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24時間耐久花見大会レポート 大塚凱

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24時間耐久花見大会レポート

大塚凱


3/30(金)
18:57 越智友亮さんから電話がかかってくる。花見の場所が見つからないとのこと。しかし、参宮橋方面から代々木公園に入るつもりだった僕は4つの重たいレジ袋を指に食い込ませながら、閉じた門の前で途方に暮れていた。

19:01 開始予定時刻を過ぎる。腕を震わせながら必死の形相で原宿方面へ向かう。加えて、背負っている壺の重さに肩が悲鳴を上げる。

19:08 先行して場所取りをお願いしていた青本瑞季に、越智さんの捜索願を出す。

19:12 斉藤志歩さんが青本瑞季と合流したとの報せ。

19:20 なんとか代々木公園に入園し、場所取り位置に到着。夜桜がところどころ街灯に照らされている。志歩さんとは第8回石田波郷新人賞を授賞された際の式で会ったのが最後という気がするのだが、その間ずっと卒論を書いていたらしい。越智さんを発見。

19:22 開会宣言をする。

19:25頃 井口可奈さん、自称保守系無所属の上野葉月さんが合流。可奈さんとは初めてお会いした。学生時代に越智さんとご縁があったとは初耳だった。

19:30頃 同級生の佐藤のどが合流。可奈さん手作りのロールパンを頂戴して「やっぱこのイチゴジャムとマーガリンの組み合わせはテッパンで美味しいですね!」と言ったら、「それはあんずとクリームチーズです・・・」と言われる。

20:00頃 上京したての紆夜曲雪くん、中町とおとさん、咲良あぽろさん、場所取り後一時帰宅していた青本柚紀が参加。暗闇から田中惣一郎さんがカツ煮を持って出現。頭数が揃ってきたので、席題「木曜日っぽい句」で句会をはじめる。出句は、短冊を壺に投げ入れるシステム。隣の花見客がサカナクションを大音量で流しているのでうるさいが、却って開催場所の良い目印になった。

21:00頃 葉月さんが出句だけして颯爽と帰宅。

21:20 句会終了。半分くらいは全然木曜日っぽくない句だった。越智さんが帰宅。可奈さんがカツ煮にハマる。

22:15 黒岩徳将さんがご来場。句会2回目の席題は「曲線的な句」。

22:23 田島健一さんが現れるが「句会はしたくない」と言うので句会を見学なされる。

22:49 阪西敦子さんから1通目のメールが18:49にあったのち、2通目のメールが来ていたが、どちらも僕が気づかず。敦子さんにだけ参加場所の告知をし忘れているという痛恨のミス。

22:53 しびれを切らした敦子さんから電話。地図を送るが、場所がわからないとのこと。

23:03 再度敦子さんから電話。サカナクションが撤収したため、目印になるものがない。

23:15 心配になり敦子さんに電話をかける。

23:23 敦子さんに発見される。五七五の韻律が不意に遠くから聞こえたらしく、その方向に歩いてきたら辿り着いたとのこと。さすが、俳歴が違う。

23:24 句会終了。のどに続いてくん、可奈さん、志歩さん、瑞季あぽろさんが帰宅。その後、終電で宮﨑莉々香、柳元佑太がやってくる。とおとさんのご主人がサポートに現れる。解散する周りの花見客から余った飲食物やシートをもらう。中国人男性が近くの場所取りに現れて、何か敷物の抑えになるものが欲しいと言うので、逆に空き瓶などをあげる。

3/31(日)
01:30 席を残して、渋谷を吟行する運びに。酒も回り、眠気も差してくる・

03:00頃 田島さんがラーメンを食べたい素振りを見せ、全員ですごい煮干ラーメン凪渋谷東口店に入店。僕はラーメンを食べて暖まりたかったのだが、間違えてつけめんの食券を買ってしまった挙句、貧乏症が出てなぜか麺を400gで頼んでしまう。そこからの記憶があまりない。腹がパンパンになりながらも、公園に帰ることになったらしい。

03:30頃 まっしろな空間で、句会をしていた。登場人物は皆白く、隣から送られてくる短冊も白いままで字が書かれていない。しかし、僕はそれを読み、確かに俳句として面白がったり、採れないなぁ、と思ったりした。すると、肩を叩かれた。振り返ると、とおとさんのご主人の顔があった。話を聞くと、僕が集団からいつのまにか落伍していることにみんなが気づき、100mほど手前で直立不動の僕のもとへ戻ってきてくれたらしい。僕は道のど真ん中で立ったまま、夢を見ていたのだ。

04:00頃 半ば眠りながら歩いて、代々木公園にたどり着いた。寒い。園内で焚火をしている人を横目に花筵へ戻ると、もぬけのからになっている。空き缶やゴミを残して、一切の酒とおつまみが盗まれていた。莉々香に至っては充電器と水筒も被害に。惣一郎さんは置きっぱなしにしていた句帖が土足で踏み荒らされていた。柳元も朝食のためにと買ってきたバナナ18本がすべて盗まれており、憔悴していた。同時に買っていたペンだけ残されていたのが、せつない。まあ置いていった僕らが悪いのだけど。句会をする気力がゼロだった。

04:15頃 そう遠くない距離のシートの上で、カップルがイチャイチャしはじめる。次第に行為が大胆になっていくのを不安視する。

04:30頃 とおとさんが凍えはじめる。ご主人が防寒シートを持ってきており、暖めていた。美しい光景である。始発と同時に、中町夫妻、惣一郎さん、田島さん、敦子さんが帰宅。

08:30頃 目覚める。05:00頃には、跪くような形で僕の意識が途絶えていたようだ。防寒シートをかけてくれていたのだが、炬燵代わりにして僕の背中の上でずっとトランプをしていたらしい。その間に、中国人の方がインスタントコーヒーとお湯を持ってきてくれていた。家でしっかり睡眠をとってきた瑞季が再合流。

08:56 寒さで心が折れる。もう24時間屋外にいるようなイベントなんてやらない、と心に決める。

09:25 大富豪(トランプゲームのひとつ)に興じてしまい、ただのお花見に堕落していることに気づく。大富豪には「8切り(はちぎり/やぎり)」というルールがあり、それをするたびに「矢切の渡し」を一節歌っていたのだが、夜通し残ってくれた後輩たちには伝わらず唇を噛み締める。「矢切の渡し」は、細川たかしよりちあきなおみの方が好きである。

09:42 飲食物がなくなってしまっているので、柳元莉々香が買い出しに行くと同時にTwitterで状況報告と支援を要請する。北大路翼さんが「句帳は持ち歩かない奴が悪いw」とツイート。加藤靖さん、豊永裕美さん、山中さゆりさんが反応してくれる。

10:25 子連れ句会のお花見の場所取りに現れた西川火尖さんと合流。ついで、木村リュウジさんなど、子連れ句会の皆さんが断続的に挨拶に来てくださった。豊永裕美さんからピザポテトをもらう。

10:26 煙草を吸おうと思ったが、これも盗まれていたことに気づく。北朝鮮産の煙草を友人から譲り受けたので希望者と吸おうと思っていたのだが、ショックが大きい。ちなみに味はマズイが、言うほどはマズくない。逆に、包装に書かれた製造日らしい数列から五年くらい経っている割には美味しく感じた。

10:30 空き缶の中に、盗み残されていたプレミアムモルツ<香る>エールを発見。涙をしのびつつ飲む。ダイエットに成功した新生駒大祐さんがカツ丼と親子丼と牛丼を計6杯持って現れる。しかし、生駒さんは糖質制限のためそれを食べることができない。

11:20 福田若之さんが手作りの出し巻き卵を持って現れる。愛しい味。

11:26 再び頭数が揃ってきたので、第三回句会をはじめる。席題は「読むのに時間がかかる句」。生駒さんが冴え渡っていた印象。

12:30頃 子連れ句会にご挨拶をする。松本てふこさんがご来場。徹夜の柳元莉々香柚紀が川の字になって眠りはじめる。花見客で公園がパンパンになり、電波やネット接続がほとんどできなくなる。特に女性用トイレは1時間待ちもザラだと思われる長蛇の列。誰かが「不器男賞の予選通過作品発表って今日だよね?」という話をし、まだ肌寒い春風が吹き抜ける。

13:00 連句開始時刻だが、捌の北野抜け芝さんがお隣の明治神宮に迷い込んでしまう。

13:20頃 捌が到着。「次のあじあ」の巻。以降、連句終了まで断続的にメンバーが入れ替わったため把握しきれず。

15:30頃 佐藤文香さんがご主人と現れる。『天の川銀河発電所』の出版記念の際に作ったという焼酎を持ってきてくださった。若之さんの出し巻き卵を食べて、おふたりで次の場所へ。

19:20 日が落ち、寒い。場所を移して満尾までやりきろう、という話になった。迷っている方の連絡等に忙しくちゃんとご挨拶できなかった方がいたのは申し訳なかったが(お名前が漏れてしまっていたらごめんなさい)最終的に、加藤靖さん、副島亜樹さん、蓜島啓介さん、三浦けいこさん、宮本佳世乃さん、山中さゆりさん、岩田奎さん、西生ゆかりさん、七子さん、林楓さん、再合流のあぽろさんが参加してくださった。最後は抜け芝さん、西生さん、加藤さん、瑞季若之さんの6人でガスト渋谷公園通り店へ移動する。

21:30頃 連句が満尾。最後の執筆抜け芝さんがビシッとキマッた。さぞかし気持ちよかっただろうと思う。

22:30頃 解散。最後に残ったメンバー内でも、西生さん、加藤さん、瑞季は初めての連句だったらしく、満尾ののち1時間ほど談義をしたと思う。途中で睡眠してしまったため堕落した24時間耐久花見だったが、とはいえ身体がバキバキである。もうこんなことは、一生やりたくない。

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先般開催されたオリンピックは、(いい意味で)「狂ってしまった」人間たちの祭典である。そして、かつての俳諧師たちも、身分の低さや貧困のなか、野ざらしを心に創作を続けたのは、それこそ狂っていたからに他ならない。狂気への憧憬と羨望という意味では倫理的な云々はさておき、クラブで踊りまくるのも、酒に溺れるのも、補陀落渡海も、ほとんど同様の行為であると思う。それだけ、人間は何かに狂うことができる。個人的な話だが、先日、現代俳句協会青年部を巻き込んで助詞「を」だけで3時間の勉強会を企画してしまったのも、同じ類の衝動によるものだった。

しかし、正しく狂うことは難しい。
「24時間耐久花見大会」というイベントを開いた目的は、ひとえに「正しく狂いたかった」からだ。その点では、僕が3/31(日)03:30頃に夢を見ることができたところで、一応の目的は達成された。僕はあの夢を経て、僕は「俳句作品そのモノ」を悦んでいる以上に、「俳句であるコト」あるいは「『俳句性』ともいうべき概念」自体を悦んでいるという面があるのではないか、と感じるに至った。それは、紛れもないフェティシズムである。

さて、今回このイベントに連句の時間を設けたのは、もう一度その「俳諧師」たちの時代を擬制してみたいという試みでもあった。連句は、非常にコトバ的な営みと感じている。例えば、「『戸袋』と『脇腹』は即いているよなあ」という感覚のそれ。俳句を公民館の会議室の中に閉じ込めてしまったかと思えば、吟行と銘打って屋外の風物をモノ的に俳句に「利用」しているという不自然な現状への自戒も込めて、土の上で、ごく自然に、コトバ的な営みに興じたいという思惑だった。

