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自由律俳句を読む47  風呂山洋三〔1〕馬場古戸暢

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自由律俳句を読む47
風呂山洋三〔1〕
馬場古戸暢


風呂山洋三(ふろやまようぞう、1971-)は、宮城県在住の自由律俳人。尾崎放哉の句に感銘を受け、2012年より自由律俳句を始める。同年、河東碧梧桐と中塚一碧楼に関心を持ち、自由律俳句結社『海紅』の門を叩く。翌2013年、さらなる活動の場を広げるべく、自由律俳句集団「鉄塊」に参加。

懐かしい人と会う秋めく夜だ  風呂山洋三

個人的には、相手は同性であってほしい景。こうした再会は、秋めく夜にこそふさわしい。

木立の影刺す冬のベンチの身の上だ  同

冗長な雰囲気が、冬の日中の空気を描いているように思う。この身の上には、木立の影のほかにどのような困難(?)が刺さっているのだろうか。

オリオンの瞬き授かる仕事帰りだ  同

私たちが生きているうちに、オリオン座の輝きがひとつ失われてしまうのだとか。そうした時に生きられたことに、そして仕事をできていることに、感謝したい。

障子開ければ祖母の見ていた祖父の松  同

祖父母の家での景だろう。祖父も祖母も、もうこの世にはいない。庭先にそびえる松に、祖父と、祖父に先に逝かれた祖母のことを想うばかりである。

肩落とした先の土筆伸びてら  同

いろんなことが起ころうが、季節はめぐり土筆が伸びる。明日もやっぱり頑張ろう。

【週俳5月の俳句を読む】生乾き 田中槐

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【週俳5月の俳句を読む】
生乾き

田中 槐



荻原裕幸の短歌の代表作といえばなんだろう。

歌、卵、ル、虹、凩、好きな字を拾ひ書きして世界が欠ける

たはむれに美香と名づけし街路樹はガス工事ゆゑ殺されてゐた

(梨×フーコー)がなす街角に真実がいくつも落ちてゐた

比較的初期の作品から引いたが、荻原裕幸の俳句がそれらに似ているのか似ていないのか、そもそも比べることに意味があるのかないのか、わたしにはまだわからない。

ただ、〈短歌は抒情〉で〈俳句は諧謔〉のように大雑把に括られることを拒んでいるような作風が、荻原裕幸の短歌にも俳句にもあるのではないかと、同じく短歌と俳句を両脇に抱えている身としては切実に彼の作歌・作句を見守っている。

歌人の俳句、と言われるときにまず指摘されるのは「湿り気」である。なぜ短歌には湿り気があるのか。それはここでは措くとして、歌人の俳句が湿ってしまうのは、季語の斡旋にあるのかもしれない。歌人が好みそうな季語、というのはなんとなくわかるような気がする。別に統計をとっているわけではないので、非常に個人的な感想ではあるが。

世界征服やめて何する花は葉に   荻原裕幸

たとえば「花は葉に」である。これが季語であることを、ほとんどの歌人は(たぶん)知らない。そして、知ったら絶対につかってみたくなる。桜の花が散って、葉桜になる、そこに歌人は抒情を見てとる。わたしも好きな季語だが、難しい季語だ。その抒情の部分を荻原裕幸は「世界征服」という語をもってなんとか乾かす。余談だが、荻原裕幸の野望は世界征服なので、この句を冒頭にもってくることによって、彼は俳句でも世界征服を狙っているのかもしれない(ご用心ご用心)。

ひぐらしや箪笥の底の新聞紙

この新聞紙は湿っている。そう確信してしまうのは何故だろう。それは季語の「ひぐらし」が原因ではないか。

ほかにも「卯の花腐し」「蝉時雨」「大夕焼」「春夕焼」あたりは、多少なりとも歌人の触手に触れてくる季語な気がする(個人の感想です)。一方で「迎春」「去年今年」といった(歌人の苦手そうな)季語を器用に処理してしまえるのは、荻原俳句の美点でもあろう。

片蔭のこれはマヨネーズの蓋か

「片蔭」、これも歌人が好きそうな季語だ(個人の感想です)。ここでも荻原俳句は「マヨネーズの蓋」という「澤」的(?)な無機質グッズをもって一矢を報いる。ただ、マヨネーズの蓋はだいたい赤い。この赤は、やや湿気を帯びていないか。

