Quantcast
Channel: 週刊俳句 Haiku Weekly
Viewing all 6001 articles
Browse latest View live

「夏休み納涼句会」運営顛末記 西原天気

$
0
0
「夏休み納涼句会」運営顛末記

西原天気

≫投句一覧はこちら
≫選句・作者の発表は第485号に


68名様・204句。多数の参加をいただいたことに、まず感謝を申し上げます。

1 進行その他

たくさんの参加を見込んで兼題・投句数は「3」に絞りました。これ、正解。

選句のとりまとめは、まあまあタイヘンな作業になる。この手の作業は得意分野ですが(エクセル他、いくつかのアプリケーションを駆使)、ちょっと恐れをなして、選句要項で説明。

書式が統一されていると、作業(もっぱらコピペ)がラクなので、ていねいに説明したつもりでしたが(じつは、この選評の書式、昔から続いているメール句会、古くはファクス句会を踏襲したもの)、考えてみると、いろいろぐだぐだ部品を説明するよりも、例示(下のほうの三鬼句選評の例)のとおり、とお願いしたほうがわかりやすかった模様。今後の参考に。

結果、ほとんどのみなさんがほぼ完璧に書式を守っていただき、感謝感謝。

期待の書式どおりじゃなくても、こまかいところはこちらで直せばいいので、オッケーなのですが、ひとつだけ「選句要項を再読してね」と突き返しました。お年寄り(勝手に年齢を想像してすみません)がきちんと守ってくれているのに、若いあなたがこんなことじゃあどーする? といった小言を添えて。「再送します」と返ってきたのですが、〆切を過ぎても来ない。打診すると、「すんません! 送ったと思ってました!」と返信。orz。持ち味だなぁ。……イコマ、おまえだ。


2 席題のこと

あとで見ると、兼題が句に含まれていない句がありました。わお!

でも、気にしません。

題でつくって、推敲しているうちに、その題が消えてしまうってこと、ふだんの句会でもよくありますよね。


3 参加者のバラエティ

投句条件に「当季or無季」としたのは、いわゆる有季定型に親しんでいる方以外の参加を期待してのことでした。

結果、川柳作家の方も少なからず参加いただきました。ありがとうございます(すごくうれしかった)。

ただ、選句ということでいえば、川柳は不利。これだけいろいろな句が出揃った句会ですが、主催が「週刊俳句」ですから、どうしても「俳句」のほうへ意識が引っ張られる。そのあたりは申し訳なく感じています。

ただ、点数がいくつ入ったとかということは、句会の最優先事項でもないので。

一方、破調、自由律が少なかった(皆無?)のは、ちょっと残念。ふだん自由律俳句をものされている方が、週俳の近くにたくさんいらっしゃるはずなのですが。


4 句のバラエティ

これはもう、一目瞭然。ほんと、いろんな句が揃いました。200句前後、おんなじような句が並ぶと、苦痛なこともあるでしょうが、これなら飽きない(と、選句しなかった者が言うのもなんですが)。


5 選評の遅刻

選評が〆切を過ぎても来ないというケースも若干。「なにかトラブルがあったのでは?」と(心配症なのです)打診のメールを幾度か差し上げて、それでも返信がないので、選評を若干欠いたまま取りまとめて、記事リリースしました。あとから届いたら、その選評を追加いたします。


6 句の感想

相当の作業量が見込まれましたので、私は投句しないことにしました。けれども、今回の投句に何も言わないのももったいない。おもしろい句がたくさんありますし。

「投句しないで選句するなよ」とおっしゃる向きもあろうかと存じますが、これは選句ではなく、感想ということでご海容ください。

うたた寝の糸をたぐれば海へ出る  村田 篠

当番が最高点句、ですかあ。これは、運営としては避けたい事態ですが、しかたがない。篠さんも「ありゃりゃ」といったところでしょう。

うたた寝(昼寝)と糸は実感として繋がりがよく、虚の句として安定感。この句、海へと広がったところ、とても気持ちがいい。前半の俳句的処理のパッケージ感から、海で、一気に〈抜け〉がよくなりました。

雲が峰糸に吊られし科特隊  マリオ

特撮で糸を詠むのは既存と思うのですが、「科特隊」は微妙な襞をつきます。「雲が峰」で、リアルな空と作り物の空が同時に見えるような効果。

声糸井重里的な夏休  曽根主水

韻律上テクニカルな人名句。

電気つけて見るかぶとむしめんどくさい  加納燕

口吻が独特。

電柱に生まれて蟬を鳴かせけり  守屋明俊

電柱に〈なりきり〉句。愉快。

桃の皮雨は神話の中に降り  うさぎ

桃の皮の微細と神話の巨大。雨で質感がつながっています。

扇風機土地改良の話せむ  クズウジュンイチ

クーラー以前の日本景。

話しつつブラはずしゐるトマトかな  村嶋正浩

私事ですが、さいきん、こういう季語の持ってきかたを好いています。

ほかにも好きな句がたくさんありましたが、以上です。


7 次回

また、いつか。

同じような、兼題3題ほどの句会でもいいし、別の趣向を加えてもいいし。

そのときはよろしくお願い申し上げます。


名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫 (26) 今井聖

$
0
0
名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (26)

今井 聖
 「街」120号より転載

起立礼着席青葉風過ぎた 
神野紗希 『光まみれの蜂』(2012年)

なんだこりゃ。

キリツレイチャクセキアオバカゼスギタ

この欄はこれまでは歴史的評価の定まったいわゆる名人・大家のなんだこりゃ句を俎上に挙げて、そこから何かを学んでいくという趣旨でやってきた。

ここに登場する俳人は僕からみて尊敬すべき先人であることが第一条件で、その名人にしてこんなヘンな句をつくる、そしてその失敗が如何なる試行の結果であるのかを探っていく意図を持っていた。

名手のエラーこそが後進に何かを与えてくれる。天才のファインプレーなんてただ口を開けて見るしかない。凡愚に学べるものは何もない。

二十五回を終えたところで、もう僕にとっての「名人」が尽きた気がする。

あとは、俳誌経営達者の凡庸な「大家」や田舎の金持のプレスリー、もしくは尖鋭気取りのモダン爺婆しかいない。彼らの句はどれも整った複製ばかりで、なんだこりゃ句なんて一句もない。

だいたい試行なんて文字は彼らの辞書にないのだ。

そこでしばらくは若い世代に目を向けていきたいと思った。若い世代、これをどう見るかは難しい。若くないこちら側の態度をまず定めなければならない。

草田男は戦後、楸邨の戦争責任を問う公開書簡の中で、併せて、後進への哺育の責任を貴君は果たしているのかと問うた。

草田男は哺育ということを先人としての自分の義務と考えていたのだった。前回のなんだこりゃで書いた「長子」としての義務である。

楸邨は、僕は手を差し伸べて教えることはできないが、俳句をつくる後ろ姿をみてもらってもし得るところがあればどうぞという気持であると応える。

この応酬を見て、金子兜太は楸邨に師事することを決める。哺育されるなんてとんでもねえと彼は思ったのだ。

俳壇的には五十歳未満がおよそ若者と呼ばれる。

そもそも、体力、生殖能力は十代から二十代がピークだ。知力も同様だ。科学者のピークを考えればわかる。

高齢者が若い人より勝っていることはあるのか。

「経験」だと思っている老人のあなた、それは違う。

俳人の「経験」とは、使いまわしのパターンの手持が増えることを意味する。

こういうときはこの季語を使えばいい。季語の本意を外さぬ範囲でこの角度を用いれば新鮮に見える。

そんなしょうもないワザに長けてくるだけだ。

それが証拠に「大家」の作品で評価されるのは、ほとんどは若書きばかり。第一句集がもっとも評価される場合が多い。

そのあとは自己模倣か、大方は風流、諷詠に駆け込む。いわゆる枯淡、透徹という「境地」だ。季語についてのうんちくを述べ、修辞にうるさく、「知識」で売る。これが永く指導的立場を維持する道だ。

今回の俳人協会の機関誌「俳句文学館」の「的」というエッセイの欄に「若い」中山奈々さんが、「若手俳人の提言」と題して書いている。

今は俳壇のどこでも「若手なら誰でも良いから欲しい」かのように若手を求めている。若手のエキスを吸いたいなら、自分のエキスを吸われる覚悟をお持ちか。

そういう問いかけである。大いに納得。

ま、しかし、これは老人イジメにも見えなくはない。

そもそも老人の枯れ切った心身に、吸われるエキスなんぞ残っているのか。

問題は、小説などのジャンルと違って、俳壇ヒエラルキーの上部に老人が居座って、当代の俳句の価値を決めてしまうことだ。

駄馬が自己の「経験」に基づいて若き駿馬の価値を決める。駿馬は駄馬の価値観に沿うような作品を発表すること意識したとたんに駄馬に変貌する。

駄馬が駄馬を作るのである。

僕のみっともない画策を話そう。

僕は中学二年、十四歳で俳句に出会い、鳥取県米子市のさらに田舎の公民館の句会に通い始めた。

「ホトトギス」「馬醉木」「雪解」など伝統俳句系を集めた合同句会。それでも十人くらい。平均年齢六十代後半といったところ。俳人どころかそもそも人がいないのだからしょうがない。

通い初めてしばらくは、僕はまったく点が入らない状態が続いたが、たまたま、

  浴衣着て星見る母のまだ若く

という句に初めて点が入った。爺さんたちが「お母さん、いくつ?」なんてにやにやしながら採ってくれたのを覚えている。これで僕は老人をくすぐる術を体得したのだった。

しばらくして、その句会に参加してきた「青玄」の会員の計らいで、伊丹三樹彦さんが来訪されることになった。

こんな田舎に「中央」の偉い俳人が来てくださる。

みんな欣喜雀躍して三樹彦さんを迎えた。

そのとき僕が最高に気張って出した句。

  月天心またも愚念の我に籠る

蕪村句の切れ端やらをもっともらしく使ってうすっぺらな「俳諧」を演出しようとした「苦心」の痕がありありだ。

この句は無点であった。

十五やそこらで「またも愚念の我に籠る」の古色蒼然。

老人におもねることを画策するとこういうことになる。

「寒雷」に投句を始めてからも僕はずっと最年少だった。

句会の成績が少し良いとベテランのオバサンが寄ってきて、「若い人って感覚がすばらしいわね。感性がすごい」なんて褒めてくれる。これ、暗に、技術では負けないわよという皮肉なので、僕はこう応える。

「技術でも負けませんよ」

奈々さんの憤慨はよくわかる。

そして、老人になってしまった僕は、今、どうしたらいいのか。

経験や技術はもとより「感覚でも負けないよ」と言うのか。

仮に僕が昔駿馬だったとしても、老いた駿馬は若い駿馬にどうあがいてもかなわない。感覚でも技術でも。正直言って老馬は優秀な四歳馬には勝てそうもない。

しかし、若い俳人がみな駿馬だとは限らない。

若くても駄馬はゴマンといる。

こうなったら鈍った感覚と蓄え込んだ小狡いコツを携えて若武者に切られに行こう。

下手くそな若武者なら返り討ちできるかもしれない。

冒頭の句に戻ろう。

神野紗希さん。若手なんだこりゃ句の第一号にふさわしい人選であろう。

この句、青春性の典型のような世界である。

学校生活(小・中・高の範囲)の一場面。

「青葉風過ぎた」は男子の述懐としては気持悪いので、やはりここは女性性。己の現在に寄せるナルシシズム。

この世界、僕の下手な句を見て「お母さん、いくつ?」と聞いてきた爺さんの目を思いだす。セーラー服をうれしげに見つめる爺婆を意識してはいないか。

橋本多佳子だって、桂信子だって、抱かれて息の詰まりしことだの、懐に乳房ある憂さだの男の目を意識した内容を盛り込んできた。それがヒエラルキーの上部を懐柔する手段だったから。男社会の中で生き残ることの悲しさ。責任は男にある。

しかしながら、言葉を替えれば、島に赴任した女センセイの高峰秀子が多くの生徒に慕われる「二十四の瞳」や現千葉県知事が剣道着姿のまま夕日に向かって走るシーン、また、夏木陽介や中村雅俊やショーケンがラクビーボールを抱いて走るシーンとセーラー服姿で青葉風を感じる風情はどこが違うのか。ここには紗希さんの個としての内面はうかがうことができない。

この「典型」を爺さんたちは「普遍性」と評価するのか。毒も問題意識も持たない調和的青春性こそが体制従属者の在り方ではないのか。

十代の肉体と精神はほんとうにこんな内実なのか。

評価すべきはこのリズムとそれに乗せた速度感。

起立礼着席青葉風過ぎぬ

完了の「ぬ」であれば意味は「過ぎた」と同じになる。きちんと文語体伝統俳句の範疇にあるが、作者は「過ぎぬ」の野暮ったさでは青春性に乏しいと思ったか。「過ぎた」とむしろ乱暴に言い放つことで逆に「可愛い」を演出したのだろう。

この文体とリズムの演出はこの作者が思いを詩形に乗せることに融通無碍の能力を持っていることを示している。

僕はふと、『二十歳のエチュード』の原口統三を思い出す。

ニーチェを語り、ランボーを語り、多くの箴言を残して一高生統三は二十歳で入水自殺を遂げた。

二十歳をとっくに超えた紗希さんはもう決して若くはない。その三倍生きた僕はもう鬼神の域に入ったのかも知れぬ。

なんだこりゃこそ学びの宝庫。

あとがきの冒険 第3回 象・俳号・ロケット 山田露結『ホームスウィートホーム』のあとがき 柳本々々

$
0
0
あとがきの冒険 第3回
象・俳号・ロケット
山田露結ホームスウィートホーム』のあとがき

柳本々々


山田露結さんの句集あとがきに入る前に、アメリカの作家レイモンド・カーヴァーの〈象〉をめぐる一節を引用してみようと思う。

そんな頃、ある夜に私は夢を見た。…夢の中では父親がまだ生きていて、私を肩車してくれていた。私は五歳か六歳の子供だった。《さあ、ここに乗れよ》と父さんが言った。…我々は互いの体をしっかりとつかんでいた。…《つかまらんでもいい、ちゃんと落っこちないように持っててやるから》。…私は両手を放し、横に広げた。…私は象に乗っているつもりだった。…そこで目が覚めた。
(レイモンド・カーヴァー、村上春樹訳「象」『村上春樹翻訳ライブラリー 象』中央公論新社、2008年)

このカーヴァーの短編「象」のなかでは夢のなかの「父親」が「象」のメタファーとして語られているが、露結さんのあとがき「ある夢の話-あとがきにかえて」も夢のなかの「象」で語り始められる。

私はときどき、象にしがみついている夢を見ることがある。象と言ってもそれはもう、ほとんど山と言ってもいいくらいの巨大なもので、どうしてそんなものが夢に出てくるのか、また、どうしてそこへしがみついているのか、私自身はさっぱり訳がわからないのだが、ともかく、夢の中で私はいつもその巨大象に怯えているのである。

この「象」がなんのメタファーであるかはわからない。この「あとがき」が「さっぱり訳のわからない」感じで始まったように、それはとりあえず「さっぱり訳のわからない」ものとしてあることが大事だと思う。

しかし「訳がわからない」感じで始まった「あとがき」はその最後においてとつぜん〈わかる/わからない〉のあるドラマを見せる。語り手は「あとがき」の終わりに至り、「ああそうかと妙に納得したような気分」になるのだ。この「あとがき」には明らかに〈わからない〉から〈わかる〉へのドラマがある。では、なにがわかったのか。

私はふと、生前祖父が俳句を嗜み、俳号を「露結」と名乗っていたことを思い出した。それで私は、ああそうかと妙に納得したような気分になって、祖父からその称号をもらって俳句を作ることにしたのである。

語り手が納得したのは〈祖父〉と〈俳句〉をめぐる何かである。語り手は祖父から「露結」という俳号を受け継いだ。そのとき、「妙に納得し」「俳句を作ることにした」。そして「あとがき」は、終わる。

露結さんの「あとがき」冒頭の「象」がなにかを断定するのは野暮だとおもう。おもうけれど、それはたぶん、〈祖父的であり、俳句的であるなにか〉である。カーヴァーの「象」の語り手が「父親」を「象」と見立てたように、露結さんの「あとがき」の語り手も、「祖父」や「俳句」に〈象的〉ななにかを見出したのだ。「しがみつ」かなければならないほどの。

それはつかまなければふりおとされるような〈なにか〉だった。しかしカーヴァーの「象」に記述されていたように、「つかまらんでも…ちゃんと落っこちないように持ってて」くれる〈なにか〉でもそれはあった。それが祖父から俳号を受け継ぐということでもあるのだ。ある〈つながり〉を感じた上で、その〈つながり〉を自らの名として引き受け、俳句表現をはじめること。みずからに象のような土台があることを感じること。

その意味でこの句集は巨大なつながりにあふれている。句集タイトル『ホームスウィートホーム』の二重の「ホーム」、御中虫さんの装画に表れたおびただしいひとびとの交歓、露結さんの俳句の〈反復〉のモチーフとしての言葉と言葉の共振、そして「あとがき」において〈ROKETSU〉という俳号によってつながっていく祖父と孫=〈私〉。

カーヴァー「象」において、父親の肩車に乗ってこころから安心した〈私〉はふいに「両手を放し、横に広げた」。

「山」のように巨大な象に乗り、〈露結〉という〈ホーム〉のつながりを感じた上で、両手を放し、横に広げること。それはまるで〈ロケット〉そのものではないか。


(山田露結「ある夢の話-あとがきにかえて」『ホームスウィートホーム』邑書林、2012年 所収)


夏休み納涼句会 選句と作者一覧【糸】

$
0
0
選句と作者一覧【糸】


〔席題【糸】の高点句〕

うたた寝の糸をたぐれば海へ出る  村田 篠
◯冬魚◯西川火尖◯近恵◯なかはられいこ◯かんな◯石田遊起◯鈴木茂雄◯宮本佳世乃◯生駒大祐◯犬山入鹿◯中村遥◯鈴木不意◯由季◯黒田珪◯かよ◯沖らくだ◯佐藤日田路◯光明◯赤野四羽◯あまね◯吉野ふく◯幸市郎
■うたた寝の糸を手繰ればけっこういろんなところへ行けるのが楽しい。この海では近くのレストランのバルコニーで寝椅子に転がってボサノバでも聞いていたい。(吉野ふく)
■「うたた寝」と上五で入り「糸」伝いに頭頂部に「海」が現れ広がる。またまだまだ広がる様が前方にありありと期待できます。(あまね)
■うたた寝の世界はどこにつながっているのか?「船を漕ぐ」ともいうように、それは海へとつながっている。たゆたう感覚が楽しい。(赤野四羽)
■生きものの故郷は海!「たぐれば」で強くつながりを感じました。(光明)
■うたたねは昼寝と解し有季とするかどうかをさておき、季感としては夏。すべての命の糸は海に繋がる。うたた寝をしてそのことに気がついた。(佐藤日田路)
■ファンタジーのような夢。「うたた寝の糸をたぐる」という言い方が幻想的できれい。昔の思い出の海ではなく、見たこともない異世界の海と勝手読みしました。(沖らくだ)
■うたた寝の浮遊感が浮かびやすい海水につながって、ゆらゆらと心地よい句。(かよ)
■夢か現かの境地はまさにこんな感じかと思いました。海ではなく空に届く人もいれば地底に落ちる人もいそう。海に出るのは幸せな境地かと。(黒田珪)
■うたた寝には、別世界へ運ばれるような感覚があります。糸という題が効果的に使われているように思います。(由季)
■こうした句は、よう作らない。眠りの中の出来事と考えると不思議な景だ。(鈴木不意)
■下五の〈海へ出る〉がいい。(中村遥)
■夏の午後のけだるい眠り。ひろがってゆく夢の水平線(犬山入鹿)
■ちょっと横になったら、うっかり寝込んでしまった。季語になった「昼寝」と違うところは時間の余裕の差だろう。無季の句だが、「海へ出る」が夏の季感を際立たせる。「糸をたぐれば」もいい。(鈴木茂雄)
■気持ち良いうたた寝。幼い頃の海での思い出に浸る。(石田遊起)
■いつの間にか海。(かんな)
■たゆたうような眠りと糸と海のつながりかた、すてきにバランスいいですね。切れそうだけ切れない関係性をつくりあげてて、いいなあと思います。(なかはられいこ)
■夢と現実の狭間の感じがよく出ている。糸という心許ないものから海への展開に解放感があっていい(近恵)
■うたた寝が海へ通じているという発想は、それをつなぐものが糸だと言われるとなんだか納得してしまいそうです(西川火尖)
■「うたた寝の」と出だしは緩やか。「糸」の端っこが見えて、下五で一気に視界が広がる。展開が鮮やかです。(冬魚)
■睡眠と海とのおおらかなつながりがいいです。(宮本佳世乃)
■言葉がシームレスにつながる感じがよいですね。(生駒大祐)
■カーナビじゃなくてうたた寝の糸をたぐって海へ行くなんて御洒落ですね。(幸市郎)


