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Channel: 週刊俳句 Haiku Weekly
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7. 西生ゆかり 体と遠足(*)

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 7. 西生ゆかり 体と遠足(*)

入学の全てを入れる青い箱

春眠し口紅だけの母と居て

桜餅日記に書かなかつた海

寄居虫を運ぶピアニストの右手

船室に現金のある日永かな

平日の昼間の踊り布袋草

紫陽花や頭の良い人の頭

夏蜜柑一応取つておく書類

百日紅漫画の恋が叶はない

七月は光る焼肉屋の看板

朝曇何か置いても良い広場

青嵐たまたまそこに居る牧師

風鈴や記憶の顔の入れ替はる

秋の三階のコンセントの暗さ

西口に桃と救世主の車

薄くなる九月の列の外に居て

敬老の日の新しき担当者

暮早し桃の匂ひのする白衣

稟議書を紙の聖樹の横に置く

ざつと差す千両のバケツが青い

海老で作るハートマークや冬の旅

螺子ひとつ余つてゐたる湯ざめかな

交はらぬ玩具の線路雪催

節分の折れば小さくなる仮面

ラーメンに大事なもやし寒戻る

鳥曇声と呼吸を通す穴

引越の最後は体春の昼

ぶらんこの下の地面が剥けてゐる

サイネリア夜の乾電池の重さ

白躑躅番号札のための列

遠足やどの子も丁寧に生まれ

遠足のきちんとずれてゐる手足

野遊や一人は水のやうに立ち

春の宵全てのドアが開くバス

花水木私のほとんどは体

柏餅書けなくなつてからの指

フランスの犬の心配桜の実

金網の薔薇の密度に歪みゆく

更衣てふやはらかき祭かな

茉莉花や島にふたつの集会所

マヨネーズを持ち込んでゐる船遊び

蛸の脚二本と本体の一部

夕暮や取りては戻す香水瓶

触れ合へる蓮の浮葉の襞と襞

珈琲が来てから外すサングラス

熱帯魚の後ろに海が描いてある

貧血や蛍袋の端の反り

ふつと目を開ければ髪を洗ふ吾

白日傘開くたまたま生き延びて

その日まで台車に載つてゐる神輿


6. クズウジュンイチ 静かな野球

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 6. クズウジュンイチ 静かな野球

 

 

爪うすく二月の米を研いでをり

春川の水にもしやりとしたところ

後ろ手が土筆をいつまでもさはる

新体操部へ燕が来て光る

つちふるや帰れば落ちてゐる吸盤

直線の模様が切り替はる浅蜊

静かな野球たんぽぽがわりとある

雲が日を隠して虻のすぐ休む

キューピーが花の神社に置いてある

小鳥屋が一人で運ぶ花曇

兄嫁が通りかかつてすひかづら

かははぎの煮汁に顔の剥けてをり

裏山のそとがはにゐるほととぎす

ひつかけの釘に傾く草刈機

爪先の探るくらがり軒忍

息深く吐けばぽろりと蝸牛

茄子の花ひよこが慣れてきて歩く

蚊の夜こそとりわけ光れ券売機

紙箱に乾いて軽く兜虫

細きゆうり塩して棘は手にさはる

こどもから鳥のにほひのする端居

炎天のガードレールにひどく粉

遅い人待つて木槿の信号機

鈴虫は甕に鳴き継ぐ寝静まる

邯鄲を透けてみどりの月明り

こほろぎを藪にまかせて雨降りの

黒こげの金具は裏のをみなへし

ひよどりは疲れてふつと寝てしまふ

生き死にの魚が月夜の袋網

車座がほぐれてずれる吾亦紅

持主は家を出てゐるゐのこづち

次の田に次の田に雨まんじゆしやげ

指笛にぴしりと割れて通草の実

十三夜つるりとくぼむ駅の椅子

冬支度老いし者より鼠めく

はすかひに鈴の鞄や花八手

白つぽい皿にラップの牡蠣フライ

ゆりかもめ薄く大きく埋立地

大群にかなり転写の鴨がゐる

鱈ちりやきれいに住んでメゾネット

枯芦に踏み入る葬儀屋に任す

生の火を荷台に積んで焼芋屋

休校の一日中を冬の鵙

中指が白くてうさぎごとさはる

あの器具に鯛焼ひとつひとつ焼く

雨粒のこまかく付いて狐かな

立てかけの葱が乾いて下に砂

うれしさや犬が廻つて冬椿

双六の賽のもとより角丸し

泥抜きの寒鯉のゐるベビーバス

 

5. 片岡義順  舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉

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5. 片岡義順 

舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉 

 


高みへと蕪村の墓の春の風
たましいのうしろ姿や遍路笠
菜の花のほどよく漬かり歎異抄
蝶ひとつ山を越えたと里のひと
うたた寝も死のいち定や花の酔
コロナ禍へ食えぬ趣向や花に雪
三井寺の謂れは知らぬ霞む鐘
竹垣の結び目そろう花菖蒲
ただひとつ灯りの消えぬ雛の家
ふところの深き入り江や春の月
落花しきりくじらの去った夜の湾
義仲寺や大きな人の夏の夢
曜変天目町焼き払え夏の月
雨と知り咲く燕子花国宝展
街道も人あればこそ岩清水
暑き日の気構えただす茶懐石
禅堂へ白塀つづく夏の寺
ねそべってわらべ地蔵や青蛙
紫陽花の好むくらがり叔母の家
夕景を千切って捨てたサングラス
撃ったのは向日葵らしいゴッホの死
冷酒美味しショパンの森のノクターン
海を見たか大極殿へ秋の声
奥殿に忍び神職月の客
月光や戦艦大和浮上せり
茶器にある武人の覚悟秋澄めり
語るもの秘して円墳鰯雲
鳥居にも存念はある秋の茄子
僧ねむる山深閑と蕎麦の花
木戸ぬけてもどらぬ男秋の蝉
お地蔵とホテルの朝を京の秋
目が合うて折り合う頃や吊し柿
検索の本は一円秋刀魚焼く
裏玄関菊大輪のおもてなし
鶏頭を遠回りするよその猫
大風呂敷やいつ持ち帰る天の川
冬の虹へ追憶は絹正倉院
雪の朝に三島の魂が金閣寺
くらえ一太刀利休自在ぞ冬の雷
恐竜のやがてだんまり冬銀河
治虫忌や誇りの高きはやぶさ2
古代史を駆けた名馬や冬北斗
史の底にもの言わぬひと冬椿
スマホ手に転がす世界冬薄日
お詣を終えて湯豆腐三輪の山
疑い深い蟷螂だった冬温し
釣り人の休むも供養冬の凪
春遠からじくじらの便り待つ列島
水仙や夢の女は海から来
しばらくは無口でいよう葱畑

