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週刊俳句 第486号 2016年8月14日

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第486号
2016年8月14日


2015「角川俳句賞」落選展 ≫見る
2014「石田波郷賞」落選展 ≫見る


加田由美 引き潮 10句 ≫読む


鷲巣正徳 ぽこと 10句 ≫読む
……………………………………………

【句集を読む】
140億年の壮大スケールで描く俳諧的ちまちま世界
マイマイ『宇宙開闢以降』を読む……西原天気 ≫読む

一日の次の一日
池田澄子『思ってます』の2句……西原天気 ≫読む

都市生活者の不穏と安堵
小久保佳世子『アングル』を読む……生駒大祐 ≫読む

渚まで
川合大祐『スロー・リバー』を読む……西原天気 ≫読む

あとがきの冒険 第4回
無い・鈴木・剝奪
斉藤斎藤渡辺のわたし』のあとがき……柳本々々 ≫読む

【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
小津夜景 B級ドリームランド的芳香 ≫読む
松野苑子 記憶の集積   ≫読む
野口 裕 ですですですますますます ≫読む


八田木枯の一句
原爆忌折鶴に足なかりけり……角谷昌子 ≫読む

〔今週号の表紙〕第486号 海月……牧岡真理 ≫読む


後記+執筆者プロフィール ……上田信治 ≫読む



 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る




 
 ■新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ ≫読む
週俳アーカイヴ(0~199号)≫読む
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【週俳7月の俳句川柳その他を読む】涼しさに満ちている  近恵

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【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
涼しさに満ちている

近 恵


今年の夏は、いや既に秋だけど、とにかく暑い。駅から職場まで約10分、ただ歩くだけでまるでサウナに入ったかのように汗が噴き出してくる。更に更年期が追い打ちをかけ、ちょこっと集中したり焦ったりしただけでいきなりの滝汗である。私の夏は汗に満ちている。

みづうみに向く籐椅子の遺品めき  遠藤由樹子

「夏の空」は、そんな暑さが全く感じられない涼しさに満ちている。特にこのみづうみの句。湖面を渡ってくる涼風、夏の設えの籐椅子、そこがかつて誰かのお気に入りの場所で、その籐椅子は気に入られた誰かに腰かけられて一緒に湖からの風に吹かれていて、その誰かがもう来なくなってもずっとそこにある、そんな避暑地の物語を感じる。

風鈴と冷やし毛皮を売り歩く  竹井紫乙
折檻や冷凍毛皮に包まれて
幾万の毛皮が雪崩れ込んで来る

さて、今度は毛皮である。毛皮は冬のもの。暑さに追い打ちをかけられるかと思いきやこれが意外とそうでもない。「ドライクリーニング」という言葉になにか乾燥している語感があるからだろうか。冷やし毛皮なら真夏でも纏えばひんやりとするかもしれない。冷凍毛皮なら尚更だ。毛皮を冷やしたり冷凍したりという予想外のことに思わず引き寄せられてしまう。雪崩れ込んできた幾万の毛皮をまた冷やしたりして売りに行かなくてはならないのだと思うと泣けてくる。

意味ありげに夏の水面を見る田中  福田若之

「田中は意味しない」という一連の作品。実験的だと思う。文字通り「田中」には意味がなく、私でもあなたでも中田でも福田でも子供でもダルマでもいいわけで、ただ「田中は意味しない」と敢えて書いた上で「田中」を連発することで逆に読者が「田中」により意味を感じてしまうという仕掛けというか、そういざなうように作ってあるように感じる。この一句も意味ありげと言っているけれど、多分意味はなく、ただ見ているだけなのだ。繰られて騙されてはいけない。

戦争と三愛ビルの水着かな  西原天気
四角くて丸い世界の中心に馬場正平がゐた熱帯夜

馬場正平といえば言わずと知れたジャイアント馬場である。1938年、日中戦争の真直中に新潟で生まれたジャイアント馬場は、プロ野球選手からプロレスラーへ転進し、61歳で亡くなるその前年までリングに上がり続けた。その馬場がリングの上で穿いていたのが赤いブリーフ型のプロレスパンツであった。三愛ビルで売っていた水着の転用ではないであろうことは語るまでもない。

雨の日のスイッチ固き扇風機  村田 篠

じっとりとした暑さを感じる。ちょっとした苛立ちも。スイッチが固いということは、ちょっと古い型の扇風機だろうか。指でぐっとスイッチを押し込むようにして扇風機をつけるとゆっくりと羽が回り始め、その前に汗ばんだ顔を差し出してやっと安心する、そんな一連の動きが目に浮かぶと同時に、ついそんなときの気分になって自分もちょっと顎を上げて風に当たったような動きを再現してしまう。つい吊られてしまう一句。

ももももと瓶より綿よ夏団地  上田信治

「夏団地」23句のシリーズ物。夏団地という言葉が的確かどうかはよく解らないけれど、おそらく広口の瓶から綿が盛り上がってくる感じを「もももも」という擬音にしたところが可笑しく、いかにもという感じで目に浮かんでくる。確かにぎゅうぎゅうと押し込めた綿が盛り上がってはみ出してくる感じを言葉にするとしたら「もももも」に違いない。


【特集 BARBAR KURODA】

面白い試みで、どれもこれも楽しく読ませていただきました。長い文章の感想を書くのは小学生の頃から苦手なので、後半の短い物語の事は胸の中に留め置くことに。

ボルゾイの匂へる梅雨の真昼なる  野口る理

あの写真からボルゾイとは。というよりも、そもそも数多ある犬種の中から柴犬でもビーグルでもシェパードでもなく、どちらかというとあまりメジャーではないボルゾイという顔が長くて薄い体の猟犬を持ってくるところが野口る理なのかもしれないとか思う。そういえば実家にいた頃、近くの家でボルゾイを飼っている家があったことを思い出した。あの家の人は猟をする人だったのだろうか。

開店を告げる法螺貝とどろいて本日パンチパーマ半額  石原ユキオ

そういえば江戸時代の文化のまま現代のような社会になっているというマンガを読んだことがある。武家姿のサラリーマンが馬で出勤、といったような。月代を剃るような髪型がオーソドックスな時代にパンチパーマはどんな人があててどんな髪型になるのか大いに気になるところ。でもとりあえず、法螺貝の音とともに武士たちがわらわらとバーバー黒田に押し寄せてきて、我も我もとパンチパーマをあててもらう光景を想像すると可笑しすぎる。山口晃という現代美術の作家の絵に、そんなような浮世絵の世界と現代の光景がミックスされたような作品があった。その絵の一部にこんな光景があってもおかしくないなと思ったりもして。

知らぬ土地星が流しかちと濡らし  井口吾郎

全句回文。ある意味力作というより他ない。少し遠くの知らない町をさまよっている感じ。BARBAR KURODAは、どこか知らない町にある、現実とはちょっと位相のずれた世界にあるように思えてくる。

遠藤由樹子 夏の空 10句 ≫読む
竹井紫乙 ドライクリーニング 10句 ≫読む
特集 BARBER KURODA ≫読む
福田若之 田中は意味しない 10句 ≫読む
西原天気 かの夏を想へ ≫読む
村田 篠 青 桐 10句 ≫読む
上田信治 夏団地 23句 ≫読む

後記+プロフィール486

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後記 ● 上田信治


先週というか先々週の週末、めちゃくちゃ暑かったのおぼえてますか。

あれから、朝夕すずしいですね。これは、牙城さん理論によると当然のことなのです。

「俳句」2012年8月号「緊急座談会」読後緊急報告
「輸入品の二十四節気とはずれがある」は間違ひだ!(「里」2012年3月号より小誌2012/8/19号に転載)

これは、ほんとうに目からウロコの論考で、中国の前漢時代には完成していた二十四節気は一太陽年を24等分したものなのだけれど、もともと──

暑さのピークで夏→秋に、寒さのピークで冬→春に、切り替わるようにできているのだと!

立秋のころがいちばん暑くて、あとは、日一日と涼しくなっていくのが、毎年の決まりなんだと!

