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今井杏太郎を読む8 句集『通草葛』(4) 鴇田智哉×生駒大祐×村田篠

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今井杏太郎を読む8
句集『通草葛』(4) 
                                                                              
鴇田智哉:智哉×生駒大祐:大祐×村田篠:

≫承前
『麥稈帽子』 (1)春 (2)夏 (3)秋 (4)冬
 『通草葛』 (1)春 (2)夏 (3)秋

◆言葉の力で風景を異化する◆

篠●今回は『通草葛』の冬です。智哉さん、お願いします。

智哉はい。

知床の海を流るる氷かな

この句は、季語である「流氷」を分解して「流るる氷」としているところが面白いですね。

実景としてはわりに大きな風景のはずですが、「海を流るる」と言われると、スケール感に違和が生じるように思います。以前、本城直季氏の『small planet』(2009年)という写真集が出て、「ミニチュアみたいに見える風景写真」が流行りました。トイカメラで撮った画像にも似ていますが、あの写真のようにも感じられます。

ただ、言葉の用い方、という意味では、「風景をそのまんま言っただけですよ」的な、単純な組み立てで、できてますよね。「流るる氷」のほかは、事実である「知床の海」だけでしょう? これ以上単純な構成はない。実景を単純にそのまま言ったはずの言葉。その言葉からもう一度実景に戻ると、言葉と実景が変にずれている、そういう効果が生まれている句だと思います。

たとえば、秋の部の〈こすもすの花びらの揺れうごくなり〉などは、実景としても小さな細かい風景を、言葉としても細かく言っている。細かい部分がクローズアップされた感じなのですが、「知床の」の句は、大きいはずの風景が言葉の作用によって、ミニチュア化されている。「本当のことを言ったら嘘になった」みたいな捩れを感じます。まるで箱庭のように風景を見ているような気にもなる。作者が意図してそうしたというよりは、言葉というものがもつ性質によって、そうなっている。物と言葉はそもそもズレているものですが、そのズレが、非情にシンプルに表面化している句でしょう。

「本当のことを言ったら嘘になった」「単純に写生をしたら現実と違った」みたいな感じです。言葉がそもそも持っている性質によって、実際の風景が異化されている。

大祐プレーンな言葉の使い方ですよね。知床は地名ですが、「海」も「流れる」も「氷」もプレーンです。

「流氷」というといろいろな意味内容を孕みますし、ある意味限定された言葉ですよね。どういうものか、ということが厳密に限定されていますし、場所も限定されています。ですが、分解すると「海」も「流れる」も「氷」もいろんな意味にとれて、それらの言葉をすべて「知床」に集めてくると「ああ、流氷なんだな」と分かる。

トイカメラみたいな、というのもよく分かって、大きな流氷の本体というよりは、こぼれ落ちた破片を見ているような感じですよね。

海を覆うような氷も、非常に遠景から眺めるとこぼれ落ちたようなものですから。

智哉「流るる氷」ってちょっと変というか、作者の目がどこを見ているんだろう、という気がします。軽々しいというか(笑)。

篠●「流氷」を流れるとはあまり言わないですよね。ふつうは「動いて」とかでしょう。

智哉「流氷」とは「流れる氷」である、という考え方です。杏太郎はよく「流木」のことを言っていました。「流木」とは「流れる木」であると、とても理屈っぽく考えるんですよね。

「『流木』とは『流れる木』だろう? だったら『流木』が陸にあるなんて言うのは変だよな、陸にあったら流れていないことになるから」

みたいな話をよく言っていました。要するに、もし流木が陸にあると言うなら、「流木は流れない」という矛盾が生じることになる、ってことだと思います。

まあ、屁理屈とも言えるわけですが、理屈とも言えますよね(笑)。それを思い出すと、この句「流氷」の句にもそうした理屈を感じます。実際に知床に足を運んで見てつくっているはずなのに、こういう句ができる、というのは面白いです。

大祐でも、ふつうは分解してゆくと必ず説明的になる、という先入観があるのですが、この句のように、うまくやると説明的にならずに1句として成り立つ、というのは発見ですね。

篠●この句、「知床」という地名がなければ、流氷とはわからなくて、だから分解しても説明になっていないんですね。

大祐その2句前に

ゆふぐれに水は凍つてしまひけり

という句があります。氷という点では流氷もそのへんの氷も同じで、すぐあとに〈真つ白に氷が張つて水たまり〉という句もありますが、物理現象としてはどれも同じものなんです。

だから、流氷も水たまりの氷も同じテンションで見てゆくと、こういう句の並びになってくるのかな、と思います。

篠●同じテンション、というのは面白い見方ですね。

大祐流氷だから、と大仰に扱うのではなくて、流氷もふつうの氷として扱っているんですね。

「ゆふぐれに」の句はちょっと変で、ふつう、氷が張るのは明け方なので、光景としては珍しいです。たぶん、知床に来て、寒くて、夕暮れに水が凍ったんだよ、という句だと思うのですが、この1句だけをピックアップするとそれが分からないですね。

篠●このあたりは北海道でつくった句が並んでいるんですね。〈オホーツクの氷の下にいつも海〉。この「いつも」はちょっと面白いです。ほんとうにいろいろな氷を詠んでいますね。

生駒さん、気になった句はありますか?


◆興味の持ち方が独特◆

大祐はい。

月山のふもとの蕪畑かな

青畝に〈葛城の山懐に寝釈迦かな〉という句がありますよね。有名な句で僕もわりに好きな句ですが、構成的に似ています。山があって、地名があって、だんだん視点が寝釈迦とか蕪畑のようなモノに移ってゆき、最後に「かな」で締めると。

そこは同じなのですが、「葛城」の句は宗教的なイメージを孕んで荘厳な感じのする一方、この句は何でもないところに落とし込んでいます。「蕪畑」というのはちょっと拍子抜けというか、杏太郎さんらしいなあと。衒いというか、そんなに気合いを入れてつくらないところが面白いと思いました。

葛城山のふもとに寝釈迦があれば詠みたくなるのは何となくわかりますが、月山のふもとに蕪畑があって、それを言葉にするというのは、興味の持ち方が独特だなと思います。

篠●この句は実景なんでしょうが、「月山」という地名の使い方が感じが良いというか、うまいなあ、と思います。ただの報告になっていないですよね。

大祐地名の使い方で、これは動くな、というのがないですね。

篠●杏太郎には旅行詠がわりにたくさんあって、地名をうまく使いますよね。旅行詠にこだわりがあったのかもしれません。

智哉「鶴」でともに俳句をしていた岸田稚魚が角川俳句賞をとったときの50句が、たしか旅行詠だったと思うのですが(編集部註:「佐渡行」50句で第3回角川俳句賞受賞)、そういう座の影響もあるかもしれません。

篠●ああ、なるほど。それに、ふつうの句の中に旅行詠をすらっと交ぜてくるのもうまいんですよね。

大祐旅行詠には、その土地のことを出さずに詠むやり方と、面白いものを見たよ、というような挨拶性の強い詠み方と、両方あると思うのですが、杏太郎さんの場合、地名は動かないけれどテンションはふつうの句と変わらないんですね。フラットに詠み続けている。テンションが一定なので、旅行詠をそうでない句の中に入れてもまとまるのだと思います。

篠さんはいかがですか?

篠●ちょっと変な句なのですが

牛乳を飲んで雪降る国にをり

ですね。それこそ、こんなにテンション低く「牛乳を飲んだ」ことをわざわざ言う、っていうのが面白いです。やはり、興味の持ち方がちょっと変だな、と(笑)。

大祐雪降る国に行ったんだけれど、そこで「牛乳を飲む」ことをピックアップするのか、ということですよね。

篠●しかも、冷たい牛乳をゴクゴクッと飲んでいる感じなので、すごく寒い句になっているんですね。牛乳が白くて雪も……あ、白い句でもありますね。

智哉とぼけてますよね、笑える。

篠●面白い句なんですか、やっぱり。事実を詠んでいるだけなんでしょうけれど、「とぼけてる」感じになるんですよね。事実なんでしょうが、牛乳を飲んだことをピックアップするのは、やっぱりちょっと面白いのかもしれません。

大祐人によっては、固有名詞を入れたり、その地方独特だったり、牛乳になにか特別感を出したりしますよね。

篠●そうですね。さもなければ、牛乳と言えば出てくる場所、駅のホームとかそういうところを連想しがちですが、「雪降る国」の意外性はありますね。「雪降る国」そのものは地名でもないし特別ではないのですが、そこでピックアップしたのが「牛乳」というところの面白さですね。

「雪降る国」は杏太郎ならではの言い方かもしれません。「雪国」ではなくて「雪降る」という季語を入れて言葉にしています。「雪国」は夏でも「雪国」だから季語ではない、と言っていましたから。

智哉そのあたりはこだわりなんでしょうね。

季語の分解について言うと、杏太郎は「霜柱」のことを「霜の柱」と言ったりしている。他人から、「それは霜柱とは違うぞ」と言われる可能性もあるのですが、わざとそうしているところがあります。

実は「保険」のようなものがあって、たとえば「霜の柱」と言っても、「霜」は季語なので、「霜」の柱、だと考えれば有季になる。さきほどの「流れる氷」にしても、「氷」が季語ですから、流るる「氷」、だと考えれば有季になる。きちんと保険が用意されているんです。

あ、「保険」という言葉は杏太郎は使っていませんよ(笑)。

保険が保険として働かない例もあって、そういう場合は分解してはいけない。たとえば、「冬苺」を「冬の苺」と分解してはいけない。「冬苺」は「苺」とは違う植物なので、「冬の苺」と分解してしまうと、「冬苺」とは別の「冬に食べる苺」になってしまいます。これは一般的に俳句の先生がよく指導していることですよね。「冬苺」のことは、杏太郎も句会で何度も言っていたという記憶があります。

篠●そう、たしかに違う植物なんですが、冬苺ならではの詠み方って案外むずかしいような気がします。


◆「色」を信じていない◆

大祐ちょっと気になったのが

イタリアンブルーの青のカーディガン

です。

智哉この句はちょっとはしゃいでないですか?(笑)

篠●はしゃいでますね。(笑)

大祐イタリアンブルーって何ですか?

篠●コバルトブルーとかスカイブルーと同じで、そういう色があるんじゃないでしょうか。

智哉「ブルー」と「青」を重ねているんですね。

篠●イタリアから地中海を連想しますし、印象としては一見夏の句のようなんですが、冬の句なんですね。なんでしょうか、この高級感あふれる感じ(笑)。17音のうちの13音がカタカナですし。

智哉カタカナだからはしゃいでいるように見えるのかな。名詞が「の」で単純に繋がっているだけで、シンプルなんですけどね。

篠●色と言えば、

ももいろの落葉を焚けば燃ゆるなり

が気になります。焚いたのだから燃えるのは当たり前で、その当たり前のことをわざわざ書いていて面白いのですが、「ももいろ」というのは何でしょうか?

智哉これは一種の、言葉のアクセントとして言ってみた、ということではないでしょうか。杏太郎は現実の色を信じていないような面がありました。色というものは、言葉しだいで「何とでも言える」という考えがあったように思います。

篠●じゃあこの「ももいろ」は「みずいろ」でも良かった、ということですか?

智哉まあそういうことですね。この句では「ももいろ」というとイメージが広がるのではないか、という言葉の面白さで使ったんだと思います。

大祐むらさきのいろを思うてくさめかな〉の句は、それこそ何色でもいいですね。もちろん俳句的必然性というのは必要ですが、事実としては何でもいいわけです。

篠●ほかに気になった句はありますか?

