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2016「角川俳句賞」落選展 表紙

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2016「角川俳句賞」落選展

■第1室
1.青木ともじ 
2.青島玄武 
3.青本瑞季 
4.青本柚紀
≫読む

■第2室
5.安里琉太 
6.生駒大祐 
7.大塚 凱 
8.仮屋賢一
≫読む

■第3室
9.きしゆみこ 
10.工藤定治 
11.小助川駒介
12.杉原祐之
≫読む

■第4室
13.すずきみのる 
14.高梨 章 
15.滝川直広 
16.ハードエッジ 
17.古川朋子
≫読む

■第5室
18.堀下 翔 
19.前北かおる 
20.宮城正勝 
21.吉井 潤 
22.Y音絵

≫読む

* 「俳句」編集部による一次予選通過


参加者プロフィール

■青木ともじ あおき・ともじ
1994年千葉県生まれ。俳句甲子園13,14回出場。
現在東京大学に在学。「群青」所属。

■青島玄武 あおしま・はるたつ
熊本県熊本市在住。『握手』の磯貝碧蹄館に師事。『新撰21』に選ばれなかったほうの『新撰21』世代。現代俳句協会会員。熊本県現代俳句協会副会長。

■青本瑞季 あおもと・みずき
1996年広島県生まれ。「里」「群青」同人。

■青本柚紀 あおもと・ゆずき
平成8年生まれ。広島県出身。高校1年生のときに作句をはじめる。東京在住。「里」「群青」同人。

■安里琉太 あさと・りゅうた
1994年沖縄生。中原道夫、佐藤郁良に師事。「銀化」同人、「群青」副編集長。俳人協会、沖縄県俳句協会、琉球大学俳句研究会a la
carteに会員として所属。受賞歴に、第十六回銀化新人賞、第二回俳句四季新人奨励賞ほか。

■生駒大祐 いこま・だいすけ
1987年三重県生まれ。「天為」。「手紙」「クプラス」「オルガン」。「週刊俳句」。ustream番組「Haiku Drive」。第3回攝津幸彦賞。

■大塚 凱 おおつか・がい
1995年千葉県生まれ。第7回石田波郷新人賞受賞。「群青」同人。

■仮屋賢一 かりや・けんいち
平成四年生。大山崎の地に住み、管楽作品を中心に作編曲活動を行う。

■きしゆみこ
「屋根」「クンツァイト」所属。

■工藤定治 くどう・ていじ
1958年生。「南風」会員。
ブログ「クドウ氏の俳句帖」更新中。

■小助川駒介 こすけがわ・こますけ
1966年生れ。「玉藻」同人
第三回星野立子新人賞受賞。

■杉原祐之 すぎはら・ゆうし
平成十年「慶大俳句」入会、平成二十二年『先つぽへ』刊行
『山茶花』、『夏潮』

■すずきみのる
1955年生まれ。鳥取県在住。俳人協会会員。「参」「鼎座」「汀」所属。句集『遊歩』。

■高梨章 たかなし・あきら
昭和二十二年一月一日生まれ。大学非常勤講師。俳句歴七年。所属結社なし。

■滝川直広 たきがわ・なおひろ
2003年 藍生俳句会入会
2007年 藍生新人賞受賞
2013年 藍生賞受賞
俳人協会会員

■ハードエッジ
twitter専業俳人
2014秋より、55万句の俳句データベース(桐v9)を活用中

■古川朋子 ふるかわ・ともこ
1969年生。福岡県在住。所属結社なし。檸檬句会、いるか句会等に参加。作句歴5年。

■堀下翔 ほりした・かける
1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。筑波大学に在学中。

■前北かおる まえきた・かおる
1978年島根県生まれ。慶大俳句、「惜春」を経て、「夏潮」創刊に参加する。
第1回黒潮賞受賞。句集『ラフマニノフ』、『虹の島』。
ブログ http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/

■宮城正勝 みやぎ・まさかつ
1941年、沖縄県国頭郡に生まれる。
WA(岸本マチ子代表)会員。

■吉井 潤 よしい・じゅん
香川県在住 無所属、超結社句会「木の芽句会(涼野海音 幹事)」に参加
http://blogs.yahoo.co.jp/tns26095 本日のタナカファクトリー



週刊俳句 第499号 2016年11月13日

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第499号
2016年11月13日



2016「角川俳句賞」落選展

1.青木ともじ 2.青島玄武 3.青本瑞季 4.青本柚紀
5.安里琉太 6.生駒大祐 7.大塚 凱 8.仮屋賢一
*
9.きしゆみこ 10.工藤定治 11.小助川駒介* 12.杉原祐之*
13.すずきみのる 14.高梨 章 15.滝川直広 
16.ハードエッジ 17.古川朋子* 18.堀下翔 19.前北かおる
20.宮城正勝 21.吉井 潤 22.Y音絵
*は「俳句」編集部による一次予選通過作品

≫2016角川俳句賞落選展ページへ

……………………………………………

あとがきの冒険第14回
忘れた・忘れる・忘れるだろう
小津夜景『フラワーズ・カンフー』のあとがき
……柳本々々 ≫読む

【句集を読む】西原天気が読む5冊
森山いほこ『サラダバー』の一句
郵便の近代 ≫読む

九里順子『風景』の一句
シティライツ ≫読む

恩田侑布子『夢洗ひ』の一句
くろかみ ≫読む

森澤程句集『プレイ・オブ・カラー』の一句
「お」で始まるものを探す旅 ≫読む

前田霧人『レインボーズエンド』の一句
摩天楼の景色 ≫読む

寄稿
戦争俳句の考証と平成俳句の課題
……八鍬爽風 ≫読む

自由律俳句を読む151
「中塚一碧楼」を読む〔3〕
……畠 働猫 ≫読む

【週俳7月の俳句を読む】
中山奈々 いまさら7月を ≫読む

八田木枯の一句
信子逝く湯ざめの思ひして淡し
…… 角谷昌子 ≫読む

〔今週号の表紙〕
第499号 御蔵島……佐藤文香 ≫読む

後記+執筆者プロフィール ……上田信治 ≫読む



■佐藤文香編「現代俳句アンソロジー」(左右社刊)
作品200句【公募】のお知らせ
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■復活!2016石田波郷新人賞落選展
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2014「石田波郷賞」落選展 ≫見る



 
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ありえん良さみ 黒岩徳将

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ありえん良さみ

黒岩徳将


株式会社LIGの元ライターのさえりぐさんがこのようなTweetをしていた。

「正しくて美しい日本語が必ずしも大事とは思わないし、新しい言葉をどんどん生み出す柔軟な姿勢は大好きだけど、そうだとしてもちょっと何言ってるかわかんなくて笑うしかない」(原文ママ)
https://twitter.com/saeligood/status/794819174585565184

話題になっているのは【第58回京都大学11月祭統一テーマ】、要するに文化祭のキャッチコピーである。内容は以下である。
「ぽきたw魔剤ンゴ!?ありえん良さみが深いw京大からのNFで優勝せえへん?そり!そりすぎてソリになったwや、漏れのモタクと化したことのNASA(掌の絵文字) そりでわ、無限に練りをしまつ ぽやしみ〜」(原文ママ)
公式ホームページには趣意文も公開されているので是非見ていただきたい。

初めてこの統一テーマを見た読者はどのように感じただろうか。筆者はこの統一テーマに対して、「ちょっと何言ってるかわかんなくて笑うしかない」と「笑う」だけでなく、一つ一つの単語を分解し、書かれた内容とフレーズの持つスタイルの響き合いを考察することも面白いのではと思った。俳句の鑑賞と同じである。