そうなんだーと思ってると、今年とか楽しいですよ、ほんとうに暦通りで。これ、早く、日本の常識になるといいと思うんですけど。

「暦の上ではもう秋」「直せよ」



では、また来週の日曜日にお会いしましょう。

来週は、スペシャル企画号です。


no.486/2016-8-14 profile

鷲巣正徳  わしのす・まさのり
1952年埼玉県生まれ。2011年 7月より作句を始める。現在、「街」同人・「豆の木」所属。

加田由美  かだ・ゆみ
1945年和歌山県生まれ。1969年「天狼」入会、山口誓子に師事。2012年「翔臨」入会。俳人協会会員。句集に『花蜜柑』(1994年)、『桃太郎』(2016年)。

柳本々々  やぎもと・もともと
かばん、おかじょうき所属。東京在住。ブログ「あとがき全集。」 http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。

■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。あちこちの句会、歌会、詩会に参加。紙媒体は、「垂人」。現在、句集をまとめている最中。

松野苑子 まつの・そのこ
1947年生れ。「好日」「坂」「鷹」の同人を経て、現在「街」同人会長。俳人協会会員。昭和58年度青雲賞、平成元年度坂俳句賞、第8回俳句朝日賞準賞受賞。句集『誕生花』『真水(さみづ)』。苑子の俳句パレットhttp://members2.jcom.home.ne.jp/sono.matsuno/

■角谷昌子 かくたに・まさこ「未来図」同人。俳人協会幹事、国際俳句交流協会評議員、日本文芸家協会会員。詩誌「日本未来派」所属。句集に『奔流』『源流』。 

■畠 働猫 はた・どうみょう
1975年生まれ。北海道札幌市在住。自由律俳句集団「鉄塊」を中心とした活動を経て、現在「自由律句のひろば」在籍。

■牧岡真理 まきおか・まり
1957年東京生まれ。2014年俳句を始める。浦川聡子、佐藤文香の追っかけ。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。


感想・告知ボード 2016-8-18

僕たち五人がオルガンという名で呼び、あるいは、呼ぼうとしているもの 福田若之

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僕たち五人がオルガンという名で呼び、
あるいは、呼ぼうとしているもの

福田若之


僕はこれから、あなたに宛てて、僕たち五人――生駒大祐、田島健一、鴇田智哉、宮本佳世乃そして僕、福田若之――にとって、オルガンとは何を呼ぶための名であるのかについて、書こうと思う。

オルガン、それは僕たちにとって、第一に、具体的な厚みと広がりをもつ季刊の冊子の名だ。オルガンには、無数のことばが表れる。

オルガン、それは僕たちにとって、第二に、ことばを交わす僕たち自身のつながりの名だ。オルガンには、僕たち五人がメンバーとして属している。

オルガン、それは僕たちにとって、第三に、まだ見ぬ何かをいつかきっとそう呼ぶための名だ。いまから一年半とすこし前、創刊メンバーの四人がこのオルガンという名のもとで構想をはじめたときから、この名は、これまでにも「オルガン」と呼ばれてきたあれらの楽器、あれらの臓器、あるいは、アントナン・アルトーが「器官なき身体」について書くときの概念的なあれらの「器官」などともまた別の、これからきっとそう呼ばれることになるだろう未知の何かを指し示しはじめていた。それはいまでも変わらない。オルガンには、これからも続きがあるのだから。

ここまでを読んだあなたは、きっと、それは他の同人誌や結社とどう違うのか、と問うだろう。オルガンはどんな色、どんなトーンをしているのか、と。

こうした問いに対して、僕は、オルガンは無調だ、と答えたい。もちろん、無調の音楽にも調性らしきものが感じられることがあるように、オルガンもまた、何らかのまとまった感じを与えることがあるだろう。けれど、それは、並んだ音が結果的にそうした感じをもたらしたというだけのことだ。オルガンの色は、そんなふうにして、ぽっかりとあいている。だから、僕は、オルガンを《間》としてイメージする。

ひとまず、教会の建築空間と一体化したパイプオルガンや、部屋のように区割りされたもろもろの臓器を思ってもらってもいいかもしれない。けれど、僕たちがオルガンと呼ぶもの、そして呼ぼうとしているものは、必ずしもそれらに似ているわけではない。

オルガンは、どんな《間》だろうか。

オルガンは、たとえるなら、スタジオだ。オルガンでは俳句がうまれる。

オルガンは、たとえるなら、談話室だ。僕たちはここでいろいろなことを話してきた。

オルガンは、たとえるなら、客間だ。僕たちはこれまでにも何人かのゲストをここに招いてきた。

そして、オルガンは、ここにいる僕たちの間柄でもある。この意味で、僕は、僕たちがオルガンのなかにいるというよりも、むしろ、僕たちのそれぞれのうちに、オルガンと呼ぶほかない何かがあって、それが僕たちをつないでいるのだと感じる。

それは、いま、滲んでいる。この時間。この時間だ。

あるいはねびめく 田島健一

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あるいはねびめく  田島健一

あいさすと色鳥うすびへるしんき

おすかりの颱風くびれひただよう

かかりさるともだちいんび秋まつり

蝦蔓にたつみはるけくゆびみつる

いることのまびわりかなし鬼やんま

菊月のねびゆくけしきうぞくまり

うしろあびひうらにおいてくる瓢

ひかる絃 宮本佳世乃

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ひかる絃  宮本佳世乃

くらげ底につき心臓のはやさ

玉虫の背中に色や本閉づる

秋の水脚の間が色あせて

耳は目を追いかけてゐる川に月

かなかなと油絵の具の混ざりたる

市場には林檎の赤の透けてをり

ひかる絃肺胞がひらきゆく霧

tv 鴇田智哉

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tv  鴇田智哉

蜩は胴がブラウン管である

透かしみる羊に青いされかうべ

揚羽蝶からわらわらと紐が出て

指が画をぐるぐるにして飛ばす蛇

めりめりとしたるパラソル状の祖父

滝だとは知らない穴を見てをりぬ

かなかなのこゑの数だけある画像

バックナンバー 福田若之

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バックナンバー  福田若之

『週刊俳句』オルガンまるごとプロデュース号 テーマ詠「オルガン」
タイムマシンにたくさんの管風が鳴る

『オルガン』6号 テーマ詠「ゲーム」
冷蔵庫→孤独→クローン、でおしまい

『オルガン』5号 テーマ詠「流れ」
さかのぼるひばりひきちぎれるかひかり

『オルガン』4号 テーマ詠「ざらつき」
霜砂漠濁点のかたわれがゆく

『オルガン』3号 テーマ詠「上五」
上五は穂十五夜ゆれしなう一句

『オルガン』2号 テーマ詠「超能力」
夕涼み暇だしUFOも呼ぼうよ

『オルガン』1号 テーマ詠「芭蕉」
記された夢の桜が消えて在る

秋とオルガン 生駒大祐

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秋とオルガン  生駒大祐

覚えずのはかなさの秋来りけり

秋めくことオルガンの鳴り止まぬこと

見せ消ちの秋をとどめて深吉野は

オルガンのペダルなりけり秋の声

よくぞ立つ秋も日暮の干拓地

仲良しの秋とオルガン何話す

水煙秋の言葉に立ちのぼる

私も答えてみました 寺澤一雄

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私も答えてみました

寺澤一雄


宮本佳世乃さんから、「あなたとオルガン」という題で原稿依頼が来た時、まず創刊号から6号まで揃っていることを確認しました。メンバーの方々とはどこかで句会をやったこともあり、「オルガン」は馴染みの同人誌という感じでしたが、熱心な読者でもなく、いつかはじっくり読まねばと思っていましたので、良い機会でした。 

毎号、同人が質問を出して、同人それぞれが回答し、その回答をもとに座談会をしています。その質問に答えてみました。


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Q1 あなたは俳句を書くとき、どのような読者を想定していますか?
A1 具体的な読者を想定して書き出すことはありません。私の句を最初に読むのは私で、読者としての私が楽しめる一句を書いているのかもしれません。つぎに私の句を読むのは句会の参加者だから具体的な顔も浮かべば、名前もわかりますが、句を書くときに、それらの人たちを想定することはありません。句会用の自選の時に無意識に想定しているかもしれませんが、あまり役に立つ想定にはなっていません。

Q2 読者を想定しない場合はありますか?
A2 Q1の答えからほとんど想定しないと答えざるをえません。

Q3 「あなたは俳句を、誰に向けて書いていますか?」はQ1と同じ問いだと考えますか。
A3  Q1とは違う問いと思います。俳句を挨拶性という側面で捉えると、読み手ではなくとも誰かあるいは何かに向けて書くということはありうることです。私の場合は挨拶は苦手なので、誰かに向かって俳句を書くこともほとんどありません。


