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俳句の自然 子規への遡行47 橋本直

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俳句の自然 子規への遡行47

橋本 直
初出『若竹』2015年1月号 (一部改変がある)

引き続き子規の鶏頭句を追う。子規の鶏頭の句の中で目立つ傾向をもつと思われるのが、〈高低・大小等の比較や並立〉と、〈本数の詠み込み〉である。

  絲瓜肥え鶏頭痩せぬ背戸の雨    二七
  大木に竝んで高し鷄頭花      二七
  二三本鷄頭咲けり墓の間      二七
  鷄頭の丈を揃へたる土塀哉     二八
  鷄頭の一本殘る畠かな       二八
  芋引かれ豆ひかれ鷄頭二三本    二九
  鷄頭高くのび澁柿低く垂る     二九
  鷄頭も松も植ゑたる小庭哉     二九
  筑波暮れて夕日の鷄頭五六本    二九
  芭蕉青く鷄頭赤き野寺かな     二九
  鷄頭の十本ばかり百姓家      三二
  鷄頭の十四五本もありぬべし    三三
  鷄頭ヤ絲瓜ヤ庵ハ貧ナラズ     三四

まず、比較について。いわゆる取り合わせの詠み方であるが、あるときは他の草木、またあるときは草木ではないものと対比されている。いわば、同じ草類の中で育成の時間差や質の違いがあらわれた作品と、大木、柿、松、芭蕉など、大きな植物との取り合わせによる景の時空間の広がりと、その伸びる方向などの関係性を詠まれたものにわかれる。

前々回引いた「俳句分類」に集められた近世の句群の中でこれらの詠まれ方に近い作品には、⑧の「鶏頭や牛の背を越す影法師」(洞天)があるが、こちらは影をいささか大げさに詠んでいる点で、機知、すなわち理屈っぽい句になっている。一方、子規の句は、病の進行によって歩行困難に陥った明治二十九年秋の句「芋引かれ豆ひかれ鷄頭二三本」に顕著なように、眼前の風景にせよ過去の経験に基づくにせよ、定点観測をする研究者のように、ずっとそこを眺め続けている子規の視線が感じられ、そこで看取したそれぞれの植物の個性の差を取り合わせることで生まれる趣の差が詠まれ、前時代のものとはかなり異なる作風になっているように思う。

次に、本数の詠み込みについて。子規は鶏頭の本数を詠み込んだ句を六句残していて、かつ、単なる偶然か子規の嗜好による為か、年と共に本数が増える傾向にある。その中で、最も注目されるのはやはり「鷄頭の十四五本もありぬべし」だろう。後年、「鶏頭論争」と呼ばれる議論を招き、佳句か駄句かを含めいまだ決着がついている訳ではない、いささかややこしい子規の代表句である。論争の内容を離れ状況だけを確認してゆくと、明治三十三年九月九日に子規庵で行われた、鶏頭を題とした句会中の一句であり、その後同年十一月一〇日の「日本」に「庭前」の前書が付され掲載されている。ところでその頃の子規の日記「仰臥漫録」によれば、句会の前日の八日に床屋がきて句会の翌々日十一日再びその床屋が鶏頭の盆栽を携えて来ている。子規はこれを不折にもらった水彩絵の具でスケッチしており「仰臥漫録」に所収である。その画によれば鶏頭は十六ばかりの花をつけている。すなわち状況としては、床屋から鶏頭の話を聞いて所望した子規が句会ではそれを頭で詠んだ句の可能性があるのであるが、前述の前書のこともあり、子規庵の庭に鶏頭があったのも確かで、この辺りはなんとも言いがたいところがある。

さて本稿で注目しておきたいのは、この句とその翌年の句「鷄頭ヤ絲瓜ヤ庵ハ貧ナラズ」である。それ以前の鶏頭の句とこの二句の違いは、下五の「ありぬべし」「貧ナラズ」という主観の導入である。子規の後の近代俳句で用いられる取り合わせの大きな潮流の一本は、例えば「嬉しさや大豆小豆の庭の秋」(鬼城)のように、景の描写と主観であるはずで、子規がただ「写生」のみに終わった作家ではなかったことは、ここにも現れていると思うのである。

さて、その後も本意本情をもたない鶏頭は自由に詠まれてきたはずであるが、共通の枠もあるようである。

  鶏頭のいたゞきに降る小雨かな   吉岡禅寺洞
  葉鶏頭のいただき踊る驟雨かな   杉田久女

これらは別々の歳時記の例句に収まっているが、かなり似ている印象であり、近世句の②に分類できよう。以下、恣意で引いた近現代の句を、同様に前々回の番号で示す。アルファベットはその時付した記号と対応し、句に共通点のあることを示す。

 ②  人の如鶏頭立てり二三本      前田普羅
 ③  また夜が来る鶏頭の拳かな          山西雅子
 ④a 身の中に種ある憂さや鶏頭花    中村苑子
 ③④ 種吐かす鷄頭逆さ吊りにせる    中原道夫
 ⑦c 火に投げし鶏頭根ごと立ちあがる  大木あまり
 ⑦c 鶏頭を抜けばくるもの風と雪    大野林火
 ⑦d 鶏頭の花にもありて裏おもて    鷹羽狩行 
 ⑨  鶏頭を活けて忌日でありにけり   稲畑汀子  

さらに、子規の句(とその解釈論争)の影響で詠まれたのではないかと思われる句群がある。

    鶏頭立つ子規の六畳臥て一畳    神蔵器 
    けいとうの五十本ほど死ねといひ  小川双々子
    鶏頭の十六本目は臨界点      行川行人
    鶏頭の雄弁な首切り落とす     三木基史

これらは、この時代の詠みの「枠」の一例と見るべきなのかもしれない。


名句に学び無し、 なんだこりゃこそ学びの宝庫(17) 今井聖

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名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (17)
今井 聖

 「街」111号より転載

勤めいやな朝まつこうから燕の白
和知喜八 『和知喜八句集』(1970年)

なんだこりゃ。

ツトメイヤナアサマッコウカラツバメノシロ

この句、今ふうの俗語でいうとヘタレ。働くのは嫌だあ!と叫んでいる。

俳句表現に於ける倫理観はこんな述懐はもってのほか、有り得ないというよりあってはいけないということでやってきた。これは「男」にあらまほしき倫理の逆をいくのだ。

俳句の倫理観が要請する女性観は可愛く健気で賢い少女から良妻賢母に到る道。

おしんのような少女が成長してお茶の水大に入り帝大出の男と結婚して貞淑な妻となり子育てに専念する。良妻賢母に支えられた亭主が国家の上部構造を形成する。

関西財界では、妻は奈良女(奈良女子高等師範)、妾は宝塚というのが「男」の最高の勲章だったとか。

明治からずっとそれで今日まで来た。もちろんバリエーションとして鷹女なんかのモガな「お転婆」と、箸よりも重たいものを持ったことのない乳母日傘の深窓の令嬢あがりがいるにはいた。これは阿部みどり女や橋本多佳子、野澤節子なんかがそれだな。陸軍中将の娘、山林王の嫁、横浜元町の老舗の娘。良家の子女って奴だ。俳句の男社会がそれらを要求した。

男の方はどうかというと、九州男児、東北健児、屯田兵?に象徴される豪放磊落、質実剛健、気は優しくて力持ち。よく食べ、よく働き、ときには身を挺して婦女子を護る鞍馬天狗のような「男ぶり」が基本。それに帝大出の知性と元華族の血筋があればなお結構だ。俳句で描かれるべき倫理観はずっとそれでやってきた。

これこそ他のジャンルでは有り得ないアナクロニズムの倫理規定。結局、富国強兵の駒養成の精神ではないのか。

だからこそ、竹下しづの女の「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎」がいかに革命的だったか。これについては試行燦々の(12)で書いた。

しづの女作品に匹敵するのが和知さんのこの句だと僕は思う。事務員の鬱屈を描いた兜太さんの「銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく」も凄いけど、銀行員はいわば社会的エリート。「選ばれし者の不安と恍惚」の範疇だ。

