊「朝鮮を見たもあるらん友千鳥」(『あら野』)
之道「雲のみね今のは比叡に似た物か」(『猿蓑』)
蕪村「一わたしヲクれた人にしぐれ哉」
几董「酔ふて寝た日のかずかずや古暦」(『あけ烏』)
井月「不沙汰した人も寄合ふ煮酒哉」
子規「来あわした人も煤はく庵哉」(明治26)
「活きた目をつゝきに来るか蝿の声」(『仰臥漫録』)
漱石「何となう死に来た世の惜まるゝ」(明治27)
紅葉「暁の鷽替へて来た袂かな」(『俳諧新潮』)
虚子「田植女の赤きたすきに一寸惚れた」
兜太「伏せた柄杓に闇より出でて雪つもる」
澄子「コスモスや放った石が落ちて来ぬ」
雄介「寝た順に起きてくるなり猫柳」


口語使用の淵源は俳言

文語俳句に口語を混用できないというのは根本的な誤解である。俳句は俳諧の時代から口語を混用していた。それは俳諧が俳言(はいごん)を用いるものだったからである。

俳言についてはC稿で述べたので繰り返さない。『角川古語大辞典』の簡明な説明を引く。

俳諧用語。優雅な和歌・連歌には用いない、俗語、漢語、仏語、当世の詞、俚諺など。貞徳が指導的・啓蒙的な意味で、俳諧という文芸の性格を言語の面で明らかにするため、俳言の有無によって俳諧と連歌とを分かつ俳言説を唱えたので、貞門俳諧では特に重視された。その後、談林・蕉風においても俳言を嫌わず、進んで用いることが習慣となり、わが国の詩歌の中における俳諧の特性をきわめて明確に示すものとなった。

ここで俗語というのは今で言う俗語ではない。「世間一般の人が日常に用いることば。詩歌文章に用いる雅語の対」(『角川古語大辞典』)、「詩歌・文章などに用いる文字ことば(雅言)に対して、日常の話しことば」(『日本国語大辞典』)である。雅語雅言に対する俗語俗言という言い方は明治時代でも使った。

我々が今俳句の文法を論じて文語口語といって問題にする場合の口語は、文語から変化した口語だが、それは和歌連歌では使わないから当然俳言に属するものだった。

いくつかの例を芭蕉の句から挙げる。

形容動詞連体形の「…な」→「詠むるや江戸には稀な山の月」
助動詞「やうなり」の連体形「やうな」→「御命講や油のやうな酒五升」
口語一段活用→「梅が香にのつと日の出る山路かな」
「たり」から変化した口語の助動詞「た」→「盗人に逢うた夜もあり年の暮」
四段活用の「死ぬ」→「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」
「にて」から変化した口語の助詞「で」→「八九間空で雨降る柳かな」。

これらは近世の俳諧はもちろん、近現代の俳句でもさかんに使われた。貞門談林蕉風の時代に重視された俳言という概念はやがて忘却されたが、俳句では口語を使ってかまわない、文語口語の混用はかまわないという伝統は脈々と受け継がれた。

近代俳句の始祖正岡子規も、その伝統を認識し実践していた。

俳人蕪村』(明治30)の「用語 (三)俗語」において「極端の俗語を取て俳句中に挿入したる蕪村の技倆」を称揚、「酒を煮る家の女房にちよとほれた」「杜若べたりと鳶のたれてける」「化さうな傘かす寺の時雨かな」の句の傍線部に圏点を付している。

また、『俳句問答』(明治29)で「新俳句」と「月並俳句」の違いについて「第四、我は音調の調和する限りに於て雅語、俗語、漢語、洋語をも嫌はず」と述べている。

音便も俳言

動詞形容詞の音便も俳言だった。音便は中古の文語文法だが和歌では使わなかった。信綱、晶子の短歌に形容詞ウ音便があり古典に先蹤があるのかもしれないが、古典和歌を読んでいて音便に出くわすことはまずないであろう。

近代短歌でも、口語歌は別だが、なかなか使わなかったのではないか。文語の歌に音便を多く使ったのは前川佐美雄『植物祭』(昭和5)あたりが最初であろう。啄木『一握の砂』(明治43)、茂吉『あらたま』(大正10)、佐藤佐太郎『歩道』(昭和15)、宮柊二『群鶏』(昭和21)で調べたが、『一握の砂』に「泣いて」、『あらたま』に「滴つて」、『群鶏』に「啼いて」しかなかった。

俳句では音便は近世近代現代を問わずさかんに使われた。使わない俳人はいない。淵源は俳言である。


二種類の口語

「船団の会」のホームページ「俳句e船団」は、毎日、坪内稔典の一句鑑賞を掲載している。

平成15年1月22日の「日刊:この一句」は矢島恵「オリオンや人魚の臓器きつと青」について

「今日の句は、『や』という文語の切れ字をを用いながら、『きつと』という現代語も用いている。つまり、文語と現代語(口語)が混在しているのだが、これはある意味でとても今日的現象だ。俳人の中には文語、そして旧仮名遣いを守れ、と解く人があるが、馬鹿じゃあるまいか、と思う。俳句は用語は何でも、文法も破格結構、要するにめちゃくちゃでよい。めちゃくちゃこそが俳諧・俳句の伝統というものだ」

と記している。

近世俳諧に精通する坪内が文語と口語の混用を「今日的現象」といった「ある意味」が今ひとつわからないがそれは措く。

注目すべきは「きつと」を取り上げたことである。副詞「きつと」は『平家物語』にも出てくる古い言葉だが口語である。俳句で口語が問題にされるのはもっぱら文語から変化した口語だった。稔典は、はじめから口語として生まれた言葉を文語俳句中の口語として問題にした。