エクスタシーにまつわる細く赤い糸  きゅういち

かちわりに必殺仕事人の糸  竹井紫乙
◯怜
■かちわりの粗野に三の糸の勇次のクール。(怜)

きらきらとひとすじの糸飯饐える  羽田英晴
◯うさぎ◯鈴木茂雄◯中村遥◯かよ
■ご飯が腐りかけるという憂鬱さのなかにもきれいな光があることを教えてくれる。(かよ)
■季語の懐かしさ。冷凍保存が出来る現在ではもう遠くなってしまった。季語「飯饐える」にきらきら輝く糸を配した意外性。(中村遥)
■この「きらきら」感は雨に濡れた蜘蛛の糸とは対極の美。だが、それはイメージの世界。現実はもっと暗く饐えた臭いのする場所。まだ冷蔵庫のない時代、生ものは水屋という通気性のよい網戸の食器棚に入れておくのだが、昨日のものでさえ夏のご飯は少し臭ったもの。残りご飯は水で洗って食べたのを思い出す。「飯饐ゆ」も「洗ひ飯」も、ともに「水飯」の傍題。(鈴木茂雄)
■饐えたご飯が糸を引くのかどうか分からないけれど、納得。そんなものにも美を見てしまうところに惹かれました。(うさぎ)

こぼるるは糸と真夏の笙の音  宮本佳世乃
◯吉野ふく
■美しい。涼しげな笙の調べが聞こえてくる。夏を乗り越えられそう。(吉野ふく)

スベリヒユ木偶の先より糸伸びて  かんな
◯笠井亞子◯野口裕◯幸市郎
■糸の差配は誰でしょう。(野口裕)
■季語のカタカナ表記が、木偶の動作を表しているようで不思議な味わいになった。(笠井亞子)
■スベリヒユと木偶の取合せが素晴らしい(幸市郎)

ちんぽこに糸をぐるぐるなんか晩夏  芳野ヒロユキ
◯マリオ◯村嶋正浩
■糸は絹糸、麻糸、毛糸、タコ糸、いずれにしても、ぐるぐるなのだから少しは痛みのあるものに違いない。ぐるぐるすることが、悲しい思い出によるものか、心地よいものによるのか分からないが、「なんか」の言葉が思いを膨らませざわざわと心打つ(村嶋正浩)
■上中のばかばかしさを、下六の東京音頭風リズムで吹き飛ばす(マリオ)

はちぐわつの糸巻エイの面構  石原明
◯鈴木不意◯小久保佳世子◯石鎚優◯芳野ヒロユキ
■確かにイトマキエイは「八」に似ている。(芳野ヒロユキ)
■「八月」から連想される敗戦、盆供養、晩夏などの観念や抒情が、エイの姿や生き様にぶつかると、人間の業のような響きが聞こえるようだ。(石鎚優)
■糸巻がエイの面構えという強引な見立て。その強引さに脱帽。「はちぐわつ」という表記は発音すると、ちょっと舌を噛みそうで八月とは違う味わいがあります。(小久保佳世子)
■「八月の」でもよかったような、「エイ」は漢字のほうが好き。平べったいエイが思い浮かぶ。「面構」と言ったところがいい。(鈴木不意)

はつ夏の糸鋸をひく透かし彫り  小林幹彦
◯吉野ふく
■眩しくてさわやか。心が洗われるよう。(吉野ふく)

ほつれ糸ほつれつづける秋の裏  怜
◯うさぎ◯石田遊起◯笠井亞子◯彰子◯小久保佳世子◯Y音絵
■「つ」の反復等により内に籠ったような響きの上五中七から、あっけらかんとした下五への展開が印象的でした。(Y音絵)
■布のほつれが永遠に続くイメージです。秋という季節にも裏があるのでしょうか。裏は表より興味をそそられます。(小久保佳世子)
■「ほつれ糸ほつれつづける」中7まで一気に読ませ「秋の裏」ほど良い脱力を味わいました。(彰子)
■絶えずそういうことが進行しているのだ、生きていると。(笠井亞子)
■結ばれた赤い糸がほつれるのでしょうか、秋の裏のやがて糸はもとの糸。(石田遊起)
■秋の裏とは?と思いつつ、季節の裏側で何かがほころび続けるという発想が魅力的です。(うさぎ)

マクベスの魔女等糸取鍋を守る  青柳 飛
◯かんな◯菊田一平
■取り合わせに格調を感じました(菊田一平)
■どんな糸・どんな生地ができるのか、じわり冷や汗。(かんな)

よくできた妻に井守の糸きたる  赤野四羽

一族とか糸瓜とか揺れ笑えない  青砥和子
◯曽根主水◯鈴木茂雄
■夏休み、田舎の実家に帰省した若者のアンニュイが伝わってくる。「とか、とか」という苛立ちの効果音。ぶら下がっている「糸瓜」のなんと無様で滑稽なこと。「一族(郎党)」という連体感もまた。(鈴木茂雄)
■だってもへちまもないシュールとも、あるいは大変厳しい体験の活写とも。(曽根主水)

雲が峰糸に吊られし科特隊  マリオ
◯竹井紫乙◯犬山入鹿◯トオイダイスケ
■「科特隊と」いう略称が、テグスで吊っていることのチープさをよりくっきりと見せた。「雲の峰」の大らかさも好対照(トオイダイスケ)
■入道雲の高さと少年の日のヒーローが合体(犬山入鹿)
■どのくらいの強度の糸なのかな・・・。私も一緒に吊られてみたいものです。色んな意味で涼しい句。(竹井紫乙)

夏去るとあはれ糸魚の婚姻色  照屋眞理子
◯生駒大祐
■「とあはれ」で採りました。(生駒大祐)

夏座敷着物に残るしつけ糸  吉野ふく
◯羽吟◯石鎚優◯幸市郎
■自然に順応して生きる古風な生き方において、たかぶる感情と抑制する理性のありようが、さわやかに感受される。「しつけ糸」には寓意がある。(石鎚優)
■新しい着物が用意されている心地よい空間、一本の糸が演出。(羽吟)
■夏座敷、2DKの我が家には無いものです。憧れます。(幸市郎)

夏深む蔵の二階に糸操り機  憲子
◯宮本佳世乃◯クズウジュンイチ◯かよ◯吉野ふく◯青木ともじ
■夏の蔵の二階のむわっとした空気、糸繰り機にたまった埃の匂いなんかも感じられる空気感のある句(青木ともじ)
■もう使われなくなった蔵の二階の糸繰り機。ひっそりと今は死んだふりをしているがたくさんの思い出と共に眠っている。(吉野ふく)
■ひんやりとした古いにおいの蔵、生命の喧噪から隔てられた場所で、季節が紡がれているように感じられる。(かよ)
■農家の蔵に、それも出し入れしない二階に古びた糸繰り機が放置してある景色が鮮やか。「夏深し」はダメですか?(クズウジュンイチ)
■夏が深まる明るさと蔵の階段の暗さを思いました(宮本佳世乃)

鬼火のやう釣糸のやう草いきれ  高橋洋子
◯光明
■鬼火も釣り糸も揺れ方が草いきれとマッチング(光明)

空蝉の背ナに白じろ糸のくづ  菊田一平
◯ハードエッジ◯あほうどり◯犬山入鹿◯中村遥
■なぜ空蝉の背に糸くずが付いているのだろうと連想させられる面白さがある。あたかも空蝉の割れたその痕を糸で縫ったかのように。(中村遥)
■熱帯夜をやり過ごし朝の無残が目の前にある(犬山入鹿)
■空蝉から別れのテープが流れ出ているようで余韻がある。(あほうどり)
■その糸を引くと何か起りそう(ハードエッジ)

県道へ一糸まとはぬ生身魂  鯨
◯ハードエッジ◯曽根主水◯渕上信子◯宮本佳世乃◯犬山入鹿◯クズウジュンイチ◯沖らくだ◯佐藤日田路◯林昭太郎◯きゅういち◯幸市郎
■「県道」の俗に「一糸まとわぬ」として「生身魂」を登場させる荒業、ですがなんか笑えます。(きゅういち)
■徘徊老人だろうか?国道でも村道でもなく県道なのが良いと思う(林昭太郎)
■非現実的であるはずなのに現実感が伴う恐ろしさ。(佐藤日田路)
■びっくり!インパクトに一票。この後、大捕り物になったのか、皆でありがたく拝んだのか。(沖らくだ)
■不条理な映像。「県道」が効いている。(クズウジュンイチ)
■自分が年老いてゆく怯えが生々しい(犬山入鹿)
■深刻な状況お察しします。明日は我が身とも。(渕上信子)
■ちょっと困った感じのフィギュアをロメロっぽい薄ら土地鑑付きの彷徨へと誘う「県道」がクール。(曽根主水)
■県道が効いてます。都会でもなく、田畑だけの田舎でもなく(ハードエッジ)
■見てしまった自分がただただ怖い(宮本佳世乃)
■一糸まとわぬって、タオルぐらい巻いて下さい。近所の病院の前に毎日上半身裸で座っている老人がいます。(幸市郎)

香水とジゴロ金に糸目をつけぬとも  瀬戸正洋

祭来る文字を豪奢に刺繍糸  小久保佳世子
◯トオイダイスケ◯一実
■「刺繍糸」の華やかさが祭の勢いまで感じさせる。(一実)
■祭に対する高揚感が、とても小さな部分を通して濃厚に描かれた(トオイダイスケ)

三伏やまた朝が来る錦糸町  中村光声
◯笠井亞子◯憲子◯村嶋正浩◯照屋眞理子◯沖らくだ◯菊田一平
■ゴールデン街じゃなく錦糸町というところがなかなか(菊田一平)
■錦糸町、事件がありそうな代わり映えしなそうな、そして三伏のあいだじゅう、暑苦しそう。この世の終わりでないかぎりまた朝は来るわけで、どんな夜を過ごしてそんなうんざりな気分になっているのか、エロからバイオレンスまであれこれドラマを妄想しました。(沖らくだ)
■「また朝が来る錦糸町」だけなら演歌の世界である。俳句を成立させているのは、そこに配したやや古風な季語と、「や」の切れによって生み出された格調だろう。定型詩の最大の魅力は、言葉の意味ではなく、形と音の説得力であるということの見本のような句だと思う。(照屋眞理子)
■「三伏」が錦糸町に適切な季語かどうか、「新宿」では「池袋」では、どうなのか、交換可能なのか。それは作者の思い入れによるものだが、地理的には「新宿」「池袋」は山手線にあり、「錦糸町」は総武線にあるのが決定的に大きな違いだ。汗臭い駅だ。余計な話だが、通学路の通過駅だった。(村嶋正浩)
■錦糸町がぴったり決まっている。(憲子)
■盆踊りが果てたあとの感じでしょうか?(笠井亞子)

仕付け糸きらり引き抜く夏衣  黒田珪
◯阪野基道◯石鎚優◯赤野四羽◯西村小市
■新しい夏衣のさわやかな感じがここちよい。「きらり」は作者の期待の気持ちの表れか。(西村小市)
■糸を引き抜く一瞬の所作の美しさ、爽やかさをとらえた。「きらり」と「夏」がよく効いている。(赤野四羽)
■人生の岐路にあたり、迷いを断ち切り、因習に反する決断をした光景がさわやかに描かれている。「しつけ糸」は寓意を帯びている。(石鎚優)
■娘に仕立てた浴衣には、まだ仕付け糸が付いたままだ。娘の着姿を思い描きながら、母親が仕付け糸に指を絡めて、すーと引き抜く、その情感、涼感がさわやか。(阪野基道)

糸くずのふるふるなびく南風かな  鈴木不意

糸つけてシオカラトンボ放ちけり  村嶋正浩

糸の先モンローウォークのタランチュラ  犬山入鹿
◯あほうどり◯野口裕◯彰子
■タランチュラの膨らんだお尻が私の顔面を叩いていった。(彰子)
■ダレンシャンを思い出す。(野口裕)
■モンローウォークが可愛く哀しい。(あほうどり)

糸ようじの通らぬ歯間夏の果  半田羽吟
◯瓦すずめ◯林昭太郎◯西村小市
■糸ようじが歯間を通らない閉塞感が物憂い夏の果とひびきあっている。(西村小市)
■いかにも健康そうな歯の持ち主に、いま夏が去ろうとしている。「夏の果」が何とも良い味を出している。(林昭太郎)
■暑さや夏が終わるという残念な気持ちや焦りと、糸楊枝の通らないイライラが、うまく合っているように思いました。(瓦すずめ)

糸引きに春を捧げた母の唄  あほうどり

糸瓜や郵便局は路地の奥  幸市郎
◯竹井紫乙◯青島玄武
■路地の奥に郵便局のあるような田舎町。途中に糸瓜の垂れる家がある。昼の暑さと町の閑けさをスッと切り取った素敵な句。(青島玄武)
■道に迷うのが辛い時と、楽しい時がありますが、この路地に入り込むのはとても楽しそうです。(竹井紫乙)

糸瓜忌の糸瓜を長く垂らしけり  ハードエッジ
◯信治◯高橋洋子◯酒井匠
■糸瓜は主体的に「垂らす」ことができるものだったか、という驚き。男根を想起もして、それと子規忌の取り合わせに、ふざけているのか本気かわからない(そのあわいの)妙を感じました。(酒井匠)
■糸瓜がぬぼーっとあたたかい。(高橋洋子)
■いいですね。「長く垂らした」主体はなにかと迷わせるところが、おもしろい。(信治)

糸巻きのからから回る終戦日  あまね
◯杉太◯中村遥◯黒田珪◯照屋眞理子◯石鎚優◯青木ともじ
■糸巻きの時代感とからからという擬音語の乾いた雰囲気がどことなく鞦韆の空虚感に響き合う。即物的であるのがいい。(青木ともじ)
■地球ほど巨大な糸巻きかもしれない。現代の多様な事象である「糸」が歴史という布地を織るのだが、「からから」回っているこの糸巻きにはどんな糸が巻かれているのか。歴史と虚無が見据えられている。(石鎚優)
■繰る人のいなくなったあの夏からずっと、この糸巻き車はからからと虚しく回り続けてきたのだろう。(照屋眞理子)
■糸巻きの軽い音が物資の乏しかった時代を彷彿とさせ、戦争の虚しさをも思い起こさせる。(黒田珪)
■じりじりと暑かったであろうあの日。今年もきっと空気も乾ききった暑い日であろう。そんな日は糸巻きもからからと回るに違いない。あの日から休むことなくからからと回り続けているような糸巻き。(中村遥)
■終戦の日についに糸が切れてしまったのか、ずっと前から糸なんてなかったのか。きっと後者だ。(杉太)

糸鋸盤並びて月の涼しかり  西川火尖
◯信治◯高橋洋子◯赤野四羽◯鯨◯吉野ふく
■美しい光景。月の光はやさしく労働をねぎらってくれている。銀の色色が静かで今はゆっくり休んでいる。(吉野ふく)
■町工場の夜、糸鋸盤には円い穴がある。月涼しで実際の月だけでなく月の隠れた原理が呼び起こされた。(鯨)
■昼間は喧騒とともに忙しく稼働している糸鋸盤。夜は静寂の中、ひんやりとした月の光に照らされる。動と静の対比が効果的。(赤野四羽)
■透明なおおきななガラス窓。(高橋洋子)
■金属の薄さに引き立てられる、月光の質感(信治)

糸魚川静岡構造線は朱夏  鈴木茂雄
◯黒田珪
■静岡の川は全て太平洋に向かい、南北に走るイメージがある。地質を分断するという豪快な構造線という言葉の持つ力強さ、強い日差しから朱夏という季語がぴったりくる。(黒田珪)

糸通しに顔のエンボス西日さす  冬魚
◯羽吟◯加納燕◯照屋眞理子
■この糸通し、我が家の針箱にもある。華眼を賜って以来、針に糸を通すのが至難の技となった。このイライラは永遠に続くのではないかとさえ思うような時、横顔が刻された小さな金属片のついた細い針金がそれを救ってくれる。「あるある」で頂きました。結句、動詞より名詞で終わる方が形がキリッとするかなと思いました。(照屋眞理子)
■日があたったことで、はっきりと浮かびあがるエンボス。気に留めていなかったことに気付く瞬間。(加納燕)
■糸通しのエンボスの横顔、私も句材候補であったがまとまらず。この句は西日を持ってくることによりエンボスの立体感/素材感/反射が強調され、働き手が生き生きと動き出した。(羽吟)

糸電話の相方遠し草いきれ  由季
◯かんな◯憲子◯村嶋正浩
■「相方遠し」がこの句の意味の大きなポイントである。糸電話なので当然距離的には近い。従って相手との心の関係性である。相手を思う強さはあるものの、その相手との心の距離感に痛めている。草いきれは、距離の近さにもかかわらず、埋められない暑苦しい思いを的確に示している(村嶋正浩)
■幼き日への郷愁。草いきれも佳いですね。(憲子)
■糸電話はもどかしいものですね。(かんな)

糸吐いて吾子もモスラも繭ごもる  守屋明俊
◯冬魚◯竹井紫乙◯犬山入鹿◯青柳飛
■自分の子とモスラを並べる大胆さが気に入った。(青柳飛)
■吾子を見いてる自分もいつしか繭ごもりたくなる(犬山入鹿)
■簡単には外へ引き摺り出せそうもありませんね。やれるものなら、自分がやってみたい繭作り。(竹井紫乙)
■「モスラ」の登場に驚き。しかも「吾子」と並列させているところが愉快です。思春期の怪獣の如き吾子。(冬魚)

糸偏の文字ではないが草いきれ  野口裕
◯鯨
■たぶん戀、恋でなく戀と呼ぶべき草いきれ。(鯨)

糸蜻蛉はくもりの朝に生まれける  上田信治
◯曽根主水◯生駒大祐◯憲子◯高橋洋子◯Y音絵◯吉野ふく
■そんな気がする。そして曇りの日にそっと生涯を終える、地味ゆえに美しい。(吉野ふく)
■生命の鮮やかさと倦怠感の重なりのなかに、「ける」の響きが決まっていると思いました。(Y音絵)
■そんな感じします。(高橋洋子)
■そんな感じがする。(憲子)
■糸蜻蛉とくもりの朝、よいですね。「けり」の方がよい?(生駒大祐)
■今回の「だんだんそうなんだと思えてくる俳句」がこの句でした。(曽根主水)

歯に切れば糸の味せり浴衣縫ふ  一実
◯犬山入鹿◯阪野基道◯林昭太郎◯Y音絵◯幸市郎
■糸の味について考察したことが個人的にはありませんでした。(Y音絵)
■縫い物の糸を鋏でなく歯で切った。感覚の鋭い作者だ。(林昭太郎)
■母はよく縫い糸を糸切り歯で切っていた。糸の味は、少し糊っぽい味がしたような気もするが、それは母の味でもあるのだ。その味を舌に記憶をさせながら針を動かす、そんな景が快い。(阪野基道)
■そんな母親の横顔を思い出す(犬山入鹿)
■糸には糸の味。土には土の味。食べ物ではない物にも味はあります。(幸市郎)

