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後記+プロフィール 333

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後記 ● 村田 篠


私事で恐縮ですが、先月からずっと、引っ越しのためにものを片付けるということばかりしています。引っ越しは8月末に終わったのですが、まだまだ片付けています。当分終わりそうにありません。捨てることはエネルギーを使います。これからの人生は、不要なものはこまめに、思い切って捨てていこうと、強く思いました。



今週号は「特集 俳句甲子園」をお送り致します。「俳句甲子園」の外と内、両方の立場から記事をお寄せいただき、俳句甲子園とはどんなふうに楽しいものなのか、ということが伝わってくる記事構成になりました。「俳句」という要素を外すと、それは多くの人に覚えのある、仲間とともに、ひとつのことに夢中になる楽しさです。高校生の誰もが、エイゼンシュテインに感動して映画を撮り始めるわけではありません。あ、もちろん、それが動機だったとしても、まったく良いのですが。俳句でも同じことなんだ、ということですね。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。

no.333/2013-9-8 profile

■佐々木貴子 ささき・たかこ
1979年、青森県生。高校三年より作句開始。「陸」所属。

内田遼乃 うちだ・はるの
1996年生。2013年4月より東京家政学院高校俳句同好会に所属。第16回俳句甲子園地方予選(東京会場)出場。

■外山一樹 とやま・かずき
1983年10月生まれ。2000年から2年間、上毛新聞の「上毛ジュニア俳壇」(鈴木伸一、林桂共選)に投句。2004年から同人誌『鬣TATEGAMI』(発行人林桂、編集人水野真由美)に所属。ブログ(Haiku New Generation)  

■青木亮人 あおき・まこと
1974年北海道生まれ。近現代俳句研究者。愛媛大学准教授。評論等を俳誌「翔臨」「静かな場所」「円座」「白茅」で連載、エッセイを「愛媛新聞」四季録で連載。今秋に評論集『その眼、俳人につき』(邑書林)刊行予定。twitter

■小池康生 こいけ・やすお
1956年、大阪市生まれ。「銀化」同人副会長。俳人協会会員。2012年4月、句集『旧の渚』上梓。

■村越 敦 むらこし・あつし
1990(平成2)年、東京都国立市生まれ。「澤」会員。  

■阪西敦子 さかにし・あつこ
1984年より「ホトトギス」生徒・児童の部、1995年より「ホトトギス」雑詠、「円虹」へ投句。2008年より「ホトトギス」同人。合同句集「野分会2」、「新撰21」(作家小論執筆)。2010年、第二十一回日本伝統俳句協会新人賞受賞。

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。

■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。「俳句の創作と研究のホームページ」  

■鈴木牛後 すずき・ぎゅうご
1961年生まれ。「いつき組」組員。「藍生」会員。「俳句集団【itak】」 幹事。2012年「大人のための句集を作ろうコンテスト」最優秀賞。句集「根雪と記す」(「100年俳句計画」2012年4月号付録。マルコボ・コム

■中山奈々 なかやま・なな
1986年5の月に生まれ、カレーライスの日に必ず刺身を出す家庭に育つ。太陽の塔に近い高校在学中に、俳句を始め、同時期に「百鳥」入会。現在「百鳥」同人、「手紙」所属。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■小川春休 おがわ・しゅんきゅう
1976年、広島生まれ。現在「童子」同人、「澤」会員。句集『銀の泡』。サイト「ハルヤスミ web site

■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。1952年兵庫県尼崎市生まれ。二人誌「五七五定型」(小池正博・野口裕)完結しました。最終号は品切れですが、第一号から第四号までは残部あります。希望の方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。進呈します。サイト「野口家のホーム ページ」

■西村小市 にしむら・こいち
1950年神戸市生まれ、埼玉県在住。2007年より「ほんやらなまず句会」参加、2012年「街」入会。

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。俳人協会会員。「Belle Epoque」


〔今週号の表紙〕第333号 教室 西村小市

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今週号の表紙〕 
第333号 教室

西村小市


「あがたの森公園」にある旧制松本高校校舎の復元された教室です。この公園は、北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』などで知られる旧制松本高校の敷地と校舎を活用したもの。

わたしは、一九七〇年の春から一年余り松本で暮らしました。二十歳の誕生日を迎えたのもそこでのこと。当時はこの場所に信州大学人文学部がありました。六九年には全共闘の学生たちによってバリケード封鎖されていたと聞きました。信大全共闘の議長だったのが猪瀬直樹都知事。立場は変わっても旗を振るのが好きな人のようです。


週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

林田紀音夫全句集拾読 282 野口裕

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林田紀音夫
全句集拾読
282

野口 裕





昨日華燭の取り残されて歯ブラシなど

平成四年、未発表句。歯ブラシが孤独感を演出するなど、想像も出来ないところだが、句となってみると実に有効に働いている。平成五年の海程発表句は、「祝婚の富士見て帰る昼日中」。その後の状況に取材している。

 

連れ立って華燭の旅の途中に富士

祝婚の朝から晴れてひと急ぐ


平成四年、未発表句。前項に紹介した海程発表句は祝婚の帰りだが、この二句は祝婚に赴く途上と思われる。連れ立つのは老夫婦、ひとは我が身というところか。

自由律俳句を読む10 コスモス 馬場古戸暢

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自由律俳句を読む 10 コスモス
 
馬場古戸暢

「コスモス」の美しさには、詩情をかき立てられてしまうのである。

願いごと無いわけではないコスモス夜に揺れ  シブヤTヒロ

願いごとをコスモスにかける風習があるのだろうか。あるいは、七夕の日の景だろうか。どちらにせよ、日中とはまた異なった風貌を、コスモスがみせてくれていたことだろう。

コスモスの絵届いて秋になる  井上敬雄

季節ごとに、季節の風物を描いた手紙が送られてくるのだろう。電話だけでなくインターネットが主流となった時代において、もとい、インターネットを主に用いる私にとっては、どうにも味がある営みである。この絵手紙に対して、作者は何を描いて送ったのだろうか。

コスモスなよなよ風はいつもここにいる  上田森彦

コスモス畑には、いつも風が吹いているイメージがある。無数のコスモスたちが、なよなよと吹かれているイメージがある。コスモスと風は、絶えずセットで存在しているものなのかもしれない。


朝の爽波83 小川春休

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小川春休




83



さて、今回は第四句集『一筆』の「昭和六十一年」から。今回鑑賞した句は昭和六十一年の夏から秋にかけての頃の句。八月前後ではなかろうかと思われます。八月には、鎌倉笹目に住む伯母が死去していますが、体調のことなどで葬儀に参列できなかった模様。〈ぽろぽろこぼし飯食ふも〉とは、もしや自身の病後の姿を詠んだものでしょうか。「青」二月号から連載開始の「枚方から」、八月号はこんな感じでした。そういえば、「童子」の大きな句会に出た際、締切時間よりだいぶ早く投句を済ませて清記用紙や選句用紙の配布などの手伝いをしていたら、「青」出身の先輩が、「もっと締切時間ぎりぎりまで句を見直した方が良いのではないですか」と指摘してくださったことなど思い出されます。
 句会でも吟行でも必ず締切時間というものがある。
 締切時間とは単に投句を締切る時間、句会が始まる時間ぐらいに軽く考えている向きが多いように見うけられるのだが、果たしてそれでいいのだろうか。
 締切時間とは私にとっては大変厳粛な存在であり、それに至る最後の三十分ほどがその日の勝負を分けてしまう、乗るか反るかの決定的な時間と言える。
 殊に吟行会の場合などそれが顕著であって、その日句帖に書きとめた二十句か三十句のうち、最終的に句会に投じる句と言えば、殆どが最後の句から数えて三分の一ぐらいのうちの句という結果になっている。
 一方では、締切時間をタップリと意識しながら、今日その地に着いてからあちこちを歩いて、在るがままの自然を忠実に写生して句帖に書きとめた句を、いま一度、一句一句点検しながら己の心にタップリと「問いかけ」をしてゆく。(後略)

(波多野爽波「枚方から・締切時間」)

行々子殿に一筆申すべく  『一筆』(以下同)

「殿」は貴族や江戸時代の大名などだけでなく、現代においても組織のトップ、社長などにも使われる語。殿に諫言をしたためようというこの人物、行々子が巣を作る沼沢・河畔の近くに住んでいるようだが、いかにも人付き合いの苦手な一徹者の風貌が目に浮かぶ。

虫干のぽろぽろこぼし飯食ふも

梅雨明け、特に土用の晴天の日を選んで、衣類や書物を陰干しして湿気を取り、黴や虫の害を防ぐ。暑い時期のことでもあり、量によってはなかなか骨の折れる作業。干し終えるとほっと一息ついて気が抜けてしまうが、ぽろぽろ飯をこぼすとはかなりの脱力ぶり。

逃ぐる子を臭木の花に挟みうち

山野に自生するほか庭木としても植えられる臭木だが、さて掲句の追いかけっこの舞台は庭か山野か。逃げ回る子の前に立ちはだかり、とおせんぼするかのような臭木。独特の臭いと枝葉のボリューム感とがありありと想像されて、何とも懐かしい句だ。