だとしても、わたしはこれくらいの「生乾き」感が心地よいと思ってしまう。乾ききれない歌人の性だろうか。

俳句がちょっと湿っていてもいいと思うことと、湿った俳句にもいい句があることとはだいぶ違うような気がする。一方で、乾いた短歌が別段問題視されないのはなぜだろう。短歌も俳句も川柳もつくる荻原裕幸は何か答えを見出しているのだろうか。まだまだ迷いつつ、わたしは俳句の世界の片隅にいる。

第367号2014年5月4日
木村オサム がさごそ 10句 ≫読む
飯島章友 暗 転 10句 ≫読む

第368号2014年5月11日
堀込 学 輕雷 10句 ≫読む
表健太郎 沿線物語 7句 ≫読む

第369号2014年5月18日
荻原裕幸 世ハ事モ無シ 20句 ≫読む

第370号2014年5月25日
池谷秀子 蝉の穴 10句 ≫読む
仲田陽子 四分三十三秒 10句 ≫読む
庄田宏文 絵葉書 10句 ≫読む

【八田木枯の一句】おもてから夕刊が来て梅雨ふかし  太田うさぎ

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【八田木枯の一句】
おもてから夕刊が来て梅雨ふかし

太田うさぎ



いよいよ梅雨到来。関東地方は平年より3日、昨年より5日早い梅雨入りだそうだ。この時期の雨の恵みが米を育てると言われれば、お米及びお米から醸される発酵飲料を好む者としては長雨に不平を零すわけにもいかないけれど、青空を見ぬ日が続くとやはり気ぶっせいではある。

おもてから夕刊が来て梅雨ふかし  八田木枯

この句はそんな梅雨籠りの午後を詠んだもの。梅雨もたけなわとあって叩きつける雨音に家の中まで濡れそぼつようだ。外出もままならないどころか、雨のシールドで外界からも隔絶している心持。夕刊はその閉ざされた時間と空間の帳をひょいと押しわけてやって来る。うっすらと湿りを纏った数頁の重さはついさっきまで隔たっていた巷の重さだ。おもてに市井はあるのだ。公明正大でございという顔の朝刊ではなく、少しくだけた感じのある夕刊が「おもて」という把握にぴたりと嵌る。

とまあ、逼塞しているところに世間が侵入するという風な読み方をしていたのだが、途中から違うかなと考え直した。「夕刊が来て梅雨ふかし」なのだ。「来て」は軽い切れでもあろうが、順接として用いられているならば、夕刊が梅雨を持ち込んだのだ。その場合、「ふかし」は単に雨の激しさだけではなく、作者の心情をも表すこととなる。

木枯句のなかではいささか地味な部類に属する句ではあるけれど、どうしてどうして味わい深い。

ふと永井龍男の『青梅雨』を思い出した。ご存じの方も多いに違いないが、僅かばかりの借金のために心中を遂げる一家の最後の夜をしみじみと静かな筆致で描いた短編だ。確か実際に新聞の小さな記事から構想を練ったとか。夕刊だったのだろうか。


掲句は『俳句』(2011年8月号)より。


 

空蝉の部屋 飯島晴子を読む 〔 22 〕最終回 小林苑を

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空蝉の部屋 飯島晴子を読む

〔 22 〕最終回


小林苑を

『里』2013年6月号より転載

これ着ると梟が啼くめくら縞  『蕨手』

やはりこの句で終わろうと思う。

俳句を始めて間もない頃、この句に出会って、こんな一句を作りたいと思った。似ている句ということではもちろんないし、こんな傾向の、こんな作りのというのでもない。この句を目にした途端、私はとある場所に連れて行かれていた。こんな一句とは、人を攫ってしまう句としか言いようがない。

そういえば、人攫いとはゾクゾクする言葉だ。攫われるのは子供や若い娘が相応しい。それは可弱くて、無垢で、原初的なもの。それを絡め取るために巧みに騙し、ときには力ずくでガサッと連れ去る。

