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俳句の自然 子芏ぞの遡行33 橋本盎

俳句の自然 子芏ぞの遡行33

橋本 目
初出『若竹』2013幎10月号
 ïŒˆäž€éƒšæ”¹å€‰ãŒã‚る

≫承前 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32


なぜ、子芏は芭蕉句の䞭で「雄壮」を善ずしたのであろう。今日から芋れば、䞀般に芭蕉句にそのような印象はあたりないのではないかず思う。もっず蚀えば、たずえ子芏の䞻匵通り『䞇葉集』などの叀代の日本の文孊においお「雄壮」な歌があるにせよ、そもそも俳句䜜品を「雄壮」ずいう抂念をもっお高く評䟡するずいうこずは、その埌の歎史をみおも、子芏以倖にはほずんどみられないのではないだろうか。

ここで芖点を少し俯瞰しおいうず、そもそも、子芏は䜕故にここたで芭蕉を批刀する資栌をも぀のだろう。資栌ずいう物蚀い方が䞍適圓なら、それを可胜にするもの、読者に聞く耳をもたせるこずができた理由、ず蚀い換えおも良い。そしお、ここで蚀う子芏は、珟圚の䞀応俳句史䞊で評䟡の定たった子芏ではなく、「芭蕉雑談」を曞いおいる明治二十幎代末の、たったく䞖評定たらぬ人物ずしおのそれである。

ひず぀には、これは西掋からもたらされた近代知によっお前近代党般を批刀的に超克しようずいう明治の必然的な歎史の流れの䞭の出来事であるこず。それは垞に西掋䞀蟺倒の流れではなく、子芏や挱石が十代の頃には鹿鳎通的な掋化の揺れ戻しが起こっお䞀方で挢籍を孊ぶこずがブヌムになったりもするのであるが、垝囜倧孊ずいう囜家繁栄のための西掋近代知を孊ぶ最高孊府で人文科孊を孊んでいた者ずしおの子芏は、近代知をもたぬきちんず孊問をしおいない者ず決定的に違う読者をも぀資栌を埗おいたはずである。それは、工業技術的に銬や垆船に察する内燃機関のような差の姿で珟れるものではなく、同じ文化を共有した者ずそうでない者の間によこたわる差異ずしお珟象するように思われる。喩えおいうなら、たずえじゃんけんのような簡単なものであっおも、原則ずしおゲヌムはそのルヌルを共有しおいないものの参加はゆるされないこずに䌌おいる。

子芏はいわば「俳句」ずいう新しいゲヌムのルヌルを策定しようず詊みおいるわけで、それは旧掟宗匠の俳諧ずはルヌルが異なるはずである。そしお、近代知を共有する人々、すなわち近代瀟䌚で知識人ずしお掻躍する人々はどちらのゲヌムを楜しむほうを遞ぶのかずいえば、勝敗は自ずず決しおいたずいうこずができるであろう。その意味では子芏はたぎれもなく前近代ずしおの宗匠俳諧を切り捚おた近代の人である。その子芏が、叀兞䜜家ずしおの芭蕉の䜳句ずしお「雄壮」をあげるずいうこずは、どういうこずなのであろうか。䞀぀の考える補助線ずしお、『俳諧倧芁』䞭の蚘事がある。「雑無季の句」に぀いお述べた郚分である。

雑の句は四季の聯想無きを以お其意味淺薄にしお吟誊に堪ぞざる者倚し只雄壯高倧なる者に至りおは必ずしも四季の變化を埅たず故に間々歀皮の雑の句を芋る叀䟆䜜る所の雑の句極めお少きが䞭に過半は富士を詠じたる者なり而しお其吟誊すべき者亊富士の句なり。
『俳諧倧芁』「第四 俳句ず子芏」初出明治二八幎

たずめるず、雑の句は䞭味がなく぀たらないものが倚いが、「雄壮広倧」なものは䟋倖で、だから富士山がよく詠たれ、叀句を芋おも読むに耐えるものは富士の句だずいうのである。たしかに、日本䞀高い山である富士はむメヌゞしやすい。

ここで子芏の「雄壮」を芖芚に絞っおみたずしたならば、「倏草や―」句は県前にある景色は文字通り草野原でしかない。『奥の现道』の文章がなければ平泉の高通からの颚景だずいう情報も埗られない。目に芋えぬ「兵どもの倢の跡」ずいう衚珟に倧きな歎史時間的広がりを芋るこずで「雄壮」になるのである。ただし、もちろんこれらの蚀葉にパ゜コンのメモリヌのような蚘憶装眮機胜をもっおいる蚳ではない。ではその広がりはどこからやっおくるのか。䞀方『俳諧倧芁』で子芏が蚀う富士の「雄壮」に歎史時間的な広がりをみるこずは難しいだろう。

぀たり、この「雄壮」ずいう抂念には時間空間ずもに含たれるずずもに、それぞれ個別に想定されおもいる。

俳句は短い蚀葉で䞖界を衚珟しようずするから、ほずんどの堎合、郚分で党䜓をいうこずになるだろう。ずいうこずは、そこで郚分から党䜓を把握する文法が共有されおいなければならない。ずいうより、むしろ積極的に郚分であるこずによっお、党䜓像を想起させる文法構造が内圚するずいったほうがよいだろうか。そしおその䞊で、実態ずしおはみえない党䜓像を芋たり聞いたりした気になっおいるだけかもしれない。実はそのこずは、俳句に限ったこずではない。
絵画にしおも、圫刻にしおも、察象の持぀次元を垞にいく぀か切り萜ずす。絵画においおは䜓積を、圫刻においおも色、匂い、觊感を、さらに䞡者においお時間の次元を、具象䜜品は、その党䜓が察象のある䞀瞬にずらえられたものだからレノィ=ストロヌス『野生の思考』
子芏が俳句においお「雄壮」ず呌ぶものの正䜓は、実際には人類には困難なこずである、衚珟察象の時空を限りなく拡匵しお党おを神の目線から眺めたわすず同時にコレクションしたいずいう、男性的な所有ぞの欲望が生み出した文法構造の倉容した衚珟の姿なのかも知れない。それは喩えお蚀うなら、䞖界を蚀葉ずいう郚品に眮き換え、瞮尺暡型ずしお組み立お盎すずいうこずではないか。そしお、そのようなこずを志向するこずは、ずおも近代的な欲動ではないだろうか。









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スカヌトの䞭の青空 内村恭子句集『女神』を読む 束本おふこ

スカヌトの䞭の青空
内村恭子句集『女神』を読む

束本おふこ


ふらここにフラゎナヌルの青き空

小孊生の頃、䞖界䞭の矎術通を100巻シリヌズか䜕かで玹介する1冊500円のグラフ誌に凝っおいたこずがあっお、フラゎナヌルの「ぶらんこ」もその時に知った。

ぶらんこに乗った女性の、颚に飛ばされそうな垜子、スカヌトの襞ずペチコヌトの癜さ。

朚陰に隠れお自分のスカヌトをのぞこうずする貎公子を蹎り䞊げるような䜓勢でぶらんこを挕ぐ圌女には、こちらに飛び出しおきそうな鮮やかさがあった。小孊生だった頃は「こんな、男がスカヌトの䞭をのぞいおるだけの絵がかしこたっお矎術通に食られおるなんお、倉なの」ず思ったものだ。

圓時はよく分かっおいなかったけれど、今芋るず画面の巊右に貎公子ずぶらんこをあや぀る埓者ずをくすんだ色合いで配眮し、䞭心にぶらんこに乗る女性を光いっぱいの色合いで描いおおり、俗っぜい題材が冷培な色味の遞択ず構図で捉えられおいる絵なのだず分かる。


内村恭子の句集『女神』には、掲句のように自然なかたちで、西掋矎術史を圩る画家だったり文孊者の名が出おくる。ワトヌが描いた霧が日本の秋ず぀ながり、オキヌフの描いた骚の癜さが倏を呌ぶ。ブラッドベリの死が遠い銀河の茝きを濃くし、春の宵をしみじみず感じながら、ランボヌず酌み亀わしたくなる。䜜者が西掋の絵画や文孊に芪しんできたからこそ、友達を呌び寄せるような気軜さで定型の䞭に固有名詞を詠み蟌むのだろう。

掲句のふわりずした頭韻、攟り投げられた女性の脚のような䞋五。

この句のぶらんこに人は乗っおいるだろうか。誰も乗っおいなくお、ただ人を乗せるべき堎所に青い空が芋えおいるのだろうか。誰かが乗っおいお、青い空を眺めおいるのだろうか。さっきたで乗っおいたけれど降りおしたっお、青空の䞋で乗り手を倱ったたた揺れおいるのだろうか。どれでも面癜い。どの青空も少しず぀衚情が違っおいそうだ。

どの読みを採るにせよ、掲句を読むたびに䞭囜の叀俗から生たれた「ふらここ」ずいう季語がロココ絵画ず出䌚ったこずにより、21䞖玀のきっず䜕お事の無い公園のぶらんこが持぀無限の可胜性を描きうるこずになった䞍思議さをしみじみず感じ、楜しくなっおしたう。


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「俳句近くお遠い詩型」ずいう珟代歌人集䌚のシンポゞりムに行っおきたした 西原倩気

「俳句近くお遠い詩型」ずいう
珟代歌人集䌚のシンポゞりムに行っおきたした

西原倩気



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倖囜人による日本人論は売れる、ずいう時代が長く続きたした。叀兞的なずころでルヌス・ベネディクト『菊ず刀』、李埡寧『「瞮み」志向の日本人』、『日本人ずナダダ人』は実際はどうあれむザダ・ベンダサンの名矩でした。自分たち日本人は倖倖囜人からどのように芋られおいるのか。なんだか貧乏臭い自我意識ですが、俳句愛奜者たる私もたた、短歌むベントに「俳句」の2文字があったからこそ、遠く神戞たで出かけたのです。

ずいうわけで、珟代歌人集䌚春季倧䌚「俳句近くお遠い詩型」2014幎7月19日に行っおきたした。

ムダにたどろっこしい前眮き、ご容赊。぀たり、俳句ずいうもの、歌人さんたちの目にはどのように映っおいるのだろうずいう興味関心です。神戞は、たあ、知人に䌚うずいう甚事を絡たせるので、わざわざこれだけに、ずいうわけではないのですが、朝9時50分のぞみ105号で䌚堎には13:00ギリギリか、少し遅れお到着でした3時間䜙りの小旅行。

なお、7月に春季 ずいうずころは、こだわるずころではないようです。次回は秋季ですが、ずいぶん寒くなっおからのようですし。鷹揚。いいですね。

●

さお、むベントは次の3぀から成りたす。

1基調講挔 倧蟻隆匘珟代歌人集䌚理事長 正岡子芏における俳句ず短歌

2講挔 高橋睊郎

3パネルディスカッション 塩芋恵介、倧森静䜳、荻原裕幞、魚村晋倪郎進行

ひず぀ず぀、レポヌト、ずいうより簡単な感想を。

1

倧蟻隆匘講挔は、正岡子芏の短歌改革ず俳句改革をコンパクトに解説。ひじょうにわかりやすかった。

短歌改革の芁点はレゞメより、
1 透明な文䜓の確立
2 過剰な助蟞助詞・助動詞の排陀→名詞の重芖
3 名詞の映像喚起力
4 「芖点」の䜍眮・䜜者の立ち䜍眮

補足するず「1」は、「ですたす」「だ」など察人関係を瀺す文䜓を避ける。結果、「なり」の語尟を掚奚。

俳句改革は、短歌改革の骚子をほがそのたたあおはめたもので、そのうえで、短歌の俳句ずの違いは、「時間を含みたる趣向」「䞻芳を自圚に詠みこなし埗る事」。

以䞊、珟圚の俳句、そしお私の想像するずころの短歌においおも、ほずんど叀びるこずなく通甚する「総論」でありたしお、ほんずうにもう、「子芏、あんたすげぇよ」なわけです。

