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「走れ変態」作者自身による解題

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「走れ変態」作者自身による解題


発端はシンポジウム「変態俳句―異常ないし病的であること」(現代俳句協会青年部勉強会、2014年3月16日)〔*〕開催日を過ぎてから、これに関心をもった某女流俳人から詳細についての問い合わせがありました(関係者でもない私に、なぜか)。いずれ機関誌等にレポートが掲載されるのでしょうが、今のところウェブ上にあまり情報はないようで、その旨お答えしたところ、「変態俳句」の句会をやりましょうとのご提案。なぜか、そういう流れ。先日、出かけてまいりました。

句会は和やかな雰囲気で無事終了。私の手元に変態句が何句か残りました。それらが今回の連作9句の元になっております。

あ、そうそう。《にはとりを娶りし夜半の月涼し》の選評では、主催の女流俳人、「これは鶏婚と申しまして」と、なんとも涼やかな口調。さすが。年月と経験を積み重ねた女性は、器が違うわ、と舌を巻いたことでした。



まとめていく際には、変態とひとくちに言ってもいつくかの分野があるだろうと考え、分野を押さえていくことにしました。結果、獣姦、同性姦、切片愛好(フェティシズム)、少年愛、屍姦、SM……そして九句目は、現代詩あるいは金井美恵子の読者には周知のフレーズを下敷きに、変態さんにエールを送りました。カバーできなかった分野も多々あろうかと存じますが、それは今後の課題とさせていただきたく存じます。

ところで、私の知人(俳人)が「変態と淫乱は違う」と突然語り始め、どうゆうことかというと、変態は「じゃまくさい」。つまり手間がかかる。そういうことらしい。変態には知識と好奇心と探究心が要る。対して淫乱は、ただ性欲があればよい。

「走れ変態」の作者たる私が、いずれにあたるか。それはどちらでもよいことです。作者と作品(句)は別。ましてや作者の背後にある社会的現実・社会的属性など、どうでもよろしい。変態についての見識の如何は、読者が句をもって判断されればよいことです。



なお、表題「走れ変態」は、以下のようなツイッター上のやりとりに由来しています。


これがなければ、タイトルはこうではなかったでしょうし、それ以前に、連作としてまとめようなどとは思わなかったでしょう。なかやまなな氏(@fukurofuaribai)にはこの場を借りて、深く御礼を述べさせていただきます。


〔*〕第134回現代俳句協会青年部勉強会
http://genhai-seinenbu.blogspot.jp/2014/01/134.html
Webによる変態俳句アンケートの回答結果
http://genhai-seinenbu.blogspot.jp/2014/03/web.html

9句作品テキスト 西原天気 走れ変態

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西原天気 走れ変態

にはとりを娶りし夜半の月涼し

錯乱といふもの百合の花の底

男娼を買ひに鶯谷わたる

蜜豆に乳首が混じるじつと見る

かんかんのう水母は雲の如く浮き

あさがほひらく十三歳の胸板に

山蛭もくちびるも踝もとこぶしも

夏ゆふべドンキホーテで鞭を買ふ

走れ変態あしたがないと思ふなら

9句作品 西原天気 走れ変態

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週刊俳句 第377号 2014-7-13
西原天気 走れ変態
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第377号の表紙に戻る

週刊俳句 第377号 2014年7月13日

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第377号
2014年7月13日



西原天気 走れ変態 9句 ≫読む
 作者自身による解題 ≫読む
……………………………………………
【句集を読む
NO TISSUE, NO LIFE
丸山進句集『アルバトロス』の一句……柳本々々 ≫読む

連載 八田木枯の一句
盆唄はゆるく節目のささくれし……太田うさぎ ≫読む

俳句に似たもの 11
俳句 ……生駒大祐 ≫読む

自由律俳句を読む 50
うぐいす〔1〕……馬場古戸暢 ≫読む

【週俳6月の俳句を読む】
栗山 心 クールダウン ≫読む
鈴木不意 夜の闇へと続く回線 ≫読む
仮屋賢一 俳句の色彩感 ≫読む
羽田野 令 詩の言葉として ≫読む
宮本佳世乃 長女的な寂しさ ≫読む
今泉礼奈 ほんのりと ≫読む
山田 航 続・週俳6月作品をアナグラムにして読む ≫読む

〔今週号の表紙〕佃島念仏踊り……西原天気 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……村田 篠 ≫読む


 「ku+ クプラス」創刊号 購入のご案内 ≫見る


 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ ≫読む
週俳アーカイヴ(0~199号)≫読む
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〔今週号の表紙〕第378号 クライミングウォール 山中西放

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〔今週号の表紙〕
第378号 クライミングウォール

山中西放


大阪府民の森内の「星のブランコ」への登坂の小道。思いがけぬ自然の大絶壁が聳えていて多くのカメラマンが三脚を据えていた。きっと誰かするロッククライミングを待構えているのだろう。と隣に此のクライミングウォールが在った。関西最大と言うことらしい。ここで練習を積めば本物の岩壁に登れる? 隣り合わせでありながら何か別のスポーツに見えて来るのはカメラマンだけだろうか。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫
こちら


【週俳6月の俳句を読む】この少しの傾き 山下彩乃

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【週俳6月の俳句を読む】
この少しの傾き

山下彩乃



父の日を埋める白魚集まりぬ
「六月ノ雨」  髙坂明良

白魚は白いイメージだけれど、泳いでいる姿は透明らしい。涙であふれた視界のように、ぼんやりしている父の日をみた。


お手本をなぞると猫が濡れている
「お手本」  原田浩佑

お手本というと書道。正座をして息を吐いたとき、ふと窓から庭を見た。
この猫はきっと濃いグレーの猫だ。墨汁を含んだ筆みたいに。


届かない深さにこたへ青銀杏
「六月の日陰」  井上雪子

青銀杏から、高さではなく「深さ」にしているのがよくわからず、ひかれた。
空が、際限なく深いこととして。


パラソルの陰を半分もらいけり
「夏岬」  梅津志保

パラソルを貸してもらうとか、それが相合傘であるとか、そんなことではない。陰を半分だけもらっている。この単純な、すこしの傾きに行き着くことが難しい。

第371号 2014年6月1日
陽 美保子 祝日 10句 ≫読む
第372号 2014年6月8日
髙坂明良 六月ノ雨 10句 ≫読む
原田浩佑 お手本 10句 ≫読む
 第373号 2014年6月15日
井上雪子 六月の日陰 10句 ≫読む
第374号 2014年6月22日
梅津志保 夏岬 10句 ≫読む
第375号 2014年6月29日
西村 遼 春の山 10句 ≫読む