それだけに、なかなか物理的にハードだった面もあるのでご参加の皆様にはご迷惑をおかけしたが、重ねてお礼を申し上げたい。
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後記+プロフィール 573

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後記 ◆ 福田若之


駅のプラットフォームを、向こうから歩いてくるのですが、同じくらいある大きなテディ・ベアの、腰を、うしろからそのひとがしっかりと抱え込んでいるのは、なんだかおかしな縮尺でした。すれちがったときに、そのひとの背中になにか赤いかたまりが、リュックサックでした。

今日は、こんなどこかぼんやりした文体で、春を暮らしています。




それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。
 

no.573/2018-4-15 profile

■吉川創揮 よしかわ・そうき
大学2年生。筑波大学俳句会所属。 

■大塚 凱 おおつか・がい
1995年千葉県生まれ。俳句甲子園第14、15、16回大会出場。 

■北野抜け芝 きたの・ぬけしば

■瀬戸正洋 せと・せいよう
1954年生まれ。れもん二十歳代俳句研究会に途中参加。春燈「第三次桃青会」結成に参加。月刊俳句同人誌「里」創刊に参加。2014年『俳句と雑文 B』、2016年に『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』を上梓。
■鈴木牛後 すずき・ぎゅうご
1961年北海道生まれ北海道在住。「藍生」「雪華」【itak】「いつき組」に参加。句集「根雪と記す」「暖色」(マルコボ.コム)。
ブログ「本日も深雪晴」https://miyukibare.exblog.jp/

■高勢祥子 たかせ・さちこ
1976年神奈川県生まれ。「鬼」会員。2011年、合同句集『水の星』。

■原和人 はら・かずと 1952年生。銀化同人、いつき組、たちばな俳句会代表、錢屋塾俳句教室講師。
 中嶋憲武 なかじま・のりたけ
 1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■西原天気 さいばら・てんき 
 1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。2007年第一回週刊俳句賞受賞。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ 「道草俳句日記」

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。句集に『自生地』(東京四季出版、2017年)、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

週刊俳句 第573号 2018年4月15日

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第573号
2018年4月15日


吉川創揮 空 10句 ≫読む
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【24時間耐久花見大会】 
24時間耐久花見大会レポート 大塚凱 ≫読む
オン座六句「次のあじあ」 捌=北野抜け芝 ≫読む

【週俳3月の俳句を読む】
瀬戸正洋 「喫茶店」午前**時 ≫読む
鈴木牛後 ぼくは白梅を見た記憶がない ≫読む
高勢祥子 花野が道 ≫読む
原和人 大草原を遙かまで見渡し ≫読む

中嶋憲武西原天気の音楽千夜一夜】
第46回 ザ・モップス「月光仮面」 ≫読む

〔今週号の表紙〕勿忘草岡田由季 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……福田若之 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール 574

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後記 ◆ 西原天気


もう夏がやってきたみたいに暑いですね、このところ(私が住んでいる東京西郊限定の話ですが)。



俳句に興味を持ち始めた人と話す機会がありました。すでに幾人もの俳人と交流があって、いろいろな話を聞いて、現在、なにか悶々とした状態だといいます。嫌気が差している様子です。

どんな話を聞いたかというと、結社とか俳壇とか俳句総合誌とか近年のアンソロジーとか。

あれま! 俳句と関係のないことばっかり。俳句の話をすればいいのに。

俳句の話じゃなく、そんな話ばかりしている人たちだったんですね、それは運が悪かった、もっと良い出会いもあるのになあ、と思いましたよ。



今週号はとてもコンパクト。目を疑うほどにコンパクト。この「あとがき」を除けば、いつもの「音楽千夜一夜」と「今週号の表紙」だけ。

え? 「さっき言ったことと違う。音楽千夜一夜は俳句の話じゃないじゃないか」って? いえいえ、「俳壇」内で誰がどうだとか、どうしただとかって話よりも、よっぽど「俳句」です。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.574/2018-4-22 profile

■大江進 おおえ・すすむ
1953年生まれ。本業は木工(注文家具・木製小物など)。鳥海山麓に住んでいることもあり、自然が大好き。ジオパーク認定ガイド。俳句は約20年前から作っていますが、最近は酒田市を中心として10名ほどのメンバーで「青猫」句会を毎月開催。ブログ www.e-o-2.com

 中嶋憲武 なかじま・のりたけ
 1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■西原天気 さいばら・てんき 
 1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter


〔今週号の表紙〕第574号 卵  大江進

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〔今週号の表紙〕
第574号 卵

大江 進


山椒魚は夏の季語。ただしそれは一般的にはオオサンショウウオを指しており、もっと小型の種類が多数いる。写真のトウホクサンショウウオの卵嚢(らんのう)は早春に、湧水が流れ込む低山地のゆるい止水でみつけたもので、長さ10cm程度のとぐろを巻いたゼリー状の筒のなかに多数の卵が産みつけられている。

卵のなかの胚はすでに成体のサンショウウオの形に近づきつつあり、じっと観察しているとときおりぴくりと動くものがある。生まれたてはウーパールーパー(アホロートル)のように鰓が体の外に出ていて、奇妙かつかわいい。成体の大きさは10~14cmほど。日本固有種。


小誌『週刊俳句』ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第47回 キッド・クレオール&ザ・ココナッツ「Yolanda」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第47回 キッド・クレオール&ザ・ココナッツ「Yolanda」



天気●3月から4月にかけて、物置きを片付けたんですね。新年度ってことで、そういう気分になるんですよね。

憲武●片付けたい季節ですね。気分一新と言いますか。

天気●すると、奥のほうで眠っていたダンボールから大昔のブツがたくさん出てきましてね。なかには手紙もあって、これ。


天気●友だちがお薦めレコードを絵入りで伝えてくれた。当時は、ジャケットを目で探すのが基本だから、絵入り。

憲武●ビジュアルの伝達は大切です。この絵はツボを押さえてますね。

天気●キッド・クレオール&ザ・ココナッツのこのレコード(1枚目)は1980年発売。20代の半ばですね。というわけで、このアルバムから1曲。



天気●ジャケットの雰囲気そのままにトロピカルでハッピーなラテンです。当時、ざっくり10年か十数年か数十年か、南方のかんじが流行・潮流としてあった。なかでもダンサブルでスタイリッシュなのが、このバンドだったように思います。

憲武●この手のバンド、ファンカラティーナと呼ばれてましたよね。ファンクとラテンを融合しているという意味で。モダン・ロマンスというバンドもありました。キッド・クレオールのバンドの形態の影響をモロに受けているのが米米クラブですね。

天気●リーダーのキッド・クレオール(オーガスト・ダーネル)は、このバンドの前に 
Dr. Buzzard's Original Savannah Band というバンドをつくって、ラテンとディスコを合体させたような極楽的なことをやってました。キッド・クレオール&ザ・ココナッツはもうすこし洗練味を出したような音。

憲武●このバンド、好きなんですよね。当時、ヘビロテで聴いてました。ぼくは Stool Pigeonが好きです。

天気●3枚目「Tropical Gangsters」 (1982)に入ってる曲ですね。

憲武●ココナッツ単独のアルバムも持ってました。

天気●へぇ、そんなの、あるんだ!

憲武●1983年の夏にEMI Americaから発売されたザ・ココナッツのソロアルバム「Don't Take My Coconuts(ココナッツにご用心)」です。これはあまり売れず、話題にもなりませんでしたが、よいアルバムです。

天気●夏には少し早いのですが、この線の曲で踊るのもいいですね。句会の後に。



(最終回まで、あと954夜) 
(次回は西原天気の推薦曲)

週刊俳句 第574号 2018年4月22日

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第574号
2018年4月22日


中嶋憲武西原天気の音楽千夜一夜】
第47回 キッド・クレオール&ザ・ココナッツ「Yolanda」 ≫読む

〔今週号の表紙〕卵大江 進 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
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後記+プロフィール 575

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後記 ◆ 村田 篠


(Under Construction)


no.575/2018-4-29 profile

■三輪小春 みわ・こはる
1948年生れ。2010年「秋草」入会。2014年 句集『風の往路』上梓。

竹岡一郎 たけおか・いちろう
昭和38年8月生まれ。「鷹」月光集同人。句集『蜂の巣マシンガン』(平成23年、ふらんす堂)『ふるさとのはつこひ』(平成27年、ふらんす堂)

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。句集『フラワーズカンフー』 。ブログ「フラワーズ・カンフー

 中嶋憲武 なかじま・のりたけ
 1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■西原天気 さいばら・てんき 
 1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。2007年第一回週刊俳句賞受賞。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ「続ブレンハイムスポットあるいは道草俳句日記」

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」


〔今週号の表紙〕第575号 シネラリア  岡田由季

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〔今週号の表紙〕
第575号 シネラリア

岡田由季



シネラリア(サイネリア)は、手元の歳時記に、春の季語として掲載されています。
外来の園芸植物は、どういう基準で季語として採用されるのでしょうか。

サイネリアは冬から春の鉢花として、ある程度流通しているとは思うのですが、それでも、もっとメジャーで、歳時記に掲載されていない園芸植物がたくさんあるような気がします。

園芸植物にも流行がありますが、他のジャンルの季語同様、時代の移り変わりとは、ずれがあるのでしょうね。


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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第48回 アットDJトモコ・アンド・ユッカラフ「クラウドスター」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第48回 アットDJトモコ・アンド・ユッカラフ「クラウドスター」



憲武●連休突入ですね ~ 。あまり遠出はせず、近場で普段から歩いてみたいと思ってたところを散歩、などという過ごし方もいいですね。

天気●都心は空いてますしね。人でごった返す観光地にはちょっとね。

憲武●ぶらぶら過ごす休日は、こんな曲もいいかもしれません。アットDJトモコ・アンド・ユッカラフで、「クラウドスター」。



憲武●ヒップホップしてますね。トラックメイカーのDJトモコと、シンガーのユッカラフのユニットです。

天気●はじめて見ました。明るい子たち。

憲武●最後のショットで、赤と青のボールが転がってきますが、あれはそれぞれのイメージカラーなんです。ほかのPVでは、それぞれ赤と青のパーカーを着たりしてます。

天気●なるほど~、舗道、遊歩道♪

憲武●「フリースタイルダンジョン」という番組も3年目になりますけど、まだまだ深夜枠で、日本ではまだまだヒップホップの勢いは今ひとつですね。

天気●深夜がいいと思いますけどね。明るいうちはヘンだし、ゴールデンタイムは家族向き? ヘーイ、イェイイェイ、無季?

憲武●ヒップホップの要素って、ラップ、ブレイクダンス、クラブDJ、グラフィティとあるわけですが、原動力になるルサンチマンがね、まだまだ足りてないんじゃないかと思います。

天気●るさんちまん? それ、どういう意味で?