まず、「ぽきた」「ぽやしみ〜」はそれぞれ、「起きた」「おやすみ」をもじっていることが推測できるだろう。ア行の代わりにパ行を用いることで、馬鹿らしさを演出できる。起床から何かが始まるかと思えば寝る、生産的活動が成されていないことで怠惰を礼賛する姿勢がうかがえるだろう。

次に、「ありえん良さみが深い」(≒「とても良い」)、「練りをしまつ」(≒「寝ることをします」≒「寝る」)などと、短い名詞を「動詞」+「する」の形に引き延ばしていることに注目したい。冗長な文体が醸し出す無意味性に、つい身を委ねてしまいたくなる。

最後に「そり!そりすぎてソリになったw」の初めのそりは「Sorry!」を表していると思われるが、二つ目の「そりすぎて」は「Sorry(という気持ちが強)すぎて」もしくは「(身体を)反りすぎて」と解釈できる。その後の「ソリ」になった、は柔軟なイメージを持つ「反り」から、いきなり固さを感じる「橇」に移行するので、ここはあまり成功していないと感じた。いずれも、「そり」という言葉から導き出されるイメージの多様性を狙っているのだが、後述の「NASA」にも同じことが当てはまる。「無い」という言葉の持つイメージを、宇宙ステーションを持つ「NASA」に大きく転換しているように見せかけ、実は宇宙空間の「無」感に帰着することができるので、「無さ」と「NASA」の距離感は絶妙である。

株式会社LIGはホームページを閲覧すればすぐわかるように、社会においてくだらないと一笑に付されてしまいそうなことを、全力で取り組むことに価値を置いている。数年前に就活生を騒がせた「即戦力の男 菊池」などが記憶に新しい。そう考えると、LIGと京都大学11月祭の関係は意外と近い。

俳句にも、馬鹿馬鹿しいことを臆面もなく紹介するという面白さが存在する。

蠅とんでくるや箪笥の角よけて  京極杞陽


参考:
株式会社LIG
https://liginc.co.jp

京都大学11月祭ホームページ
http://nf.la/what/what.html

【八田木枯の一句】貫く光さまよふ光凍死体 西村麒麟

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【八田木枯の一句】
貫く光さまよふ光凍死体

西村麒麟


『汗馬楽鈔』(1988年)より。

貫く光さまよふ光凍死体  八田木枯

死体に美醜があるかどうかは難しいが、凍死体はその五体が朽ちない点では美しいと言えなくもない。

生物の気配の無い空間で、凍死体(自分でも他者でも、或いは複数でも)が永遠の時を過ごす。鋭く走る光を眺め、うっとりする。

凍死体は羨ましくはないが、その冷たい、清潔な時間を美しいと思う、などと書いたら不謹慎だろうか。


あとがきの冒険 第15回 まる・四角・小鳥 『Senryu So 時実新子2013』のあとがき 柳本々々

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あとがきの冒険 第15回
まる・四角・小鳥
Senryu So 時実新子2013』のあとがき

柳本々々


時実新子さんの『有夫恋』を読んでいたわたしが、〈わたし〉というコアをめぐる新子さんの川柳に対する見方が変わったのが、石川街子さん・妹尾凛さん・八上桐子さん発行の『Senryu So 時実新子2013』によってだった。

この小冊子には後記として「私たちが欲した新子70句」と記されてあり、この小冊子が「私たち」の視点から編まれた新子アンソロジーであることがわかるようになっている。それはたぶん「あなたちが欲した新子」句とも対をなしているはずだ。

「あなたたちが欲した新子」句は〈そう〉だったかもしれないけれど、「私たちが欲した新子」句は〈こう〉だったんだよ、と。でなければ、アンソロジーの意味なんてないのかもしれない。アンソロジーはある意味、それまでの固定されたイメージを編み直すことによって断ち切るものでもあるはずだ。

私がこのアンソロジーで新しい視点を感じたのが〈形〉への視線だった。ちょっと引用してみよう。

  たましいのかたちとわれてまるくかく  時実新子

  月を四角と言い張る涙こぼしつつ  〃

  それも百体 人形が目をひらく  〃

これらの新子句で注目してみたいのは、「たましいのかたち」の「まる」や「月」の「四角」、「百体」の「人形」の「形」である。

「まる」や「四角」や「人形」という形を導入することによってまず普遍的なイメージをそこに配置している。これは〈みんなのかたち〉と言ってもいい。ところがそこに〈みんなのかたち〉を導入しながら新子句においては、「とわれてまるく《かく》」や「《言い張る》涙こぼしつつ」や「それ《も》」という〈意志の言葉〉を同時に配置する。

〈かたち〉という無機質なイメージに、〈わたくし〉の意志の言葉を配置すること。この〈世界〉と〈わたくし〉のすりあわせにこそ、新子句の魅力があったのだと思うのだ。

新子さんの句集に『有夫恋』があるが、これは明らかに、新子さんの伝記的事実を参照したくなるようなタイトルである。夫がありながら恋をする身の上とはどのようなものなのか、その心情とは、そして新子さんの人生とは。

それはそれでいいとも思うのだが、ただ新子句にはそうした伝記的事実を参照するだけでは汲み取れない、独特の言葉の配置なり構造がある。その言葉の構造から新しい時実新子像が描けないか。

そんなことを私はこのアンソロジーから「問いつめられ」たように、思うのだ。アンソロジーとは、あなたが「小鳥になるまでの過程」を「問いつめ」るものかもしれない。アンソロジーを読んでいるあなた自身も、また、編み直されるのだ。

  問いつめられて小鳥になるまでの過程  時実新子

(『Senryu So 時実新子2013』石川街子・妹尾凛・八上桐子、2013年 所収)

新連載 評論で探る新しい俳句のかたち(1) 現在の俳句、そのルーツ 藤田哲史

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新連載
評論で探る新しい俳句のかたち(1)
現在の俳句、そのルーツ

藤田哲史


はじめまして。もしくは、おひさしぶり?どんな言葉で「週刊俳句」に書こうか迷ったけれど、ご無沙汰です。「週刊俳句」の読者のみなさま。

改めて、今、俳句について考えてみたい。とはいえ、流行りのサブカルと絡めた批評家らしい批評は書けない。作家論―――もいいけれど、「週刊俳句」を含め多くのメディアに掲載されているので、ちょっとニッチなところを突いて(最近あまり見かけない?)本質論を試みたい。

本質というと大ざっぱすぎるかもしれない。今考えたいのは、現在作られている俳句のルーツだ。

現在、私たちは、俳句総合誌で、俳句結社誌で、ウェブで、最新作たちを目にしている。それぞれの作品には、作家性や個別性があり、そこから作家や世代についての評論が生まれてくる。けれども一方で、全体から感じとることができる印象がある。この印象は、「切れ字」や文語的表現から得られる印象ではない。それは、例えば、いつか教科書で見た江戸時代の発句(与謝蕪村の「愁ひつつ岡にのぼれは花茨」、小林一茶の「雪とけて村いつぱいの子どもかな」)や、近代の俳句(正岡子規「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」)とはまた異なるものだ。

水の地球少しはなれて春の月     正木ゆう子
空へゆく階段のなし稲の花      田中裕明
くろあげは時計は時の意のまゝに   髙柳克弘
心臓は光を知らず雪解川       山口優夢

ゼロ年代を中心に、これは、と思う4作品を示してみた。俳句というジャンルが従来培ってきた文脈=本意を意識させつつ、それとは異なる文脈が1句のなかに収まり、1句ではっきりと1つの世界を立ち上げないような構成―――これらに共通する印象は、現在の俳句全体から感じられる印象=現在の俳句らしさと言えないか。

