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松尾和希さんへ 髙鸞石

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松尾和希さんへ

髙鸞石


はじめまして。わたくしのなまえは、こうらんせき(髙鸞石)といいます。

まつおさんが、かどかわはいくしょうに、おうぼしたはいくを、よみました。いっぱいはいくをかいて、がんばりましたね。すごいとおもいます。
わたくしは、まつおさんのはいくが、とてもすきです。とてもすきなので、まつおさんのはいくをよんだかんそうを、かきました。

まいにち、がっこうのべんきょうが、たいへんだとおもいますが、ひまなときに、よんでください。

【まつおさんのはいく】

かぶとむしぶんぶんとぶとぶかぶとむし

おもしろいはいくですね。「ぶ」の字がいっぱいで、かぶとむしがいっぱいいるふうけいがわたくしのあたまにうかびました。「かぶとむし」がさいしょとさいごにあるのもいいですね。かぶとむしは、かっこよくぶんぶんととぶからこそ、かぶとむしですよね。

ふゆりんごいるかみたいにジャンプする

りんごをとろうとしてジャンプしたのですか? 「いるかみたいに」がおもしろいとおもいました。背をのけぞらせておもいっきりジャンプしたのでしょうね。

はるのひのくるみみたいなとりがいる

これも「くるみみたいな」かおもしろかったです。とりのからだのもようが、くるみみたいだったのですか? それとも、からだをまるめたとりなのかな?いずれにしても、すばらしいはっけんだとおもいます。

ふくらんだままでねているこいのぼり

すごいはっけんでびっくりしました。こいのぼりなおいてあるのをみて、「ねている」といったところが、まつおさんらしいですね。こいのぼりが、ほんとうのこいみたいに、いきているようにかんじました。

はすのはにみずがたまっておもしろい

きれいなはいくですね。「おもしろい」がよいです。「おもしろい」ことをそのまま「おもしろい」といえるまつおさんのかんかくは、すばらしいとおもいます。

てんめつがはやいのがげんじぼたるだよ

ほたるをよくかんさつしてますね。「だよ」がよいとおもいました。このはいくをよむと、まつおさんにはなしかけられているようなかんじがして、したしみのわくはいくです。

ピザはんぶんきってまだまだピザのこる

おなかいっぱいピザをめしあがったのでしょうね。「まだまだ」ということばから、ピザの、たべてもたべてもなくならないほどの大きさがたしかにつたわってきます。「ピザ」ということばを二かいつかっていることからは、このピザはいつなくなるんだろう、と、ピザを見つめているまつおさんのまなざしがつたわってきます。

サンタからもらったちきゅうぎこわれたよ

どうして、また、どのようにちきゅうぎがこわれたのでしょうか。いろいろなことをかんがえさせてくれる、すごいはいくだとおもいました。「ちきゅうぎがこわれたよ」ということばから、わたしは、いま、せかいでおこっているさまざまなもんだいのことをおもいました。

【さいごに】
まつおさんのはいくをよんで、わたくしは、げんきをいっぱいもらいました。ぜひ、これからも、このせかいの、とりや、むしや、けもの、やま、うみ、かわ、いし、はっぱ、ビルやひこうきなど、いろいろなものをみて、はいくをたくさんかいて、たくさんのひとをげんきにしてあげてください。わたくしもまつおさんにまけないようにがんばりたいとおもいます。

    はいくかいから、ほされたにんげん
        こうらんせき(髙鸞石)より

 

≫追記【著者の意向により、未成年の閲覧は非推奨とさせていただきます――小誌運営】


後記+プロフィール709

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 後記 ◆ 岡田由季


(Under Construction)


no.709/2020-11-22 profile

■大塚凱 おおつか・がい
1995年、千葉生まれ。「群青」を経て無所属。第7回石田波郷新人賞、第2回円錐新鋭作品賞夢前賞。イベントユニット「真空社」社員(なんか、活動止まってる?)。

■小林苑を こばやし・そのを
1949年東京生まれ。「月天」「百句会」「塵風」所属。句集点る』(2010年)。 
 
■髙鸞石 こう・らんせき
1992年生。2020年、文学としての俳句の終焉と俳句界の腐敗を確認し、以後は「短詩」として作品を書く。ブログ「悪霊研究」(http://evilspiritlab.livedoor.blog/)

 
田邉大学 たなべ・だいがく
2000年生まれ、大阪府在住。俳句雑誌「奎」同人。
 
■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。  
 
西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」「ユプシロン」参加。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ 「道草俳句日記」



【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】ロン・ウッド「Always Wanted More」

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【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】
ロン・ウッド「Always Wanted More」