以䞊のようなこずは、勉匷をされおいる俳人諞氏にはすでに垞識かもしれたせんが、誰もが「勉匷」しおいるわけではないので私も恥ずかしながら、そう、ずおもタメになりたした。

ずいうか、倧蟻講挔は、語り口、たずめ方レゞメを含め、匕甚の量など、いずれをずっおもよろしきあんばいでした。

2

高橋睊郎講挔は、「うた」ずいう広い芖野・脈絡から短歌ず俳句をずらえたもの。

ごくごく短くかい぀たむず私の蚘憶の範囲で短く蚀うず 

日本文孊史の䞭心には「うた」があり、「うた」ずは神ぞの恋である。そこには、自然ぞの恋、人ぞの恋の2぀がある。䞀方、か぀おの歌集の郚立おずしお「雑歌」「盞聞」「挜歌」を挙げ、雑歌の系統に「季の歌」があり、それが連歌ずなり発句が俳諧ずなり、さらに俳句ずなる。

こうした歎史的に長倧なスパンの話を、巧劙に゚ピ゜ヌドなども亀え぀぀、なので、聎衆を飜きさせたせん。

忌日季題に端的な「死者文芞」ずしおの俳句、䞀方、本歌取りの䌝統を倱った短歌ずいったあたり、あるいは倚岐にわたる話題は、この講挔だけではコトバ足らずの感もあるが、そこは高橋氏の著曞ほかに圓たれ、ずいうこずでしょう。

さお、倧きな歎史の䞭に、いたの俳句を捉えるずいうこずは、䟋えば、次のようなこずです。

「俳句は、自分ひずりが曞くのではない。倚くの死者の手䌝統がいっしょになっお、自分に曞かせおいる」。高橋氏が語る、そうした䜜句䞊の経隓的実感のようなものは、少なからぬ俳人が銖肯するずころだず思いたすが、高橋氏の俳句をある皋床たくさん読んだ者の耳には私は『癟枕』等を愛読、さらなる玍埗感をもっお響きたす。

このあたりは、かなり深くおややこしい展開も可胜だろうけれど、講挔は足取り軜く、次の話題ぞず向かったので、ここでもあっさりず終わっおおきたす。

ずころで、この講挔のバラ゚ティ豊かな話題のなかで、私がある皮「啓瀺」のように受け取ったのは「新䜓詩」の䞀語でした。

講挔の䞻流に䜍眮づけられた語ではない。たた新しい知芋でもない。明治史に出おくる、あの「新䜓詩」。

考えおみればず、私は講挔の流れからすこし離れお考えおみたわけです、西欧の「詩」が圓時翻蚳されお、日本の「うた」の歎史に流れ蟌んだ。以降、この「詩」のノリこの手の抒情がかなりの存圚感をもっお、私たちに芆いかぶさり続けた。

ここでちょっず飛躍したすが、あずで觊れるパネルディスカッションにおいお、歌人が挙げた俳句䜜品のラむンナップは、「詩的な俳句」〔*1〕が倚いずいうのが私の感想でした。ポ゚ティック、ポ゚ミヌ、どちらでもいいのですが、぀たり、「新䜓詩以降の流れ」の色濃い俳句〔*2〕を、歌人は奜む傟向があるのかもしれない。おがろげながら、そんな印象をもちたした。

短歌はたったく䞍案内ですが、塚本邊雄以降、さらには昚今の「口語化」このぞん間違っおいたら叱っおくださいネを芋るず、「新䜓詩以降の流れ」が䜜り䞊げたノリ・心性の色濃さを、匷く思っおしたいたす。

䜕を蚀うのだ 西欧化〔*3〕は、いたの私たちが掋服を着おいるようなもので、いたさらのように扱うこずはバカげおいる、ずいった声もありたしょう。

けれども、「生たれたずきから、そうだったもん」ずは蚀わず、぀たり、所䞎のものずしお片付けるこずをせず、ちょっず掗い盎す䜜業があっおもいいのではないか、ず思ったのですよ。「新䜓詩」ずいう3文字から。

もっずも、高橋講挔にずっおは、「そんなずころに匕っかかられおもなあ」ずいったこずなのですが、たあ、そんなこずも考えたわけです。

぀いでに蚀えば、新䜓詩以降の「抒情」に、短歌は、俳句ほど疑いを持っおいない〔*4〕、ずいうのが、私のむメヌゞです。あくたでむメヌゞ。

3

モノにアプロヌチするずき、2぀の方法があっお、1぀は、切り口なり掚論から出発しお具䜓短歌・俳句䜜品ぞず觊れる挔繹ずいっおいいかもしれたせん、1぀は䜜品から出発する垰玍。

塩芋恵介氏俳人ず歌人3氏、倧森静䜳、荻原裕幞、魚村晋倪郎によるパネルディスカッションは、埌者を遞び、各自が「䜜品」挙げ、それに぀いお語るこずにこだわったものでした。そこから䜕らかの䞀般則や「最近の朮流」が芋えれば、ずいう目論芋もあったかもしれたせんが、そこたでは行かなかった感。しかしながら、茫掋ずした䞀般論総論で、空䞭戊が展開されるよりも、䜜品を目の前にしおの話のほうが、聎衆に芪切、ずいうずころがありたすから、これはこれでいいず思いたした。

パネラヌが俳句ず短歌を1぀ず぀䜜っお兌題「神」「戞」持ち寄るずいう趣向もありたした。そこでひず぀。魚村晋倪郎氏の俳句《虹きえお戞棚の奥の正露䞞》に぀いおの蚎議。《虹きえお》ずいう郚分に話題が及んだずきです。

あっ、ここで、子芏でしょう。倧蟻講挔にあった〔4 「芖点」の䜍眮・䜜者の立ち䜍眮〕ぞず話題を展開すればいいのに。「䜜者はいったいどこにいるんでしょう」ずいう 〔*5〕。

こう、心の䞭で手を䞊げお発蚀したのは、私だけでないでしょう。

これは「虹きえお」の取り合わせが良いずか悪いずかずいった問題ではなく。たた「䜜者」は悊ばしくどこにもいないずいう把握も含めお

パネルは、その方向には向かいたせんでしたが、聎いおいる私たちは、3぀の挔し物を䞲刺しにしお、あるいは立䜓的にこの日のシンポゞりムを味わえたした。こういうこずもたた、3぀の別の講挔を通しお聎く愉しみですね。

あ、そうそう。塩芋氏が「気になる俳句次䞖代型」ずしお挙げた《「この雪は俺が降らせた」「田䞭すげぇ」 吉田愛》がパネルでの泚目床が高かったこずも報告しおおくべきでしょう〔*6〕。

珟実䞖界から採取匕甚しおそのたた句になるパタヌンは叀くからありたすが、この堎合、発語に「雪」ずいう季語が含たれおいる点が面癜く、いわゆる手柄でしょう。カギ括匧はどうにか凊理しおほしいずころです。そこたでおいねいに「採取したんですよ」ず蚀わなくおもいい気はしたす。

短歌なら、このあず䜜者が䞃䞃を加えるが、俳句はそのたたでもオヌケヌなんですね、ずいう指摘もあったように蚘憶しおいたすこの䞃䞃で䜜家性や胜力が問われるのかもしれたせん。

その意味では、俳句は、ずいぶんズボラで、いいかげんです〔*7〕。ひょいず぀たんでそのたたでいいのですから。

メむンディッシュじゃなくおいい。玠材を掻かした「向付」でも䞀句になる。それが俳句ずいったずころでしょうか。

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このシンポゞりム、ちょっず遠いので迷ったのですが、出かけおよかったです。いろいろな方の話が聎けたのもよかったし、その埌、いろいろな方にご挚拶が叶ったのもよかった。

ここには曞きたせんでしたが、その倜、たたその次の日、俳人さん、柳人さんず䞀緒の時間を過ごせたのもよかった。フォヌマルな話、そうじゃない話、どちらにも劙味がありたす。

〔了〕


〔参考〕
■歌人の正岡豊さん @haikuzara が「歌人集䌚」を振り返る
≫http://togetter.com/li/696933

■荻原裕幞さん@ogiharahiroyukiパネラヌず曟呂利さん@sorori6が「歌人集䌚」を振り返る
≫http://togetter.com/li/697936


〔*1〕ポ゚ティックな俳句䜜品ずは、䟋えば《あぢさゐはすべお残像ではないか 山口優倢》。レゞメの2箇所に挙がっおいた。

この句、俳句方面でも泚目床や評䟡が高いようだ。私の印象は「䞊等なポ゚ムポ゚ミヌ」。䞊等は䞊等だろうけれど、ポ゚ムはポ゚ム。この䜜者・山口優倢の他の句に、私の奜きな句が倚い。

〔*2〕この件は、玠材の話ではなく、心性、抒情、感興の「質」であるこずは、念を抌しおおきたい。「新䜓詩」以来の抒情ず察極にあるのが、䟋えば「電気もガスもない暮らしか」ず思えるような䌝統的玠材に満ちた䜜颚、ずいうこずではたったくない。

〔*3〕西欧化に関しお、「子芏の俳句」がこの時期の西欧化西欧事物の怒激的流入ず密接に関連したこずは、秋尟敏『子芏の近代―滑皜・メディア・日本語』1999幎・新曜瀟に、たた橋本盎「俳句の自然 子芏ぞの遡行」にあるずおり。

〔*4〕俳句の内郚でも、抒情をめぐっおは亀裂がある。いわば「詩」的な俳句ず「俳」的な俳句が察照的に存圚する。ただし、俳人が二分されるわけではない。1冊の句集のなかに「詩」ず「俳」の2成分が混圚するケヌスのほうが、むしろ倚いだろう。

〔*5〕掲句は、行為者が出おこない句なので、芖点や立ち䜍眮の耇数化・遍圚はあたり気にならないが、このずころ、行為者がどこにいるのかわからない取り合わせもよく目にする気がする。季語が「かなり自由に」扱われる、あるいはムヌドで䜿甚される傟向がめだ぀。繰り返すが、良い悪いの話ではない。

同時に、リアル・アンリアルずも無関係。抜斗に囜旗がたなびいおもいいし、火星に桜が散っおもいい。芖点の問題。「芖点」ずは䜜者のものであるず同時に、読者ぞの「芋させ方」でもある。写生にもファンタゞヌにも、芋させ方、倢芋させ方がある。

〔*6〕この句に぀いお、私個人の感想は、「おもしろい」。けれども、奜きかず問われれば、「ノヌ」。パッず芋おおもしろがれる句が、その倜、たた思い出しお奜きず思う句、愛せる句ずは限らない、ずいったずころです。

䜙談ですが、酒垭で、《「この雪は俺が降らせた」「角川春暹すげぇ」》ずいったパロディが出おきそう。パロディが生たれやすいのは、残っおいく句の条件のひず぀。

〔*7〕これはもちろんのこず、俳句の矎点。


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レゞメの充実が、シンポゞりムの誠実さを物語る。


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【週刊俳句時評88】 結瀟のこれからetc. 2  未来図鷹柀玉藻」4冊の蚘念号から 䞊田信治

【週刊俳句時評88】
結瀟のこれからetc.2 
未来図鷹柀玉藻」4冊の蚘念号から

䞊田信治


≫

前回に぀づいお、この倏に出た4冊の蚘念号の話題。


2.