智哉

広島の牡蠣といはれて寒かりき

ちょっと、ぎょっとする句かなと。「広島」でしょう。

我々はふつうは、広島のおいしい牡蛎のことを思うときと、広島の戦争での悲惨なことを思うときとでは、頭のモード、心のモードが違う。モードが切り替わっているはずですよね。そんな中であるとき、「広島の牡蛎」と言われてふと寒くなった、というんです。

でもわかりますよね。ふだん思わないようにしていることが、ふっと明るみに出たような。そういう意味では勇気のある句だと思います。

篠●『麥稈帽子』のなかに〈たいくつな播州平野鳥曇〉という句がありまして、私は播州の出身なのでふとその句のところで立ち止まったのですが、杏太郎にとっては「たいくつな」は悪い意味ではないのかな、という気がしています。これも、人によっては引っかかることがあるかもしれませんが。

大祐決してけなしている句ではないですね。

智哉

鯛の海鮃の海に雪の降り

は変な句ですね。ふざけているというか……。

篠●「浦島太郎」の歌の中に「鯛や鮃の舞い踊り」というフレーズがありますよね。そのあたりから発想したのではないでしょうか。

智哉もしかしたら、何かのお祝いの席でつくった句かもしれません。刺身を見て作った。「鯛の海鮃の海」って、べつべつに海があるわけではないですから。いいかげんな言葉づかいですが、そこが面白いです。

篠●では、今回はこのへんで。次回からは第3句集の『海鳴り星』を読みます。





奇人怪人俳人(13)情緒安定派の鬼っ子・岡本眸 (おかもと・ひとみ)今井 聖

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奇人怪人俳人(13)
情緒安定派の鬼っ子・岡本眸
(おかもと・ひとみ)

今井 聖


岡本眸さんとは一度しかお目にかかったことがない。

六、七年も前だろうか、どこやらのパーティの席上で、ほんの一言交わしただけ。僕の方でうかがいたいことがあったのでお声を掛けた。

「以前脚本家の馬場當(ばば・まさる)さんのところで助手をなさってたとか」
「そうなの。あの先生、面白い方でね」

ホホッと笑われた。

「復讐するは我に有り」で日本アカデミー賞脚本賞を獲った馬場さんは僕のシナリオの師である。

当時「街」では俳句研究会と称して月に一度、僕がレジュメを作って古今の俳人を読んでいた。次は「岡本眸」をやってみようと思い立って「岡本眸読本」(富士見書房)を読んでいたら、年譜の昭和三十九年のところに、

脚本家馬場當(シナリオ研究所卒業脚本試験官)に就き執筆を手伝う。NHKテレビ「太陽の里」、フジテレビ「三匹の侍」など。

とある。

驚いた。

僕は平成三年からカルチャー教室の馬場さんのシナリオクラスに通い始め、翌年から彼の仕事場で助手をつとめるようになっていた。毎晩のように馬場さんとは顔を突き合わせている。

眸さんにはそのことを聞いてみたかったのだ。シナリオ作家としての名前は本名の「曽根朝子」。旧姓岡本朝子が句友の曽根けい二に嫁いで曽根朝子となった。

眸さんの主宰誌の「朝」は本名の朝子から取ったのかも知れない。

馬場さんにも聞いてみた。

「ああ、そんな女の人いたなあ。確か、病気かなんかで辞めたんじゃないかな」
四十年も前のことである。しかも馬場さんは売れっ子だったので仕事場に常に複数の助手を置いてきた。記憶が薄れてしまうのも無理はない。

年譜には「昭和四十一年~四十二年、(三十八歳~三十九歳)体調不良のためシナリオの仕事を辞す。四十一年十一月癌研にて子宮癌摘出手術」とある。

曽根朝子というその女の人は、今、俳号岡本眸といって高名な俳人になってるんですけど。

「あ、そう」

話はそれで終わった。



『三匹の侍』は1963年から69年までフジテレビ系列で毎週木曜日の夜8時からの一時間枠で放映された連続時代劇で最高視聴率42パーセントを記録。僕の世代なら記憶にある方は多いと思う。

丹波哲郎、平幹二朗、長門勇(後に丹波の代わりに加藤剛)の風来坊の浪人三人が各地で悪を懲らしめながら旅をする。ちょっとHなシーンあり笑いあり涙ありの一話完結のドラマである。

監督は五社英雄。

全部で157話が撮られ担当した脚本家は石堂淑朗、早坂暁など一般に馴染みのある作家も入って総勢29名。馬場さんはその中の四話を担当した。最近テレビ化もされた有川浩のベストセラー「三匹のおっさん」は「三匹の侍」に着想を得ている。

次に仕事場に行ったとき馬場さんが、

「今井くん、これやるよ」

と古い台本をくれた。


「三匹の侍」、表紙に馬場當、曽根朝子の連名がある。つまり共同脚本ということ。馬場さんこの間の話を覚えてくれてたんだ。

彼は脚本を助手に手伝わせても滅多に共同脚本という形にしない。あくまで脚本家として名を出すのは自分一人。プロとして「名前」の出し方にはシビアなのだ。

これは彼が特殊なタイプというわけではない。日本映画華やかなりし頃の脚本家の多くは内弟子を取って仕事を分担させるやり方が多く、弟子に指示を与え下書きをさせた上で自分が要所に手を入れる。それを自分一人の脚本作品として出すのは至極当然のこととされた。

だから弟子との連名を許したということは詰るところ馬場さんはよほど何にもせずプロット(筋、構成)を始め脚本のほとんどを曽根朝子が書いたということ。つまりこの作品には「岡本眸」の発想力や構想力が詰っているというわけ。

しかし、残念なことがあとで分かった。

馬場さんが担当し放映された四話の中にはこの台本のドラマが無いのだ。馬場さんの気が変わって曽根朝子を消して自分一人だけの「名前」にしたのだろうかと思い、ストーリーまで調べてみたが、このホンの話はどこにも無い。

つまりこの台本は仮台本で仮は仮、ついに撮られることなくお蔵入りしたとしか考えられない。眸さんにとっては残念なことだったろう。そのことに気付いたのはこの原稿を書こうとして調べているとき。

それについては馬場さんももはや他界されているので経緯をうかがうこともできない。

この台本が映像化されなかったことについてはいささか拍子抜けしたが彼女の内実を知ることはできると気を取り直した。

眸さんはどんなドラマを書いたのだろうか。



江戸時代半ば、衰えかけた体制の立て直しのため幕府は様々な難癖をつけて小藩の取り潰しを図った。小藩の中には城を明け渡すことを潔しとせず抵抗して多くの死者を出す場合も少なくなかった。そういう某藩の話。

取り潰しに抵抗して死んだ多くの藩士を手厚く葬るために藩の隠し金五千両を使うことを決意した元家老と腹心、それを奪おうとする周辺の人物との戦い。そこに巻き込まれてしまった三人の人情がらみの物語である。

三匹による定番の派手な立回りあり、腹心の裏切りあり、三匹の一人が囚われて拷問に掛けられる意外な展開あり。脇役の女が自分が飼っている鷹を駆使して男の眼を狙わせ殺人を行うなどの工夫もあり。娯楽性に富んだよくできた内容である。

ただ、放映に到らなかった理由を感じさせる設定があった。

藩の多くの死者の葬りを被差別部落の住人たちに頼む。そのための五千両であり、「三匹」は被差別部落に出入りする。その折の部落の事情や内部の描写が記されている。

それに関連して、今では放送禁止の様々な差別用語が台詞の中に登場する。もちろん差別意識に根ざす描写ではなく、それどころか「俺たちは藩主が誰になろうと関係ねえ。昔から侍に仲間が虫けらのように殺されてきたんだ」と叫ばせる。

三匹の活躍で金は部落に渡り、葬りは無事に済む。結局、本当に勝ったのは幕府ではなく小藩でもなく被差別部落の人たちなのだという結論。これは階級意識の覚醒を説いているドラマだ。

しかしながらと言うか、だからこそと言おうか被差別部落の描写とそこから立ち上がってくる反権力の意識は民放、ことにフジテレビのゴールデンタイムにふさわしくないと判断されたのだろう。要するに社会意識がアブナイ領域にまで踏み込んでいるのだ。

僕はこのストーリーを書いた「岡本眸」の階級社会への認識と抵抗意識を強く感じたことであった。



岡本眸。昭和3年東京都江戸川区の薬局経営の家に生まれる。18歳で聖心女子学院国語科入学。体調すぐれず退学。21歳で大会社の社長秘書となり、ここの句会で富安風生(とみやす・ふうせい)の指導を受け「若葉」に投句。同誌編集長の岸風三樓(きし・ふうさんろう)の句会にも併せて出席。この二人が眸の「師」となる。

風生は眸の第一句集『朝』の「解説」の中で書いている。

「風三樓君からもらった眸メモによると、学校は聖心女子学院で国文科専攻、踊りは花柳流の名取、いけ花は草月流の師範などなどとある。踊はいつか元白木屋の舞台の公演で拝見した覚えがある。」

こういう評はいかにも功成り遂げた常識人の世俗的な価値観を思わせる。聖心女子学院は言わずもがな美智子皇后の出身校。名だたるお嬢様学校である。また、日本舞踊とお花に精通していることを褒めるのは女としての習い事をこなしているという評価。

そういえばこんな句が風生にあった。

ガーベラを挿し秘書の娘もホ句作る 風生

これ、眸さんのことかな。

行政の頂点に立ち、実質は大臣より偉いとされる事務次官(逓信次官)になれるのは同期入省組の中でただ一人。毎朝運転手付き黒塗りの公用車が自宅まで迎えに来る。トップまで上り詰めた風生は勲一等を戴く。

水原秋桜子が勲三等、虚子が勲一等だから叙勲では風生は文化勲章の虚子に並ぶ。官僚としての経歴がものを言うのだ。勲三等以上は皇居に参内して陛下から直接戴くのですぞ。



風生を語るときどうして今井さんは逓信次官だったということをことさらあげつらうのかと誰かに聞かれたことがある。ああ、そう言えばそうかもしれない。帝大出の大学教授や医者など社会的にもお偉い俳人は山ほどいるのに。

そういう俳人たち。たとえば高野素十には「草の芽俳句」と言われた特殊性に「花鳥諷詠」を逸れた「異端」を感じるし、草田男は天からの啓示を受けノイローゼを克服しながら絶望からの出発を説いた。誓子は反情緒という鋭利な刃をもって花鳥諷詠の情緒に対する強烈なアンチ・テーゼを示した。

これらの俳人はみんな従来の傾向に対して異を突きつけているところがある。僕はこれが「芸術」に於ける基本的態度だと思うのだ。ところが風生は従来的なものに対して調和的つまり現状肯定。そして何より情緒安定的なのだ。

残生をおろそかにせず暑気払ひ 風生
何もかも知つてをるなり竈猫
鞄のもの毎日同じ木の葉髪
著ぶくれて浮世の義理に出かけけり
一生の楽しきころのソーダ水
菜の花といふ平凡を愛しけり
みちのくの伊達の郡の春田かな
古稀といふ春風にをる齢かな
まさをなる空より枝垂桜かな

ね、安定してるでしょ。

漂へる手袋のある運河かな 素十
竹馬の立て掛けてある墓籬 爽波
金剛の露一粒や石の上 茅舎
酌婦来る火取虫より汚きが 虚子

誓子、草田男まで言わずとも、「写生」を標榜するホトトギスの仲間の句と比べてもその特徴は顕著。素十の非情緒的近代性。爽波の日常の中にある意外性。茅舎の演出、構成。虚子の感情露出。こう並べると風生の句がいかにブレない中道、通念、穏健の只中にあるかが分かる。

一般通念の範囲内で世俗の生活や意識を肯定する。それのどこが悪いという声もありそうだが本当は通念を逸れたものを書きたくても立場上書けないというところがあるのではないか。

例えば子規の日露戦争時の「写生」句、

徴発の馬つゞきけり年の市  子規

徴発とは一般の馬を軍馬として強制的に買い上げること。子規はその風景を詠んだ。この風景描写が反戦の意識を表すのかその逆かは別の論議が要るとして、仮に風生がこんな社会事象に関することを句に詠んだとしますか。それは政権の中枢にいる側としては禁忌じゃないのか。自分は日本社会を運営する方に居るのだから。つまり情緒不安定な内容や思いの屈折が暗喩として働いてもまずいのだ。会社の重役がその会社の不安を詠めますか。それが直截な吐露にせよ直喩にせよ暗喩にせよ。内面の不安は即社会的な不安をも暗示する。そうなったら立場上まずいでしょ。

官僚トップは政権党のトップと同じ。現状肯定の内容を詠わねば自己矛盾に陥るという「難しい」立場にいる。社会的通念の範囲で詠まねばならないという自己抑制を強く感じるのだ。

氏の師虚子だって感情をむき出した句はたくさんある。「常識」からブレるところ、情緒安定せざる「個性」にこそ「詩」の魅力が存するのではないか。

僕が「逓信次官」を言うのはそこに起因している。

当然ながら岸風三樓の句も師の風生の傾向を踏んでいる。

手をあげて足を運べば阿波踊 風三樓
山焼のすみたる月のまどかなる
自然薯の全身つひに堀り出さる
仲秋や雲のうへなる雲流れ
桔梗や水のごとくに雲流れ

子規の方法「写生」に於いて、ものを写すのは自分がそこに在って見ているということ。見ている自分を確認して「生」を実感することであって、季語に堆積してきた情緒を再現することとはまったく筋が違うと僕は思う。

虚子提唱の「客観写生」だって「主観」の表出を極力抑え「もの」に見入ることによって結果的に対象に自己投影するという手法ではなかったか。古い情緒を再現することは「客観写生」の要諦ではなかったはず。

風生作品、風三樓作品、これでは「自分」を出さないようにするというより通念の再現としか思えない。通念の再現だって難しいと言われればその通りかもしれないけど。そうは言っても「若葉」系はもとより、「若手」と言われる人たちにも二人のファンは今日も多く存在する。

