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2 0 1 5 角 川 俳 句 賞 落 選 展 作 品 募 集

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2 0 1 5 角 川 俳 句 賞 落 選 展 作 品 募 集 の お 知 ら せ 

出 展 5 0 句 作 品 募 集 !


第61回角川俳句賞は、遠藤由樹子さん「単純なひかり」に決定いたしました。

遠藤さんは、 2013年2014年の最終候補作でも充実ぶりを示されており、受賞はまさに順当と言っていいでしょう。

あらためてお祝いを申し上げます。
おめでとうございます!

さて。

今年も『週刊俳句』では、「落選展」を開催いたします。

【ご参考】2014落選展 ≫読む 2013落選展 ≫読む 2012落選展 ≫読む 2011落選展 ≫読む 2010落選展 ≫読む

毎年、この落選展から、多くの話題作が生まれています。

今年度、第61回角川俳句賞に応募され、惜しくも受賞ならなかった50句作品を、この落選展にお寄せください。


応募作品の全てを『週刊俳句』第394号(11月1日リリース)誌上に掲載いたします。(10月25日発売の「俳句」11月号誌上に50句を掲載された候補作は、掲載を見合わせます。抄出作品については応募者のご意向に従います)

また、掲示板への書き込みの形で、各作品に読者諸氏のご意見・ご感想をお寄せいただくこと、「落選展を読む」と題し鑑賞記事が掲載されることを、ご了承下さい。

送付〆切 10月25日(日)

送り先
福田若之 kamome819@gmail.com
村田 篠 shino.murata@gmail.com
上田信治 uedasuedas@gmail.com
西原天気 tenki.saibara@gmail.com


電子メールの受付のみとさせていただきます。

書式:アタマの1字アキ等、インデントをとらず、句と句のあいだの行アキはナシでお願いいたします。

あわせて簡単なプロフィールを、お寄せ下さい。

ご不明の点があれば、上記メールアドレスまでお問い合わせください。

なにとぞふるって御参加くださいますよう、お願い申し上げます。




〔今週号の表紙〕第442号 稲田 西原天気

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〔今週号の表紙〕
第442号 稲田

西原天気



それほど高くない山に囲まれた小さな盆地のような場所に、川が流れていて、稲田がひろがっていれば、もう、ここがシャングリラ(理想郷)なのではないか、と思ってしまうことがあります。

それは、ナショナリズムではなく、日本人だからといった理由ではなく。


TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が大詰めだそうですが、美しい稲田の風景がいつまでも残るといいなあ。








週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

自由律俳句を読む 112 「平松星童」を読む〔1〕 畠働猫

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自由律俳句を読む 112
「平松星童」を読む1

畠 働猫



なみだふきながららくがきしてゐる  平松星童
れつれつとふるゆきのあわあわとふるゆきとなって、つもる  同
青いスポットにうちふしたおどり子の、死というような時間  同
しきりにちるにてそのおくへあるきいろうとする  同
生死ただ雪ふる中に火のともる  同


<略歴>
平松星童(ひらまつ せいどう、1926-1987)

父が医者であり、自身も医大へ進むが次第に文学に傾倒する。
1942(昭和17)年に17歳で層雲に参加。以降1949(昭和24)年まで岡野宵火や滝山重三といった同年代の仲間とともに活躍した。同時期の北田千秋子(現:随句社社主、北田傀子)らとともに「浪漫派」と呼ばれた。

層雲を去ってからは、児童演劇や脚本執筆に専念した。昭和四十四年に層雲に復帰するが、活動期間は前後の期間を通しても十年足らずであった。


もう2年前になろうか。
句友である矢野錆助より彼の所属する「草原」の結社誌への原稿依頼を受けた。
それが今回紹介する平松星童の鑑賞文だった。
当時の自分は、自由律俳句に取り組み始めてまだ1年ほどであり、平松星童についても初めて名前を聞くような状態だった。
到底原稿など書けるわけもないだろうと思いつつ、錆助より送り付けられた星童の句集をとりあえず開いてみた。
すぐに錆助の意図を理解することができた。
なんとなく自分の作る句群と共通の特徴があるように感じたからである。
その特徴とは、まず長律と言われる、比較的長めの句が多いこと。
そして、十分な音数を割いて主観を隠さず述べるところである。
また、テーマとなる部分もよく似ているように感じた。
当時の自分は、ただ闇雲に作句していた時期であり、表現すべきものは心中に溢れ返っていた。しかし、放哉や山頭火、もちろん又吉とも自分の作るものは違っていて、日々、「これでいいのか?」という自問と孤独を感じていた。
そんなときに同じ傾向、方向性を持つ俳人、平松星童を知れたことは、大きな救いとなった。
この場を借りて改めて錆助には礼を述べたい。
どうもありがとう。

さて、星童の句である。
今回は、その特徴である長律、そして浪漫派たる由縁である主観がよく表れている句を選んだ。

なみだふきながららくがきしてゐる  平松星童
叱られた子供であろうか。何か悲しいことがあったのか。
情景は涙で鼠を描いた雪舟の逸話を思い出させるが、その逸話が「描くこと」への執着を示していることとまったく逆の句意を持つ。
この句では、「らくがき」の部分が作者の主観である。
それが真剣な絵ではなく、落書きであると断じている。
それによって、「なみだ」すなわち悲しみが対象の人物の心情を占めるものであり、「らくがき」はそれを隠す、あるいは誤魔化すための手遊びであると表現しているのである。そうすることでかえって悲しみが強調されるのである。

れつれつとふるゆきのあわあわとふるゆきとなって、つもる  平松星童
「れつれつとふる」「あわあわとふる」が主観である。
ともに、自らの心情を乗せるために新たに創り出されたオノマトペである。
冬の一日を雪を眺めて過ごしたのであろうか。
降る雪の変化を、伝えたいという欲望が、こうした言葉を生むに至ったのか。
漢字を当てはめるならば、「冽冽」「淡淡」であろうか。

青いスポットにうちふしたおどり子の、死というような時間  平松星童
「青いスポット」は句集のタイトルにもなっている。
直喩表現「死というような」が主観である。
舞台の始まりであろうか、それとも終わりであろうか。
おそらくは、バレエであろう。
スポットライトの中、次の瞬間の躍動に備えて伏せているバレリーナ。内に火を秘めたストップモーションの緊張感。
躍動こそが舞台上での生命であり、その始まりや終わりに訪れる静寂と静止を「死」と表現しているのだろう。
舞台上で役者は役を演じる人形であり、演じているときだけ生命を吹き込まれるものということかもしれない。
死を描くことでより生々しい生を、舞台の上での輝きを強調しているのである。

しきりにちるにてそのおくへあるきいろうとする  平松星童
散るのは春の終わりの桜であろうか、秋の落ち葉であろうか。
「あるきいろうとする」が主観である。意志を表している。
花が、あるいは紅葉が散る「奥」とはどこなのだろうか。
季節を遡ろうというのか、それとも先へ進もうというのか。
春の情景ととれば、美しい桜のトンネルを思う。
しかし、紅葉の句と見れば、これは来る冬への覚悟の句ともとれる。
「奥」とは冬であり、色彩が真っ白な雪に覆い隠される世界である。
そこで心中に火を燃やしながら生きる。
そうした意志、覚悟が表現されているのだろう。

生死ただ雪ふる中に火のともる  平松星童
星童の句には、「雪」と「月」、そして「火」がよく詠まれる。私はかつて雪月火の詩人と評した。
雪や月に比して、火の頻度は低いのだが、前二者の冷たく清冽な世界に投げ込まれた火の熱さは強烈な印象となって句を輝かせる。
それは、句群から想像される星童の人物像とも重なる。
ときに冷たささえ感じさせる涼やかな男だったのではないか。しかし、その内面には赤々と情熱の火が燃えていたに違いない。
この句はまさにそうした星童自身を詠んだ句のように思える。
自由律俳句における活動期間は、前後期合わせて10年足らずであった。
自身の内に燃える火を表現する手段を狂おしく求め続けたのだと思う。
彼の火は、より饒舌に語れる場として、舞台や児童演劇の世界を強く希求したのだろう。

*     *     *

私見ではあるが、自由律俳句におけるもっとも真摯な鑑賞方法とは「連れ句」であると考えている。
前述した、錆助に依頼された原稿執筆の際も平松星童の句50句に連れ句を試みた。
連れ句は、まず相手の描き出した情景を同じように見なくてはならない。その感動の中心を見極めなくてはならない。これには読解力が必要である。受容と共感、そして敬意がなくてはならない。
その読解を前提として、今度は自らが表現をする。
その際には、相手の見た情景から時間的、空間的に離れてもよい。同じ情景から異なる感動を見つけてもよい。
相手の句に片足を置きながら、どこまで遠くへ行けるかが勝負とも言える。
すなわち、連れ句とは、他者理解と自己開示なのである。
人間同士の関係においてこれ以上の幸福な関係性があるだろうか。
これが私の、連れ句を最も真摯な鑑賞方法と思う理由である。
前述した50句の連れ句は、星童を識るための試行であった。
結果としてその世界観を垣間見ることができたと思うし、自分自身を客観的に理解することもできた。

次回は、星童の句とそれに対する連れ句である拙作を並べて、私の考える連れ句のメソッドについて触れたいと思う。
自句を並べるのは非常に手前味噌で恥ずかしいのだが、この連れ句という方法こそ、自由律俳句を楽しむ最善の方法であるとも考えるので、それを伝えるために敢えて行うものである。後ろ指を指さないでほしい。


次回は、「平松星童」を読む〔2〕。

【八田木枯の一句】 柿の木に昔の日ざしありにけり 西村麒麟

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【八田木枯の一句】
柿の木に昔の日ざしありにけり

西村麒麟

柿の木に昔の日ざしありにけり 八田木枯

『八田木枯少年期句集』より。

八田木枯と言えば、桃なのだけど、柿の句も少しはある。

『八田木枯全句集』には〈桃ほどに腐まずに柿寂びにけり〉の一句があるだけで、そのほとんどは『八田木枯少年期句集』に入っている。

これはその一句。

柿から桃に興味が移る心は、晩年に牡丹を愛した心に似ている。そこに「木枯好み」のヒントがあるような気がする。

興味深いことに、若き木枯はすでに「桃ほどに腐まずに寂びて」の目を持っていたのだろう、この句はそう感じさせる。

本当のところは「いつもの」日ざしがあるだけなのだろうけど、柿の木を見ているとそんな気分になる。

現実の柿の風景と、見えているのは異なる。心から、昔の日ざしが見えているのだろう。

見ているものが見えているわけではない。



【週俳9月の俳句を読む】子どもの眼差しのある日常 岡田由季

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【週俳9月の俳句を読む】
子どもの眼差しのある日常

岡田由季



南瓜煮る猫のかたちのマカロニも  矢野玲奈

普通に料理の句と思って読むと、すこし腑に落ちない面もある。マカロニの茹で時間と南瓜を煮る時間は違うだろうし、ついでに茹でるようなものでもない。マカロニにはいろいろな形があるが、猫のかたちとは随分凝ったものだ。食品としてというよりも見て楽しむ方に重点が置かれているのかもしれない。ただ言えることは、南瓜を煮るという所帯染みた行為が、猫のかたちのマカロニと並べることによって急にファンタジックなものに思えてくることだ。大人だけで暮らしているとこのような展開にはならないだろう。子どもの眼差しのある日常が思い浮かぶ。

赤鬼に射的のあたる月夜かな  小林すみれ

鬼といっても射的の的の鬼だから恐ろしげなものではなく、親しみやすい表情の鬼の面か人形といったところだろう。ややチープな赤色が見えてくる。射的の景品などというものは、だいたい、たいしたものではないが、それでも当てると楽しい。月夜の神秘的な側面ではなく、少し俗っぽいような浮かれた感じ、ハイな月夜の気分をすくいあげている。

話しつつインコのピーコ巨峰食ふ  きくちきみえ

インコは表情が豊かな鳥だ。インコが葡萄を食べている場面に出合ったことはないが、容易にイメージはできる。ときおり「ピーコちゃん」「オハヨー」などという言葉をはさみつつ、ちょこちょこと動き回りながら巨峰をついばむ様子はとてもユーモラスだろう。巨峰の「巨」の字が、インコのサイズを思わせ、愛嬌を引き立てているように思う。

死に近き鏡のなかのリボン結ぶ  松本恭子

あまり良い連想ではないかもれしれないけれど、「死」「鏡」「リボン」というキーワードから山岸凉子の「汐の声」という短編を思い出した。子役の少女の出てくるホラーで、詳しい内容についてはここでは触れないが、心底ぞっとしする話だった。その話が入っていた短編集は全部怖かった。
この句はそれとは関係が無いと思うが、そのバイアスをはずしてみてもうっすらと物語めいた怖さがあるように思う。リボンを結ぶという行為はどうしても少女をイメージさせ、それと死との結びつきが不吉な思いを呼び起こすのだろう。そう思って「白露」十句を読み返してみると、少年・少女そして老人の姿はあっても、中間は無いような気がして、その欠落感がやはりうっすらと怖いのである。


