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〔名歌にしたい無名歌〕Robin D Gillの古狂歌考 robin d. gill(敬愚)

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名歌にしたい無名歌
Robin D Gillの古狂歌考

robin d. gill(敬愚)


いきなり初桜の写真がFB友のペイジに見たら、名歌にしたいかどうかまだ意見がない三首の連想文が出てしまった。俳句数奇の皆さんのご意見を待つ。名歌は、ありますか。


南より花に追われて雁がねは残る寒さを引き連れて行く 晒楽斎E1808

The cherry blossom host in hot pursuit, our geese honk bye-bye!
as dragging along the remnant cold and snow, awaaay they fly!

白水社から『誤訳天国』が出た間もなく、諸々書評に余った「痛棒」と異なり、拙著は翻訳者の玉子の彼女の喉元に匕首の先と受けて、その業を辞めるしかないと云う切なき愛読者カードが届いた。言うまでもなく直ぐ連絡を取った。その意識はありがたいし、良心の咎める人こそ、辞めたら困るぞ、と翻訳を続くように励んだ。英和訳の単行本の仕事も見つけて翻訳チェックに協力しましたが、その人は大変な努力家だけではなく、超まじめで大切と思われる道徳と政治と責任の問題を組み合わせる史書の本選びも悪くないから、現在、一文もない世に忘れている小生に比べて遥かに出世・名声も(?)あるが、今朝そのFBポストに冷えながら桜が咲いた証明の写真を拝見しました。寒がり屋っぽい文章も伴ったから、コメントに入るように『古狂歌 ご笑納ください』から上記の首を借りた。英訳こそ無かったが、安いGalloのCabernet Sauvignon数口ほど呑めば、ご覧になる脚韻ふんだ狂訳の中でも変てこなものが十分の内にできた。

この春は八重に一重をこきまぜて厭が上野の花盛り哉  蜀山人 後期E

去った春で日本の最後の花見は、古学数奇の随筆家又拙著『誤訳天国』の編集者の鶴ヶ谷真一と乾杯した。上記の翻訳家と一緒に仕事もしたが、残念ながら氏はFBどころかネットに出てくれない昔男だ。上記は奈良の八重桜の名和歌のもじり(元禄花見踊の歌詞)のもじりにもなるが、英訳無理なるこの狂歌が詠まれた四、五十年後になる上野の戦いを、少しでも聞いたら、歴史音痴なる敬愚も、泣いた。その日も冷えたし、目に埃も入たが、昔のままの真面目な人が語り手だったから、ようわからない。只今も正義なる良心ある人間は千年後に残れば決して忘れていないシーリアのAfrin/Efrinを残虐なるトルコの暴君の空襲や連れの邪教のジハードから小武器を手に死ぬまでも守ろうとするクルドの勇気ながら優しい男女のためにも、その平和と多様な民族と宗教に寛容で人権も守る中東の将来の唯一の希望の星のユートピアのためにも、彼らとその夢でない素晴らしい現実と可能性を見捨てている欧米日等のいわゆる先進国の情けない人々のためにも、写真ながら桜の花を見ると目が潤む。とは言って、あのクルドの女の子は“V”サインを見せながら笑って戦いに出る。親友が次々と亡くなるも、踊りつづくではありませんか。陽気でなければ、仕事は捗らない。それがもの書きであれ、もののうであれ。心の味直しに気の薬をのみ、否や読みましょう。

山々の貰い笑ひか にっこりと動き初めにし花の唇 先賀詠 K1815

Would they be catching the giggles from our laughing hill-sides,
all these cherry blossom lips that have started to crack smiles?

この狂歌を教歌書に入れて、山の笑ひと花弁の唇を小学生か中学生に紹介する用例に使ったら、いかがでしょうか。早く帰日して日本の友人と呑み、学生と狂歌を読み、よい気の薬になる本を共に、つまり共著したい。高校か大学か出版社が小生を雇って下さったらビザが手に入り次第とんで行く。


※上記三首ともrobin d gill『古狂歌 ご笑納ください』2017より。上記を読んだ翻訳家の友人は、当の愛読者を書いた覚えがないで人違い、とEmailで知らせたが、古き日記+切り抜き帖を調べなければ、思い出は消えない。或いは、彼女の記憶が…。


  

週刊俳句 第568号 2018年3月11日

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第568号
2018年3月11日



近江文代 脈拍 10句 ≫読む
……………………………………………


名歌にしたい無名歌 
Robin D Gillの古狂歌考
……robin d. gill敬愚) ≫読む

・ハ3
俳句の電報、俳句の香木……小津夜景 ≫読む

2017落選展を読む 
5. 岡田由季 手のひらの丘……上田信治 ≫読む

【句集を読む】
日原傳『燕京』の二句
その手足……西原天気 ≫読む

岩淵喜代子『穀象』の二句
書物という世界……西原天気 ≫読む

【週俳2月の俳句を読む】
井上雪子 星空のように春へ ≫読む

小久保佳世子 たかがビー玉されどビー玉 ≫読む
 
山岸由佳 じっと見ている ≫読む

中嶋憲武西原天気の音楽千夜一夜】
第41回 笠置シヅ子「ホームランブギ」 ≫読む

〔今週号の表紙〕
 第568号 ドア……近恵 ≫読む

■イベントお知らせ
北大路翼× 上田信治「祈る俳句」@梅田 ≫見る

後記+執筆者プロフィール……福田若之 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

2017落選展を読む 5「岡田由季 手のひらの丘」 上田信治

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2017落選展を読む 
5「岡田由季 手のひらの丘」

上田信治

岡田由季 手のひらの丘 ≫読む


一〇〇〇トンの水槽の前西行忌

巨大な水槽の水の質量を食い止めているガラスの前で、この人は、その水が1000トンであることを思っている。それは、日常において死を想うことのメタファーと言ってしまってよいだろう。

「西行忌」といえば漂泊と、俳句では決まったようなものだけれど、大量の水の前で「たまたま死なないでいる」一瞬を、西行という人の生涯や作品に対置する。作者の、人生的なものをあつかう神経は、ヒリッと冴えている。

日常にむかうカジュアルな意識と、その少し外を見る非日常の認識。この作者の句の領域は、ふたつの世界にまたがってあり、文体も相応に書き分けられている。

露台より芦屋の街と海すこし
花槐留学生の集ふカフェ
走り出しすぐ消灯にスキーバス


これらは、まったく日常の意識。

「芦屋」「カフェ」「スキーバス」といった対象にむかって動く気持ちはごくわずかなのだけれど、そこに極微量の気持ちよさと面白さがある。文体的には、歌わずとてもフラット。

能面は顔より小さしきりぎりす
象の眼に微かなる酔ひ秋の暮
木枯に象の手触り残りをり
蒲の絮むかしの音を拾ひけり
鳥籠に指入れてゐる三日かな


これらは、日常の「外」へ向けられた認識。

「能面」「象」「蒲の絮」「鳥籠」といったオブジェを起点として、その向こう側にむけてはたらく五感を仮構して、そのカンジを引き寄せようとしている。言葉は、俳句らしい節を得て、歌を志向していると感じる。これらの句には、逆に日常意識らしきものは見えないのだけれど、次のような句。

熱帯夜骨煎餅を齧りをり
光源の方へ歩けば蕪かな
餅を待つ列の静かに伸びてをり


ここで選ばれる「骨煎餅」「蕪」「餅」という(オブジェと呼ぶには行儀の悪い)ブツたちの、面がまえがもたらすユーモアが、カジュアルな意識とミスティックな認識に橋を架けている。

というか、これらは二領域に架かる橋のような句だ。カジュアルさと神秘性がまじわらず、共存している。楽しい。

木琴のとなり鉄琴秋日差す〉〈灯台の小さき敷地や冬の鳥〉〈中国語話せさうなる昼寝覚〉〈バレンタインデー吹替の笑ひ声〉〈頭蓋骨同士こつんと冬初め〉などは、日常に、すこしの非日常あるいは向こう側のエッセンスを加えて、平成俳句の典型をなすような佳句。

第一句集『犬の眉』(2014)集中にも〈間取図のコピーのコピー小鳥来る〉〈デパートの海側にゐる冬初め〉〈空蝉を集めすぎたる家族かな〉〈自動ドアひらくたび散る熱帯魚〉〈触れられぬ茶碗がひとつ遠き雷〉〈運動会静かな廊下歩きをり〉と、このタイプの佳句良句が多くある。

ただ今回の50句を読んで、『犬の眉』の〈検眼の明るき世界水草生ふ〉〈犬の眉生まれてきたるクリスマス〉〈映画村あちこちめくりかたつむり〉〈七夕の仮設の道を歩きをり〉といったある種おさまりのわるい奇妙な句が、魅力的であったことを、思い出した。

「検眼の明るき世界」「犬の眉生まれてきたる」「映画村あちこちめくり」は、日常と非日常のブレンドたる幻想なわけだけれど、今回の50句中、自分がもっとも長く立ち止まった句は、

モノポリー蜆が砂を吐く間

この句、台所俳句のようだけれど妙なところがあって、え? 蜆に砂を吐かせて、その間にモノポリー? だれと? 平日にお客さんですか?

現実に引きつけて読めば、家事のすき間時間に、オンラインモノポリーを一人でやってるという情景だろうか。蜆が砂を吐くほどの意識で手を動かし計算をし、まったく自意識から解放された結果、もはや自由も退屈も感じない砂色の時間。蜆をただしく春の季語として、遅日の夕闇と薄寒さが迫る部屋でと読むことも可です。

「骨煎餅」や「餅」や「仮設の道」のように、ここにもまた、カジュアルさと神秘性が市松模様の白黒のようにまじわらずに両方あって、ああ変な感じ。

こういうのは、岡田さんの「つぎの」感じだったりするのかな、と勝手に楽しみにしています。


2017角川俳句賞「落選展」

後記+プロフィール 第568号

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後記 ◆ 福田若之


だめだ、後記に書くことを思いつかない、ああ、睡魔がもうそこまで来ている、と思いながら卓上にふと目をやると、 味の素の瓶が目に留まりました。

ああ、パンダだ。ややっ、反対側にも顔がある。でもなんでパンダ?