天気●英国ロックをもう少し続けようかな、ということで、スモール・フェイセス人脈のロン・ウッドを。「Always Wanted More」という曲です。


天気●6枚目のソロ・アルバム「スライド・オン・ディス(1992年)収録です。ソロアルバムをわりあいたくさん出してるんですね。

憲武●「ギミー・サム・ネック」というアルバムは聴きました。自身のソロアルバムのジャケットのイラストを手がけるなど、多才な人のようです。

天気●この曲、フィドルとか楽器編成もあって、アイリッシュな味わい。英国ロックには、しばしば、アイルランド音楽の成分が混じる。ヴァン・モリソンなどが典型ですかね。そこが、元祖米国にはない英国ロックの魅力だったりします。

憲武●ストーンズの「you can't get always what you want」という曲の雰囲気に近いものを感じます。ま、あちらはゴスペルですけど、曲の中に流れてる空気みたいなものが、似ているような気がするんですよね。

天気●空気。なるほど。外形的にはAメロがちょっと似ている。長調で、泣きのあるメロディ。なんか、胸にぐっと来るんですよね。「You always wanted more than I could give you♪」という出だしの歌詞と相まって。


(最終回まで、あと831夜)
(次回は西原天気の推薦曲)

〔今週号の表紙〕 第709号 南京櫨の実 岡田由季

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 〔今週号の表紙〕

第709号 南京櫨の実

岡田由季

 


白い実は、冬青空に映えますね。

栴檀の実などもそうで、とても印象的だと思います。

 



週刊俳句ではトップ写真を募集しています。詳細はこちら




【週俳10月の俳句を読む】俳句の調子 田邉大学

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【週俳10月の俳句を読む】
俳句の調子

田邉大学


趣味で、パワーリフティングをやっているのだが、関節や筋肉の調子があまりよくないときに、意外と普段より重い重量が挙がるときがある。俳句にも少し似たようなものがあって、あまり良い句が作れない、俳句の調子が悪い、と感じているときに、ふと、とても満足のできる良い句を作れるときがある。どちらもこつこつ毎日取り組んでいればこそ、このような思いがけない報酬があるのだと思う。


夜寒なり手をつけて大学の門  郡司和斗

大学の重厚な門には、他の門にはない安心感がある。煉瓦造りだったり、大学名があしらわれた銅板も緑青で覆われていたりして荘厳だ。季節の移ろいの中で、夜寒を実感することは多々あるが、これが夜寒だ、と強い確信を持つことは珍しいと思う。この句は「夜寒なり」と強い言い切りを用いているが、大学の門はそれらの言い切りを十分に受け止められるスケールを持っているように思う。

彫刻を映して汝(なれ)の眼のしづか  同上

誰かと美術館にでも来たのだろうか。彫刻そのものも静かであるが、それを見る相手の眼も静か、というのが面白い。句の中では描かれていないが、それを見つめる作中主体自身もどこか静謐さを湛えていて、彫刻と汝を邪魔しない。三者の静けさがそれぞれ少しずつ見えているが、しつこくない、美しい句だと感じた。

壁越しの嘔吐の声や秋の草  同上

全体のフレーズから読み取れるのは、俗な景だが、生の実感のようなものも確かに湧いてくる。秋の草が、春の草や夏の草にはない、生命としてのしぶとさ、経験してきたことの多さを感じさせる。嘔吐の声の主や、それを壁越しに聞いている主体も、同様に様々なことを経験して、ここにいる。シンプルだが、考えさせられた句。

目薬の眼より零るる赤蜻蛉  同上

眼の縁から流れていく目薬、その目薬で十分に水分を帯びて艶やかな眼球、赤蜻蛉が少し脈絡無く感じられるが、取り合わせとしてとても面白い。赤蜻蛉の群が、目薬を指すために上を向いた眼に、さっと映り込む、そういった様子まで想起させ、ミクロな視点の句。

秋の初霜を蛇行の兄と姉  同上

秋の初霜の降りるころの道や芝生などを想定し、兄と姉の二人がはしゃぎつつ霜の様子を眺めたり、触ったりしている様子を想像した。筆者も三人兄弟なのだが、意外と末っ子のほうが落ち着いていたりする。末っ子視点で見た兄と姉か、はたまた親の視点かはわからないが、年上二人がはしゃいで年下が穏やかなのは面白い。季節は冬へと向かっていくが、多分この兄弟は、一年を通してこんな感じ。


孤独の島みたいに浮かんでる水蜜桃  桂凜火

桃という果実の不思議さを言い留めていると思う。上五の字余り、切字を用いないことで、ふと思い付いた呟きのような雰囲気が演出される。水の上に浮かびつつも、表面の細やかな毛が水を弾く感じが、孤独さを裏付けているのではないか。