人攫いが優しい顔をして「ほら見てごらん」と鏡のようなもの取り出すと、そこにはこちら側のものたち、ときには自分自身が映っているようなのだ。思わず覗きこむと強引に引き摺り込まれ、或いは自ら鏡の中に入ってしまっていたりする。いま見たものは本当だったのかを吟味している暇はない。一瞬にしてワープする。

人は攫われたいのだ。そうでなければゾクゾクはしない。この現実を裏返してみたい。そこにいるのはもうひとりの私で、その私もまた現実を裏返してみたいと思っており、どちらが本当の私なのかわからなくなるのだが、そんなからくり鏡の魔力に晴子も捉まえられたのだと思う。

「俳句をつくる作業のなかで、言葉を扱っていていつからともなく、言葉というもののはたらきの不思議に気がついた。言葉の偶然の組合せから、言葉の意味以外の思いがけないものが顕ちのぼったり、顕ちのぼりかけたりすることを体験した。そこに顕ってくるのは、私から少しずれている私であり、私の予定出来ない、私の未見の世界であった。私の監督をうけずに自由にしている言葉たちの向うに、私の知らない私を見ることは、味をしめればやめられない面白いゲーム(狩猟)であった。」〔※1〕

「既成の秩序は、言葉における本意と置き換えられるだろう。私の生まれ育った環境は、しぜんに私を本意の側に固定していた。本意の側、即ち滅びる側である。言葉と物が、私のなかではっきりしたかたちをとるまでは、私はむしろ、本意を攻撃する側にいるつもりであった。京都という都会に生まれ育った私のまわりは、本意のうっとうしさに満ち満ちていたから、これに抵抗していると思っている間は爽やかに仕合わせであった。しかし、こういうことは、嫌だからといって向こう側へ鞍替え出来るものではない。運命自体を、どれだけ引き延ばせるかということである。運命を自覚し、腰を決めて居直れば、これは賭けてみるだけのことのある、なかなか面白い仕事である。」「本意の血の濃さを逆手に使わなければ、私には何も使うものがない ー略―  破調や自由律を使うより、五・七・五典型を使うほうが、定型的世界に対する報復が、私の私自身への報復が、二重のエネルギーをもって達成される。静かに、徹底的に、恨みが果たせる。自他への私の残酷さが完璧に満足させられる ―― 嗚呼、そんなことをしてみたいと熱望する」〔※1〕

ひとつの時代を生きた女性の言葉として、この生真面目さ、気負いをときには鬱陶しいと思ったりもする。晴子は母の世代だとはじめに書いた。母とは鬱陶しいものだ。それは、晴子が「うっとうしい」と書いた本意でもあるのだ。同時にこの頃の晴子の年齢を過ぎると、人はもう恨んだりするような体力・気力は失せ、よく言えば多少の達観か諦念とともに緩やかに自然体になっていくのだと、晴子句の変化にそれを重ね合わせて得心する。

めくら縞は細かい縦縞模様のことで、それも黒紺などの暗い色の縞なので遠目には無地に見える。木綿で織って普段着・野良着にするのが普通だろう。その闇のような色目からめくら縞と呼ばれ、そう思えば哀しい名だが、一方でそれは模様の名前に過ぎず、ことさら意識などせず使っていた言葉でもある。

めくらというのは差別語だというので禁忌になって、本当に差別語になってしまった。言葉にはそれ自体の持つ質感があり、その質感ごと葬り去られてしまったので、「これ」と指し示されたものが「めくら縞」であるとわかったときの暗さの質感も判りにくくなっているのかもしれない。暗いけれどよく見ればいろいろな色が見えてくるめくら縞には一条の光のようなものも織りこまれていて、梟が啼きはじめる胸の内はからっぼだけれど、それでも生きているから啼くのである。

無邪気や奔放や自堕落を幼さとするなら、大人とは運命を引き受ける覚悟のことだろう。晴子句の凜とした響きはこの覚悟に見合っている。空蝉も吹けばホーホーと音がするだろうが、吹くのは襖を閉めた誰にも知られない場所でなければならない。そんな大人が減ってきた。そのように生きろという時代でもない。

それでも、多くの人が晴子の句に魅了され、俳句が書けなくなると晴子を読むんですと話してくれた俳人もいる。晴子について書かれたものは多数あり、いまも語られる。時代が変わっても梟は啼くのだろう。

