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〔今週号の表紙〕第571号 壁 西原天気

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〔今週号の表紙〕
第571号 

西原天気

ビルの壁、としか言いようがないので、それ以上、話題はないのですが、散歩には、とりたてて興味深い景観は要りません。なにを見た、これを見た、ということなどなくても、えんえん歩く。トピックは要らないのですが、この壁には、ちょっと「おっ」となって、カメラを向けました。なには「おっ」なのはわからないんですけどね。


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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第44回 ホーギー・カーマイケル「香港ブルース」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第44回 ホーギー・カーマイケル「香港ブルース」

憲武●暖かくなってきて、夜からちょっと出かけようというようなシーズンです。そんなナイトクラビングな気分がこの曲にはありますかね。ホーギー・カーマイケルの「香港ブルース」です。



憲武●ハワード・ホークスの「脱出」(1944)のワンシーンですね。

天気●動いてるホーギー・カーマイケルって、あまりないから、貴重です。

憲武●ジャズのスタンダードナンバー「スターダスト」の作曲者としても有名です。

天気●「Georgia on My Mind」も有名ですね。大好きな曲がいっぱいあります。I Get Along Without You Very Well とか Look for the Silver Lining とか。例えば Chet Bakerの歌唱(https://youtu.be/IgbPHTBiAVQ https://youtu.be/02-8boTzMyM)。

憲武●この曲、最初細野晴臣のカヴァーで知ったんですけど、ジョージ・ハリスンもカヴァーしてます。

天気●3枚目の泰安洋行(1976年)ですね。ジョージ・ハリスンのカヴァーは知らなかった。

憲武●ちょっとと聴いてみますか。



しっかり自分のものにしてますね。チェット・ベイカーもそうなんですけど。

天気●はい。たしかに。

憲武●映画「脱出」、ハンフリー・ボガートももちろんいいんですが、ローレン・バコールもね、いいんです。この時20歳で、デビュー作です。20歳にはとても見えません。



天気●20歳!

憲武●見えませんね。低い声でちょっとハスキー。低い声はホークスによって練習させられたものですね。

天気●へえ、練習の賜物?

憲武●はい。早口の鼻声がホークスは気に入らなかったんじゃないかと。この映画の翌年に二人は結婚しますが、12年めにボガートの死によって結婚生活も終わりを告げます。25歳の年の差というものを考えちゃいますね。


(最終回まで、あと957夜) 
(次回は西原天気の推薦曲)

2017落選展を読む 8.「杉原祐之 上堂は難し」 上田信治

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2017落選展を読む 
8.「杉原祐之 上堂は難し

上田信治

杉原祐之 「上堂は難し」  ≫読む


もう、おなじみというか、この路線のベテランというか。

この人の「写生」は、歳時記の中の言葉を、非価値的に、日常意識のなかに配置する。そんなふうにして、季題を(手の中にあるカードを示すようにして)だれか他の人にちらっと見せるという、ささやかな挨拶。

そこに、挨拶をされれば悪い気はしない、というささやかな価値が生まれる。

どぼどぼと溢れてゐたる若井かな
結納の席に獅子舞踊り込む


どうでもいいわけである。うそだと思うし。

ラーメン屋の湯気もうもうと寒に入る

どうでもよすぎて、おどろく。どうして、こう書こうと思ったのだろう。

雛段を支ふるビールケースかな
プールより上り海鮮丼喰らふ


作者が面白がっていることは、句の深さやひろがりにおいてはマイナスだけれど、もうあまり若くはないサラリーマン(という古風なことばが似合いそうな)男性が、いわば「ユーモア」の人であることは、いやなかんじはしない。

炊飯器より豆飯の湯気と音
踏切を待ちゐる山車の囃子急


豆飯の音というものがあるかどうかは知らない。いつもよりしゅぶしゅぶいうのだろうか。交通規則にしたがって止まっている山車の、お囃子がもりあがるところに差し掛かるのは面白い(踏切と書いてしまうところが、作者のユーモアの人たるところだ)。

雉鳴くや足湯に村を見晴らして

この「村」は好きでした。近年どこにでもある「足湯」という施設を使いつつ、観光客気分で言ってるでしょう。その気分の距離感みたいなものが、正確に書かれている。

2017落選展を読む  6.7.「片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉」(その1)(その2)

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2017落選展を読む 
6.7.「片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その1)(その2)

上田信治

片岡義順 「舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その1)(その2)」 ≫読む


明日もまた地球転がせ四月馬鹿

この百句、たぶん一気呵成に書かれたものではないか。発想の飛躍と(それとムジュンするようだけれど)その撞着に、自動書記的なルーズさを感じる。

五七五を、前から順番に書いているふうでもある。

「明日もまた」(日はまた昇る)「地球転がせ」(とか大きなことを、言っちゃって)「四月馬鹿」という具合に。

百句の中では、こういう無責任な書きぶりが楽しげな句が、目にとまった。

ホッチキス散歩に出よう天高し

ホッチキスを残して、外へ出たまではよかった。「天高し」は、状況説明にしかならないけれど。

もの言わぬ牛はキリスト花吹雪

シンボリックな意味の強い羊が、牛にすりかわる、という面白さがある。「もの言わぬ」は言わずもがなで惜しいけれど、「はなのすきなうし」という絵本を思い出させて、好感が持てた。

週刊俳句 第571号 2018年4月1日

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第571号
2018年4月1日


2017落選展を読む
6.7.「片岡義順 舞うて舞うて舞うて町まで枯一葉(その1)(その2)」≫読む
8.「杉原祐之 上堂は難し」 ≫読む
……上田信治 


中嶋憲武西原天気の音楽千夜一夜】
第44回  ホーギー・カーマイケル「香港ブルース」 ≫読む

〔今週号の表紙〕西原天気 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……上田信治 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
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後記+プロフィール 第572号

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後記 ◆ 岡田 由季


入学のシーズンですね。
ピカピカの一年生、とはよく言ったもので、何もかもがこれからで、どんな道でも歩める新入生の存在は、とても眩しく思えます。

「将来、何になりたいですか」という質問。自分のことを振り返ってみると、うんと幼い頃は「お花屋さん」と答えていたような記憶があります。単に花が好きで、小さい女の子の答えとして、受けも悪くなかったからです。学校に行くようになると、それではあまりに短絡的だと思い、親の職業である「新聞記者」と答えていた時期がありました。しかしその答えは、意外に目立ってしまい、周囲の反感を買うことに気付き、無難と思われた「学校の先生」という答えを用意するようになりました。実に忖度まみれの子供でした。

本音を言うと、自分に何ができるかもわからないし、将来の予測もできず、そんな質問自体が煩わしかったのです。

年齢を重ねると、未来の選択肢が減ってしまいますが、それも案外、気楽だと思ったりします。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.572/2018-4-8 profile

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。句集『フラワーズカンフー』 。ブログ「フラワーズ・カンフー