そんなことがふと気になって調べてみると、このタイプの味の素の卓上瓶を、アジパンダ瓶というらしい。アジパンダ瓶があるということは、当然、アジパンダなるものがいるわけです。

で、このアジパンダの公式プロフィールを見ると、「味の素®」アジパンダ瓶と一緒に生まれました、と書いてある。

なんと妹がいました。アジパンナというらしいです。なんだか某パン戦士の姉妹を思わせるネーミング。そういえば、あの姉妹を「お姉ちゃん」として慕っているクリームパンダというキャラもいましたね。それと意識したわけではなしに名付け方が似てしまったという感じでしょうか。

落ちとかは、とくにありません。しいて言えば寝落ちしそう(あれ、こんなこと前にも書いた気がします。自己類想?)。というわけで、今夜はこのへんで。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.568/2018-3-11 profile

■近江文代 おうみ・ふみよ
東京都在住。「船団の会」会員。

■ロビン・D・ギル robin d. gill
俳号・敬愚。ロビン・ギルとして一連の著作(日本語)で80年代の軽薄な日本人論をぶっ飛ばしてから、その自然主義にあった俳句の世界へと心移り、今度、 robin d. gillとして、やはり一連の著作が、俳句(主に俳諧)をめぐる。海鼠句千句もある480 頁のRise, Ye Sea Slugs!(2003), 蝿句同じ数あるが自然科学がすくない小本 Fly-ku!(2004)。今までほとんど翻訳されず新年部の句ばかり(20季題、2千句)のThe Fifth Season(2007)。桜、花見をめぐる三千句も超える740 頁のCherry Blossom Epiphany (2007).和文すべて入っているから、日本語の勉強、又、日本人読者にとって逆に英語の勉強のためになる。ブライスの大業につぐ、その翻訳の大河ドラ マが、スポンサーを見つけなければ、いつまで引き続くのか、心配。ご支持を願いたい。敬愚と号してbbsで句をいじけるが、のこしたい句のほとんどが、紙切れか、その時に読んだ本の表紙の裏側にあるから、失くす前に、人生の締め切りの前に、そいつを集め、選べ、直す暇が見つけるかどうか、さだかではない。 サイト「PARAVERSE ORG」

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。句集『フラワーズカンフー』 。ブログ「フラワーズ・カンフー

■井上雪子 いのうえ・ゆきこ
1957年、横浜市生まれ。2008年「山河」入会。2010年秋から吉野裕之に師事し、2012年「豆句集 みつまめ」創刊に加わる。

■小久保佳世子 こくぼ・かよこ
1945年生まれ。「街」同人。句集『アングル』。

■山岸由佳 やまぎし・ゆか
1977年長野県生まれ。「炎環」同人、「豆の木」参加。

中嶋憲武 なかじま・のりたけ
 1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■近 恵 こん・けい
1964年生まれ。青森県出身。2007年俳句に足を踏み入れ「炎環」入会。同人。「豆の木」メンバー。2013年第31回現代俳句新人賞受賞。 合同句集「きざし」。

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。句集『リボン』(邑書林)

■西原天気 さいばら・てんき 
 1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

福田若之 ふくだ・わかゆき 
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。句集に『自生地』(東京四季出版、2017年)、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。


〔今週号の表紙〕第569号 猫柳 大江進

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〔今週号の表紙〕
第569号 猫柳

大江 進



樹木のことはよくわからんという人でも、ネコヤナギ(猫柳)はさすがにほとんどの人が知っているにちがいない。とりわけ自宅で猫を飼っていれば、とても馴染みのある親しい樹であり花だ。ビロードのような銀色の柔らかく細い毛に包まれた花芽は、たしかに猫の名前をいただくにふさわしいと思う。


写真は夕陽を浴びはじめた鳥海山と、その鳥海山から庄内平野に向かって流れ出し日本海に没する月光川(がっこうがわ)の河川敷に繁茂するネコヤナギの群落である。大量の雪をまとった2236mの高山や、堤防などの残雪を背景にしているせいか、びっしりと付いたネコヤナギの綿毛は枝に付着した雪のようにも見える。



小誌『週刊俳句』ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第42回 美空ひばり「泣き笑いのマンボ」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第42回 美空ひばり「泣き笑いのマンボ」


憲武●戦後、笠置シヅ子の物真似で有名になった少女歌手がいました。それが美空ひばりです。というわけで「泣き笑いのマンボ」。



憲武●この曲、エキサイトするんです。気分が高揚するんです。

天気●ボンゴが大活躍ですね。

憲武●打て打てボンゴですからね。作詞美空ひばり。作曲松尾健司。演奏はコロムビアオーケストラです。当時、この手の曲は、リズム歌謡と呼ばれてたんですね。アレンジがマンボだったりボサノヴァやジャズだったり。

天気●1950年代は世界的にラテン音楽ブーム。日本にもペレス・プラド、トリオ・ロス・パンチョスなど大御所が相次いでやってきた。

憲武●日本って周期的にラテンブームが来ますよね。この曲、東映の「続々べらんめえ芸者」の主題歌なんですね。観たことないんですけど。昭和35年(1960年)ですから、美空ひばり23歳です。

天気●高倉健が共演。

憲武●結構共演してるんですよね。セリフがね、聞いてると普通ちょっと気恥ずかしくなったりするんですけど、それがない。感情と声の抑揚がいいんです。

天気●さあ、みんな! 歌ってよ! さみしくなんかありゃしない!

憲武●誰が泣いたりするもんか! 美空ひばりは生涯で150本以上の映画に出ましたから、歌手であると同時に女優でもあったんですよね。こういう曲もあります。

https://youtu.be/ZoE68tESaVU

憲武●作詞作曲編曲、米山正夫、演奏コロムビアオーケストラ。「ロカビリー剣法」。東映映画「花笠若衆」(昭和33年・1958年)の主題歌です。コロムビアオーケストラ、レベル高いっすね。そしてセットの豪華さ。すでにテレビに押されて映画が下火になっていたとはいえ、まだまだ活気がありました。

天気●映画館数、観客動員数とも、1960年頃がピーク。その後10年間で激減。どちらも映画黄金時代の最後の頃ですね。

憲武●着物の裾からチラッと覗く太ももにゾクっとしたお客さんいたんじゃないでしょうか。 


(最終回まで、あと959夜)
(次回は西原天気の推薦曲)

【週俳2月の俳句を読む】そういうときの 宮本佳世乃

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【週俳2月の俳句を読む】
そういうときの

宮本佳世乃


春風に吹かるる鳩を見て帰る  堀切克洋

春風は、基本的にはやさしい風。季節はまだ少し肌寒い。
休みの日や、ぽーんと余裕ができた日、
しゃらしゃらとしたスーパーの袋でも提げて、鳩を見て帰る。
この句を見ていると、のんびりしたくなる。

姿見の下の屑籠暮れかぬる  黄土眠兎

姿見も、屑籠も、最近はあまりきかない言い方だ。
だからこそ、暮れかぬるの世界観が生きてくる。
たしかに姿見の下には小さめの屑籠がありそうだし、
そういう空間にいるときの、なかなか暮れて行かないようす。
そういうときの、気持ちのありよう。


堀切克洋 きつかけは 10句 ≫読む
第564号 2018年2月11日
野口 裕 酒量逓減 10句 ≫読む
第565号 2018年2月18日
黄土眠兎 靴 10句 ≫読む
第566号 2018年2月25日
川嶋健佑 ビー玉 10句 ≫読む

【週俳2月の俳句を読む】本郷と言えば 菊田一平

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【週俳2月の俳句を読む】
本郷と言えば

菊田一平


本郷の坂ふつくらと春立ちぬ  堀切克洋

本郷と言えば即座に波郷の〈夜桜やうらわかき月本郷に〉と佐藤鬼房の〈金借りて冬本郷の坂下る〉の句が浮かぶ。それぞれ、春の夜のあたたかさと、冬の夜の寒々とした空気感を感じて好きな句だ。地形的に文京区のあの辺りはゆるやかな台地を形成していて坂がいくつもある。そのてっぺんにある本郷は心理的に皮膚感覚的に季節感をまざまざと感じやすいところなのではないだろうか。掲句の「春立ちぬ」を形容している「ふつくらと」にそんなことを感じながらこの句を読ませていただいた。

春浅し水蛸の白透きとほる  堀切克洋

真蛸と水蛸の違いは脚の付け根を見ればわかる。真蛸は脚の付け根がすっきりしているが、水蛸は脚と脚との間に水搔きのような皮膚が厚く付いている。刺身にしたときこの皮膚の舌触りが嫌いで断然真蛸派だったが、ある時札幌で食べた水蛸の刺身でこの認識が変わった。透き通るほどに脚が白く且つてないほどに美味かった。以来蛸の刺身は水蛸、しかも札幌のそれに限ると思っている。


風邪薬しゃりんと振って残業へ  野口裕

「しやりん」のオノマトペの使い方がとても上手い。あまり薬には詳しくないけれど、この音でこの薬が粉薬だったり顆粒状のものでないことがわかる。多分瓶入りの錠剤かカプセル状のものなのだろう。風邪薬のTVコマーシャルがいくつか思い浮かぶのだが名前が出てこない。それはそれとして、風邪を押しての残業とはまた辛い。現役を離れてだいぶ時間がたつけれど、そんな状態で仕事に戻ったいくつかの状況が、懐かしさとはまた違った想いで思い出されてくる。

鮒去りぬ氷の下の泥煙  野口裕

「氷の下の泥煙」のいい方が簡潔で景がとても鮮明だ。「氷の下の」とはいっても寒の内ではなく立春を過ぎて、そろそろ乗っ込みが始まるころの「薄氷の下の泥煙」なのだろう。鮒の機敏さが春の訪れを巧みに伝えている。


雪靴の試し履きなり雪を踏む  黄土眠兎

先日、何人かの俳句仲間たちと花巻の大沢温泉に吟行に行った。予め雪が多いと情報が入っていたからそれぞれ雪対策をしっかり考えたブーツやスノーシューズで出かけたがSさんだけはその上を行く新品の重装備の長靴のようなの雪靴だった。集合の駅でそれを見たときは唖然としたが、羅須地人協会の跡地でも賢治の下ノ畑でもにこにこしながら膝くらいの丈の雪道に平気で踏み込んで行くのを見てなるほどと思った。案の定Sさんは句会で高得点句を連発。きっと記念に残る吟行だったに違いない。

