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俳句の自然 子規への遡行33 橋本直

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俳句の自然 子規への遡行33

橋本 直
初出『若竹』2013年10月号
 (一部改変がある)

≫承前 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32


なぜ、子規は芭蕉句の中で「雄壮」を善としたのであろう。今日から見れば、一般に芭蕉句にそのような印象はあまりないのではないかと思う。もっと言えば、たとえ子規の主張通り『万葉集』などの古代の日本の文学において「雄壮」な歌があるにせよ、そもそも俳句作品を「雄壮」という概念をもって高く評価するということは、その後の歴史をみても、子規以外にはほとんどみられないのではないだろうか。

ここで視点を少し俯瞰していうと、そもそも、子規は何故にここまで芭蕉を批判する資格をもつのだろう。資格という物言い方が不適当なら、それを可能にするもの、読者に聞く耳をもたせることができた理由、と言い換えても良い。そして、ここで言う子規は、現在の一応俳句史上で評価の定まった子規ではなく、「芭蕉雑談」を書いている明治二十年代末の、まったく世評定まらぬ人物としてのそれである。

ひとつには、これは西洋からもたらされた近代知によって前近代全般を批判的に超克しようという明治の必然的な歴史の流れの中の出来事であること。それは常に西洋一辺倒の流れではなく、子規や漱石が十代の頃には鹿鳴館的な洋化の揺れ戻しが起こって一方で漢籍を学ぶことがブームになったりもするのであるが、帝国大学という国家繁栄のための西洋近代知を学ぶ最高学府で人文科学を学んでいた者としての子規は、近代知をもたぬ(きちんと学問をしていない)者と決定的に違う読者をもつ資格を得ていたはずである。それは、工業技術的に馬や帆船に対する内燃機関のような差の姿で現れるものではなく、同じ文化を共有した者とそうでない者の間によこたわる差異として現象するように思われる。喩えていうなら、たとえじゃんけんのような簡単なものであっても、原則としてゲームはそのルールを共有していないものの参加はゆるされないことに似ている。

子規はいわば「俳句」という新しいゲームのルールを策定しようと試みているわけで、それは旧派宗匠の俳諧とはルールが異なるはずである。そして、近代知を共有する人々、すなわち近代社会で知識人として活躍する人々はどちらのゲームを楽しむほうを選ぶのかといえば、勝敗は自ずと決していたということができるであろう。その意味では子規はまぎれもなく前近代としての宗匠俳諧を切り捨てた近代の人である。その子規が、古典作家としての芭蕉の佳句として「雄壮」をあげるということは、どういうことなのであろうか。一つの考える補助線として、『俳諧大要』中の記事がある。「雑(無季)の句」について述べた部分である。

雑の句は四季の聯想無きを以て其意味淺薄にして吟誦に堪へざる者多し只雄壯高大なる者に至りては必ずしも四季の變化を待たず故に間々此種の雑の句を見る古來作る所の雑の句極めて少きが中に過半は富士を詠じたる者なり而して其吟誦すべき者亦富士の句なり。
(『俳諧大要』「第四 俳句と子規」初出明治二八年)

まとめると、雑の句は中味がなくつまらないものが多いが、「雄壮広大」なものは例外で、だから富士山がよく詠まれ、古句を見ても読むに耐えるものは富士の句だというのである。たしかに、日本一高い山である富士はイメージしやすい。

ここで子規の「雄壮」を視覚に絞ってみたとしたならば、「夏草や―」句は眼前にある景色は文字通り草野原でしかない。『奥の細道』の文章がなければ平泉の高館からの風景だという情報も得られない。目に見えぬ「兵どもの夢の跡」という表現に大きな歴史時間的広がりを見ることで「雄壮」になるのである。ただし、もちろんこれらの言葉にパソコンのメモリーのような記憶装置機能をもっている訳ではない。ではその広がりはどこからやってくるのか。一方『俳諧大要』で子規が言う富士の「雄壮」に歴史時間的な広がりをみることは難しいだろう。

つまり、この「雄壮」という概念には時間空間ともに含まれるとともに、それぞれ個別に想定されてもいる。

俳句は短い言葉で世界を表現しようとするから、ほとんどの場合、部分で全体をいうことになるだろう。ということは、そこで部分から全体を把握する文法が共有されていなければならない。というより、むしろ積極的に部分であることによって、全体像を想起させる文法構造が内在するといったほうがよいだろうか。そしてその上で、実態としてはみえない全体像を見たり聞いたりした気になっているだけかもしれない。実はそのことは、俳句に限ったことではない。
絵画にしても、彫刻にしても、対象の持つ次元を常にいくつか切り落とす。絵画においては体積を、彫刻においても色、匂い、触感を、さらに両者において時間の次元を、具象作品は、その全体が対象のある一瞬にとらえられたものだから(レヴィ=ストロース『野生の思考』)
子規が俳句において「雄壮」と呼ぶものの正体は、実際には人類には困難なことである、表現対象の時空を限りなく拡張して全てを神の目線から眺めまわすと同時にコレクションしたいという、男性的な所有への欲望が生み出した文法構造の変容した表現の姿なのかも知れない。それは喩えて言うなら、世界を言葉という部品に置き換え、縮尺模型として組み立て直すということではないか。そして、そのようなことを志向することは、とても近代的な欲動ではないだろうか。










スカートの中の青空 内村恭子句集『女神』を読む 松本てふこ

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スカートの中の青空
内村恭子句集『女神』を読む

松本てふこ


ふらここにフラゴナールの青き空

小学生の頃、世界中の美術館を100巻シリーズか何かで紹介する1冊500円のグラフ誌に凝っていたことがあって、フラゴナールの「ぶらんこ」もその時に知った。

ぶらんこに乗った女性の、風に飛ばされそうな帽子、スカートの襞とペチコートの白さ。

木陰に隠れて自分のスカートをのぞこうとする貴公子を蹴り上げるような体勢でぶらんこを漕ぐ彼女には、こちらに飛び出してきそうな鮮やかさがあった。小学生だった頃は「こんな、男がスカートの中をのぞいてるだけの絵がかしこまって美術館に飾られてるなんて、変なの」と思ったものだ。

当時はよく分かっていなかったけれど、今見ると画面の左右に貴公子とぶらんこをあやつる従者とをくすんだ色合いで配置し、中心にぶらんこに乗る女性を光いっぱいの色合いで描いており、俗っぽい題材が冷徹な色味の選択と構図で捉えられている絵なのだと分かる。


内村恭子の句集『女神』には、掲句のように自然なかたちで、西洋美術史を彩る画家だったり文学者の名が出てくる。ワトーが描いた霧が日本の秋とつながり、オキーフの描いた骨の白さが夏を呼ぶ。ブラッドベリの死が遠い銀河の輝きを濃くし、春の宵をしみじみと感じながら、ランボーと酌み交わしたくなる。作者が西洋の絵画や文学に親しんできたからこそ、友達を呼び寄せるような気軽さで定型の中に固有名詞を詠み込むのだろう。

掲句のふわりとした頭韻、放り投げられた女性の脚のような下五。

この句のぶらんこに人は乗っているだろうか。誰も乗っていなくて、ただ人を乗せるべき場所に青い空が見えているのだろうか。誰かが乗っていて、青い空を眺めているのだろうか。さっきまで乗っていたけれど降りてしまって、青空の下で乗り手を失ったまま揺れているのだろうか。どれでも面白い。どの青空も少しずつ表情が違っていそうだ。

どの読みを採るにせよ、掲句を読むたびに中国の古俗から生まれた「ふらここ」という季語がロココ絵画と出会ったことにより、21世紀のきっと何て事の無い公園のぶらんこが持つ無限の可能性を描きうることになった不思議さをしみじみと感じ、楽しくなってしまう。


「俳句~近くて遠い詩型」という現代歌人集会のシンポジウムに行ってきました 西原天気

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「俳句~近くて遠い詩型」という
現代歌人集会のシンポジウムに行ってきました

西原天気



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外国人による日本人論は売れる、という時代が長く続きました。古典的なところでルース・ベネディクト『菊と刀』、李御寧『「縮み」志向の日本人』、『日本人とユダヤ人』は実際はどうあれイザヤ・ベンダサンの名義でした。自分たち(日本人)は外(外国人)からどのように見られているのか。なんだか貧乏臭い自我意識ですが、俳句愛好者たる私もまた、短歌イベントに「俳句」の2文字があったからこそ、遠く神戸まで出かけたのです。

というわけで、現代歌人集会春季大会「俳句~近くて遠い詩型」(2014年7月19日)に行ってきました。

ムダにまどろっこしい前置き、ご容赦。つまり、俳句というもの、歌人さんたちの目にはどのように映っているのだろう?という興味関心です。神戸は、まあ、知人に会うという用事を絡ませるので、わざわざこれだけに、というわけではないのですが、朝9時50分のぞみ105号で会場には13:00ギリギリか、少し遅れて到着でした(3時間余りの小旅行)。

なお、7月に春季? というところは、こだわるところではないようです。次回は秋季ですが、ずいぶん寒くなってからのようですし。鷹揚。いいですね。



さて、イベントは次の3つから成ります。

1)基調講演 大辻隆弘(現代歌人集会理事長) 正岡子規における俳句と短歌

2)講演 高橋睦郎

3)パネルディスカッション 塩見恵介、大森静佳、荻原裕幸、魚村晋太郎(進行)

ひとつずつ、レポート、というより簡単な感想を。

1

大辻隆弘講演は、正岡子規の短歌改革と俳句改革をコンパクトに解説。ひじょうにわかりやすかった。

短歌改革の要点は(レジメより)、
1 透明な文体の確立
2 過剰な助辞(助詞・助動詞)の排除→名詞の重視
3 名詞の映像喚起力
4 「視点」の位置・作者の立ち位置

補足すると「1」は、「ですます」「だ」など対人関係を示す文体を避ける。結果、「なり」の語尾を推奨。

俳句改革は、短歌改革の骨子をほぼそのままあてはめたもので、そのうえで、短歌の俳句との違いは、「時間を含みたる趣向」「主観を自在に詠みこなし得る事」。

以上、現在の俳句、そして(私の想像するところの)短歌においても、ほとんど古びることなく通用する「総論」でありまして、ほんとうにもう、「子規、あんたすげぇよ!」なわけです。