4. 落合耳目 LED

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4. 落合耳目 LED
 





子を高く担ぎ初日の持ち上がる

あをぞらを大盛りにして大旦

初富士といふ大いなる晴れ男

出初式みづ如意棒のやうに伸ぶ

大寒の香辛料として日差し

浮寝覚め少し気不味くなりにけり

葉牡丹は美しき鼻炎の昼の中

蝋梅を鼻孔に入れて持ち帰る

湯に浸かるやうな貌して春の鴨

富士の嶺を見飽きてしまふほど長閑

別れてもまた三椏の花として

落暉はや春分の日をうらがへす

うづしほの螺子がなかなか締まらない

たんぽぽを遊牧民と思ひけり

座禅草とは学生のワンルーム

桜まじ円周率は外回り

片栗の花の寝癖が直せない

野良猫は孤高の詩人花月夜

レタス噛むとき奥歯まで眩しがる

うらうらと鳩鈍感になつてゆく

新聞を翼のやうに広げ夏

こどもの日首から提ぐる社員証

夏草といふ牧草の食べ応へ

ジャムとなるまで夕焼を煮詰めゆく

飼猫のやうに扇風機を運ぶ

傘小さくして夕立に立ち向かふ

常緑の影固くなる暑さかな

忠犬のごと空蝉を待たせおく

甲虫夜に黒船の炉を燃やし↓夜は

鷺草の空を知らざる白さかな

秋日傘かるく絵柄を見せて閉づ

鶺鴒の足を車輪にして進む

バリウムの甘き勤労感謝の日

台風の怒りを捨ててゐる河口

風の端に秋風鈴の音ひとつ

桐一葉尻を押し出すすべりだい

店閉めて誠に勝手ながら秋

秋風の結び目となるジャンクション

稲雀とはしたたかな民主主義

腰かける案山子に物凄い気配

きのこにもなだらかな頂のあり

芒野に梱包されてゐる心地

秋の灯をLEDに取り換へる

ラーメンは悪魔の食事秋深し

鳰潜るときわたくしも息を止め

大根の白出たがつてゐたりけり

裏鬼門から恵方まで雪囲

無駄遣ひして煤逃げを咎めらる

ゆく年の落日といふ後頭部

まなぶたは世界のふすま年流る

3. 岡田一実 文字

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3. 岡田一実 文字

水引や泥鰌は己が泥煙 

蓮の実の下もじやもじやに蓮の蘂 

鶺鴒の浅瀬に歩く脚うごかし 

掃苔や濱に火を焚く音の中 

猫じやらし風に根元の濃くれなゐ 

実をつけて屁糞葛の萱を巻く 

秋の滝ふたすぢ同じ滝壺へ 

窪に渦してそれよりの紅葉川 

木柵を跨ぐ脚立も松手入 

卵殻のあはき凹凸白秋忌

走り根を階として茸山 

すぐ飛ばす綿虫を手に歩かせて 

返り花川は巌の段に急 

雑炊の卵蒸す間の二三言

話しあふ忘年会を思ひ出し 

祭壇の短き菊や初詣 

門松の松細し竹猛々し 

初かがみ吾の背景の白き壁 

可笑しいと思ふそれから初笑 

前傾に揺れてひたすら初笑 

熱移る三つ葉の茎や雑煮椀 

白粥炊くあひに七草切る微塵に 

吾を見て縄跳のまま横へ()る 

滾る閾超え千切らるが波の花 

門灯に貌あらはるる雪達磨 

寒鴉まづ足に跳ね羽に飛ぶ 

窓のあるビルが街なす冬日かな 

雲ざつと来て探梅を急の雨 

春の風邪まなこのミモザ殊に黄に 

鶯笛ひなたの味に鳴りにけり 

こゑの目白すがたの目白梅に来る 

渦潮のうづ巻く前の盛り上がり 

はくれんを夢のごとくに穢のおよぶ 

ものの芽といふには少し長かりき 

子のこゑの宙をつたはる土筆かな 

ほほゑみのいまは動かず雛人形 

歩くとき黙に発つとき囀りに 

宙あをく見ゆる不思議を飛花落花 

ヒヤシンスその根巻かれて売られあり 

夕光(ゆふかげ)の風に粒なす苜蓿 

歪み開く口の黄色や燕の子 

羽虫あまたたかる花あり泰山木 

六月や薄日に高嶺揃ふ(ひる)

雨は灯に乱れて夏の欅かな 

河骨の花ごと揺るる中の蜂 

萍をおし分け泡の浮き出づる 

勢ひのよき滝にして丈短か 

脚に蝶まはしつつ蜘蛛それを食ふ 

夏痩や文字を解して手紙読む 

あをく暮れゆく夕焼のすぢ残し

2. 大西主計 画面に指を テキスト

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 2. 大西主計 画面に指を 

出発は薄氷の鳴る水溜り
駅が開きスーパーが開き花辛夷
裏露地の蝶が眩しくしてゐたる
珈琲を買つて片手に春浅し
製油所の銀の配管春の海
オートバイを押して石蓴を見下ろして
たんぽぽの富士演習場の煙かな
爆音は春の光の奥高く
虻のゐて自販機だけの休憩所
ゆるゆると下りてゆく道うららけし
春昼やうしろに人の見えずなる
野遊びのイートインにて別れけり
思ひだすやうに葉を剝く桜餠
鳥曇古新聞の束を積む
からつぽの雨の教室花は葉に
いつまでもガム嚙みてをり新樹の夜
背丈ほどの顔のポスター夏来る
雨あがり白百合のみが背の高き
濡れ傘を突つこむ袋半夏生
信号の向かうにひとり片かげり
帰省の旅海岸線のただ長く
ボートに凭れ舟虫のみな逃げる
泳ぎ出て水の冷たくなるところ
その後は立つて裸で水を飲む
夏の果デッキブラシを忙しなく
夕焼と汽笛の溜まる坂の町
やあやあと挨拶しつつ門火かな
浜砂の緊まれば秋の来てゐたり
墓参いつもの手順いつもの帰路
ねばりつくやうにまはりを赤とんぼ
抜いて積む朝顔の蔓そして種
鰯雲さうか募集は終はつたか
出航の合図は嗄れて文化の日
来てさつと鰡網打つて行かれしよ
色鳥に目を誘はれて空の青
菌山ここを越えればだれも来ぬ
銀杏散る大通りまで戻りけり
いつまでも建たぬ区画を寒鴉
ほどほどに雑草ありて小春かな
踏み歩く溝蓋の音冬の朝
極月の画面に指を走らせる
枯草に底を搏たせて停車せり
一片の風花飛ばず空深し
底冷の唾を呑み込む喉仏
白鳥の騒ぎのいつか風も無し
夜鳴蕎麦ネット空間しんしんと
冬月やなんと遠くに坐りゐる
翻る背のしなやかに雪の街
白葱を高く掲げて帰るなり
ビル眩し口を結んで春を待つ


