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週刊俳句 第552号 2017年11月19日

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第552号
2017年11月19日



安岡麻佑 もらふ火 10句 ≫読む 
……………………………………………

「2017落選展」を読む 1
……上田信治 ≫読む

神無月の好きになる狂歌……robin d. gill敬愚) ≫読む

週刊俳句 in 文学フリマ東京 ≫読む

【週俳10月の俳句を読む】
木村オサム 別なものを見る ≫読む

瀬戸正洋 嘘八百についての考察 ≫読む

中嶋憲武西原天気音楽千夜一夜
第26回 シェリル・リン「Shake It Up Tonight」 ≫読む

〔今週号の表紙〕
第552号 仁和寺……山中西放 ≫読む

『子規に学ぶ俳句365日』文庫化記念リンク集 ≫見る

後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む


2017 角川俳句賞落選展 ≫見る
2016 「石田波郷新人賞」落選展 ≫見る

新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール 第552号

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後記 ● 西原天気

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no.552/2017-11-19 profile

■安岡麻佑 やすおか・まゆ
1995年2月生まれ愛媛在住。「奎」副編集長。現在、愛媛で教鞭をとる。

■robin d. gill(敬愚) けいぐ
■木村オサム きむら・おさむ
1961年神戸市生まれ。「玄鳥」同人。現代俳句協会会員。

■瀬戸正洋 せと・せいよう
1954年生まれ。れもん二十歳代俳句研究会に途中参加。春燈「第三次桃青会」結成に参加。月刊俳句同人誌「里」創刊に参加。2014年『俳句と雑文 B』、2016年に『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』を上梓。

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

山中西放 やまなか・せいほう
1938年京都生。2012年より「渦」編集長。句集『風の留守』、『炎天は負うて行くもの』。他詩集2冊。

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。11月?句集『リボン』(邑書林)刊行予定。 

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

2017落選展を読む 1 「安里琉太 式日」 上田信治

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2017落選展を読む 
1「安里琉太 式日」

上田信治


安里琉太 式日 ≫読む


摘草やいづれも濡れて陸の貝

草を摘むために、身をかがめると、いくつもかたつむりがいて、どのかたつむりも、濡れている。伸ばした手やくるぶしのあたりに、かたつむりが触りそうで、とてもきもちがわるい。「陸の貝」とわざわざ言うのは、それがそこにいることの違和感を言っているのだろう。

この皮膚感覚にうったえる巻頭の一句は、じつは例外といってよく、作者は「式日」50句で、歳時記的モチーフを使いつつ、その実在性をどこまでもうすくした、淡彩の絵巻を描こうとしている。

春筍のにはかに影を長じたる
まどろみの窓にカンナの濡れてをり

春筍に(日が差して)長い影がうまれるのは尋常のことだけれど、「にはかに」「長じたる」と書いて、認識の混乱を生じさせる。カンナについて書かれていることは、本人まどろんでいるのと窓のむこうなので、ほんとうかどうか分からない。

作者は、対象である「それ」を見えづらくすることで、「景物の抽象化」を試みている。これは、ちょっと流行の方法かもしれない。

ぼうたんにありやなしやの日の掛かる
椎茸に仏師の夢のなんやかや

田中裕明や岸本尚毅が、思いっきり韜晦しているときの感じを狙っているのだと思うけれど、手妻の再演として成功しているかどうか。

抽象化を急ぎすぎなのか、とっちらかったような句も散見され、50句ぜんたいを見ると、傷が多いといわざるをえないだろう。

ひとり寝てしばらく海のきりぎりす

海浜にきりぎりすがいることは、よくあるそうですね。海の近くの波音が聞こえる家で、ああ、きりぎりすが鳴いている、あれは海のきりぎりすだ……と思いながら、眠ってしまう。(これも、ややとっちらかったほうの句かもしれないけれど)音と空間に奥行きがあって、成功していると思う。

50句中この一句といえば、あらためて〈摘草やいづれも濡れて陸の貝〉を推したい。それは「海の貝」の対蹠物としての「陸の貝」で、そんなもの、はじめからいないのではないか。じつはそれは神経過敏な摘草の人の幻想なのではないか、若冲の「貝甲図」の草むら版のような、と妄想を楽しんだ。「陸貝」ということばは、カタツムリとナメクジを指すのだそうで、その「いづれも」だとしたら、ぜんぜん面白くないのだけれど。