和知さんのは違う。工場要員の、営業最前線の、泥まみれの二等兵の「本音」だ。

大正二年生れの和知さんは僕にとっては楸邨門の大先輩。

僕が昭和四十六年に寒雷に投句を始めた頃はすでに「響焔」を主宰しておられたが寒雷の東京句会に一度だけ見えたのを覚えている。

久々に見えた和知さんを前にして楸邨は上機嫌。

「すっぽんというこの人の綽名は僕がつけたんです」

和知さんは見事な禿頭を真赤にして笑っている。

すっぽんはその風貌からもなんとなくうかがえるが、作句の上で目標に喰い付いたら離れない、どこまでも工夫し追い求めていくという姿勢もこの綽名の由来。
綽名に違わず、

  霜くるか熔鉱炉一日一日赭し

  運河越えてきて蝶がとぶ鉄の上

  赤化誰れ彼れ甘藷洗っては水から出す

  ただの妻ただの星子の風邪癒えて

  煙突の下の梅雨月裸で湯へ

  赭い裸二つが乗って煙突壊す

  鉄工達月出るまえにもう黄色く

  「喜八の大バカ!」田に熱くきき雪国星夜

  餃子で一杯火が点いて翔ぶ俳句野郎

どうです。まさに「すっぽん」でしょう。

和知さんの詩形目一杯に詰め込むこういう文体は「腸詰俳句」と悪口を言われた。ならば、季語の本意、本情を詠むといいながら鯛焼の鋳型の中で言葉を流暢に流して作るのが俳句か。

芭蕉の「わび・さび」はほんとうにそんなところに眼目があったのか。最愛の主君が死んで「野晒し」の旅に出た芭蕉の激情を「わび・さび」の背景に読み取るのが「俳諧」ではないのか。

日本鋼管の職場で、熔鉱炉の熱を浴びながら汗し、組合運動で反権力を組織し、裸で煙突を壊し、妻子を愛し、餃子を喰い、ホッピーを呷りながら自分のことを大馬鹿と罵る。そして来る日も来る日も月が出る前に黄色くなるほど働いたんだからもういいでしょ、「勤めがいやだ。働きたくねえ!」と叫んでも。

まっこうからくる燕の白は鮮烈でエネルギッシュ。怠けたい「私」に対して一見叱咤しているように見えるが鳥だって飢えによってうながされている。

やってられないのは人間ばかりではないのだ。

なんだこりゃこそ学びの宝庫。


「街」俳句の会サイト ≫見る

10くテキスト 竹岡一郎 進メ非時悲ノ霊ダ 前篇

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竹岡一郎
進(スス)メ非時(トキジク)悲(ヒ)ノ霊(タマ)ダ
前篇:舌もてどくどくする水平線を幾度なぞつてもふやけず諦めず舌が鳥になるまでパアマネントは褒めませう

禁野の鹿夜ごとの月に舌挿し入れ
うするるか木犀の香と産土と
敬老の日は馬券散りたそがるる
善人が黙(もだ)えらぶ世の鵙日和
千代ちやんの舌吸ふ秋の蛸断片
魚たちの合金の鰭むしる長夜
麻薬のやうな霧湧く広場だが爆破
満月が毀(こぼ)れてはデモ隊となる
議事堂裏に潜む僕だけに鰯雲
ふるさとを捲(めく)つてあたし鯖雲出す
つゆくさの青へ沁みゆく懺悔かな
蛇穴に入るまへ羽と四肢が降る
「要らん子」と競技場が僕吐く秋
けふ牡鹿かの巫を突きに突く
砲兵工廠勢(きほ)ふ舌より紅葉(もみ)づらん
菜種蒔く重火器さわぐ道の左右(さう)
寺焼いて放つ椋鳥みるまに増え
末枯や喘ぐ拍子に舌失くす
議事堂無月見渡す限り髑髏馬
つひに身にしむ獣の数字せめて素数を
豺に暗愚の首を祭らせん
火炎放射器では消せぬ虫時雨
広場の長き傷口覗けば銀河
俺とならび飛ぶ雁すでに唖なるが
紅葉且つ散る鉄路にも貼りつく遺書
野菊よ何処へ特攻すれば咲(わら)つてくれた
明治節血文字黒ずむ直訴状
鹿よりも瘦せ爛爛と法学者
わが舌は長夜の獄を舐め熔かす
瞋り光り巨塔へなだれ込む鹿たち

10句作品 竹岡一郎 進メ非時)悲ノ霊ダ 前篇

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週刊俳句 第446号 2015-11-8
竹岡一郎 進(スス)メ非時(トキジク)悲(ヒ)ノ霊(タマ)ダ 前篇
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第446号 2015年11月8日

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第446号
2015年11月8日


2015 角川俳句賞落選展 ≫見る

2014「石田波郷賞」落選展 ≫見る


竹岡一郎
(スス)メ非時(トキジク)(ヒ)ノ霊(タマ)
前篇:舌もてどくどくする水平線を幾度なぞつてもふやけず諦めず舌が鳥になるまでパアマネントは褒めませう 30句 ≫読む

……………………………………………

名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫(17)
勤めいやな朝まつこうから燕の白 和知喜八
……今井 聖 ≫読む

俳句の自然 子規への遡行 47……橋本直 ≫読む

自由律俳句を読む 115
「鉄塊」を読む〔1〕……畠働猫  ≫読む

連載 八田木枯の一句
いちにちが障子に隙間なく過ぎぬ……西原天気 ≫読む

〔今週号の表紙〕白銀葭……西村小市 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む


 
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後記+プロフィール 第446号

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後記 ● 西原天気

2日間ほど、気を失っておりました。

およそ48時間遅れの後記です。



とはいえ、書くことがありません。

ので、ものすごくどうでもいい、個人的なことをお話しします。

わたくしは、小さなかばんは持ちません。ある程度大きいほうが便利なので。地図とかカメラとか文庫本とかをいつも入れているので、重くもなります。

で、たまには掃除しなくてはと、中に入れたものをあらかた外に出して、洗面台の上でかばんを裏返し、逆さにして、振りました。

すると、カメラのホットシューカバーがぽろり。こういうちっこいやつね。
http://site-ichijo.net/blog/img/2012/03/20120317_1.jpg

うれしい。

さらに500円玉がちゃりん。 

うれしい。

かばんは、ときどき裏返して逆さに振ってみるべきなのですね。



角川俳句賞落選展」、まだまだ開催中です。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。



no.446/2015-11-8 profile

竹岡一郎 たけおか・いちろう
昭和38年8月生まれ。「鷹」月光集同人。句集『蜂の巣マシンガン』(平成23年、ふらんす堂)『ふるさとのはつこひ』(平成27年、ふらんす堂)

■今井 聖 いまい・せい
1950年生まれ。加藤楸邨に師事。「街」主宰。句集に「谷間の家具」「バーベルに月乗せて」など。脚本家として映画「エイジアンブルー」など。長編エッセイ『ライク・ア・ローリングス トーン』(岩波書店)、 『部活で俳句』(岩波ジュニア新書)など。「街」HP

■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。「俳句の創作と研究のホームページ」

■畠 働猫 はた・どうみょう
1975年生まれ。北海道札幌市在住。自由律俳句集団「鉄塊」を中心とした活動を経て、現在「自由律句のひろば」在籍。

西村小市 にしむら・こいち
1950年神戸市生まれ、埼玉県在住。2007年より「ほんやらなまず句会」参加、2012年「街」入会。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter

〔今週号の表紙〕第447号 てのひらの北風 中嶋憲武

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〔今週号の表紙〕
第447号 てのひらの北風

中嶋憲武

1963年の冬の土曜日の午後、たしかにこの場所を通った記憶があるんだとあなたが言ったから、わたしもなるべくその記憶に沿うように、心を蝶にしてみたんだけど、それはわたしの限界だった。1963年なんて、それこそ父母未生以前の事をやぶから棒に言われたって。そんな事アンリ・ミショーだって書いてないんだ。

四半世紀も歳が離れてる。白髪混じりの長髪を、あっちやったりこっちやったりしながら、まだ考えてる。

この変電所の壁、見覚えがあるんだけどな。この白い二本のパイプとか。

その壁は一様に黒ずんでいて、ところどころ不気味なしみもあるし、罅割れや、近くの電線の影がぬらぬら横切って、有刺鉄線が貼り付いてるみたいに見える。わたしからすればまるで創造性の片鱗もない、融通の利かない極めて官僚的な建物だった。

不条理を寄せ集めて出来てるみたいだよ。

わたしがそう感想を洩らすと、あなたは八の字の眉毛をこれ以上下がんないってくらい下げて、わたしを振り返り歩みを止め、わずかににやりとし、文学的な表現は俺には分かんねえなと言って歩き出した。

北池袋の変電所は彼にとって、1963年の冬の土曜日を思い出させるイコン的な何かなのだ。そう認識しつつ、線路沿いの道を歩いた。菱形の金網フェンスに、四本の指をひっかけながら、金網の凹凸を楽しむかのように歩いた。初冬の金網は冷え冷えとしていて、気持ちがよかった。金網に触れずに自由となっていた親指の指紋の渦だけが、微かな北の風を感じ続けていた。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

10句作品テキスト 竹岡一郎 進メ非時悲ノ霊ダ 後篇

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竹岡一郎
進(スス)メ非時(トキジク)悲(ヒ)ノ霊(タマ)ダ
後篇:接吻一擲無智一擲惜しむべからず抱くまでは木琴聴いても正気が足りぬ億兆の新たなる終末に洗濯は素敵だ!