1. 青島玄武 辛夷の空

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1. 青島玄武 辛夷の空

鼻歌も秋めく頃となりにけり

休暇果つ畳にこぼすコカ・コーラ

風の色古き写真にありありと

良宵や皿を溢るるスパゲティー

爽やかに相合傘は解けたり

小さきに膝を屈むる水の秋

陸橋の上にも踊り止まぬ人

もうひとつ枝豆つまむ赤き爪

騒がしき百寿の通夜や虫の夜

またしばし夜を見つむる菊人形

枯山河その真ん中の遊園地

踏切に対岸のある寒さかな

唇を嘗めて湿すや去年今年

家元が一番下手な能始

それぞれの首を洗へる初湯かな

寒晴れやラジオ体操する背広

日輪の蘂震はせて寒牡丹

節分に少し離れて家の猫

ぶつぶつと野火の呟き止めどなし

花買うて花屋出られぬ春時雨

自転車も椿を踏んで通学す

蝌蚪の水湧くや古墳の底ひより

春灯や一日を終へし指の傷

贋物の九谷の皿の鶴も春

ぶらんこの隣は彼氏とも違ふ

目刺焼くと仏の匂ひしてきたる

まんじゆうも知らぬ顔して雛人形

散りてなほ辛夷の空のありにけり

をさなまで同じ訛や桜餅

プリウスの後部座席の桃の花

ふるさとの川の臭さよ花万朶

おにぎりの中から桜吹雪かな

打球音花の端まで響きけり

ひとひらの落花に浮かむ阿蘇五岳

蘖ゆる合掌の手を開く如

羊羮を春の愁ひを切り分くる

神様を脇に退けたる藤の花

麦秋を縁取るやうに陸上部

海神の耳へ囁く不如帰

甲板が全般的に蛸となる

滴りの下に生れにし社かな

緑陰に冬物あまた干されあり

青空の端まで田植終りけり

大王の棺重なる紅の花

とりどりに傘を傾け大祓

親の滝子の滝孫の滝と落つ

蝿帳へ賞味期限の切れたるも

紫陽花の花びらごとの影日向

軒下に迫り来たれる夏野かな

午後九時で最終列車翌は秋

第707号 2020年11月8日

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 707
2020118


2020角川俳句賞「落選展」


1. 青島玄武 辛夷の空 ≫読む

2. 大西主計 画面に指を ≫読む

3. 岡田一実 文字(*) ≫読む

4. 落合耳目 LED ≫読む

5. 片岡義順 舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉 ≫読む

6. クズウジュンイチ 静かな野球≫読む

7. 西生ゆかり 体と遠足(*) ≫読む

8. 島村福助 春のウイルス ≫読む

9. 杉原祐之 空バス ≫読む

10. 空谷雨林 花園 ≫読む

11. 高梨 章 透明水彩(*) ≫読む

12. 中田 剛 捨てる神(*) ≫読む

13. ハードエッジ プランA「小さき箱」≫読む

14. ハードエッジ プランB「明日を信じて」 ≫読む

15. 松尾和希 パレード ≫読む

16. 松本てふこ シャンパンタワー(*)≫読む

17. 丸田洋渡 銀の音楽(*) ≫読む

18. 山本真也 すべての人に口づけを≫読む

19. 矢口 晃 帰る家(*) ≫読む

20. 薮内小鈴 蜂と切手   ≫読む
 
(*)一次予選通過作品 


参加者プロフィール  ≫読む

…………………………………………


〔今週号の表紙〕足跡……岡田由季 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……上田信治 ≫読む



新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

週刊俳句 第708号  2020年11月15日

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 第708号

2020年11月15日



田中目八 青へ、或は岸辺から 10句 ≫読む

…………………………………………………………
【句集を読む】
ええなあ、西のお人は
小池康生奎星』を読む ……小林苑を ≫読む

【週俳9月の俳句を読む 
瀬戸正洋 黄昏時についての考察 ≫読む

羽田野令 ここではない世界 ≫読む

久留島元 畳みかけてくる ≫読む 

中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
ピーター・フランプトン「BABY, I LOVE YOUR WAY」 ≫読む

〔今週号の表紙〕岡田由季 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……村田 篠 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編子規に学ぶ俳句365日のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール708

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 後記 ◆ 村田 篠


(Under Construction)


no.708/2020-11-15 profile

■田中目八 たなか・もくはち
1978~。「奎」同人。西成の人。単家。パートタイム労働者。即興演奏。

■小林苑を こばやし・そのを
1949年東京生まれ。「月天」「百句会」「塵風」所属。句集点る』(2010年)。 
 
■瀬戸正洋 せと・せいよう
1954年生まれ。れもん二十歳代俳句研究会に途中参加。春燈「第三次桃青会」結成に参加。月刊俳句同人誌「里」創刊に参加。2014年『俳句と雑文 B』、2016年に『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』を上梓。

■羽田野 令 はたの・れい
1950年生。「鏡」「ヤママユ」「義仲寺」参加。

■久留島元 くるしま・はじめ
1985年1月11日生。「船団」会員。関西現代俳句協会青年部部長。
blog「曾呂利亭雑記」http://sorori-tei-zakki.blogspot.jp
 
■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。  
 
西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」「ユプシロン」参加。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ 「道草俳句日記」

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」

〔今週号の表紙〕 第708号 鶫 岡田由季

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 〔今週号の表紙〕

第708号 鶫

岡田由季



野鳥を観察していると、「なぜ、この鳥がこの季節の季語?」と疑問に思うことがままあるのですが、私にとって鶫はそんな鳥です。

大阪では、11月ごろから飛来し、5月のGW頃まで滞在します。秋にはいません。 一番よく見かける季節は春かと思います。

 



週刊俳句ではトップ写真を募集しています。詳細はこちら


【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】ピーター・フランプトン「BABY, I LOVE YOUR WAY」