憲武●他者への攻撃とか陥れようということではなくて、今いる場所から抜け出そうとか、閉塞状況を打破しようとか、そうするための自らを高めるエネルギーつーことでね。

天気●それはルサンチマンじゃないですね。ルサンチマンの有効利用のひとつではあるかもしれないけれど。まあ、甘美な自己肯定や家族愛讃美よりは、ずっといいと思います。

憲武●歌詞の中でも、こう歌われてる部分です。イケてない自分からの脱却です。
Webニュース見たよ!と旧友から興奮メール止まらない根拠ない自信は人一倍ブレず I'll keep on trying (We started from the bottom, we started from the bottom)心より数字に踊らされている場合じゃない目指す to the top of the worldWe started from the bottom今ここ! 未だここ…ここから!Oh yeah
天気●from the bottom to the top ってわけですね。イェーイ!

憲武●根拠ない自信は人一倍。イェーイ!


(最終回まで、あと953夜)
(次回は西原天気の推薦曲)

ハイク・フムフム・ハワイアン 6 自由律俳句のスピリット 小津夜景

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・ハ 6
自由律俳句のスピリット

小津夜景


わたしとわたしのかげと椰子が実をつけてゐて涼しい 丸山素仁

荻原井泉水はハワイ訪問の翌年にあたる1938年『アメリカ通信』という旅行記を刊行しました。その中で彼は、南の楽園のすみずみにまで浸透するアメリカの経済的パワーに圧倒されつつ、平地はさることながら火山の上までドライブできてしまうハワイの開発状況を賞賛しています。

井泉水が訪れた頃のホノルルの様子がこちら。船上の雰囲気、島の遠景のあと、2分50秒あたりからホノルルの光景が続きます。



とても暮らしやすそうな雰囲気です。とはいえハワイにおける自由律俳句のメンバーは、都会人から構成される有季定型派のヒロ蕉雨会(当連載1および2を参照)とは対照的に、多くのプランテーション労働者から構成されていたことを決して忘れることはできません。ハワイの俳壇で最初に句集を出版した丸山素仁も、そんな労働者の一人でした。

丸山素仁はワヒアワというパイナップル・プランテーション地帯で農業に従事しつつ、ワヒアワ高原吟社や布哇俳句会で活動した俳人です。布哇毎日、日布時事、布哇タイムズで記者を務めた川添樫風の『移植樹の花開く:ハワイ日本人史実落ち葉籠』(1960年)に素仁にかんするこんな記述がありました。

素仁・丸山宗作翁…明治39年(1906)7月23日、一家再興のため、壮年30歳で來布、布哇 在住51年間。

私が日布時事の文芸欄を担当した頃、それは1929年頃と思うが、其頃ワヒアワに自由律俳句の、生れたばかりの高原吟社があった。

草の実の散る音を聞いたり、草の渋で手を黒く染めたりなど、じっと自然に親しむ土の俳人をその中に発見して、私はひそかに敬慕の念を禁じ得なかった。それが素仁翁であった。…

素仁翁は戦争直前『草と空』と云う布哇では最初の句集を出し、自由律俳人としては一家をなした。…

翁は昭和の初めの頃、同志と共に蕉葉会と云う定型俳句の結社を作っていたが、古屋翆渓氏の導きで自由律に入り、後には先生の翆渓を凌駕するに至ったことは、これは翆渓氏の述 懐。…

大ていの事は聞き流しにして草をとっている  
余生果樹を育て葉が散れば葉を掃いている
(川添樫風『移植樹の花開く』/島田法子氏の論文からの孫引き)

丸山素仁句集『草と空』が層雲社から刊行されたのは1941年のこと。装幀・題字・序は荻原井泉水。この本のあとがきには、1927年、素仁がホノルルの古屋翠渓とぐうぜん出会い「層雲」の俳句を熱く説かれたことで、自由律俳句が外国に暮らす日本移民の情緒によりフィットした方法であることを理解し、すぐさま自由律に転向したことが記されています。

俳句は、何よりも詩であることである。
俳句は、ただ俳句らしい形の一列の文字であるだけではいけない。
其内に生命、その表現にリズム、しらべを持たなければならない。
懇々と説き聞かされた。我々はその熱意に動かされた。無限の未来性のある自由律俳句、日本の外にある日本人である我々にぴったりとくる、この新しい俳句の道を、我々はまっしぐらに進んで行かうではないか。翠渓氏の説く層雲道に共鳴した我々は、即座に蕉葉会を「高原吟社」と改めて、層雲に入り、其後は井泉水先生、並に翠渓氏の指導によって句作を続けてきたのである。
(丸山素仁『草と空』あとがき/島田法子氏の論文からの孫引き)

で、素仁の作品ですが、こんな感じです。

ずうっと草が空へゆけば家があるという
椰子に風が吹いている土人の女たち
ここにも雨の降らない蔗畑の家が一軒
夢がにっぽんのことであって虫に啼かれる
蔗に蔗がのしかかっていて逢う人もいない
月を木蔭にして日本の戦争ニュースが聞えるころ
今日帰還兵があるという旗出して庭一ぱいに蕨 

ハワイの空気を深く呼吸する句群    まるで、五感という名の認識(理屈)へと体感を分割してしまう以前の、トポスを流れる霊気そのものを丸ごと呑みこんだかのような。

落ちるともなくペアーの実落て陽のうつりゆく石段

ペアーはハワイ語でアボカドのこと。

お迎え申して椰子の風に吹かるることする

井泉水をハワイに迎えた折の作。この句には南の島の風情と相まって、土地の霊気と調和しながら、なにか霊魂にまつわる儀式を営んでいる雰囲気の優美さがありますが、そうした効果を最大限に引き出している要因のひとつが自由律という方法にあるのは間違いなさそうです

飛行場の風見は海へ向いてみんなスタートする

遠い外国でプランテーションに従事する日々の苦労をうたいつつも、その苦しさや悲しみの頭上に明るい風がそよぎやまない。目に見える言葉の手ざわりはしなやかに揺れ、いっぽう見えない芯の部分はすっくと立っている。

こうした質の「屹立」は、ハワイの自然にそなわる圧倒的なオーラに由来するとも考えられますし、また素仁の(ひいてはハワイ移住者の)フロンティア・スピリッツに由来するとも考えられるでしょう。一句を成立させる類の「屹立」とは言葉のかたちよりむしろ精神のかたち、その逞しさや気高さなのだということを教えられるような気にもなります。


《参考資料》
「「日布時事」1932年10月9日号、1937年3月9日号、1940年9月9日号
島田法子「俳句と俳句結社にみるハワイ日本人移民の社会文化史1」
トイダ, エレナ ヒサコ「ヤシの葉蔭にて : ハワイにおける日本人移民の俳句」

とおい文化祭 福田若之『自生地』を読む 竹岡一郎

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とおい文化祭
福田若之自生地』を読む

竹岡一郎


「自生地」にある句で、句集出版以前に良く取り上げられて来た句は、例えば「歩き出す仔猫あらゆる知へ向けて」「伝説のロックンロール! カンナの、黄!」「初詣に行こうよぶっ飛んで、いこう」「さくら、ひら  つながりのよわいぼくたち」「ヒヤシンスしあわせがどうしても要る」だったりするのだが、これらの句についてはとても語る気がしない。こういう句を評するのは私の役目ではないと思う。この手の明るさや純真さは、私とはあまりに境涯が違い過ぎて、共感するのが辛いからだ。

冒頭でこれらを取り上げたのは、こんな大向こうに受けそうな陽性の句を作れる作者が、以降、拙論に取り上げるような句を作ったという、そのギャップが興味深いからだ。私などはむしろ次のような句に懐かしく共感する。

僕のほかに腐るものなく西日の部屋

自分だけが虚しく腐ってゆくように思えるのは、やはり西日の時刻がふさわしい。部屋も部屋が蔵する物も腐ってはいない。部屋は若者にふさわしく狭いだろう。物が無いだろう。色々なものが部屋に有れば、自分だけが腐るとは思わない。小川軽舟の「腕立伏ではどこにも行けぬ西日かな」と対比出来よう。福田の句では、「僕」は何もしないで腐るに任せているような観がある。これが中年以後なら焦って腕立て伏せでも試みるのだ。無為に腐るのを実感できるのは、若さという猶予ゆえで、実はその部屋と同じく、意外と腐ってはいない筈だ。

集中にある「教室でさんざん荒れてきたマフラー」「焼き芋を月を分け合うように割る」「盗み飲む牛乳は冷たいだろう」、この辺り、思春期の鬱々とした心情が良く言い留められていると思う。だが、マフラーは柔らかく、月は明るく焼き芋は暖かく、牛乳は喉に心地良いだろう。本人は鬱々と過ごしながらも、本人を取り囲む周囲は優しい。この優しい状況を読んで苛立ちを覚えるのは、私のやっかみに他ならないだろう。誠に大人げない。

みんなで胞子になって遊ぶ噴水のまぶしい夜だ

一見、夢幻の句である。河原枇杷男の「野遊びのふたりは雨の裔ならむ」を思い起こす。ここではみな胞子という始まりの形なのだが、何かが既に失われてしまった時間において浮遊している感がつきまとう。ここで遊んでいるみんな、作者も含めた皆が、予めばらばらに失われてしまったものであり、胞子からやり直す途中であるという解釈もある。

小鳥来る古新聞で窓拭いて

奇妙なレトロ感がある。この「古」という語は、新聞にだけではなく、窓にも窓を蔵している建物にも、もしかしたら拭いている状況にも掛かっているのではないか。舞台は高度成長期までに建った日本の民家あたりがしっくりくる。小学校の木造校舎なら、なお良い。「小鳥来る」という穏やかな陽だまりの時間が、そのような状況を思い起こさせる。ならば、ここにあるのは失われた時間である。その時間は、とっくに過去の出来事だけを記している、水を吸う他は無価値な古新聞に還元されるだろう。古新聞は、ある懐かしさを立ち上がらせる媒体として存在している。

パンツなくして沖遠く泳ぐのだ

かなり大変な事態にも拘らず、どこか余裕のある滑稽な景だ。山田耕司の「少年兵追ひつめられてパンツ脱ぐ」と藤田湘子の「愛されずして沖遠く泳ぐなり」が下敷きにあると思う。見ようによっては深刻な景であって、浜に人がいなくなるまでは泳ぎ続けなければならず、仮に溺れたらスッポンポンのまま打ち上げられなければならず、どうも夜が更けるまで、いや、夜が更けても花火やら恋人たちの睦言やらで、浜には人声が絶えそうもない。社会的動物としてせめてパンツだけは履いているという矜持を守るためだけに、当てもなく沖遠く泳がねばならぬ。「なくして」が「無くして」か「失くして」かで、句の解釈はまた違ってくるだろう。「無くして」が最初からの状態なら、これは蛮勇である。深刻なのは「失くして」の方だ。物を書く者の立場とは、むしろ「失くして」の方ではないか。

ここで「無くして」の方が、より決意が見えるかもしれぬと思い直す。パンツといえども文明人の夾雑物だ、と断ずることも可能だからだ。同時に「仏の大海は信を以って投入すべし」なる言葉も思う。泳ぎ切れるかどうかわからぬ大海に身を投じ、ひたすら沖を目指し続けなければ、遂に怯懦の内に一生を費やすかもしれぬ。それは俳句に於いても同じだ。