第437号2015年9月6日
矢野玲奈 マカロニも 10句 ≫読む
第438号2015年9月13日
小林すみれ 月の窓 10句 ≫読む
第439号2015年9月20日
きくちきみえ 稲びかり 10句 ≫読む
第440号2015年9月27日
松本恭子 白 露 10句 ≫読む

【週俳9月の俳句を読む】稲びかりの量感  山崎志夏生

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【週俳9月の俳句を読む】
稲びかりの量感

山崎志夏生



マカロニも  矢野玲奈

ぽつかりと待合室に金魚玉

ぽつかりは、浮かぶ雲のようなのんびりした語感と欠落感を纏う言葉。いわれてみれば金魚玉の吊るされようとしてタダシイ。人が行き交い暫し留まる待合室の金魚玉は人々を楽しませるものかもしれないが、中の金魚はその人々の事情をぼんやりと俯瞰しているのだ。

保育園には鈴虫に会ひに行く

こんなお母さんらしい句を詠まれる句境になられたのだなあ。日常的なモチーフだが「には」でとりわけ鈴虫に会いにという感じになって微量の物語成分がくみ取れる。微量なのがちょうどよい。

秋蝶は鰐の泪を吸ふといふ

絵本に出てくるようなおとぎ話かとおもったら、蝶は本当に鰐や亀の涙を吸うようだ。だとすると単なる伝聞なのだが定型の力が働いて楽しい句になった。

南瓜煮る猫のかたちのマカロニも

棲み古りた老夫婦の家では猫のマカロニは煮ないだだろう。この道具立てで若く幸せな家庭を想起させる。しかし猫型マカロニは意外に微妙な食べ物だとおもう。猫嫌いには気持ち悪いし、猫好きは食べるのをためらわせるのではないか。一度試してみたい。


月の窓  小林すみれ

木槿咲く少女はサドル高くして

少女がぴったり。背伸びして前傾姿勢になってぐいぐい漕いで行くすがたは美しい。あまりにぴったりなので、少年、老人、老婆、力士、夫人、看護師等を入れ替え、妄想し違和感を愉しむフキンシンな遊びをしてしまった。

赤鬼に射的のあたる月夜かな

泣いた赤鬼に代表されるように、鬼にしてイイヒト系キャラの赤鬼。射的の鬼は射ても反撃してこない。昔祭りのときに安っぽい電気仕掛けの的で当たると豆電球の眼が光り、がおーと鳴き声がする赤鬼が巡ってきた。その声が月光の中にあると思うとセツナイ。


稲びかり  きくちきみえ

子供らの真ん中にゐるいぼむしり

季語の本意ど真ん中直球で歳時記に載せたい秀句。子供たちとの距離、関係がいい。土管が転がっている空き地。のび太はもちろんスネ夫も触れない。できすぎ君は図鑑を見ている。ちょっかいを出そうとしたジャイアンを「やめなさいよう」としかるしずかちゃん。なぜかドラえもんはいない。

猿を見て人を見て秋風の中

作者は両方を見比べて霊長類の進化の分岐点に思いを・・馳せているわけではないだろう。サルにはサルのヒトにはヒトの愁思の貌なんだろうなあ。風に吹かれているサルの表情は人間よりフカイ。だいぶフカイ。

カップの底に砂糖は残り稲びかり

稲びかりの量感がある。カップの底にある砂糖を際立たせるほどの・・ということか。撹拌が不十分であったかまたは飽和点以上の砂糖なのか、それが象徴する静けさ、一人感がいいなあ。稲光のあとの雷鳴までの間に時計の秒針の音がしているようだ。


白露  松本恭子

ふうはりとルドンのまなこ大鮪

あの鬼太郎のパパが毛だらけになったようなあやかしや蜘蛛の絵の眼玉と解体前の(と私は思った)大鮪の眼玉。オツな取り合わせで他にみたことがない。ふうはりがどのような状態を言っているのかはよく理解できなかったが、二つの強いイメージをナダメテいる効果があるのかもしれない。

老人に玉藻のやうなこころあり

中年も出口に差し掛かってきて、なんだがこういう句が沁みる年頃になった。ぼーとしてたゆとふ感じはまさに玉藻なんだろうなあ。老女とか老婆なんてことになるともっと賑やかで元気なこころもちの句になる。(差別ではありません褒めております。)


第437号2015年9月6日
矢野玲奈 マカロニも 10句 ≫読む
第438号2015年9月13日
小林すみれ 月の窓 10句 ≫読む
第439号2015年9月20日
きくちきみえ 稲びかり 10句 ≫読む
第440号2015年9月27日
松本恭子 白 露 10句 ≫読む

【週俳9月の俳句を読む】ほんの僅かの違い  大和田アルミ

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【週俳9月の俳句を読む】
ほんの僅かの違い

大和田アルミ



ぽつかりと待合室に金魚玉   矢野玲奈

金魚玉を待合室に置くなんて、都会の殺伐としたターミナル駅ではない。一日に数本しか電車が来ないような鉄道の駅の待合室がすぐに浮かんでしまった。「ぽっかり」に駅の長閑さが伝わってきたが、それだけではない。作者自身がふらりと旅に出かけてこの駅に至り、当分来そうにない電車を待って、ひとり「ぽっかり」時間を持て余している。もしかしたら、待っている間に居眠りなどして電車に乗れず、更に小一時間待つはめになったか。狭い日本、そんなに急いでどこに行く。こんなキャッチコピーを思い出した。

秋桜に触れたる雨と触れぬ雨   矢野玲奈

この秋桜は、数本がひょろっと咲いているというよりは群生しているように思った。そこへ雨が降ってくる。雨滴は数限りなく落下してくるのだが、幸いにも秋桜に触れることが出来るものもあれば、そうでないものもある。たくさん咲いているのだから、どれかの花には触れそうなものだが、現実はそうではない。ほんの僅かの違いで運命が分かれてしまう。そんな事が私達の日常にもあるものだ。作者の、この光景を冷静に見つめている目が、やはり俳人の目だ。

木槿咲く少女はサドル高くして   小林すみれ

なんて気持ちのいい句だろう。それが第一印象だった。サドルを昨日までより少し高くして、ぐんぐん自転車を漕いでいる。季語の木槿は白色より淡い紫が思い浮かんだ。少年より少女がいい。しかも女を匂わせてはいけない。少女の伸び盛りの長くて細い脚。ペダルに力をこめて、風を切って加速していく。何処かへ急いでいるのか、それとも自分の力を試したくてただひたすらに走っているのか。何物にもとらわれない最後の時間を謳歌している。爽やかな秋の日が見えた。

秋蝉や鞄一日ふくらんで   小林すみれ

秋の蝉というと日暮のように情緒たっぷりのものもいるし、夏に盛んに鳴き次第に声を弱めていったりするものもいる。でもこの秋の蝉はまだまだ元気だ。ここが踏ん張りどころといった様子。限られた時間で片づけてしまわねばならない仕事があって、あちこちを飛び回っている。もう汗だくだ。上手くやれば鞄の中身は少しずつ片付いて萎んでいくだろうに、何だか要領が悪くてまた宿題を貰ってきてしまう。まるで自分を見ているようだと気付き、思わず苦笑してしまった。

二百十日そろそろ出来るパスポート   きくちきみえ

きくちさんの句はどれもユーモアがいっぱいだ。選ぶのに迷うがこの二句を。台風の最中は何かをやって遣り過したり、台風の「動」に対して「静」の素材を持ってきたりの句は結構あるけれど、二百十日でパスポートに飛んだところが面白い。台風と旅を詠んだ句もまたあるけれど、大抵は国内旅行。こちらは海外脱出だ。いろいろ面倒な事はあるけれど、それを切り抜けながら作者はどんどん次の準備に取り掛かっている。台風が過ぎ去ったら、えいっと高跳びだ!そんな溌剌さがいい。

おざなりとねんごろのゐる案山子かな   きくちきみえ

最近の案山子は、本来の役目よりコンテスト形式で村興しや町興しに一役買っているものも多いと聞く。出品作は、ほのぼのとしたもの、爆笑させてくれるもの、本当にこれが案山子?と思うようなものまで、実に様々だ。いずれにしても、目的重視の簡単な作りのものから、家族の一員くらいに丁寧に作られたものまである案山子。それらを「おざなり」と「ねんごろ」という形容を使ったところが好きだ。案山子への愛を感じる。話は逸れるが、「ねんごろ」という言葉で思い出した。以前どこかで、波平とフネが手を繋いでいる案山子があったっけ。

少年の薔薇の首の棘に触る   松本恭子

ギリシャ神話的なテイストを感じる。耽美というべきか、エロティックというべきか。少年は棘に気付き薔薇を避けるのではなく、ためらいながらなのか、興味深くなのかは不明だが、棘を触っている。薔薇からすれば少年に棘を自由に触らせている。少年が年上の美しい女性に芽生える・・・というより取り込まれるの景と取るのは私だけか。しまった、妄想が膨らみ過ぎた。でも半世紀も生きていれば、男にしても女にしてもこんな思い出が一つくらいありますよね?

白露(しらつゆ)に恋をゆずりしことなども   松本恭子

最初は、感じはわかるけれど甘い句なのかと思った。三角関係になって作者は身を引いた。今では「そんな事もあったね」と言えるようになった。全ては過去の話として胸に仕舞っておこうというのだ。でもこの三角関係はけっこう深かったのかもしれない。悩みぬいた末の決断。白露はきれいにも見えるけれど、実は冷ややかで、情念の結晶だったり。とすれば、さらりっと読み過ごしてはいけない句なのかもしれない。


第437号2015年9月6日
矢野玲奈 マカロニも 10句 ≫読む
第438号2015年9月13日
小林すみれ 月の窓 10句 ≫読む
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きくちきみえ 稲びかり 10句 ≫読む
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【週俳9月の俳句を読む】よすてびとのうたⅥ 瀬戸正洋

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【週俳9月の俳句を読む】
よすてびとのうたⅥ

瀬戸正洋




仕事の関係で金曜日は終電となった。その頃、つまり、土曜日の未明に長女は路上で倒れ病院へと搬送された。土曜日の朝、出社してまもなく老妻からのメールで私はそのことを知った。老妻の携帯電話は台所のテーブルの上に置かれ、そのことを受信していた。家の電話も鳴ったのだが気付かなかった。職場の上司が明け方まで付き添ってくれたことをあとで聞き、私たちは平身低頭であった。老妻はあわてて車でO駅まで出て新幹線で新Y駅に向った。病院は新Y駅から歩いて五分程度の距離であった。一週間後、長女は退院することができた。

ぽつかりと待合室に金魚玉   矢野玲奈

金魚玉は待合室にさり気なく置かれ、ひとびとの心を和ませる。小さな診療所、あるいは医院なのかも知れない。金魚玉の中には平凡な金魚が泳いでいるのだろう。「ぽっかりと」からは、待合室の空間だけではなく、作者の漠然とした病気に対する不安も感じることができる。

空蟬をのこし空へと蟬の往く   矢野玲奈

蝉の殻など蝉にとってはどうでもいいものなのである。空蝉などと感傷にひたっているのは人間だけなのだ。地中で何年も過ごし羽化すれば鳴けるだけ鳴き数日で往ってしまう。その亡がらは地上に落ち蟻に引かれあとかたもなくなる。「空へと蝉の往く」とした、作者のやさしさもわからない訳ではない。

頭痛薬一錠二錠秋となる   矢野玲奈

一錠飲んで痛みが消えればと思うが、なかなかそうはいかない。それで、もう一錠飲んでみる。今年の夏は体調が優れない。そんなことを繰り返しているうちに、いつのまにか秋になってしまった。

秋桜に触れたる雨と触れぬ雨   矢野玲奈

雨にも運不運がある。秋桜に触れることなく地面に到着する雨には運がある。触れてしまった雨は不運なのである。余計なものに振り回されず目的地に着くことは並大抵のことではない。ほとんどの雨が秋桜に触れてしまったのだ。

しわしわと空のめくれて秋の雲   矢野玲奈

空が捲れて皺だらけになっている。その皺のできたところごとに小さな雲のかたまりがたくさん集まっている。巻積雲である。しわしわと空がめくれなければ一面の青空となる。

保育園には鈴虫に会ひに行く   矢野玲奈

保育園は子どもを預けに行く場所ではないのである。子どもを迎えに行く場所でもないのである。鈴虫に会いに行く場所なのである。本来の目的以外にも目的を持つこと。このようなことは人生では大切なことなのだ。