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【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】
ピーター・フランプトン「BABY, I LOVE YOUR WAY」


憲武●先々週話の中にちょっと出てきましたピーター・フランプトンで"BABY, I LOVE YOUR WAY"です。


憲武●この曲、ウィル・トゥ・パワーやビッグ・マウンティンのレゲエバージョンやなどのカバーの方がむしろ有名なのではないかと思います。現に先日、「もうやんカレー」を食べに行って、店内に入った瞬間、ビッグ・マウンティンバージョンがかかってました。オリジナルはピーター・フランプトンです。

天気●カバー、よく耳にしますね。

憲武●はい。この曲「フランプトン・カムズ・アライブ(1976)」という非常によく売れた二枚組のライブアルバムに収録されてますね。1976年の春に発売だったと思いますが、レッド・ツェッペリンの「プレゼンス」もその頃発売でしたので、ツェッペリンを先に買ってしまって、初夏になってから買ったという記憶があります。なので、初夏から梅雨にかけてのイメージなんです。このアルバム。

天気●大ヒットアルバムですよね。ラジオでもよくかかった。この頃、ロックスターに登りつめる感じがありました。

憲武●買う前にクラスの女の子から借りて一回聴いていたんです。すごくいいっ!とか言われて。聴いてみると、やはりよくて、各ライブのいいとこ取りみたいな印象ありましたね。ボブ・メイヨのエレピの音が、今でも格別にいいです。

天気●フェンダー・ローズの温かい音色です。

憲武●そう、温かいんです。ピーター・フランプトンはその一、二年後に「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」というビートルズのアルバムをテーマにしたミュージカル映画の主役になったんですが、その頃が絶頂だったでしょうかね。ストーンズのミック・テイラーの後釜のギタリストにという話もあったようです。映画はつまらなかったです。

天気●ミック・テイラーの後釜は、結局、フェイセズにいたロン・ウッドになったんですね。

憲武●ロン・ウッドはスモール・フェイセスにも少しいましたね。ピーター・フランプトンですが「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」ももちろんいいですが、この曲、エレピの音色と共に1976年の梅雨の夜のことなど、思い出すんですよ。 


(最終回まで、あと831夜)
(次回は西原天気の推薦曲)

【週俳10月の俳句を読む】畳みかけてくる 久留島元

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【週俳10月の俳句を読む】
畳みかけてくる

久留島元


くたばるとき盛装でゆくよ酔芙蓉  桂凜火

六・八・五のリズム、それでも違和感は覚えない。彼岸への呼びかけ、盛装で逢いに行きたい人、先へ逝ってしまった配偶者か、ちょっと見栄を張りたい友人なのか。明示されていないので想像するしかない、そのぶん自由に解釈できる句だ。

ぞんざいさと、礼儀と、ないまぜになっていて、それが相手への深い愛情表現に思える。

毬栗のたくさん当たる石仏  藤原暢子

滋賀県の北部、いわゆる湖北地方には、「いも観音」と呼ばれる木造の観音菩薩像がいる。鎌倉時代にさかのぼる古仏だが、戦乱にまきこまれないように田畑に隠した観音像を川で洗ったのがはじまりで、昭和初期までは川で洗い清める儀式が続いていたといい、昭和初期までは、地元の子どもが浮き輪のように浮かべて遊んでいたらしい。

掲句は石仏なのでそんなわけにはいかないが、同じくらい、親しみやすい。祠もなく、吹きさらしだけれど、栗の木の根元で地元を見守ってくれている、ときどきイガグリをぶつける悪ガキがいたり、するのだろうな。


狼の屍を分ける人だかり  田中泥炭

生物学の解剖だろうか。それとも狩の現場か。狼の肉は、あまり食べたりはしないと思うが、なにか神聖な、あるいは邪悪な、儀式のような神秘性を感じさせる。

劇がかった言葉遣い、舞台設定ながら、たしかな現実感がある。


白昼の植民地(アカウント)より黒蝶来  田中泥炭

字面をみれば白、黒の対比だが、言葉の展開と映像力が見事なのであざとさは感じない。情報量の多い単語が並び、何らかの寓意、象徴として読み込もうと思えばいくらでも読めそうだが、あえて何も言わず、迫り来る蝶の生々しさで畳みかけたところがうまい。


秋の初霜を蛇行の兄と姉  郡司和斗

浪漫調の表現で、私にとってかえって作者像が見えにくい印象の句群だったが、この句の妙にぎこちないリズムが目に付いた。初霜を避けて蛇行していたのだろうか。

一般的には散文的、説明的と評されそう


【対象作品】

郡司和斗 夜と眼 10句 ≫読む

桂凜火 盛装でゆくよ 10句 ≫読む

田中泥炭 風 狂 10句 ≫読む

藤原暢子 息の 10句 ≫読む

【週俳10月の俳句を読む】ここではない世界 羽田野令

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【週俳10月の俳句を読む】
ここではない世界

羽田野令


ありあまる夜に滞納を払ひけり  郡司和斗

最初に「ありあまる夜」とあるのだが、何だろうか。夜の長さのことをいうなら「夜長」「長き夜」ということになるが、そうではなく余っている夜なのだ。夜ばかりある日々を送っているということだろうか。昼間眠ってしまって起きたら夕刻で、それからの夜の時間が1日の大半ということになるというような。秋の夜をいう季語を使うとその本意が付いてくるが、それがほしくなくて「ありあまる夜」としたのだろうか。

「ありあまる」という表現は次の「滞納を払ひけり」と響く。払うべき料金の納入が滞っている、つまり、余っていないもの、不足のあるものがある。「ありあまる」が滞納を埋めようとするかのような、言葉から言葉への連想がはたらく。

納付書を持って深夜のコンビニに払いに行ったということなのだろう。


ぬすびとはぎいにしえびとの身軽さよ  桂凛火

盗人萩は秋には歩いていると道端でも空き地なんかでもよく見かける草である。萩に似たピンクの花で、遠くから見て萩かなと思って近づいてみると葉が萩とは違う。今頃はもう実ができている。三角の平たい実で最初は緑のきれいな色である。だんだん枯れてきて茶色くなるが、三角の小さな幾何学模様のようなのが幾つか連なっているのは可愛らしい。表面に硬い毛が生えていて、ひっつき虫になる。