蔦は火だ傷の乳母車におよぶ

意味が取れない。だが、イメージは迫って来る。「蔦は火だ」と断定することにより、蔦の繁殖力、火のごとく広がってゆく有様は見えるだろう。消したと思っても消えていない火だ。蔦は紅葉しているのかもしれぬ。その赤さを「火」と表現したのかもしれぬ。ならば、「火」は「血」を内蔵しているか。蔦の動きは火であるが、その匂いは血のそれであろうか。それなら、次の「傷」の語へと連想は及ぶ。「傷の」とは「傷が」という意味だろう。傷が乳母車に及ぶ、とはどういうことか。或る不穏なイメージだけが立っている。心情だけが剝き出しにされている感じだ。蔦が触手のように、うねりつつ伸びゆくものである事と、乳母車との組み合わせから、「臍の緒」というイメージも成り立つ。この乳母車は恐らく空だろう。乗る者は非在であろう。

掲句は、言葉に多大な無理を強いている。言葉には多大な負荷がかかり、言葉は折れる寸前だ。「言葉に無理をさせるな」伝統結社である「鷹」で、耳に胼胝が出来るほど聞かされた戒めである。その有益性を幾度となく嚙みしめつつ、遂にその戒めにとどまることが出来ない。言葉に言葉以上の力を期待してしまうからだ。辞書に載っている一面的な意味を、言葉自身によって超えさせるために、言葉に多大な無理を強いてでも、その結果、言葉の意味が破壊されても。

くらげくらげ 触れ合って温かい。痛い。」という句が同集にある。温かいと思うのはくらげであり、痛いと感じるのもくらげである、と読んだ。くらげはほとんどが水で出来ているので、死ねば水に溶けてしまう。死体が残らない。霊的なものがぎりぎりに薄い物質の皮を被っているような存在だ。

「温かい」わけはないと思う。たとえくらげ同士が触れ合っていたとしても、くらげはその冷たさによって生存を維持している筈だ。そのふわふわした形状から「温かい」と見るのは勝手な思い込みであり、その自分の思い込みに作者がすぐ気付いたからこそ、「温かい」というプラスイメージの語の後に「痛い」というマイナスイメージの語が来る。「くらげくらげ」の後、一字空けの一呼吸があり、「触れ合って温かい。」と句点で切れる一思惟が提示され、間髪を入れずに「痛い。」と、断定のマイナスイメージを置く。くらげを見た時の作者の心の動きが一並びで示される。

福田若之が「くらげとは暗げなのだ。だから、海月とは書かずに水母と書く」とどこかで言っていたのを思い出す。その時、私が思ったこと。水母の対義語とは何だろうか。母性か。では、水母の同義語は。乳母車に非在のものか。その時、そこで考えるのを取り敢えず止めた。くらげに普段に触れる私は、取り敢えず止まった、その時のつんのめるような感じを思い出す。

乳母車に乗っている者は、非在者として意志を持つだろう。その執念の烈しさが「傷」として知覚され、「傷」は非在者が、その存在証明として乳母車に刻むものでもある。

幽霊の最後は橇が燃えている

これもまた意味が取れない、にも拘らず、心に妙に引っかかる。「幽霊の」の「の」は、切字に相当するのではないか。例えば「や」で切ってしまうと、たちまち幽霊が実体を持ち、視覚に捉えられてしまう。作者が描きたいのは人の形を取っている幽霊などではない。「最後は橇が燃えている」その情景そのものが幽霊である、と言いたいのではなかろうか。

いない姉は金魚に唄わない死なない

金魚はどこにいるのだろう。伝統的な読み方をするなら、金魚鉢の中に泳いでいる。金魚鉢はどこにあるか。夏の陽の入る部屋の中か、縁側にあるのだろう。姉は(恐らく最初から)いないし唄わない。が、死にもしない。この最後の「死なない」の語により、姉は不死の存在として具現し、金魚に絶えず唄い掛ける。姉の非在を確約するのが、金魚だ。非在の者の非在性を追求する内に、非在者は存在し始める。もともと生きて在ることが無いのだから死にもしない。

この姉は、作者の思慕の具現であろうが、それに留まらない。「姉」の暗示的意味を、スサノヲに対するアマテラスに重ね、或いは「おなり神」と重ね見ても良い。「妹の力」の変形であり、妹よりも絶対的なもの、より上位に立つものと観るなら、妹よりも遥かに手に負えない女性性と読める。その女性性が非在であるがゆえに不死であるとは、なんと厄介な、そして美味そうな呪いだろう。その呪いが、口には苦く腹には甘く唄われるさまを、観照する事も出来よう。

髭剃りさえもが石炭をがつがつがつがつ喰う

真っ白な息して君は今日も耳栓が抜けないと言う

やっていることは昨日と同じだが汗が凍りはじめた

どの枝も行き詰まる寒い夜です

唾がつめたい灰色している

これらを読んで思い出すのは橋本無道だ。「鼻をすすつていつしんに機械と呼吸が合つたままもう睫毛も動かさない」「やわはだの匂いも汗して夜はしんしんと平和な肉体への嗅覚」のような極度に長い句と「うごけば、寒い」「からだはうちわであおぐ」のような短すぎる句の間を行き来した無道は、心の動きに俳句形式を合わせたのだろう。掲句にもそれが見受けられる。無道とは違って、語られる情景に具体性はない。ある心情に、外界が形を合わせたと言うべきだろうか。

この五句、起こっている事が何一つ見えないにも拘らず、迫ってくる感がある。一句目の「さえも」「がつがつがつがつ」の焦燥感、二句目の「真っ白な」「抜けない」の閉塞感、三句目の「同じ」「「凍り」の遣る瀬無さ、四句目の枝の「行き詰まる」行く末、五句目の「灰色」の蟠りである。出来事の一部分の極端なクローズアップが行われているのだろう。

髭剃りが喰うのは髭だ。石炭は太古の植物の死体だ。では、作者の皮膚は地表であり、石炭は何らかの地殻変動によって皮膚を突き破って棘のように突出しているのか。硬い髭が剃り難く引っかかる様を「がつがつがつがつ」と表現したのかもしれない。

耳栓が抜けないのは絶えず轟音に曝されているせいだろうか。それとも聴覚過敏症なのだろうか。「君」は、音という音が脳に突き刺さる苦痛を抱えて、寒さの中で存在している。「真っ白な息」は「君」が痛めつけられた脳から吐き出す無言の呪いだろうか。

「昨日と同じだが」、なぜ「だが」なのだろう。なぜ「だから」ではないのだろう。だから汗は倦むことによって凍り始めたのではない。昨日と同じ行為が実は昨日と同じではないことに気づいたから凍り始めたのだ。やがて昨日と同じであったはずの行為も環境も、悉く見知らぬものと化してゆくだろう。汗は凍る事を完了し、全身の毛穴という毛穴を塞ぎ、人体の動作を滞らせ、一切の見知らぬものに取り囲まれたまま、昨日とは似ても似つかぬ時間に立ち尽くすことになるだろう。

濡れた指にも満たない冬の虹立つ

冬の虹はそもそもが色淡く、すぐ消えてしまう。ここでは虹の長さ大きさまでもが少ない。濡れた指は作者の指であろう。虹立つに至るまでの雨に濡れたのか。或る憂愁に濡れていると読むことも出来る。「立つ」は実は、指にも掛かっていて、立たせた指の向こうに虹が立つ。指よりも小さな虹に己が指を通じて感情移入する作者である。ここで作者はいわば「等身大の遥かなもの」に心を馳せる。同じ表現を用いているのが次の句であろう。

草笛の音が草笛から遠い

高野素十は「雁の声のしばらく空に満ち」と詠った。素十の句においては、雁は既に声を置き去りに、遥かへと消えている。非在ぎりぎりのものだけが空に満ちている。

掲句においては、草笛の音が草笛を離れてゆく。草笛を鳴らすのは自らの呼気だ。草笛の音とは、自分の呼気の変化した響きだ。作者の呼気が口を離れて、高い音として遠ざかってゆく。もうずいぶん遠い。耳は、己が呼気の残留を未だに追っている。

てざわりがあじさいをばらばらに知る

触感的な写生句だろう。紫陽花を手触りだけで知ろうとすれば、遠目には単一のように思われた花が、触れば触るほどバラバラな花の集まりだと実感される。山口優夢の「あぢさゐはすべて残像ではないか」を思い出す。優夢の句は、視覚に依る七変化の色の移り変わりを残像と見る。掲句では手触りに依る七変化が表現されている。

肉を得たことば蛆の口が動く

蛆が喰うのは死肉だけだ。壊死した部分だけを取り除くために無菌蛆を使った療法がある位だ。だからここで「肉」の前に省略されている語は「死」である。

言葉は肉化するかもしれぬが、その瞬間、肉は死んでいる。小川軽舟の「季語は作者自身である」に沿うなら、作者は自らを蛆と見なしているのであり、それは言葉という言葉が、生の実感を伴って現れないという認識ゆえの卑下である。

読みながす数億行の春の雨

飯田龍太は「雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし」と詠った。龍太のしっとりとした情感と比べて、この心情はドライである。雨の方が雪よりも速いから、そうならざるを得ないのだ。ここで龍太の世代と福田の世代の、時間の速度の違いを観ることが出来る。「いくたびも読む文」と「読みながす数億行」は情報量の違いでもある。手書きの手紙と、画面を高速で流れてゆく活字の違いでもあるのだ。龍太における雪は言葉をじっくりと重くしてゆく役割があるのに対し、福田における春の軽い明るい雨は、言葉を言葉で以って押し流してゆき、言葉を非在へと薄めてゆく役割を担う。

ぐにゃりからつばめになったものが棲む

「ぐにゃり」とは燕の孵化したばかりの状態であろう。或いは卵の中で分裂してゆく細胞の状態かもしれぬ。燕の霊性がまだ肉を得ない段階か。「ぐにゃり」とは燕という個体がまだ燕とは呼べない段階の謂であり、それは燕かもしれないが燕以外のものかもしれず、生物でないかもしれない。言葉によって規定される以前の状態を仮に「ぐにゃり」と指してみた。裏返せば、作者自身が、作者の周りの者達が「ぐにゃり」でなかった保証など有るだろうか。私たちがぐにゃりで有ったとき、どこに棲んでいたのだろうか、そして今はどこに棲んでいるのか。

この「ぐにゃり」の使い方は、一見乱暴に写生を諦めたように見える。言葉の最大公約数的な意味への忠実さよりも、自身の個人的な感覚への忠実さを選んだのだと思う。例えば、次の二句と比較してみる。

月夜の地球儀拭けば消えそうな島々

涼しげな帽子ずらして「ばか」と言う

一読明快だ。月光の霞むさまが、地球儀上の小さな島々に反映する。「涼し」と「帽子」と「ずらす」の組合せは、帽子のつばの広さのみならず、女の指の動き、涼しい姿態、「ばか」という口調までも浮かび上がらせる。伝統結社の句会に出しても好評だろう。

対して、次の二句、

探し当てたように向日葵の道だ

搔き抱かれてざらつきになっている

このわかりにくさ、言い換えれば、言葉の最大公約数的でない使い方。

向日葵は道の両側に立ち並ぶと読みたいが、その様を「探し当てたように」と表現する。向日葵の花が光に属する事、作者が自身を暗いと感じているであろう事、自身が光を求めているという自覚、その三つの認識が「探し当てた」なる比喩となって結実する。この言い留め方をするまでにかなりの彷徨をしたのではないかと思わせるのは「道」の一語ゆえだ。