この現在の俳句らしさを、良いとも悪いとも判断することはできない。どんなジャンルであっても、ある形式が洗練され、1つの解に収束していくことはよくあることだからだ。

けれども、気になることがある。

「その解はあくまで1つの解であって、他にも解があるかもしれない」

もし、現在の俳句とは別の俳句の「解」があるとしたら―――そんな大掛かりな仮定に評論で応えてみたい。そのためには、まず現在の俳句のルーツを探る必要がある。なぜか。現代の俳句らしさが定まっていく表現史の分岐点に、もう1つの「解」のヒントがあるはずだからだ。ごく当たり前に目にしている現代の俳句表現からだけではわからなかった、俳句表現を俯瞰して見る目。もし、そんな目が手に入ったら、新しい俳句表現のかたちもまた見えてくるのかもしれない。



 ―――と、書いてみると、なかなかオオブロシキな感じ。うぐ。でも、がんばって続けたいと思います。

【自薦記事 500号を振り返って】ひとりよりも、ふたり、さんにん 西原天気

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【自薦記事 500号を振り返って】
ひとりよりも、ふたり、さんにん

西原天気


つくっておもしろいのは対談・座談記事。自分ひとりで書くものは、どう書いても「これでいいのか?」といった不足不満が残るのですが、対談・座談には、それがない。なぜそうなのか、うまく説明できませんが、誰かと一緒する安心感? 思えば、この『週刊俳句』も、ひとりでは絶対に続けていないこと(当初はひとりで運営)と関係がありそうです。

これまでいくつも対談・座談をやり、いろいろな人とおしゃべりをし、また話を聞いてきました。そのうち、いくつかを以下に。


「水に浮く」×「水すべて」を読む 上田信治×さいばら天気
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/06/blog-post_4958.html

最初の対談。「作品は載せない」を原則に週俳が始まりましたが(週俳=「読む」運動である)、第6号で早くも原則が崩れ、樋口由紀子さんの川柳、 齋藤朝比古さんの俳句を、競作形式で掲載。その2作品について、最初期からの運営メンバーである信治さんと語ったもの。

川柳というもの、そして対談記事というものを、ほとんどおぼろげにしかビジョン化できないまま手探りで、それでもがんばって語り合おうとしているところ、自分としては推したい。

なお、この頃は「さいばら天気」名義。現在でもこの表記をしていただくことがあるのですが、違いますので、よろしく。


比喩をめぐって【前編】 全開イナバウアー 小学生俳句の問題と課題 高柳克弘×さいばら天気
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2009/07/blog-post_19.html
比喩をめぐって【後編】とりはやし vs 野蛮の二物 こしのゆみこ句集『コイツァンの猫』を読む 同
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2009/07/blog-post_26.html

インタビューと対談の中間のような内容です。高柳克弘さんの見識・意見を聞きながら、自分の考えるところもぶつけるといった。


鴇田智哉インタビュー ボヤンの在り処
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/07/blog-post_8467.html

ほぼ純然たるインタビュー。作家・鴇田智哉のアタマの中に少し入れたかな? といった達成感が当時ありました。


八田木枯句集『鏡騒』を語る 〔前篇〕 太田うさぎ×神野紗希
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2010/11/blog-post_5180.html
八田木枯句集『鏡騒』を語る 〔後篇〕 同
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2010/11/blog-post_21.html

対談の進行と記事化を担当。


以上5本、盟友(と言っていいでしょう)上田信治との記念すべき最初の対談、俳句の世界で重要な役割を果たし続けるふたりの若手作家との対話、そして、私自身も敬愛する八田木枯を、佳人おふたりに語ってもらうという、なんだかやり手のマネージャーみたいな仕事。バランスのとれたチョイスになりました。

なお、サバービア関連の鼎談(+榮猿丸+上田信治)、対談(+lugar comum)も思い出深い記事ですが、これらは岡野泰輔さんの記事に紹介していただいていますので、ここでは割愛。

さて、週俳はこれからも続きます。自分は「何本、記事を書けるだろうか?」よりも、「いくつの企画を立案し実現できるか」「何人とおしゃべりできるか」が第501号以降の楽しみです。

【自薦記事 500号を振り返って】印象深いあれこれ 村田 篠

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【自薦記事 500号を振り返って】
印象深いあれこれ

村田 篠


私は2008年の7月(第66号)から更新のお手伝いをしていますが、記事そのものはあまり書いていません。その少ない中から「自薦」するのは、例えば、年間15本しか映画を観ていないのに「今年の映画ベスト10」を選ぶことよりもむずかしい気がします。

ですので、自分の中で印象に残っている記事、ということでご容赦下さい。

追悼・今井杏太郎
第二句集『通草葛』を読む 旅人のまなざし

恩師である今井杏太郎の訃報が流れてほどなく、小誌・上田信治さんから「追悼特集をしましょう」と連絡がありました。それからほんの2,3日のうちに、信治さんと協力してさまざまな方々への記事の依頼が完了し、没後ほぼ2週間で「特集 追悼・今井杏太郎」をリリース。当然ですが、どの総合誌よりも早かった。ウェブマガジンの特徴を実感したできごとでした。

じつはこの時期、夫の転勤で三重県の四日市市に住んでいたので手許に『通草葛』がなく、東京へ取りに帰る時間もなく、信治さんからお手持ちの句集を送ってもらってなんとか原稿を書いた、という思い出があります。

『俳句』2013年8月号「希望の星たち 新世代作品特集」を読む
〔前篇〕 〔後篇〕

上田信治さんと一緒に『俳句』2013年8月号の記事を読んだ対談。これも四日市にいた頃で、ネット掲示板に同時にアクセスし、書き込んでゆくという、当時でもかなりレトロな方法で記事をつくりました。

後記

私が最も書いているのは「後記」ですので、その中から覚えているものを。

第104号の後記で「東京ドームで見たオリックス無名時代のイチロー」について書いています。どうして書いたのか思い出せず調べてみたら、この時期、イチローが安打数日本新記録と日米通算1000打点を達成したらしいです。今読むと過去の記憶が二層になって面白いものです。

第436号の後記に書いた「冷夏」の話題は、自分のしたことがあまりにばかばかしくて、印象深く、かなり気に入っています。

最後に、第452号の後記。その日の吟行の帰りに知った「バリケン」という鳥の姿に衝撃を受けて書いたのですが、今回改めて彼らの写真を見ると、全然衝撃を受けないことに驚きます。「知っている」ことがどれほど人間の感覚を鈍らせるかについて、考えてしまいます。



【自薦記事 500号を振り返って】最近、思った 福田若之

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【自薦記事 500号を振り返って】
最近、思った

福田若之


『週刊俳句』の第401号から第500号までの、自分が書いたり関わったりした記事からおすすめを挙げる、となると、僕としては、どうしても、第401号の「Re-ad(読むこと=再‐広告)としてのアーカイブ 「≫読む」のパサージュをぶらつきながら――引用集」に一言触れないわけにはいきません。これは、第301号から第400号までに掲載された記事からの、引用集です。ただ、まあ、この記事についての想いは、今号に掲載の動画の方でお話ししたので、割愛。記事の中身も、今ここで振りかえろうとしている範囲よりも前の号からの引用ですし。

というわけで、ここでは、第483号掲載の「「切れ」を疑う――山本浩貴+h「閉鎖性を条件とする《空》の相互観測とアニミズム」を読んで」を挙げておきましょう。いや、僕の書いた記事は置いといて、第482号掲載の山本浩貴+h「閉鎖性を条件とする《空》の相互観測とアニミズム――わたしの新たな身体の制作に向けたふたつのルートの仮設計」をぜひ(もう一度)読んでいただきたいと思うのです。この原稿をいただいたとき、一言でいえば、すごくわくわくしました。今からこの原稿を読者のみなさんに届けることになるんだ、わー、届けー!みたいな感じ。ああ、早くも「自薦記事」という趣旨から逸脱してしまった。