3
Q1 あなたの俳句にとって「仕事」とは何ですか。
A1 この問いにおける「仕事」を通常月曜日から金曜日まで昼間の最低8時間従事している会社の仕事と解釈すると、今のところ俳句を書くためには必要なものであるけど、事情が許せば、仕事がなくても俳句を書くことはできます。またその「仕事」が俳句の内容に影響することはほとんどありません。

Q2 あなたにとって俳句は「仕事」ですか。
A2 俳句を書くことは楽しみなので、基本的には「仕事」ではありません。本当に何年かに一回、原稿依頼で俳句あるいは俳句関係の文章を書くとき、これは「仕事」かと思うことがあります。
あまりやったことはないのですが、俳句関係の雑巾掛けとかは「仕事」感があります。俳句形式のために何かやるというのも「仕事」かもしれませんが、私はこれらの「仕事」とは今のところ無縁です。

Q3 あなたは俳句以外に「仕事」を持っていますか。
A3 「仕事」を持っています。


4
Q:あなたは震災俳句についてどう思いますか。また、どのように関わっていますか。
A:震災俳句という言葉は知っていますが、東日本大震災に関連した俳句に対して興味がないので集中的に読んだことがありません。当時の句会にはそれらしき句が出ていたと思えますが、物忘れが激しくて記憶に残っているものがありません。残念なことかもしれません。
 勤めている会社の工場が宮城県にあり被災したため、震災直後に何度も被災地を訪れました。海辺だがちょっと高いところは津波の被害もなく、地震で倒壊した家も目立たなかったため、ここで、あんな大きな地震が起きたなんて、思えないこともありました。被災した友人と話していると、どこそこの誰々は、本人にとっては非常に大事なことだが、他人が聞くとつまらんことで逃げ遅れて死んだような話しを聞いたりして、これは俳句になるなと思いましたが、やめました。現場にいると見るものがすべて震災に関わったもので、見たものをそのまま俳句にすればすべて震災俳句になったような気がします。そうやってメモ的にいくつもの俳句を書きましたが、やめました。壊れたものや荒らされた景色だけでは作句のモチベーションが上がらなくなってしまったためです。いくら俳句を書いても何も生み出さないし、人の助けにもならない、復興が進むわけでもない。震災俳句って記録としての意味しかないのかもしれません。


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Q1あなたは実際になかったことを俳句に詠んだことはありますか?
A1:いつもなかったこともあったことも俳句にしています。想像力が乏しいため、見たものを基礎に俳句を書くが、書きあがったものは実際になかったものになっています。俳句手帳を持って吟行に行くと、見たものを言葉にすることに徹するので、あったことが俳句になっているような気になりますが、実はそれも嘘なのだろうと思います。

Q2:あなたは俳句で嘘をつくことについてどう思いますか?
A2:倫理的な問題が発生するかもしれませんが、俳句において嘘をつくことは全く問題がないと思います。何を書いてもよしです。たまに句会で、真偽を聞かれることがありますが、基本的には嘘ですと言っています。本当ですという嘘をつくこともあります。

Q3:あなたは俳句における実と虚についてどう考えていますか?
A3:俳句に限らず、人間が作ったものは虚と見えて虚、実と見えて虚。だと思います。どうでも良いことです。読み手がその辺の詮索を書き手に対して行うのも無駄な感じがします。

『オルガン』とBL俳句 松本てふこ

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『オルガン』とBL俳句

松本てふこ


現実と俳句のかかわりで考えると、BL俳句をやっている人たちにとって、俳句が現実である必要はたぶんない。BLっていうのは積極的にデフォルメされた世界であって、たとえば肉体の汗の匂いみたいな話ではない。作られた枠内の世界で楽しければいいじゃないかという感じじゃないかな。俳句ってすごく便利だから、俳句のシステムのなかで書けばいくらでも書けるし、そもそも俳句の良し悪しの基準自体がそのなかで作られている。俳句は俳句の枠組みのなかで評価ができるって意味ではBL俳句もほかの俳句と同じなんだよね。現実は必要ない、俳句は俳句、という考え方は確かに妥当だとは思うんだけど、僕はそれだけだとは思わないんだよね。
(『オルガン』4号、座談会「震災と俳句」田島健一の発言より)
『オルガン』4号の座談会で、BL俳句の話題が登場した時は驚いた。いや、よく考えれば当然のことでもあるのだ。この同人誌のメンバーが「いかに詠む/読むか」を様々な切り口から語り、問い続けていることを考えれば、予想しておくべきだった。だが、身構えた筆者の予想とはうらはらに、冒頭に紹介した田島の発言を除いては、やりとりは「BL俳句ってこういうもの?」という定義の確認に終始していた。そして、「自分たちを喜ばせているものとか、苦しめているものは何なんだってなったときに、本当に楽しい状況とか、耐えられないほど苦しい状況とかは、デフォルメされた世界のこととはちょっと違うんじゃないかな。本当に面白い、という感情の世界は、その先にあると思うんだよね」という田島の発言で座談会自体が締めくくられる。

鴇田智哉の「BL自体が楽しくない人は、BL読みも楽しくない」という発言がメンバーの総意を表していたのか、座談会前半部の「震災俳句」に対する真摯な語り口が一転し、気の進まない話をしているような微妙な空気が行間に流れている印象だった。こういう見方をしてしまうのは筆者がBL俳句に少なからず関わっているからかもしれないが、「何が言いたいんだろう。BL俳句に言及したという履歴を残したかっただけなのかな?」とかなりもやもやした気持ちになった。

BL俳句が受ける批判を読むと、BLというジャンルそのものへの批判に直結するものが目立つ。BL短歌アンソロジー『共有結晶』に参加した際に受けた批判は、「短歌にBLを持ち込むな」という方向性の論調が多かったように思うが、BL俳句において目立つのは、BLジャンルが持つ現実逃避的な性格を指摘し、俳句の形式と合わない、という論調である。冒頭の田島の発言と、2015年11月18~19日にtwitterで北大路翼が発した「真の評価はBLといふ緩衝材を外したときにリアルな性愛を詠み続けられるかだらう。」「BLつて綺麗だからね。生の痛みがないんだ。」「僕が大事にしてるのは手触りとか直接的肉の触感です」というつぶやきはその代表的なものだと私は感じた。


痛みからの逃避にもまた生の痛みがつきものである、と言ってもその程度のものなど、と笑われるのだろうか。虚構と笑われることが前提の表現に、そうと悟られないように自らの切実な苦しみを混ぜ込んでいくお前らの喜びと苦しみなどたかが知れている、ということなのだろうか。時に典型的な男女の恋愛のシーンをなぞっているだけのような筋書きを考えてそうじゃねえだろ、そういうのが嫌だったんじゃないのかよ、と吐き捨てたり、生身の人間として志向するセクシャリティと、そこと切り離して想像力のみで探ろうとするセクシャリティとのズレ、真の理解にはたどり着けないであろうものを描こうとしてしまう自らの暴力性、そういったものに常に苛まれながらも、私はBLを読んできたし、これからもそうだと思う。それを、現実をデフォルメして楽しんでいるだけ、と片付けられるのはどうしても納得がいかない。もちろん、楽しんでいるのは事実だけれども、自分を切り刻んで、煮て焼いて自分で食べているような息苦しさと隣り合わせなんですよ、ということは小声で言っておきたい。


若干感情的な書きぶりになってしまったが、以上のような思いは要するにBLというジャンルへの批判に対する怒りであって、BL俳句、または俳句のBL読み(本当はこの二つをはっきり区別してそれぞれの意義を書いて反論するべきなのだろうが、今は気乗りがしないので書かない)の意義を語りたい気持ちはもっと穏やかなものだ。「作られた枠内の世界で楽しければいいじゃないかという感じじゃないかな」という田島の推測は、私という読み手/詠み手においてはある程度は当たっている。


しかし、例えば『庫内灯』1号に収録されていた


球春の大きな尻が揺れている  山本たくや
 

という句のことを思う時、この句のバカバカしい「球春」のまろやかかつ艶笑の要素を秘めた響きと字面、そして性的に見られていることなど夢にも思わず揺れている尻という光景のめでたさ、という特色はBL読みという枠組みなしで果たして見いだされただろうか、と私は疑問に思うのだ。
 

そして例えば、

躑躅吸ふ固めの盃だと思ふ  藤幹子
 

の句の底を静かに流れる、幼年期から思春期へのゆるやかな変化のきざし、契りの象徴たる「盃」によってもたらされる死の香りをあまさず味わいたいと思うのなら、BLというキーワードを意識して鑑賞するべきなのではないだろうか。