自由律俳句を読む52 うぐいす〔2〕馬場古戸暢

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自由律俳句を読む52
うぐいす〔2〕

馬場古戸暢


前回に引き続き、うぐいす句を鑑賞する。

青い水たまり跳んで世界はおれのもの  うぐいす

夏を詠んだ句のように感じた。吾子の様子を詠んだものとしてもよいが、連れ合いの様子を詠んだものと考えても面白い。私自身、こうした思いを抱いたことがあったので、なおさら共感できた。

あなたが帰ってきた桃の匂いたつ  同

あなたが桃を引っ提げて帰ってきたのか、それとも、あなたが帰ってきたからこそ我が家にあった桃の匂いがよりたちはじめたのか。いずれにせよ、皆の笑顔が描かれた句。

ぬるい水飲み干してかなかな  同

「かなかな」は、異常に哀愁を内包する語だと感じる。掲句では加えて、「ぬるい水飲み干して」によって、夏の夕の気怠さが色濃く詠み込まれている。

呼ばれて振り向く月が出ている  同

この月は、あなたの頭上に輝いていたものだろう。予期せぬ発見の様子を、よく詠んだものと思う。

君の隣で雷まだ遠い  同

今回の最初にとりあげた句と同様、ここでの君を、吾子と読んでも連れ合いと読んでも面白い。部屋の電気は消えていて、ふたりで闇夜に震えていたのかもしれない。

【句集を読む】 ふとんとは、なんだったのか 西原天気句集『けむり』の一句 柳本々々

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【句集を読む】

ふとんとは、なんだったのか

西原天気句集『けむり』の一句


柳本々々



県道に俺のふとんが捨ててある  西原天気

「県道」とはいったいなんなのか、というところからはじめたいと思います。

辞義的には県が管理する道路が「県道」ですが、県道はそうした大文字の主体が管理する〈場〉であると同時に、車やひとといった小文字の主体が偶発的に通行・通過する管理不能の〈場〉としても機能しています。

「県道」にはよくなにかが「捨ててある」のですが(たとえばわたしがかつてみたものでは、マンガ雑誌・空き缶・マネキン・ひき肉がありました)、これがおそらく「県道」の〈ねじれ〉としての〈記号的場〉を用意しています。

「県道」とは誰もが所有化できない公道であるゆえに、だからこそなにかを捨てる・なにかが捨てられてあるといった行為・出来事が〈侵犯〉としての意味をもってきます。この句の語り手が「捨ててある」「俺のふとん」を見出したのはこのような「県道」でした。

この「県道に俺のふとんが捨ててある」という句なのですが、わたしは、選択されなかった潜在的な句として「県道に俺のふとんは捨ててある」や「県道に俺のふとんを捨ててある」があることに注意してみたいのです。

つまり、「ふとん」の助辞をすこし変えるだけで、語り手が「俺のふとん」が県道に捨ててあることを知っていたかどうかが変化してくるのがこの句なのです。

たとえば「ふとんは捨ててある」の場合、語り手はこの県道に捨ててあるふとんのことを係助詞「は」で話題として提示したことになるので知っていたということになります。「ふとんを捨ててある」にしても格助詞「を」は動作の対象をあらわすのでやはり語り手は捨ててあるふとんのことを知っていたことになります。

しかし「ふとんが捨ててある」の場合、様相(アスペクト)は変わってきます。格助詞「が」は主格をあらわすものなのでこの「ふとんが捨ててある」という命題のなかに語り手が関係する余地は言語的にはありません

語り手が「ふとんは」と話題を提示したわけでも、「ふとんを」と動作の対象にしたわけでもなく、「ふとんが捨ててある」は命題として〈主格:ふとん〉のもとに語り手抜きで完璧に成り立っています。

つまりこのような言語的状況からはじきだされている語り手とは、裏を返せば語り手がふとんが捨てられていたことを知らなかったということ、いま「県道」においてはじめて「ふとん」を目撃していることを示しているのではないかと思うのです。

語り手は助辞の選択において「捨ててある」「ふとん」の圧倒的な存在感を示しています。まさにそれは「俺のふとん」でありながら「俺のふとん」でなくなっているというやわらかくもシビアな〈ふとん疎外状況〉です。

語り手ができることといえば、言語的に疎外されてあるこの状況で「俺の」とふとんに所有の言明をすることなのですが、この句の上五に「県道に」とあるように〈ここはだれの場所でもない場所〉なのだということがポイントです。ここでは「俺の」といった瞬間、「(県の管理する場所の)俺の」といったような所有の反転が行われるはずです。それがおそらく先にも述べたような「県道」の〈ねじれ〉です。

ところで不思議なことなんですが、同じ短詩型文学かつ同じ「県道」においてもうひとり、捨てられたあるものを目撃している語り手がいます。

雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁  斉藤斎藤『渡辺のわたし』

この歌の語り手は捨てられ「ぶちまけられ」ている「のり弁」を「県道」において見出しています。

ここでは〈見出してしまう〉ことそのものがドラマになっている点に注意したいと思います。なぜなら先ほどの西原さんの句もまた「俺のふとんが捨ててある」ことを見出してしまうことのドラマだったからです。

「県道」とはこのように〈偶発的偶有性〉が支配する場所です。始終なにかが通過し、通行し、とおりすぎ、だれかがなにかを投げ、おとし、すて、ぶちまけ、わすれるといった、〈ひんぴんなふいうち〉が多発する場所です。

しかしそんなふうに「俺のふとん」が「捨ててあ」ろうが「のり弁」が「ぶちまけられ」ていようが、それは偶有的で付帯的でしかなく、「県道」そのものにとっては本質にはなりえない場所、それも「県道」なのです。

にもかかわらず、「県道」という特異な場所において〈よそもの〉の主体になってしまった語り手が、〈なにか〉が捨ててあることを目撃してしまうことが〈ドラマ〉になってしまうような場所。それも、また、やっかいなことではありますが、やはり、「県道」なのです。

「県道」とは、すみつくことができない場所であり、とおりすぎるしかない場所であり、わたしの場所ではない場所ですが、にもかかわらず/だからこそ、〈私秘的〉な「ふとん」や「のり弁」の〈遺棄〉が〈わたくし〉のドラマとなるような場所なのです。

しかし、もう一方で、こんな声もきこえてきます。いや、この西原さんの「ふとん」の句は、むしろ〈ふとんのドラマ〉だったのではないかと。おまえはまだ〈ふとん〉がなんたるかを理解していない。おまえの問うべき課題は、「県道」ではなく、「ふとん」だったのだ。つまり、おまえがおまえに問いかける命題はこうだったのだ。

──ふとんとは、なんだったのか。

しかしこのタイトルをわたしは「県道」に〈あえて〉捨ておくことにして、わたしのドラマがないものか県道をあるきつつ、この文章をおわりにしたいと思います。──あ、俺のふとん。