水っぽい午後のテラスや色鳥来  同上

午後の陽光がテラスの地面に当たって揺蕩う様子、周囲の樹の影などが穏やかに映り込む様子は、確かに水辺や水の中を連想させる。山や森に近い喫茶店をイメージした。色鳥も句のフレーズを邪魔することなく、うまく溶け込んでいて、どことなく安心感や懐かしさを覚える光景。

ぬすびとはぎいにしえびとの身軽さよ  同上

現代では、物を持ち歩くことが多くなったように思う。旅行に行くとなれば、スーツケースに衣服や日用品を詰めるし、少し出掛けるのにも携帯や財布、ハンカチなどを持ち歩く。交通の手段が徒歩か馬くらいしかなかった昔であれば、この句のように身軽だっただろう。盗人萩の不思議な形がよく響き合うし、昔の人の身軽な衣服に盗人萩の実がいくつも付いているかもしれない、そういったことまで想像が広がる。

くたばるとき盛装でゆくよ酔芙蓉  同上

「くたばる」の表現、「ゆくよ」の口語から作中主体との関係性が見えてくる。牡丹や百合ほど派手ではないが、かといって落ち着いた花でもない、酔芙蓉が丁度良い華やかさを句に与えていて、「くたばる」ともよく響き合う。


蜩や誰も笑ってはいない  田中泥炭

蜩の物悲しい声、笑っているように思えても、誰も笑ってはいない、淋しすぎる光景に思えるが、案外、これが日常生活の中に潜む真実であるような気もした。表面上は仲良くしているように思えても、実は心の中で嫌悪感を抱いていたり、さして面白くもないのに愛想笑いをしていたり、人間世界のドロドロした部分の悲しさがより引き立っていると思う。

狼の屍を分ける人だかり  同上

解剖か、狩りの後かはわからないが、すこし恐い句、それでいてリアルな空間が描かれている。誰も狼の屍体を積極的に見たくて群れているわけではないが、全く興味がないわけでもなく、見ないわけにはいかない。狼という季語だからこそ出せる、句全体の雰囲気、独特の世界観が魅力的だった。

凍凪や心拍を肺迫り上る  同上

風がなく、静かで寒い空気の中だと、自分の身体の中の感覚が研ぎ澄まされる。心臓と肺、生命の維持に欠かせない二つの臓器を関連付けて描くことで、自分以外に息づく生命のない凍凪の厳しさがよりいっそう強調される。お互いがお互いを補い合い、支え合うような、季語とフレーズの作り。

白昼の植民地より黒蝶来  同上

白昼と、植民地と、黒蝶、それぞれの名詞が互いに影響を及ぼしあって、それぞれを引き立てる、そんな句であると思う。植民地と黒い蝶の取り合わせが、植民地の置かれた厳しい状況やこれまでの歴史などに想像を及ばせ、白昼の白と黒蝶の黒が、それらを裏から補強するように後から遅れて現れる、読んでいてそんな印象を受けた。


花梨の実鞄の闇の甘くなる  藤原暢子

花梨の実が甘くなるのは単純だが、鞄の闇が甘くなるのは意外性があって、それぞれの落差が面白い。闇が甘くなる、という表現は少々難解な気もするが、辛くなったり、苦くなったのでは納得がいかない。甘いという言葉の持つ独特の感性が、鞄の中の薄暗い闇に丁度良い。「花梨の実」「鞄の実」で韻を踏んでいることも、句の不思議な世界観を醸し出すのに一役買っている。

毬栗のたくさん当たる石仏  同上

棘のある毬栗が、硬い石仏にいくつも当たる、言うまでもなく石仏に感情はないが、穏やかな表情であるはずの仏像が、だんだん無愛想で不機嫌にも見えてきてコメディチック。句の中の時間経過も、石仏の感情の動きまで想像させる余白を引き出していて楽しい。

仰向けを空へ見せれば小鳥来る  同上

実際は、自分が仰向けになっただけで、小鳥も多分少し前から渡って来ているのだろうが、空側の視点に立って描くことで、より気持ち良さが増す。秋の、爽快で楽しい気分が伝わってくる。

爽籟や伐り出されては薫る木々  同上

「伐り出されては」が面白い。何本もの木が、伐られては運ばれていくが、その度に匂いを残していく。「爽籟や」で、切れてはいるが、作中主体は何度も何度も爽籟を感じているだろう。読者としても繰り返して何度か読みたくなる句。

コスモスを揺らせる息のいつか風  同上

吐息の小さな空気の流れがやがて大きな風になる、という把握が新鮮である。普段何気なく起こしている空気の流れ、本のページを捲ったときや、服を勢いよく脱いだとき、机の埃を払ったとき、などの流れも、降った雨が川になり、やがて大きな海に繋がるように、いつか大きな風になる、スケールのある句だと思う。コスモスが息で揺れるほど、顔と近い位置にあることも、映像として面白い。