「掻き抱かれて」の句は、ハグされた時の居心地の悪さ、気持ち悪さを表現したのだろう。相手が悪かったか、そもそもそういう事が嫌いか。ここでは主体が誰か書かれていないので、俳人としては当然、作者が「ざらつきになっている」と読む。作者全部が触覚になったような状況。その状況だけをクローズアップしたかったのだろう。

底冷えの摑むところのない扉

この句は集中にある「春はすぐそこだけどパスワードが違う」の裏側にある句だと思う。「パスワード」の句において、春は作者にとって秘密の様相を呈しているのであり、その秘密にどうやってもアクセスできない、春と呼ばれるものを自らに向けて開くことが出来ないもどかしさが表現されているのだが、掲句においてはパスワードに相当する鍵穴はあったとしても扉を引くための取っ手がない。尤も体を預けて押せば開くのかもしれない。押すためには少なくとも自分の体の一部を扉の向こうに突出させねばならず、その向こうに何があるかわからない不安は「底冷え」に象徴されている。

冬の夜、壁紙の継ぎ目から毛がでてくる

これもまたかなり困った状況で、「でてくる」のだから、毛は部屋の中に伸びてきている。壁の中には何かがある。その何かは生きているのか死んでいるのか、肉体を持っているのか持ってないのか、果たして現実か幻視かもわからない。先の「底冷え」の句といい、この「毛」の句といい、宙ぶらりんの状況の不安感が感じられる。内田百閒の「冥途」や「東京日記」のような、尋常ならざる雰囲気だけがいつまでも続く短編を思わせる。

うなずくからどんなに遠い滝だろう

滝は遠いのか、と問うたのかもしれない。相手の頷き方に常ならぬものを感じて、そこに滝へ到達する事の困難さを思ったのかもしれない。ここでうなずく行為は滝への遥かさを肯定する修飾として用いられている。日本に於いて滝とは神の日常的な具現であり、産土の聖性の具現でもある。この時代において、神も産土も遠いのは致し方ない事だが、少なくともこの句において否定はされていない。頷くという肯定的な行為により、確かに在るのだが非常に遠いという実感が強調されている。

夏草や     の跡←消しゴムで消した跡

     をあきのかぜと書く 裂け目

これも虹ここ→〇突き破ってよ指で

チートだ、ずるい。これは反則だ。「兵どもが夢」の五文字を消しゴムで消して、つわものでなく夢も信じない自分を肯定しつつ否定したつもりか。上五を消して、季語は全て秋の風、一呼吸の空白、裂け目だとうそぶいたつもりか。ページの背後にある虹をこんな風に夢見させたつもりか。これは俳句でも文学でも日本文化でも文化包丁でも憲法九条でも黙示録でもない。敢えて言うなら、幻の憧れの文化祭で、要するに夢見る優しい青春だ。私は絶対にこの〇を指で突き破ったりはしない、学校の廊下を盗んだバイクで走ったりしないように。〇を指で突き破らないように、私が人差指に最大限の気を配るのは、この青春に嫉妬している事を悟られないためだ。

ビール噴く厨二病なのかなあ俺

それ以外のなにものでもない。君が厨二病でなければ、厨二病は絶滅宣言されてよい。この句集全部が、ありとあらゆる厨二病の見本市ではないか。振り過ぎたビール缶が、その中身を祝祭の天に噴き上げるように、全身全霊で厨二病だとも。そして厨二病だけがいつの時代でも、孤独に開拓を進めてきた。

「は?」という、過去限りなく繰り返された。パラソル。

パラソルを辞書で引くと「女性用の洋傘。日傘。」とあるから、「は?」と言う人は妙齢の女性だ。海水浴の時、浜に立てる傘もパラソルと称するから、眩しく肌を曝しているかもしれぬ。君の厨二病発言を悉く「は?」の一語で撃退するあの子は、本心では君を憎からず思っているだろう、と嘘で且つ意味の無い慰めの言葉を掛けてみたい、サーファーやらTUBEやら焼きそばやらの横溢する真っ只中で。

休みます冴えたままシンバルなのです

その姿勢は休んでない。どんな些細な合図にも鳴り響こうと待ち構えている、その姿勢が厨二病だ。そもそも厨二病とは、休んだりやめたり出来るものなのか。

それにしても、シンバル! 「シンバル」と置いたのは見事だ。鳴らせば主役、しかし普段は背景、冴えた青い日に最初から存在しないものを懐かしむように。

遂に文化祭を知らずに生きて来た私は、この句集全体を否定し、伝統結社に属する俳人の立場から句集とは認めない、と早々に思考停止して、馴れた地獄で楽にしていたいのだが。

慣れ親しんだ自己の怨念を観照しつつ、この「句集にあるまじき何か、であって欲しい本」を何十遍か読み返しては、苛々したり、鼻で笑ってみたり、上から目線で見下ろしてみたり、時に遥かな夕陽の校舎を望むようにぼんやりしたりしつつ、やっぱりこの句集は幻の文化祭であり、若い頃も今も遂に私が知ることの出来なかった憧れの文化祭なのであった。

君はセカイの外へ帰省し無色の街

セカイとカタカナで書いているから、これはセカイ系の事であろう、と関悦史は言う。セカイ系とは何ぞや、と関悦史に質問して色々と解説してもらったが、要するに個人と世界の生滅が直結している価値観の事であって、通常の世過ぎにおいて個人と世界の間に存在する「社会」が抜け落ちているのが特徴であると。それなら、個人の観法によって環境は如何ようにも変化するという技法であって、別段新しい見方でもない。個人と真理が直結する、あとの一切は旋火輪のごとし、幻であるとは、仏教においてもキリスト教においてもイスラムのスーフィズムにおいても回帰の基本ではないか。「内空しうして外に従う」という言葉も、この真理との直結という信念があってこその方便だろう。

さて、掲句であるが、「君」は作者のセカイの外に帰省したのだから、元々は社会に属していただろう。「君」が帰ったことにより、作者は人間本来の状態である「孤独に世界の生滅と向き合う」場所に戻ったのだ。他者と世界を共有することなどそもそも出来る筈がないから、当たり前であるが。その目に街は無色に映る。色は欲望であり、「君」のいない世界に欲望は感じないからだ。

樺太へ兄を探しにいくのか強くない台風である君も

台風は南溟に発生し、北日本を過ぎる頃には大方、低気圧となる。北海道までは殆ど来なかったが、近年、北海道にもなお台風の勢力を保ったまま来る例がある。掲句の台風は、北海道を越えて更に樺太まで向かう意志があるようだ。強くない台風が樺太に到るのは至難の業だろう。樺太と聞いて、南溟のニューギニアやガダルカナルと同じ暗示的意味を想起する者はどのくらいいるだろう。南溟の島々にも海にも、戦後の日本人にとっては、戦争の惨たらしい記憶がつきまとう。満州と聞いた時、旧ソ連軍の虐殺がつきまとうのと同じく。

樺太も同じだ。北緯五十度線以南の南樺太に住んでいた日本人は、突然の旧ソ連軍侵攻に辛酸を嘗めた。引き揚げ三船(小笠原丸・第二新興丸・泰東丸)の、旧ソ連軍潜水艦による犠牲者は1700人を超える。「北のひめゆり」と呼ばれる、樺太の真岡電信郵便局の悲劇も想起されよう。

では、台風である「君」の暗示的意味とは何か。南溟に霊的渦のごとく発生した台風である「君」が、強くないその身、いつなんどき低気圧へと拡散しかねない身を絞りつつ、無理を承知ではるばる樺太まで探しに行く「兄」とは誰か。

掲句は社会性俳句であり、戦争によって引き裂かれた人々の魂を詠った句であると、私は断じたい。そう断ずるのが、この句の最上の読みだと思う。そう読んだ時、かくも大幅な字余りがなぜ必要であるか理解できる。台風の無謀な旅は、その発生から消滅までのたかだか四五日の間ではない。戦後七十年を繰り返し試みてきた、その無念と、どうしても捨てられない希求の、果てしない逡巡と回り道の旅である。

と、ここまで書いて、この読みはある種の人々から見てかなり滑稽だろうな、とも思う。別に構わない。滑稽だろうが大仰だろうが、詩にとって、地獄から出発する以上の必然はない。

君となら戦争してもいいよ桜

この桜を日本の象徴と取るなら、甚だ穏当でない句となる。だが、むしろここは坂口安吾の「桜の森の満開の下」に出てくるような女を想起したい。同じ安吾の「夜長姫と耳男」では、「桜の森」の鬼女に等しい夜長姫が、刺される前にこんなことを言う。「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ」私が若い頃、この言葉は納得せざるを得なかった。身近に絶えず実感する言葉であった。福田若之がこういう言葉を実感できているとは思わない。出来ているなら、次に論ずる「小岱シオン」という娘の描き方は、もう少し切羽詰まったものとなる筈だ。とはいうものの、その予兆は娘の名に微かに匂う。

蜘蛛を湿らす小岱シオンの青い舌

人名の出てくる句は、その名に歴史的背景があるのでなければ、名の印象が魅力的であって欲しい。この人名はリズムが美しい。ハーフなのか、それとも今どきの名なのか、いずれにせよ、コノタシオンという響きは美しい。「ロウドウモンダイってロマンチックな響きだね」と、西脇順三郎が言ったように美しい。

「青い舌」だから、文字通り取るなら、貝類や甲殻類のように青い血が通ってるのか。ならば人外という事になるが、「青い」という語を「若い」の意味と取るなら、青春の鬱屈した暗さも見えよう。なぜなら、蜘蛛を舌で舐めて湿らせるのだから。その舌の発する言葉が、蜘蛛という陰性のものを更に湿らせるのかもしれぬ。

舌は斧の柄であり、舌の発する言葉は斧である。「人が生まれた時には、実に口の中に斧が生じている。人は悪口を語って、その斧によって自分自身を切るのである。」(ブッダの感興のことば、中村元訳、岩波文庫)

小岱シオンの舌はどうやら斧の柄ではないらしい。というのも、シオンの舌は蜘蛛を喰いはしない、潰しもしない。舌で湿らせる行為は愛撫である。日本における蜘蛛で、まず思い出すのは「土蜘蛛草紙」や能曲の「土蜘蛛」であろう。生物として実在する土蜘蛛とは異なり、人を食う巨大な蜘蛛の妖として表現される。更に遡って、天皇に恭順せず討たれた豪族たち、シャーマン的性格を持つ部族を蔑して土蜘蛛と称した事を想うなら、蜘蛛には暗がりへと追いやられ討たれた者、また怨み呪う者の意も加わろう。ならば、シオンの青い舌は、追われ呪うもの達への奇妙な慈愛の唾液に潤っている。

この小岱シオンという娘は繰り返し句集に登場するが、どうも実在の人物とは思われない。少年が理想化する娘かもしれぬ。例えばヘッセの「デミアン」におけるベアトリーチェ、或いはブルトンにおけるナジャを想起するのだが、ベアトリーチェのごとく作者を求道へと導くものでもなければ、ナジャの如き世界の神秘を共に探ろうとするファム・ファタールでもない。

そのような道しるべも神秘も運命をも信じる力を失った時代の、寄る辺なき明るい幽霊のような印象がある。この血肉に乏しい小岱シオンを何とかして存在せしめようとする試みが、作者の希望だろうか。