お布団が死体のように捨ててある  笹田かなえ「プルタブ」『新世紀の現代川柳20人集』

【八田木枯の一句】井戸のぞく母に重なり夏のくれ 角谷昌子

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【八田木枯の一句】
井戸のぞく母に重なり夏のくれ

角谷昌子


井戸のぞく母に重なり夏のくれ  八田木枯

第二句集『於母影帖』(1995年)より。

「天狼」時代の木枯の活躍は華々しく、同時期に「天狼」に参加していた若き宗田安正に「首を絞めたくなる」と言わせるほど羨望の的だった。木枯は「天狼」創刊当初から山口誓子に才能を認められ、「天狼」代表作家としての将来を嘱望されたが、同人とはならなかった。それは実業に忙しかったため、毎号の投句が滞りがちだったからだ。誓子としてみれば、期待すべき弟子として津田清子らと共に同人に推したかったが果たせなかった。

木枯は、昭和三十六年、台風の被害に遭い、商売の材木を全て熊野灘に流失してしまう。以降十六年間実業に専念し、ようやく事業が安定して俳壇に復帰したのは、昭和五十二年のことである。この年、うさみとしおと二人誌「晩紅」を創刊、翌年、二十代の「天狼」発表句をまとめた第一句集が『汗馬楽鈔』だ。この時、すでに木枯は「天狼」時代の作風との訣別を己に約していたのではなかろうか。

平成七年、第二句集『於母影帖』を刊行。昭和五十二年以降の「母」をテーマにした作品を主軸として収める。木枯の俳壇復帰を歓迎して便りを寄こした三橋敏雄や宇多喜代子らも、がらっと作風を変えた『於母影帖』にはさぞ驚かされたことだろう。第一句集『汗馬楽鈔』にはすでに〈身の裡を母にのぞかれ寒がる吾〉があり、「母」への執着の兆しがうかがえるが、題材のひとつに過ぎなかった。しかし『於母影帖』に至ると、自身の血脈や「母」に代表される女の母性、愛情、エロス、産む性としての業などが執拗なほどに縷々と描かれる。〈あを揚羽母をてごめの日のくれは〉〈夏は母と抱き合せなり筥の中〉などは、近親相姦まで想起させられる内容である。だがこれは俳壇復帰を果たした木枯による母胎を借りて新たなるいのちを授かるという再生の儀式ではなかったか。

掲句〈井戸のぞく母に重なり夏のくれ〉では、井戸を覗きこむ母の背を抱きすくめるように覆いかぶさる。母を護るというより、業を畏れる母と運命を共にする挺身の姿のようでもある。自分も底知れぬ井戸の深さに、母と一緒に今にも引き込まれそうだ。井戸を充たす闇は果てしなく黄泉にまでつながっているのではないか。永かった夏の日は、ようやく傾き始め、一つに重なった人影が夜の帳に包まれてゆく。

「井戸」「母」というと思い出すのは、種田山頭火の境涯だ。母は肺結核を病み、父の放蕩に絶望した末、井戸に身を投げて自殺する。三十二歳の若さであった。この時、十歳だった山頭火はずぶ濡れの母が井戸から引き上げられた無惨な死顔を見てしまう。その衝撃の大きさは、直後に祖母の膝に取りすがったことからもうかがわれよう。少年の時のトラウマから、山頭火は一生逃れ得ず、放浪と酒びたりの日々を送るようになったとも言えるだろう。

木枯が掲句を作った背景に、山頭火の母の事件があったとは断定できない。だが井戸のイメージとして当然心に掛けていたであろう。井戸とは、なんだか異界に通じていそうで、縁に手を掛けて中に身を乗り出すと、この世ならざるものが浮かび上がってきそうだ。木枯には暗がりに跳躍する魑魅魍魎が見えていたのだろうか。もしかしたら山頭火の母は、迂闊にも井戸の闇に手を伸ばしたため、魍魎に引きずり込まれたのかもしれない。


 

【週刊俳句時評87】 結社のこれからetc. (1)  「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から 上田信治

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【週刊俳句時評87】
結社のこれからetc.(1) 
「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から

上田信治



今年、2014年夏、俳句界を代表するいくつかの結社誌の記念号が刊行されました。

「未来図」(鍵和田秞子主宰)30周年記念号、「鷹」(小川軽舟主宰)50周年記念号、「玉藻」(今号より星野高士が継承主宰)1000号記念号、「澤」(小澤實主宰)14周年記念号の4冊。いずれも質量ともにたいへんな充実でした。

駆け足になってしまうのですが、それぞれ紹介しつつ、俳句の現在のトレンド、あるいは、結社のこれからなどについて考えてみたいと思います。



「未来図」30周年記念号(2014.5)には、記念座談会「俳句ー来し方行方」と題し、正木ゆう子本井英神野紗希鍵和田秞子主宰(司会・角谷昌子)の座談会が掲載されています。

非常に印象に残ったのは、「取合せ」についての話。

同誌1月号で、鍵和田が「最近の三、四十代の若い人たちが作っている俳句」「一物仕立て」が多く「すっと気がついたことをさっと詠んで、時間的にもとても速くて軽くて。あまり苦労もしてなくて。でも本質を得ているような写生でもない」(「主宰挨拶」)と発言していることについて。神野が、必ずしもそういう印象ではないと述べ、、正木、角谷も同調する。

鍵和田「一物仕立ての句、多くない?」正木「どうでしょう?」角谷「取り合わせも多いのでは?」鍵和田「季語そのものを詠んでいるのが目立つ」神野「(私は)取り合わせの方に馴染みがあります」神野「でも、解りやすくなっている、散文的な文脈で読めるのが多くなっているというのは解ります」角谷「『新撰21』などの若い人たちの句は半々のような気がします」(同号p.31)

これだけだと、鍵和田が何か勘違いをしていて、やりこめられたような印象ですが。

しかし、鍵和田の言うのは〈からつぽの空となりたる野分後 今橋眞理子〉〈見えさうな金木犀の香なりけり 津川絵理子〉〈さへづりのだんだん吾を容れにけり 石田郷子〉〈虫売の黙つて虫を鳴かせけり 明隅礼子〉〈てのひらをすべらせたたむ花衣 西宮舞〉〈小説になるかもしれぬ古日記 木暮陶句郎〉〈セーターを脱ぎてセーターあたたかし 斎藤朝比古〉〈しづけさを春の寒さと言ひにけり 高田正子〉〈不可能を辞書に加へて卒業す 佐藤郁良〉〈大切なもの見えてくる螢かな 名取里美〉といった句のことではないか。(引用は、『戦後生まれの俳人たち』作者自選句より)