出穂の香や蟹が出てくる物語り

手は鋏に似て、歩き方は横歩きという特徴を持つ蟹は、猿蟹合戦などの昔話で子供たちにもお馴染み。掲句の「物語り」では、親から子へ語って聞かせている、という景が目に浮かぶ。実った穂が垂れ、黄金色に輝く田からは、毎年嗅いだ稲の香りが漂ってくる。

【週俳8月の俳句を読む】選ばれた言葉たち 鈴木牛後

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【週俳8月の俳句を読む】
選ばれた言葉たち

鈴木牛後


回文はひたすらコツコツとした試行錯誤によって作られる(少なくとも私の場合はそうだ)。日本語では逆さから読んでも意味の通ることばは絶対的に少数だから、それを見つけるためにどれだけのことばをひっくり返してみることか。そしてあるときふいにカタリと音をたてて最後のピースが埋まる。そうやって、半ば世界によって選ばれたことばたちが織りなす世界。それこそ、井口吾郎氏の回文俳句のすばらしさだ。


花粉愛隠すマスクか慰安婦か 井口吾郎

「花粉愛」。花粉症の原因となる花粉を愛する人などはいないだろう。でももしかしたらいるのかもしれない。とても人には言えず、マスクの中に隠して。そして取り合わされているのは「慰安婦」。慰安婦も多くは人には言えぬ過去として隠されていることだろう。

ここで感じるのは、「花粉愛」と「慰安婦」の回文的恩寵とでも言える親和性だ。回文を作る過程でどちらからどちらが導き出されたのかはわからないが、回文の中であるからこそ「花粉愛」ということばが受容可能なものとして感じられ、見慣れぬなことばたちに現実世界への切符が与えられるのだ。


多摩川市西区土筆に皺がまた  同

多摩川市というまちはないらしい。調べてみてはじめてわかった。この「市」は対になっている「皺」から必然的にもたらされたものだが、この、ありそうで実はない地名という、現実が横に引っ張られるような力で、つるつるの土筆にも皺が増えていくのかもしれない。こういったナンセンスな句を普通の句会に出したら人によっては一顧だにしないと思うが、そこは回文の力。たぶん誰もが微笑を湛えつつ拍手するに違いない。


蒲田らしるるぷるぷるる白玉か  同

強引である。オノマトペを無理やり回文にしている。でもそれに目くじらを立てる人はいないだろう。「るるぷるぷるる」という言葉を何度も転がしてみて楽しめばいい。白玉がふるえるさまもこの次からはそう見えるはずだ。


蟬鳴きて瓶底ゾンビ的な店  同

こういう句を見るとうれしくなる。「瓶底ゾンビ的な店」だ。よくぞ探し当てたと思う。俳句はたった十七文字の羅列から一瞬で世界へと大きく開かれてゆく、そういうものだと思うが、回文にも実は同じような効果があるのではないか。もはや「瓶底ゾンビ的な店」がどのようなものか考える必要はない。俳句と回文が交差したところから発せられる眩い光があれば十分だ。


第328号 2013年8月4日
彌榮浩樹 P氏 10句 ≫読む


第329号 2013年8月11日
鴇田智哉 目とゆく 10句 ≫読む
村上鞆彦 届かず 10句 ≫読む
 

第330号 2013年8月18日
井口吾郎 ゾンビ 10句 ≫読む


第331号 2013年8月25日
久保純夫 夕ぐれ 10句 ≫読む

【週俳8月の俳句を読む】ゾンビの街 中山奈々

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【週俳8月の俳句を読む】
ゾンビの街

中山奈々


今年の夏は暑い。暑すぎる。朝から晩まで暑さに付きまとわれる。かと思えば、効き過ぎのクーラー直撃。ひっきりなしに体温調節。それに疲れてぐったり。

そんな平日の疲れが、どっと押し寄せてきた週末。目覚めたら夕方。ああ勿体ない過ごし方をした。今からでもとりもどせないか。とにかく、汗の染み込んだTシャツを着替え、街に出た。

橋涼み水のゆくへに次の橋  村上鞆彦

蝙蝠や橋をわたれば神谷バー  同

橋に来てみれば、遠慮しがちに風が吹く。涼しい。が、流れる水が時折、生暖かい風を吐き出す。水はまだ昼間の熱を宿しているのだろう。しかし橋に吹く夜風にようやく、自分たちの中の冷たさを取り戻そうとしている。流れながら。どこに流れるのか。行方をみると、向こうの方に橋が見える。あの橋に吹く夜風にも当たりたいな。

小さい頃、夜飛ぶのは蝙蝠しかいなかった。今じゃ椋鳥や雀が、夜の街を飛び交うようになった。全く。自然の摂理を守りたまえ。鴉が鳴くから帰るんだ。夜はもっと怖くなくてはいけない。でないと、いつまでも遊んでしまう。ああ、ほらまた橋の上でいちゃつくカップル。成人もまだだろう。早く帰りなさい。夜の威厳はどこに行ったのだ。

しかし今夜は、きちんと蝙蝠が飛ぶ。その他は何もいない空。もしかして、威厳を取り戻し始めたか。嬉しくなる。威厳ある夜には威厳あるバーへ。電気ブランが恋しい。あの薬草が喉を涼しくさせるだろう。

悲しみや檸檬を絞る種もまた  久保純夫

安い酒も高い酒もがぶがぶ飲んでしまう。悪い癖だ。グラスを天井に向け、空にした瞬間、生きていると思う。でもそのグラスを置いた瞬間悲しくなる。悲しみはいつか不安になり、怒りに変わり、爆発する。梶井基次郎は何故檸檬の爆発を見守らなかったのか。馬鹿だ。檸檬が爆発するはずないじゃないか。檸檬は絞るもんだ。分かりきっている。絞る。絞る。おい。神谷バーに来て、レモンサワーを頼むのか、最近の若者は。檸檬の種を飲み込んで、腹で爆発させればよい。

神谷バーの前の地下鉄の入口。そこを降りて行けば、帰れる。なのに、酔ったときの癖であちこち歩き回りたくなった。

仕舞いに忙しい仲見世通りを抜け、浅草寺に一礼。回れ左で、花やしき。真っ暗。くらくら。飲み過ぎた。うう、気持ち悪い。どこか手洗い。と思ったとき、不思議な店が目に飛び込んできた。

蝉鳴きて瓶底ゾンビ的な店  井口吾郎

異様な佇まい。普段なら入らないだろう。でも今は入りたい。胸の気持ち悪さは何処かに消えた。つまり手洗いを借りる必要もない。でも入りたい。訳の分からない衝動だけだ。夜中突如、蝉が思い出したように鳴くような。意味不明な衝動。

ひざ曲げてくつくつ笑ふ鳳仙花  彌榮浩樹

入ったら、爺さんが一人。しかもひざ曲げて床に座っている。クラムボンはカプカプ笑っていたが、爺さんはくつくつ笑う。「いらっしゃい」も言わない。ただ笑う。赤みかがった顔に、皺。鳳仙花に似てると思った。いや鳳仙花に笑いかけているのか。小学生の時の写生会。鳳仙花が開くときみんなで笑った。そんな顔に似ている。

簾がない夜だ漂い流れ出す  井口吾郎

ここは浅草のはずだが、この店の中では、東南アジアの気分になる。東南アジアは行ったことがない。しかし頭を過るのは東南アジアの狭い路地の壁だけ店。開けっぴろげで、店の中の臭いが漂い流れ出す。臭い。匂いではない。臭い。死臭。まさか。いや。まさか。

そういえば、唐十郎の小説『佐川君からの手紙』で彼の婆さんが、死体を見ながら飲む酒場に勤めていた、と書いてあった。ここは乱歩が闊歩した浅草。そして東南アジア。違う。いや違わない。何でもありだ。死体が置いてあったっていいじゃないか。この臭い、死臭でもいいじゃないか。爺さんも賛同するように笑っているじゃないか。このくつくつも流れ出すのだ。

墓を持つ死者のみならず蝉時雨  村上鞆彦

墓のない死者もいるはずだ。そうこの店内に。

鈴蟲の匣の渦巻模様かな  彌榮浩樹

かりがねや切手にひげの男たち  同

そうとなれば、死体を探そう。分かっている。死体なんてないことぐらい。でもこの店のどこかにある気がしてならない。だって見渡せば、何でもかんでも置いてる店だ。鈴蟲の匣。虫籠というよりは棺に似てる。しかも渦巻模様。開けるのは止そう。鈴蟲ではなくパンドラの箱の最後の希望とやらが逃げ出しては困るから。

他に、各国の切手が大事そうに額に入れられている。消印付きのもの。未使用のもの。鳥や植物もあるが、目が行くのは人物画。そのむかし、頬こけのリンカーンが髭を生やしてから人気者になったという逸話があるが、強ち嘘ではなさそうだ。髭の男たちは絵になる。こんな小さな切手の中でも生き生きしている。幸薄いゴッホでさえも立派な紳士だ。

