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自由律俳句を読む136  「鉄塊」を読む〔22〕 畠 働猫

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自由律俳句を読む 136
「鉄塊」を読む22

畠 働猫

  
先週母について述べましたが、今日は母の日ですね。
世の母たちとその家族たちよ幸せであれ。


今回も「鉄塊」の句会に投句された作品を鑑賞する。
第二十三回(20144月)から。
この回から投句数が一人3句から5句となった。
自分にとっては、遊びの幅が広がるため、よいルール変更であった。
また、第1回からの参加者である藤井雪兎がこの回から休会期間に入った。(のち退会)
これにより創立メンバーは馬場古戸暢のみとなった。
古戸暢は以後、鉄塊活動休止まで在籍、すべての句会に参加している。

文頭に記号がある部分は当時の句会での自評の再掲である。
記号の意味は「◎ 特選」「○ 並選」「● 逆選」「△ 評のみ」。



◎第二十三回(20144月)より

春めく道で拾ったナイフだ 風呂山洋三
◎「春」という季節をよく表している。のどやかさの中に、ぎくりとするような不穏なものが潜む。それが春である。見事です。(働猫)

今回の句会における最高得点句である。
さもありなんという感じである。良句。


蕾桜の公園集う妊婦たち 風呂山洋三
△蕾と生まれ来るものとの対比に注目したものと思う。しかし自分にはその光景への悪意が感じられる。「集う」「妊婦」という硬質で共感を排した語選びに、客観視あるいは恐怖を感じるのである。これは、自分ならば避けたい情景であるという主観的な読みかもしれないが、おそらく作者にもそうした気持ちはあるはずである。(働猫)

いや怖いよね。こんなところに居合わせたくない。


窓開けておく春が入ってきた 風呂山洋三
△どこかで見たような句である。作者自身の過去作の再投句なのであれば、佳句と思うが、今回は判断できず保留。(働猫)

「窓あけて窓いつぱいの春」(山頭火)
「障子あけて置く海も暮れ切る」(放哉)
辺りが私の念頭にあったように思う。
いわゆる類想類句というものだろう。
これについては最後に述べたいと思う。


独り言大きくなって鰆のうまい夜 風呂山洋三
△「うまいうまい」という独り言だろうか。木の芽時という感じがする。(働猫)

我が家では魚を食べていると猫が鳴くので幸いにも独り言にはならない。
救いである。


知らない子から石をもらう春の昼 風呂山洋三
△のちの石売りである。無能の人とならぬよう祈るばかりだ。(働猫)

穏やかな春の公園での風景であろう。
やはり風呂山はこうした幸福の景を切り取るのがうまい。


食うためだけの煤けた電車だ 小笠原玉虫
△廃棄された車両を再利用した飲食店なのだろう。多くの場合、そうした店舗は店主が鉄道マニアであったり、もと鉄道職員であったりするものだ。つまり、その店舗は厳密には「食うためだけ」のものではない。鉄道への熱い思いやノスタルジアが表現されたものである。そこに「食うためだけ」に訪れたのだとしたら、とんだ場違いであり、気まずい思いもすることになる。以後気を付けるべきであろう。(働猫)

北海道江別市の大麻駅前に客車を店舗として使った「自由人舎 時館」というカレー屋があった。今は移転してしまったようだ。
久しぶりに食べたくなった。
大麻は「おおあさ」と読む。北海道の大スター大泉洋の出身地である。


かなしい辛いものを食べる 小笠原玉虫
△辛さは痛みと同じ刺激であるので、これは全く合理的な行動である。精神の疲労が蓄積したときには、運動し肉体を疲労させるとバランスがとれる。同様に、悲しみで心が傷ついたならば、肉体を傷つけるため辛い物を摂取することで心身のバランスをとることができるだろう。まったくもって普通の行動。合理的な行動である。(働猫)

やはりカレーか。
スープカレーでは、「アジアンスープカリー べす」がおすすめです。
札幌にお越しの際はぜひ。


生きて帰ったばかがねむった 小笠原玉虫
△音が気持ちのいい句である。「ばか」への愛情も感じられる。(働猫)

寅さんかな。
寅さん観たことないけど。
当時の句評で述べているように、音が気持ちいい。
「~った」「~った」の連続が、まるでスキップでもしながら帰ってきたように感じられて、「ばか」という語とよく共鳴している。
実際には深刻な場面だったのかもしれないが、軽妙な音楽性を備えた句である。


傘を盗られて春雨がやさしい 小笠原玉虫
△失わなければ気づけないやさしさであった。作者の人の好さが垣間見える。(働猫)

小学校低学年のころ、学校の玄関で友人の腕を傘の柄でひっかけて引っ張って遊んでいたところ、それを見ていた用務員のおじさんにおもいっきりびんたされたことがある。何が人の怒りを買うものか、まるでわからないものだ。
昔は理不尽に怒る大人がかなりいたものだが、どうにか健やかに育つことができた。
これは働猫さんの資質に負うところが大きかろう。環境や教育の良し悪しではあるまい。
脱線した。
傘盗む者に災いあれ。


やめろ沈丁花頭頭がいたい 小笠原玉虫
△「にいさん頭が痛いよ」と言えばナイトヘッドであるが、なんとなく沈丁花による寄生を想像した。「バオー来訪者」とか「寄生獣」の世界ですね。「頭頭」と二回言ってしまうあたりに作者の混乱した状況が見て取れる。(働猫)

「頭頭」は意図的ではなかったのだったっけ。
意図的でないにせよ、二度繰り返すことで頭が二つあるような不安や奇異を表現できているように思う。


春の雨飲んで別れ 十月水名
△「春の雨」で切れるのかと思って読んだが、それでは送別会などの当り前の情景である。そこで、「雨を飲んで別れる」ととり、雨の中、涙を雨に隠して別れていく二人を想像することにした。(働猫)

二股に分かれていく川の流れともとれる。
今はその読みが気に入っている。
山頭火の「濁れる水の流れつつ澄む」を思わせ、また、自然との合一を感じる。


あまったあたまがチューリップ 十月水名
△芸人の一発ギャグのようだ。流行るといいですね。(働猫)

投げ出し感があってよいと思う。
言い方次第で流行ると思う。


魚類図鑑ひらくぶらんこ 十月水名
△ぶらんこに揺られながら、海原を揺蕩う自身を想像しているのか。鉄塊の過去の句会でもあったが、「図鑑」と「子供」のとり合わせは、放置や孤独を想起して辛い。(働猫)

辛いのは私自身が図鑑子だったからであろう。
図鑑を見ながら絵を描くのが好きだった。
蛇やとかげのような爬虫類が特に描きやすかったな。
誰も自分を傷つけない、自分も誰も傷つけない、そんな穏やかな時間を図鑑は与えてくれたものだ。


狂っても気付いてくれない野原 十月水名
△誰もいない森で倒れた木は音をだすのか?「音」として認識するものがいないときに、果たしてその音は存在するのか。この問いかけに似た問題をこの句は提起している。誰も気づいてくれない狂気とは、果たして狂気と言えるのだろうか?その狂気を「異常」として認識する他者が存在しない「野原」で、「狂気」は存在し得るのだろうか?そう考えたとき、この句では、「狂っても」と判断しているのは作者自身である。狂気を自称するのは、満たされない承認欲求の表れであろうか。(働猫)

ワオ……禅……。


グーよりチョキに似て交尾 十月水名
△松葉崩しであろう。(働猫)

当時の句会では玉虫と句評がかぶってしまったが、松葉崩し以外の何物でもあるまい。じゃあ「グー」はなんだろうか。対面座位であろうか。


寝付けぬ面した女を喰らう 馬場古戸暢
△ハードボイルドである。(働猫)

妖怪的でもある。天狗であろうか。


つついてくる女の指先の懐かしい白さ 馬場古戸暢
△かつて関係のあった女なのだろう。実にいやらしい句である。いちゃいちゃは見えないところでやってほしい。(働猫)

いちゃいちゃしやがって。


とんび鳴くこの身に夜が傾く 馬場古戸暢
○夜に聞こえてくるとびの声は非常に不気味なものである。「この身に」鳴くということは、とびに餌として認識され、狙われているということである。通常とびが人間を襲うことはない。作者はとびの捕食対象となるほど弱っているということだろう。死にかけているのかもしれない。宮沢賢治の「眼にて云う」のような状態なのかもしれない。今夜が山か。(働猫)

ぐらり、という音が聞こえてきそうな良句である。
今見るとこちらを特選にとるように思う。
不安と痛みを抱えた夜が、主観的表現を用いずに過不足なく表現されている。


おばあちゃんの鼻唄も青空 馬場古戸暢
△「も」がうまくとれなかった。しかし「青空」をブルーハーツの曲と考えるとすっきりした。ヒロトも50歳になった。鼻歌がブルーハーツのおばあちゃんだって存在するだろう。「ふふふんふんふふふふふうん、ふっふふふふふふふふふー、ふんふふふんーふー、ふふーふーふふふー」(働猫)

ブルーハーツのストレート過ぎる歌詞が、それゆえに現代に生き続けるように、良句とは得てしてそうしたド直球なものなのかもしれない。


煮詰まる夜が唾液がぬるい 馬場古戸暢
△気まずい沈黙が続く夜なのだろう。飲み込むつばもぬるくのどを流れる。ペッティングの句ともとれなくはないが、そうだとしたら気持ち悪い描写なのでいやです。(働猫)

やっぱりちょっと気持ち悪いな。


古いドア達の鳴き声 中筋祖啓
△1「古いドアたちの鳴き声」と30「古いママチャリの鳴き声」とを最初と最後に配置したところに今回の編集担当のこだわり(椎名林檎のアルバムのような)を感じる。これらの「古い~鳴き声」句は同じ作者のものかと思う。冬の間雪に閉ざされていたドア、ママチャリの錆びた音を表しているのだろう。この鳴き声は冬の終わりを告げるものであり、これらの句は紛れもなく春の句であると言える。(働猫)