秋蝶は鰐の泪を吸ふといふ   矢野玲奈

鰐の目のあたりを秋蝶が舞っているということなのだろう。花の蜜を吸うのでなく鰐の泪を吸ったのだという。鰐の泪は花の蜜のように甘いのである。秋蝶は、そのことを知っているのだ。誰でも泪を流したいときはある。たとえ、汚れた泪であっても秋蝶に吸ってもらいたいと思うときはある。

南瓜煮る猫のかたちのマカロニも   矢野玲奈

いろいろなマカロニがあるのだろう。猫のかたちをしたマカロニもあるのだろう。マカロニで猫をつくったのかも知れない。そのマカロニを茹でるのではなく南瓜といっしょに煮ているのである。子どもたちの食べるすがたを思い浮かべながら。

秋の暮空に鋏を入れしごと   矢野玲奈

空を鋏で切ると秋の暮になる。しわしわと空が捲れると秋の雲になる。空は、鋏で切ることも許してくれる、捲ることも許してくれる。私たちは空を大切にしなければならないのである。

まろやかに連なつてゐる秋灯   矢野玲奈

灯りがまるく見えるのは当然のことのような気もする。秋灯とは、灯りのもと友人と人生を語り合うことよりも書に親しむといったイメージがある。夜の図書館、四十年前ならば喫茶店。連なってゐるという表現から個の家というよりも公共性のある人の集まる場所のような気がする。

木槿咲く少女はサドル高くして   小林すみれ

YouTubeで見るような、ふた昔も、あるいは、それ以前の映画のワンシーンのような気がする。たとえば「青い山脈」とか、「二十四の瞳」のような。清楚な女子高生が木槿の咲く丘の道を自転車で通り過ぎるのである。

まつすぐに来し朝顔の咲く町へ   小林すみれ

これも自転車で通学する風景。土手の道を何台もの自転車が颯爽とペダルをこぐ。その中には、女子高生だけではなく男子校生もいなければならない。授業のはじまる前の教室は騒がしい。その窓辺には朝顔の花が咲いている。

目礼を交はしてゆける水の秋   小林すみれ

秋になると水も清らかになる。水も清らかになればひとの心も清らかになる。作者は何もかも解り合えているひとと目礼を交わしたのである。恋人なのかも知れない。そのことを、まわりのひとは気付いてはいけない。

秋蟬や鞄一日ふくらんで   小林すみれ

鞄には必要最小限のものだけを入れようと心掛けている。だが、その日はどうしても持っていかなければならない物がある。紙袋を用意して入れるほどの物でもない。鞄のかたちよりも実用性を重視する。秋の一日、蝉が鳴いている。

たをやかに銀水引の灯しかな   小林すみれ

通夜の受付の一場面ということなのだろうか。ひとりのご婦人が受付の前に立つ。そして、たおやかに銀水引を置くのである。しとやかでなまめかしさも感じられる。もし、そのひとを中心に照らさなかったら、灯りは灯りとして失格の烙印を押されるだろう。

横顔に母の面影銀河濃し   小林すみれ

姉なのか妹なのか娘なのか、その横顔に母の面影を見たのである。こんなところに母は居てくれたのだと感謝した。こんな夜の銀河は、なおさらのように天空にはっきりと見えている。そこは、母が住んでいる場所なのである。

珈琲の香りたちたる月の窓   小林すみれ

月はかぐや姫のお帰りになった場所でなくては困るのである。うさぎが餅を搗いている場所でなくては困るのである。薄暗い部屋に珈琲の香りが漂っている。ピアノソナタ第14番嬰ハ短調が流れている。窓からは月のひかりとベートーベンの悲しみと。

赤鬼に射的のあたる月夜かな   小林すみれ

鄙びた温泉の町なのかも知れない。射的屋はメイン通りにあるのだ。浴衣に宿の下駄を突っ掛けて、もちろんふたり連れである。夫婦であろうはずがない。「やってみたら」と女は言う。「それならば」と男は狙いを定める。「何も赤鬼を狙うことはないのに」と女は呟く。誰にも会うはずのない温泉の町。月のひかりをたっぷり浴びるくらいなら神様も許してくれるだろう。

届きたる回覧板と柚子ひとつ   小林すみれ

どうでもいいようなことばかり回って来るのが回覧板である。たまに、町内の清掃日、廃品回収日等のお知らせなどもある。訃報とかお祭りの日程などは大事な部類にはいるのだろう。隣家の庭には柚子の木があり、その柚子の実をひとつ捥いで来てくれた。届いた回覧板、まさしく、どうでもいいような内容のものだったのである。

一房の葡萄に夜の近づきぬ   小林すみれ

一房の葡萄は台所のテーブルの上にあるものだと思う。葡萄の存在が際立っているのだ。そこで、葡萄に夜が近付いてきたと感じたのである。誰も居ない、灯りも点いていない台所にある一房の葡萄。

子供らの真ん中にゐるいぼむしり   きくちきみえ

誰もがゐるいぼむしりを眺めている。最近の子供たちは昆虫に触れることを嫌うのだろう。その上、鎌のように見える両手(両手というのかどうかは知らない)が異様に感じているのかも知れない。真ん中とあるので子供たちとゐるいぼむしりとの距離が同等なのである。蟷螂とは言わずに、「ゐるいぼむしり」としたことにも面白さを感じる。「俗信」とは経験のことなのである。疣を齧らせたら本当に治った。薬局も、医者も不要なのである。

蟋蟀は昼の関節まげてをり   きくちきみえ

蟋蟀の後ろ足、それを後ろ足というのか、関節というのかも私は知らない。だが、「まげてをり」という表現にはなるほどと思う。確かに昼なのである。闇の中では蟋蟀の姿など見えるはずがない。鳴き声ではなく容姿に着目しているところに興味を覚えた。

二百十日そろそろ出来るパスポート   きくちきみえ

二百十日というと台風を連想する。台風とパスポート。飛び立った飛行機は台風に連れられて出国するのである。台風は日本列島にも私たちの心にも何らかの爪あとを残して去っていく。そんなとき、私たちは日常の生活からすこし離れていたいと願う。九月もはじめのころにパスポートは出来上がる。少し遅れた夏休みを取るために空港へと車を走らすのである。

話しつつインコのピーコ巨峰食ふ   きくちきみえ

インコは人語を操る。巨峰も食べる。そのどちらからも忙しなさを感じてしまうのである。その忙しなさ、それがピーコなのである。鳥籠の中で静にしているインコはピーコではないのである。

猿を見て人を見て秋風の中   きくちきみえ

猿山の猿を見るために人間たちが押し掛ける。猿を見に来たのではあるが猿を見る人間の行動の方が俄然面白く、思わず人間の方に視線が行ってしまう。もちろん、猿も人間を見るために山を下りて来るのである。猿も人間を見ている。見に来たのに見られていること。何も知らないのは人間だけなのである。

電池切れのごとカナカナの鳴き止んで   きくちきみえ

カナカナは自分の意志で鳴くのではない。私たちの知らないところで電池が仕込まれていて、それで鳴くのである。それは、地上に出てきたときなのかも知れない。電池の容量は決められている。鳴き止んだときカナカナの一生は終わるのである。私たちも電池が仕込まれているのである。その電池が切れたとき、ひとは死ぬのである。

蜻蛉が青信号を渡りゆく   きくちきみえ

蜻蛉には蜻蛉の生活があり蜻蛉の生き方もある。蜻蛉は赤信号を渡っていったのではない。青信号を渡っていったのである。私たちは青信号を渡っていっても、赤信号を渡っていってもかまわないのである。私たちには私たちの生活があり、私たちの人生がある。

カップの底に砂糖は残り稲びかり   きくちきみえ

砂糖を入れ過ぎてしまったのだろうか。かき回し方がいい加減だったのだろうか。飲んでいるときは気付かなかったが、飲み終えてみてはじめて気付いたのである。遠くに稲びかりが見える。もし、気付かなかったら、気付いたことよりも幸せなことであることを知らなければならない。

おざなりとねんごろのゐる案山子かな   きくちきみえ

適当にいい加減に済ましてしまう性格の案山子もいれば、心を込めて親身に付き合う性格の案山子もいる。何故ならば、人間が拵えたからなのである。拵えた人間の性格が、そのまま案山子にも乗り移る。あたりまえのことなのである。

秋空のあをの向うはダークマター   きくちきみえ

暗黒物質とは仮説上の物質である。仮説を立ててそれを証明していくのが科学なのだそうだ。秋のあおぞらを眺めていて、それで、十分、幸福だと思う。馬鹿な私には、その程度で何の問題もない。知りたいと願い追求していく行為、それは、本当に正しいことなのだろうか。

ふうはりとルドンのまなこ大鮪   松本恭子

「眼=気球」という代表作品を眺めていると「ふうはり」という言葉が浮かぶ。荒れた大地のうえには気球が描かれている。ルドンの「自画像」のまなこからは「ふうはり」という言葉を見つけ出すことはできない。鮪とは大型の回遊魚で常に泳いでいないと死んでしまう。作者にとって、ルドンのまなこから大鮪まではごく自然な距離だったのだろう。

かげろふの蜜吐くごとく翅透きぬ   松本恭子

口の構造は退化的で通常摂食機能はないとあった。かげろふの翅が透き通っているのは蜜を吐くからなのだと作者は言う。作者は何故そう表現したかったのか、それを考えることではなく、ただ、かげろふが蜜を吐いているすがた、翅の透き通っているすがたを想像していればいいのだ。

死に近き鏡のなかのリボン結ぶ   松本恭子

死に近きとあるが、誰もが、自分の死が遠いのか近いのかは解らない。そう書いている私は、私の死は突然やってきて欲しいと願っている。だが、作者は死が近いと言っている。リボンを結んでいることは現実の出来事であり鏡の中だけのことではない。鏡とは自分を第三者として視ることのできる道具でもある。誰もが死を体験したことはない。日々の暮らしの中の、そこここで「これが死なのかも知れない」などと、何となく解ったような気がしているだけなのである。作者は、鏡のなかのリボンを結ぶことでそれを感じたのである。

金魚泳ぐしづけさ父の愛に似て    松本恭子

落ち着いた雰囲気がなければならないと思ったのである。金魚を眺めている作者は、父の愛とはそういうものだと思ったのである。せっかちで気の短い私はすぐに感情的になってしまう。そして、余計なことまで言ってしまうのである。そのたびに老妻から「それは言わないほうがいいわよ」と嗜められているのである。

佳宵の鯉緋色もかくしてしまひけり   松本恭子

佳宵のときは鯉でさえも自慢の色である緋色を隠してしまうものなのだ。月のよい夜は特別なのである。鯉でさえもこころが浮き足立ってくる。鯉は自分が月よりも貧しいことを知っているのだ。ここで、月と張り合ったりしたら自己嫌悪に陥ってしまうことを知っているのだ。

少年の薔薇の首の棘に触る   松本恭子

薔薇の首とは花の下のところにある茎のことなのである。つまり、一番美しい薔薇の花を顔であるとした。少年は一番美しい薔薇の花の下にある茎の棘にふれたのである。少年は誰かに恋をしている。

鳳仙花さびしさ爆ぜし赤の他人   松本恭子

鳳仙花の種が爆ぜて四方へ飛び散る。それを、さびしさが爆ぜたのだとした。鳳仙花とは作者自身なのである。まわりに居る誰も彼もが他人であると強調しながら爆ぜなければならない作者のこころを、秋の日差しはやさしくつつむ。

老人に玉藻のやうなこころあり   松本恭子

そのようなこころは誰にでもあるものだと思う。平凡な暮らしの中でこそ、そのようなこころは育まれていくのだと思う。誰とも、そのこころを持って接することができれば幸福な人生を送ることができるのだと思う。

白露(しらつゆ)に恋をゆづりしことなども   松本恭子

二十四節気の第十五、その日から秋分の日までをいう。恋人を譲ったのではなく恋を譲ったのである。恋するこころを譲ったのである。そんなこともあったのだななどと思い出しているのである。恋を譲ったことなどを思い出すのは、白露という季節だからなのである。また、儚さも感じられたりもする。

いちにちを照りて翳りてすべりひゆ   松本恭子

植物もひとも同じなのである。たまたま、その場所に芽を出した。たまたま、その国、その時代に生まれたのである。故に、ただ生きるしか方法はないのである。自分の力ではどうすることもできない何かに対しては、避けたり、かわしたり、たまには、立ち向かったりして、いちにちを過ごすのである。照る日もあれば翳る日もあるのだ。すべりひゆは薬草なのだという。お浸しにして辛子醤油で食べると美味しいのだそうだ。

長女は、Y駅近くの仏蘭西料理店でソムリエをしていた。立ち仕事なのでなかなか体調が戻らず手術をすることに決まった。六ヶ月間は、会社に籍を置いてもらえることとなり、九月いっぱいで仕事を離れた。お世話になったご常連さんたちからは、寿退社だと勘違いされ、ずいぶんとお祝いを頂いたのだそうだ。訳を話したら「お祝いから、お見舞いに変わったのよ。お菓子もいっぱい届いて、どうしょう」というメールが老妻に届いた。心配かけまいとして明るく振舞っているのかも知れない。手術日は来週の十四日である。その日、老妻は仕事を休み、私は仕事帰りに病室を覗いて帰ろうなどと思っている。