違うかもしれませんが、自分はそう考えました。だから、三、四十代というより、四、五十代。

神野の言う「散文的文脈」は、これらの句が、文章語のような構文を持ち、そのまま普通文に置き換えられることに当てはまります(それ自体はもちろん悪いことではない)。

鍵和田「細部に目をつけて、一つのことにすっと気がついて、そこをすっと詠むような、そういう傾向がわりと多いように思えたのです」「解りやすさのみが優先するみたいなところがあるので、それでは困ると」「私が俳句を始めたのはその取り合わせによって、大きく深いことを詠めることに魅力を感じたからですね。草田男の「焼け跡」の句(※「焼跡に遺る三和土や手毬つく」)。物と物を取り合わせる。合わせてみると、戦後の絶望している大人の状況や、子どもたちに期待したい思いやら全体が、直感的に感じ取れた。凄い世界だなあ。これは短歌に負けないなと思ったのです。だから、一物仕立てで説明っぽくやってしまうと短歌には敵わない、絶対に」(同p.32)

この状況認識が、草田男の弟子である鍵和田から提出されることは、正当なことだと思われます。

短歌との優劣の話題を受けた、神野の発言もおもしろかった。

神野「多分それは「私性」のことだと思うのですが、俳句だと取り合わせをすると何か私という個人がしゃべった言葉というよりも、もう少し別の誰かが言ったこととか、別の誰かが見つけた何かという感じがあって、それは取り合わせに限らないと思うのですけれども。特に取り合わせの句だと、一人の人間が一人の言葉として喋っているというよりは、一つの真理として、そこに誰か、何か、よく解らないものの力が動いている気がします」「私を離れるということが俳句の重層性にもなるのかなと思いました」「取り合わせはやはり自分の外と出会うということかなと思う。自分の発想の中で組み合わせられるものの、外から来る「私だけではない何か」に出会う」(同)

神野が提出しているのは、関悦史が「俳句において表出される自己とは、現実に人生を送る個体としての自己を、その全てを相対化しうるメタレベルの自己が包摂しつつ、しかし個体性からも遊離しないという二重性の中で生成し続けるものなのだ」(「俳句の懐かしさ」「アナホリッシュ國文学 no.5」2013年12月刊)と書いたことと等しい、俳句の本質に近い論点です。

〈誰かものいへ声かぎり〉〈今も沖には未来あり〉といった言葉は、それが、かつて個人ではなく「誰か、何か、よく解らないもの」の声として現れたから、ご託に終わらない、詩性を持ちえた。

しかし、その方法は、現在どこまで有効なんだろうか、という疑問もわきます。

「取合せ」になっていれば、それが「別の誰か」を導入すると、今もまだ言えるのか。

人間探求派が、その命名以前は「難解派」と呼ばれていたことから分かるように、楸邨、草田男、波郷らのメソッドは、当時の読者に飛躍や驚きを強いるもので、そこに詩としての力があった。現在、人間探求派の代表句を「難解」であると感じる人は、いないでしょう。

方法それ自体は(写生も、ただごとも、二物衝撃も)、必ず、クリシェとなります。そして、それを賦活させるべく、個々の作家による試行が行われる。

結社は多くの場合、一つのメソッドを信奉する「派(スクール)」ですから、いかにそのメソッドをクリシェから救うかという、宿題を背負っています。そのことがどう実現されているかについて、「澤」の記念号の「五十歳以下の俳人二百二十人」というミニアンソロジーを作った経験から、検証できたらいいと考えています。

座談会では、本井英が「「取合せ」は行き詰まっているのではないですか」(同p.31)と述べています(氏の発言の主旨は、季題の本質が追究されていない、ということにありますが)。

筆者(上田)は、その「澤」7月号の、小澤主宰との対談で「取り合わせの手法が、ものすごく常識的で通俗的な感慨をそのまま俳句にすることを可能にしている面がある。これは俳句を「コピーライティング」に近づけます。小澤さんは、俳句がそんなレベルの共感で成立するものであってはいけないと思われませんか」という疑問を呈しました。

「取合せ」が、発話主体の二重化、あるいは無人称化を、必ず保証するということはありません。しかし、それが、神野の言う「誰か、何か、よく解らないものの力」「私だけではない何か」を、俳句に導入するゆえに有効なのだ、という観点は、正鵠を射ていると思います。

そして、その句が「一物仕立て」であれ「季題重視」であれ、もしそこに「誰か、何か、よく解らないものの力」が発生していないのであれば、俳句として何かが欠けている(上にあげた句がそうだとは、言いませんが)。

鍵和田が言いたかったのは、そこではないか、と思うのです。

(この項つづく)



追記 この「時評」でとりあげる予定の、「澤」7月号で、筆者(上田)は、「五十歳以下の俳人二百二十人」という、総覧的アンソロジーを制作したのですが、いくつか誤りが見つかっております。

「澤」9月号で、正誤表を掲載する予定ですが、誤りについてご指摘いただければ幸甚です。連絡はこちらへ。

現在ご指摘いただいた誤りは、

・相沢文子さんの生年(×昭和43年生まれ ○昭和49年生まれ)
・原知子さんの所属・略歴(×「六曜」「鬼」 ○「六曜」。略歴は原千代さんのものでした)

相沢文子さん、原知子さん、原千代さんには、たいへんご迷惑をおかけしました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。

上田信治

今井杏太郎論4  数と杏太郎

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今井杏太郎論4
数と杏太郎

生駒大祐


『麥稈帽子』を眺めていて、杏太郎の俳句には数字が多く用いられていることに気づいた。

十二月三十日の氷かな

冬晴や五重の塔を二つ見て

冬霞して千本のさくらの木

三人が言ひつはぶきの花黄なり

冬の部から引いた。さらりと引いてこのくらいだから、句集を読んでいて、良く目につく。

数字を句の中に溶け込ませる名人の一人が、田中裕明。

紫雲英草まるく敷きつめ子が二人 『山信』

春立つやただ一枚のゴツホの繪 『花間一壺』

初雪の二十六萬色を知る 『櫻姫譚』

二という数の安らかさ、一という数の厳しさ、非常に大きな数の不思議さがそれぞれの句に味わいを加えている。

数字を句の中に詠みこむ上での難しさのひとつは、その数字が「動く」と読者に思われかねないことだ。‎裕明は数字の象徴性を句の中で最大限に引き出すことで、それを解決しているように思える。

杏太郎の場合は、必ずしもそうではない。むしろ、数字は無造作に置かれているようにも思える。そもそも、杏太郎の俳句から過剰な象徴性をくみ取るのは少々無粋だ。

言葉が動く、ということは、逆に言えばそこに偶然性が生まれていることを表す。杏太郎はランダムネスを俳句に導入し、そこから生まれる景の伸び縮みを楽しんでいたのではないか。