5句のうち2句、似たような句で投句するのが祖啓の尋常ならざるところである。「原始の眼」で見たとき、「ママチャリ」と「ドア達」の両方の声が捨てがたく新鮮に思えたのだろう。


自信が亡い 中筋祖啓
△最上級ということであろうか。(働猫)

困っちゃうよな。


サイコロの自立 中筋祖啓
△サイコロは投げられるものであり、ついに自立することはないだろう。つまりこれは比喩ととるのが正しい。投げられ、据えられる受動的な存在をサイコロに喩えているのだ。春の投句であることから、思春期における自我の目覚め、あるいは新しい環境への旅立ちを表現しているのであろう。(働猫)

これも禅である。たぶん。


好きな食べ物はチョコだ 中筋祖啓
●これはいただけない。チョコはうまいかもしれないが。(働猫)

困っちゃうよな。
祖啓は間違いなく天才であるが、このシリーズに入ったときの祖啓はいただけない。


古いママチャリの鳴き声 中筋祖啓
△1「古いドアたちの鳴き声」と30「古いママチャリの鳴き声」とを最初と最後に配置したところに今回の編集担当のこだわり(椎名林檎のアルバムのような)を感じる。これらの「古い~鳴き声」句は同じ作者のものかと思う。冬の間雪に閉ざされていたドア、ママチャリの錆びた音を表しているのだろう。この鳴き声は冬の終わりを告げるものであり、これらの句は紛れもなく春の句であると言える。(働猫)

同じ句評を「~ドアたち~」にも付した。
思えばこれは祖啓なりの「推敲」であったのかもしれない。
祖啓が月の下で「ママチャリがよいか、ドアたちがよいか」と悩むのであれば、私は及ばずながらも韓愈として馬を並べる友でありたい。



*     *     *



以下五句がこの回の私の投句。
Ora Orade Shitori Egumo(だれもわたしをゆるして呉れない) 畠働猫
また君のいない朝だ 畠働猫
豚が豚殺して狼に仕事がない 畠働猫
花の色帯びて硬い雪である 畠働猫
苺くれたあの日の兄に金送る 畠働猫
「花の色~」は桜の根元の残雪を詠んだものだが、北海道以外では見られない景であったかもしれない。
「Ora Orade~」は宮沢賢治「永訣の朝」中のとし子の言葉であるが、それを架空の言語として翻訳したような形を狙った。

「Ora」⇒「人間、みんな」
(不特定の人物を表す)
「Orade」⇒「私」
(不特定の人物「Ora」に語り手の所有を表す接尾語「-de」がついた形)
「Shitori」⇒「許し、光、神、祝福」
(「shi」は罪を表し、「tori」はそれを祓う意を持つ)
「egumo」⇒「くれない」
(「ego」(~する)の受動態「egu」に、否定を表す接尾語「-mo」がついた形)

という感じである。今考えた。



*     *     *



類句類想について。
有限の世界に生きる以上、それはあってあたりまえである。
大体において、およそこの世の中で詠まれるべきことなど、ほとんどすべて、すでに誰かが句にしてしまっているのではないか。
そう思う。
句材となる鉱脈は初期のガリンペイロが掘り尽くしてしまった。
したがって後世を生きる我々は、句材の切り口、言葉の研磨、すなわち表現方法によってしのぎを削らなくてはならない。
咳の夜の寂寥を詠むのに「せきをしてもひとり」という方法はもう選択できないのだ。
その意味で私たち表現者は、残されたわずかな美しい資源を奪い合う修羅である。
そして奪うのであれば、誰よりも言葉を磨き、美しく輝かせなくてはならない。
類想はあっても類句であってはならない。
自由律俳句が定型の軛を逃れた理由もその辺りに求められるように思う。



次回は、「鉄塊」を読む〔23〕。




【八田木枯の一句】 草刈にもう朝の日の暑いほど 西村麒麟

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【八田木枯の一句】
草刈にもう朝の日の暑いほど

西村麒麟


『八田木枯少年期句集』より。

草刈にもう朝の日の暑いほど    八田木枯

よくある情景のよくわかる俳句だ。

面白くもなんともない草刈(草刈は季語だ、嬉しい、なんて言っている人は現実の世界にはいない)をしながら、朝なのにもう暑いやと太陽を見る。早く草刈を終えないと、さらにひどい暑さとなり、大変なことになるだろう。

ぎらぎらとした、少年の頃に見た夏の朝日は、どうしてだかいつまでも心に沁みついてしまうような気がする。

洗ひ髪身におぼえなき光ばかり  『汗馬楽鈔』(1988年)

洗い髪の句は代表句であるし、比べてしまうと草刈の句は随分と地味だ。

しかし、木枯さんにとっては、草刈の日の光もまた、忘れられないものであった気がする。

こちらの光と、あちらの光と。

光の記憶はいつまでも眩しい。

【週俳4月の俳句を読む】宇宙に舞う  陽 美保子

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【週俳4月の俳句を読む】
宇宙に舞う

陽 美保子


鳥曇積み上げらるる箱いくつ   満田春日

この箱は何の箱でもよいが、私は空っぽのトロ箱を想像する。想像する箱によって、鑑賞はかなり違ってくるだろう。我儘な鑑賞を許してもらえれば、北国で鰊のシーズンが終わった後の時期。海に面した小さな舟屋では、窓を覆うばかりにトロ箱が山積みされる。大忙しの浜辺の仕事が一段落してほっとした時、つくづくと海を眺め、空を眺める。「鳥曇」という季語がこのような連想をさせる。

瞳孔に海の色あり巣立鳥   引間智亮

鳥の目の色を詠んだ句はあるかもしれないが、瞳孔を詠んだ句は寡聞にして知らない。瞳孔とまで言い切ることにより虚が強まる。つまり、ここに作者の主観が反映される。瞳孔を海の色と断定することで、巣立鳥へ託す作者の憧れが窺え、詩情溢れる一句となっている。

飛花落花地球はくす玉のかたち   工藤玲音

地球をくす玉のかたちと断定した手柄。球体の物はいろいろあろうが、くす玉を想像することにより、祝福と同時に破壊を連想させる特異な句となっている。くす玉であれば、本来は祝福されるべきものであろうが、地球がぱっかりと割れるところを想像すると、とても祝福とは言えない。割れた瞬間、桜の花びらが散り、マグマが流れ出す。桜の花も死を連想させることを考えれば、実に周到な句といえよう。人々は死んでいく途中であることも知らないで、笑いながら死んでいく。これは痛烈な批判の句であるかもしれない。そして、映像として描いてみると実にシュールである。花びらと地球のかけらが宇宙に舞ってゆっくり遊泳しながら幕が閉じる。


第467号 2016年4月3日
髙田獄舎 現代鳥葬 10句 ≫読む
兼城 雄 大人になる 10句 ≫読む
第468号 2016年4月10日
満田春日 孵卵器 10句 ≫読む
引間智亮 卒 業 10句 ≫読む
第469号 2016年4月17日
工藤玲音 春のワープ 10句 ≫読む
益永涼子 福島から甲子園出場 10句 ≫読む
第470号 2016年4月24日
九堂夜想 キリヲ抄 10句 ≫読む
淺津大雅 休みの日 10句 ≫読む

【週俳4月の俳句を読む】休日の午後に 瀬戸正洋

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【週俳4月の俳句を読む】
休日の午後に

瀬戸正洋



美術館の喫茶室で珈琲を飲んでいた。隣の席にふたり連れのご婦人が座った。何気なく話を聞いていると、ひとりは、この個展の画家であることがわかった。主人が危篤のとき、「危篤のひとの顔をデッサンすることはないかも知れないと思い主人の顔をデッサンした」と話していた。相手のご婦人もあたりまえのようにそのことを聞き頷いていた。十数年も前のはなしなので画家の名前も顔も、すっかり忘れてしまった。もしかしたら著名な画家だったのかも知れない。危篤である夫の顔を、二度と出会うことはないと思いデッサンしたというはなしを、目の前で聞いたときの驚きを、今でもはっきりと覚えている。

NHKスペシャル天才絵師「若冲」の再放送を見た。若冲には、幸か不幸か知らないが、凡人には視ることのできないものが視えてしまうのだと思った。八十数歳で没したことも知り、絵を描くひとは長命であるとも思った。テレビのスイッチを切ったとき、夫の危篤の顔を懸命にデッサンしている画家の表情を思い浮かべた。

悪太郎わななく霧を寂として   九堂夜想
石哭くや贄にたちこめたる霧を          

わななく霧を寂としての「寂」が難しい。たとえば「盾」とすれば解るかも知れないと思っても、ひらたくなるばかりで「寂」ほどの深さはない。恐怖のあまりわなないている霧は「寂」として何を守ろうとするのか。石は哭く、神に供えた物に対し霧は不快感を示す。石は守ってくれると思っていた神にまで裏切られて哭くのである。石は死ななければならない。たちこめたる霧につつまれ涅槃に入らなければならないのである。

森へ消ゆ春雨浴びし学生ら   淺津大雅
挨拶に脱ぐ帽子より花の塵            

森とは聖なる場所なのである。春雨が森も学生たちも何もかもを濡らしている。いつまでたっても学生たちは戻って来ない。何故、戻って来ないのかと不安になる。帽子を取り一礼する。その帽子より一片のはなびらが落ちる。会釈したものも、会釈されたものも、お互いを見つめ合い微笑む。