以上のようなことは、勉強をされている俳人諸氏にはすでに常識かもしれませんが、誰もが「勉強」しているわけではないので(私も恥ずかしながら、そう)、とてもタメになりました。

というか、大辻講演は、語り口、まとめ方(レジメを含め)、引用の量など、いずれをとってもよろしきあんばいでした。

2

高橋睦郎講演は、「うた」という広い視野・脈絡から短歌と俳句をとらえたもの。

ごくごく短くかいつまむと(私の記憶の範囲で短く言うと)…

日本文学史の中心には「うた」があり、「うた」とは神への恋である。そこには、自然への恋、人への恋の2つがある。一方、かつての歌集の部立てとして「雑歌」「相聞」「挽歌」を挙げ、雑歌の系統に「季の歌」があり、それが連歌となり発句が俳諧となり、さらに俳句となる。

こうした歴史的に長大なスパンの話を、巧妙にエピソードなども交えつつ、なので、聴衆を飽きさせません。

忌日季題に端的な「死者文芸」としての俳句、一方、本歌取りの伝統を失った短歌といったあたり、あるいは多岐にわたる話題は、この講演だけではコトバ足らずの感もあるが、そこは高橋氏の著書ほかに当たれ、ということでしょう。

さて、大きな歴史の中に、いまの俳句を捉えるということは、例えば、次のようなことです。

俳句は、自分ひとりが書くのではない。多くの死者の手(伝統)がいっしょになって、自分に書かせている」。高橋氏が語る、そうした作句上の経験的実感のようなものは、少なからぬ俳人が首肯するところだと思いますが、高橋氏の俳句をある程度たくさん読んだ者の耳には(私は『百枕』等を愛読)、さらなる納得感をもって響きます。

このあたりは、かなり深くてややこしい展開も可能だろうけれど、講演は足取り軽く、次の話題へと向かったので、ここでもあっさりと終わっておきます。

ところで、この講演のバラエティ豊かな話題のなかで、私がある種「啓示」のように受け取ったのは「新体詩」の一語でした。

講演の主流に位置づけられた語ではない。また新しい知見でもない。明治史に出てくる、あの「新体詩」

考えてみれば(と、私は講演の流れからすこし離れて考えてみたわけです)、西欧の「詩」が当時翻訳されて、日本の「うた」の歴史に流れ込んだ。以降、この「詩」のノリ(この手の抒情)がかなりの存在感をもって、私たちに覆いかぶさり続けた。

ここでちょっと飛躍しますが、あとで触れるパネルディスカッションにおいて、歌人が挙げた俳句作品のラインナップは、「詩的な俳句」〔*1〕が多いというのが私の感想でした。ポエティック、ポエミー、どちらでもいいのですが、つまり、「新体詩以降の流れ」の色濃い俳句〔*2〕を、歌人は好む傾向があるのかもしれない。おぼろげながら、そんな印象をもちました。

短歌はまったく不案内ですが、塚本邦雄以降、さらには昨今の「口語化」(このへん間違っていたら叱ってくださいネ)を見ると、「新体詩以降の流れ」が作り上げたノリ・心性の色濃さを、強く思ってしまいます。

何を言うのだ? 西欧化〔*3〕は、いまの私たちが洋服を着ているようなもので、いまさらのように扱うことはバカげている、といった声もありましょう。

けれども、「生まれたときから、そうだったもん」とは言わず、つまり、所与のものとして片付けることをせず、ちょっと洗い直す作業があってもいいのではないか、と思ったのですよ。「新体詩」という3文字から。

もっとも、高橋講演にとっては、「そんなところに引っかかられてもなあ」といったことなのですが、まあ、そんなことも考えたわけです。

ついでに言えば、新体詩以降の「抒情」に、短歌は、俳句ほど疑いを持っていない〔*4〕、というのが、私のイメージです。あくまでイメージ。

3

モノにアプローチするとき、2つの方法があって、1つは、切り口なり推論から出発して具体(短歌・俳句作品)へと触れる(演繹といっていいかもしれません)、1つは作品から出発する(帰納)。

塩見恵介氏(俳人)と歌人3氏、大森静佳、荻原裕幸、魚村晋太郎によるパネルディスカッションは、後者を選び、各自が「作品」挙げ、それについて語ることにこだわったものでした。そこから何らかの一般則や「最近の潮流」が見えれば、という目論見もあったかもしれませんが、そこまでは行かなかった感。しかしながら、茫洋とした一般論(総論)で、空中戦が展開されるよりも、作品を目の前にしての話のほうが、聴衆に親切、というところがありますから、これはこれでいいと思いました。

パネラーが俳句と短歌を1つずつ作って(兼題「神」「戸」)持ち寄るという趣向もありました。そこでひとつ。魚村晋太郎氏の俳句《虹きえて戸棚の奥の正露丸》についての討議。《虹きえて》という部分に話題が及んだときです。

あっ、ここで、子規でしょう。大辻講演にあった〔4 「視点」の位置・作者の立ち位置〕へと話題を展開すればいいのに。「作者はいったいどこにいるんでしょう?」という…〔*5〕

こう、心の中で手を上げて発言したのは、私だけでないでしょう。

(これは「虹きえて」の取り合わせが良いとか悪いとかといった問題ではなく。また「作者」は(悦ばしく)どこにもいないという把握も含めて)

パネルは、その方向には向かいませんでしたが、聴いている私たちは、3つの演し物を串刺しにして、あるいは立体的にこの日のシンポジウムを味わえました。こういうこともまた、3つの別の講演を通して聴く愉しみですね。

あ、そうそう。塩見氏が「気になる俳句(次世代型)」として挙げた《「この雪は俺が降らせた」「田中すげぇ」 吉田愛》がパネルでの注目度が高かったことも報告しておくべきでしょう〔*6〕

現実世界から採取(引用)してそのまま句になるパターンは古くからありますが、この場合、発語に「雪」という季語が含まれている点が面白く、いわゆる手柄でしょう。カギ括弧はどうにか処理してほしいところです。そこまでていねいに「採取したんですよ」と言わなくてもいい気はします。

短歌なら、このあと作者が七七を加えるが、俳句はそのままでもオーケーなんですね、という指摘もあったように記憶しています(この七七で作家性や能力が問われるのかもしれません)。

その意味では、俳句は、ずいぶんズボラで、いいかげんです〔*7〕。ひょいとつまんでそのままでいいのですから。

メインディッシュじゃなくていい。素材を活かした「向付」でも一句になる。それが俳句といったところでしょうか。



このシンポジウム、ちょっと遠いので迷ったのですが、出かけてよかったです。いろいろな方の話が聴けたのもよかったし、その後、いろいろな方にご挨拶が叶ったのもよかった。

ここには書きませんでしたが、その夜、またその次の日、俳人さん、柳人さんと一緒の時間を過ごせたのもよかった。フォーマルな話、そうじゃない話、どちらにも妙味があります。

〔了〕


〔参考〕
歌人の正岡豊さん @haikuzara が「歌人集会」を振り返る
http://togetter.com/li/696933

荻原裕幸さん(@ogiharahiroyuki)=パネラーと曾呂利さん(@sorori6)が「歌人集会」を振り返る
http://togetter.com/li/697936


〔*1〕ポエティックな俳句作品とは、例えば《あぢさゐはすべて残像ではないか 山口優夢》。レジメの2箇所に挙がっていた。

この句、俳句方面でも注目度や評価が高いようだ。私の印象は「上等なポエム(ポエミー)」。上等は上等だろうけれど、ポエムはポエム。この作者・山口優夢の他の句に、私の好きな句が多い。

〔*2〕この件は、素材の話ではなく、心性、抒情、感興の「質」であることは、念を押しておきたい。「新体詩」以来の抒情と対極にあるのが、(例えば「電気もガスもない暮らしか!」と思えるような)伝統的素材に満ちた作風、ということではまったくない。

〔*3〕西欧化に関して、「子規の俳句」がこの時期の西欧化(西欧事物の怒濤的流入)と密接に関連したことは、秋尾敏『子規の近代―滑稽・メディア・日本語』(1999年・新曜社)に、また橋本直「俳句の自然 子規への遡行」にあるとおり。

〔*4〕俳句の内部でも、抒情をめぐっては亀裂がある。いわば「詩」的な俳句と「俳」的な俳句が対照的に存在する。ただし、俳人が二分されるわけではない。1冊の句集のなかに「詩」と「俳」の2成分が混在するケースのほうが、むしろ多いだろう。

〔*5〕掲句は、行為者が出てこない句なので、視点や立ち位置の複数化・遍在はあまり気にならないが、このところ、行為者がどこにいるのかわからない取り合わせもよく目にする気がする。季語が「かなり自由に」扱われる、あるいはムードで使用される傾向がめだつ。繰り返すが、良い悪いの話ではない。

同時に、リアル・アンリアルとも無関係。抽斗に国旗がたなびいてもいいし、火星に桜が散ってもいい。視点の問題。「視点」とは作者のものであると同時に、読者への「見させ方」でもある。写生にもファンタジーにも、見させ方、夢見させ方がある。

〔*6〕この句について、私個人の感想は、「おもしろい」。けれども、好きかと問われれば、「ノー」。パッと見ておもしろがれる句が、その夜、また思い出して好きと思う句、愛せる句とは限らない、といったところです。

余談ですが、酒席で、《「この雪は俺が降らせた」「角川春樹すげぇ」》といったパロディが出てきそう。パロディが生まれやすいのは、残っていく句の条件のひとつ。

〔*7〕これはもちろんのこと、俳句の美点。


レジメの充実が、シンポジウムの誠実さを物語る。


【週刊俳句時評88】 結社のこれからetc. (2)  「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から 上田信治

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【週刊俳句時評88】
結社のこれからetc.(2) 
「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から

上田信治


≫(1)

前回につづいて、この夏に出た4冊の記念号の話題。


2.