初恋を語る糸目の生身魂  瓦すずめ
◯かよ◯芳野ヒロユキ◯青島玄武
■「糸目」と描写したことで、その人の人生が立ち表れているような気がする。シンプルな中にも絶妙の深み。(青島玄武)
■「糸目」の用い方が素晴らしい。縄文から現代まで時代を超えたキャラクターをイメージできる。(芳野ヒロユキ)
■問わず語りなのか、問われたから語っているのか。わたしも初恋の話を聞いてみたい。(かよ)

女装家の一糸まとひて踊りけり  渕上信子
◯マリオ◯近恵◯犬山入鹿◯クズウジュンイチ◯鯨
■女装の完成は余剰を削った裸にあるのだと気づかされた。(鯨)
■季語としての「踊り」が機能しているかという問題はあれど、ゲイバーでの一場面とみて出色。(クズウジュンイチ)
■これはイッコウじゃないか。趣味ではないけどグロテスクでちょつと面白い(犬山入鹿)
■それは裸の男の踊り。一糸まとうというあたりの往生際の悪さがおかしい(近恵)
■見たくないので一糸があってほっとする。隠しているから悩ましい(マリオ)

小気味よい糸切りはさみ夜の秋  かよ

針と糸公武合体いたします  なかはられいこ
◯あほうどり◯守屋明俊◯阪野基道
■いつしか針の穴に糸を通すことの難しくなってしまった老いの視力に、糸通しを使ってでも針に糸を通すと、何と晴れがましい気分になるのだらう。公武合体とはその晴れがましさをいう。(阪野基道)
■針も糸も平等に合体し糸が通る。「公武合体」を持ってきた技。「いたします」は博奕の「入ります」と同じ使い方。(守屋明俊)
■公武合体というまさかの飛躍がよい。(あほうどり)

水眼鏡外し少女の糸切歯  佐藤日田路
◯冬魚◯かんな◯鈴木不意◯石鎚優◯酒井匠◯赤野四羽◯青島玄武◯羽田英晴◯西村小市
■日焼けした少女の健康な笑顔が鮮明に浮かび上がる。褐色の肌は水をはじいている。(西村小市)
■きれいだ。だれにでも生涯に一度だけはある美しさ。(羽田英晴)
■溌剌とした笑顔が実にまぶしい。モーニング娘。で言うなら、工藤遥。各々で検索を。(青島玄武)
■某「水着」と並ぶフェティシズムの一句。水から上がった瞬間を捉える写生の妙。 (赤野四羽)
■戦闘モードを終えて破顔する水泳少女、水着と言わずにそれがわかる品とエロさ。草城を思い起こさせられました。(酒井匠)
■糸切歯は犬歯、獲物を切り裂く牙。水から上がった少女が水眼鏡をはずし、それまで閉じていた口を開けた一瞬、小さな糸切り歯が見えた。幼い少女の映像と、今後の成長に寄せる作者の温かい思い。(石鎚優)
■プールか海か、どちらにしても夏の子供達は元気だ。(鈴木不意)
■「糸切歯」に焦点を絞って、少女の印象が鮮明になった感。(かんな)
■「少女」は笑ったのでしょう。動画を見るようです。少女がだんだん近づいて来て、最後は「糸切歯」のクローズアップ。(冬魚)

声糸井重里的な夏休  曽根主水
◯うさぎ◯羽吟◯村田篠◯瀬戸正洋
■糸井重里的な夏休みとは、「声」のことなのである。(瀬戸正洋)
■句の構造も糸井重里的。(村田篠)
■トトロ。が出そうなところへ出掛けたのだろう。コンパクトにテンポよくまとまっており楽しい。(羽吟)
■言われてみると糸井重里は夏休み的な人ですね、声の柔らかさも。(うさぎ)

西日差す奥歯に糸を掛けにけり  うさぎ
◯上田信治◯高橋洋子◯あまね
■「西日」の中で正に中途半端な状態でいる何かあるいは誰かを想像し、そして掛けられた「糸」の本気とも遊びともいえない美しさをスケルツオと呼びましょう。(あまね)
■もしかして抜歯?ワイルド。(高橋洋子)
■デンタルフロスか。口の中にまで、西日がさしたような言い方がおもしろい。(信治)

赤い糸やがて鎖となる酷暑  西村小市
◯渕上信子◯鈴木茂雄◯阪野基道◯瀬戸正洋◯菊田一平
■いやいやご同輩。いかにもです(菊田一平)
■連れ合いが鎖<腐り>であるとは正しいことだ。「赤い糸」などと言っていた頃の自分の甘さを反省しなくてはならない。(瀬戸正洋)
■赤い糸が桎梏の鎖になるといえば、中年以上の夫婦であろう。拭っても拭っても汗の滴る夏は、いわば愛の鎖か。(阪野基道)
■きわめて川柳的な句だが、季語「酷暑」の極北のベタ本意。川柳的もベタ本意も、もちろんホメコトバ。(茂雄)
■なるほど! 運命とは過酷なものですね。(渕上信子)

葬列についと加わる糸蜻蛉  青島玄武
◯羽吟◯青砥和子◯渕上信子◯石田遊起◯村田篠◯笠井亞子◯犬山入鹿◯高橋洋子◯西村小市
■畑の中の道を行く葬列。加わったのは羽黒蜻蛉に違いない。(西村小市)
■うっすらまじっていそう。(高橋洋子)
■昔風だね。初盆の淋しさを思い出す(犬山入鹿)
■「ついと」。これは見た事があるなあ。(笠井亞子)
■まるで引かれたように。「ついと」が糸蜻蛉の動きそのもの。(村田篠)
■糸蜻蛉の細い線が悲しみの涙のよう(石田遊起)
■「ついと加わる」が上手い。訳あって通夜にも告別式にも出られなかった人の生霊では。(渕上信子)
■昔の田舎の葬列がうかびます。「ついと加わる」が糸蜻蛉の飛びかう様子をうまく表現していると思いました。(青砥和子)
■水辺に近い静かな葬列なのだと思う。(羽吟)

大鱧の口より糸の端が洩る  クズウジュンイチ
◯冬魚◯西川火尖◯羽吟◯酒井匠◯Y音絵
■類想があるかもしれませんが、この句を読んで鱧を食べたくなりました。(Y音絵)
■鱧釣りをしたことがないのでわかりませんが、実際に見たらきっと句にしたくて仕方がなくなる景だろうと思いました。どこかめでたさも感じました。(酒井匠)
■迫力がある。(羽吟)
■少し怖い風貌からひょろりと糸が洩れている、そういった可笑しみや違和感が心地よいと思いました(西川火尖)
■「大鱧」の鋭い歯に絡まった釣り糸が、針を取っても残っています。「糸の端」に見る大鱧の逞しさと哀れ。(冬魚)

短冊が身を任せてる柔い糸  光明
◯西川火尖
■糸を細いではなく柔いと表現したところに、身を任している糸の手触りのようなものが感じられてよかったです。(西川火尖)

短夜の鏡は厚し糸やうじ  Y音絵
◯生駒大祐◯高橋洋子◯トオイダイスケ
■「糸やうじ」で歯や歯茎の繊細な感触を思わせることで、鏡の厚さを際立たせている(トオイダイスケ)
■鏡が厚い。がいいですね。糸やうじの仕草もおもしろい。(高橋洋子)
■糸ようじは置かれている、すなわち無人の景と読みました。(生駒大祐)

蜘蛛の糸光るや月に愛されて  中村 遥
◯守屋明俊◯青木ともじ
■あの綺麗な糸の様子をとても丁寧に慈しんでいる句だと思う。月にと書きつつ、愛しているのは作者自身なのだろう。(青木ともじ)
■昼間でも蜘蛛の糸は美しい。月に愛され、恍惚の蜘蛛とその糸。(守屋明俊)

蜘蛛の糸虹色にして夏旺ん  石田遊起
◯信治◯黒田珪
■キラキラと七色に輝く蜘蛛の糸。従来のイメージとは全く違う景を詠んで新しい句を作り上げている。(黒田珪)
■ほんとに虹色だったか、と思い出すように誘っている。(信治)

昼寝ざめ糸吹く夢の口をする  加納燕
◯近恵◯杉太◯石原明◯トオイダイスケ
■「口をする」が実感あった。口の形を何々にする、でなくて「夢の中でしていたあの口」を「する」ことが(トオイダイスケ)
■蜘蛛になった夢を見たのだろうか。白昼夢的なところがよいと思いました。(石原明)
■夢で口から糸を吹いていたのか、垂れさがった糸を息で吹いていたのか。どちらにしてもずっと続けているのは不気味ですね。ああ、夢だったと。(杉太)
■夢で蜘蛛にでもなったか。糸吹く口というのが意外(恵)

釣り糸の切れた反動夏終わる  近恵
◯守屋明俊◯瓦すずめ◯西村小市
■扉が閉まる音など何かが終わったと感じる出来事というものがある。釣り糸が切れたときに夏は終わったのだ。(西村小市)
■釣り糸の切れた反動で、しりもちを尽く姿が面白いですね。釣りが中断され、空が目に入り、今まで意識してなかった風を感じる。そんな状況で、「夏が終わるんだなあ」と呟く。いかにも共感できる句です(瓦すずめ)
■夏が終わるこの一瞬の出来事の意外性。情景鮮明でその躍動感が新鮮だ。(守屋明俊)

二の糸の切れ変調の晩夏かな  彩楓
◯生駒大祐
■「の晩夏かな」の締め方、よいですね。(生駒大祐)

撚り糸を戻す男女の短夜かな  阪野基道
◯犬山入鹿
■短夜は未練の表現か?男女に長夜は厳しすぎるじゃないの(犬山入鹿)

納豆の糸不器用に夏料理  青木ともじ

抜糸までの日数かぞふる涼しさよ  杉太
◯由季◯光明
■何の手術でしょう?回復近い爽やかな高揚感に惹かれました。(光明)
■癒えてゆく間の静かな日々。それを涼しさと捉える感覚にひかれました。(由季)

晩夏へとゆっくり抜けてゆく糸よ  笠井亞子
◯西川火尖◯村田篠◯宮本佳世乃◯クズウジュンイチ◯憲子◯怜◯照屋眞理子◯石原明◯光明◯小久保佳世子◯青木ともじ
■漠然とした句だが、ほつれた糸を抜いたりするときのすっとした感覚と、同時にかすかにある抵抗力が晩夏へむかう感覚に近いというのは不思議と共感した。(青木ともじ)
■比喩としての「糸」をどう読んだらいいのでしょうか。糸は「思い」或いは「時の流れ」かも知れません。(小久保佳世子)
■ゆったり、ゆっくりとした時間の流れが見えるようです。(光明)
■「ゆっくり」が晩夏のけだるさを引き出していると思いました。(石原明)
■具体的で意味のよく分かる句というのは、詩としてはあまり面白くない。この句、なんだかよく分からない。けれども、その終わりに向かって、夏というのは、始まった時から寂しい季節なのだと思わせられた。(照屋眞理子)
■抜けてゆく糸には玉結びがない。後追いで気付く移ろいへの視点。(怜)
■夏を惜しむ思いが柔らかく、ゆったりと表現されている。一番好きな句。(憲子)
■どこから抜けるのかは明示されていないが、ゆっくりと季節が動いていく様子と不思議と同調する。(クズウジュンイチ)
■いろいろな場所から糸が抜けていきそう(宮本佳世乃)
■糸にフォーカスしてなおかつスローモーション。主役は糸。(村田篠)
■夏の終わりへと全てのものが向かっていく自然の運行は確かに、するすると糸が抜かれていく様子に通じると思いました。(西川火尖)

瓢箪の棚キリキリと嫉妬  彰子
◯石鎚優
■ぶら下がっている瓢箪の飄々としたありよう、「きりきり」が連想させる行為の残酷さと鋭い音調、嫉妬の拷問を受けている心のありよう。この三種類の異質の断片を対峙させることに詩を見ようとする五七五の新しい文体か。(石鎚優)

噴水に母はゐませり針と糸  石鎚優
◯生駒大祐◯彰子
■「噴水」の現在、「母はゐませり」過去を紡ぐ。経過の巧みな表現。(彰子)
■主は来ませリみたいですね。針と糸が効いている。(生駒大祐)

母の歯に糸の切らるる夜の秋  トオイダイスケ
◯ハードエッジ◯石鎚優◯林昭太郎◯赤野四羽
■こちらも糸切り歯ネタながら、秋らしい郷愁を表現した。糸を切るのではなく糸が切られるのが俳句的。(赤野四羽)
■やはり、この句には「夜の秋」だろうと思う。(林昭太郎)
■秋の夜、静かに裁縫をしながら口を開いて糸を切っている一人の母。上五中七の即物的な表現が母の生き様に対する作者の感動を静かに伝える。母の歯に切られる「糸」には寓意があるだろう。(石鎚優)
■母の歯が微妙に怖いです。原典未確認ですが、月の家の母の歯の音をきく夜かな 桑原三郎(ハードエッジ)

峰雲や糸の目指せる針の穴  林昭太郎
◯うさぎ◯渕上信子
■峰雲という大きいスケールと針に糸を通すという細かい仕事の取り合わせの妙。まず遠方を見て目を休めてから針の穴を見ます。(渕上信子)
■小から大へ。糸と雲の白さと。日常のちょっとした行為が劇的なものに生まれ変わる瞬間。(うさぎ)

夕立が糸ならばやさしく頸を絞める  生駒大祐
◯近恵◯宮本佳世乃◯野口裕◯犬山入鹿◯阪野基道◯瀬戸正洋◯青柳飛
■糸である夕立とやさしく誰かを絞めることの因果関係が解ったとは思えないが、妙に惹かれた。(青柳飛)
■頸はやさしく絞めなければならない。夕立が糸ならばやさしく絞めることができる。ひとはどんなときでもやさしくなくてはならないのだ。(瀬戸正洋)
■何と怖い句であろう。何の恨みがあるというのか。愛と憎しみの持つ繊細さが「夕立が糸」にこめられ、情感が一気に、しかも静かにほとばしる。(阪野基道)
■頸絞めるものはいろいろあります(犬山入鹿)
■基角の蚤の句に匹敵しそう。(野口裕)
■平仮名が多いところに、ゆるやかな狂気が表れている(宮本佳世乃)
■ややロマンチックだけれど、ちょっと怖い(近恵)

冷やし中華錦糸卵の婀娜たるや  酒井匠
◯信治◯一実
■錦糸卵のあのつやつやした感じを「婀娜」とは。下五の「や」の詠嘆もいい。(一実)
■冷やし中華のノスタルジーをちょっと女性寄りに言ってみた。(信治)

杼のすべる糸のあはひや青簾  沖らくだ
◯羽吟
■はたおりと簾の印象が近く、涼しいの二乗だ。(羽吟)

夏休み納涼句会 選句と作者一覧【電】

$
0
0
選句と作者一覧【電】


〔席題【電】の高点句〕

手に金魚  なんか電気の匂ひがする  生駒大祐
◯マリオ◯ハードエッジ◯なかはられいこ◯曽根主水◯かんな◯加納燕◯鈴木茂雄◯犬山入鹿◯中村遥◯照屋眞理子◯石原明◯瀬戸正洋◯菊田一平◯Y音絵◯きゅういち◯一実◯青柳飛
■縁日で捉えた金魚だろうか。旧仮名を使うならば「なんか」ではなく「なぜか」の方がベターかな、とは思ったが、「電気の匂ひ」が予測しなkった展開なので良いと思った。(青柳飛)
■感覚的な感触。「金魚」と「電気の匂ひ」は関係ないようで面白い出会い方。(一実)
■「電気」に「匂い」がある!でもなんかわかる気が。「手に金魚」のアンニュイさがグッジョブ。(きゅういち)
■ぶっきらぼうな文体ですが、「kiNgyo」→「naNka」→「deNki」と続くリズムが巧みで、下五の字余りに余情があります。「電気の匂ひ」という意外な措辞にも惹かれました。(Y音絵)
■そうかぁ、あの粘っこさは電気の匂い!(菊田一平)
■なんか、ホントにそんな気がする。この金魚死ぬんじゃないかな。(瀬戸正洋)
■なんかエレキテルを溜め込んだサイボーグの金魚でしょうか。(石原明)
■正解かどうか分からないが、昔々の夜店のアセチレン灯を思い出してしまった。しゃべり言葉「なんか」を採用したセンスの良さ、「匂ひがする」と、助詞を入れた方が音楽性がよいと承知しているのも心憎い。(照屋眞理子)
■電気の匂いとはどんな匂いなのだろう。電気に匂いなんてあるのだろうか。金魚には確かに独特の匂いがある。あれが電気の匂いなのか。(中村遥)
■確かに鯉は鉄の匂いがするな(犬山入鹿)
■腹部にグラデーションの掛かった赤い「金魚」、いかにも「電気の匂いがする」色だ。手のひらに乗せるとさらにその感じを深くしたのだろう。(鈴木茂雄)
■おもちゃっぽいところこそが金魚らしさなのかも。そしてとにかく早く水に戻してあげてほしい。(加納燕)
■感電?漏電?金魚の威力おそるべし。(かんな)
■感覚としてよく解る一方で、ディック的な現実崩壊感の萌芽のようでもあり。(曽根主水)
■「なんか」がキュートで好きでした。電気ってけっこうなまぐさいと思うんですよ、なんか。(なかはられいこ)
■色も電気の色か(ハードエッジ)
■味は知っているけど、匂いがわからなかった。金魚だったのね(マリオ)

江ノ電を止めて祭の通りけり  照屋眞理子
◯冬魚◯ハードエッジ◯曽根主水◯渕上信子◯村田篠◯笠井亞子◯鈴木茂雄◯杉太◯黒田珪◯かよ◯菊田一平◯小久保佳世子◯青島玄武◯西村小市◯青木ともじ
■実際そうなのかもと思わせる説得力と、祭の神輿なり行列なりが通り過ぎるまでの時間の切り取り方がうまい。(青木ともじ)
■祭は非日常、その高揚した気分が伝わってくる。江ノ電だって止めてしまうのだ。(西村小市)
■「江ノ電」が実にうまく利いている。人出はそこまで多くないけど、一応は首都圏のお祭りの雰囲気。「神田川祭りの中を流れけり 久保田万太郎」のパロディも感じられて微笑ましい。(青島玄武)
■ローカルでしかも有名な江ノ電の名称がハマっています。(小久保佳世子)
■江ノ電がいいなあ。(菊田一平)
■電車とは比べものにならないほど歴史のある祭りの存在感と潮の香りが漂う句。(かよ)
■小さな町の小さな電車を小さな祭りが止めて横断する。ほのぼのとしてホッとする一句。(黒田珪)
■祭りの細事には一切触れず、本来なら山車や人が通るところを「祭り」そのものを通したところに、いかにも祭りらしさといったものが表現されている。(鈴木茂雄)
■江ノ電だからいいんでしょうね。神輿の先に海が見え。(笠井亞子)
■御輿も含めて「祭」という賑やかなかたまり。(村田篠)
■「江ノ電」にリアリティを感じます。(渕上信子)
■重力や電磁気力や強い力や弱い力の他に、祭力というのもある気がします。(曽根主水)
■江ノ電なら止ってくれます(ハードエッジ)
■「祭」とあるので、神輿だけでなく後ろに続く人々の姿も見えます。暮らしのすぐそばを走る「江ノ電」らしい景。(冬魚)
■先住権を主張しているのは祭だ!(杉太)



いっせいに電球切れる茄子畑  鈴木茂雄
◯信治◯羽吟◯犬山入鹿◯佐藤日田路◯鯨◯青木ともじ
■温室か、あるいは畑の周囲の明りだろうか。たしかにああいう電気は一括管理でいっせいに消えるのだろうなあと妙な納得をした。(青木ともじ)
■電球茄子がある、茄子型電球がある、電球と茄子の相互補完関係。(鯨)
■日盛りに雲がわき出て昏くなる。茄子畑の茄子を電球と見立てた。(佐藤日田路)
■胡瓜畑では電球はきれない面白さ(犬山入鹿)
■電球と茄子の形が少し似ている。電気が切れて茄子がなんとなく落ち着いたような感じがする。(羽吟)
■いいですね。要は茄子って黒電球みたいに見えるなということなんですけど。(信治)