神在の鍾乳洞が俺を吐く
極細の鮫が毎日首都へ降る
漆黒たらんと白鳥のこころざし
開戦日不眠不休のハッカーら
不死の鮫なみだの海に鰭磨き
開戦日死の商人が美男子だ
鮫の背骨が折れてることは言はないで
開戦日全霊で猫抱いて坐す
一家戦没以来不死なる竈猫
島の遺骨の上の無恥なる我等へ鮫
海底は人魚鳴きあふ開戦日
開戦日発電所から鮫!鮫!鮫!
人参採り呉れたる友が敵国人
鮫の群より零戦が離脱せり
独居老人首都を悼むに雪降らす
霊として鮫は獲物を選ばない
鮫食つて鮫の気持ちの黙示録
ぐん軍はらひさげひん払下品として人魚冷ゆ
ねぢれ燃え地核へ進む鮫一塊
クリスマス可愛さ川獺真つ赤な噓
思春期の喉は斉しく鮫の歯痕
有刺鉄線より聖骸へ凍みる戦史
産めよ呪へよ鮫よ造兵廠すてき
空爆の屍が飾る大聖樹
弾倉に着ぶくれてゐる女の子
まつろはず鮫の穿てる舌なれば
鶴凍てて難民の子へ翼貸す
悪党の僕に聖菓を強いるなよ
主権即ち人魚に在れば吹雪く国会
勇魚らが空母大破しつつ回遊


10句作品 竹岡一郎 進メ非時悲ノ霊ダ 後篇

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週刊俳句 第446号 2015-11-15
竹岡一郎 進(スス)メ非時(トキジク)悲(ヒ)ノ霊(タマ)ダ 後篇
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テキストはこちら
第447号の表紙に戻る

【八田木枯の一句】絵屏風を立てて風邪寝の部屋らしく 西村麒麟

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【八田木枯の一句】
絵屏風を立てて風邪寝の部屋らしく

西村麒麟


『八田木枯少年期句集』より。

絵屏風を立てて風邪寝の部屋らしく  八田木枯

高熱や咳のひどい時期を終えて、安静にしていなさい、ぐらいの状態だろう。

世の中には暇で暇で困るという状態でないと出来ないことがある。風邪寝は本人が望んだわけではないけど、まぁ、暇な状態と言える。かといって読書をするほど元気ではない、病人だもの。

天井の木目を見たり、布団や枕の刺繍を観察したり、仏壇や普段はちっとも見ない壺なんかを布団の中から眺めたりする。

なんせ暇なもので。

そんなもん楽しくはないだろうと思うけれど、案外楽しいものだ。ちなみに僕は木目を見るだけでも楽しい(病気の時は)。

絵屏風なんかは最高に楽しいはずだ。山を巡り舟に乗ったり、釣や酒を楽しむ。目で遊ぶにはこれ以上の玩具はないだろう。

これもまた豊かな時間だ。


後記+プロフィール 第447号

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後記 ● 福田若之

えっ、失神? いやいや、しませんとも。

そういえば、真面目な話、酩酊や寝落ちはともかく、失神の体験はありません。いや、してみたいというわけではないけれど。

そもそも、失神が失神として体験されることってあるんでしょうかね。失神するときに「あぁ失神するわー」と自覚して失神したって話は現実には聞いたことがないなあと思って……あ、よく考えたら、酩酊とか寝落ちもそうか。どういう原理なんでしょうね。脳って不思議。



角川俳句賞落選展」、いま、「読む」コーナーの企画を練っているところです。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。



no.447/2015-11-15 profile

竹岡一郎 たけおか・いちろう
昭和38年8月生まれ。「鷹」月光集同人。句集『蜂の巣マシンガン』(平成23年、ふらんす堂)『ふるさとのはつこひ』(平成27年、ふらんす堂)

■西村 麒麟 にしむら・きりん
1983年生れ、「古志」所属。 句集『鶉』(2013・私家版)。第4回芝不器男俳句新人賞大石悦子奨励賞、第5回田中裕明賞(ともに2014)を受賞。
 
■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「ku+」、「オルガン」に参加。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

自由律俳句を読む 116 「鉄塊」を読む〔2〕 畠働猫

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自由律俳句を読む 116

「鉄塊」を読む2



畠 働猫



前回に引き続き、「鉄塊」の句会に投句された作品を鑑賞する。

今回は時間の都合もあり、第三回(20127月)のみより。







◎第三回鍛錬句会(20127月)より

あー死にたい。でも死ねないのは君のせいだよ 渋谷知宏

「初めてのチュウ」かな。

句点の使用や散文調が、当時は斬新だったのかもしれない。今見ると素直に過ぎる気もする。

渋谷氏は「俳句とは何か」と問う自己テーマを持っていたように思う。



くそ暑い日の昼飯の味噌汁 渋谷知宏

泣きっ面に蜂のような句意を読むべきなのかもしれない。

しかし、「食べたくないもの」が食卓にあるという状況は、それが他者に供されたものであることを示している。

ゆえにこれはある面で幸福を詠んだ句と言える。

当たり前のように享受している幸福を発見し詠んだものとすれば、実に鋭敏な感覚の持ち主と思う。

「不自由と嘆いている自由がここにある」(「パール」吉井和哉)



空蝉のくるぶしあたり 渋谷知宏

「空蝉」そのもののくるぶしは想像しがたい。

このくるぶしは誰のものか。

ともかく「の」が切れ字となって、視点の移動が行われていることはわかる。

詠者の目線はもともと低い。

座っているのかもしれない。しゃがんでいるのかもしれない。

夏の夕暮れ。少年はしゃがみ込み、うつむきながら待っている。

見知らぬ足ばかりがその視線の先を通り過ぎてゆく。

そして止まった足。

そこで初めて気づく。そのくるぶしと同じ高さにへばりついた空蝉を。

(「の」の切れは、このように、発見の順番が「くるぶし」→「空蝉」であることを示している。)

路肩のブロックだろうか。

低い。こんなところで脱皮を始めてしまったのか。

生き急ぐ蝉の姿に少年は何を重ねるのか。

夕焼けに顔を上げれば、優しい母の顔があり、少年はそのくるぶしと並んで帰る。



「またコロッケか蝉しぐれ」(働猫)



うらぶれて私の影を踏む 春風亭馬堤曲

会いに来た者が誰であるか、で読みも変わろう。

そんな者に踏まれている自分の影を気にするエゴイズムが心地よい。



日陰ばかり歩く 春風亭馬堤曲

「人生であった」と続けば、陳腐の極みであるが、実景かもしれないととれる余地を残すことで句として成功している。

下校時に「日陰から出たら死ぬルール」で帰っている小学生を詠んだものかもしれない。



いつまでも玄関先の野あざみ 春風亭馬堤曲

寂しく静かであるが、どこか懐かしく胸を打つ。

「いつまでも」とは、本来はそうであってはならないというだ。

家人の不在、あるいは変調のために、雑草が抜かれなくなってしまった状況を詠んでいるのだろう。

かつて足繁く通った家の変化。

引っ越していってしまった女の子の家かもしれない。

これも小学生の姿が浮かぶ。



朝刊に裏切られる試合の結末 白川玄斎

なんだか今風ではない。インターネットの無い時代であろうか。

自分はスポーツ観戦の習慣がなく、新聞も読まないので馴染まない景だ。

ただ、「昔の大人」はこうだったんだろうな、という感がある。



君への仇討のために幸せになろう 白川玄斎

「仇討」という語が選択ミスではないかと思う。

恐らく「あてつけ」くらいの意であろうかと思うが、「君への仇討」という用法には無理がある。

「君の仇討」であれば、亡くした君のためにその分も幸せになるという意になろう。しかし、「君への」では、おそらく仇は「君」となり、討つべきも「君」となる。意味がよくわからない。