ことに枝垂桜の句など好きな句の筆頭に上げる若手も多い。彼らはこの情緒安定にどういう魅力を見出しているのであろうか。



前置きが長くなったが、眸さんはそういう二人の師に認められて、先ずは通念的「現代女性」を演出した。

育ちの良いお嬢様で、働く女性が珍しかった頃の日本橋オフィスガール。言ってみれば時代の最先端を行くモガである。

夫愛すはうれん草の紅愛す  眸

この句、眸さんの代表句の一つとされているらしい。

夫は真面目で頼りがいがあって優しくて本当にいい男で私は愛していますと言えばべたべたの通念で、ハンカチはくしゃくしゃで、脱いだズボンはそのままにしてあるし、お行儀の悪い熊さんみたいだけど私そこが好きなのと言えば通念を脱した新しい告白か。

映画の中で倍賞千恵子とデートした高倉健がカレーライスを頼む。それを皿ごと持ってがつがつとかっ食らう健さんを、その粗野に見えるところが素朴で男らしくて好もしいという眼差しで微笑みながら倍賞が見ている。この句、その程度のオノロケでしょ。うちの亭主ほうれん草の紅の部分みたいな人、でも私その部分好きなのよ。

そんなこと言われてもなあ。

うちの人、本当に狡猾で好色なんだけど私そこが好きなの、くらい言われれば別だけど。

品も教養もあるお偉いさんが「へえ、このオナゴ良く言いおるわい」と呵呵大笑する程度のユーモアだ。師が「ちょっと」驚くくらいの内容が肝心。やりすぎて眉をひそめられても逆効果なのだ。眸さんのバランス感覚をうかがうことはできる。
 
わが母とゐるごとく居て炭火美し
ふところに一枚の櫛雪山へ
気働き目に出て少女山葡萄

いやあ、巧いよなあ、しかし。

「ゐるごとく居て」で既にいないということをちゃんと言う。櫛が女の命であるのは通俗的発想だけど雪山と櫛一枚の大小の対照が見事だ。少女にして気働きは「おしん」の情緒だけど「山葡萄」の付け方は才能だ。かくのごとく眸さんは明治生まれの師も大衆も納得させつつきちんと新味を添付している。これこそ気働きというべき。

眠り欲る小鳥のごとく夜着かむり
りんだうや机に倚れば東山
青柚子や生活の中の旅二日
脛白き休日の父地蔵盆
濤激すまま夜明けたり菊枕
銀漢や齢の中に戦の日
こでまりや帯解き了へし息深く
美しき冷えをうぐひす餅といふ

ほんとうにどんだけえ、というくらいの技術。

自分を小鳥に喩えるナルシズムはこれもまあ爺さん向けだが夜着かむりは才気そのもの。りんだうと東山、青柚子と旅そして女のつましい旅。休日に脛を見せる「父」の日本的な本意。菊枕の古典的情緒。通念的一般的回想の中の戦。帯を解いてみせる女性性。うぐいす餅の句に見せる情緒と型の踏襲。

かかる小さき墓で足る死のさはやかに

などは

菫ほどな小さき人に生まれたし 漱石

を意識しているだろう。破調の場合も前例をちゃんと踏んでいる。破目の外し方もお行儀良いのだ。

これらのバランスの見事さはアタマの良さ、センスの良さ、言葉を駆使する運動神経のごときものの鋭敏さなどを示している。完全に伝統俳句という馬を乗りこなしている印象。

しかし、敢えて言うと、計ったように伝統に親和した上で自己を添加する技術は文学の本質とはズレるのではないか。ここにはどの科目にも試験の上位を外さないような学級副委員長(昔は女性は副委員長だった)のイメージがある。伝統的なさまざまな規範を超えてどうしても突出せざるを得ないような個性の噴涌にこそ「詩」が存するのではないか。

そういうお前の文学観こそが通念だと嗤う人も居られようが。

僕は「岡本眸」の真骨頂は

海辺の町両手をひろげ冬が来る
水飲んで春の夕焼身に流す
青木の実寡黙なるとき吾が血濃し
振り返るわが家日当り末枯れぬ
枯深し欠伸を包むたなごころ
桃枯れてビルの奈落へ投げ込まる
毛虫の季節エレベーターに同性ばかり
鳰浮くを見届けざれば夜も思ふ

のごとき句にあると思う。

「両手を広げ」、「夕焼身に流す」の斬新な比喩。

自分、そして自分の「家」というものへの冷静な認識。たなごころに包むのはかつての女流に見られた蝶や螢ではなくて「欠伸」。醒めているのだ。枯れた桃やビルの奈落に象徴される「時代」への厳しい眼差し。同性に対する嫌悪感。潜ったあとの鳰に寄せる思い。

つまりどこかに悲劇への予感が見える。これらの句には学級副委員長の配慮をかなぐり捨てた「自分」がいる。

なんといっても白眉は

略奪の速さに過ぎて雪野汽車

僕はこの句を見たとき咄嗟にこの欄にも取り上げた佐々木ゆき子の

射程なる彼の八月の川渡る ゆき子

と同じ時代背景を思ったのだった。

二十年八月に不可侵条約を破棄して突如ソ満国境を越えて侵略してきたソ連軍による日本住民への殺戮、略奪、暴行である。

雪野を走る汽車が「略奪の速さ」であるという発想はそういう事実の体験無くしては生まれ難いように思えた。

しかし眸さんには大陸引き揚げの過去は無い。ただ昭和20年には空襲で自宅を二度も焼失している。そういう惨禍の記憶が脚本家「曾根朝子」を通して構成され俳人岡本眸の作品として現れたのではないか。被差別部落を描いたために放映に到らなかった脚本家曾根朝子の意識が生み出した物語がこの句に再現されている。

ここには橋本多佳子、桂信子、野澤節子らの女流が見せた絢爛な抒情や男心を魅了する女ぶりとはまったく異なった暗い内面性が見える。時代を負った内面性が。

もちろん二人の師の情緒安定ともまったく異なった世界である。

(了)


岡本眸三十句   今井聖 撰

わが母とゐるごとく居て炭火美し
眠り欲る小鳥のごとく夜着かむり
ふところに一枚の櫛雪山へ
りんだうや机に倚れば東山
青柚子や生活の中の旅二日
ねずみ捕り沈めて凍てし川の上
脛白き休日の父地蔵盆
水すまし平らに飽きて跳びにけり
まぼろしと繋ぐ手濡れて除夜詣
略奪の速さに過ぎて雪野汽車
膝さむく母へよきことのみ話す
振り返るわが家日当り末枯れぬ
気働き目に出て少女山葡萄
水にじむごとく夜が来てヒヤシンス
美しき冷えをうぐひす餅といふ
春日傘たたむ小さき眩暈かな
春夕焼向ひの家の鏡見ゆ
青木の実寡黙なるとき吾が血濃し
桃枯れてビルの奈落へ投げ込まる
毛虫の季節エレベーターに同性ばかり
雷兆す米櫃の中なまぬるき
枯深し欠伸を包むたなごころ
犬の耳やはらかく山枯れつくす
わが十指われにかしづく寒の入
近々と人の顔ある草の市
芋殻買ひ自分のことも少し話す
残りしか残されゐしか春の鴨
海辺の町両手をひろげ冬が来る
水飲んで春の夕焼身に流す
鳰浮くを見届けざれば夜も思ふ




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週刊俳句 第410号 2015年3月1日

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第410号
2015年3月1日


2014「角川俳句賞」落選展 ≫見る
2014「石田波郷賞」落選展 ≫見る


奇人怪人俳人(13)
情緒安定派の鬼っ子・岡本眸
……今井聖 ≫読む

今井杏太郎を読む8 
句集『通草葛』(4)
……鴇田智哉×生駒大祐×村田篠 ≫読む

【川柳訳】Stand by Me - B. E. King
……柳本々々 ≫読む

俳句の自然
子規への遡行 39 ……橋本直 ≫読む

自由律俳句を読む 82
芹田鳳車〔2〕 ……馬場古戸暢 ≫読む

連載 八田木枯の一句 
チューリップ婚約時代はじまりぬ……西村麒麟 ≫読む

〔今週号の表紙〕吊し雛……有川澄宏 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……上田信治 ≫読む

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後記+プロフィール410

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後記 ● 上田信治

また、すっかり遅くなってしまいました。



さいきん、今日は成果があがらなかったという日の終わりには、配信で映画やテレビドラマを少しだけ見てから寝ます。

そうすると、その日一日生きたことに勘定が合ったような気がする。

ずいぶん働いてしまったなという日は、お酒を飲むことが多かったりして。

なんだか、そのまま寝るということができない。



自分でなにか書いたりすることは、また別勘定に属します。

こそっと一人で俳句を書いてみて、あれ、今日はわりと思い通りに書けたなんていう日は、どこかで知らないうちに積み上げていた貸し分が、戻ってきたような気がします。



では、また次の日曜日にお会いしましょう。


no.410/2015-3-1 profile

■今井 聖 いまい・せい
1950年新潟に生まれ鳥取に育つ。14歳より作句。1971年「寒雷」入会。「寒雷」編集部を経て、1996年「街」創刊、主宰。脚本家として映画「エ イジアンブルー」他。句集『北限』『谷間の家具』。2007年『バーベルに月乗せて』(花神社)。2009年、長編エッセイ『ライク・ア・ローリングス トーン』(岩波書店)「街」HP 


■鴇田智哉 ときた・ともや
1969年木更津生まれ。第16回(2001年)俳句研究賞受賞、第29回(2005年)俳人協会新人賞受
賞。句集に『こゑふたつ』『凧と円柱』。

■生駒大祐 いこま・だいすけ
1987年三重県生まれ。「天為」「クプラス」所属。「東大俳句会」等で活動。blog:湿度100‰

■柳本々々 やぎもと・もともと
かばん、おかじょうき所属。東京在住。ブログ「あとがき全集。」http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com

■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。「俳句の創作と研究のホームページ」

■西村 麒麟 にしむら・きりん
1983年生れ、「古志」所属。 句集『鶉』(2013・私家版)。第4回芝不器男俳句新人賞大石悦子奨励賞、第5回田中裕明賞(ともに2014)を受賞。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■有川澄宏 ありかわ・すみひろ
1933年、台北市生まれ。「円座」所属。「青稲」同人。

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。俳人協会会員。「Belle Epoque」

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。

【石田波郷新人賞落選展を読む】 思慮深い 十二作品のための アクチュアルな十二章 〈第五章〉 田島健一

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【石田波郷新人賞落選展を読む】
思慮深い十二作品のためのアクチュアルな十二章
〈第五章〉見慣れた世界で私に成り代わる、見慣れない誰か

田島健一




05.風の名(下楠絵里)

私たちは常に見慣れた世界に生きている。ときどき世界は私たちを驚かせることがあるがそれはごく稀なことだ。それは見慣れた景色からある種の枠組みがはずされて、突然見ず知らずの世界に書き換えられてしまったような出来事としか言いようがない。

夏日向だちやうの首の伸びにけり
  下楠絵里

私たちが世界を見慣れているという事は、世界をかつて1度見た事あるものとして、その見たことがある何ものかにあてはめながら世界を見ているということである。ややこしいのは、これは必ずしも「経験」と一致しないことだ。例えば、日々の通勤や通学のバスの中で少し眠ってふと目覚めたときに、見慣れているはずのバスの外の景色が突然見慣れないものに見えて、自分が今どこにいてどこへ向かっているのか分からなくなったというようなことはないだろうか。このとき私が失ったのはおそらく「経験」ではなく、もっと別の何かだ。

「私」を「私」として構成しているものは、このような「かつてみた見た景色」のあつまりで、いわば「私」が書く俳句が他の誰かのものと違っているのは、この「かつて見た景色」が私だけのものだからである。だから、バスで目覚めたときに見た見慣れない景色は、その瞬間、私から「かつて見た景色」が失われ、「私」ではない誰かの視線が「私」に成り代わってそれを見ているのだ。

膝を抱く胸のふくらみ寒牡丹
宛先のはらひ大きく燕かな
葉桜や一斉に手の挙がりたる


俳句における「切れ」とは、つまりは「意味」が切れるに違いないのだが、そこで「意味」が切れるということはそれを付与しているものとの関係が切れるということに他ならない。その「意味」を付与しているものこそが、私たちが世界を見慣れたものとして見るときの、それを支えている「経験」とは異なる「かつて見た景色」である。俳句では「切れ」によってその関係性が切れたとき、そこに「私」のものとは違う別の視線が入り込んでくるのだ。