うららかやきみに才能ある寝癖   工藤玲音

日がやわらかく降り注いでいる。濡縁、あるいは野原で寝転んでいるうちに眠ってしまったのかも知れない。寝癖を見て、このひとは才能があると思ったのではない。才能のあるひとの寝癖とはこのようなものなのかも知れないと感じたのである。うららかには、心にわだかまりがなく、おっとりしているさまという意味もある。

わたくしがわたし褒めつつ菜飯炊く   工藤玲音

自分を褒めるという表現をする場合、ほんのわずかな不安、あるいは自分自身に対し危機意識が宿っている場合が多い。だから、自分自身を褒めるのである。菜飯を炊く自分を褒め、それを食し、元気を出そうと思っているのである。

てのひらの鶯餅にある愛想   工藤玲音

てのひらには鶯餅にまぶしてあるうぐいすいろの粉がついている。鶯餅の愛想とは、この粉のことなのである。また、鶯餅を頂いたひとに対する愛想なのである。愛想とは、ひとによせる愛情、あるいは好意のことである。愛想笑いとは、ひとの機嫌を取るための笑いである。「笑い」と続くだけで意味は微妙に変化する。鶯餅のうぐいす色の粉が曲者なのである。

フォアボール続くマウンド白雨あと   益永涼子

投手が四球を続けて出した。「白雨」となり試合が中断したため投手の調子が狂ったのである。調子のいいときは中断を拒み、不調のときは現状における「白雨」を見つけ出さなければならない。人生には微妙なバランス、あるいは微妙な「運」により成り立つ。

もも色の岩塩を振る真砂女の忌   満田春日

もも色は、真砂女にとてもよく似合うと思う。その上、もも色の岩塩だと「卯波」にも繋がってくると思う。三十年ほど前、第三次「桃青会」の忘年会といえば、銀座「卯波」と決まっていた。櫻桃子も元気だった。真砂女も元気だった。奥の座敷で句会場をした。木村傘休、鈴木直充、本多遊方、橘昌則...、みんな元気だろうか。たまに会うこともいいのかとも思う。

悲しき日畑に菠薐草縮れ   満田春日
鳥曇積み上げらるる箱いくつ           
朝桜バターのすべるパンの上           

畑には取り残された菠薐草がある。縮れてしまっている。菠薐草は悲しみをこらえているのだ。もちろん、作者自身も何らかの事情があり悲しいのである。小鳥が群れ飛んでいる。その下では空箱がどんどん積み上げられている。そこは、商店街にある青果店なのかも知れない。ひとの騒めきも聞こえてくる。さくらを褒めながらひとりで朝食を取る。珈琲の香がたちこめている部屋。トーストにバターをぬろうとしたら熱すぎたのだろう、バターのかたまりがすべってしまった。

卒業や駅近づいてきて無言   引間智亮
菜箸のゆつくり冷えて卯月かな          

駅まで歩いている。こうして駅まで、もう歩くことはないと、ふたりは思っている。だから、無言なのである。女は、過去など気持ちよく捨て去り、男は思い出にすがって生きていく。卒業式も終えて新しい生活も始まる。卯月なのである。菜箸はゆっくりと冷めるのではなく冷えるのだという。悲しい男は、まだ、思い出にすがって生きている。

剥がすべき国旗のシール 現代鳥葬   髙田獄舎
現代鳥葬 到達できぬ惑星を滅ぼし        

鳥葬とは死体の処理方法のひとつではあるが一番見たくないものだ。法律にも抵触する。また、現代鳥葬とあるが日本では鳥葬の習慣はない。上記、二句の作品の前に、「管理の幸福」「過剰儀礼」「瞑想戒律」「正義が鋳造」「鋳造正義」「僧の貧困」「玩具を蝕む」「林檎が灰に化す寺院」「無を描写する余白を望み」のことば等が並び「現代鳥葬」の作品二句で終わる。鳥葬とは最も残酷なものだと思うことは間違いなのである。火葬、土葬、水葬、どの方法よりもひとの死に対し正しく受け止めることのできるものなのかも知れない。ひとが死ぬということは、その死体を葬るということは残酷でないはずがない。剥がすべき国旗のシールとは、どう考えても、私には「日の丸」しか浮かんでこない。また、到達できぬ惑星とは地球のことであると思われる。先に抜粋したことば等のすべてがここにかかってくる。作者は、鳥葬により処理されている自分自身を視つめている。

手をつなぐ桜のちるを止められず   兼城 雄

手をつなぐぐらいで彼女のこころは掴めない。彼女には、ホンモノの俳人になるという強い意志を示さなければならないのである。だが、どんなに愛し合っていても別れの日は必ず訪れる。だから、ホンモノの俳人でなければならないのである。桜が散ることを止めることはできる訳がない。そもそも、「止められず」と思うことが間違いなのである。

しやぼん玉たくさん消えて大人になる   兼城 雄

たくさんのしゃぼん玉は、あのひとのものなのである。たくさんのしゃぼん玉はわたしが拵えたものである。わたしは何もかも理解している。わたしにはしゃぼん玉をたくさん拵えることしかできないことを。しゃぼん玉は消え去ってしまうということを。そして、私は大人になるのだ。

飛行機のまつすぐ進む春のくれ   兼城 雄

まっすぐ進むことしかできないと思う。他人から見てたとえ曲がっているとしても、まっすぐに進んでいると思えばまっすぐに進んでいるのだ。わたしは飛行機となりまっすぐに進む。季節は春、時は夕刻、私は大人になることを切に願う。

満田さんの「朝桜」の作品を読んだら、無性にトーストが食べたくなった。数十年前、一年ほど暮した海辺の街へ出掛けてみた。喫茶店のマスターは三代目だ。トーストと珈琲を注文し店内に流れるジャズを聴いた。トーストは白い皿のうえにふたつに切ってのせられ、ウエイトレスは塩の壜をテーブルに置いた。懐かしい味というよりも、この喫茶店のトーストを食べたということに満足した。充実したひとときであった。帰り際、マスターは「いってらっしゃい」と私に声を掛けた。以前も、そう言われて送り出されたのかと思うが記憶にない。


第467号 2016年4月3日
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工藤玲音 春のワープ 10句 ≫読む
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【週俳3月の俳句を読む】言葉を組みなおして 堀下翔

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【週俳3月の俳句を読む】
言葉を組みなおして

堀下翔


犬の墓訪ふは草笛手の中に  渡部有紀子

この草笛がすでに死んでしまった犬の記憶、ないしはその墓の記憶とどのような形で関わりを持っているのか、そういった事情はこの際重要ではない。ありし日のこの犬はその笛の音が好きだったのかもしれない、といった程度の連想が「犬」-「笛」という名詞どうしの既存の結びつきから導かれているにしても、いったいこの句が語ろうとして、しかし語らぬままにしている気分というものは、そういった連想のもっと外側にあるような気がしてならない。

そういう印象を受けた理由の第一には、この句のもっとも重要な名詞と思われる「草笛」が音を立てることもなく「手の中」に隠されているという状況が、一句の風景をあまりにいきいきと動かそうとしているからだ。この「草笛」は、「犬の墓」に着いたときには吹かれるものであるか、あるいは持って行ったにも関わらず、その用がなされることもなく、ずっと手に握られたきりになるのか、いずれであるかという気配を持たず、ただ無造作に「手の中」にあるということが述べられている。

いや、正直に言えば僕は、「手の中」という状況を読んだとき、この「草笛」は墓の前にあったとしても吹かれずじまいになってしまうような、むざむざとした予感を覚えたのだ。それはおそらく、「訪ふ」という名詞が、「犬の墓」に対してやや思わせぶりであるような、過剰であるような手ごたえを感じていたからに他ならない。「犬の墓」というものが現実的にどのような場所かといえば、僕はそれを“ペット霊園”、あるいは庭先を掘ってなきがらを埋めた簡単な墓として想像した。それらのひどく生活的な場所は、「犬の墓」として名詞化されることで、まるで風景が変わって、なんだか約束が違ったような、奇妙な印象を伴いはじめるのであるが、けれどもそれにしたって、「訪ふ」というのはちょっと大げさなのではないか、まるで山奥にある誰も知らない道をひとりでとぼとぼと進んでいるような、そんな風景さえ、見えてしまうではないか。だからこそ「草笛」には、笛の音によって犬を呼ぶような劇的な小道具にはなってほしくなかったし、事実この語は、「犬の墓」「訪ふ」といった語との関わり合いの中で、ぼんやりとしながら、ひそかにバランスを取ろうと図っているように見えたのである。

だが何度もこの句を口にするたびに、そのような読みは深読みでしかないように思われてきて、結果としてこの句は、読むたびに風景を変えてゆくこととなった。要は、どっちでもありえる、ということだ。「訪ふ」が提示する、墓に着くまでの時間の幅は、読者にとっては無音であり、だからこそ墓の前で「草笛」がびいっと音を発する瞬間は、やはりなんとも言えず味わいがある。どちらがどう、というのが問題になっているのではない。どうとでも転がる「手の中」の無造作なふるまいが、この句に底知れぬ不気味さを与えている、それを確認したかったのだ。

第二には、掲句の言い回しが、きびきびとして過不足のないような、いや、むしろ肉を削りすぎていくばくかの要素を欠いてしまっているような、不思議な姿をしていることだ。「は」によって倒置が起こっている掲句であるが、これを整叙の形にしてみると、

「草笛(を)」「手の中に」「犬の墓(を)」「訪ふ」

ということになろうか。「手に」ではなく「手の中に」であるから、本来「草笛を」に対応してあるべき動詞が一つ抜けていることが分かる。元の形に戻ってみれば、

犬の墓訪ふ(ということにあって/ときは)は草笛(を)手の中に(入れる)