【対象作品】

郡司和斗 夜と眼 10句 ≫読む

桂凜火 盛装でゆくよ 10句 ≫読む

田中泥炭 風 狂 10句 ≫読む

藤原暢子 息の 10句 ≫読む

【句集を読む】わたしと出会うための一冊 樋口由紀子『めるくまーる』 小林苑を

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【句集を読む】
わたしと出会うための一冊
樋口由紀子めるくまーる

小林苑を


わたくしをひっくりかえしてみてください  樋口由紀子(以下同)

『めるくまーる』のことを書こうと思ってからだいぶ経つ。うーむと前句集『容顔』を探すと、たくさんの付箋が貼られたまま本棚に収まっている。読み終えた句集の付箋は外して戻すので、付いているのは読みかけってことで、むろん途中まで読んだのではなく迷ったままなのだ。

なにしろ謎だらけ。《前の世は鹿のにおいがしたという》《ぎやまんのまんなかへんがきっと犬》。気になって前に進めなくなるんですけど、どういう意味ですか。《婚約者と会わねばならぬ大津駅》なんてもうお手上げです。婚約者って、とても面倒そうだとは思いますし、なんだか笑いたい気もします。しますけれど、です。

たぶん、と私は思う。もっと素直に言葉を信じることなんだろうと。謎は謎のまま感じればよいので、謎解きではないのだと。

蓮根によく似たものに近づきたい

困惑を眠らせている金盥

雑巾をかたく絞ると夜になる

自転車で轢くにはちょうどいい椿

取返しつかない窓をもっている

たとえば、これらの句群は直感的に分かると感じる。ほっとする。分かるを助けてくれる「もの」がある。しかし、俳句では単なる「もの」を置くことで景を鮮明にするのだが、ここでは唯の「蓮根」「金盥」「雑巾」「椿」「窓」ではなく、もっと過剰だ。これ等は作者の化身のような「もの」達なのだ。だからといって暗喩と捉えようとするとむしろ邪魔で、作者の思いが姿を現した「もの」達なのだ。

ところが、とようやく揚句に辿り着く。ここには化身どころか「わたし」がいて「ひっくり返せ」と言っている。裏返すのか、逆さにするのか、どちらにしても「みてください」とお願いしているのが怪しい。なにかが起こりますよ、ほんとうのわたしが現れるかもしれませんよ、と誘いかけてくる。でも、ひっくり返すと樋口由紀子がまんま立っていそうで、「苑ちゃん、なにしてんの、早くし」とか言いそうで。もういちどひっくり返すと、「苑ちゃん…」と無限ループに入り込みそうな気もしてくる。

人間は見た通り、言ってる通りではない、何を考えてるか分からない存在だと大抵の人が思っている。では自分はどうだ。わたしですか、わたしは…。『めるくまーる』はわたしと出会うための一冊。

最後に大好きな一句を。

なにもない部屋に卵を置いてくる


樋口由紀子『めるくまーる』2018年11月12日/ふらんす堂 ≫amazon

10句作品 或る 大塚凱

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或る  大塚凱

白息やよく燃えさうな小屋の中

冬蜂めりこむ泥のみるみる乾く

火事が遠くてなけなしの葉を降らす

鯛焼や晴れただけでは見えない島

枯蟷螂日のかたむくと水に塵

水を轢くまぶしい車輪だが寒い

橋に鳩マフラー貸してそれつきり

しりとりは冬ざれいつのまにか壁

駅に立つみんなだんまりみな木の葉

冬しんしん隣は何味のシーシャ




【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】ヤードバーズ「Train Kept A Rollin'」

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【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】
ヤードバーズ「Train Kept A Rollin'」


憲武●最近、めっきり寒くなって参りましたので、家では甘くて酸っぱいレモンティーばかり飲んでます。という訳で、The Yardbirdsで"Train Kept A Rollin'"です。


憲武●この映像はヤードバーズ後期のようですね。ニュー・ヤードバーズになる直前かもしれません。ジミー・ペイジがしっかりと主導権を掌握しています。

天気●テレキャスター時代ですね。ジミー・ペイジ=レスポールのイメージなんですが、レッド・ツェッペリンも初期はテレキャスターでスタジオ録音していたそうです。

憲武●ジミー・ペイジ自身も「俺のお気に入りはオールド・フェンダーのテレキャスターさ」と発言してます。この曲には、優れたカバーが存在しますが、わが国のシーナ&ザ・ロケッツの「レモンティー」(1975々)など有名ですね。