秋蝉やP氏このごろきてくれず   彌榮浩樹

「わしは…」

うめき声かと思った。でもしきり「わしは…」と言う。いやうめく。爺さんだった。爺さんがこちらに向かって、何か言っているのだ。

「わしは…エアメールはまあまあだと思う…しかし…」

「ああ。この切手ですか」

切手を見ていたし、爺さんもエアメールって言ってから、その謂れを語るのかと思った。だが、違ったようだ。

「違う…エア、フェア、フェルメール…」

「あ、フェルメールですか。最近よく展覧会がありますね。綺麗な青ですね」

「あんな小綺麗な青よりもいい青があるだろ」

「青は、青は、青の時代のやつのが一番だがね」

さっきまでくつくつ笑っていた爺さんの薄ら目が一瞬光った。畏敬。そうか。今夜は威厳のある夜だ。爺さんの中の畏敬が目を覚ましたのだ。そしてこの爺さんの惚れている青を生み出したP氏。彼は最近、フェルメールブームに押され、来日していないな。

あなたのあたまあたまのむかごこぼれてる  久保純夫

P氏の話をして満足したのか、爺さんはすぐまたくつくつ笑い出した。その顔が、「ゲルニカ」の中の顔に似ていた。くつくつくつくつくつ。ころころころころころ。それは爺さんの笑い声ではなく、爺さんのあたまからこぼれいるむかごの音。あたまからむかごがこぼれてる。爺さんはそのむかごの頭を押さえていた。

覚めたるは緑の蓋が嵌めてある  鴇田智哉

押さえても止まらない。爺さんが可哀想になる。とりあえず、近くにあった緑色の蓋を嵌めてやる。上手いこと、頭のサイズに合う。何でもある店だ。緑の蓋を嵌められた爺さんの目は開かれたまま。何が見えているのか。しかしむかごが出ないだけマシか。

冷蔵庫板に死にたい楮入れ  井口吾郎

爺さんに手間を取られたが、死体探さなければ。もうこれを見ないと、帰れないような気がしてきた。「スタンド・バイ・ミー」のように死体を見れば何か変われるかもしれない、とも思う。いやもういい大人だろ。こんなに飲んだんだから、とも思う。とにかく死体を、探す。

死体が入ってそうな箱。ああ。冷蔵庫だ。開けてみる。薄暗い店のさらに暗い冷蔵庫の中。一枚の紙。板垣退助。百円札。「イタガキ、死ストモ、自由ハ死スゼ」。死にたくなかったのか。死にたかったのか。板垣退助。

7はどうひらくか波の糸つらなる  鴇田智哉

何処をどう探せば見つかるのか。ヒントを、ヒントを。サイコロを振りたい。出た目の数だけ、進む。探す。あれ、7の目はどうやって出るんだろうか。展開図のように開いて7が表れるのか。7が出たら、出口。しゃらしゃらしゃら。昔台所の入口が掛けてあった玉すだれをくぐり抜けて、出口。


抜けたらそこは、いつもの街。忙しない街。一軒潰れれば、新しい一軒が入る。ゾンビの街。どこかに死体があるだろうか。


第328号 2013年8月4日
彌榮浩樹 P氏 10句 ≫読む


第329号 2013年8月11日
鴇田智哉 目とゆく 10句 ≫読む
村上鞆彦 届かず 10句 ≫読む
 

第330号 2013年8月18日
井口吾郎 ゾンビ 10句 ≫読む


第331号 2013年8月25日
久保純夫 夕ぐれ 10句 ≫読む

【特集・俳句甲子園】 俳句甲子園観戦記、ではなく参戦記 小池康生

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【特集・俳句甲子園】
俳句甲子園観戦記、ではなく参戦記 

小池康生


2013年俳句甲子園が終わった。私がコーチを務める洛南高校のBチームは、準優勝という結果だった。

本大会の直前、わたしは、Aチーム、Bチームの皆に、
「どちらも準決勝の舞台に上がる力をつけた。両方、そこまで行こう」
と正直な展望を語った。

その先の予想は控えたが、『Aは決勝でも充分戦える。Bは、準決勝で木っ端微塵にされるかもしれない』と考えていた。

Bチームが準決勝の進出を決めた時、その本音をぶつけ、Bチームの5人を鼓舞した。果たして彼らは、すんなり決勝進出を決め、決勝でも開成を追い詰めることができた。3年生ひとり、2年生ひとり、1年生3人のチームが上出来である。

予選大会から松山に行く直前まで彼らは急成長を続け、松山に行ってからも成長を続けた。

Bチーム3年生の橋本将愛のリーダーシップに感心するし、橋本ひとりの戦いにせず、5人の戦いにしようと必死にしがみついた一年生たちもたいしたものだと感動した。

決勝直前、1年生たちは、口々に、
「逆流性胃炎です。戦いの途中に粗相をしそうです。カメラで映せないことがおこりそうです」
とギャグを連発。

本当に体調がおかしくなっていたのだろうが、わたしは、ここでこんなことをいう1年生たちを頼もしく見ていた。

Bチームは上出来。それがわたしの感想。来年に向けて苦しみながら成長して欲しい。



引っかかっているのは、Aチームが予選グループで敗退したこと。

洛南Aチームが、水沢高校に敗れた一句目、

蓮咲きて前歯のほろと抜け落ちぬ  水谷衛(洛南)

洛南高校全体が感動し選んだ作品である。対する水沢高校の作品は、

蓮の花少し背伸びをしてをりぬ  細野望(水沢)

2対3で負けた。あと二本、ここで、いやな予感がした。

初めての紅母に借り蓮の花  下楠絵里(洛南)

胎盤を捨てた呼吸や蓮の花  佐藤和香(水沢)

これまた2対3で負け、Aチームが終わった。ちなみに3句目は、

蓮咲いて影は獣のやうであり  辻本敬之(洛南)

蓮閉ぢる遠き兄への秘密ごと  佐々木槙子(水沢)

これが3対2で一矢を報いたが、Aチームはここで終わった。
一句目<蓮の花前歯がほろと抜け落ちぬ>が、肝だった。

「蓮」の兼題で、たいていの人間が、蓮の旧知の情報、旧知のイメージをうろうろする中、水谷は大きく飛躍し、それでいて、蓮の花でなければいけない世界を築いた。

洛南俳句部全体が、この句をリスペクトした。

水谷は去年、「裸」の兼題で、

素っ裸箒があればなおよろし  水谷衛

を作り話題となっている。

今年の京都予選では、「目高」の兼題で、

一滴の水に乱るる目高かな  水谷衛

で最優秀賞を得ている。ところが、<前歯のほろと抜け落ちぬ>は、通用しなかった。

岸本尚毅さんの、閉会の挨拶「説明できない俳句の良さ」を聞いた時、水谷の句が頭をよぎった。

Aチームがここで負けたのは残念だが、この句をだしたことに洛南サイドは誰も後悔していない。俳句甲子園用の句があるかのかもしれない。一方で、高校生が自分の才能をのびのびと発揮して作る句がある。その狭間に戦略的葛藤があるのかもしれないが、水谷は水谷の輝きを見せ、洛南全体が感動した。それでいいと思う。

Aチーム5人の作品と、彼らのディベート力をもっと見せられなかったのは、歯ぎしりするほど悔しいが、わたしたちの中では、今も水谷の句は輝いている。



全体の作品集がでていない今、わたしは、自分が立ち合った戦いと、俳句甲子園ホームページに掲載される句でしか作品を知りようがない。

誰もがそうなのだ。すべての作品を知る人はギャラリーにも参加高校関係者にもいない。

今年の評価をどうするか、作品集がでるまでとらえようがない。

だいたいわたし自身、今年が2度目の俳句甲子園、全容の評価などできる人間ではないのだ。

対戦相手の作品で感心したのは、

獣道抜けて広がる夏の海  前田竜一(八重山商工)

誰もがすぐに思い出せる景。沖縄の高校となれば、その洞穴のような獣道から青い海が見えてくる。

今年の最優秀賞作品は、

夕焼や千年後には鳥の国  青木柚紀(広島)

この句を最優秀作にする選者に拍手。

ポジティブな作品だけが、高校生の作品ではない。

今を生きる高校生のイメージの世界。この作者は、本当に面白い。よほど俳句にのめりこんでいるのだろう。高校生という範疇を超え、注目作家になるのではないだろうか。いや、もう、なっているのだろう。

優秀賞作品から

夕焼やいつか母校となる校舎  大池莉奈(吹田東)

現役高校生が、<母校>を斡旋したポエジー。

太陽に指先触るるバタフライ  下楠絵里(洛南A)
平泳ぎでもなくクロールでもなく、バタフライの野性味が効いている。

2年生でAチームの主力選手。今後、彼女がどう伸びるのか、洛南の誰もが楽しみにしている。学内でAチームとBチームがディベート練習を終えると、Bチームのキャプテン橋本が呟いたものだ。「下楠が手を上げると怖い」。下級生の一撃のような質問に本気で恐れていた。