六月六日は晴子の命日である。


〔※1〕『飯島晴子読本』収録 「言葉の現われるとき」
〔※2〕『飯島晴子読本』収録 「わが俳句詩論」

10句作品テキスト 井上雪子 六月の日陰

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井上雪子 六月の日陰

声になる最小限の語や春雷

蝙蝠の翅ほのほのと帰り来ぬ

届かない深さにこたへ青銀杏

ヤマボウシ背中を預けてしまひけり

逆境と遠く投げうつジキタリス

六月の日陰や花を見てなさい

君だけを遺して暮れる枇杷匂ふ

満月に泣くほどのこと初メロン

カビ・キラー置かれて六月ゆらゆらす

お互ひが眼裏にゐる夏至までは

10句作品 井上雪子 六月の日陰

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週刊俳句 第373号 2014-6-15
井上雪子 六月の日陰
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週刊俳句 第373号 2014年6月15日

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第373号
2014年6月15日



井上雪子 六月の日陰 10句 ≫読む
……………………………………………

空蝉の部屋
飯島晴子を読む〔 23 〕最終回
……小林苑を
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連載 八田木枯の一句
おもてから夕刊が来て梅雨ふかし……太田うさぎ ≫読む

【週俳5月の俳句を読む】
田中 槐 生乾き ≫読む

自由律俳句を読む 47
風呂山洋三〔1〕……馬場古戸暢 ≫読む

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後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む 


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後記+プロフィール374号

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後記 ● 上田信治


10句作品は、先週の井上雪子さんにつづいて「豆句集 みつまめ」から、梅津志保さんにご登場いただきました。

週俳7周年オフ会の席上でいただいた「豆句集みつまめ」の、清潔でかわいいたたずまいを、どうお伝えしようかと思ったのですが、まあ、見ていただくのが早い。

さらにページをめくると二段組みの鑑賞記事があるのですが、これも、かわいい。


来週も「みつまめ」からお一人登場です。



特集は「こもろ・日盛り俳句祭」。

肝煎、スタッフ俳人、シンポジウム司会、それぞれの立場から、イベントへのいざないです。関連ページのfacebookは、島田牙城さんの作製・運用。

自分は、以前、俳句を「持ち寄りパーティー」に例えたことがありました(成分表72回、まだ転載してなかったです)。

誰かが声がけしてくださるんだったら、ちょっとづつなんか持ち寄って、なんとかしようという「性分」みたいなものがある。本井さんも、スタッフ俳人も(・・・というネーミングは苦心の産物と思いますが) なにか「得」があって、やってることでもなさそうです。

どうぞ、お気が向かれたらふらりとお運びください(宿泊さえ確保できれば、当日申し込みで、句会も懇親会も参加可能です)。



Haiku-mp「夏の鹿(季語)」(これ、どなたかのtwitterで拝見したんですよね)





それでは、また次の日曜日にお会いしましょう。


no.374/2014-6-22 profile

■梅津志保 うめづ・しほ
1971年東京生まれ。2011年秋、フェリス女学院大学オープンカレッジの俳句講座を通して吉野裕之に師事し、2012年「豆句集 みつまめ」創刊に加わる。

■本井 英 もとい・えい
1945年生まれ。 夏潮」主宰、「珊」同人。『本井英句集』(本阿弥書店 1986年)、『夏潮』(芳文館 2000年)、『八月』(角川平成俳句叢書 2009年)

■奥坂まや おくざか・まや
1950年東京生。藤田湘子に師事。「鷹」同人。
句集『列柱』『縄文』『妣(はは)の国』。

筑紫磐井 つくし・ばんせい1950年生まれ。同人誌『豈』発行人。評論集『飯田龍太の彼方へ』『定型詩学の原理』、編著『俳句教養講座全三巻』ほか多数。今年(2014年)句文集『我が時代』上梓。

■角谷昌子 かくたに・まさこ
鍵和田柚子に師事。「未来図」同人。俳人協会幹事。詩誌「日本未来派」所属。句集に『奔流』『源流』。目下、揚羽蝶の飼育に熱中。近所の井の頭公園散策が日課(井の頭バードリサーチ会員)。 

■トオイダイスケ とおい・だいすけ
1982年栃木県佐野市生まれ。東京都在住。澤俳句会所属。
URL: http://daisuketoi.com
Twitter: @daisuketoi
 