第437号2015年9月6日
矢野玲奈 マカロニも 10句 ≫読む
第438号2015年9月13日
小林すみれ 月の窓 10句 ≫読む
第439号2015年9月20日
きくちきみえ 稲びかり 10句 ≫読む
第440号2015年9月27日
松本恭子 白 露 10句 ≫読む


敏雄のコトバ(1)生駒大祐

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敏雄のコトバ(1)

生駒大祐


取り合わせの片方が季語だとしますと、上手くいかない場合は「季語が動く」ということになりますが、いわゆる季題諷詠というものでは季語は動かない。逆に言うと、これはひとつの無季俳句なんです。

第10回現代俳句協会青年部シンポジウム
「対談 俳句の五〇年」鈴木六林男・三橋敏雄 司会:久保純夫
http://www.gendaihaiku.gr.jp/intro/part/seinen/archives/archive.htm

敏雄の言葉は新しい。たぶん、敏雄は言葉についてよく考える人だったのだろう。そんな気がする。

引用元は久保純夫を司会として鈴木六林男と共に行った対談であるが、少々極論めいた感じに一般的な俳句の言論のストライクゾーンから外にはずすことを狙っていることが見てとれる六林男に対して、敏雄はど真ん中のストライクを取りに行っているように見える。

ようは、全体を読むと至極まっとうなことを言っているように見える。至極まっとうなことを言って面白い、というのはとても貴重で、俳句にとって大切なことだと僕は思う。

冒頭の引用文について、敏雄は明確にその意図することについて説明してはいないけれど、季語が動く取り合わせの俳句が「有季俳句」で、季語が動かない一物の俳句は「無季俳句」だ、という指摘は面白い。

それは実感としては良く理解できて、取り合わせの俳句は、俳句が俳句として成り立つ過程で背負ってきた諸々の読みのルールを背負って初めて俳句としてなりたつ。

有季性(とでも呼ぶべきもの)がそのルールを指すならば、一物の俳句はそのルールから外れてもちゃんと俳句として成り立つ。

季語が、季語でなくモノとして働いている。それを無季俳句だと敏雄は呼ぶ。

僕はこの小さな連載で、敏雄のコトバの新しさについて少しでも光を当たられたら、と思う。そして、「新しい」ということの厳しさについても、話して行けたらいいと思う。


幽霊を季題と思ひ寝てしまふ 三橋敏雄『鷓鴣』



現代俳句協会青年部 第140~144回勉強会
「読み直す新興俳句 何が新しかったのか」全5回
第3回 11月1日(日)三橋敏雄
岸本尚毅  遠山陽子  山口優夢 (司会)生駒大祐
http://genhai-seinenbu.blogspot.jp/2015/10/1401445.html

【申込・問い合わせ】
要申込(定員40名)
genhai.seinenbu@gmail.com までご連絡ください。

〔ハイクふぃくしょん〕靴下 中嶋憲武

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〔ハイクふぃくしょん〕
靴下

中嶋憲武
『炎環』2014年2月号より転載

「そうして我々は世界に君臨するのです」いつもながら壮大な水岡先生のお話を聞きながら、窓の外を眺める。舗道にセキレイがやって来ていて、長い尾羽をパタパタ上下に振っている。めんこいこと。何のお話をしてるんだっけ。絵画論のお話だったはずだ。それがいつのまにか、スピリチュアルな方面のお話になってしまっている。クンリン。あまり日常会話では聞かれない言葉の響きに、わたしはくらくらしてしまって、すっかり冷めたコーヒーを一口ゆっくりと啜る。

娘が社会人になって、母親の努めがひと区切りついたので、まったく遠退いていた油絵をまたぽつぽつと描き出した。水岡先生にお会いしたのは、白鴎会という絵画制作のグループでだった。わたしたちは、アマチュアながらお互いを独立した画家として認めていたので、先生と呼び合った。月に二度あるコースに、たまにふらっとやって来て指導的な役割をしていたのが、水岡先生だった。水岡先生はわたしと同世代と思われ、もうすぐ六十に手が届こうかというのにとても若くみえた。面長の風貌に、モジャモジャの髪。白髪など一切ない。高い鷲鼻。みるからに芸術家だと思った。お描きになっている絵もとても個性的で斬新な抽象画で、どうしてこんな先生が白鴎会のようなグループに燻っているのだろうと疑問に思う。

わたしは水岡先生について、あちこちと出掛けるようになった。水岡先生もわたしのことを気に入ってくださったのか、たびたびお声をかけてくれて、知り合いの個展へ連れて行ってくださったり、画廊のオーナーを紹介してくださったりした。

今月は上野でル・コルビュジエをみて、鴬谷、入谷と歩いて少々くたびれたので、言問通りの裏にある小さな喫茶店でひと息入れているところだ。セキレイはもういない。お向かいの和菓子屋の黒塀に当たった強い日差の反射光をみていると、そろそろ行きますかと水岡先生。どこへ行くのかわからないけれど、はいと答えてわたしも立つ。

とぼとぼ歩いて行くと、不意に水岡先生が立ち止まり、宛ら我々は巡礼者のようですなと独りごちた。自らの芸術を求めてさまよう巡礼ですよ。例えばあそこに我々の芸術の源泉があります。ほら。といって水岡先生の指差す方をみると、築六十年は経ているだろうと思われる木造のアパートがあった。二階建てのがっしりとした造りで、木材は煤けて黒っぽい。わたしは穴蔵のようだと思った。あの窓なんかなかなかいいでしょう。靴下が一足干してあって。あれが生活です。さ、描きましょう。と水岡先生はいったかと思うと、ショルダーバッグからF4のスケッチブックを取り出し、立ったままデッサンを始めた。

夕暮のわたしたちは並んで立って、よれよれの黒い靴下の干してある窓をデッサンした。デッサンをしていると、豆柴を連れたおばあさんが通りかかり、スケッチブックを眺めていたが、つまらないもの描いているんだねえといって、行ってしまった。生暖かい風が黒靴下を僅かに揺らした。

浅草寺裏のアパート蚯蚓鳴く  市ノ瀬遥

名句に学び無し、 なんだこりゃこそ学びの宝庫(15) 今井聖

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名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (15)
今井 聖

 「街」109号より転載

雪圍出でゆくほどの醉なりし 
田中裕明(たなか・ひろあき) 『櫻姫譚』(1992)


なんだこりゃ。
  
 ユキガコイイデユクホドノヨイナリシ

この句、どこと言って「なんだこりゃ」の内容は見当たらないように見える。

問題はこの句が句集製作の年代から言うと作者が二十六歳から三十歳の間に作られたこと。

雪国で家の周りにさまざまの豪雪対策が取られている。

雪への準備という段階ではなく既に雪は降り積っているという解釈の方が「雪圍」という季語にはふさわしいだろう。

家の中で晩酌などしているうちにほろ酔いとなりその力を借りてついつい雪の中へ出て行ってしまった。

この句、「ほどの」がポイント。

普通の神経なら出て行かないのに、その日は酒が入っていたのでその力を借りて囲いの外に出て行った。もう少し酒量が進んでいればやっぱり出ては行かない。

ちょうど雪圍を出て行きたくなるくらいの「蛮勇」を酒が与えたのだ。

これ、どうみても老人の感慨ではないのか。

句はその一句から感得しうる内容で鑑賞すべきであって作者の境涯だの年齢だの性別だのの「知識」を添付しないで読むというのは大前提だと僕は思っているので、ここで裕明さんの作句時の年齢を持ち出すのは自己の信条に矛盾するかもしれぬとちらと思う。

作者名を外してこの句を鑑賞するとやはりかなりの高齢の人の所作、感慨を想像する。

僕は裕明さんの嗜好を分析したいのだ。

どうして三十前後の若者がこんな感慨を持つのか。

友人にそんなことを言ったら「それは個々の考え方の問題。どんな感慨を持とうと勝手だろ」とぴしゃりと言われた。

また別の場で小川軽舟さんの「死ぬときは箸置くやうに草の花」についてこんな感慨は世俗的な老人の感慨で俺ならドブにはまって倒れても死ぬときは前向いて死ねっていう坂本龍馬の言葉の方に惹かれるなと書いたら、「それ嗜好の問題だから誰がどう願おうと勝手だろ」と同じ友人に同じことを言われた。

ウ~ン、嗜好の問題。そうかなあ。納得がいかないなあ。

裕明さんと軽舟さんの作品には共通する狙いが見える。

それは「俳」もしくは「俳諧」。

連歌の成り立ちから考察して「俳諧」が俳句の本義。それに照らせば「諧」すなわち滑稽や遊戯性が俳句形式の存在理由であって、自分はそこを狙うのだと。

そういうことではないのか。

「俳諧」という言葉はこのところよく耳にする。

このところというのは僕が「寒雷」に居た三十年間はとんと耳にしなかった言葉だ。楸邨は芭蕉研究でも知られ多くの著書があるが句会などで句を評するとき「俳諧」という言葉を発した記憶がない。

ナマの感動、素の対象から直接受け取る感受。
自分と対象が一枚になるように。
自分の中に溜め込んだ言い回しの技術で作らない。
歳時記から出来あいの季語を持ってきて嵌めこまない。
そこにかけがえない自分が存在するように。
先入観に捕らわれないこと。

評の中ではこれらのフレーズが繰り返し強調された。

「自分」「己れ」「かけがえのない自己」「私」。しかもそれを「もの」を通して表現すること。僕らはそう教えられてきたのだった。

寺山修司は「探すべき自分などそもそもないのだ」と言い、アイデンティティを作品に求めること自体が古い文学観だと笑った。しかし寺山は設定した「虚構」の中で「自己」からどれほど逃れ得たのだろうか。

要するに僕はこの句に裕明さんの「自分」を感じ得ないのだ。裕明さんでなくてもいい所作と感慨。つまり通俗の中にいわゆる「俳諧」らしさを設定していないか。

裕明さんは時代的、作風的括りとしては長谷川櫂さん、岸本尚毅さんとともに語られることが多い。

墓石に映つてゐるは夏蜜柑 岸本尚毅
根釣してふるき世のことはなさんか 田中裕明
桔梗や死に一言の暇なし 長谷川櫂

三人に共通するのは「己れ」を消し去るところに見る「俳諧」。個人より、より大きなもの、普遍なるものへの希求ということなのだろうか。

ふと石田波郷のことを思った。

波郷もまた「俳諧」の名で語られることが多い。

女来と帯纒き出づる百日紅
初蝶やわが三十の袖袂

波郷作品の「俳諧」味として引用されるこれらには、しかし、「女来と」の異性に対する「いきがり」や「わが」の自己主張に他者と識別されたい意識が明瞭に見える。

この「私」こそが波郷の大きな魅力ではないのか。

それを「俳諧」と呼ぶなら納得できる。

どこに書いてあったか、藤田湘子さんがお弟子さんに言ったらしい。
「男は日本酒を飲むときは杯を持った側の肘を上げて飲むんだ」

こういう「俳諧」が嫌だなあ。こんなダンディズム、薄っぺらだなあ。
「声」をかならず「こゑ」って書く人嫌だなあ。ここにも「俳諧」ふうへの意識を感じる。

俳諧ふう演出の臭さ、ダサさ。

波郷の、

元日の日があたりをり土不踏
梅の香や吸ふ前に息は深く吐け

こういうのでしょ、本当の俳諧って。

命が迸るような瞬間をさらりと言うこと。気張らず、気取らず。

では、この句に学ぶべきところはないのか。
ある。

二十年も前は、若手が「写生」なんて言うと、盲目的虚子信奉者か、権威主義の権化か、芸事志望者のごとく言われたものだ。

裕明さんの出現は「写生」という選択が、今日的で先鋭的であるということを広く提起してくれた。

そこからもう一度子規の「写生」の本義を考えることができる。

なんだこりゃこそ学びの宝庫。



「街」俳句の会サイト ≫見る

10句作品テキスト 榊陽子 ふるえるわかめ

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ふるえるわかめ 榊 陽子
(なな子、社長ほか代用可)

泣いたってわかめわかめのショウタイム
夢忘れ老いぼれわかめ走るよホイ
天皇家ならびにテロテロするわかめ
暴れるな夜着からわかめ出てしまう
なんぴともわかめ涅槃を想像す
秋雨やふえるわかめとコンドーム
テンガロンハットも似合うわかめかな
警告にしずまれわかめ空っ風
なんでやねんうち新宿のわかめやし
泣いたから訊けばわかめにゃ顔がない