その下楠が尊敬する先輩に、辻本敬之がいる。彼がAチームの中心選手。洛南の今のディベートのベースを築いた男だが、彼の作品は賞を獲らず、彼のディベートも晴れ舞台では披露できなかった。予選グループ敗退に一番ショックを受けたのは彼だろう。俳句に対するひたむきさ。落ち着き、優しさ、知性、彼はみんなの憧れだ。

稲畑汀子さんの〆のスピーチにあった敗者への言葉、「どってことないのよ」の凄さも大人には響いても大会を終えたばかりの高校生には、すぐさま届かないだろう。

帰り道、辻本がわたしの横を歩き、新しいペンネームをつけて欲しいと言ってきた。

喜んで引き受け、数日後、「辻本敬之」は「辻本鷹之」になった。

いつか、彼には彼のタイミングでスポットが当たると思う。どってことないのだ。

夕焼や補欠の声は遠くまで   橋本将愛(洛南B)

橋本親方は、グランドの補欠を見ていたのだろうが、洛南俳句部の補欠のことも視野にいれていたのかもしれない。我田引水で申し訳ないが、さらに入選作から、

夕焼や耳の奥より熱き水   米林修平(洛南B)

昨年は、<二百十日ステーキの血を味わって>で入選している。彼の存在は、わたしの中で特別なものだ。5人の戦いのなかで、実に地味な存在なのだが、彼は渋く活躍する。

ディベートも作句も器用な男ではではなく、黙々と作り続け、『大丈夫かな、わたしの想定するハードルを超えてきてくれるかな』と心配になるのだが、とんでもなく低い打率のなかから、渋い作品を作ってくる。そんな彼を信頼する橋本キャプテンもたいしたものなのだ。ほんと、我田引水でごめんなさい。

蓮の花雨の始めの音を聴き 大瀬良陽生(洛南A)><大木の抜かれし跡や大夕焼 水谷衛(洛南A)>の二作は、入選。Aチームは優秀賞1。入選2。

部長、川崎裕亮の<着ぐるみのままにゼリーを戴きぬ>は、若手俳人谷雄介が、「裏最優秀作」と褒めてくれた。ほんと、ごめんさない。我が田にばかり水を引いて。

原稿は白紙でみんみんが近い  河田将英(開成A)

これが決勝5句目の作品。5句目にディナーが用意されている。それが慣わしとなれば5句目を待ちたくなる。学習させていただいた。俳句で「原稿」などという言葉がでてくると鼻白むのだが、この作品には、臭みがなく、湿り気もなく、原稿が書けていなくせに力強い。他の作品も読みたくさせる力量を感じさせる。

乱暴な私ゼリーのような君  尾上緋奈子(飛騨神岡)

洛南にも真ん中に切れを持ってくる人がいて、このタイプの句は見慣れているのだが。
乱暴な切れが作品世界にぴったり。

白蓮や水張りつめてゐる夜明け  杉山葵(能代)

大人のような句とかいう言い方は嫌いである。いい句は、いい句。

こういう句があると、チームとして作品の並びが楽しくなりそう。

手を繋いだっていいくらい夕焼けだ  伊村史帆(厚木東高校)

まだ手を繋いでいない二人。「繋げよ」と女性が心の中で力強く叫んでいるかのような

面白さ。誤読だろうか。

作品集ができれば、まだまだ面白い句と出合えるのだろう。現時点でも多くの名作を見逃しているのだろう。わたしには、余裕がないのだ。10人の生徒の戦いとその後を見ることで精一杯なのだ。もう少し時間が経てば、他校の名作を味わえる余裕がでてくるかもしれない。

 ≫ 第16回俳句甲子園結果



高校生を見ていると、一年という時間、一ヶ月という時間が、大人とは別の尺度に思えてならない。それほどに彼らの成長は早い。

人間それぞれの持つ時間は同じではない。しかし、それは大人の持つ時間の否定ではなく、あくまで、違い。若者の時間と大人の時間のコラボは、面白い。

高校生と句会をする時、自分の選や評をみせてやろうと本気になる。

それだけではなく、袋回しなどをすると、わたしはいつも最高点を狙い、躍起になっている。大人気ない?それがわたしの大人の時間なのだ。



小池康生&洛南Aチーム出演 京都FM番組 「俳句セブンティーンズ」 
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【特集・俳句甲子園】 愛と幻の俳句甲子園(1) 青木亮人

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【特集・俳句甲子園】
愛と幻の俳句甲子園(1)

青木亮人



下記拙文は、「愛媛新聞」9月3日文化欄の掲載記事に加筆・修正を加え、転載したものである(原文は「愛媛新聞ONLINE」で公開→http://bit.ly/1a56lyD)。

大会当日は数多くの出場者にインタビューを行い、またOB・OGや関係者からも話を聞かせてもらう機会を得た結果、記事としてまとめることができた。しかし、紙幅の都合もあり、全てに言及できなかったのは心残りである。

そのため、今後も出場者へのインタビュー内容等を「週刊俳句」で断章風に報告予定であり、今回はいわば第1回目に当たるものとして拙文をお読みいただければ嬉しい。

なお、俳句甲子園に関する拙文やツイッターでの呟き等に目を留めて下さり、声をかけて下さった「週刊俳句」編集者に感謝申し上げます。


1 俳句と青春

これから記すことは今年の俳句甲子園に審査員として参加し、また多くの出場チームや関係者にインタビューした内容の一部とその感想である。

かつて建築家ミース・ファン・デル・ローエが述べた言葉、「神は細部に宿る」を信じつつ、いくつかの断片を紹介することで俳句甲子園の「何か」を感じてもらえればと願う。


ある高校の図書館には句集その他の蔵書がほとんどない。出場チームは文芸部メンバー(好きな小説家は有川浩や西尾維新、神永学など)で組み、

白 蓮 や 水 は り つ め て ゐ る 夜 明 け

等の句で勝負したが、惜しくも敗退した。選句の際にどの句で勝負するか話しあい、俳句甲子園としての作品を選んだが、勝利に結びつかなかったのだ。

一方、ある学校の図書館には個人作家の全句集やアンソロジーがあり、文芸部俳句部門の生徒たちは自由に手に取ることができる。歳時記は先生がプレゼントしてくれた。

部員は何より歳時記を読みこみ、季語の特徴や例句等を学びながら句作に励むことが多い。顧問の先生も熱心に応援してくれる。

大会前は週に2、3回の句会をこなし、吟行にも出かける。ただ、部員が多くないためディベート練習は不足がちだ。多ければ2チームに分かれ、ディベートの訓練もできるのだが、そこまでには至らない。

同じように、あるチームも俳句甲子園に勝つため日々句作とディベートの練習を重ね、顧問の先生も熱心で指導に余念がない。

部員と顧問の問題意識は一致している。「俳句甲子園で優勝するには何をすればよいか?」。それが全てであり、この目標以外はさしあたり「俳句」ではない。だからこそ少々厳しい練習にも耐えることができる。彼らは「優勝したい」と真剣に願っているのだ。

かたやある学校は、勝敗もさることながら「面白いかどうか」で選句を決めることが多く、他校と感覚の違う作品で勝負に出ることもある。

人 類 は 雑 音 ま み れ で す 目 高

これは他チームならまず出さない句だ。「私たちは運動部と違う、面白いかどうかを優先したいし、その方が楽しい」「先輩たちには『句が面白ければ勝てる』という雰囲気があった。だから私たちもそう感じるようになった」。そう言って屈託なく笑う姿が印象的だった。

出場者の多くは過去の先輩の句や大会の最優秀作などを読み、また歳時記を参考に「俳句らしさ」を学んでいく。その中でディベートしやすい作品を詠むように心がける生徒もいれば、自分なりにベストを尽くした句で勝負することに意義を感じる出場者もいる。

今回、その彼らと話して興味深かったのは、「好きな俳人は?」と聞かれて即答した人がほぼいなかったのに対し、「好きな小説や漫画家、ミュージシャンは?」という質問には目を輝かせて答える出場者が多かったことだ。

彼らは桜庭一樹や小川洋子、伊坂幸太郎などを愛読し、マンガ『ジョジョの奇妙な冒険』を読みふけったりする。俵万智が好きという生徒、また佐野元春のファンもいれば、K―POPに夢中の生徒もいた。

出場者の大部分は高浜虚子や中村草田男、高柳重信や阿部完市などの近現代俳句史をほぼ知らない。句会以外に勉強会を設け、昔の俳人を研究するチームもまれにあるが、歳時記の例句を難しいと感じる出場者もいる。

彼らの多くが感動するのは〈夕立の一粒源氏物語〉〈小鳥来る三億年の地層かな〉など過去大会の最優秀作であり、〈つまみたる夏蝶トランプの厚さ〉などの審査員の句である。それで十分なのだ。

これらに対し、「俳句甲子園は狭い世界に過ぎず、それ以外の俳句観もあることを知らない」「勝敗を決めることに問題がある」「作品のレベルが低い」等の批判もある。

しかし、考えてみてほしい。彼らは「普通」の高校生であり、俳句に人生を賭けた俳人ではない。

たまたま学校が俳句甲子園に縁があったため参加したとか、人数が足りないので友人に誘われた出場者もいる。いつもは運動部に所属し、ライトノベルを読んだりJ―POPを聴くような普通の高校生が、出場すると決まったために自分なりに良い句を詠もうと一生懸命になった結果が多くの作品なのだ。

その彼らが大会に出場し、勝利するとガッツポーズを決め、敗北すれば泣き崩れる。当たり前の話だ。出場する以上は大会ルールが何であれ、「勝ちたい」と願うのは出場者として自然の心情であろう。

その彼らに対し、批判する論者は何を求めているのだろうか。

トーナメントがいけないというのであれば、140試合のリーグ制(できれば2リーグ)で優勝校を決めるべきというのだろうか。

作品のレベルが低いのであれば、「廃工場のギリシャ風柱頭まひるの藤 竹中宏」といったアートな俳句を求めているのであろうか?