他に、書いてよかったな、と思ったのは第488号の表紙の写真に添えた「郵便受け」の文章。書いてよかったな、と思った理由については、ごく私的なことなので、ここでは書かずにおきます。

あと、第477号の後記も挙げておきましょう。ほんとうはこういう他愛ない文をもっと書きたいはずなのに、つい疼きにまかせて第495号の後記みたいなことをやるからいけない。もし、「最近読んだものの感想」として書かれたこの文が、BLOG俳句新空間に掲載の柳本々々「【短詩時評30回(※個人の感想です)】 〈感想〉としての文学――兵頭全郎と斉藤斎藤」におけるような意味での〈感想〉たりえているならば、それがせめてもの救いになるのですが。

そうそう、後記といえば、第455号の後記も、書いていて少なからずしあわせだった覚えがあります。その後、また、あのひとの歌声を聴くことができました。

【自薦記事 500号を振り返って】 あの頃とこの頃 生駒 大祐

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【自薦記事 500号を振り返って】
あの頃とこの頃


生駒大祐


僕が週刊俳句に書かせてもらった記事を改めて読んでみると、5年前前後に書かれた記事が一番エッジが効いているというか、自身が読んでもある程度面白い。

例えば、
2011-05-15
〔超新撰21を読む〕錬「幻想」術について  青山茂根の一句
2011-05-15
週刊俳句時評第31回 光り輝くために 読むこと―詩客、spicaについて
など。

この時期は僕にとって特殊な時期で、パブリックには東日本大震災があった直後であり、プライベートでは就職活動をしていた(生まれ変わっても新卒就活はやりたくないと思う)。

俳句に対する関わり方や考え方も、あの頃とこの頃では違っていた。

あの頃は僕の中で俳句の世界の扉が外に向けて開いていった時期で、学生俳句界隈の(良くも悪くも)クローズドな感覚をひきずっていた僕が、様々な種類の俳句に触れることを遅まきながら最も楽しんでいたときだった。

俳句がただただ面白い、というモチベーションだけで俳句や文章を書いていた。

この頃はどうかというと、別に俳句がつまらなくなってはいない。
ただ、俳句に対するモチベーションが複雑化している、という感覚が強い。

少しすっきりとした俳句への関わり方をしたいな、とあの頃の僕の文章を読んで思った次第。

【自薦記事 500号を振り返って】 また、はじめから、何度でも 上田信治

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【自薦記事 500号を振り返って】
また、はじめから、何度でも


上田信治



スタート

ハイクマシーンと私 …上田信治 →読む

誰かと組んでなにかをすることは、まったく正当なことなので、みんなもっと真似すればいいのに、と思います。LOVE。


インタビュー 

■ 池田澄子 16000字 インタビュー「前ヘススメ」も「バナナジュース」も
聞き手 佐藤文香上田信治

前編 →読む  中編 →読む  後編 →読む

上田 池田さんは、三橋敏雄が「自分の」恋を書かなかったことについて、書かれていて、

完璧な表現への志が、自己の気分の告白を切り捨てた。このニヒルなシラケはどこから来ているのか。それは怨念あるいは絶望に近いものであったかもしれない。p16

この本の中で、最高にかっこいいところの一つなんですが、池田さんご自身は、その「気分」ていうものを捨てないじゃないですか。

池田 捨ててないねえ。むしろ、気分を書きたいところがある。

上田 そこが、三橋さんから見て、羨ましかったところじゃないかと思うんですよ。


岸本尚毅インタビュー
聞き手 生駒大祐+上田信治

(3)俳句はどこまで「馬鹿になれるか」の競争です(笑)

──ところで、芸術作品の価値をはかる基準に「唯一性」というものがありますよね。似たようなものがたくさん出来るものは、価値が低い。一方で、純度を上げるために単純化した表現は、互いに似たものになりやすくなる。単純化を押し進めながら、唯一性を獲得するっていうのは、どうやって可能になるんでしょうか。

岸本:こういうふうには考えられないでしょうか。複雑な世界には、選択肢が100、101、102、103…とあると。単純な世界には、選択肢が1、2、しかない。

しかしその選ばれた2というのが、2.001でも2.002でもない、純粋な2を選択しているのだとしたら。1.999の俳句は誰でも作れる1.998や 2.001も誰でも作れる。しかしぴったりの2。そこまで最適化された言葉の配列というのは、先人の句を見ても、そんなにたくさん、実現されているわけで はない。


■特集 三年目の3・11 斉藤斎藤インタビュー
「なにをやってるんだろうなーおれは(笑)と、思いますね」
≫読む

斉藤 だって、怒られたら反論の余地はない。理由は分かりますからね。ですよねーすいません、っていうしかない(笑)。

分からないんですけどね、五年十年したら、やっぱり私がアホだったと、私自身そう思うかもしれない。でも必要な気がするんだよな、っていう……けっきょく、被災してない人が震災の歌を作るとしたら、そこしかないんじゃないかと思ったんですよね。

そしてそれは確実に自分の「担当」だな、と。やるか、やらないかだと。

他にやる人がいないのだとすると、やらないということが、不作為に思えてくる。やるという行為をするか、やらないという行為をするか。

明らかに私、ここ担当なんですけど。やったほうがいいのか、あえて、さぼったほうがいいのか。

——不作為の罪という言葉がありますしね……あのう、よく、人間やったことと、やらなかったこと、やらなかったことのほうが後悔が深いって言いますけど、あれ嘘ですよね。

斉藤 (笑)嘘だと思います。


金原まさ子さん101歳お誕生日インタビュー

≫読む

金原 たけしが、こんなことを言ってるんですよ。人に「おやすみなさい」っていうのと「ばばあ殺してくそして寝ちまえ」っていうのは、同義語だって。

上田 はい。

金原 それが、私のねらいです。

上田 ああ、なるほど! 本当だ。それこそ悪人正機じゃないですか。いいですねえ!


論考

 深いとか浅いとか……いや言い出したのは自分だ、すまん
  『現代詩手帖12月号 現代詩年鑑2009』高柳克弘氏記事に応答して ≫読む

ところで、猿丸さんの句は、そんなに「浅い」だろうか。

たしかにこれらの句は、現代的なミクロの景を描いている。でも、取るに足らないものを描くことは、古来、俳句の定法だし、これらの景の情趣が、自分にはとてもよく分かる(むちゃくちゃ青春映画じゃないですか)。つまり、そんなに「浅く」ないと思うんだ。


俳句は、もっと「浅く」「薄く」なってみせることができるよ。


週俳9月の俳句を読みつつ、季語という「ルール」について又 …… 上田信治 ≫読む

季語は俳句のルールだというのが、自分の基本的な考えです。
芸術行為である俳句に、ルールがあるのは、俳句がゲームから派生した文芸だから。

ただごとについて

(上) ≫(中) ≫(下)


かって「ただごと」でありえたものが、すでに規範の、それも下位の一部として、登録されて久しい。

とすれば、「ただごと」は、いまや、もっとダメで、何を言い出したか分らないようで、ほとんど失敗そのものでなければ「ただごと」たりえない。

つまり、ひと言で言うならば。

全国のただごと者、失敗せよ。


ポストモダンについて 今言えそうなこと ≫読む

ところで。

・俳句に、ポストモダンがなかった、とか来なかったという話は、自分には、もうひとつ面白くない。それは、俳句が80年代にサブカルになり損ねた、というだけのことではないのか。