そこが面白さかもしれないが、汲めない。



政治を憂いて元気な老人たち 白川玄斎

定年や隠居によって、様々な世俗の義理から解放されることで、老人は政治を語りやすくなるのだと思う。

「元気な」をあえて詠んでいるところから、そこに詠者の覚えた違和がある。

恐らく病院の待合だろう。

体調を崩して行った病院で、侃々諤々、政治について議論を交わす老人たちを見る。明らかに今の自分よりも元気である。

こんなに具合が悪いのに、老人で込み合う病院ではなかなか順番が来ない。

政治も診察も若者は後回しである。

次代を担うべき若者は疲弊し、搾取されるばかりだ。

わずか3年前の句である。

当時は一般的に「政治」を語るのは老人だけであった。

今現在、若者中心の政治活動やパフォーマンスが行われている状況を思うと隔世の感がある。

私は未だ俗世に生きる身であるので、それらについて是非を述べるのは控える。



雨が長居させてくれた 天坂寝覚

佳句と思う。

寝覚には雨の句が多いが、最近思うのは、彼が特別雨を好んでいるわけではないのだろう、ということだ。

恐らくは「ア・メ」あるいは「AME」という音が、彼の心情を刺激し、作句に至らせる働きもつのだ。

これは私自身が最近自句の傾向について思うことでもある。

私は「雨」「雪」「月」「猫」「風」「影」を詠むことが多い。

それらは多くの場合、音、あるいは音楽の一要素として頭に浮かぶ。

たとえば「月」は「~ヅキ」「ゲッコー」など濁音で浮かぶ傾向を自覚している。

寝覚の「雨」もそのような素材ではないか。

この句においても、「雨」は別になんでもよいのだ。

出発や別れを引き留めるものであれば「雪」であろうと「闇」であろうとかまわない。

しかしそこで「雨」を選ばずにおれないこと。

そこには恐らく音楽的な理由がある。



もういい月がでた 天坂寝覚

「もう、いい月がでた」とも読めるが、それでは詠む意味がない。

「もういい」は投げやりな打ち切りであろう。

出口の見えない諍いや、解決できない悩みを投げ捨てるように視線を空に向ける。月が出ても何かが変わるわけではない。

ただ、今の状況を一瞬忘れることぐらいはできる。

人間はそんな風にして太古から月を見上げてきたのだ。



みんな棄てて帰る海風がすずしい 天坂寝覚

「棄てて」という表記には、意思が強く表れている。

決意とは棄てることでもある。

昨日までをすべて海に投げ棄てて、帰る道の清々しさ(あるいは強がり)を思う。



小さきおなら駅から歩め 中筋祖啓

ユーモラスであるが、おならが下痢の兆候であれば、途端に場面は緊迫する。

駅から目的地までどれくらいかわからないが、無事に着いたことを祈る。



ガソリンスタンドは、まばゆい 中筋祖啓

発見だったのだろうが、このままでは素材の提示だけにとどまっている。

原始の眼による発見は、時としてこのように相手に通じない言葉になってしまう。ここに、言わば翻訳ともいうべき操作を加えなければ、他者に響く句にはならない。

禅の公案の答えが我々凡人には不可解であるように。



キィーン!ポールにカバンが当たったぞ 中筋祖啓

これも素材感が強い。

音とそのあとに音の説明があり、状況は過不足なく理解できる。しかしそこには想像の余地がない。

音か説明のどちらかを省略して感じ取らせる余白を作るべきだろう。



酔いたい夜の酔えない 馬場古戸暢

飲んでも酔えないのか、飲んではいけない夜なのか。



若気の至りの上限にいる 馬場古戸暢

「鉄塊」のキャッチフレーズとしても提示された句である。

「上限」には、もはや降って行くばかりの悲しさもある。

「鉄塊」が恒久的なものではないことは、誰もが予想していた。

一瞬の望月を愛でるように、我々は同じ時を過ごしたのだ。



汗臭く日の暮れる 馬場古戸暢

労働句であろう。一日働いた作業着の臭いであろうか。



乾いた土に雨のまるさ 藤井雪兎

降り始めた雨が、乾いた土に落ちる。すぐには吸収されずに丸い水滴のまま残っている。確かに見たことのある景である。

しかしこんなに小さな対象の、それも一瞬のできごとを切り取る視点の鋭さを感じる。

まるで時間を止めてしまったかのような、緊迫感さえ覚える静けさ。

時折、句を「つかむ」「拾う」瞬間がある。

句を「つくる」のではなく、句が「できる」瞬間だ。

これもまた、そうした句の一つであったのではないか。



花の名前で雨に濡れている 藤井雪兎

美しい句だ。

その名前は読み手の記憶に委ねられるのだろう。

ユリ、スミレなど、花の名を持つ女性との記憶が、胸の痛みとともに呼び起こされる。もうその髪や頬を拭うこともできない。手の届かない情景が、後悔と悲しみとともに眼前に広がるようだ。



稲妻にこの姿見せに行く 藤井雪兎

どうにも全裸であろうかと思う。

悪天候における高揚感がよく表れている。



心配して損した前歯欠けてる 松田畦道

前歯が欠けているのは、心配した方かされた方か。

された方なら、不幸中の幸い。その程度で済んでよかったね、という景か。

微笑ましい状況のようでもある。



なにができるミシンの音か 松田畦道

日曜の午後の安らぎに満ちた時間を思う。

結婚もよいものかもしれないと感じさせてくれる句だ。



花の名を忘れた口へ匙を運ぶ 松田畦道

小説や映画のタイトルのようだ。

物語を感じさせる。

介護であろう。かつて自分に花の名を教えてくれた母親であろうか。

美しい親子愛である。

現実の介護は美しいばかりではないが、こんな風に愛を感じる瞬間が救いになるだろう。



桃そっと置かれたまま腐っとる 矢野風狂子

仏壇であろうか。墓であろうか。

「そっと」は、桃自体の佇まいでもあり、また置いた者の心情でもあろう。

「腐っとる」と見ている視点は誰のものか。

供えられている故人の目と見るのもおもしろい。

しかし供えたもの、供えられたもののどちらでもない、第三者の目とするのが最もふさわしかろう。

まず、匂いがあったはずである。

爛熟した芳香から、視線が誘導された先にそっと桃が置かれているのを発見したのだ。それから黒ずんだ桃に触れてみたのかもしれない。ぶよぶよとした果肉がぐずぐずと指先で崩れただろう。

桃を五感で感じる句である。

句材として選んだ「桃」自体が優れているとも言える。



蟷螂の子がポトリと落ちてもがくメダカの水槽 矢野風狂子

やや饒舌に過ぎるか。

カマキリは卵嚢から出てきた瞬間からあの形をしている。

それはとても不思議だ。

以前、小学生の頃であったか、孵化したカマキリが部屋中に溢れだしたことがあった。虫かごに入れていたのだが、蓋の隙間が広すぎたようだ。

捕まえようとすれば潰れてしまう。

思案の末、ガムテープで捕らえたのだった。

無数のカマキリがテープに張り付いてうごめいている様子は、阿鼻叫喚、地獄のような状況だった。



どっかの犬が吠え続ける夜を帰る 矢野風狂子

吠えたてられるように、責められるかのように聞いているのだろう。

また何かに負けた。そんな夜であったのだろう。







*     *     *







次回は、「鉄塊」を読む〔3〕。


第447号 2015年11月15日

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第447号
2015年11月15日


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竹岡一郎
(スス)メ非時(トキジク)(ヒ)ノ霊(タマ)
後篇:接吻一擲無智一擲惜しむべからず抱くまでは木琴聴いても正気が足りぬ億兆の新たなる終末に洗濯は素敵だ! 30句 ≫読む