天気●カバーというか、下敷きにした。いま聴いてもカッコいい。

憲武●はい。スネークマンショーに収録されているテイクなんですが、このテイクがベストかと。で、ヤードバーズの紹介した曲はオリジナルかというとそうではなくて、これもカバーなんですね。ジョニー・バーネットの「ハニーハッシュ」(1956年)という曲です。


天気●なるほど。このリズムは強烈。リフのギター、不思議な音色を出してますね。ワウペダルみたいにも聴こえますが、このエフェクターは60年代かららしいので、この頃にはなかったはず。ううん、興味がわきます。この時代のロカビリーでこんなギター音、聞いたことないし。

憲武●そうなんですよ。で、この曲がオリジナルかというと、そうではなくて、元ネタはどうやらタイニー・ブラッドショウの"The Train Kept A Rollin'"(1951年)らしいんです。


天気●こうなってくると、リズムが当時のブギウギだし、面影は淡いですね。曲タイトルは同じだけど、歌詞は違うし。

憲武●ちなみにヤードバーズのTrain Kept A Rollin'の邦題は「ブギウギ夜行列車」てんです。笑。歌詞が違うと言えば、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「欲望」(1966)の中のワンシーンでヤードバーズがThe Train Kept A Rollin'を演奏してるんですが、著作権の問題か何かで、タイトルを"Stroll on"として、歌詞を変えて歌ってるんです。カバーって、タイトル違い、歌詞違いもありなのかなと。

天気●日本語訳なんかは、そうですよね。古くはエノケンの「ダイナ」とか。

憲武●ああ、そうですね。他にもあるかもしれないですね。で、この曲、ブルースからロックンロール、ロックへという形式の変遷はありますが、そのスピリットはしっかりと継承されてると思うんです。

天気●ブルースは源泉みたいなもんですからね。汲み取った水をどう使うかは、時代のモードによる。それに個々のバンドやミュージシャンによる。モードに逆らう人も、いつの時代にもたくさんいます。

憲武●先行作品の存在ということを、考えてしまうんですが、文学においては内田樹が「街場の文体論」(2012、ミシマ社)で言及してる村上春樹「羊をめぐる冒険」とレイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」とスコット・フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」の関係と、類似してるんじゃないかな、と思います。つまり先行作品があって、そこに作り手の解釈が加わって次々と後続の作品が生まれてくるという関係ですね。

天気●音楽が引用であるように、ことばも引用です。もちろんのこと俳句も。「先行」という問題に意識的でなければ、刷新も生まれないということだと思います。なんかマジメなこと言っちゃった。てへぺろ。

憲武●何が先行作品かというのは、なかなか言い切れないなとも思います。もうちょっと、レモンティーを飲んで考えたいです。


(最終回まで、あと829夜)
(次回は西原天気の推薦曲)

〔今週号の表紙〕 第710号 大寿林 岡田由季

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 〔今週号の表紙〕

第710号 大寿林

岡田由季


 


葦原の鳥、オオジュリンです。

夏羽は頭が真っ黒で、違う鳥のように見えますが、私の住んでいるところでは冬鳥なので、あまり見る機会がありません。

 



週刊俳句ではトップ写真を募集しています。詳細はこちら





【句集を読む】「私」を刺す 柏柳明子『柔き棘』 小林苑を

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【句集を読む】
「私」を刺す
柏柳明子柔き棘

小林苑を


無患子を拾ふきらいな子のきれい  柏柳明子『柔き棘』

話したことも、たぶんお会いしたこともないのに、柏柳明子の句も人もとても親しい気がする。句集名となった「抱きしめられてセーターは柔き棘」の感触。このゾワッという生理感覚。息を吸うのでも吐くのでもなく止まる瞬間。モヘアのような毛足の長いふわふわの柔らかなセーターに違いない。その長い毛足を棘と感じる「私」。相手を嫌いだからではない。むしろ喜びを感じているときに「私」を刺す棘。

掲句の無患子の実は皮をむくと大きな漆黒の種があり、これが羽根つきの羽根の玉になる。腰をかがめて拾われた不細工な無患子は白くて華奢な掌に乗るのだ。「きらいな」「きれい」の ki ki の繰り返しにも、「きらい」という感情や「きれい」という妬ましさにも、棘はあって「私」を刺す。

この疎ましい自意識の抱え方は女特有のものなのだろうか。どちらもセクシュアリティ抜きには感受できない句。たぶんそれが疎ましさの正体でもあるのだから。親しいと感じるのはこれかもしれない。決して口にしない(女である)自分という存在の面倒くささったら。