・それは「なぜ日本には市民革命が起きなかったのか?」とか「どうしてウチにはカラーテレビが来ないの?」といったような話にきこえる。「よそはよそ!ウチはウチ!」「なんでも欲しがるんじゃありません!」と言われて終わり、のような。

・ところで、坪内稔典が志向していたのは、正にその、俳句のサブカル化だったように思えてならない(ここは、ちょっと、分かる方だけ分かって下さい)。さっき、ねじめ正一の名前をあげたのは、そういう意味。


アンソロジー

【テン年代の俳句はこうなる】
私家版「ゼロ年代の俳句100句」

作品篇  ≫読む   解説篇  ≫読む



作家論

ほとんど作家本人の言葉からなる、阿部完市小論 ≫読む

いったい、これほどの矛盾とケッペキを道連れに、書くとはどういうことか。

それは既知の言葉への固着から、身をよじるようにして逃れることの連続である。身をよじりつつ反らせつつ、いかにしてそのステップを踏みおおせるかという運動、その軌跡「として」書くこと。

それは、言葉による一つの舞踏である。


[追悼・今井杏太郎]自己消失のよろこび ≫読む

私的であることを突き詰めることは、鏡となりつっかい棒となる他者を消してしまうことで、それは、自分がどこの誰だか分からなくなることでもあります。

消えたいと望むくらいなら、始めから何も書かなければいい、と思える人は、シアワセです。書かずにどうやって、この厄介な自分を消すことができるでしょう。



(自分でも、信じがたいことに、ほんとは、まだまだあげたい)自分が好きすぎるほうなのでね。きりがないです。

でも、たくさん書けてよかった。

ぜんぶ、俳句をとおして知り合えたみなさんのおかげ。

また、はじめから、何度でもやります。

【週俳500号に寄せて】週刊俳句がぼくにアイデアを与えてくれた 五十嵐秀彦

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【週俳500号に寄せて】
週刊俳句がぼくにアイデアを与えてくれた

五十嵐秀彦


500回になるから・・・、と天気さんからメールが来た。500回? なにせ週刊だから回数を聞いてもピンと来ない。早速調べてみると創刊準備号が出たのが2007年4月22日のことだった。9年前か・・・。

ぼくにとっては「俳誌を読む」企画が週刊俳句とのかかわりだった。準備号から書かせてもらっていた。9年という歳月はどうも中途半端で昔というほどでもなければ、今というほどでもない。準備号にぼくが書いたものを今読み返して、その半端な時間に戸惑っている。

あの頃、俳句総合誌に不満があって、言いたいことを書いた。ずいぶん失礼なことを書いていることにあらためて驚いてはいるが、内容としてはおおむね間違っていないと今も思っている。この企画はその後もしばらく続いたのだが、準備号に書いた中にぼくの総合誌への考えがはっきりと現れていた。

『俳句界』2007年4月号を読む/変わったのか?『俳句界』」という記事の中にこう書いている。
《あきらかに退潮期に入った俳壇の鏡として商業俳句誌があると思えば、これもまたいずれ亡びの道でもあろう。》
「へ~」と、自分の言葉に自分で驚く。

すると9年という時間がようやく具体的に意識された。俳句文芸は退潮期にあって、いずれ滅びる存在に違いない、そう思っていたのである。まぁなんてペシミスティックなことでしょう。

この言葉を撤回するつもりは全くなくて、あの当時そう思わせるだけの空気が俳句の世界にただよっていたことは、ぼくの受け取り方に偏りがあったとしても、確かにあった。これまで結社や総合誌が支えていた俳句の世界がその床下から腐ってきていたのだから、それは「いずれ亡びの道」と悲観してもおかしくない。

ただ、ぼくはこの時、週刊俳句がひょっとしたら俳句の別な生き方(行き方)を作り出すきっかけぐらいにはなるんじゃないか、とも思っていた。文芸としての俳句の愉しみというものを、総合誌から奪い返すことができるんじゃないかと。そしてそれができる「力強さ」ではなく、それができる「しなやかさ」「したたかさ」がここにあるんじゃないか、それが当時の思いだったようだ。

いまも俳句は亡びの道にあるかと問われれば、「分からない」と応えるだろう。それぐらいの変化があった9年間。

第249号(2012年1月29日)には「「中央」と「地方」について考える」という時評を書いた。ちょっと長くなるけど、ぼくにとってはとても重要な発言をしているので、一部引用する。
《「遠い他人」との希薄なコミュニケーションが「近い他人」との濃いコミュニケーションを衰えさせていくのだとしたならば、ネット社会が作りつつある、従来の「中央」にとってかわる新しい「中央」が、「地方」の意味を曖昧にし、従来の「地方」は現在それを支えている「ネット疎外世代」の退場とともに消え去ってしまうのかもしれない。それは古風な言い方を借りるならば「歴史の必然」なのであろうか。
私はそうは思わない。ネット社会が作る広範囲のコミュニケーションが従来の「中央」を崩壊させてゆく動きを、「地方」をあらたな可能性の場とすることへとつなげていく、そのための個々の創意が求められている。俳句という文芸の意義はそうした取り組みの中でより現代的なものになるはずだと思いたい。
しかし、物理的な「中央」が仮想「中央」化しつつありながら、「地方」という実態はその影響の外に置かれ、100年の歴史を持つ団体もある各地の俳句会が衰退し消滅し始めている。
これまで地域に根付いていた俳句文芸が、次の時代につながらず荒野と化しつつあるのだとしたら、私たちはいま破局の現場に立っているのかもしれない。
この半年意識的に地方文芸の現状を見る機会を得て、私は「中央」と「地方」というこれまでの構図がどう変容するのか考えさせられ、「ネットメディアを特別なものとして捉える必要は無い」と考えてきた従来の姿勢を見直すようになってきた。
ネットの普及を背景に文化のあらたな「中央」が現われてくるのであれば、それはあらたな「地方」の登場でもなければならないのだ。》
ここだったんだなぁ。自分の論考を発掘してみて再確認できた。

この文章がきっかけとなった。

あいかわらず「破局の現場に立っている」と悲観的なことを言いつつも、まるで剥がれにくいシールの角にイマ爪がかかったような、そんな瞬間であったことを思い出す。

そして第263号(2012年5月6日)に「俳句集団【itak】前夜」を書いた。これがまた一段と気負った文章だった。実際に気負っていた。頭に血が昇っていた。その馬力で俳句集団【itak】を何の後ろ楯もないまま旗揚げしたことを、第266号(2012年5月27日)に「動き始めた【itak】(イタック)」として報告した。

あれから5年が経とうとしている。

これまで俳句に興味を持ちながら、どこへ行けばいいのか分からなかった人たちや、結社にいるだけでは息が詰まると感じていた人たちが、隔月に50名~80名規模で北海道立文学館地下講堂に集まってくる。

まったくの初心者もいれば、現代俳句協会、俳人協会、伝統俳句協会、さまざまな所属の俳人たちも、変化を期待し、変化を目撃し、変化に参加しようと集まってくる。

それでも北海道の俳句の状況はまだ変わってはいないかもしれない。たったの5年で、そう簡単には変わらない。

しかし、この地下講堂に来れば、いまにも変わりそうな空気を感じるのだろう。

9年前のぼくは、俳句の世界に絶望とまではいかないものの、悲観的な思いしか持っていなかった。ところが週刊俳句はぼくに別な次元を見せてくれた。そしてそれがきっかけとなって週刊俳句とまた異なるアプローチのアイデアを与えてくれたのだと思う。

ぼくにとって俳句へのかかわり方を大きく変えさせるきっかけとなった存在、それが週刊俳句だった。

500回という節目にあたっての文章としては、まったくエゴイスティックな内容になってしまったが、しかし500回という回数がぼくに思い起こさせる一番の事件がこのことだったので、書いてみた。

どうかこれからも、しなやかに、したたかに、風のように回を重ねてほしい。


【週俳500号に寄せて】バックナンバーを眺めていると 岡野泰輔

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【週俳500号に寄せて】
バックナンバーを眺めていると

岡野泰輔


500号おめでとうございます。10年ぐらいですか? すごいです!