1930年創刊の「玉藻」は、今年7月号で通巻1000号となり、あわせて、星野椿から星野高士に主宰が交替しました。

300Pを超える分厚いこの号は、とうぜん、立子、椿、高士の三代の人と作品についてを中心に編集されているわけですが、とりわけ印象的だったのが、筑紫磐井による星野高士作品論でした(星野立子作品鑑賞は後藤比奈夫、星野椿作品論は神野紗希がそれぞれ担当)。

「超越する文学 ── はじめての星野高士論」と題されたそれは「このごろ気になってならないことがある。我々は団塊の世代を含む戦後世代といわれているのだが、お互いが作家論を書き合うということが、極めて少ないのだ」とはじまります。

「長谷川櫂や小澤實の同世代の作家論で膝を打つようなものはあまり読んだ記憶がない」戦後派作家が、お互い辛らつな批判をしながら支え合ってきたのと対照的に「戦後生まれ作家は批判も共感もしていないように思えてしまう」のだ、と。

それは戦後派作家(金子兜太、飯田龍太、髙柳重信、森澄雄、三橋敏雄、能村登四郎 etc.etc.)たちが、「俳句史」を戦後五十年にわたって占有していたということであり、それを許したのは、兜太や龍太に首ったけでありすぎた戦後生まれの筑紫たちではないのか。

小川軽舟による、いわゆる「昭和三十年世代」論は、団塊世代をまたぎこして、自分たちが「俳句史」を継承しようという試みでしょうし、長谷川櫂論や岸本尚毅論なら、福田若之や生駒大祐のような、昭和がもともと歴史でしかないような最も若い世代による成果が現れています。(小澤實論は、まず、われわれが小澤による藤田湘子論を手にしてからなのかもしれません)。

このままでは、現在60代70代の作家が丸ごと俳句史的に埋没してしまうかもしれないわけで、「Blog俳句空間」に「沖」の青春群像を書き継いでいることも含め、筑紫には、自身の同時代を俳句史に纂入するというモチーフがあるのでしょう。



「玉藻」記念号に戻りましょう。

星野高士(昭和27年生)自身の「難しい技巧を凝らしたり、難しい言葉や時を使ったりする句だけが、いい句だとは限らない」という言(牧羊社刊・第一句集『破魔矢』あとがき)を引用し、筑紫は、星野が「難しい句を簡単に書く」という「難しい道」を選んでいるのだと述べます。

外を見て句を作る部屋暖かし  『破魔矢』
落葉掃くその後を人が行く
冬の日の今日強く差しこめり
        (スラッシュは、筑紫による)

筑紫は、これらの句が、六文節から七文節で構成されていること、星野の句が多くの現代作家にくらべ、構文が複雑で、多くの内容が盛り込まれ、音律構成の自由度が高いことを指摘します。

北風に普段より歩を早めをり
爽やかに流れるやうに事運び
つまらない話続けど初笑ひ

「普段より」「流れるやうに」「つまらない」といった、間延びしたような長音節の後も、短音節を駆使することによって引き締めることが可能であり、だから高士句は、平易な言葉を使いながら、表現が緊密であり、音調が整っているのであると言うのです。

句中の語の運用、構成だけに注目し作家の特質を語りきるところは、『飯田龍太の彼方へ』において、成田蒼虬との句末の語彙の共通から、龍太句の「月並」性を抉り出した手際そのままのあざやかさ。まさに「見物」です。

筑紫は、高士俳句が「句集が出るたびに(…)新しい世界が登場するわけではない」と書き、それは「失礼なことを言っているよう」だけれど、近代的文学観に異を唱える存在である「ホトトギス文学」の、嫡流として当然のことだと述べます。

その結論自体に特に異議はありません。それは、つまり「芸」としての俳句(というか、俳句は「芸」である)ということでしょう。

ただ、その場合「ホトトギス文学」が「カルチャー(スクール)俳句」へと低落することの歯止めはどこから得られるのか、と、そこが自分には気になります。

ホトトギスを含む近代俳句の根拠には、俳句が「芸」でありつつ「文学」だということがある。それは、『俳コレ』の松本てふこ論において、筑紫自身が語ることでもあります。俳句を高濱家の「お家芸」とした虚子だって、青年期には文学を「男子一生の事業」とする時代の子の一人だったわけですから。

星野高士の俳句には(作家本人の「宗匠」ぶりの印象に反して)「俗情におもねる」こと、「自分で気持ちよくなってしまう」ことが、極めて少ない。その清潔さには、同時代の他の作家が「ちょっと恥じ入ってもいいんじゃないか」と思われるほどの、強さがあります。

そして筑紫も指摘する星野の都会性には、なんていうんでしょう、近代文学のマイナー作家による「非人情」なエッセイの系譜(近年人気の小沼丹とか吉田健一とか)に、位置づけてみたくなるようなところがある。

高士俳句の「文学」性についても、忘れないでほしいと思うわけです。

二の酉の夜空に星の混んでをり 『残響』
大瑠璃やけふの約束なにもなし
人参の皮の方だけ吾を見る 
冷蔵庫の音か夜明けの来る音か

ところで、「玉藻」を創刊した星野立子は、もっぱら「天性の素質」「素直」「単純」「天真爛漫」「明るさ」「広やかさ」と言った言葉で語られます。それは要するに「天然」性とも「天才」性とも呼べる、作家の持ち分のようなものです。

俳句には、愛すべき「天然」の「天才」を理想像とする精神の系譜があります。

蕉風の生真面目さやその反動としての風狂、あるいは宗匠俳諧からも生まれそうにないその精神は、虚子がその才を愛した「天然」性の強い作家たち、素十、杞陽、爽波ら、そしてなにより立子によって、定立されたものかもしれない。

高士句は、一見するところの無内容さをもって、彼ら譲りの「天然」性「天才」性を志向するかに見えます。

しかし一方で、かんたんに立子・椿のようには(あるいは杞陽・爽波のようには)「可愛く」なれない、そういった屈託あるいは屈折のようなものを滲ませる。上に引いた句それぞれに、それは感じられます。

その屈託のゆくえを、見守りたいと思います。

3.

」の五十周年記念号は、その別冊「鷹年譜 鷹の百人」によって、記憶されるでしょう。

藤田湘子飯島晴子にはじまって、髙柳克弘南十二国、そして現主宰の小川軽舟で終わる、「鷹」百人の人名録は、それぞれ15句の代表句と、略歴・人物評・一句鑑賞をもってなる懇切なものです。

一人一人に「質直なる抒情家」「笑意の人」「彗星の如く現れ、去る」といった、キャッチフレーズがついていることも面白い。

なにより、「鷹」と道を分かった多くの俳人がそこに含まれていて、読み応えがあり、いろいろなことを考えさせられます(ちなみに「彗星の如く現れ、去る」は、辻桃子に冠せられたフレーズ)。

倉橋羊村高山(秦)夕美鳥海むねきしょうり大宮坂静生平井照敏仁藤さくら四ッ谷龍冬野虹辻桃子小林貴子菅原鬨也中西夕紀etc. 

それらの人の名がここにあり、彼らに呼びかけるようにその作品や人柄が懐かしく語られること。そこには、あまりにも繰り返し語られた「恩讐」の物語から自由になろうとする、結社の(あるいは小川主宰の)強い意志が感じられます。

もちろん、小澤實の名もそこにあるわけですから。

(先日、ある人が、小川の第三句集『呼鈴』のあとがきに、小澤の「呼鈴」の句が引用されていることに、強い印象を受けたと言っていました。その人は、BL読みも辞さずの人であり、たいへん興奮されていました)

この冊子で、結社外では必ずしも知られていない多くの作家の句に触れられたことも、うれしかったです。

春の山山を忘れて遊びをり 伊東四郎
豆の芽の豆かつぎゐるこそをかし 吉沼等外
鳥雲に無垢の電柱ありにけり 伊沢惠



そういえば、今月関連書籍として『季語別鷹俳句集』『藤田湘子の百句』『飯島晴子の百句』の三冊が出ています(いずれも、ふらんす堂刊)。

『藤田湘子の百句』は、小川軽舟による、一句あたり240文字の繊細で正確な鑑賞文が読ませます。一句として、季語の解説や思い出話でお茶を濁していない。同じふらんす堂から出た同著者の自句自解本より力が入っていると言えるくらいw

真青な中より実梅落ちにけりについて。

どの実が落ちるとわかって落ちるわけではない。落ちて初めて落ちたことに気づく。「真青な中より」は実梅が落ちる直前の無意識の状態を感じさせるのだ。

この「落ちる直前の無意識の状態」には「やられ」ました。

湘子句については、現代詩、前衛俳句の影響が濃い前期と亡くなる直前が(磐井さんの用語を借りれば)音律構成が自由で、たいへん面白いことを再確認しました。

現「鷹」の、とりわけ若い世代の作品からは、むしろ湘子が入門書で展開したメソッドの影響が強いという印象を受けます。



「鷹」記念号・座談会「次代へ受け継ぐ短詩形」宇多喜代子永田和宏小川軽舟・司会 髙柳克弘)のラスト近く。

髙柳 私は、自分というものにまだ関心が持てないんです。それが私個人のことなのかこの世代に共通した何かなのかはわからないんですけれど、まだ演じたいというか、自分とは違う主体を作品の中に出したい。自分はあくまでプロデューサー的に後ろにいる存在でありたい。自分の中にある本当の思いをあらわすのに及び腰になっているのかもしれないけれど、それを間接的に作品世界中の演者に出してもらえたらと考えています。

この髙柳の発言は、まず宇多喜代子が「今の自分が自分、虚飾のない今の自分が出ればよろしい」と言い、永田和宏が「自分の時間に忠実に作りたいというのは、このごろ思います」と言い、小川軽舟が「俳句を通して自分を眺めてみたい」と言ったあと、永田に「あなた言わなきゃ、いちばん若いの」と、うながされての上でのもので、場の流れを読んでの発言ということを汲むべき(同情すべき)かもしれませんが、それにしても、髙柳さんちょっと不用意というか、中二っぽい、面映ゆいことを言わされてしまっています。

「澤」7月号での対談で、筆者(上田)は、髙柳ほか数人の作品を指して「キャラ」俳句というようなことを言いました(その通りの語は使っていませんが)。それを裏づけるような発言だったので、我が意を得たりで面白かったです。