10句作品 榊陽子 ふるえるわかめ

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週刊俳句 第442号 2015-10-11
榊陽子 ふるえるわかめ
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週刊俳句 第442号 2015年10月11日

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第442号
2015年10月11日



2014「石田波郷賞」落選展 ≫見る


榊 陽子 ふるえるわかめ 10句 ≫読む

……………………………………………

名句に学び無し、なんだこりゃこそ学びの宝庫(15)
雪圍出でゆくほどの醉なりし 田中裕明
……今井 聖 ≫読む

〔俳句ふぃくしょん〕
靴下……中島憲武 ≫読む

現俳青年部11月勉強会のための短期連載
敏雄のコトバ(1)……生駒大祐 ≫読む

【週俳9月の俳句を読む】
瀬戸正洋 よすてびとのうたⅥ ≫読む
山崎志夏生 稲びかりの量感 ≫読む
大和田アルミ ほんの僅かの違い ≫読む
岡田由季 子どもの眼差しのある日常 ≫読む

連載 八田木枯の一句
柿の木に昔の日ざしありにけり
 ……西村麒麟 ≫読む

自由律俳句を読む 112
「平松星童」を読む〔1〕……畠働猫  ≫読む  (10月12日更新)

〔今週号の表紙〕稲田……西原天気 ≫読む

2015角川俳句賞 落選展 作品募集  
≫読む

後記+執筆者プロフィール……上田信治 ≫読む


 
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〔今週号の表紙〕第443号 横浜 近恵

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〔今週号の表紙〕
第443号 横浜

近恵




気持ちのいい天気の日でした。以前から気になっていた美しい骨格を見せる横浜マリンタワーに昇ってみたのです。東京湾が見事に一望できました。氷川丸も、湾内を行き交う多くの船も、みなとみらいも、埠頭も見えました。巨大なキリンが首を伸ばしているのは本牧埠頭。その先の海の向こうには、空気が澄んでいれば木更津が見えるはずです。

そんな気持ちのいい遠景もさることながら、もっと気をひかれるものが眼下にありました。下道と絡み合うように優雅な曲線を描く首都高速神奈川3号狩場線です。海に張り出し、下の道路と相まってどこまでも美しい曲線です。高速道路だから交差点がないのは当たり前だけれど、こうして遠くまで見えると、これが思いのほか美しいのです。

それに横浜人形の家からうねるように山下公園へとのびる歩道橋も高速道路に呼応するように曲線です。そしてタワーの下の階も、メルパルク屋上のガーデンウェディングの真っ白なバージンロードも可笑しなくらい曲線です。

道路の合間合間に、海と船と倉庫とビルと緑と。

見晴らしのいい山手に外国人が風情ある家を建てて住んでいた頃にはどんな景色が見えていたんだろう。その頃は首都高速なんてなくて、美しい緑と海岸線と、外国船も入る港が見えていたはずで、それはそれできっと素晴らしかったに違いないと思うのだけれど、ちまちまと建物に囲まれてこの優雅な曲線を描く首都高速が見える現代の景色もなかなか捨てたもんでもないなあと思ったのです。




週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

俳句雑誌『塵風』第6号発売のお知らせ

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俳句雑誌『塵風』第6号発売のお知らせ

【目次より】

底流記 名もなき民と俳諧(二)……斉田 仁

特集◎駅STATION
・嗚呼、駅……佐山哲郎
・なぜ、「終着駅」に魅せられてしまうのか……久保 隆
・「待つ」場所――小津映画における駅……仁平 勝
・上林暁「花の精」、つげ義春「無能の人」の舞台……長谷川裕
・炭都 大牟田……東人
・寛容について……小津夜景
・つげ忠男京成立石を語る……つげ忠男
・駅前図鑑……村上 健×烏鷺坊
・同人エッセイ

清水昶『俳句航海日誌』をめぐって
第一回◎戦後詩のなかの清水昶
……久保隆/府川雅明/三宅政吉

同人句集
季語の動物たち【伍】蚊……笠井亞子
みどりの夜……片桐慎治
啞々砂この一句……啞々砂

160ページ、定価1,000円+送料180円。

購読のお申込み、お問い合わせはyutenji50@gmail.comまで。



自由律俳句を読む 113 「平松星童」を読む〔2〕 畠働猫

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自由律俳句を読む 113
「平松星童」を読む2

畠 働猫



前回の記事で「連れ句」について触れたところ、「『連れ句』という語句は一般的な用語ではないため、説明が必要ではないか」という意見をいただいた。
自分もその語句について「草原」系の俳人が用いているために、一般的な用語と考えて使用していたが、なるほど無自覚であった。

上記の指摘をしてくれたのは元「草原」同人で自分の句友である小澤温であり、小澤によれば、「連れ句」という用語は「草原」同人で現在結社誌の編集長でもある、そねだゆ氏の考案によるものであるようだ。
そねだ氏の考える「連れ句」の定義は、以下のページで説明されている。


Art、自由律ヒッチハイク
『ゆ』のひとりごと
連れ句とは


そもそも、私が自由律俳句を始めたきっかけは、2012年の春に、病床にある恩師との連絡のためにTwitterを始め、日々の雑感を句にして伝え合ったことである。
恩師との句の交換の中で、相手の句に対して返答のように句を連ねていくこともよくあった。恩師が歌人であったためか、連歌のように句を交換し、連ねていくことは自然な行為であった。
当時、Twitter上で自由律俳句を発表していた俳人の中で最も魅力を感じたのが、すでに紹介した天坂寝覚である。
それまで何の関わりがあったわけではないが、あるとき彼の句に対して、恩師とするようにリプライの形で句を送ってみた。そうするとしばらく後に寝覚から句が返ってきた。そして、何の会話もないままに黙々と句の交換は続いた。
こうした交流は、その後も断続的に続き、その中で自分は天坂寝覚という人物から多くのものを学び、吸収した。
技術ももちろんであるが、その俳句観や視座、そして美的感覚について知った。その上で自分のそれらを句で表現し、返答してゆく。
それはなんとも幸福なつながりであった。
「連れ句」という言葉は、そうした折に天坂寝覚から聞いたのだったと思う。
このように句を連ねていくのを「連れ句」というのだと。

そのような経緯の中で定義された私自身の「連れ句」は、提唱者であるそねだ氏のそれとは多少のずれがあるかもしれない。
しかしその行為が相手への敬意や愛情に根ざしたものであり、また、他者理解と自己開示という幸福で高度な交流であるという点で一致している。
そしてやはり、句の鑑賞法として最も優れているということは疑いがない。

さて、今回の記事では、自らの連れ句を以下に示す。
これらは、かつて錆助より依頼を受けて、結社誌「草原」に「試行『平松星童を識る』」と題して執筆した原稿の中で、平松星童の句に連れ句をしたものである。
前回50句と書いたが、数えてみると83句あった。
今回と次回に分けて提示する。
作の巧拙は問わず、星童句の解釈の一例として笑覧願いたい。


(星童)……平松星童句
(働猫)……畠働猫句
※(働猫・過去作)……連れ句として詠んだのではなく、過去に作った句を連れ句として当てはめたもの


◎初期作品(昭和十七年から「俳句日本」掲載まで)
よい月によい風がプラタナスの下の公衆電話です (星童)
   月夜に泣いた公衆電話今はもうない (働猫)

お庫あけて誰か入ってゆく一番星がその上 (星童)
   もう一人が来ないまま夜しらじら明けてゆく (働猫)

まっ赤な竹薮の夕焼けをほそぼそ道が通ってゐる (星童)
  夕焼けの竹林を向こうから狐の面が来る (働猫)

春が夏になる日の鮮人小屋のペンペン草かな (星童)
  友達の家だが小屋は小屋であるペンペン草 (働猫)

ラジオが生々しい海戦の模様を、日本の夜は満天の星 (星童)
  ソマリアの海賊殺して来た灯油買い足す (働猫)

星のなか星のような一機がゆく海のうえをゆく (星童)
  墜落しても死に損なわないようそばにいる (働猫)

汽車がいってしまうとコスモスと風と駅夫と (星童)
  廃線をコスモス覆う (働猫)

月があかるすぎるので死んだ人のことなど (星童)
  死んだ猫が固くなっていった日もこんな月だった (働猫)

月の光が部屋いっぱいに、オルゴール (星童)
  となりの部屋のドビュッシーまで聞こえるような月の光だ (働猫)

めっきり秋らしくなった空のいろが指のさきのホータイ (星童)
  包帯巻いてきた級友笑って窓に秋 (働猫)

秋夜しみじみ語ることのつやつやぶどうの一つぶ一つぶ (星童)
  ぶどうの種を吐きながら話題を探すまだ長い夜 (働猫)

古いオルガン日のさし虫の声はそこからくるらしい (星童)
  廃校のオルガンから虫の声 (働猫)

暗さはまだ本がよめて一りんざしには一りんの花 (星童)
  花買って本は買えない読むものがない (働猫)

雪になりそうな雨ががいとうのまわり (星童)
  雪が雨になって夜はこんなに暗かった (働猫・過去作)

雪ぐにのくらい薬屋くすり調合する主のしろい (星童)
  薬局のおんなふくぶく健康すぎる (働猫)

水のなかまで月夜である石のかたち (星童)
  月を映した石だと言って売るおとこ (働猫)

つゆけく朝になって消えてゐたランプ (星童)
  朝が来たらしく街灯も消えてまだ帰らない二人 (働猫)

お月様乞食のような雪だるまでしょう (星童)
  白象の雪像つくり苦しいですサンタマリア (働猫)

八つ手の花は花火のよう星は何時も出るところに出る (星童)
  何番星までみつけても母さんは来ない赤いはな (働猫)

ずっこけた眼鏡なおして靴直しの親爺で、芽ぶく (星童)
  眼鏡捜す親父の頭上、さくら芽吹いている (働猫)

春だ春だと蟻が動く (星童)
  春蟻無限に湧く (働猫)

青い葉が散るので犬が遊びに釆てゐる交番 (星童)
  犬逃げてだれもいない交番で電話が鳴っている (働猫)

遠く木の倒れる音木樵小屋は年とった時計がうつ (星童)
  遠く木の倒れる音気のせいかもしれない世界は終わる (働猫)

朝がすずしい水晶の数珠 (星童)
  数珠こぼれおちる朝がすずしい (働猫)

日をしずめひっそり月の出をまつあいだ、海 (星童)
  海にいて君といて貝殻に月の映える (働猫)

あめふるでんでんむしむしでんしゃがとおる (星童)
  でんでんむしむしおとのさまとおるかおをあげるなよあけがきても (働猫)

裸馬に裸の少年水にぬれ月にぬれてゆく (星童)
  全裸よい月に誇る (働猫)

雲だらけの月が荒地野菊 (星童)
  野菊咲いて雲がおりてくる (働猫)

金星がでてをるランプともそう (星童)
  二人でランプ吹き消して明けの明星 (働猫)

月が今夜の光もってくる変電所 (星童)
  鉄塔にだれかいたような月が翳った (働猫)

星に風あるくだもの (星童)
  なしうまいもももうまいひとりでくってしまった (働猫)

ランプのような月が、金平糖のような星が、冬 (星童)
  月も星も吸い込んで雪 (働猫)

落葉ひらひら水におちて魚になる月夜 (星童)
  落ち葉舞って病室の魚になる夢 (働猫)

朝の光り門衛のぢいさん文鳥と話して餌をやってゐる (星童)
  通勤電車吊り輪と話している男 (働猫)

木が木が裸になって人々愛しあう冬 (星童)
  木を裸にした熊吊るされて北国に春遠く (働猫)

顔の白さ、夜の桜ちってゐる (星童)
  めがねも脱いだらまつげに花びら (働猫・過去作)

風から祭が耳のとおいおばあさんと猫 (星童)
  失語の母と猫とに遠い祭りの音 (働猫)

雪ふるまっしろなこどもまっしろな犬 (星童)
  雪ふるいい歳をして白いパンツの女 (働猫)

昨日までの君ではない君のいつものほほえみきょうは征く (星童)
  征く友を送るせめて微笑もうとする (働猫)

夕日が草のたけ射撃演習完了 (星童)
  演習の音窓を鳴らす教室で君死にたまふことなかれ (働猫)

春の白雲、印刷機は紙をたべてははく (星童)
  また紙詰まりの印刷機蹴って叱られている、雲はやい (働猫)

大きな梨二つに割り月夜の空気いっぱい (星童)
  食べられなくなって梨半分のかわいてゆく (働猫)

こどものあせばんだひたい何か化粧のにおいがする (星童)
  別れてきた母の残り香ある子のひたい (働猫)

夜の海と海よりしずかな街にふる雨 (星童)
  君に降った雨がきた (働猫・過去作)

子供の手に手をそえきれいになるまであらってやる (星童)
  洗っても洗ってもきたない手だきたない手だ (働猫)