……………………………………………

自由律俳句を読む 116
「鉄塊」を読む〔2〕……畠働猫  ≫読む

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後記+プロフィール 第448号

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後記 ● 村田 篠


中島憲武さんの〔ハイクふぃくしょん〕を読んで、自分のプチ家出のことを思い出しました。親とけんかをして、捨て台詞を吐いて家を出ました。いちおう、リュックに身の回りのものを詰めて出ましたが、本気でどこかへ行くつもりはなく、夜になるまで街をぶらついていました。

電気屋さんの店頭テレビか、喫茶店で見たテレビか忘れましたが、北の湖と先代貴ノ花の優勝決定戦が行われて、貴ノ花が優勝したシーンを放映していました。貴ノ花の優勝を喜んで、テレビ画面を座布団が舞っていたのをよく覚えています。相撲にまだまだ人気があった時代で、ことに貴ノ花の人気は凄まじく、北の湖はいつも敵役でしたが、私は愛想のない北の湖が好きでした。

プチ家出の記憶は、どれだけ時間がたっても、この優勝決定戦のシーンとセットになって出てきます。残像のようなものかもしれませんが。

それにしても、一句から話を作り上げる憲武さんの〔ハイクふぃくしょん〕には、いつも感心します。毎回読むのが楽しみです。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.448/2015-11-22 profile

千倉由穂 ちくら・ゆほ
1991年生。宮城県出身、東京都在住。「小熊座」所属。

■今井 聖 いまい・せい
1950年生まれ。加藤楸邨に師事。「街」主宰。句集に「谷間の家具」「バーベルに月乗せて」など。脚本家として映画「エイジアンブルー」など。長編エッセイ『ライク・ア・ローリングス トーン』(岩波書店)、 『部活で俳句』(岩波ジュニア新書)など。「街」HP

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■太田うさぎ おおた・うさぎ
1963年東京生まれ。「豆の木」「雷魚」会員。「なんぢや」同人。現代俳句協会会員。共著に『俳コレ』(2011年、邑書林)。

■畠 働猫 はた・どうみょう
1975年生まれ。北海道札幌市在住。自由律俳句集団「鉄塊」を中心とした活動を経て、現在「自由律句のひろば」在籍。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」

〔今週号の表紙〕第448号 東京スカイツリー 西原天気

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〔今週号の表紙〕
第448号 東京スカイツリー

西原天気




東京スカイツリーは2012年5月開業。もう3年以上経つのですね。この種の塔は、あたりを歩くといつも町並みから、ビル群から、空へと突っ立っている。顕著な風景というかメルクマールというか、イメージの働きが強い。それはむかし浅草に「十二階」(凌雲閣)があった時代と同じなのでしょう。夜くらいは存在を消すとまでは行かなくてもちょっと地味になってくれてもいいのですが、いまどきの塔は電飾を豪華に纏い、昼間よりむしろ存在感を増します。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら


自由律俳句を読む117 「鉄塊」を読む〔3〕 畠 働猫

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自由律俳句を読む 117
「鉄塊」を読む〔3〕

畠 働猫


前回に引き続き、「鉄塊」の句会に投句された作品を鑑賞する。
今回は第四回(2012年8月)~第五回(2012年9月)から。

◎第四回鍛錬句会(2012年8月)より

風に吹かれて転がる蝉だ 渋谷知宏
8日目の蝉であろう。昨日まで激しく鳴いていた蝉の儚い姿を描写した。
切れをどこに読むかで解釈に差異が生まれる。
「吹かれて」に切れを置くと情景の単なる描写となり、平凡な句となってしまう。
しかしおそらく作者は、「転がる」で切り、対象が「蝉」であったという発見(驚き)を句の中心に据えることを意図している。
口語で詠まれる自由律俳句において、「切れ字」は馴染まない。したがって、切れ字を用いない切れを表現する工夫が求められることになる。
この句では切れをもっと明確にすべきであったように思う。

車の中の独り夢から覚める 渋谷知宏
営業途中でコンビニや公園脇で仮眠している姿を見かけることがある。
朝から晩まで職場に居なくてはならない自分から見ると、多少の憧れを感じる光景でもあるが、そこにはまた違った苦しみが存在しているのだろう。
どんな夢を見ていたものか。前世に蝉であった記憶を見ていたものかもしれない。

この蝉の声を俺は聞いたか 渋谷知宏
「風に吹かれて転がる蝉だ」の続きの句であろう。
死んだ蝉は生きた証を残しただろうか。それを思い、自分自身の人生を思っているのであろう。

時計草さるすべりと並び夏夜 春風亭馬堤曲
「時計草」「さるすべり」「夏夜」と夏の季語を3つ盛り込んだ句である。
おそらくは季語の豊潤さを陳腐化しようという狙いがあるのだろう。
実験的な句(あるいは挑戦的な句)であるとは言える。

賽銭箱から千円落ちポッケへしまう 春風亭馬堤曲
行為自体はただの窃盗である。しかしここに、日本における神と人とのおおらかな関係性を確認することができる。
「賽銭箱」に入りきらなかったものが落ちたのだ、これは神様から分け与えられた救いの手である。そんな都合のよい解釈ができてしまう。
その千円で救われたならば、いずれどこかの寺社に寄進するとよかろう。

水の音して街は留守 春風亭馬堤曲
美しい情景、心象風景を詠んだものととった。
静かなせせらぎか、流れる水の音の中で微睡んでいる様子であろう。
「街は留守」とは、詠まれた時期からお盆休みの帰省により東京から人がいなくなった様子か。
しかし、「水の音」を水害と考えれば「街は留守」という表現が不穏な色を帯びてくる。作者の本意ではなかろうが、震災の記憶が蘇る。

苦瓜をひとつ実らせる人生か 白川玄齋
自嘲、諧謔を込めて(おそらくは)自分自身の人生を客観視しているのであろう。
こういった句を俳味があるというのであろうか。

頑張らない君は頑張れと言うなかれ 白川玄齋
中島みゆきの「ファイト!」の歌詞のようだ。
「頑張れ」は無責任な圧力、あるいは命令である。不用意に投げかけるべき言葉ではない。

真面目が過ぎて詩歌にならず 白川玄齋
ここで言うような「真面目」さならば、ときに他者から見れば滑稽であり、充分に詩となるものであろう。ドンキホーテの抒情に通じるものだ。また、そもそも対象に向き合う真摯さが無ければ、詩などできようはずもない。
詩歌にならない理由はどうやらほかにありそうだ。

空が青い風邪をひいたことにしよう 天坂寝覚
学校か仕事か。ともかく今日は休みにした。
そこまで気持ちのいい青空だったのか、それとも空はどうでもよかったのか。
たぶん月曜日だったのだろう。そういう気がする。

皆出て行った花火の音 天坂寝覚
花火が象徴するものは、華やかさや幸福であろう。
ともに行くこともできた場所に背を向けて、一人でいる。
遠く聞こえる花火の音が、それをどんなに強調したとしても、自ら選んだ孤独である。素直になれなかった自分、あるいは少年の日を思い出すような句である。

大きな虫が入ってきた夏の天井 天坂寝覚
闖入者である。
窓を開けていたために、家の灯りに誘われて飛び込んできたものだろう。
なんとなく団欒を思う。
一人ならば黙って打ち殺して捨てるか、窓から逃がして終わりであろうから。
一人ではないからこそ、飛び込んできた虫が話題になって、みんなで天井を見上げることになった。そんな景だろう。夏の、微笑ましく幸福な一コマであったように思う。

遮るくらい見上げた空に雲カーテン 中筋祖啓
さてどう読んだものか。
夏の日を遮る雲をカーテンに見立てているだけなのか。
それとも日輪を肉眼で見続ける苦行を見かねて誰かがカーテンを閉めてくれた景なのか。
あるいは雲の柄のカーテンなのか。
いや、「くらい」は暗いであると読むべきか。歩いていて日が翳った。見上げると雲が太陽を覆っていた。これはカーテンだ。
たぶん最後の読みでいいような気がする。自信はないが。

ドクダミのポンポン隊で応援します 中筋祖啓
もう、「ありがとう」としか言いようがない。

彼方からパンツと告げし乙女二人 中筋祖啓
おもしろい。
「彼方から」の誇張も効いているし、「パンツ」と「乙女」の取り合わせもいい。
しかしおそらくはそうした計算は何もなく、ただ起こった事象を「原始の眼」で眺めると、このように認識され、このようにアウトプットされることになるのだろう。