ここまで続いたのは(これからも続きそう)スタート時点から変わらない風が吹いていたから。

俳壇的イデオロギーからの自由、同時代の俳句と書き手の可視化、そんなメッセージを受け取っていたように思います。それらは総合誌や個別の結社誌などだけでは満足できないこと。

同時代の俳句に対する欲求を代行する代理人であると上田信治さんが『俳コレ』冒頭で高らかにマニフェストされたように、すでに広範な欲求があったということ、時宜を得ていたということでしょう。

バックナンバーをつらつら眺めていると、他誌からの転載も含めここで私が出合った論考の数々を再び読み始めてしまいました。いけない、時間がかかる! そこで最初の方から少なからず私がインスパイアされた論とその書き手を並べてみると・・・

第20、22号
サバービア俳句について〔1〕 〔2〕  榮 猿丸×上田信治

第28号
〔サバービア俳句・番外編〕SUBURBIA SAMPLER for Haiku Weekly  lugar comum × saibara tenki

第60、61号
サバービアの風景〔前篇〕 〔後篇〕  榮 猿丸×上田信治×西原天気

第24号
前田秀樹氏講演「芸術記号としての俳句の言葉」を再読する  関 悦史

第27号
エレガントな解答と現実 高山れおな「俳句本質論」ではなくを読んで  野口 裕

第38号~
林田紀音夫全句集拾読  野口 裕

第47号~
俳句とは何だろう  鴇田智哉

第58、59号
「われら」の世代が見えない理由~マイクロポップ時代の俳句〔前編〕 〔後編〕  相子智恵

第169号
「俳句想望俳句」の時代  小野裕三

ざっとこんなぐあい。もっとありますが、きりがない。最近では福田若之、小津夜景の書きぶりがおもしろい。これらの論考で俳句を読むおもしろさ以上に、俳句について考えることのおもしろさにハマりました。
    


【週俳500号に寄せて】冬晴のドライブインに歩いて行く トオイダイスケ

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【週俳500号に寄せて】
冬晴のドライブインに歩いて行く

トオイダイスケ


週刊俳句500号おめでとうございます。

検索でヒットする週刊俳句のなかの記事単体でなく、「週刊俳句」という存在として読み始めたのは第何号だっただろう、と思いバックナンバーを遡って見てみました。俳句を作り始めて少し経った頃、2013年の晩春~初夏頃だったはず。おそらく、第316号か。この号はリアルタイムで読んだ記憶が何となくある。

俳句を始めたばかりの時点でも、寺山修司の「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」の句は知っていたので、澤田さんのこの記事は興味深く読みました。

当時は「林田紀音夫全句集拾読」と「朝の爽波」が連載中でした。この二つの連載で取り上げられるたくさんの句に、しばしば魅了されたり殴られたような気持になりました。

私は高速道路のサービスエリアや道の駅という、ドライブインやトラックステーション的な機能を持つ場所がとても好きなのですが、週刊俳句という場にもそれらと同じ心地よさを感じることがあります。作風や考え方が異なる様々な俳句作家(と俳句読者)が、自分の居場所から出かけてきて(もしくは居場所に帰る途中に)、ここに寄って誰かと会話をしたり、インフォメーションをチェックしたり、きれいな景色を見て目と心を休めたり、写真を撮ったり。

今年の正月三日に故郷に帰ったときの写真を寄稿したくなったのも、古河の道の駅に寄ったときの安らいだ気持ちと、あの遊水地の広々とした開放感(それでいて重い歴史を地の底水の底に秘めている)からだったのかもしれません。

そこに何かを築き上げるためでなく、どこかに行こうとする誰にとっても寄ることができる場所として週刊俳句が在り続けたらうれしいです。私はサービスエリアや道の駅のそばに住み続けて、それらの場所に散歩に行ったりお茶を飲みに行ったりしながら暮らしていきたいです。

【週俳500号に寄せて】でも、どういう視点から? 小野裕三

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【週俳500号に寄せて】
でも、どういう視点から?

小野裕三


500号、おめでとうございます。500という数字の重さを思うと、運営されている皆様のたゆまぬご努力には頭が下がります。「週刊俳句」は間違いなく、俳句の歴史にその名を刻むものだと思っています。でも、どういう視点から刻まれるのだろう、と考えるとそれは面白いテーマです。もちろん、総合誌や結社誌との関係といった視点もありえるのですが、個人的には「インターネットは俳句に何を与えたか?」の実証例として、プラス面もマイナス面も含めて、ネット誌である「週刊俳句」の営みは興味深いと感じています。ネットやデジタルの技術は、私たちのメディアや「ことば」自体のあり方を実際に大きく変えつつあるし、つまりは「紙を離れた俳句のことばはどう進化していくのか?」というテーマの、ひとつの試金石と見ることもできるからです。次は1000号を目指すのが新たな山でしょうが、その頃には私たちの「ことば」はネットワークを通じて人工知能やロボットにも繋がって、さらに大きく変質しているかも知れません。1000号目では俳句をとりまく「ことば」はどんな姿になっているか、今から興味津々なのです。

【週俳500号に寄せて】祝 週俳500号 八上桐子

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【週俳500号に寄せて】
祝 週俳500号

八上桐子


となり町でうろうろしていたら、好みの酒場に行き当たった。そんなふうに、ある日「週俳」と出会いました。

酒場にたとえるなら、まず、入りやすい。小さすぎず大きすぎず、仕切りの良い大箱といったところ。店主と客、客同士の距離も適度に保たれていて、一見さんが疎外感を感じることもありません。隅々まできれいに整理整頓されているのも気持ちよく、何より酒肴は、今が旬のものや、知る人ぞ知る一本や一品が丁寧に供され、主の意気込みが感じられました。

それからというもの三日にあげず通いつめます。店はますます繁盛しますが、雰囲気はいい意味で変わりません。玄関にはセンスの良い生花を欠かさず、品書きには必ず目新しいものが用意されています。店に向いながら、今日は何が出てくるのか…と、つい前のめりになるのです。

おかげさまで、私の貧弱な舌はいくらか肥え、好物もようやく分かってきました。じっくり味わいたくなって取り寄せたものもが家に並び、何とか真似できないかと試みた味も数えきれません。

もちろん、すすめられてチャレンジしたものの、苦手なものもありました。けれど、ここでなければ口にすることはなかったと思いますし、ふしぎなことにいかに苦手かをマジメに語りたくなるのでした。

そう言えば、場を荒らすような無粋な客はほとんどみえません。私も含め、大事に思っている人が集うのでしょう。

というわけで、「週俳」は、絶対につぶれてほしくない、行きつけの一軒のように存在しています。いつもは、ただしずかにいただいているだけですが、500号と聞くと、ささやかながら紅白饅頭の一つもお届けしたく…カウンターにこそっと置かせていただきました。ほんの心ばかりです。