1930幎創刊の「玉藻」は、今幎7月号で通巻1000号ずなり、あわせお、星野怿から星野高士に䞻宰が亀替したした。

300Pを超える分厚いこの号は、ずうぜん、立子、怿、高士の䞉代の人ず䜜品に぀いおを䞭心に線集されおいるわけですが、ずりわけ印象的だったのが、筑玫磐井による星野高士䜜品論でした星野立子䜜品鑑賞は埌藀比奈倫、星野怿䜜品論は神野玗垌がそれぞれ担圓。

「超越する文孊 ── はじめおの星野高士論」ず題されたそれは「このごろ気になっおならないこずがある。我々は団塊の䞖代を含む戊埌䞖代ずいわれおいるのだが、お互いが䜜家論を曞き合うずいうこずが、極めお少ないのだ」ずはじたりたす。

「長谷川櫂や小柀寊の同䞖代の䜜家論で膝を打぀ようなものはあたり読んだ蚘憶がない」戊埌掟䜜家が、お互い蟛ら぀な批刀をしながら支え合っおきたのず察照的に「戊埌生たれ䜜家は批刀も共感もしおいないように思えおしたう」のだ、ず。

それは戊埌掟䜜家金子兜倪、飯田韍倪、髙柳重信、森柄雄、䞉橋敏雄、胜村登四郎 etc.etc.たちが、「俳句史」を戊埌五十幎にわたっお占有しおいたずいうこずであり、それを蚱したのは、兜倪や韍倪に銖ったけでありすぎた戊埌生たれの筑玫たちではないのか。

小川軜舟による、いわゆる「昭和䞉十幎䞖代」論は、団塊䞖代をたたぎこしお、自分たちが「俳句史」を継承しようずいう詊みでしょうし、長谷川櫂論や岞本尚毅論なら、犏田若之や生駒倧祐のような、昭和がもずもず歎史でしかないような最も若い䞖代による成果が珟れおいたす。小柀寊論は、たず、われわれが小柀による藀田湘子論を手にしおからなのかもしれたせん。

このたたでは、珟圚60代70代の䜜家が䞞ごず俳句史的に埋没しおしたうかもしれないわけで、「Blog俳句空間」に「沖」の青春矀像を曞き継いでいるこずも含め、筑玫には、自身の同時代を俳句史に纂入するずいうモチヌフがあるのでしょう。

●

「玉藻」蚘念号に戻りたしょう。

星野高士昭和27幎生自身の「難しい技巧を凝らしたり、難しい蚀葉や時を䜿ったりする句だけが、いい句だずは限らない」ずいう蚀牧矊瀟刊・第䞀句集『砎魔矢』あずがきを匕甚し、筑玫は、星野が「難しい句を簡単に曞く」ずいう「難しい道」を遞んでいるのだず述べたす。

倖を芋お句を䜜る郚屋暖かし  『砎魔矢』
萜葉掃くその又埌を人が行く
冬の日の今日又匷く差しこめり
        スラッシュは、筑玫による

筑玫は、これらの句が、六文節から䞃文節で構成されおいるこず、星野の句が倚くの珟代䜜家にくらべ、構文が耇雑で、倚くの内容が盛り蟌たれ、音埋構成の自由床が高いこずを指摘したす。

北颚に普段より歩を早めをり
爜やかに流れるやうに事運び
぀たらない話続けど初笑ひ

「普段より」「流れるやうに」「぀たらない」ずいった、間延びしたような長音節の埌も、短音節を駆䜿するこずによっお匕き締めるこずが可胜であり、だから高士句は、平易な蚀葉を䜿いながら、衚珟が緊密であり、音調が敎っおいるのであるず蚀うのです。

句䞭の語の運甚、構成だけに泚目し䜜家の特質を語りきるずころは、『飯田韍倪の圌方ぞ』においお、成田蒌虬ずの句末の語圙の共通から、韍倪句の「月䞊」性を抉り出した手際そのたたのあざやかさ。たさに「芋物」です。

筑玫は、高士俳句が「句集が出るたびに 新しい䞖界が登堎するわけではない」ず曞き、それは「倱瀌なこずを蚀っおいるよう」だけれど、近代的文孊芳に異を唱える存圚である「ホトトギス文孊」の、嫡流ずしお圓然のこずだず述べたす。

その結論自䜓に特に異議はありたせん。それは、぀たり「芞」ずしおの俳句ずいうか、俳句は「芞」であるずいうこずでしょう。

ただ、その堎合「ホトトギス文孊」が「カルチャヌスクヌル俳句」ぞず䜎萜するこずの歯止めはどこから埗られるのか、ず、そこが自分には気になりたす。

ホトトギスを含む近代俳句の根拠には、俳句が「芞」であり぀぀「文孊」だずいうこずがある。それは、『俳コレ』の束本おふこ論においお、筑玫自身が語るこずでもありたす。俳句を高濱家の「お家芞」ずした虚子だっお、青幎期には文孊を「男子䞀生の事業」ずする時代の子の䞀人だったわけですから。

星野高士の俳句には䜜家本人の「宗匠」ぶりの印象に反しお「俗情におもねる」こず、「自分で気持ちよくなっおしたう」こずが、極めお少ない。その枅朔さには、同時代の他の䜜家が「ちょっず恥じ入っおもいいんじゃないか」ず思われるほどの、匷さがありたす。

そしお筑玫も指摘する星野の郜䌚性には、なんおいうんでしょう、近代文孊のマむナヌ䜜家による「非人情」な゚ッセむの系譜近幎人気の小沌䞹ずか吉田健䞀ずかに、䜍眮づけおみたくなるようなずころがある。

高士俳句の「文孊」性に぀いおも、忘れないでほしいず思うわけです。

二の酉の倜空に星の混んでをり 『残響』
倧瑠璃やけふの玄束なにもなし
人参の皮の方だけ吟を芋る 
冷蔵庫の音か倜明けの来る音か

ずころで、「玉藻」を創刊した星野立子は、もっぱら「倩性の玠質」「玠盎」「単玔」「倩真爛挫」「明るさ」「広やかさ」ず蚀った蚀葉で語られたす。それは芁するに「倩然」性ずも「倩才」性ずも呌べる、䜜家の持ち分のようなものです。

俳句には、愛すべき「倩然」の「倩才」を理想像ずする粟神の系譜がありたす。

蕉颚の生真面目さやその反動ずしおの颚狂、あるいは宗匠俳諧からも生たれそうにないその粟神は、虚子がその才を愛した「倩然」性の匷い䜜家たち、玠十、杞陜、爜波ら、そしおなにより立子によっお、定立されたものかもしれない。

高士句は、䞀芋するずころの無内容さをもっお、圌ら譲りの「倩然」性「倩才」性を志向するかに芋えたす。

しかし䞀方で、かんたんに立子・怿のようにはあるいは杞陜・爜波のようには「可愛く」なれない、そういった屈蚗あるいは屈折のようなものを滲たせる。䞊に匕いた句それぞれに、それは感じられたす。

その屈蚗のゆくえを、芋守りたいず思いたす。

3.

「鷹」の五十呚幎蚘念号は、その別冊「鷹幎譜 鷹の癟人」によっお、蚘憶されるでしょう。

藀田湘子、飯島晎子にはじたっお、髙柳克匘、南十二囜、そしお珟䞻宰の小川軜舟で終わる、「鷹」癟人の人名録は、それぞれ15句の代衚句ず、略歎・人物評・䞀句鑑賞をもっおなる懇切なものです。

䞀人䞀人に「質盎なる抒情家」「笑意の人」「圗星の劂く珟れ、去る」ずいった、キャッチフレヌズが぀いおいるこずも面癜い。

なにより、「鷹」ず道を分かった倚くの俳人がそこに含たれおいお、読み応えがあり、いろいろなこずを考えさせられたすちなみに「圗星の劂く珟れ、去る」は、蟻桃子に冠せられたフレヌズ。

倉橋矊村、高山秊倕矎、鳥海むねき、しょうり倧、宮坂静生、平井照敏、仁藀さくら、四ッ谷韍、冬野虹、蟻桃子、小林貎子、菅原鬚也、䞭西倕玀etc. 

それらの人の名がここにあり、圌らに呌びかけるようにその䜜品や人柄が懐かしく語られるこず。そこには、あたりにも繰り返し語られた「恩讐」の物語から自由になろうずする、結瀟のあるいは小川䞻宰の匷い意志が感じられたす。

もちろん、小柀寊の名もそこにあるわけですから。

先日、ある人が、小川の第䞉句集『呌鈎』のあずがきに、小柀の「呌鈎」の句が匕甚されおいるこずに、匷い印象を受けたず蚀っおいたした。その人は、BL読みも蟞さずの人であり、たいぞん興奮されおいたした

この冊子で、結瀟倖では必ずしも知られおいない倚くの䜜家の句に觊れられたこずも、うれしかったです。

春の山山を忘れお遊びをり 䌊東四郎
豆の芜の豆か぀ぎゐるこそをかし 吉沌等倖
鳥雲に無垢の電柱ありにけり 䌊沢惠

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そういえば、今月関連曞籍ずしお『季語別鷹俳句集』『藀田湘子の癟句』『飯島晎子の癟句』の䞉冊が出おいたすいずれも、ふらんす堂刊。

『藀田湘子の癟句』は、小川軜舟による、䞀句あたり240文字の繊现で正確な鑑賞文が読たせたす。䞀句ずしお、季語の解説や思い出話でお茶を濁しおいない。同じふらんす堂から出た同著者の自句自解本より力が入っおいるず蚀えるくらい

〈真青な䞭より実梅萜ちにけり〉に぀いお。

どの実が萜ちるずわかっお萜ちるわけではない。萜ちお初めお萜ちたこずに気づく。「真青な䞭より」は実梅が萜ちる盎前の無意識の状態を感じさせるのだ。

この「萜ちる盎前の無意識の状態」には「やられ」たした。

湘子句に぀いおは、珟代詩、前衛俳句の圱響が濃い前期ず亡くなる盎前が磐井さんの甚語を借りれば音埋構成が自由で、たいぞん面癜いこずを再確認したした。

珟「鷹」の、ずりわけ若い䞖代の䜜品からは、むしろ湘子が入門曞で展開したメ゜ッドの圱響が匷いずいう印象を受けたす。

●

「鷹」蚘念号・座談䌚「次代ぞ受け継ぐ短詩圢」宇倚喜代子・氞田和宏・小川軜舟・叞䌚 髙柳克匘のラスト近く。

髙柳 私は、自分ずいうものにただ関心が持おないんです。それが私個人のこずなのかこの䞖代に共通した䜕かなのかはわからないんですけれど、ただ挔じたいずいうか、自分ずは違う䞻䜓を䜜品の䞭に出したい。自分はあくたでプロデュヌサヌ的に埌ろにいる存圚でありたい。自分の䞭にある本圓の思いをあらわすのに及び腰になっおいるのかもしれないけれど、それを間接的に䜜品䞖界䞭の挔者に出しおもらえたらず考えおいたす。

この髙柳の発蚀は、たず宇倚喜代子が「今の自分が自分、虚食のない今の自分が出ればよろしい」ず蚀い、氞田和宏が「自分の時間に忠実に䜜りたいずいうのは、このごろ思いたす」ず蚀い、小川軜舟が「俳句を通しお自分を眺めおみたい」ず蚀ったあず、氞田に「あなた蚀わなきゃ、いちばん若いの」ず、うながされおの䞊でのもので、堎の流れを読んでの発蚀ずいうこずを汲むべき同情すべきかもしれたせんが、それにしおも、髙柳さんちょっず䞍甚意ずいうか、䞭二っぜい、面映ゆいこずを蚀わされおしたっおいたす。

「柀」7月号での察談で、筆者䞊田は、髙柳ほか数人の䜜品を指しお「キャラ」俳句ずいうようなこずを蚀いたしたその通りの語は䜿っおいたせんが。それを裏づけるような発蚀だったので、我が意を埗たりで面癜かったです。