茗荷の匂いのあおささびしさまずしさ、をあじわう (星童)
  よそのカレーはまずくてふしぎでしあわせである、をあじわう(働猫)

凍った池とでんしんばしらと鴉はあるく (星童)
  水平線も凍てつく冬だどこまでもゆける (働猫・過去作)


*     *     *



以上47句。
次回はさらに36句の星童句とそれへの連れ句を見ていただき、自分の連れ句の「定義」と「メソッド」についてお伝えしたい。




次回は、「平松星童」を読む〔3〕。

〔ハイクふぃくしょん〕マゲ 中嶋憲武

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〔ハイクふぃくしょん〕
マゲ

中嶋憲武
『炎環』2013年3月号より転載

「この辺か?」
「この辺だよ」俺と新太は並んで立った。

俺は百六十センチ。新太は百八十センチ。並んで立つとR2-D2とC3POみたいだ。郊外の私鉄の小さな駅前。ちょうど夕方の帰宅どきで、改札から出てくる人、改札へ向かう人の波で、ちょっとした活気にあふれる時間帯。

俺と新太は、派遣先の物流センターへ向かうためのバスを待っていた。夜七時から朝の七時まで、コンベヤーに乗ってきた品物を自分の担当部署へ引き込む、「マゲ」と呼ばれている仕分作業をしている。夜食の時間を含む二回の休憩を挟んで十時間、ひたすらコンベヤーの流れを見続けて日当八千円。

初めて八千円を受け取った朝、新太が小声で「パーッとやろうぜ」と言った。臆病な俺は、朝イチ風俗かどっかでパーッと使っちまうのかとドギマギしたけど、新太の言うパーッととはファミレスで七百八十円の焼鮭定食を食うことだった。それ以来パーッと行こうと言われると、田んぼのなかの、やたらに駐車場がだだっ広いファミレスで焼鮭定食を食う。たまには気張って九百八十円のサイコロステーキを食う。

新太とは帰る方向が同じなので、自然、行動を共にするようになった。そのせいか仕事先でもセットで扱われ、「マゲ」の部署だってちょくちょく隣り合わせになる。

「あの野郎、いつもむっつりしてやがんな~」新太が呟く。
「誰?」と言いながら、新太の視線の先を辿ってゆくと、宝くじ売場の隣りにいつも店を出している甘栗売りの男が無愛想に突っ立っていた。
「カエサル」俺は言った。
「カエサル?なんだそりゃ」
「ジュリアス・シーザーだよ」
「ああ、シーザーか。で?」
「似てんだろ、あいつ。顔デカイけど」
「シーザーの顔って知らないもんね」

たしか高校んときの世界史の参考書に、正面向きの石膏像の写真が載っていた筈だ。その顔にクリソツだ。

彼の残した言葉はいくつかあるが、俺はとりわけ「来た、見た、勝った」って言葉が好きだ。炎熱のような勝利感がある。俺もいつかは、こんな勝利感に浸れる日が来ると、心のどこかで信じている。新太に言えば、たぶん鼻で笑われるだろう。二十五歳だし、敗北するには早すぎる。新太は勝利など、とっくの昔に諦めているか、もしくはその存在すら無いものと思っているだろう。

「なあ、十年後何やってっかな」
「マゲだろう、マゲ」

俺は炎熱のような勝利を信じる。
何の根拠があるんだと、みんな笑うだろう。でもかまうものか。

いつでも眠そうな顔をした運転手が運転するマイクロバスが、やって来て停まった。俺と新太と、そこら辺で待っていたその他数名は、護送される人のように無言でバスに乗り込んだ。

甘栗を売るカエサルに似し男  結城節子

俳人たちはどのように俳句を「書いて」きたか? 〝ぐちゃぐちゃモード〟の系譜とデジタル化の波 小野裕三

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俳人たちはどのように俳句を「書いて」きたか?
〝ぐちゃぐちゃモード〟の系譜とデジタル化の波

小野裕三
『豆の木』第19号(2015年5月5日)より転載

書き捨てることば

虚子には、句帖を保管するという習慣がなかったそうだ。俳句を書きつけた手帖の類は基本的に捨てており、ようやく最後の句帖のみが芦屋にある虚子記念文学館に保存・展示されているらしい。
此頃は小さき手帖に、俳句を作るに従って書きとめ置き、其手帖の皆になったるを境に、ホトトギス誌上に発表し、手帖は其まま反故籠に投ずることと定めぬ。
坊城俊樹「高浜虚子100句を読む」サイトより引用)
ここでは、俳句を「とめ置く」ことばとして虚子は位置づける。その言い表し方には流動的なものを暫定的に繋ぎ止めたような趣きがある。小さい手帖なのだろうから、保存したところでそれほど過度に場所を塞ぐことはなさそうなものだが、虚子はそのように暫定的に「とめ置いた」ことばを片端から「反故」にしていく。別のところで、虚子は句帖のことについてこうも語っている。
また誰が見ても判りっこはない汚ないもので、鉛筆で乱暴に書いてあってなかなか読めはしません。
(高浜虚子『俳談』所収の「句帳」)
「とめ置く」ことばは、まさに自分だけのためのことばでもあり、乱暴で汚くて、「其まま反故籠に投じる」ようなものだというわけだ。そしてこのことと対照して、もう一人の俳人を挙げよう。
 私は何かが浮かんだら、ありあわせの紙の裏に書いておきます。(中略)
だから、手帖は持たないんです。手帖に書いてしまうと、自分の句を直したり、どんどん平気で書いていくということができなくなるんです。紙切れだといくら直してもいい。いい句だけ書き写して、あとは捨てればいいんだから、実に気軽だ。
(『俳句二〇一〇年二月号 特集・手帖拝見!うまい人は句帖がちがう』)
こちらの発言の主は、金子兜太氏。伝統と前衛という枠組みで言えば対極的な位置にいるはずの二人が、句の物理的な「書き方」という観点では奇妙に一致しているのが興味深い。ちなみにこれは金子氏自身が語っていたのを直接聞いたのだが、俳句を作る際に氏が愛用しているのは、黒のサインペンだそうだ。どこにでもあるような、さらさらと書けるあのペン。決して高価なものでも特殊なものでもない。実に日常的な黒のサインペン。書きやすい、ということがその使用の理由だったように記憶する。このこともまた、「ありあわせの紙の裏」と符合する事実と思える。さらさらと書いてさらさらと捨てるものとしての俳句のことば。

ちなみに、この時の『俳句』誌の特集では、さらに数人の俳人の句帖のことが解説されているが、もちろん、全員が虚子や兜太と同様なわけでもない。「湘子帖」と呼ばれる特製の句帖に句を残した藤田湘子。ふだん使いの句帖と清書用の句帖を使い分けているという西村和子氏。「書き散らし」た句帖からパソコンに清書するという小島健氏。実はかなり千差万別であることがわかる。相子智恵氏も、句帖は「ぐちゃぐちゃと汚い文字で、俳句や俳句らしきものが書き連ねてあるだけだ」と告白していて、これは虚子や兜太を思わせる。

いずれにせよ、俳句の「書き方」(あくまで物理的な意味での)は、そんなわけでけっこう多様だ。そしてこれはあくまで推測ではあるが、他の文芸ジャンルに比べてその多様性は幅広いのだろう。というのも、小説や詩や戯曲やあるいは評論や、そういった長い文章形式については自宅や仕事場の〝パソコンのキーボードを叩く〟というスタイルが現在ではほぼ標準的なものとして定着しているからだ。それに対して俳句(おそらくは短歌も?)は「手書き」という方法を強く残す、今となってはかなり稀有な文芸ジャンルでもある。加えて、長い文章形式と違って、屋外で書く(つまり吟行)というスタイルも一般的だ。結果として俳句の場合には、手書き(紙とペン)とデジタルツール (パソコン等の電子機器)、屋内と屋外、というさまざまな軸での組み合わせの可能性が生じ、その組み合わせ次第で多様性が生まれる。持ち歩く手帖に書いたものを自宅のパソコンで清書するという小島氏のようなスタイルは、その中でも容易に想像しうる典型的な組み合わせのひとつだ。


紙切れ・百均手帖・付箋ガジェット

そして近年では、手書きとデジタルツール、屋内と屋外、という組み合わせの要素がさらに多様化している可能性がある。というのも、携帯電話・スマホやタブレット端末の登場によって、デジタルツールの携帯性・機能性がこれまで以上に増したからだ。そして実を言えば、i-modeが登場した時期には早くも既にその萌芽が見られた。
 黛まどかさん主宰の女性だけの俳句結社「月刊ヘップバーン」が、iモードを利用した句会「花を競ふ」を4月2日に開催する。
今回は、参加できるのは会員のみ。参加者は、日本全国からiモード端末向けに用意されたサイトにアクセスして投句する。参加者間で気に入った作品に投票し、優秀な作品を選ぶ。11時45分から投句が始まり、16時には選句結果が発表される予定。会員以外でも、その模様を月刊ヘップバーンのホームページで参照することができる。
事務局によると、今秋にも「仲秋の名月」をテーマにした同様の句会を開催する予定。
2000年のインプレス社ニュースサイトより引用)
どうやら花見をする現場から直接投句することを想定していると思われるこのイベントで、果たして携帯電話がどういう役割を果たしたかは定かではない。手帖で書いたものを携帯電話で清書した、という可能性もあるし、携帯電話に最初から直接に入力された可能性もある。今となっては確認のしようがないことだが、i-modeの出始めの時期だったこともあり、実際にはまずは句帖などに書いたものをi-modeに「清書」するという利用が多かったのではと推察される。

そうだとすると、スマホなどが登場して人々のリテラシーも端末の性能も飛躍的に向上した現在ではどうなのだろう。そんな疑問を持つのは決して僕だけでもないようで、例えば「Yahoo!知恵袋」に次のような質問が投稿されている(2013年)。
Q 俳句を作っている方に質問です。皆さんは俳句を作るとき、手書きで作られていますか、PCですか? スマホですか? 作句する際、どれが一番良いのかわからなくなってしまい、人はどうしているんだろうと思って質問してます。もちろん、ひとそれぞれでしょうが、よろしければ自分の作句ツールを教えていただければ幸いです。
「Yahoo!知恵袋」より引用)
この質問に対しては、三人の人が回答している。もっともオーソドックスな回答はこれだろう。
A 完全、手書きですね。私は推敲する時も、紙に書かないと、できません。
少なくとも僕が目にする範囲では、ほとんどの俳人はこれに当てはまると思う。手帖や句帖などを持ち歩き、そこにペンや鉛筆でさらさらと(あるいはぐちゃぐちゃと?)書く。これは、どのような句会や吟行の現場でも、たぶん大多数を占める光景だろう。

ところが、あとの二つの回答はちょっと違う。誌面の関係でその回答を要約するが、ひとつは「①百均で買った手帳に思い浮かんだことばをずんずん記録→②一句モノにしたら、携帯電話のメールを用いてPCに送信→③週に一度、PCに届いた俳句を推敲→④推敲の手が一ヶ月加わらなかったら自分の句帳(OpenOffice)に転記」というもの。もうひとつは、「①出先で暇を見つけて…の時は、紙にボールペン。家で、時間をわざわざつくって…の時は、PCのガジェット付箋に、手当たり次第打ち込む。→②両方とも、あとでPCのメモ帳に選抜して入力。プリントアウトして句会に持っていく。」というもの。

ここで興味深い点がある。この二つの回答とも、最初にことばを書き込む場所が、なんとも暫定的で不安定な「とめ置く」に似た場所であることだ。手帖はあえて「百均で買った」と付言され、安物の手帖であることが明示されている。もちろん、その理由を単に、たくさん消費するから安いものを使っている、と考えることもできる。

だがそのようなことが経済的な理由だけとも思えないのは、もう一人の回答者の説明を読むと、PCを使う際に、あえてそこで「ガジェット付箋」を使うとしている。Wordなどのきちんとした文書作成ソフトではなく、あるいはそれの簡易版のメモ帳ソフトですらなく、あえてガジェット付箋。となると当然、「百均」の手帖といった経済的コストの問題では説明できない。もちろん、ガジェットだから開くのが早いといった機能的な理由は考えられなくもない。だが、このガジェット付箋を使うという感覚自体が、「百均」の手帖にも近く、さらには虚子が「反故」にする紙や兜太が「紙切れ」と呼ぶものにも近い点に着目したい。

そしてだとすれば、俳句は、なぜか多くの場合、暫定的で不安定な場所に「とめ置く」形で書かれるということになる。まるでそれが正しい俳句の場所だとでも言うかのように。さらに言えば、ここまで触れてきた俳人たちに、俳句を「清書」するという行為が広く共通していることも見てとれるが、そのような「清書」の行為があること自体が(この行為はおそらく虚子にも兜太にも共通している)、最初に俳句のことばが書かれる場所が「とめ置く」ための「ぐちゃぐちゃ」の場所であることを逆に裏付けている。そして、このような感覚はどうやら、人や時代や、さらには紙やデジタルや、あるいは伝統や前衛や、そういった垣根を越えて広く共有されている俳人たちの「書き方」のスタイルだと言えそうなのだ。