とでもなる筈だから、やはり、「手の中に」で切れているのはやや収まりが悪い。あるいは、

犬の墓訪ふ(ということにあっては/ときは)は草笛(が)手の中に(ある)

という読み方も可能だろう。こちらは「ある」という動詞がいっぱんに省略しやすいために、「に」切れにも違和が少ない。格助詞「に」ではなく、助動詞「なり」の連用形として取ってしまう手もあるし。

とにかく、もともとテクニカルな作りであるうえに、読者のほうで動詞を一つ補う必要があるため、ひじょうに“疲れる”句なのだ。表現というものは、その姿を取っている必然性をまとうものである。たとえば〈草笛を掌中に訪ふ犬の墓〉というシンプルな姿でも同じ風景を示しうる以上、〈犬の墓訪ふは草笛手の中に〉には、何らかのニュアンスが含まれている。それをここで逐語的に解釈していくのも悪い仕事ではないが、もう野暮だよ、という気もしないではないから、とりあえずここでは、この句は決して〈草笛を掌中に訪ふ犬の墓〉ではない、というのを指摘するにとどめておく。

不気味さとか、ニュアンスとか、何の足しにもならないことばかり書いてしまったけれど、この句がそういった何の足しにもならないものによって成立していることは間違いない。


渡部有紀子 あがりやう 10句 ≫読む
永山智郎 硝子へ 10句 ≫読む
西川火尖 デモテープ 10句 ≫読む

〔ハイクふぃくしょん〕父の曲 中嶋憲武

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〔ハイクふぃくしょん〕
父の曲

中嶋憲武
『炎環』2014年12月号より転載

あたまの中でときどきあの曲が鳴った。それはたぶん曲にはなっていなかったのかもしれないけれど、みよこちゃんがひいていた曲だ。ゆめをみているときに、あたまの中のどこかのへやで小さく聞こえているようなオルガンの曲。

みよこちゃんのおうちは、ようちえんのすぐ目のまえにあるので、わたしはときどきあそびにいく。みよこちゃんのおうちはとても大きい。ひろいしばふのおにわがあって、フェンスからはとおくの町におひさまがしずんでゆくのがみえた。おにわは坂の上にあって、バス停からその長い坂をのぼってのぼってようちえんへいく。わたしのおうちはバス停のまえだ。

ようちえんでは、おひるねのじかんというのがあって、すわったままつくえの上にかぶさってねる。わたしは眠れないので、かおをよこにしたまま、まどからおそとをながめてる。中にわに大きなキリの木があって、ムラサキの花がいっぱい。その上をひつじ雲がゆっくりとうごいてゆく。雲のうごきをみていると、雲がうごいているんだか、わたしがうごいているんだかわからなくなる。白くて雲があんまりまぶしいので、ろう下がわの方へかおを向けると、ゆたかさんがおきていてはなくそをほじっている。ひとさしゆびにおっきなはなくそ。ゆたかさんはそれをじっとみていたかと思うと、ぱくりと口に入れた。きたないの。わたしはせかいの先に立っているようなかおをして、またまどをみた。

みよこちゃんのおへやには、ご本がいっぱいある。いやいやえん。モモちゃんとプー。ドリトルせんせい。ながくつしたのピッピ。せいの高い本だなのとなりに大きなまど。わたしはご本をよみながら、そのまどをときどき見上げる。おにわの何の木かわからないけれど、大きな木の枝にやってくる鳥をみていると、きまってねむくなる。鳥のうごきはねむりをさそうまじゅつだ。

ことりはとーってもうたがすきぃ。かあさんよぉぶのもううたでよぶぅ。ぴぴぴぴぴぃ。ちちちちちぃ。ぴちくりぴいぃ。

おさんじのドーナツをたべちゃって、おへやにもどり、みよこちゃんにオルガンをひいてもらう。それでみよこちゃんといっしょにうたう。おさんじのまえに、あらった手がいいにおい。みよこちゃんちの石けんは、クリームいろのバラの花のかおりがする。

大きなまどから西日がさし込んで、へやのすみの小ばこが金いろにひかっている。その小ばこをわたしは知っている。だいじなしゃしんの入っているはこだ。おとうさんのしゃしんだ。みよこちゃんは、しゃしんでしかおとうさんを知らない。

ことりのうたをやめて、みよこちゃんはまたあの曲をひき出した。たぶんみよこちゃんとわたししか知らない。何の曲とわたしはきいた。おとうさんの曲とみよこちゃんはこたえた。むかしおとうさんがうたっていたうた。ねむっていると、とおい原っぱでおとうさんがうたっているの。オルガンは鳴ってる。

おるがんのぱふんと風や桐の花    武知眞美

俳句の自然 子規への遡行50 橋本直

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俳句の自然 子規への遡行50

橋本 直
初出『若竹』2015年4月号 (一部改変がある)

明治二十四年冬、子規は分類俳句の丙号に着手している。アルス版の本には一部しか書かれていないけれども、原本の表紙には「修辞学材料 形式的発句分類 并実質的 俳句分類集 丙号 西子編 未定稿(傍線引用者)」とある。西子は子規の別号である。傍線を付した部分は小さい字で書かれていて、何段階かで後に書き足したもののように思われる。もしそうなら、はじめに「修辞学材料」として「形式的」な俳句分類をすることを思い立ち、すすめるうちに、結局形式も実質も含むことになったと仮定できるだろう。

内容は、冒頭でいわゆる「八重襷」(言葉で説明するとわかりにくいので、添付図を参照されたい。例句は立圃作。この場合は三句が組み入れてあり、回文のものもある。)五種の写しにはじまり、回文俳句、文字以外の記号の入った句、カタカナ入りの句や、一句中の同音の使用を種類、音数ごとに分類したもの、言葉のもじり、十八字から二十五字までの字余りの韻律の分析、名詞、動詞の重複のある句、対・反復表現のある句、隠題、比喩、擬人法、典拠のある句、類句、句末が何で止めてあるかなどの多岐にわたる分類が行われていて、丙号はこれまで何度か論じてきた甲号乙号と趣を異にする。季題やキーワードによる分類ではなく、先の二種類を進める内に派生したとおぼしき、作品個々の語の運用によって分類が進められているのである。

アルス版『分類俳句全集第一二巻』
「丙号分類」冒頭部分より 撮影筆者

まず注目しておきたいのは、やはりこの丙号の冒頭に「修辞学材料」と書かれていることである。実は原本の第一冊(甲号)にも「修辞学材料」と書かれている。また第一二冊には「美文学材料」とも書かれている。既に本稿で以前触れてきたように、子規は『俳諧大要』等で俳句を西洋でいう「文学」として定義づけするのにあたり、「美」をその尺度として望もうとしていたし、古俳句の収集はその「学」を成立させるために必須の行為であり、そのような子規の「科学」的態度を考えれば、これらは当然といえば当然のことであるだろう。

さらに、この子規の分類の特徴である語の運用への着目について検討してゆきたいのだが、その前に確認しておく必要があるのは、今日我々が普通に思う「国語」の姿と明治のそれとの違いについてである。そもそも、子規が分類を始めたころ、既に「言文一致」の議論はあったものの、まだ今言うところの「国語」という概念はなかったといっていい。

日本における「国語」の成立に重要な役割を果たしたのは上田萬年(かずとし)である。上田は一八六七年二月の生まれ。子規より八ヶ月ほど早いが、同じ慶応三年の生まれということになる。漱石や子規の他にも幸田露伴や尾崎紅葉、山田美妙、南方熊楠など、この年に生まれた偉人は多いが、萬年もその一人ということになる。しかも、恐るべきことに、子規や漱石が帝国大学に入学した時には、既に萬年は同大学を卒業しており、彼らが大学生の頃には独仏へ留学しているのである。その意味では俊才中の俊才ということになるだろう。その上田は子規の退学と入れ替わるように、日清戦争の年に帰国し、帝国大学教授に迎えられ、近代国家における一国一言語たる日本の「国語」の成立をめざして邁進することになる。

ゆえに、子規が俳句分類をしていた明治二〇~三〇年代は、西洋の学問をくぐった体系的な日本語の文法が確立されていたわけではなく、いわゆる古典の和歌俳諧の蓄積は充実していても、近代としての日本語の韻文における「修辞学」などはなかった。日本で修辞学が五十嵐力らによって盛んになるのは、明治四〇年代に入ってからのことであり、それも文章についてである。

先に書いたとおり、この丙号の分類の着手は、明治二十四年冬のことである。この時子規は、現在の我々が小学校一年から習うことになる国民的に共有された「国語」というものが自明のものとしてあるような、あるいは体系的な学問として「文法」や「修辞」があって、そこで表現を云々されるような情況とは異なり、徒手空拳とまではいわないまでも、俳句というジャンル一つとりあげるにあたっても、かなりの部分で自前の「学」の体系を織り上げなければならなかったのである。それは、上田らとはまったくことなる方向から、独自に日本語の表現のありようについてのアプローチを試みていたことになるといってもいいのかもしれない。

10句作品テキスト 黒潮 広渡敬雄

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 黒 潮   広渡敬雄

みちのくの山稜ながし春の虹
振り返る山の遠さよ花辛夷
生きてゐればこその春寒海の青
慰霊碑は津波の高さ春の雲
戦没と津波の位牌梅の花
鮭の稚魚放流したる川の綺羅
復興の仮設店舗に種物屋
遠ざかるほど蒲公英のあふれけり
鹿尾菜刈る魚付林と灯台と
黒潮を望む岬の巣箱かな


10句作品 黒潮 広渡敬雄

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週刊俳句 第472号 2016-5-8
黒潮 広渡敬雄
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週刊俳句 第472号 2016年5月8日