■中内 亮玄 なかうち・りょうげん 『海程』『狼』同人、現代俳句協会員。俳聖金子兜太に師事。好きなギタリスト、ヌーノ・ベッテンコート 

中嶋憲武 なかじま・のりたけ
 1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■大江進 おおえ・すすむ1953年生まれ。本業は木工(注文家具・木製小物など)。鳥海山麓に住んでいることもあり、自然が大好き。ジオパーク認定ガイド。俳句は約20年前から作っていますが、最近は酒田市を中心として10名ほどのメンバーで「青猫」句会を毎月開催。ブログ www.e-o-2.com

■西原天気 さいばら・てんき 
 1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。2007年第一回週刊俳句賞受賞。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ 「道草俳句日記」

〔今週号の表紙〕第572号 ポットホール

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〔今週号の表紙〕
第572号 ポットホール

大江 進



谷川や磯浜で、波をよくかぶるような場所の固い岩盤上に大きな丸い穴があいていることがある。ポットホール(pot hole)である。日本では古来より甌穴(おうけつ)と呼ばれてきた。つまり味噌がめや漬物用などのかめに似た穴という意味であるが、最近ではかめなど使うことも見かけることも滅多になくなったせいか、あるいは甌穴という漢字の読み書きが困難なせいか、むしろポットホールという名前のほうが圧倒的に通じるようになってしまった。

岩盤に亀裂などがあると水流はそこで撹拌され渦をまく。水だけでは固い岩はそうそう削れないが、懸濁流の場合は水に混じった砂礫などが激しく岩面を打ちつける。そうしてすこし大きくなった穴は、流水や波にさらに大きな渦を生じさせる。やがてその穴に大きめの岩がはまりこむと、今度はその岩がわが身を削りながら同時に相手=穴の底や内壁も削っていく。

写真のポットホールは、鳥海山の西端が日本海に接したところにあるもので、長径1.8m、短径1.3m、深さは0.9~1.2mもある大きなポットホールである。おそらくは1804年の大きな地震で海岸一帯が1.5m程度隆起したために、今は海面よりやや高い位置にあるのだが、それまでは波が常時ざぶざぶと洗っていたであろう。中にはまりこんでしまった岩は大きすぎて反転することはないものの、海水といっしょにごりごりと動いて、いずれも角が丸くなっている。

水滴が岩をも穿つとはいうものの、やはり砂礫や岩が研磨剤として作用することなしにはそんなに簡単に岩に穴があくものではない。しかし年平均0.1mm削られるとしても1万年経てば1m、10万年経てば10mである。実際、鳥海山の年齢や、そこからの溶岩の流出の時期を考えれば、このポットホールは何万年かの時間を内包しているかもしれない。



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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第45回 スティーヴ・ライヒ「Music for 18 Musicians」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第45回 スティーヴ・ライヒ「Music for 18 Musicians」


天気●前に、朝、仕事を始めるとき、むりやり元気を出すのに、よくベートーヴェン「皇帝」やジミ・ヘンドリックスをよく聴いていたという話をしました。

憲武●音楽の力を借りる話でしたね。

天気●きほん、ルーティンの手作業のときしか音楽はかけなかったのですが、そんなときでも、こリャダメだ、労働できないってのがあって、私の場合、ミニマル・ミュージックでした。



憲武●ほほう。興味深いですね。

天気●仕事に向き不向きがない音楽というのもあるみたいですね。

憲武●はい。句会向き音楽というのもあるんですが。

天気●例えば、どんな?

憲武●ぼくが世話人を務めてる句会で、たまにDJ句会というのをやるんですが、様々なCDをつぎつぎかけながら、一曲の間に一句でも三句でもという句会です。そこで分かったことはクラシックが一番向いているということです。以後クラシッ句会と呼ばれるように。

天気●BGMではなく、曲を席題にするってことですね。同じようなこと、やったことがあります。ところで、スティーヴ・ライヒが労働に向かないのは、なんでなんですかねえ。繰り返しのせい? 繰り返すうちに高まるでもないこの繰り返しは、労働のルーティン作業と、ある意味似ていると思うのですが、近すぎて、気持ちには苦痛なのかも。

憲武●ぼくはサティが好きで、一時期よく聴いてたんですけど、「ヴェクサシオン」、あれ、ダメでしたねー。作業には向いてない。

天気●悪夢のような「繰り返し」ですね。

憲武●作業が元に戻っちゃう。

天気●精神が壊れそうでもある。

憲武●今回のこの曲ですけど、坂本龍一も相当な影響下にあるんだなと感じましたね。

天気●そうかも。


(最終回まで、あと956夜) 
(次回は中嶋憲武の推薦曲)

釈迦の誕生の産声の是非 狂歌の観点はどう? robin d. gill(敬愚)

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釈迦の誕生の産声の是非 狂歌の観点はどう?

robin d. gill(敬愚)


み仏の舌の長さぞ知られける産声にまで唯我独尊 繁雅  1815

Buddha must boast a tongue as long as men who’ve died,
for crying-out at birth “Respect just me!” is hard to abide.


「天上地下唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)」と云う釈迦の産声を囃す狂歌や川柳が多い。日本人は、漫才でなければ、神と仏までも自慢が気に入らない。上方狂歌の繁雅の狂歌が出た1801 年以前の俳風柳多留拾遺四の川柳は非難の模型になる。

Prince Shakamuni
drops from his mother
already talking himself up!

お釈迦さま生れ落るとみそをあげ


多くの産声を囃す狂歌から繁雅の首を章頭歌に択んだ理由は、舌長(したなが)は、自慢話の癖ある者ながら、体温次第が、「仏」と縁がある遺体の舌が文字通り口から出るも事実。無言なる悟りのイメージと逆説的な連想もおまけに伴なう。釈迦の産声を弄んだ本歌は知りません。狂歌も出る初期江戸の笑話集に出そうが、手元にある歌例は1685頃の落首と狂歌の私集に出た。

灌仏 生るゝと早かゆそうな釈迦頭 天上天下唯我毒瘡 長崎一見


その不完全の語呂合せも気に入るが、厭らしさの為の厭らしさと云うより、原発言の過剰な自慢への反発で、やれやれと言うって上げましょう。慎みを美徳とする日本では、あの自慢を聞いたら痒くなるが。この初期のやばい首と舌が長い上方狂歌の間になる1793以前の江戸狂歌もある。


何事も知らぬが仏と聞けしかと利口に物を唯我独尊 左大小鮫鞘

We heard knowing naught was what Enlightenment was about
so Buddha’s smart boast “I alone am worthy” makes us doubt.

諺ないし「世話」も取り込む無駄のない詠みが、新奇はなければ月並みの狂歌です。一方、同本にずばりと「ぶつ」を擬音にする後なる仙厓義梵の名句を思わす傑作もある。屁の一連の言葉遊びが無理で『古狂歌 ご笑納ください』に英訳ないが、今日は異訳を勝手に加えてみた。


世の人を屁とも思わぬ高慢か誕生ぶっと鳴りわたるなり 鯛鮨雄

How can we who live on earth cheer to hear His boastful birth?
That finger I shoot back a bird: “Boo for Buddha!” is the word.