【週俳500号に寄せて】虚子から遠く離れて 山口優夢

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【週俳500号に寄せて】
虚子から遠く離れて

山口優夢


10月後半、人生で初めて入院というものを経験した。

前の晩からどうも熱っぽいだるさがあると思って朝起きたら37.5度。この時点ではまだ仕事をあきらめてなくて、昼までにある程度熱が下がれば取材に行ける、と思っていたがちょっと寝て起きたら39度越え。これはダメだ、と近くの内科医院に行きインフルエンザかどうか診てもらったがインフルではないとのことなので、一安心した。家に帰って掛け布団の頭以外の3方向の端っこを巻き込むように折り込み、布団の中の熱が逃げないようにしてガンガン汗をかき熱を下げようとしたが、夕方になっても39度台で熱が高止まりしている。頭もいろんな方向から万力で締め上げ続けているみたいな痛みが続くので、仕方が無く妻の運転で脳外科病院に行ったら、髄膜炎かもしれません、ということでそのまま入院に。

腰から髄液取ります、いいですか、と医者に言われて、もう好きにしてくれ、とうんうん頷く。「寝たまま丸まってもらえますか」と男の看護師に言われ、ベッドの上で横を向いて胎児のように丸まる。横向きの自分の後ろ側のベッド脇に医者が、自分が顔を向けている側のベッド脇に男の看護師が陣取る。「もっと丸まってください」と看護師に言われ、とぐろを巻いた蛇のように丸まると、看護師が首の後ろと膝の後ろを腕でがっちり抑え込む。これで丸まった状態からもう動けない。医者が腰のあたりをまさぐっている。「ごめんなさい、結構痛いですよ」と看護師。痛みで暴れないように抑えられているのだと気がつく。あ、痛いんですか……と言いかけた瞬間、針をうりうりと腰に潜り込ませられた。

熱は翌日にはかなり引いていた。髄液を調べたものの、結局髄膜炎ではなかったらしい。なんだかよく分からないけど入院は延長。翌日には帰れるのかと思っていたらずるずる延びていく様子は、逮捕されてなかなか釈放されない容疑者を思わせた。

妻が病床の慰みになる本を持ってきてくれる。岸本尚毅氏の「高浜虚子 俳句の力」。しょっぱなに出てくる「不治の病を得てサナトリウムに入ったら虚子の俳句を枕頭の慰めとしたい」という一文は、元々知っていたが、この入院時にずいぶんタイムリーだな、狙っているのかな。虚子の句を読んで癒やされてくれということなのかな。でも一緒に持ってきたのが「神の子供」(西岡兄妹)というエログロ残虐猟奇系の極致みたいなマンガだったから、たぶん癒やそうと言うつもりではないのではないかな、などと考えた。

「神の子供」ももともと書棚にあった本で何度か読んでいたが、改めてベッドの上で広げてみる。いいね。第1章に出てくる「黒い太陽」というのは母の肛門のことを指すのだと、読み終わってスマホでネットのレビューを見て初めて知る。まあとにかくそんなマンガだ。

スマホの充電器も持ってきてもらって、充電しながらひたすらネットを漂流する。「神の子供」をレビューしているブログから飛んで恐怖系のマンガのレビューを読みあさる。日野日出志の「地獄の子守唄」とか永井豪の「ススムちゃん大ショック!」とか。飽きてくると検索画面に「週刊俳句」と入力した。

週俳の最新号では信治さんと寒蝉さんが去年の角川俳句賞の落選展について話し合っていた。え、去年の!? 何度か見間違いではないかとページを行きつ戻りつする。だってもう今年の角川俳句賞の受賞作が発表されているこの時期に、なぜ去年の? よく見ると記事は前編を今年2月に掲載し、このとき掲載されていたのは後編だった。週俳、毎週見ているから前編も見たはずだけど、正直半年以上前の記事は覚えていない……。というか、前編と後編の間が半年空くって! しかもどう考えても次の角川俳句賞が発表されてしまうからその前になんとか載せようというタイミング。。相変わらずのゆるさに癒やされる。あ、気がついたら癒やされているじゃないか。虚子の俳句ばりに。

前編からつらつらとたどって読む。

馬を彫る泉につけて来し両手 青本柚紀
おでん屋のテレビの中を兵歩む 大塚凱
虫の夜や遅れて消ゆる車内灯 折勝家鴨
漕ぎ出せば川岸長き薄暑かな 利普苑るな

自分より若い人も若くない人もいた。人は自分より若い人の活躍を見たときに「自分より若い」と認識し、人を評価する基準として若さという基準を自分の中に発生させるのではないかと考えた。

もっと言えば、若い人の活躍に普通に嫉妬した。

あと、信治さんが

「読む側あるいは選ぶ側としては、今、俳句を、作家それぞれのコンテクスト抜きで読んで評価しようとしたら、単なる技術的評価か好みの押しつけになる。技術と好みだけでは、こういう賞のような共通領域としての俳句の場を成立させることが、できないんじゃないか。

 一句一句ではなく、作家と出会うためには、句会とは違った「読み」筋が必要なのではないかと感じます。」

と発言していた。そうだ、そうだ、「週刊俳句」も今は亡き「豈weekly」も「作家と出会う」ための装置だった。むしろ「角川俳句賞」もそうであるはずで、でもそうなっていないところに彼は少し苛立っている気がした。だから、落選展にその機能を求めている。

考えてみれば僕が四苦八苦して週刊俳句に稚拙な時評を書いていたときも、週俳の「中の人」としていろんな俳人に依頼を出したときも、「●月の俳句を読む」を依頼したり書いたりしたときも、句会とは違って、「作家に出会う」ための作業だった。

しかし、「出会う」というのは実はファンタジックな表現かもしれなかった。

青嵐ピカソを見つけたのは誰 神野紗希

批評や鑑賞を通じてその作家を知るのは、双方向的な「出会う」という事態ではない。むしろ完全な一方向だ。「出会う」のではなく、「見つける」のがより正確な言い回しのように思える。見つける側と見つけられる側は対等ではない。そこに生じる、言葉にはしづらい感情を、何度も何度も感じながら僕は句作を続けてきた。

端的に言えば、僕は見つけられたいのだ。それはごまかしようがない。でも、実際には見つけること(あるいは、見つけようとすること)の中にしか真に人とつながる契機はないのかもしれない。

なんだかまた熱が上がりそうだったから、スマホを置いて眠った。隣のベッドでは、老人を見舞いに来た娘らしき女性が畑の二十日大根のことや柿の収穫について話していた。

入院して3日経った頃、手と足に赤い湿疹が浮いてきた。しかも熱を持っていて、歩くだけでも痛い。最初は点滴の薬が合わないからだろうという話を看護師からされたが、翌日中年の医師が僕のベッドまでやってきて、「感染する可能性がある病気かもしれないから個室に移ってくれ」と言ってきた。

トイレ、シャワー完備の個室に隔離だ。湿疹は2日ほどで熱を持たなくなり痛くもなくなったが、その頃医師からようやく今回の一連の不調は手足口病ではないかと聞かされた。ただし保険診療では手足口病かどうかを診断するまでの検査はできないから、診断書にはウイルス性の感染症、とのみ記入するとのことだ。

隔離された個室を訪れる者はいなかった。ただ点滴を換えに来る看護師と、掃除にくるおじさんと、女性の医師が代わる代わる姿を見せるだけだ。院長回診という珍しいものも見ることが出来たが。本当にあんな大名行列みたいなものが、とその後で看護師に言いかけてやめた。

着替えは妻がナースステーションに預けて看護師が部屋に持ち込んだ。窓から見えるのは遠くの山と誰も通らない路地。病室を移ったその日は日曜日だったため、どこかから祭りの音が聞こえていた。隔離される前に隣のベッドにいた老人は、月曜日に退院すると言っていた。おそらく退院したのだろう。