そういう口語は、俳諧俳句の中に、近世近代現代を問わずいくらでもある。

『七部集』で見ると。動詞では(終止形で書く)「はまる」「値切る」「引きずる」「書きなぐる」「こはがる」「こかす」「どさつく」「はいる」「出盛る」「ひきたくる」「しらける」「ふらつく」「ちらつく」「へばりつく」。形容詞「だだびろき」「やるせなき」は口語を文語のように活用させたもの。助動詞「さうだ」の連用形「さうに」、連体形「さうな」。形容動詞「きさんじな」。副詞では「うつかりと」「すごすごと」「ひよろひよろと」「はらりと」。

現代の俳句ではどうか。『現代俳句集成』(平成8)は最年長甲子雄から最年少尚毅まで61俳人の撰集。初めから12名(甲子雄、マサ子、眸、完市、多映、直人、郁乎、あきら、狩行、裕、枇杷男、朗人。各200句)で見ると。(動詞のみ挙げる)「はにかむ」「はちきれる」「青ざめる」「温もる」「見つめる」「こわれる」「ずらす」「のぼりつめる」「こげつく」「教はる」「ひつつく」「濁す」「まぶしむ」「ひつかかる」「敷きつめる」。(ちなみに二段活用から変化した口語一段活用の動詞は28句にあった)

これらはすべて『古語大辞典』(小学館)に項目がないか、あっても中世や近世以降の用例であり、かつ用例に最古例を出す『日本国語大辞典』に中世や近世以降の用例しかないものである。(「まぶしむ」は辞典にはない。歌人俳人専用の語)

文語に前身を持つ口語、初めから口語として生まれた口語、一見文語の俳句も仔細に見れば多くの口語が使われている。


なぜ俳句=文語という通念が生まれたか

なぜ文語俳句に口語を混用できないと思われるようになったのか。近代俳句が口語の混用を嫌うようになったからである。

明治になって、出版物が著しく増加し、新聞も広く読まれるようになり、世の中全体に文語が行き渡った。口語文体はまだ発達していなかった。

松村明『国語史概説』によれば、子規が『叙事文』で写生文に言文一致体が適していると説いたのが明治33年、言文一致会が全国連合教育会に「小学校の教科の文章は言文一致の方針によること」という議案を提出し可決されたのが明治33年、幸徳秋水が『言文一致と新聞紙』に新聞記事の言文一致化を主張したのが明治35年である。

文語の普及に与ってもっとも力のあったのは教育だった。ふつうの人がこれほど文語を学んだ時代はかつてなかった。小学校の教科書も当初はすべて文語文だった。部分的に口語文の教材が入ったのはかなり後である。(すべて口語文になったのは、修身が大正7年、理科が大正11年、国史が昭和9年) 

明治43年より使用された第二期国定国語教科書『尋常小学読本』(『日本教科書大系 近代編 第7巻』)を見ると、4年用の約4割、5年用の約7割、6年用の約8割が文語の教材である。(大正7年の改訂では半分以下に減りかつ平易になっている)普通文が主で書簡文(候文)と詩(唱歌)も入っている。

題材は地理歴史生活経済教訓等々。日本の古典や漢文の史話もあるが、古文や書き下し文そのままではなく、普通文に近い文体に直したものである。

文語教材の一例として「鳥居勝商」(6年後半用)の一節を示す。「進み出でて其の使たらんことを謂ひ、約していふやう、『事の成否は今より予測すべからず、若し向ひの山にのろしのあがるを見ば、幸にして城を出でたりと知れ。三日を過ぎなば、又山上に来りて援軍の消息を示さん』と」

なお高等小学校旧制中学校高等女学校には文語の作文もあった。文体は普通文と候文である。

社会や学校で文語を学べば学ぶほど、口語を混用した文語は中途半端でだらしないものと見えただろう。明治期の俳人間に、俳句に口語を混用すべきではないという考えは徐々に広がっていったと思われる。

近世の俳諧に口語がまじっていたことは知っていたはずだが、文法に無知な旧時代の陋習と思ったのではないか。



口語の助動詞「た」の使用を一つの物差しとして調べて見た。

明治14年刊行の西谷富水編『俳諧開化集』(新日本古典文学大系 明治編『和歌 俳句 歌謡 音曲集』)は歌仙半歌仙29巻、発句390の撰集。「た」は連句に35、発句に8ある。

子規はしばしば「た」を使ったが、『子規全集』によって初期の明治18~25年(2043句。『寒山落木 一』)と、晩年の明治32年~35年(2480句。『俳句稿』[俳句稿以後])で比較すると、「た」は42句から8句に減少している。

前述のように子規は「俗語」を使うことを宣言していた。減少は子規の考えが変わったのではなく、世の中の俳句全体が口語を混用することを忌避するようになっていったことの反映だと思われる。

明治36年刊行の尾崎紅葉編『俳諧新潮』(明治文学全集『明治俳人集』)は、秋声会とその周辺259名、1305句の撰集である。「た」は11句にある。

明治39年~40年に刊行された碧梧桐編『続春夏秋冬』(『明治俳人集』)4107句中に「た」は0である。碧梧桐の明治期の句を乙字が編纂した『碧梧桐句集』(大正5年)に「た」は0である。


俳人と短歌

昭和期に活躍した俳人の短歌とのかかわりにも注目すべきである。

現代日本文学大系』(筑摩書房)の年譜から引く。秋桜子「大正9年 28歳 一年あまり窪田空穂の指導を受ける」。青畝「大正15年 27歳 このころ万葉語を句に詠みこみはじめた」。誓子「大正9年 19歳 啄木の短歌を愛好」。草田男「昭和2年 26歳 茂吉『朝の蛍』を読み感銘を受けた」。不器男「昭和3年 25歳 『万葉集』を読みかえし、茂吉、赤彦らの歌論に傾倒した」。楸邨「大正10年 16歳 この前後から短歌を作り、啄木、茂吉、白秋、千樫を愛読」

