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【週俳500号に寄せて】まさに空気のようなものとして 荻原裕幸

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【週俳500号に寄せて】
まさに空気のようなものとして

荻原裕幸



「週刊俳句」が第500号を迎えるという。この数字の重さはものすごいものだと思う。俳句という一つのジャンルに特化した無償のウェブマガジンを、週刊で500号なんて、想像しただけでも気が遠くなる。愛読者としては、感謝してもしてもしたりない感じがある。でも、そう言いながら、私が真に望んでいるのは、そして「週刊俳句」がそれを実現しているのは、重さなんてものを一切感じさせないで、毎週毎週少しずつ、新しい俳句の空気を、まさに空気のようなものとして読者に送り続けてくれることなのである。気づけば500号。そんな感じで第500号は発行されるはずだ。私の考える「週刊俳句」の真骨頂はそこにある。



現代の俳句は、混沌としている。むろん、活気があって混沌としていないジャンルなんてものはない。ただ、それにしても、俳句は混沌をきわめていると感じられる。これはたぶん、私が、いずれかの結社の内部にいないからだろうと思う。各結社は、と言うか、主宰の多くは、内部に向けて、俳句の世界を、ひとつの理念に貫かれた風景として見せている。その個々の是非はともかく、俳句の世界にかなり明確な輪郭を与えている。ただし、その輪郭は、仮の輪郭であり、個々に違うわけで、結社の外に立ってしまえば、輪郭の差異の分だけ混沌がきわまるのである。「週刊俳句」を私が好むのは、この混沌を、混沌のまま抱えて、決して明確な輪郭を与えようとはしないところだ。混沌のなかから何かが見えて来るとしたら、それは、混沌を混沌として認識するところからしかはじまらないだろう。



そう言えば、以前、私に、「週刊短歌」のようなものを発行する予定はないんですか? と訊いて来る人が何人かいた。やれば面白いのにと言われた。私の企画好きの性格を見て、煽る人がいても不思議はないと感じたけど、まったく食指が動かなかった。俳句でこれほど面白い場が実現できているのだから、短歌で二番煎じをさせてもらってもそれなりの面白さを実現することはできそうなものなのに、なぜか、私のなかにいる誰かが、絶対にやめた方がいい、と言うのである。労力や継続力の問題とは別の理由があるのだと思う。短歌に向かないのか、それとも、私に向かないのか。いまのところうまく説明ができないでいる。


【週俳500号に寄せて】週刊俳句の最初期号を読んでみた 生駒大祐

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【週俳500号に寄せて】
週刊俳句の最初期号を読んでみた

生駒大祐




週刊俳句の創刊準備号が出たのは、僕が大学2年、20歳になるかならないかの頃です。
おお、もうそんなに経ったか、と思い、週刊俳句を読み返してみることにします。
改めて最初期の週刊俳句を読んでみると、以下のような記事が並んでいます。
-------------------
創刊準備号 2007年4月22日

野川行  中嶋憲武   ⇒読む
【俳誌を読む】
■「俳句界」2007年4月号を読む……五十嵐秀彦   ⇒読む
■「俳句」2007年4月号を読む……上田信治  ⇒読む
■「俳壇」2007年5月号を読む……さいばら天気   ⇒読む
■後記  ⇒読む
-------------------
その頃運営のお二人(西原天気さんと上田信治さん)がおっしゃっていたのは、「もっと俳句誌をちゃんと読んで意見を言った方が良い」というようなことだったなと思い出し、それが誌面に反映されていて、当たり前かもしれませんが納得。また、トータルとして「恐る恐る読んでみました」感が少しくあり、ちょっと面白い。中嶋さんのmixi日記からの転載も、気持ちの良い記事。この「初見読者も手の届く、ほど良い内輪感」とでもいうような、仲間内だけでない、しかし他人行儀でない暖かみのある俳句との関わり方は、最初期からのものだったようです。

その後最初の数号は、俳誌関連が半分近くを占め、他には今にも続く「成分表」の転載だったり「数えてみました」シリーズだったりが載っていて興味深いのですが、何より3号にて、

「十二音技法」が俳句を滅ぼす ……遠藤 治   ⇒読む

という僕にとっては非常に懐かしい記事が掲載されていて、ああ、この記事から10年近く経っているのか、と少々感慨深くなります。

また、これまで多くの方々の作品を掲載した週刊俳句ですが、俳句作品の掲載が最初に行われたのは6号と意外(?)に遅く、かつ

柳×俳 7×7
樋口由紀子「水に浮く」7句齋藤朝比古「水すべて」7句   ⇒読む

と、川柳と俳句の競詠企画からでした。今の形式の10句作品が初めて掲載されるのは次の7号で、

 三宅やよい 「平日の影」10句  →読む
 金子 敦 「虹のかけら」10  →読む
 雪我狂流 「魚のやうな」10  →読む

と一挙にお三方の掲載でした。


改めて最初期の号を読み返してみて、週刊俳句は「俳句や俳句にまつわる文章を読むこと」に力点を置いてきたウェブマガジンなのだと再確認しました。読み手のほとんどが作り手である俳句の世界において、読んだよ、だけを提供してくれる存在、読んだよ、と報告できる存在(週刊俳句は記事を募集しています)があることは、ある一定の人々にとってはとても大きなことなんですよ。

と、書いて、「成分表」の「夢」の回を思い出したので、その引用で記事を終わらせていただきます。


自分が、インターネットで、文章とも何ともつかないものを書き始めたのは、この連載と同じく、およそ五年前のことだ。
ネットでものを書くことは、知らない場所で一人っきりで「誰かいませんかあああ?」という声を上げることに、似ている。
そこは、平べったく人影のおぼろな、靄っぽい埋立て地のような、それこそ夢のなかの景色のようなところで、誰の許可も得ずに書き始めることができる代わり、自分が書く物を読む人が、この世に一人でもいるかどうか分からない。
人生のコツは「自分と似た人のいる場所」へ行くこと。
それが、これまで生きて得た、自分のなけなしの人生訓だ。そしてそれは自分にとって、書くことや読むことの、大きな部分を占める意味でもあり、自分の根本的な願望でもあるのだろう。
「成分表56 夢 上田信治」 より

【500回記念対談】おじさんおばさんたちがなんかおもしろいことやってる 生駒大祐✕福田若之

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【500回記念対談】
おじさんおばさんたちがなんかおもしろいことやってる