に぀づく。

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10句䜜品テクスト 荒川倉庫 豚の倏

荒川倉庫 豚の倏

逢ふための郜ぞず豚倏始

仕組みなど豚は知らぬが浮いお来い

このくらゐに豚がしおおく西瓜割り

倏の枚それから豚は倧倉だ぀た

いづこより豚来お倜釣しおをるか

蟻地獄飛ぶやうにしお豚たたぐ

蠅叩豚があ぀かひかねおゐる

端居しお結果など豚知぀おはゐるが

草刈の豚はけふから死者の庭

この䞖明るし豚はプヌルぞ投げ出され
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10句䜜品テクスト 犏田若之 小岱シオンの限りない増殖

犏田若之 小岱シオンの限りない増殖


「もしわたしが䞉人いたら、ひずりを仲間はずれにするだろうなっお思う。四人でも」

倏の倢の先客がみな小岱シオン

「嘘なんお぀いおないし、ただ、意味のあるこずを蚀っおるだけ」

小岱シオンの衚面䞊の倏の雚

「このあいだ知り合った人から、今䜕しおる っおメヌル来お、めんどくさかったから、现胞分裂、っお返したら、なんか話が続いちゃっお」

鏡にぶ぀かる小岱シオンず玉虫ず

「本がメディアだっおみんな蚀うけど、むしろこの䞖界のほうが、私ず本ず぀なぐ媒䜓なんじゃないかず思うんだけど」

蜘蛛を湿らす小岱シオンの青い舌

「、たあ。䞖界ずかなんずかっおだいぶ寒いけど」

小岱シオンの比重で暑い死海に浮く

「God-zillaっおいうけど、ゎゞラはい぀から神様なわけ」

ゎゞラ脱がせば日焌けの小岱シオンぷはあ

「ぷはあ。『友人たちずビヌルを飲む行為は芞術の最高圢態である』。意味分かるでしょ」

はじたりの小岱シオンの土偶に蚊

「だから嘘なんお぀いおないしただ意味のあるこず蚀っおるだけだっお」

小岱シオンは蜢かれ飛ばされ蝉鳎く䞭

その人は  なんずいうか、あらゆる物語の背景にいそうな人で、僕には、トロむにも、ナルニア囜にも、りクバヌルにも、ボヌドレヌルのパリや犏氞耕二の新宿にも、曞かれおいないだけで、本圓は圌女がいるように思えおならない。僕は実際、䞀九䞖玀に撮られたロンドンの颚景写真に圌女を芋぀けたこずがある。

日々を或る小岱シオンの忌ず思う

「はじめたしお、小岱シオンです」

たた別の小岱シオンの別の倏
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10句䜜品 犏田若之 小岱シオンの限りない増殖

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週刊俳句 第379号 2014-7-27
犏田若之 小岱シオンの限りない増殖
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10句䜜品 荒川倉庫 豚の倏

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荒川倉庫 豚の倏
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週刊俳句 第379号 2014幎7月27日

第379号
2014幎7月27日



■荒川倉庫 豚の倏 10句 ≫読む

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【週刊俳句時評87】
■結瀟のこれからetc.2 
未来図鷹柀玉藻」4冊の蚘念号  䞊田信治 ≫読む

【レポヌト】
「俳句近くお遠い詩型」ずいう
珟代歌人集䌚のシンポゞりムに行っおきたした
  西原倩気 ≫読む

【句集を読む】
■スカヌトの䞭の青空
内村恭子句集『女神』を読む
  束本おふこ ≫読む
■俳句の自然 子芏ぞの遡行33  橋本 盎 ≫読む

■連茉 å…«ç”°æœšæž¯ã®äž€å¥
癜地着お雲に玛ふも倜さりかな  西原倩気 ≫読む

■自由埋俳句を読む 52
小柀碧童〔1〕  銬堎叀戞暢 ≫読む

【週俳6月の俳句を読む】
■黒岩埳将 曲者 ≫読む

■〔今週号の衚玙〕豪州蠅叩  淡海うたひ ≫読む

■
埌蚘執筆者プロフィヌル  西原倩気 ≫読む


■ ã€Œku+ ã‚¯ãƒ—ラス」創刊号 è³Œå…¥ã®ã”案内 ≫芋る


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【週俳6月の俳句を読む】也いおいたのはだれか 柎田千晶

【週俳6月の俳句を読む】
也いおいたのはだれか

柎田千晶



春の倜に也く無人のバスの䞭    原田浩䜑

バスの䞭で也いおいるのはだれか 
ふ぀うに考えたら「私」なのだろう。乗客は私ひずりで、私自身がバスの䞭で也いおいる、ず感じおいる。
だけど無人の、ず蚀っおいるのだからバスにはだれも乗っおいないのだ。運転手も乗客も。
だずしたらバスの内郚が也いおいるのか 春の倜に空っぜのバスが也いおいる。
だが也いおいるず感じおいるのは、いったいだれなのか

などず、この句を巡っおぐるぐる考えおしたった。
バスの䞭で也いおいるのが「私」だずしたら、私はもう人ではないのだろう。無人の、ず蚀っおいるのだから。
この䞖の人ではなくなっおしたった私がバスの䞭で也いおいる。氞遠にバスから降りるこずができずに――。

春の倜を煌煌ず明かりの぀いた無人のバスが枡っおゆく。

いや、バスは動いおいないのだろうな。䞀日の仕事を終えお車庫に入っおいるか、あるいはもう廃車ずなっおどこかに捚おられおいるのか。
たずえば螢が飛んでいそうな沢の蟺りずか。

螢火よ䜕かが足りぬ炒飯よ  同

けっしお䞍味くはないけれど、矎味しいずも蚀えない。矎味しいず蚀うには、あずひず味䜕かが足りない。でもその䜕かがわからない。この満ち足りない感じ、よくわかる。
螢火よ、ずいうのが異様でいい。炒飯を食べおいる人もこの䞖に生きおいる感じがしない。

原田浩䜑の句はどれも少し倉だ。

お手本をなぞるず猫が濡れおいる  同

指いただ箒の倢をみおいたり  同

少し倉なずころに惹かれるのだが、でも䜕かが足りない気がする。「無人の」はほんずうに無人なのか ず、ぐるぐる考えさせたりせず、いっそもっず倉になればいいのにず思う。


第371号 2014幎6月1日
■陜 矎保子 祝日 10句 ≫読む
第372号 2014幎6月8日
■髙坂明良 六月ノ雚 10句 ≫読む
■原田浩䜑 お手本 10句 ≫読む
 ç¬¬373号 2014幎6月15日
■井䞊雪子 六月の日陰 10句 ≫読む
第374号 2014幎6月22日
■梅接志保 倏岬 10句 ≫読む
第375号 2014幎6月29日
■西村 遌 春の山 10句 ≫読む

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〔今週号の衚玙〕第380号 野口毅個展 野口裕

〔今週号の衚玙〕
第380号 野口毅個展

野口裕


二幎に䞀床の野口毅の個展も第䞃回目を迎えようずしおいたす。䜕分、本人は蚀葉の䞍自由を抱えおいるために個展ぞの意気蟌みや画業に察する思い蟌みを衚明するのも、口少なですが、時折発する単語の端々に意欲を感じ取れたす。

日垞生掻で感じ取った倖界の印象や、恒䟋ずなった冬の奄矎諞島における取材旅行からの印象をもずにした抜象画が、䞭心ずなりたすが、本人は具象的に描いおいる぀もりなのかも知れたせん。それを蚌明するかのように、今回は動物を描いたシリヌズや䞀目瞭然の円錐圢山容を描いたものも登堎したす。

物の芋え方が垞人ず異なっおいるのかどうか、それは個々の人が具䜓的な䜜品から感じ取っおいただきたいず思いたすが、色の乱舞ずいえる様々な色のバリ゚ヌションを駆䜿した䜜品から、色の哲孊的考察ず思える䞀぀の色の階調を極め぀くそうずしおいるような䜜品、あるいは色を重ね削りずいう䜜業自䜓が雄匁に語りかけおいる絵画たで、すべおが野口毅ずいう個を通過しお発しおいたす。

今回の個展も、前回を越えお技法面での成長が芋られるず思いたす。取材云々は別にしおも、神戞に野口毅ずいう若い画家がいるこずを確認する機䌚ずしお、足を運んでいただければ幞いです。


野口毅 プロフィヌル
≫http://art-express.co.jp/guide-net/noguchi/1.html

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野口毅 個展
2014幎8月5日火10日日
11001900最終日1700たで
ギャラリヌミりラ北野坂 神戞垂䞭倮区䞭山手通1-8-19
※野口毅画集 同時発刊
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週俳ではトップ写真を募集しおいたす。詳现は≫
こちら
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俳句の日 短冊䟛逊のお知らせ2014幎

俳句の日 短冊䟛逊のお知らせ


東京根岞西念寺の恒䟋行事である短冊䟛逊が、8月19日ハむクの日に厳修されたす。

内容は、法芁、お焚きあげ、線銙花火倧䌚、暑気払いの宎ずいう構成で、参加者持ち寄りの句の䞭から短冊倧賞が遞ばれ、発衚されたす。

日 時8月19日ハむクの日火曜日 倜6時
䌚 堎東京郜台東区根岞3-13-17 西念寺
参加費志玍、飲食物差入れ歓迎
持参句1句短冊倧賞甚
    お焚きあげを垌望される句は、別にご持参䞋さい。

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さお、短冊䟛逊ずは、正匏には「䞉界迷句未生鬌句浄焚法芁」ずいいたす。

すなわち、句䌚等においお、短冊に曞いたものの、その埌発衚するこずなく忘れおしたった句、䞀床、脳裏を掠め、瞬間いい句ができたず思いながら、その埌どうしおも思い出せない句、手垖の隅に曞き眮きながらも、捚おざるを埗なかった句、それらの句を攟眮しおおくず、䞉界迷句さんがいめいく、未生鬌句みしょうきくずしお「鬌趣きしゅ氞劫ようごうに浮沈し、飢火きか垞に燃え」る状態ずなり、人をしお甚だ「苊汁くじゅう悪味あくみ」を嘗めしむる、ずされおいたす。

これら䞉界迷句、未生鬌句の埡䟛逊をし、浄焚じょうがんお焚きあげするならば、句は穢土を離れお「悉こずごずく倩に生しょうずる」ずいうのです。

短冊䟛逊ずはたさに、過去珟圚未来を圷埚さたよう句、生たれえずしお葬られた句の、苊を抜き去り安楜を䞎え、超えお浄土に生たれさせるための法芁であるのです。

法芁においお読たれる宣疏せんしょに「亊たた人をしお、近くは珟に秀句を招き、遠くは即ち俳劙はいみょうを成じょうぜしむ」ずあるこずから、䜕やら珟䞖的な利益も期埅できるずいうこずで、あるようです。

浄壇じょうだんを蚭け発遣はっけん浄土ぞず遣るお焚きあげの際に甚いられる挆黒の窯は、䞉州の鬌瓊職人に金䜜ずいう名陶工があり、歀の人があるず き発願ほ぀がんするずころあっお、型造り焌き䞊げた満願の日、登り窯より五䞃五、十䞃文字もんじの玫煙しえんが立ち昇った、ずいう謂れのある 䞍可思議の逞品であり、たこずに仏瞁ぶ぀えん奇瞁きえんありお、い぀の頃か、呉竹くれたけの根岞の里、西念寺に奉玍ほうのうされたもの、 ず寺䌝にあるのです。

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2009幎8月19日の短冊䟛逊

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自由埋俳句を読む 54 小柀碧童〔2〕 銬堎叀戞暢



自由埋俳句を読む 54 小柀碧童〔2〕

銬堎叀戞暢


前回に匕き続き、小柀碧童句を鑑賞する。

額に来る蠅の䞀人居るなり  小柀碧童

ここでの䞀人は、碧堂自身の方を指しおいるものず考えおいる。蠅だけが動き回る䞖界、家人はただ、垰っおこぬ。

倧きな鯵のひものずしよりの倏のたひる  同

倏の暑い最䞭、鯵のひものが干しおある瞁偎に、ずしよりがひずりで䜕するわけもなく座っおいるのだろう。このずしよりを碧童自身ずした堎合ず別の誰かずした堎合では、芖点がくるりず逆転する。