俺の願いの落ちとる七夕 馬場古戸暢
良句と思う。
「落ちとる」と方言を用いることによって、現実感と軽妙さが加わっている。
「とほほ」あるいは「やれやれ」といったところか。
「俺」が短冊に書いた願い事は、牽牛も織女も見ることができなかったことだろう。

煙草の煙の向こうはスコール 馬場古戸暢
ベランダだろうか。煙草を吸いながら、雨に煙る町を眺めているのだろう。
何もかもがもやもやと不鮮明であり、非現実的な景を作り出していたのだろう。

雨のまにまにアブラゼミ 馬場古戸暢
夕立だろうか。
さーっと来て、玄関先を湿らせては去ってゆく夕立。
その雨と雨の間に、生きている主張のように蝉の声がする。
あるいは、雨の間も蝉は鳴いていたのかもしれない。
断続的な音を描くことで、時間の流れを表現している。

ガム踏んで思い出す過去もある 藤井雪兎
思い出したくない過去であろう。
ガムを踏むこと自体がすでに小さな不幸であるが、それが象徴するものを考えれば「思い出す過去」も、より重さを増す。
ガムを踏むことは、かつて自分の足にあった枷を思い出させるのだろう。
様々な状況、家族や友人といった環境的なものかもしれない、あるいは自らの拘泥したものかもしれない。
前へ進むために断ち切ってきたもの。捨ててきたもの。
そして忘れかけていたもの。
そうした過去が、ガムを踏むことによってフラッシュバックのように思いだされてきた景なのではないだろうか。

全身を口にして黙っている 藤井雪兎
言いたいことを抱えながら、言えない状況なのだろう。
叱られている子供、告白を控えているとき、年長者の自慢話を聞いているとき、など。様々な状況は考えられるが、まず浮かんだのは「叱られている子供」であった。「言い訳」「口答え」をするなと意見する権利を奪われて黙っているしかない状況。もう少し世知に長けてくれば、反省したふりをして説教の時間を短くすることもできるようになるが、まだそれができない。
記憶の中の自分が蘇ってきたのだが、次の句が同じ景の続きであると考えると、「告白」の読みの方がふさわしいのかもしれない。

なかなか話さない口のくしゃみ 藤井雪兎
相手の言葉を待っているのだろう。
今か今かと思っていたら、言葉でなくくしゃみが出た。
夏目漱石の「こころ」における「K」を思い浮かべた。
口の思い人物が、何か言いたいことを持っている。しかしなかなか話し出さず、口をもごもごさせている。
相手の告白は良いことか、悪いことか。どちらを想像するかで読みも変わろう。

鳴らない電話と胡坐かいてる 松田畦道
何かの返答や結果を待っているのだろう。
どうにも黒電話を想像してしまう昭和の人間である。
野球もしてないのに、あるいは小説も書いていないのに、ドラフトや芥川賞の時期にこんな気持ちになる、と読めばおもしろい景でもある。
何らかの災害や事件に巻き込まれた知人の安否確認のために連絡を待っている、という状況も読めよう。
来るかもしれない電話を待っている状況というのは、辛いものだ。
いつまでという期限もなく行動を制限される。
「電話」というツールが廃れていくのは、ごく自然な流れであるように思う。

チョークで書いた線路どこへも行けない 松田畦道
これも子供の頃の記憶を刺激する。
ただ遠くに憧れた、とも読めるだろう。しかしそれは幸福な幼年期を過ごした者の読みである。
そうでない者は、幼く弱かった自分を思い返す。この苦しみから逃げ出したくて線路を描いた。その先に輝かしい未来がある。ここではないどこか。苦しみのない世界がある。そう信じて。
そして、今自分のいる場所が、あの線路を越えたところなのかどうか考えてしまう。
「どこへも行けない」
きっとまだ線路の途上にいるのだろう。

一日左利きのふりする 松田畦道
理由はわからないが、そういう日もあるだろうとは思う。

針貫く黄金虫の硬質の輝き 矢野風狂子
標本であろうか。
「硬質」がここでは感動の中心であるように思うが、他の語も漢字表記であるために、句の中で埋没してしまっているように思う。どの語も一律の「硬さ」になってしまっているように感じるのだ。
作者の句風であるので、どうしようもないことと思うが、漢字表記へのこだわりがここでは有効と思えない。

舌絡み合って熱帯夜 矢野風狂子
対して、こちらの句は漢字表記が有効な例と言える。
いやらしい営みが、まるで高尚な映画のシーンのように昇華している。

若い女の裸を愉しみ八月九日が来る 矢野風狂子
生きるということは時に残酷に、死者を忘れることでもある。
そうしなければ前に進めないからだ。
それでも、忘れていないことを確認するように、あるいは自分に言い訳するように、こうして句に詠まざるを得ない。その心境はよくわかるものである。


◎第五回鍛錬句会(2012年9月)より

ひとり抱え込んだ膝である 渋谷知宏
膝を抱えている状況から読み取れるのは、若さ、いっそ幼さと言った方がふさわしいものか。暗い部屋の隅で膝を抱えて座っている。見えるものは自分の膝だけなのだろう。悩み、悲しみ、あるいは叱られた不安、不満。
しかしそれは必要な時間であるように思う。
人は誰もが、自らの孤独と向き合う時間を持たなくてはならない。

酔いどれた月との会話楽しんでいたんだけどね 渋谷知宏
深夜、職務質問を受けての回答であろう。
酔いどれているのは自分である。

お願い。もうちょっとしがみつかせて 渋谷知宏
時代によって、男女のイメージは変化する。
女性は解放を目指し、男性は強さを放棄する方向へ向かっているように思う。
この句も、旧来の男性性からの脱却を図る句であったかもしれない。
強がることを放棄して、本心を「ぶっちゃけ」てしまっているのだ。
ただ、当時は新鮮であったかもしれない「ぶっちゃけ」も、昨今の軟弱な男性イメージの中では、「普通」のこととして埋没してしまうように思う。

電話の先に本当にいるのか確かめたくなり 白川玄齋
無言電話なのだろうか。
昔、何度もかかってくる電話に悩まされたことがあった。
携帯電話を持ち始めた頃だ。
別れたばかりの女性で、何度も電話をかけてくるのだが、出ても何も言わない。こちらも話すことがなく黙っている。ただ苦痛な時間が過ぎていく。
そのうち、これは罰を与えられているのだと思うようになった。
そんな悲しい記憶が呼び起こされた句である。

世の中ほどに対立もせぬ二人 白川玄齋
「世の中・ほどに」と読むと、世間はいろいろありますが、わたしたちは仲良しですね。という句になるがおもしろくない。
「世の・中ほどに」と読むべきだろう。
すなわち「中庸」をゆく二人であるということである。
ともに孔子を愛する二人であるのかもしれない。

この一瞬のために死んでもよいと言わなくなり 白川玄齋
どんなに素晴らしい経験も繰り返していくと飽きるものである。
それが、「死んでもよい」と思えるような一瞬であっても。

ただ生きているだけの腹が鳴った 天坂寝覚
自分を卑下して言っているのか、それとも動けない他者のことを言っているのか。おそらくは前者であろう。
無為な生活の中で腹だけが鳴る。
自分でも驚くような大きな音だったのだろう。

水に足をおく 天坂寝覚
状況はよくわからない。
そんなこともあろうか、と思う。
その心境もよくわからない。
水で足を清めたかったのか、普段は避ける水たまりに敢えて足を踏み入れたのか。ともかく、何かを変えたかったのかと思う。
宮沢賢治「なめとこ山の熊」において、小十郎が「今朝まず生れで始めで水へ入るの嫌(や)んたよな気するじゃ」と述べる場面がある。猟師である小十郎にとって、「水へ入る」は沢や雪を漕いで行く、すなわち「仕事」を意味している。そしてその日、小十郎は自らの「仕事」から解放されることになる。
寝覚にとっての「水」が何を象徴するのかは、わからない。
しかしこの句においては、読む者が、自分にとっての「水」の象徴を思うことで解釈してゆけばよいのだろう。

空んなった手をまだなめる犬の舌あったかい 天坂寝覚
大きめの犬だろう。柴犬以上の。
食べ物をくれる人としての認識しか犬側にはないのだが、舐められている方は犬の愛情を感じている。
満たされぬ承認欲求を、その隙間を犬が埋めてくれているのだ。
そうした互いのエゴが隠される形で、微笑ましい景を作り出している。