万能ではない私たちの眼が、「私性」を離れて俳句に空間をひらく仕組みはこれである。ただし、この「経験」とは異なる「かつて見た景色」との関係性が切れたとき、それに成り代わる別の空間が別の誰かによって与えられるわけでは決してない。むしろそこには広々として何も無い部屋がひらいているだけである。
不思議なことに、そのような空間にひとびとは何かを置きたがる。そこに何かを置くことで、それを自分のものにしたくなる。そのようにして、それを見た「私」の視線を、作品の上であらためて支えてくれるのは読み手である。

囀や花束に白多くあり
薫風や鱗にひかり集まりぬ
炎天のガラスは指を傷つけり


そのようにして、私は私自身の「私性」を差し出し、見慣れない景色へ踏み出す。掲句において「囀」を聞くのは「花束」を持つ私とは違う私であり、鱗に集まる「ひかり」は鱗のものではなく、指を傷つけたのはガラスのみにとどまらない。「私」にとっての見慣れた景色は、「私」ではない別の主体によって見慣れない世界を常に指し示して躍動する。そこでは、「経験」は何一つ役立つことはないのである。

とはいえ、俳句は「ことば」によってつくられる。そこで書かれた「ことば」が、何か実体をもつ、ということは一体どういうことなのだろうか。「経験」が役立たない世界で、いかに「ことば」は支えられ、構成されつつ、俳句にかたちを与えるのだろうか。

〈第六章〉へつづく

〔今週号の表紙〕第411号 Bottle 雪井苑生

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〔今週号の表紙〕
第411号 Bottle

雪井苑生



これは銀座の某PRONTOの二階で撮った。ビンの並んだ光景というものに何故か惹かれる。めったには行かないけれど、静かなバーなどのカウンターのうしろに、さまざまな酒ビンが並んでいる光景は見ていて楽しい。

ところでカタカナで「ビン」と書くのは何とも無粋で、汚れた空きビンのイメージしか浮かばない。漢字で書けば「瓶」もしくは「壜」なのだが、その使い分けがわからないのだ。ちょっと調べてみたら、「壜」は土偏からわかるとおり、もともとは土器の壷をさしており、「瓶」の「瓦」は陶器のことで、つまり陶器の壷のことであったと。今では両方ガラスの入れ物をさすが、ルーツはそういうことだそうだ。で、同じガラスビンで瓶と壜はどう違うのだろうか。これに対しては明確な理由の違いはないようである。

なので自分の勝手なイメージで考えると、瓶はわりと大きめ、壜は小さくて繊細な感じのもの、という感じがする。例えば香水のビンは「香水瓶」より「香水壜」のほうが似合うと思いませんか? 字面も瓶のほうはクリアで、壜のほうは何やら朦朧とした曇りが見えるような。そういえば子供の頃、母の鏡台に小さな香水壜がいつも置いてあった。布製の丸い玉をシュポシュポ押して使うタイプのもので(バルブアトマイザーというらしい)、そのどこか秘密めいたカットガラスの美しさがとても好きだったことを覚えている。あれは絶対「壜」でなければならない、って勝手な独断なんですけどね。

【週俳・1月2月の俳句を読む】私はYAKUZA Ⅸ 瀬戸正洋

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【週俳・1月2月の俳句を読む】
私はYAKUZA Ⅸ

瀬戸正洋



馬鈴薯を五分程茹でて四等分にする。それをサランラップで包み会社に持っていく。胃が痛くなるとそれを歯ですり潰し唾液といっしょに飲み込む。三日、四日、続けると大概の痛みはなくなる。

三十歳代の頃、ストレスから来る胃痛のため通院したことがあった。胃潰瘍と診断された。病院で処方された薬を手放すことができなくなった。そんな時、薄汚れた喫茶店で無気味な老婆に出会った。「オニイサン、オニイサン」と話し掛けて来る。いい加減にあしらっていたら胃潰瘍の話になり「馬鈴薯を下し金で擦り、それをそのまま飲めば、あっというまに治っちまうよ」と老婆は言った。

さすがに、生の馬鈴薯を下し金で擦って飲むことには躊躇したが馬鈴薯を生茹でにして食べてみた。馬鈴薯の芯は冷たく生のままだ。無気味な老婆には不思議な力がある。珈琲一杯奢っただけの数十年前の思い出である。

それ以来、老婆と馬鈴薯に騙され続けている。既に、その時の老婆の齢を追い越してしまっているのかも知れない。騙され「続ける」ことは、信じることと同じことなのである。責任は自分自身にある。馬鈴薯がこの世から消えたら私は、再び、通院しなければならないと思う。

螺子としてひとの命よ国の春  赤野四羽

七十年以前の日本のことを思い出したりしている。作者は、ユーラシア大陸の西の方の戦のことを言っているのかも知れない。戦になれば、ひとの命は螺子のようなものだと言っているのかも知れない。同じように、戦後七十年間の日本人の命も等しく螺子であったのである。戦とか特異な環境になると人は特にそのことを強く感じる。

とおくからひとをみているおおかみよ  赤野四羽

おおかみは神様なのである。神様がとおくから私たちを眺めていらっしゃる。神様が近くにいらっしゃることはないのだ。それに気付くと、隠れてしまいたくなるほど、私たちはうろたえてしまう。そんな時、恐れ戦きうつむいてやり過ごすしか私たちには方法がないのだ。胃が痛くなるのは、決まってそんな時なのである。そして、私は呟く「汝自身を知れ」「度を越すなかれ」と。

紫陽花はつねにただしくあやまらぬ  赤野四羽

人間以外は常に正しい。これは常識である。自身を振り返ってみればよく解るだろう。何と恥の多い、くだらない人生であったのかと。そんな人間に対して、紫陽花があやまるはずなどないのだ。その中でも私は最低の人間だと思っているので、誰彼構うことなく、いくらでもあやまることができる。そんな訳で、時々、私の心が見透かされてしまい不快な顔を見せる人たちもおられる。そんな時、私は気付かないふりをする。

なんとなく崖へとすすむ蟻の列  赤野四羽

蟻とは作者自身なのである。蟻が列を成して崖に向って歩いている。崖にたどり着くと、蟻は垂直に下りて行くことができるのかも知れないが、私は、蟻は崖から落ちて死んでいく、そんな風景を想像する。何故ならば蟻は作者自身なのだから。最後尾あたりを歩いているのか、あるいは、崖の直前を歩いているのかは、誰も知らない。確かに、私たちは生まれた時から死に向って歩いているのだ。それも、なんとなく。自分だけは違うなどと間違っても思ってはいけない。なんとなく生まれて、なんとなく死んでいくのが、正しい人生のあり方なのだ。

コトあるごとに例えにされる柱  兵頭全郎

柱にとってみれば誇らしいことなのか、それとも不快なことなのか、それは私には解らない。だが、どんな時にでも例えになどされないものは、柱をどう思っているのだろうか。羨ましく思っているのかも知れない。私は、目立たず、相手にされないことを希望する。自分の好きなことだけができる能力と環境、それさえあれば幸せなことであると考える。こんなことを言うと「そんなに欲張ってはいけないよ」と、いつも、うしろの方から、誰かが私を戒めるのである。

ボタンにしか見えないものを押している  兵頭全郎

ボタンにしか見えないものは「ボタン」なのである。洋服の「ボタン」は、留めたり外したりするもので押すものではない。だが、「スイッチ」ならば押すことによって入ったり切れたりするのである。だが、作者は動き出すか否か半信半疑なのである。これが対話についてのことだとすると「ボタン」はどこにあるのだろうか。どの「ボタン」を押せば、私の言っていることを相手に理解してもらえるのだろうか。

緑と白の境が葱のなきどころ  なかはられいこ

全て緑色ならば「葱」ではないと思っているのである。全て白色ならば、それも「葱」ではないと思っているのである。人にとって「なきどころ」とは、その人の優しさが育つ大切な場所なのである。葱にとっても、葱であるために、その境は無くてはならないものなのである。

対を為す言葉に炬燵優しかり  花尻万博

対を成す言葉は私たちにとって優しい言葉なのだと言っている。つまり、片方だけで生きていくことは辛いことなのである。愛憎、善悪、明暗...。私たちの行為は何もかもが対を為しているのである。故に、自身の中で折り合いをつけることができる。もちろん、私たちにとって炬燵ほど優しいものはないのだ。

結昆布結び目の暗きをつまむ  小野あらた

暗きをつまむとした作者の心の動きに興味を覚えた。作者は、結昆布の結び目を見て「暗き」と感じなければならない何かがあったのである。お目出度いはずの結昆布をつまむ時、無意識のうちに正反対の表現になったということは、作者のこころのどこかに、負の何かが育ちはじめたのかも知れない。

私の住む集落にも診療所がある。その診療所の医師が結婚したというので、老人たちが、そのご夫妻を招いて、簡単な講演とお祝いを兼ねた茶話会を開いた。雨の降る休日で、何もすることがなかったので出掛けてみた。私は、馬鈴薯のことを聞いてみようと思っていた。「馬鈴薯は胃潰瘍に効くのか。馬鈴薯を齧り、胃の痛みが治まった場合、医学的にみて、それは、治ったといえるのか。」の二点である。

ところが、過疎地に暮す老人たちは、「終活」の話で、何故か盛り上がってしまい、私は、何も聞くことができなかった。せっかく診療所の医師夫妻をはじめ参加者全員が楽しんでいるのに、何もわざわざ、余計なことを話して、座を白けさせてしまうことはないだろうと思ったからである。雑木林には春の雨が降っている。


第405号
小野あらた 喰積 10句 ≫読む
第406号
花尻万博 南紀 17句 ≫読む
第409号
なかはられいこ テーマなんてない 10句 ≫読む
兵頭全郎 ロゴマーク 10句 ≫読む赤野四羽 螺子と少年 10句 ≫読む

【週俳・1月2月の俳句を読む】その青を結ぼう 羽田野令

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【週俳・1月2月の俳句を読む】
その青を結ぼう

羽田野令


結昆布結び目の暗きをつまむ  小野あらた

昆布は黒っぽいものであるし、結び目はその黒が何重か重なっているところなのだけれど、黒くはあっても普通は暗いとは言わない。食べ物をあまり明るいか暗いか等とは考えないが、例えば、硝子の器に盛られてドレッシングや香草を掛けられたサラダと比べてどちらが明るいか暗いかと言えば、サラダは明るくて昆布は暗いと思う。

結昆布は縁を結ぶ、喜ぶ、に掛けておめでたいものとされ、伝統的なおせち料理の一品で新年を寿ぐ食べ物である。それを「暗きをつまむ」と言って、めでたさの反対にあるもの、裏側を見るというのは個人の感性である。表面のものだけを見るのではなく、自意識にめり込んだようなこの見方は惹かれるところである。作者の言う「暗き」のゆえんを考えてみるに、村社会のうす暗い廚で女から女へ受け継がれて来たことによる暗さを、醤油のしみ込んだ昆布の煮しめは表しているとも言えるのか。


蜜垂れる女(をみな)の背中県境  花尻万博

和歌山県の県境は変っている。紀伊半島の山中、和歌山県と奈良県と三重県が接しているが、和歌山県は県の一番面積の大きなところから離れて。陸地の中に島のように和歌山県である地を持つ。所謂飛地である、奈良県と三重県の接する所の間を裂く様にして、和歌山県から滴たれている様に飛地がある。そのことを詠まれているのではないかと思う。

多雨の中で青々と樹木の育つ一帯、緑の色もひときわ濃い様に感じられる地方であるが、その地の持つ生命感を女の背と見立てて詠む。そして蜜。乳と蜜の流れるところという聖書の言葉を思い出すが、小さなこの地形をこの地に住む作者は、豊饒を表す言葉によって表現している。


おふとんも雲南省も二つ折り
  なかはられいこ

紙を二つに折るならきちんと折り目がついて二つの同じ形の重なりになるが、蒲団の場合はそうはいかない。綿で膨らんでいるから、そのふくらみのまま丸みを持って折り重ねられる。その蒲団と雲南省。なんとも変ったものが並べられているのだが、読んでいて雲南省という語の面白さを言っている句ではないかと思った。

雲南省のなかにある雲はふわふわしたものだし、南という字も北とは違った温かな感じがする。「うん」「なん」という音は似ていて、ふっくら畳まれた二つの面のようだという気もしてくる。「うん」「なん」と音が往復しているような感。「うん」と行って、折り返される方が「なん」だろうか。というのは、全くの誤解かもしれないが、私には言葉の持つ音と字から浮かぶものとに着目した句に思われる。「うんなん」が蒲団へ結びついたところに一句が成った。