あたたかや新幹線にコンセント  黄土眠兎

なるほどと感心しながら読ませていただいた。今や誰もがパソコンを持ち歩く時代。新幹線の席にコンセントがあってもおかしくないし、それ以前からきっと電気カミソリ用のコンセントが洗面所に在ったに違いない。しかしそれに誰もが気が付くわけではない。まさに着眼の勝利。「あたたかや」の入り方がなかなかだ。


鯨潜り国境線は地図の上  川嶋健佑

ご存知のように食卓に上がる多くの魚が回遊しながら生きている。生まれた川に成魚となって戻って来るウナギやサケがそうだし、サンマやカツオやマグロがそうだ。とりわけその回遊範囲が広いのがクジラ。餌の発生や繁殖に合わせて地球を大きく回遊しながら生きている。人間が考えた国境線は回遊生物には当てはまらない。調査捕鯨以外の捕鯨が禁止され、生態系が崩れ始めるほどに増えたといわれるクジラたちが、潮を噴き、水しぶきをあげながら回遊する景を思い浮かべた。雄大でワクワクする一句だ。

冬空の下に今上天皇と香香と  川嶋健佑

下五の「香香と」で昭和天皇と納豆の話を思い出しておかしくなってしまった。ある時巡行先で納豆を知った天皇が東京に帰って侍従に「納豆が食べたい」といったらしい。天皇の調理番はしっかりと糸が引く納豆を用意したのだったが毒見のひとたちが「糸を引く腐ったものを陛下に食べさせるわけにはいかない」と湯通しいてしまい、天皇の口に入った時にはただの茹で豆のようになってしまっていた、というのだ。「今上天皇と香香」の場合は話がどんな流れになっていくのだろう。思うに今上天皇が考えた「香香」は、きれいに着色され、味の素の粒が光っている状態なのではなかったろうか。その先の顛末を是非川嶋君に教えていただきたい。もっとも「香香」が「沢庵」のことじゃないといわれればわたしのはやとちりで話はそれまでなのだけれども……。


堀切克洋 きつかけは 10句 ≫読む
第564号 2018年2月11日
野口 裕 酒量逓減 10句 ≫読む
第565号 2018年2月18日
黄土眠兎 靴 10句 ≫読む
第566号 2018年2月25日
川嶋健佑 ビー玉 10句 ≫読む

ハイク・フムフム・ハワイアン 4 荻原井泉水とハワイ 小津夜景

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・ハ 4
荻原井泉水とハワイ

小津夜景


 星が海までいつぱいな空には白いボート    荻原井泉水

ある一時期、ハワイに布哇俳句会(1926年発足)という名称の、荻原井泉水主催『層雲』に投稿していた人々によって運営される自由律俳句のグループがありました。

ちょっと驚いてしまうような話ですが、『層雲』の自由律俳句は、戦前のハワイ俳壇における二大潮流のひとつ(もうひとつはホトトギス主観派の室積徂春率いる「ゆく春」)なんです。『層雲』の名の由来である「自由の夏光耀の夏の近づき候際を以て出づる層雲」という一文に象徴されるように、この結社は「自由」と「自然」とをその主題にかかげ、単に自然を写生するのではなく内面の滲み出た詩となることを目指しており、これがハワイのおおらかな風土や移民の精神性にたいへんフィットしたらしいんですね。

井泉水という人はもともとハワイの俳句に興味があったようで、1913年かの地で出版された『布哇歳時記』に序文を寄せ「ハワイ歳時記の成立によって、単なる祖国憧憬や慰めの俳句を脱し、真の芸術としての俳句が誕生した」〔註1〕ことを述べています。さらにハワイの同人を熱心に指導するばかりでなく、1937年6月11日には単身でハワイに上陸してしまいました。同日の日布時事による取材に「私は海外の旅行は今回が最初であり、満鮮支那方面へもまだ行つたことはありません」答えています。

記事に見える〈影、日蔽のはためくのも布哇が見えさうな〉は記者の求めに応じて、井泉水がハワイ行きの船上から打った俳句の電報を、後日鉛筆で書き直したもの。とても素敵な字です。

井泉水がどのような日程で、いかなる俳句伝道をしたのかについては次週に譲ることとして、今回は彼の体験した「憧れのハワイ航路」な気分を、片岡義男のエッセイから引用しておしまいにします。

荻原井泉水が昭和13年に『アメリカ通信』という本のなかで、次のように書いている。  
「潮はほんとうに南国のブリュウである。その波にちりばめられている日の光もすばらしく華やかだ。また、日の熱も非常に強くなったことが感じられる。船員たちも、けさから皆、白い服に着かえてしまった。日覆(ひおおい)に、強い風がハタハタと吹きわたっている。デッキの籐椅子がよくも風に飛んでしまわないと思うくらいだ。この椅子に腰をおろして飲むアイスウォーターがうまい」 

このとき荻原井泉水は大洋丸という船でホノルルにむかいつつあり、横浜を去ること2453マイルの地点にいた。アイスウォーターとは、水のなかに氷をうかべたものではなく、水を冷蔵庫で冷やしたものだ。ハワイの家庭では冷蔵庫にいつもこのアイスウォーターが入っていて、訪問するとまずこれを飲ませてくれる。荻原井泉水はこのアイスウォーターが「うまい」と言っているが、ほんとうに目まいがしそうなほどにうまい。片岡義男「秩父がチャイチャイブーだなんて、すごいじゃないか」


〔註1〕 島田法子「俳句と俳句結社にみるハワイ 日本人移民の社会文化史」『日本女子大学文学部紀要』第57号、55-75 頁、 2008年

《参考資料》
「日布時事」1937年6月11日号

週刊俳句 第569号 2018年3月18日

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第569号
2018年3月18日


・ハ 4
荻原井泉水とハワイ……小津夜景 ≫読む

【週俳2月の俳句を読む】
菊田一平 本郷と言えば ≫読む

宮本佳世乃 そういうときの ≫読む

中嶋憲武西原天気の音楽千夜一夜】
美空ひばり「泣き笑いのマンボ」 ≫読む

〔今週号の表紙〕猫柳大江進 ≫読む


■イベントお知らせ
北大路翼× 上田信治「祈る俳句」@梅田 ≫見る

後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む


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後記+プロフィール 第569号

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後記 ◆ 西原天気


桜はもうすぐですね。といっても、それはソメイヨシノの話。すでに満開の桜もたくさんあります。そういえば、河津桜。伊豆・河津町の名物の早咲きの桜。とのところ都内にも増えてきたように思います。一足先に観光客を集めたいという魂胆?



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.569/2018-3-18 profile

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。句集『フラワーズカンフー』 。ブログ「フラワーズ・カンフー

■菊田一平 きくた・いっぺい
1951年宮城県気仙沼市生れ。「や」「晨」「蒐」各同人、俳句「唐変木」代表。現代俳句協会会員。 

■宮本佳世乃 みやもと・かよの
1974年東京生れ。2015年、「オルガン」を始動。「炎環」「豆の木」。句集『鳥飛ぶ仕組み』。

中嶋憲武 なかじま・のりたけ
 1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■大江進 おおえ・すすむ
1953年生まれ。本業は木工(注文家具・木製小物など)。鳥海山麓に住んでいることもあり、自然が大好き。ジオパーク認定ガイド。俳句は約20年前から作っていますが、最近は酒田市を中心として10名ほどのメンバーで「青猫」句会を毎月開催。ブログ www.e-o-2.com

■西原天気 さいばら・てんき 
 1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter


後記+プロフィール 第570号

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後記 ◆ 村田 篠


(Under Construction)


no.570/2018-3-25 profile

■高山れおな たかやま・れおな
1968年、茨城県生まれ。 句集『ウルトラ』『荒東雑詩』『俳諧曾我』。

■名取里美 なとり・さとみ
1961年伊勢生まれ。山口青邨の「夏草」を経て「藍生」所属。句集『螢の木』『あかり』(駿河梅花文学大賞)『家族』。ブログ「名取里美 こんにちは・俳句」https://natosato.exblog.jp/

彌榮浩樹 みえ・こうき
1965年鹿児島生まれ。1998年「銀化」創立とともに参加、中原道夫に師事。第二回銀化新人賞受賞。銀化同人。句集『鶏』(2010 ふらんす堂)。2011年「1%の俳句」で群像新人文学賞評論部門を受賞。

中嶋憲武 なかじま・のりたけ
 1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■大塚 凱 おおつか・がい
1995年千葉県生まれ。俳句甲子園第14、15、16回大会出場。「群青」同人。

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。句集に『自生地』(東京四季出版、2017年)、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

■西原天気 さいばら・てんき 
 1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■村田 篠 むらた・しの 1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」


中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第43回 The Mirraz「NEW WORLD」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第43回 The Mirraz「NEW WORLD」


天気●映画を観ていたらエンドロールだったかな、これがかかってね、えらく早口。加湿器、もとい歌詞付きの動画があったので、それを。



天気●The Mirrazは「ザ・ミイラズ」と読むらしいんだけど、このスペルだと、ミラズですよね。

憲武●ミラズです。

天気●納得行きませんよね。ま、それは置いておいて、その映画というのは『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年/石井裕也監督脚本)。ポエムみたいなタイトルだなあと思ったんですが、実際、原作が同名の現代詩の本(最果タヒ)でした。

憲武●それ、読みました。池袋ジュンク堂の詩集のコーナーで見つけたんです。面白かったので、「死んでしまう系のぼくらに」も読んでみました。最果タヒ、男性とばかり思ってたんですが、女性なんですね。映画も借りて観ました。映画は詩集とは別物ですね。

天気●この本、物語になっているわけではなく、映画にするとき、詩や詩の一節から映画のストーリーを起こしたようです。なんでこんな映画を借りて観たのかというと、池松壮亮という俳優にちょっと興味があったから。『セトウツミ』(2016年/大森立嗣監督)が面白かったんですよね。

憲武●なるほど。池松壮亮、いいですよね。ぼくもわりと観てます。「ラストサムライ」「愛の渦」「紙の月」とか。

天気●さて、この早口のロック、歌詞も面白い。閉塞感が強いわけですが、近年の我が国ね。そこから、「もう新しい時代に行こう」というメッセージがいろいろなところで出始めたのが、この数年という感じ。

憲武●かなり閉塞してます。行けるもんなら行きたいです。

天気●どこでもいいから、どこかへ行こう、という感じ。

憲武●ベルギーでもパプアニューギニアでも武蔵新田でも。

天気●途中、例えば、

足でもRUNでもチャリでもカブでも
ピノでもバスでも小田急線でも
ロマンスカーでもつばめでものぞみでも
ひかりでもこだまでもカヌーでもフェリーでも
タイタニックでも海賊船でも
ANAでもJALでもスプートニクでも
ノアの方舟でもなんでもいいぜ
新しい世界へそいつで行こうぜ♪