見ただけでおいしいよと言うインド人 中筋祖啓
どこまでがインド人の言葉なのかわからないが、なんともユーモラスである。
カレー屋さんの呼び込みだろうか。結局入っておいしかったことと思う。

朝型人間の懸垂 中筋祖啓
私の小さなころ、故郷の町には、「体操爺さん」という人物がいた。
私が預けられていた学童保育の建物には鉄棒などの遊具があり、そこに朝晩、「体操爺さん」は体操をしに来るのであった。
夏休みなどは、朝から学童保育に預けられていたので、爺さんと遭遇することになった。
子供たちの間では「体操爺さん」と「えぼっちゃん」とは、まるで怪人のように語られていたものだが、今思えば失礼な話である。
この句でそれを思い出したのは、「朝型人間」という言い回しに怪人っぽさがあったからかもしれない。

ハトに嫌われる行進 中筋祖啓
「ハト派」と考えると政治的な臭いもするが、おそらくそうではない。
デモの行進が来てハトが飛び去って行く様子かと思うが、ただ一人で行進を繰り返してハトを追い散らかしている詠者の姿も想像できる。
ジョン・ウー映画のラストシーンとしてもよい。

女も知らずに少年は逝く 馬場古戸暢
事故か事件か。戦争かもしれない。
自分よりも若い人間が死ぬのは遣り切れないものだ。
まして少年である。
知るべきものとして「女」を挙げるのは、ハードボイルドであり、やや古風にも思う。

ウルフルズ聴いて夏を漕いだ 馬場古戸暢
青春であり、汗臭い句である。

金玉の裏の泡を流した 馬場古戸暢
日々していることをわざわざ報告せざるを得ない発見があったものか。
発見であるとすれば、これは他人の金玉であったのだろう。
介護や看病かもしれないし、子供を風呂に入れているのかもしれない。
あるいは特殊な職業なのかもしれない。
ともかく金玉の裏に泡が残りやすいことを知る「男らしい」句である。

さっきから足音が歌ってない 藤井雪兎
昔「ごっつええかんじ」という番組で、「ハーイハーイハーイハーイハーイハーイ、アホー!」とダンスにダメ出しをする「ダンスの先生」というコントがあった。
感覚的な人物の言葉は時に理解不能であり、理不尽に聞こえるものである。
前出のコントもそうしたコミュニケーション不全を笑いにしたものであろう。
この句では、そうした感覚的な人間がそのまま詠んでいるともとれるし、第三者としてその言葉を聞き詠んでいるともとれる。

美味いラーメンを出して歯が無い 藤井雪兎
自分もかつて「頑固親父の店でラーメンが不味い」という句を作ったことがあった。この場合の「で」は逆接の働きをしている。
対して雪兎の句では「(出し)て」は順接である。
歯が無いからこその美味いラーメンなのだ。
人は何かを得るためには何かを失わなければならない。
等価交換の法則だ。鋼の錬金術師で見た。
我々は店主の尊い犠牲のおかげで美味いラーメンを享受できるのである。
感謝の句と言えよう。

それぞれのにおいのする金で払っている 藤井雪兎
労働句として秀逸と思う。
かつて肉体労働をしていた頃、昼時の光景としてよく見た。
思い出すのは第二ドコモビルに電線を引きに入っていた現場だ。
3か月くらいいた。
昼時にお弁当を売りに来るおばさんがいた。
わらわらと集まってきた作業服たちが、それぞれのポケットから財布や小銭を取り出して金を払う。
お湯を入れるワンタンスープがやたらと人気で、取った取らないのいざこざがあったり、周りに女性が居な過ぎて、弁当屋のおばさんを本気で口説いてる奴がいたり。
馬鹿馬鹿しく物悲しい日々であった。
金は人間そのものだ。
そこにはそれぞれの人生が染みついている。
優れた嗅覚が表れた句である。

どの向日葵も私を見ない 松田畦道
肥大した承認欲求を抱えて、みんな見て見て、どうしてこっち見ないのよ、よよよ。という読みも可能だが、本意ではあるまい。
この句では、向日葵が太陽の方を向くということを踏まえて、自分が太陽、あるいは太陽を背負う者ではない、ということを間接的に述べている。
王道、明るさ、そうしたものへ背を向けて生きてきた。アウトローとしての句であると言える。

急いでなにか建ててるそこはかつて工場だった 松田畦道
良句と思う。
諸行無常を感じさせる。
工場に特別な思い入れはないのだろう。ただ感じることは時の流れである。
そこに暮らし、同じ風景を見ていて思うことは、変化していく世界と変化していない自分のことだ。かつてそこには、工場で働く人々の営みや生活があり、今ここには、建設業者の労働がある。
自分は昔も今もそこに関わることなく傍観者として在る。一人、世間の流れから取り残されたような、不安や寂しさを感じたことだろう。

凌霄花を映した目で狂っている 松田畦道
赤い花の色や絡みつくつるなどが、狂気との取り合わせとしてよいのかもしれない。ただ、相性が良すぎて意外性がないとも言える。付き過ぎか。
二つ上の句で取り上げた「向日葵」の方がより狂気を際立たせるかもしれない。

虫の声無く残暑 矢野風狂子
この虫は言うまでもなく秋の虫であろう。
今年は残暑も秋もなく冬に突入してしまった感じがする(北海道の体感である)が、この年は残暑が厳しかった記憶がある。
例年になく虫が鳴かない、と日頃から季節に注意を払っている俳人らしい句であると言える。

青い月夜にも人の死ぬ 矢野風狂子
当たり前のことだが、当たり前のことに気づかざるを得ない状況であるのだろう。親しい人を亡くして打ちひしがれた心境を思う。

開けば錆臭い手の平よ 矢野風狂子
作者を知っているため、労働句として読んでしまうが、先入観を捨てて読めば、握りしめていた小銭の臭い、鉄棒などの遊具の臭いなど、子供の手の平とも読めようか。
「開く」ことは解放を意味する。
労働句として読むならば、仕事からの解放。
子供の手の平として読めば、今まで握りしめていたものを手放し、新たな希望をつかむために開かれたものとして読むことができる。
いずれにせよ、詠われているものは「希望」である。

*     *     *

次回は、「鉄塊」を読む〔4〕。


【八田木枯の一句】インバネス戀のていをんやけどかな 太田うさぎ

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【八田木枯の一句】
インバネス戀のていをんやけどかな

太田うさぎ


インバネス戀のていをんやけどかな  八田木枯

『鏡』第4号(2012年刊)より。

俗に「燃えるような恋」、「恋の炎に身を焦がす」などとも言うように、恋情は高温というのが通り相場だ。

けれども、おおっぴらにせず、自分で自分を昂らせることもなく、ひそやかに育む恋心もある。

インバネス、いわゆる二重廻しにしっかり包まれた身の内から生まれた微熱は外へ放出されることなく、自分だけを温め続ける。いかに抑制された熱とはいえ、長い間触れ続ければ危険。普通の火傷より低温やけどの方が時には症状が重く、気づいた時にはダメージは内側へ及ぶらしい。皮膚の下が腫れたり、皮下組織を壊すのだとか。あな怖ろしや、低温の恋。

この俳句は、けれどもそんな自家中毒症状を愉しんでいるかのよう。結局のところ、ひとりでじりじりと身を焦がすのが恋の醍醐味でもあるのだし。ダウンコートの前をはだけて恋人に駆け寄るのもいいけれど、こんなインバネスの恋もしてみたくなる。「ていをんやけどかな」の平仮名表記にはゆとりすら感じられてどうにもニクイ。

「鏡」4号は木枯さん最後の寄稿であり、「幕下ろす」のタイトルのもと14句が掲載された。タイトルからして予感的な作品のなかにこのような1句を置く、その粋な計らいに八田木枯という俳人の矜持を見る思いもするのだ。


〔ハイクふぃくしょん〕家族 中嶋憲武

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〔ハイクふぃくしょん〕
家族

中嶋憲武
『炎環』2014年6月号より転載

家出した。とっても寒い日曜の午後だ。

「トウコちゃん、塾の時間でしょ」

母の言葉に背いて、時間になってもぐずぐずしていると、母の言葉は次第にきつくなり、いらいらとしたわたしは、塾なんて行かないと言い張り、喧嘩になった。そのまま平行線で埒が開かず、わたしは母の言葉を背に、ぷいと家を出てしまった。