>> 2017角川俳句賞「落選展」

後記+プロフィール 第553号

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後記 ● 岡田由季

23日の文学フリマ東京への週俳の出展は、無事終了とのことです。ありがとうございました。
私も、9月に大阪で行われた文フリを見学しましたが、静かな雰囲気のなかで、若い人たちが、ややはにかみながら、自分達の本を販売している様子が印象的でした。自分の若い頃にはなかった光景で、新鮮でした。

私は俳句とも文学とも縁遠い10代20代を過ごしていましたが、当時を思い出すと、もし関わっていたとしても、、同世代に対して、文学、詩歌などを趣味にしているとは言いにくい雰囲気があったと思います。(バブル時代のことです。)よりアクティブで、華やかなことが是とされていましたので、そうでないタイプには、現在よりも風あたりが厳しかったのです。とはいえ、時代の能天気な気分に助けられていた面もありますので、一概にどちらが良いともいえないのですが。

いずれにせよ、読者と作者が出会う機会が、いろいろなかたちで増えて行くことは好ましいと思います。




それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.553/2017-11-26 profile


■柴田健 しばた・けん
1997年仙台生まれ。名古屋中学・名古屋高校卒。同志社大学文学部二回生。俳句雑誌「奎」同人。
   
■小久保佳世子 こくぼ・かよこ
1945年生まれ。「街」同人。句集『アングル』。

■仲田陽子  なかた・ようこ 1969年京都市生まれ。現代俳句協会会員。「寒雷」
を経て無所属。

中嶋憲武 なかじま・のりたけ 1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。2007年第一回週刊俳句賞受賞。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ「続ブレンハイムスポットあるいは道草俳句日記」

〔今週号の表紙〕第553号 相模ダム 西原天気

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〔今週号の表紙〕
第553号 相模ダム

西原天気


相模ダムは自宅から最寄りのダム。鉄道運賃を参考にすると、ウチから新宿までとほぼ等距離。

相模湖は現在でこそやや寂れた観光地ですが、往年は東京から多くの客が訪れたっぽい。今はきれいなはずの紅葉やダムのコンクリートやら、愛でるものはたくさんあります。東京近郊日帰り観光地としてオススメです。

ぜんぜん観光地ってかんじじゃない写真になっちゃってますけどね。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

週俳 in 文フリ

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第27回 ゴッドリー&クレーム「Cry」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第27回 ゴッドリー&クレーム「Cry」


天気●今回はミュージック・ビデオの古典的名作を取り上げてみます。



天気●1985年。32年前ですね。

憲武●そんなに経ちますか。

天気●このビデオ、テレビ(MTV)でほんとたくさん流れました。モーフィングはいまでこそめずらしくもない映像加工なんですが、当時は、新鮮でビックリしました。

憲武●ピーターバラカンのやってたポッパーズMTVで初めて観ました。何回も繰り返しビデオでも観たりして。口からだったり、目からだったり、いろんな箇所からメタモルフォーゼしますね。気持ち悪いんだけど気持ちいい。

憲武●モノクロームがシックで、古典の格調を備えています。

憲武●曲もね、威風堂々としてる風情で。

憲武●ゴッドリー&クレームは10cc(テンシーシー)から分かれたデュオ。ポップで耳に心地いいけど音作りは先進的というのは10cc以来の伝統でしょうけど、そういえば、白人でこういう洗練味が持ち味の人やバンドは少なくなっているような気がします。

憲武●10cc、好きなバンドです。i'm not in loveとか、あっ、the things we do for loveの方が好きかな。人生は野菜スープって曲も好きでした。

天気●ライフ・イズ・ア・ミネストローネ、ね。そういえば、この人たちも10ccの人たちもどうしてるんでしょうね。もう70歳とかだから、なかば引退、悠々自適なのか。いずれにせよ、時間が経つのがはやいですね。しんみり。



(最終回まで、あと974夜) 
(次回は中嶋憲武の推薦曲)

【週俳10月の俳句を読む】月の魔力 小久保佳世子

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【週俳10月の俳句を読む】
月の魔力

小久保佳世子


上森敦代の「月夜」。どれも月の魔力を感じる10句でした。

月の出のフォーク逆さに使いおり  上森敦代

逆さ?フォークの裏を使うこと?だとしたらちょっと当り前なので逆さに使うのはやっぱり柄の部分かも。そうなると俄かに謎めく景が始まります。月が出て世界はさかさまになったのです。