BL読みによって、読み手は句の中に「反転した私たち」の姿を見つける。BL読みは現実の写し鏡であり、「このようではない私たち」「このようには生きられない私たち」へ読者の意識は戻っていかざるを得ない。ご心配いただかなくても、自らの生の痛みに結局戻っていく筋書きは出来ているし、分かりきったことなのだ。


田島だって、「震災と俳句」でこうも言っているではないか。

俳句は自由に作っていいと思う。でも、その自由に作ったものが、自分がもっている現実的な世界の構造を自ずと反映しちゃうんですね。どんなに格好つけて作っても、その人の現実は反映してしまう。
その定義を用いるならば、紛れも無くBL俳句は私たちの現実である。

空気が音になるように 西川火尖

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空気が音になるように

西川火尖
 

彼らがオルガンを出してから気づいたのだが、
私はオルガンという言葉がどうやら好きらしい。
それは、ピアノよりもクラリネットよりも
名前のイメージが絶妙にマッチしているし、
また、ハーモニカにはハーモニカのフルートにはフルートの
というふうに、その名にふさわしい音で鳴る楽器は
他にいくつもあるけれど、オルガンのその、口に出せば、
丸みを帯びた空気が動く感じがするところなど、
「加圧した空気を鍵盤で選択したパイプに送ることで
発音する鍵盤楽器」につけられる名前として、
これ以上ないと思えるほどである。

オルガンが登場する俳句を何句か探してみたところ、
良いと思えるものは、その場所の空気に触れるような句だった

放課後のオルガン鳴りて火の恋し 中村草田男
オルガンはるおんおろんと谿の雪 藤田湘子
オルガンの鞴の漏れしクリスマス 正木ゆう子
オルガンを日向に運ぶ花まつり 井上弘美

微妙な空気のゆらぎや息づきを感じられるこうした句は
とても気持ちがいいし、眼前の景だけではなく、
オルガンの語感そのままに、空気の濃い暖かさとか、
音とか、句に触れている皮膚の感覚というような
俳句によって作られた世界に没入する快感があると思う。

そんなオルガンを名乗る彼らの、創刊にあたっての言葉を引用すると、
そこにはやはりある種の柔かい濃さのようなものが漂っている。

「息をする、と言う。
息を、と。
でも息と、それをするものとは分けられない。
むしろ、息がする、と言ったほうがいい。
息が、するのだ。

俳句もまた、そうではないか。
俳句を、するのではなく、俳句が、するのだ。

俳句がする、4つのオルガン。」
そうだ、そうなのだ。彼らは、俳句がするというのだ。
それはまさに空気を送られたオルガンから音がするように、
空気が音になるように、とても自明なこととして、起こる。
誌面に書かれた彼らの問いかけや、世界のとらえ方が、吸い込まれて、
暗いパイプの中で何があって、オルガンの俳句になるのかは分からないが、
俳句がするたび、彼らと私たちのいる世界が響いているような気がするのだ。
そして、それは、もしかしたら誰もがあきらめたように安心して過ごした
平成俳壇無風の時代の終りを告げる音楽なのかもしれないと、少し思った。

オルガンは書いている 宮﨑莉々香

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オルガンは書いている

宮﨑莉々香


人はものごとを考える時、分類を行いながら、事がらを整理していく。分類すること自体はとても自然の行為である。だから、わたしは「石田郷子ライン」とか、「オルガン調」という言葉がインターネットの海を飛び回ることも、とても普通のことのように思っているし、そのような分類をすることが悪いことであるとも断言しない。しかし、括る見方にこだわりすぎて、ひとり、ひとり、のかけがえのなさが薄まっているのを見ると、それはなんだかちがうことのようにも思ってしまう。 

わたしにとってのオルガンとは、たしかな、ひとり、ひとりである。オルガンっぽい俳句が意味するものもわからなくはないし、お互いに影響をし合っている部分もそれはそれであるのだが、それでもひとり、ひとりだ。けれど、そのひとりひとりは俳句を「書く」という行為そのものから見たときに、オルガンというひとつとして見ることができるのではないかというのがわたしの思うところである。 

わたしは俳句を書くという意識のもとで俳句を書いているつもりである。オルガンの5人も俳句の形式に書かされている人たちではない。見方によっては、そもそもわたしたちは俳句形式によって書くことをあたえられているとも言えるかもしれないが、それは俳句がある一定の形式やルールを持っていることを指す。わたしが言いたい、俳句を「書く」行為とは、一種の作家意識によるものである。「書く」ことに、なにかしらの、あたらしさが付随しないと「書く」にならないということではない。わたしの言う俳句を「書く」姿勢とは、俳句形式に書かされることを危ぶんでいるかどうかである。 

オルガンのひとり、鴇田智哉は『鴇田智哉インタビュー季語・もの足りること・しらいし』(2016626日「週刊俳句」)の中で、有季定型の眼鏡をはずして俳句を見るということを言っている。詳しくは記事を読んでいただきたいが、わたしの解釈では、季語が入っていない句を、有季定型眼鏡をはずして見た時に、「もの」がより一層「もの」化されると言いたいのではないかと感じた。わたしたちが「書く」ことには、ことばが必要で、そのことば自体は「こと」だが、書く対象(「もの」)をより「もの」化するためには、時折季語の持つ情感や本意という「もの」をとりまく事柄(「こと」)が余計になってしまう場合があるだろう。鴇田氏は同インタビューの中で「季語をネタにして、一句についてそれなりに鑑賞文ができあがってしまう。この「一丁上がり感」は嫌だなあと、私は思っています。」とも言っているのだが、季語によって書かされることを静かにこばむ姿勢がうかがえる。なにかを書く、ときに、なにを書くか、そしてどのように書くかを考えることは、ほんとうの意味での、ものを「書く」ことであるように思う。余談ではあるが、オルガン第1号の最初のページにある、オルガンのことばには「俳句を、するのではなく、俳句がするのだ。」ともあるから、俳句を書きながら、俳句が書いているのかもしれない。しかし、それは俳句に書かれている、では決してない。 

この文章の意味するところは、オルガンは俳句作家のあつまりであるということなのだが、うまく伝わっているだろうか。俳句に書かれてしまうことを危ぶんで書いている、ひとりひとりがいる。今、オルガン調という言葉が世の中を漂っているのなら、わたしは、オルガンの中の俳句作家ひとり、ひとり、を見てほしいと節に思う。 

4号の「ささやきの心に襖たっている」や、5号の「蜂の巣に太陽は減りつづけている」「菜の花はこのまま出来事になるよ」など、田島健一句における、名詞組み合わせマジックが今はとても気になっている。

祝 オルガン 池田澄子

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祝 オルガン

池田澄子


ちょっとした愉しい間違いから、この稿を書くことになったようだ。間違いは何時でも何処にでも待っていて、どうしてここでこういう間違いをしたのか、本人が呆気にとられるようなことがあったりする。それは、決して間違えてはいけないことであったり、それはそれで思いがけず愉しかったり幸運だったりもするのである。「オルガン」に関わること、何でもよいので書いて下さい、というメッセージがFBに入った。この俳句誌「オルガン」に関係なくてけっこうです、とあった。ふと、○○薫子さんという古くからの友人を思い出した。

○○薫子さんの夫君は○○薫さんである。彼女の本名は薫子ではなく、夫君と同じ○○薫だった。結婚後一つ屋根の下、郵便物や何やかにや、こんがらがって不便この上なく、彼女の名に「子」を加えて夫君と区別したのだそうだ。

就職した会社に同姓同名の人が居て、しょっちゅう間違えられ、そのことで出会い知り合い親しくなり恋に落ち結婚した。間違いが幸せを呼んだのだ。 


ところで8月も、6日、9日が過ぎて、15日の敗戦日。「オルガン」6号には金子兜太との座談会の模様が載っていて、兜太先生のお元気なこと。

水脈の果炎天の墓碑を置きて去る   兜太

を以って、戦争をするな、の思いを告げつづけ ることを、戦争を知っている自分の仕事だと意識し覚悟して、ますますのその決心が見事である。お話の殆どは、既に直に、または文字の上で馴染んだお話で、 お声が聞こえてくる感じ。これは皮肉ではなくて、兜太氏、ぶれていない! ということであり嬉しい。

「社会性は態度の問題」という言葉も有名だ が、「造る自分」「映像化」、どれもが聞く人を熱くする。そこがチャーミングである。ところが、方法論のように聞こえる一種のアジテーションは私を酔わせる。兜太氏は、実は天才的な俳人なのだと私は感じていて、野球の長島茂雄に近いかもしれない気がしたりする。「次はガーンと行け」と教えられる方は、具体的にはどうしたらよいやら。