これらの俳人は多くの近代短歌を愛読しただろう。



誓子と秋桜子の第一句集には短歌の影響と古語に対する志向が見られる。

誓子『凍港』には、アララギ派の歌人が使った万葉語が「おほわた」「なべに」「わぎも」「ひんがし」「(い)」「(いや)」など16語ある。

「唐太の天ぞ垂れたり鰊群来」も左千夫「高山も低山もなき地の果ては見る目の前に天し垂れたり」を意識したのであろう。

「新婚」に「にひめとり」とルビを付しているが古語の造語である。



秋桜子の『葛飾』は、品格ある玲瓏たる調べを基調としている。

福永耕二によれば、秋桜子は「歌は調べなり」という空穂の理念を俳句にどう応用していくかに最も苦心したという。(『鑑賞 現代俳句全集 第四巻』)

影すなり」など聴覚と関係のない終止形接続の「なり」(中世以降戦後まで詠嘆と考えられていた)が三句にあるが、当時の短歌の影響である。「来し方」「おもひきや」という歌語もある。「との曇り」「とよもす」「つばらに」という万葉語がある。

楸邨の『寒雷』にも「しんしんと」「ほとほと」「かうかう(たる)」という茂吉の『赤光』『あらたま』にある語が見られる。『不器男句集』に「しかば」を「たれば」の意味に使った句が2句あるがアララギ派の歌に学んだのであろう。



このころの俳句・短歌・詩の間の垣根は現代よりもずっと低かった。前記6俳人以外にも短歌を読んでいた俳人は多かったと思われる。

茂吉白秋に代表される大正期の短歌の、洗練された格調高い文体は魅力的だった。近代短歌の成熟した文体になじめばなじむほど俳句の文語は短歌の文語に同化した。秋桜子は『高濱虛子』(昭和27)の中で、虚子「田植女の赤きたすきに一寸惚れた」(昭和4)に「つよい反撥を感じ」たと書いているが、俗な口語を嫌悪したのではないか。



俳句の「文語化」は昭和前期に完成した。昭和前期は歴史的な句集が続々刊行された近代俳句の黄金時代である。

個々の句集を仔細に見れば口語がないわけではないが、この時代の俳句を全体として見れば鬱然たる文語の森をなしている。

その森を仰いで育った戦後の俳人の多くも強く文語を意識した俳句を詠んだ。


口語の使用は俳句の伝統

しかし面白いものである。現代俳句には、用語が近世の俳諧に回帰したかのように、文語に口語を混用した句がしばしば見られるようになった。

混用の俳句には、冒頭に述べたように文法上の誤りが指摘されることがあるが、俳句の文法は口語の使用を前提に論じられるべきである。

たとえば漱石「仏には白菊をこそ参らせ」(明治29)、虚子「網戸嵌め只強くこそ住みなせ」、閒石「冬の橋着飾ってこそわたるべし」のような句の場合、結びの誤りがいわれることがある。

しかし口語の「こそ」なら已然形で結ぶ必要はない。(そもそも近代の韻文は係り結びを絶対視しなかった)

また、蕪村「二もとの梅に遅速を愛すかな」や子規「船長の愛す菫の小鉢哉」(明治31)のような「愛す」は「愛する」が正しいという説がある。 

「愛す」はサ変だが、漢字一字のサ変動詞の一部は江戸時代には四段にも活用した。今でも連体形のサ変「愛する」、五(四)段「愛す」は併用されている。

この両句は口語の連体形を使ったのである。

今野寿美『短歌のための文語文法入門』は、サ変「愛せし」四段「愛しし」の両形の接続を認めている。現代の歌人の文法観は柔軟である。

短歌は明治になっても「かにかくに祇園は恋ひし寐(ぬ)るときも枕のしたを水の流るる」(『酒ほがひ』吉井勇)だが、俳諧は元禄時代でも「縁に寐(ね)る情や梅に小豆粥」(『続猿蓑』支考)である。

口語一段活用も和歌では使われず、短歌でもなかなか使われなかった。俳諧は「俗語」(=日常語・口語)を使うところにその用語の特性があり俳句はそれを受け継いだ。
 


口語下一段「出る」は多くの俳人が使う。

俳諧俳句を通じてさかんに使われたから文語だと思われているのかもしれないが、中世に下二段「出づ」が一段化した口語である。

近代短歌ではやはり「出づ」を使い「出る」はあまり使わない。音便同様前記4歌集で調べた。(「思ひ出づ」「出で来」など複合動詞を含む)

『一握の砂』「出づ」33対「出る」2。以下同様に『あらたま』22対0。『歩道』28対1。『群鶏』20対2。なお4歌集に「出る」以外の口語一段活用は『一握の砂』の「(飛び)おりる」「(息)きれる」のみである。

同じ文語を使っているように見えても、短歌には短歌の、俳句には俳句の文語のあり方があった。

口語をまじえず俳句が作れる俳人はいないであろう。動詞「出る」「出す」、口語一段活用、助詞「で」などは誰でも使うのではないか。

前記「合評鼎談」は、「た」の使用にクレームをつけても、同じく口語の「さうに」「やうな」の使用にはお咎めがなかった。この口語はいいがあの口語は駄目などという恣意的な基準は基準にならない。