さるすべり海の見えない長電話  高橋洋子
◯西川火尖◯マリオ◯犬山入鹿◯由季
■暑さ、海が見えないという焦燥感、長電話の内容も込み入っていそうです。(由季)
■さるすべりでなくても長電話は辛い(犬山入鹿)
■自分には縁のない3点セット。共感はないけど気になる(マリオ)
■まるで海が見えることが普通であるような謂いが面白かったです。百日紅の明るさも奇妙な印象を強めているように思いました。(西川火尖)

サングラス江ノ電けふも満員で  鈴木不意

ででむしや家出のそおっと終電車  阪野基道
◯石田遊起◯犬山入鹿
■家出はいいな。懐かしい(犬山入鹿)
■遊び過ぎたのもいい思い出。ででむしのゆっくり感がいい。。(石田遊起)

びりびりと雷様の尻尾かな  ハードエッジ

フランケンシュタイン首の電極抜く晩夏  冬魚
◯加納燕◯野口裕◯竹井紫乙◯クズウジュンイチ◯村嶋正浩◯由季◯阪野基道◯鯨
■フランケンシュタインという存在がまず晩夏。首にある原動力を抜いたために鈍化、晩夏が強まった。(鯨)
■フランケンシュタインの青白い無機質な顔が目の前にちらつく。彼はふと自分たるものに気づき、薄目をあけて、稲光る電極を表情もなく抜き取り、世間に自立しようと出立する。友なく晩夏の淋しさの中で。(阪野基道)
■コミカルで、少し物悲しいフランケン。晩夏ならなおさらです。(由季)
■「抜く」に込められた意味には、様々な想像が膨らむ。人間以上に人間である怪物を持ち出したのが適切で、精一杯生きた季節を突然終わらせる。命を奪う。抜いた人との関係は、よき関係だったのかどうか死刑、殺害、安楽死、情死、何も語っていない。何事かがあって夏が終わる。終わらせる。辛い死だ。生き物の死はこんなものだ。(村嶋正浩)
■首のあの杭は電極なのか知らないが、衝撃のある句。(クズウジュンイチ)
■電極抜いたらぺしゃんこになるとか? 誰が抜くのか、も考えると面白い。(竹井紫乙)
■稲妻とともにフランケンシュタイン死(野口裕)
■自由になったフランケンシュタインの、その先の悲劇。(加納燕)

ほろほろと電気クラゲを閉じ込める  かんな
◯マリオ◯青柳飛
■「ほろほろ」がいい。(青柳飛)
■オノマトペが効いている。クラゲに出会ったらこの呪文をとなえる(マリオ)

みんみんの配電盤に来ては鳴く  菊田一平
◯笠井亞子◯守屋明俊◯由季◯黒田珪◯あまね◯幸市郎
■暑い盛り「配電盤」は大忙し、アルソックの山下さんは鳴くみんみんを探して今日も大汗をかいています。(あまね)
■いかにもありそうでこれ以上ないくらいにリアリティーを感じる句。蝉の鳴き声の鬱陶しさのイメージとしては満点。(黒田珪)
■そこが気に入っているのでしょうね。リズムがいいと思いました。(由季)
■カラスがテレビアンテナで鳴く句を作ったことがあるが、配電盤でみんみん蝉が繁く鳴いた方がよほど大音響がする。(守屋明俊)
■みんみんと配電盤の相性よし。来て鳴かなくてもいいけど。(笠井亞子)
■そういえば、配電盤の前でよく蝉の死骸を見る様な気がします。(幸市郎)

襖から逐電中の草いきれ  彰子
◯笠井亞子◯鯨
■逐電は稲妻を追うことだと思い返させる。襖のなかの一椿事。(鯨)
■襖絵の草ぼうぼう? いったいどこへ。(笠井亞子)

夏の夜が電流爆破デスマッチ  クズウジュンイチ
◯近恵◯赤野四羽
■とにかく勢いがあってよい。ジメッとした夏の夜は冷えたビールをやりながらプロレスでも観てスカッとしたいぜ。(赤野四羽)
■笑った。夏の夜ってそういう感じと言われればそう思えてくる(近恵)

回天や雲の峰より放電す  赤野四羽
◯冬魚
■「回天」は人間魚雷ですね。「放電」が魚雷の爆発、あるいは爆死した兵士の怒りを想起させます。ぐっときました。(冬魚)

缶ビール0四つ点く電気釜  小林幹彦
◯西川火尖◯トオイダイスケ◯きゅういち◯一実
■現代的な風景。日の境目を「電気釜」で感じるドライな感覚がいい。(一実)
■句には書かれていない蒸し暑さを追体験するような。(きゅういち)
■新品か、逆に古くて使っていなかった電気釜か(現在時刻を合わせていない)。とにかく台所の暗さや蒸した空気を思った(トオイダイスケ)
■炊飯器の初期設定を済ませていない生活の慌ただしさ、渇いた様子が感じ取れました。そうなると一息つくためのビールも缶以外ありえないわけで。(西川火尖)

亀回る回って溜めるエレキテル  きゅういち
◯石原明
■夜店で買ってきた亀をとりあえず洗面器に水を張って入れると縁を回って泳いでいましたが電気を溜めていたとは知りませんでした。(石原明)

銀漢や船長室に鳴る電話  中村 遥
◯うさぎ◯羽吟◯かんな◯鈴木茂雄◯竹井紫乙◯クズウジュンイチ◯鈴木不意◯由季◯佐藤日田路◯林昭太郎◯鯨◯西村小市
■物語を感じた。夜の船長室で鳴る電話は何を伝えるものなのだろう。(西村小市)
■文明社会と辺境とのかろうじての繋がりが電話の音だろう。目的地はモビィ・ディック或いはニュー佐渡島。(鯨)
■ドラマチックな句である。「銀漢」が実に佳い味を出している。(林昭太郎)
■天の川きらめく夜の航路の電話の向こうとこちら。物語が無限に広がる。個人的特選句。(佐藤日田路)
■船にかかってくる電話はドラマを感じさせます。(由季)
■航海中の一コマを想う。どんな内容の電話での会話だったのだろう。何かドラマが始まりそうだ。(鈴木不意)
■遠洋マグロ漁船であろうか。真っ黒な海の上、空いっぱいの銀漢が輝く中に突如鳴る電話は不穏である。(クズウジュンイチ)
■キラキラしている句で魅かれました。なんだかいけない電話のような気もします。ついでに、二度と家には帰れないような予感も。(竹井紫乙)
■銀河系惑星間を航行中の宇宙船、だが、なぜか船長室の机の上にあるのは昭和時代の黒電話。どこから掛かっているのだろう。船長は不在のようだが、、、(鈴木茂雄)
■これは古き良き電話であってほしい。あるいは彼の世からの電話かもしれない。いいんです、甘くても。(かんな)
■空→海→陸地からの連絡と気持ちが移り、一気に現実に引き戻されるテンポが見事だ。(羽吟)
■銀河の下のクルーズはロマンチック。電話の音も美しげだけれど、ちょっと不穏さも秘めているところがいいです。(うさぎ)

空蝉に電柱かよ良いな背中  曽根主水
◯ハードエッジ
■空蝉の背中よ背中縦に裂け ハードエッジ。ひるがほに電流かよひゐはせぬか 三橋鷹女(ハードエッジ)

空蟬は電話のをとを運びをり  宮本佳世乃
◯彰子◯きゅういち
■「空蝉」が「電話の音を運ぶ」という発想に度肝を抜かれました。(きゅういち)
■空蝉の色、触感が黒電話の響きと共鳴しました。(彰子)

原爆忌危篤の叔父より電波の来  瓦すずめ
◯あほうどり
■8月6日に臨場感があり外せない。(あほうどり)

言葉から電子飛び出す涼しさよ  佐藤日田路
◯西川火尖◯曽根主水◯宮本佳世乃◯酒井匠
■未来派(ないし『未来派野郎』)のことを思ったりしました。言われてみれば言葉から電子が飛び出す(感じがする)ことは確かにありそうで、且つ、涼しさを感じそうです。(酒井匠)
■全体から硬質な音が出ている感じがしました(宮本佳世乃)
■『ああ電子戦隊デンジマン』には無くて(名曲ですが)、例えばボーカロイドの歌声にある涼しさ。(曽根主水)
■セオリーかもしれませんが、涼しそうで涼しくない、でもちょっと涼しいかもしれないものを涼しいと言うと涼しくなりますね。(西川火尖)

降灰の街行く電話夾竹桃  彩楓

終電の曳きて行きたる夏の月  黒田珪
◯なかはられいこ◯石田遊起◯笠井亞子◯あほうどり◯由季◯彰子◯小久保佳世子
■夏の月を従えて今日の最終電車が過ぎてゆく景には一抹の寂しさがあります。(小久保佳世子)
■終電の酔客である私、夏の月が曳づってくれている。(彰子)
■大げさかな、少し甘いかな、などと思いながらも曳きて行きたるという表現に魅力を感じました。(由季)
■情景がきれいに浮かぶ。既視感ありかもしれないがやはりよい。(あほうどり)
■うしろ姿がボーっと浮かぶ、いい夜景。(笠井亞子)
■夏の月だから楽しみの残像も曳く。(石田遊起)
■イメージは影絵でした。ちょっと妖しくて乱歩の世界みたい。惹かれます。(なかはられいこ)

充電の切れしシェーバー夏休み  幸市郎

上くちびると下くちびるに静電気  なかはられいこ
◯怜◯瀬戸正洋
■キスをしているんだろう。キスをして静電気は起きないだろうが、こころにもからだにも静かな電気が。うらやましい限りだ。(瀬戸正洋)
■やっかいですな、感がいい。(怜)

青蔦の体のどこに電源が  近恵
◯青島玄武
■「青蔦の体」で古い洋館を思い出した。スポット生徒を浴びている様子でなくて、真昼間の威容を湛えた姿を描写したものだと感じた。(青島玄武)

蝉時雨電線しとしと濡れており  あまね
◯中村遥
■蝉時雨と濡れた電線の関わりが面白い。夕立のあとに泣き出した蝉の声と解しては全く面白くない。(中村遥)

帯電す向日葵びっしり枯れ尽くし  笠井亞子
◯近恵◯憲子◯あまね◯羽田英晴
■種がペレット燃料のようでもある。(羽田英晴)
■言わずもがな、「帯電」しちゃった訳ですね。「向日葵」は「枯れ」ちゃった。まさか、咲いてる時には「枯れ」るとは想像だにしていなかった。だけど、「帯電」したから「枯れ」ちゃった。そういうこと。(あまね)
■「帯電す」に納得してしまう。(憲子)
■なにか不吉な感じがする(近恵)

帯電のからだ気怠し扇風機  一実
◯青砥和子◯鈴木不意
■「帯電」がよかったのかどうか。扇風機の風にに長く当たっているとこうした怠さになってしまう。扇風機を動かす電流が人間に移っていったかのよう。(鈴木不意)
■「帯電のからだ」の表現で夏の暑さはもちろん狂おしい心を持て余している様も想像してしまう。その気怠さは扇風機でさらに増幅されていくように思います。(青砥和子)

端居して電池残量急に減る  由季
◯クズウジュンイチ◯高橋洋子◯彰子◯小久保佳世子
■若者に端居は似合わない感じ。電池残量減少とは老化現象のようでもあります。(小久保佳世子)
■「急に減る」現実に引き戻されたのが「電池残量」細やかな感性(彰子)
■急に減る?あら。もしかしてアンドロイドだったのかしら。(高橋洋子)
■ぼーっとしていると、思いがけず長い時間が経っていた。電池残量が急に減ったのではなく。意味の逆転が面白い。(クズウジュンイチ)

竹婦人電池仕掛けの細き声  マリオ
◯きゅういち
■「婦人」からの「細き声」をオチとすればなんともエロチック。「電池仕掛け」がそれを可能にしたのかなと(きゅういち)

逐電の妻から便り桐一葉  鯨
◯犬山入鹿◯守屋明俊◯阪野基道
■逐電とは少々古い言葉だから、かなり年配の夫婦か。行方知れずの理由は、些細なことかもしれぬ。桐の大きな葉がひとひら落ちることによって、わだかまりが消えていったのかもしれない。(阪野基道)
■行方をくらましている妻から便りが来たというが、これは願望であろう。散る一葉に妻を偲んでいる哀しい句。(守屋明俊)
■不幸と孤独が広がっていく感じが好き(犬山入鹿)

停電が百年ゲジゲジしかいない  芳野ヒロユキ
◯信治◯加納燕◯赤野四羽◯青柳飛
■トランプが大統領になってしまったら、アメリカはゲジゲジしか住まない街になってしまうのかも。。。(青柳飛)
■この勢いも好きである。百年も停電すれば現生人類はあっという間に頂点から転げ落ちる。あとはゴキブリの天敵、ゲジゲジの天下である。(赤野四羽)
■昼間でもゲジゲジしかいないのか。そんな世界に生きたくないけれど大丈夫だった。ゲジゲジしかいない。(加納燕)
■人類以後、ってことですね。(信治)

停電で金魚の代り刺身買ふ  渕上信子

底紅や留守番電話の受話器持ち  うさぎ
◯野口裕
■花の名が効く。(野口裕)

電気つけて見るかぶとむしめんどくさい  加納燕
◯なかはられいこ◯曽根主水◯渕上信子◯高橋洋子◯村嶋正浩◯沖らくだ◯瀬戸正洋
■「その通り」だと私は答える。(瀬戸正洋)
■読んでいるうちに、めんどくさいのはカブトムシの方という気がしてきた。「うわまた見に来た!」みたいな。(沖らくだ)
■見たくもないかぶとむしを見ている、それも夜の暗闇の中で見せられている。思わず、めんどくせえなあ、と電気を付けて見る。夏休みの家庭の風景である。めんどくさい、が的確で高度な表現だ。(村嶋正浩)
■かぶとむしってかなりマジカル。めんどくさい!とは。大見栄きった。(高橋洋子)
■めんどくさいと思いながら見ている、なぜか気になる。(渕上信子)
■用語の投げやりっぷりにもひらがな流しにもやる気ゼロ。いかにも夏の倦怠ですね。(曽根主水)
■意味わかんないんですけど、めんどくさいものって人によってちがいますよね。「かぶとむし」で切ってよむほうがすき。(なかはられいこ)

電源オンオフオンオフオン夏惜しむ  村嶋正浩
◯芳野ヒロユキ◯きゅういち
■「オンオフオンオフ」で「オン」。そりゃ「惜しんで」ますわ「夏」(きゅういち)
■リズムもいいし、思い出のオンと現実のオフ感が季語によく表れている。

電源を切るのを忘れ日雷  石田遊起
◯芳野ヒロユキ
■季語の様に、最近突然あっと思うことが多く、この句のとおり電源の切り忘れです。(芳野ヒロユキ)

電飾が延命を乞ふ夜店かな  青島玄武

電飾の昼の点滅水を打つ  西川火尖
◯冬魚◯宮本佳世乃◯鈴木不意◯トオイダイスケ◯Y音絵◯一実
■昼の繁華街の侘しさ。夜の仕事の人々の昼の生活が感じられる。(一実)
■炎昼を点滅する電飾の苦しさと、炎昼を生きる人間の苦しさとが重なり、「つ」の脚韻も相まって、「水を打つ」という営為の力強さを思いました。(Y音絵)
■電飾と水の細かな眩しさが、よく晴れた昼の眩しさのなかでよりきらめいてきれい(トオイダイスケ)
■近所のキャバクラやパチンコ屋なんかはこんな感じ。従業員が丁寧に水を打っているとこなんかを目撃することがある。けっこうリアルだ。(鈴木不意)
■電飾がそこにあって、昼「が」点滅しているしているのであれば面白いと思いました(宮本佳世乃)
■「電飾」の「昼の点滅」にはどこか場末の匂いがします。でも、打水をする柔らかな気遣いもある。ミスマッチな景がリアル。(冬魚)

電線に去年の凧の胡瓜揉み  羽田英晴
◯生駒大祐◯阪野基道
■電線に掛かった糸が風になびいているのは何ともじれったいことだ。だれも取り外すことなどできやしない。そうこうしているうちに半年もたって、まだ手つかずのままだ。(阪野基道)
■「凧の胡瓜」の部分の繋ぎがよいです。(生駒大祐)

電線に雀やサンバカーニバル  酒井匠
◯加納燕◯憲子◯瓦すずめ◯光明
■リオ・オリンピック、電線の雀が踊っています。(光明)
■この場合は「や」を「の」ないしは「が」と同じ意味で使っているのでしょうか。それとも「や」で切れているのでしょうか。雀の群れをサンバカーニバルに例えているのか、サンバカーニバルの上にすずめが集っているのか…。(瓦すずめ)
■電線マンを思い出し、採ってしまった。(憲子)
■夏祭りの商店街を練り歩くサンバカーニバルの唐突感。伊東四朗へのオマージュとも。(加納燕)

電線のつなぐ家々大夕焼  林昭太郎
◯うさぎ◯加納燕◯守屋明俊◯鈴木不意◯かよ◯沖らくだ◯吉野ふく
■懐かしい昭和の風景。大夕焼に気持ちが穏やかになってゆく。(吉野ふく)
■夕焼け空と建物のシルエット。家と家は込み入っているとしても、ちょっと離れているとしても、電線がずっとつながっているのが、シルエットだからこそ分かる。(沖らくだ)
■夕焼けのなかの影絵のような家々。そこで人々がそれぞれ営んでいる暮らしが、電線で集められているようにもみえる。街の一面を切り取った句。(かよ)
■住宅街の夕焼空を見上げるとこんなふうですね。景色が見えます。(鈴木不意)
■そう言えば家と家は電線で繋げられているんだ。大夕焼がその家々のシルエットを美しく見せる。三丁目の夕日的友好世界。(守屋明俊)
■それぞれのようでいて、様々なラインで繋がっている。夕焼けの後にいつもあかりは灯るのか。百年停電しっぱなしとかは困る。(加納燕)
■今はほとんど見なくなった光景ですね。夕焼が郷愁を誘います。(うさぎ)

電卓や忽微繊沙という位  怜
◯青砥和子
■「忽微繊沙という位」が面白い。それを電卓に求められても困ります(青砥和子)

電柱に生まれて蟬を鳴かせけり  守屋明俊
◯なかはられいこ◯燕加納燕◯渕上信子◯あほうどり◯憲子◯由季◯怜◯佐藤日田路
■くすぐったいが、みんな見ている。まあ、ゆっくりして行けよ。(佐藤日田路)
■存在理由を絞っておもしろくも哀しい。(怜)
■電柱が無機物なところに何故か切なさを感じます。(由季)
■動けないけど、いいこともあります。(憲子)
■電柱には?を鳴かせる使命があるのだ。(あほうどり)
■その点、電柱は枯木より幸せだと思う。(渕上信子)
■電柱として意識があったなら、今年は何匹蝉が来た、などと数えてしまうのだろう。(加納燕)
■最近はコンクリのしか見かけないので、木の電柱っていうだけで抱きつきたくなります。鉄塔も給水塔も電柱もえらいなあと、しみじみ思います。(なかはられいこ)

電柱の傾いてゐる溽暑かな  杉太
◯青砥和子◯竹井紫乙◯鈴木不意◯石鎚優◯林昭太郎
■あれは確かに暑さを倍増させますよね。(林昭太郎)
■電柱が罪を犯し、神から罰として、文明を成り立たせる機能の一つを永久に担うよう命じられた何かの生き物に見え、疲れはてて倒れそうに見えることがある。この句からもそんな思いが感受される。(石鎚優)
■この電柱夏に限らず傾いているのだけれど、辱暑で俄然存在感が出ました。シンプルで一番好きな句でした。(鈴木不意)
■気温が35度を過ぎるとこういう気分。世界が溶ける。溽暑って、大阪の夏にぴったりの言葉です。(竹井紫乙)
■溽暑とは電柱が傾くほどの暑さなんですね。もしかして 電柱ではなく暑さに負けた作者が傾いているのかも。(青砥和子)