勿論、ゾワッとばかりしてはいられない。句集には《釣堀や加藤一二三のやうな雲》なんてクスッとする句もあり、特別なことの起こらない日常という時間が過ぎ、季節は巡る。《次々と傘をひらきて卒業す》《台風圏四角くたたむ明日の服》《だらだらと親族の来し蕎麦の花》《鋏ならきれいに切れる冬の空》。この世の則の中で、でも確かに目を凝らしながら。

するとね、いろんなものが見えるのです。

青葉木菟見えない友達と遊ぶ  柏柳明子(以下同)

よく風のとほる廊下よ竹の秋

幽霊と飯田橋ギンレイホール

炎天をギロチンの刃の落ちてくる

春の星頭の重きぬひぐるみ


柏柳明子句集『柔き棘』2020年7月19日/紅書房(炎環叢書) ≫amazon



【週俳10月の俳句を読む】眼とイメージ、そして音 鈴木総史

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 【週俳10月の俳句を読む】

眼とイメージ、そして音

鈴木総史


10月の俳句の中で、注目した句を中心に取り上げていきたい。
俳句は、眼が効いている句、いままでにないイメージを持った句に、私は惹かれる。そして外してはいけないのは、リズム、つまり声に出した時の音である。


桂 凜火「盛装でゆくよ」より

夏の原牛と目が合うはにかみ合う 桂 凜火

夏の原といえば、だだっ広い場所を思い浮かべる。私は富良野あたりを想像した。広大な土地に、ぽつぽつと牛が放たれているのだろう。その牛を作者は見ていたのだろうか。目が合うという発想、そしてそこからはにかみ合うへと発展させたところが良い。牛の表情をよく見た句だろう。「目が合うはにかみ合う」というリズムもよい。

越えてゆく黄蝶の記憶霧の海
 桂 凜火

私は、作者が霧の海を越えている、そしてその最中に黄蝶を思ったのだろう。蝶のひらひらした動きは印象的だが、黄蝶となればなおさらだ。霧というグレーや白のイメージから、黄色の蝶への飛躍はおもしろい。春は黄蝶を追っかけた森で、秋は霧に包まれている森、同じ森を想像した。それぞれの情景がよくみえてくるのではないか。


藤原 暢子「息の」より

花梨の実鞄の闇の甘くなる 藤原 暢子

このイメージは非常におもしろい。花梨の実が甘い香りがするのは当たり前だが、鞄の闇が甘くなるへの繋げ方がよかった。闇が甘くなる、なにか鞄自体がゆるむような、柔らかい感覚を持つことさえできる。この闇という言葉が活きている。

毬栗のたくさん当たる石仏 藤原 暢子

毬栗と石仏は近いところにある二物だろう。しかし、「たくさん当たる」が成功しているように思う。このシニカルな情景を描き出すことでこの二物の位置関係をより面白いものに発展させることができている。

コスモスを揺らせる息のいつか風 藤原 暢子

連作を作るうえで、表題句がどれだけ句群を引っ張ることができているかという点が重要であると思う。10月の4人の作品を読ませていただいたが、表題句に惹かれたのはこの句だけだった。「いつか風」という表現が何とも素敵で、それはコスモスを揺らしている息だと。

ちょっとした息でそよぐコスモス、しかしどんな強風にも打ち勝つコスモス。このコスモスの様子をしっかりと眼でつかんで、最後のイメージに落とし込んだ俳句だった。息の「i」いつかの「i」が連続するところも読んでいて気持ちよかった。



【対象作品】

郡司和斗 夜と眼 10句 ≫読む

桂凜火 盛装でゆくよ 10句 ≫読む

田中泥炭 風 狂 10句 ≫読む

藤原暢子 息の 10句 ≫読む

後記+プロフィール710

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 後記 ◆ 福田若之


太陽が足りない。


それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.710/2020-11-29 profile

■鈴木春菜 すずき・はるな
2019年に作品集『301vol.2ダダダダウッピー』出版参加。

■小林苑を こばやし・そのを
1949年東京生まれ。「月天」「百句会」「塵風」所属。句集点る』(2010年)。
 
■鈴木総史 すずき・そうし 
1996年(平成8年)生まれ。24歳。北海道旭川市在住。現在、製薬会社にて勤務中。大学入学を機に、櫂未知子・佐藤郁良に師事、以後本格的に句作を開始する。俳句同人誌「群青」同人、俳人協会会員。俳句対局龍淵王決定戦優勝。
 
■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。  
 
西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」「ユプシロン」参加。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ 「道草俳句日記」

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第1句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第2句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