兜太氏はよく、なになにしていたらスッと出来 た、と仰る。心を籠めてガーンと打ったらホームランになったようなものだ。この切れ字が効いたからとか、助詞によって捩れが出来て、そのことで一句として立ち上がったとか、この言葉には、裏にこんな意味もあるから不思議な力が感じられるように書かれている、というようなことは仰らない。天才なのだと思う。

天才から学ぶのは凡人には難しい。しかし先生の態度と作品は読む者に、やるぞ! という思いを抱かせる。それは気分であって錯覚かもしれないが、出来そう!やるぞ!の気分の高揚がないと創作は出来な い。自分にも出来るかもしれないという錯覚を、天才は近くの人に与える。錯覚は、本来以上の力を、瞬時、与えてくれるかもしれない。勘違いが思わぬ結果につながったりする。


本当に昔、戦争があって、間違いのように父が死んで、その成り行きの続きに今、私は俳句を書いている。戦争がなかったら、父が死ななかったら、もっと早く自分の道が決まっていて、俳句には辿り着かなかったかもしれない。何をしていたのだろうか。バイオリンを弾いていた父だから、ピアノなどを早くから習わせてくれていたのではないかという気がする。

娘は、歳をとったらピアノに戻ると言っているし、息子は演奏家である。でも私は音に弱い。楽器は何も使えない。才能が私を避けて通ったのか、習わなかったからなのか。
 
あの時代、各家にピアノはなかったから、オルガンからお稽古を始めていたかもしれない。


「オルガン」1号そして6号 小久保佳世子

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「オルガン」1号そして6

小久保佳世子 


2015年の春、宮本佳世乃さんから出来立てほやほやの「オルガン」1号を手渡され、まだ深く読んではいなかった翌日、オルガンという言葉に誘われて次のような句が出来たことを憶えています。 

オルガンにずれてブランコ揺れてゐる  佳世子

 「オルガン」は明るくて遠近の広がりもある良いネーミングだと思いました。 

「オルガン」1号は薄く、編集後記もなく、やや素っ気ない雑誌というのが第一印象でした。

その巻頭には 
息をする、と言う。 
息をと。

でも息と、それをするものとは分けられない。

むしろ、息がする、と言ったほうがいい。

息が、するのだ。



俳句もまた、そうではないか。

俳句をするのではなく、俳句がするのだ。



俳句がする、4つのオルガン。
とあり、同人(生駒大祐 田島健一 鴇田智哉 宮本佳世乃 後に福田若之参加)共通の俳句観がこの言葉に籠められていると思いました。 

俳句がするオルガンとは、何の喩かと言えば作者と切り離せないそれぞれの作品に他ならないでしょう。作品は目的や意味に呪縛されない息のようなもの(切実なもの)でありたいということでしょうか。

「オルガン」は同人それぞれ2ページ分の作品発表、座談会を挟み後半にまた作品発表1ページという体裁になっていて、前半と後半に分けて発表するのは何故と気になりました。1号の場合後半の俳句は読んでいてどうも芭蕉、蕪村などが下敷きになっている?とだんだん気づく仕掛けでした。私はその試みを、古典と競い立つ気概と受け止めました。

春月や薄埃して天心に   生駒大祐
あかときの芭蕉がふたりいる柳   田島健一 
をととひや兵どもがちかちかす   鴇田智哉
梅一輪川下へ影伸びゆけり   宮本佳世乃

そして最近入手した6号(2016 summer)は倍の厚みになっていて、1号にもあった座談会のページはIとⅡがあり、どちらも充実していてびっくりしました。  

どういう流れで現俳壇の長老的存在の金子兜太が座談会のゲストとして選ばれたか興味あります。座談会のなかで、兜太は年長の中村草田男と社会性俳句や季題をめぐる論争を展開した若き日を語り、飯田龍太、森澄雄、鷹羽狩行を糾弾し、「オルガン」の俳句についてもそのやわらかさに物足りなさを表しています。既成の価値へ確執を醸す志が足りないということでしょうか。兜太ならそう言うかもしれませんが私は「オルガン」が決してヤワではないと思いました。何故なら「オルガン」には面白く読ませる力があったからです。その後入手した24号に触れて一層「オルガン」という存在に頼もしさを覚えました。例えば句集ほか震災詠、仕事、読者、視覚詩などをテーマに繰り広げられる座談会は、それぞれの同人の立ち位置の違いがはっきり分かり、それが対立項となるのではなく刺激として作用しているように思いました。兜太の座談会に生駒さんと福田さんが不参加だったことは、彼らの意志表示とも取れました。兜太が若き日に挑んだやり方とは違うけれど、「オルガン」を通じて彼らは自らの求める俳句を鍛えていると思いました。そのことを特に感じたのは、岸本尚毅句集『小』をテーマにした座談会です。この座談会による岸本尚毅俳句の読みは、新しいものでした。
福田「僕は『小』のなかで住んだり暮らしたりということはちょっと難しい気がする」生駒「一句のなかに新しさの核みたいなものがない作り方をしている」「参照項として虚子や爽波の真似をしているんだというよりは、俳句の真似をしているんですよね。型を使うっていうよりは、その延長線上にある型を創造していこうとしている」 
鴇田「作者は墓から世界を眺めている感じはあるんじゃないかと思う」 
田島「岸本さんの後ろに必ず保護者みたいな人がいる。虚子なのか、俳句そのものなのかわからないけど」 
宮本「主人公のキャラクターに(トホホ感)(つぶやき感)をまず感じました」 
など、ある層に一定の影響力を持つと思われる岸本尚毅に対して、曇りのない率直なそれぞれの読みを展開しています。それは、そのまま自らの俳句作りに反映されているのだと思います。 
「オルガン」6号から

来て夜は沖のしづけさ蝉の穴   生駒大祐 
移民あつまり青鷺は風景に   田島健一
さかさまの蟻のめきめき歩く部屋   鴇田智哉 
泊まる蛾と手の甲が毛まみれの僕   福田若之 
そりと舟虫がゐるシテの声   宮本佳世乃



まだ6号(季刊)。これからオルガンがどのように化けてゆくかとても楽しみです。

歴史と熱気 青木亮人

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歴史と熱気

青木亮人

 

「オルガン」を読むと、思い出す逸話がある。『平畑静塔対談俳句史』(1990)の一節で、平畑は山口誓子の第一句集『凍港』(1932)の印象を聞かれた際、次のように答えた。
楠本 「凍港」が出たとき、どうでしたか。あれを受けとられた反響というものは。
平畑 いまの時代と違いますね。誓子の当時の俳句は全部、頭に入っているわけですよ、当時の連中には。だから句集が出てもピンとこないんですよ。誓子の俳句というものは全部「ホトトギス」へ出たもので、頭の中に入っているんですよ。(略)ほとんどみな、そらんじている句ばッかりですワ。
(「誓子と新興俳句」章。聞き手は楠本健吉)
「京大俳句」編集を一手に引き受けた平畑静塔によると、「当時の連中」――「京大俳句」等に集った新興俳句の面々――は「ホトトギス」雑詠欄に発表された誓子句をほぼ暗誦していたという。彼らは「ホトトギス」を毎号手に取り、雑詠欄入選の誓子句を熱心に読んでいたのであり、誓子句はもとより他に関心ある作品も毎月チェックしただろうことがうかがえる。

「誓子、今回はこう来たか…」「うん、これはいつもの誓子調だ」「これを投句するとは、虚子先生を試すようだな…」等々、「当時の連中」(平畑)は山口誓子の作品を一句読むたびに感想を抱き、口ずさみつつ、後に友人達と語り合い、議論する中でいつしか句を暗誦してしまったのだろう。

個人的には、これと「オルガン」を読む時の高揚は似たものがある。

郵送で送られた白封筒を鋏で開け、「オルガン」最新号を取り出して頁を繰る時の感情の波は、昭和初期に平畑静塔たちが「ホトトギス」新刊で誓子句を目にした時の昂ぶりと通うものがあるかもしれない…「オルガン」が届くたび、いつしかそう感じはじめた。

なぜそのように感じるかはいささか話が逸れるが、仕事柄、私は学術研究の形で近現代俳句を調べようと明治期から昭和期に至る資料を読むことが多いが、うまく実感しえないことがいくつもあった。