そもそも勝敗で分けることがいけないという場合、たとえば松山の大街道商店街に出場者一同が集い、全員が俳句を披露しあった後に肩を組んで「みんな違つて、みんないい」と朗読するような「癒し系俳句大会」が良い、となるのだろうか。

繰り返すと出場者の多くは「普通」の高校生なのだ。スポーツならまだしも、平成期の日本で俳句にこれだけ一喜一憂する高校生の大会があることがどれほど凄いことか、簡単に批判する論者はその意義を実感できないのではないか。

加えて、「勝敗を決めるのはよくない」というのであれば、新聞俳句欄や結社主宰の選に一喜一憂することもダメなのだろうか。各出版社や地域が定めた賞はどうなるのだろう? といったことも関係してくるだろう()。

俳句甲子園での「勝敗」の是非と、俳句(と短歌)特有の「自選ではなく、主宰等の『他選』が重んじられる」世界観は重なる点もあり、これについて個人的に感じることはあるが、今回は省略する。

ところで、これは(たぶん)誰も指摘していないが、大会出場者は多様な感性を秘めており、たまたま勝利に結びつかないか、本人が気付いていないだけで、実は豊かな可能性を秘めた場合が多い。

それは決勝まで進む学校の句や優秀句等のみ眺めるのでなく、負けた句や大会で披露しなかった作品(全チームは勝ち進む場合を想定し、決勝までの句を用意している)も併せて鑑賞すると、さまざまな感性が渦巻いていることに気付かされる。

ある初戦敗退チームが出した句を見てみよう。

蓮 の 花 み ど り の 池 に 浮 い て ゐ る

この句はかの高浜虚子率いる昭和期「ホトトギス」を彷彿とさせる作風で、具体的には藤後左右(とうごさゆう)の「写生」句に近い。たとえば、「ホトトギス」昭和5年11月号雑詠欄に入選した左右の作品を見てみよう(この号で、彼は最大の栄誉とされる巻頭の次に相当する第二席に入選した)。

萩 の 野 は 集 つ て ゆ き 山 と な る
噴 火 口 近 く て 霧 が 霧 雨 が
う た ひ ゐ る 声 の 二 重 や あ ぶ ら 蝉
曼 珠 沙 華 ど こ そ こ に 咲 き 畦 に 咲 き

先の「蓮の花」句の「写生」とユーモアは、高浜虚子が高く評価した上記作品に通じるセンスが感じられる。

惜しくも勝利には結びつかなかったが、「蓮の花」句と「夕焼や千年後には鳥の国」(今年の最優秀句)とをフラットに並べて鑑賞する時、俳句甲子園の今一つの可能性が見えてこないだろうか。

ただ、これは研究者の視点なのかもしれない。一般的に「蓮の花」句は佳作と見なされないだろう。

そもそも、出場者に大切なのは俳句甲子園という「場」であり、そこで勝負し、多くの人と語りあったという記憶である。

彼らの中には高校卒業後も俳句に打ちこみ、俳人を目指す人がいるかもしれないが、多くは俳句甲子園が懐かしい思い出となり、平凡な日常を暮らす社会人になるはずだ。

ある出場者(3年生)は大会後にツイッターでこう呟いた。

「私がこれから俳句に触れるのは俳句甲子園のOB・OG会くらいしかないと思うの。俳句が好きというより俳句甲子園が好きなんだと思う」。

高校生のある時期にさまざまなきっかけで句作に熱中し、四国の松山で笑い、泣き、喜びと悔しさとともに仲間と出会い、俳句について語り明かしたということ。

大会が終われば俳句とともに過ごした日々はほぼ戻ることなく、それゆえ大切な思い出となる。俳句甲子園はその意味でまさに「青春」なのだ。これ以上、何を望むことがあろう。


決勝戦で開成高校が7度目の優勝を果たした翌日の夕方、高柳克弘氏(審査員)と神野紗希氏(松山東OG)、また甲子園OB・OGの皆さんと句会を行った。いずれも2日間に渡る俳句甲子園に関わったメンバーで、大会の余韻を漂わせての集いである。

道後温泉駅近くのカフェで各自3句提出し、全員の句から5句選ぶ。一人ずつ自己紹介しながら選句を読み上げる際、沖縄の高校OBの一人が「憧れの俳人は高柳・神野両氏です」と言った。

正面からの告白に高柳氏は微妙な表情を浮かべ、神野氏は照れている。私が「どう好きなんですか」とツッコミを入れると、OBは「それは言えません」と赤面した。一同、笑いに包まれた。

今年の大会出場者もそうだったが、彼らの中で神野氏は憧れの存在であり、特に「カンバスの余白八月十五日」(2001年の最優秀作)は大会史上の傑作として今も多くの関係者が諳んじている。沖縄のOBの方もその句のファンということだった。

大きな窓から夕日がさしこむ部屋で、元出場者たちは高柳・神野両氏と句会をする幸せとともに、それぞれの俳句甲子園の名残を慈しみ、悼みつつ懐かしんでいるようだった。

(第1回・終)


【特集・俳句甲子園】 若さ・未熟さを以てしてでないと 村越 敦

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 【特集・俳句甲子園】
 若さ・未熟さを以てしてでないと

村越 敦



今年の俳句甲子園に出された句から、じぇじぇ、と思った句を抜いた。


夕焼や地下道に日の匂ひして  岡村優子(宇和島東)

ともすれば取り立てて言うほどの句ではないということで読み飛ばしてしまいそうになるが、描かれている景を丁寧に再現してみるとちょっとした驚きがある。

たとえば夏の平日の夕方、新宿、山手線の大ガード。地下道の入り口付近を淡く照らす夕焼けを視覚的に捉え、続いてそれを匂いとして追認している。匂ってきたのはもしかしたら夕焼そのものではなく、昼間の強い陽射しの熱をじゅうぶんに溜め込んだアスファルトかもしれない。雑踏から立ち込めてくる匂い、と広く捉えてもよいだろう。

いずれにせよ、地下道に差し込む夕日という素材を発見したことに満足せず、先行者が少ないその発見をどのように描いたら良さが伝わるかという気遣いが構造的な側面にまで行き届いており、完成度が高い。


郷愁はきゃりーぱみゅぱみゅの団栗  藤江優(金沢泉丘)

きゃりーぱみゅぱみゅ(きゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ、本名竹村桐子)は1993年生まれ、独特の色彩的な世界観は勿論、「赤巻紙青巻紙黄巻紙」「生麦生米生卵」と並ぶ早口言葉御三家の一翼を担う存在として日本のみならず世界中にその名を轟かせている。

(という明らかに不要な前置きはさておき)この句を鑑賞するためには作者が我々に提示する謎を読み解かなくてはならない。まず郷愁は、ときているのできゃりーはもしかするととんでもなく田舎の出身なのかもしれないぞという推論が立つ。なるほどそれならば苦労して地方から出てきていまや世界的なアーティストとなったきゃりーの内に秘めたるふるさとへの思いを読み込んだ句として解釈できるかもしれない…と思ったが、調べてみると彼女の出身地は、「東京都」。あえなく撃沈。

そもそもこの句は形がヘンだ。郷愁=きゃりーぱみゅぱみゅの団栗という構図なわけだが、郷愁ってだれの郷愁だ。作者か。きゃりーか。きゃりーがGMT(地元)へ思いを馳せているという読みが否定された今(奥多摩出身の可能性はあるにせよ)、郷愁を覚えている主体は作者、もしくは総称人称としての「誰か」ということになろう。としても今度は「きゃりーの団栗」とはなにか、という疑問が首をもたげる。きゃりーにそんな曲あったかなぁ。ひょっとすると何かのメタファーかもしれない。云々。

…と、謎を追いかけるのはこのくらいにするとして、いずれにせよ"郷愁"(概念を表す名詞)-"きゃりー"(固有名詞)-"団栗"(季語)という言葉の繋がりは、既存の"取り合わせ"の枠を超えた何かを提示しうるのではないか、という予感がしている。


親指を血はよく流れ天の川  吉井一希(灘)

この句の手柄は他ならぬ、「よく」にある。さりげないながらしかし絶妙に配された「よく」。この「よく」をよくぞ、引っ張ってきたものだと思う。親指の内を血液が滔々と流れるという身体的な事象に天の川というスケールの大きい天文の季語をつけるのはやや常套ではあるが、「よく」の力によって手練さを感じさせない青春性へと昇華されている。