鏡にぶつかる小岱シオンと玉虫と

シオンに、そして様々な色に変化するシオンを映す鏡であろう作者に、全然足りないものは、血泥であり炎である。それら剣呑なものの無き事を物足りなく思うのが、地獄の習癖なのかもしれぬ。

ゴジラ脱がせば日焼けの小岱シオンぷはあ

この句には前書きがあって「God-zillaっていうけど、ゴジラはいつから神様なわけ?」。その問いについては、日本に原爆が落ちた時からだ、と答えたい。放射能を吐く荒魂であるゴジラの着ぐるみの中には、天然の放射体である太陽に日焼けしたシオンが入っていて、ゴジラから解放されたシオンは「ぷはあ」と呑気な息をつく。ゴジラという、実は悲痛な神話から遠く離れ、だがゴジラの内在者としてシオンは顕れる。

「だから嘘なんてついてないしただ意味のあること言ってるだけだって」。

シオンの口癖として集中に何度も紹介された言葉であるこの前書きの後、シオンは轢かれてしまう。(このシオンの口癖は反語として取った。即ち、シオンは嘘しか言わないし、意味の無い事しか言わない。己が非在を担保する言葉しか言わない筈だ。先ほどの「いない姉」の句を思えば、シオンの存在は非在によって不死と成り得るし、そうでなければ、実在の血肉を持ちいつでも血泥と怨念に化し得る娘達を差し置いて、シオンが繰り返し出てくる意味がなくなるからだ。)

小岱シオンは轢かれ飛ばされ散らばる金

この金が「きん」なのか「かね」なのか、ルビを振っていないので判然としない。「かね」と読めば、シオンは、「この世の君」の王国の三大原理である暴力(シオンを轢いた車)と繁殖本能(シオンの血肉を纏った外形が周囲に惹起させる本能)と銭によってのみ構成されていたに過ぎないという事になる。だから、私は何としても「キン」と鋭い響きで読みたいのだ。

「キン」と読めば、撒き散らされるのは金色の重い固体であり、詩的に解釈するなら「黄金の体験」である。では、シオンとは黄金の体験によって構成されていたのか。存在自体が或る象徴である娘は、時に虹をさす指であったり、未来のイブであったり運命の女であったりするのだが、その構成要件である黄金の体験は、実は極めて個人的なものであって、到底共有されうるものではない。だからこそシオンはいったん轢死せねばならず、死後あらゆるところに見出されるのだろうか。

日々を或る小岱シオンの忌と思う

シオンは絶えず死ぬ。死ぬからには絶えず生まれているだろう。だから、シオンは未生ではないし、ましてや不生でも無い。「小岱シオン」の名が含蓄するもの、その暗示的意味を探るなら、岱は泰山の意、天子が天地の神を祀る秘密の場であるから、小岱とはきわめて個人的な密やかな祭祀の場を指すであろう。シオンの意味は、ヘブライにおける「要塞」であり、「神殿の丘」であり、「心の清らかなる者」である。「首の縄目を解け。捕らわれの娘シオンよ。」(イザヤ52-2)「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。」(第一ペテロ2-6)

小岱シオンの名には東洋と西洋の、そして中東の祭祀の場が含蓄されている。泰山に祭祀を行った始皇帝の政が覇道であったことを思う。元々エブス人のものであったシオンをダビデ王が占領したこと、また「シオン」の呼称がエルサレム全体をも指し、「シオンの娘」とはエルサレムの住民を指す事、現在に至るまでエルサレムの存在が紛争の原因となっている事を考える。

小岱シオンの比重で暑い死海に浮く

シオンは作者に内蔵されてもいるから、作者はシオンの比重を持つことも出来る。死海に浮かぶその視界の果てにはシオンの丘がある。

はじまりの小岱シオンの土偶に蚊

始まりの「小岱シオン」なる娘に、たとえば、「ヴィレンドルフのヴィーナス」と呼ばれる先史時代の小像や縄文の土偶を思う。地母神の像と言っても良い。豊饒の神でありながら、死骸を分解する死の神の側面も持ち合わせている。自ら裂かれ細かく耕されることにより、恵みを与える役割もある。複合し時に相反する無数に等しい暗示的意味を持つモノ。そして掲句では、蚊はその血を求める。

また別の小岱シオンの別の夏

シオンは恐らく個人の数だけいるのだろう。シオンには夏が一番よく似合うだろう。炎天は暗い。光が余りに強烈で、暗黒をも含むのではないかと思わせる。小岱シオンも比類なく明るく見えて、その背は暗黒だろう。

「自生地」の小岱シオンが轢死した後、「また別の小岱シオン」は、もっと肉迫してくれるだろうか。例えば、その舌で以って土蜘蛛の長を溶かし、ゴジラを内側から食い破り、死海を干上がらせては塩の柱を眷属と化し、己が血を吸わせた蚊を以って熱病をはびこらせ、血を金塊に、金塊を血泥に、紙幣を生皮に、生皮を書物へと変じて、口に苦く腹に甘い呪いを、美味そうに唄ってくれるだろうか。

空色の者が空から見ている夏

この句も、別の角度から見える小岱シオンを写生したと思えて仕方ない。小岱シオンが辞書に登録されている最大公約数的な意味を超えて、連想に連想を重ね、含蓄に含蓄を含み、蜘蛛の網にも似た数多の感覚、経験、心情を取り込んでゆくなら、最終的に小岱シオンは世界に覆いかぶさる空に溶け広がり、ただ眼差しだけの存在ともなろう。
それは果てしなく増幅する解釈によって一句が、世界を覆い尽くす広がりを持つに等しい
、と夢想するのが、只一句の至高性をどこかで夢見て止まない俳人の業である。

架かるたび最後の虹とさえ思う

いつも最後と思って見る虹は、何と胸に沁みる事だろう。阿部青鞋の「虹自身時間はありと思いけり」「貝が死ぬもうしばらくの音楽よ」を思い出す。掲句は、希望と絶望がごちゃ混ぜに胸に湧きあがる観がある。明日が無い、と何処かで思っているからだ。

ながれぼしそれをながびかせることば

一読、一瞬で消えてしまう流星に対して、その光を何とか留めようと咒を口にしているように見える。しかし、それなら「流星を長引かせをる言葉かな」とか何とか、やってしまえばよいのだ。それは実につまらない。

掲句は、「ながれぼし」で一旦切れるのだと思う。そして「それ」は流星ではない。「それ」としか名指しようのない何か、絶えず胸底から湧き上がり遥けさを指し示す何かを表現しようとする時の精一杯の暗示であり、作者にとって生の重要な部分を、或いは全体を指す何かなのだ。流星は往々にして、短く激しい生を暗示する際に用いられるからだ。子供が流星を見た時に願望を口にする如く、流れ星に向かって「それ」が長引くように祈る。

或いは流れ星自体を「それをながびかせることば」と見たのかもしれぬ。「ながびかせる」と平仮名で記された時、その表記は「なびかせる」を含み、流星の長い尾を浮かび上がらせる。

地上から見た時、流星は一瞬で消える冷たい光に過ぎない。しかし、当の流星は膨大なる時間をかけて旅をし、その旅の果てに巨大な熱を発しつつ地上へ降り来たる。

言葉は儚い。言葉は不正確にしか世界を表現しない。しかしながら、その儚く不正確な、広大な暗闇を僅かな光で探るに等しい言葉によって、世界を捉えようと試みる者は、遠目には一瞬の冷たい光にしか見えない膨大な熱量を以って、掲句における平仮名の羅列の如き、たどたどしい歩みによって、言葉を補完するしかない。

私は昔、「俳句とは捕虫網で青空を捉えようとするようなものだ」と書いたことがある。福田若之もそう思っているかもしれぬ。彼に限ったことではない。

どう工夫しても短すぎる俳句に己が生を投入しようとする者全て、一個の言葉の暗示的意味が世界を覆うと同時に、遍く照らす事を夢見て、そんな蛮勇、パンツを脱ぎ捨てて大海に飛び込む開き直りに、己が一瞬の生を掛けざるを得ない者たち全て、大なり小なりそう考えるのではないか。


10句作品 行く春 三輪小春

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行く春   三輪小春
           
   
ものの芽に足をとられてしまひけり

クレーンの何も掴まず初音とも

振りむくとも振りむかぬとも蝶の息

片方の肘より冷ゆる沈丁花

ぼうたんの散りぎは猫のゆき止り

蝶の昼鏡の奥へ背をくるり

シリアの子大き眼や春の星

塩充たす八十八夜の塩の瓶

行く春の豆腐の角をくづさぬやう

ひきがへる鳴いて夕べの白き皿

週刊俳句 第575号 2018年4月29日

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第575号
2018年4月29日


三輪小春 行く春 10句 ≫読む
…………………………………………
【句集を読む】
とおい文化祭 福田若之『自生地』を読む
……竹岡一郎 ≫読む

・ハ6
自由律俳句のスピリット……小津夜景 ≫読む

中嶋憲武西原天気の音楽千夜一夜】
第48回 アットDJトモコ・アンド・ユッカラフ
「クラウドスター」 ≫読む

〔今週号の表紙〕シネラリア岡田由季 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……村田 篠 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
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〔今週号の表紙〕第576号 銀竜草 山中西放

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〔今週号の表紙〕
第576号 銀竜草(ぎんりょうそう)

山中西放


かつて滋賀県の山中で出会った2本の茸? その半透明な白色が余りにも不気味で触ることも出来ず写真に収めた記憶がある。

またの名をまさに幽霊茸。この春、奈良で再び沢山にお目に掛かった。遠くから見ればまるで白い花びらが古木の根方に降り積もっているように見えたものが、レンズを近づけば枯れ葉の堆積の中から貌を出す記憶の植物の群生であった。ここの銀竜草は小さく群生のため不気味さは感じない。

むしろ一つ目小僧のような集態は、水木しげるの妖怪目玉おやじの団体様のイメージさえ思い起こす。

ここは大和神域、花泥棒は来ないだろう。夏の季語である。


小誌『週刊俳句』ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

第二回円錐新鋭作品賞 結果発表

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第二回円錐新鋭作品賞 結果発表


花車賞(澤好摩 推薦)

「境界線」石原百合子

白桃賞(山田耕司 推薦)

「秋と幾何学」高梨章 

夢前賞(樋口由紀子 推薦)

「竹ノ塚心中」大塚凱


新鋭作品賞 結果発表 ≫読む

新鋭作品 推薦句 ≫読む

新鋭作品選考座談会 ≫読む


今回も多くの方の応募をいただきました。ありがとうございます!