電動珈琲ミル一閃す夏の雲  上田信治
◯野口裕◯酒井匠
■キラリ。とにかく格好良かったです。(酒井匠)
■雲が巨大なドリップコーヒーとなる。(野口裕)

電話ごし同じ花火を見てをりぬ  青木ともじ
◯杉太◯瓦すずめ◯彰子◯石鎚優◯林昭太郎◯きゅういち◯西村小市
■電話で話している二人が離れた場所から同じ花火を見ている。耳と眼で受けとめるものをとてもうまく表現した。(西村小市)
■隣同士にいるカップルがいてラインをやり合うという昨今、「電話ごし」とは言え、「同じ花火」とは言え、その距離感に思いを馳せてしまう。となれば作者の術中か(きゅういち)
■通話の相手も同じ花火を反対側から見つつ会話しているのだ。「虹」でも行けるところが弱みか?(林昭太郎)
■それほど遠く離れた所にいるのではない二人が電話で別れ話か、プロポーズか、故郷の近況か---話し合っている。その遠景に花火が上がっており、二人ともその花火を見ながら話している。二人の間柄や話の内容は読者の鑑賞に委ねられている。(石鎚優)
■このような感覚はつい最近も・・・はるか向こうの向こうとの関係性。(彰子)
■ロマンチックですね。電話の向こうからも現実の花火の音に一瞬遅れて花火の音が聞こえるのでしょう。(瓦すずめ)
■携帯か糸電話ですかね。じつは二人は隣り合わせで花火を見ているのでした。(杉太)

電話すると言つた翌日蛇と化す  青柳 飛

東電の試験に落ちて昇竜に  あほうどり

桃色の夏着電気の検針員  憲子
◯高橋洋子
■針を検査する人が桃色?林家パー子でてきそう。(高橋洋子)

豆電車ビール畑を突っ走る  吉野ふく
◯守屋明俊◯光明◯幸市郎
■強い勢いを感じました、枝豆を連想させる豆電車!(光明)
■瓶ビールか缶ビールか、とにかくそれが畑になるほど林立している。豆電車の登場で俄然、箱庭的家庭が完成。(守屋明俊)
■ビール畑って?色々想像が膨らむ句ですね。(幸市郎)

動きだす電車つられる夏帽子  かよ

虹消えて虹より遠き電池かな  Y音絵
◯なかはられいこ◯宮本佳世乃◯生駒大祐◯沖らくだ◯酒井匠
204句で一番わかりませんでした。びっくりしていただきました。(酒井匠)
■虹より遠い電池。分かりません。電池が虹をつくっている……?分かんないけど好き。(沖らくだ)
■電池がちゃんと聞いていて良いと思います。(生駒大祐)
■大切な人とつながるときの電池なんだろうと(宮本佳世乃)
■この構文には見覚えがあるような気はします。気はしますが、虹と電池の取り合わせが好きでした。(なかはられいこ)

入道雲東電本社包囲さる  西村小市

白い夏野へ我が電飾の車椅子  石原 明
◯うさぎ◯近恵◯クズウジュンイチ◯中村遥◯村嶋正浩◯小久保佳世子◯Y音絵
■窓秋の句を踏まえているのでしょうか。鮮やかな残酷さと意志の強さを感じました。(Y音絵)
■白い夏野は臨死を思わせますがそこをキラキラゆく車椅子、終末のゴージャスが描かれていると思いました。(小久保佳世子)
■「電装」が見事である。それも夏野へである。そこに車椅子のひとの高らかな心意気が見える。夏野も白い場所で、緑の草いきれのある場所ではく、電装が輝いて見える白い場所なのだ。われここにあり、と。(村嶋正浩)
■「頭の中で白い夏野となってゐる」を思わす。この車椅子の向かう夏野も頭の中の夏野なのか。(中村遥)
■実在しないであろう「電飾の車椅子」のなんという煌びやかさ。窓秋の「白い夏野」を超えているとさえ思う。文句なし特選。(クズウジュンイチ)
■白い夏野も電飾の車椅子も、映画をみているみたい(近恵)
■電飾の車椅子!高屋窓秋もびっくりのインパクトに平伏しました。(うさぎ)

白無垢脱ぎ冷房の席に電報  半田羽吟
◯石田遊起
■すこし遅れての電報が喜びもまたふくらみ冷房も心地よい。(石田遊起)

半夏生ツバメ一家で電線に  光明

半夏生電子タバコを咥へけり  瀬戸正洋
◯青砥和子◯竹井紫乙◯石原明
■電子タバコという中途半端なものが効いていると思います。(石原明)
■電子タバコは試したことはないのですが、中途半端なシロモノだなあと不審に思っていて半夏生の妙な感じとの取り合わせがクール。(竹井紫乙)
■蛸ではなく電子タバコを咥えているとしたことが気に入りました。新しい習慣ですね。(青砥和子)

晩夏の書序章末尾に逐電と  野口裕
◯青砥和子
■序章から「逐電」と書いてあるのですから晩夏の書とはいったい・・・?と想像してしまいます。(青砥和子)

風死して終電車にはキスマーク  竹井紫乙

風鈴や電気クラゲがぶらさがる  犬山入鹿
◯あほうどり◯瀬戸正洋◯青柳飛
■シュールで楽しい。クラゲが干からびてしまってたらちょっと怖いけれど、一瞬飛びつき、風鈴をちと鳴らし、クラゲは海へ戻ったとでもしておこう!(青柳飛)
■電気クラゲのぶらさがっていない風鈴は風鈴とは呼ばないのである。(瀬戸正洋)
■風鈴と電気クラゲの取り合わせがばっちり、電力自由化とも読める。(あほうどり)

噴水の電源切るやただの水  小久保佳世子
◯かよ◯青木ともじ
■下五、そこまで言っては身も蓋もないだろうというところまで言い切ったところが面白い。(青木ともじ)
■噴水を演じきってただの水にもどる。淡々とした清々しさ。山口百恵さんのよう。(かよ)

放電によろけて絡みつく裸身  青砥和子
◯酒井匠
B級ヒーローものの拷問シーンを思いました。(スターウォーズ好き的としては、パルパティーン×EP6(ジャバ編)のレイアの薄い本?とも思いました。)(酒井匠)

夜濯ぎの空のどこかに発電所  村田 篠
◯かんな◯憲子◯村嶋正浩◯沖らくだ◯羽田英晴
■遠雷のあの辺りか。(羽田英晴)
■「空のどこか」、リアル発電所じゃなく遠くの雲の中に見える雷のイメージ。そんな呑気な句意ではないのかもしれないが、脳内で勝手にファンタジー読みしてしまいました。(沖らくだ)
■夜濯ぎをしている時間は、今日と明日のはざ間である。空も明日の準備をしている時間だ。変電所はその時間の切り替えている場所に違いない。何処にあるのか分からないが、ひしひしと確実にあると思われる。それが夜濯ぎの時間だ。「変電所」が生々しく見えてくる。(村嶋正浩)
■原発のことかと。静かに怒りを込めて。(憲子)
夜濯ぎが電気を起こしている、というわけではないのですが、人の営為を思わせます。(かんな)

有楽町電気ビルヂング南館北館晩夏光  トオイダイスケ

留守電に嗚咽の潜む羽蟻の夜  中村光声
◯林昭太郎◯あまね
■「羽蟻の夜」意味深ですね。その上言葉の裏に「嗚咽」が聞こえるのですから。「留守電」が今ではアナログな手段としての意味合いになっていますね。それだからこそ、なお更私達に句が近づいてきます。(あまね)
■色々な状況を想像させる。なにしろ「羽蟻の夜」だからコワイ。(林昭太郎)

冷蔵庫奥で放電する電池  沖らくだ

籐椅子や山麓をゆく終電車  石鎚優
◯トオイダイスケ◯青島玄武◯幸市郎
■籐椅子から電車を見ているわけではないだろう。真夜中、籐椅子でうとうとしていたら、終電車らしきものが通った。田舎のことだから、二両くらいの列車が闇の中をライトひとつで走っているのを想像しているのだろう。距離感と簡潔な情景描写が素晴らしい。(青島玄武)
■都市でない地域を通る中距離か長距離列車であることが、「終電車」(「終電」でなく)という言葉で示されているように思えた(トオイダイスケ)
■旅先の日本旅館から眺める景色でしょうか? 贅沢な旅の様な気がします。(幸市郎)


夏休み納涼句会 選句と作者一覧【話】

$
0
0
選句と作者一覧【話】


〔席題【話】の高点句〕

留守番の金魚に話しかけてから  小久保佳世子
◯マリオ◯あほうどり◯石原明◯瀬戸正洋◯菊田一平◯芳野ヒロユキ◯赤野四羽◯青島玄武◯羽田英晴◯西村小市◯青柳飛
■ペットシッターとか、お掃除に来た人とかが主のいない家の金魚にまず挨拶、と考えるのが普通だろうが、泥棒さんだったりもするのかな、と、色々想像をかきたてられた。(青柳飛)
■お出かけの際の儀式か。自分に言い聞かせたいことがあるのかも知れない。(西村小市)
■ごめん、ごめん。(羽田英晴)
■出かけたのか、帰ってきたのか。余計なことが書かれていないぶん、想像が膨らむ。一人暮らしの侘しさにほのかな癒し。(青島玄武)
■一人暮らし。犬猫は話しかけると返事をすることもあるが、金魚は難しそうだ。それでも誰かが待っているというのはありがたい。(赤野四羽)
■金魚が魚なのか人なのか猫なのかそれとも他の何かなのか。この金魚のような存在のおかげで頑張れる人がいるのもまた事実であろう。(芳野ヒロユキ)
■金魚好きには納得の一句です(菊田一平)
■金魚だってひとと話すことができるのである。(瀬戸正洋)
■話しかける主体は泥棒と解して読みました。(石原明)
■ありそうな情景だが、その先を何も言ってないので想像が膨らむ。(あほうどり)
■犬猫のように駆け寄ってこないから、ちゃんと謁見しよう(マリオ)


「あ」と「う」から始まる会話夏深し  阪野基道
◯竹井紫乙◯芳野ヒロユキ◯青柳飛
■「あ」と「う」が不思議に季語とマッチしているな、とか思ってしまった。(青柳飛)
■「あれからどうなった」「うーん、はんこ絶対押さないって」等、人生の深い話を想像できて面白い。(芳野ヒロユキ)
■「あつい」「うん」しか、もう思いつかない有様。阿吽、なんでしょうけど。他には「蟻だらけ!」「うんざり!」くらいか・・・。(竹井紫乙)

Gペンに童話の挿絵描き涼し  冬魚

アニマルは奇術のような話術です  光明

イグアナとエコの話で盛り上がる  犬山入鹿
◯羽田英晴
■ずいぶん盛り上がりました。(羽田英晴)

かわほりの打ち明け話逆さかな  あまね
◯笠井亞子◯怜
■下5が話者の体位とストーリー、両者に作用。(怜)
■バカバカしくて好き。(笠井亞子)

クワガタの話だんだんおおげさに  沖らくだ
◯羽吟◯杉太◯瓦すずめ◯佐藤日田路◯酒井匠◯芳野ヒロユキ◯赤野四羽◯羽田英晴
■クワガタがどんどん大きくなっていく。(羽田英晴)
■クワガタが法螺を吹いているのか、クワガタマニアが風呂敷を広げまくっているのか。どちらにしても面白い景である。(赤野四羽)
■昆虫のクワガタの話なのか、クワガタと称される人物の話なのか、曖昧さと放り投げた感の作り方がいい。(芳野ヒロユキ)
■「ほんとだって、7cmくらい、いや10cmあったんだって!」漢字の少なさと句の内容がハマっていて、一見ゆるそうなのにスキがないと思いました。(酒井匠)
■8センチいや10センチはあった。と、クワガタが巨大化していく。(佐藤日田路)
■自慢話をする子供のわんぱくさ。聞いている親の苦笑も見えます。(瓦すずめ)
■そんなことがよくありますね。熊や蛇よりクワガタの方が大げさにしやすいかも。(杉太)
■なんだか好きです。(羽吟)

ここだけの話デンドロカカリアと  なかはられいこ

サルビアを咲かせてゐたる痴話喧嘩  宮本佳世乃
◯曽根主水◯石田遊起◯鈴木茂雄◯石原明◯沖らくだ◯羽田英晴
■痴話喧嘩のエネルギー貰って。(羽田英晴)
■お互いがなにか言うたび、身体のどこかの部位からサルビアの花がぽっと咲く、そんな漫画チックな場面を思い浮かべて可笑しくなった。サルビアは甘い蜜を吸った思い出があるが、見てくれはあまり可愛くなく、さほど大きくもない花で、なるほど「痴話喧嘩」っぽい。(沖らくだ)
■こんな喧嘩なら大歓迎ですね。(石原明)
■サルビアも咲くだろう、なにしろ痴話喧嘩なんだから。ちなみに花言葉が「尊敬、家族愛」というから皮肉な話。(鈴木茂雄)
■サルビアの花がぽろぽろとこぼれそう。。(石田遊起)
■直観としてこの花なのかなと。サルルルビアもさささ咲く喧嘩だろうなあと。(曽根主水)

しやくとりや別役実童話集  瀬戸正洋
◯うさぎ◯鯨
■「空中ブランコ乗りのキキ」ならば尺取り虫だろう予感。(鯨)
■別役実のちょっと屈折したユーモアにシャクトリムシがぴったりです。(うさぎ)

たわいない女の話アマリリス  中村光声

なるならばもしもの話だけど枇杷  青木ともじ
◯マリオ◯なかはられいこ◯加納燕◯高橋洋子◯照屋眞理子◯青柳飛
■枇杷になってもいいかな、と思う気持ちがユニーク。(青柳飛)
■構成(言葉の連ね方)の巧みさと楽しさにまず参ってしまった。上手い。さらに、えっ何、と読み進んだ最後に「枇杷」とは、何ともとぼけた落ちが待っていた。とぼけ方、意外性では、今回の特選にしたいくらい。(照屋眞理子)
■枇杷になりたい人って意外と多い。(高橋洋子)
■慎重な言い方の、控えめな願望。でもそう言われてみれば、枇杷になるのはとても素敵なことかも。(加納燕)
■語順はこれでいいのかと思い、この語順だからいいのかとも思います。「枇杷」もそれでいいのかと思い、枇杷だからいいのかとも思います。(なかはられいこ)
■それほど枇杷が好きなら、枇杷になりなさい。止めないよ(マリオ)

ぽつぽつと麦酒の泡の話でも  野口裕
◯杉太◯芳野ヒロユキ
■納涼にふさわしく。酒の席では仕事の話などご法度。目の前の料理の話、まずはとりあえずビールの泡の話から。(芳野ヒロユキ)
■ビールの泡の蘊蓄か、それとも、ちんちんあかの会のような話なのか。どうも、後者のような感じですね。(杉太)

ものがたり蟻が人喰ふ道の端  竹井紫乙

一筋の滝を挿話となせる山  青島玄武
◯かんな◯守屋明俊◯羽田英晴◯青木ともじ
■滝も山の一部なはずなのに、そこだけ特別な違うストーリーのような気がしてしまう、そんな気持ちを挿話と詠んだ表現にとても惹かれた。(青木ともじ)
■さほど大きくない滝。遠景に。(羽田英晴)
■山にとって今流れている一筋の滝はエピソードの一つ。悠久の昔より流転を繰り返している山の堂々たる姿が見える。(守屋明俊)
■「一筋」はひらがな書きが好みですが、「山」が語るとは、句柄が大きい。(かんな)

一枚の湖面になってゆく話  怜
◯なかはられいこ◯青砥和子◯あほうどり◯野口裕◯憲子◯黒田珪◯光明◯彰子◯一実
■フィクションとしての面白味。「なってゆく」に時間の経過を感じて不穏。(一実)
■同じ景色に心を遊ばせている。只それだけが長編小説。(彰子)
■いろいろな話が、湖面の波のようにドラマがあり、一話が1ページとなり綴じられている。(光明)
■何が一枚の湖面となるというのか、なぞかけのような一句。それでも収束する話というのは最終的に一枚の湖面になるようなものなのだろうと、不思議に納得せざるをえない。(黒田珪)
■どんな話なのか想像もつかないが、寡黙な二人を思わせる。(憲子)
■子守歌のように静まってゆく湖。二枚ならややこしい。(野口裕)
■大抵のものは湖面に落ちれば何事もないように湖面になってゆく。哀しく怖い話。(あほうどり)
■「一枚の」でいろいろな景を想像します。凍てついている・・鏡面のようになっている・・。しかも 湖面は 徐々に・・あるいは一瞬で・・「一枚」になる・・その「湖面」には何が見えるのか。何を語るのか。時間も季節も自由に想像をたのしめる。(青砥和子)
■主語はなんなんでしょうね。誰なのか何なのかわからないのですが、凪いだ湖面を想像して、ああ、よかったねえと思ったのでした。(なかはられいこ)

遠雷や老人たちが糸電話  杉太
◯近恵◯青砥和子◯中村遥◯瀬戸正洋◯菊田一平◯小久保佳世子◯Y音絵◯きゅういち◯吉野ふく
■終末を迎えた人々の穏やかで静かな光景。影絵のように浮かぶ。話しているのはたくさんの思い出だろうか。(吉野ふく)
■「遠雷」それはあの戦争のことか?「老人たちが糸電話」はかなしくも恐ろしい画像(きゅういち)
■シュールで不穏で、好きです。「が」の響きが良いと思いました。(Y音絵)
■老人は耳が遠くなる傾向があるので糸電話は成立しないのでは?でもこの句には理不尽な魅力があります。(小久保佳世子)
■これはもう三鬼真っ青(菊田一平)
■寂しく悲しい風景である。他人から見ると、自分もこんなふうに見えるのだろう。(瀬戸正洋)
■老人たちの何組かが糸電話で話している。介護施設のリクレーションか。意思疎通は出来ているのだろうか。遠雷がよく効いている。(中村遥)
■「遠雷」と「老人」の取り合わせが良いです。きっと糸電話の糸はだらりと垂れている・・・(青砥和子)
■光景を想像するとシュールでおかしい(近恵)

夏場所や話してばかりの客のをり  瓦すずめ

海月浮く長い話の終るころ  村田 篠
◯マリオ◯曽根主水◯青砥和子◯かんな◯守屋明俊◯鈴木不意◯村嶋正浩◯瓦すずめ◯石原明
■海月も我慢していたのでしょうね。(石原明)
■窓から海の見える海近くの家を想像しました。延々と話をしていて、ふと窓を見ると海を見える。長い話のふわふわ間の中に海にいる筈のクラゲがやってきそう(瓦すずめ)
■長い話とは、人類の歴史の時間のことに違いない。人類に寿命が来て、そろそろその時期だと囁かれているが、人が絶えて、生き残った海月がゆつくりと浮いてくる平和な地球の季節だ。(村嶋正浩)
■心象風景的な面白さ。「海月浮く」とした上手さ。(鈴木不意)
■人間の「長い話」の時間と、海月の泳ぐ宇宙時間とでも言う気の長い時間とを一緒くたにしたところが面白い。(守屋明俊)
■話が長くて、海月になったのでしょうか。鎮魂も感じられたり。(かんな)
■透きとおった小さな海月を想像しました。長い話が終われば 互いのもやもやが晴れほっと一息入れている。そんな気持ちが海月に表れていると思いました(青砥和子)
■ぽかーん。(曽根主水)
■退屈な話によくつきあってくれました。ありがとう(マリオ)

寓話から出られない太ったカラス  青砥和子
◯瀬戸正洋
■太っていようと痩せていようとカラスは寓話から出ることができない。人間は自分勝手なものだと思う。(瀬戸正洋)

形代や話弾みし一両車  幸市郎
◯怜
■数字一が神がかる。(怜)

紅涙を誘ふ話術や日の盛  鈴木不意
◯石田遊起
■紅涙は楽しい明るい話。日の盛の良さです。(石田遊起)