(3)につづく。



10句作品テクスト 荒川倉庫 豚の夏

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荒川倉庫 豚の夏

逢ふための都へと豚夏始

仕組みなど豚は知らぬが浮いて来い

このくらゐに豚がしておく西瓜割り

夏の渚それから豚は大変だつた

いづこより豚来て夜釣してをるか

蟻地獄飛ぶやうにして豚またぐ

蠅叩豚があつかひかねてゐる

端居して結果など豚知つてはゐるが

草刈の豚はけふから死者の庭

この世明るし豚はプールへ投げ出され

10句作品テクスト 福田若之 小岱シオンの限りない増殖

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福田若之 小岱シオンの限りない増殖


「もしわたしが三人いたら、ひとりを仲間はずれにするだろうなって思う。四人でも」

夏の夢の先客がみな小岱シオン

「嘘なんてついてないし、ただ、意味のあることを言ってるだけ」

小岱シオンの表面上の夏の雨

「このあいだ知り合った人から、今何してる? ってメール来て、めんどくさかったから、細胞分裂、って返したら、なんか話が続いちゃって」

鏡にぶつかる小岱シオンと玉虫と

「本がメディアだってみんな言うけど、むしろこの世界のほうが、私と本とつなぐ媒体なんじゃないかと思うんだけど」

蜘蛛を湿らす小岱シオンの青い舌

「、まあ。世界とかなんとかってだいぶ寒いけど」

小岱シオンの比重で暑い死海に浮く

「God-zillaっていうけど、ゴジラはいつから神様なわけ?」

ゴジラ脱がせば日焼けの小岱シオンぷはあ

「ぷはあ。『友人たちとビールを飲む行為は芸術の最高形態である』。意味分かるでしょ?」

はじまりの小岱シオンの土偶に蚊

「だから嘘なんてついてないしただ意味のあること言ってるだけだって」

小岱シオンは轢かれ飛ばされ蝉鳴く中

その人は……なんというか、あらゆる物語の背景にいそうな人で、僕には、トロイにも、ナルニア国にも、ウクバールにも、ボードレールのパリや福永耕二の新宿にも、書かれていないだけで、本当は彼女がいるように思えてならない。僕は実際、一九世紀に撮られたロンドンの風景写真に彼女を見つけたことがある。

日々を或る小岱シオンの忌と思う

「はじめまして、小岱シオンです」

また別の小岱シオンの別の夏

10句作品 福田若之 小岱シオンの限りない増殖

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週刊俳句 第379号 2014-7-27
福田若之 小岱シオンの限りない増殖
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10句作品 荒川倉庫 豚の夏

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荒川倉庫 豚の夏
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週刊俳句 第379号 2014年7月27日

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第379号
2014年7月27日



荒川倉庫 豚の夏 10句 ≫読む

福田若之 小岱シオンの限りない増殖 10句 ≫読む
…………………………………………… 
【週刊俳句時評87】
結社のこれからetc.(2) 
「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号……上田信治 ≫読む

【レポート】
「俳句~近くて遠い詩型」という
現代歌人集会のシンポジウムに行ってきました
……西原天気 ≫読む

【句集を読む
スカートの中の青空
内村恭子句集『女神』を読む
……松本てふこ ≫読む
俳句の自然 子規への遡行33……橋本 直 ≫読む

連載 八田木枯の一句
白地着て雲に紛ふも夜さりかな……西原天気 ≫読む

自由律俳句を読む 52
小澤碧童〔1〕……馬場古戸暢 ≫読む

【週俳6月の俳句を読む】
黒岩徳将 曲者 ≫読む

〔今週号の表紙〕豪州蠅叩……淡海うたひ ≫読む

後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む


 「ku+ クプラス」創刊号 購入のご案内 ≫見る


 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





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【週俳6月の俳句を読む】乾いていたのはだれか 柴田千晶

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【週俳6月の俳句を読む】
乾いていたのはだれか

柴田千晶



春の夜に乾く無人のバスの中    原田浩佑

バスの中で乾いているのはだれか? 
ふつうに考えたら「私」なのだろう。乗客は私ひとりで、私自身がバスの中で乾いている、と感じている。
だけど無人の、と言っているのだからバスにはだれも乗っていないのだ。運転手も乗客も。
だとしたらバスの内部が乾いているのか? 春の夜に空っぽのバスが乾いている。
だが乾いていると感じているのは、いったいだれなのか?

などと、この句を巡ってぐるぐる考えてしまった。
バスの中で乾いているのが「私」だとしたら、私はもう人ではないのだろう。無人の、と言っているのだから。
この世の人ではなくなってしまった私がバスの中で乾いている。永遠にバスから降りることができずに――。

春の夜を煌煌と明かりのついた無人のバスが渡ってゆく。

いや、バスは動いていないのだろうな。一日の仕事を終えて車庫に入っているか、あるいはもう廃車となってどこかに捨てられているのか。
たとえば螢が飛んでいそうな沢の辺りとか。

螢火よ何かが足りぬ炒飯よ  同

けっして不味くはないけれど、美味しいとも言えない。美味しいと言うには、あとひと味何かが足りない。でもその何かがわからない。この満ち足りない感じ、よくわかる。
螢火よ、というのが異様でいい。炒飯を食べている人もこの世に生きている感じがしない。

原田浩佑の句はどれも少し変だ。

お手本をなぞると猫が濡れている  同

指いまだ箒の夢をみていたり  同

少し変なところに惹かれるのだが、でも何かが足りない気がする。「無人の」はほんとうに無人なのか? と、ぐるぐる考えさせたりせず、いっそもっと変になればいいのにと思う。


第371号 2014年6月1日
陽 美保子 祝日 10句 ≫読む
第372号 2014年6月8日
髙坂明良 六月ノ雨 10句 ≫読む
原田浩佑 お手本 10句 ≫読む
 第373号 2014年6月15日
井上雪子 六月の日陰 10句 ≫読む
第374号 2014年6月22日
梅津志保 夏岬 10句 ≫読む
第375号 2014年6月29日
西村 遼 春の山 10句 ≫読む

〔今週号の表紙〕第380号 野口毅個展 野口裕

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〔今週号の表紙〕
第380号 野口毅個展

野口裕


二年に一度の野口毅の個展も第七回目を迎えようとしています。何分、本人は言葉の不自由を抱えているために個展への意気込みや画業に対する思い込みを表明するのも、口少なですが、時折発する単語の端々に意欲を感じ取れます。

日常生活で感じ取った外界の印象や、恒例となった冬の奄美諸島における取材旅行からの印象をもとにした抽象画が、中心となりますが、本人は具象的に描いているつもりなのかも知れません。それを証明するかのように、今回は動物を描いたシリーズや一目瞭然の円錐形山容を描いたものも登場します。

物の見え方が常人と異なっているのかどうか、それは個々の人が具体的な作品から感じ取っていただきたいと思いますが、色の乱舞といえる様々な色のバリエーションを駆使した作品から、色の哲学的考察と思える一つの色の階調を極めつくそうとしているような作品、あるいは色を重ね削りという作業自体が雄弁に語りかけている絵画まで、すべてが野口毅という個を通過して発しています。

今回の個展も、前回を越えて技法面での成長が見られると思います。取材云々は別にしても、神戸に野口毅という若い画家がいることを確認する機会として、足を運んでいただければ幸いです。


野口毅 プロフィール
http://art-express.co.jp/guide-net/noguchi/1.html

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野口毅 個展
2014年8月5日(火)~10日(日)
11:00~19:00(最終日17:00まで)
ギャラリーミウラ北野坂 神戸市中央区中山手通1-8-19
※野口毅画集V 同時発刊
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週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫
こちら

俳句の日 短冊供養のお知らせ(2014年)

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俳句の日 短冊供養のお知らせ


東京根岸西念寺の恒例行事である短冊供養が、8月19日(ハイクの日)に厳修されます。

内容は、法要、お焚きあげ、線香花火大会、暑気払いの宴という構成で、参加者持ち寄りの句の中から短冊大賞が選ばれ、発表されます。

日 時:8月19日(ハイクの日)火曜日 夜6時
会 場:東京都台東区根岸3-13-17 西念寺
参加費:志納、飲食物差入れ歓迎
持参句:1句(短冊大賞用)
    お焚きあげを希望される句は、別にご持参下さい。



さて、短冊供養とは、正式には「三界迷句未生鬼句浄焚法要」といいます。

すなわち、句会等において、短冊に書いたものの、その後発表することなく忘れてしまった句、一度、脳裏を掠め、瞬間いい句ができたと思いながら、その後どうしても思い出せない句、手帖の隅に書き置きながらも、捨てざるを得なかった句、それらの句を放置しておくと、三界迷句(さんがいめいく)、未生鬼句(みしょうきく)として「鬼趣(きしゅ)永劫(ようごう)に浮沈し、飢火(きか)常に燃え」る状態となり、人をして甚だ「苦汁(くじゅう)悪味(あくみ)」を嘗めしむる、とされています。

これら三界迷句、未生鬼句の御供養をし、浄焚(じょうぼん=お焚きあげ)するならば、句は穢土を離れて「悉(ことごと)く天に生(しょう)ずる」というのです。

短冊供養とはまさに、過去現在未来を彷徨(さまよ)う句、生まれえずして葬られた句の、苦を抜き去り安楽を与え、超えて浄土に生まれさせるための法要であるのです。

法要において読まれる宣疏(せんしょ)に「亦(また)人をして、近くは現に秀句を招き、遠くは即ち俳妙(はいみょう)を成(じょう)ぜしむ」とあることから、何やら現世的な利益も期待できるということで、あるようです。

浄壇(じょうだん)を設け発遣(はっけん=浄土へと遣る)お焚きあげの際に用いられる漆黒の窯は、三州の鬼瓦職人に金作という名陶工があり、此の人があると き発願(ほつがん)するところあって、型造り焼き上げた満願の日、登り窯より五七五、十七文字(もんじ)の紫煙(しえん)が立ち昇った、という謂れのある 不可思議の逸品であり、まことに仏縁(ぶつえん)奇縁(きえん)ありて、いつの頃か、呉竹(くれたけ)の根岸の里、西念寺に奉納(ほうのう)されたもの、 と寺伝にあるのです。