清流の写真束ねる青い紐  兵頭全郎

紐だけがあって、青い色、何に使う?もしとてもきれいなブルーなら、空のようであり、海のようでもあり、碧を湛えているそんな紐だったら何に使うだろうか。・・・婚礼のsomething blueとして花嫁の衣装の裏に縫い付けるのはどうだろう。いやいや、それでは紐本来の使い方ではないから、紐としての用途を中心に考えるとやはり、何かを結んだり束ねたりということになる。そう、花を束ねる、サフランを束ねるのに丁度いい。四つんばいになって摘む少年のサフランのためにある紐。ちょうど岩の間の碧い波から取り出したように見える。でもそれは駄目だ。少年に届ける手だてはない。紐は、明日或いはその明日かそのまた明日わたしが撮る清流の写真を束ねるため。もう写真は紙に焼くことはあまりないけれど、美しい流れに遭ったら、写真に撮って紙に焼いて、写真のその流れに触れながらその青を結ぼう。


とおくからひとをみているおおかみよ  赤野四羽

人間社会から離れて人間の営みを見ているこの狼の目は、なにか神聖なもののような気がする。狼という言葉は「かみ」の音を含んでいるのだが、そればかりではなく、人間を外から見続ける存在というのは、人間の創り出した神しかあるまい。その鋭い目には、人間の愚かしさがさぞかし写っているのだろう。


第405号
小野あらた 喰積 10句 ≫読む
第406号
花尻万博 南紀 17句 ≫読む
第409号
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【週俳・1月2月の俳句を読む】すべての俳句は究極的にはトートロジーである 小野裕三

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【週俳・1月2月の俳句を読む】
すべての俳句は究極的にはトートロジーである

小野裕三



数の子に黒皿透けてみどりいろ 小野あらた

色のことを詠んだ句は、昔から多くあると思います。よくよく見るとこんな色をしています、とか。なのですが、色の合成はあまり詠まれてこなかったのではないでしょうか。しかもこの句では、食べ物が透けて皿の色と合わさっている、という景。その上、黄色と黒が合わさって緑色、という、色としてはあまりきれいとも言いづらい色。特に食べ物の句は、色もおいしそうに表現されるのが不文律というものでしょう。その不文律が、あっさり無視されています。でも、結果としてとても特徴的な俳句に仕上がっています。

鼬得て温もりゆけり鼬罠 花尻万博

こういうトートロジーめいた俳句って、なぜだかけっこう名作を生むことが多い気がします。ふつうに考えれば、字数がきわめて限られた中でトートロジー的なことをやっているのは情報量的にムダ、ということになりそうですが、意外にそうでもない。これはきっと、俳句というものがそもそもトートロジー的な仕組みをどこか基盤にしているところがあるからのように思います。つまり、すべての俳句は究極的にはトートロジーである、と。虚子の句なんて、特にそんな気がします。トートロジーの回路をくるくると回っているうちに、気づいたらどこか不思議な場所に連れて行かれる、みたいな感じ。この句も、「鼬得て」と「鼬罠」のあいだでくるくるとトートロジーの回路が小気味よく回っていて、面白いです。

F2を押すと液晶身もだえす
 なかはられいこ

パソコンとかケータイとかスマホとか、そういうものを詠んだ俳句は意外に多いのです。みんな、俳句の素材としては目新しいだろうと思って取り上げるのですが、逆に言うとそこでは「目新しい風俗」であること以外に着眼点がないので、結果としてその句に着眼点の面白さはたぶんありません。おまけに実はけっこうたくさん詠まれるので、かなり食傷気味になります。そんな中で、「F2」ボタンのことを詠んだ人は過去に見たことがありません。液晶の身もだえも面白い見立て。新しい素材を、きちっと詩として消化できた好例の句だと思います。

ボタンにしか見えないものを押している 兵頭全郎

形式的には川柳のカテゴリーに入るのでしょうが、この句も、もっと俳句っぽくすることは物理的には可能です。「見えないものを押す」と整理すれば、あと三文字入る。「見えぬもの押す」と整理すれば、あと五文字入る。そこに季語を入れるというのは物理的には可能。さてそれでは斡旋は何がよいのか、とついつい考え出してしまいそう。この句ではそのような斡旋の余地を、実に潔く放棄しています。この潔さこそが川柳なのでしょうか。季語をどうしようかとか、斡旋はとか、そんなふうにうじうじしていない感じが、かえってすぱっと現代社会の一断面をうまく切り出しているような、そんな気がします。

とおくからひとをみているおおかみよ 赤野四羽

ひらがなだけの俳句というのはたまに見かけます。でも、全作品をひらがなだけで作っている俳人というのはいまだに見かけたことがないように思いますので、つまりある特定の句において、その作者なりのある種の合理性を持って(あるいは勇気を持って?)、その句を全部ひらがなにするという選択をするわけです。でも、そもそもひらがなという文字自体がその発生を遡ると、和歌とか連歌に近い場所から生まれてきました。当然、俳句の根源みたいなものともつながっているのでしょう。時々俳人たちがひらがなだけで俳句を作るのは、俳句の根源みたいな場所を少しだけ覗きに行っているのかも知れません。だからか、そんなひらがなの句はどことなくおとぎ話めいてもいます。ひらがなは、俳句の根源的な何かをいつもすうすうと呼吸しているのかも知れません。



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自由律俳句を読む 83 小山貴子〔1〕馬場古戸暢

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自由律俳句を読む 83
小山貴子〔1

馬場古戸暢


小山貴子(こやまたかこ、1951-)は、尾崎放哉の研究家として知られる、自由律俳人。1975年、層雲に入門。近年、『自由律俳句『層雲』百年に関する史的研究』(自費出版、2013年)を出版し、自由律俳句誌『青穂』を創刊するなど、ますます精力的な活動を展開している。以下では数句を選んで、鑑賞したい。

秋口の光る鋏で切ってあげます  小山貴子

先日韓国焼き肉店に行ってきたせいか、この「秋口の光る鋏」は生肉を切るものであったように思う。

固唾をのんで森の月蝕  同

森で月蝕を観察していたのだろう。現代日本において森に相当するところは、どこにあるのだろうか。一度赴いてみたい。

網膜に残ったものを整理する  同

なんらかの病気を網膜に患い、その摘出手術の様子を詠んだものか。それとも、思い出のことか。いずれにせよ、大事に至らないようにしなければならない。

売り子の声も小さく終着駅  同

終点らしく、この駅は小さいものだったのか。そうなれば売り子の声も小さくて十分だろうが、客が少ないためになかなか売れないのではないか。ここが何かの観光地を有する地であれば、売り子に頑張る余地はあろう。

俯いて低い靴音にいる  同

俯きながら歩いているところか。俯いているところに、低い靴音が近づいてきているのか。ホラーがはじまる予感がする。

俳句の自然 子規への遡行40 橋本直

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俳句の自然 子規への遡行40

橋本 直
初出『若竹』2014年5月号(一部改変がある)

(承前)さらに各句集の序文を引用する。
③の二つ目「(前略)俳書堂主人江戸庵、幼より親交ある癖三酔の俳句・・・自明治三十三年至明治三十九年・・・を手記し、圖らず一巻を成せるを癖三酔に示す。癖三酔曰く、是れ余が俳句の死骸なり、葬儀は君の自由に任ずと。依て江戸庵今回のアラレ臨時號に編入せんと欲し、余に序を需む。余江戸庵の友情を多とし、匇々筆を巻首に走らし、併せて句死骸(クナキガラ)の名を附す。右の如く癖三酔句集は句死骸として「アラレ」の臨時號に編入さるべき計畫もあつたが、今回獨立の句集として出版される事となつたのは、僕の一層満足とする所である。元来句集の出版といふ事に就ては、われ〱同人は頗る愼重の態度を執つて居る。で、たまく一人の句集が出版されると、之に對する批評が諸方に起る。」(中野三允「癖三酔句集序」)

④「俳書堂主人より、今度俳書堂から「俳書堂文庫」といふ手習草紙程度の叢書を出す。(中略)自重して書かぬ人々の為めに思ひ切つて筆を取らす端緒を開かん所存、余にも其二冊目に何をか差出すべしとの事也。乃ち此原稿を差出す。此原稿は三四年前今村一聲翁初めて拙宅に見えし時お土産代りに御持参ありしもの也。余は謹で頂戴し、實はろくに開けても見ずに筺底に納め置きたるところ、昨年に至り一聲翁は出版し度い考へで輯められたるものなる事、又恰も余が此稿本を差押へたる形となりし為め翁は再び拙句輯集に勉め居らるゝ由を聞き有難いやうな迷惑なやうな心持ち致したるが、其儘にて一年を経過したる此頃、偶筐底より此稿本を見出し、手習草紙程度の叢書の標本としてならば此書出版も差支へ無かるべし、折角の翁の志を無にせぬ為め又新たらしく筆を取らねばならぬ面倒を避くる為め、先づ此稿本でも差出すべしと決心して、此事を翁に話し、俳書堂主人に附す。」
(高浜虚子「虚子先生序」)

⑤「癖三酔句集をアラレ叢書の第一集とし蝶衣句集を第二集とすることゝした(中略)若し世間で所謂些細な?事柄に誤解するものがあるとすれば僕は飽まで其誤解を釈てやるまでのことである(中略)但し虚子の此序(引用者注、癖三酔句集の序文のこと)があつたゝめに癖三酔句集に対して世間が誤解しなかつたとすれば虚子の此序は無益でないのである。碧梧桐は靑々の妻木を評してよし靑々の妻木が今日古今を通じて佳句に富む好句集であるとしても尚ほ春秋に富む靑々が数十年の研鑽を積んで後に作つた句集は更に美にして善なるものであつたらう惜むらくは靑々は其の句集を編む時殆ど自己を忘却してをつた(中略)碧梧桐は句集といふ者は生涯に一度しか出せぬ者と思つて居るのであらうか(中略)僕は妻木があるので靑々を研究するに非常の便宜を得て居る、同じく癖三酔句集があるので癖三酔を研究するのに非常の便宜を得て居る、蝶衣を研究するにも蝶衣句集が出れば非常なる便宜があるといふ訳である、靑々、癖三酔、蝶衣の名が永く俳壇に伝わるものであるとしたならば妻木、癖三酔句集蝶衣句集は珍重すべき明治俳壇の刊行物である」(中野三允「蝶衣句集序」)
※以上、傍線はすべて引用者。

これら引用した序文に共通するのは、出すことの勿体がつけてあるということであり、それはすなわち、個人句集を出したことからおこるであろう世間からの批判をいかにかわすか、ということであろう。

子規は「句集を出す事は一生おやめにした」などと、自分の個人句集の序文で個人句集など出すものではないと思っていたことなどを滔々と述べ、靑々も同様に句集などは出すものではないが「唯我句を一冊に集めて我見たき計り」で出すのだという言い訳をしている。癖三酔の句集の序文は虚子と三允が書いているが、虚子は子規や靑々と同様に個人句集は出すものではないと述べた上に、「獺祭書屋俳句帖抄も、子規の病が餘程重くなつて後に病床の慰籍として作つたといふ位に過ぎぬ、其後靑々が、妻木を出した時にも兎角の世評があつた様な次第」と、先行する二句集を否定的な例に挙げ、さらに「單に俳句会の習慣から見て癖三酔句集を出すといふことは鳥渡目立つた事柄である。(中略)世間から誤解を招くやうな事があつては、癖三酔の為に不利益なことゝ考へたから、余は無遠慮ながらも癖三酔に手紙をやつて句集出版だけは暫く見合したらどふかと云つてやつた」と、若い俳人の行く末を心配してやめた方がいいと言う。同じ癖三酔句集の序文を書いた中野三允も、句集を出すときの世評の喧しさを言う。

癖三酔自身は、所収句を「余が俳句の死骸なり、葬儀は君の自由に任ず」と言い、自身の句を世に問いたくて自分で纏めているという体をとらず、己の作品を「死骸」として殺す形で句集を出すことで世の批判にワンクッション入れている。そして、虚子自身も個人句集を出す当事者になったとき、たまたま未知の人が集めていたものがあって「謹で頂戴し、實はろくに開けても見ず」「有難いやうな迷惑なやうな心持ち」だったものを出版社の依頼で出すのだという、極めて消極的で受け身な態度で出版するかのように述べるのである。

これだけ列挙すれば明らかな通り、当時、生者が積極的に己の句作の文学的価値を世に問うことはあってはならない、というのが、俳句界の強い風潮であったと言えよう。そして、それに対して最も挑戦的であったのは、虚子でも碧梧桐でもなく、今や忘れられた俳人と言ってもいい中野三允だったかもしれない。彼や癖三酔、蝶衣についてさらに見てゆきたい。

BLな俳句 第6回 関悦史

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BLな俳句 第6回

関悦史



『ふらんす堂通信』第141号より転載

少年も脱いだ水着も裏返る  柳生正名『風媒』

濡れた水着の密着を肌から引きはがす。その粘性で水着は裏返る。そのとき少年もともに裏返るというのは、どういう事態か。それは水着と少年が質料において等価の存在となっているということである。水着には重い実在感がそなわり、少年は肉体に特化してただの物のようになる。生々しい無機物と、内面なき有機物として彼ら=それらは今まで肌を介して一体となっていた。