黒麦酒とにかく話だけ聞こう  青柳 飛
◯ハードエッジ◯瓦すずめ◯照屋眞理子◯芳野ヒロユキ◯林昭太郎◯西村小市
■とりあえずビールとは言っても黒麦酒というところにこだわりがある。おおらかな先輩といった感じがした。(西村小市)
■何と言っても「黒麦酒」の力だろう。(林昭太郎)
■なんか重そうな話を想像させる黒ビール。飲みながら話していれば気持ちも軽くなるさ。(芳野ヒロユキ)
■「話だけ聞こう」とは、その後のことは保証してはいないのである。季語が動くかとも思ったが、話を聞く代わりに奢らせるなら、黒麦酒あたりが妥当なのだろうと納得。(照屋眞理子)
■どっしりとした味わいの黒ビールと「とにかく話だけ聞こう」という語り手の力強さが、会っているように思いました。(瓦すずめ)
■信頼の黒(ハードエッジ)

犀ほふる話はも百物語  一実
◯沖らくだ
■「犀」だし「ほふる」だし、「はも」までついたら降参です。ハ行の音の連続の間に表記と音のちがう「は」が入って、音にすると結構な読みづらさながら、句またがりの仕方が音としておもしろい。(沖らくだ)

山車洗ふ神話の御代と同じ川  黒田珪
◯村田篠◯鈴木茂雄◯瓦すずめ
■祭りの歴史を感じさせられます。(瓦すずめ)
■この村を流れる川のように続いてきた仕来りや行事。田舎のない都会育ちのわたしにとっては、物心ともに守り続けていくものがあるのは、むしろうらやましくもある。(鈴木茂雄)
■川は確かに時間をつなぐところがある。空の下に神話を感じる明るさがいい。(村田篠)

志ん朝の人情話冷やし酒  彩楓
◯鈴木不意◯かよ◯瓦すずめ
■しんみりした落語を聞いていると、冷やし酒もしみじみとあじわえるのでしょう(瓦すずめ)
■お酒が好きだった志ん朝さんを思い出す。めいめい好きずきに笑ったりぐっときたり、そういう時の愉しさも思い出させる句。(かよ)
■志ん朝ならこのくらい簡潔な表現が似合う。(鈴木不意)

詩の話恋の話や巴里祭  鈴木茂雄
◯ハードエッジ
■甘甘こそ巴里。花衣お菓子の好きな巴里娘 ハードエッジ(ハードエッジ)

次々とスイカが割れてゆく話  近恵
◯西川火尖◯マリオ◯信治◯なかはられいこ◯杉太◯宮本佳世乃◯由季◯あまね◯青柳飛◯幸市郎
■合宿か何かでビーチのある場所に行った時の話をきかせたのかもしれないが、誰もいない夜のビーチで次々スイカが割れてゆく情景とかも想像(妄想?)させられてしまった。(青柳飛)
■難しいような簡単なような、いとも容易く「割れて」しまう大きな赤く甘い果実。「割」りながら進むのだ、そして進む時にはその記憶を携えながら。(あまね)
■~の話、という句がたくさんありましたが、これはさりげなく面白かったです。(由季)
■不穏です。テロっぽいです。ちょっと怖いところに惹かれました。(なかはられいこ)
■なんでも言えてしまう形で、どうでもいい嘘をつく。(信治)
■農業の話なのか、西瓜割りの話なのか、もう少し聞いてみたい(マリオ)
■聞き手のなす術のなさが、面白い。(西川火尖)
■会話の最中にスイカが勝手に割れるのなら楽しい(宮本佳世乃)
■月夜のスイカ畑。割っているのは昼間砂浜を見て学習した宇宙人。(杉太)
■スイカ割り? スラップスティックコメディーっぽいですね。(幸市郎)

次々と変る話題やソーダ水  林昭太郎
◯鈴木茂雄◯瓦すずめ
■ソーダ水という言葉を使うことで、次々と話題の変わる会話が、楽し気で軽快なものに思えます。(瓦すずめ)
■とりとめない話、時間を忘れてお喋りに興じる少女たち。一生のうちでいちばん楽しいころ。(鈴木茂雄)

蛇を見る腹話術師のやさしき目  石鎚優

若竹の腋臭を若造の話  芳野ヒロユキ

守宮来て余分な話はぶかれる  彰子
◯村田篠◯村嶋正浩◯かよ◯照屋眞理子
■守宮はたいてい同じ場所に現れ、毎日出会うといつの間にか親愛の情さえ湧くようになる。我が家に今年初めて現れた日も、ああそんな季節になったのだと、夫婦して、愛らしい小さな五指にしばし見とれ、それまでしていた話は確かにどこかへ行ってしまった。(照屋眞理子)
■話の切りあげ方がわからず、あるいはその気がなく、どんどん続いてゆく話が、守宮によってふいに断ち切られる。そこにある安堵感。(かよ)
■田舎の夜の家庭の写生である。余分な話である。食後の寝るまでの余分な時間の余分な話である。姿を見せて、話が途絶えるのではなく、省かれる。余分な話だからだ。(村嶋正浩)
■話はちょっとしたきっかけで省かれる。「あ、守宮」と目の逸れる一瞬が見える。(村田篠)

手で話す二人に遠き花火かな  笠井亞子
◯青砥和子◯石田遊起◯村田篠◯中村遥◯黒田珪◯石鎚優◯青島玄武◯羽田英晴◯吉野ふく
■花火は見えるけど遠いので音は聞こえない。なのに二人も無言劇のように言葉を忘れ手と目だけで会話をしている。お互いがいる小さな幸せ。(吉野ふく)
■でも二人は近い。大花火が幻影のようだ。遠花火ではない。(羽田英晴)
■簡潔で微笑ましい句。句の全体に動きがあるし、ドラマもあって楽しい。(青島玄武)
■二人は視覚・聴覚障碍者ではなく、「手で話す」のはいわゆる手話ではなく、この手と指の動きと形は二人だけに通じ合う意思疎通の手段ではか。それほどに今言葉の真実性が失われているから---。(石鎚優)
■花火は視覚以上に聴覚でも楽しむもの。その音が聞こえない二人にとっては花火もやや遠いものとなるのだろう。また現実に遠くで打ち上がる花火も目になら見えるという二重の構造になっている。(黒田珪)
■手話をしているこの二人には遠花火が見えているのだろうか。それとも遠花火を見て「きれいな花火だね」って手で話をしているのだろうか。私には花火の音が聞こえずに手話を楽しんでいる二人に思われた。(中村遥)
■手話のことなのだけれど、「手で話す」と書かれると、人はいろんな方法で話すことができることに改めて気づく。二人の近さが花火の遠さで引き立っている。(村田篠)
■手話の二人は人込みから離れて花火を見ているのでしょうね、すてきな関係。(石田遊起)
■手話で話す若い恋人たちを想像しました。無音の遠花火が美しい(青砥和子)

拾つた手紙の話或いはあの夏のすべて  生駒大祐
◯うさぎ◯村嶋正浩◯照屋眞理子
■「或いは」や「あの夏の」に短歌的な匂いがする。俳句で短歌を試みたのかな‥と。こういう実験、私は好きです。(照屋眞理子)
■「拾つた手紙」の中身は語られていない。その話と夏が対比されて置かれているだけだ。いったい何があったのか、読み手に委ねられている。手紙の中にその夏のすべてが書かれている、のだと。拾った夏であって、出会った夏ではないと。夏の出来事は、このようなもので、終わる、と。誰が書いた手紙か、知ってるよね、と。(村嶋正浩)
■俳句かと問われれば少し困るのだけれど訴えかけてくる抒情がありました。小野茂樹の「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ」をなぜか思い出しました。(うさぎ)

暑いねは腹話術師の暑いねに  マリオ
◯ハードエッジ◯石原明◯鯨◯あまね
■「暑いね」とリフレインしながら二度目は「腹話術師」の言葉になるから実体がない。上手いですね。それゆえ受け手はもっと真実を手繰りたくなる。けれどもリアリティーは永遠に捉えられない。(あまね)
■二回目は確かに違うように鳴った。(鯨)
■俵万智の短歌を連想させる語り口が面白いです。(石原明)
■暑そうです、、、腹巻の腹話術師もありぬべし ハードエッジ(ハードエッジ)

暑き夜や腹話術師のよどみなく  守屋明俊

小話のあとの西瓜のなまぬるき  石田遊起
◯曽根主水◯阪野基道◯菊田一平◯一実
■ちょっとは笑える小話だったのだろうか。小話の後の倦怠感がいい。(一実)
■なまぬるいと同時に張りがなぅなって・・・いかにもいかにも。(菊田一平)
■三角に切ったスイカがお盆にのせられ、どうぞと言われたものの、夫の昇級や子どもの教育などを話していたら、ついつい時間も立ってしまい、まあいっか、と…。(阪野基道)
■漢字と平仮名の配分から末尾の言いさしまで、一句のなまぬるいルックと音が好きです。(曽根主水)

神話とは木炭の夜ひぐらしの夜  高橋洋子
◯佐藤日田路
■木炭(冬)ひぐらし(初秋)の季跨がりを言ってもつまらない。神話はこうして、育ち、語り継がれていく。個人的準特選句。(佐藤日田路)

神話より三日後の空ところてん  鯨
◯信治◯彰子
■あっけらかんな風景、「ところてん」のひらかな表記に頼りなさと図太さが見えました。(彰子)
■天地開闢以来ということなんでしょうけど。(信治)

星今宵雨にくぐもる腹話術  菊田一平
◯近恵
■腹話術へ落とし込んだところがおもしろい(近恵)

青ほほづき叔母の再婚話かな  小林幹彦
◯阪野基道◯きゅういち◯青島玄武
■「青ほほづき」がに何とも生々しい。驚きがあって、これから後がどうなるかが気になるところ。(青島玄武)
■「叔母の再婚話」などはどこか遠いはなし、けだるげな空気感が「青ほほづき」と呼応する。(きゅういち)
■叔母は再婚するために若返っているのかもしれない。ほおずきはまだ青いのだから。叔母はかなり乗り気のようだからうまくゆくだろう。微笑ましくも、なまめかしい句。(阪野基道)

雪女たとえ話に不適切  あほうどり
◯幸市郎
■雪女は冬の季語だが、テレビによく出てくるのは夏の様な気がします。雪女という言葉は不適切?(幸市郎)

仙人掌の花や受話音量最大  半田羽吟
◯クズウジュンイチ◯怜
■仙人掌の棘は葉の退化、従って最大の音量は必然。(怜)
■サボテンの漢字表記が白髪の仙人を想起させ、耳の遠い老人の電話であることをスムーズに感じさせる。(クズウジュンイチ)

扇風機土地改良の話せむ  クズウジュンイチ
◯西川火尖◯石原明
■土地改良というレトロっぽい言葉が扇風機にあっているような。昭和の風景。(石原明)
■説明会か何かでしょうか。殺風景な部屋で会議机やら椅子やら並んで扇風機が首を振っている、それを面白いと感じさせる魅力がこの句にはあると思いました。(西川火尖)

地獄の釜の蓋あく話冷奴  羽田英晴
◯一実
■食卓の話題としてはおどろおどろしい。亡者が近しく思える夏の景色。(一実)

蜘蛛垂るる腹話術師の目の虚ろ  憲子

昼寝覚聞くともなしに手話ニュース  渕上信子
◯冬魚◯近恵◯杉太◯小久保佳世子◯林昭太郎◯あまね◯青島玄武
■わたくしも経験があるが、ただのニュースでなく、「手話ニュース」であることが真夏の真昼のけだるさを活写している。(青島玄武)
■先の暑いねの句に似た意味合いがあります。こちらは前後が逆でリアリティーは「手話」を通した言葉の中身にあります。意味合いの実体の把握は大変重要ですね。でも、「聞くともなし」に「聞」いているそして確かにそれを見ている訳ですね。(あまね)
■まだはっきりしない寝ぼけ眼に手話の手がひらひらと・・・。(林昭太郎)
■「聞くともなし」まさにそんな感じです。ニュースの内容より手話の動きをぼーっと見ているのは昼寝から覚めたころのような。(小久保佳世子)
■聞いているのか、見ているのか。そのどちらでもなさそうだ。(杉太)
■聞いている筈なのに、音よりも手話をみているように感じるのがおもしろい(近恵)
■寝ざめの悪い「昼寝覚」。「手話ニュース」がナイスです。理解できず、ぼんやりと見入ってしまう感じ、わかります。(冬魚)

電話ボックス砂とくの字に死ぬ蜂と  加納燕
◯村田篠◯怜◯トオイダイスケ◯青木ともじ
■ものすごい実感のある句。電話ボックスによく蜂が死んでいるし、その体は不器用に折れ曲がっているし、砂なんかないはずなのに死んだ虫の周りって、なぜか砂にまみれていますよね。どうしてなのでしょう。(青木ともじ)
■海辺のような雰囲気。禍々しいほどの暑さも感じる(トオイダイスケ)
■ボックスの密閉感と、砂の質感。くの字の蜂のリアル。
モノは語る。(怜)
■ほとんど使われていないうらぶれた電話ボックス。「くの字に死ぬ」のそのまま感がリアル。(村田篠)

桃の皮雨は神話の中に降り  うさぎ
◯羽吟◯渕上信子◯村田篠◯野口裕◯生駒大祐◯怜◯酒井匠◯トオイダイスケ◯Y音絵◯吉野ふく
■桃の皮はむかれてしばらくすると美しい桃色から寂しい茶色になってしまう。でも雨は静かに神話の中に音もなく降っている。なんだか希望を感じる。(吉野ふく)
■目の前で身から削がれ捨てられてゆく桃の皮と、神話の中に降る雨という二つのエロスが、互いに増幅しあうさまに、強く惹かれました。「kawa」→「amewa」→「shinwa」の、「wa」の音の繋がりも壮観です。(Y音絵)
■禍々しい世界の歴史の始まりの頃の、生態系や地形を変えてしまうような不穏かつ長く降る雨を思った(トオイダイスケ)
■もものけ姫。甘い匂いや蒸し暑さを濃厚に感じました。(酒井匠)
■皮のけむったような透明感を効かせた。(怜)
■ムードがよくて、ムードに流れ過ぎていないですね。(生駒大祐)
■古代文明は自然の恵みもずたずたにし、素朴な神話をも引き裂いた。あとは嫋々と雨降るばかり。(野口裕)
■「桃の皮」がヘン。その奇妙さが、雨を神話の中に閉じ込めている。(村田篠)
■ゼウスは黄金の雨となって窓から入り、ダナエと・・・。 ただ、桃の「皮」には違和感が。「白桃」とか、食べる前の瑞々しい果物のほうが良くない?(渕上信子)
■桃の皮以外はモノクロームな印象。(羽吟)

白桃の匂い誰にも話さない  かんな
◯光明◯酒井匠◯芳野ヒロユキ
■そう言われると余計に気になる。「秘すれば花なり」でしょうか。(芳野ヒロユキ)
■甘さ、色っぽさを伴う、しかし事実自体は人に言っても何の問題もない事柄を、密かな楽しみとして黙って抱える感覚に、思い当たるところがありました。(酒井匠)
■大切な私だけの体験!誰かに話すとその匂いが消えてしまいそうで・・・(光明)

夫の友とする香水の話かな  酒井匠
◯渕上信子◯きゅういち
■「夫の友」、おそらく男性であろう。そこの話題が「香水」となれば、それはもう危険な香りと言わざるを得ないんじゃ?(きゅういち)
■「夫の友」である男性とする香水の話。スリリングだけど、あまり夢中にならないで。ご主人が見てますよ。(渕上信子)

風鈴や話した人のゐなくなる  上田信治
◯生駒大祐◯由季◯黒田珪◯小久保佳世子◯トオイダイスケ
■風鈴が鳴ったせいで人が消えたみたいな感覚になる(トオイダイスケ)
■話したのが何時なのか曖昧なところ、そして「話した人」という漠然とした言い方。その朦朧世界に風鈴だけが響いています。(小久保佳世子)
■人は亡くなるにしてもその場からいなくなるにしても、置き去りにされた方からしてみたら風がさらっていったかのような感じを持つ。風鈴の音にその人の面影や一緒にした話などの記憶が呼び覚まされ、そして残る風の音を一人聞いているという情景。誰にも身に覚えのある感覚ではないだろうか。(黒田珪)
■それほど親しい仲ではなく話をしたことのある程度の人、意外に喪失感が深いということあります。(由季)
■親近感の湧く作り方で好きです。(生駒大祐)

腹話術の人形嗤う日雷  石原 明
◯菊田一平
■不気味さがシュールです(菊田一平)

聞かなければよかつた話冷奴  照屋眞理子
◯加納燕◯杉太◯光明
■過程や背景聞いたおかげで、自分が作り上げたイメージを壊されてしまう。しまった!面白い!(光明)
■絹ごしの冷奴。箸でつつくと必ずこわれる。そんな話のようだ。(杉太)
■そんな日の冷奴には、薬味を山ほどのせるといいと思います。(加納燕)

保険勧誘熱きAIロボナオミ  きゅういち
◯加納燕
■ナオミという名前のチョイスの良さ。色っぽくて有能なのでしょう。(加納燕)

盆踊りスピーカーから秘話もれる  西村小市
◯冬魚◯石田遊起◯杉太◯菊田一平
■いかにもありそうで笑えます(菊田一平)
■こんなアクシデントがあれば、楽しいですね。(杉太)
■なんとも楽しい句。小さな町の盆踊りならでは。(石田遊起)
■やっちまった感が場内に満ち満ちる瞬間。想像すると、なんだか笑えます。「秘話」は男女関係の話に違いなく。(冬魚)

密漁の話や桐の実の鳴つて  中村 遥

夜話を反芻したる浴衣かな  トオイダイスケ
◯赤野四羽
■夏の夜、暑さでなかばボーっとして話も耳を通り過ぎていく。あとになって考えてみると結構大事な話だったような…。(赤野四羽)

緑陰や風の童話を聞いてをり  吉野ふく

話さうとすればちぎれてゐる胡瓜  Y音絵
◯野口裕◯佐藤日田路◯彰子
■ちぎれているものが熟れ過ぎた胡瓜・・・かみ合わぬ会話イライラ感。(彰子)
■人の死もかくも突然にやってくる。今を生きろということか。(佐藤日田路)
■「実は…」。以下、読み取れぬ文面続く。キュウリの種は取れなんだ。(野口裕)

話しつつブラはずしゐるトマトかな  村嶋正浩
◯冬魚◯西川火尖◯マリオ◯信治◯渕上信子◯佐藤日田路◯光明◯鯨◯一実
■妻か恋人か。恋愛の延長線上にある互いへの慣れを感じる。「トマト」がキュートで愛を感じる。(一実)
■トマト、これは商業的なブラ外しだろう。(鯨)
■ユーモアたっぷりな色っぽさ!トマトが抜群に効いています!。(光明)
■それしかすることがない二人。トマトが新鮮にも猥雑にもとれる。(佐藤日田路)
■取り合わせのトマトが効いています。(渕上信子)
■好ましい。(信治)
■トマトが暑苦しいから行動がガサツに。早く秋にならないかな(マリオ)
■生活の中の脱衣って感じがして、こういう脱衣も自分は好きです。(西川火尖)
■色気がないなあと思わせてからの「トマト」の唐突。何やらエロティシズムを感じます。『愛の嵐』のジャムに比べると、トマトには随分と健康的な情事の香りがしますが。(冬魚)

話し声の主明らかに昼寝覚め  かよ

話せばわかるブーゲンビリア咲く  赤野四羽
◯ハードエッジ◯あほうどり◯沖らくだ◯あまね
■「ブーゲンビリア」、私たちの生活から少し遠い草花ではありますが、何もかもすべてのものにボーダーが無くなりバーチャルなものですらも実感として捉えられるがごとく変化して来ています。私たちの将来はこうなるのでしょうね。(あまね)
■そんなおりこうな花ならうちにもほしい。(沖らくだ)
■終戦間際の南方戦線を思った。玉砕をあざ笑うようブーゲンビリアが咲いていた。(あほうどり)
■たんたんと書いています。未曾有の帝都大不穏事件、南方の激戦の島など連想。ばぶげびの濁音は爆音か阿鼻叫喚か(ハードエッジ)