生駒大祐✕福田若之  撮影:西原天気

【500回記念対談】この若手の句集なら読みたい 生駒大祐✕福田若之

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【500回記念対談】
この若手の句集なら読みたい

生駒大祐✕福田若之 撮影:西原天気

【500回記念対談】生駒、俳句やめるってよ 生駒大祐✕福田若之

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【500回記念対談】
生駒、俳句やめるってよ

生駒大祐✕福田若之  撮影:西原天気

週刊俳句 第500号 2016年11月20日

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第500号
2016年11月20日


2016 角川俳句賞落選展≫見る


第500号記念特集

【週俳500号に寄せて】
祝・週俳500号……八上桐子 ≫読む
まさに空気のようなものとして……荻原裕幸 ≫読む
バックナンバーを眺めていると……岡野泰輔 ≫読む
呑み込まれてゆく渦の中で……三宅やよい ≫読む
週刊俳句がぼくにアイデアを与えてくれた……五十嵐秀彦 ≫読む
でも、どういう視点から?……小野裕三 ≫読む
理由がある……田島健一 ≫読む
冬晴れのドライブインに歩いて行く……トオイダイスケ ≫読む
虚子から遠く離れて……山口優夢 ≫読む
週刊俳句の最初期号を読んでみた……生駒大祐 ≫読む
それぞれのメロディーを……村越 敦 ≫読む

500回記念対談】
生駒大祐福田若之
生駒、俳句やめるってよ ≫視聴する
この若手の句集なら読みたい  ≫視聴する
おじさんおばさんたちがなんかおもしろいことやってる ≫視聴する

【自薦記事 500号を振り返って】
ひとりよりも、ふたり、さんにん……西原天気 ≫読む
また、はじめから、何度でも……上田信治 ≫読む
印象深いあれこれ……村田 篠 ≫読む
あの頃とこの頃……生駒大祐 ≫読む
最近、思った……福田若之 ≫読む
…………………………………………………………………
新連載
評論で探る新しい俳句のかたち(1)
現在の俳句、そのルーツ……藤田哲史 ≫読む

ありえん良さみ……黒岩徳将 ≫読む

あとがきの冒険 第15回
まる・四角・小鳥
『Senryu So 時実新子2013』のあとがき
……柳本々々 ≫読む

八田木枯の一句
貫く光さまよふ光凍死体……西村麒麟  ≫読む

〔今週号の表紙〕
第500号 くぐる……西原天気 ≫読む

後記+執筆者プロフィール ……村田 篠 ≫読む



■復活!2016石田波郷新人賞落選展
作品募集のお知らせ
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2014「石田波郷賞」落選展 ≫見る



 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ
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 新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ ≫読む
週俳アーカイヴ(0~199号)≫読む
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評判録こちら

後記+プロフィール 第501号

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後記 ● 西原天気


2016石田波郷新人賞落選展」の〆切が本日(2017年11月37日)24時。奮ってご応募ください。



東京近辺は11月に雪。紅葉に白い雪がかかる、というオツな風景も。



ところで、シュークリームはやはりカスタードクリームがよろしいです。たまに生クリームと半々だとか、ちょっとヨーグルト味が混じるとか、そういうのよりも、やはりカスタード。皮はやわらかいのがいい。「カリッとさせました、あえて」というのもありますが、「あえて」は要らない。

基本を守ったシュークリームがよろしいです。

(寓話じゃないです。俳句に結び付けないでくださいね)

カレーパンも基本がいい。よくあるかんじのがいい。「あえてまるく」とか「あえてカリッと」とか、要らない。

(私の好みの話です。もちろん)

オムライスの卵は薄いのがいい。とろとろのオムレツがのせてあるのは、どうもいけません。それが本当のオムレツかもしれないけれど、オムライスじゃない。

あと、なにかありましたっけ? 「ふつうがいちばん」なもの。

…って人に訊いてもダメですよね。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.501/2016-11-27 profile

■藤田哲史 ふじた・さとし
1987年三重県伊賀生まれ。2006年東大学生俳句会に参加。2007年俳句結社「澤」に入会。2009年澤新人賞受賞、同年俳句アンソロジー『新撰21』に参加。現在無所属。生駒大祐と俳句系ウェブメディア「Haiku Drive」を不定期更新中(ちゃんとやれ)。 

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。ブログ「フラワーズ・カンフー

■橋本 直 はしもと・すなお

1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。BlogTedious Lecturehttp://haiku-souken.txt-nifty.com/01/

中筋祖啓 なかすじ・そけい
1982年生まれ。句会『鉄塊』『海紅』などに過去に参加していた経歴がある。現在は、島根県松江市に自由律俳句の句会『棟梁』を開催し活動中。

■太田うさぎ おおた・うさぎ
1963年東京生まれ。「豆の木」「雷魚」会員。「なんぢや」同人。現代俳句協会会員。共著に『俳コレ』(2011年、邑書林)。

■畠 働猫 はた・どうみょう
1975年生まれ。北海道札幌市在住。自由律俳句集団「鉄塊」を中心とした活動を経て、現在「自由律句のひろば」在籍。

牧岡真理 まきおか・まり
1957年東京生まれ。2014年俳句を始める。浦川聡子、佐藤文香の追っかけ。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter 

〔今週号の表紙〕第501号 錆 牧岡真理

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〔今週号の表紙〕
第501号 錆

牧岡真理

マドロスが片足を乗せて煙草をくゆらすアレ。ビットとかボラードと言うらしい。錆がなんとも素敵!

この前ある美術展で錆びたトタン板を観たけど、錆を鑑賞するならやっぱ、屋外の天然物だね。

撮影地:西岬(千葉県館山市)


週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

平成九年度俳句会作品集『九集』年度まとめ創刊号 発行予定のお知らせ

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平成九年度俳句会作品集『九集』年度まとめ創刊号
発行予定のお知らせ
先行予約受付中


★平成九年度俳句会作品集『九集』年度まとめ創刊号★

2017年1月中旬発行予定

会員41名による俳句・俳句評論・エッセイ・短歌・その他企画など盛りだくさんの一冊です。

1冊500円(送料込み)

お問い合わせ・ご予約は
メール:h9haiku@gmail.com
twitter:@h9haikukai
平成九年度俳句会とは、上川拓真(群青/開成高等学校OB)を中心に、1997年4月2日から1998年4月1日に誕生した世代が集まった俳句会です。俳句甲子園を通じて知り合った面々が中心となって輪を広げ、現在、41名が所属しております。