十二月三十日の氷かな

この日付が「動く」かどうかは僕には断定できない。しかし、「偶然」であったこの一句に僕がとても惹かれたということは、俳句としてひとつの成功であり、僕にとっての幸福のひとつでもあるのだ。

今井杏太郎を読む4 麥稈帽子(4)

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今井杏太郎を読む4
句集『麥稈帽子』(4) 
                                                                                
茅根知子:知子×生駒大祐:大祐×村田篠:


◆これ以上アレンジできない◆

『麥稈帽子』もいよいよ最後の章になりました。今回は「冬」ですね。生駒さん、お願いします

大祐はい。今回僕が話したいのは
十二月三十日の氷かな

です。これこそは杏太郎さんにしか許されない世界だな、と思います。2010年の角川書店『俳句』の6月号の鼎談の中で、大谷弘至さんが「(榮猿丸さんの『季語で埋め尽くしたいんだね』という言葉に応えて)季語だけで五・七・五を詠んでみたい(笑)」ということをおっしゃっていたのですが、この句はその言葉をある種究極的に体現していると思いました。

ただ、大谷さんがおっしゃっているのは、季語という「雅」の世界をどのように変奏してゆくかということなのですが、杏太郎さんの場合はほんとうに「呟けば俳句」というか、日常から地続きの言葉、たまたま季語である言葉が俳句の中に収まっているパターンです。
というより、そのように見えるように作られている。

俳句において季語を中心に句を構成すると、人によっては古典主義の方向に向かいがちなのですが、杏太郎さんは季語を気負いなく使っているところがあって、この句も、単純に日記帳の一行目のような句づくりです。

それは、言葉として考えるとふつうのことですが、俳句としてみるとびっくりする。定型を守ってこうした句をつくってくるというところが、今井杏太郎さんの面白いところだと思います。

おふたりはいかがですか、この句。

知子取り上げていただいて良かったです。訊きたかったんですよ、生駒さんに。評のしようがないですもの。「十二月三十日」でなくても良いのですが、内容が間違っているわけではなく、まさに日記帳の一行目なんです。

大晦日ではなく三十日というところが面白いですよね。

大祐それに、字面もシンプルですよね。画数が少なく、形も四角ですっとしていて、二十九日にするよりはずっと立ち姿がいいです。飯田龍太の〈一月の川一月の谷の中〉も形がスッキリしているとよく言われますが、スッキリ度だけで言えば、杏太郎さんのこの句の方がスッキリしてると思います。

言っていることも、杏太郎の句の方がシンプルですね。龍太の句は「一月」を重ねることで、ひとつ捻りが生まれています。

大祐杏太郎さんの句には衒いがないんですね。変なことをやろうとしているのですが、それが句の形にまで波及していないんです。日常の目で見るとふつうのことを書いているのですが、俳句で書くと異様な世界が立ち上がってくるところが面白いんですね。

また、〈一月の川一月の谷の中〉だったら、良くなるかはともあれ何かアレンジができそうな気がするんです。でも、〈十二月三十日の氷かな〉は、もうこれで完成されていますよね。

「自註現代俳句シリーズ 今井杏太郎集」の中で杏太郎はこの句についてこう書いています。

“氷でなくたっていいじゃないか”と林之助さんが言った。“でも十二月三十日がいいじゃないか”と稚魚さんが言った。

この句について何か言おうとすると、こういうことになりますよね。

大祐これが大晦日だと背景にストーリーが見えそうになりますが、この句ではそういうものを弱めています。

知子わざと弱めるところが面白いんですね。ここまで削ぎ落とされるとアレンジできないのかもしれません。脱力させられますが、誰にもアレンジをさせないんですね。


季語の本意

次は私がいきます。

先生の眠つてをりし蒲団かな

この句集の最後の一句ですね。季語は「蒲団」ですが、じつは、季語としては弱いのかな、とほんの少し思っています。それはどうしてかというと、上が「先生の眠つてをりし」だからなんですね。

杏太郎の句はほんとうに季語をきちんと詠んでいる句がほとんどで、句を読むとその季節、その季語が目に浮かんでくるように感じることが多いのですが、この句の「蒲団」に関しては、「先生の眠つてをりし」という景の印象があまりに強いので、「蒲団」は先生の眠っている場所であるという役割に若干甘んじているのかな、という気がします。

石塚友二先生が亡くなったときの句で、杏太郎にとっては特別な時間を詠んでいます。杏太郎にはめずらしく「眠つてをりし」と比喩を使っているところにも、先生に対する尊敬と追悼の気持ちが感じられます。この「蒲団」には季節はあまり感じませんが、逆にその時間の切実さが伝わってくるように思えます。

知子この句を『麥稈帽子』の最後に置いたことは、句集を編むときに意識されたことだと思います。季語うんぬんよりも、追悼の意を込めたかった、ということなんでしょうね。自分の思いが強く出ている句だと思います。

私たちは友二先生の亡くなったときの句だとわかっているけれど、そういう前情報のまったくない人が読むと、また別の捉え方になるんでしょうか。

どうでしょう。まったく事情を知らない人が読んでも、先生が亡くなったときの句だと分かるような気もしますけど。

大祐ほんとうにただ眠っているだけだったら、ふつうは俳句には詠まないんじゃないでしょうか(笑)。

知子でも、〈ことしまた秋刀魚を焼いてゐたりけり〉なんて句をつくる人ですから(笑)。

大祐すこし迷うところですよね。一句として読むと、杏太郎さんならば単純に眠っている景で詠む気もしますし、一方でわざわざ俳句にしているところ、また、「永眠」という言葉があるところから、半分くらいの確率で人が亡くなってしまった景かなとも思います。でも構成として句集の最後に置かれているところからも、やはりこれは追悼の句だと思います。

ただ、さきほど篠さんが、「蒲団」が季語としては弱いとおっしゃいましたが、僕は、この「蒲団」は季語として機能していると思いました。蒲団は日常性が強いので、どう詠んでもあまり「雅」の世界にはいかないのですが、「畳の上で死にたい」というか、あたたかい蒲団の中で亡くなられた、ということへの安心感といいますか、ああ、それは良かったなあ、という気持ちになります。

ああ……なるほど。

大祐これがもし夏の句だったら、蒲団は夏蒲団ということになって涼しい感じになり、追悼の句としては、ちょっと合わないのかな、という気がします。もちろん、人柄にもよると思いますが。でも、あたたかい蒲団の中で先生が亡くなっているのは、寂しいけれどあたたかい景になって、追悼句としては良い使い方をされていると思いました。