2009年8月19日の短冊供養

自由律俳句を読む 54 小澤碧童〔2〕 馬場古戸暢

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自由律俳句を読む 54 小澤碧童2

馬場古戸暢


前回に引き続き、小澤碧童句を鑑賞する。

額に来る蠅の一人居るなり  小澤碧童

ここでの一人は、碧堂自身の方を指しているものと考えている。蠅だけが動き回る世界、家人はまだ、帰ってこぬ。

大きな鯵のひものとしよりの夏のまひる  同

夏の暑い最中、鯵のひものが干してある縁側に、としよりがひとりで何するわけもなく座っているのだろう。このとしよりを碧童自身とした場合と別の誰かとした場合では、視点がくるりと逆転する。

夏蜜柑を買ひ子供の手に触れ  同

子供が夏蜜柑を売っていたのだろうか。時代を感じさせる句。もっとも、子供の手のあたたかさは、いつの時代も変わるまい。

十薬眺めゐる俺を妻は知らうとせず  同

体調を崩して、十薬を飲むこととなったのだろうか。そんな俺のことを、妻は気にもかけていない。結婚何年目の状況か、気になる句。

あるまゝにまた成るまゝに柿落葉  同

この句を英訳するならば、Let it beから始まることとなろうか。B'zの「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」の歌を思い浮かべると、柿落葉に急に躍動感が出る。

【週俳7月の俳句を読む】私はYAKUZA Ⅳ 瀬戸正洋

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【週俳7月の俳句を読む】
私はYAKUZA Ⅳ

瀬戸正洋



ドボルザークの「新世界」第二楽章を聴くと、キャンプ場で過ごした頃のことを思い出す。夜は、キャンプファイャー、雨が降ればキャンドルファイヤー。カレーライスと飯盒の飯ばかり食べていると下痢気味となる。キャンプファイヤーの点火には蚊取り線香を使い自然発火を装ったり、針金を木の上に括り付け灯油に浸した布切れに火を付けて「ひとだま」のように空中を走らせたり、一番背の高い六年生を仙人に仕立て、たいまつを持たせ入場させる。いろいろな工夫をして遊んだ。(楽しんでもらった)Tシャツは火の粉でところどころに穴が開く。その穴の開いたTシャツを着ていることも、それなりのステイタスであった。

いつもある木に触れてゐる遠花火  木津みち子

花火を眺める場所が決められている。意志とは関係なく「ある木」に触れているのだ。昨年もそうであったことを思い出す。一昨年も、確かに、その木に触れて花火を眺めていた。不安定なような、確実であるような、あたかも、私たちの暮らしの中の出来事のような。群衆の中で眺める花火と違い、遠くの花火を眺めるということは、思いも寄らないものを感ずることができる。

六十路の子の涎をふきに官邸へ  関悦史

涎というものは意志に関係なく出てしまうものだ。それも、「六十路の子」の。それを拭くために官邸へ行く。「なんとか的なんとか権の容認を**決定」云々。賛成する人がいても、反対する人がいても、それは、それで当然のことだ。国会で充分に議論を尽くし決められたことならば、しかたのないことなのだろう。投票したのは私たちなのだから、責任は私たちにあると思えば諦めも付く。だが、この話は「**決定」なのである。加えて、本当のことを言わなかったり、騙したり、惚けたりする事だけは勘弁してもらいたい。「嘘つきは泥棒のはじまり」という諺は真実なのである。「言葉(こと)の技(わざ)」を侮ってはいけない。私は官邸に入ることの出来るような立派な人間ではないが、私の涎は、いったい誰が拭きに来てくれるのだろうか。

舗道は主権者ひしめき団扇拾ひ得ず  関悦史

舗道はデモ隊と「お上」の人たちとでひしめきあっている。反対する人たちも、「お上」の人たちも、等しく主権者なのである。団扇を「落して」しまったこと、「拾う」ことが出来なかったこと、肉体にとっても精神にとっても、安らぎを得る事の出来る大切なものを日本人は失くしてしまったのだ。

蜜豆に乳首が混じるじつと見る  西原天気 

誰もが変態なのである。これは私の偏見である。変態とは想像力により動き続けていくものなのだ。同じことであっても明日になると、それは変態ではなくなり普通の行為となる。蜜豆に乳首が混じっていると言われると何故か私は頷いてしまう。蜜豆をじっと見ることは、変態などではなく、なんでもない普段の暮らしの中の出来事なのだ。

夏ゆふべドンキホーテで鞭を買ふ  西原天気

ドン・キホーテで鞭を買う。専門店で一流のものを購入するのでなく、そこで買おうとすることは安易でとても軽い。そういう行為には、夏の夕暮が似合うのかも知れない。世の中には、「変態」など考えることも無く「変態」そのものの人と、「変態」だと言っているが、とても「変態」とは思うことのできない人との二通りが存在するが、この作者は「変態」を名乗り、まさしく「変態」である希少価値な人なのだ。そのような人は俳人に多いと囁かれている。何故ならば、「蜜豆に乳首が混じる」ことを発見してしまったのだから。

走れ変態あしたがないと思ふなら  西原天気

何かに凝るということは、確かに明日はなくなってしまう。変態ならばなおさらのことだ。ひたすらに走るしか方法はない。人生も同じことなのだ。老いも若きも、全力で走らなければならない。明日があると思うことは、あきらかに間違いであり、明日の私など誰も知ることができないのだ。

すりガラスから麦秋へ入りたる  鴇田智哉

引き戸には、すりガラスがはめ込まれている。昔の農家の玄関がそうであった。玄関の内は土間であり、テーブルと椅子が置いてある。他には農機具とか自転車なども置かれていた。庭の先には一面の麦畑。麦秋という言葉は麦が実って風に揺れているのを眺めて、はじめて実感の湧く言葉なのだ。訪問した家を出て麦畑に沿った道を歩き帰路に着く。用件が済みほっとした気持ちと、少し、汗ばみ、火照った気持ちの中、麦秋の中へ作者は消えてゆく。

火が草へうつり西日にとけこめり  鴇田智哉

刈り終えた草を炎天の中、そのままにしておけばカラカラに乾燥する。その草に火が移ったのである。それが燃え広がった。燃え広がった火は、あたかも西日に溶け込んでいくように見えた。そう見えたことにより燃え広がってゆくことの恐怖心は失せてしまう。美しさの裏には危険が隠れている。

いづこより豚来て夜釣してをるか  荒川倉庫
この世明るし豚はプールへ投げ出され  

私が一番興味を覚えたのは、一連の作品よりも荒川倉庫という人の意志の強さである。たとえば、私のような意気地のない人間は、同じ季語で十句作ろうとしても、直に、めげてしまい、諦めて他の季語に頼ってしまうのだ。もうひとつの興味は、何故「豚」なのかということだ。作者にとっての創作には『あるもの』が必要なのである。自身の無能さ、あるいは弱さ、汚さなどの負の部分を、『あるもの』に託す。作者にとっての言語表現とは、私から離れて眺めている私自身の『あるもの』に対し生命を吹き込むことなのであろう。

鏡にぶつかる小岱シオンと玉虫と  福田若之
日々を或る小岱シオンの忌と思う    
また別の小岱シオンの別の夏      

無学な私にとって理解するには難しい十句であった。三句抜いてみたが「勘」なのである。考えてみれば、理解できたつもりになっている作品であっても本当は何も解っていないのかも知れない。句作とは「孤独を表現する手段」あるいは「孤独から解放される行為」だと言った人がいた。言葉というのは平面的なものではなく立体的なもので、受け取る人の数だけ内容がある。それは、受け取る人の経験、ただそれだけに因るものなのである。

夏休みの四十日間、四十団体にキャンプ生活を体験してもらう。閉会式が終わるとキャンプ場の入口には、既に、次の子供会の団体が待っている。同じプログラムであっても、私たちの受ける印象は、ひとつとして同じものでは無かった。集団には個性がある。今にして、思えば不思議といえば、不思議な体験であった。私たちは疲れなかった。疲れることよりも楽しかった。翌年からの受け入れは半分の二十団体になり、一泊二日の二日目の夜は完全休養日となった。夏の夜の子供たちのいないキャンプ場は、淋しく、何かもの足りない気がした。そのキャンプ場で過ごした仲間たちのほとんどは、教師や、保母や、福祉関係の施設職員へと就職していった。

縁側に腰を下ろし、庭を眺めている。今年は父の新盆だ。老妻は「新盆までに植木屋を入れたら」と言う。その植木屋は尺八を吹き、その妻君は琴を弾く。彼らを招き、山中での演奏を依頼したこともあった。尺八と琴は山の風にとてもよく似合う。琴は、みんなで担いで登った。父の通夜の時も尺八が流れていた。四十数年前、老妻と私が知り合ったのも、そのキャンプ場であった。ここで、子供たちと過ごした数年に及ぶ夏の四十日間は、確かに私にとってひとつの青春であった。


第376号 2014年7月6日
木津みち子 それから 10句 ≫読む
関悦史 ケア二〇一四年六月三〇日 - 七月一日 12句 ≫読む
第377号 2014年7月13日
西原天気 走れ変態 9句 ≫読む
第378号2014年7月20日
鴇田智哉 火 10句 ≫読む
第379号2014年7月27日
荒川倉庫 豚の夏 10句 ≫読む
福田若之 小岱シオンの限りない増殖 10句 ≫読む






【週俳7月の俳句を読む】文字の力 岡田由季

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【週俳7月の俳句を読む】
文字の力

岡田由季



河骨のちかく通話をしてゐたり  鴇田智哉

俳人に好まれる花はいろいろあるが、河骨もそのひとつだろう。水辺の吟行で河骨の花に出会うと皆のテンションが上がることこの上ない。黄色く可憐な花の佇まいと、河骨というごつごつとした名前の響きにギャップがあり、興味をそそられる。また、睡蓮や蓮はそこに咲いていることをあらかじめ知って見に行くことも多いが、河骨はたまたま行ったら咲いていたというような花なので、その出会いに趣を感じるのかも知れない。
名前に骨という字がついているせいもあるだろうか。どことなく動物的な感覚を備えているように感じるのである。特に聴覚とは親和性があるようだ。「通話」といえば通常は電話での話を意味するから、河骨の見えるところで携帯電話ででも話をしている、と読めば何の変哲もない光景だが、それ以上のものを読み手に感じさせるのが「骨」「通」という文字の力だろう。この通話はきっと河骨を巻き込んでいる。