成語句の台詞なくても、「高慢が誕生」で間接的に触れた点が大事。当時の皆さんにあれだけ知られた言葉であった。しかし、がである。この囃しは、すべてがfacetious、つまり誠実でない、可笑しみを醸すための態々らしい非難だったかどうか、宗教史不勉強で結論しかねる。サンスクリットでは、どうなるでしょうか。ネット上の解説を読めば、個人としての手前味噌ではなく、各々人間としてあるべき姿勢か自覚である。この世で一番尊いものは、他と取り換えない自分独特の命で、「我」が、釈迦のみならず人間皆に生き甲斐ある我々だ。因みに、これらの狂歌は初期江戸の大狂歌集の歌部か巻になった「釈教」の首と似通う。宗教を弄んできた事は日本の良い面の一つです。


産声再考 蟹糞のほか手前みそこなったぞ「唯我」とは我々の事也 敬愚





  


ハイク・フムフム・ハワイアン 5 続・荻原井泉水とハワイ 小津夜景

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・ハ 5
続・荻原井泉水とハワイ

小津夜景



 風、葉の葉の夕風や椰子やカマニや   荻原井泉水

さて、1937年にハワイまでやって来てしまった荻原井泉水の滞在スケジュールを調べてみました。新聞で拾うことができたのは以下の情報です。

6月11日 ホノルル入港 各方面への挨拶
12日 布哇俳句会同人、新聞、雑誌、文芸愛好家主催の晩餐会、歓談会(於・春濤楼)
13日 昼・観光。夜・歓迎句会(於・ワイキキ「汐湯」)
14日 講演会「心と言葉」(於・フオート仏青会館)
16-17日 俳書展および即売会
18日 ハワイ島ヒロへ出発
19日 昼・ヒロ蕉雨会および大正寺俳研同人との顔合わせ。夜・講演会(於・シーサイド倶楽部)
20−22日   火山鑑賞・句会・俳書展(於・ヒロ)
23日 ホノルルに戻る
24日 鳳梨工場視察 俳句研究会
25日 一般文芸愛好家向け文芸講話(於・ペレタニア街商業組合事務所)
26日 布哇俳句会出席・同人作品選評(於・カイムキ見田宙夢氏宅)
27日 朝、耕地巡り 昼、句会(於・料亭「春日」) 夜、集会&晩餐会(於・井田東華市宅、丸山素仁主催)
29日 俳談会(於・モイリリ河重夏月氏宅)
7月1日 日布時事訪問、送別晩餐会
2日 出ホノルル港

これによると句会は最低4回、講演会も最低4回しています。それから即売会込みの俳書展が2都市。晩餐会が3回。おもてなし観光や移動にかかる時間をかんがえると、毎日忙しかったみたいですね。

ヒロ蕉雨会や、日系2世の若者に日本語の読み書きを継承するために活動していた大正寺俳研など、有季定型派の人たちとも有意義な交流をしたようで、ヒロに到着した翌日の新聞には「十七字型本格俳句大繁盛のヒロ市に自由律俳句の大先生井泉水氏にホノルル同派の闘将古屋、泰両雄随行として乗込んだ(反響如何生)」といった囃し記事が出ています。前回書いたように、井泉水はヒロ蕉雨会の早川鷗々が編纂した『布哇歳時記』に序文を寄せているといった意味で、そもそもハワイとの関係は有季定型派との出会いから始まっているんですよね。さらに早川鷗々は『層雲』にも創刊当初から投句していましたし、井泉水のヒロ訪問は長く待ち望まれていた出来事だったようです。

さて、13日ワイキキ「汐湯」における布哇俳句会の句会は21名が参加しています。冒頭の〈風、葉の葉の夕風や椰子やカマニや〉はその句会で井泉水が詠んだ句です。語のスタティックなポジションとキネティックなバランスとがいずれもよく練られ、安定したうねりのある書法を感じさせます。また27日の料亭「春日」における句会は17名、持ち寄り6句で行われました。この時の井泉水の句は〈海には雲の影、草に牛のゐる〉というもの。

以下、日布時事に2回にわたり掲載された句会の様子から、荻原井泉水選の句をいくつか紹介(実際の紙面はこちらこちら

銅像の影も夕べとなれば人通りも多くなる道   川端端月

苺の花、家が一軒また建ちました  同

ぱらッとまいた星が、椰子の木みずにうつつてゐる   木原晶

庭にいろいろの蝶が来る、縫(ぬひ)かけにしておく  秦幸子

椰子の木椰子の木と水平線が明けてくる  同

いちじくは枝に、夕風の米といで置きます   河重十九子

その他、選から漏れたもので、わたしの気に入った句も少し。

熱もとれたので昼時のペパーの木に風ある   古屋翠渓

ひるねの、わたしも眠れてガデュアのかほり   同

マンゴのまだ青い、下駄はいて湯から出てゐる  河重夏月

虹、みなとのそとにも船のゐる帆ばしら  同

見上げる崖の覇王樹の、そらふかし   北原晶

黍の穂、この女も日本から来て先生をしてゐる  同

飛行機の通る空へ大きなくしやみして朝 東海林隈畔

オハイの茂(しげり)をタロ田の夕風を豆腐買いにゆく  丸山素仁

蝶々、ふと日本のことが出てゐる  見田宙夢

野鳩、降つて鳴いて照つて鳴いて、くつきり山の緑  小川美佐子


《参考資料》
「日布時事」1937年6月11日-7月7日号

【俳人インタビュー】中内亮玄さんへの10の質問

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【俳人インタビュー
中内亮玄さんへの10質問


質問者:岡田由季

Q. 一ヶ月に何句ぐらい作りますか?

 A. 大体、10句から20句、多ければ30句くらい詠みますが、そのうちそのまま残せるのは10句に1句あるかないかです。そこから推敲して、何とか10句のうち3句くらいは残せるように努力しています。一度句会に出した作品も、半年でも一年でも納得いくまで直し続けます。

Q.推敲をするのは楽しいですか?

A. やはり一発で決まった方が楽しいです。

しかし、そういう神がかり的な詠み方、それこそ言葉と韻律が同時に空から降ってきた、地から湧いてきた、というような詠みの経験は1年にそう何度もありません。凡人ですから、ひたすらに推敲をするしかないのです。

ただ、推敲は努力によって可能なことなので、つらいけれども、ありがたいです。

Q.有季の句と、無季の句で、作句するときに意識の違いはありますか。

A. これは、まったくありません。詠みたいことを詠むのが俳句だと思っています(しかし、それで伝えられなければ俳人ではないとも思っています)。

Q. 句集『赤鬼の腕』(2017年 狐尽出版)への反響で、一番嬉しかったものは?

A. 金子兜太先生からの「詩的周辺を感じさせて貰って嬉しい」というお葉書と、黒田杏子さんからの手紙です。杏子さんからの手紙の内容は、私には過分な褒め言葉でしたので内容はひかえますが、これ以上の言葉は一生聞けないと思います。大井恒行さんもインターネットでお褒め頂き、恐縮しています。また、坪内捻典さんから4月3日の毎日新聞「季語刻々」で紹介をして下さるとのご連絡を頂き、これは今、楽しみに待っているところです。お返事を頂いた方、全員のお名前を挙げて感謝を表し、また自慢をしたいところですが止めておきます。一番、と言われましたのにすみません。