口語の使用に制約はない。俳句における文語と口語の混用は、俳諧の伝統を受け継いだ正当な用語のあり方である。


補足子規の句に見る口語の減少

「た」についてはすでに述べたが、『子規全集』によって初期の明治18~25年(2043句。『寒山落木 一』)と晩年の明治32年~35年(2480句。『俳句稿』[俳句稿以後]」で口語一段活用の動詞(「出る」を除く)の使用を比べると、これも33句から14句に減少している。(複合動詞を含む「出る」は26句→26句)。

また口語の助動詞「さうだ」(子規は「さうなり」「さうなる」と文語風な活用もしている。俳諧にはある)の語幹「さう」連用形「さうに」連体形「さうな」は11句から1句に減少している。なお助動詞「し」は33句(完了32、不明1)から131句(完了120、過去8、不明3)に増加している。

SUGAR&SALT 05  何処かに水葬犬が嗅ぎ寄る秋の海 三橋敏雄 佐藤文香

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SUGAR&SALT 05 
何処かに水葬犬が嗅ぎ寄る秋の海 三橋敏雄

佐藤文香

「里」2010年8月号より転載


俳句は一たび作者の手を離れてのちは、そこに使われた言葉の意味と韻律から触発される映像表現に一切を懸けている。厳密には作句以前の作者の思想や環境、時と場所等から忖度されるものを加えて、一句の力としてはならないと思う。厳正独立の一句、そこから言葉は始まらなければならない。(『まぼろしの鱶』後記より)
……初めて俳句に関して書かれた文章に衝撃を受けた。随分前に、今では師匠の池田澄子に俳句を見てもらった。雑な作りの私の句に対して澄子さんは「俳句は言葉だから」と言った。だから言葉は丁寧に適切に使わなければならない、といった内容だったと思う。

上の文章を知ったのとは全く別の機会である。

俳句が言葉であることは、私にとっては感動的なことだった。言葉は、文学以前のものだ。言葉と感性は、言葉と経験は、知識は、思想は……別物だ。言葉を信じることならできると思った。

レースのカーテン透く海での死夜がくる (『まぼろしの鱶』)
浸る教科書透明な夏の終り

生きている今から見える、いずれも透明な終焉。

これは三橋敏雄が25年以上ものあいだ海に関わる仕事をしていたことを知らずとも読めるし、私でも書けたかもしれない。俳句は言葉で、私はこの2句につかわれている言葉をすべて知っている。嬉しかった。

ふらんす堂文庫の三橋敏雄句集『海』は「海」をテーマとして152句を作者が自選したもので、その時点での9冊の既刊句集とそれ以後の作品のほかに『まぼろしの鱶』拾遺から10句入っている。

『まぼろしの鱶』後記に「個人的事情や社会的背景への理解を、条件としなければ成り立ち難い作は除いた」とあるが「合わせて三十年間の作、三百二十一句、いかにも精選の趣であるが、ここに収めた作は総てよろしく、収めなかつた作を悉く悪しと思つている訳ではない」ともある。

ちょっと海関係多いな、などという理由で外された句があったかもしれない。また、もしかしたら、本来ならば条件なしに読めるはずの作品なのに、思い入れが強いばかりに作者自身ある条件を付加することを望んでしまい、それゆえ句集に入られなかった名作が、まだあるかもしれない。

長き航海死なれて空の鳥籠と (『まぼろしの鱶』拾遺)

真説温泉あんま芸者 第12回 全世界目録 西原天気

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真説温泉あんま芸者 第12回
全世界目録

西原天気


この世界がもしも岩下志麻と若尾文子だけで出来ていたら、どんなにか素晴らしいだろう。

しかしながら、ご承知のとおり、世界の成り立ちは、そうではない。世界は「いろいろなもの」で出来ている〔*1〕

  突如そこに砂浜があり茄子があり  村越 敦〔*2〕

砂浜がなぜそこにあるのか。茄子はなぜああなのか。エレガントな説明、精緻で明晰で簡潔な叙述は可能で、それはそれで世界の成り立ちを美しく私たちに伝える。

けれども、〈それら〉が突如そこにあること、理由なく、体感的には偶然として、そこにあることもまた、世界の一様相にちがいない。ちがいないからこそ、この句は、説明も描写もなく、唐突に「砂浜」と「茄子」を「そこに」置く。

俳句とは、総体として「全世界目録」を成すものかもしれない〔*3〕

物語の歴史や詩的なイコノロジー(図像学)の切り口から、砂浜との邂逅(視界に砂浜や海が突如として広がる物語のシーンを私たちはいくつも知っている)、茄子の突拍子のなさ(なんなのだ? あの形状は)を指摘することで、この句を鑑賞/賞賛することもできるだろう。しかし、それよりもまえに、俳句とは、つねに「いろいろなもの」のうちのひとつ(あるいは、いくつか)を、そこ(句)に置くことだけで世界を伝えようとするものであることを、あらためて思い知るだけでよい。

描くことをやめ、理由や背景との関係を断つ。

この行為、作者の行為を「用意周到な無責任」と呼んでもさしつかえない。句が「突如」性を獲得するには、「突如」と言う/書くだけではダメなのであって、なんらかの工夫が要る〔*4〕

砂浜がなぜそこにあるのか。茄子はなぜああなのか。俳句はその問いに答えやヒントを与えることはできない。俳句ができることは、砂浜が「そこにあってしまう」こと、茄子が「ああであってしまう」こととの遭遇だけである。

この遭遇が何の役に立つのかといえば、何の役にも立たない。砂浜の美化に、茄子の品種改良に、俳句が協力することはない〔*5〕。俳句の態度は、先ほど言ったのとは少し違った意味で「無責任」なものだ。