憲武●歌いますね。エンドロールに曲が流れてるときは何歌ってるのかほとんどわかりません。早口。字幕付きPVでよくわかりました。

天気●ところで、ピノってなんだ? と思って調べてみると、日産の軽自動車らしい。

憲武●ぼくはまたアイスクリームかと。ピノ好きです。

天気●新しい時代がすぐそこまで来ているのかどうか。わからないんだけれど、とにかくポジティブに、なんでもいいから前向きに、というのは悪くないと思うんですよね。


(最終回まで、あと958夜)
(次回は中嶋憲武の推薦曲)

肉化するダコツ⑦雁ゆきてべつとりあをき春の嶺 彌榮浩樹

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肉化するダコツ⑦
雁ゆきてべつとりあをき春の嶺

彌榮浩樹



蛇笏の句から、俳句の秘密をしゃぶり取ろう。
そんな目論見を持った極私的考察、その7回目。

掲句、これもまた、<ド蛇笏な句>だ。
一見単純な句にみえるが、どうしてどうしてなかなか手ごわい句。
俳句表現の上でのキモは、3つあると思う。

1.「べつとりあをき」
2.座五が「春の空」ではなく「春の嶺」であること
3.「~春の~」のかぶせ

1.について。
「べつとり」という素材の触感を現わす形容に「あをき」という色彩の形容を重ねることで、濃厚な春(→3と関わる)の空&山(→2と関わる)の<触感>が、不思議な味わいで描出されている。
これを<共感覚>と呼ぶべきかどうかは微妙だ。「べつとり」は触感の形容詞だが、視覚的に「べつとり」状態を見てとることは珍しくもない。「べつとりあをき」は視覚的印象の表現として、さほどアクロバティックな表現ではない。
ただし、「べつとり+色彩」と直結させる表現は(よく考えてみると)そうそう見られるものでもないはずだ。結果として、「べつとりあをき」という措辞が、「べつとりあをき」色彩を<リアル>な<感触>として読者に感じさせている。これは地味ではあるが、俳句作品において決定的に重要なことだ。
アタマで意味を理解させる次元とは別に、<感触>を<リアル>に体感させる。
わずか十七音の俳句作品のなかでは、言葉の、そうした働きを果たす<筋力>が大切なのだ。

例えば、中七をいじって、
雁ゆきていよいよあをき春の嶺  (改悪a)
とすると、<リアル>な<感触>はずいぶん減殺される。綺麗な風景を、記号として表現しただけになってしまう。

重要なのは、「べつとり」が、“粘り気が強いさま”という意味を伝える記号であるとともに、「べつとり自体べっとりした感触を帯びた言葉だ、ということ(オノマトペの本質)だ。
だから、「べつとりあをき」は、(「ああ、べっとり青いんだな」という意味の次元で理解させる以前に)<感触>として「べつとりあをき」を読者に体感させる(いわば塗りつけてくる)のである。

2.について。
「雁ゆきてべつとりあをき春の~」と来たら、普通は「~で終わるはずではないか。
この句は、読者のそうした「読み」を前提としていると思う。逆に言えば、「雁ゆきて/べつとりあをき春の嶺」と、中七「べつとりあをき」を下五「春の嶺」の形容として読むことは、まずはしないはずだ。
しかし、事実この句は「春の嶺」で終わっているのだから、最終的に「べつとりあをき」なのは「春の嶺」なのである。これは、とんでもない措辞だ。「べつとりあをき」以上に、この下五の「春の嶺」こそアクロバティックなのだ。
この、下五の「空→嶺」へのイメージの切り返しは、例えば梅原龍三郎の絵を想わせる濃厚な量感を湧出している。

仮に、
雁ゆきてべつとりあをき春の空  (改悪b)
と素直に「空」で終わると、原句よりも柔らかな触感は深くなるものの、表現が素直すぎてイメージの<触感>が平板になってしまい、むしろ逆に「べつとり」が浮いてしまう。
そう。原句「べつとりあをき春の嶺」は、夏の「青嶺」の予兆までも秘めた、複雑なイメージの膨らみまでも孕んでいるのだ。

3.について。
この、句の途中に「~春の~」「~秋の~」と季をかぶせるのは、蛇笏の必殺技のひとつ、だ。この連載の一回目に挙げた「蟬落ちて鼻つく秋の地べたかな」もそうだし、おそらく最終回に取り上げるだろう「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」も「~秋の~」のかぶせの見られる句である。
ただ、その二句は「蟬」「風鈴」という夏の季語のあとに「~秋の~」とかぶせ、季感を湾曲させる<ねじれ>を生じさせていたのに対し、掲句は、「雁ゆきて」も春の季語だから、「~春の~」が、春に春を重ねる<かさね>の働きをしている。
この「~春の~」は、もちろん、春ですよという意味を伝える記号ではない。「春」独特の“ふくらみ・ひろがり”の<触感>を増幅しているのだ。

ここで、上五を少しいじって、
ゆく雁にべつとりあをき春の嶺  (改悪c)
とすると、どうだろうか?
原句に比べて、こちらの方がより柔らかな<触感>が感じられる。ただ、こうなると今度は、柔らかすぎる、のではないか。
原句
雁ゆきてべつとりあをき春の嶺
は、c「ゆく雁に」(とりわけ「に」)と比べて、上五の「雁ゆきて」(とりわけ「て」)のきっぱりとした<触感>が、最後の「嶺」の量感とも響き合い、やわらかすぎない<ふくらみを纏った屹立感>を感じさせるように仕上がっている。だから、この句はやはり「雁ゆきて」の頃の「春の嶺」の<触感>を表現した句、なのだ。

と、まあ、(冒頭に述べたように)なかなかどうしてたいへんに手ごわい句、なのである。
この手ごわさが、わずか十七音の俳句作品の醍醐味なのだ。

おまけに、蛇笏の春の「鳥」の句を三句。どれも濃厚で不思議な<触感>の句だと思う。
泪眼をほそめて花の梟(ふくろ)かな
老鶴の天を忘れて水温む
谷梅にとまりて青き山鴉
また、掲句と対になるような、こんな夏の句も蛇笏にある。
むらさきのこゑを山辺に夏燕
掲句と並べると、<トポスとしての山廬>というものへ、想いが誘われる。

雪女とクリームソーダ 福田若之

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雪女とクリームソーダ

福田若之


このツイートを読んで、興味深いと感じた(牙城さんのツイートは、俳句についていろいろ考えるきっかけになることがあって、ときどき見に行っている)。「雪女」は、季題として、なぜ天文の部に分類されているのか。

ただし、現に歳時記を編纂する立場から「雪女」をどう分類するのが妥当か、という問題には、正直なところ、そこまで関心が持てない。というより、それはあくまでも個々の歳時記の編纂者がそのつど考えればよいことだと思う。

そもそも、歳時記の分類というのは、とてもではないが厳密なものとは言いがたく、曖昧さを孕んだ便宜的なものにすぎないのではないだろうか。たとえば、今日市販されている多くの歳時記では、「河豚」は動物、「河豚汁」は人事に分類されていて、それだけ見れば、まあそうだろうな、と思うのだが、いざ「河豚」の例句を読んでみると、みなさん河豚食べまくってたりするわけである。おいしいですよね。

話を戻すと、「雪女」をどう分類するのがよいかという問いには、たぶん、はっきりした答えがあるわけではなくて、結局のところ、どういう歳時記にしたいのか次第だと思う。

けれど、「雪女」がなぜ天文に分類されてきたのかは、もしかすると、季題についての、ある時代の考えそのものに関わることかもしれない。だから、そのことは僕にとってもたしかに興味深いことだ。

すこし調べてみると、「雪女」というのは、それなりに古くから通用していた横題だったらしい。『毛吹草』にも、「誹諧四季之詞」のひとつとして「霜月」のところに小さく記載されているし、『俳諧歳時記栞草』には、「深山雪中稀に女の貌を現す、これを雪女といふ、雪の精なるべし」とある。ただし、これらの書では「時候」や「天文」といった部類での分類がされているわけではない。

ちなみに、1933年(昭和8年)に改造社から刊行された『俳諧歳時記』(全5巻)では、692項の季題が時候・天文・地理・人事・宗教・動物・植物の7部門に分類されており、「雪女」は、「雪女郎」の傍題として、すでに天文に分類されている。

まあ、なにしろ「雪の精」なのだから、「雪」と同じく天文に分類するというのは、それなりに理屈が通ったことかもしれない(もちろん、これはあくまでも個人的な感覚としてだけれど、「動物」よりは天文のほうがしっくりくる)。

しかし、それでは「佐保姫」や「龍田姫」が今日の歳時記においてしばしば天文に分類されているのはどうしてだろう。「冬将軍」とかは「冬」の傍題で時候なのに。

たしかに例外もないことはない。管見のかぎりではふたつ見つけることができた。ひとつは、辻桃子・安部元気『増補版いちばんわかりやすい俳句歳時記』(主婦の友社、2016年)で、「佐保姫」と「龍田姫」をともに時候に分類している。もうひとつは3年ほど前に新装ワイド版が出版された平井照敏編『新歳時記』シリーズ(河出書房新社、2015年、全5冊・別巻2)で、「佐保姫」のみ「春」の傍題として時候に分類している(「龍田姫」は収められていない)。だが、先日出版されたばかりの角川書店編『俳句歳時記 第五版 春』(KADOKAWA、2018年)をはじめ、少なからぬ歳時記がこれらの季題を時候に分類しているのである。

もちろん、佐保姫や龍田姫は、冬将軍などとは違って、単なる季節の擬人化ではない。そもそもは、五行説における方角と四季の対応関係に由来してそれぞれに春秋を司るとされることになった山の神霊だ。けれど、このあたりの成り立ちが、「佐保姫」や「龍田姫」を天文に分類する理由に関わっているとはどうも考えづらい。

山の神ということもあってか、佐保姫は霞を身にまとった姿で想像されるし、龍田姫は錦を着飾った姿で想像される。とはいえ、これが理由で「佐保姫」が「霞」と同じ天文に分類されているわけではない。「龍田姫」が「紅葉」と同じ植物の部に分類されるのかといえば、もちろんそんなことにはなっていないわけだ。それならば、むしろ、「佐保姫」といえば春の佐保山を思い、「龍田姫」といえば秋の竜田山を思うのだから、いっそ地理に分類しよう、という提案のほうがまだしも納得できる。