宵待の壺の中から波の音  同

眼前に壺があってそこから波の音が聞こえてくるとしたら、いまが昼と夜の狭間だから。夜を待つ時、人は動物のように耳敏くなるのかもしれません。

白き尾を抱えて眠る小望月  同

白き尾を持つ生き物と言えば狐や猫が思い浮かびますが、白き尾そのものが生き物のような存在感があります。抱えていなければ喪ってしまいそう。

コンソメの匂いの残る良夜かな  同

コンソメは澄んだスープのこと。濁りがなく透き通ったスープは良夜の空気のようでもあります。作者は良夜の中にまだ残るスープの匂いを嗅ぎ分けているのです。

月の船父が手招きしておりぬ  同

月は何故か死の気配を漂わせます。父は、どこに「おいでおいで」と誘っているのでしょうか。行ってはいけないところのような。

十六夜を巡れば骨の軋みけり  同

きいきいとなる骨は舟の櫓の音のようです。十六夜を巡る白い骸骨のような舟が見えてきます。

錠剤のひとつ失せたる居待月  同

多分、錠剤のひとつは月を待つつれづれに飲んでしまったのでしょう。我知らずそんなことをしてしまうのも月の夜らしいことかもしれません。

ちぎれそうな月が男の上にあり  同

空から月が剥がれて落ちてくる光景でしょうか。不穏な月の下にいる男をじっと見ている作者のクールなまなざし、コワイ!

城山に残る山彦昼の月  同

山彦は山の神の声ともいわれているようです。城山には山彦のあれこれも伝承されているのだと思います。

襖絵の虎が水飲む十三夜  同

水飲む音まで聞こえてきそうな月夜です。


牟礼 鯨 柿木村 10句 ≫読む
山岸由佳 拡大鏡 10句 ≫読む
上森敦代 月夜 10句 ≫読む
藤井なお子 百分の一 10句 ≫読む

【週俳10月の俳句を読む】小さな時限爆弾 仲田陽子

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【週俳10月の俳句を読む】
小さな時限爆弾

仲田陽子


『柿木村』  牟礼 鯨

タイトルの『柿木村』を検索すると島根県に実在する村だった。名前からしてのどか。作品から自然豊かな過疎の村だろうということが伝わってくる。

くましでの実や雲を塗る建築家  牟礼 鯨

村に似つかわしくない現代的な窓の大きな建物に雲が映っているのだろう。雲を塗るという「塗る」が楽しい。くましでの実のずんぐりとした形を思い浮かべると、退屈な時間の流れにのってきた雲が窓を塗りつぶしてゆくようだ。

稲掛や婚活パーティーの轍
  牟礼 鯨

会社員をしていた頃、同僚に農業組合主催の婚活パーティーに「一緒に参加してみない?」と誘われたことがあった。
農業体験をして気に入った人と会話してカップル成立したら、相手の連絡先と新鮮な野菜とお米がおみやげというものだった。
句を読んで、連絡先をゲットしたと自慢していた同僚を思い出し、轍の景色へ繋がった。私は稲掛をすることも轍を見ることもなかったけれど。


『拡大鏡』  山岸由佳

心象を物に語らせ、詩的な俳句を表現している。柔らかい言葉の使い方が魅力的。

カンナから土砂降りの橋みえてゐる  山岸由佳

カンナの花は赤や黄の原色で、背が高く目立つ花だけど可憐さとはほど遠い。このカンナはどこに咲いているのだろうか。川から近いところで土砂降りの中を突っ立っているのだろうか、それとも雨に濡れない別の場所か。どこから見えているのかによって句の印象は違う。ふと、土砂降りの橋を渡ってくる男を待っている女の姿が浮かんできた。

指で書く文字木犀の香るなか  山岸由佳

指で文字を書く時って、砂に書くとき、結露した窓に書くとき、空に向かって書き順を教えてあげるとき、何にせよ悪口や呪いの言葉は書かないはずだ。
木犀の甘ったるい香りに包まれながら書くのだからもっとスィートなシュチュエーションでなくてはならない。書いた文字を当てるゲームだったり、「好き」な気持ちを伝えたり、人の背中に書く文字のなんとくすぐったいことか。


『月夜』

月の句が10句。『虚』と『実』十通りのお月様で月光浴をしたような気分。

白き尾を抱えて眠る小望月  上森敦代

白き尾を抱えているのは猫だろうか、いや、この白き尾は作者に生えている尾なのだろう。日常では忘れていられるものを満ちきらないとはいえ十分に明かるい小望月が尾の存在を照らしだす。尾を抱え猫のように丸くなって眠るしかないのだ。この句に共感した人にも尾が生えているだろう。