倏蜜柑を買ひ子䟛の手に觊れ  同

子䟛が倏蜜柑を売っおいたのだろうか。時代を感じさせる句。もっずも、子䟛の手のあたたかさは、い぀の時代も倉わるたい。

十薬眺めゐる俺を劻は知らうずせず  同

䜓調を厩しお、十薬を飲むこずずなったのだろうか。そんな俺のこずを、劻は気にもかけおいない。結婚䜕幎目の状況か、気になる句。

あるたゝにたた成るたゝに柿萜葉  同

この句を英蚳するならば、Let it beから始たるこずずなろうか。B'zの「愛のたたにわがたたに僕は君だけを傷぀けない」の歌を思い浮かべるず、柿萜葉に急に躍動感が出る。
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【週俳7月の俳句を読む】私は Ⅳ 瀬戞正掋

【週俳7月の俳句を読む】
私は Ⅳ

瀬戞正掋



ドボルザヌクの「新䞖界」第二楜章を聎くず、キャンプ堎で過ごした頃のこずを思い出す。倜は、キャンプファむャヌ、雚が降ればキャンドルファむダヌ。カレヌラむスず飯盒の飯ばかり食べおいるず䞋痢気味ずなる。キャンプファむダヌの点火には蚊取り線銙を䜿い自然発火を装ったり、針金を朚の䞊に括り付け灯油に浞した垃切れに火を付けお「ひずだた」のように空䞭を走らせたり、䞀番背の高い六幎生を仙人に仕立お、たいた぀を持たせ入堎させる。いろいろな工倫をしお遊んだ。楜しんでもらったシャツは火の粉でずころどころに穎が開く。その穎の開いたシャツを着おいるこずも、それなりのステむタスであった。

い぀もある朚に觊れおゐる遠花火  朚接みち子

花火を眺める堎所が決められおいる。意志ずは関係なく「ある朚」に觊れおいるのだ。昚幎もそうであったこずを思い出す。䞀昚幎も、確かに、その朚に觊れお花火を眺めおいた。䞍安定なような、確実であるような、あたかも、私たちの暮らしの䞭の出来事のような。矀衆の䞭で眺める花火ず違い、遠くの花火を眺めるずいうこずは、思いも寄らないものを感ずるこずができる。

六十路の子の涎をふきに官邞ぞ  関悊史

涎ずいうものは意志に関係なく出おしたうものだ。それも、「六十路の子」の。それを拭くために官邞ぞ行く。「なんずか的なんずか暩の容認を決定」云々。賛成する人がいおも、反察する人がいおも、それは、それで圓然のこずだ。囜䌚で充分に議論を尜くし決められたこずならば、しかたのないこずなのだろう。投祚したのは私たちなのだから、責任は私たちにあるず思えば諊めも付く。だが、この話は「決定」なのである。加えお、本圓のこずを蚀わなかったり、隙したり、惚けたりする事だけは勘匁しおもらいたい。「嘘぀きは泥棒のはじたり」ずいう諺は真実なのである。「蚀葉こずの技わざ」を䟮っおはいけない。私は官邞に入るこずの出来るような立掟な人間ではないが、私の涎は、いったい誰が拭きに来おくれるのだろうか。

舗道は䞻暩者ひしめき団扇拟ひ埗ず  関悊史

舗道はデモ隊ず「お䞊」の人たちずでひしめきあっおいる。反察する人たちも、「お䞊」の人たちも、等しく䞻暩者なのである。団扇を「萜しお」したったこず、「拟う」こずが出来なかったこず、肉䜓にずっおも粟神にずっおも、安らぎを埗る事の出来る倧切なものを日本人は倱くしおしたったのだ。

蜜豆に乳銖が混じるじ぀ず芋る  西原倩気 

誰もが倉態なのである。これは私の偏芋である。倉態ずは想像力により動き続けおいくものなのだ。同じこずであっおも明日になるず、それは倉態ではなくなり普通の行為ずなる。蜜豆に乳銖が混じっおいるず蚀われるず䜕故か私は頷いおしたう。蜜豆をじっず芋るこずは、倉態などではなく、なんでもない普段の暮らしの䞭の出来事なのだ。

倏ゆふべドンキホヌテで鞭を買ふ  西原倩気

ドン・キホヌテで鞭を買う。専門店で䞀流のものを賌入するのでなく、そこで買おうずするこずは安易でずおも軜い。そういう行為には、倏の倕暮が䌌合うのかも知れない。䞖の䞭には、「倉態」など考えるこずも無く「倉態」そのものの人ず、「倉態」だず蚀っおいるが、ずおも「倉態」ずは思うこずのできない人ずの二通りが存圚するが、この䜜者は「倉態」を名乗り、たさしく「倉態」である垌少䟡倀な人なのだ。そのような人は俳人に倚いず囁かれおいる。䜕故ならば、「蜜豆に乳銖が混じる」こずを発芋しおしたったのだから。

走れ倉態あしたがないず思ふなら  西原倩気

䜕かに凝るずいうこずは、確かに明日はなくなっおしたう。倉態ならばなおさらのこずだ。ひたすらに走るしか方法はない。人生も同じこずなのだ。老いも若きも、党力で走らなければならない。明日があるず思うこずは、あきらかに間違いであり、明日の私など誰も知るこずができないのだ。

すりガラスから麊秋ぞ入りたる  鎇田智哉

匕き戞には、すりガラスがはめ蟌たれおいる。昔の蟲家の玄関がそうであった。玄関の内は土間であり、テヌブルず怅子が眮いおある。他には蟲機具ずか自転車なども眮かれおいた。庭の先には䞀面の麊畑。麊秋ずいう蚀葉は麊が実っお颚に揺れおいるのを眺めお、はじめお実感の湧く蚀葉なのだ。蚪問した家を出お麊畑に沿った道を歩き垰路に着く。甚件が枈みほっずした気持ちず、少し、汗ばみ、火照った気持ちの䞭、麊秋の䞭ぞ䜜者は消えおゆく。

火が草ぞう぀り西日にずけこめり  鎇田智哉

刈り終えた草を炎倩の䞭、そのたたにしおおけばカラカラに也燥する。その草に火が移ったのである。それが燃え広がった。燃え広がった火は、あたかも西日に溶け蟌んでいくように芋えた。そう芋えたこずにより燃え広がっおゆくこずの恐怖心は倱せおしたう。矎しさの裏には危険が隠れおいる。

いづこより豚来お倜釣しおをるか  荒川倉庫
この䞖明るし豚はプヌルぞ投げ出され  

私が䞀番興味を芚えたのは、䞀連の䜜品よりも荒川倉庫ずいう人の意志の匷さである。たずえば、私のような意気地のない人間は、同じ季語で十句䜜ろうずしおも、盎に、めげおしたい、諊めお他の季語に頌っおしたうのだ。もうひず぀の興味は、䜕故「豚」なのかずいうこずだ。䜜者にずっおの創䜜には『あるもの』が必芁なのである。自身の無胜さ、あるいは匱さ、汚さなどの負の郚分を、『あるもの』に蚗す。䜜者にずっおの蚀語衚珟ずは、私から離れお眺めおいる私自身の『あるもの』に察し生呜を吹き蟌むこずなのであろう。

鏡にぶ぀かる小岱シオンず玉虫ず  犏田若之
日々を或る小岱シオンの忌ず思う    
たた別の小岱シオンの別の倏      

無孊な私にずっお理解するには難しい十句であった。䞉句抜いおみたが「勘」なのである。考えおみれば、理解できた぀もりになっおいる䜜品であっおも本圓は䜕も解っおいないのかも知れない。句䜜ずは「孀独を衚珟する手段」あるいは「孀独から解攟される行為」だず蚀った人がいた。蚀葉ずいうのは平面的なものではなく立䜓的なもので、受け取る人の数だけ内容がある。それは、受け取る人の経隓、ただそれだけに因るものなのである。

倏䌑みの四十日間、四十団䜓にキャンプ生掻を䜓隓しおもらう。閉䌚匏が終わるずキャンプ堎の入口には、既に、次の子䟛䌚の団䜓が埅っおいる。同じプログラムであっおも、私たちの受ける印象は、ひず぀ずしお同じものでは無かった。集団には個性がある。今にしお、思えば䞍思議ずいえば、䞍思議な䜓隓であった。私たちは疲れなかった。疲れるこずよりも楜しかった。翌幎からの受け入れは半分の二十団䜓になり、䞀泊二日の二日目の倜は完党䌑逊日ずなった。倏の倜の子䟛たちのいないキャンプ堎は、淋しく、䜕かもの足りない気がした。そのキャンプ堎で過ごした仲間たちのほずんどは、教垫や、保母や、犏祉関係の斜蚭職員ぞず就職しおいった。

瞁偎に腰を䞋ろし、庭を眺めおいる。今幎は父の新盆だ。老劻は「新盆たでに怍朚屋を入れたら」ず蚀う。その怍朚屋は尺八を吹き、その劻君は琎を匟く。圌らを招き、山䞭での挔奏を䟝頌したこずもあった。尺八ず琎は山の颚にずおもよく䌌合う。琎は、みんなで担いで登った。父の通倜の時も尺八が流れおいた。四十数幎前、老劻ず私が知り合ったのも、そのキャンプ堎であった。ここで、子䟛たちず過ごした数幎に及ぶ倏の四十日間は、確かに私にずっおひず぀の青春であった。


第376号 2014幎7月6日
■朚接みち子 それから 10句 ≫読む
■関悊史 ケア二〇䞀四幎六月䞉〇日 - 䞃月䞀日 12句 ≫読む
第377号 2014幎7月13日
■西原倩気 走れ倉態 9句 ≫読む
第378号2014幎7月20日
■鎇田智哉 火 10句 ≫読む
第379号2014幎7月27日
■荒川倉庫 豚の倏 10句 ≫読む
■犏田若之 小岱シオンの限りない増殖 10句 ≫読む

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【週俳7月の俳句を読む】文字の力 岡田由季

【週俳7月の俳句を読む】
文字の力

岡田由季



河骚のちかく通話をしおゐたり  鎇田智哉

俳人に奜たれる花はいろいろあるが、河骚もそのひず぀だろう。氎蟺の吟行で河骚の花に出䌚うず皆のテンションが䞊がるこずこの䞊ない。黄色く可憐な花の䜇たいず、河骚ずいうご぀ご぀ずした名前の響きにギャップがあり、興味をそそられる。たた、睡蓮や蓮はそこに咲いおいるこずをあらかじめ知っお芋に行くこずも倚いが、河骚はたたたた行ったら咲いおいたずいうような花なので、その出䌚いに趣を感じるのかも知れない。
名前に骚ずいう字が぀いおいるせいもあるだろうか。どこずなく動物的な感芚を備えおいるように感じるのである。特に聎芚ずは芪和性があるようだ。「通話」ずいえば通垞は電話での話を意味するから、河骚の芋えるずころで携垯電話ででも話をしおいる、ず読めば䜕の倉哲もない光景だが、それ以䞊のものを読み手に感じさせるのが「骚」「通」ずいう文字の力だろう。この通話はきっず河骚を巻き蟌んでいる。


倏の枚それから豚は倧倉だ぀た  荒川倉庫

確か「豚の春」のずきにも鑑賞をさせおいただいた。それから6幎ず考えるず感慚深い。結瀟誌でも豚の様子は知るこずができるから、「それから豚は倧倉だ぀た」ず蚀われ倧いに玍埗するのである。「そうだね、いろいろあっお倧倉だったね、豚も私も幎ずったね・・・」ずころが、である。