Q. 句集を作るとき、カタチ(装丁、字体など)で、こだわった所は?    

A. まず、安いこと。質問とずれますが、こだわりと言えばこれが第一です。

次に、『眠れぬ夜に読んでみろよ』、『蒼の麒麟騎士団』は、俳句を読んでいない人が開いてみたくなる本を目指しました。「大学の玄関に様々な句集を並べて、一冊だけあげるから持って行っていいよ、と言われたときに、ごく普通の若者がパラパラっと開いて選んでくれる本」という、明確なビジョンを持って作っています。俳句作品そのものも、一般の方にこそ読んで欲しいと願っています。

ただし、『赤鬼の腕』は、兜太先生に題字を揮毫して頂いたので、デザインはそれだけを全面に出しました。それ以上、こだわる必要がない、素晴らしい題字を頂きました。この本だけは、内容も、俳人以外は読まなくていい、わかる人にしかわからなくていい、面白くなくて結構、ときっぱり割り切った本です。

もちろん、自分では最高に面白いと思っていますが、はっきり言って、金子兜太先生に読んで頂きたくて作った本です。そして、その最大のこだわり、目標は達成されました。
結果論ですが、間に合いました。それが何よりありがたいです。

これに関しては、『俳句界』の林誠司編集長と、対談した如月真菜さんに感謝するばかりです。様々なきっかけが重なって昨年末に句集を上梓したのですが、中でもお二人に背中を押して頂いたことは大きな一因です。

Q. 俳句以外の、本のジャンルで、好きなものは何ですか。

 A. 本、が好きです。

小説は全般に好きです。夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫など、わかりやすく文豪を尊敬しています。現代で一番好きなのは浅田次郎さん、特に『壬生義氏伝』、『地下鉄に乗って』などの人情ものに弱いです。海外ではダン・ブラウン、最新作『オリジン』も圧巻でした。

また、漫画も好きです。手塚治虫『ブラックジャック』、浦沢直樹さん『MONSTER』、『PLUTO』、井上雄彦さん『バガボンド』、『リアル』らが最高峰です。ワンピースはチョッパーの話が好きです。

日々読んでいる本は軽いエッセーが多いです。真面目な経済の本も読みますが、ホリエモンさんはエッセーが面白い。声を出して笑ったのが、『万城目学の卍固め』。これを読んで、万城目さんの小説は全部読みました。

その他、書ききれませんが、『不道徳教育講座』(三島由紀夫)、『すべての男は消耗品である』(村上龍)は、別の意味でも最高です。今、「看護婦」は差別、「女優」は差別、「女流俳人」は差別といわれています。男女平等はわかりますが、下からの民主主義ならぬ下からの圧政、大衆自らの忖度と同調圧力が厳しい時代となりました。

男が男らしく、女が女らしく生きることは、あるいはそう人から言われることは、そんなに差別的で絶望的なのでしょうか。(色恋の意味での男女の価値観は、他人が横から口を出していいことではなく、極めて個人的な、あるいは家族間の価値観なので、意見が異なる方に議論を吹っかけているわけではありません。個人的な感想です、念のため)

あれ、何の質問でしたか。

Q. 福井県民気質というのはありますか?あるとしたら、ご自分はそれに当てはまりますか。

A. 時間を守れません。5分から10分、定刻から必ず遅れます。それで、私は常に5分前行動を心掛けているのですが、いざ5分前になると、急に忘れ物を思い出したり、トイレに行きたくなったりして結局ギリギリになります。緊張に弱いのかもしれません。

また、会議では絶対に発言しません。悪い面だけではありませんが、軋轢を極端に避ける県民性です。私は理不尽さや公憤を覚えると、自身の事でなくても黙っていられないため、いらぬ敵を作ります。しかし、直す気はありません。

地元グルメ自慢が止まらず他県の方から閉口されます。これは、水と素材が美味しいからなので仕方ありません。

このように、地元を愛しつつも必ず自分たちを卑下した言い方をします。総じて、奥ゆかしい田舎者気質です。

Q. 俳句をする上で、地方在住のデメリットを感じたことはありますか。

リアルな話ですが、お金がかかります。

・・・・・・、みんないくらぐらいお小遣いがあるのでしょうか。県外の句会参加も大変です。
「大阪おいでよ」(往復11,020円)、「東京来ればいいのに」(往復31,220円)。とっても嬉しいのですが、気軽に言わないで下さい(笑)。私は僧籍にありますが手当てはなく、日常はごく普通の勤め人です。海程の全国大会にも1年かけて貯金をして行くのです。
だから、他県に行ったら美味しいものが食べたい。間違ってもこちらにもあるようなチェーン店の居酒屋などには入りたくないので、行った先の俳句関係者との食事は基本的にお断りしています。何万円もかけて行って、福井と同じ店には入りたくない。

主食はビールですから料理自体はどんなジャンルでもいいのですが、美味しくなかったら一皿で店を出ます。これは譲れませんから、一人がいいのです。ということで、食事には誘わないで下さい、すみません。

・・・・・・なんの質問でしたか。

Q. 俳句をする上で、地方在住のメリットを感じたことはありますか。

A. 他の俳人と触れ合う機会は少ないのですが、反対に外部からの声や評価に惑わされることもほとんどありません。ただ、ひたすらに己と向き合い、思索に耽ることが許されます。

交流のため、たまにSNSなどに誘われますが、全く興味がありません。ほんの近くにいる人の気持ちもわからないのに、会ったこともない人のことまで気にかけていられない。

しかし、最近、つくづく思うのですが、一番気を遣う人と全く気を遣わない人は、表面上同じに見えます。私は、大変に気を遣うのですが・・・・・・。

Q. 最近、驚いたことを教えてください(俳句関連に限らず)。

A. 生まれてはじめて太りました。これは、笑い話ではありません、全然笑えません。20年前は体脂肪2.9%で腹筋は六つに割れていたので、先日、ズボンの試着をした時に自分のお腹が出ていることに驚愕しました。以前から、ちょっとぽっちゃりしてきたな、という気はしていたのですが、現実から目を背けていました。