主な活動はメール句会と会誌(1月のみ作品集)の季節ごとの発行です。

目標は、会員が俳句を続けやすい土壌でありつづけること。

すこしずつ成長してゆく俳句会です、ときおり水をやりつつ、長い目で見守ってくだされば幸いです。

自由律俳句を読む 152 「中塚一碧楼」を読む〔4〕 畠働猫

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自由律俳句を読む 152
「中塚一碧楼」を読む4

畠 働猫


 気がつけば11月ももう終わろうとしている。
 今回を含めて四回にわたって中塚一碧楼の句を鑑賞してきた。
 一碧楼は、1946年(昭和21年)の大晦日に亡くなっている。59歳であった。
今回はその絶句となった二句までを見ていきたい。



▽句集『若林』(昭和12年)より【昭和11年~12年】

魚にくるくるのまなこがあり冬の日ひとりの人に買はれた 中塚一碧楼同
魚の眼に引き込まれるようにして、主体が魚に移っていく。自らがその魚と同化し、買われてゆく様子を体験しているようだ。岡山県玉島に生まれた一碧楼にとって、海はその生涯を通して生活の一部であったのだと思う。



女の倦怠がちらちら雪をふらすそのやうにおもふ 同
先に挙げた魚の句にも共通する詩情が、この時期の一碧楼の特徴ではないか。
自分の内面を直接に吐露するこの句は、一行詩とも言うべきもので、「俳句」というものからはかなり逸脱したものと言えるのではないだろうか。



わたしのあばらへ蔓草がのびてくる 同
この句もまた詩である。「あばら」を「あばら家」と解釈することもできようが、この「あばら」はやはり「あばら骨」のことであろう。あばらの浮き出た痩せた体で自由を奪われている、あるいは自由に動くことができない。そうした状況を比喩的に「蔓草」で表現したものと思う。今見れば月並みな表現のよううに思うが、当時は新鮮だったのではないだろうか。



「碧梧桐先生を亡ふ 五句」
先生死に木の白い椿八月九日 同
わが顔へねこやなぎ夥しきぎんのねこ 同
早春か戸塚に牛込に先生が根岸にもゐない 同
なんだ菜種の早咲きか買つて来たんか雨の日 同
七日七夜も雨ふり通せ枯草水につかりもせ 同
「自選俳句」によって一度は決別した碧梧桐との関係も、その後和解し、ともに「海紅」を創刊するに至った。以降、碧梧桐が主宰を辞するまで、一碧楼は編集を担った。碧梧桐が去ったのちも二人の交流に(少なくとも精神的な面では)変わりがなかったことが偲ばれる句群である。
碧梧桐の死は昭和1221日。早春の頃であった。
その死を悼み詠まれた句群は、その日以前と以後との時間の連続に戸惑う混乱や、ふとした瞬間に現実に引き戻される喪失の嘆きに満ちて痛々しい。
「戸塚」に「牛込」に「根岸」にもその姿を探してしまう心情は、喪った恋人の姿を追い求めてしまう山崎まさよしの「one more time, one more chance」とも共通のものであり、一碧楼の碧梧桐への思いは、師への尊敬を超えた思慕の念に近いものであったことを思わせる。二人の不世出の俳人はともに愛憎を超え、認め合い補い合う関係であったのだろう。



▽句集『宵宮』(昭和14年)より【昭和13年~14年】
基礎工事といふせめんと袋幾袋でも破いて冬の日 同
労働句である。
労働者に向ける視線は未だ変わらず一碧楼にあった。この句では、その繰り返される作業にどこか面白みのようなものを感じているように思う。働く者たちの白い息や声が聞こえてきそうな、優れた写生である。



冬の日小皿五まい一枚は疵あるを愛(かな)しき藍の小皿 同
こちらも「冬の日」である。倹しい暮らしの中で、小皿の疵さえ愛おしく思える幸福をかみしめているかのようだ。



水鳥水に浮いてゐ夫人はこれにはかなはないと思つてもゐない 同
優雅に見える水鳥も水面下では必死に水を掻いている、みたいなことであろうか。それでもこの夫人の傲岸さを愛おしく思っているように見える。



われら春浅い夜にまぎれる銀座裏通銀座表通 同
春の夜遊びであろうか。浮き立つような心情が窺われる。当時一碧楼は50歳を超えていたことと思う。なんとも元気な初老である。



竹の秋のせいか大きなまなこしてここへやつて来た男 同
目を見開いてきたのか。理由は竹の秋のせいではなかったかと思うが。



単衣きて樹がはつきりしてはつきり苦境 同
「苦境」は生活が逼迫してきた状況であろうか。それとも戦時における思想統制を言うものであろうか。




▽句集『石榴』(昭和17年)より【昭和15年~17年】
石など朝のものみなあをし石蕗の花さく 同
「小澤碧童追悼」と前書きがある。
碧童は碧梧桐との縁で「海紅」に参加した俳人である。同じ碧門と言ってよいか。次々に世を去ってゆく友を見送りながら、自らの死についても改めて意識するのだろう。この句に表れている情景は、石にも美しさを見出す、末期の眼に映るものである。



▽句集『上馬』(昭和19年)より【昭和17年~19年】
食べるに芋ありこの座からの竹林 同
物資の不足してゆく中も食べ物も見る物もあるがままにして足りているという境地を詠んだものであろうか。



ぴいてふ鳥なくぴいてふ青い山が迫る 同
昭和8年の句集『芝生』で見られた
「とつとう鳥とつとうなく青くて低いやま青くて高いやま」
のような、繰り返しのリズムがここでも効果的に用いられている。



▽句集『くちなし』(昭和21年)より【昭和19年~21年】
生死もとよりなきごとし辛夷咲きたり 同
こぶしの咲く早春は、師である碧梧桐を亡くした季節である。
敗戦から戦後にかけての時代、また、早春という季節が、死をより身近なものと感じさせたことだろう。最晩年にあたるこの時期の句には「死」を詠んだものが多く著されている。以下に挙げてみる。

ここに死ぬる雪を掻いてゐる 同
わがからだを感じつつ海苔一まいをあぶり 同
母に逢はず母死にしより霜の幾朝 同
われを愧ぢてゐる枯草など焚火してゐる 同
ここで言う「愧ぢ」とは何であろうか。戦中戦後を生き残ってしまった自分を思うのか。末期の眼で見る焚火に、様々な句友や師の面影が浮かんだのかもしれない。



▽句集『冬海』(昭和21年)より【昭和212月~12月】
母よりたまはりしものの如し青い莢豌豆をたべる 同
これも食卓のさやえんどうを末期の眼で見たものか。亡くした母からの賜りもののように感じ、感謝の念を抱きながらいただく。
今や食べ物にかぎらず、自らの周囲のあらゆるものが僥倖として在るという境地なのであろう。