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第472号
2016年5月8日


2015 角川俳句賞落選展 ≫見る
2014「石田波郷賞」落選展 ≫見る


広渡敬雄 黒 潮 10句 ≫読む
……………………………………………

俳句の自然 子規への遡行 50……橋本 直 ≫読む

〔ハイクふぃくしょん〕
父の曲 ……中嶋憲武 ≫読む

【週俳3月の俳句を読む】
堀下 翔 言葉を組みなおして ≫読む

【週俳4月の俳句を読む】
瀬戸正洋 休日の午後に ≫読む
陽 美保子 宇宙に舞う ≫読む

連載 八田木枯の一句
草刈にもう朝の日の暑いほど ……西村麒麟 ≫読む

自由律俳句を読む 136
「鉄塊」を読む〔22〕 ……畠 働猫 ≫読む

〔今週号の表紙〕くらやみ祭り……西原天気 ≫読む


後記+執筆者プロフィール ……村田 篠 ≫読む



 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る




 
 ■新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ ≫読む
週俳アーカイヴ(0~199号)≫読む
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後記+プロフィール 第473号

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後記 ● 福田若之

夏だ。これだけは、敬語で書く気がどうしても起きません。夏だ。

夏が来ると、必ず思い出す一句というのが、人によって、いろいろ、あったり、なかったりすると思うのですが、僕の場合は、中村草田男の《毒消し飲むやわが詩多産の夏来る》が思い浮かびます。別に、この句がことさらに好きというわけでもないのですが、不思議と思い出してしまうのです。

そして、むかしトキワのもりあたりでどくけしをひろったことなどをひそかに思い出すんです。そう、「どくけし」という言葉の原体験は、僕の場合、明らかにポケモンでした。何と言われようと、こればっかりは、現にそうやって言葉に出会ってしまったのだから、どうしようもありません。で、そのヴァーチャルな「もり」と、子どもの頃実際に虫を捕まえたりした近所の雑木林とが、やっぱり同じくらいの時期の体験として記憶の中でつながっていて、現実と仮想世界の両方の、むしよけスプレーとか、じてんしゃとか、そうやって絡みあったもろもろのイメージが毒消し飲むやわが詩多産の夏来る》から思い出されるとき、ああ、夏だ、って思うんです。 

ああ、夏だ。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。

no.473/2016-5-15 profile

■野間幸恵 のま・ゆきえ
大阪在住。1951年生まれ。2003年、句集「ステンレス戦車」。2010年、句集「WOMAN」。2026年、句集「WATER WAX」。

■吉田竜宇 よしだ・りゅう
1987年生。第53回短歌研究新人賞受賞。「翔臨」所属、竹中宏に師事。

■堀下翔 ほりした・かける
1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。筑波大学に在学中。

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。

■山田耕司 やまだ・こうじ 1967年生まれ。俳句同人誌「未定」を経て、俳句同人誌「円錐」創刊に参加。その後、俳句作品の発表を中断。2010年 句集『大風呂敷』出版。現在、「円錐」同人。共著『超新撰21』(2010)。サイト 大風呂敷

■太田うさぎ おおた・うさぎ
1963年東京生まれ。「豆の木」「雷魚」会員。「なんぢや」同人。現代俳句協会会員。共著に『俳コレ』(2011年、邑書林)。

畠 働猫 はた・どうみょう
1975年生まれ。北海道札幌市在住。自由律俳句集団「鉄塊」を中心とした活動を経て、現在「自由律句のひろば」在籍。

中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「ku+」、「オルガン」に参加。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

〔今週号の表紙〕第473号 大落古利根川〈埼玉県春日部市〉 中嶋憲武

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〔今週号の表紙〕
第473号 大落古利根川〈埼玉県春日部市〉

中嶋憲武



石寒太が楸邨に請われ、「寒雷」の編集を手伝い始めてから三、四年経った頃であろうか。「句集寒雷の初期作品を探る」という企画で、寒太は楸邨に随伴して春日部へ赴いた。

終日、古利根川畔を歩き回り、夜になってこの写真の辺りで、もの凄い牛蛙の声がした。この辺りは初夏になると頻繁に牛蛙の鳴くところである。寒太は「闇うごくときは蛙の鳴き袋」という一句を詠んだ。この句は第一句集「あるき神」に所収されていて、また「愛句遠景」という自句自解の本にも収められている。

楸邨と寒太は、春日部へ来ると時々は、この写真に見える新町橋を渡って、右側にある「島源」という鰻屋(うなぎの寝床のような白い建物がそれ。ここの鰻重は、濃い味付のたれと、少し焦げ目のある蒲焼きが特徴で、私の家では、よく出前を取っていた。鰻重というと島源の鰻重が原体験としてあるので、私にとっては、この鰻重がスタンダードである)にも寄ったようである。因みに三島の「「桜家」という鰻屋も楸邨御用達であった。

以上のような事を、当時春日部に住んでいたにも関わらず、俳句を始めてから知った。

楸邨と寒太が春日部の古利根川や小渕の観音院を探訪していた頃、私は小学生で古利根川畔の小渕に住んでいたので、何処かで二人とすれ違っていたかもしれなかった。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

10句作品 雨の木 野間幸恵

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週刊俳句 第473号 2016-5-15
雨の木 野間幸恵
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10句作品テキスト 雨の木 野間幸恵

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 雨の木   野間幸恵

雨を書く生まれてくる日に追いついて
木の樽は静かなLとRかな
睡眠と思うシマウマでは近い
牛乳のどこかに語尾がふくらんで
木は森に友が答えのように来る
good-byeと鰯の群れを思いけり
木の話そして新しき方角
海岸をなぞるパンを焼くように
雨の日はつるうめもどき広いかな
かたくなに三半規管だろう雨


【週俳4月の俳句を読む】作者が望んでいる事態ではないだろうけれど 山田耕司

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【週俳4月の俳句を読む】
作者が望んでいる事態ではないだろうけれど

山田耕司


剥がすべき国旗のシール 現代鳥葬
現代鳥葬 到達できぬ惑星を滅ぼし   高田獄舎

「現代鳥葬」という箇所にそれなりな季語を入れると、〈いろいろと社会について考えはあるけれどそれに専心するほどでもない良識的な態度〉を示すそれなりな句になりそうである。あえてそうしないのは、〈自分を安全なところに置きながら、であるからこそ、世を嘆いてみせる〉傾向に陥りがちな現代の俳人の有り様を煽って見せているのであろうか。仮にそうだとしたら、何の役にも立たない言葉を提示することでこそナンセンスさがきわまり、〈目的なき合目的性〉の放つ芸術的くすぐりなどが加えられたのではあるまいかと想像する。ところが、「現代鳥葬」とは、なんとも重たく、句の意味内容を収斂する気配を漂わせる言葉であるだけに、〈句が示そうとする情報〉の方向ではなく〈言いたいことを言ってすっきりした作者の様子〉を鑑賞する方向に読者が誘導されかねない。それは、作者が望んでいる事態ではないだろうけれど。

飛行機のまつすぐ進む春のくれ   兼城 雄

「春のくれ」でなくとも「飛行機」は「まつすぐ進む」と考えられる。それをわざわざこのように言いたくなるのは、「飛行機のまつすぐ進む」の環境として「春のくれ」を捉えているからではなく、むしろ「春のくれ」の喩として「飛行機のまつすぐ進む」ありさまを位置づけているのである。

そのもう一つ奥には、人の生を春夏秋冬の区分になぞらえる考え方があるようで、すなわち、青春にある人の有り様を「まつすぐ進む」と示している、とも読めてしまうのである。もちろん、そうした読みは、畳み皺がついてしまってピンと伸びることがないシーツのように素直さに欠けるものであるかもしれないけれど、そうした畳み皺を共有してきたからこそ生き延びてきた側面が俳句には存在しているのである。ともあれ、喩、がシッカリはまっていると、それなりに澄み切った雰囲気が句に漂うのだが、俳句の読者とは、句のどこかに「類型的な喩をぶち壊してしまうような個の表出」というニゴリのようなものをも求めたりするのであって、なんとも度し難いところがある。

朝桜バターのすべるパンの上   満田春日

まだ冷たいうちは動くことのないバターの塊が熱ですこし溶けて、手の上で傾けたトーストの上をすべりはじめる。その様子は、視覚的に捉えられたものではあるけれど、と同時に、ザラザラとしているパンの表面をすべるバターを、触覚的に感受しているのであろう。ひと日の中でも、早朝の光の中の桜こそが、視覚を通じた触覚のようなもので見届けるにふさわしいものと思われたのか。「バター」「パン」と出会うことで「朝」が時間帯を示す情報という立ち位置にしか見えないこともあり、そこは惜しまれる。

パーマ終へPARCOで無敵風光る   工藤玲音

この昭和感。「パーマ」「PARCO」の取り合わせもそのベクトルを支えているものの、やはり購入したサービス(この場合はパーマ)によって都市のまんなかで「無敵」と言い切る感覚、それこそが昭和なのかと思った次第。「風光る」という季語が添えものにしかみえないけれど、1980年代半ばまでは〈自然〉なんかも(金にものいわせて行く海外旅行みたいな)自己を拡大するための消費記号だったような気がするので、このような添え物的扱いがかえってしっくりくるのかもしれない。


第467号 2016年4月3日
髙田獄舎 現代鳥葬 10句 ≫読む
兼城 雄 大人になる 10句 ≫読む
第468号 2016年4月10日
満田春日 孵卵器 10句 ≫読む
引間智亮 卒 業 10句 ≫読む
第469号 2016年4月17日
工藤玲音 春のワープ 10句 ≫読む
益永涼子 福島から甲子園出場 10句 ≫読む
第470号 2016年4月24日
九堂夜想 キリヲ抄 10句 ≫読む
淺津大雅 休みの日 10句 ≫読む