好きなものを好きなだけ食べていると、本当に太るんですね。

本気で驚いて、今、ものすごく焦っています。



中内亮玄 平成29年・自選十句

九頭竜も深眠りして春北斗

酒蔵に亀鳴く清浄なる暗さ

春愁や小さき風吹く港町

ひかがみのやさしい暗さ春の妻

言葉になる前の手のひら青嵐

缶ビール冷えて深海魚の一灯

青年あり炎昼の個としてバス来る

嗚呼河童忌頭上三千匹ノ蟬

泣き終えてそくそくと食むかき氷

リモコンの蛍を全部押してみる


週刊俳句 第572号 2018年4月8日

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第572号
2018年4月8日


・ハ5
続・荻原井泉水とハワイ……小津夜景 ≫読む

【俳人インタビュー】
中内亮玄さんへの10質問 ≫読む

釈迦の誕生の産声の是非
狂歌の観点はどう?……robin d. gill(敬愚) ≫読む

中嶋憲武西原天気の音楽千夜一夜】
第45回 スティーヴ・ライヒ「Music for 18 Musicians」 ≫読む

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10句作品 空 吉川創揮

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空   吉川創揮
            
うたごゑの天の高きを組み上ぐる

冬晴に靴音届く自転かな

牡蠣啜る太陽吊りて薄き街

闇つうと蛇の鼻腔を抜けて春

蝶の脚たんぽぽの絮乱さずに

かなしみの耳の熱しよ紫木蓮

春眠やあこがれて鳥降りてくる

水菜食む遣唐使船すずしく朱

牛りんと匂ひ立ちたる桜かな

割れて窓光なりけり燕

〔今週号の表紙〕第573号 勿忘草  岡田由季

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第573号 勿忘草

岡田由季



ワスレナグサ Myosotis ムラサキ科。

季語としての勿忘草は、名前が感傷的すぎて扱いにくい。

ガーデニング的には栽培容易で、秋に種まきをすれば、春にたくさんの小花を見ることができる。ただし、移植は嫌う。

暑さに弱く、夏に枯れるが、こぼれ種で翌年も咲くことが多い。そう思って、あてにしていると、全然出てこないこともある。消えてしまうと寂しいので、思い出して、種を蒔く、そんな花。


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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第46回 ザ・モップス「月光仮面」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第46回 ザ・モップス「月光仮面」



憲武●10年前の4月に川内康範が亡くなってるんです。この人、「月光仮面」の原作だけでなく、作詞家、作家、テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」の監修、政治評論までやっている。森進一との「おふくろさん」を巡っての確執も記憶に新しいところです。というわけでザ・モップス「月光仮面」です。



憲武●ヴォーカルは星勝(ほしかつ)です。井上陽水のアレンジャーとしても有名ですね。合いの手を入れているのは、鈴木ヒロミツです。

天気●なつかしい。

憲武●天気さん、ジャズ喫茶って行ったことありますか?

天気●ありますよ。高校のときは姫路の名前は忘れたとこ、京都だとシアンクレールとか、東京に出てきてからも何軒か。でもロック喫茶に行くことのほうが多かった。

憲武●ぼくは四谷のいーぐると、新宿のDUGくらいですかね。でもなんか伝え聴いてる昔のジャズ喫茶のイメージとは違いました。70年当時、GSなどのライブステージが主体の店もジャズ喫茶と言ってたそうなんです。この曲はジャズ喫茶でお客にブルースを説明するために、ブルースのアレンジで演奏してるうちに評判になり、レコード化されたものです。

天気●たしかにブルースです。

憲武●モップスって、GSブームに乗って1967年にデビューしたわけですが、なんかね、子供心にこの人たち「違う」って感じてました。「本物」って感じですかね。

天気●デビュー曲の「朝まで待てない」(阿久悠・村井邦彦)もよく憶えています。これは作詞作曲もジャケットの衣装もグループサウンズを引きずってる。その後、がぜんロックぽくなりましたね。

憲武●鈴木ヒロミツはロックは英語でなきゃいかんというスタンスでした。「御意見無用」なんて曲を聴いちゃうと、声はガラガラだし、顔は悪いし、 他のGSとはあきらかに違ってました。



(最終回まで、あと955夜) 
(次回は西原天気の推薦曲)

【週俳3月の俳句を読む】大草原を遙かまで見渡し 原和人

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【週俳3月の俳句を読む】
大草原を遙かまで見渡し

原和人


乙未蒙古行 高山れおな

私はまだ、蒙古を訪れたことがない。昨年、師に同行しカザフスタンを訪れた。訪問前は、草原に遊牧民が羊を追う光景を想像していた。しかし、如何せんソ連邦の時代を経て、遊牧民の生活や草原の民としての風(習)俗は徹底的に消し去られていた。小麦畑などが延々と続くソホーズ・コルホーズの大規模な(国営)集団農場の風景ばかりなのである。生活習俗の破壊は、文化を破壊することだと、改めて深く感じた。逆に作者のこの句群を拝見すると、地政学的(geopolitical)に独立国を緩衝地帯として設けようとするロシアの政治・軍事的伝統が、モンゴルの文化や景を残したのだ。

さて、高山れおな氏の「乙未蒙古行」である。使われている言葉に立ち止まることの多い50句だった。まずは表題の乙未である。旅の時期のことと考えたが、乙未(きのとひつじ)の月は。ウィキペディアによると「西暦年の下1桁が1・6(十干が辛・丙)の年の6月が乙未の月となる。ただしここでいう月は、旧暦の月や節月(小暑から立秋の前日まで)を適用する場合もある」という。ということは2016年晩夏の蒙古行きということになる。句が詠まれた秋とは異なるが、多分緯度の差にて秋を表現したものかと考えた。乙未を年のことと考えると2015年(西暦年を60で割って35が余る年が乙未の年となる。)か・・などとあれこれ考えさせてくれる。1年も2年もたっての吟詠も考えにくいので昨年行かれたのか・・・乙未は方角のことだろうか?・・・浅学菲才の身、いずれきっちり調べてみたい。

句の鑑賞に移りたい。

この50句は、言わずもがなであるが、蒙古(言葉だけからいえば、今のモンゴルを中心に中国の内蒙古自治区など)を旅した際の吟詠である。どの句も「表題のついた句群の塊」から切り離して取り出してはいけないような力作であるが、鑑賞にあたり私の偏見に満ち満ちた独断で句を選ばせていただいた。

50句冒頭の句は

おろしや式ホテルに着きぬ秋の暮

ジャブの一句目、何ということのない報告句かと思いきや、「おろしや式ホテル」の表現であの石造りのロシア式ホテル、それも相当な年代物のホテルに泊まったことがわかる。大黒屋光太夫を主人公とする「おろしや国酔夢譚」の「おろしや」なのである。そして、この句、なぜか芭蕉の「此の秋は何で年寄る雲に鳥」を思い出させてくれる。秋の暮という季語が、旅の始まりにも関わらず作者の無常観のようなものを醸し出すのである。


13世紀村
蒙兵の姿(なり)もしてみてすさまじや 

作者は、レンタル衣装で蒙古兵になったのである。多分、戦いに出る姿としてはあまりに質素簡便なものだったのではないか。その姿で戦いに臨んだ蒙古兵の姿を自分に重ねて、秋冷が募ってくる感覚を得たのだ。「すさまじや」と詠嘆の切れ字を最後に配することによって、蒙古兵の戦いぶりの「凄まじさ」まで思いを馳せるのである。


ゲルキャンプ 五句
夜寒さのゲル打つ雨か星か知らず

蒙古相撲の3句は、生き生きと描写していて、それはそれで楽しいが、最後に置かれるこの句は、ゲルを打つ雨を星がゲルを打っているのかもしれないと感じた。首都ウランバートルは標高1300メートルかつ日本の北海道よりやや北である。秋の暮ともなれば、その寒さはゲルの外に出ることも躊躇われるほどものと思われる。ゲルの中で、それを打つ雨の音を聴いている作者の心細さのようなものも感じられるが、星か知れず・・・と表現することにより詩に昇華させた。