「だって、あるんだもん」

これはそうとうに稚気を含んだ無責任、そして呆けた物言いでもある。

けれども/にもかかわらず、在るものを「在る」と言ってもらうだけで、得心できるのだから、俳句とは不思議なものだ、と思うのですよ。


追記:
目録に、余計な説明は不要、ということもよくあることだ。あることがわかれば、それでよい。それがベストのいうこともある。



〔*1〕世界の成り立ちを世界の成分と言い換えれば、上田信治の連載「成分表」は世界の成分を「ちょっと風変わりな目録」として網羅しようとする遠大なプランであることがわかる。

〔*2〕『びーぐる 詩の海へ』第21号(2013年10月20日)より。

〔*3〕「俳句」は(物理的に)きわめてコンパクトかつ(情報工学的に)しばしばきわめて効率的である。さらにその定型というスタイルを鑑みれば、これほど「目録」にふさわしいものはない。抽斗になるべく多くの記憶媒体を入れると想像してみればよい。小さくて同じかたちをしているのが好都合だ。

ただし、その目録作成は「百科全書」式の営為でも成果でもない。というのは、つまり、個々人がシャカリキに完成をめざす必要はないし、完成の期限も定められていないので、気ままに「目録のひとつ」「全世界のごく一部」を書き留めればいいのだし、そのとき常に、過去(先人たち)の豊かさと未来の(来るべき人たちによる)豊かさの双方を信じることができるはずで、もしそうなら、何にも増して楽しい仕事となる。

〔*4〕「用意周到」とは、砂浜の「物語」を茄子が台無しにし、茄子の「文脈」(その文脈には季語であることも含まれる)を砂浜が、なんだかややこしくしてしまう、という操作のこと。

〔*5〕半面、俳句は、砂浜の汚染や茄子の絶滅に手を貸すことも、おそらくない。

10句作品テキスト 小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール

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小津夜景
ほんのささやかな喪失を旅するディスクール

三白眼のおとめごころや寒プリン
脅迫文書かずにいるよ日向ぼこ
エレキいざ鎌風となることもなし
とこしえと賭しあい冬のシェスタかな
絵屏風の倒れこみたいほど正気
食べごろのふゆいちご焼べ旅ごころ
さぼてんの棘抜かれある冬座敷
わが機知のホットケーキを撫で斬りす
マント脱ぐ劇的溺死かたどって
文献学(フィロロジー)凍みいる路地のノマドかな


もしも
もしも、なんて可能性がまだ残されているなら
わたしは言葉をしらないわたし想像するだろう
ふ そんなのできるわけないんだけど
実らなかった恋くらい
終わってしまった愛くらい
その可能性はここからずっと遠いところにある
そして今のわたしは
人さえ言葉で愛すのだ

さて
いきなり話はとんで
さいきんロラン・バルトの
『恋愛のディスクール・断章』を読んでいる
このあいだ新品のダッフルで
外出したときバザールで見つけた
クリスマス用のあれみたいな
金銀のリボンのついたバーゲン品
実は
手にするのは高校生の時以来のこと
前回読んだときは
ああ!なんてバブリーなチャラい本!
と、おもわず壁に投げつけてしまったのだが
そのときの状況をくわしく思い出そうとしていたら
ちょうど家のストーブを修理してくれる職人が来た
コーヒーを出し
大人の会話をして
終わりました、と言われるまでがまあけっこうな時間
代金を支払い
コーヒーカップを下げ
スーパーにゆき
帰ってきてさあ仕事だと思ったのもつかのま
うっかりユーチューブを開いてしまい
ここからしばらくカンフー映画を検索しつづけ
と、そんなことをやってたらいつしか
もともとあったようななかったような
突発的シチュエーションだったせいか
ぜんぜん思い出せなくなってしまった
ぜんぜん思い出せない、ということは
当時のわたしが「見た目は軽いけど、中身は良いよ」
なんて実は人に言ってたかもしれないってことで
というかもうそんな予感はありありで
高校生の怖いものしらずってほんとうに恐ろしい
パソコンを閉じ
風に吹かれているベランダのふきんを眺めつつ
ふと本をめくると《苦悩・不安》の章にこんな台詞

 いいかげん、喪の予感に怯えるな。
 おまえはその愛を、とっくに失ったんだ。

おそらく
実らなかった恋の果てに
終わってしまった愛の果てに
わたしは
言葉で人を愛するすべを学んたのだ
朝も夜も
言葉がわたしを風変わりに慰めるとき
わたしもとまどいながら言葉に触れる
こわごわ愛し
そして愛され
シーニュの流れの中で目をつぶり
あるいは目をつぶされ
そのまま《どこかへ連れ去られること》をのぞみ
いや《むしろいっそ葬り去られること》をのぞみ
と、アンリ・ミショーが
こんな《》っぽい感じのことを
どこかで書いてたと思うんだけど
(ついでにいえば
わたしは言葉で人を愛すってのも
実はほとんどジョークなんだけど)
昔と変わるところのない自分なのに
今や多くのものを失い
失うということもとっくに知っている
そのことだけはほんとう
思いがけず旅していた
わたしの

いっぽんのえぼしなまこの道(タオ)ありき
しまきわが喪(ほろび)の租界かんぶりあ
青写真なみだのうみにうみなりが
ラジオなぜ冬ざれゆくのサ・セ・パリへ
狩りくらやメメント・モリをいねむりす
もがりぶえ殯の恋をまさぐりに
血だまりがふゆぞらを去るじんわりと
しろながすくじらのようにゆきずりぬ
神去らばひとりよがりの陽だまりだ
性懲りもなく愛という煮こごりを





10句作品テキスト 柿本多映 尿せむ

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柿本多映 尿せむ

水は音楽たとへば油零しけり
豚に背広斜塔には枯向日葵
鵙高音ためらひ傷を見せてやろ
落椿夜は首を持ちあげて
蛇の目に鏡は眩し過ぎないか
怪盗王関の辺りで引き返す
霜の夜はでんでん虫を考へる
サイコロの目の出る方に雪ばんば
葉牡丹は瞬くことを知らざりき
やよ狐大斎原(おほゆのはら)に尿せむ