夏の渚それから豚は大変だつた  荒川倉庫

確か「豚の春」のときにも鑑賞をさせていただいた。それから6年と考えると感慨深い。結社誌でも豚の様子は知ることができるから、「それから豚は大変だつた」と言われ大いに納得するのである。「そうだね、いろいろあって大変だったね、豚も私も年とったね・・・」ところが、である。

この世明るし豚はプールへ投げ出され  荒川倉庫

どうやらまだ豚は青春の只中にいるようだ。落ち着くのにはまだまだ早く、これからも豚の屈折の日々は続いていくのだろう。


小岱シオンの限りない増殖  福田若之 

このような作品は一句一句を云々する感じでもないのだろう。

凝った作品だが、あまり深く考えずに読んでも、台詞部分を含めてひとつのストーリーとして意味が通るし、小岱シオンというキャラクターも感じられて、楽しめるようになっている。、手がかりのある分、ぼんやりとした読者にも親切な作りだと感じる。眺めている間に、サビと語りで構成されているひとつの曲のようにも見えてきた。


第376号 2014年7月6日
木津みち子 それから 10句 ≫読む
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【週俳7月の俳句を読む】 気ままな感想など 野口 裕

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【週俳7月の俳句を読む】
気ままな感想など

野口 裕



日々を或る小岱シオンの忌と思う  福田若之

ちょっとびっくりした語が最後の方に。「…なんというか、あらゆる物語の背景にいそうな人で、僕には、トロイにも、ナルニア国にも、ウクバールにも、ボードレールのパリや福永耕二の新宿にも、書かれていないだけで、本当は彼女がいるように思えてならない。」とあるところ。私はてっきり男だと思っていた。


このくらゐに豚がしておく西瓜割り  荒川倉庫

思い出したのは、吉村益信の作品「豚;PigLib」。自虐・ユーモア・批評性に共通点がある。句は、池乃めだか風言い回しが効果的。


火が草へうつり西日にとけこめり  鴇田智哉

認識は常に「何か」についての認識で、必ず「何か」が必要になる。と言うようなことを昔何かで読んだようなうっすらとした記憶がある。鴇田智哉の句は認識の対象をゆっくりと移ろって行くような印象を与える。その対象が句末にぴたりと止まるかというと、そうでもなく、また移ろっていくような気分が読者には残る。何かを抜きにした、認識についての認識を求めて彷徨するかのようだ。動詞や助詞がひらりひらりと裳裾のようにまとわりつくのは、「認識についての認識」という得体の知れぬものがちらちら見え隠れするからだろうか。


錯乱といふもの百合の花の底  西原天気

花底には大抵蜜があるが、百合、特に大ぶりのカサブランカなどでは、ここにありますよと言わんばかりの大玉を光らせている。昆虫がそれをめがけて突っ込むと、粘度の高い花粉が昆虫の体のあちこちにまとわりつく。昆虫にとっては錯乱だろう。
ところで、百合といえば女性を連想させるが、やっかいなものは雌しべではなく雄しべの方だというのも面白い。服などがうっかり雄しべに触れると、拭き取ることはまずできない。百合を活ける場合は、雄しべを抜き取ってしまうのが通例(https://www.nihon-sogo-engei.com/ashirai/cat66/post-9.php)らしい。配偶者もよく花を活けるが、百合の雄しべは必ず取っている。ということは、活けられた百合は去勢されているということになる。句中の百合は、去勢の百合か、両性具有の百合か。
どうも話が混乱してきた。これも句の仕掛けた罠かもしれない。


いつもある木に触れてゐる遠花火  木津みち子

どの句をとっても、対象への視線に揺るぎがない。座禅がすんで半眼を解いた際に、外海の光が覚醒を伴って一気にやってくるときがある。何もかもが揺るぎなく存在していることを認め、祝福したくなるような気分。そんな気分にあふれている。座禅では、寺の事情がほの見えて若干の苦みが生じることがあるが、五七五ではそれがない。


広場なき国(くに)主権者蛇となり巻きつく  関悦史

一見、主権者が勇ましく見えるが、巻きついても手ごたえなくおのれに跳ね返ってくるのがむなしさだけである、とするのが隠された句意だろう。十句は、かつての社会性俳句を彷彿とさせるが、この句の場合下敷きにしたのが赤尾兜子の句、

  広場に裂けた木 塩のまわりに塩軋み
  音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢

の二句。かつてと決定的に違うのが、「広場なき国」とする現状認識にある。


官邸囲み少女の汗の髪膚ほか  関悦史

甘さ抑えたスイーツというところか。同じスイーツ系に属する

  縄とびの純潔の額を組織すべし  金子兜太

と比較して、山本健吉が書いた、

作者の「態度」は現れていても、一かけらの詩もない。舌っ足らずのイデオロギーはあっても、現代を深く呼吸した「思想」というべきものはない(赤城さかえ「戦後俳句論争史」の引用による)

という批判を乗り越えようとする意志は現れている。ただ、やっぱり甘いかな。


第376号 2014年7月6日
木津みち子 それから 10句 ≫読む
関悦史 ケア二〇一四年六月三〇日 - 七月一日 12句 ≫読む
第377号 2014年7月13日
西原天気 走れ変態 9句 ≫読む
第378号2014年7月20日
鴇田智哉 火 10句 ≫読む
第379号2014年7月27日
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【八田木枯の一句】泳げなき大人さびしやむすび食ふ 西村麒麟

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【八田木枯の一句】
泳げなき大人さびしやむすび食ふ

西村麒麟


泳げなき大人さびしやむすび食ふ  八田木枯

『八田木枯少年期句集』より。

実は僕も泳げない、さびしくは無いけれど。

この大人は泳ぎたくないのだろうか、泳ぐことが出来ないのだろうか。それとも両方か。

少年が泳ぎつつ、この大人を見てさびしと思う読み方と、大人が泳いでいる少年を見て、わが身をさびしく思う読み方とがある。おにぎりを食べながら泳げない身を嘆くという読み方も出来なくは無いが、それはあまり面白くない。

人は段々と出来ないことが増えてくる。ま、いいかと思う心がさびしいのかもしれない。

このおにぎりは、シンプルなおにぎりだろう。すごく美味しいというよりは、普通の、これで良いというようなおにぎり。

脱衣場を抜けるアリス なかはられいこ句集『脱衣場のアリス』の二句 柳本々々

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【句集を読む】
脱衣場を抜けるアリス
なかはられいこ句集『脱衣場のアリス』の二句

柳本々々



 二の腕の内側に棲む深海魚  なかはられいこ

『脱衣場のアリス』(北冬舎、2001年)というプライヴェートな私秘的空間としての〈内側〉=〈脱衣場〉とコードづけられた句集のタイトルにも表れているように、なかはられいこの川柳において内/外という意味的境界はひとつのテーマをなしているように思う。

しかしその私秘的な空間に〈アリス〉を持ち込んだのがこの句集の意味的反転=横転としての仕掛けになっているのではないか。この「アリス」をルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の「アリス」としてとらえた場合、アリスとは、内/外の「/」としての境界を通過し、内/外の位階を打ち消すとともに、表面こそが深遠であることの象徴としても機能する。たとえば、「ルイス・キャロルにおける表面の発見」について、哲学者のジル・ドゥルーズは『意味の論理学』で次のように述べている。
深層の動物は、二次的なものになって、厚みのないカードの姿形[=絵柄]に場所を譲っていく。まるで、古き深層が広げられて横幅になったかのようである。限界なき生成は、いまやまるごと、この横幅の中へと裏返される。(……)すなわち、もはや沈み込むことではなく、古き深層が表面の逆方向に還元されて何ものでもなくなる仕方で、横へ横へと滑走することである。滑走のおかげで、反対側[鏡の国]に移行するだろう。(……) したがって、アリスには、《複数の》冒険ではなく、一つの冒険がある。すなわち、表面への上昇、偽の深遠の拒絶、すべてが境界を通り過ぎることの発見。それゆえに、キャロルは、当初予定したタイトル『アリスの地下の諸冒険』を放棄するのである。  G・ドゥルーズ、小泉義之訳『意味の論理学 上』河出文庫、2007年、p.30
上掲句「二の腕の内側に棲む深海魚」には、「脱衣場のアリス」ともつながりうるようなドゥルーズの語る「アリス」のありかたが示されている。「二の腕の内側」というふだんはひとにみせることのない「脱衣場」のような私秘的な空間でありつつも、そこに「深海魚」が「棲む」ことができるような〈深遠さ〉があるということ。しかしその〈深遠さ〉とは「二の腕」としての〈場〉であることをあくまでやめない多方向なアクセントをもった〈表層的〉な場であること。

ここで「二の腕」とはつねに〈だれかの〉「二の腕」でしかないことを想起してみよう。「二の腕」とは〈X〉が〈Xの〉「二の腕」としてそもそも所持している〈場〉ではあるのだが、掲句においてその「二の腕」は、「二の腕」を所持している主体とは別の主体=「深海魚」が棲まう空間でもある。句の構造も「(二の腕の内側に棲む)深海魚」と「深海魚」に句のすべての力点が集中するようになっている。二の腕を所持する主体の(二の腕の)なかに深海魚は棲んでいるわけだが、しかしその棲んでいる深海魚が句の構造を通して主体化されているのだ。これは実は住空間のなかに埋め込まれつつも、わたしたちによって常日頃から〈主体的〉に生きられる空間でもある「脱衣場」とアナロジカルに連動しているようにも思う。

「脱衣場」とは、住空間に埋め込まれた空間であり、その意味では他の居住スペースと隣接している。だからいつでもその領域は相互交通性のある往き来可能な場として存在している。しかし隣接しつつも、だれか「脱衣場」を〈使用〉している人間がいるときは、〈入ってはいけない〉というタブーが発現する領域もまた「脱衣場」である。脱衣場は誰かがそこに入り、脱衣しはじめることによって〈法〉が機能しはじめる特殊な空間である。〈入ってはいけない〉という、〈表層〉から〈一義的〉に離脱するようなタブーが発動するが《ゆえに》常にあちこちに接続するような〈表面〉の〈現れ〉として存在する空間。それは先ほどドゥルーズがアリスに関して述べていたような、穴に深く落ちることによって現れた〈深遠〉な世界でありながらもアリスが関わることによって〈表層的〉になっていく運動のありかたとも類似しているようにも思う。