そもそも「地理」なり「時候」なりに分類されていたら、あんまり不思議にも思わなかったかもしれない。ちなみに、件の改造社版『俳諧歳時記』では、奇妙なことに、「佐保姫」は天文に分類されているのに「龍田姫」は時候に分類されている。改造社の『俳諧歳時記』は季節ごとに解説者が異なっているので、このようなことが起こったのかもしれない。春の部の季題解説は高濱虛子、秋の部は松瀬青々。虛子の解説文はいわゆる口語体なのに対して青々の解説文は文語体であり、こうしたことからも執筆者の裁量に任せられた部分が非常に大きかったことが想像される。ただし、参考執筆者の欄を見ると、いずれの部も時候・天文の部の担当者として気象学者である國富信一の名が記されている。

子規はどうだろう。俳句選集の『春夏秋冬』は時候・人事・天文・地理・動物・植物の6分類を採用しているけれど、「佐保姫」や「龍田姫」の採録はない。ただ、『寒山落木』の明治26年および明治28年の「龍田姫」の位置、さらに明治26年の抹消された「佐保姫」の位置から、子規はこれらを時候の季題と考えていたことがわかる。

もしかすると、「佐保姫」や「龍田姫」が、今日市販されている少なからぬ歳時記において天文の部に分類されているのは、虛子の判断に由来するところが大きいのだろうか。西村睦子『「正月」のない歳時記――虚子が作った近代季語の枠組み』(本阿弥書店、2009年)は、改造社版の『俳諧歳時記』とその翌年に三省堂から出版された高濱虛子編『新歳時記』(三省堂、1934年)を中心に、さまざまな書物の比較検討を通じて近代的な季語・季題の枠組みの成立に虛子が深くかかわっていたことを実証的に明らかにしているが、この「佐保姫」と「龍田姫」の分類に関しては、特に記されていない。

いずれにせよ、これらを天文に分類するのは、今日の僕らにとっては思いもしないような思考の枠組みが作用した結果だというふうに考えるのが自然ではないだろうか。それがはたしてどういった枠組みなのかは、知らないけれど。

歳時記といえば、「クリームソーダは季語かどうか問題」(と、僕が勝手に名付けた問題)もあった。今井聖「虚子編『新歳時記』を読む」の第3回「「ソーダ水」について」において提起されている問題だ。この文章に、「クリームソーダはアイスクリームと曹達が使ってありますが、これは季語なのでしょうか。恐らくダメなのではないですか」と書いてある。どうしてそんなことが問題になるのかというと、その事情についてはこう書いてある。
ソーダ水は虚子の時代のハイカラな特定の飲み物です。『新歳時記』には「炭酸曹達を原料として作った清涼飲料水」とありますが炭酸曹達を原料としている清涼飲料水ならばみな季語になるわけではありません。
たしかに、季題としての「ソーダ水」は「炭酸曹達を原料としている清涼飲料水」一般を含むとは言えない(ちなみに、いまでもたとえば神保町のさぼうるとかに入るとふつうに「ソーダ水」というメニューがあります。色を選べるのが楽しい)。けれど、これはちょっと話がずれている気がする。

「ソーダ水」とは別に「ラムネ」や「サイダー」といった炭酸飲料が夏の季題とされるように、「クリームソーダ」だって場合によっては季題と見なしうるのではないだろうか。あとは、それを「ソーダ水」の傍題と見なすかどうかの問題だろう(実際、改造社の『俳諧歳時記』は先に記したとおり1933年(昭和8年)刊で、今井聖が話題にしている1934年(昭和9年)の虛子編『新歳時記』とほぼ同時代のものなのだが、その夏の部の「ソーダ水」の項には、すでに「アイスクリームソーダ」という傍題が挙げられている。 ちなみに、夏の部の季題解説は青木月斗、ソーダ水が収められた人事の部の参考執筆者は国文学者の武田祐吉)。

で、そんなことに思いながら読み進めていったところ、文章の終わりのほうに「スタバでキャラメルマキアートを頼んだのならそう詠めばいい。キャラメルマキアートには氷が入っているから百パーセント夏の季語になると思います」と書いてあって、これには思わず笑ってしまった。突っ込みどころはすくなくとも三つあって、それは次のとおり。
1. そもそもキャラメルマキアートは氷が必ず入っているとは限りません。単にキャラメルマキアートとだけ聞いたらホットのほうを思い浮かべるひとが多いのでは?

2. むしろクリームソーダには氷入ってますよ、ふつう。

3. というか、氷が入っている飲み物ならばみな季語になるわけではないでしょう、それこそ。
とはいえ、まあ、どんな歳時記も、突き詰めてしまえばこういうよくわからない分類のもとに成り立っているのかもしれないなあ、とは思う。まあ、季題かどうかは別にして、たしかに「スタバでキャラメルマキアートを頼んだのならそう詠めばいい」っていうのは、一理あるけれど。

ところで、聖さんの文章で肝心なのは「クリームソーダは季語かどうか問題」ではないので、それについては一言書き添えておきたい。
僕が「ソーダ水」を一例として申し上げたいことは、虚子が時代の先端をいく季節の飲み物として採用した季語「ソーダ水」は今や郷愁か、よほどのお年寄りが頼む飲料になってしまったということ。ならば、虚子が自分と同時代の世界を「写生」したように僕ら自分の眼で見て体験した世界を詠いたい。
要するに、説明がよくなかったというだけだ。この一節だけ読めば、その主張は、ひとりの作家が個人的な創作態度を明らかにしたものとしておおむね明瞭であり、「ならば」の飛躍を除いては不審な点はほとんどない。それに、この飛躍にしても、読み手の側で充分に思考の筋道を補うことができるものだ。ただ、「ソーダ水」という言葉が歳時記に季題として立項された当時の文脈を説明するうえで「クリームソーダ」という言葉を持ち出したところに、というか、その持ち出しように問題があったというだけのことなのである。

ちなみに、「クリームソーダ」は季題かどうかという問いに対しては、僕ならこう答える――「クリームソーダ」がそれ自体として季題であったり、そうでなかったりするわけではない。ただ、「クリームソーダ」を季題とする句は書きうるだろうし、読みうるだろう。

このことは、突き詰めれば、「クリームソーダ」のような言葉ばかりではなく、「春」や「夏」といった言葉についてさえ言えることだ。わざわざ《嗚呼夏のやうな飛行機水澄めり》(佐藤文香)といった例を持ち出すまでもない。《春の浜大いなる輪が画いてある》(高濱虛子)において季題とされているのは、「春」ではなく「春の浜」なのである。

さて、このへんにしておこうかと思うけれど、雪女とクリームソーダを楽しみながら過ごす春の週末というのも悪くないな。ほら、舌が緑色になっているよ。

句集を読む 福田若之『自生地』を読む 高山れおな

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句集を読む 
福田若之『自生地』を読む 

高山れおな


『自生地』(二〇一七年 東京四季出版)を読んで、一種、別格の感じを持った。過去三十年の間にいろいろな新刊句集に触れたが、別格などという空疎とも取られかねない大仰な言葉をあえて使いたいと思った句集は、安井浩司の『句篇 ―終りなりわが始めなり―』(二〇〇三年 沖積舎)くらいなものだ。あまりに唐突な比較と思われようが、これは当方の素朴な実感に過ぎないからまずはご海容を請う。

いちおう、両者が確実に似ている点をひとつだけ指摘しておく。それはその規模で、『句篇』が千八十二句を収めるのに対して、『自生地』は千七十六句。もちろん『句篇』は安井の十四冊目の句集であり(その後、千句以上を収録する句集がさらに四冊出ている!)、他方『自生地』は福田若之の最初の句集なのだから、上記の事実をもって両者がその多産性において共通するなどというわけにはいかない。福田が俳人として今後どんなふうに歩を進めてゆくのかは、全く予想もつかないというのが正直なところだ。ただ、とにかく『自生地』の福田の、ほとんど読者の都合などおかまいなしに、作り手としてのエネルギーの奔出に身を任せている姿には、安井のそれをさえ思わせるものがある(繰り返すが先のことは知らない)。

『自生地』の、では何が筆者に別格とまで思わせたのか。自己の人生の感情の劇を総体として書ききっていること、そしてそれが同時に俳句の言葉の冒険として完遂されていること。概括してしまえばなんでもないようだが、人生の感情の劇を総体として書ききるなどという志向性は、少なくとも三十年来の(ということはつまり平成の)俳句には基本的に無かったはずだ。福田も参加したアンソロジー『俳コレ』巻末の合評座談会で、岸本尚毅が福田の〈最近の句〉について〈ちょっと古い感覚の青春かな〉と述べているのはだから、平成の俳句の主導的な作者の一人が福田の句に対して口にする感想として、とても自然である。『自生地』には、岸本たちの世代によって回避された古い青春、あるいはもっと汎用性の高い言い方をすれば古い主体(文学的な主体!)が回帰してきたようなところがあるからだ。

複数の評者(相子智恵・青木亮人・上田信治・関悦史・トオイダイスケ)が本句集をめぐって「切実」「シリアス」といった言葉を漏らしているが、この句集の主体を提示することへのひるみのなさに対する感銘があってこそだろう。病苦とも貧苦とも老苦とも無縁の現代の若者の句集にこうした語が向けられるのを、当方は初めて見たような気さえする(最晩年の森澄雄が、角川春樹の句集を「切実」と評している現場になら居合わせたことがあるが)。その一方で、福田の作品がたとえばかつての人生探求派的な表現と似ても似つかないものになっているのは、言語で表現する行為自体が表現の俎上に乗せられる、メタ的な水位が一貫して意識されているからである。メタテキスト性がはらむ空虚と、その空虚を通じてしか触れえない現在が、広大なモザイクと化して、作者の生の、感情の軌跡を織りなす――いや、ほんとに別格だと思います。

福田は集中に大量の詞書を組み込み(句集中盤にはエッセイと呼ぶべき長いものも出現する)、●によって全体を細かく分節してゆく。分節された句の塊りは、強い連作性を帯びる場合もあれば、そうでない場合もある。詞書の主たるモティーフとなっているのは、句集編集の過程そのものであり、一巻は、〈孵る。それは、二度と戻れない仕方で帰るということだ。別の自生地に。〉という詞書と、