リズリサのコートに、ローリーズファームのブーツ。マフラーをしゅるっと巻いて、お金はそんなに持ってない。とりあえず電車に乗って、さて。十三歳。行先未定。

わたしは、東京の外れの大きな街に母と二人で暮している。父はデトロイトに単身赴任中で、年に二回ほど帰ってくるが、母子家庭のようなものだ。母は三十七で、ジェーン・マンスフィールドか筑波久子かという体型の持ち主で、出かける時は毛皮のコートを纏う。わたしの担任は数学の先生であるが、一方で俳句の偉い先生で、三者面談の時、母を見て一句詠んだ。母のことを「毛皮夫人」などと詠むものだから、以来、陰ではみんな母を毛皮夫人と呼んでいる。

たどり着いたところは遊園地だった。小さい頃よく連れて来てもらっていたような気がする。園内をぶらぶら歩き、見覚えのある円形の白い柵へ寄る。兎がたくさん放し飼いになっていて、家族連れが二三組あり、小さな子供たちが兎を追いかけたり、抱いていたりした。

兎はすばしこいのもいれば、もっさりしているのもいる。目を上げると、四つの頃のわたしがいた。必死に兎を追っている。父と母も微笑んで、それを見ている。父も母も若い。いつまで経っても、四つのわたしは兎を捕まえられない。兎を追って小さなわたしは、わたしのすぐ近くまで来ているのに、わたしには気がつかない。父も母も笑ってこちらを見ているが、わたしには気がつかない。まるっきり他人だ。何なのだろう、これは。どういう事?

小さなわたしはやっと兎を抱き上げた。毛がふさふさと長い、汚らしいのろのろとした兎だ。父はカメラを構えている。母は小さなわたしと手をつなぎ、何か優しく問いかけている。それを見ていると涙が出て来た。

涙を拭いている間に、小さなわたしと両親は消えていた。きょろきょろと辺りを見回しても、どこにもいない。

七時頃、家に帰ると母が夕飯の支度をしていた。母がどこへ行ってたのと聞くから、わたしはエリナんところと出法楽を言った。お昼過ぎに家を出て、七時には帰っているのだから世間的には家出ではないが、わたし一個人の心情的には立派な家出だ。

母は何も言わなかったし、わたしも遊園地でのことは黙っていた。

寝る前に「新世界より」の第二楽章を聴いた。遊園地の閉園の音楽であり、中学校の下校の音楽だった。聴きながら、ベッドの中で目を閉じ、海老のように体を丸める。そして遊園地の池に、浮きながら首を丸めて眠る鳥たちを思い浮かべる。あの鳥たちと同じくらい孤独。たぶんこれからも。

閉園を告げる放送浮寝鳥  齋藤朝比古

名句に学び無し、 なんだこりゃこそ学びの宝庫(18) 今井聖

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名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (18)
今井 聖

 「街」111号より転載

足袋の型おろかし逢ひにゆくときも
寺田京子 『冬の匙』(1956年)

なんだこりゃ。
  
タビノカタオロカシアヒニイクトキモ

これまでにいろんな優秀な女流はいたけど自分のことをここまで追いつめる人は初めて。
「逢う」は俳句では恋人と逢うということ。京子さん、デートに出かけるときでさえ、自分の身の醜さ、愚かさを見つめている。

こんな感じで逢いに行っても楽しくないんじゃないかな、
相手だって。

ダリヤの市敵のごとくに大鏡
をんな臭きわれのほとりの日の氷
末枯やねむりの中に生理くる

鏡を敵と言い放つ。
自分の匂いを女臭いと告白する。
眠っているときにやってくる自らの生理をみつめる。

鈴木六林男作で喧伝された「木犀匂ふ月経にして熟睡なす」は男から見た異性の生理。

この句、なんかやだなあ。例えば女が男の夢精を詠むのと同じ。木犀の芳香を対照させるところなどどこか興味本位でえげつない。

女性が詠むからこそ「生理」が性的な興味から離れ「純粋」な肉体感覚として読むことができる。

冒頭の句を含めてこれらには徹底した自己露出と自己否定を感じないわけにはいかない。
これまでの女流で「臭い自分」を詠むところまで徹底した人がいただろうか。

中村汀女、長谷川かな女、阿部みどり女、橋本多佳子、桂信子、野澤節子等々。いずれも超がつく実力者だがみんなどこかで自己愛を隠さない。

新興俳句系の方々が好む三橋鷹女だってわがままな女ぶりをいわばウリにしているところが見える。わがままも媚びのうちだ。

寺田京子を教材に使ってカルチャー教室でそう言ったら、受講者の女性が「自己嫌悪、自己否定もナルシズムの一面じゃないですか」と問うてきた。

「う~ん、そうかなあ」

そうだとしたら、これまでの女流にないナルシズムだということだけは確かだ。僕はそう思う。

俳人にはとにかく自慢ばかりをうんざりするほど見せられて来た。

息子が東大に入っただの、親や亭主が銀行の「支店長」だったの、平家の末裔だの(本気で言ってる)。エッセーの中でこんな事書く俳人は山といる。ほんとうにそんなこと書く人いるのと疑う方はお会いしたとき僕に直接聞いてください。耳元で教えてあげる。いずれも主宰クラスの「大物」です。

嘘でもいいから自分は水呑み百姓の家の出で、親も亭主も宮仕えの凡庸な米搗きバッタで、愚息は出来の悪い豚児でございますと人様に向って言えないかなあ。

そう言われたら、ああそうですかオタクの息子さんは馬鹿なんですねと思う人はいないって。

自慢する奴こそ馬鹿丸出しだ。

さすがに俳句で息子の学歴や亭主の職業まで言えないから自分は良妻賢母ですという句を作るようになる。

子育て俳句では子と格闘する母を演じる。格闘するのは真実にしてもなんで通俗的に、老人に褒められるように格闘するのかなあ。誰もが同じようにケナゲな感じで。

ケナゲじゃなくていいじゃん。ほんとうのこと書いて見せてよ。

教師俳句を詠む男もそうだなあ。なんでそんな良い教師になりたがるのかなあ。全力で生徒に向かい、労を厭わず職責を果たす。

農業従事者はひたすら実直朴訥誠実なお百姓を演じる。ああ、噓臭い。

そんな句ばかり見せられると花鳥諷詠というのが実は「善良な人間であること」の演出の一つに見えてくる。

悪代官と越後屋が待っている屋形舟に呼ばれ、中で歳時記を渡される。「あのね、余計なこと考えないでコレだけ見てればいいからね。何より本意本情を大切にね。そしたら句碑も建てていいからね」

かくして着物を着て銀座に出かけ歌舞伎座で海老蔵を見たあと鳩居堂で文具など買い夜は老舗の鰻屋か。(具体的な店の名前が思い浮かばないところが筆者の貧困な生活形態を露呈している)

かくして「俳人」の典型ができあがる。

寺田京子がこの作品を作った頃は、京子の師楸邨が「社会悪や自己の人間悪と闘う」と決意を書いた時期と一致する。楸邨が自己の「人間悪」を意識せざるを得なかったのは、「俳句の中に人間が生きるように」を標榜しながら戦争の無謀さを見抜けなかった己れへの反省に基づいている。

これは楸邨にとって大きな傷痕であった。

だから言わんこっちゃない、俳人は花鳥風月を詠っていれば良いの。触らぬ神に祟り無し。で行っていいのか。

楸邨の自己否定は形を変えて京子にも投影する。

己れの「女」を嫌悪した京子の作品の中に、

ひかりたんぽぽ生まれかわりも女なれ

を見つけると筆者はなぜかホッとするのであった。

なんだこりゃこそ学びの宝庫。


「街」俳句の会サイト ≫見る

10句作品テキスト 千倉由穂 器のかたち

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器のかたち  千倉由穂

暮らしより遠のく身体鰯雲

秋蝶の家族であった風ばかり

交番の神木として紅葉せり

恋風という語恐ろし実南天

寒風を切り寒風として漕げり

マスク押し進めるように歩む人

凍星のどこかでペンを置く教師

家族という器のかたち寒牡丹

鉛筆を削る凍星には見せず

生きるとは待つこと羆も人間も

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