テレルジ国立公園 五句
蒙古馬肥えて剽悍の性あらは

馬が肥える秋。それも背丈は小さいが、気性も荒く長距離をかける持続力をもった戦闘馬でもある蒙古馬が肥えるのである。元気になればますます乗り手が操るのが困難になる。剽悍の性とは未熟な乗り手であれば振り落とさんばかりの荒い気性ということだろう。また、餌をやろうとしても指ごと食いつかれそうなのだ。その勢いを持て余し距離を取っているが、また荒々しく草原の地を生き抜いた蒙古馬の剽悍さに納得もしている作者である。


ザナンザバル美術館 四句
多羅菩薩像眼差しの露凝らしたる

多羅は、観音菩薩が衆生を救えないと悲しんで流した二粒の涙から生まれた菩薩。右目の涙からは白ターラーが、左目の涙からは緑ターラーが生まれた。 彼女たちは「衆生の済度を助ける」と発願(ほつがん)し、観音菩薩は悲しみを克服したという。その多羅菩薩の眼差しに露のような涙が固まっているのだと解釈した。季語としての使い方に異論がある方もいるかもしれないが、私は肯う。作者の「ひと・衆生」に対する優しい眼差しが、多羅菩薩の涙を通じて感じられる。


チョイジン・ラマ寺院博物館 四句
昼月や仮面法会(ツァム)の幻追ふばかり

モンゴルはチベット仏教圏である。仮面法会(ツァム)もチベット仏教のラマ僧による秘教儀礼とのこと。独特の仰々しくも力強い仮面をつけた僧たちが踊る様子を目で追っている作者は、その仮面の向こうに、如来や菩薩の姿(らしきもの)を垣間見たのかも知れない。昼月は、薄く透けて見えるような儚さがある。歴史を翻弄し、また翻弄されてきた蒙古の古よりの歴史も作者は幻視したのである。


ハラホリンへ向かふ 5句
秋澄むや羊撒かれし花のごと

草原に、動物が撒かれていると言う表現には既視感(デジャヴ)がある。しかし、モンゴルの大草原の中を俯瞰して、その中に羊が方々に分かれて草を食んでいる景である。羊を素材にしながら、逆に雄大な自然を目の前に想起させてくれる。さらに直喩の「花のごと」と言う表現が大草原に散る白く美しい羊を讃えている。当たり前だが牛馬ではこうはならない・・EX牛馬撒かれし糞(まり)のごとでは、俗臭のにおい芬々である。秋澄むという季語が、またとても気持ちが良い。秋気の中で、大草原を遙かまで見渡し清々しく感じている作者も見えてくる。


ラプラン寺 四句
果てしなき讃仏乗のこゑ涼し

前書きにてエルデニ・ゾーの大仏教遺跡の説明がある。革命の凶変により破壊された寺院群の中で、奇跡的に残った僅か二つの寺のうちの一つがラプラン寺。この句は、そのラプラン寺にて、果てし無く続く仏(の教え)を讃えるお経を聞いている景。作者は、長い間その声に身を委ねている。(因みに、仏乗は、特に大乗仏教にて、仏と成ることのできる唯一の教えのこと。)その教えを唱えている僧たちの声を涼しいと感じているのである。お経の声の熱さ、仏教の教えへの情熱、に対する「涼し」と解した。

弾圧された仏教が、それでも辛うじて生き残り、衆生を救う教えを広めている。宗教の偉大さと強(したた)かさも感じられる。僧たちが通奏低音のように低く唱える声を聴いていると、作者自身も浄化されていくのである。



しら梅  名取里美

風光るほこほこ乾くもぐら塚

吹く風もまばゆく感じられる春の風だが、まだ少しの冷たさと尖りも併せもつ。そんな風の表現が「風光る」である。「春の風ほこほこ乾くもぐら塚」では予定調和と判断されかねないが、「風光る」の季語で緊張感を得られた。もぐら塚の乾き方と光る風と相まって気持ち良い一句となった。

龍天に登る青鮫引きつれて

悼金子兜太の一句である。ここにも、金子兜太ファンがいる。故金子兜太翁には、どれだけの弔句が捧げられたのだろう。それでも喪失感は一向に癒えない。 

この句は、あの有名な「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」の青鮫である。春まだ浅い2月20日に亡くなられたが、その死を惜しむがごとく、自分の句に呼び寄せた青鮫を連れて天に昇っていったのである。青鮫だけでなく狼も引き連れて行ったに違いない。



脈拍  近江文代

体温のからだ出てゆく雛の宿

一読、三島由紀夫の短編「雛の宿」を思い出した。雛の夜に招かれて訪ねて行った家での怪しくもエロティックで不気味な体験を綴った、三島には珍しい一編。この句は、雛の飾ってある宿に泊まった体験かもしれない。あの、白蝋のような雛の貌と対峙していると確かに身体から体温を奪い去られていくような感覚に見舞われる。この句は、理屈ではなくそのような感覚を味わうべき作品だろう。

たんぽぽになって足音聞いている

たんぽぽの句では、坪内念典氏の「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」が有名。坪内氏の句は滑稽さと、たんぽぽのぽぽ、と韻を踏んだリズム感とで成立している気持ちの良い句。 掲句は、自らたんぽぽになったのである。きっと「たんぽぽは、横を通り過ぎる足音を聞いてその足音から人物を想像している・・に違いない」そんな気持ちを、聞いていると断定して一句に仕上げたのだ。うっかりすると見過ごされてしまう一句かもしれない。



近江文代 脈拍 10句 ≫読む
第570号 2018年3月25日
高山れおな 乙未蒙古行 50句 ≫読む
名取里美 しら梅 10句 ≫読む

【週俳3月の俳句を読む】ぼくは白梅を見た記憶がない 鈴木牛後

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【週俳3月の俳句を読む】
ぼくは白梅を見た記憶がない

鈴木牛後


白梅の中抜けてきし鳥のかほ  名取里美

いつときの恋いつときの梅ま白

一句目、ふいに現れた鳥の顔への驚きと喜び。おそらくは色あざやかな鳥だったのだろう。春の喜びが鳥の顔に投影されている。二句目、白梅に託された純潔。若い頃の回想なのだろうが、「いつとき」のリフレインに思いが込められているようだ。

どちらもとてもすてきな句。白梅という季語が生きている。とここまで書いて正直に言うが、ぼくは白梅を見た記憶がない。実際には札幌に住んでいたときに、子どもの保育所の遠足か何かで梅見に行ったというおぼろげな記憶はあるのだが、そのころは俳句を作っていたわけでもなくただ花が咲いているという印象しか抱かなかったと思う。

ネットで検索してみると、日本最北の梅の木は旭川市の旭川第一小学校の校庭にあるらしい。旭川市から北へ百キロメートルほども離れている我が家の近くではさすがに梅の木はない。加えて、北海道で梅が開花する5月上旬はとても仕事が忙しく、なかなか遠くへ梅見にも行けないのだ。