以下「友たち相次いで逝く 二句」
つくつくほふし鳴きやまず樹木はみな立てり 同
拝むこころ裸にてここに坐りたり 同
ここで見える死への向き合い方は、すでに嘆きや悲しみではなく、ただただ在るものとして受け入れる姿勢である。
その59年の生涯を通して、一碧楼は多くの死に向き合ってきた。そしてその「死」をいかにして表現しようかと苦心してきたはずである。しかしここに至り、その苦心は「裸」という境地に至る。
死を前に私たちはただ向き合うのみであり、何を飾ることもなく裸である。
ただ「在るもの」に向き合う。
これまで見て来た句にも表れていた一碧楼の姿勢である。
女と向き合い、海と向き合い、師と向き合い、無産階級と向き合い、時代と向き合ってきた。
そしてここで「死」さえもただ向き合う対象とするに至るのである。



以下「絶句二句」
病めば蒲団のそと冬海の青きを覚え 同
魴鮄一ぴきの顔と向きあひてまとも 同
絶句においても、向き合う姿勢は貫かれた。その対象は海であり、一匹の魚であった。そしてともに末期の眼で見る世界の美しさが詠まれている。
これらの句は、1215日に自宅で催された海紅社句会において詠まれた。
11月下旬に胃腸を病み、療養していた一碧楼はこの翌々日に吐血し、31日の朝、その生涯を閉じた。

絶句としては、前の句の方がそれらしさがある。ここに死に向かう悲壮感を読み取ることも可能だろうからだ。
しかし「冬海」を詠みながら、厳しさではなく青さに言及していることに注目したい。おそらくは現実の海を前に、生涯を通して向き合ってきたあらゆる海、故郷の海、そうした記憶の中の海が布団の外に広がっている、そんな心象風景を表現したものと思う。末期の眼による表現の一つの到達点と言えるだろう。

だが私は後の句の方がどうにも好きである。これこそ人間一碧楼の結実であるように思うからだ。
魴鮄(ほうぼう)。北海道に住む自分にはあまり馴染みのない魚である。美味であるらしいが、どうにもそのユーモラスな容貌が特徴的だ。
そのとぼけた顔と向き合ってまともな顔でいる自分。そうした姿、そうした人間であったということを、自ら認め、呑み込んだ瞬間であったのではないか。
碧梧桐に傾倒し、反発し、自由を追い求めながら戦中戦後を生き抜いてきた。
その人生を完全に肯定できた瞬間だったのではないかと思うのである。
一瞬真顔で向き合ってその後、ひとしきり笑ったのではないか。
そんな情景が思い描けるほどに、この句は私の中の一碧楼のイメージと完全に一致した。



*     *     *



一碧楼について私は、死を見つめ、海を見つめ、人を見つめた詩人であったのだと思う。その詩人が、「俳句」という装置に出会い、それを通して表現を模索していった過程がその生涯であったのだろう。


さて、何度か言及してきた「添削」についてである。
一碧楼が「自選俳句」を刊行した理由が、碧梧桐による添削と選への抵抗と創作の自主制を守ろうとしたためであることはすでに述べた。

例えば、「日本俳句」に掲載された一碧楼の句に次のものがある。

誰のことを淫らに生くと柿主が

この句には、碧梧桐の添削が入っており、もとは次のような句であったらしい。

恬然と淫らに生きて柿甘し

自ら添削した句について碧梧桐は「日本俳句」誌上において称賛しているが、正直に言ってちょっとぴんと来ない。
おそらく「淫ら」の解釈が、もとの一碧楼と碧梧桐とで違うように思う。
もとの句での一碧楼の「淫ら」とは、キリスト教の信仰に関わる意味であったのではないか。信仰において自己を律することなく柿の甘さに身を委ねる奔放さ、背徳感を詠んだのではなかろうか。しかし碧梧桐の添削により、「淫ら」は文字通り性的なもの、あるいは性質という意味に貶められてしまっている。
したがって自分には、添削前の句の方が優れたものに見える。

もちろんこれは例外的なものであり、添削によって句はより優れた形になることが多いのだろう。放哉の「せきをしてもひとり」が井泉水の添削によって生まれた名句であるように。
しかしそれでも私は「添削」というものに違和感を覚えるのである。
私が鑑賞者である場合には、添削によってより高次な作品が生まれることには賛成である。
しかし表現者として、修羅としては、自らの根幹に関わる問題としてこれに抗いたくなる。


添削された句はもはやもとの作者の句ではない。
添削を受け入れた瞬間に、その作品は死ぬのである。

どんなに美しく整ったとしても、それは作者の目指した形ではない。
高みを目指して血を吐きながら登っていく修羅を、上空からつかみあげて別の山の頂に置くようなものである。
富士の頂を目指して登っていた者を、ヘリコプターでエベレストの山頂に連れて行く。「目標より高い山に登れた。うれしいな」と思う者には、もともと修羅の資質がないのだ。
そのような行為に、創作者としての修羅が心にある者は怒りを覚えてしかるべきだ。

添削とは荒々しい神に対する調伏であり、天然自然の山河を切り開きコンクリートで固める行為である。
また、ただ一つの美の正解が自身の中にあるという思い上がった行為である。
添削は作者の自主性を否定するものであり、それによってできた句は、もはや添削者の句だ。

絵画におけるデッサン力を高めるように、対象をよりよく表現する優れた技術・技法を伝えるための添削は、習作としては有効である。しかしそれによってできたものはもう創作者の表現しようとした「作品」ではない。
「作品」を「作品」足らしめる「精神」は、自分の内奥以外のどこにも存在し得ないからだ。それは与えられるものではない。そして自分自身で切り出し、磨き上げる以外にないものだ。

ただし両者の関係が対等であった場合にはこの限りではない。故事における賈島と韓愈のごとく馬を並べて推敲しあえるのであれば、その句は創作者の意を生かしたままより高次へ導かれることになるだろう。

 したがって、修羅たる表現者に必要なものは、添削ではなく推敲である。
師ではなく友である。
無論、慣れ合うだけの友ではなく、時に食み合い血を流し合う峻厳たる関係の友である。
 私はそう思う。