10句作品 月一度 鈴木春菜

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月一度  鈴木春菜

遠くより木の折れる音冬の山

月一度会う人のいて炉のまわり

湯気立てて畳の上の端と端

襖開けまた手をかえて襖閉め

水運ぶ白足袋のかかとの丸み

冬の夕指につながる水の音

袂より手の美しく炭をつぐ

短日の浮かんで消える今日のこと

冬の灯を消して冬の灯のほうへ

花柊一人乾かすセミロング




週刊俳句 第710号 2020年11月29日

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  第710号

2020年11月29日



鈴木春菜 月一度 10句 ≫読む

…………………………………………………………
【句集を読む】
「私」を刺す
柏柳明子『柔き棘』を読む ……小林苑を ≫読む
 
【週俳10月の俳句を読む 
鈴木総史 眼とイメージ、そして音 ≫読む


中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
ヤード・バーズ「Train Kept A Rollin'」 ≫読む

〔今週号の表紙〕大寿林岡田由季 ≫読む

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後記+プロフィール711

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後記 ◆ 西原天気


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no.711/2020-12-6 profile

■藤田 俊 ふじた・しゅん
1980年生まれ。「猫街」に参加。元「船団の会」会員。現代俳句協会会員。Twitter:@fujitaimhata

■小林苑を こばやし・そのを
1949年東京生まれ。「月天」「百句会」「塵風」所属。句集点る』(2010年)。 
 
■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。  
 
■吉平たもつ よしひら・たもつ
1946年生まれ。現代俳句協会、新俳句人連盟所属。句集刊行検討中。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter


〔今週号の表紙〕第711号 雪吊り 吉平たもつ

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〔今週号の表紙〕
第711号 雪吊り

吉平たもつ



雪吊りは樹木の枝が雪が付着することで折れないように縄で枝を保持することである。雪吊りの由来は、リンゴの実を重さから守るために行った。雪の多い東北地方や北陸地方で行われ、代表的なものは石川県金沢市の兼六公園である。雪の少ない関東地方でも、雪吊りが行われ写真は東京都文京区の小石川後楽園である。雪吊りの写真は、通常正面からが多いがこの写真は、松の木を真下から撮影した。


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【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】ランバート・ヘンドリックス&ロス「モーニン」

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【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】
ランバート・ヘンドリックス&ロス「モーニン」


天気●英国ロックをもう少し続けようかとも思ったのですが、がらっと雰囲気を変えて、Lambert, Hendricks & Rossの「Moanin'」(1960年)です。



天気●1957年に結成。60年代前半までは活躍したっぽい。調べていてわかったのですが、アニー・ロスは今年の7月に89歳で亡くなっています。

憲武●7月21日ですね。弘田三枝子が亡くなった日です。山本寛斎もその日でしたね。

天気●ヴォカリーズ(Vocalese)、ジャズの器楽曲に歌詞を付けて歌うという、えらくざっくりした言い方ですが、そのヴォカリーズの創始者みたいなグループで、この歌唱の感じは、マンハッタン・トランスファー、70年代後半から80年代前半にかけて大人気だった男女2人ずつ4人組の元になったというか先祖というか両親たちみたいです。

憲武●はい。まさに。でなければアル・ジャロウの「テイク・ファイブ」なども生まれてなかったのではないかと。

天気●スタンダード曲「モーニン」は1958年にアート・ブレイキーが発表。歌詞はその翌年にジョン・ヘンドリックスが付けた模様。

憲武●翌年なんですね。

天気●はい。早いですね。

憲武●後半のアニー・ロスの高音、いいですね。なんか懐かしい感じ。このヴォーカル全体が、今の時期にぴったりな感じです。

天気●名曲ですね。モーニン。「朝が来るたび、うめくんだ♪」から始まる歌詞も、気だるいメロディーにぴったりです。なんか朝なんですよね、この曲の悲痛さは。

憲武●朝って悲痛。朝って意地悪。

天気●とはいえ、うめいてばかり嘆いてばかりでは実生活が立ち行かないので、ちょっと元気だしていこうと思うのですよ。


(最終回まで、あと828夜)
(次回は中嶋憲武の推薦曲)

【句集を読む】現在と過去を二重写しにする存在 鴇田智哉『エレメンツ』を読む 小林苑を

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【句集を読む】
現在と過去を二重写しにする存在
鴇田智哉エレメンツ』を読む

小林苑を


いうれいは給水塔をみて育つ  鴇田智哉

何度も読み返す。句集をひとつの作品として編むのが当たり前になってきているのだろう。だから一句との出会いの悦びを味わうのとは違う。迷路に入り込むように頁を繰っていくことになる。

『エレメンツ』というタイトルが既に暗示的なのだけれど、ⅠからⅢまでの章立てはさらに細かい小タイトルで区切られていて、この小タイトルれが極めて象徴的なタイトルばかりなのだ。だから仕掛けが溢れているようなのに、句集全体の印象はひどく生真面目なのだ。