襖絵の虎が水飲む十三夜  上森敦代

とんちの一休さんでお馴染みの“屏風の虎”のように暴れたりせず、この虎は月の輝く夜に襖絵をこっそり脱け出して水を飲みに行く。虎が水を飲むたびに水面が揺れる。池の水面には眩い十三夜が揺らぐ。こんな妄想を掻き立ててくれる虎の襖絵は御所か二条城か洛中の襖絵であってほしい。


『百分の一』  藤井なお子

季語を微妙にずらして詠むことがあると思う。微妙の意味も分量も人それぞれ違うと思うが、百分の一という言葉の1%に気づく感覚は俳人にとってとても大切だ。

鴨川の澄んで何となく平凡
  藤井なおこ

鴨川の流れを見つめながら、自分の平凡さを見つめている。川の水が澄もうが澄もまいが、鴨川の川岸にはカップルが等間隔に座る。
白河法皇が天下三不如意「賀茂河(鴨川)の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話は、裏を返せばそれ以外のものは思い通りにならない事はないという逆接。
それと同じで、自分の非凡さへの賛辞とも取れなくもない。

鬱憤のいつの間にやら木の実降る  藤井なおこ

日頃の鬱憤は花が咲いて実になって、いよいよ降りだしてしまった。作者はもう何年もずっと心の中に鬱憤という木の実を降らし続けてている。この木の実は小さな時限爆弾かもしれないので、決して拾ったりしてはいけない。そっとしておきましょう。



牟礼 鯨 柿木村 10句 ≫読む
山岸由佳 拡大鏡 10句 ≫読む
上森敦代 月夜 10句 ≫読む
藤井なお子 百分の一 10句 ≫読む

10句作品 土の音 柴田健

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土の音 柴田健

三日月を京都タワーに乗せにけり
紅葉散るほど進みゆく時間かな
枯れ草や日差しは白くなる琵琶湖
鴨川の冷たき土の音を聞く
雪雲は子連れの竜となりにけり
コーヒーを片手にマフラー忘れたる
炬燵からレディ・マドンナ聞きにけり
残されし選挙ポスターごと寒く
月冴ゆやローマの信徒への手紙
なぞなぞの答へサンタクロースかな

週刊俳句 第553号 2017年11月26日

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第553号
2017年11月26日



柴田健 土の音 10句 ≫読む 
……………………………………………

【週俳10月の俳句を読む】
小久保佳世子 月の魔力 ≫読む

仲田陽子 小さな時限爆弾 ≫読む

中嶋憲武西原天気音楽千夜一夜
第27回 ゴッドリー&クレーム「Cry」 ≫読む

週刊俳句 in 文学フリマ東京 ≫読む

〔今週号の表紙〕
第553号 相模ダム……西原天気 ≫読む

『子規に学ぶ俳句365日』文庫化記念リンク集 ≫見る

後記+執筆者プロフィール……岡田由季 ≫読む


2017 角川俳句賞落選展 ≫見る
2016 「石田波郷新人賞」落選展 ≫見る

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週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
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【週俳10月の俳句を読む】コンソメの 菊田一平

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【週俳10月の俳句を読む】
コンソメの

菊田一平


つまるところ俳句は「何が何して何とやら」なんだよと言われたことがある。「何が何して」を、全部文字に置き換えていたらとても十七文字では処理しきれない。表せないところをいかに処理していくかが「腕の見せどころ」だ。そのために、俳句には「切れ」と「省略」がある。さらには「二物衝撃のスパークリング」。芭蕉の偉大さは、元禄時代にして現代詩の発想のような「発句はとり合物也(あわせものなり)」といったすごさにある。二十数年前に、句会の二次会で飲みながら聞かされた、遺言のような先輩の言葉を思い出しながら、「週刊俳句10月」掲載分の四人の句を読ませていただいた。


くましでの実や雲を塗る建築家   牟礼 鯨

「雲を塗る建築家」が上手い。朝ドラ「ひよっこ」のイントロで題字の「ひよっこ」の文字に色をかさねていくCGのひと影があつたけれど、そんなことを思い出しながら、この措辞を読んだ。それにしてもどうして建築家ってみな絵が上手いんだろう。Iさんの絵は所属結社の表紙を毎号飾っていたし、Nさんは自宅に絵画教室を開いている。いまや本業が建築士なのか絵の先生なのかわからないほどだ。ホップのようにぼってりと重たい「くましでの実」との取り合わせがなかなかだ。