 やわらかいかまきりのうまれたばかり

という、句集誕生を告げる句と共に閉じられる。この枠組はプルーストの『失われた時を求めて』を参照したものだろうが(集中には〈母の日の転がって読むプルースト〉なる句も見える)、しばしば過去(それもかなり遠い)の記憶の薄明の中から句を紡ぎだす身ぶりを見せるこの句集は、枠組のみにとどまらず、もっと端的な意味でも福田版「失われた時を求めて」なのかもしれない。

気がつくと、ふたたびひどい部屋のありさまで、僕はそこに棲んでいる。
 梅雨の自室が老人の死ぬ部屋みたいだ


句集はまず現在ただ今の事実そのものと信じられる光景で幕をあける。万年床ないしベッドがその中心を大きく占めているだろう寝室(兼居間兼書斎?)の提示で記述をはじめるのも、ベッドの中での回想からはじまる『失われた時を求めて』のもどきとも考えられる。「老人の死ぬ部屋みたいだ」という比喩は、乱雑と荒涼の描写として的確だが、同時に部屋の住人が老人ではないことを告げ、「僕」の若さを言わずして誇示してもいよう。また、このフレーズには老人の孤独死のニュースや「長寿という悪夢」といった言葉が意識を脅かす時代の刻印もはっきりと捺されているわけだ。

「梅雨の自室」の句の後に置かれた最初の●に続く詞書には、句集の制作を、〈六年前にとあるアンソロジーに収められた僕自身の作品をこの手で書き写すことからはじめることにした。〉と記されていて、事実、二句目以降、十八頁にわたって『俳コレ』からの再録がなされる。ただし、『俳コレ』所収の百句全ての再録ではなく、同書で「あをにも染まず」の見出しのもと、最後に纏められていた十九句(高校生時代の作だという)は略されている。代わりに途中四か所に、前後を●で挟む形で、『俳コレ』には無かった作が挿入されている。

 かまきりが網の目をすりぬけて来る
 枯れ芭蕉俳諧安らかに眠れ
 夢に着けば先客がみな小岱シオン
 小岱シオンの表面上の夏の雨


このうちかまきりは、すでに引いた巻軸句にも登場していたように、かまきりもどきとも名を変えながら句集の各処に二十六回にわたって出没する。コノタシオン(コノテーション、共示)を女性名化した小岱シオンは、何やら思わせぶりなキャラクターとして十一回の出演を数える(詞書と俳句に連続して言及される場合は一回として)。コノタシオンはそもそも記号学用語だが、かまきり/かまきりもどきもまた、言葉をめぐるなんらかの比喩的な存在であるらしい。そしてここにしか登場しない「枯れ芭蕉」は、明らかに松尾芭蕉を意識している。前後の句と詞書ともども、もう一度引いてみよう。

 門松が対空砲のようにある

 ●

やがて青む眠りのあいだに、書くことの一切は夢でしかないのだろうか。「あの冬はもう来ないよ」と、それは声のような気がした。
 枯れ芭蕉俳諧安らかに眠れ

 ●
 
書くことは、いつだって、何かのまちがいからはじまる。
 春はすぐそこだけどパスワードがちがう


門松・パスワード両句の秀逸ぶりに比べると「枯れ芭蕉」の句は見劣りがするが、「俳諧安らかに眠れ」とマニフェストすることこそが福田にとって重要だった。詞書にある「あの冬」は、門松やパスワードの句によって記念される作者の個人的な「あの冬」であると共に、芭蕉が大坂で死んだ元禄七年の「あの冬」でもある。とすれば、〈やがて青む眠りのあいだに、書くことの一切は夢でしかないのだろうか。〉という一文は、〈旅に病で夢は枯野をかけ廻る〉を受けてのものに他ならない。書くこと自体、そして書かれた一切は夢だという位相を芭蕉と共有しながら、芭蕉の名に象徴される俳句性のある部分を峻拒することが、福田のマニフェストの内実だったと考えてよいだろう。自分の世界は、芭蕉の世界とは「パスワードがちがう」のだ――。

ここで念のために言い添えれば、パスワードの句を単独で鑑賞する場合の解釈と、この句集の排列の中でする上記のような解釈は基本的に別のものであり、かつ両立するものだ。詞書や排列によって文脈をずらすことで解釈が変わるのは短詩型にとっては通常の摂理であることは確認しておきたい(〈夏草や兵共がゆめの跡〉の「兵共」は『おくのほそ道』の文脈では源義経主従や奥州藤原氏の人びとをさすが、いちいち義経を思い出さなくても鑑賞できるからこそ、この句は一種のことわざ性を帯びるに至った)。見落とすべきでないのは、ここで作者が芭蕉を自分の土俵に引き込んで堂々わたりあっていることで、この気組の大きさもまた当方のいう別格感の根拠になる。後はその気組を維持して、最後まで走り切れるかどうかだ。

かまきり/かまきりもどきと小岱シオンに戻る。正直に言えば、かまきりの跳梁跋扈は、当方にはいささか鬱陶しかった。もちろんかまきりに絡めての詞書の省察には興味深い内容もあれば、句集読解のヒントもちりばめられているのだし、俳句にも面白いものはある(〈かまきりを地に置く植字とは違う〉〈言葉は葉かまきりはざわめきに棲む〉〈声なくずっとかまきりは声なくずっと〉など)のだが、その都度、句集を読む流れが堰き止められるような感触は否めなかった。一方の小岱シオンにそうした否定的な印象を受けなかったのは、気持ち悪い昆虫と美少女(?)キャラの差、なのかどうか。ただ、出演回数の違いからしても、小岱シオンの方により満を持しての感があり、登場の仕方にも華があるのは確かなようだ。

 年が明けたのかケータイ閉じて寝る

 ●

「もしわたしが三人いたら、ひとりを仲間はずれにするだろうなって思う。四人でも」と、彼女、小岱シオンは言った。
 夢に着けば先客がみな小岱シオン

 ●

速度が上がっていく。ひとつひとつを置き去りにして、思い出が思い出を振り切っていく。
 初詣に行こうよぶっ飛んで、いこう

これが小岱シオンの最初の登場シーン。『俳コレ』では、ケータイの句と初詣の句がふつうに並んでおり、それはそれで当節の若者の生活スケッチとして魅力的だが、小岱シオンの句と二つの詞書の挿入によって、リズムに満ちた快活な転換が生まれている。それこそ芭蕉時代の付合を見るかのように。

この箇所に限らず、『俳コレ』から再録された八十一句は何と言っても粒ぞろいで感心する。すでに引いた以外でも、次のような作は初見の時から忘れがたいものがあった。

歩き出す仔猫あらゆる知へ向けて
僕のほかに腐るものなく西日の部屋
むにーっと猫がほほえむシャボン玉
チュッパチャップスなめらかに夏は近づく
君はセカイの外へ帰省し無色の街
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る


このうちヒヤシンスの句については、「週刊俳句」に発表された直後にやや詳しく読み解いたことがあるので参照されたい(「詩客」2011.5.31)。これらは比較的派手めの句と言ってよろしかろうが、もう一段おとなしい地味な句であっても、なにがしかの面白さが無いということがない。もっとはっきり言えば、全くつまらない句というのは句集の全体を通じてほとんどないと当方には思えた(そりゃ少しはあります。なにせ千七十六句ですから)。全体の規模の大きさや過剰なまでの仕掛け、しばしば強く出る連作性のために見えにくくなっているかもしれないが、この作者の一句一句を作る地力の高さは改めて強調しておきたい。しかもそれを、従来的な上手さとは一線を画す形でやり遂げているのである。

ただ、途方もない句数のことを思えば、全くつまらない句がごく少ない理由を、地力の高さ(それは結局、技術の高さの謂いだろう)だけに帰するわけにはゆくまい。むしろ、作者の感情の豊富さの方が決定的なはずである。これは逆に、我々がそれなりの手練れの句集を読むに際して、しばしば退屈を嚙み殺しながら、僅かな佳句・秀句との出会いを待ち続けなくてはならない理由と、裏腹の関係にある事実であろう。感情が豊富な詩人は感情が希薄な詩人より偉いというのは、富士山は高尾山より標高が高いというのと同じくらい簡明な真理である。

ところで、『俳コレ』から再録された八十一句は、先に述べた新規の句や詞書の挿入がある他は、排列も変わっていないが、表現に手が入ったものが幾つかあるので確認しておく。

俳コレ 建設現場の涼しい陰の下で撮る
自生地 土を撮る建設現場の涼しい陰


俳コレ 裏庭に捨て置く玩具葛の花
自生地 裏庭に捨て置くでんしゃ葛の花


俳コレ 同胞たちに噴水のまぶしい夜
自生地 みんなで胞子になって遊ぶ噴水のまぶしい夜だ


俳コレ 花虻の丘が俄かに風となる
自生地 花虻の丘がにわかに風となる


一句目、二句目はそれぞれ「土」「でんしゃ」を出して像を具体化させている。四句目は表記の変更に過ぎない。三句目の改変はめざましい。噴水のある公園か駅前広場のような場所での友人たちとの夜の語らいといった場面であることに違いはないとして、表現の密度と高揚感には格段の飛躍がある。「同胞」の「胞」の字が「胞子」を呼び出すまで待ちこらえた手柄だが、あるいは同じ『俳コレ』所収の

 新樹なにやら私語する夜だ油断するな 林雅樹

の、独りジュブナイルといった感じの弾けっぷりが参照されている可能性もあろうか。原句のままではそう悪くもないというレベルにとどまるところ、推敲によって傑作になった。当方には先日亡くなった金子兜太の

 きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中

の塁を摩すものに思える。……と、ずいぶん書いたが、まだ句集の冒頭である。読みどころは数々残るものの果てしもないこととて、今回は以下、二つのパートを読むにとどめてまとめに入りたい。二つのうち一つは一句一句個別にも読めるゆるやかな連作、もう一つは各句の独立性の弱いより完全な連作である。前者は五三頁、句数でいえば二百二十三句目からはじまる十四句。「クプラス」第一号に発表されたもので作品に異同はない。初出時のタイトルに句点を入れて、〈悲しくない。大蛇でもない。口が苦い。〉とした詞書を前に置いている。