小タイトル20余りの小タイトルの中の4つが「35°37'34.9"N 139°26'13,9"E」というような謎の文字列で、たぶんと思ってGoogleで探る。「日本経緯度原点は、日本国内の測量の基準点。東京都港区麻布台二丁目に位置する」とWikipediaで知る。作者はいま自分が立っている地点を伝えようとするのだけれど、謎解きは読者それぞれに委ねられる。

掲句の「いうれい」は季語のようで長い時間を給水塔とともにあるのだから季語ではない。作者もいま給水塔を見ている。死んだ者も生きている者も給水塔の見える場所で空や風とともにある。私には『エレメンツ』の迷路の真ん中にこの給水塔が立っている気がする。見上げればいつもそこにあるものとして。

句集全体を通して頻出しているように感じたのが団地と電柱なのだけれど、実際にはそんなに多いわけではない。現在と過去を二重写しにする存在として印象に残ったのだ。《うすばかげろう罅割れてゐる団地》《凍る地を踏みしだき団地をのぼる》《眩しくてこはい団地のハナミズキ》。これらの団地はときに賑やかで、ときに廃墟だ。

さらに電柱。実は電柱・電信柱で2句しかない。さらに電線と給水塔。これらも生きる地点と距離或いは時間を感じさせてくれる。《うすらひを越えて電線沿いにゆく》《電柱で今日の私に出くはしぬ》《しやつくりや電信柱まで進む》。

気になると言えば、いくつかの紫陽花や鹿の句にも触れたいのだけれど『エレメンツ』の迷路で探してみてほしい。好きな句を何句か。

紫陽花に落ちてきよとんとする小鳥

車座のひとりづつ風穴のある

抽斗をひけばひくほどゆがむ部屋

マスクはりついた私があちこちに

この部屋が金魚となりの部屋は雨

空蟬をなくして次の日になりぬ


鴇田智哉『エレメンツ』2020年11月/素粒社 ≫amazon

【句集を読む】のびのびと幸せな歩調 小池康生『奎星』を読む 西原天気

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【句集を読む】
のびのびと幸せな歩調
小池康生奎星』を読む

西原天気


蠅生まるビル一面に室外機  小池康生

3年前に惹かれた句を、いま句集で読んでふたたび惹かれた。自分の好みや規準はあまり変わっていない。3年前にブログ記事を書いたことはきれいさっぱり忘れ去り、いま読んで、記事に載せた写真の風景、東京・湯島付近のビルの背面を思い浮かべた。風景の好みや記憶の抽斗も変わっていない。

掲句の美点のひとつは、季語のいわゆる「斡旋」(業界ジャルゴン的であまり使いたくない語だが)のたのしさ・たしかさであり、それは今回の句集でもじゅうぶんに味わうことができる。

流木はことごとく痩せ秋の声  同

季語「秋の声」は、澄んだ空気のなかで聞く自然の物音。痩せた流木(日に露わとなり乾いているのだろう)との照応が滋味深い。

近づけば灯る仕掛けや年暮るる  同

よく目にするようになった防犯用の照明と年の暮れの組み合わせは、安定的(前述の「たのしさ」「たしかさ」でいえば後者がまさる)。

そしてまた拙ブログで取り上げたこの句。

青空は微動だにせず囮籠  同

これもまた「囮籠」の巧みさで、読者を一気に俳句的感興へと連れ込む。

季語という強力な仕掛けを十全に、かつ無理なく一句に収めるにおいて秀でた句が多いなか、いちばん好きになったのが、この句。

先頭へ車輛のなかをゆく日永  同

前掲の数句に比べれば、季語の斡旋が句に寄与する度合いはやや小さいかもしれないが、このなんとも幸せな歩調!

電車のなかをおそらく連結箇所を越えて、前へ前へと歩くのは、切り開かれていく風景を見たいのか(窓を隠しているケースも多い)、乗り継ぎ・下車後の便利を考えてのことか(現実的で夢がない)、それはわからないが、この句ののびのびと幸福な空気には、「日永」という季語が大きく関与している。

季語に過度の荷重をかけずに(つまり頼り過ぎずに)、けれども、季語をきちんと活かす。きほんのところだけれど、それってとてもだいじなことのようです。


小池康生『奎星』2020年10月/飯塚書店 ≫amazon



藤田俊 はく 10句

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藤田俊 はく

ロッカーにしばし手を置く冬の朝

手袋のままで証明写真撮る

ボーリング場ももれなく小夜時雨

映るまで冬日にひたるディスプレイ

定位置に靴べら挿され神無月

すそ広のズボン両手でもつミカン

水鳥へメガネケースのかぱと鳴る

むかし来た押入えらぶ枯蟷螂

冬川にショベルおろしたショベルカー

街灯のしたでひといき白菜と

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