この䞖明るし豚はプヌルぞ投げ出され  荒川倉庫

どうやらただ豚は青春の只䞭にいるようだ。萜ち着くのにはただただ早く、これからも豚の屈折の日々は続いおいくのだろう。


小岱シオンの限りない増殖  犏田若之 

このような䜜品は䞀句䞀句を云々する感じでもないのだろう。

凝った䜜品だが、あたり深く考えずに読んでも、台詞郚分を含めおひず぀のストヌリヌずしお意味が通るし、小岱シオンずいうキャラクタヌも感じられお、楜しめるようになっおいる。、手がかりのある分、がんやりずした読者にも芪切な䜜りだず感じる。眺めおいる間に、サビず語りで構成されおいるひず぀の曲のようにも芋えおきた。


第376号 2014幎7月6日
■朚接みち子 それから 10句 ≫読む
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第378号2014幎7月20日
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第379号2014幎7月27日
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【週俳7月の俳句を読む】 気たたな感想など 野口 裕

【週俳7月の俳句を読む】
気たたな感想など

野口 裕



日々を或る小岱シオンの忌ず思う  犏田若之

ちょっずびっくりした語が最埌の方に。「 なんずいうか、あらゆる物語の背景にいそうな人で、僕には、トロむにも、ナルニア囜にも、りクバヌルにも、ボヌドレヌルのパリや犏氞耕二の新宿にも、曞かれおいないだけで、本圓は圌女がいるように思えおならない。」ずあるずころ。私はおっきり男だず思っおいた。


このくらゐに豚がしおおく西瓜割り  荒川倉庫

思い出したのは、吉村益信の䜜品「豚」。自虐・ナヌモア・批評性に共通点がある。句は、池乃めだか颚蚀い回しが効果的。


火が草ぞう぀り西日にずけこめり  鎇田智哉

認識は垞に「䜕か」に぀いおの認識で、必ず「䜕か」が必芁になる。ず蚀うようなこずを昔䜕かで読んだようなうっすらずした蚘憶がある。鎇田智哉の句は認識の察象をゆっくりず移ろっお行くような印象を䞎える。その察象が句末にぎたりず止たるかずいうず、そうでもなく、たた移ろっおいくような気分が読者には残る。䜕かを抜きにした、認識に぀いおの認識を求めお圷埚するかのようだ。動詞や助詞がひらりひらりず裳裟のようにたずわり぀くのは、「認識に぀いおの認識」ずいう埗䜓の知れぬものがちらちら芋え隠れするからだろうか。


錯乱ずいふもの癟合の花の底  西原倩気

花底には倧抵蜜があるが、癟合、特に倧ぶりのカサブランカなどでは、ここにありたすよず蚀わんばかりの倧玉を光らせおいる。昆虫がそれをめがけお突っ蟌むず、粘床の高い花粉が昆虫の䜓のあちこちにたずわり぀く。昆虫にずっおは錯乱だろう。
ずころで、癟合ずいえば女性を連想させるが、やっかいなものは雌しべではなく雄しべの方だずいうのも面癜い。服などがうっかり雄しべに觊れるず、拭き取るこずはたずできない。癟合を掻ける堎合は、雄しべを抜き取っおしたうのが通䟋https://www.nihon-sogo-engei.com/ashirai/cat66/post-9.phpらしい。配偶者もよく花を掻けるが、癟合の雄しべは必ず取っおいる。ずいうこずは、掻けられた癟合は去勢されおいるずいうこずになる。句䞭の癟合は、去勢の癟合か、䞡性具有の癟合か。
どうも話が混乱しおきた。これも句の仕掛けた眠かもしれない。


い぀もある朚に觊れおゐる遠花火  朚接みち子

どの句をずっおも、察象ぞの芖線に揺るぎがない。座犅がすんで半県を解いた際に、倖海の光が芚醒を䌎っお䞀気にやっおくるずきがある。䜕もかもが揺るぎなく存圚しおいるこずを認め、祝犏したくなるような気分。そんな気分にあふれおいる。座犅では、寺の事情がほの芋えお若干の苊みが生じるこずがあるが、五䞃五ではそれがない。


広堎なき囜くに䞻暩者蛇ずなり巻き぀く  関悊史

䞀芋、䞻暩者が勇たしく芋えるが、巻き぀いおも手ごたえなくおのれに跳ね返っおくるのがむなしさだけである、ずするのが隠された句意だろう。十句は、か぀おの瀟䌚性俳句を圷圿ずさせるが、この句の堎合䞋敷きにしたのが赀尟兜子の句、

  広堎に裂けた朚 塩のたわりに塩軋み
  音楜挂う岞䟵しゆく蛇の飢

の二句。か぀おず決定的に違うのが、「広堎なき囜」ずする珟状認識にある。


官邞囲み少女の汗の髪膚ほか  関悊史

甘さ抑えたスむヌツずいうずころか。同じスむヌツ系に属する

  瞄ずびの玔朔の額を組織すべし  金子兜倪

ず比范しお、山本健吉が曞いた、

䜜者の「態床」は珟れおいおも、䞀かけらの詩もない。舌っ足らずのむデオロギヌはあっおも、珟代を深く呌吞した「思想」ずいうべきものはない赀城さかえ「戊埌俳句論争史」の匕甚による

ずいう批刀を乗り越えようずする意志は珟れおいる。ただ、やっぱり甘いかな。


第376号 2014幎7月6日
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■関悊史 ケア二〇䞀四幎六月䞉〇日 - 䞃月䞀日 12句 ≫読む
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【八田朚枯の䞀句】泳げなき倧人さびしやむすび食ふ 西村麒麟

【八田朚枯の䞀句】
泳げなき倧人さびしやむすび食ふ

西村麒麟


泳げなき倧人さびしやむすび食ふ  八田朚枯

『八田朚枯少幎期句集』より。

実は僕も泳げない、さびしくは無いけれど。

この倧人は泳ぎたくないのだろうか、泳ぐこずが出来ないのだろうか。それずも䞡方か。

少幎が泳ぎ぀぀、この倧人を芋おさびしず思う読み方ず、倧人が泳いでいる少幎を芋お、わが身をさびしく思う読み方ずがある。おにぎりを食べながら泳げない身を嘆くずいう読み方も出来なくは無いが、それはあたり面癜くない。

人は段々ず出来ないこずが増えおくる。た、いいかず思う心がさびしいのかもしれない。

このおにぎりは、シンプルなおにぎりだろう。すごく矎味しいずいうよりは、普通の、これで良いずいうようなおにぎり。
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脱衣堎を抜けるアリス なかはられいこ句集『脱衣堎のアリス』の二句 柳本々々

【句集を読む】
脱衣堎を抜けるアリス
なかはられいこ句集『脱衣堎のアリス』の二句

柳本々々



 二の腕の内偎に棲む深海魚  なかはられいこ

『脱衣堎のアリス』北冬舎、2001幎ずいうプラむノェヌトな私秘的空間ずしおの〈内偎〉〈脱衣堎〉ずコヌドづけられた句集のタむトルにも衚れおいるように、なかはられいこの川柳においお内倖ずいう意味的境界はひず぀のテヌマをなしおいるように思う。

しかしその私秘的な空間に〈アリス〉を持ち蟌んだのがこの句集の意味的反転暪転ずしおの仕掛けになっおいるのではないか。この「アリス」をルむス・キャロルの『䞍思議の囜のアリス』の「アリス」ずしおずらえた堎合、アリスずは、内倖の「」ずしおの境界を通過し、内倖の䜍階を打ち消すずずもに、衚面こそが深遠であるこずの象城ずしおも機胜する。たずえば、「ルむス・キャロルにおける衚面の発芋」に぀いお、哲孊者のゞル・ドゥルヌズは『意味の論理孊』で次のように述べおいる。
深局の動物は、二次的なものになっお、厚みのないカヌドの姿圢絵柄に堎所を譲っおいく。たるで、叀き深局が広げられお暪幅になったかのようである。限界なき生成は、いたやたるごず、この暪幅の䞭ぞず裏返される。  すなわち、もはや沈み蟌むこずではなく、叀き深局が衚面の逆方向に還元されお䜕ものでもなくなる仕方で、暪ぞ暪ぞず滑走するこずである。滑走のおかげで、反察偎鏡の囜に移行するだろう。   したがっお、アリスには、《耇数の》冒険ではなく、䞀぀の冒険がある。すなわち、衚面ぞの䞊昇、停の深遠の拒絶、すべおが境界を通り過ぎるこずの発芋。それゆえに、キャロルは、圓初予定したタむトル『アリスの地䞋の諞冒険』を攟棄するのである。  ・ドゥルヌズ、小泉矩之蚳『意味の論理孊 䞊』河出文庫、2007幎、p.30
䞊掲句「二の腕の内偎に棲む深海魚」には、「脱衣堎のアリス」ずも぀ながりうるようなドゥルヌズの語る「アリス」のありかたが瀺されおいる。「二の腕の内偎」ずいうふだんはひずにみせるこずのない「脱衣堎」のような私秘的な空間であり぀぀も、そこに「深海魚」が「棲む」こずができるような〈深遠さ〉があるずいうこず。しかしその〈深遠さ〉ずは「二の腕」ずしおの〈堎〉であるこずをあくたでやめない倚方向なアクセントをもった〈衚局的〉な堎であるこず。

ここで「二の腕」ずは぀ねに〈だれかの〉「二の腕」でしかないこずを想起しおみよう。「二の腕」ずは〈〉が〈の〉「二の腕」ずしおそもそも所持しおいる〈堎〉ではあるのだが、掲句においおその「二の腕」は、「二の腕」を所持しおいる䞻䜓ずは別の䞻䜓「深海魚」が棲たう空間でもある。句の構造も「二の腕の内偎に棲む深海魚」ず「深海魚」に句のすべおの力点が集䞭するようになっおいる。二の腕を所持する䞻䜓の二の腕のなかに深海魚は棲んでいるわけだが、しかしその棲んでいる深海魚が句の構造を通しお䞻䜓化されおいるのだ。これは実は䜏空間のなかに埋め蟌たれ぀぀も、わたしたちによっお垞日頃から〈䞻䜓的〉に生きられる空間でもある「脱衣堎」ずアナロゞカルに連動しおいるようにも思う。

「脱衣堎」ずは、䜏空間に埋め蟌たれた空間であり、その意味では他の居䜏スペヌスず隣接しおいる。だからい぀でもその領域は盞互亀通性のある埀き来可胜な堎ずしお存圚しおいる。しかし隣接し぀぀も、だれか「脱衣堎」を〈䜿甚〉しおいる人間がいるずきは、〈入っおはいけない〉ずいうタブヌが発珟する領域もたた「脱衣堎」である。脱衣堎は誰かがそこに入り、脱衣しはじめるこずによっお〈法〉が機胜しはじめる特殊な空間である。〈入っおはいけない〉ずいう、〈衚局〉から〈䞀矩的〉に離脱するようなタブヌが発動するが《ゆえに》垞にあちこちに接続するような〈衚面〉の〈珟れ〉ずしお存圚する空間。それは先ほどドゥルヌズがアリスに関しお述べおいたような、穎に深く萜ちるこずによっお珟れた〈深遠〉な䞖界でありながらもアリスが関わるこずによっお〈衚局的〉になっおいく運動のありかたずも類䌌しおいるようにも思う。

二の腕に深海魚は棲み぀く。それは二の腕を所持する䞻䜓がおそらく気が぀かないたたに芋いだしおいる〈深遠衚局〉である。〈二の腕の深海〉ずしおの「パラドックスは、深局の解任、衚面での出来事の拡倧、限界に沿った蚀葉の展開ずしお珟出する」ドゥルヌズ。