知子そのように読むと、友二先生は幸せに最期を迎えたんだ、と思えますね。じつは私は、「亡くなっている蒲団」ということで、この蒲団から受けたイメージは「冷たい蒲団」だったんです。でも、生駒さんのようにこの句を読むと、友二先生への尊敬の気持ちがうかがわれる良い追悼句なんだな、と改めて思えます。

大祐夏は涼しい蒲団だから「夏蒲団」、冬は寒いからあたたかい「蒲団」、というように季語の本意を素直に読むと、僕の中ではこの句の蒲団はあたたかく思えます。

確かにそうですね。先生への尊敬の気持ちは私もこの句から深く感じましたが、あたたかさを読みとったのは素敵ですねえ。生駒さんの解釈を聞けて良かったです。

大祐それに、この句には死をストレートにイメージする言葉が一見入っていませんが、句の構成や文脈や境涯性から杏太郎さんならではの哀しみが伝わってくる、というところもあると思います。

知子杏太郎は前書きをつけませんからね。この句は、ふつうだったら前書きをつけるでしょう。そういうところもいいですね。

句集の最後に置くことが、杏太郎の気持ちを代弁しているのでしょう。

知子そういう意味で、この句もほかに言い換えができない句と言えるのかもしれません。


「分からない」ことに正直である

では知子さん、お願いします。

知子言葉の使い方を考えてみたいのが

水鳥の眠つてゐるやうにも見ゆる

です。「やうにも見ゆる」ということは「眠っていないかもしれない」ということですよね。そんなことをわざわざ、持って回った言い方で俳句にしています。生駒くんはこの句についてどう思いますか?

大祐この句は、「眠りゐるやうにも見ゆる」だったら五七五に収まるんですが、「眠つてゐる」にすることで少し長くなっています。でも、それが逆にリズムをつくっていて、ゆったりした感じが出ているかな、と思います。

嫌いか好きか、と訊かれると、どちらかと言えば好きな句です。「眠たげな」というふうに言わないところがいいですね。「眠たげな水鳥」というものを言うのに「水鳥の眠たげに○○○けり」という言い方をしないで、「眠つてゐるやうにも見ゆる」というムダ使いな感じが面白いです。

知子自分では気づかなかったのですが、もしかしたらこんなふうにムダ使いをしている句が好きなのかもしれません。

あとは「も」ですね。杏太郎は「〈も〉はあまり使わない方がいい」とよく言っていました。「も」には意味が出てしまいますからね。でもこの句は「水鳥の眠つてゐるやうに見ゆる」でもいいのに「も」を入れています。この「も」はなんでしょうか。

大祐少なくとも「も」を入れることで漠然とします。眠っているようにも見えるし、起きているようにも見える。並列っぽくなります。「眠つてゐるやうに見ゆる」だと、眠っているとほぼ断定することに近くなります。でもこちらで見ていると、眠っているかどうかは本来分からないことですよね。ある意味、「分からない」ということに正直なのではないでしょうか。自分の状態そのままを言っています。

でも、そのままを言うことは意外にむずかしくて、断定する方が簡単だし、そこに驚きが出たりもします。子どもでも言えるようなことをきちんと俳句として言っていて、しかも格調があり、下手には見えないのがすごいな、と思います。

知子同じような情景で、同じような雰囲気で句を詠んでも、この「も」が使えるかどうかは、ちょっと分からないですね。この「も」は杏太郎独得かな、と思います。同じく杏太郎の

馬の仔の風に揺れたりしてをりぬ

という句の「たり」に近いような気がします。その一語を入れるだけでまったく雰囲気が変わってくる、という言葉を、杏太郎はわざわざ入れますね。この語を抜いても句としては成立するのですから。これは計算して入れているんでしょうか。計算なんてしないような気がしますが。

大祐確かに、計算という言葉は杏太郎さんには似つかわしくないようにも思いますね
でも、杏太郎さんは句の推敲を丹念にされた方でしたよね。

知子何度も何度も唱えて、リズムがいいものを選んだらこうなったのでしょうか。

でしょうね。ちょっとした一語を入れたり取り替えたりすることで、とたんに句がなめらかになるという現場を、句会などで何度も見たことがあります。

知子でも、真似をしようとするとやけどするんですよね(笑)。


猿が木にのぼる不思議

冬の部の最初に

道端に水車がまはり茶が咲いて

という句があるのですが、この句はどうでしょうか。

見えたことをそのまんま五七五にしつらえたようで、「道端」という言葉の素朴さも含め、景としてはとても好きな句ですが、切れがなく、句会に出したら「これは説明ですよね」と言われるタイプの句です。ふつうはあまりつくらない句という気がしますが。

大祐切れのない俳句は短歌になる、とよく言われますが、この句は短歌にしたらつまらなくなりそうですね。切れがないのに一句として完成されているのはすごいと思います。かなり自信がないとつくれないですね。

知子そうですね、冬の部の最初の一句ですから。

大祐十一月の句が三句ほど冬の部のはじめに出てきます。

からまつの十一月の林かな
栗いろの十一月の雀らよ
むささびの鳴いて十一月の山

山の風景が繰り返し描写されていて、三句を畳みかけてひとつの像をなす感じになっているのですが、句集ならではの構成で、面白い読ませ方だと思います。

知子杏太郎には十一月の句がわりに多いですよね。「十一月」という季語が好きだったのかな、と思います。十一月は一年の終わりのひとつ手前で、さきほどの「十二月三十日」も一年の終わりの一日前で、そういうのが好きだったのかもしれません。

大祐「十一月」という響きもお好きだったのではないでしょうか。

あと、面白いと思ったのは

杉の木の揺れて大雪とはなりぬ

です。「とは」の「は」は強調ですね。「とはなりぬ」とすることでゆったりしたリズムになっていて、杉の木の大きさや大雪のようすが見えます。

大祐俳句では、因果関係がないものを因果関係があるように見せたいときに「て」を用いることが多いんですね。この句も意味的には「揺れて」で切れますが、形の上でナチュラルに続いてゆくので、因果関係があるように見える、というつくりです。

ただ面白いのは、「杉の木が揺れて」というのは風に揺れた可能性もありますが、雪が積もって枝が折れ、杉の木が揺れて「ああ、大雪なんだ」と気づいた、というふうにも読めます。そう読むと、流れのある自然な景になります。完全な空想ではなく景に即しているところは、杏太郎さんの一貫した姿勢なんだと思います。

知子そう、一見すると変に思えても、景としては間違ってはいないんですよね。

目つむれば何も見えずよ冬の暮

これも面白いです。当たり前のことをわざわざ言っています。「俳人は目をつむったら何かが見えるという句をつくったりしますが」と杏太郎はよく言いましたが、もしかしたらこの句は、そういう風潮に対しての返句のようなものかもしれません。