10句作品 柿本多映 尿せむ

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週刊俳句 第347号 2013-12-15
柿本多映 尿せむ
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20句作品 小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール

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週刊俳句 第347号 2013-12-15
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週刊俳句 第347号 2013年12月15日

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第347号
2013年12月15日


2013落選展 Salon des Refusés ≫読む

柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む

小津夜景
 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
…………………………………………………………
「俳句」9月号「文語文法入門」に問う。
再説「俳句の文語」(後編)
文語・口語の混用は、歴史的に正当である
……大野秋田  ≫読む

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【真説温泉あんま芸者 第12回】
全世界目録……西原天気 ≫読む

SUGAR&SALT 05
何処かに水葬犬が嗅ぎ寄る秋の海 三橋敏雄
……佐藤文香 ≫読む
自由律俳句を読む23『群妙』〔1〕
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朝の爽波 96……小川春休
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林田紀音夫全句集拾読 295……野口 裕 ≫読む

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後記+プロフィール 348

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後記 ● 村田 篠


後記を書くのが遅くなってしまいました。申し訳ありません。
忘れていたわけでは決してありません。
ただ、年々歳々、短時間に数多くのことをするのがむずかしくなってきて、ひとつひとつ、着実にやっていかなくてはならなくなってきた、ということを自覚するばかりです。お酒を飲んだりすると、その状況はさらに過酷になります。ましてや、用事の多い年の瀬には、ことに。

バラエティも読み応えもある今週号、ぜひお楽しみ下さい。



それでは、また次の日曜日にお会いしましょう。



no.348/2013-12-22 profile

■奥坂まや おくざか・まや
1950年東京生。1986年俳句開始。「鷹」に入会し藤田湘子に師事。1995年第一句集『列柱』で第18回俳人協会新人賞。2005年第二句集『縄文』。2011年第三句集『妣(はは)の国』。鷹同人、俳人協会会員、日本文藝家協会会員、NHK文化センター横浜教室・光が丘教室講師、工学院大学オープンカレッジ講師。著書に共編・共著『現代俳句の鑑賞事典』(東京堂)、共著『女性俳句の世界』第2巻(角川学芸出版)。近刊に『鳥獣の一句』(ふらんす堂)。

■佐藤文香 さとう・あやか
1985年生まれ。句集『海藻標本』。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■小川春休 おがわ・しゅんきゅう
1976年、広島生まれ。現在「童子」同人、「澤」会員。句集『銀の泡』。サイト「ハルヤスミ web site

■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。二人誌「五七五定型」(小池正博・野口裕)完結しました。最終号は品切れですが、第一号から第四号までは残部あります。希望の方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。進呈します。サイト「野口家のホーム ページ」

■山岸由佳 やまぎし・ゆか
1977年長野県生まれ。「炎環」同人、「豆の木」参加。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。「月天」同人。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。俳人協会会員。「Belle Epoque」

〔今週号の表紙〕第348号 商店街 山岸由佳

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今週号の表紙〕
第348号 商店街

山岸由佳




3年前の夏、この街に引っ越して来た。

といっても、前に住んでいた家から歩いて20分くらいしか変わらない距離だ。でも、使う商店街が変わると気分は変わってくる。肩の力が抜けた自由な雰囲気の漂う街。

ヘンテコなマネキンと目があってしまった。




週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫
こちら

林田紀音夫全句集拾読 296 野口裕

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林田紀音夫
全句集拾読
296

野口 裕





人の死に電工ニュース慌し

平成五年、未発表句。電光ニュースが普通だろうが、エンジニアの紀音夫の中では電工ニュースなのかも知れない。訃報を伝えて文字が流れ去る。内部の電気仕掛けもまた慌ただしい。

 

スリッパ散乱きょう八月も終り

平成五年、未発表句。荒っぽい措辞だが、句の光景とよく合っている。人の集まるところで見かけたのだろう。紀音夫ならば句会か、はたまた病院か。

 

起き上がる立つまでの苦に月が射す

平成五年、未発表句。「起き上がり」としていないところに、ひとつひとつの動作に身体の不調を確認しつつ行わねばならない病苦を潜ませる。「苦」はその意味で、手拍子で出てしまった念押しではある。第一句集の「月になまめき自殺可能のレール走る」の頃は、思えば元気であった。

 

顔前を横切って照り蜘蛛の糸

平成五年、未発表句。顔前は、眼前あるいは顔先の誤字であろう。見えなかった蜘蛛の糸が、歩みを進めるうちに反射の加減でいきなり見えてくることはあり得る。目前でそれが起これば少しは驚いてしまう。一瞬の出来事を巧みにとらえる。