次回は、「橋本夢道」を読む〔1〕。

※句の表記については『鑑賞現代俳句全集 第三巻 自由律俳句の世界(立風書房,1980)』によった。



句会を開くにあたっての心構え 中筋祖啓

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句会を開くにあたっての心構え

中筋祖啓


この度は、島根県松江市の乃木公民館に、自由律俳句の句会『棟梁』を開設し、
約1年を迎える事になった。

その1年間を振り返りながら、
句会を開くとはどういう事なのかについて、我ながら振り返り原稿をまとめてみた。

この度私は、1年間、公民館で句会を開催し得た、様々なノウハウで、
今度は、外部に赴き『呑み句会』なる物を開催するという事を決めた。

地元の新聞に広告掲載を請願し、松江駅の出口で俳人を集め、
ノープランでブラブラと駅近郊の飲み屋街を渡り歩くという内容のイベントである。
内容の詳細→http://kukaitouryou.blogspot.jp/2016/11/blog-post.html

そんな事で人を集められるのか? 一体、何のために集まるのだろうか?
と、突っ込まれたなら、まさしくその通りだと私は頭を下げざるを得ない。

ところが、ごく一般的に習い事や教室のような仕組みで句会を開くことを、
私の性格的にはどうしても避けたかったため、このような趣旨で句会を開くことになった。

句会は開きたいが、しかし、あまり『教室』という流れで句会を開く事をしたくなかったのである。

句は、特に私等が普段詠んでいる俳句は、誠に偶然に得た物ばかりであるから、偶然手に入れたものを、
計画的に人に教えるという事を、一体どのようにして行えば良いのかが全くわからなかったのである。

ノープランにブラブラと街を渡り歩く。

しかしそこには、たしかに一本の細い細い線が敷かれていて、あたかも綱渡りをしているかのように、
自分の無意識の欲求に対し決してそれることが無く、ピッタリとその歩き方が唯一無二である必要がある。

乃木公民館での句会は、いままでにわずか、1名の参加者を得る事ができた。
あとはそれ以外は、ほとんど、公民館の職員の皆様とのコミュニケーションのほうが、
むしろ、思い出としては深い。

・公民館ならではの再建度

そのような一句に、自分の心がまとまった。

公民館の皆様には、いろんな意味で、不足を補っていただいた。
また、近所の居酒屋の皆様にも、微妙にご心配をかけた。

ご近所はご近所でも、特に、自分が少年時代を過ごした町という物は、
様々な角度から『再建』という視点が産まれるように思える。

この、どこもかしこも行き尽くしたご近所で、
さらに新たな再建を試みるにあたっては?たしかに、句会を開くという行為は、
唯一無二の存在に他ならないのである。

新たな企画『呑み句会』が、果たしてどのような結果になるのだろうか?
それは本当に、何も計画性が無く、偶然に頼るばかり。

週刊俳句の読者の皆様に対して、何か原稿を書いてみたいと思い、このような一文がまとまりました。
また、何か偶然に、文章がまとまる機会があれば、随時、投稿をさせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

【八田木枯の一句】ふと手紙書いてみたくて枯芙蓉 太田うさぎ

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【八田木枯の一句】
ふと手紙書いてみたくて枯芙蓉

太田うさぎ


ふと手紙書いてみたくて枯芙蓉     八田木枯

「雷魚」40号「汗馬楽鈔補遺(壱)」より。

近所の川に架かる橋のうちで最も短い橋の袂に一本の芙蓉が自生している。すぐ目の前の寺から種が運ばれて育ったものかもしれない。長く続いた今年の残暑のせいか、つい最近まであでやかな花をつけていたが、ちょっと見ないうちにみるみる枯れ進んでしまった。

枝の先に枯れた芙蓉の実が幾つも開いている。そういえばその姿は空へ何か便りを送ろうとしているように見えなくもない。ふっと誰それの顔が心に浮かび、特別な用事があるわけではないけれどペンを執りたくなる。ほんとうに書くかどうかは分からない。誰と思い定める宛先もないかもしれない。ただ、なんとなく便箋を広げてよしなしごとを認めてみたくなる。そんなとき、きっと人は少しばかりさみしいのだろう。

【句集を読む】すべてオッケー 瀬戸正洋『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』を読む 西原天気

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【句集を読む】
すべてオッケー
瀬戸正洋『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』を読む

西原天気



冷酒や鮨屋で独逸人倒れる
  瀬戸正洋

「え?」ということが、ときに起こる。人が倒れることを予期して鮨を食う人はいない。ましてやドイツ人が、となると、なおさら。


蒲公英や爆発しない手榴弾  同

爆発しないからいい、というものでもない。


世の中、思ってもみないことだらけ。


妻の前の狸慌てて妻も慌てて  同

家庭内も、同様。タヌキと妻の鉢合わせ。双方が「あわわ、あわわ」と。絵が浮かぶ。


春大根口を利かなくなった妻  同

のっぴきならない。


「内憂外患」は、この場合、誤用か。

いや、そんなことはどうでもよくて、つまり、世の中、いろいろなことが起こる、ということ。

けれども。

焼酎の神様が居て日暮れかな  同

これですべてオッケー。今日も日が暮れて、また明日、なのであります。


瀬戸正洋句集『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』(2016年10月15日/邑書林)
≫オンラインショップ http://youshorinshop.com/?pid=108496793

俳句の自然 子規への遡行54 橋本直

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俳句の自然 子規への遡行54

橋本 直
初出『若竹』2015年7月号 (一部改変がある)

今回は話題を変え、今井柏浦編『明治一万句』を中心に述べたいと思う。『明治一万句』は、いわゆる近世以来の類題句集の体裁で、子規の死後三年の明治三十八年の出版。日露戦争中で、日本海海戦の後ということになる。類題句集は明治から昭和初期にかけても多数出版されており、広く読まれていた。筆者架蔵の『明治一万句』は明治四十一年発行の第八版であるが、例えば神奈川近代文学館所蔵の同書は大正十三年発行の第二十版であり、同書が非常にロングセラーであったことがわかる。この本が興味深いのは、まず、以下の「凡例」である。
本書は子規先生仙遊後の俳壇を代表すべき唯一無二の句集なり。(中略)本書収むる處の俳句は悉く日本派同人の作に係り、其材料は明治三十四年三月より三十八年四月に至る最近五年間の「日本」「ほとゝぎす」「日本人」「太陽」其他の新聞雑誌中より、編者が嗜好に任せ蒐録せし、約五万句の中より載するところ壱千三百題に及び、特に明治の新題は悉く之を網羅したり(中略)特に子規先生の高吟を加へたるものは、作例を示して後進の為めに資せむと欲すればなり。
すなわち、子規死後の明治三十四年三月より三十八年四月までの日本派の俳人達の句を集めた私選句集ということになる。この期間は、日本派の選集である『春夏秋冬』(明治三十四年~六年)の後に続くものとなっており、子規の句は特別扱いで載せてもいて、この選集が子規派の出した句集の一つとも思われるのであるが、冒頭に内藤鳴雪の一句があり、中村不折の挿画はあるものの、柏浦と日本派との関係はよくわからない。「凡例」中の「編者が嗜好に任せ蒐録」とあることからすれば、元々は柏浦一人による私撰集であった可能性もあるだろう。