もちろん見たことがない季語を使って俳句を作ってはいけないわけではないし、鑑賞することもできるだろう。でも、どこか自分のなかで納得できるものではなく、もやもやしたものが残ってしまう。兼題が出ればどんな季語でも俳句に仕立てるのだが、おそらくは句集には入れないだろう。

なんだかすっかり話が逸れてしまったが、ようやく春が実感として感じられるようになった北海道で、春の俳句を存分に楽しませてもらった。

梅の花たのしきことをかんがふる  名取里美



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【週俳3月の俳句を読む】「珈琲店」午前**時 瀬戸正洋

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【週俳3月の俳句を読む】
「珈琲店」午前**時

瀬戸正洋


打たれ弱いと思う。気力が湧かないのである。何をするのでもなく、海を眺めながら珈琲を飲んでいる。晴天の海は荒れている。見知らぬひとは誰も彼もが親切なのである。

本を読むひとがいる。レポートを書いている学生がいる。片手で子どもをあやしながらスマホから目を逸らさない母親がいる。老夫婦は並んで座り海を眺めている。

カレーの匂いが店内にたちこめる。それが合図のように立ち上がるひとが増えた。午前と午後の客の入れ替わる時刻なのである。



雪の中来て二本の腕の重さ  近江文代

疲れているということなのである。からだが重いとは言っていない。あしが重いとも言っていない。二本の腕が重いのだという。何もしたくないということなのである。当然のことなのだが、からだもあしもこころも疲れ切っているのである。雪に埋もれた鄙びた温泉宿にでも行きたいと思っているに違いない。

デベロッパーとやら核家族に餅  近江文代

批判的な意味も混じっているのかも知れない。開発業者であることを疑っているのかも知れない。核家族とは、一組の夫婦、一組の夫婦とその子供、父子(母子)世帯のことをいう。不安定なつながりであることの心細さ。縁起物である「餅」を置いたことで、ささやかな幸せでもいいからと、それを求める気持ちが感じられる。

執拗に咲いて母親の水仙  近江文代

母親の愛情は執拗である。執拗でもしかたがないと諦めることが、やさしさなのである。母親が丹精を込めて育てた水仙なら執拗に咲くに決まっている。それが、水仙のやさしさなのである。執拗な愛情で育てられた子どもは執拗な愛情を持つおとなになる。それは、正しいことなのである。やさしさとは、生きていくうえでいちばんたいせつなことなのだから。

そぼ濡れてあたり白梅ばかりなり  近江文代

びっしょりと濡れていなければ気が付かなかったのである。びっしょりと濡れなければ何事もなく通り過ぎてしまったのである。ひとが自分以外のことに気が付くのは「負」に取り囲まれたときなのである。そんなときは、白梅ばかりでなく余計なことまで気付いてしまうのである。

たんぽぽになって足音聞いている  近江文代

たんぽぽは視線を落として見る花である。茎の短いものになるとなおさらである。野原や土手にへばり付くように咲いている。だからだといって蔑んではいけない。たんぽぽは、ひとの足音を聞くための花だからである。ひとの足音をいちばんよく聞くことのできる花だからである。花には花の個性がある。そのことを知ることは大切なことなのである。



蒙古とは、モンゴル高原と、そこに居住する遊牧民のことだ。作者は、西暦2015年に、その地を訪れた。それから、二年とすこしかけて「乙未蒙古行」50句を書き上げた。二年とすこしかけて書いた作品は同じ時間をかけて読まなければならない。だが、それは難しいことだと思う。蒙古のことはよくは知らないが赤羽末吉のモンゴル民話「スーホの白い馬」は読んだことはある。福音館書店刊、現在も書棚にある。馬頭琴とホーミーを聴きながら、この50句を眺めてみる。それしか、方法がないのである。いつも思うのだが、ホーミーとは、大草原を吹き渡るさわやかな風というよりも、何か地の底から湧き出てくる、そこで暮らす人びとのうめき声のような気がする。うめき声を発することは、生きていくうえで大切なことなのかも知れない。

風葬の峰々(ねゝ)か秋の日惜しみなく  高山れおな

峰々を眺めている。ただ、それだけのことなのである。風葬に思い入れがあるのかも知れない。人生をふり返ってみれば、火葬のあとの骨のすがたはあまりにも美し過ぎるのである。風葬により弔われたひとびとは、風や雨にさらされ、獣や鳥の餌となる。それでいいのだと思っているのかも知れない。肉体の滅んでいく過程を、しっかりと認識した方がいいのだと思っているのかも知れない。モンゴル高原の秋の一日は惜しみなく過ぎていく。

ゲル・キャンプ 二句
草上に鷹のしぐさや相撲(ブフ)始まる  高山れおな
相撲(ブフ)たけなは相搏つ肉の響きのみ

鷹のしぐさで登場する場面はニュース映像等で見た記憶がある。鷹のしぐさをすることは何か意味のあることなのだろうか。モンゴル相撲のクライマックスでは、ひととひととがぶつかる音だけとなる。技を掛けあうのではなく相搏つ肉体の響きが全てなのである。それこそ、モンゴル相撲の醍醐味なのかも知れない。たたかいが終われば、勝者も敗者も鷹となりおおぞらへ飛びたっていくのかも知れない。

テレルジ国立公園
露の野や糞(まり)落としあふ馬に乗り  高山れおな

露の野を馬に乗って進む。馬は歩きながら糞を落とした。驚いてはみたものの、合理的なことであることに気付く。周りを見渡せば、どの馬もひとを乗せながら糞を落としていくのだ。

ある国では、犬を散歩するときにはシャベルとビニール袋を持ち歩かなければならない。犬の糞を飼い主が持ち帰らなければならない。それをエチケットという。

天高く広くチンギス・ハンの国  高山れおな

天が高く広いということは大地がとてつもなく広いということなのである。チンギス・ハンは、この地を駆け巡り勢力を拡大していく。その孫のフビライは、モンゴル帝国の国号を「元」と改めた。名もなき蒙古のひとびとも、この地を縦横無尽に駆け巡ったのである。おおそらはどこまでも広がり、博多、壱岐対馬まで続いていくのである。
   
秋の野を行く秋の野の他見えず  高山れおな

秋の野を行くから秋の野の他は見えないのである。秋の野しか見ようとしないから秋の野しか見えないのである。それは、正しいことなのである。それは、幸せなことなのである。

ハラホリン、エルデニ・ゾーの夕べ 二句
星月夜写真に撮れば渦を巻く  高山れおな

夜空を眺めている。それで十分なのである。そのとき、誰かに伝えたいと思ってしまったのだ。そこから、夜空の美しさを噛みしめることから、少しずつずれていく。星月夜を見ることよりも撮った写真の出来栄え、出来上がった写真について思いを巡らせる。現実の風景よりも記憶の方に意識が移っていってしまったのだ。
  
(いち)に溢る中国雑貨かつ残暑   高山れおな

中国の雑貨であふれていることにがっかりしたのである。思い描いていた市とは違う。こころに隙間が生まれてしまったのである。残暑とは雑然と置かれている中国の雑貨のイメージ。釈然としない作者のこころもちも象徴している。