落鮎の瞳をほどけゆく星座  同

たぶんこの落鮎は牟礼さんが釣り上げたものなのだろう。格闘の果てに釣り上げた鮎が草の上でひと跳ねふた跳ねし、小さく呼吸をくり返しながらしずかになってゆく。星のように輝いていた瞳の光も、ついには細くなってしまった。「ほどけゆく星座」とした比喩も細やかな観察眼もとてもいい。


野分あと歩行者天国にこども  山岸由佳

「歩行者天国」といえば銀座。普段は頻繁に車の往来する銀座通りの真ん中を歩くのは、爽快でありながらもどこか気恥ずかしいところがある。台風一過の晴れわたった青空を背景にした「歩行者天国」。男も女も大人も子どももおおぜいのひとがいるはずなのに、山岸さんは、「歩行者天国にこども」と言いとめた。

キリコの絵の、町なかに人影だけを描いた一枚を見るように不思議な空間が現出した。

花野から戻り拡大鏡に瞳  同

花野から戻って何を見ようと拡大鏡をあてたのだろう。拡大鏡の向こうに現れた「瞳」がパワフルで面白い。


コンソメの匂いの残る良夜かな  上森敦代

定年退職して真っ先に始めたのが料理教室に通うことだった。学生時代から自炊生活をしていたから料理は嫌いではなかったけれど知識や工夫がなかった。「初めての料理」から始めて、半年コースをいくつか受講しながら一年半通った。つくづく感心したのは出汁の大切さと応用力。それはそれとして、上森さんの句。コンソメというとその対極としてポタージュが浮かぶけれど、コンソメは牛肉や鶏肉やその骨などからとったブイヨンに野菜を加えて調理した澄んだスープのこと。ポタージュはフランス料理のスープの総称で、コンソメとは対極のとろみのある濃いスープだ。50代までは断じてポタージュ派だったが、今はコンソメの軽さが捨てがたいと思うようになった。食事のあとの微かに漂うコンソメの匂い。きっと隠し味は軽く垂らした醤油に違いない。今夜あたりやってみようかなと思った。

襖絵の虎が水飲む十三夜  同

「襖絵の虎」で、「日本昔ばなし」の一休さんを思い出した。一休さんのとんちの評判を聞いた殿さまが一休さんに「そこにあるびょうぶのトラをしばりあげてくれぬか」というあれだ。ねじりはちまきをして腕まくりをした一休さんは「それでは、トラをびょうぶから追い出してください」と言って殿さまをぎゃふんと言わせる。一休さんの名声をさらに高めためでたしめでたしで終る話しなのだ。が、本当に虎は襖絵を抜け出したのだと上森さんの句を読んで思った。腰を抜かして動けなくなった一休さんを頭から飲み込み、蹲踞の水を喉を鳴らして美味そうに飲んでいる。まさに十三夜の魔力。想像力をかきたてるとてもシュールな一句だ。


十分にあなたらしくて唐辛子  藤井なお子

唐辛子の句といえば即座に浮かぶのが林翔さんの〈今日も干す昨日の色の唐辛子〉。この上手さには感心したけれど、先月前田弘さんの〈少しだけ擽ってやるとんがらし〉という句に出会ってその俳味に感心した。「唐辛子」は料理の香辛料としてだけではなく、俳人の作句脳をいい具合に刺激する素材だとあらためて感心した。藤井さんの「唐辛子」もなかなか。「あなた」と呼ぶお相手の個性を存分に理解した恋の句になっている。

和服の着かた豊年の歩き方  同

「豊年の歩き方」には驚いた。「雪道の歩き方」や「岩に貼りついている鮑の見分け方」なら講釈を並べることができるけれど「豊年の歩き方」には参った。是非、藤井さんに教えていただきたいと思った。



牟礼 鯨 柿木村 10句 ≫読む
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藤井なお子 百分の一 10句 ≫読む

後記+プロフィール 第554号

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後記 ◆ 西原天気

先日の「文学フリマ東京」向けに、『蒸しプリン会議 2017秋冬』という極小冊子を作りました(入手方法はこちら)。手にとっていただいた方には紙質が好評の模様。これ、当初からこの紙でと決めていたわけでなはく、新宿・世界堂(大きな文具屋さん。関東方面のデザイン関係者なら知らない人はいない)に紙を買いに行ったときに目に止まったもの。「こんなのもあるんだー。おもしろいかも」ということで、造本の仕様もその紙に合わせて変更しました。