また、同書の特徴として、雑の部の立項とそこに子規の句を多く入れていることがあげられる。例えば、以下のような句は、前書きがそのまま目次に題として立項してある。

    松山堀端
  門しめに出て聞て居る蛙かな(春の部)
    須磨保養院
  人もなし木陰の椅子の散松葉(夏の部)
    猫に紙袋の畫に
  何笑う声ぞ夜長の台所(秋の部)

他に、「上野」「浅草」「呉港」「金州」「大連湾」「須磨」等の立項がされている。このように、子規の句のために「雑」を立てたとも言えそうな部立てに対する自由度の幅の広さであり、このあたりは、柏補の子規への偏愛ぶりをみても良いようにも思われる。

ところで、柏浦今井玉三郎は、これらの私撰集の他、『俳諧例句新撰歳事記』など、俳句に関わる多数の編著書がある人物なのであるが、その仕事の量に比して、経歴がよくわからない。『日本近代文学大事典』(講談社)や『現代俳句大事典』(三省堂)に記載がなく、『俳文学大辞典』(角川書店)に、
俳人。生没年未詳。日本派句集『明治一万句』を博文館から刊行。これは明治三四年(一九〇一)から同三八年の句を集大成したもの。編著『新編一万句』『最新二万句』『大正一万句』『新修歳時記』ほか。〔和田克司〕
とあるのを見出せたのみであった。調べたところでは、今井柏補(玉三郎)の名で、約三十年の間に二十冊を越える著作があり、博文館から多数の書籍を刊行している。博文館との関係については、柏浦編『詳解例句纂修歳事記』(大正十五年十二月)の「緒言」に、以下のような記事が見いだせた。
回顧すれば『新撰歳事記』の初めて世に現はれたるは、明治四十一年にして(中略)彼の震災のため、一朝にして全部の原稿三千余枚を烏有に帰し、茲に一頓挫を見るに至れるも大正十二年末、編者の多年在職せし博文館を引退したるを動機とし、再び之れが改修を企て(以下略)
すなわち、明治四十一年刊の『俳諧例句新撰歳事記』の改訂を画していたのが震災で原稿資料を消失し退職後に改めてやり直したものが大正十五年刊『詳解例句纂修歳事記』ということである。そして、柏浦は博文館の社員であったことが分かり、大正十二年に退職している。そこで、坪谷善四郎編『博文館五十年史』(昭和十二年 博文館)の大正十二年の「此年編集部員の異動」の記事にあたってみると、たしかに、「営業部にては十月二十六日に(中略)今井玉三郎(中略)の諸氏が退職した」とあり、柏浦は博文館の営業部の社員であったと確認できた。そうすると、昭和まで継続する柏補の選集を編む情熱は、柏浦一人の子規と日本派への偏愛からきているのかもしれないが、立証する資料が足りない。

さて、この『明治一万句』には、初期の村上鬼城の句も収められており、四句見いだせたので最後に紹介しておく。

  初午や雇ひ神主小風呂敷
  椿咲く親王塚や畑の中
  恋い死して海棠樹下の仏かな
  花妻の亥の日を祭る灯かな

【みみず・ぶっくすBOOKS】第13回 文学無料配布マシンと俳句コンテスト 小津夜景

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【みみず・ぶっくすBOOKS】第13回
文学無料配布マシンと俳句コンテスト

小津夜景


フランスに Short Editionという、その名のとおり短編を好んであつかう出版社がある。この出版社は自分たちの活動を《プラットフォーム》と位置づけていて、この「週刊俳句」のように何かを書きたい人達の《場》になっているようだ。

書きたい人達ばかりではなく、読みたい人達の《場》としてもShort Editionには面白い工夫がある。いったいどのような工夫かというと、市役所、図書館、駅といった公共スペースに文学の無料配布マシンを設置しているのである。

で、つい先日この配布マシンから俳句が出てくるという噂を聞いた。本当だろうか。そんな可能性を想像したこともなかったわたしは実際に確かめにゆくことにした。

ひとつ問題なのは配布マシンにはストーリーの長さによって1分、3分、5分と三種類のボタンがついており、読者がボタンを押すとレシート状の作品がランダムに出てくる仕組みになっていること。つまりこの自販機、読みたい作品を自分で選べないのだ。


運良く俳句に出会えますように、と思いながらさっそく駅へ。その辺にいた駅員さんを捕まえて「短編の販売機はどこですか?」と尋ねると「コンビニの横だよ」と教えてくれる。ついでなので「この販売機、この国全体で今何台くらいあるんでしょう?」とさらに聞いてみると「駅だけで100箇所くらいかな」との返答。けっこうな台数だ。

出勤時間以外は閑散とした駅舎。
休憩スペース。

駅構内のコンビニへ向かう。するとはたしてその横の休憩スペースにベンチ、テーブル・フットボールの台、アップライトピアノ、そして配布マシンがあった。さっそく近づいてみる。




この中に文学とレシートとがたっぷりつまっているのか。俳句だから絶対に最短のはずと思い1分ボタンを押すと、印字音が鳴り出し、レシートがぴろぴろと出てきた。




一枚目はフォンテーヌの詩「カラスと狐」。おお。あの塚本邦雄の「暗渠詰まりしかば春暁を奉仕せり噴泉(ラ・フォンテーヌ)La Fontaine」のフォンテーヌである。再度押す。と、またフォンテーヌ。三枚目が「真夏の夜の夢」という短編。四枚目はずいぶん長い。普通の人はこれ を1分で読めるのだ。ならば5分のレシートはどのくらいの長さなのだろう?と好奇心が湧いたが、あまり何度も押すと公共マナーに触れそうなので我慢するこ とに。

本日の収穫。

そんなわけで結局、俳句のレシートを手にすることはできなかったのだが、帰宅してからShort Editionのサイトを見ると、季節ごとに俳句の賞が開催されていることがわかった。




またこれ以外に、ふだんか らいつでも俳句と短歌を投稿できることもわかった。下の画像右側の詩型(FORME POETIQUE)という欄をみると、投稿できるのはアレクサンドラン、俳句&短歌、スラム、ソネット、寓話詩、散文詩、歌詞、自由詩、8ないし 10音節詩行の9ジャンル。俳句&短歌が一ジャンルというのはちょっとすごい。