話だけ聞けば海月のことと思ふ  西川火尖
◯なかはられいこ◯かんな◯竹井紫乙◯照屋眞理子◯一実
■見れば海月ではない?!しかしやはり海月を思わずにはいられない。(一実)
■ぽっと投げ出された言葉。何だかよく分からない。けれども、海月という言葉が連想させるイメージだけは伝わってくる。水族館で見た海月を美しいと思ったこと、或いは「海月なす漂える‥」の混沌。ふわふわと捉えどころのないイメージそのままの句は、しかしなぜか楽しく、俳句ってそういうものかも知れないと勝手に思ってしまった。(照屋眞理子)
■美しく書かれているけれど、これって結構な悪口。くらげの比喩を考えると、笑えます。(竹井紫乙)
■実は、海月ではなかったのです。海月の茫洋感隠れなし。(かんな)
■「話だけ聞けば」というありふれたフレーズがうまく活かされてると思います。水母ではなくくらげでもクラゲでもなく、海月なところに話の内容が暗示されてるような気がします。(なかはられいこ)

話には聞いている花火と違う  曽根主水
◯野口裕◯あまね
■知ってますよ。でも言いたくないのよ。あれでしょう。戦火。(あまね)
■てにをはのアクロバット。(野口裕)

話にもならぬ話を真桑瓜  佐藤日田路
◯村田篠◯羽田英晴
■真桑瓜ってそんなもんです。でも好きです、見つけたら必ず買います。(羽田英晴)
■「話」というものに少々うんざりしている感が出ているのが面白い。(村田篠)

話術などつひぞ磨かず金魚売  由季
◯竹井紫乙◯守屋明俊◯憲子◯黒田珪◯かよ
■金魚とともに歩き、金魚とともに座る。売り声だけはピカイチの金魚売りは今日も金魚とともにゆく。静かな、そして確かな人物が思い浮かぶ。(かよ)
■屋台の金魚には黙っていても大人も子供も寄っていく。だから金魚売はあまりしゃべらない人も多い。じーっとして客の手つきを見ながら先を読んでの動きは早い。話術などなくても、という金魚売の、そして金魚すくいの景をよく詠んだ一句。(黒田珪)
■幼い頃の金魚売の声を懐かしく思い出しました。(憲子)
■金魚売りのぶっきらぼうな口の利き方が「つひぞ磨かず」から想像できる。そう言えば笑顔の金魚売りはついぞ見たことがない。(守屋明俊)
■シブい。「つひぞ」が特に。私も不愛想な方ではあるけれど、これには敵わない。素晴らしい金魚を想像しつつ。(竹井紫乙)

蛞蝓に短き舌のある話  ハードエッジ
◯うさぎ◯笠井亞子◯宮本佳世乃◯クズウジュンイチ◯中村遥◯怜◯佐藤日田路◯Y音絵◯青木ともじ
■えっ、そうなんだ。と思ってgoogleさんに「ナメクジ 舌」と検索をしたところ…。まあみなさま試してくださいませ。(青木ともじ)
■こんなに愛らしい蛞蝓に出会ったのは初めてです。「蛞蝓」と「話」には「舌」の字が含まれるという事実もまた、かけがえのない出会いのように思われました。蛞蝓の「じ」から句末へと及ぶi音の連鎖も見事です。(Y音絵)
■ナメクジが短い舌でカマトトぶってなぁ。あいつはいったいを喰っているんだろう。(佐藤日田路)
■虫偏に舌、削り食べる舌。ぞわっ。(怜)
■蛞蝓の舌の話、詳しく聞いてみたい。蛞蝓は草食性。(中村遥)
■ナメクジの歯舌は確かに短くてかわいらしい。(クズウジュンイチ)
■虚の色が濃いなぁと。話で止めたとこもでたらめっぽくていい(宮本佳世乃)
■きゃっありそうだ。(笠井亞子)
■短い、というところがいいです。話と落としたところも上手いと思います。(うさぎ)


10句作品 進藤剛至 清水

$
0
0
クリックすると大きくなります


進藤剛至  清 水

更衣さびしき腕を組みかへて

まだ顔をもたずに伸びて青芒

清水汲む零れぬやうにこぼしつつ

祭より抜けて祭の音聞こゆ

すべり込むやうに晴れたることも梅雨

炎天の裏にひんやりある宇宙

都を染めてゆくみんみんの一粒よ

ペン先の滑りやすきも夜の秋

席すこしづつ埋りゆく残暑かな

こほろぎの畳みそんずる翅に風

週刊俳句 第485号 2016年8月7日

$
0
0
第485号
2016年8月7日


2015「角川俳句賞」落選展 ≫見る
2014「石田波郷賞」落選展 ≫見る

進藤剛至 清水 10句 ≫読む
……………………………………………

「最初」を探す旅
小林良作「八月や六日九日十五日」を追う
……平山雄一 ≫読む

名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫 (26)
起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希
……今井聖 ≫読む

あとがきの冒険 第3
象・俳号・ロケット
山田露結ホームスウィートホーム』のあとがき……柳本々々 ≫読む

【真説温泉あんま芸者
「〈それ誰〉俳句」の世界……西原天気 ≫読む

【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
生駒大祐 答えしかない問い ≫読む

瀬戸正洋 「続」論 ≫読む

……………………………………………
『週刊俳句』誌上
休み納涼句会 

選句と作者一覧【糸】 見る

選句と作者一覧【電】 ≫見る

選句と作者一覧【話】 ≫見る

打ち上げパーティー会場 ≫顔を出す

2016年8月7日17:30追加
「夏休み納涼句会」運営顛末記……読む
……………………………………………

俳句の自然 子規への遡行52……橋本 直 ≫読む

八田木枯の一句
風の中の銀河となりぬ誘惑へ……太田うさぎ ≫読む

自由律俳句を読む 146
「荻原井泉水」を読む〔1〕……畠 働猫 ≫読む


〔今週号の表紙〕第485号 休暇の島……橋本 直 ≫読む

後記+執筆者プロフィール ……西原天気 ≫読む



 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る




 
 ■新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ ≫読む
週俳アーカイヴ(0~199号)≫読む
週俳から相互リンクのお願い≫見る
随時的記事リンクこちら
評判録こちら

〔今週号の表紙〕第486号 海月 牧岡真理

$
0
0
〔今週号の表紙〕
第486号 海月

牧岡真理





あちこちに朝日に光る塊がある。潮が引いて浜に置き去りにされた海月だ。「ヤベ!」と思ったときには自力で海に戻れない状況にあった。ここがふたたび海の中になるには何時間も待たなければならないので、そのまま死んでしまう。

隣には別のヤベ君がいた。赤鱏だ。産卵のため浅瀬へ来て浜に打ち上げられてしまった。海に返してやろうと手をのばしたら釣り人に止められた。尾っぽの毒針にやられるという。顔をあげると松林の高い枝にいた鴉と目があった。

海月は風葬、赤鱏は鳥葬ということか。どちらもうらやましい。


撮影地:稲毛海浜公園(千葉県千葉市)


週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

【八田木枯の一句】原爆忌折鶴に足なかりけり 角谷昌子

$
0
0
【八田木枯の一句】
原爆忌折鶴に足なかりけり

角谷昌子


原爆忌折鶴に足なかりけり  八田木枯

第六句集『鏡騒』(2010年)。

広島の「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木貞子さんは、12歳でこの世を去った。被爆の苦しみを負った彼女は、病床で折鶴を折り続け、千羽鶴を遺した。

平成28年5月27日、アメリカのオバマ大統領は現職大統領として初めて広島の平和記念公園の式典に参加し、歴史的な一日となった。オバマ大統領は平和記念資料館を訪れた際、貞子の折鶴に見入り、さらに自分で折ったという四羽を資料館に贈った。そのうち二羽が資料館に展示されて大いに話題となっている。大統領の折鶴を見ようと、資料館の見学者が増えたほどだ。

掲句〈原爆忌折鶴に足なかりけり〉の〈原爆〉と〈折鶴〉は作品としては近過ぎる取り合わせかもしれない。だが「足なかりけり」と描写して、読者を一瞬ぎょっとさせる。確かに折鶴は翼、胴、頭部はしっかりあるが、「足」は省略されている。足で立つことはできないので、胴を固定しないと広げた翼はどちらかに傾いてしまう。糸に通して飛行の姿で飾られればよいが、元々はとても頼りない形態なのだ。

木枯は〈足〉の喪失感を強調することによって、原爆のみならず、戦争によって失われたいのち、また身体を損なわれても過酷な生涯に耐えねばならなかった、あまたの戦争被害者への思いを表したかったのだろう。〈足〉のない痛みと哀しみを負った〈折鶴〉に心からの祈りを籠めていたのだ。

同時発表作に〈生者より死者暑がりぬ原爆忌〉がある。木枯は徴兵検査で病気のため、兵役をかろうじて免れた。いつも〈死者〉のことが頭から離れないのは、自分は戦地に行かずに済んだが、代わりに友人、知人が命を落としたという痛恨事があるからだ。長崎と広島の〈原爆忌〉のころの熱風の中、〈死者〉が生身の人間よりも暑がるというのは、身近にその存在を生々しく感じているゆえだろう。

〈足〉なき折鶴を供華として、大戦後も木枯は戦争句をひたすら詠み続けた。また今年も終戦記念日が巡ってくる。泉下で木枯は、この世の〈生者〉のために折鶴を作ってくれているかもしれない。



【週俳7月の俳句川柳その他を読む】ですですですますますます 野口 裕

$
0
0
【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
ですですですますますます

野口 裕


毛皮の空洞からもれる細い目 竹井紫乙

昔、川柳「バックストローク」大会でのシンポジウムテーマが「悪意」だったことがあります。この句で、それを思い出しました。
細い目だからと言って「悪意」があると決めつけるわけにもいかないでしょうが、毛皮と合わせると、ちょっと怖いキャラクターを想像させます。

砂時計のくびれを落つる蛍かな 遠藤由樹子

蛍と作者が同一化してゆくような自己愛の一過程でしょうが、いっそ砂時計中の砂一粒ひとつぶがすべて蛍だと思ってみましょう。
虚空に浮かぶ巨大な砂時計に閉じ込められた蛍の群れが光りながら滑り落ちてゆく。なかなか壮大です。

ボルゾイの匂へる梅雨の真昼なる 野口る理

ボルゾイはロシアのオオカミ狩り用猟犬とのこと。特集「BARBER KURODA」から、よくそんな犬が連想されたと妙な感心をしました。

アーモンドバターひと瓶費やして結い上げられた甘やかな髷 石原ユキオ

丁髷を結っている若い人を電車で見かけたことがあります。月代も綺麗に剃り、見事なものでした。惜しむらくは、液に浸かりすぎた明太子のように、髷がくたっとなっていたことです。アーモンドバターを使えばよかった。

翠陰か不意なるナイフ簡易椅子 井口吾郎

回文とは不思議な言葉遊びです。
句を声に出して読み、録音した物を逆再生しても元には戻りません。日本語の最小表現単位である、ひらかなまたはカタカナで綴ったものを逆から読めば元の句がようやく再現できます。
「翠陰」をどう読むのか一瞬迷いましたが、「簡易椅子」を逆から読んで「スイイン」と読むのだと分かりました。便利なところもあります。
ヤーさんになってしまったり、パンチパーマが安かったり、急にナイフが出てきたりと、ここまで「BARBER KURODA」は怖いところのようです。

黄泉の国に点々とスターバックスが並ぶ風景 いつかきた道 黒田バーバー:柳本々々

ついに、死者が出てきたようです。
作者名を:で繋ぎましたが、べたに=の方がよいかも知れません。古典の世界なら詠み人知らずの歌を特定の他者に仮託するのは、よくある話ですが、現代でそれがうまく行くかどうかは微妙。裏で糸を引く々々さんが見えています。

マンホール叩いておりし神無月 曾根 毅

特集だからと言って複数の句を連ねる必要はありません。ですが、物足りなく見えるのも事実。読者としては、作者が何句も書いて、残したのがこの一句と思えばよいでしょう。残らなかった句群を想像しつつ。

木の下に田中あまがえるがそよぐ 福田若之

日本語の名字は、○○の中とか、□□の上とか、ご先祖が住んでいた場所を指し示すようなのが沢山あります。田中さんの家は田んぼに取り囲まれていたのでしょう。引越が繰り返されている内にそんなことは忘れ去られ、誰も何も感じないでしょうが。
だから、田中さんは田んぼと何の関係もないのか?それがそうとも言い切れない。
句では、木の下(これも名字みたいでややこしい)に田中さんがいて、田中さんは田の中で、そこにあまがえるがすいすいと泳いでいる。
まるで、田中さん自身が田んぼのようで、田中さんの体内の田んぼにあまがえるが存在するような錯覚に陥り、落語の「あたま山」と似た世界が広がります。「一歩ずつ田中にあめんぼがさわぐ」も同工。表題の「田中は意味しない」を額面通りに受け取るのは無理のようです。

終バスの煌々とあり夏は来ぬ
アート紙にかすかな湿りその一枚一枚に棲む浅丘ルリ子 西原天気

有名人の人名入りの短歌を基盤にしつつ、五七五をそこに打ち込むという凝った造りです。表題「かの夏を想へ」が、小野茂樹風でもあります。そこに終バスと来れば穗村弘と、さらに話は複雑になる。浅丘ルリ子からは、日活映画あるいは寅さんと連想が広がる。ひとつひとつの語を丹念に拾ってゆけば相当の字数を費やしてしまうことになるでしょう。
したがって、濃厚な味わいの取り合わせに、「夏は来ぬ」というさっぱりした措辞を効かせることで全体を引き締めていると、料理レポーター風にまとめなしゃあないのです。

列の崩れて湧水に触れてゆく 村田 篠

何の列かは分からないが、炎天の最中にじりじりとしか進まない列が途中で崩れています。そこら辺りだけが、鬱陶しさを忘れて若干はしゃぎ気味。湧き水のせいかと、列がそこまで来て納得する作者もまた、その瞬間だけは列のことを忘れています。読後に清冽な印象が残ります。

夏団地食卓塩のびんの肩 上田信治

夏団地と言われただけで、深夜にしか帰ってこない夏休み中の中高生や、親の方も夜に居たり居なかったりの崩壊している家庭を思い浮かべてしまうのは、ある種の映画や小説の読み過ぎかも知れません。
ですが、こう書かれると、帰宅したときに迎えてくれたのが食卓塩だけだったようにも読めます。梅干しではなく、食卓塩。これが現代の家庭像でしょうか。


遠藤由樹子 夏の空 10句 ≫読む
竹井紫乙 ドライクリーニング 10句 ≫読む
特集 BARBER KURODA ≫読む
福田若之 田中は意味しない 10句 ≫読む
西原天気 かの夏を想へ ≫読む
村田 篠 青 桐 10句 ≫読む
上田信治 夏団地 23句 ≫読む

【週俳7月の俳句川柳その他を読む】記憶の集積 松野苑子

$
0
0
【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
記憶の集積

松野苑子


自分とは、記憶の集積。その記憶を引き寄せ、俳句を読む。俳句を読むとは自分を覗いているのかもしれない。

みづうみに向く籐椅子の遺品めき  遠藤由樹子

籐椅子は新しいものでも飴色で時間を感じさせる。湖は静かで広く明るい。部屋は薄暗く、飴色の籐椅子には誰も座っていない。けれど一瞬、座っている誰かが見えたような気がしたのかもしれない。「遺品めき」という措辞が時間と命の切なさを照らし出している。

クーラーのリボンへろへろ純喫茶  西原天気
あぢさゐに囲まれてゐるあぢさゐのさなかに眠れ徳川夢声

懐かしい。純喫茶という言葉も床しい昭和の喫茶店。確かにクーラーにリボンが付けてあったなぁ。俳句の後の文章は、何故必要なのかよく分からないけれど、徳川夢声は、嗚呼、遥かなる愛しき昭和。

サングラスして天国のやうな街  村田 篠

サングラスの色はいろいろ。街が天国のようになったのだから、ピンク色かもしれない。だが、天国とはあまりに素晴らしすぎて、シュールで嘘っぽいし、サングラスを外せば、リアルで生臭い現実に戻ってしまう。本当は背筋が寒くなるような恐ろしい句なのかもしれない。

夏団地光る大きな卸し金  上田信治

夏団地がなんとも変な日本語で気になった。しかも、今回の23句のうち16句も夏団地が入っている。ふと、夏の後、ちょっと間をあけてから、団地と読んでみたら、ト書きのようで、なんだか、すんなり状況が入ってくるような気分になった。この句も、団地の蒸し蒸しする小さな台所で、やけに大きく光っている卸し金が迫ってきたのだった。


遠藤由樹子 夏の空 10句 ≫読む
竹井紫乙 ドライクリーニング 10句 ≫読む
特集 BARBER KURODA ≫読む
福田若之 田中は意味しない 10句 ≫読む
西原天気 かの夏を想へ ≫読む
村田 篠 青 桐 10句 ≫読む
上田信治 夏団地 23句 ≫読む

【週俳7月の俳句川柳その他を読む】B級ドリームランド的芳香 小津夜景

$
0
0
【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
B級ドリームランド的芳香

小津夜景


石原ユキオという人は〈作家としての自己〉を客観的に把握しようとする意識がたいへん強く、作品に天然な部分が全くない。もちろんぶっこわれた状態のブツを「あは。こんなになっちゃった♡」と読者に差し出すなど論外で、常によく作り込んだ設定でのみ勝負してくる職人肌の作家だ。

〔特集 BARBER KURODA〕の「アーモンドバター」もまた然り。どうやら石原は、週刊俳句編集部が用意した写真にレトロフューチャーな匂いを感じ、また写真の BARBER KURODA という文字からキリシタン大名黒田官兵衛を想起したようで、戦国&任侠にまつわる強烈にオス臭いネタを、モノレールや回転展望台といった夢いっぱいの産業遺産で包み込み、そこへアーモンドバター&賛美歌念仏の異国風味を添えるといった、たいへん手の込んだ連作に仕上げてみせた。と、これだけでも凄いのに、さらには黒田官兵衛、おさかべ姫、高尾アパート、手柄山、アーモンドバターと、あらゆる具体的名詞を姫路特産品で揃えてみせるといった徹底ぶり。まこと、こだわりの職人である。

職人といえば黒田官兵衛もまた同じく、この連作では理髪店を営んでいるようす。元軍師ゆえ開店の報も法螺貝ですませてしまう官兵衛の姿には、時空観念の底が抜けたB級ドリームランド的芳香がみごとに鮮やかだ。

ドリームランドといえば、廃線モノレールに「ドリーム開発ドリームランド線」という有名ラインがあるけれど、どうしてモノレールというのはあんなにも時空のバグをふっと超えてしまいそうな、どこかゆがんだ情趣のある乗り物なのだろう? 回転展望台にしてもそう。こちらは乗り物ですらないのに。だが石原の〈手柄山展望喫茶回転が速まりついに消えてしまった〉にしても手柄山回転展望台(なんて戦国&レトロフューチャーな固有名詞!)はタイムマシンに見立てられているようだし、みんな同じことを思うようだ。 

 開店を告げる法螺貝とどろいて本日パンチパーマ半額

なんて明るく楽しげな光景だろう。しかもお日さまや土ぼこりの匂い、電柱や張り紙、散歩する犬や自転車、行き交うご近所さん、その他ここには一切触れられていないあらゆる書き割りが一瞬で見渡せてしまう。たいへんな凄腕、かつ知的な作品。

 モノレール廃線したる悔しさに夜毎ふるえる高尾アパート

あはは。こういう五感に訴えかけるタイプの擬人法、大好き。確かにわたしがあのアパートだったとしてもむせび泣くとおもう。無念すぎて。わたし、昔はトリュフォーの映画みたいにキュートだったのに…って。