明治期、正岡子規の周りに集った人々がなぜあれほど熱気に満ちた革新の気風を抱きえたのか。あるいは大正期の、「層雲」等を中心とした自由律の高揚。そして昭和戦前期の新興俳句の情熱、中でも山口誓子に対する強い畏敬の念や戦火想望俳句への傾倒ぶりは、資料のみではなかなか実感しにくい。そこには、当時その場に居合わせないと分からない同時代的な共感や憧れ、期待や幻滅等があるかに思われた。

しかし、2015年に「オルガン」が届けられるようになってから、「同時代」の感覚を少し実感できるようになったのだ。

同じ時代に生き、信頼すべき俳人が日々句を詠みつつあり、驚くような句や息を呑む作品を時に発表するということ。「オルガン」の中で互いに意識しあい、影響を受けつつ、ある俳人は仲間からの刺激を顕著に示し、ある俳人はその影響から脱しようと自分らしさを模索し始め、またある俳人は自身の理念に向かって句を磨き続ける。その身ぶりや息吹を最新号のたびに実感できるということ、それらを一句ごとに感じ、また私自身も感慨を抱き、彼らと出会った来し方を想いつつ次号への期待を抱くということ。

同時代俳人の句にこのような感情を抱くのが特別に感じられるのは、個人的な時代認識があるためかもしれない。「現代詩手帖」2015年12月号に総括「俳句年鑑」をまとめた際、「オルガン」を紹介しつつ次のようにまとめたことがあった。

本年初頭に同人誌「オルガン」が創刊された。鴇田智哉の他に生駒大祐、田島健一、宮本佳世乃――最新の秋号から福田若之も参加――が集い、各自の作品とともに同時代の注目すべき句集を座談形式で論じている。第二号に当たる夏号では村上鞆彦『遅日の岸』(ふらんす堂、二〇一五)を取り上げており、次のくだりを見てみよう。
田島 初期の句は割とオーソドックスで、事象と季語とを結びつけた、現象的な句が多い。「青林檎山越えの荷に加へたる」「花一樹ある校庭の日曜日」。こういう句は常套だと思う。(略)でも平成二十三年から変わっていく。「風邪に寝て真昼を人のこゑ通る」、これは目に見えない声だけが動いている。(略)
生駒 抑制の利いた作り方ですよね。(略)光、水、空の表現が多いと思いました。七割くらい。だけど、技術があるから同じにはならない。モチーフ的には冒険するタイプではないのかな。
宮本 全体的には大人しい感じがするし、オーソドックスな俳句なのかな。
鴇田 みていくところはその先だよ。村上君の句はよく透明感があるって言われるけれど、それは何なのか。

自身の好悪や傑作か否かといった価値判断を性急に下さず、無条件に称賛や批判をするのでもなく、それらの手前に留まりつつ村上鞆彦という作者の特質を探り、句が出来上がる過程やその結果を、また句が何を目指し、何を目指そうとしなかったかを話し合う中で、「俳句」とは何かという問いが浮き彫りになる。「みていくところはその先だよ」(鴇田)という認識とともに作家や作品の考察を進め、それが何をもって「俳句」と見なすかという問いに連結する記事は多くはない。他には「翔臨」(竹中宏主宰)連載中の竹中「且翔且臨」あたりが思い浮かぶが、いずれにせよ寥々たるものだ。(中略)

ところで、丸山真男によると人類最高峰の音楽はナチス・ドイツ政権下にフルトヴェングラーがタクトを振ったヴァーグナーだったという(中野雄『丸山真男 音楽の対話』)。押し潰されるような厳粛さに裏打ちされた怒濤の音の波と、奈落を予感させる重々しい歓喜の歌は一九三〇年代には鳴り響いたかもしれないが、もはや二〇一五年の私たちが聞き届けることはできまい。

間延びした平和が身を柔らかく包みこみ、軽快な癒やしのひとときを求めディスプレイ上を漂流する私たちにふさわしいのはアイドルの嵐が出演するテレビ番組であり、AKBのポップ・ソングなのだろうから……ただ、それらテレビやネットを彩る旋律の中で、時に異色の楽曲が流れることもある。

仮にRadioheadの「Backdrifts(Honeymoon is Over)」のようなメロディーを今年の俳句界に求めるならば、次の一句が相当するだろうか。私たちの未来は明るく、不穏である。

秋草や死して階段昇り降り  生駒 大祐 (「オルガン」三号)
(以上、青木亮人「趣味や、死後の階段 2015年俳句年鑑」、「現代詩手帖」)
ナチス・ドイツ政権下のフルトヴェングラーなどと大仰な例を引き合いに出しているが、かほどに重々しい時代と比較せずとも、平成時代のあまりの洗練ぶりと軽やかさ、また衰退とも充溢ともいえない奇妙な真空状態に驚くことは少なくない(もちろん、私も平成人の一人なのだが)。

その中でも、「オルガン」は最新号のたび感情が波立つ数少ない俳誌だ。新しい号が届き、張りの利いた頁をめくりながら印字された句群や座談会を読むと、かつての歴史が甦る瞬間があるかに感じられる。

例えば、「ホトトギス」大正4年5月号を繰った時に「死病得て爪美しき火桶かな 蛇笏」を目の当たりにした時の驚きや、「京大俳句」昭和11年8月号に「緑陰に三人の老婆笑へりき」「算術の少年しのび泣けり夏」(ともに西東三鬼)が同頁に並んでいるのを見た瞬間の、鳥肌が立つような感覚。

戦後でいえば、富澤赤黄男や桂信子、高柳重信らが句や評論を発表した「火山系」、あるいは阿部完市や金子兜太、島津亮、林田紀音夫等が陸続と句を発表した初期「海程」。昭和後期の「俳句空間」――これは同人誌というより総合誌に近い規模だったが、角川の「俳句」等とは一線を画す編集だった――目次を見た時、あまりの豪華メンバーぶりに嘆息にも似た感慨を抱いたのも忘れがたい。

平成時代の俳誌「オルガン」を手に取り、頁を繰る時、私はこれら俳句史の息吹が甦る一瞬があるかに感じられた。それも同世代に近い俳人達が、商業的云々とは無関係に「良い俳句」を作ろうと模索し、確認しあいつつも変容や安定を求め、あがき、生き永らえようとしている。その純度の高さは、なかなか得難いものに感じられる。

「オルガン」の純度を俳句研究という立場で受け止めるとすれば、それは小林秀雄の次の一節に近いものかもしれない。

歴史事実とは、嘗て或る出来事が在ったというだけでは足りぬ、今もなおその出来事が在る事が感じられなければ仕方がない。母親は、それを知っている筈です。母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、寧ろ死んだ子供を意味すると言えましょう。

死んだ子供については、母親は肝に銘じて知るところがある筈ですが、子供の死という実証的な事実を、肝に銘じて知るわけにはいかないからです。そういう考えを更に一歩進めて言うなら、母親の愛情が、何も彼もの元なのだ。死んだ子供を、今もなお愛しているからこそ、子供が死んだという事実が在るのだ、と言えましょう。
(小林秀雄「歴史と文学」、1941)
…小林秀雄風に言いかえるならば、先人達が「俳句」に賭けた情熱や歴史の果てに平成時代があり、「オルガン」があるのでなく、「オルガン」が俳句史の伝説的な一場面や句群を今に想起させ、強い臨場感を伴って回帰させるのであり、しかも「オルガン」とかつての「俳句」のありようは異なりつつ、彼らの作品の中に共存している。そのように思わせる力が「オルガン」にはあり、最新号を手に取り、頁を繰る時の高揚もそこにあるのだ、と。




最後になったが、かつて「俳句」月評欄を半年間担当した際、「オルガン」を紹介した拙論を引用しつつ本論の筆を置くことを寛恕願いたい。

ただ、長い伝統を誇る結社や俳誌も発足時はとにかく前に進もうと徒手空拳に近かったはずで、逆にいえば、希望と不安がないまぜになった勢いが初期の魅力といえます。例えば、昨年創刊の季刊同人誌「オルガン」――生駒大祐、田島健一、鴇田智哉、宮本佳世乃の四氏で、後に福田若之氏が参加――は現在三号(二〇一五年十一月)を数え、客気に満ちた読み応えある記事が多い。同人は二十~四十代で、自らの頭と手で「制約的詩」(先述の赤尾兜子)と格闘しうる見識の俳人たちであり、次のような句群を発表し続けています(最新の三号より)。