(円錐編集部 山田耕司)

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第49回 レッド・ツェッペリン「胸いっぱいの愛を」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第49回 レッド・ツェッペリン「胸いっぱいの愛を」



天気●ギブソン社が経営破綻で破産申請だそうです。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180501-00000141-jij-n_ame

憲武●いやー、びっくりしました。ギター弾く人が減ってるんでしょうか。世界的に。

天気●減ってるんでしょうね。

憲武●価格の問題もあるかもしれません。

天気●まあ、いろいろ経営上の問題点もあったのでしょうね。数年前、自動チューニング機能を弦巻きに標準装備したのを見て、迷走してる、と思いましたよ。

憲武●なるほどー。兆候はあったわけですね。

天気●さて、ギブソンと聞いて、誰を思い出すかは人それぞれで、個人的にも一人に絞るのは難しいのですが、レッド・ツェッペリン「胸いっぱいの愛を」を聞きたいと思います。



天気●ギブソン社のレスポールのイメージは、ジミー・ペイジのこの、サンバースト(ギターボディの色柄)、ストラップを長くして、下のほう、ほぼもう股間にぶら下げるというスタイル。

憲武●このスタイル、フォロワーがかなり出ました。長髪でレスポール、ストラップがだらーんと長い。それだけでもうギターが上手くなったような気分。

天気●この曲、ロックかつサイケかつポップで大好きなんです。とりわけ、3分18秒、ジミー・ページのギターソロが始まるところ。このソロには、レスポールの太く歪んだ音がぴったり。

憲武●セカンドアルバムの一曲めですね。きらびやかなソロです。ライブには欠かせない曲です。

天気●レッド・ツェッペリンに限らず、70年代のロックは、レスポールをマーシャルのアンプで歪ませた音(ディストーション)が主要成分。とくにハードロックにはレスポールのちょっと湿り気のある太い音が欠かせないものでした。いわゆるアメリカン・ロックにフェンダー社の乾いた音が欠かせないのと両輪。

憲武●アメリカン・ロックの乾いた音の感じが、ぼくはちょっと好みではないです。やはりロックは湿り気があったほうがいいです。

天気●ちなみに、日本で、レスポールをいちばんかっこよく鳴らすのは奥田民生だと思っています。

憲武●奥田民生はかなりのレスポールフリークとか。

天気●惜しい会社をなくしました。冥福を祈ります。といっても会社更生法で、ブランドや楽器作りは続くみたいですけどね。


(最終回まで、あと952夜)
(次回は中嶋憲武の推薦曲)

【週俳4月の俳句を読む】雑文書いて日が暮れて 瀬戸正洋

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【週俳4月の俳句を読む】
雑文書いて日が暮れて

瀬戸正洋


余生なのである。隠しごとは何もないのである。一つを選択すればいいのである。間違ったと思えば、また他を選択すればいいのである。

余生とは、俳句のことだけを考える時間があるということなのである。

うたごゑの天の高きを組み上ぐる  吉川創揮

抽象的なものを組んで積み上げていくと言っている。抽象的なものとは、うたごゑのことなのである。地上から天まで積み上げられたうたごゑを、私たちは感じなければならないのである。だから、うたごゑの天の高きを積み上げていかなければならないのである。

冬晴に靴音届く自転かな  吉川創揮

暖かい日もあれば寒い日もある。おだやかに晴れて日差しのあたたかい冬の日は幸福であることを実感する。

これは、例えなのである。靴音がとどくのである。どこに届くのかといえば自転している大地に届くのである。つまり、地球に届くのである。不幸であると思った瞬間に、すべての回線は絶たれるということなのである。要するに、幸福であると思った瞬間に、すべての回線は自由に、どこへでも、生き生きと繋がっていくということなのである。

牡蠣啜る太陽吊りて薄き街  吉川創揮

太陽は昇るものではないと言っている。それも、薄っぺらな街に吊らされているに過ぎないのだと。街が薄っぺらになったのは牡蠣を啜ったからなのである。つまり、街とはにんげんによって、どうにでもなるのだと言っているのである。だからといって、にんげんは、正しく生きなければならないなどと思う必要はないのである。

闇つうと蛇の鼻腔を抜けて春  吉川創揮

鼻腔があるのかどうかは知らないが、蛇も呼吸はしているのだろう。だが、「蛇の鼻腔を抜けて」と書いてあるから「ある」ということにした。春とは複雑で変わっているのである。闇が蛇の鼻腔をつうと抜けるのである。作者は、精神的な、何かとんでもないことを経験したのだと思う。

蝶の脚たんぽぽの絮乱さずに  吉川創揮

蝶が飛んだあと、たんぽぽの絮が乱れたのである。それは、蝶の脚が触れたからなのかも知れないし、そうでないのかも知れない。だが、たんぽぽの絮が飛んだのは事実なのである。たんぽぽの絮が飛んだのは何故なのかなどと考えることは無意味なことなのである。たんぽぽの絮の意志によるものなのだということは、あたりまえのことなのである。蝶は、たんぽぽの絮のことなど考えず、自由に飛べばいいのである。たんぽぽの絮も、蝶のことなど無視して自由にとんでいけばいいのである。

かなしみの耳の熱しよ紫木蓮  吉川創揮

紫木蓮のはなびらは、紫色の靴べらなのである。靴べらのないときは、はなびらを取ってポケットに入ればいいのである。耳が熱くないときは悲しくないときなのである。そんなときは、耳を掻けばいいのである。耳を掻いてかなしみに浸ればいいのである。靴を履いて庭を散策する。風の強い日の、紫木蓮の花は、ことのほか美しいと思う。

春眠やあこがれて鳥降りてくる  吉川創揮

朝寝、昼寝、宵のうたた寝、春の眠りは、どれもがここちよいのである。「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く」となれば、これは、夜が明けたことも知らずに鳥のさえずりで目が覚めたとなる。春の明け方の鳥の囀りはすざまじいもので、まるで囀ることに、すべてを賭けているようでもある。明け方、庭木に鳥はあらそって降りてくる。鳥は、いったい何にあこがれているのだろう。

水菜食む遣唐使船すずしく朱  吉川創揮

水菜とはたよりなさそうな、存在感のうすいすがたをしている。旬は晩秋から冬にかけてであり、耐寒性がつよく、ビタミンA、C、カルシウムなどが多く含まれている。作者は、遣唐使船の朱色に、派遣者のいさぎよさ、清らかさ、すがすがしさを感じ、何となく水菜をイメージしたのかも知れないし、そうでないのかも知れない。

遣唐使の目的とは中国の先進的な技術や文化、ならびに仏教の経典等の収集、および、政治体制など統治システムの習得であった。

牛りんと匂ひ立ちたる桜かな  吉川創揮

広い大地と大空がある。牛や馬が放牧されている。満開のさくらの下、あたりは、さくらいろに輝いている。牛のすがたは凛としている。馬のすがたも凛としている。牧童たちも凛としている。さくらいろに染まった何もかもが凛としているのである。

割れて窓光なりけり燕  吉川創揮

燕の飛ぶさまは、たしかにひかりのようでもある。それは、窓硝子の割れたひかりなのである。それは、割れた窓硝子そのものなのである。すばやく、迷うことなく、低空を切るように飛ぶ、燕と割れた窓硝子。

ものの芽に足をとられてしまひけり  三輪小春

懸命に生きようとしている若者に足をとられてしまった。そんな老人の哀しみを「ものの芽」が象徴しているような、そんな気がした。老人も懸命に生きているのである。だが、社会の仕組みについていけない。新しい何かに挑戦することが億劫なのである。若者は決しておとしいれるために、老人の足を取ったわけではない。弾ける若さに老人は足を取られてしまったのである。

クレーンの何も摑まず初音とも  三輪小春

何も掴ませなかったのは、にんげんである。クレーンは試運転をしていたのかも知れない。視覚と聴覚との違いはあるが、試運転と初音とは同じようなものだと思ったのかも知れない。初音とは、虫や鳥類のその季節最初の鳴き声のことをいう。

振りむくとも振りむかぬとも蝶の息  三輪小春

野原を歩いていたら何かを感じた。振りむけば蝶が舞っている。これは、蝶の息なのかも知れないと思った。はじめての経験であった。気がつけば、そこかしこに蝶が舞っている。

何ゆえ、蝶の息に気ついてしまったのか考えている。

片方の肘より冷ゆる沈丁花  三輪小春

冷たさを感じるのは、いつも肘からなのである。ホームで電車を待っているとき、停留所でバスを待っているとき、片方の肘が冷えを感じたら、からだが全体が冷えていく合図なのである。

ぼうたんの散りぎは猫のゆき止り  三輪小春

ゆき止まりとは、一切の発展が望めない状態のことをいう。牡丹が今にも散ろうとするとき、猫は手詰まりであるということなのである。牡丹の散ろうとする気迫に押されて猫は身動きが取れなくなってしまったのである。こんなことは、私たちも、よく、経験することなのである。猫のうしろには牡丹の花が咲いている。

蝶の昼鏡の奥へ背をくるり  三輪小春

鏡に向かっていた蝶が反転した。鏡から離れていくということなのである。鏡から離れていく蝶が反転した。鏡に向かっていくということなのである。鏡を見ているのは蝶ではなくにんげんなのである。不思議なことと出会うのは真夜中ではなく昼間なのだ。にんげんが、動きまわっている昼間の方が不思議なことと出会う確率が高いのはあたりまえのことなのである。

シリアの子大き眼や春の星  三輪小春

七年目を迎えているシリアの内線。作者は「シリアの子大き眼」をどこかで見て作品に仕上げた。私は何も知らないし何も考えてはいない。そんな私がとやかく言うことではないと思うから何も言わない。ただ、かなしみの、そして、不安気な「眼」であることは何となく理解できる。誰もが、春の星に救いを求めているのだと思う。

にんげんの本質は「悪」だと思う。もちろん、私は「悪人」である。

塩充たす八十八夜の塩の瓶  三輪小春

塩の瓶に塩を補充したということなのである。それも八十八夜の塩の瓶にである。八十八夜とは立春から数えて八十八日目の日であり五月の初旬。気候の変わり目であり、生活の変わり目でもある。にんげんは、変わり目があるたびに再生したいと考え、新しい何かをする。時間は連続しているのだが、それでも何かの励みになると思い区切りをつける。

行く春の豆腐の角をくづさぬやう  三輪小春

豆腐の角は崩してはいけないのである。何があっても崩してはいけないのである。立秋であろうと立冬であろうと、もちろん、立春であろうと、豆腐の角は何があっても崩してはいけないのである。

ひきがへる鳴いて夕べの白き皿  三輪小春

テーブルのうえに白い皿が置いてある。どこかでひきがえるが鳴いている。庭に白い皿が置いてある。どこかでひきがえるが鳴いている。どれも日暮れの光景なのである。

だが、ひきがえるには何かが宿っているのだと思う。ひきがえるの鳴き声を聴きながら、今までの何もかもを、反省しなければならない。ひきがえるの鳴き声は、深く、そして、低い。

転んでしまった。いちどは、道路につま先が引っかかり、にどめは、酔っぱらって平衡感覚を失い。そのたびに、からだは宙に浮き、アスファルトのうえに落ちる。足の筋力が落ちてつま先が上がらなくなるから転ぶのである。たった、数センチ上がらないために、膝をすりむき、肘をすりむき、一週間ていど、からだじゅうのあちこちが痛む。

足を上げて、胸を張って、歩くことは、老人には疲れるのである。


【対象作品】
三輪小春 行く春 10句 ≫読む

時評のようなもの 4 新人賞ふたつ 上田信治

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時評のようなもの 4
新人賞ふたつ

上田信治


第5回芝不器男俳句新人賞を、生駒大祐さんが受賞した。

http://fukiosho.org/communication.html#20140301

生駒さんは俳句の書き手としての「登場順」で言うと、『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』の人たちと、現在もっとも若い書き手(*)たちの間をつなぐ位置にいる。同じ位置には、西村麒麟、藤井あかり、鶴岡加苗、岡田一実といった人たちがいる。