盗人萩という命名は、萩に似ているけれど違うものを表すのに盗人を持ってきたということだろう。例えば似ているけれど違うものを言う時に「犬」が付いているものがよくある。犬枇杷とか犬蓼のように。本当の枇杷、蓼ではなくて似たものだよという意味で本当のものより少し劣る意味を加えている。盗人萩の場合は萩の音を「剥ぎ」に掛けてそこから「盗人」を持ってきたのだろう。

昔は追い剥ぎなどという盗人があった。旅に出て盗人に遭い身ぐるみは剥がれてしまうのだ。衣服が財産であった。そういうことが「いにしえびとの身軽さ」なのだろう。


花梨の実鞄の闇の甘くなる  藤原暢子

花梨を鞄に入れている。貰ったのかもしれない。花梨の実は結構大きくてうっすら甘い香りがする。鞄の外からはわからないが、私は鞄に花梨を入れているのよ、と時々思い鞄に手をやったりして、何か豊かさに満たされる。鞄の暗さの中に花梨の 香が満ちていることが、「鞄の闇の甘くなる」と表されている。


白昼の植民地より黒蝶来  田中泥炭

熱帯の真昼の暑さ、熱風に乗ってひらりと黒い蝶がやってくる。植民地から。

植民地という言葉に何を思うべきなのだろうか。アフリカやアジアの諸地域。一時代前の搾取に苦しむ人々。独立への人々の熱気。熟成した文化がまだ経済的発展のない地域に落とすアンニュイな影のようなもの。等々。

私の勝手な想像では植民地というと映画「ラマン」のイメージが浮かぶ。フランス統治下のベトナム。真昼の太陽は明るくてもどこかに負の要素を秘めているような。そんなところから飛来するものとしての黒蝶。

ここではない世界、植民地という言葉を置くことで異界性を帯びた句になっているように思う。またそのことが、読者の内側に言葉が入り込み、蝶が影を落として行ったのは私の心の中の地面であるような感がもたらされるのではないか。

音の類似性が面白い。白昼のチュウと植民 地のショク、そして ハクチュウとコクチョウ。又、白昼の「白」と黒蝶の「黒」という色の対比も効いている。

【対象作品】

郡司和斗 夜と眼 10句 ≫読む

桂凜火 盛装でゆくよ 10句 ≫読む

田中泥炭 風 狂 10句 ≫読む

藤原暢子 息の 10句 ≫読む

【週俳10月の俳句を読む】黄昏時についての考察 瀬戸正洋

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【週俳10月の俳句を読む】
黄昏時についての考察

瀬戸正洋


ホームセンターでパイプ椅子を買いました。軽くて持ち運びの便利なものです。夕暮れになると、それを担いで出掛けます。気に入ったところで、腰を下ろし辺りを見回します。小さな集落ですので顔なじみのひとばかりです。畦や休耕地にパイプ椅子を広げていても、不審者に間違えられることはありません。農作業を終え、家に帰る軽トラックは、クラクションを鳴らして通り過ぎていきます。

数年前までは、この時間、赤ちょうちんの揺れる駅裏の路地をうろついていたことを考えますと雲泥の差です。もちろん、どちらが「雲」でどちらが「泥」なのかは、よくわかりません。調べないこと、考えないこと、これも「考察」であると思っています。


夜寒なり手をつけて大学の門  郡司和斗

大学の門に手をつけたのではなく、てのひら全体に体重をかけたのだと思いました。大学を信頼しているだけではなく、大学の門そのものを信頼している、そんな気がしました。もちろん、いちばん信頼しているのは、「夜寒」なのだと思います。

彫刻を映して汝(なれ)の眼のしづか  郡司和斗

彫刻を見ているひとの眼を見つめています。その眼をしずかだと感じたとありました。脳髄が感じたのではなく、眼が眼をしずかだと感じたのが面白いと思いました。彫刻と、彫刻の作者と、汝と我との関係が気になりました。

壁越しの嘔吐の声や秋の草  郡司和斗

目がまわり始めるのが危険な兆候です。電車やバスやタクシーのなかでもなく、駅の階段やホームでもなく、壁越しであったことが、救いであったのだと思います。嘔吐したのは、壁の内側なのでしょうか、それとも、外側なのでしょうか。風に揺れているのは、秋の草だけではなかったのだと思います。

すこと言ひ桃の産毛を撫でてをる  郡司和斗

すこと、軽くいってみました。それでも、照れくささは残ります。桃があったのだとすれば、その産毛を撫でることしか、照れくささを隠す方法はなかったのだと思います。

未明それから葡萄の旬の過ぐるころ  郡司和斗

未明も、旬の過ぐるころも、悪い言葉ではないと思います。ただ、未明には希望があり、旬の過ぐるころには、多少の淋しさも感じます。

秋晴の海へ向きたる梟首かな  郡司和斗

ひとは、相手にしません。ひとからも、相手にされません。秋の海の指示で梟首をしたのだと思います。

目薬の眼より零るる赤蜻蛉  郡司和斗

赤蜻蛉を意識したことにより、眼から赤蜻蛉があふれ出てきました。これは記憶のことなのだと思います。このいくらか先にあるものを、心眼というのかも知れません。心眼を磨くのには目薬が必要なのです。この目薬は、ひとそれぞれ異なるものなのだと思います。

ありあまる夜に滞納を払ひけり  郡司和斗

ありあまってはいないのですから、それを、いつ払うのかは重大な問題です。夜に窓を開けて空を見ると、ありあまっているものがあるということに気づかされました。そして、それは、大切な発見であることにも気づかされました。

ぷぷぷぷとストロー曲ぐる夜学かな  郡司和斗

ストローを曲げたくて、そうしたのですが、ストローにとっては、あまり面白くなかったのだと思います。「ぷぷぷぷ」は、ストローが不快さを表現しているような気がしました。夜学とは、未来(希望)への象徴です。未来(希望)とは、不快、不安の先にあるものだと思います。

秋の初霜を蛇行の兄と姉  郡司和斗

蛇行とは人生そのものです。秋の初霜が、蛇行の原因ではありません。秋の初霜は、蛇行する兄と姉を祝福しているのだと思います。

越えてゆく黄蝶の記憶霧の海  桂凜火

黄蝶が越えていく、それも、霧の海とありますので、その通りなのでしょう。帰っていく、そんな気もします。記憶が持ち帰ることのできる黄蝶の財産の全てなのだと思います。そして、それは、誰もが、そうなのだと思いました。

孤独の島みたいに浮かんでる水蜜桃  桂凜火

何を見ても、何を考えても、このひとは孤独なのだと思います。そんなときは、水蜜桃を食べるに限ります。水蜜桃の甘さは、さらに、作者を孤独の奥底へと連れ込んでいってくれるのだと思います。