二の腕に深海魚は棲みつく。それは二の腕を所持する主体がおそらく気がつかないままに見いだしている〈深遠/表層〉である。〈二の腕の深海〉としての「パラドックスは、深層の解任、表面での出来事の拡大、限界に沿った言葉の展開として現出する」(ドゥルーズ)。

だからその〈深遠/表層〉こそ、おそらくは「脱衣場のアリス」が「脱衣場」の〈外部〉へと走り抜けていくであろう〈抜け道〉でもある。

だが、抜けようとしたそのせつな、アリスはふたたび脱衣場に呼び戻される。だれに? 猫、に。

 チェシャ猫に呼び戻される脱衣場  なかはられいこ

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』においてチェシャ猫は笑いながら消え、消えながら笑うところに特徴がある。つまりチェシャ猫には、動作(消える)と動作主体(笑っている猫)が、起動しはじめたとたんに噛み合わなくなり、むしろ互いを〈解体〉しはじめてしまうといったような行為と行為主体をめぐる〈齟齬〉がある。しかし思い返せば、「脱衣場」自体も本来的にはそうした「チェシャ猫」的な〈場〉ではなかったか。「脱衣場」においてわたしは〈わたし〉のすべてを脱ぐ。しかしすべてを〈脱衣〉するということは、もしそれをだれかにみられたならば、その脱衣した姿を〈わたし〉のすべてとして引き受けねばならなくなるような〈場〉なのである。「脱衣場」とは、〈わたし〉がすべて解除される場でありながら、だからこそ、〈わたし〉をすべてひきうけねばならなくなるという、「消えながら(脱ぎながら=行為)」「笑う(ひきうける=行為主体)」ところに特徴がある。

簡単にいえばここで問われているのも「二の腕の内側に棲む深海魚」のような、〈ねじれた主体〉なのである。いや、インターテクストとして『脱衣場のアリス』に関与しつづける『不思議の国のアリス』という物語そのものがすでに発話主体と発話された言表のくいちがいが〈wonder〉になる世界なのだ。語り手は、語り手でいようとし自らの言表に忠実でいようとする限り、まっとうな発話主体になれない。それはどこまでいってもアリスが駆け抜ける〈深さとしての表面〉という〈ねじれ〉なのである。

しかし考えてみれば、川柳のダイナミズムは、おそらく、そこにあるのではないか。ねじれ、に。笑いながら、消えるところに。チェシャ猫、に。

川柳という言語表現は、そのときどきにおいて語り手としての主体をつきくずす。むしろ、そのつきくずしかたを定型を用いて言表するのが川柳のもつひとつの〈過激さ〉なのではないか。

発話位置を奪われた状態で発話位置を模索しつづけること。そしてその発話位置が発話したそのことによってすでに奪われてしまってあることをみもふたもなく確認してしまうこと。しかしそういうかたちでしか、発話位置を記述=言表しえないこと。

それが川柳という言語表現にまつわる〈脱衣場〉的主体なのではないだろうか。

そして、それはやはりドゥルーズが『不思議の国のアリス』の「帽子屋と三月ウサギ」について述べているような、〈時間〉を〈殺し〉てしまったせいで、常にふたつの方角(=意味)に棲みつづける〈脱衣場〉的主体なのではなかっただろうか。つまり、
現在は、過去と未来に無際限に下位分割可能なティー・タイムという抽象的な時期の中でしか存続してない。こうして、帽子屋と三月ウサギは、常に遅すぎたり早すぎたりして、一回で二つの方角に、決して時刻に間に合わず、いまや絶えず位置を変えることになる。  G・ドゥルーズ、小泉義之訳『意味の論理学 上』河出文庫、2007年、p.147


【週刊俳句時評89】 結社のこれからetc. (3)  「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から 上田信治

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【週刊俳句時評89】
結社のこれからetc.(3) 
「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から

上田信治


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この夏刊行された、結社誌の記念号の話の、最終回です。

4.

小澤實主宰「」は、毎年、記念号として、本来総合誌に期待されるような高い視点に立った特集を組みます。

1周年の記念号から、毎号の特集テーマを挙げてみましょう。

1周年記念号「風景句」
2周年記念号「季語を楽しむ」
3周年記念号「特集1・恋の句 特集2・北園克衛」
4周年記念号「挨拶句」
5周年記念号「大正十年前後生まれの俳人」
6周年記念号「久保田万太郎」
7周年記念号「二十代三十代の俳人」
8周年記念号「田中裕明」
9周年記念号「定例句会百回」
10周年記念号(3号連続)「1 角川賞相子智恵と新撰21」「2 澤の十年」「3 通信句会百回」
11周年記念号「永田耕衣」
12周年記念号「震災と俳句」
13周年記念号「アナザー文学としての俳句」

壮観と言っていいでしょう。

「作家特集」の筆者の選択など、まさにこの人という人が選ばれて、必読の内容となっています。

http://www.sawahaiku.com/ebook.html 

上記ページから問い合わせれば、PDFファイル版が入手できる号も多いようです。



14周年の今年は、7周年目につづく若手特集「五十代以下の俳人」。

「五十代以下」が若手かという、俳壇内外からのつっこみは、甘んじて受けましょう。だって、七年前の若手特集のときは、猿丸さんがまだ30代だったんだから、しかたないじゃないですか。

目次は、こちら

青木亮人、今井聖、片山由美子、坂口昌弘、仁平勝各氏による「意中の五十歳以下の俳人」、「群青」「玉藻」「天為」誌の50歳以下会員の紹介、「澤」50歳以下俳人を代表して、相子智恵、池田瑠奈、押野裕、限果、榮猿丸、椎野順子、瀬川耕月、野崎海芋、堀田季何、森下秋露の自選20句、など、非常に盛りだくさん。総ページ332ページの大冊です。

筆者(上田)は、若手要覧記事「五十歳以下の俳人二百二十人」を作成し、小澤主宰との対談記事に参加しています。


小澤 俳句という詩型にとって、今新人は誰なのか、どうなっているのか、ということは、いつも関心をもっているつもりです。それから「澤」という会をやっているからには、「澤」の新人の世に出てもらいたいという思いも、もちろんあります。それから俳人協会で、会員の高年齢化について考えるという機会があって、それもこの特集に関係しています。
(対談「新人輩出の時代 五十歳以下の俳人を読む」より)

15000人を数える俳人協会会員のうち、50歳以下の会員は300人に「遠く」満たないのだそうです。遠く満たないというのは、220人くらいってことでしょうか。確実に2%切ってる。

そんなもんですかね。

ここで、ぎょっとしたほうが「記事っぽい」のでしょうが、自分の知り合いで、俳人協会の会員に積極的になりたいっていう人も、そんなにいない感じですし、こんな数字に危機感をもってもしかたがない。



要覧記事「五十歳以下の俳人二百二十人」(以下「要覧」)について。

どうやって作ったかと言いますと。

この7年の、角川「俳句年鑑」、総合誌、各新人賞の予選通過者、結社内部からの推薦、そこに澤誌から10人程を加え、300人超の作家をまずリストアップ。

それぞれの半年分の作品を、俳句文学館でコピーしたり(手伝ってもらいました)、結社内のお知り合いに写メして送っていただいたりして、集めまして。あとは、一人で読んで、一人で選びました。

半年分と区切ったのは、それくらいなら全部読めると踏んだからです。

引用句数は、一人1句〜4句。

そこに傾斜をつけたのは、読者のお楽しみのためでもあり、自分の考える作家の重要度を示したかったからでもあります。

半年分の作品から、何句でも引用したくなる、あきらかに「今」充実している作者がいる。そのことは、見て分かるようにしたかったのです。

そして、約90人の作者に短評を付しました(「2行で作家論」を目指しました)。



作ってみて感じたことは、いろいろあります。小澤主宰との対談では、

「書き手には旬がある」
「作家は固まって出る」
「この十年は、新人輩出の時代」
「心象優位の時代」
「取合せは試され「過ぎ」?」

といったトピックに触れましたので、それ以外のことを書きます。



「作者はいる」

遠藤千鶴羽、川里 隆、北沢雅子、金子光利、本多 燐、岩上明美、益永涼子、塩見明子、吉田昼顔、川越歌澄、日隈恵里、小関菜都子、堀木基之、橋本小たか、竹下米花、紺野ゆきえ、服部さやか、藤井南帆、紀本直美、原田浩佑、稲垣秀俊といったお名前、恥ずかしいことですが、これまで意識したことがなかった。しかし、結社誌等にたいへん充実した作品を発表されています。

ここに、自分にとって既知である、依光陽子、近 恵、甲斐由紀子、望月 周、高室有子、斎藤朝比古、辻美奈子、彌榮浩樹、馬場公江、月野ぽぽな、内村恭子、小倉喜郎、杉山久子、男波弘志、青山茂根、飯田冬眞、山田耕司、押野 裕、山田露結、津川絵理子、高山れおな、五島高資、榮 猿丸、相沢文子、佐藤郁良、杉浦圭祐、鴇田智哉、関 悦史、後閑達雄、九堂夜想、花尻万博、立村霜衣、塩見恵介、明隅礼子、田島健一、原 知子、曾根 毅、岡村知昭、堀本裕樹、宮本佳世乃、三木基史、中内亮玄、鶴岡加苗、五十嵐義知、如月真菜、篠崎央子、矢野玲奈、相子智恵、髙勢祥子、森下秋露、小川春休、池田瑠那、阪西敦子、西山ゆりこ、山下つばさ、日下野由季、北大路翼、津久井健之、藤 幹子、村上鞆彦、藤本夕衣、御中虫、冨田拓也、佐々木貴子、髙柳克弘、南十二国、藤井あかり、矢口 晃、大谷弘至、杉田菜穂、松本てふこ、涼野海音、神野紗希、西村麒麟、小川楓子、外山一機、佐藤文香、山口優夢、谷 雄介、野口る理、兼城 雄、生駒大祐、平井岳人、福田若之、三村凌霄、小野あらた、堀下 翔という作家を加えてみれば……。