看護師は何人か入れ代わり立ち代わり現れたが、いずれも献身的な様子だった。「お熱はどうですか」「お食事は食べられましたか」「点滴外しますね」「手の赤いぶつぶつもだいぶよくなってきましたね」そうじゃない、あなたが話しかけているのは患者であって、山口優夢ではない!山口優夢を見つける者はそこには来なかった。自分を見つける者の来訪を待ち望む自分の心性の卑しさに、僕は憮然とせざるを得なかった。

その日の夜、織田裕二が変なしゃべり方をする推理ドラマを見終わってテレビにいいかげん飽きた僕は、スマホの検索画面で「週刊俳句」と入力した。見ると、堀下翔さんがまるごとプロデュースをやっている。参加者は自分より若い人しかいないようだ。これだけの人数を集めてこれだけの先人を見つけようとする気概を眩しく思った。その中で取り上げられていた福永耕二は僕も好きな作家だ。

めつむれば怒濤の暗さ雁渡し 福永耕二

いいぞ、もっとやれ。見つける努力を、僕たちは怠ってはいけない。目をつむったままの、亡くなってしまった福永耕二を、僕たちが見つけるのだ。そのための場は、毎週日曜日に定期便のように来る。これからもたぶん来る。否、毎週日曜日を待つ必要など本当はない。日曜日に来るそれを、利用するだけ利用し尽くしたら、後は自分の力で立ったっていいんだ。見つけることと見つけられることの混沌の中からしか僕は生まれ直せない。

ああ、たぶん僕が今いるところは、虚子から遠く離れているのだろうな。入院の8日間ではちょうど100句を作ったが、まだ1句も発表せず、手元に隔離してある。

【週俳500号に寄せて】 理由がある 田島健一

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【週俳500号に寄せて】
理由がある

田島健一


週刊俳句が500号を迎えるという。

いま、この文章を読んでいる人は、もちろん、いま週刊俳句を読んでいる。

それは、いま週刊俳句を読む〈理由〉がある、ということだ。

週刊俳句を好意的に読んでいる人も、批判的に読んでいる人も、

週刊俳句を読む人たちには、週刊俳句を読む〈理由〉がある。

一方で、週刊俳句を読まない人たちもいる。

週刊俳句を知らないだけかも知れないし、知っていても読まないのかも知れない。

そもそも俳句に興味がないのかも知れない。

そういう彼らには、週刊俳句を読む〈理由〉がないのだろう。

週刊俳句を読む人と、読まない人がいる。

これは相補的な関係ではない。

週刊俳句を読む人の部屋と、読まない人の部屋を扉一枚でいったりきたりするような関係ではない。

いわば、どこまでも広がっている週刊俳句を読まない人たちのなかに、

週刊俳句を読む人たちがいる。

読まない、という海のなかに〈読む〉という小舟で浮かんでいる。

つまり、週刊俳句を読む人たちは、週刊俳句を読むということに予定調和しているわけではない。

むしろ週刊俳句を読むことと、読まないことの間に漂っている。

いま、こうして週刊俳句を読む、ということは、そこに読む〈理由〉がある、ということだ。

小舟に乗る〈理由〉があるということだ。

週刊俳句を読む人たちが無意識に見つめているのは、その〈理由〉だ。

その〈理由〉があるかぎり、彼らは501号も502号も、いつまでも読み続けるだろう。

週刊俳句を読む、ということが、読むことと読まないことの間に立つ〈理由〉の不安定さが、

彼らの俳句の〈新しさへの志向〉を支えている。

その不安定さが〈権力〉を無化する。

それは〈権力〉のちからの及ばないピースフルな世界があるというわけではない。

逆だ。

誰もがその「肩書き」を奪われ、身に着けた服を脱がされ、

シンプルに厳しく試される。

週刊俳句を読む人たちは、おそらく誰にでも、週刊俳句に書くことへの門が開かれている。

けれども、それは彼らをフラットで相対的で物分りのよい「俳句カタログ」に閉じ込めるような、

能天気な事態ではない。

週刊俳句は、涼しげな眼差しで、彼らを試している。

彼らの〈理由〉を試している。

それはしかし〈権力〉を生み出すための審査ではなく、

誰もが自分だけの俳句を抱えながら、予定調和に抗して固有の俳句を書くための努力を促しているのだ。


土曜日と日曜日の間で、F5キーを押しながら最新号の更新を待っている。

そうしてまたこの日曜日も、週刊俳句を読みながら、自分が俳句を書く〈理由〉を見つめ直している。

【週俳500号に寄せて】それぞれのメロディーを 村越敦

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【週俳500号に寄せて】
それぞれのメロディーを

村越 敦


週俳500号、おめでとうございます。

何かの数字が増えていくというのはえてして自動的に捉えられがちですが、この500という数字の内実は、当番のみなさまを通奏低音として、執筆者がそれぞれのメロディーを受け持ち・受け渡すという、皆で音楽をするときの緊張感のようなものが首尾よく連続した奇跡ではと感じます。

私事ながら、先日ひょんなことから日曜お昼の「アタック25」というクイズ番組に出演する機会がありました。週に一度の放送で、私が出た回がなんと第2053回。週俳もまずは1000号記念、たのしみにしております。

【週俳500号に寄せて】呑み込まれてゆく渦の中で 三宅やよい

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【週俳500号に寄せて】
呑み込まれてゆく渦の中で

三宅やよい


日々の時間はとめどなく流れてゆくけど、「週刊俳句」が出来てもう10年になるのか。驚きである。毎週毎週記事を集めて特集してアップしてゆくのは大変な手間だと思う。1週も欠かさずに10年続けられたことに敬意を表したいと思います。

週刊俳句はブログ時代のものだけど、それからツイッターやフェイスブックやラインやなんやら、一日中スマホをチェックしてないと追いつけない世の中である。ワタシは「増殖する歳時記」が終わってからWi-Fiルータとともに持ち歩いていたタブレットをやめ、今は昔ながらのガラ系の携帯しか使っていない。ネット空間にあふれる情報を追うのに少々疲れていたから、この頃はほとんどネットを覗いていない。そんなこんなで「週刊俳句」のいい読者と言えない実情である。

10年の間「週刊俳句」は相当俳句の世界の風通しを良くしたと思う。俳句総合誌で知りえない面白い俳人や作品を紹介し、優れた評論の書き手を育てていった。

ネットの利点は情報に立ち遅れがなく、地方にいても海外にいても即時にやりとりができること。昔なら仰ぎ見るしかなかった人ともネット上で会話を交わすことができる等など。物足りない点を挙げるとするとすぐ忘れてしまうことだろうか。大量に供給されるものは大量に忘れられてしまう。瞬時に感心したことは瞬時に溶けてしまう。流れゆくことは利点でもあり歯止めがないことでもある。

俳句は短いのでネットと相性が良くて昔は掲示板、今はツイッターでも句会をしようと思えばすぐにできるだろう。いったいどのくらいの膨大な俳句が日々現れては消え去ってゆくのか考えるだけでそら恐ろしい。日々の俳句が呑み込まれてゆく渦の中で「おっ」と思える俳句を心に刻み込めたらいいのに、そんなこともときどき考える。

例えば「週刊俳句」で一句をとりあげ、その一句を長いスパンで話題にしていくことも面白いかも。否定的であれ肯定的であれ一句を中心にやりとりする中で句は覚えられ確実にその一句は残る。うまい!と感心させられる巧みな句は増えているけど、記憶に残る句は少ない。リオオリンピックがあった年の「週刊俳句」の一句は断然あの句だね。なんて年ごとに口ずさめる一句が残っていけばステキだと思う。どうやってそんな一句をピックアップして残る一句に仕立てるか?そこは仕掛けあり、アイデアありの「週刊俳句」の腕の見せどころでしょう。

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