 起床して自然ではない十一月、窓を滑る蜂

先に述べたように、この十四句は一句一句独立した形でも鑑賞できるが、全体を見渡すと、若い「詩作家」の生活の実相と夢を、スチームパンク的な世界観のうちにコラージュしたものとして読める。「詩作家」の世界に対する過敏な意識は、単なる覚醒と起床をいちいち「自然ではない」環境への回帰と捉えさせる。たいへん面倒な奴である。なるほど自然物ではありえない窓ガラスに冬の蜂が弱々しく打ち当り、横滑りするのが見える。

 産業革命以来の冬の青空だ

ともあれ今日は晴れている。頃は最もすごしやすい十一月。だが、この青空だって素の自然などでありはしない。あくまで「産業革命以来」の汚染された「青空だ」。わざわざ平泉まで旅をしなくても、「詩作家」の窓からは歴史が見えるんだぜ。

 髭剃りさえもが石炭をがつがつがつがつ喰う

電気シェーバーで顔を当たる。一日一回、朝の数分だけ使うささやかな道具だが、その数分のためにどれくらいの石炭が燃やされているんだろう。もちろんこの「詩作家」は環境運動家ではない。ただ、肌に接しながらぶるぶる振動する機械が、はるかかなた、自分が知りもしない場所にある発電所で燃える石炭と結びついていることに興がっているだけだ。「がつがつがつがつ喰う」という荒っぽい比喩的な表現が、「産業革命」「石炭」という語との連想のうちに、何やらアニメーション的なイメージを喚起しはじめる。

 木枯らしが孵化し火山帯を進む

外に出ると意外にも「木枯らし」が冷たい。「詩作家」が住んでいるのはこの国の最も広大な沖積平野を縁取る台地であって「火山帯」ではない。しかし、この木枯らしは北や西の火山帯の方から吹いてくるのだ。「孵化」「進む」といった語が「木枯らし」を擬人化し、前句からのアニメーション的なイメージを加速する。

 掘削機械に引っ掛けてあるコートの煤

「詩作家」は掘削の現場でなど働いたことはないだろう。どこかの工事現場でこんなシーンを見たのかもしれないが、現実と「詩作家」の夢想はだんだん区別のつかないものになりつつある。鉱山で働く少年が、空中海賊に追われる美少女を助けるなんてアニメはなかっただろうか。少年の名は福田若之ではなかったし、美少女の名も小岱シオンではなかったと思うが。

 唾がつめたい灰色している

「詩作家」はもはや完全に少年労働者だ。十九世紀のロンドンの工場街を思わせる光景の中で、動力は蒸気機関であるにもかかわらず、現代文明のそれよりも高性能な機械が稼働している。前句が二十一音、次句が二十七音の長律で情報も過多な感じなので、ここは「唾」に焦点を絞った十五音の短律にしておく。「唾」を「灰色」にしたのは、「産業革命以来」の埃っぽい労働の現場を示唆する効果を考えたからだ。

 真っ白な息して君は今日も耳栓が抜けないと言う

「木枯らし」は吹いていても、基本的には暖かな小春日だったはずだが、いきなり真冬になっている。主人公にはより厳しい環境が与えられるべきだからだ。「君」は工場の同僚で、「詩作家」よりも少し先輩だが、ちょっとおっちょこちょいの気味のある青年だ。実際は、四六時中イヤホンで音楽を聴いている友人と街で出くわしただけだ。

 そんな銛一本で鯨が待っているのか

鉱山だか工場だかで働いていたはずの「詩作家」は、捕鯨船への搭乗を希望する若者に変じている。彼は漁師ではなく、博物学者だった父が探索中に命を落とした一頭の「鯨」を追っているのだ。伝説の巨鯨を追う望みにくらべて貧相な体軀と装備を、港町の酒場の荒くれ者たちが「そんな銛一本で」と嘲笑する。

 蒸気で動く詩作家 枯れ木たちが喘息を患う

「詩作家」は再びあの「老人が死ぬ部屋みたい」な自室に戻ってきたようだ。「蒸気で動く」のは彼が詩を打ち込むパソコンのことで、興の在り処は「髭剃り」の場合と同じ。しかし、「蒸気で動く詩作家」と言ってしまっている以上、そこには機械としての自己のイメージがかぶさるだろう。最も直截なスチームパンク的なシーン。朝、蜂が滑った窓の外で「枯れ木」が風に鳴る音が、「喘息」の発作を思い出させる。それは彼が生きている「産業革命以来」の世界にはつきものの病気だ。

 やっていることは昨日と同じだが汗が凍りはじめた

日々、同じ作業を繰り返す十九世紀の労働者のイメージと、学校に提出する論文と格闘する現実の自分の姿を重ねる。徒労感と高揚感がぐちゃぐちゃに混じり合い、汗をかいているのに寒い。

 濡れた指にも満たない冬の虹立つ

手洗いに立って窓の外を見たら彼方に「冬の虹」が小さく見えたというのだろうか。むしろ次句の「寒い夜」を受けて、洗ったその手のうちに幻の虹を見たとすべきか。どちらにせよ「濡れた指にも満たない」という形容が、「詩作家」の切々とした思いを訴える。

 寒い夜引き出しに隠し持つプロペラ

この「プロペラ」は、発明家兼冒険家だった「詩作家」の父(祖父かもしれない)が残した形見の品に違いない。しかしそれはまた、彼の詩心のメタファーでもあるだろう。たいへんわかりやすいメタファーであり、だからこそ「古い感覚の青春」などと言われてもしまうのだが、ともかくそれは感情の薄いかまきりもどきならぬ詩作家もどきばかりのこの世界にあって、大切に「隠し持つ」べきものだろう。

 白鳥は密かに母を奪い合う

そうとは書かれていなくとも亡き父が呼び出された以上、亡き母もまた呼び出される必要がある(呼び出されたのが祖父なら母はその娘である)。母は当然、美しい人でなければならない。「白鳥」が美女を奪うといえば、白鳥と化したゼウスがスパルタ王の妃レダを誘惑する物語が有名だが、「奪い合う」のだからスパルタ王までが白鳥になってしまったみたいだ。

 結論としては葱だけで満たされやしない

白鳥の句の解釈には釈然としないところが残るものの、男根とも紛う長い首を持つ「白鳥」と若く美しい「母」が織りなす、漠然とエロティックなイメージを受け取っておけばいいのだろう。そもそも夢想から覚めた「詩作家」には「満たされやしない」という思いしか残らないのだから、厳密な意味の確定など無用のことだ。

一連の、散文的でぶっきら棒な、また、乾いていながらヒロイックな声調に沿って、読解の一案を示してみた。ここで改めて全体を見返すと、起床して何か食べようと思ったが冷蔵庫には「葱だけ」しかなく、さりとて買い出しに行く気も起こらず、焼葱を作って食べたが、やっぱりこれでは空腹は「満たされやしない」という「結論」に至った――という構図が浮かび上がってくる。してみれば、途中のあれこれは「黄粱一炊の夢」ならぬ「葱一焼きの夢」だったのだ。詞書に「口が苦い。」とあったのも、葱を食べた直後の感想としてもっともではないか。情景や主体がきびきびと転換するさまは十四句からなる独吟連句のような面白さだし、一方で統一的なトーンは保たれているから決して支離滅裂な印象は与えない。「満たされやしない」という思いとともに現実に着地する、ちゃぶ台返しのような挙句もみごとに極まっているだろう。

さて、先ほど、この句集はしばしば、遠い過去の記憶の薄明から句を紡ぎだす身ぶりを見せるという意味のことを書いた。その記憶が事実に立脚したものなのか、あるいは記憶を偽装したものなのかはじつははっきりしない場合もあるのだが、これほど執拗に幼年の記憶に向かい、幼年の感覚を回復しようとする作者は、小説はいざ知らず、こと俳句の世界では蕪村や一茶以来なのではあるまいか。具体的には、句集中盤に置かれたエックス山をめぐるエッセイに挟まれた一連三十六句や、句集終盤近く、〈あれは たしか 6さいのころ。(後略)〉という詞書に続いてはじまるポケットモンスターをモティーフにした一連七句がそうだが、今回は一九九頁から二〇二頁にかけて、「のの」という女の子をヒロイン兼ナレーターにした連作を一瞥し、稿を終えたいと思う。

通っていた幼稚園は、坂をあがったところにあった。にわとりとあひると遠藤先生がいたほかに、誰がいたか、僕にはもうほとんど思い出すことができない。けれど、たしかそんな子たちがいたような気がする。記憶のなかのそのふたりに、僕は代わりの名前を付けた。

まずは一連の前に置かれた詞書から。はたしてそんな「幼稚園」があったのか、ほんとうに先生は「遠藤先生」だったのか。そもそもなぜ、「ほとんど思い出すことができない」仲間たちにわざわざ「代わりの名前」を付けるまでして、この一連は書かれねばならなかったのか。最初に述べた、自己の人生の感情の劇を総体として書ききることへの衝迫の強さはここにも明らかだが、実際、総ひらがな書きによって幼女のパロールを仮構した十六句は、奇妙な迫力で読み手に迫ってくる。

 ののはくれよんでなんでもまっかなの
 ばあができなくてののはいないいない


これが連作一句目と二句目。「のの」はこのように冒頭から登場するが、やがて七句目から「たかいくん」がそこに加わる。しかし「たかいくん」はじつはすでに六句目に登場しているとも言える。六句目と七句目を引こう。

 ののたかいたかいはたかいからきらい
 たかいくんがないたすごくまっかだった


上田信治は、「いちばんポップでシリアスな彼」と題した『自生地』の書評で、〈85pからの「あかおに」や、199pからの「のの」の連作など、作者より無垢でいたいけなものが登場するときにあらわになるナイーブネスの、美しさとやさしさには、息を呑むほかはない〉と述べている。まったく同感ながら、この表現には何か先蹤があったような気がしてよくよく考えてみると、それはつまり谷川俊太郎のひらがな表記の詩なのではないかと思われる。実際、『ことばあそびうた』(一九七三年 福音館書店)の冒頭には「ののはな」と題された詩さえ見出すことができるのである。