牛・馬・羊・山羊・駱駝を五畜と呼ぶ
(かざ)すさまじ五畜の肉を売るところ  高山れおな

あきれるほどのにおいだと感じた。荒涼としている、そんな気になってしまうほどの光景なのである。そこは、牛、馬、羊、山羊、駱駝の肉が売られている場所。冷蔵庫、冷凍庫の類などあるはずもない。文明によって隠すことのできた、目を逸らすことのできた現実が、ここではありのままのすがたであらわれる。生命を繋いでいくということは残酷なことなのである。

牛、馬、羊、山羊、駱駝の肉体の滅んでいく(よみがえっていく)過程を、しっかりと認識した方がいいのだと思っているのかも知れない。



白梅の中抜けてきし鳥のかほ  名取里美

梅林のなかの鳥の顔をまざまざと見てしまったのである。ひとと目が合うと必ず鳥は微笑んでくれる。どの鳥もそうなのである。微笑むというよりも、目が合ってしまったので照れ笑いをするというような感じなのかも知れない。そんなとき、ひとより鳥の方が優れているといつも思ってしまうのだ。

いつときの恋いつときの梅ま白  名取里美

恋とは恐ろしいものなのである。いっときの恋ぐらいがちょうどいいのかも知れない。白梅が咲くこともいっときなのである。いっとき、訪れてくれる幸せをかみしめて私たちは生きていくのだ。白梅の白さが目にもこころにも沁みていくのである。

梅の花たのしきことをかんがふる  名取里美

梅の花をながめているときぐらい幸せだと感じてもいいのである。そうでもしなければ生きていく張り合いなどなくなってしまう。一寸先は闇なのである。心配ばかりして暮らすことは真実なのである。だから、私たちは神様に願うのである。梅の花を眺め、この幸せがいつまでも続くようにと神様に願うのである。

風光るほこほこ乾くもぐら塚  名取里美

幸せのおすそ分けなのである。幸せをおすそ分けすることは、大切なことなのである。春風に、よろこびや希望を託すのだ。もぐらによって掘り起こされた土を見て、やれやれなどと思ってはいけない。不快なそぶりなど見せてはいけない。もぐらにはもぐらの幸せがある。そのことも考えなくてはいけないのだ。

春雪のあひふれあへば雪のまま  名取里美

雪は空から落ちてくるのである。春の雪であると思うのはひとであり、雪にしてみればどうでもいいことなのだ。ただ、ただ、雪なのである。冬に降っても春に降っても、どうでもいいことなのである。雪ばかりでなく、ひととひととの関わり合いでも同じことなのである。他人は、何も理解してくれない。それは、あたりまえのことなのだ。そんなとき、ひとはうつむいて、照れ笑いをするのである。


第568号 2018年3月11日
近江文代 脈拍 10句 ≫読む
第570号 2018年3月25日
高山れおな 乙未蒙古行 50句 ≫読む
名取里美 しら梅 10句 ≫読む

【週俳3月の俳句を読む】花野が道 高勢祥子

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【週俳3月の俳句を読む】
花野が道

高勢祥子


白梅の中抜けてきし鳥のかほ  名取里美

白梅の中を抜けてきたのは自身とも鳥ともとれるけれど、鳥ととりたい。

ある鳥を見つけたとき、それが思いがけなく近い距離にいたから、ただ「鳥」とするのではなくて「鳥のかほ」と表現した。少し違和感のある「鳥のかほ」という言い方によって、その鳥が不思議と作者の心に残ったのだろうということが伝わってくる。

その不思議はどこから来るのだろうと考えたときに、ああそうだ、白梅を抜けてきたからなのだと納得する。


ひざまくら朧あなたの頸動脈 近江文代

「ひざまくら」「朧」「あなたの」「頸動脈」とぽつぽつ呟いているような句だ。

誰かを膝枕をしていてその重量を感じていると、自分の膝への意識は朧に紛れてうすらいでいくのに比例して、「あなたの頸動脈」はリアルを増していく。「頸動脈」という固い語を使うことによって、今触れているものに神経を集中させていることがわかる。恋の句なのだけれど、視線が冷静だ。


馬並めて霧の花野が道なき道 高山れおな

「テレルジ国立公園」と前書きがある内の一句。けれども特に場所の指定がなくても広い草原と空とが想像できる句だ。

「花野が道」という表現が魅力的だ。「花野が道」とはどれだけ広い道なのだろう。

「道」という語からは「一筋の」とか「真っすぐな」とかをイメージするのだが、まだ道もつけられていない地ではそういう概念がいらない、どこもが道でどこもが道でないのだということに気づかせてくれる。

「馬並めて」とあり、馬と一緒にここからどこへ行こうと期待を持って周囲を眺めている姿が見えて来る。


市に溢る中国雑貨かつ残暑 高山れおな

中国雑貨のあのにぎにぎしい赤、それが溢れている。高揚するような、それでいて少し疲れてしまうような景色。「かつ」なので、疲れてしまう方が勝っているのかもしれない。




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第570号 2018年3月25日
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オン座六句「次のあじあ」 捌=北野抜け芝

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オン座六句「次のあじあ」
捌=北野抜け芝

[第1連]
花/春    陽よ花が次のあじあへふりそそぐ    大塚 凱

            われらのなかのわれに春雨    北野抜け芝

             釣竿を提げて木立を連れ立ちて    生駒大祐

             言語野に棲む鳥のうれしく    柳元佑太

月/秋   講堂の鏡に月の入る時間    副島亜樹

            すすきながめてえいえんに馬鹿    宮﨑莉々香

[第2連]
         大天使同士の恋は毛深いと    福田若之

         いつくしんでは火の手があがる    青本瑞季

            ゆけむりの白を印刷する夜更け   

             誤植のやうな枕木の罅    若之

氷/夏  氷より生まるる蟬を握りつつ    加藤 靖

         麦茶はぼくの日々をおかさず    青本柚紀

[第3連]【自由律】
            ソファーをはなれないアフリカゾウの空気   

             二つ返事の糞便    若之

         舐めてすつぱい目玉のことを書き残す    瑞季

         妙な苗字にかはる    莉々香

            矢切の渡しをたかしと渡る日のひかり   

             猫として育つ犬    西生ゆかり

[第4連]
        床の間にあらたかな岩据ゑられし    瑞季

             記憶つめたく痰壺に吐く    若之

        ありあまる富をころがしあふ手術    同

             伸びゆく枝のどうしやうもなさ    瑞季

        冬めいた何戸袋に隠れゐて   

恋/冬   カイロがはりにふとももがある    三浦けいこ

[第5連]
            母想ふアンモナイトをほどくとき    ゆかり

             まんだら越しにすりぬける風   

新年     町のぼんやりに初詣が濡れて    若之

             夕暮れのきて羽のぱつきり   

        花嫁の横顔すこしだけ崖似   

             朝明けがきてみんなそつくり    執筆 

二〇一八年三月三十一日 首尾
於:代々木公園
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