だからその〈深遠衚局〉こそ、おそらくは「脱衣堎のアリス」が「脱衣堎」の〈倖郚〉ぞず走り抜けおいくであろう〈抜け道〉でもある。

だが、抜けようずしたそのせ぀な、アリスはふたたび脱衣堎に呌び戻される。だれに 猫、に。

 チェシャ猫に呌び戻される脱衣堎  なかはられいこ

ルむス・キャロルの『䞍思議の囜のアリス』においおチェシャ猫は笑いながら消え、消えながら笑うずころに特城がある。぀たりチェシャ猫には、動䜜消えるず動䜜䞻䜓笑っおいる猫が、起動しはじめたずたんに噛み合わなくなり、むしろ互いを〈解䜓〉しはじめおしたうずいったような行為ず行為䞻䜓をめぐる〈霟霬〉がある。しかし思い返せば、「脱衣堎」自䜓も本来的にはそうした「チェシャ猫」的な〈堎〉ではなかったか。「脱衣堎」においおわたしは〈わたし〉のすべおを脱ぐ。しかしすべおを〈脱衣〉するずいうこずは、もしそれをだれかにみられたならば、その脱衣した姿を〈わたし〉のすべおずしお匕き受けねばならなくなるような〈堎〉なのである。「脱衣堎」ずは、〈わたし〉がすべお解陀される堎でありながら、だからこそ、〈わたし〉をすべおひきうけねばならなくなるずいう、「消えながら脱ぎながら行為」「笑うひきうける行為䞻䜓」ずころに特城がある。

簡単にいえばここで問われおいるのも「二の腕の内偎に棲む深海魚」のような、〈ねじれた䞻䜓〉なのである。いや、むンタヌテクストずしお『脱衣堎のアリス』に関䞎し぀づける『䞍思議の囜のアリス』ずいう物語そのものがすでに発話䞻䜓ず発話された蚀衚のくいちがいが〈wonder〉になる䞖界なのだ。語り手は、語り手でいようずし自らの蚀衚に忠実でいようずする限り、たっずうな発話䞻䜓になれない。それはどこたでいっおもアリスが駆け抜ける〈深さずしおの衚面〉ずいう〈ねじれ〉なのである。

しかし考えおみれば、川柳のダむナミズムは、おそらく、そこにあるのではないか。ねじれ、に。笑いながら、消えるずころに。チェシャ猫、に。

川柳ずいう蚀語衚珟は、そのずきどきにおいお語り手ずしおの䞻䜓を぀きくずす。むしろ、その぀きくずしかたを定型を甚いお蚀衚するのが川柳のも぀ひず぀の〈過激さ〉なのではないか。

発話䜍眮を奪われた状態で発話䜍眮を暡玢し぀づけるこず。そしおその発話䜍眮が発話したそのこずによっおすでに奪われおしたっおあるこずをみもふたもなく確認しおしたうこず。しかしそういうかたちでしか、発話䜍眮を蚘述蚀衚しえないこず。

それが川柳ずいう蚀語衚珟にた぀わる〈脱衣堎〉的䞻䜓なのではないだろうか。

そしお、それはやはりドゥルヌズが『䞍思議の囜のアリス』の「垜子屋ず䞉月りサギ」に぀いお述べおいるような、〈時間〉を〈殺し〉おしたったせいで、垞にふた぀の方角意味に棲み぀づける〈脱衣堎〉的䞻䜓なのではなかっただろうか。぀たり、
珟圚は、過去ず未来に無際限に䞋䜍分割可胜なティヌ・タむムずいう抜象的な時期の䞭でしか存続しおない。こうしお、垜子屋ず䞉月りサギは、垞に遅すぎたり早すぎたりしお、䞀回で二぀の方角に、決しお時刻に間に合わず、いたや絶えず䜍眮を倉えるこずになる。  ・ドゥルヌズ、小泉矩之蚳『意味の論理孊 䞊』河出文庫、2007幎、p.147


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【週刊俳句時評89】 結瀟のこれからetc. 3  未来図鷹柀玉藻」4冊の蚘念号から 䞊田信治

【週刊俳句時評89】
結瀟のこれからetc.3 
未来図鷹柀玉藻」4冊の蚘念号から

䞊田信治


≫
≫

この倏刊行された、結瀟誌の蚘念号の話の、最終回です。

4.

小柀寊䞻宰「柀」は、毎幎、蚘念号ずしお、本来総合誌に期埅されるような高い芖点に立った特集を組みたす。

1呚幎の蚘念号から、毎号の特集テヌマを挙げおみたしょう。

1呚幎蚘念号「颚景句」
2呚幎蚘念号「季語を楜しむ」
3呚幎蚘念号「特集1・恋の句 特集2・北園克衛」
4呚幎蚘念号「挚拶句」
5呚幎蚘念号「倧正十幎前埌生たれの俳人」
6呚幎蚘念号「久保田䞇倪郎」
7呚幎蚘念号「二十代䞉十代の俳人」
8呚幎蚘念号「田䞭裕明」
9呚幎蚘念号「定䟋句䌚癟回」
10呚幎蚘念号3号連続「1 角川賞盞子智恵ず新撰21」「2 柀の十幎」「3 通信句䌚癟回」
11呚幎蚘念号「氞田耕衣」
12呚幎蚘念号「震灜ず俳句」
13呚幎蚘念号「アナザヌ文孊ずしおの俳句」

壮芳ず蚀っおいいでしょう。

「䜜家特集」の筆者の遞択など、たさにこの人ずいう人が遞ばれお、必読の内容ずなっおいたす。

http://www.sawahaiku.com/ebook.html 

䞊蚘ペヌゞから問い合わせれば、PDFファむル版が入手できる号も倚いようです。

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14呚幎の今幎は、7呚幎目に぀づく若手特集「五十代以䞋の俳人」。

「五十代以䞋」が若手かずいう、俳壇内倖からの぀っこみは、甘んじお受けたしょう。だっお、䞃幎前の若手特集のずきは、猿䞞さんがただ30代だったんだから、しかたないじゃないですか。

目次は、こちら。

青朚亮人、今井聖、片山由矎子、坂口昌匘、仁平勝各氏による「意䞭の五十歳以䞋の俳人」、「矀青」「玉藻」「倩為」誌の50歳以䞋䌚員の玹介、「柀」50歳以䞋俳人を代衚しお、盞子智恵、池田瑠奈、抌野裕、限果、抮猿䞞、怎野順子、瀬川耕月、野厎海芋、堀田季䜕、森䞋秋露の自遞20句、など、非垞に盛りだくさん。総ペヌゞ332ペヌゞの倧冊です。

筆者䞊田は、若手芁芧蚘事「五十歳以䞋の俳人二癟二十人」を䜜成し、小柀䞻宰ずの察談蚘事に参加しおいたす。


小柀 俳句ずいう詩型にずっお、今新人は誰なのか、どうなっおいるのか、ずいうこずは、い぀も関心をもっおいる぀もりです。それから「柀」ずいう䌚をやっおいるからには、「柀」の新人の䞖に出おもらいたいずいう思いも、もちろんありたす。それから俳人協䌚で、䌚員の高幎霢化に぀いお考えるずいう機䌚があっお、それもこの特集に関係しおいたす。
察談「新人茩出の時代 五十歳以䞋の俳人を読む」より

15000人を数える俳人協䌚䌚員のうち、50歳以䞋の䌚員は300人に「遠く」満たないのだそうです。遠く満たないずいうのは、220人くらいっおこずでしょうか。確実に切っおる。

そんなもんですかね。

ここで、ぎょっずしたほうが「蚘事っぜい」のでしょうが、自分の知り合いで、俳人協䌚の䌚員に積極的になりたいっおいう人も、そんなにいない感じですし、こんな数字に危機感をもっおもしかたがない。

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芁芧蚘事「五十歳以䞋の俳人二癟二十人」以䞋「芁芧」に぀いお。

どうやっお䜜ったかず蚀いたすず。

この7幎の、角川「俳句幎鑑」、総合誌、各新人賞の予遞通過者、結瀟内郚からの掚薊、そこに柀誌から10人皋を加え、300人超の䜜家をたずリストアップ。

それぞれの半幎分の䜜品を、俳句文孊通でコピヌしたり手䌝っおもらいたした、結瀟内のお知り合いに写メしお送っおいただいたりしお、集めたしお。あずは、䞀人で読んで、䞀人で遞びたした。

半幎分ず区切ったのは、それくらいなら党郚読めるず螏んだからです。

匕甚句数は、䞀人1句〜4句。

そこに傟斜を぀けたのは、読者のお楜しみのためでもあり、自分の考える䜜家の重芁床を瀺したかったからでもありたす。

半幎分の䜜品から、䜕句でも匕甚したくなる、あきらかに「今」充実しおいる䜜者がいる。そのこずは、芋お分かるようにしたかったのです。

そしお、玄90人の䜜者に短評を付したした「2行で䜜家論」を目指したした。

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䜜っおみお感じたこずは、いろいろありたす。小柀䞻宰ずの察談では、

「曞き手には旬がある」
「䜜家は固たっお出る」
「この十幎は、新人茩出の時代」
「心象優䜍の時代」
「取合せは詊され「過ぎ」」

ずいったトピックに觊れたしたので、それ以倖のこずを曞きたす。



◆「䜜者はいる」

遠藀千鶎矜、川里 隆、北沢雅子、金子光利、本倚 燐、岩䞊明矎、益氞涌子、塩芋明子、吉田昌顔、川越歌柄、日隈恵里、小関菜郜子、堀朚基之、橋本小たか、竹䞋米花、玺野ゆきえ、服郚さやか、藀井南垆、玀本盎矎、原田浩䜑、皲垣秀俊ずいったお名前、恥ずかしいこずですが、これたで意識したこずがなかった。しかし、結瀟誌等にたいぞん充実した䜜品を発衚されおいたす。

ここに、自分にずっお既知である、䟝光陜子、近 恵、甲斐由玀子、望月 呚、高宀有子、斎藀朝比叀、蟻矎奈子、圌抮浩暹、銬堎公江、月野ぜぜな、内村恭子、小倉喜郎、杉山久子、男波匘志、青山茂根、田冬眞、山田耕叞、抌野 裕、山田露結、接川絵理子、高山れおな、五島高資、抮 猿䞞、盞沢文子、䜐藀郁良、杉浊圭祐、鎇田智哉、関 悊史、埌閑達雄、九堂倜想、花尻䞇博、立村霜衣、塩芋恵介、明隅瀌子、田島健䞀、原 知子、曟根 毅、岡村知昭、堀本裕暹、宮本䜳䞖乃、䞉朚基史、䞭内亮玄、鶎岡加苗、五十嵐矩知、劂月真菜、篠厎倮子、矢野玲奈、盞子智恵、髙勢祥子、森䞋秋露、小川春䌑、池田瑠那、阪西敊子、西山ゆりこ、山䞋぀ばさ、日䞋野由季、北倧路翌、接久井健之、藀 幹子、村䞊鞆圊、藀本倕衣、埡䞭虫、冚田拓也、䜐々朚貎子、髙柳克匘、南十二囜、藀井あかり、矢口 晃、倧谷匘至、杉田菜穂、束本おふこ、涌野海音、神野玗垌、西村麒麟、小川楓子、倖山䞀機、䜐藀文銙、山口優倢、谷 雄介、野口る理、兌城 雄、生駒倧祐、平井岳人、犏田若之、䞉村凌霄、小野あらた、堀䞋 翔ずいう䜜家を加えおみれば  。

俳句の若手の人手䞍足を嘆くこずはない。あるいは、人手は足りないのだけど、䜜品は生たれおいるずいえるかもしれない。

いや、みなさん、玠晎らしいですよ。飛行機に乗るずきは、別々の䟿に乗っおくださいね。


◆「䜜家は十幎か」

小柀䞻宰ずの察談で、自分は、山本倏圊が繰り返し゚ッセむに曞いおいる「のがっお䞉幎、維持しお䞉〜四幎、䞋降しお䞉幎」ずいうこずを匕き合いに出しお、「曞き手には旬がある」ずいうこずを蚀いたした。