ある分野に通暁した人なら、アタマのなかでいろいろなことが構築できる。でも、そうじゃない人間にはムリ。では、どうするか? 専門家に相談するのも一手ですが、とりあえず歩いてみること、と信じています。歩いて、目で見て、手で触ってみる。それでかならず正解や妙手が得られるというわけではありませんが、「わからない・知らない」ときは、動くのがいいと思っています。動かないと、紙ひとつにもたどり着けない。

(なお、インターネットでの探索も、動くこと・歩くことの一種。でも、インターネットは触れませんから、やはりからだを運んだほうがいい場合があるのです)

世の中のこと、人のことも、まだ、わからない・知らないので、歩いてみよう、動いてみようと思ってますよ。


上田信治さんの句集『リボン』が出た模様。やっと、ですね。各方面、待望の句集。私はまだ見ても触ってもいません。そわそわと、たのしみです。


それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.554/2017-12-3 profile

岸本由香 きしもと・ゆか
1964年生まれ。1998年青玄新人賞受賞。2008年現代俳句協会新人賞受賞。現代俳句協会会員。

松井真吾 まつい・しんご
1971年生まれ。「軸」会員。

桐木知実 きりき・ともみ
1998年生まれ。愛媛県出身。第17〜19回俳句甲子園出場。現在、私立関西学院大学に在学中。俳句雑誌「奎」編集部、関西俳句会「ふらここ」に所属。

■彌榮浩樹 みえ・こうき
1965年鹿児島生まれ。1998年「銀化」創立とともに参加、中原道夫に師事。第二回銀化新人賞受賞。銀化同人。句集『鶏』(2010 ふらんす堂)。2011年「1%の俳句」で群像新人文学賞評論部門を受賞。

中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

〔今週号の表紙〕第554号 重石 西原天気

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〔今週号の表紙〕
第554号 重石

西原天気


ペーパーウェイト。飾りではなく実用として使っています。書類や紙片の上に置く。風で飛んでしまわないように。

市販のものを買ったことはありません(だいたいにしてわざわざ買うものなのか? そのへんのものでも代用できますし)。

拾った石をペーパーウェイトにする。拳くらいの大きさで、坐りのよいもの。自分なりに選ぶ基準がある。

ただ、今は冬なので、窓を開けっぱなしにすることはあまりない。風で紙が飛ばされることもないので、石は部屋の中で働くこともなく、ただ置かれたままです。

むかし、妻は、なぜ石なんぞが机や書棚の隅に置いてあるのか、わからなかったらしい。幾度か捨てられてしまいました。悲しかったですよ。そりゃあ、もう。自分は何かヘンなことをしているのだろうかとも思いましたよ。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第28回 石川ひとみ「まちぶせ」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第28回 石川ひとみ「まちぶせ」



憲武●この曲に似合う風景って、今頃の季節なんじゃないかなと、思う訳だ。訳です。初冬感って、いうんですかね。いま、作った言葉ですけど。そういう感じがあります。石川ひとみ「まちぶせ」。



天気●なつかしい。

憲武●作詞作曲、松任谷由実。これ、ストーカーの曲ですね。

天気●まあ、そう捉えることもできますね。当時はその言い方はなかったけど。

憲武●オリジナルは三木聖子で、カヴァーなんですよ。こちらのヴァージョンの方が人口に膾炙してますかね。

天気●どちらのドーナツ盤も持ってました。三木聖子の版のほうが好きだったかな。石川ひとみはねっとり歌ってて、この歌詞には合ってるとは思うのですが。

憲武●この歌詞聴いたとき、ユーミンってモテなかったんだなあと思ったんですけど、三木聖子の実体験を歌詞にしたらしいですね。

天気●なるほど。歌をつくるのに、歌手から取材したわけですね。

憲武●ユーミンの周りには、いつでも取材できる年端の行かぬ女性たちもいたようです。それはそうと石川ひとみも、同じような体験があるので、すんなり入っていけたと語ってました。女性は多かれ少なかれ、このような経験あるんでしょうか。

天気●え? そんなことないと思いますけどね。奥さんに訊いてみれば?