夏雲の数をかぞえて指をおる 金城涼太(浦添)

忘れもしない、この句は準決勝(洛南Bvs浦添)の5句目、この1句の勝敗で両校の運命が決するというタイミングで登場した。会場は特にどよめかなかったが、私は一人勝手に興奮していた。

なぜなら、普通勝敗の鍵となる大将戦には大味な、厚みのある句を持ってくることが俳句甲子園的にはセオリーとされているからである。この句は率直に言って、只事俳句もいいところである。事実、13名の俳人審査員のうち中原道夫・仁平勝は準決勝戦という大舞台にも拘らず5点という実質的な最低評価をこの作品に下している。

他方で審査員の中には9点(岸本尚毅)、8点(高柳克弘)という高得点をつけた人たちもいた。そして私はこの句に関してはこの岸本・高柳ラインに加担したい。というのも、おそらく、この句には屈折した何かがある。まず根底に横たわるのは夏雲の数を数えることに意味はあるかという問題だ。さらに「かぞえて」という表現から実質的に「指をおる」行為は自然と想起されうるのにも拘らず、敢えて「指をおる」という無意味とも思える表現を重ねている。(意図したものかどうかは定かではないが。)

祈りか、孤独か、この句で描かれている意味を断定することはできないが、むしろその屈折を楽しむ余裕を作者は読者と共有しようとしているようにすら読める。

結局この句は敗れ、浦添高校は準決勝で涙を吞むことになったわけだが、俳人が何を是とするかということを奇しくも明らかにしてしまったこの俳句は、俳句の出来自身は勿論、それとはまた別の俳句甲子園史的な文脈からも評価されねばなるまい。


かつて自分も俳句甲子園に出場していたことがあった。

当時何を考え、何を目指して俳句を書いていたかということは率直なところあまり覚えていないのだが、審査員の俳人先生達からの「高校生らしさ」を書きなさい、というアドバイス(今大会も勿論この種の発言は見受けられた)に少なからず辟易していたのは確かだ。

なぜなら、まずもって「高校生らしさ」とひとくくりにするのは「老人らしさ」とか「東京らしさ」とかと同じようにあまりにも多くの意味を含んでしまう。さらにはそもそも高校生の時分から多かれ少なかれ夏休みを犠牲にしてわざわざ俳句を嗜むような俺らは「一般的な高校生像」がもしあるとするならば既にその範疇から外れているわけで、だから「高校生らしさ」を俳句甲子園に出場する高校生に見出すというのは既に矛盾を孕んでるじゃないか。当時はこう考えたのである。

しかしそれから数年が経ち、きわめて個人的に、俳句と現実世界のリンケージに大きな意味を見出す立場に与するようになった今日この頃、この大会に対しては数年前の自分と違う感慨を抱いている。

あまり長くなるとあれなので別の機会に譲るが(飲みながら話しましょう)、高校生の両眼というフィルターを通してでないと投影されない時代精神ってたぶんあるのだろうと思う。

素材が新しいとかそういう話とはまた別に、似たような事象を似たような技法・文脈・ツール(季語?)の中で描くにしても、それでも高校生の若さ・未熟さを以てしてでないと表出できない部分がきっとあるのだと思う。

このことを、今回取り上げた俳句群を通してあらためて強く感じた。


≫ 第16回俳句甲子園結果

【特集・俳句甲子園】 よくやりますよ、ほんと。 阪西敦子

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【特集・俳句甲子園】
よくやりますよ、ほんと。

阪西敦子


松山から戻って間もなく二週間。まだ、何かがもとに戻っていない。


オール漕ぐ風の湿りや大夕焼

最初から好きで、やっぱり好きだった句。オールで自ら漕いで進むときに受ける風にある湿り。そこに大夕焼。繊細に拾われ、丁寧に描かれた一瞬が、暗さとも明るさともつかない光や、暑さとも涼しさともつかない空気や、風とも自分ともつかない湿りや、夕焼のあれこれを描きだす。読む人それぞれでありながら、それぞれには曖昧にならない大夕焼。


郷愁はきゃりーぱみゅぱみゅの団栗

印象に残った句と言われれば、すごく印象に残った句。実際に句に含まれる言葉よりも、作者の伝えたい情緒において饒舌な作り句の方が多い中で、これだけ情緒のつかみにくい句も珍しい。きゃりーぱみゅぱみゅの団栗。句の迫力とその発音のややこしさで、ディベートの場を掻き回した。そこが魅力であるのだけれど、最後のところで伝わるか不安になってしまったのだろうか、「郷愁は」と言って、急に方向を定めようとしてしまったところが、もったいない。次はどんな句が彼女に見えるのだろうか。


夕凪や手紙を丘に破きたり

手紙を屋外に破るというのは、なかなか相当な出来事であって、それが丘で、夕凪であった場合、それはどういう感慨を伝えるのか。破く前は捨て鉢でもあり、破いた後ではわりと心地よいのか、夕凪か。これといって確たる感慨もなくて、ただただ、読む人の経験と知覚へ訴えるところが楽しい。


鍵盤に指触れファソラ秋深し

ファソラはどんな音だったけなと考える。そうだ、あの音。これがほかの音であれば、例えばドレミであればどうにも安易で、ミファソであればどうにも嘘くさい。ファソラだ。ソラが入っているなんて言ってはいけない。そうか、ファソラは秋深むなんだ。すっごいな、それが聴こえるんだな。


大きさの合わぬ指切り春の暮

春の暮は外で迎えることが多くなる。帰りたくないのと帰りたいの端境にいる。大きさの合わない手を持つ者たちは、片方が片方へ言って聞かせ、もう片方がそれを諾う。


原稿が白紙でみんみんが近い

そもそも印象が強かった句、決勝の句となった。
日数の定めのある原稿かもしれないし、時間に定めのあるものかもしれない。全く進んでいない原稿の前にいながら、みんみん蟬の声を耳にしている。「で」としながら関わり薄い二つを、一挙にとらえるアンテナの強さが魅力。強いアンテナは原稿が「進まない」ことや、みんみんの「声」ではなく、「白紙」で「近い」ことを拾う。同作者の〈ポケットのどんぐり傷をつけ合へり〉も印象深い。気に入ってふと拾い集めた団栗を取り出すと、互いにぶつかり合って傷がついている。それだけを知らせる句であるけれど、読むこちらもその傷が気になってくる。「つけ合へり」が擬人として甘いとする意見もあるかもしれないが、能動的にではないにせよ、実際に傷をつけ合っているわけであって、たとえば団栗が黙っている、風を聴いている、団栗に見つめられるなどのこととは度合いが違って、たとえば自分で転がっているわけではないけれど「転がり出す」程度のこと。作者が捉えたままの魅力ある把握と思う。


よくやりますよ、ほんと。なかなかちゃんとなんて言えない。高校生じゃああるまいし。


≫ 第16回俳句甲子園結果

きくのきせわた 橋本直

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きくのきせわた

橋本 直



鱈の白子のことじゃありません。秋の季語です。「菊の被綿」などと書きます。

ある調べ物をしていて『広辞苑』を引いていた時、たまたま出くわしたことばで、

  かわ‐すがき【川簀】 流水をふさぐためにかけた竹のしがらみ。
というのがありました。ああ、最近は金属製だけど、流れに柵をたててごみとかを引っかけるようにしてあるあれのことか?と納得しかかったのだけれど、いや川の流れをところどころでコントロールするようなものかもしれず、なんだかよくわかりません。で、ググってみてもからないし、画像なんかもでてこない。しかし、

  ふらすこやきせ綿をとく川簀垣  朝叟

というなんとなくしゃれた感じの句にあたりました。これは、宝井其角が編んだ俳諧集『焦尾琴』の中に収められているそうです(参照元http://kikaku.boo.jp/haibun.htmlざっと調べた範囲で同書は影印本しかでていないようなので、一部とはいえ翻刻がWeb上にあるのはありがたいことです)。「川簀垣」で「かわすがき」でしょう。しかし、どうも句意がよくわからない。

朝叟(ちょうそう)は江戸時代の俳人で石内氏。嵐雪門ですが其角にも学んでいます。「ふらすこ」はあの理科の実験に使うフラスコと同語ですが、江戸時代には「酒瓶」とか「瓶」の意味で用いられたそう。「きせ綿」が季語で「菊の被綿(きくのきせわた)」のこと。夏井いつきさんの『絶滅寸前季語辞典』にもでている季語の絶滅危惧種です。『広辞苑』によれば「菊の花に綿をおおいかぶせたもの。重陽の節句(陰暦九月九日)の行事で、前夜、菊の花に綿をおおって、その露や香を移しとり、翌朝その綿で身体を拭うと長寿を保つという。きせわた。きくわた。きくのわた。 季・秋」とあります(余談ですが井上井月の句が収められている句集の名に『きせ綿』があります)。したがって、重陽節の折の句ということになります。だから「ふらすこ」はたぶん菊酒をいれるためのものでしょう。