俳句って不思議ですよね。「目を閉じて何かが見えた」という句があると、ほとんどの人がふつうに共感します。生理学的に言えば杏太郎の句の方が正しいのですが(笑)、俳句にすると、「変な俳句」というふうに思えてしまいます。

大祐杏太郎さんの言葉に

「猿が木から落ちる」という意外性は、前者の常識の範囲のものであり、そこから更に、「猿が上手に木にのぼる」ことの不思議さに思いが到達し得たとき、はじめて思考の「飛躍性」が認識されることになる。(「魚座」1997年6月号)

というのがありますが、この句はまさにこの言葉を体現しているんですね。

杏太郎の重要な言葉がひとつ確認できました。『麥稈帽子』はひとまずこれで終わり、次回からは第2句集『通草葛』を読みます。特別ゲストをお迎えする予定ですので、読者のみなさまには楽しみにお待ちいただければ、と思います。

10句作品テキスト 鴇田智哉 火

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 火   鴇田智哉

すりガラスから麦秋へ入りたる
ハンカチが平たくひらき日は一つ
河骨のちかく通話をしてゐたり
蒲の穂の点々と昼うしなへり
さみだれの部屋が頭蓋とずれてある
玉虫が交叉点へとうすれゆく
水母かもしれない服を着てうごく
かなかなといふ菱形の連なれり
からすうりの花に子供のゐてしまふ
火が草へうつり西日にとけこめり


10句作品 鴇田智哉 火

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週刊俳句 第378号 2014-7-20
鴇田智哉 火
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週刊俳句 第378号 2014年7月20日

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第378号
2014年7月20日



鴇田智哉  10句 ≫読む

……………………………………………
今井杏太郎を読む 04
句集『麥稈帽子』(4)
……茅根知子×生駒大祐×村田 篠 ≫読む

今井杏太郎論(4)
数と杏太郎……生駒大祐 ≫読む

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結社のこれからetc.(1) 
「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号
……上田信治 ≫読む

連載 八田木枯の一句
井戸のぞく母に重なり夏のくれ……角谷昌子 ≫読む

【句集を読む
ふとんとは、なんだったのか
西原天気句集『けむり』の一句……柳本々々 ≫読む
 
自由律俳句を読む 51
うぐいす〔2〕……馬場古戸暢 ≫読む

【週俳6月の俳句を読む】
山下彩乃 この少しの傾き ≫読む

〔今週号の表紙〕クライミングウォール……山中西放 ≫読む

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後記+プロフィール379号

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後記 ● 西原天気


今週の10句作品は、まず、荒川倉庫さんの「豚の夏。これで週俳誌上での豚さんの四季が完結しました。

豚の春 (二輪通名義)2008-04-20
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/04/blog-post_20.html
豚の秋 2013-10-27
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/10/10_5480.html
豚の冬 (二輪通名義)2009-01-18
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2009/01/blog-post_18.html

2008年春からですから、6年越し。小誌としても感無量です。

最初の句は、

  地虫穴を出づれば豚に湧く疑惑

「疑惑」から始まったのですね。なんだか意味深長。



もうひとつの10句作品は、この7月に当番の一員となった福田若之さんの「小岱シオンの限りない増殖」。「ご挨拶代わりに、どお?」と打診したところ、エラい実験的でチャレンジングな10句を送ってきよりました。

コノタシオン=コノテーションは「言外の意味」くらいに受け取ればわかりやすいかもしれませんが、それだとインプリケーション(ほのめかし、含みetc)という、少しカジュアルな語とカブる。

むかしは「随伴的指示内容」などと訳されているのも目にしました(co-の部分にこだわった訳語?)。なに、それ、画数多い! なんでそんなにページをイガイガさせるかなあ、てな感じですが、当時は訳者にもリキが入っていたのですね。

ま、そんなような暇ばなしはさておき、作品を読んで、お楽しみください。




松本てふこさんから、句集評「スカートの中の青空 内村恭子句集『女神』を読む」を寄稿いただきました。

小誌では、最新句集はもちろんのこと、お読みになった句集について、また俳誌等のレビューを、いつもお待ちしています。



上田信治「結社のこれからetc. (2)」は、前回はマクラであったのか、と思わせるほど、「結社」、そしてその「中にいる人」について、とても微妙な部分に言い及んだ記事。

結社って、ある人たち(結社の成員)にとっては、俳句の「環境」として「自然」なものなのでしょうが、別の人たち(私もそう)にとっては、「外」のものとして対象化される存在です。



私は、このまえ神戸まで歌人さんたちのシンポジウムに出かけた、そのレポート(というか感想文)を書きました。その日の様子が手に取るようにわかる、という感じにはまったくなっていません。

なってたら困ります。入場料を払って聴いた人に申し訳がたちません。「読んで行った気になろうなんて甘えんだよ」という話です(これ、レポートする側にとっては、良い言い訳ですね)。

読んだ人に「今度こういうのがあったら行ってみようか」と思ってもらえるような記事になっていたらいいのですが。




それでは、また、次の日曜日にお会いしましょう。 


no.379/2014-7-27 profile

荒川倉庫 あらかわ・そうこ
1972
年千葉県生まれ。第1回北斗賞佳作。

福田若之 ふくだ・わかゆき 
1991年東京生まれ。「群青」、「ku+」に参加。共著『俳コレ』。

■松本てふこ まつもと・てふこ
1981年生まれ。2000年、作句開始。2004年「童子」入会。同年「新童賞」受賞。『新撰21』『超新撰21』(邑書林)に小論で参加。アンソロジー『俳コレ』に入集100句。2012年「童子賞」受賞。「童子」同人。  

■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。「俳句の創作と研究のホームページ」

■黒岩徳将 くろいわ・とくまさ
1990年神戸市生まれ。俳句集団「いつき組」所属。第5回石田波郷新人賞奨励賞。

■淡海うたひ おうみ・うたい
1955年神奈川県横須賀市生まれ。2004年、写真集『寺ねこ』(河出書房新社)俳句担当。2010年、第一句集『危険水位』(本阿弥書店)出版。俳人協会会員。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。「里」「ku+」所属。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。「月天」同人。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter

〔今週号の表紙〕第379号 豪州蠅叩 淡海うたひ

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〔今週号の表紙〕
第379号 豪州蠅叩

淡海うたひ


夏の季語「蠅叩」である。二十数年前、オーストラリアに旅行に行った際、土産に買った。オーストラリアの形をしているのが面白く、すっきりとした色使いも気に入って買ったのだが、使い勝手は悪く、未だに一匹の蠅も叩いていない。こうして「週刊俳句」の表紙を飾ることが出来たのも、虫も殺さぬ蠅叩に神仏のご加護があったからに違いない。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫
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【週俳6月の俳句を読む】曲者 黒岩徳将