 目の玉を押すと蚊帳吊草が立つ   鴇田 智哉
 灰もなく秋の蛍は消えて以後    福田 若之
 右の手でみづうみ秋が細長く    宮本佳世乃
 歯車がまはり鶏頭並び立つ     生駒 大祐
 絵の奥の菊を見つめて未成年    田島 健一

 分かりやすい内容や意味を伝えるというより、有季定型でしか表現しえない世界観や表現そのものを作品に昇華した句群といえるでしょう。鴇田句は「~押すと」「~が立つ」の動詞に意味深な実感がこもり、福田句は「も・は」が一句に屈折をもたらし、宮本句は「右の手でみづうみ」における省略と切れが詩情を漂わせている。「歯車/鶏頭」の取り合わせを狙ったというより、作者には確かにそう見えたと感じさせる生駒句、また平易な表現で読ませつつ突如「未成年」で句を閉じてしまう田島句。万人受けする共感や安易な「内容」を優先せず、一筋縄でいかない世界像を読者に問いかける句群であり、このような作品を詠む俳人が集い、熱気とともに同人誌を刊行したことにある感慨を覚えます。

(以上、青木亮人「俳誌の継承と熱気」、「俳句」2016年3月号月評)


チューニングとプランニング 小津夜景

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チューニングとプランニング

小津夜景





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あなたとオルガン——そう言われて真っ先に思い浮かべるのは、自分の身体器官のこと。それから音楽のこと。



1

身体をほぐすときは、音楽を聴きながらだと良い感じに仕上がる。



2

若い頃は、しばしば雅楽、とりわけ音取(ねとり)を聴きながら身体をほぐしていた。音取というのは楽曲に入る前にその楽曲の調子や雰囲気を導くために演奏する、音合わせを兼ねた小曲のこと。これがめっぽう効く。風が竹林を抜けてゆく感じで、音が四肢のゆがみを顕在化させつつ、同時にすーっと調律してゆくのである。



3

それと関係があるようなないような話で、クラシック鑑賞でいちばん好きなのは、曲のはじまる前のチューニングの音を聞くこと。あれも、聞くと体の器官が気持ちよくゆるみ、また逆に頭はすっきりする。



4

「実際の楽曲でもチューニングっぽいのがあればいいのに」と思いながら生活していたら、ある日、アルヴォ・ペルトの「ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」のことが頭にうかんだ。



5

ペルトは高校生の頃に『タブラ・ラサ』をジャケ買いしたのが最初の出会いだ。当時はまだソ連があった時代。エストニアの音楽なんて聴いたこともない上、月のお小遣いは五千円。しかしヴァイオリンとピアノが知っている演奏家だったので勇気を出して購入に踏み切ったのである。ところが家に帰って聴いてみると愕然とするほどつまらない。かくしてこのCDは一曲目を聴き終わらないうちに投げ出されてしまった。



6

それから十年ほど経ったある日、人と話していて偶然ペルトの話題が出た。私が「あの人に良い曲ってあるの?」と言うと、その人は苦笑いをして「ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌って知ってる? メロディが『ラソファミレドシラ』の下降音だけでデザインされた曲だよ」とその音源をくれた。それがなんと高校時代に買った『タブラ・ラサ』の2曲目である。驚きつつもさっそく聴いてみて、こんな面白い曲があったのか!と再度びっくり。ただしこの曲、運動しながら聴くのにはまるで向いていない。じっと静止して聴く音である。



7

いま読み返してみたら、上の文章が雑誌『オルガン』に繋げられることに気づいた。どういうことかというと、『オルガン』において音取を指向しているのが鴇田智哉、そして「ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」を指向しているのが生駒大祐ではないか、と思ったのである。この二人は一時期たいへんよく似た雰囲気の句を書いていた。が、やはり鴇田の句の底からは「ジョギングによって解放した乱父のつぶやきを句に整えてみた」*1〕と報告するチューニング指向の人ならではの音がきこえ、一方生駒の句の底からは「俳句ガイドライン」〔*2その他に明白な、自然を権力(この権力はフーコーの言うそれだ)でもって采配するプランニング指向の人ならではの音がきこえる。



8

(鴇田智哉が、ジョギング中に浮かんだつぶやきに〈乱れた父〉という俳号を与えたのはなんだか面白い。〈乱れた父〉とは混乱した秩序のことなのだろうか?)



9

父の箍を外した(=型を一回リセットした)場所に戻って自分のつぶやきや息づかいを解放し、その上でそれらと型との間の同調ないし破調を案配すること。あるいは俳句が似てみえることを根拠に型の再定義と最適化を考えた上で、その最適化した仕様書の中に言葉を並べたり、また別の仕様書をデザインしたりすること。と、ここまで書いて、今回チューニングとプランニングと称して書いたことは、以前自分が『オルガン』評で書いた内容〔*3と本質的に変わらないことに気がついた。



10

とはいえこれ以上話を続けると「オルガンとわたし」という主題から離れてしまいそうだ(すでに離れてしまっている)。なので、ここでおしまい。





註 

*1〕乱父については鴇田智哉「リマスタリング/俳句における時間」の812を参照。
http://hw02.blogspot.fr/2014/07/blog-post_198.html

*2〕生駒大祐「俳句ガイドライン」に関する記事はこちら 
http://weekly-haiku.blogspot.fr/2016/07/blog-post_44.html
http://weekly-haiku.blogspot.fr/2016/07/blog-post_68.html

〔*3小津夜景「追伸・形式という地図を手に」『オルガン』創刊号を読む(2) 
http://weekly-haiku.blogspot.fr/2015/06/blog-post_89.html



参考動画

平調音取



ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌

ゆうべのエートス 中嶋憲武

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ゆうべのエートス

中嶋憲武


雑踏に紛れてしまうと、改めて俺の馬鹿さ加減を思い知らされた。

上手くやったつもりが、全くそうではなかった。店長に叱られるのは、いつもの事だから、まあいいとして、よくはないがこの場合は、まあいいとして、年下のバイト長に注意されたのは、カチンと来た。こんな街じゅう、きらびやかな猥雑さに満ちた、歓喜しているかのような夜によ。やってられない。ビールでも飲みたい気分だ。だが金はない。
 
このままアパートの陰気な六畳に帰るのも、なんだか癪だし、雑踏をなんの当てもなく、黙々と歩いていると、後ろから誰かが「愛田君」と声をかけてきた。

俺に声なんざ、かける奴ぁ、一体誰でい?と声には出さず、振り向くと北村先輩が、高原の白樺林の微風に吹かれてでもいるような風情で立っていた。
「久し振りだねー、愛田君」
「先輩、こんなところでどうしたんすか?」

北村先輩は、中学時代の陸上部の一学年上の先輩で、中学を卒業以来、かれこれ四年ほど会っていなかったが、双方の親同士が小学校からのPTAのつき合いで、ママからそれとなく、先輩がどうしているかは、なんとなく聞いて知っていた。
「軽音でかわいい彼女が出来たとか」
「早耳だな。どうせオフクロが喋ったんだろう」

そう言って、先輩はやや俯いて、前髪をかき上げた。埼玉の片田舎の大学に、とぼとぼ通っている俺なんかとは違って、先輩は山手線の田町駅で降りて、すたすた歩いた先の大学に通っている。言葉使いや身のこなしに、ソフィスティケイトされたものを感じる。
「今夜はなんで新宿くんだりまで?」
「妹がもうすぐ誕生日なんで、プレゼント探し」

万里子か。デブでブスの妹がいた。中二の夏に、俺とママと、先輩の一家とで、野尻湖へナウマン象を見物に行った事がある。小学生の万里子は、ぎゃあぎゃあ喚いて、人の心の中まで土足で平気で闖入してくるイモだった。万里子の思い出は、そんなものだった。
「ああ、そうだ。来週の日曜、ウチの教会でバザーをやるから、手伝ってくれると嬉しいんだけどね」

先輩の父上は牧師をしていて、教会を持っている。と言うと、少々語弊があるかもしれない。教会は教団のもので、父上は専従の従業員のようなものだろう。

その、聖ナントカ教会の二階は、共同炊事場、共同トイレ、共同風呂のアパートで、六畳間が四つほど並んでいて、先輩の家は近所なのだが、そのアパートの一室を借りて住んでいるのだとか。酔狂としか思えない。あんないい家を出て、なにも共同炊事共同トイレ共同風呂の六畳などに住むなんて。
「聖ヨハネ教会ね。五丁目の。まあ、よろしくな」