憲武●いやあ、それは…。石川ひとみの同世代の歌手に香坂みゆきがいるんですけど、石川ひとみは、香坂みゆきほどは上手くなくて、そこら辺がこの曲に合ったんでしょうか。「好きだったのよ、あなた  胸の奥でずっと」の「とー」という音程があやふやになってく感じが、せつなさ溢れてていいんですよね。

天気●石川ひとみって、存在感がなかったですよね。お顔がかわいくて、私のまわりにはマニアックなファンもいたようですが……。私はプリンプリン物語の声と主題歌のイメージがいちばん強いです。

憲武●ぼくはレッツゴーヤングの司会者としての石川ひとみでしょうかね。太川陽介と二人でやってた。歌手としては、アクが強くなくて好感持ってました。でも、それだけではダメなんですね。


(最終回まで、あと973夜) 
(次回は西原天気の推薦曲)

肉化するダコツ③ 刈るほどに山風のたつ晩稲かな 彌榮浩樹

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肉化するダコツ③
刈るほどに山風のたつ晩稲かな

彌榮浩樹



俳句について大切なことは、すべて蛇笏に教わった(やや大袈裟だが)。
それをめぐる極私的考察、その3回目。

掲句、「晩稲」は「おくて」と読む。
なんともまあ地味な句だなあ、という印象を受けるだろうか。
意味内容・立ち上がるイメージは、たしかに地味だ。
晩秋の、山国での農作業を詠んだ句。すでに僕たちがほとんど目にしなくなった、昭和のひなびた一風景だ。晩秋のすさまじさ、その中での農作業の厳しさ、わびしさ。そうした哀感を詠んだ句。それはその通りであろう。

しかし、もしも、この句がそうした哀感に尽きるならば、「山風」を浴びながら「晩稲」を刈った経験もないし今後もあるはずのない僕にとって、この句は(たとえ立派であったとしても)他人事、とりつく島のない句、でしかない。

とんでもない。この句は、僕には「神品」(決して大袈裟ではない)とさえ感じられる句、とんでもなく「怖い」句、なのだ。

その「怖い」という印象の内実とは何か?
今回は、その1点をめぐる考察である。

もちろん、この作品が立ち現わす情景・イメージのすさまじさ・哀感が、「怖い」という印象につながっているに違いない。

しかし、そこにこの句の俳句作品としての核心はない(あくまで極私的な見解です)。
僕の感じる「怖い」は、意味内容の次元での理解やイメージとしての情景の感受を超えた、もっと深層での「身体的な脅かされ」「差し迫り」である。

その深層の切迫感によって、表層の意味内容・句のイメージの立ち現われが、より”リアル”なものになる。この句を読むたびに、今まさに刈りとられつつある晩稲から山風がたつ、そんな味わいをリアルに感じてしまうのだ。すなわちシュルレアル(強=超現実)。それがこの句の「怖さ」の核心である。

a 刈るほどに山風のたつ晩稲かな
b 晩稲刈るほどに山風たちにけり

安直な操作(改悪)だが、原句aを例えばbのように改変すると、たちまち「怖さ」が消えるのがよくわかる。意味内容・情景イメージは変わっていない。映像化すれば同じ景になるはずだ。しかし、「怖さ」は全く異なる。つまり、核心は、aの措辞・叙法にあるのだ。

もう少し、とりわけ中七の措辞の機微に注目して、精査してみよう。
a 刈るほどに山風のたつ晩稲かな
c 刈るほどに山風たちし晩稲かな
d 刈るほどに山風たてる晩稲かな
どうだろうか?

すでにaに親しんでいるから、だけではなく、cdには、原句aにあった、決定的な霊的な何かが消えてしまっている、それがはっきり見てとれるのではないか。

それは何か?

まず、単純に、aにあって、cdにないもの、それは「山風の」の「の」だ。
この「の」という言葉のもつ、もっこり感。これがaのシュルレアルな味わいのひとつの大きな鍵になっている。

これは、個人的に<オノマトペ化>と名付けている、俳句作品特有の言葉の舞踊の仕方である。(前回の「かへす」と「かへる」の差は、こことも関わる)

「の」は、例えば、<主格をあらわす格助詞>と説明されるのだが、そうした機能とは別に、aの「の」は、もっこり感を与える「の」というかたち、彫刻的な「の」というフォルムでもある。この「山風のたつ」の「山風/の/たつ」のあたりのくびれ、「の」のもっこり、「たつ」の固さ、それらがあいまって高まった触感の<圧>が、「晩稲かな」で完結することで、立体的・力動的な余韻が残る。