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【週俳6月の俳句を読む】
曲者

黒岩徳将



紫陽花やのれんを仕舞う定食屋 梅津志保

亭主、あるいは奥さんのごそごそとのれんを片付ける仕草が見える。定食屋の店先の紫陽花は仕舞われないままだ。

定食、と言われると私は揚げ物を想像したりする。店の中には、紫陽花の色はない。だから、ひときわ紫陽花の色が目立つ。


カビ・キラー置かれて六月ゆらゆらす 井上雪子

カビキラーは、ジョンソン株式会社の取り扱うカビ取り剤のことである。公式Webサイトを見ると、「浴室・ゴムパッキン用」「キッチン・食卓まわり用」「洗濯槽用」の三つがあるとわかる。

この句を解釈・鑑賞する上で、重要なのが、「どのタイプのカビキラー」なのかということである。

私は、浴室用だと取りたい。湯を浴びるのでなく浴室に入る唯一の時間である、「掃除」。その時に見つめたカビキラーがゆらゆらしていたのだ。

その「ゆらゆら感」を表す仕掛けが三つ。「カビ」「キラ」の間の中点、中八、そして季語としての「六月」。

よくよく見れば、曲者な句だ。


水打つや影煮えたぎる人として 高坂明良

打ち水をするときに道路に映った自分の影を「煮えたぎる」と大げさに捉えた。

だが、高坂の「六月ノ雨」全体を読むと、十七文字で言い切らない姿勢が見える。一句目も果たしてこの解釈でいいのか、不安が残る。

十句単位では、高坂の句が最も頭の中をくすぐられた。


第371号 2014年6月1日
陽 美保子 祝日 10句 ≫読む
第372号 2014年6月8日
髙坂明良 六月ノ雨 10句 ≫読む
原田浩佑 お手本 10句 ≫読む
 第373号 2014年6月15日
井上雪子 六月の日陰 10句 ≫読む
第374号 2014年6月22日
梅津志保 夏岬 10句 ≫読む
第375号 2014年6月29日
西村 遼 春の山 10句 ≫読む

【八田木枯の一句】白地着て雲に紛ふも夜さりかな 西原天気

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【八田木枯の一句】
白地着て雲に紛ふも夜さりかな

西原天気


日常生活で和服を着ることが少なくなりなした。となれば、その手の知識が共有される土壌もなくなります。私はこの手のことに悲しいいほどに無知で、さすがに夏の和装がすべて浴衣、とまでは思いませんが、「うすもの」その他、それぞれの着物の区別はあまりつきません。だから、次のような句を読んで、正しく像が結べているのかどうか、少々心許ないのですが、それはそれとして。

白地着て雲に紛ふも夜さりかな  八田木枯

白地・白絣を雲に見間違う。というと、白地の「白」で雲につながるようでいて、それは夜のこと。夜の雲はけっして白くはありません。

白地もまた夜目にはそれほど白くはなく、それでも白地とわかる白。

玄妙な明暗のぐあい。

(いまどきは夜も照明で明るすぎることが多い。都会ばかりではない。田園の夜も昔ほど暗くない。してみると、この句の景もまた、現実では失われつつある景といえるかもしれません)

動きの点でも、昼の〔白地:雲〕とは違う。白地が軽くたゆたうのではなく、一定の質量をもって、そこに在る感じです。



たまには、技巧上の具体についても少し触れましょう。問題となるのは「も」でしょうか。

句作一般に「も」は注意を要する助詞です。流派によって違いはあるようですが、「も」は失敗を招くことが多い。「××も」とは、「××」以外も含意することになり、焦点がぼやけがちになります。句の対象は「××」なのか、「××」以外の何かなのか、はっきりせい、ということになる。

(初学・初心の句作には「も」が多く登場するようです。含意・ほのめかしを技巧と勘違いするせいでしょう)

この句の「も」はどうでしょうか。

ひとつには、他に「夜さり」につながるものが思い浮かばない。言い換えれば、〔白地着て雲に紛ふ〕以外のことを呼び寄せない。

もうひとつには(こちらのほうが重要)、「も」のこの箇所、この音が、やわらかに一拍、リズムを受け止めるかたちになっている。

この句の「も」は、とてもいいのではないでしょうか。

(教条主義的に「も」はなんでもダメというわけでなないのですね)



しろぢきて くもにまごーも よさりかな

「紛ふ」は、「まがう」などと「が」がとんがる読み方をしてはなりません。「まごー」。

声に出してみるとよくわかりますが、木枯句は「音」が魅力です。

掲句もそうですが、やわらかく流れるようなリズムと響きがあります。かといって美文調の流麗ではない。ちょっと身を引いたような余裕がある。句のもつ声は、つねに、大きすぎない。

これはリアルの木枯さんの口調・語り口ともつながります。私は幸運にも肉声を聞く機会がありました。三重のお生まれで、柔和な関西弁。

(東国で関西弁の代表格のように思われがちの大阪弁=声がでかく、まくしたてるような早口というイメージ?とはまったく違います)

着物も暮らしの中で粋に着こなしておられましたので、この句は、視覚・聴覚両面で「リアル木枯」に直接つながるような句、言い換えれば、そこに「木枯らしさんが居る」ような句です。



 

自由律俳句を読む 53 小澤碧童〔1〕 馬場古戸暢

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自由律俳句を読む 53 小澤碧童1

馬場古戸暢


小澤碧童(おざわへきどう、1881-1941)は、子規門の松下紫人に指導を受けて後、碧梧桐門へ入門した。瀧井孝『無限抱擁』に出てくる主人公の友人青舎は、碧童をモデルとしている。以下『自由律俳句作品史』(永田書房、1979)より、数句を選んで鑑賞したい。

初冬三日程の髭の伸び  小澤碧童

たまの連休があったのだろう。これから寒くなるのだから、暖をとる目的で、このまま伸ばしっぱなしでいるのも悪くないかもしれない。

ねぎまの煮え我より箸下ろしたる  同

家長らしい句。あるいは単に食いしん坊だったのだろうか。酒が進みそうである。

家の者よ布団敷くよろこびの満ち  同

家の者よというどこか中途半端な呼びかけに、面白みを感じる。妻や子が騒ぎながら、畳の上に布団を敷いている様が浮かんでくる。小さな幸せに満ち溢れた句。

もう寝かして欲しくお前の膝に娥が落ち  同

居間でのできごとか、寝間でのできごとか。それ次第で、詠まれた景はがらりと変わる。居間であれば、お前は正座をして、俺に説教をし続けていたのだろう。

盆燈籠よわが酔ひしれて寝るまでなり  同

普段は何も感じない盆燈籠に意味を見出すのは、酒が入っているからだろう。あるいは、お盆に帰って来たご先祖様が成せる業か。

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