俳句の若手の人手不足を嘆くことはない。あるいは、人手は足りないのだけど、作品は生まれているといえるかもしれない。

いや、みなさん、素晴らしいですよ。飛行機に乗るときは、別々の便に乗ってくださいね。


「作家は十年か?」

小澤主宰との対談で、自分は、山本夏彦が繰り返しエッセイに書いている「のぼって三年、維持して三〜四年、下降して三年」ということを引き合いに出して、「書き手には旬がある」ということを言いました。

小澤さんは「俳句もそうですか。もっとじっくり変化していくという印象ですが、そうでもないですか」と、やんわりと異を唱えられた。

そのあと、いろいろ考えたんですが、たとえば阿波野青畝でいえば『萬両』(昭和6)『國原』(昭和16)ときて、『春の鳶』(昭和27)には〈水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首〉がある。『紅葉の賀』(昭和37)には〈月の山大国主命かな〉がある。

青畝、爽波、敏雄のような作家は、30年から40年にわたって、一と山二た山と、作品の展開があり、大俳人というのは、えらいものだな、と思います。

たぶん俳句においては、「マンネリ」「反復」が前提になっているということと、そして、作品の「打率」「歩留まり」が低くて当たり前とされていることが、作家の「持ち時間」を増やしている。

あるいは、高齢作家の、手に入った技術の自動運転のような作句ぶりが、しばしば高く評価されることを見ると、俳句の場合「作家性」というものの意味が、どこか違っているのかもしれません。

それにしても、他ジャンルの標準からすれば、十年というのは、ふつうに優秀な創作者が「一つの方法」の可能性を試し尽くすのに十分な時間だったりします。

自分の印象によれば、多くの作家の場合、第一句集、第二句集に最良の達成があり、六十代でもう一勝負チャンスがある。

今回の「要覧」でも、若くして注目された作家が、現在、生彩を欠いていると見えた例は少なくなかった。俳人も、十年書いていれば、正念場がおとずれます。

作家が、この世に持ちこむものは、たった一つのものだと言う人もいます。たぶんその「たった一つのもの」のための「方法」が、「もう一つの方法」へ変成し、展開していくことが、もう一と山を作るためには必要なのでしょう。


「結社の風(ふう)というもの」

今回、総合誌と年鑑の掲載作家の名前を収集することから作業を始めたので、「結社」に属する作家が中心のリストとなりました。

思ったのですが、結社やグループには「(ふう)」というものがありますね。

語調を引き締めるという意識があるグループと、ないグループ。了解性に重きを置くグループと、そうではないグループ。作者も作品もはっきり違う。

たとえば、了解性に重きを置くのは「」「銀化」「ホトトギス」などです。語調を引き締めてくるなと感じたのは「未来図」「」など。語調を引き締めないと言ってしまうと、悪口になるので言いませんけど、総じてゆるやかだったり、緩急がなかったり、というグループもある。

俳句性というものをどう考えているのかが、自分には理解できないグループもありました。

そういえば、このことについては、長嶺千晶さんの「晶」のもうすぐ出る号に、小文を書かせてもらったんでした。

結社は、ある俳人が夢見た俳句を「上位概念=理想」として、分け持つ集団である。

集団内の作品や作者の価値は、その「理想」に照らして測られ決定される。つまり「理想」は、兌換貨幣における金【ゴールド】のようなもので、それは集団の内部においてもっとも上位の、公的【パブリック】な価値である。

しかし、集団の外ではどうか。

他集団の成員は「よそ」の作品とそこに含まれる「理想」を、ためらうことなく自分たちの「理想」に照らして値付けするだろう。(「晶 no.9」「エスペラントの夢」)

秋桜子の離反以来(昔ですね)、結社が複数存在するということは、イコール、それぞれの結社が中心とする価値が、互いにとって地方通貨のようなものにならざるを得ない、ということです。

しかし、それらのローカルな価値は、必ずよりパブリックな価値によって裏書きされている(はずです)。そう信じているから、今回、90を超える結社・グループに属する作家を一人で読むということが可能になるわけですから。

よりパブリックな価値とは、つまり、「いい俳句」という諸理想の理想、「上位概念の上位概念」であるわけです。

とすれば、作家が、結社に拠るということは、心によりパブリックな価値を秘めつつ、ローカルな価値に殉じることでしょうか。

もともとそれ以外に道はないのだと、小澤さんなら言うかもしれない。小澤さんは「座」がなければ「俳句」はない、と考えているはずなので。



今回、記念号を取り上げた「未来図」「玉藻」「」「」は、4誌それぞれ、違う理想や夢を集団として分け持って、その生命力を保っている。

それは、かなり驚くべきことです。ミームの多様性という意味では、間違いなくよいことでしょう。また、それぞれの記念号の特集記事から、結社というものの生産力を再認識しました。

一方で、それぞれの価値が、測り合い、試し合う「市場」がないという現状、総合誌よりも結社誌の特集号にジャーナリズムが存在するという現状は、俳句というジャンルに「運動」が生まれるチャンスを、限りなく遠ざけているように思われます。

たとえば、これら4誌が電子化して、ただで、誰でも読めるようになったら、どうでしょう。状況は変化するでしょうか。

誰も読まないかなあ、、、でも、評判が、一句単位とか、一エッセイ単位で流通するようになったらどうだろう。諸価値の行き交う市場が、芽生えやしないか。

いやそれは、www(ワールドワイドウェブ)草創期の夢ですね。今となっては、草不可避ってやつかもしれない。

「澤」はPDF版の販売がある(記念号は1冊1000円)ということ、あらためて記しておきます。

(この項終わり)

おばさんとおばあさんの話 五七五論序説 佐藤栄作

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おばさんとおばあさんの話
五七五論序説

佐藤栄作


なぜ五七五なのか、なぜ五七から七五なのか……歌人・俳人でなくとも、興味のそそられるテーマです。このこと、すなわち日本の韻文の型について、日本語の性質の視点から見て行きたいと思います。

五七五を考える際の出発点は、五七五の五・七とは、いったい何を数えているのかということです。候補としては、①文字、②音、③時間が挙げられるでしょう。ということは、この①~③が皆イコールなら、それがそのまま「何を数えているか」の答えとなるはずです。つまり、書く文字の数=発音する音の数=単位となる時間の数(リズムの数)なら何の問題もないのです。

たとえば中国語の場合、漢字は一つ一つが1音節(シラブル、切れ目のない音の連続)となっています。五言律詩の五、七言絶句の七とは、文字の数であり、そのまま音節の数でもあるわけです。そして、それがリズムの単位ともなっていると考えられますが、注意すべきは、漢字1字1字は、常に一定の長さで発音されるわけではない点です。わかりやすくいうと、伸縮自在です。リズムとは、区切られた時間を繰り返すことですから等間隔が基本でしょうが、言語としての音節は、同じ長さでなければならないということはないのです。

どうしてこんな話をするかというと、日本語では、「おばさん」に「おばーさん」と声をかけると怒られます。「おばさん」と「おばーさん」とでは意味が異なるからです。こうした日本語の性質は、実はグローバルスタンダードではないということを確認しておきたいからです。

言語の音節が伸縮自在であるというのは、英語でも確認できます。英語には「短母音」と「長母音」があると学校で習いましたが、「短母音」と「長母音」とは音色が異なるのが普通であり、「短母音」をそのまま長くした「長母音」は原則として存在しないようです。つまり、同じ音色の母音が、長さによって別の母音として働く(意味の区別に働く)ということはないらしいのです。

「おばさん」と「おばーさん」とでは意味が異なるというのは、万国共通でないばかりか、どうも特殊・特別なのです。もちろん、日本語でも、「ひとつ、ふたつ」を「ひとーつ、ふたーつ」と発音しても、語としては変わりません。母音を伸ばして強調することがありますが、別の語になるのではありません。英語と同じです。しかし、「おばさん」と「おばーさん」とは異なる。「しょじょ」と「しょーじょ」と「しょじょー」と「しょーじょー」、これらは皆別語となる。一方、「おばさん」を「おーばーさーんー」と発音しても、「おばーさん」にはならない。これはどういうことか。

日本語では、音節(切れ目のない音の連続)とは別に、時間の単位が存在し、「おばさん」の「ば」は1単位、「おばーさん」の「ばー」は2単位だから異なるとするのが日本語の規則だからなのです。「おーばーさーんー」の場合は、全体を引きのばしている、つまり時間の単位そのものを長くしているので2単位になっていない、そういうように考えられます。この時間の単位を「拍(はく)」あるいは「モーラ」と言います。

音節は、切れ目のない音の連続ですから、見方を変えると、前後に切れ目があるわけです。切れ目を入れるとは、発音する手間が意識されるということです。つまり、1音節は発音の口の手間が1回、2音節は口の手間が2回になります。「おばさん」の「ば」も「おばーさん」の「ばー」も、口の手間数はともに1回です(1音節です)。ところが、後者は「ばー」と発音している間に、時間の目盛りの1を通り過ぎて、2になってしまった。1音節なのに2拍だということです。日本語では、この拍という単位が意味の区別に働いているのです。

回り道をしましたが、この「拍」こそ、俳句・短歌で五だの七だのと数える対象であり、日本語のリズムの基本単位なのです。

生まれて間もない赤ん坊は、どの人種・民族であっても、おそらく、「息」から生み出される「声」を、口の手間数でカウントするはずです。ならば、日本語を習得するとは、子音や母音、文法規則を習得することであるとともに、「拍」を習得するということだといえます。伸縮自在の音節でなく、「声」を、ほぼ時間的に等間隔の「拍」で割っていく、それができるようになっていくことこそ、日本人(日本語母語話者)になるということなのです。

DNAに、「「拍」に割りなさい」という指示が書き込まれているわけではありません。すでに「拍」に割っている日本人たちに囲まれ、日本語を浴びて育っていくうちに、自らも「拍」で割れるようになっていくのです。

そして、不可思議なのは、その「拍」の数です。なぜ、五七、七五、七七なのでしょう。なぜ、それが心地よいのでしょう。

ようやく出発点に立ったのです。



【参考文献】
川上蓁1977『日本語音声概説』桜楓社
高山倫明2012『日本語音韻史の研究』ひつじ書房
 
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