 はなののののはな
 はなのななあに
 なずななのはな
 なもないのばな


この詩はこれで全部である。漢字仮名混じりで記せば「花野の野の花/花の名なあに/薺・菜の花/名も無い野花」となるだろうか。

谷川のひらがな表記は絵本の仕事から始まったらしい。それは、現代日本語が見失いがちな和文脈の音韻の面白さを探りながら、そこに新たな詩の言葉を見出そうとする試みである。ただ、『ことばあそびうた』について言えば、冒頭の詩にたまたま「のの」の文字を見るにしても、福田の「のの」一連とは異なり、純然たる音韻の遊びとしての性格が強い。福田の「のの」連作は、音韻の遊びを豊かに含みながらも、上田が言うところのシリアスさをたぶんに抱えこんでいて、谷川のひらがなの詩でいえばむしろ『はだか』(一九八八年 筑摩書房)の感触に近いように思う。ただし、『はだか』の視点は小学生から中学生にかけての子供のものとして設定されている。そこにはひらがなによる哲学とでも呼びたい思惟があるのに対して、「のの」連作の視点は幼稚園児のものだ。泣くか笑うかでメッセージを発するしかない赤ん坊よりは成長しているにせよ、その語りが可能にするのは見たものそのままの直叙(〈ののはくれよんでなんでもまっかなの〉)でなければ、好きか嫌いかの直情(〈ののたかいたかいはたかいからきらい〉)の発露なのだ。

視点が幼稚園児のものであることは、そういうわけで制約にもなり得るはずだが、福田はこれを巧みな連作に仕上げてみせた。それはいかにもこましゃくれた幼女の発語を装いながら、いわば「ひらがなによる哲学」の、あるいは詩歌のクリシェの、萌芽の萌芽のようなものをあちこちに潜ませている。たとえば連作三句目。

 ののはきょうののなのはなのきぶんなの

人名の「のの」を片仮名表記しつつ漢字仮名混じりに置き換えると、「ノノは今日ノノなの、花の気分なの」となろうか。「ノノは今日ノノなの」から「花の気分なの」へ転じてゆく呼吸がリアルに幼児的であると感じられる一方で、ノノがノノである自分を発見するこの劇も、「花の気分」というこの原型的な比喩も、現実には幼児のものではありえないに違いない。

 なのはなはのののなののののなのはななの

こちらは連作四句目。同様に書き換えると「菜の花はノノのなの、ノノのなの、花なの」となる。「な」や「の」が繰り返される音韻の効果に加えて、仮名書きが読み手にもたらす視覚的混乱と、にもかかわらずじつは過不足ない文を形成しているという落差に、作り手の側の遊びはあるのだろう。「菜の花はノノのなの、ノノのなの」という所有(?)の主張は、それが執拗に繰り返されるゆえにかえって、これが自他の弁別、自己が世界のごく小さな一部でしかないという認識へ至る第一歩であることを読者に感じ取らせる。もちろん、摘み取った一束の菜の花をノノが所有することはできるだろう。しかし、「菜の花は…花なの」というもうひとつの文脈と入れ子になっていることで、この菜の花は一束の菜の花ではなく、菜の花一般と化してしまう。それは「世界はノノのなの、ノノのなの」という主張と同じくらい不可能なのだ。

六~七句目に「たかいくん」が登場して以降、連作は「のの」と「たかいくん」との関係性のドラマを軸に展開する。九句目の

 ののはたかいくんをなかせたわるいふたつのあな

というのは、五句目に

 のののなまえのふたつのあなはきこえない

とあるのを受けているのだが、この「あな」というのは「の」という文字のくるりと巻いた部分を指すようだ。それが「のの」と二つ並ぶから「ふたつのあな」。それにしても「ののはたかいくんをなかせたわるいふたつのあな/ノノは高井君を泣かせた悪い二つの穴」とはなんと不吉に心ざわめかせる言葉だろうか。

 たかいくんはののでものののでもないの
 ののはたかいくんはかせになりたいの
 たかいくんたかいくんばあおりてきた
 たかいくんみどりなのののまたあした


これが最後の四句。「高井君はノノでも、ノノの、でもないの」「ノノは高井君博士になりたいの」「高井君高井君、ばあ、降りてきた」「高井君、緑なの、ノノまた明日」とパラフレーズできるだろう。

「のの」連作の韻律は、いわば棒読みの絶叫調である。驚いたことに、作者はそんな不快なものを、「ナイーブネスの、美しさとやさしさ」として受け入れさせるのに成功している。そこには『はだか』の深い思惟はない一方で、『はだか』に劣らない悲劇性がたたえられている。言葉以前の世界に最も近くいながらすでに言葉を生きはじめてしまった者の、ただ一度だけの時間。それを俳句が、フィクショナルにそしてリアルに捉え得るなどとは考えたこともなかった。こんな悲しい「またあした」があるだろうか。

10句作品 しら梅 名取里美

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しら梅   名取里美
            
白梅の中抜けてきし鳥のかほ

いつときの恋いつときの梅ま白

梅の花たのしきことをかんがふる

春なれやとろけさうなる鯉のひれ

風光るほこほこ乾くもぐら塚

十字架のうしろに揺るる椿かな

踏むがよし汐光りあふ踏絵板

春雪のあひふれあへば雪のまま

初桜小さき光の水の玉

悼 金子兜太先生
龍天に登る青鮫引きつれて

週刊俳句 第570号 2018年3月25日

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第570号
2018年3月25日


高山れおな 乙未蒙古行 50句 ≫読む

名取里美 しら梅 10句 ≫読む
…………………………………………
【句集を読む】
福田若之『自生地』を読む
……高山れおな ≫読む

肉化するダコツ⑦
雁ゆきてべつとりあをき春の嶺
……  彌榮浩樹 ≫読む

雪女とクリームソーダ……福田若之 ≫読む

中嶋憲武西原天気の音楽千夜一夜】
第43回 The Mirraz「NEW WORLD」 ≫読む

〔今週号の表紙〕大塚 凱 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……村田 篠 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
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特別作品50句 乙未蒙古行 高山れおな

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乙未蒙古行 高山れおな

ウランバートル
おろしや式ホテルに着きぬ秋の暮
首都を出てすぐ八千草の国となる
風葬の峰々(ねゝ)か秋の日惜しみなく


十三世紀村
蒙兵の姿(なり)もしてみてすさまじや

ゲル・キャンプ 五句
草上に鷹のしぐさや相撲(ブフ)始まる
相撲(ブフ)たけなは相搏つ肉の響きのみ
(とき)はいま長靴(グダル)掛け合ひ草に転げ
雑技少女釣瓶落しの金(きん)を散らし
夜寒さのゲル打つ雨か星か知らず


テレルジ国立公園 五句
舌にしみかつは身にしむ馬乳酒(アイラグ)
蒙古馬肥えて剽悍の性(さが)あらは
馬並(な)めて霧の花野が道なき道
露の野や糞(まり)落としあふ馬に乗り
指して来し亀岩いまし霧を脱ぐ


再びウランバートル
秋陰の鈍(のろ)の車列の尾につきぬ

ザナバザル美術館 四句
多羅(ターラー)菩薩眼差しの露凝らしたる
くもりなし金の肌(はだへ)も秋の色
女身仏そのうすものに花を刻み
印むすぶ指ぞまとへる秋の翳


ガンダン寺 四句
秋麗や雛僧(すうそう)まじるラマの列
大寺にさはの槌音涼新た
観音の巨軀に秋灯おびたゞし
興亡の寺に国(ウルス)に秋高し


チョイジン・ラマ寺院博物館 四句
扁額の満・漢・蒙・蔵秋日が灼く
荘厳は五臓六腑(わた)涼しくもばらばらに
昼月や仮面法会(ツァム)の幻追ふばかり
冷やかにひらく額(ぬか)の眼歓喜仏(くわんぎぶつ)


ボグド・ハン宮殿博物館
二十世紀鬱王宮の穂草かな

ホスタイ国立自然公園
野生馬(タヒ)と呼ぶ秋光に群れ遊ぶもの

ハラホリンへ向かふ 五句
天高く広くチンギス・ハンの国
天祭る石塚(オボー)や幾つ秋風に
秋の野を行く秋の野の他見えず
秋澄むや羊撒かれし花のごと
騎馬一群野を駆け我ら灼け道を


ハラホリン、エルデニ・ゾーの夕べ 六句
大伽藍草と化したる秋のこゑ
秋風のるつぼ百八の塔が囲む
声なき鳥色なき風と行きめぐる
飛蝗また跳んで廃墟と野の明るさ
星月夜写真に撮れば渦を巻く
煩悩の百八塔や虫しぐれ


エルデニ・ゾーは一辺四百米、ほゞ正方形の平面を持つ仏教遺跡なり。十六世紀後半、蒙古帝国時代の都カラコルムの旧址に隣りて、アブタイ・ハンにより創建せらる。盛時、同処に雲集せし六十二箇寺五百余棟の仏堂僧房は革命の凶変に遭ひて滅尽し、僅かにゴルバン・ゾーとラプラン寺の二箇寺十八棟、幷びに四方の囲壁と壁上の諸塔を残すのみ。社会主義政権倒るゝや漸次仏教復興すること稍三十年に近し。今日再び、濛々の香煙を嗅ぎ、讃仏乗の声を聞くを得たる、豈よろこばしからざらんや。

ゴルバン・ゾー 三句
秋日影のびて仏神の綺羅を這ふ
捧げばや明るけれども秋の灯を
龍が巻く梁や柱や秋ひでり


ラプラン寺 四句
爽やかに法楽の貝吹き呼ばふ
居並ぶラマ二の腕見せて夏衣
管長(ハンバ・ラマ)若し秋思の影もなく
果てしなき讃仏乗のこゑ涼し


三たびウランバートルへ
シベリヤ鉄道遥かに秋の灯を点し
(いち)に溢る中国雑貨かつ残暑


  牛・馬・羊・山羊・駱駝を五畜と呼ぶ
(かざ)すさまじ五畜の肉を売るところ


〔今週号の表紙〕 第570号 首 大塚凱

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〔今週号の表紙〕
第570号 

大塚 凱


かつてその駅から何百回も通った道だから、あまりにもからだが慣れているのだろう。なにかに心惹かれたわけでもないけれど歩き出してしまった、慣性と惰性。

日付が変わっていた。母校の校門前のおいしいサンドイッチ屋が、翌朝の仕込みをしている。高校生の頃、僕は運動会のポスターを店頭に貼ってもらうお願いに来たのだった。店主のおじさんはにこやかに、それを公明党のポスターの隣に貼った。

道端に、首が捨てられている。たくさんの首が。僕はこっそりとそれを撮って、知っているあの人が苦しそうな深夜の、Twitterに流したのだった。




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