いや、ジャーナリズムがとりあげることを「登場」というのは僭越なことで、どの人もずっとそこにいたし、いるし、それぞれに書き手であったわけですが、『俳コレ』の編集に携わったものとして言えば、上にあげた人たちのことは当然候補としてチェックをしており、惜しくも収めきれなかったのです。

当時、まだ「アンソロジられない」自分たちは、どうしたらいいのかという声もあったとか、なかったとか(キリンさんかな、そういうことを言うのはw)。

しかし「位打ち」という言葉があるくらいで、人間、評価されたら終わり。そこで止まってしまうケースはあまりにも多く、評価され損なって、それでもやめなかった人のほうが、しばしば、ずっと先へゆく。そういうことを、上にあげた人たちは証明したのだし、そのことを見抜けなかったアンソロジストの不明を証したともいえる。

生駒さんおめでとうございます。

(*)もっとも若い書き手:同新人賞の一次予選通過者でいえば、黒岩徳将、仮屋賢一、堀下翔、青本瑞希、柳元佑太、大西菜生等。ここに、安里琉太、大塚凱、宮崎莉々花、青本柚紀、樫本由貴 、木田智美等々といった名前が加わる。



生駒さんの書法は、人工的かつ擬古的だ。

ジャーナリスティックな口吻をキープしつつ述べるなら、その書きぶりは、昭和30年世代の特徴であった「伝統」的書法を、バロック的にマニエリズム的におしすすめたものだと言えるかもしれない。

そういう意味でも、彼は『新撰』の書き手(自分も含めて昭和30年世代の設定した課題の内部にいることが多いのだけれど、別ラインとして、山田耕司、鴇田智哉、田島健一、関悦史といったかつての前衛の系譜に連なる作家がおり、その総合という意味でも)と次世代の書き手の橋渡しをするポジションにある。



若き岸本尚毅や田中裕明が俳壇をおどろかせたのは、彼らがあまりにぬけぬけと「上手かった」からだ。

彼らは、ある意味、多くの俳人にとっての到達点であるような「上手さ」を出発点において達成してしまっていたために、その真正さ(その完成度と、俳句の価値が一致しているかどうか)を疑われることもあった。

岸本尚毅も田中裕明も「伝統」を越える視線と射程をもち、先人踏襲をメタ的な方法意識のうえで行っていた。

だから、その俳句は、いきなり(従来の意味で)完成することが可能だったのだし、上手さの先に行かなければならなかったからこそ、「伝統」的であると同時にそれをはみ出していく異様なモーメントをはらんでいた。

そして、生駒さんは、時代を継承する書き手として、彼らのはみ出しの部分に意識を集中させている。

はみ出すことに快感をおぼえつつ写せば、それは、ねじれる(それがバロックということだろう)。

最終選考の段階で、詩人の城戸朱理さんは「この作品は(優れているかもしれないが)よその新人賞でも評価されうるのではないか」と反対意見を述べたのだけれど、生駒さんを推す選考委員が「いや、よその賞では絶対、評価されない」と異様な(笑)推奨をするという一幕があって、それは、彼の作品をよく表していたと思う。

彼の書くものは、一見、優等生的に見えたとしても、その美質は、胡乱さ異様さのほうにある。

足跡の海中に絶え初明り
榛といふ名前に生まれさへすれば
蜜蜂や夢の如くに雑木山
六月に生まれて鈴をよく拾ふ
甘露煮がみなに届くよ霜柱


たとえば、「足跡の」のファンタジックな美しい絵の具体性を「初明り」が、よく分からなくしていること(3メートルくらいの水深の日が差す海を思えばいいのかもしれないが、それが何の正月だというのか)。「榛といふ名前」とはいったい……君は木なのか?「蜜蜂」も「雑木山」もこう言われてしまっては本当のこととは思えず、そして、この「霜柱」は、いったい……。

うわごと感とでも言おうか。

それは魚目や澄雄や杏太郎の最高の作にあらわれるものだ。けれど、それを狙って書くのであれば、作者は、作品が人に真面目に受け取られないことを、誉れとして引き受けなければならなくなる。

その冗談すれすれの跳躍(または墜落)のすえに、中村和弘委員が激賞したこのような句があらわれる。

輪の如き一日が過ぎ烏瓜
秋淋し日月ともにひとつゆゑ


やわらかい思弁の手ざわりが、俳句らしさへ凝集したような、ふしぎな句だ。

生駒さんが志向する擬古典性、人工性、思弁性、抽象性といったピースは、先にあげた若い書き手に佐藤文香や福田若之もふくめた同世代の作家たちに、それぞれの課題として確実に分けもたれている。

彼らは、その並走関係によって、自らの俳句を豊かにしている。



メデタシメデタシ、と書き終えようとしていたら、第9回田中裕明賞を小野あらた『毫』が受賞したと発表された。

http://furansudo.com/award/2018/2018.html

『毫』はすぐれた句集だ。受賞に異論はない。

けれど、田中裕明という人がどれだけヤバくて、俳句の可能性をひらいた人で、そして自らはその可能性の全てを実現することなく世を去ったことを思ったら。

福田若之『自生地』と同時受賞でもよかったんじゃないか、と。俳句には、こっちとこっちの可能性がありますよ、ということを示すのでよかったんじゃないか、と。

これは観客席からの勝手な意見ではあるけれど、裕明賞は必ずしも俳壇的ではない貴重な賞だったので、惜しかった。

福田君惜しかったではなくて、田中裕明賞惜しかった、と思ったことだった。




肉化するダコツ⑧ 水底に仰向きしづむおちつばき 彌榮浩樹

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肉化するダコツ⑧
水底に仰向きしづむおちつばき

彌榮浩樹



蛇笏の句からしゃぶり取る、俳句の秘密。
それをめぐる極私的考察、その8回目。

今まで<肉化>した句に比べて、描出している内容、描出の仕方ともに、地味で静かな写生的な句であるが、今回の〈肉化〉の眼目は、対象を静かに把握・描出しているその仕方の機微ではなく、下五の「おちつばき」というひらがな書きについて、だ。

いつものように、原句をいくつかいじって(漢字とひらがなのみの改変)みよう。

水底に仰向き沈む落椿       ・・・a
水底に仰向きしづむ落椿      ・・・b
水底に仰向きしづむおちつばき   ・・・c(掲句)
みなぞこにあふむきしづむおちつばき・・・d

どうだろうか。落椿のありようの描出としては、abでよい。むしろabの方が、原句cよりも、椿の花や蘂の色形がくっきり見えてくる気がする。

aとbとをさらに細かく比較対照してみると、aは「沈む」という意味の次元での理解が強く表出されるが、そのぶん、bに比べるとやや表現が性急だ、という印象を受ける。bは、「しづむ」のひらがな表記が、「沈む」という意味の形象化を超えて、落椿が沈んでいる水のありようまで映像イメージとして描出しているようにも感じられる。「水底」「仰向き」「落椿」という漢字表記は、句の内容の映像的な輪郭・表面イメージ造型に寄与しているが、そのぶん(この句においては)a「沈む」の漢字表記はやや情報が濃く出すぎていて、b「しづむ」の方が沈んでいる「落椿」が見えてくる、ようだ。あるいは、aは「沈む」動きを、bは沈んでいる静的な状態を、描出している、とも言えるだろうか(このへんは、まったくの個人的感覚なので「えっ、逆じゃないの?」と思う方もいらっしゃるかもしれないが)。

結局、この句の理想形、いちばんバランスの整った美しいかたちは、bだと僕は思う。

ところが、蛇笏は掲句cのようにあえてひらがなで表記した。それは、いわば、理想形からの逸脱である。

このc「おちつばき」は、ab「落椿」そのものの材質・佇まいの描出ではなく、奥に落椿の存在する水のゆらぎ・濡れ・きらめきをひらがなの浮遊感を用いて精妙に描出した句なのだ、というような穿った評もできなくもない。
しかし、今回、この句に関していちばん大切なことは、そのような「おちつばき」のひらがな表記の効果による浮遊するイメージの立ち現われ、などとは全く別の次元の、ひらがな表記それ自体のインパクト、についてなのだ。
しかも、それが、不格好さ・気色悪さという負の感触を帯びたインパクトなのである。この句の「おちつばき」は理想形から外れた不気味な匂いを放っている。それが、この句を、ありがちな佳句ではなく、(僕にとっての)忘れられない個性的な一句にしているのだ。

ひらがな表記といえば、蛇笏の句では、何といっても、

をりとりてはらりとおもきすすきかな

だ(全句集を読みなおしてみると、蛇笏には<全てひらがな>の句は数十句もある)が、この<全てひらがな>という大仕掛けは、派手なぶん真似しやすくもあるが、あざとさが目立ったりもする。改悪したdなど、意味を汲み取ることさえできない、駄句以前の片言になってしまった。
おそらく、「すすき」の句は、詠まれている物体が「すすき」のみであり、「おもき」というひらがなでは意味の解しにくい言葉も、すぐ上に「はらりと」の擬態語があることですんなり了解できる、という構造になっているのが成功の秘密なのだろう。
対照的にdは、「水底」「落椿」という二つの事象の位置関係のありようが表現されなければならないので、ひらがなだけでは説明未熟の、意味不明なものでしかなくなってしまうのだ。

ちなみに、蛇笏の、オールひらがなの「おちつばき」にはこんな句があるが、「すすき」の句と似た構造のために、(佳句とも言えないが)dほどの駄句ではない。

ひとつづつながれてゐざるおちつばき
あながちにはかなからざるおちつばき

で、掲句cだ。
理想形のbに対して、「おちつばき」がひらがなで表現されているという負の逸脱を犯しているのだが、それによって、一種の違和感、気持ち悪さ、が味わいとして加わっている。それが、読み応えとしての〈苦味〉になっている。
この連載ではこれまで、蛇笏の句に対して〈完璧〉という評言を何度も使ってきた。実際、蛇笏には(僕にとって)圧倒的に〈完璧〉を感じさせる句が多いのだが、この句はそれとはまったく別の系統なのだ。
逸脱、違和感、過剰。
蛇笏の句には、こうした意味で僕を揺さぶり、不安に陥れるものも多い。
掲句も、「おちつばき」では、一瞬、意味が像を結ばず、「あれ?」と考え、ようやく「ああ、落椿か」と理解できる。

ひらがな書きによるこうした効果(一瞬の、意味の無化・脱意味化)を<呪文化>と呼んでおこう。
あえてひらがな表記にする<呪文化>によって、違和感・苦みを添える。
負の逸脱・違和感によって、俳句作品が、その<醍醐味=さまざまな風味の混然となった複雑な味わい>を増すのだ。
蛇笏じしんはそんなことを意図して「おちつばき」と表記したのではないだろうが、僕は、この句をそのように<肉化>する。

ひらがな表記の<呪文化>が(季語ではないが)印象的な蛇笏の句は、他にもいくつかある。

こくげんをたがへず夜々の青葉木菟
霜踏みて碑の寂光をたんのうす

「刻限」→「こくげん」、「堪能」→「たんのう」、たいへん違和感があり、だからこそ忘れがたい二句だ。
この<呪文化>を含む句が、晩年になるほど増えてゆくのが、興味深い。
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