〝ぐちゃぐちゃモード〟という底流

そしてこのようにことばを「とめ置く」感覚に並行して、ことばをまるで放出するような感覚が見られることにも着目したい。虚子は「乱暴に」と言い、兜太は「どんどん平気で」と言う。他にも、先述してきた俳人たちのことばを借りれば、「ぐちゃぐちゃ」「ずんずん」「手当たり次第」、というわけだが、そこにあるのは、どこか肉体的とでも言うべきことばの放出感覚で、ことばを紙であれパソコンの画面であれ、どんどん手当たり次第にぶつけているという感じがある。だからこそ、それを受け止めるものは紙切れや付箋ガジェットでなければならなかったのだ、と考えればどこか納得がいく。

このような暫定感や放出感をあえて一言で言えば、「書き散らす」という言い方がもっとも近いだろう。つまり多くの俳人にとって、俳句とは「書き散らす」ことばであるということになる。そして、そのことにはどうやら理由もある。先述の『俳句』誌の特集に興味深い発言がある。
 それが手帖に書く方式だと記録が中心になるでしょう。(中略)ところが表現というのはおもしろいもので、一句書いた途端にダメになる。動き出した発想がそこで切れてしまう場合がある。そうではなくて、発想のままにウワーッとなぞっていって、あとから記憶力を追って書き留めるのがいい。(中略)
綴じた手帖は必ずしもいい句を保証しない。手帖も自由自在がいい。(中略)
一枚の紙切れだと自分の思いをぶつけやすい。そして、捨てられた紙を使う。これが気軽でいいんです(笑)。気軽ということが表現にとっては非常に大事なことですから。
(『俳句2010年2月号 特集・手帖拝見!うまい人は句帖がちがう』)
これは、金子兜太氏自身による自解。もちろん、ここに自由闊達な表現の精神性を見い出すことも可能だろう。もともとが前衛俳句の闘士だけに、そのような「自由自在」の精神が俳句の物理的な「書き方」にも直結しているのだ、と。だが、このような「書き方」の方法論を虚子も共有していることは既述した。ならば、このような「自由自在」の〝紙切れ主義〟は、前衛や伝統という枠組みとは関係がないと考えるべきだ。実は、相子智恵氏もこう自解する。
 ただその〝ぐちゃぐちゃ〟こそが、日常生活や仕事の論理モードから、俳句の世界に自身を切り替えるスイッチでもあり、句帖を開けば意識が変わるのもたしかである。
(『俳句2010年2月号 特集・手帖拝見!うまい人は句帖がちがう』)
いわば〝ぐちゃぐちゃモード〟を意識的に作り出すための戦略的な方法論として、ぐちゃぐちゃの手帖は位置づけられている。もちろん、このような〝ぐちゃぐちゃモード〟は紙切れや付箋ガジェットの感覚にもつながる。

そこでこのことについてさらに検証を進めるために、若い世代の俳人のことも調べてみた。まさにデジタルネイティブとも呼ばれうる二十代の俳人たち。学生の頃からケータイやパソコンに親しみ、今ではおそらくスマホを使いこなしているだろう彼らは、スマホやタブレットを駆使して俳句を作っているかも知れない。だとすると、そこではたして〝ぐちゃぐちゃモード〟は引き継がれているのだろうか。とは言えもちろん、本格的なアンケート調査をやることはできないので、とりあえず身近にいる二十代の俳人(ちなみに、俳壇的には注目の若手の一人でもある)に、彼と彼の周囲の俳人の状況を聞いてみた。

返ってきたのは意外な答えだった。曰く、彼の身の周りでも相変わらず手書き派が主流。しかも、彼自身、ケータイやスマホで俳句を作ろうとしたことがあるらしいが、結局のところ、紙がいいという結論に至ったらしい。書いて消して入れ替えて、みたいな推敲が携帯電話やスマホではやりにくかった、というのがその理由。それと、やはり「乱雑」なことも含めて「字を書く楽しさ」もある、ということで、まさに「とめ置く」ことばの〝ぐちゃぐちゃモード〟はここでも実に正統的な形で引き継がれていた。


ニーチェの文体と思考を変えたもの

ところでこの若手俳人が、いったんケータイやスマホでの作句を試してみて、それからまた紙に戻ったというのが実に興味深いのだが、このようなデジタルと手書きの間の逡巡は、現代の俳人にはわりと共通する課題なのかも知れない(実際に「Yahoo!知恵袋」でそのような質問があったように)。

実を言うと僕自身、デジタルと手書きの間を何度か行き来している。俳句を始めた九〇年代は当然のように手書きだったが、二〇〇〇年代前半の数年間はPDA(iPhoneなどが登場する以前に主流だった電子手帖のようなもの)で俳句を作っていたことがある(たぶん、その当時はかなり稀有な存在だったのだと思う)。ところがある時、このPDAのシステム自体がクラッシュしてしまい、その余波でバックアップ分以外の俳句がすべて消えてしまうという事件が起きてから手書きの手帖に戻した(ただの笑い話みたいだが、意外にこれはデジタル化が持つ短所を典型的に示してもいる。もし今後本当に俳句のデジタル入力化が進んでいけば、データが消えたとかデータの互換性がないとかの理由で、ある時期だけ俳句がほとんど残っていない俳人といったことが起きかねない)。またそれとは別に、二〇〇〇年代の前半には、自宅でパソコンの画面に向かって俳句を作っていたこともある。

その後、二〇〇〇年代の後半はまた手書きだったのだが、二〇一〇年代に入って今度はスマホ(より正確に言うとiPodTouchなのだが)を使うようになり、今に至る。こんな具合で、デジタルと手書きの間を何度も往復している感じなのだが、それは単に利便性だけを追求しただけの選択でもない。実は以前に文壇を中心に起きた「ワープロ論争」のことが念頭にあって、つまりデジタルツールは本当にことばを変えるのだろうかという興味から、どこか実験的な意図も込めてデジタル化を試みてみる、という思いがあった。

その「ワープロ論争」とは、九〇年代に評論家や小説家などの間で起きたものだ。八〇年代頃から定着し始めた「書く」ことのワープロ化は、その後パソコンへと進化して、文章を書くことのキーボード化(デジタル入力化)を決定づけた。原稿用紙を万年筆で埋めていく古典的な〝文豪〟の姿はあっという間に歴史の遺物のようになった。「ワープロ論争」はまさにそのような端境期に起きたもので、そもそもワープロで書いた文章は質が低いのではないか、もっと極論すればワープロで書かれた文章をそもそも文学作品として扱っていいのか、といったようなことがその趣旨であった。ちなみに当時の論争では俳人はほとんど蚊帳の外だったように思うが、これは理由のないことではなく、実際にワープロで作句をするという俳人がほとんど存在しなかったからと推察される。

ともあれ、ワープロの出現に対して起きたそのような批判を、まさに文学者たちの馬鹿げた現代版〝ラッダイト運動〟(産業革命による機械化に反発し、労働者たちが工場の機械を打ち壊した運動)だとして一笑に付すのは容易い。だが、ワープロがことばを変えるという見方は、あながち過剰反応とも言い切れないある本質的な問題を孕んでいる。

例えば、ニーチェの例を挙げよう。日本ではワープロという形で直面した問題に、実は欧米の文士たちは少し違う形で一世紀も前に直面していた。というのも、欧米ではタイプライターという形ですでに一九世紀において手書きからキーボードへの移行(ただしこの場合はもちろんデジタルではないが)が進んでいた。それまで体調のせいで執筆活動を中断していたニーチェは、一八八二年にデンマーク製のタイプライターを入手して執筆を再開した。だが、その文体がタイプライターという道具を使い始めたことによって変わってしまったという。
インリッヒ・ケーゼリッツは、ニーチェの文体にある変化が現れていることに気づいた。文がタイトになり、電報めいたものに近づいていたのである。(中略)ニーチェ宛ての手紙にケーゼリッツは「この器械によって、あなたはおそらく新しいイディオムさえ身に着けるでしょう」と書き記し、自分の仕事、すなわち「音楽と言語」における「わたしの『思考』は、ペンと紙という性質によってしばしば規定されています」と指摘した。
ニーチェは答えた。「そのとおりです。執筆の道具は、われわれの思考に参加するのです」。
(ニコラス・カー『The Shallows』)
そこに見られるのは、まさに日本で起きたワープロ論争を一世紀前に先取りするような現象だ。そして決してニーチェだけでもない。例えば、T.S.エリオットも一九一六年に書いた書簡の中で、タイプライターが彼の文体を変えたことに言及している(『The Shallows』)。

のように考えればつまり、今私たちがデジタル化を前に直面している問題の核心とは、単にデジタル化の波に俳句や文学が乗るか否かという表層的なことではなく、私たちの文体や思考は私たちの思う以上に物理的な「書き方」によって深く規定されてきたのではないか、ということが本質なのだ。その問題が、今のデジタル化の波によって顕在化している、と考えるのが正しい。


手書きとデジタルの狭間で

このようなデジタル化がもたらす課題は、実はさまざまなジャンルに押し寄せている。

例えば、建築。デジタル化によるオートメーション化の功罪をテーマとしたニコラス・カーの近著(『The Glass Cage』)では、このような建築をめぐる手書きとデジタルの問題が詳細に論じられている。手書きで図面を引くことが当たり前だった建築業界で、九〇年代を境に一気にCADによるデジタル化が進んだ。もちろん、そこで描かれるものは文字ではなく絵(つまり建築物のスケッチ)であるから、一概にその議論を俳句に当てはめることはできないものの、本質的には類似していると思える点も多い。

ある建築家たちは、手で書くこととはつまり思考することそのものに他ならない、とする。さまざまな建築のイメージを手でスケッチしていくことによって、そこに思考や発想が生まれる、というわけだ。抽象的で潜在的な何かを、触知可能な姿に変える確かな手段として「手書き」のスケッチは存在するのであり、そのようなある種の身体性なくしては人間の思考や創造は働きえない、という視点がそこにはある。あるいは手書きということを、記憶と結びつける見方もある。手書きによってこそ、それは身体のレベルに記憶される。だから手書きを重ねることによって以前の自分の思考が結果的に想起・参照されやすくなり、それを踏まえた新しい発想も生み出しやすくなる、というわけだ。そしてここで述べられているようなことは、文人たちの「ワープロ論争」の議論とも重なる。

そんな建築家と詩人を繋いだ興味深い対談もある。
塚本 CADというコンピュータで描かれた図面が今では当たり前になってしまいましたが、私自身はスケッチなどの手作業しかしていません。スケッチというのはビンの蓋みたいに、一旦はずれると堰を切ったように次から次へと出てきます。(中略)とにかくアイデアを一度紙に定着させて、自分の頭の外に出して、それを眺めては小さな違いを発見して、その上にまた書き込んでという形で、振り返りながらも前に進んでいく。
小池 そうですね、同じです。私も手を動かさないとダメです。詩も小説も、すべて手の動きが、見えないものにかたちを与えてくれます。(中略)私の場合は、ほとんどが構想なしです。言葉の動くままに、ついていく。
(小池昌代×塚本由晴『建築と言葉~日常を設計するまなざし』)
ここで建築家の塚本氏が語っていることを、ここまでいくつも挙げてきた俳人たちの発言と比較すれば、その類似性に驚く他ない。また、一方の小池氏の言う「手を動かす」ことが手書きかキーボードかは表記上明確ではないが、小池氏はワープロ使用にもともと否定的な考えでもあるようで、ここでも「手書き」を意味すると推察される。

もちろん、文人たちの間で起きたワープロ論争も、あるいは建築家たちのこのような議論も、結局のところ手書きとデジタル入力のどちらが優れているかについて結論が出たわけではない。ただ、あくまで僕自身の個人的な体験に照らして言うなら、手書きの持つ身体性が何らかの記憶や思考につながっている可能性は確かにあると思う。

ひとつは、以前に別の文章でも書いたことだが(「インターネットという「座」は俳句を変えるか?」、『一粒』2002年6月号)、LANを使った句会での体験である。各自がキーボードで直接入力して作った句をLANで集約して句会を実施したわけだが、そこではある句の実際の作者とは違う人が作者として名乗りでるという珍現象が起きた。そして僕自身も、自分が作ったはずの句にほんとうに自分が作ったかどうか自信が持てないという不思議な感覚を経験した。確かに、キーボード入力は句に対する手応え、つまりは身体的記憶のようなものの何かを確実に変えていたのである。