【週俳4月の俳句を読む】白という色が 近 恵

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【週俳4月の俳句を読む】
白という色が

近 恵


人の声うばひとり花ふぶきけり   兼城 雄

風が吹いて花がいっせいに吹雪くその瞬間、人の声を奪ってゆく。本当は声だけではなく、動きも奪われてしまうんじゃないか。
声を奪うなんてなるほど上手く言ったなあと思うけれども、「人の声」としたことで花吹雪への感慨が一般化されてしまい、花吹雪の中にいる作者の感慨ではなく、どこかから花吹雪を見ていての他人事なのかなと感じてしまう。腑に落ちるし納得できるけれど、個人的には読者としては欲しいのはそこじゃないんだよなあと思ったりもして。

現代鳥葬 到達できぬ惑星を滅ぼし   髙田獄舎

どの句もなんか難しい。どうしても言葉の意味を考えてしまうけれど、その行為自体が無駄なんじゃないかなとも思う。そして言葉に騙されているんじゃないかとも思う。例えば朗読だったらきっとかっこいいんじゃないかな。耳から入って一瞬で消えていく言葉たち。余韻もあるだろうなと思う。けれど文字で読むとどうしたって自分なりの解釈や意味を求めようと試みて何度も読み返してしまう。そうしてなんとか解ったような気になったところで、結局解ったような気になってるだけじゃん、と馬鹿馬鹿しくなるのだ。

パンの耳買つて花散る夕べかな   引間智亮

サンドイッチを作る時に切り落としたパンの耳は、揚げて砂糖をまぶすと美味しいんだよね。子供の頃母が時々作ってくれた事を思い出す。それはそうと、パンの耳を買うとはなんとも倹しい生活である。しかも花散る夕べだ。追い打ちをかけるようである。「卒業」というタイトルでの連作になっているので、卒業してこれから社会人になろうとする間際にパンの耳とは、なんと苦労人であることよ。せめて入社した会社が儲かっていて、初任給から景気よくばんばんと貰えたらいいねと願うばかりである。

からたちの花白壁は蒼を帯び   満田春日

白い花の対比としての蒼はきっと共通のものなのだろう。白いからたちの花に対して、ぼんやりとそれを浮き上がらせるかのように蒼を帯びた白壁は、白という色が平板ではないことを教えてくれる。そしてからたちの花の強い香りが蒼の中から立ち上がってくる。その香りを思い出そうとして、読みながら思わず鼻から大きく息を吸い込んでしまう。

春風みたいにしますねと美容師笑ふ   工藤玲音

春風みたいな髪型ってどんなんだろう。きっと少し茶色がかった細い柔らかそうな髪で、肩に付かない程度のボブで、ゆるくパーマがかかっていて、くしゃくしゃっとした感じの髪型かなあ。きっと肩幅とか狭くて華奢な体型で、色白でピンクっぽいメイクで、さわると柔らかい肌で、ふわふわっとしたお嬢さんなんだろうなと勝手に想像する。けれど、美容師は笑うのだ。だから春風みたいなのは髪だけで、あとはふわふわとかじゃなきゃいいなあとも思う。自分がふわふわじゃないので、ほぼやっかみ半分である。

落椿雨の蚯蚓のかたはらに   淺津大雅

椿は落ちても美しいのだけれど、この句は蚯蚓が圧倒的な存在感を放っている。それは干乾びて道につぶれている蚯蚓じゃなくて雨の蚯蚓だからだ。雨に濡れてつやつやとした蚯蚓は、命をもった生き物の逞しさを持っている。一方椿は落ちても美しいが、すでに植物としての命は終わっていて、あとは朽ちていくだけなのだ。一見落椿を詠んでいるように見えるけれど、これは間違いなく蚯蚓リスペクトの句なのだ!と私は思った。


第467号 2016年4月3日
髙田獄舎 現代鳥葬 10句 ≫読む
兼城 雄 大人になる 10句 ≫読む
第468号 2016年4月10日
満田春日 孵卵器 10句 ≫読む
引間智亮 卒 業 10句 ≫読む
第469号 2016年4月17日
工藤玲音 春のワープ 10句 ≫読む
益永涼子 福島から甲子園出場 10句 ≫読む
第470号 2016年4月24日
九堂夜想 キリヲ抄 10句 ≫読む
淺津大雅 休みの日 10句 ≫読む

【八田木枯の一句】ひよろつくは齢ともくわうじやくふうかとも 太田うさぎ

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【八田木枯の一句】
ひよろつくは齢ともくわうじやくふうかとも

太田うさぎ


ひよろつくは齢ともくわうじやくふうかとも

『鏡騒』(2010)より。

俳句を作って最初のうちは十七音では短すぎると思うけれど、そのうち十七音が長すぎると思うようになるよ。

俳句ビギナーだった頃にこんなことを言われたことがあるのは私だけではないだろう。
最小限の言葉で最大限の効果を狙うミニマリズム文芸としての俳句の一面を確かに表しているけれど、ちょっと抵抗感を覚えたものです、こういう先輩風吹かすような物言いは。

どうせ吹かれるなら、というわけで掲句(おっさん的展開ですみません)。

「くわうじやくふう」は漢字に直すと「黄雀風」。『大辞林』によれば、「陰暦五月に吹く東南の風のこと。この風の吹く頃、海魚が黄雀に変ずるという俗説が中国にある」だそう。エッシャーのだまし絵を連想しなくもない。

言っているのはひょろついた、そのことだけ。風によろめくのも寄る年波、という感慨で終わらせずにこんな季語を持ち出すところがいわゆる芸というヤツ。「くわうじやくふう」の平仮名表記は俄かに漢字変換し難いけれども、そうやって読む者を一瞬煙に巻くのも計算のうちだろう。「六月」を「ろくぐわつ」と書くのと同じ木枯好みの表記でもある。

『鏡騒』にはほかにも「半仙戯薄氣味わろき齢なる」「冬の暮とどまれば我不審物」など自らの老いを諧謔をもって詠んだ句があるが、何にも言っていないという点ではこれに尽きるだろう。

この鑑賞文も何も鑑賞していないか……。

俳句雑誌管見 ソーダ水 堀下翔

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俳句雑誌管見
ソーダ水

堀下翔
初出:「里」2014.12(転載に当って加筆修正)

あの頃といふころありしソーダ水 行方克巳「知音」2014.10

ソーダ水もいいかげん詠まれることに飽きているに違いないのだ。富安風生が〈一生の楽しきころのソーダ水〉とうたったのは昭和25年の『朴落葉』だから、以後60年、俳人は――仮に俳句という表現を行う意味が、なんらかの新しい記述の獲得にあるとすれば――人生の回想とソーダ水を取り合わせる必要はなかった。いや何も〈一生の楽しきころのソーダ水〉が数直線の原点であることを決めてかかる必要もない。それ以前のいずれかの時点においてこのようなソーダ水を記述した句が生まれている可能性は大いにある。ソーダ水はわれわれの前に先行して立っている。そこへ平然と現れる「あの頃といふころありしソーダ水」はやはり痛々しい。

ところで言うまでもないが〈あの頃といふころありしソーダ水〉は感傷的だ。風生は「楽しかりしころの」とは言わなかった。回想をしながらそれを今のソーダ水だと言い張った。だからこの句はあるいは目の前の子供が飲んでいるソーダ水でいい。翻って克巳は「ありし」と言う。ソーダ水は克巳自身の過去に回収される。どこまでも自分のものである。

新しい記述を求める表現者としての欲求にもまさるのが人間の回想欲求かもしれない。〈あの頃といふころありしソーダ水〉の痛々しさを見るにつけ、おこがましくも十八歳の筆者は、人生の長さと奥行きを思い、かつ、いつか自分もまた〈あの頃といふころありしソーダ水〉と詠まずにはいられなくなるかもしれないと予感するのである。

おそらく〈あの頃といふころありしソーダ水〉は軽々しいセンチメンタルではないのだろうな、と思うのはこの句が次に置かれているがためであった。

闇深かりし三矢サイダーありし頃 行方克巳

「闇深かりし」とはどういうことであろう。まったく何も叙述することなく克巳は自分のみが知る「闇」を回想から運び出し、世界へと投げ出してしまう。一方でこの句は何一つ嘘をついていない。だから少なくともその点において筆者はこの句が胸に引っかかってならない。克巳はこの句を自分の過去のひとつひとつに照らし合わせながら作っている。ある事実として「三矢サイダーありし頃」の闇が深いのではない。それならば「闇深し」と〈その頃〉を〈今〉詠めばよかった。いまや克巳しか知らないこの「闇」を、彼は「闇」のまま確かめるようにしてうたう。

そしてなによりこの句が嘘をついていない点は「三矢サイダー」という言葉にある。こんなサイダーはない。あるのは「三ツ矢サイダー」である。克巳はきっと昔からこのサイダーを「三矢サイダー」だと思っていた。俳句として名前を書きつけ発表するに際しても、ウェブや店頭でその名前を確かめる過程を経なかった。記憶の誤謬は正されず、結果として固有名詞は過たれた。だがむしろ、記憶にある名前を確かめることなく書きつけられた「三矢サイダー」は、この句の成立の正直さをもっとも体現してはいないか。自分しか知らない「闇」をほとんど自分のためだけに記述しようとするとき、このサイダーが「三矢」であったか「三ツ矢」であったかに気を配るだけの余裕を持つ方がよほど俳句に対して不誠実ではないのか。筆者がこの句を信用するのはこの点に他ならない。