例えば「さらさら/べとべと」が、言葉そのものの触覚的な感触として「さらさら/べとべと」感を与える。オノマトペ(擬態語・擬音語)とはそうしたものだが、(うまくいっている)俳句においては、例えば「の」という助詞が、触覚的なもっこり感を感じさせることで、句に不思議さあるいはリアルな感触を与える。つまり、オノマトペ的機能を果たす。
これが、俳句作品におけることばの<オノマトペ化>だ(勝手な造語です)。

逆に、cの「し」は明らかに邪魔だ。過去を表すという意味内容とは別の触感において、「山風(の)たつ」立体感を阻害している。風が漏れ出てしまうのだ。
dの「る」はまだマシだろうが、aと比べて、こちらは意味内容が何とも曖昧になる。文語「たつ+り」なのか、口語的な他動詞「たてる」なのか、判然としないために、結果的に「山風(の)たつ」感じがしなくなる。

aの中七「山風のたつ」は、オノマトペとして完璧な措辞なのだ。

さて、abの比較に戻ろう。
a 刈るほどに山風のたつ晩稲かな
b 晩稲刈るほどに山風たちにけり
bが怖くないのは、「晩稲」をはじめに置いたことによって、<ネタバレ>になっているから、でもありそうだ。
逆にa「<刈るほどに/山風のたつ/晩稲かな>」を読む過程を微分的に精査すると、上五で「刈る」対象はもちろん「晩稲」なのだが、上五の時点ではその対象はまだ姿を表わしてはいない。そこに中七「山風のたつ」が続くために、何かを刈るその何かが山風と化すようなイメージが立ち上がるのだ。その怖さ。その上で座五に「晩稲かな」が置かれ、「刈る・・・晩稲」のつながりに納得させられるのだが、それでも初めに感じた<刈るほどに/山風のたつ>の怖さは消えない。
bのようにはじめから「晩稲刈る」と言ってしまうと、そこにもう実体として「答え」が出てしまっているために、イメージの揺れがない、ただの説明に堕す。すなわち、ネタバレ。

この、
<謎>の上五→<絶品>の中七→<解決>の「~かな」の下五
という構造は、蛇笏の「~かな」止めの句の大きな特徴のひとつだと言えそうだ。

例えば、こんな五句。

高西風(たかにし)に/秋たけぬれば/鳴る瀬かな
をりとりて/はらりとおもき/すすきかな
閑かさは/あきつのくぐる/樹むらかな
切株に/おきてまつたき/熟柿かな
罠のへに/たちとまりたる/鶫かな

それぞれの措辞の関係性に多少のズレはあるが、どれも、意味内容とは別次元の五・七・五の言葉はこびによるドラマであり、そこから立ちのぼる霊的な“怖さ”が印象的である。


10句作品 フラメンコスタジオ 松井真吾

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フラメンコスタジオ 松井真吾

吐く息を見上げていたり鎌鼬
時雨るればテールランプが点く車
水草の枯れて側転するこども
餅を搗かなければ話してあげない
スリッパの重ね連なる雪催
留守電になって襖に耳あてる
フラメンコスタジオに置かれた兎
霜焼のゴレンジャーの黄と握手
橇に乗るひとから外される視線
葱構えわたしのほうへ歩きだす

10句作品 控え室 桐木知実

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控え室 桐木知実

老人の達治朗読初しぐれ
恐竜の爪ぬらぬらと冬に入る
散髪の椅子の固さや冬紅葉
マスクしてマニキュアの濃い色ばかり
凍雲か空中都市が夕暮れる
冬蜂のよく死んでいる通学路
捕らわれているクリスマスツリーかな
暖房のゆるく実験控え室
鴨なくやキリスト教の街宣車
冴え渡る星を烏の喰らいたる

10句作品 勘忍 岸本由香

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勘忍 岸本由香

しぐるるや文字うすれたるみちしるべ
ゆふぐれの茶の花に屈んでをりぬ
出港を知らせる合図夕時雨
雪になりさうと遠きまなざしで
勘忍と言うて色足袋脱ぎにけり
次の間に鶴来てをりぬ夜の房事
鶴眠る紅絹の色なる夢を見て
雪晴や折鶴に息吹き込んで
書きなづむ一片の文しづり雪
山眠る着信音のいつまでも

週刊俳句 第554号 2017年12月3日

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第554号
2017年12月3日



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