夏の原牛と目が合うはにかみ合う  桂凜火

はにかむことは必要なことです。人生とははにかむことなのです。牛もはにかんだとあります。りっぱな牛なのだと思いました。広々した緑深い夏の原野。はにかみあうには、最も、ふさわしい場所なのだと思います。

方位盤ふと白百合の雄しべかな  桂凜火

方位について調べることよりも、ふと、気づいた白百合の雄しべの美しさに、こころが動いたということなのでしょう。それは、吉なのでしょうか、凶なのでしょうか。そのことを考えることも人生には必要なことなのだと思いますが。

うみうしの海の森なる葡萄房  桂凜火

黒い岩だらけの磯を海の森であるとしました。うみうしから海ぶとうへ、そして、葡萄と連想を続けたのかも知れません。森は、恐ろしい場所です。当然、海の森も恐ろしい場所なのだと思います。うみうしにとって葡萄房は、こころのささえだったのかも知れません。

どんぐりやときどき子どもで絵の具匂う  桂凜火

ときどき子どもになることができるということは、変幻自在でうらやましいか限りです。それができるのは、どんぐりのおかげなのです。そして、創作するということになるのですが、「絵の具匂う」としたことで、その先に進んだということがわかります。

屈託の3割混ざる白い秋  桂凜火

あることが気になって、くよくよすることは日常茶飯事です。つまり、「あること」が、代わっていく。それが生きているということなのです。三割程度で次に移ることは、人生の知恵なのかも知れません。

水っぽい午後のテラスや色鳥来  桂凜火

日々のくらしが、何か、頼りなく充実していないと思っているのかも知れません。色鳥とは、秋に渡ってくる小鳥のことです。慰めてくれるのが色鳥であるのなら、それで十分なのかも知れません。

ぬすびとはぎいにしえびとの身軽さよ  桂凜火

果実が泥棒の足跡に似ているので、この名がつけられたのだといいます。ぬすびとはぎにしてみれば、いい迷惑なのかも知れませんが、これも、よくある話だと思います。いにしえびとの身軽さよ、とありますが、得てして、いにしえびととは、身軽なものであるのだと思います。

くたばるとき盛装でゆくよ酔芙蓉  桂凜火

はなやかに着飾るのか、普段着のままなのか、生き方の問題なのかも知れません。ただ、見得を切ることも必要なのかも知れません。そのことによって、「変わること」ができるのなら、たとえ、くたばるときであっても、そのことに価値はあると考えます。

酔芙蓉の花言葉は、「しとやかな恋人」「繊細な美」「心変わり」「幸せの再来」なのだそうです。

氷水ふと眼鏡の遺影めく  田中泥炭

何かで間違ってしまった。そう思ったのかも知れません。こころもからだも、波長が乱れていると感じたのかも知れません。氷水を食べているとき眼鏡の変化に気づきました。その眼鏡の変化から、遺影めいていることを感じたのだと思います。

宿木に焔点かばや風狂す  田中泥炭

焔が点いたのが宿木でした。風雅に徹して他を顧みないことを風狂といいます。つまり、風の気が狂うということです。俳句に徹して他を顧みない生活というのは間違いではないと思います。

蜩や誰も笑つてはいない  田中泥炭

これが人間関係の真実です。笑っているように見えても、誰も笑ってなどいないのです。故に、他人を欺くのには「笑い」ほど便利なものはありません。蜩など好きなだけ鳴かせておけばいいのだと思います。

狼の屍を分ける人だかり  田中泥炭

腑分けです。つまり、解剖することです。それを見ようとひとが集まってくるのは当然のことなのだと思います。ひとの本性の不快なところです。ニホンオオカミは、二十世紀初頭に絶滅したといわれています。

破小屋に馬現れる大西日  田中泥炭

壊れている小屋とは何の比喩なのかわかりませんが、そこに馬が現れました。これも比喩なのかも知れません。現状を打破したいと願っているのかも知れません。それには、大西日は、最も、ふさわしいロケーションのような気もしました。

月天の風の玩具に天の狼  田中泥炭

月の世界の風の玩具といっています。天狼とはシリウスの中国名です。ギリシャ語では、「焼き焦がすもの」「光り輝くもの」を意味します。つまり、「風狂」とは、そういうものではないのかといっているのかも知れません。

短日は凪の兆も只ならず  田中泥炭

日がつまってくると、ひとのこころも何となく身構えてきます。寒さと隣りあわせの暮らしも、それに拍車をかけます。故に、凪の兆も普通でないことのように感じてしまったのだと思います。季節の移り変わりというものは、ひとのこころを惑わすものだと思います。

凍凪や心拍を肺追り上る  田中泥炭

心拍とは、心臓が拍動する回数のことをいいます。心拍数が速くなったので肺が追り上ってくるように感じたということなのでしょうか。上五を「凍凪や」としたことで、複雑な何かを感じます。 

月赫く影は夜刻を鈍る哉  田中泥炭

勢いがさかん、かっとする、いかるという意味が「赫」にはあります。鋭さがうすれる、働きが弱まるという意味が「鈍」にはあります。不吉さも感じます。もちろん、これは、月のことだけではないと思います。加えて、影とは非常に恐ろしいものだとも思います。

白昼の植民地より黒蝶来  田中泥炭

植民地としたことで、暗く重く難しい話になってきました。これは、欲望のはなしなのだと思います。故に、白昼なのかも知れません。故に、黒蝶なのかも知れません。

秋澄んで水の流れを登りけり  藤原暢子

流れに逆らうことは難しいことですが、誰もが、一度や二度、経験することだと思います。そんなときは、覚悟をすることです。覚悟さえすれば、目に映るものだけではなく、耳で聴くものでさえも澄んで響いてくるように感じられます。つまり、自分自身をふくめたすべてのものが澄んでいるということなのだと思います。

花梨の実鞄の闇の甘くなる  藤原暢子

鞄のなかではありません。鞄の「闇」なのです。鞄には、明るい未来だけではなく、過去から引きずりつづけている「闇」があります。そんな鞄のなかに、花梨の実を放りこめば、甘いかおりがします。工夫してみることは必要なことなのだと思います。

さんかくの草の実つけて足かろし  藤原暢子

同じ出来事であっても、受け取り方は千差万別です。草の実がついてしまったことが嬉しかったのだと思います。草の実のかたちまで確認したことから、不快さよりも、喜びの多いことがわかります。足だけではなく、からだそのものも軽くなったのだと思います。