小柀さんは「俳句もそうですか。もっずじっくり倉化しおいくずいう印象ですが、そうでもないですか」ず、やんわりず異を唱えられた。

そのあず、いろいろ考えたんですが、たずえば阿波野青畝でいえば『萬䞡』昭和6『國原』昭和16ずきお、『春の鳶』昭和27には〈氎ゆれお鳳凰堂ぞ蛇の銖〉がある。『玅葉の賀』昭和37には〈月の山倧囜䞻呜かな〉がある。

青畝、爜波、敏雄のような䜜家は、30幎から40幎にわたっお、䞀ず山二た山ず、䜜品の展開があり、倧俳人ずいうのは、えらいものだな、ず思いたす。

たぶん俳句においおは、「マンネリ」「反埩」が前提になっおいるずいうこずず、そしお、䜜品の「打率」「歩留たり」が䜎くお圓たり前ずされおいるこずが、䜜家の「持ち時間」を増やしおいる。

あるいは、高霢䜜家の、手に入った技術の自動運転のような䜜句ぶりが、しばしば高く評䟡されるこずを芋るず、俳句の堎合「䜜家性」ずいうものの意味が、どこか違っおいるのかもしれたせん。

それにしおも、他ゞャンルの暙準からすれば、十幎ずいうのは、ふ぀うに優秀な創䜜者が「䞀぀の方法」の可胜性を詊し尜くすのに十分な時間だったりしたす。

自分の印象によれば、倚くの䜜家の堎合、第䞀句集、第二句集に最良の達成があり、六十代でもう䞀勝負チャンスがある。

今回の「芁芧」でも、若くしお泚目された䜜家が、珟圚、生圩を欠いおいるず芋えた䟋は少なくなかった。俳人も、十幎曞いおいれば、正念堎がおずずれたす。

䜜家が、この䞖に持ちこむものは、たった䞀぀のものだず蚀う人もいたす。たぶんその「たった䞀぀のもの」のための「方法」が、「もう䞀぀の方法」ぞ倉成し、展開しおいくこずが、もう䞀ず山を䜜るためには必芁なのでしょう。


◆「結瀟の颚ふうずいうもの」

今回、総合誌ず幎鑑の掲茉䜜家の名前を収集するこずから䜜業を始めたので、「結瀟」に属する䜜家が䞭心のリストずなりたした。

思ったのですが、結瀟やグルヌプには「颚ふう」ずいうものがありたすね。

語調を匕き締めるずいう意識があるグルヌプず、ないグルヌプ。了解性に重きを眮くグルヌプず、そうではないグルヌプ。䜜者も䜜品もはっきり違う。

たずえば、了解性に重きを眮くのは「狩」「銀化」「ホトトギス」などです。語調を匕き締めおくるなず感じたのは「未来図」「柀」など。語調を匕き締めないず蚀っおしたうず、悪口になるので蚀いたせんけど、総じおゆるやかだったり、緩急がなかったり、ずいうグルヌプもある。

俳句性ずいうものをどう考えおいるのかが、自分には理解できないグルヌプもありたした。

そういえば、このこずに぀いおは、長嶺千晶さんの「晶」のもうすぐ出る号に、小文を曞かせおもらったんでした。

結瀟は、ある俳人が倢芋た俳句を「䞊䜍抂念理想」ずしお、分け持぀集団である。

集団内の䜜品や䜜者の䟡倀は、その「理想」に照らしお枬られ決定される。぀たり「理想」は、兌換貚幣における金【ゎヌルド】のようなもので、それは集団の内郚においおもっずも䞊䜍の、公的【パブリック】な䟡倀である。

しかし、集団の倖ではどうか。

他集団の成員は「よそ」の䜜品ずそこに含たれる「理想」を、ためらうこずなく自分たちの「理想」に照らしお倀付けするだろう。「晶 no.9」「゚スペラントの倢」

秋桜子の離反以来昔ですね、結瀟が耇数存圚するずいうこずは、むコヌル、それぞれの結瀟が䞭心ずする䟡倀が、互いにずっお地方通貚のようなものにならざるを埗ない、ずいうこずです。

しかし、それらのロヌカルな䟡倀は、必ずよりパブリックな䟡倀によっお裏曞きされおいるはずです。そう信じおいるから、今回、90を超える結瀟・グルヌプに属する䜜家を䞀人で読むずいうこずが可胜になるわけですから。

よりパブリックな䟡倀ずは、぀たり、「いい俳句」ずいう諞理想の理想、「䞊䜍抂念の䞊䜍抂念」であるわけです。

ずすれば、䜜家が、結瀟に拠るずいうこずは、心によりパブリックな䟡倀を秘め぀぀、ロヌカルな䟡倀に殉じるこずでしょうか。

もずもずそれ以倖に道はないのだず、小柀さんなら蚀うかもしれない。小柀さんは「座」がなければ「俳句」はない、ず考えおいるはずなので。

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今回、蚘念号を取り䞊げた「未来図」「玉藻」「鷹」「柀」は、4誌それぞれ、違う理想や倢を集団ずしお分け持っお、その生呜力を保っおいる。

それは、かなり驚くべきこずです。ミヌムの倚様性ずいう意味では、間違いなくよいこずでしょう。たた、それぞれの蚘念号の特集蚘事から、結瀟ずいうものの生産力を再認識したした。

䞀方で、それぞれの䟡倀が、枬り合い、詊し合う「垂堎」がないずいう珟状、総合誌よりも結瀟誌の特集号にゞャヌナリズムが存圚するずいう珟状は、俳句ずいうゞャンルに「運動」が生たれるチャンスを、限りなく遠ざけおいるように思われたす。

たずえば、これら4誌が電子化しお、ただで、誰でも読めるようになったら、どうでしょう。状況は倉化するでしょうか。

誰も読たないかなあ、、、でも、評刀が、䞀句単䜍ずか、䞀゚ッセむ単䜍で流通するようになったらどうだろう。諞䟡倀の行き亀う垂堎が、芜生えやしないか。

いやそれは、wwwワヌルドワむドりェブ草創期の倢ですね。今ずなっおは、草䞍可避っおや぀かもしれない。

「柀」はPDF版の販売がある蚘念号は1冊1000円ずいうこず、あらためお蚘しおおきたす。

この項終わり

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おばさんずおばあさんの話 五䞃五論序説 䜐藀栄䜜

おばさんずおばあさんの話
五䞃五論序説

䜐藀栄䜜


なぜ五䞃五なのか、なぜ五䞃から䞃五なのか  歌人・俳人でなくずも、興味のそそられるテヌマです。このこず、すなわち日本の韻文の型に぀いお、日本語の性質の芖点から芋お行きたいず思いたす。

五䞃五を考える際の出発点は、五䞃五の五・䞃ずは、いったい䜕を数えおいるのかずいうこずです。候補ずしおは、①文字、②音、③時間が挙げられるでしょう。ずいうこずは、この①③が皆むコヌルなら、それがそのたた「䜕を数えおいるか」の答えずなるはずです。぀たり、曞く文字の数発音する音の数単䜍ずなる時間の数リズムの数なら䜕の問題もないのです。

たずえば䞭囜語の堎合、挢字は䞀぀䞀぀が音節シラブル、切れ目のない音の連続ずなっおいたす。五蚀埋詩の五、䞃蚀絶句の䞃ずは、文字の数であり、そのたた音節の数でもあるわけです。そしお、それがリズムの単䜍ずもなっおいるず考えられたすが、泚意すべきは、挢字1字字は、垞に䞀定の長さで発音されるわけではない点です。わかりやすくいうず、䌞瞮自圚です。リズムずは、区切られた時間を繰り返すこずですから等間隔が基本でしょうが、蚀語ずしおの音節は、同じ長さでなければならないずいうこずはないのです。

どうしおこんな話をするかずいうず、日本語では、「おばさん」に「おばヌさん」ず声をかけるず怒られたす。「おばさん」ず「おばヌさん」ずでは意味が異なるからです。こうした日本語の性質は、実はグロヌバルスタンダヌドではないずいうこずを確認しおおきたいからです。

蚀語の音節が䌞瞮自圚であるずいうのは、英語でも確認できたす。英語には「短母音」ず「長母音」があるず孊校で習いたしたが、「短母音」ず「長母音」ずは音色が異なるのが普通であり、「短母音」をそのたた長くした「長母音」は原則ずしお存圚しないようです。぀たり、同じ音色の母音が、長さによっお別の母音ずしお働く意味の区別に働くずいうこずはないらしいのです。

「おばさん」ず「おばヌさん」ずでは意味が異なるずいうのは、䞇囜共通でないばかりか、どうも特殊・特別なのです。もちろん、日本語でも、「ひず぀、ふた぀」を「ひずヌ぀、ふたヌ぀」ず発音しおも、語ずしおは倉わりたせん。母音を䌞ばしお匷調するこずがありたすが、別の語になるのではありたせん。英語ず同じです。しかし、「おばさん」ず「おばヌさん」ずは異なる。「しょじょ」ず「しょヌじょ」ず「しょじょヌ」ず「しょヌじょヌ」、これらは皆別語ずなる。䞀方、「おばさん」を「おヌばヌさヌんヌ」ず発音しおも、「おばヌさん」にはならない。これはどういうこずか。

日本語では、音節切れ目のない音の連続ずは別に、時間の単䜍が存圚し、「おばさん」の「ば」は単䜍、「おばヌさん」の「ばヌ」は単䜍だから異なるずするのが日本語の芏則だからなのです。「おヌばヌさヌんヌ」の堎合は、党䜓を匕きのばしおいる、぀たり時間の単䜍そのものを長くしおいるので単䜍になっおいない、そういうように考えられたす。この時間の単䜍を「拍はく」あるいは「モヌラ」ず蚀いたす。

音節は、切れ目のない音の連続ですから、芋方を倉えるず、前埌に切れ目があるわけです。切れ目を入れるずは、発音する手間が意識されるずいうこずです。぀たり、音節は発音の口の手間が回、音節は口の手間が回になりたす。「おばさん」の「ば」も「おばヌさん」の「ばヌ」も、口の手間数はずもに回です音節です。ずころが、埌者は「ばヌ」ず発音しおいる間に、時間の目盛りのを通り過ぎお、になっおしたった。音節なのに拍だずいうこずです。日本語では、この拍ずいう単䜍が意味の区別に働いおいるのです。

回り道をしたしたが、この「拍」こそ、俳句・短歌で五だの䞃だのず数える察象であり、日本語のリズムの基本単䜍なのです。

生たれお間もない赀ん坊は、どの人皮・民族であっおも、おそらく、「息」から生み出される「声」を、口の手間数でカりントするはずです。ならば、日本語を習埗するずは、子音や母音、文法芏則を習埗するこずであるずずもに、「拍」を習埗するずいうこずだずいえたす。䌞瞮自圚の音節でなく、「声」を、ほが時間的に等間隔の「拍」で割っおいく、それができるようになっおいくこずこそ、日本人日本語母語話者になるずいうこずなのです。

に、「「拍」に割りなさい」ずいう指瀺が曞き蟌たれおいるわけではありたせん。すでに「拍」に割っおいる日本人たちに囲たれ、日本語を济びお育っおいくうちに、自らも「拍」で割れるようになっおいくのです。

そしお、䞍可思議なのは、その「拍」の数です。なぜ、五䞃、䞃五、䞃䞃なのでしょう。なぜ、それが心地よいのでしょう。

ようやく出発点に立ったのです。



【参考文献】
川䞊蓁1977『日本語音声抂説』桜楓瀟
高山倫明2012『日本語音韻史の研究』ひ぀じ曞房
 
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