濡れた水着を脱ぐときのあの心もとない体感にも裏打ちされ、句には情交を終えて虚脱した二つの物=身体が残る。物としての少年はおのずと人形に接近する。精妙に生体を擬したきれいな無機物のような、無欲でしかもウェットなエロスを掬い取った句といえる。


海知らぬ少年眠り虫鬼灯
  柳生正名『風媒』

「海知らぬ少年」という出だしは、寺山修司の短歌《海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり》を想起させ、大自然への憧憬を介して相手の気を引こうとする純真で清潔な恋情を思わせる。

一方、この句では、少年は「海」に象徴される大きな何ものかを知らないまま眠りについており、それを語り手が眺めていることになる。そこに慈しみの情が感じ取れる。語り手は「海」を知っているのだ。かつて少年であった自分を重ねて見ている気配もある。

虫鬼灯は鬼灯の外皮が枯れて繊維だけが残り、中の赤い実が透けて見える状態になったもの。それ自体も童心やノスタルジーに通じる物件だが、その形状はおのずと目を引きよせ、透けて見える赤い実が、眠っている少年の、本人も知らない可能性の核心のように思えてくる。つまりこの虫鬼灯は語り手の近くにある現物であると同時に、少年、および少年と語り手との関係の暗喩にもなっているのである。瑞々しさを保つ実のような少年と、その少年に直接は触れないまま優しく包み込むすでに枯れ気味の語り手。かつての自分に重なっても見えるだけに、かえってその眠る身体が自分とは別の存在であることも明確となる。二人であることのさびしさと愛おしさが、網状に枯れた虫鬼灯の皮に包み込まれるように安置されている句である。


男郎花近江で硝子すつと切る
  柳生正名『風媒』

芭蕉の《行く春を近江の人と惜しみける》は立ち去りがたく、別れるのが惜しい風情だが、こちらの近江はかなりクールなようで、硝子を「すつと切る」となる。鉱物の冷やかさ、滑らかさと、それを切る一見非情なまでの動作の無駄のなさに官能が満ちている。

男郎花は白い細かい花が密集して咲くので、その清潔感と硝子も合うが、字面の喚起するイメージがそれ以上に利いているといえる。花のような男、男のような花との情緒のべたつきのない冷静な交渉の向こうに、情緒をべたつかせる必要すらない信頼関係が成り立っているようでもある。

「近江」は日本史上のもろもろの出来事が積み重なった土地でもあり、琵琶湖の広大な水面のイメージもある。クールな官能の背後にあるそうした「近江」の有機性が、「男郎花」と「硝子」の交情を、澄んだ出汁のような暗喩性で下支えしている。


臘梅や阿修羅に腋の六つほど  柳生正名『風媒』

阿修羅といえば国宝、興福寺の阿修羅像の、緊張と憂いをはらんだ少年的風貌の印象が、細身ながら三面六臂という異形の造形とあいまって圧倒的。この句も当然そのイメージを踏んでいると思われる。

ただし通常ならば「六本腕」ととらえてしまうべきところを、六つの「腋」ととらえたところが俳諧的なずらしでもあるのだろうが特異で、戦闘神たる阿修羅が、生身の弱点をその異形に応じて六つも人目にさらし、くすぐられもしかねない奇異な可憐さを帯びてしまう。突如、攻守逆転されたようでもあり、その急変にエロスが宿る。

乾漆像から不意に六つの「腋」を持つ肉体に引き戻される阿修羅の変容を、臘梅の黄の滑らかな鮮やかさが、植物的生命の側から援けている。


春月や六臂頽(くづ)るゝ美少年  武田肇『ダス・ゲハイムニス』

阿修羅と思しき句をもうひとつ。古語「頽(くづ)る」は「崩る」と同じ。

端然とした立ち姿を示していた柳生正名句の阿修羅に対し、こちらはことを終えて虚脱したさまの阿修羅となっている。戦闘神ながら受けの立場ということか。いや、本業の戦いを終えたあととも取れなくはないし、戦闘美少女よろしくそちらに取ってみたくもなるのだが、「春月」が殺気を削いでいる。

「六臂」の少年といえば阿修羅としか思えないが、その名を明示されることはなく、「春月」のもとの、放心のさまの「美少年」と言いとめられていることで、戦闘神の精悍さとの対比が際立つ。特徴的な「六臂」が、阿修羅を示すただの符丁から、頽れることで、柔らかく色気を放つ生身の細腕へと転じるが、その色気はあくまでも異形に裏打ちされたものだ。柳生正名句の「臘梅や」にせよ、この「春月や」にせよ、語り手は奇妙に余裕をもって審美的な目で眺めているようで、これは美しくも現実離れした肢体を持つ者が引きよせ、引き受けざるを得ない視線なのだろう。

読者としては、そこから却って、文字通り偶像視される阿修羅の内面に入り込み、その孤独を観念することもできる。


八月の少年四人蛸を倦む
  武田肇『ダス・ゲハイムニス』

こちらも手足の数に関わる句。

少年四人の腕または脚の数は計八本で蛸の足と同数となる。あるいは四肢を全部足して蛸二匹分としてもよい。

下五の「蛸を倦む」という詰めて飛躍した言い方がいかようにも取れ、想像が膨らむところである。

少年四人が蛸を囲み、つついて遊んでいるわけではあるまい。それならば「蛸に」で充分であり、「蛸を」の捻じれを含みこむ必要はない。

てっとり早く言ってしまえば、この少年四人は自ら蛸の様態を真似てでもいるかのように、互いに柔らかく絡み合って愉しんでいたという隠喩として取るべきだろう。「蛸であることを倦」んでるのである。

もっとも蛸といえば、葛飾北斎による艶本『喜能会之故真通』中の木版画「蛸と海女」から、現在の萌え文化の触手絵にまで至る性的喚起力に富んだモチーフであり、そこからすれば、少年四人が北斎の海女よろしく大蛸に責められている図との解釈もあろうが、この場合は何の能動性もなく蛸側のなすままとなって、「倦む」どころでは済まなくなってしまう。「八月の」と、季語も蛸足の数と揃えられたこの句は、明るくも閉じた系の中での少年四人のみの官能と倦怠が主ととるべきだろう。だがその背後には喩によってのみ引き込まれた幻の大蛸もひそんでおり、八月の光そのものが少年の四肢とからみあう蛸足のような怪しい代物と化してもいるのである。


はつなつのひかりの友を甘噛みす  斉田仁『黒頭』

常識的に読んでしまえば、句意は「初夏の光」の中で「友を甘噛み」しているということになり、場面を平板に詠んだだけの句となる。同性愛的な句材であると否とを問わず、性交場面の類をそのまま描いた句は物欲しげでつまらないものになりがちなのだが、この句がその弊を脱しているとすれば、それはひとえに格助詞、「ひかりの友」の「の」の多層的粘着性を生かしていることによっていよう。つまり「光の中にいる単なる人である友」という合理性の向こうに、「光である友/光の属性を帯びた友」という別の存在格が潜んでいるのである。

友がそうした存在であるならば、それを甘噛みしている語り手も同格、またはそれに準じる異次元性を帯びた存在となるだろう。一句は翻然、「はつなつのひかり」同士が人の姿をまといつつ濡れ場を演じているような、非物質的な透過性を帯びるのである。この句の清潔感はそこから来る。平仮名に開いた表記はその手助けをしているに過ぎない。


少年ひとり夏蝶追うたびに回廊  宮崎斗士『そんな青』

この句、夏蝶を追うたびに実物としての回廊にまぎれこむという句意ではなく、追うたびに少年と夏蝶による非在の回廊が形成されるということだろう。「ひとり」である点が重要である。何人もで遊んでいたら、少年は実在物の次元にとどまったままとなる。夏蝶との逢瀬はひとりの時でなければならない。

しかし、ことさら奇蹟的な一期一会の出会いというわけでもなく、「追うたびに」としばしば夏蝶と非在の次元にこもっているらしいこの少年は、そもそも人格的まとまりや実在感が希薄である。「少年」という属性がもたらす透明感を介して、ファンタジー的な時空につなげた句ではあるのだが、そうした句が陥りがちな平板さや陳腐さから身をかわしつつ、愉楽に満ちた時空を形成し得ているのは、建物内外の境目を屈折しつつめぐる「回廊」の形態によるところが大きい。それと「追うたびに」の回帰性が響き合う。試みにこの回帰性をとりはらい、「少年ひとり夏蝶を追い回廊へ」と改悪したときの味気ない報告句ぶりと読み比べてほしい。ここでは「少年」と語り手は完全に切り離されてしまっている。

この回廊は先にもいったように非在のものである。ところが少年の希薄な実在感が転移でもしたかのようにして、この回廊は奇妙ななまなましさを備えている。建築の迷宮性と、身体の迷宮性が夏蝶追跡の遊戯を通してつながりあっているためである。そしてそのことは同時に「少年」と語り手とを迷宮的に光のなかに流動させ、溶けあわせる働きも持っているのだ。

「少年」という語の詩的価値、つまり、希薄で身軽な、それでいて悠久性をもつ官能を外から描写するのではなく、「回廊」に散り拡げることで輝かしくとらえた句といえる。


働いてゐて炎帝に跨がるる  鈴木牛後『暖色』

炎帝は古代中国で、夏を観念的に神格化した存在。俳句では単なる夏の季語でもあるが、炎の帝王という字面が、圧倒的な力を持つ攻撃的なキャラクターを思わせる。

作者は北海道で酪農を営む人だが、そうしたことを知らずとも野外での労働中ということは一目でわかるだろう。

下五の「跨がるる」に生々しい色気がある。抽象的に攻められているのではなく、髪膚に密着しているのである。また、直立しているのではなく、作業のために前かがみになっているのではないかとイメージさせる効果もある。

それにしても真面目に働いている最中の男に無造作に跨がる炎帝の、なんと傍若無人なことか。諦めとも、受け入れとも微妙に違う、跨られている側の屈辱感の希薄さが句の口調からはうかがわれる。炎帝にしてみれば取るに足りない存在かもしれないが、激しそうな性格からして、この反応の薄さはさらなる加虐を呼ぶとも想像される。はたして支配的な立場にいるのはどちらなのかと考えると、炎帝の激しさを淡々と受け流す男の側が、次第に輝いて見えてもくる。

 *

Tシャツ  関悦史
やめろよといふ小声せり夜の柳

列車揺れ初夏少年の身が触れあふ

少年期股間へ万緑がまはり

合宿の夏布団汝が隣占め

自転車(チャリ)二台「空腹!」「俺も!」「じゃーね」と別れ夏の暮

競泳を終へ青年に乳首あり

炎帝や青年を撲ち喉にも入る

Tシャツ内へ誰の手だ俺男なのに

夏の海野郎大方アナルは処女

   「※筑駒は男子校です」

秋澄むをミス筑駒の肢体とす

〔ハイクふぃくしょん〕お参り 中嶋憲武

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〔ハイクふぃくしょん〕
お参り

中嶋憲武

『炎環』2013年8月号より転載

はっとした。こんな雨の金曜日の夜に、こうして楽器店でCDのジャケットを眺めながら、友人を待っていることが前にもあったような気がした。いま手に取っているジャケットの写真、照明の明るさ、周囲の騒音。そんな状況が確かにあった。いつだったっけ?考えていると、トモミに声をかけられた。そうそうこのタイミングだ。このあとはロシア料理に行くんだ。そういう風になっている筈。夢でみたのか、忘却の過去に同じ状況があったのかは判然としないが、トモミと二人で雨の銀座を歩いたのだ。トモミは、裏通りにある地方テレビ局の支社で経理をしている。わたしもたまたま銀座にある銀行勤めなので、昔の同僚同士、たまに会って食事したりしている。主導権はいつもトモミにある。ショートカットで溌剌と男前なトモミと、ロングヘアーでのんびりと控えめなわたしは、なんとなくウマが合って、三十路も間近というのにお互いに彼氏も作らず、行動を共にすることが多かった。今夜もトモミと相合傘。

「タカラコ、何にする?」そういわれてメニューをみた。トモミが連れてってくれたのは、銀座通りからちょっと入ったところにあるとんかつ屋だった。小津の映画みたいでしょとトモミはいうが、一体どこが小津なのか、小津観てないので分からない。わたしはヒレカツ定食、トモミはスペシャルかつ丼を頼んだ。カウンター席に並んで座って、板前さんの手際に見とれていると、浮いた話とかないの?とトモミが聞いてきた。三十までに何とかするよと答えると、ダメだねえと鼻で笑われた。トモミはどうなの?というと聞かずもがなでしょといって、からからと笑った。