約束をしてしまった。来週の日曜はバイトもなくて、暇だったのだから問題はない筈なのに、むやみに気が重くなってきて、ああ俺は馬鹿だと思った。

人との関わりを持たずに暮らしてゆけたら、どんなに素晴らしい世界になる事か。その一方で、こういう考えが、俺の些細な不幸の元凶になっている事も、よく分かっていた。

週末のバイト先で、主任の松本さんに、「愛田、次の日曜、通しで入ってくんないかなー。特別手当付けるからさー」と声をかけられ、特別手当という言葉に心が動いたが、高原の微風に吹かれて立つ、北村先輩の姿が目に浮かんで、断った。松本さんはデシャップで聞こえよがしに、「使えないなー」「何、考えてっかわかんないねー」などと厨房のなかの料理人に言っていた。俺は無論、松本死ね死ねと呪詛した。

俺の日常は、バイトに行くか、のこのこ講義に出るか、部屋でのっそつとしているかのいずれかだ。今日のようにバイトで、ちょっと厭な事があると、ずるずる何処までも何時までも引き摺ってしまう。ダウナー系の代表、それが俺だ。何をするにしてもかったるい。

曇っている。日曜の朝は早くに目が覚めてしまった。九時に教会に集合する事になっているのだが、まだまだ時間がある。

冷蔵庫から、牛乳とコンビーフ一缶、トマト一個を取り出し、食べかけのリッツクラッカーと交互に齧る。コミックを読む。窓から外を眺める。シャワーを浴びる。ベッドでごろごろする。それでもまだ少し時間があったが、自転車で出かける事にした。

ヨハネ教会へは二十分くらいで着いた。北村先輩はすでに来ていて、数人の人と一緒に準備をしていた。
「おはようございます」
「あ、おはよ。早いね。ありがとう、来てくれて。ぼく、コンサートにも出るんで、忙しいんだ」
「コンサート、出るんすか」
「二十分くらいのをね、二回公演するんだよ。他のメンバーは、まだ来てなくてね」
「何をやるんすか」
「あー、フォーレとかS&G。プログラムある筈だから見といて」フォーレは聞いた事がない。
「俺、何すればいいですか」
そこで俺は、浅沼さんというチーフの人を紹介され、浅沼さんについてバザーの品を並べるのを手伝った。

ヨハネ教会は、門を入って右手に小さな庭があり、その庭へも古本やCD、日用雑貨や生活用品などを売るためのセッティングをするのだという。なんとかお天気持つみたいで、よかったわあと浅沼さんは微笑んだ。微笑むと、目がなくなってしまい、目尻に細かい皺が目立った。

バザーは午前十時半から午後二時までで、コンサートは十一時と一時の二回ある。十時半近くになると、教会の中も外も人が集まり始めた。俺は浅沼さんに並んで、建物の中でリサイクル衣料を売る係になった。

衣料を種類ごとに畳んだりしていると、「俊一君じゃないの?」と声をかけられた。声の主を見ると、すらっとした美形の少女が立っていた。おそらく高校生だろう。俺にこんな女の子が、声をかけてくる筋合いはない。人違いだろうと思って、どちら様ですかと聞くと、「やだー、マリコよー」と言う。マリコ?万里子?あのブーデでスーブの?
「万里子かー」
「マリコー。マリコJKになったんだよー」
「俺、KY」と返すと、顔に似合わず、ぎゃははははと笑った。

万里子は、兄と演奏するためにやって来たのだった。十一時からのコンサートのメンバーは、先輩と、先輩の彼女の早瀬凛と万里子の三人だった。

一曲めは先輩がリコーダーを吹き、早瀬さんがリードオルガンを弾いた。ゆっくりとしたテンポの、気分が安らぐような曲だった。プログラムを見ると、ハインリヒ・イザークの「インスブルックよさようなら」という曲だった。

二曲めも先輩のリコーダーと、早瀬さんのオルガンだったが、これに万里子が歌で参加した。一曲めと同じようなゆっくりとしたテンポの、たちどころに浄化されてゆくような曲だったが、万里子のフランス語のソプラノの歌唱が素晴らしく、うっとりと聞き惚れてしまった。これは、フォーレの「ラシーヌ讃歌」だと知った。

「みなさま、いらっしゃいませ。今の曲は本当は合唱曲で、壮大な感じに盛り上がって行くんですけど、こじんまりと演ってみると、また別の味わいが出たかと思います」

万里子のMCの間に、先輩はクラシックギターを持ち、早瀬さんはピアノへと移った。

三曲めは、これまでと打って変わった軽快な曲だった。プログラムを見ると、一九三七年の「オーケストラの少女」というアメリカ映画の中からの曲で、「太陽の雨が降る」。この曲の万里子の歌唱も見事だった。「イッツレイニングサーンビーム」と歌う高音の伸びのよさにドキドキした。

四曲めは、万里子と、ギターを弾きながらの先輩のデュエットで、サイモンとガーファンクルの「59番街橋の歌」。フィーリンググルーヴィーという歌詞が印象的な短い曲。

最後の五曲めは、万里子が、一緒に歌って下さいと言い、歌詞を先導して「花はどこへいった」を会場のみんなで歌った。

コンサートが終って、やや興奮気味の俺は、ドリンクを飲んでいる三人へ近づき、よかったですよと声をかけた。俺としてはこういう行動は滅多にない。自分でも不思議に思いながら声をかけた。知らない俺が俺を見ていた。

三人と演奏した曲について喋っていると、俺の持ち場の衣料売場の方で、大きな声がした。浅沼さんと見知らぬ青年が、何か言い争っている。言い争っているというより、青年が一方的に意味不明の事をまくし立てていた。
「あー、肥田さんだよ」北村先輩が舌打ちした。
「あの人、ぼくの隣室の人なんだけど、ちょっと電波系の人なんだなー」シニカルな目つきをして、先輩は肥田青年を見ていた。
「モーソーヒガイでしょー」万里子がこそっと言うと、早瀬さんがやんわりと、被害妄想ね、と訂正した。
「凛が部屋に来た時なんか、今まで物音のしていた隣りが急に静かになって、こっちにじっと集中してる気配があったもんな」
「やめてよ、恐いよ。思い出すと」

肥田青年の回りに人が集まって、浅沼さんとの間に割って入った中年男性が、肥田青年を静かに諭すと、肥田青年は首を大きく振りながら、部屋を出て行ってしまった。

すっかり部屋から出て行ってしまって、もう戻って来ないのを確かめると、俺は浅沼さんのところへ行った。
「いやー、変な人だったわよ」
「恐いですよね。ああいう人がいると」
「言ってる事が滅茶苦茶だもの」
「この服を俺に着せようとしてるとか言ってましたね」
「そおー。この服を着せて監視しようとしてるなんて言うんだもの」
「北村さんも大変ですね」
「そおー。でも今のところ物騒な事、言ってないからあれだけど。なんであんな人、住まわせているのかしら……」

そういうやり取りを浅沼さんとしている間じゅう、俺も何かの拍子に肥田青年のような状態にならないとも限らないという気がしていた。遺伝的なものは何もない。漠然とした強迫観念のようなものだった。浅沼さんのように、完全にこちら側に立って、相手に非難めいた事を言ったりする事が、口幅ったい事のように思えてならなかった。

二回めの演奏も素晴らしいものだった。予定通り午後二時にはバザーを閉店し、後片付けをして、それぞれ一旦家に帰り、夜七時から駅前の居酒屋で、お疲れさま会が開かれた。万里子は俺の隣りに座って、やたらはしゃいでいたが、昔のように厭だとは思わなかった。むしろ少し誇らしく、嬉しいくらいだった。



窓がうっすらと青い。部屋の中も柔らかな青い光に包まれている。目を覚ますと、午前四時を回ったところだった。妻の万里子は、隣りに寝ていない。あの夜の翌朝も、こんな風なうっすら青みがかった朝だった。あれから長い長い時間が流れた。十年前に万里子は、乳癌で呆気なく逝ってしまった。この季節になると、決まって頭の中にあの時のあの曲が流れる。北村先輩のリコーダー、早瀬さんのゆるやかなリードオルガン、そして万里子のソプラノ……。同時にニスの匂いや、衣料品やコーヒーやヴァニラの匂いなどが蘇ってくる。

俺は、とうに六十を越えて、子供がないので一人きりだ。鳥籠に文鳥のせわしない影。青い世界に涙が零れる。それがこの季節の朝のはじまり。

for O photo by:Tomoya Tokita

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