 アーモンドバターひと瓶費やして結い上げられた甘やかな髷

石原の連作には、こういったスウィート・テイストな作品が挿入されていることが多い。読者の(自分の?)甘味欲を刺激するのが好きな人なのである。あとアーモンドオイルは本当に髪にいいとおもう。

ところでこのレヴューを書くのに法螺貝についてネットで調べていたら、法螺貝の通信販売のページをみつけたのだが、商品の説明にすごくドキドキしてしまった。「新発売 戦国法螺貝 軍師 ミニ B級品 高級房付 よい音がでます」とか「ストラップとして首から提げるのに適した長さです。野山で吹きながら歩くには最適な大きさです」とか書いてある。野山を歩きながら吹くって、一体いつの時代の遊び? でもちょっと吹いてみたい。おずおずと、小さな音で。

あ。最後にひとつ書き忘れ。石原ユキオが今回の特集に一人だけ短歌で馳せ参じたところ、とてもいいな、と思った。



遠藤由樹子 夏の空 10句 ≫読む
竹井紫乙 ドライクリーニング 10句 ≫読む
特集 BARBER KURODA ≫読む
福田若之 田中は意味しない 10句 ≫読む
西原天気 かの夏を想へ ≫読む
村田 篠 青 桐 10句 ≫読む
上田信治 夏団地 23句 ≫読む

あとがきの冒険 第4回 無い・鈴木・剝奪 斉藤斎藤『渡辺のわたし』のあとがき 柳本々々

$
0
0
あとがきの冒険 第4回
無い・鈴木・剝奪
斉藤斎藤渡辺のわたし』のあとがき

柳本々々


今までは書かれたあとがきについて考えてきた。今回考えてみたいのは「あとがき」が書かれなかった場合についてである。言わば、〈不在のあとがき〉。「あとがき」が書かれずにその書物が終わった場合、いったいどういうことになるのか。

ここで取り上げてみたいのが斉藤斎藤さんの歌集『渡辺のわたし』である。

この歌集に顕著なのが〈固有名の相対化〉だ。それは、歌集の表紙からすでに表れている。

表紙には「渡辺のわたし@斉藤斎藤」と大きく記されている。一見してわかるように「渡辺」「斉藤」「斎藤」という怒濤の名字の羅列はあるが、ここには〈名前〉がない。名字ばかりなのだ。しかも表紙には薄く大きく「渡辺のわたし」「斉藤斎藤」とタイトルに重なるように印刷されてあるのでさらに名字は増幅している。裏表紙にもそれが〈反転〉したかたちで印刷されている。だからこの歌集の装幀には名字が9つもあるのだ。

名字とは、なんだろう。

名字はあくまで〈家〉をあらわすものだ。たとえば私の「柳本」なら〈柳本家〉をあらわしている。しかしそのままでは私は浮遊したままだ。そこに〈々々〉という名前が与えられることで、名字=家は、ひとりの固有の〈わたし〉に収束=終息する。名字→名前というベクトルをもってひとりの人間は差異化されている。

しかし「渡辺のわたし」というタイトルのように「渡辺」から「名前」に向かわず、「わたし」に向かった結果、その名字はどこにも収束しえない。それどころか「渡辺の」とつければ、あなたも「渡辺のわたし」になることができるだろう。

「渡辺のわたし」、「斉藤のわたし」、「斎藤のわたし」。助詞「の」によって〈着ぐるみ〉のように着脱可能な名字とわたし。

名前の不在とは、〈名字〉がモジュールのように取り外し可能になるということなのだ。たとえば次の歌。
私と私が居酒屋なので斉藤と鈴木となってしゃべりはじめる  斉藤斎藤
ここに表れているのは、実は〈わたし〉とは《ただ単に》名指しされることによってしか生じえないものなのではないかという〈相対的わたし観〉ではないか。
アイデンティティとは、制度の派生物を“自然”として受け取ることにほかならない…。犬は犬だ、私は私だ、私は誰々の子だ……こうしたアイデンティティは互いに共通している。それは、とりかえの禁止として在る制度が強いるものであり、更に制度の結果に対して、“自然”に適合することである。 (柄谷行人「文学について」『増補 漱石論集成』平凡社ライブラリー、2001年)
柄谷さんは「アイデンティティ」を「とりかえの禁止」としての「自然として受け取ること」としたが、斉藤さんの歌集にみられるのは、「アイデンティティ」は〈とりかえ可能〉であり、〈非自然として受け取ること〉が可能《かもしれない》なにかである。上の歌において「斉藤」と「鈴木」は「私」と「私」という〈言語レベル〉においては〈等価〉であるように、明日「私」は「鈴木」かも知れないし、きのう「私」は「斉藤」だったかもしれない。それは〈わたし〉が「私」と名指しした瞬間に起きる〈非自然〉のマジックである。「私」には、なんらかの、罠がある。

《だから》、なのではないか。「あとがき」が書かれなかったわけは。

「あとがき」とは実は《わたしの顏》がもっとも出てくる場である。せっかく〈わたし〉を相対化し続けたこの歌集が「あとがき」で最終的に〈わたし〉にとどめをさすわけにはいかなかった。それではなんの意味もない。「あとがき」が書かれず、〈わたし〉は〈わたし〉と一致することをせず、〈ひらいたままで〉歌集は終わる必要があった。「渡辺のわたし」の「わたし」の意味は埋められずにズレたまま終わること、「斉藤/斎藤」の名前のように。

「あとがき」が不在であるとはそうした〈わたしのズレ〉をそのまま引き受けることのあらわれではないか。
ちょっとどうかと思うけれどもわたくしにわたしをよりそわせてねむります  斉藤斎藤
歌集最後の歌だ。もちろん、語り手はそれが「ちょっとどうかと」は「思」っている。でも語り手はそのことについては語ろうとしない。明かすことはせず、「ねむり」につく。「あとがき」を手渡されなかった読者は、〈Xのわたし〉である〈あなたのわたし〉を引き受けなければならない。名前を奪われた誰でもない・あなたのわたしとして。
カラスが鳴いて帰らなければなにひとつあなたのわたしはわからないまま  斉藤斎藤

(斉藤斎藤『渡辺のわたし』ブックパーク、2004年 所収)

【句集を読む】渚まで 川合大祐『スロー・リバー』を読む 西原天気

$
0
0
【句集を読む】
渚まで
川合大祐スロー・リバー』を読む

西原天気



まず言っておかねばならないのは、ここに何をどう書いても『スロー・リバー』という句集の面白さ・豊かさに水を差すことになる、ということ。ならば、書かなければよい。いや、それはそうなのですが、水を差してまで、この句集を紹介したいということかもしれません。

ロマンチックな言い方になりますが、1冊が、鳴っている感じです。楽音だけではなくノイズも。ことばが壊れる音も、ことばが生成していく、例えばブクブクといった音も。

『スロー・リバー』体験といえるでしょう。読者がある句集を体験する、という言い方は、おいそれとはできません。



「Ⅰ.猫のゆりかご」「Ⅱ.まだ人間じゃない」「Ⅲ.幼年期の終わり」〔*1〕の3章から成る『スロー・リバー』はかなり明確な構成をもっています。

「Ⅰ.猫のゆりかご」はコンセプチュアルで挑戦的な句群。冒頭の1句目からして〈ぐびゃら〉〈じゅじゅべき〉〈びゅびゅ〉といった意味不明の造語〔*2〕のかたまり。わけがわからないなか、「挑む」の3音が、この句集全体が、作者・川合大祐の「挑み」の宣言であるとも思えてきます。

以降、〈…〉〈/〉〈▽等の記号、句読点、一字空き、ルビ等々、句にはほとんど使用されることのない記号(いわゆる約物=やくもの)〔*3〕をふんだんに用いて、従来的な表記を乱暴に揺さぶりながら、次々とアイデアを伝えてきます。難解というのではない。変則的な表記が句の成立に巧みに寄与する。「アイデア」と呼んだのは、成果がもたらされているからです。

従来的なものの破壊(これは川柳・俳句が共通してなんらかの程度に持っているテーマ)は、表記の仕掛け以外に、意味の〔はぐらかし〕からもアプローチされています。

桜田門外の変な日であった  川合大祐

あるいは、「これはパイプではない」(ルネ・マグリット)式に、

我思う「これは川柳ではない」と  同

自己言及は、この句もそう。

中八がそんなに憎いかさあ殺せ  同

中八の是非・可否が問題なのではない。この句が中八であることがこの句のすべて。

あるいは、

だからこの句のメタファーに気づいてよ  同

自己言及的と同時に批評的。



ひとつ重要なことは、多種多様な試みや破戒的な句の成り立ちを、たしかな韻律(もちろんのこと五七五を土台とする韻律)がしっかりと支えていることです。

どの句も、音楽性を備えている。言い換えれば、声になっている。これは強調すべき美点です。



「Ⅱ.まだ人間じゃない」は、〈のび太〉に始まり〈のび太〉に終わります。固有人名の多い章。ただし、人名が主たる材料ではなく、人名が表象する出来事や物語を、句が参照する感じです。

出現する語は、人名で〈どらえもん〉〈ジャイアン〉はもちろんのこと〈島耕作〉〈タモリ〉〈夏目漱石〉〈クロサワ〉〈ゴジラ〉〈プルースト〉〈ムーミン〉〈ゴレンジャー〉〈写楽〉……等々。地名で〈マコンド〉。

これらは作者の暮らす/暮らしてきた時間/時代が色濃く反映しているようでもあります。

ついにいまゴトーが来たら困ったね  同

永劫が7~11時だったころ  同

それは、世紀の変わり目の前後数十年の現代史のようでもあり、作者の自己紹介(来し方)のようでもあります。



「Ⅲ.幼年期の終わり」では、前2章のような明確な傾向を(私は)見いだせません。のびのびとして多様な句群としか、いま(の私)は言いようがありません。「Ⅰ」でコンセプトを、「Ⅱ」で参照を提示し終え、「Ⅲ」は存分に〔川柳する〕〔ことばする〕といったノリでしょうか。ヘタな比喩でいえば、川(スロー・リバー)は河口に到り、汽水域の豊穣さと海をのぞむ視界を得た。とにかく、おもしろい、楽しめる(これまでの章もそうでしたが)。

意外だがきれいなものはうつくしい  同

随分と弁当的な遺書である  同

楽譜中どの暗号も僕を指す  同

ことばがことばであるためには、ことば自身が身をよじったり跳んだり振り向いたり、そうしたいろいろな運動をかさねて、やっとことばになるのだなあ、と。

多くを引くのは趣味ではないので、最後に一句だけ。

渚なるものが世界にあるらしい 同

この句は、『スロー・リバー』に身を任せて、そこに流れ着いた私としては、とても感動的な一句なのです。



◆購入・問い合わせ等
http://senryusuplex.seesaa.net/article/440918575.html
http://azamiagent.com/modules/myalbum/photo.php?lid=47&cid=1



〔*1〕『猫のゆりかご』はカート・ヴォネガットのSF小説(1963年)、『まだ人間じゃない』はフィリップ・K・ディックのSF短篇集(1980年)、『幼年期の終わり』はアーサー・C・クラークの長編SF(1953年)。ついでに『スロー・リバー』はニコラ・グリフィスのSF小説(1995年)。

〔*2〕意味不明の造語は、この句のほかにも登場する。例えば《今日もまたじょびを墓場に埋めてやる》。擬態語でもなさそうな〈じょび〉。この正体を探ってもムダだろう。ことば、ことばの伝達、ことばの流通は、いつも〔不可能〕をともなっている。それはこの句集のテーマのひとつかもしれない。

〔*3〕カギ括弧を用いた句群は、初出を小誌掲載の「檻=容器」に見出だせる。



〔付記〕先行するレビューとして以下を挙げておきます。

小津夜景 これがSFの花道だ
http://yakeiozu.blogspot.jp/2016/08/sf.html
(…)川合大祐にとってのSFとは、ほかには何ももたず、ただ己の想像力だけを武器にして孤独を生き抜いた時代に固く握りしめていた、今も手に残る銃弾のようなものであるにちがいない、と思う。

竹井紫乙 感想(川柳)
http://shirayuritei.jimdo.com/%E6%84%9F%E6%83%B3-%E5%B7%9D%E6%9F%B3/
ことばそのものに対しての懐疑が多く表現されている。加えて川柳について、定型について、川合さんの考えというものが句集全体を通してはっきり表現されている。(…)全体的に、肯定の世界だと思う。


【句集を読む】都市生活者の不穏と安堵 小久保佳世子『アングル』 生駒大祐

$
0
0
【句集を読む】
都市生活者の不穏と安堵
小久保佳世子アングル

生駒大祐


雑踏を倦みては慕ひ夾竹桃  小久保佳世子

小久保佳世子『アングル』(2010年1月/金雀枝舎)には都市の景色、それもどこかに不穏さを孕んだ景がよく現れる。

エスカレーターの横顔循環春満月  同

中心にブランコ化学工場跡  同

屏風絵の秋翳として監視員  同

「エスカレーターの横顔」と満月の取り合わせ自体はどうとでも処理できる素材であるが、「循環」と置くことで字余り・漢語の効果が出る。おそらく、その横顔は無表情だ。
ブランコという「子供のもの」の遊具も、化学工場の跡地に置かれることによってあくまで「大人が作ったもの」であることが強調される。

この作者は屏風絵の美しさに素直に感じ入ることはしない。なぜならそこには「翳」としての監視の目があるからだ。小久保は屏風絵自体よりも、都会にあってはその優美に必然の要請として生じるヒトの存在に着目するのだ。

そのように都市景が描かれる一方で、半ば驚くほどあたたかな句も句集には時たま現れる。

白猫のごとき春日を膝の上  同

鶏頭花馬鹿と言はれて嬉しくて  同

編み耽りセーターの首伸びてゆく  同

日の当たる膝の暖かさを美しい白猫に喩え、気の置けない人ならではの言葉に無邪気に喜び、セーターを夢中で編んでいる場面のよくある何気ないおかしみを詠む。

そこにあるのは、親しさによって生じる人間関係の暖かさの肯定である。

小久保の批評的都市詠は、都市への一方的な否定の眼差しからなるものではない。小久保はおそらく人間とその営みが好きで、それが失われる場としての都市に批判的感情を覚えているのではないか。

最初に挙げた一句には、都市の中で人が行き交う雑踏が詠まれている。雑踏は人間で構成されているが、そこにあるのはあるとしてもごく少数の人間関係であり、大方は「孤独」が多を構成しているにすぎない。小久保はその孤独の集合としての雑踏を倦み、しかし同時に人々の中にいられることによるかすかな安堵感を慕って雑踏の中にいる。

人によって植えられたにすぎない仮初めの自然物としての夾竹桃を詠みこんだのは、その相反する感情の揺らぎの中で見た作り物ではない美しさに心惹かれたからであろうか。


【句集を読む】一日の次の一日 池田澄子『思ってます』の2句 西原天気

$
0
0
【句集を読む】
一日の次の一日
池田澄子思ってます』の2句

西原天気



池田澄子句集『思ってます』(2016年7月/ふらんす堂)に、いわゆる池田澄子調が数多く並ぶなか(安定の品質)、一読後のいちばんのお気に入りはこの句。

日は雲の奥を落ちつつ大晦日  池田澄子

池田澄子についてまわる「口語」調でもなく、表立って洒脱(池田澄子句における賞賛の要素)でもなく、キャッチーにキュート(同前)でもないこの句が自分にとっての「いちばん」であることは不思議だが、句を好く、のに合理性はないから、この不思議を、自分で面白がっている。美味しさを二度味わうように。

そして、次の句、

元旦でありぬ起きるかまだいいか  同

まさしく池田澄子調。これを前掲句と並べて、三度目の美味しさ。


ある一日があって、明ければ、次の日。運良く目覚めれば、次の日。このシンプルな事実を私たちは生きている。俳句は、この「シンプルさ」をうまい具合に私たちの心に響かせ、伝えてくれるシロモノ。それを再確認させてくれる句集でしたよ、『思ってます』は。


※一般論で結末してしまいましたが、「一般」を受け止められるのが池田澄子句威力であり美点(へんな理屈だなあ、おい)。その意味では、俳句プロパー向けの異常価格2,700円ではなく、一般書籍として書店の棚に並んでほしかった本。

【句集を読む】140億年の壮大スケールで描く俳諧的ちまちま世界 マイマイ『宇宙開闢以降』 西原天気

$
0
0
【句集を読む】
140億年の壮大スケールで描く俳諧的ちまちま世界
マイマイ宇宙開闢以降

西原天気


小ぶりの正方形(134mm✕134mm)、本文36頁。この小ささ・薄さが、高い企画性(ひとつのテーマ・いっぽんのストーリー)とよくマッチした句集。言い方を換えれば、えんえん分厚いページ数でやられても困る。そのへんのこと、すなわち読者の腹具合がよく考えられた句集。

(気遣い・心配りは「本のかたち」以外でも随所に見られるのです。そのへん追い追い)

最初のページはプロローグ。「カウントダウン321…」で次のページへ。

インフレーション宇宙一様に淑気  マイマイ

インフレーションで切るのではない。「インフレーション宇宙」。耳慣れないが、だいじょうぶ、脚注(6ポイント、ちっちゃい!)で用語解説がある。

(句集に脚注はそぐわないとおっしゃる方もいそうだが、科学用語の解説に限られているので、違和感がない。俳句はやっぱり「文系」なのだ。「理系」の知識はこうしたかたちで「与えて」もらったほうがいい)

この句集、宇宙誕生から人類誕生あたりまでを俳句で追う趣向。その処理法は、上に掲げた句でもわかるように、きわめて俳句的。宇宙科学的なネタと有季定型の出会い、ってな感じ。

フィクションの質(どの程度、どの方向に虚構的か)に幅がある点も、たぶんになりゆき的ではあろうけれど、美点。

色薄くなる風船の膨らめば  同

は「膨張する宇宙」とからめなくても、風船の(軽妙な)描写として読める。このあたりが虚構度〔低〕。

宇宙背景輻射(おうしゃ)布団を出られない  同

は虚構度〔中〕程度か。

三葉虫石の瞳のみる虹よ  同

は虚構度〔高〕のファンタジー。

さらには、

亀鳴くや大地支ふる大亀も  同

古代インドのコスモロジーにも範囲が及ぶ。

企画モノという言い方はしばしば低評価と結びつく(テレビ番組等のカジュアルな例)。じっさい余興的に終わることも多いが(それでもいいと思うんだけどね、私は)、この『宇宙開闢以降』は、作者が句を楽しんでいるという作者内部の動因と、読者に親切であろうとする作者外部への意思がうまくバランスされて、結果、「おもしろい」というエンターテインメント究極の成果をもたらしている(というと、大げさか。とにかく、おもしろく終えられるのです。100分程度の長すぎない娯楽映画のように)。



マイマイ句集『宇宙開闢以降』(2016年8月/マルコボ.コム)
≫オンラインショップ

10句作品 加田由美 引き潮

$
0
0

クリックすると大きくなります



加田由美 引き潮

まほろばや乗換へまでの夏夕べ
芭蕉玉解く丸瓦平瓦
青芭蕉かへすがへすに屋根と塀
かたつむり世に無き地図を今ここに
もの言はぬ子のひとことに「水鶏です」
蓮の花福助人形二頭身
九竅を伏せまくなぎを突破する
まくなぎの無礙のかたより尾を曳ける
理科室の鍵を返しに青葉木菟
追ひこさず追ひこされずに踊の輪



10句作品 鷲巣正徳 ぽこと

$
0
0
クリックすると大きくなります



鷲巣正徳 ぽこと

手花火の腕眩しき白さかな
蜩の声に時空の澄みゆける
涼新た鳥のかたちが欄干に
看護師の胸に蜻蛉のボールペン
海渡る翅の連なり秋の蝶
点滴のぽこと終はりぬ牽牛花
何処までも走り続けて花野中
蟷螂の樋を登つて行くところ
おんおんと酸素を吸へば月の前
キリストの頬に青き血秋の虹



Viewing all 6001 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>