とんかつ屋を出ると、面白い路地があるんだよと、トモミはとんかつ屋脇の薄暗い路地へ入って行こうとする。えっ、そこ?ついて行くと、トモミが手を差し出すので、その手を取った。トモミにぐんぐん引っ張られるまま狭い路地を行くと曇りガラスのドアが見えてきた。こんなところに自動ドアが。ドアが開くとコーヒーショップの店内だ。わたしとトモミは手をつないでコーヒーショップを横切り、同じような自動ドアを出た。さらに路地が続いている。路地をコーヒーショップが横切ってるの。面白いでしょと前を向いたままトモミはいった。しばらく進むと曲り角に稲荷があった。洗面台みたいな稲荷だ。無機質な玩具のような鳥居に手を合わせ無言。ビルになる前は、ちゃんとした祠だったのかもしれない。たぶんトモミも恋のお願いをしたんだろう。そう思っておくことにする。

路地を抜けると裏通りに出た。何をお願いしてたの。ずいぶん長かったけど。ヒミツとわたしは答えた。トモミこそ長かったけど、何をお願いしてたの。世界平和。トモミはいってにやりとした。表通りのさっきのコーヒーショップに入る。トモミはケーキをご馳走してくれた。誕生日だからね。忘れてた。うれしー。スパシーバ!とわたしはいった。

春の街をんな二人のとんかつ屋  飯沼邦子

【八田木枯の一句】ひるひなか小笹ゆれあふひひなの日 太田うさぎ

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【八田木枯の一句】
ひるひなか小笹ゆれあふひひなの日

太田うさぎ


あたりまえな眺め、何気ない行為が言葉によって切り取られたときに思いも寄らぬ姿を現す。

俳句と付き合って以来そのことに毎度驚くのである。

たとえばこの句。

ひるひなか小笹ゆれあふひひなの日 八田木枯(『於母影帖』1995年)

どこぞの庭先か、道のべか。あるなしの風に笹の葉が揺れ動いた、たったそれだけのことだ。ゆれあふ、だから一斉にぞめくようにではなく、一枚が揺れると別の一枚が揺らめき返す、そんなささやかな景色。雛祭の日という時候的背景がその現象を淡い輪郭で包んでいる、とは言えよう。

しかし、「ひるひなか」。これはどうなんだ、という話である。

春浅い日の光のなかで笹の揺れあうさまが作者の機微に触れた。それを言い表すときに昼を形容するなら、まひるまの、白昼の、昼過ぎの、昼下がり、昼深く、昼ながら・・・候補の長い列が出来る。そして選ばれたのは「ひるひなか」だった。この言葉の持つ「こともあろうに」な語感がたかが小笹の揺れあいをただならぬものにしてしまう。

「ただならぬ」だなんてまた大袈裟な。

一句として取り上げれば確かにそうかもしれない。けれども、この句の収められている『於母影帖』という句集の文脈のなかで眺めるとどうだろう。

ご存じの方も多いだろうが『於母影帖』はその名の通り母恋をテーマとしていて、母への慕情がときに性愛幻想にまで高じた作品も並び、読む者をたじろがせずにはいられない。
句集の中ほどには「母ほどく春は小笹のゆるる中」という句がある。そこから二十数ページ先で掲句に立ち会うとき読者は「母ほどく」の句との関連性をどうしても考える。そうして、うしろめたいことをしているかのような「ひるひなか」が選ばれた必然性に気づいたりするのである。わずかな風に傾き傾かれる笹の葉は秘めやかな一瞬の相聞のようでせつなく美しい。

この『於母影帖』を光源氏の枕元にそっと置いてみたい。そんな妄想が頭を過る。耽読すると思うんだけどなあ。源氏物語も違った展開になったかも、なんて。






後記+プロフィール411

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後記 ● 福田若之

ときどき発現する謎のBlogger仕様。

更新後3分くらいの間、馬場古戸暢さんの記事タイトルがすごく小さくなってました。作成ページだと普通なのに。過去記事の見出しをコピー&ペーストして、そのフォントで打ち直したら回復しました。これで一安心。



今月号の表紙は雪井苑生さん。「ビン」の漢字表記についてのお話。

個人的には、「瓶」だとカメと読まれそうになるときがあるので、そういうときは「壜」を使います。たとえば、「老酒の瓶」 で画像検索するとこんな感じですが、「老酒の壜」で画像検索するとこんな感じです。……あれっ、そんなに違わないですかね?



では、また次の日曜日にお会いしましょう。


no.411/2015-3-8 profile

■太田うさぎ おおた・うさぎ
1963年東京生まれ。「豆の木」「雷魚」会員。現代俳句協会会員。共著に『俳コレ』(2011年、邑書林)。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。「俳句の創作と研究のホームページ」

■関悦史 せき・えつし
1969年、茨城生まれ。第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞、第11回俳句界評論賞受賞。「豈」同人。共著『新撰21』(邑書林)。句集『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011)にて第3回田中裕明賞を受賞。URL:http://etushinoheya.web.fc2.com/(管理人は別人) URL:http://kanchu-haiku.typepad.jp/blog/(句集紹介用ブログ)  

■羽田野 令 はたの・れい
1950年生。「鏡」(俳句)、「ヤママユ」(短歌)、「義仲寺」(連句)所属。ブログ「けふえふえふとふてふ」。http://yaplog.jp/ef_ef/

■瀬戸正洋 せと・せいよう
1954年生まれ。れもん二十歳代俳句研究会に途中参加。春燈「第三次桃青会」結成に参加。月刊俳句同人誌「里」創刊に参加。2014年『俳句と雑文 B』を上梓。  

小野裕三 おの・ゆうぞう
1968 年、大分県生まれ。神奈川県在住。「海程」所属、「豆の木」同人。現代俳句協会評論賞、現代俳句協会新人賞佳作、新潮新人賞(評論部門)最終候補など。句 集に『メキシコ料理店』(角川書店)、共著に『現代の俳人101』(金子兜太編・新書館)、『超新撰21』(邑書林)。サイト「ono-deluxe」

■雪井苑生 ゆきい・そのう
北海道生まれ、埼玉県在住。「里」同人。俳句、写真、写真俳句それぞれ模索中。写真俳句ブログ「Photo haiku-galrie★Lapin-neige

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「ku+」に参加。共著『俳コレ』。現在、マイナビブックス「ことばのかたち にて、「塔は崩れ去った」掲載中(更新終了)。


週刊俳句 第411号 2015年3月8日

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第411号
2015年3月8日


2014「角川俳句賞」落選展 ≫見る
2014「石田波郷賞」落選展 ≫見る


【2014石田波郷新人賞落選展を読む】
思慮深い十二作品のためのアクチュアルな十二章
〈第五章〉
……田島健一
 ≫読む

連載 八田木枯の一句 
ひるひなか小笹ゆれあふひひなの日……太田うさぎ ≫読む

自由律俳句を読む 83
小山貴子〔1〕 ……馬場古戸暢 ≫読む 

〔ハイクふぃくしょん〕 お参り……中嶋憲武 ≫読む

俳句の自然
子規への遡行 40 ……橋本直 ≫読む

BLな俳句 第6回……関 悦史 ≫読む

【週俳1月2月の俳句を読む】 
羽田野令 その青を結ぼう ≫読む
小野裕三 すべての俳句は究極的にはトートロジーである ≫読む
瀬戸正洋 私はYAKUZA Ⅸ ≫読む

〔今週号の表紙〕Bottle……雪井苑生 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……福田若之 ≫読む


 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る



新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ ≫読む
週俳アーカイヴ(0~199号)≫読む
週俳から相互リンクのお願い≫見る
随時的記事リンクこちら

後記+プロフィール412

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後記 ● 村田 篠


Under Construction


no.412/2015-3-15 profile

■安西 篤 あんざい・あつし
昭和七年三重県生れ。昭和三二年、見学玄、梅田桑弧の知遇を得て、俳誌『胴』同人。昭和三七年、海程創刊の年に入会、同人。以後金子兜太に師事。平成三年海程賞受賞。平成二六年現代俳句協会賞受賞。海程会会長。現代俳句協会企画部長、幹事長を経て、現在副会長。国際俳句交流協会副会長。句集『多摩蘭坂』『秋情(ごころ)』『秋の道(タオ)』、評論『秀句の条件』『金子兜太』。共著『現代の俳人101』等。

■渡辺誠一郎 わたなべ・せいいちろう
1950年宮城県生まれ。現在「小熊座」編集長。句集『余白の轍』『数えてむらさきに』『地祇』。

■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。「俳句の創作と研究のホームページ」

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■角谷昌子 かくたに・まさこ
東京在住。鍵和田柚子に師事。「未来図」同人。俳人協会幹事、国際俳句交流協会評議員、日本文芸家協会会員。詩誌「日本未来派」所属。句集に『奔流』『源流』。木島始との共著に『バイリンガル四行連詩集〈情熱の巻〉』、角川書店 『鑑賞 女性俳句の世界(5巻 井沢正江)』、俳人協会紀要「中村草田男 第 一句集『長子』の時代」ほか。目下、揚羽蝶の飼育に熱中。近所の井の頭公園散策が日課(井の頭バードリサーチ会員)。

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■江口ちかる えぐち・ちかる
尼崎市生まれ。東京在住。川柳バックストローク同人。

■近 恵 こん・けい
1964年生まれ。青森県出身。2007年俳句に足を踏み入れ「炎環」入会。同人。「豆の木」メンバー。2013年第31回現代俳句新人賞受賞。 合同句集「きざし」。

■飯島章友 いいじま・あきとも
1971年生まれ。「川柳カード」同人、「歌人集団かばんの会」会員、「ぷらむ短歌会」会員。第25回短歌現代新人賞受賞。

山中西放 やまなか・せいほう
1938年京都生。2012年より「渦」編集長。句集『風の留守』、『炎天は負うて行くもの』。他詩集2冊。

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。俳人協会会員。「Belle Epoque」


〔今週号の表紙〕第412号 堺の環濠 山中西放

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〔今週号の表紙〕
第412号 堺の環濠

山中西放


大阪府堺市はかつて環濠で護られ繁栄を極めた中世の貿易自治都市、幾多の動乱・戦火を経て今もその名残の壕が町を囲む。幅20メートルはあろうか、花の頃には遊覧船も出る。壕の水は海と繋がっていて大鯉と見まごうばかりの大きな海の魚群が日当りよい場所を回遊している。そこには何処にでもある町並みの裏が、市民の見慣れた静かな水面に濾過されたように一幅の絵となって漂う。かつて与謝野晶子の生まれた町、町は壕を造り、壕は町と人々を創り出す。心優しい町である。



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【週俳・1月2月の俳句を読む】川柳はストリートファイトである 飯島章友

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【週俳・1月2月の俳句を読む】
川柳はストリートファイトである

飯島章友


太箸に栗きんとんの甘さかな   小野あらた

読みおえて、一瞬(おや?)と思った。その(おや?)の由来を考えてみたところ、「太箸」ではさんでいるのが「栗きんとん」という物体ではなく、「甘さ」という感覚だからなのに気がついた。ふつう、箸ではさんだ時点では物体的な「栗きんとん」が意識される。ところが、上掲句では一足飛びして味覚が意識されているのだ。

まあ実際は、栗きんとんが甘いことは周知の事実だし、また、とろりとした餡の形状はすでに甘味を体現しているので、太箸にはさんだ時点で「甘さ」はじゅうぶん意識されるのではあるが、そういうことを抜きにしても、これは短詩型ならではの面白い措辞だなと思った。散文でこの妙味は出ない。外山滋比古著『省略の詩学』に、「ヨーロッパの詩はことば、思いを、つみかさねてつくる。建築的である。それにひきかえ俳句は、ことばも詩想も、できる限り削り落とす。彫刻的である」と書かれているのを思い出した。


鼬得て温もりゆけり鼬罠   花尻万博

「鼬得て温もりゆけり」という妖しい措辞に魅了された。鼬罠に意志が宿るかのような「鼬得て」、カメラをフィックスしたまま移ろいを静観する「温もりゆけり」。「ゆけり」という未来へつづく表現が情の侵入を防いでいる。かりに「温もりゐたり」としたばあい、表現に少しく情が入り込んで、やや通俗的になってしまったかも知れない。

「鼬得て温もりゆけり」と移ろいに軸をおいた措辞をとってきて、一旦〈切れ〉をおく。ホースの先をつまむと水が遠くへ飛ぶように、掲出句も〈切れ〉によってそれまでの移ろいに圧力がかけられ、そのうえで全体像の「鼬罠」が明示される。そのときの「鼬罠」はどうだ。人間の情など寄せ付けない圧倒的な存在感で立ち顕れてくる。