ここに投稿された作品は、インターネットを通じた読者の反応とShort Edition編集会議とを合わせた結果、雑誌、配布マシン、ポッドキャスト、その他の方法でさらに広められるという仕組みのようだ。なかなかおもしろそう。応募してみようかしら。

仕組みの解説図。
月刊誌。値段は3€。


評論で探る新しい俳句のかたち(2) いったん芭蕉と子規を忘れてしまう、ということ 藤田哲史

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評論で探る新しい俳句のかたち(2)
いったん芭蕉と子規を忘れてしまう、ということ

藤田哲史


俳句のルーツを探るなかに、新しい俳句表現のヒントを探していくウェブ連載記事「評論で探る新しい俳句のかたち」。

なかなかの大口っぷりではじまった連載だけれど、正直なところ、どういった切り口で語りはじめればよいか、まだ迷っているところもある。

たとえば、いま真面目に俳句のルーツ、つまり俳句の文学史を書いていこうとすると、近世俳諧では、芭蕉・蕪村・一茶、近代以降だと、正岡子規・虚子―――というようにそれぞれの時代の代表的な作家を挙げて、それぞれの作家の文学的功績を挙げていくことになるだろうか。

けれど、このようなやり方で俳句をいくら丁寧に語っても、現在の俳句とのつながりや、新しい表現へのヒントを探ることはむずかしい。なぜなら、ふつう、ほとんどの文学研究の目標というのが、表現の形式自体の理解でなく、表現した作家個々への理解だから。芭蕉が「奥の細道」で何を表現したかったか、子規のいう「写生」とは何だったか、という問いが各研究者の目標であって、それらの文学論を繋ぎ合わせたような文学年表を作成して、それがそのまま表現形式についての理解になるか、といえばとてもあやしい。

これまでの俳句評論が、新しい表現のかたちをほのめかすことができなかったのは、ひょっとしてこういった文学の本質的なところが関わっているんじゃなかろうか。

そこで、ここでは、俳句表現自体を語るため、芭蕉や子規をいったん忘れることにしようと思う。

俳句を語るため、俳句にとって欠かせない作家を忘れる、というのは、奇妙に聴こえるかもしれないが、作家の個性のような、本質論にとってノイズとなるような要素、いわば文脈をいったん脇に置いたほうが、表現の本質を語るうえではじつは都合がよいのではなかろうかというのがこの考えの要だ。

 空へゆく階段のなし稲の花  田中裕明

ここで、あらためて、先週現在の俳句として挙げたものを挙げてみる。先週、この俳句を「俳句というジャンルが従来培ってきた文脈=本意を意識させつつ、それとは異なる文脈が1句のなかに収まり、1句ではっきりと1つの世界を立ち上げないような構成」と評した。

もし、この田中裕明の代表作をいかにも文学らしく捉えるなら、高浜虚子の弟子・波多野爽波の弟子である田中裕明という系譜による鑑賞や、詩人高橋睦郎による「伝統派の貴公子」という評、また「稲の花」という季語の意味などを解説しながら、上五中七の「空へゆく階段へなし」という意外性のあるフレーズを称えることになるだろうか。

けれども、1つの作品についてその背景を含めて詳しく鑑賞すればするほど、俳句表現自体からは遠ざかっていく気がするのは私だけだろうか。

だからこそ、この連載では、作家性などの諸々の背景=文脈を取り除いたときにあらわれるもの=構造を基に俳句表現について語っていこうと思う。

作品にまつわる一切の文脈を脱がせたときに見えてくる表現の骨格たる構造。それは、決して見えないものではない。文脈の存在によって気づきづらかっただけで、ずっとそこにあり、私たちに見えていたはずのものだ。構成から俳句表現を語り直す―――次回以降、さしあたり、このあたりのことをテーマに書き進めていこうと思う。
眼に見えないものを見る
あれは撃鉄をひいたことのない
群小詩人の戯言(たわごと)だ
眼に見えないものは
存在しないのだ
(「ある種類の瞳孔」 田村隆一 より)

週刊俳句 第501号 2016年11月27日

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第501号
2016年11月27日


2016 角川俳句賞落選展≫見る


評論で探る新しい俳句のかたち〔2〕
いったん芭蕉と子規を忘れてしまう、ということ
……藤田哲史 ≫読む

【みみず・ぶっくすBOOKS】第13回
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俳句の自然 子規への遡行 54……橋本 直 ≫読む

句会を開くにあたっての心構え……中筋祖啓 ≫読む

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2016「石田波郷新人賞」落選展 表紙

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2016「石田波郷新人賞」落選展

1.青木ともじ ≫読む
2.樫本由貴 ≫読む
3.黒岩徳将 ≫読む
4.新藤生糸 ≫読む
5.森優希乃 ≫読む
6.柳元佑太 ≫読む
7.若林哲哉 ≫読む
8.吉川創揮 ≫読む



参加者プロフィール

■青木ともじ あおき・ともじ
1994年千葉県生まれ。俳句甲子園13,14回出場。
現在東京大学に在学。「群青」所属。

■樫本由貴 かしもと・ゆき
1994年生まれ。広島市在住。広島大学俳句研究会代表。「小熊座」所属。

■黒岩徳将 くろいわ・とくまさ
1990年神戸市生まれ。岡山県在住。「いつき組」「街」所属。

■新藤生糸 しんどう・きいと
北海道在住 1988年 生まれ

■森優希乃 もり・ゆきの
1996年12月2日愛媛県松山市生まれ。福岡県福岡市在住。九州大学薬学部臨床薬学科二回生。「いつき組」所属。

■柳元佑太 やなぎもと・ゆうた
旭川東高校在学中。

■若林哲哉 わかばやし・てつや
平成10年生まれ。石川県在住。
「萌」会員。第18回俳句甲子園出場

■吉川創揮 よしかわ・そうき
1998年生まれ。俳句甲子園をきっかけに高1の春に句作を始める。広島高校文芸部所属。

〔今週号の表紙〕第502号 ご利益 藤原暢子

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〔今週号の表紙〕
第502号 ご利益

藤原暢子

12月3日は秩父夜祭。武甲山の男神さんと秩父神社の女神さんの年に一度の逢瀬。ロマンチックだ。

しかし、武甲山の神様には本妻がいる。4年前、祭の宵宮にぶらぶらしていたら街の裏手の駐車場に出た。その片隅にある小さいお宮には、どっさりのお供え物。大勢の祭男どもが参っていたのである。