〈あの頃といふころありしソーダ水〉にせよ〈闇深かりし三矢サイダーありし頃〉にせよ、これらは何も言っていない。またもやこのような形で詠まれてしまったソーダ水に同情し、痛々しく思う。しかし一方でまた、回想の欲求に突き動かされ、嘘偽りなく書かれたこれらの俳句の成立がどこか胸に引っかかる。この句にこだわる筆者は幼いかもしれない。正直であることはあくまで俳句で何かを書こうと思い立ったときの出発点だろう。それを承知したうえでかつこれらの句を引き受けることにこそ、俳句を書くことへの誠実さがある気がする。

俳句の世界遺産登録に向けた動きについて 吉田竜宇

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俳句の世界遺産登録に向けた動きについて
吉田竜宇


先年、「和食」がユネスコに世界遺産登録されたとの報は(正確には無形文化遺産登録)、わたくしたちを、それなりに誇らしいと思わせ、道々ではおめでたいことだとうなずきあって、少なくとも嫌な気はしなかった。しかし、その頃より、俳句の遺産登録をめざす動きがあると、ウェブでの記事のいくつかを目にし、わたくしは、和食の登録に際してはまるでなかった、ある反発を感じるようになった。

ひとことでいえば、それは、はずかしい、という思いである。

他人がおそらくは善意でやっていることに、利害の絡みもなく単なる好ききらいで横槍をはさむような真似はしたくない。しかしわたくしも、自分のことを俳人のはしくれだと思っているので、その立場から、少なくともみながこれを喜んでいるわけではない、ということを記しておきたい。

俳句の遺産登録について、わたくしは詳しく知る立場にないが、去年の記事によると、具体的な働きかけはかなり進んでいるようである。

「国際俳句交流協会」前EU大統領と連携 俳句を世界文化遺産に
http://mainichi.jp/articles/20150815/ddm/014/040/009000c
旗振りを有馬朗人氏がつとめ、その主宰する結社「天為」が、俳都たるを誇る松山市、主要な俳句団体、外務省や、海外の要人などとも交流しながら、国際親善や文化発信を目的として、俳句の遺産登録を推進している、ということである。有馬氏は立志伝中の人物として名高く、記事を読む限りでは、周りの応援も盛んで、現実味はかなりあるらしい。
 上の記事は去年の八月のものだが、その後「小熊座」に、有馬氏の長文インタビューが載り、そのなかでも、俳句の遺産登録に関しては、多くの行が割かれた。前後編であり、前編はウェブに転載されたものが閲覧できる。

栗林浩のブログ 俳人・有馬朗人さんに聞く(前編)
http://ht-kuri.at.webry.info/201601/article_4.html
――そろそろ俳句の世界遺産化についてお伺いします。日本の俳人たちはみな期待しているのですが、如何ですか、登録までのマイルストーンは?
有馬 いやあ、時間がかかりますよ。十年くらいはかかりそうです。文科省が窓口ですが、申請が二百五十件ほどもあるそうです。年に五から十件くらい登録されるとしても、相当かかります。幸い、私が総長だった時の広報の担当教授だった方、青柳(正規氏、東大名誉教授)さんといいますが、イタリア考古学・美術史に造詣の深い方で、いま文化庁の長官です。いろいろ相談に乗ってくれています。俳句については理解をして頂いていますが、短歌をどうするかを考えねばならない。俳句の世界は大体前向きで、かなり纏まっています。短歌の方々のご意見をどう集約できるかですね。
(中略)
――ベルギーやスエーデンなど、海外の俳句愛好家の応援も得られそうですね。
有馬 そう。先週、国際俳句協会の講演で、EUの初代大統領であられたファン・ロンパイさんが話してくれました。去年、ベルギーでお会いした時から「ぜひ遺産にしたら」と応援してくれています。それから、スエーデンの大使だったラーシュ・ヴアリエさん、この方も賛成してくれています。むしろ、アメリカやスエーデン、ベルギー、オランダなどヨーロッパが強く賛成してくれているんです。
――国内体制は国際俳句協会が中心ですか?
有馬 むしろ俳人協会が積極的です。現代俳句協会も賛成ですね。伝統俳句協会にも協力をお願いしています。登録まで十年というのは長いように聞こえますが、言い始めてからもう三年経っています。

俳人協会は、有馬氏が顧問を務めているので、当然といえばその通りであろう。

現代俳句協会の賛成に関しては、協会に問い合わせたところ、「有馬氏の呼びかけに対して、芭蕉の生誕地である伊賀上野市が呼応する形で、ユネスコの無形文化遺産登録に向けての動きがあることは承知している」「関係者から具体的なスケジュール案及び基本方針に関して詳しいものが示されているわけではない」「協会として、総論としては理解しているが、具体的なアクションや正式な機関決定には至っていない」との回答をいただいた。

伝統俳句協会への協力の依頼というのが、どういったかたちで行われているのか、問い合わせたものの、本日まで回答をいただけなかった。


さて、わたくしが、俳句の遺産登録に反発を覚えるのは、すでに述べたとおり、あるはずかしさに由来し、登録を進める方々の掲げる、国際交流・国際親善や、それを通じて各地文化の相互理解を推進させ、もって世界平和に寄するとの祈念に、反対があるわけではない。高邁な運動であり、おおいにやっていただきたい、大切な仕事と思う。前年の和食や、これまでに行われた世界各地のさまざまな詩歌詠唱の登録についても同様で、それらは、かかる運動によって知名度が上がり、経済的あるいは文化的な恩恵をえたであろうし、よろこばしい限りであるというしかない。仮にまったくなんらの恩恵がなかったとしても、やはりそれらは、祝うべき慶事であろう。

では、わたくしが、俳句の遺産登録をはずかしいと思うのは、利害でも理屈ではなく、やはり感情の問題である。たとえばであるが、俳句のいわゆる歴史なり伝統なりの正統性は、そもそも疑われてしかるべきであるというような理屈を、ひねることも不可能ではないが、それはやはり、二の次なのだ。

そのはずかしさがなにに由来するのかと言えば、まずは、俳句とは遺産であり、つまり本質的には過去に属するものであるとして、公的に刻印されることを、わたくしたち俳人が喜々として受け入れているものと、思っていただきたくないということがある。

そもそも俳句の遺産登録にかかわらず、これまでにおいても、ひと前で俳人と名乗るとき、あるいは、名乗らなくともそのつもりでいるとき、それはどうも結構なご趣味ですねと、おだてられ、気をつかわれ、あるいは馬鹿にされ、つまりは、たいして興味のない他人の趣味嗜好への適当なあしらいを受けるということであるが、それに対して喜んでいるふりをしなくてはならないとき、わたくしはどうしようもなく、はずかしい。これはもちろん、世間で少数派に属する趣味の持ち主であれば、だれでも思い当たる節のあることと思われる。しかしわたくしは、俳句以外にのめりこむものがないわけではないが、それにしても「シベリア抑留の体験記に目がない」「かつての広島の百貨店開発で出土した化石を集めている」「空いている土地にはイチジクか山桃を植えずにはいられない」など、いささかの役にも立ちそうにないが、わりあい堂々と語ることができる。なぜかといえば、誰にでもちょっと変わった癖はあり、その世間的な無意味も、個人的な意義も、言ってみれば好みの問題として、互いに距離を取り合えるであろうからだ。もちろん自分以外にも、専門家やマニアなど、つまりはそれにすべてをかけて、人生のしあわせはそこにしかないと信じて疑わないひとたちがいることもまた、なにひとつなし得ないわたくしたちの慰めのひとつである。

俳句はそうではない。わたくしたち俳人にとって、俳句とはただ手慰みに、公認された価値を再生産することではない。また誰かに任せられることでもない。俳句によって、わたくしたちは、どこか深いところへといたる。常にとは言わない。これまでできたためしもない。古今の名人には敵わない。しかし、できるのだ。これまで誰ものぞき得なかったくらやみ、そのいわくいいがたい手触りを、得たりと気づいた時にはすでに儚い胸騒ぎが残るのみだとしても、それはわたくしたちみずからが行うしかない。

なるほど。われながら立派なこころがけで、ならばそれを堂々と誇ってはいけない道理もない。ではなぜ俳句の遺産登録を受け入れられないのか。俳句は遺産で、古臭い趣味だと、世間には思わせておいて、自分ひとりはまだ見ぬ少数の理解者に向けて、詩歌の精髄を極めんと邁進すればよいではないか。いやはや、しかし。

ここまで槍玉に挙げておいてなんだが、遺産登録云々にかかわらず、そもそも俳句そのものがはずかしいのであり、俳人であることがはずかしいのだ。いやそうではない、俳句は結構だし俳人であることは立派だと、そこになんらの屈託もないにんげんを、善人だとこそ思うが、信用することはできない。なぜなら俳句とは、その形式においてはじめから不自由なものなのだ。その不自由をこそよろこんで、いやこれは逆説的には自由な天地を得ているのだと、それはいいわけでしかない。まずしさをゆたかさと誇って、それは厚化粧の一人芝居か、さもなくは錯覚である。そこに、世界遺産の、文化登録のと、深々と彫り付けてしまっては、うしろめたくて仕方がない。俳句定型について回る、どうあっても言い繕うことのできないまずしさを、どこで担保すればよいのか。言い換えれば、恥を知るにはどう振る舞えばよいのだろうか。わたくしたちは、手足を縛られ、檻に入れられる。道化を見てやろうと幕が上がる。張り詰めた糸を渡り、荷物を詰めて転がり、そのあやうい芸で見るものを青ざめさせる以外に、なんの見栄があるというのか。

なお、俳句が登録されようとしているのは、正確には「無形文化遺産」であり、和食に関してもそれは同じだが、引用した記事などでも誤用が多くみられ、また世間でも世界との語を冠して受け止めることが少なくないので、いささか迷いながらも、本文中では「俳句の遺産登録」とお茶を濁した。ご寛恕いただければさいわいである。