『広辞苑』には「説明の身体を拭う-」とありますが、綿に色をつけて愛でて楽しむものでもあった模様です。改造社『俳諧歳時記』や角川『図説大歳時記』をみると説明がいろいろあるのですが、「東京の祭り」(下記アドレス)などが一つの参考になります。

http://members2.jcom.home.ne.jp/ichikondo/09%20chouyounosekku.html

ところで、「きせ綿をとく」とはどういうことなのでしょう? 素直に読むと、かぶせていた綿を菊花からとく、ということかと思います。そうすると、川簀垣のある小流れで菊酒を飲みながら菊から解いた綿で身体を拭っている、てな感じなのでしょうか。しかし、どうも語を当て込んだだけの解釈でしっくりこない。この風習にお詳しい方、ご教示くだされば幸い。とりあえず、歳時記などから拾った上記以外の句を。

  綿着ても同じ浮世ぞ霜の菊  支考

  白菊や着せ綿まゐる指の反リ  移竹

  綿着せて十ほど若し菊の花  一茶 以上『俳諧歳時記』

  著綿や老い行く菊の花の貌  蝶夢

  小袖著て日南をありく九日哉  不由

  菊襲殿上月のほのめくに  鳴雪 以上『昭和大成新修歳時記』

  菊の着綿とばされてしまひけり  夏井いつき『絶滅寸前季語辞典』

星をつなぐ/時をつかむ 竹中宏「禹歩」(『翔臨』第77号)を読む 小津夜景

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星をつなぐ/時をつかむ
竹中宏「禹歩」(『翔臨』第77号)を読む

小津夜景



『翔臨』第77号。竹中宏「禹歩」が印象に残った。

禹歩とは道教で広くおこなわれる歩行術のこと。呪術的な意味合いのあるこの歩法を身につけると長寿が手に入る上、さまざまな災いを避けることもできるらしい。さっきウィキペディアの解説を見にいったら「半身不随でよろめくように、または片脚で跳ぶように歩く身体技法」と、なんだか土方巽の舞踏しか想い浮かばないような何とも言えない説明のみが書かれていたのでびっくりした。もちろん実際はそんな奇態なものではぜんぜんない(はずである)。

たぶん「禹歩の重要な特色は『摺り足』にあり、太極拳や八卦掌の基本歩術ともなっている」などの書き方なら「あ、それならカンフー映画で見たことあるかも」と思う人もいるだろうし、そうでない人にも雰囲気がずっと伝わりやすい(少なくとも壮大な誤解を与えない)のに(もっともこちらにせよ、もし本当にそんな歩きかたで町をうろついたら、悪い薬と誤解されかねないといった意味では奇態なのだが、私が言いたいこととは別の話)なにゆえ暗黒舞踏なのか。おどろおどろしい方が効き目がありそうだから? あるいはもしかすると、そう単純には書けない経緯があるのかもしれない。

さて、竹中宏の『禹歩』である。これはかなり手の込んだ雑写的編集を感じさせる作品だ。「端的に幸やパン屋をうかがふ蜂」「石榴ならむ繁りに文字は衛戍とあり」などの、接写ぎみで残留感のある視線を、巧みに音韻を曳きずることで表現した句も興味ぶかいが、個人的には「バイクで来るダブルのスーツ鯉のぼり」(きわめて良い風景)「スキンヘッドの紐は眼帯雲の峰」(素敵。イチオシ)「エスカレータ終端の櫛業平忌」(つげ櫛と伊勢物語のカップリングなのにふしぎとモダン)といった被写界深度の深いスナップ風写生が最も好みであった(もちろん、作中にはこの作者特有の「ガム嚙んでは物質枚挙しやめぬ蜘蛛」のごときアナモルフィックな句も存在する)。そしてまた、そうした句の合間を縫うようにして、どことなく感覚のよたついたような、身体をひきずるような、つまり禹歩的歩術を思わせる句が挟まっている。例えば、次のような例。

  ぬかるみに蛇紋の轍星の恋

もともと禹という字は、身を折り曲げた雌雄の竜のかさなりあう形象に由来し、鰐や蜥蜴なども意味するらしい。また昔の人は、そんな禹が地面を這いずりくねった際に生じる痕跡の妙を超自然的なものとして捉え、禹歩としてその形を模倣し、北斗七星や九宮八卦の九星の意味と重ねあわせて解釈してきたそうだ(ちなみに、八卦掌には「走圏」という禹歩法がある。これは趟泥歩と呼ばれる「ぬかるみの中を、足を抜かず、うねり流れるように移動する動作」によって円の上をねりあるく歩行術のこと)。

こうした背景から「ぬかるみの蛇紋」といった表現が、禹歩的痕跡へのそのままリテラルな言及であり、かつ「星」という語とペアになっていることは、ほぼ間違いないといえる。またその上に「星の恋」とくれば、この句が三つのペア(雌雄の竜、禹歩と星座、牽牛と織女)を織りあわせた構造だということもわかる。

とはいえ今は、このいわくありげなアストロジック構造に気をとられることなく、あくまでも蛇紋という「曲がったうごき」自体にこだわってみたい。なぜなら、禹歩という主題をダイレクトに反映した句に関する限り、作者の視線は空間の組み立てよりも、対象の非線形なうごきをなぞりつつそれを「時間の痕跡」として掴みだすことの方に強く向かっているからである。

そういう訳で、うねうね曲折したり、くねくね屈折したり、ずりずり跛行したり、などといった禹歩流のうごきを視線でなぞってゆくことで、作者が「時間の痕跡」を捉えている例を見てみよう。

  流鶯のめぐれる底の不整脈

  下闇を出てからも鳩しのび足

  猫わたる旱ざらしのカスケード

最初の句では、作者の視線が「流鶯のめぐれる底」をなぞって、そのうごきを「不整脈」という一定しないリズム、すなわち禹歩流のもたつきを内包する時間として再認しているのがわかる。次の句では、よたよたと進んでは止まり、また進んでは止まるといった鳩の歩行に「しのび足」という摺り足のヴァリエーションが重ねられると共に、なめらかのようでいて決してスムーズに運ばない時間とのひそかな共振を図っている作者の意識が窺えよう。最後の句は、身を焼かれるような日差しの下、険しい裸山と化した滝を猫がうごいている風景だが、作者は「旱ざらし」「わたる」「カスケード」などの語によって、ゆきつもどりつしながら延びてゆく迂曲に一定の強度(なんとなく cascadeur がフランス語でスタントマンを意味することも関係づけられる気がするが、どうなのだろう?)を与えつつ、持続するその強度をつかみとろうとする自己の欲望をもさりげなく描き出している。

上記の三句は、視線が外界の「曲がったうごき」をなぞることで「時間の痕跡」が把持されている例であった。だが当然のことながら「時間の痕跡」は、動く対象を「なぞること」ではなく、動かない対象を感覚の側で「つなぐこと」によっても創り出すことができる。たとえば、次に並べる三句は、感覚の側で随意につくりだした「屈折」「曲折」「跛行」がそのまま禹歩的非線形性となっている例だが、ここではあたかも道士が九星をつなぎあわせて座を創り出してゆくごとく(なおかつその座の軌跡から運命と呼ばれる「見えないはずの時間」をダイナミックにコントロールしてゆくごとく)、作者自身が意のままに諸対象をつなぎあわせることで、そこに新たな時間を生成させると共に、その生成された時間の内に両目を拓く自己を再認してゆくようすも見てとれる。

  膝まへの汚れ三味線と皿の瓜

  炎熱忌のこめかみ・みぞおち・つちふまず

  みんなが降りつぎの猛暑の駅に降る

最初の句は、これといった文脈を顧みないで読むならば、ごく平凡な空間写生のそれに思えるが、ここでは「汚れ/三味線/瓜」の三つの対象を屈折した視線でつないで座とし、さらにその座を根拠(痕跡)とするかたちで己の意識のうごめきを掬いあげた時間写生の作物として読まれるべきだろう。次の「炎熱忌」の句も同様に、内なる眼差しで「こめかみ/みぞおち/つちふまず」の三つのツボをジョイントすることで、うだるような暑さの中にあって冷ややかに浮かびあがる「時間内存在としての自己」を作者がつかみとっているその気配をぜひ味いたい。そして最後の句の「みんな」と一駅ずれて降りるといった行為が跛行のリズム、すなわち禹歩の神髄のそれを反映していることは想像に難くないが、いたって独創的なこの摺り足の発想には、猛暑にさらされ身体をひきずるような光景の描写のみならず、リズムのずれから生じる時間をなぞり、そこに自己の痕跡を複写しようという作者の思惑がおそらく存在するのである。

この作品において、禹歩とは、空間に曲がった線を引くことで時間を可視化し、さらにその可視的時間をなぞることで自己の意識に触れることであった。また「時間を視る」とは、時間の内になすりつけられた自己の残痕に目を凝らすことに他ならず、さらにはその残痕から「自分はそこに存在した」といった信をくみとる行為にもつながっていたようだ。