「明日の祭の前に本妻さんに謝っておくんだよ。」

本妻、諏訪社だった。寒空の下、祭おじさん達に教えてもらう神様の浮気話。酒と肴つき。以来、いろんな気持ちも込めて、祭の際に、諏訪社に立ち寄るようになった。

学生時代から夜祭には通っているのだが、この諏訪社にはじめて会った年の3日(祭当日)は、不思議とそれまで未知であった祭の場面に潜り込めた気がする。


週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

【週俳10月11月の俳句を読む】雑読『冬が来るまでに』 瀬戸正洋

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【週俳10月11月の俳句を読む】
雑読『冬が来るまでに』

瀬戸正洋


木村傘休は、「燈下の先達」という燈下集作家による連載の中で、安藤赤舟、林蟲兄弟を担当し、「春燈」9月号、10月号に「冬田道の兄弟 安藤赤舟」「冬田道の兄弟(2) 安藤林蟲」を書いている。60枚を超える労作である。また、加えて、5ページにわたり、略年譜「安藤赤舟・林蟲とその時代」も傘休編として掲載した。私は、吉屋信子の「底のぬけた柄杓」を読んだことがあるだけなので、たいへん興味深く読んだ。赤舟、林蟲兄弟の父は、吉原の貸座敷「河内楼」の主であった。
この、9月号では、春燈俳句会「久保田万太郎研究会」発表会の特集も組まれ、研究発表された「久保田万太郎戯曲の展開」福井拓也が掲載されている。また、「週刊俳句」第498号、堀下翔まるごとプロデュース「学生特集号」後編にも、この「久保田万太郎戯曲の展開」が、部分転載されている。

旅人はギリシャの木槿銀時計  福井拓也

銀時計というと懐中時計をイメージする。銀の懐中時計を眺めていたら、銀の懐中時計は、おもむろに語り始めたのである。歴史とは何であるのか、旅とは何であるのかと。木槿の傍らで銀の懐中時計は確実に時を刻む。

傾くと露とは軽き眠りかな  福井拓也

露とは儚きもなのである。それが傾くのであるから、益々、儚いものとなっていく。軽きとしたことで、露の重さ、即ち、現実味が加わってきた。そんな時、ひとは眠る以外に何をすればいいのだろう。

秋風を誘へる笛の小さかり  福井拓也

風の神様が笛を奏でると空気は動き始める。風の神様がちいさな笛をお持ちになったから秋風となった。当然、風の神様は気紛れなので、冬であろうと、春であろうと、夏であろうと、ちいさな笛をお持ちになることもある。

小鳥来る水の歳月なりしかな  福井拓也

歳月を例えるものとして「水の流れ」がある。歳月とは留まることなく流れ続けるものだということだ。だが、この作品は、水の歳月だという。小鳥が生きていくために、あるいは、他のものが生き続けるために、涸れることなく、そこに水は流れ続けるのだ。

とんぼうとなりときどきは日の流れ  福井拓也

とんぼうになってみると、ひとであるときには気が付かなかった日の流れを感じることができる。ときどきは、日の流れに身をまかせることも悪くはないと思ったのである。私たちがとんぼうを眺めていて、動きが変わったなと感じたとき、それは日の流れに乗ったときなのである。

いわし雲微熱の指の長さかな  福井拓也

すこし熱があり身体が怠いのである。そんなとき、何をしても集中できず時間の経つのが遅く感じる。いわし雲を眺めていると、微熱のあるひとの脳髄のように見えてくる。そんな時、ひとは指の長さが何故か気になるのだ。

あるこほる流るる曼珠沙華は白  福井拓也

曼珠沙華というと、あまり、よい印象を持っていない。子どもの頃、竹を刀に見立てて、茎のあたりを目掛けて振り下ろすと、面白いように花は地面に落ちた。死人花、彼岸花、等々、別名もよろしくないし毒もある。最近、曼珠沙華を摘んでいるひとを見掛けるが、だいじょうぶなのかと思ったりもする。

アルコールが血管を流れるのと同じように、曼珠沙華にもアルコールが流れるのだ。酔った曼珠沙華は白くなるという。酒を飲んだ白い曼珠沙華を眺めながらの昼酒も悪くはないと思う。

燃ゆるならてのひら月の便りかな  福井拓也

月の便りだから、てのひらで受けるのである。月の便りだから、てのひらで受けると燃えるのである。月の便りとは、恋文のことなのだろう。故に、冬が来るまでに、心のなかで折り合いをしっかりとつけなくてはならないのだ。

十三夜おほきなおほきな砂時計  福井拓也

この砂時計は、駅の待合室とか、観光地などひとの集まるところにあるものなのだろう。「おほきなおほきな」というくらいだから常識を超えた大きさの砂時計なのである。月を観に出掛けたのであるが、あまりの大きさに驚き、砂時計の方にこころが移ってしまったのである。そんなひとの思いとは無関係に月は静かに中天へ。

歩くほど砂漠へと冬隣かな  福井拓也

冬の近づいた気配を感じる晩秋のころのことを冬隣という。目的地は砂漠ではないのだが、歩けば歩くほど近づいて来るのは砂漠。「東京砂漠」という、はやり唄があったが、この砂漠とは負の人生を象徴しているのかも知れない。砂漠へは行きたくて行くのではない。冬の季節も待ち望むものではない。砂漠に近づいていく感覚、冬に近づいている気配。どちらも、歩いているから、生きているから、それを意識してしまうのだと思う。

二冊の「春燈」は、職場の机の引き出しに入れてあり、昼休み、あるいは、仕事が一段落したあと、手に取ったりして楽しんでいる。「燈下集」、「当月集」「春燈の句」の俳句作品は、さすがだと思う。「燈下集」には、鈴木直充、本多遊方、三代川玲子、溝越教子の名も見える。木村傘休の俳号は、名乗りを上げるとき、同時に感謝の気持ちを込めたいからだと言っていた。だが、「春燈」において「傘」という文字を使っているからには、それなりの「ある」思いを秘めているのだと思う。

この師走には、S町のB座で久保田万太郎作の「かどで」「舵」の二作が上演される。二作品とも下町に生きる職人の世界を描いたものなのだそうだ。ある句会で、ある方から、そのパンフレットと優待割引券をいただいた。たまには、老妻とふたり、出掛けてみるのも悪くないなどと思ったりしている。



加藤静夫 失敬 10句 ≫読む

第497号 学生特集号
樫本由貴 確かなあはひ 10句 ≫読む
野名紅里 そつと鳥 10句 ≫読む
福井拓也 冬が来るまでに 10句 ≫読む

第498号 学生特集号
斉藤志歩 馬の貌 10句 ≫読む
平井湊 梨は惑星 10句 ≫読む
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