自由律俳句を読む 23 『群妙』 〔2〕 馬場古戸暢

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自由律俳句を読む 23
『群妙』〔2〕

馬場古戸暢


前回に引き続き、『群妙』13号(2013年3月発行)掲載句の鑑賞を行う。

そこにあすこに母が居るふるさと  田中利男

「ふるさと」というのは、どうにも哀愁を漂わせていていけない。今は既にない母の面影が、ここかしこに残っているのである。

幼な子の手を引いて妻は夕焼け  藤川正雄

若い家族の生活詠。夕焼けに染まる妻は、いつもにもまして美しく見えたに違いない。

おぞうに食べてみんなまあるいえがお  中村優凛

作者は防府市立図書館自由律俳句講座の生徒で、小学二年生だという。お正月のあたたかさが出ている、いい句だと思う。

高熱の空をつかむ手私とつながる  川上芳江

高熱にうなされる家人を看病しているところを詠んだ句。無意識に伸ばされた手をつないであげるだけで、大分体調も落ち着いたことだろう。

ピクニックびより父が燃えている  林深加

よく晴れたピクニックびよりの今日は、父の葬儀の日。「燃えている」の直接さが淡々とした印象を産むとともに、作者の涙を隠しているかのようにも思える。

朝の爽波97 小川春休

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小川春休




97



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の秋、晩秋の頃。朝日文庫として復刻された『ホトトギス雑詠選集』について、「青」の昭和六十二年十一月号の「枚方から」では、春夏秋冬の部を揃いで二冊買いするよう強く勧めております。
(前略)私は長年に亘ってこの選集を「写経」と称して月が替わるごとにその月の分を読み返して、好きな句はノートに書き出すことを続けてきた。
 毎年やるのだから、書き出した句は昨年の、或いは一昨年のものと全体的に見たら大差はない。
 しかし書き出す私の心が年々改まっているので、今迄どうしてこんな良い句がスッと胸に入ってこなかったのだろうかと自分自身おどろくような句が年々幾つかずつは現れてくる。
 今度また新しく選集が廉価で再版されたのだから、これを大いに汚して、また一から「写経」をやり直そうと思っている。
 いま本屋で選集がたやすく手に入るうちに春夏秋冬の部一揃いをもう一揃い求めておくことをお勧めする。
 印をつけて、それも印をつけた上に更に別の印をつけるようにして毎月「私の十句」にまで絞り込んで読んでゆくとすれば、三年ぐらい経ったらいろいろな印が入り混ってややこしくもあり、また大いに汚れてくる。
 その汚れが、読んでゆくのに目障りになった頃にもう一組の方へ手をつければよい。
 その頃になって果たして選集が簡単に手に入るような状況にあるかどうかは、全く保証がないからだ。(後略)
(波多野爽波「枚方から・汚して読む」)

仲秋の長身を蟻のぼりくる
  『一筆』(以下同)

「長身」と言うからにはやはり、座っているのではなく直立している姿が想像される。さてこの蟻、どこまで登ってきたか。優に膝ぐらいは越えて、まだまだ登って来そうな気配だ。爽波には〈仲秋の金蠅にしてパッと散る〉という句もあり、仲秋は虫の俊敏な季節。

懸崖菊華奢な男の手が恐し

まず、「華奢な男」とその人物の大まかな全体像が提示される。そして視点はクローズアップして行き、手へとたどり着く。「恐し」とは直接的な描写というより印象であるが、華奢な男にそぐわぬ手に気付いた衝撃と、季語の働きとにより、説得力を持ち得ている。

ポプラ樹下紐のやうなる穴惑ひ

冬眠の時期が近づいても穴に入らずにいる蛇を穴惑いと言うが、寓意を帯び易く中々に扱いの難しい季語だ。掲句ではそれを、あっけらかんと物のように描いている。街路樹として一般的なポプラの樹下であることも、景に余計な意味を持たせぬ効果があるようだ。

田仕舞のとびとびにある野菊かな

田仕舞とは、その年の収穫が無事終わったことを祝う宴のこと。その集落の誰かの家か、集会所のような場所か、窓外には飛び飛びに野菊が見える。この野菊も、ついこの間まで稲に隠れてよく見えなかったものかも知れず、収穫後の田畑はぽっかりと寂しい。

今夜は湯豆腐かおでんがよろしいです 五十嵐義知句集『七十二候』の二句 西原天気

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今夜は湯豆腐かおでんがよろしいです
五十嵐義知句集『七十二候』の二句

西原天気


「アットホームな雰囲気のレストラン」とかいった文言を聞くたびに、「何を言ってるんだ?」と思います。

家庭的がいいなら、家で食事すればいいんじゃあないの、と。

こんなことを言う私は、家で食べるごはんがだんぜん好きなのですよ。

だから、

  湯豆腐の欠けたる角をすくひけり  五十嵐義知

という句を読んでも、どこかの湯豆腐屋だとは思わない。家で食べる湯豆腐です。

うまく掬えずに、角が欠けて、その小さく欠けた角が湯の中で煮えている。その欠片も掬って食べようという句。

あのね、食事って、気持ちのいい人と食べれば、なんでも美味しいものですよね。「気持ちのいい人」というのは、例えば、気心の知れた人、いっしょにいて楽しい人、それからまた、湯豆腐の欠片をきちんと掬うような人です。

掲句は五十嵐義知第一句集『七十二候』より。集中、こんな句もあります。

  かたよりのなく選びたるおでんかな  同

私などはコンニャクが好きなので、どうしてもコンニャクを連続で選んでしまいます。それをやると、「鍋内の具バランス」が崩れてしまう。

バランスよく選ぶ人はエラい。こういう人もやはり「気持ちのいい人」といえるでしょう。

この句もおでん屋や飲み屋とは思わない。家で食べるおでんです。上記の理由(私の家ごはん好き)だけでなく、 外食だと、具のバランスが崩れるという読みが成り立たなくなる。「かたよりのなく」は、栄養バランスかい? それとも自身のスタイルの問題かい? ということになってしまうので、外食説は却下です。

 ●

行儀の良い人、人のことを考えられる人。『七十二候』の作中行為者(おそらく作者・五十嵐義知とニアリーイコール)の人物像として、そんな美徳が浮かび上がってきます。

良い人が、良いまなざしで、そこにいる。そんな句集です。

こう言うと、べた褒めすぎるので、すこし言えば、ここに、刺激や飛躍、チャレンジングな姿勢はあまりありません。手堅いけれど、読む人によっては退屈と感じるでしょう(そういう句集はとても多い)。しかしながら、それは作者それぞれの持ち味です。