ところで「なぜ作者は『時間の痕跡』の写生に際し、禹歩流の『曲がったうごき』にこだわったのか?」といった疑問については、以下のような、ごくバナール&シンプルな憶断ですませておきたい。すなわち、曲がるという現象は、時空の中になんらかの差異をうみだすヴィタリテ(生気・力)そのものであり、またそんなヴィタリテの勢いは人間の息づかい(意識の律動)をそのつど引き出す「時空の原書的な書法」を体現しているのである。

  回廊からすぐ若駒の闇のへや

この句では「回廊」からほんの少しだけ視線をずらした場所に「闇のへや」が配置されている。おそらく作者は、永遠に安定した(それゆえ時間の観念の存在しない)この円環の外へ目を向けることで、新たな世界を発見するだけでなく、いまだ生傷のような時間の萌芽や、自己という意識への手がかりに触れたことだろう。

奇しくも、視線の曲折の先にあらわれた「闇のへや」には、生命の光をやどす若駒がひそんでいて、闇はそれほど深く感じられない。もしかするとこの「若駒」は、この作者が闇のさなかに繋いだ星、意識のはざまで掴まえた時、すなわちヴィタリテのみずみずしい化身、だったのかもしれない。

10句作品テキスト 前髪ぱっつん症候群(シンドローム) 内田遼乃

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 前髪ぱっつん症候群(シンドローム)   内田遼乃

きみのわんこちゃんになりたいよわんわんとめだかがいったの
めだかああママなんて言う人はきらいです
ピーチ姫を助けに行くわたしは実はあみどだった
めだか私の愛は電話帳より重たいの
洗眼薬の海におぼれ視界ぴんくなめだかさん
はつなつの夜ケチャップに染まった君が美しくて僕はもどしてしまったの
ばっきゅーんうちぬかれたハートはもうはつなつのチョークのよう
陸でしか生きられない人間って悲しいってめだかが言ったの
世の中の関節外れてしまったというか折れたんでしょめだかさん
私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海で我慢してね


10句作品 内田遼乃 前髪ぱっつん症候群(シンドローム)

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解題:外山一機

週刊俳句 第333号 2013-9-8
内田遼乃 前髪ぱっつん症候群(シンドローム)
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10句作品テキスト モザイク 佐々木貴子

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モザイク mosaic  佐々木貴子

春月へるいるい瑠璃金しゃこ瑪瑙
ソプラノの空や少女のキシロカイン
緑雨いま泣きながら食む夫の肉
烏賊の骨咲き狂いたる夫の骨
古代碑の紫苑ゆらめく朝ぼらけ
Arabesque女王西瓜のるるるるる
すすきはら星ふわふわと陽に孵る
鬼灯の子らに目玉の蒼き坂
土星には贅肉不羈は花野より
DDDD圧倒的にDの海


10句作品 佐々木貴子 モザイク

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週刊俳句 第333号 2013-9-8
佐々木貴子 モザイク
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内田遼乃 「前髪ぱっつん症候群(シンドローム)」解題 外山一機

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内田遼乃 
「前髪ぱっつん症候群(シンドローム)
解題


外山一機



この作品は俳句甲子園の東京予選に向けてつくられたものです。結局これらの句を俳句甲子園で使うことはなく、だからこれまで誰の目にもふれることはありませんでした。作者の内田遼乃は今年の春に僕の勤務校にある俳句同好会に入ったばかりの高校二年生で、俳句を作るようになっておそらく半年も経っていないでしょう。歳時記にさえほとんど触れることのないまま俳句をつくり、俳句甲子園に出場しました。一〇句に「めだか」「初夏」「網戸」というフレーズが入っているのはそのためです。

東京大会では「めだか、三号機の代わりなんていないの」「網戸ってきれいでこげためろんぱん」「初夏やペーパーバックの悪の華」といった句を出しました。これらの句を出したのは、内田の場合、俳句甲子園という場が受け入れてくれそうな句がこの三句の他にほとんど見当たらなかったという事情もあります。内田の句がさほどの好成績を残せなかったのはいうまでもありません。そのような場所で披露するにはあまりにふさわしくない句をつくるということにこそ、内田の本領があったのですから。

僕は内田にほとんど指導らしい指導をした記憶がありません。内田はほとんどその最初期からこのような俳句を、それも大量に作っていました。僕はそれらを一読して、初めはその表現の未熟さに驚きました。しかし僕は次第に、その未熟さが、内田の表現がまぎれもなく内田の表現として立つための必然として要請された未熟さなのではないかと思うようになりました。

僕はこうした俳句を読んだことがありませんでしたから、面白いと思いつつも、どうしたらよいものか戸惑っていました。そして、おそらく内田の句を受け入れてくれる場は、高校生向けの俳句コンクールやイベントの場ではないとも思っていました。今回は運良く『週刊俳句』の西原天気さんに読んでいただき、これらの句はようやく陽の目を見ました。内田の句がはたして面白いのかどうか、ご自分の目でお確かめください。

週刊俳句 第333号 2013年9月8日

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第333号
2013年9月8日




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内田遼乃 前髪パッツン症候群 10句 ≫読む
   解題:外山一機 ≫読む
…………………………………………………………

特集 俳句甲子園
愛と幻の俳句甲子園(1)……青木亮人 ≫読む
俳句甲子園観戦記、ではなく参戦記……小池康生 ≫読む
若さ・未熟さを以てしてでないと……村越 敦 ≫読む
よくやりますよ、ほんと。……阪西敦子 ≫読む

星をつなぐ/時をつかむ
竹中宏「禹歩」(『翔臨』第77号)を読む……小津夜景 ≫読む

きくのきせわた……橋本 直 ≫読む

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鈴木牛後 選ばれた言葉たち ≫読む
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自由律俳句を読む10  コスモス……馬場古戸暢 ≫読む
朝の爽波 83……小川春休 ≫読む
林田紀音夫全句集拾読 282……野口 裕 ≫読む

 〔今週号の表紙〕 教室……西村小市 ≫読む

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後記 ● 西原天気


颱風18号の進路を気にしつつ、これ、書いてます。



バレンティン(ヤクルトスワローズ)の本塁打新記録(56号)も気になります。昨日はタイガース対ヤクルトも、高卒ルーキーの藤浪くんが打たれるってのも、いいかな、と思いつつ観ていました。けれども、リリーフの渡辺が打たれるのは、ナシだな、と。こういうものは、打たれるにも「格」ってものがあります。名を残すにふさわしい人が打たれてほしい(渡辺も好きな投手なんですよ、為念)。

なぜこんなことをだらだら書いているのかというと、ランディ・バースの54本の本塁打のときのことを観て知っているので、今回のバレンティン選手の記録は、格別の思い入れがあるのですよ。

 

今朝の朝日新聞・天声人語で、俳人・金原まさ子さんが紹介されたとのこと。「年をとればとるほど、書くものが自由になっていくように思います」(『あら、もう102歳』・小誌掲載の藤幹子さんによるレビューはこちら)。

経験を重ねるほどに自由。

私たちに希望を与えてくれる言葉ですね。

「お年寄り」とは、私たちにとっての「未来」です。輝くようなお年寄りを見れば、未来への夢や期待がふくらみます。灰色のどんよりとした老人を見たら、逆に、心が沈みます。

金原さんほど自由に俳句を書けてはいないけれど、長生きすれば、書けるようになるかもしれない。そう思っておくのは、(少なくとも私にとっては)楽しいことです。

そういえば、明日は敬老の日。金原さんは、あの『徹子の部屋』に出演とか(≫こちらに案内)。

黒柳徹子ってね、今の若い人には想像できないでしょうが、テレビ黎明期、アイドル的な存在だったんです。私はまだ幼児でしたが、「テレビの中のきれいなおねえさん」を、憧れの目で見ておりましたよ。そのおふたりの共演は、私にとって「昭和」そのもの、「昭和の女子文化」そのもの。楽しみに拝見することにします。

 

それでは、次の日曜日に、またお会いしましょう。 


no.333/2013-9-8 profile

■青木亮人 あおき・まこと
1974年北海道生まれ。近現代俳句研究者。愛媛大学准教授。評論等を俳誌「翔臨」「静かな場所」「円座」「白茅」で連載、エッセイを「愛媛新聞」四季録で連載。今秋に評論集『その眼、俳人につき』(邑書林)刊行予定。twitter
 
■生駒大祐 いこま・だいすけ
1987年三重県生まれ。「天為」「トーキョーハイクライターズクラブ」所属。「東大俳句会」等で活動。blog:湿度100‰  

■村越 敦 むらこし・あつし
1990(平成2)年、東京都国立市生まれ。「澤」会員。  

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■小川春休 おがわ・しゅんきゅう
1976年、広島生まれ。現在「童子」同人、「澤」会員。句集『銀の泡』。サイト「ハルヤスミ web site

■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。1952年兵庫県尼崎市生まれ。二人誌「五七五定型」(小池正博・野口裕)完結しました。最終号は品切れですが、第一号から第四号までは残部あります。希望の方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。進呈します。サイト「野口家のホーム ページ」

■山岸由佳 やまぎし・ゆか
1977年長野県生まれ。「炎環」同人、「豆の木」参加。

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。俳人協会会員。「Belle Epoque」

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。「月天」同人。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「七曜堂」 twitter


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