毬栗のたくさん当たる石仏  藤原暢子

毬栗と石仏が遊んでいます。まいねん、この日の出来事を毬栗も石仏も楽しんでいるのです。にんげんも、このように暮らすことができれば幸いなのだと思います。

きばなこすもすひと休みする合図  藤原暢子

決まりにもとづいて、あることがらを知らせることを合図といいます。ひと休みすることは、誰もが待っていることです。簡単な合図で伝わるものだと思います。おそらく、ぎばなこすもすが、その合図を送っていたのだと思います。

仰向けを空へ見せれば小鳥来る  藤原暢子

渡り鳥がやって来ます。山から人里に小鳥が降りてきます。それは、空の指示によるものかも知れません。空(自然)が、にんげんのいうことを聞いてくれるなどということは奇跡です。それでも、たまには、このようなことがあってもいいと思ってもかまわないのかも知れません。

爽籟や伐り出されては薫る木々  藤原暢子

山の木を出荷しているところに出会ったのだと思います。爽籟も聞えます。切り出された木々の匂いもたっています。爽籟からも、伐り出された木々からも、それを見ているにんげんからも喜びが感じられます。

火打ち石かちかちかちかち天高し  藤原暢子

口をついて思わず出てしまった。そんな作品のような気がしました。「火打ち石」から、「かちかちかちかち」と続き、「天高し」で終わります。題名(「息の」)が、作品のうしろに立っているような気がします。自然な言葉のながれに安堵感を覚えました。

結んでひらいて秋の日をてのひらに  藤原暢子

前作と同じような感想を持ちました。子どもたちの遊んでいる声が聞こえます。「秋の日を」が記憶に残りました。

コスモスを揺らせる息のいつか風  藤原暢子

風とは、ため息が、はじめの一歩なのだと思いました。ため息には種類があります。風にも、同じように種類があります。コスモスも、大地も、にんげんも複雑であるということは、間違いのないことなのだと思っています。


黄昏時の風景をながめていますと、おだやかな気分になります。十月の風は、暑くもなく、寒くもなく、しずかに流れていきます。不安もあれば、心配事もひとなみにあります。風に揺れているコスモスをながめていますと、首のうしろあたりに、ため息を、確かに感じることがあります。


【対象作品】

郡司和斗 夜と眼 10句 ≫読む

桂凜火 盛装でゆくよ 10句 ≫読む

田中泥炭 風 狂 10句 ≫読む

藤原暢子 息の 10句 ≫読む

【句集を読む】ええなあ、西のお人は 小池康生『奎星』を読む 小林苑を

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【句集を読む】
ええなあ、西のお人は
小池康生奎星』を読む

小林苑を


参道の箒目に雪混じりをり  小池康生(以下同)

『奎星』は三章から成っており、各章が春・新年から冬・早春へと編まれている。最終章の一句目は「初明かり奈良は生駒の向かう側」。大阪の人である作者からすれば初明かりは生駒山の向こうの奈良の方角、つまりは天平の彼方からやってくるのだ。なんとおおどか。ほんま、ええなあ、西のお人は、と思うのです。この句に限らず地名建物名がなんともな、東国の田舎モンとしてはズルいと言いたいような佳い句がある。

それは置いときます。揚句は新年のことだろう、と言いたかったのです。早朝、境内を掃き浄める頃はまだ雪だったかもしれないし、庭ではなく参道に箒目が残っているというなら、参拝もまた早い時間に違いない。結晶のような雪が箒目に混じっていたと、それだけ。なにも言わない、だからこそ、読み手は新たな年の清冽な冷気を肌に感じます。

このように『奎星』はどの句も丁寧に詠まれており、余計なことは言わない、俳句の真骨頂ですね、とここで終わってもいいのですが、実は帯文にある作者の「大患」が投影されている句集でもあるのです。であれば、揚句の凛と張り詰めた空気の中のすぐにも解けてしまうであろう雪の煌めきが刺さってきます。

少しだけ自分のことを。健康には自信があった私ですが、体調不良で病院のお世話になり「完治する治療法はありません」と告げられてから、「いま」という時間を生きているのではなく「生かされている」と感じるのです。生かされている間に、なにができるか、なにをすべきか。大袈裟な話ではなく、当たり前だった日常のひとこまひとこまが大事な時間なのです。

大阪の男いらちぞ祭鱧》《みかん剝くさして食べたき訳でなく》《マフラーの中で一人になつてをり》の鬱屈。なにより《ななふしのやうにどこかにゐてくれる》の情愛。誰とは書いていないけれど奥様のことでしょう。ななふしの写真を二枚載せました。枝そのもののような擬態で知られる昆虫で、草食なのだとか。「どこかにゐて」「くれる」。自身の思いとともに、これらの句には作中主体を見つめる作者の目を感じます。『奎星』は私小説のように作者の心情が刺さる句集なのです。

恋猫は婦長のやうに戻りけり  小池康生(以下同)

鹿の子の咥へてすぐに後じさり

店よりも厨明るし寒の入

立秋や朝から昆布を水に浸け

夕空に鷹の匂ひを残しけり


小池康生『奎星』2020年10月/飯塚書店 ≫amazon

10句作品 青へ、或は岸辺から 田中目八

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青へ、或は岸辺から  田中目八

神無月眩暈こそが証なり

空想を繰返せよと枯葉かな

旅夢想布団に初時雨の音に

知ることや愛することや朽葉微光

錘状体捨てて寒林かがやきぬ

連禱の如く冬星座をわたる

沈思から鳥から燃ゆる天狼星

黒鳥の科学に夜は彩られ

氷瀑は異なる知性を記しけり

ものの名を捨てて樹氷の弟子となる

後記+プロフィール709

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 後記 ◆ 岡田由季


(Under Construction)


no.709/2020-11-22 profile

■大塚凱 おおつか・がい
1995年、千葉生まれ。「群青」を経て無所属。第7回石田波郷新人賞、第2回円錐新鋭作品賞夢前賞。イベントユニット「真空社」社員(なんか、活動止まってる?)。

■小林苑を こばやし・そのを
1949年東京生まれ。「月天」「百句会」「塵風」所属。句集点る』(2010年)。 
 
■髙鸞石 こう・らんせき
1992年生。2020年、文学としての俳句の終焉と俳句界の腐敗を確認し、以後は「短詩」として作品を書く。ブログ「悪霊研究」(http://evilspiritlab.livedoor.blog/)