話を戻しましょう。食事というのは、何を食べるかじゃなくて、誰とどのように食べるかが問題。気持ちのいい人と食べれば、なんでも美味しい、という話でした(ほんとに戻ったのか?)。

集中より、ほか、気ままに何句か。

  物陰にかくれし春の氷かな

  摘みとりし色の深さや草の餅

  明急ぐひかりの中の月あかり

  廻りてもとまりてもよき独楽の色



web shop 邑書林 五十嵐義知句集『七十二候』


【おんつぼ・番外篇】2013年のフェアウェル〔前篇〕 西原天気

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【おんつぼ・番外篇】
2013年のフェアウェル〔前篇〕

西原天気



「おんつぼ」はウラハイで不定期に掲載しているシリーズです(≫こちら)。

ここでは、2013年に他界した歌手・音楽家を偲びます。


1月1日沒  パティ・ペイジ Patti Page 1927年生まれ

パティ・ペイジ。なんとかわいらしい芸名でしょう! 本名はClara Ann Fowler。

まずは、名曲・名唱「Old Cape Cod」をサンプリングしたグルーヴ・アルマダの「At the river」を(パティ・ペイジの歌声は1分55秒くらいから)。

Groove Armada: At the river


オリジナルはこちらです。




2月18日沒  ケヴィン・エアーズ Kevin Ayers 1944年生まれ

ソフト・マシーンの創設者メンバー。ということで、サイケデリックが出自。

Shouting In A Bucket Blues


バケツの中で叫ぶブルース(誤訳の可能性アリ)。タイトルだけで泣かせます


3月6日沒  アルヴィン・リー Alvin Lee 1944年生まれ

テン・イヤーズ・アフターのギタリスト/ヴォーカリスト。

ウッドストック(1969年)でのライブアクトを。

Ten Years After - I'm Going Home


当時の洋楽雑誌(ミュージックライフ等)では、「速弾き王」みたいな書き方をされることもありました。


4月22日沒  リッチー・ヘブンス Richie Havens 1941年生まれ

「ヘイヴンズ」が実際に近いか。黒人にはめずらしくフォークソングっぽい人。

やはりウッドストックでのステージ。

Richie Havens - Freedom at Woodstock 1969


同じライブですが、この曲(I Can't Make it Any More)が私は好きです。

 I Can't Make it Any More



6月23日沒  ボビー・ブランド Bobby "Blue" Bland 1930年生まれ

ソウル・ブルース・シンガーという括りでしょうか。盛り上がりで喉の奥がゴロゴロするこの感じを「うがいシャウト」と勝手に呼んでいました。

BOBBY "BLUE" BLAND - THE WAY YOU TREATED


Help Me Through The Day - Bobby Bland



7月26日沒  J・J・ケイル JJ Cale 1938年生まれ

J・J・ケイルはオクラホマ生まれのシンガー・ソングライター。エリック・クラプトンが「After Midnight」「Cocaine」などをカヴァー。こっちのほうのが有名。

I Got The Same Old Blues


「セイム・オールド」。いい言葉ですね。


次週は後篇。8月以降に亡くなった歌手・音楽家を追悼します。

SUGAR&SALT 06  手を筒にして寂しけれ海のほとり 三橋敏雄 佐藤文香

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SUGAR&SALT 06 
手を筒にして寂しけれ海のほとり 三橋敏雄

佐藤文香

「里」2010年9月号より転載



昭和衰へ馬の音する夕かな   三橋敏雄
鬼赤く戦争はまだつづくなり
鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中

句集『真神』は、この三句で始まる。

私は静かに驚き、驚き続けた。なにか覚悟のようなものが伝わって来たのだ。事柄や描写のうまさや面白さで勝負するのではなく(いや、巧くて、巧いと言う隙すらないのだ)、言葉の持つ世界の内側に言葉で攻め込んでいると感じた。

句集名『真神』とは、狼の異名らしい。「古ヘハ、狼ノミナラズ、虎、大蛇ナドヲモ、神ト云ヘリ」と『大言海』に解説されているという。かっこいい。

絶滅のかの狼を連れ歩く   三橋敏雄

もう絶えていない種の狼だが、魂はしっかりとこの現世にあり、魂はちゃんと狼の形をして地に足をつけて落葉を踏んで、人とともに歩いているようなリアリティがある。連れて歩いているのは、原初の神のようだ。神となった三橋敏雄かもしれない。

『真神』の後記は短く、『まぼろしの鱶』の後記の約7分の1の量だ。『まぼろしの鱶』は三十年間の、『真神』は九年間の作品であることを考慮しても、かなりの差である。内容は、制作年と句数、タイトルの意味程度。

比べて『青の中』『弾道』『まぼろしの鱶』の後記は、それ自体が読み物として重要で、長い。新興俳句運動や、戦火想望俳句について、また自らの師について、記しておく必要があったからだろう。その時そこにいたこと、その渦中で作品を作ったことを語らなければならないという、歴史の証言者としての役割を、敏雄は自任していたのだと思う。

その意味で、実質一冊目の句集である『まぼろしの鱶』は、一人の作家として出発するために、それまで三十年間の作品を振り切る句集だった。そして、二冊目『真神』では、作品のほかに語るべきことがなくなり、作家としての本来の力を自在に発揮できるようになったのではないか。

居る船は白い大きな黴の船   三橋敏雄
色白の蛾もこゑがはりしをふせり
孤つ家に入るながむしのうしろすがた

人間が人間の視線で物を見ていては書けない句が並ぶ。場所も、物も、現象も印象も、俯瞰してそれぞれに意義を与えている。

神だ。かっこいい。

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