緑と白の境が葱のなきどころ   なかはられいこ

川柳はストリートファイトである。ストリートファイトとは街で行われる素手の喧嘩だ。顔面にこつこつパンチを出しておき、相手のボディががら空きになったところへ強烈な一発を放つのは専門家のボクサー。対してストリートファイター(川柳人)は、自分のセンスだけを信じて思いもよらぬところからパンチを放ってくる。ボクサーは具体的技術をもつが、ストリートファイターにはない。それはちょうど「我が拳は我流、我流は無型、無型ゆえに誰にも読めぬ」と言った、『北斗の拳』に出てくる戦士〝雲のジュウザ〟みたいだ。

上掲句はストリートファイター的なセンスが光る一句。具体的な裏付けはなくともみごとに直感で葱の弱点を察知し、すかっとするほど強烈な一発を入れてみせた。


約束を匂いにすればヒヤシンス   なかはられいこ

東直子の第一歌集『春原さんのリコーダー』の冒頭近くに、

  ひやしんす条約交わししゃがむ野辺あかむらさきの空になるまで

という短歌がある。「ひやしんす条約」だけではそれが何なのかは分からないが、三句目「しゃがむ野辺」からの内容を見れば、その条約がどんなものだったかを想像できる構造になっている。東はストリートファイター的なセンスを短歌に持ちこんだ歌人だと勝手に考えているのだが(東直子ファンの方々に怒られそう……)、短歌形式によって必然的にボクサー的な裏付けが表れている。

だが、なかはらの句の「ヒヤシンス」には、その匂いのヒントとなる具体描写がない。短歌と違い下の句77がないのだから当然だ。裏付けのないままヒヤシンスが直接読み手に投げ出されている。その意味で上掲句もストリートファイター的だ。しかし、この句のばあいはストリートファイターなりの経験知がうかがえる。それは何かというとヒヤシンスの音の効果だ。たった五音の中に「ひ」「し」「す」と無声音が3つもある清らかで果敢ない音質、そして「今夜はとってもヒヤシンス」と言葉遊びなどでも使用される「ヒヤ」の涼感。そういうヒヤシンスの音的要素によって句中の「約束」は、あたかも、渡すことが出来ないままひんやりと、そしてひっそり抽斗に蔵われつづける古い恋文のような質感へと昇華された。


ボタンにしか見えないものを押している   兵頭全郎

今回はモノボケ、ホロホロとポロポロ、双子の子など、似たモノ同士の関係性から発想された句群と捉えてみたが、だからといってそれを共感性へと結実させる方向には構成されていない。これは兵頭のスタイルの特徴といえるのだが、傍から見るとたいへんストイックに思える。

いまの川柳界にはずいぶんと善い人たちが集まっている。清貧、忍耐、労り、家族愛といった要素を組み合せれば〝川柳さん〟という人格が出来上がりそうなくらいに。そんな善い人たちが川柳をつくればどうなるか。たとえばだが、「ボタンには見えぬボタンを押している」と書いて戦争の脅威をほのめかし、「むぅ、過去に学ばない政治家をうまく皮肉っておる」「然り然り」といった共感を得ようとするだろう。たしかにそれは戒めとして拳拳服膺すべきことではあるが。

ところが、兵頭の句のように最初から「ボタンにしか見えない」といわれたらどうだろう。ボタンに見えないモノを押す→実は爆弾のボタン、という固定的イメージがあるその分だけ、読み手は肩透かしを食う。「ボタンにしか見えない」という措辞に込められた裏の意味を探し出そうとしても、「ボタンにしか見えない」レベルを離れることはできない。何というかこれは、プロによる緻密な犯罪と思いきや10代の少年による素朴な犯罪でした、というケースに似ているかも知れない。そう上掲句は、「ボタンにしか見えない」などと純朴に、あるいは冷徹に、あるいは馬鹿真面目に言っている事態を楽しめればよいのである。それは、いわゆる〈膝ポン川柳〉の共感性とは別次元の楽しみ方だ。


水捌けのよいロゴマーク的月夜   兵頭全郎

ロゴマークに月といえば〈花王〉を思い出してしまうが、それはさておき、「ロゴマーク的月夜」とは冷静に考えると面白い。ロゴマークは社名や商品名などをデザイン化したもの。したがって、語順からいうと何かの名前を受ける形で使われることが多い。たとえば「花王のロゴマーク」「花王的ロゴマーク」という形であり、上掲句でいうなら「月夜的ロゴマーク」となるのが順当に思える。ところが、ここでは逆転している。そのため、じつは月夜の方がロゴマークであり、ロゴマークが月夜であるかのような倒錯性が生まれる。と同時に、ロゴマークと月夜の領域の水捌けがよくなった分、「水捌け」「ロゴマーク」「月夜」の各語がぜんぶ流れてゼロに帰する不思議な感覚がおとずれる。


え戦争俺のとなりで寝ているよ   赤野四羽

上掲句は電話を受けての台詞と捉えてみた。電話の相手は「戦争」の行方を探して、心当たりのある所に電話をかけまくっていたのだろう。緊急事態なのである。にもかかわらず、主人公は戦争に添い臥しながらあっけらかんと「え戦争」という。添い臥す相手とは、通常ならば子供、妻、恋人、愛人などが考えられるが、主人公と戦争との距離感・関係性がそのまま現代への批評につながっている。

野口あや子の第一歌集『くびすじの欠片』にこんな短歌がある。

  戦争よやあねいやあね水槽に金魚の餌をこぼせば匂う

「やあねいやあね」という口調は、戦争を〈他人事〉と思いたい主人公のあり方が提示されており、それが三句目以降の具体描写によって示唆的に補強されている。いかにも芝居がかっている。だが、70年間戦争がなく、貧困とはいえ飢え死にすることもなく、あらゆる価値の相対化が促進され平均化されようとしている現在、主人公を道化にすることでしか自らの立ち位置を、ひいては社会一般の状況を逆照射する方法はないのかも知れない。


第405号
小野あらた 喰積 10句 ≫読む
第406号
花尻万博 南紀 17句 ≫読む
第409号
なかはられいこ テーマなんてない 10句 ≫読む
  
兵頭全郎 ロゴマーク 10句 ≫読む
赤野四羽 螺子と少年 10句 ≫読む

【週俳・1月2月の俳句を読む】『南紀』を読む 江口ちかる

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【週俳・1月2月の俳句を読む】
『南紀』を読む

江口ちかる


和歌山在住の花尻万博さんはこれまでも「南紀」と題して句を発表しておられると聞いた。そのこと自体がまず興味深い。繰り返し同じテーマで書くこと。書きつくせないテーマがあること。贅沢だなと思う。

南紀と聞けば思い浮かぶのは、熊楠さん、水が豊かで、緑濃きところ。それはそこにはいないわたしの南紀だ。そこに根ざすひとにはどのような南紀が見えているのだろうか。

仏手柑に仏手柑触れて娘かな

「触れて」の瞬間の発見。だが「仏手柑」なのである。
いつかみた仏手柑はわすれがたい形状だった。床の間に活けられていた仏手柑は、既知の柑橘類の球体ではなくて、全体的な形は楕円で、先端が指のように分かれていた。異形の、あまたの指である。「仏手柑」の名の由来は仏の合掌のかたちだそうだが、表面は毛穴が目立ち、でこぼこしている。その仏手柑に娘の手指が触れる。もみじのようでもなく、白魚のようでもなく、仏手柑のような、娘の手指。すこやかで気取りのない手なのだろう。
だがやはりふしぎな印象が残る。メデューサと目があったひとが石に変わってしまうように、仏手柑に触れたところから娘の手が仏手柑に変わるさまが横切って、ひやりにやりとしてしまう。

海苔拾ふ光にはつか禁霊区

岩海苔摘みの景なのだろうか。拾いあげた海苔に、指に、腰をのばした視線のさきに光があり、禁霊区がちらりと姿をかいまみせるという。拾いあげた、まだかたちをとらない海苔に、光にあぶり出された神秘の地図がかかれているのか。
「禁霊区」という言葉の、句のなかでの意味が捉え難かった。
霊とは万物に宿る精気、はかりしれない不思議もの。それを禁じた空間が意識されるという。この句には、仮に「自由霊区」のような意味のほうがなじむように思われるのだが。「禁霊区」がある。転じて、ひかりふるところ、霊が存在しているということか。
いやいや、ここでは「禁霊区」という音が第一なのだろう。
「禁漁区」の「キンリョウク」の音から、「禁霊区」を取り出した作者の「得たり」の感触を想像してもみるのである。こういう作り方もされるのだと親しみを感じた句。

現世の玩具の二三狐と言ふ

一読したときは「玩具の二三」イコール「狐」と思った。狐という玩具があるのだよ、と。狐を玩具とする。愛玩し、ときに愛玩は狐にしてみれば被虐かもしれない、そういった毒が「玩具」という言葉を引き出しているのかと。
だがそうであれば「狐といふ」という表記ではないかとふと思った。
「狐と言ふ」と書かれているのであれば「玩具の二三を狐と言いあっている」と読めないだろうか。
狐と現世の玩具を言いあっているのは、現世のすぐ近くだけれど、現世ではない場所。狐と会話するなんてメルヘンチックだけれど、しんと孤独なたたづまいである。

蜜垂れる女の背中県境

垂れた蜜は三県境のことだろうか。奈良と三重と和歌山の三県の境に囲まれた和歌山県の飛び地。
では女の背中は、紀伊半島の南、和歌山と三重にわたる、まさに南紀をさしていることになり、おもしろいなぁと思う。
「蜜垂れる」は湿潤な空気だろうか。いのちをもたない県境がにわかに体温を感じさせる。県境に括られた土地の官能がある。海側でない県境のラインは脊椎の凸凹にみえてくる。
背中と半島。サイズが違うものに喩えているのがおもしろい。
わーーと蘇ったのは泉鏡花の『黒髪』である。夜の町をわたってくる声、哄笑。辻を過ぎる黒髪の大きな女。そして大火が起こる。新聞を広げると、町は主人公が目撃した女のかたちに燃えていた、という、怖い話。

寒禽の餌食例へは寂しかな

「寒禽の餌食」に例えられたものは何か、それはわからないけれど、花尻さんは例え、比喩に感覚のするどい方だと思う。
たとえば

乱数も焚火の一つ枯木灘

「焚火も乱数のひとつ」とすれば類想があるかもしれないが、位置をいれかえた「乱数も焚火のひとつ」は非凡である。乱数を焚火に喩える、非凡。
日常の会話では、比喩はイメージの受け渡しのためのツールである。効果的にイメージを伝えるもの。ひとは相手にも共有するイメージがあるという前提で比喩をつかう。だが実際は「野菊のような」ひとだと聞けば、ひとそれぞれの野菊があるきだす。比喩は誤解のうえにふわふわした共感を生む。野菊はまだイメージの幅がせまいだろうけれども。
つめたい冬の空気を切って飛翔する寒禽。「寒禽の餌食」という比喩は常套にかたむく。「えばみ」という音ではやわらかだが、「えじき」の字面は、ありふれたイメージを呼び起こす。だから「寂し」なのだろう。「仏手柑」も「県境」も、また「弛む磁場」の擬人法も、花尻さんの比喩は共有のイメージのうえに立つものではなく、むしろそれを避け、かといって意外性を第一にするものでもなく、典雅であるなぁ、と思うのである。

静けさに挿話集まる室の花

挿話とはエピソードだけれど、「挿」の字が室の花の挿された様子を連想させて、花がひとの話に耳を傾け、話が花になって活けられているさまが浮かぶ。これもまた変形の擬人法だろうか。

葉牡丹に収まる子ども略記号

この句が一番の謎であった。葉牡丹と子どもは近いなと思いはする。小学校1年生が朝礼台前に並んだところを俯瞰したら、葉牡丹の列みたいにみえると思う。「収まる」ってなんだろう。親指姫がチューリップのなかにすわっていたように、ちよみが恋人の南くんのポケットで暮らしたように、葉牡丹のなかに子どもが?大きさが逆転しているのがおもしろい。
でも「隠れる」ではなくて「収まる」だと他者のちからがはたらいているようで、こわい句かなと思ってもみたり。
そして「略記号」が最大の謎である。
ひょっとすると世界のどこかに「葉牡丹に収まる子ども」という未知の略記号が存在するのかもしれない。

鼬得て温もりゆけり鼬罠

句の主人公は「鼬罠」。着眼がおもしろく、また、読んでほっこりしたことであった。


第405号
小野あらた 喰積 10句 ≫読む
第406号
花尻万博 南紀 17句 ≫読む
第409号
なかはられいこ テーマなんてない 10句 ≫読む
  
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赤野四羽 螺子と少年 10句 ≫読む
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