 
田邉大学 たなべ・だいがく
2000年生まれ、大阪府在住。俳句雑誌「奎」同人。
 
■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。  
 
西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」「ユプシロン」参加。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ 「道草俳句日記」


週刊俳句 第709号  2020年11月22日

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  第709号

2020年11月22日



大塚凱 或る 10句 ≫読む

…………………………………………………………
【句集を読む】
わたしと出会うための一冊
樋口由紀子『めるくまーる』を読む ……小林苑を ≫読む
 
【2020落選展を読む】
髙鸞石 松尾和希さんへ ≫読む
 
【週俳10月の俳句を読む 
田邉大学 俳句の調子 ≫読む


中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
ロン・ウッド「Always Wanted More」 ≫読む

〔今週号の表紙〕南京櫨の実岡田由季 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……岡田由季 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編子規に学ぶ俳句365日のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

追記(未成年閲覧非推奨) 髙鸞石

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追記(未成年閲覧非推奨)

髙鸞石


≫承前

さて、

落選展に応募したみなさん。松尾さんの作品を読めば読むほど、大人どもの作品の腐臭が鼻につく。
特に5.8.12.19番の作品はコロナウイルスの次に人類にとって害悪であるとすら思う。小学生からやり直してほしい。

まず、こいつ。

5. 片岡義順  舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉

うんざりするようなタイトルで、しかも

コロナ禍へ食えぬ趣向や花に雪
撃ったのは向日葵らしいゴッホの死


と中身も面白くない。同じタイトルで何年も応募している方のようだが、いい加減そのつまらないタイトルを捨てることをおすすめする。捨てられないほど良いタイトルでもないだろう。それから、自作掲載ページのコメント欄で長々と〈自句自戒〉しているはうんざりした。精進潔斎して自分を見つめ直してほしい。

7. 西生ゆかり 体と遠足

交はらぬ玩具の線路雪催
百日紅漫画の恋が叶はない
桜餅日記に書かなかつた海
遠足のきちんとずれてゐる手足


上手いことを言っているし、それなりの美しさはあるが、飛び抜けて優れたものは見当たらない。

ぶらんこの下の地面が剥けてゐる
熱帯魚の後ろに海が描いてある


よくわかるが、よくわかるがゆえに、意外さも驚きもない。こういう発見の句はそれほど光っていない。精進潔斎して自分を見つめ直してほしい。

8. 島村福助 春のウイルス


ウイルスの天敵と成れ鯉幟
幻の開会式も暑苦し
春休みクレヨンで描くコロナちやん
春節を福が倒れてゆくニュース


世間のニュースと自分のニュースを俳句にして並べたところで、それは自己満足以外の何物でもない。このような陳腐なものを読ませられる角川俳句の担当者たちには同情を禁じ得ない。精進潔斎せよ。

11. 高梨 章 透明水彩


プラトンの唇にふれたる螢かな
ここに住むひとりのひとの皿と薔薇

これは悪くないが、

じやがいもをひとつ取つてくれないか
月いでて月のひかりに箸二本
三人のうちのひとりが蒲団敷く
夏の海すうつとあがる軽い鳥


といった句からは、表現の仕方にもその材料にも何一つ新鮮なものを感じないのは私だけだろうか。私が角川俳句の編集者ならこの作品の原稿を折り畳んでゲロ袋にする。作者は精進潔斎せよ。

12.中田 剛 捨てる神


豆を撒く得体の知れぬウイルスで


ハァ?

霙降るなかを漬物石さがす
アメリカザリガニ釣るに蛙の足もぎし
亀鳴くや老いてはじめて分かること


と、他の作品も、描きたいことを明確に示すことができているものの凡庸。老いてはじめて分かることもあるだろうが、俳句に関しては手遅れである。精進潔斎する必要すらない。

19. 矢口 晃 帰る家

牛乳の白の賑やか冬の朝
次々と聖夜へ上がるエレベーター
画用紙のたつぷり白し夏始
バス停のひまはり園児より高し
シャワー浴び徹頭徹尾草食系


徹頭徹尾ホームラン級の駄作で構成された連作である。こんなものを書いて、万が一それで受賞できたとて、本人にとっても、俳句界にとっても、何が面白いのかと思う。作品をより洗練させ、個性を獲得するためにも精進潔斎を進める。

16. 松本てふこ シャンパンタワー

旅いつも尿意と共に暮れかぬる
虚子の忌の屁の確かなる臭ひかな 
   

空回りはしていない、が、こういう、小出しにされた下品さは、(まぁ俳句のセンセイ方にはそれなりにウケるのだろうが)本当の意味で「下品」であると思う。

とはいえ、こういう下品なもの以外は

ささやかに果肉蔵せし酢橘かな
初不動弊社の社名長きこと
月光に手相広げて地図のやう


など、大したことがないから困ったものだ。もともと過大評価されてきた人だが、この人の実力はここまでかと思う。作者には1年間の精進潔斎が必要である。


17. 丸田洋渡 銀の音楽

たんぽぽや今もみずみずしい戦禍
一枚の蝶かと思うヨットかな


全体的に無駄は少ないが、自己のイメージに酔っぱらっているから、例えば上の句の「みずみずしい」とか2句目の「かな」が飾りになってしまっている。そういう空虚な飾りを大量に読まされると単純に飽きてしまう。

この人はネットで発表している作品の方が面白い。
たとえば短詩系ブログ「帚」に掲載された連作「儀後」の

光には光語があり長い吐瀉
儀のなかの奇術しかるべきときに鷲


など。こちらの作品のほうが見るべきところがある。もっともこういう作風だと角川俳句賞など受賞できないだろうが。

選考委員のケツにキスしながらほどよくウケる俳句を書き続けるか、それとも自主自律の道を歩むか、はっきりしないから、結局落選作のようなぼんやりしたものしか書けないのだと思う。はやく決断してほしいものだが。精進潔斎して覚悟を決めてほしい。

まとめ

掲載された落選作全体を俯瞰すると、詠む対象が「安逸安穏の世界と、その世界でのゆるやかな、しかし教育程度には知的な生活」に収斂していっているように感じる。そしてなにより、「個」というものが溶けて流れてしまっていて、読ませる力に欠ける。「時代」と切り結ぶ勢いはもちろんない。そういうものしか詠めないのなら、それを詠んで、岸本尚毅あたりを感心させて賞なりなんなりを獲得すればよいと思う。しかしそういう作品に、俳句の世界の外にいる他者を本当に感動させるほど強度はない。絶対に、ない。

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