もうひとつ、これも個人的な体験だが、先述したように、俳句をキーボード入力で作っていたことが二〇〇〇年代前半のある一時期にあった。キーボードに向かって、頭に浮かんだことばをどんどん入力していくわけで、当然自宅の机でこの作業は進められたから吟行というわけでもなく、ただ連想ゲーム的に、あるいはもはや自動書記的にことばを打ち込み続けた。この時期に作った句をある総合誌に発表したところ、ほとんど嫌悪にも似た拒絶的反応を受けたのが印象的だった。もちろん、それは僕自身の実力の問題だという謙虚な受け止め方もありうる。だが、確かに自身の眼で見ても、そのような環境で作った句なので、ことばが上滑りしていて、実景も実感も湧きづらい句だった。しかし、逆に言えばそこが面白いという気もして発表したのだが、俳句の一般的感覚からは拒絶されるようなものだったのかも知れない。そしていささか暴論であることも承知で言うならそれは、手書きの感覚がキーボードの感覚を嫌悪したのだ、というふうに捉えられなくもない。

もちろん、このようなことだけを元にあれこれ言うのは粗雑な議論と謗られかねない。僕自身や僕自身の周辺、あるいは総合誌やネットに見られたごく若干名の俳人のことは、あくまでひとつの傾向でしかありえず、一般性は担保されていない。そのことは認めつつも、それでも仮に少数の感覚を元にした仮説であっても、ここまで見てきたようなことは俳句をめぐるある種の本質をどこかで捉えているように感じる。

漠然とだが言えることは、多くの俳人たちにとっての「手書き」とは、一部の建築家たちが感じていることと近しいと思えることだ。俳人たちの「手書き」は文章というよりどこか絵画のスケッチめいたところがある。先述の『俳句』誌の特集に、さまざまな俳人たちの句帖の写真も掲載されているが、それが文字であるにも関わらず、斜めになったり位置や場所が不揃いだったり、矢印を引かれたり消したり書き加えたりと、俳人たちの文字はいかにも気ままに書きつけられ、まさにメモ書きやスケッチを思わせる。このような俳人たちの書いたものを散文家たちの書いたものと比較してみよう。例えば中上健次の原稿のスタイルは特徴的で有名だ。いろいろと書き込んだり消したりと推敲の跡があるのは当然としても、全体としてその原稿は、まるで数式かプログラムのように、精密に行間を埋めて積み上げられていった印象がある。少なくともそれをスケッチ風と呼ぶ人はいないだろう。

とすれば、あくまで感覚的な捉え方ではあるけれど、俳人たちの文字に対する接し方はどこかスケッチ的で、散文家よりはどちらかというと建築家もしくは画家などに近い、とも言えるのかも知れない。そのことは裏返して言うなら、俳句のことばはひょっとすると散文家のことばよりも強い力でその俳人の身体性につながっている、ということを意味するのかも知れない。もちろん、一概に言うべきことではないし、先述の「ワープロ論争」でもさまざまな肯定・否定の意見があったように(「手書き」を評価し「ワープロ」を忌避する詩人や小説家も相当数存在した)、個人差もある。ただそれでも総体として見る限り、俳句というジャンルに特有のある大きな傾向が存在することは確かな事実のように思える。


俳人たちの「書く」ことの歴史

そして実は俳句の歴史をもっと過去へと遡ったとしても、そこにはやはりスケッチ的感覚を見い出すことができる。
行春や鳥啼魚の目は泪
是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。
(芭蕉「おくのほそ道」)
「奥の細道」の冒頭近くから引いたが、ここで言う「矢立」とは、江戸の時代の携帯用筆記具のこと。語源は実際に鎌倉時代の頃から武士たちが矢を立てる筒の中に硯と筆を仕舞っていたところから始まったものらしい。それがやがて、独立した文具としてより携帯化された際にも「矢立」と呼ばれるようになり、江戸の頃には広く一般化したとされる。要は、筆を入れる筒と墨壷が一体化した携帯文具だと思えばわかりやすい。そしてそのような矢立と懐紙によって、芭蕉の紀行文や句は旅の合間に綴られていったと推察される(もちろん、事後に推敲がされなかったわけではない)。

その矢立の初めの地とされる、東京の千住(その正確な地点には論争もあるらしいが)には「矢立初の芭蕉像」というものがあって、芭蕉が立ったまま手にした帖面のようなものに筆で何かを記している姿が再現されている。

つまり芭蕉は、携帯用の筆を手にして、立った格好で、俳句を書いた。

その姿はまさにスケッチのようでもある。むろん、その姿が本当に芭蕉の俳句を「書く」姿を忠実に再現したものであるかは、今となっては実証のしようもない。だがそのような像が実在する以上、少なくともこの像に見られる姿を当然のものとして受け止める感覚が、俳句に携わる人の間に長く共有されてきたことは事実だ。それは芭蕉だけのことでもなく、例えば一茶も立ちもしくは腰かけて筆を持つ像が残されている。

そしてこのことは、他の文芸ジャンルと比較してみると際立った特徴でもある。それは、日本文学史上に残る人々の像と比較してみればわかる。銅像ということで言えば、例えば紫式部の像が『源氏物語』の着想のひとつを得たとされる石山寺にあるが、その筆を持つ像は座っている。その他、日本文学史に名を残すさまざまな文人たちを描いた像や図画を確認しても、ほぼ同様のことが読み取れる。多くの文人たちは、当然のように座って文字を綴ってきた(もしくはそのようなものとしてイメージされてきた)のだ。

そして芭蕉の時代からさらに時間を遡ってみる。実は、このようなスケッチ的感覚は文字字体の出自ともどこか関わっているように思えるところがある。
 ある語を「仮名のみで書く」ということは、鎌倉期以降を考えた場合、やはりまずは限定された場、限定された「文字社会」でのことといえよう。すぐに考えられるのは「和歌・連歌世界」である。
(今野真二『かなづかいの歴史~日本語を書くということ』)
日本語の歴史において、公的な文章と私的な文章はかなり明確に分かれて発達してきた。公的な文書はほとんど漢字(つまり漢文)の形を取って書かれ、カタカナという日本人が発明した文字も、実はこのような漢文を訓読するための補足的な文字という側面が強かった。そして漢字とカタカナが公文書を作るという感覚はつい前世紀まで生きており、明治憲法、あるいは戦前の詔勅などもみな漢字とカタカナで構成され、それは日本語というよりも漢文訓読調という気配が濃厚だった。ひらがなはそれに対する文字で、であるがゆえに「和歌・連歌」と結びついていたり、あるいは女性という性とも結びついていたりした。もちろん、ひらがなが生まれそして広く使われ始めた時、そこに俳句もしくは俳諧と呼ばれるようなものは存在しなかったが、それでも、その文字は「歌」という根源的な表現の精神と密接に結びついていた。

そのひらがなとは、そもそも、漢字の略字、から成立しており、もっと言うなら漢字を「書き崩す」ことによって生まれた。つまりは「書き散らす」ことによって成立した、もともとが〝ぐちゃぐちゃモード〟的な文字がひらがなであり、それは私的なことを書き留めるためのスケッチ的な文字、とも言うことができるかも知れない。そもそも詩歌というものがそうなのか、あるいは日本の詩歌がそうなのか、その点は速断できないが、ともあれ日本の詩歌は「書き散らす」ことばでもあり、であるがゆえにひらがなをその主要な文字として選んだ。あるいは、そのような文字をもって日本の詩歌は育まれてきた。

そのような、日本の詩歌とひらがなとの強いつながりは今でも生きている。端的な例が、旧仮名遣いの扱いだろう。戦後に旧仮名から新仮名へと仮名遣いが原則として切り替わり、多くのものがそれに従った。公的文書や報道文書などだけでなく、小説・脚本・評論そして詩も例外ではない。にも拘わらず、旧仮名が現役のものとして残った唯一のジャンルが俳句や短歌であった。興味深いのは、それが単なる懐古趣味や伝統尊重とも言えないことである。なぜならば、もしそれが理由であれば、当然のように漢字も旧字体を使ってしかるべきである(もちろん、そういう現代俳人もいなくはないが、あくまで例外的だ)。漢字は新しいものへとあっさり移行しつつ、ひらがなだけは古いものを残す。そこには、ひらがなに対する偏愛にも近い感情が宿っているようにも思える。それは、俳句(あるいは短歌も含んで)がひらがなという文字の本質的に持つスケッチ的な〝ぐちゃぐちゃモード〟と、昔も今も深くつながっているという、そのことを裏付けているのかも知れない。


俳句を「書く」ことのこれから

先に、九〇年代のワープロ論争において俳句はほぼ蚊帳の外だったことに触れた。それは実際の問題として、ワープロで俳句を作る俳人などほとんど皆無だった、ということが理由なのだが、しかし、これもまたより本質的な問題の裏返しと捉えることもできる。俳句はスケッチ的であり、散文よりもより絵画などに近い身体的なものであるから、ワープロ化の傘の下にはそもそも本質的に馴染まなかったのだ、と。そして現実に、ここまでスマホやタブレットが一般化した今ですら、俳人たちの多くは意外に「手書き」の〝ぐちゃぐちゃモード〟を貫いていることは先述した。それは俳句自体の本質に基づく、ある種の必然的な選択とも思える。

もちろんそのことは、これからも俳人たちの間で「手書き」が主流であり続けることを必ずしも保証はしない。僕が質問をした先述の若手俳人曰く、彼よりもさらに若い二十歳前後の人たちでは、吟行でスマホに入力している姿を見かけるらしい。はたして彼らがこの先もスマホを使い続けるのか、あるいは「手書き」のよさを彼らなりに再発見するのか、またスマホを使い続けるとしてそこにおける俳句のことばは変質していくのか、さらにはひょっとするとその過程において新しい何かの身体性のようなものを作り出していくのか、などなど、とにかく興味は尽きない。

ちなみに僕自身、PDAを使っていた時はいちおう手書き認識ソフトをインストールして使っていた。スタイラスで文字を書くとそれをデジタルの文字として認識してくれるというもので(それほど認識精度は高くなかったが)、つまりデジタルだけど手書き、という微妙なスタンスで俳句を書いていた。それは、さすがに俳句をアルファベット入力(つまりローマ字変換)するのは邪道ではないか、という意識が働いた結果だったのだけれど、現在のiPodTouchでは、完全にフリック入力(これはひらがな変換)でやっている。もはや手書きは完全に消えてしまい、ただ指先が幾何学的に液晶画面の上を滑るだけだ。はたしてそれは、俳人として正しい「書き方」なのかどうか。

最後に少し余談ながら話をしておくと、スマホやタブレット上ではいくつもの俳句入力用の専用アプリが既に提供されている。その中で興味深いのは、角川版の『合本俳句歳時記』がiOS上でも有料で提供されていて、なんとこの歳時記アプリには「作句」機能が正式に用意されている。作句機能が付いた歳時記など、おそらく歳時記史上で初のことだろう。もちろん、現時点では単なる「清書」機能(つまり俳句を入力するときれいな画像に整えて保存してくれる)でしかないのだが、これもいずれ高機能化するかも知れない。というのも、そもそも歳時記とはひとつの巨大なデータベースであるのだから、とすればそれを元に何がしかのマッチング機能を作り出そうと考える人が出てきても不思議ではない。つまり、作句支援機能みたいなものを歳時記アプリが標準装備して、「それは類想がありますよ」と教えてくれたりとか、あるいは「斡旋するにはもっといい季語がありますよ」とリコメンドしてくれたり、とか、そんなおせっかいなアプリの機能が出現することは十分にありうることだ。それはそれでちょっと面白そうだなあと、半分期待していたりもするのだが。



【八田木枯の一句】秋の絵や水にふれなば水に散る 太田うさぎ

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【八田木枯の一句】
秋の絵や水にふれなば水に散る

太田うさぎ


秋の絵や水にふれなば水に散る  八田木枯

『あらくれし日月の鈔』(1995年)にはこの句のほかにもう一句似た形を持つ「秋の喪や水のひとすぢ水に入る」が収められている。作りは似ているが、内容はかなり異なる。水のイメージを借りて生死を表現することはままあるし分かり易く、その分常套という印象がなくもない。どちらかと言えば私は掲句に惹かれる。

とは言え、解釈を求められても実は困ってしまうのだ。それが木枯句の特徴の一つでもあるのだけれど。

秋の景色を描いた絵とは限らないだろう。抽象画でもいい。水に触れただけでたちまち散ってしまうだろうと思わせるような絵。冷ややかな水面を静かに広がってゆく絵の断片たちの幻想。あるいは、「水にふれなば水に散る」こと自体が秋の絵なのだ、というように捉えることもできる。「触れなば落ちん」というフレーズを連想して、やや官能性を伴った脆さやはかなさを感じ取る向きもあるかもしれない。多様な読み方を誘うけれど、いずれにしても静かで透明でちょっとかなしい読後感がある。

木枯さんがこの句を詠んだのは五十代。一生のうちで言えば秋に相当するだろう。分からないままに惹かれるのはやはり私も同じ年代に差し掛かっている故か。


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