【みみず・ぶっくすBOOKS】第6回 『夏目漱石句集』 小津夜景

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【みみず・ぶっくすBOOKS】第6回
『夏目漱石句集』

小津夜景



このシリーズを三回休載して、しばらく日本に行ってきた。


三週間ほど東京神楽坂にあるマンションに住んでいたのだが、このたびの滞在でいちばんびっくりしたのは夏目漱石の肖像写真を一日も欠かさず目にしたことだ。神楽坂商店街のフリーペーパー、歴史案内の看板、電車の吊り広告、ミュージアムのポスター、書店の新刊案内、根岸の子規庵(俳人の中村安伸氏の案内で散策した)と町中至るところで漱石を見かけるのである。もしかして没後100年と関係している? うん、そうかもしれない。でもこれだけ露出が多いということは、きっと元々のファンの数も相当いるのだろう。

かくいう自分も漱石は大好きで、部屋にある蔵書(大変貧弱な)の半分以上が漱石関係の本だったこともあるくらいの重症患者だ。フランスの本屋でも漱石は平積み率が高く、その光景を見るたびうふふと嬉しくなる。

ということで今週は、彼の書画句をとてもコンパクトに堪能できる『夏目漱石句集』をとりあげたい。わずか138頁の本文に21の書、32の画、134の句が収録され、そのほか漱石愛用の落款も5種類楽しむことができる優れものの一冊だ。

ヴィヴィッド・オレンジの表紙。価格は8€=1000円。
巻末には注釈があり、岩波書店『漱石全集』を底本とした書画の制作年と解説および俳句の制作番号、制作年、季節などが記されている。また大いに感動してしまったのは、元岩波書店編集者の秋山豊に序文を依頼していること。これだけでも本書の気合いの入り方がわかって嬉しい限りである。


上は序文ページ。落款「破障子」が「どうよ?」って雰囲気でかわいい。ちなみにこの落款、柳本々々氏の解説によると「破障子と見せかけて破師と読むのではないでしょうか。左はホームズの『踊る人形』の暗号みたいなので、コナン・ドイルが好きな破戒僧を意味しているのかもしれません。さらにエクリチュールの等価交換という点からみて、漱石はホームズを書き(探偵)、ホームズは漱石を書いている(神経衰弱)ふしがありますが、漱石ってワトソンに似てますし、だからあの、フリーマンって俳優のひとが好きなんだけれど、かれが漱石やっても違和感ないと思います」とのことであった。わたしも漱石は連続テレヴィ小説の主人公に向いているとおもう。ヴィクトリア朝のホーム・ドラマかなんかの(漱石は破戒僧ならぬ居候の役でお願いしたい)。

家鴨三羽、1903年もしくは1904
畑の花、1904
南画、1914

木陰の釣り人、1913

勅額の霞みて松の間かな
松に縁取られた道、1914
左「有る程の菊抛げ入れよ棺の中」
右「逝く人に留まる人に来る雁」
菫程な(の?)小さき人に生れたし

「蚊ばしらや断食堂の夕暮に」
春の海に橋を懸けたり五大堂
 
と、こんな感じの本である。すごく読み易そうでしょう? 実際この本は書店にゆくたびに見かけるので漱石句集の定番なのだとおもう(漱石の句集は何種類も出版されている)。ついでに、せっかくなので本書の選句がどのようなものか全134句を列挙しておく(句はブログ「夏目漱石俳句集」からの引用)。

18          吾恋は闇夜に似たる月夜かな
24          秋風と共に生へしか初白髪
36          聖人の生れ代りか桐の花
44          弦音にほたりと落る椿かな
49          菜の花の中に小川のねりかな
50          風に乗って軽くのし行く燕かな
116        五重の塔吹き上げられて落葉かな
124        冬の山人通ふとも見えざりき
171        思ふ事只一筋に乙鳥かな
212        秋の山静かに雲の通りけり

295        行秋や消えなんとして残る雪
302        星一つ見えて寐られぬ霜夜哉
307        四壁立つらんぷ許りの寒哉
410        初冬や竹切る山の鉈の音
469        筆の毛の水一滴を氷りけり
498        叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉
506        曼珠沙花あつけらかんと道の端
531        東風や吹く待つとし聞かば今帰り来ん
548        一つ家のひそかに雪に埋れけり
551        天と地の打ち解けりな初霞

716        宵々の窓ほのあかし山焼く火
753        春の江の開いて遠し寺の塔
764        端然と恋をして居る雛かな
776        限りなき春の風なり馬の上
778        古ぼけた江戸錦絵や春の雨
785        永き日やあくびつして分れ行く      
792        窓低し菜の花明り夕曇り
800        一つすと座敷を抜る蛍かな
801        竹四五竿をりをり光る蛍かな
848        淋しくもまた夕顔のさかりかな

904        長けれど何の糸瓜とさがりけり
933        人に言へぬ願の糸の乱れかな
936        忘れしか知らぬ顔して畠打つ
969        凩や海に夕日を吹き落す
1054      餅を切る庖丁鈍し古暦
1062      ひたひたと藻草刈るなり春の水
1066      人に死し鶴に生れて冴返る
1098      菫程な小さき人に生れたし
1116      泳ぎ上がり河童驚く暑かな
1240      仏性は白き桔梗にこそあらめ

1260      今日ぞ知る秋をしきりに降りしきる
1263      渋柿やあかの他人であるからは
1269      秋風や棚に上げたる古かばん
1273      真夜中は淋しからに御月様
1321      水仙の花鼻かぜの枕元
1327      行く年や猫づくまる膝の上
1328      焚かんとす枯葉にまじる霰哉
1340      旅にして申訳なく暮るゝ年
1354      僧帰る竹の裡こそ寒からめ
1388      長かれと夜すがら語る二人かな

1408      病妻の閨に灯ともし暮るゝ秋
1420      秋の日のつれなく見えし別かな
1443      灰色の空低れかゝる枯野哉
1504      光琳の屏風に咲くや福寿草
1547      夜汽車より白きを梅と推しけり
1548      死して名なき人のみ住んで梅の花
1584      さらさらと衣を鳴らして梅見哉
1597      灯もつけず雨戸も引かず梅の花
1641      一輪を雪中梅と名けけり
1683      秋雨や杉の枯葉をくべる音

1694      顔洗ふ盥に立つや秋の影
1727      暗室や心得たりときりぎりす
1728      化学とは花火を造る術ならん
1730      剥製の鵙鳴かなくに昼淋し
1772      安々と海鼠の如き子を生めり
1783      新しき畳に寐たり宵の春
1789      秋風の一人をふくや海の上
1793      赤き日の海に落込む暑かな
1822      三階に独り寐に行く寒かな
1823      句あるべくも花なき国に客となり

1824      筒袖や秋の柩にしたがはず
1825      手向くべき線香もなくて暮の秋
1827      きりぎりすの昔を忍び帰るべし
1828      招かざる薄に帰り来る人ぞ
1870      秋風のしきりに吹くや古榎
1872      朝貌の葉影に猫の眼玉かな
1924      加茂にわたす橋の多さよ春の風
1928      恋猫の眼ばかりに痩せにけり
1971      春の水岩ヲ抱イテ流レケリ
1972      花落チテ砕ケシ影ト流レケリ

1995      朝顔の今や咲くらん空の色
1996      立秋の風に光るよ蜘蛛の糸
2045      二人して雛にかしづく楽しさよ
2081      青梅や空しき籠に雨の糸
2084      まのあたり精霊来たり筆の先
2085      此の下に稲妻起る宵あらん
2106      なつかしき土の臭や松の秋
2115      独居や思ふ事なき三ケ日
2117      花びらに風薫りては散らんとす
2123      別るゝや夢一筋の天の川

2124      秋の江に打ち込む杭の響かな
2125      秋風や唐紅の咽喉仏
2126      秋晴に病間あるや髭を剃る
2127      秋の空浅黄に澄めり杉に斧
2132      風流の昔恋しき紙衣かな
2135      骨立を吹けば疾む身に野分かな
2140      蜻蛉の夢や幾度杭の先
2142      取り留むる命も細き薄かな
2144      虫遠近病む夜ぞ静なる心
2145      余所心三味聞きゐればそゞろ寒

2148      生き返るわれ嬉しさよ菊の秋
2155      生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉
2157      一山や秋色々の竹の色
2161      大切に秋を守れと去りにけり
2164      ともし置いて室明き夜の長かな
2204      逝く人に留まる人に来る雁
2214      肩に来て人懐かしや赤蜻蛉
2222      たゞ一羽来る夜ありけり月の雁
2242      有る程の菊抛げ入れよ棺の中
2244      病んで夢む天の川より出水かな

2245      風に聞け何れか先に散る木の葉
2247      冷やかな脈を護りぬ夜明方
2249      迎火を焚いて誰待つ絽の羽織
2250      朝寒や生きたる骨を動かさず
2261      腸に春滴るや粥の味
2270      稲妻に近くて眠り安からず
2271      灯を消せば涼しき星や窓に入る
2290      錦画や壁に寂びたる江戸の春
2306      琴作る桐の香や春の雨
2319      我一人行く野の末や秋の空

2320      内陣に仏の光る寒哉
2324      同じ橋三たび渡りぬ春の宵
2330      世に遠き心ひまある日永哉
2350      降るとしも見えぬに花の雫哉
2377      芝草や陽炎ふひまを犬の夢
2378      早蕨の拳伸び行く日永哉
2384      魚の影底にしばしば春の水
2434      秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ
2447      竹一本葉四五枚に冬近し
2448      女の子十になりけり梅の花

2475      春雨や身をすり寄せて一つ傘
2484      秋立つや一巻の書の読み残し
2491      風呂吹きや頭の丸き影二つ
2517      明けたかと思ふ夜長の月あかり


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