■生駒大祐 いこま・だいすけ
1987年三重県生まれ。「天為」「ku+」所属。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■大江 進 おおえ・すすむ
1953年生まれ。無所属。サイト「木工房オーツー」

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。「里」「ku+」で俳句活動。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。


〔今週号の表紙〕第374号 アマガエル 大江進

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〔今週号の表紙〕
第374号 アマガエル

大江 進


連日の雨降りのなか、束の間の日差しを求めてあるいはそこに飛び交う小さな昆虫を求めてだろうか、切り株の上や板塀の上に集まってきたアマガエル。ざっと見回しただけで、その数50匹以上。補食される虫たちには気の毒だが、アマガエルたちも蛇や鴉などに狙われている。

鋭い爪も牙も持たず、体内に毒もかかえず、跳ぶのだってけっして速いとはいえない。だから、あらかたのアマガエルは親になる前に命を失ってしまう。しかし、彼らの生存戦略はすなわち「数にものを言わせること」。あれだけ膨大な数の卵を産み、たくさんのオタマジャクシを成すのなら、たぶん1%くらいは生き残るかもしれない。


週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫
こちら


自由律俳句を読む48 風呂山洋三〔2〕 馬場古戸暢

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自由律俳句を読む48
風呂山洋三〔2〕
馬場古戸暢


前回に引き続き、風呂山洋三句を鑑賞する。

癖のある字思い出す春のデスクの上
  風呂山洋三

なぜか思い出した癖のある字。しかしその持ち主は、今や職場にはいないのだろう。春日さす日の、なんでもないぼんやりと時間を詠んだ句。

初めての空泳ぐ真鯉は俺だ
  同

自身の家庭に生まれてきた息子のために、鯉のぼりを一式買ってきたのだろう。自身と妻、幼い息子が暮らす家の上には、真っ青な空が広がっている。この家庭に、幸あれ。

タンバリン鳴らす子と端居のゆうだち  同

タンバリンが鳴る家の外の端居を、ゆうだちがおそいはじめたところを詠んだものか。タンバリンの音とゆうだちの音、勝つのはどちらか。

ページめくる手の早い小説だ  同

一ページあたりの文字数が少ないのか、つまらないのか、その両方か。忙しい現代人には、こうした小説がよいのかもしれない。

急いで帰ってくるはず曾孫のできた盆の入り  同

すでに亡き祖父を想う、父親になったばかりの男が詠んだ句。そりゃあ祖父も、急いで帰ってくるほかないだろう。あなたの血を、この子へ継がせることができました。

俳句に似たもの8 大通り 生駒大祐

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俳句に似たもの 8
大通り

生駒大祐

「天為」2012年12月号より転載


東京駅周辺をタクシーで訪れたことがあった。そのとき、狭い道から大手町のビルが左右に立ち並ぶ広い通りにいきなり出たのだが、その広々とした道路の真ん中において座った視点で辺りを眺める解放感には、ちょっと泣きそうになるほどの感動があった。

これは同じシチュエーションに対して多かれ少なかれ誰もが抱く感情ではあるのだろうけれども、同じ情景に僕ほどの解放感を皆が得るとは思えない。「えー、普通の風景だよ」と言う人もいるであろう。きっと、僕の中の解放感のツボを不意にこの大通りがついてしまったのだろう。

俳句に限らず成功する芸術家はその人なりの作家性を持っているものであるが、それがどういったプロセスを介して獲得されるものなのかは正直よく判っていなかった。作品を大量生産していく過程で自然に形成されていくものなのか、それとも自分で意識してある傾向の作品を作っていく内に洗練されてくるものなのか。

作家性というものは一種その作家を縛るものである。その作家性の枠から外れた作品は発表にしにくくなるし、著名な歌手のヒットナンバーのように、読者サービスとして必ずそのトーンの作品を提供することを求められる。しかもその作家性は明文化できるものではなく、読者の目になってみて味わってみてなんとなく、しかし確かに判るものである。

例えて言えば、作家性は道のようなものである。外れようと思えば外れられるが、道を歩いた方が歩きやすいし、傍目から見ても自然である。そういう意味で、作家性を見つけられない僕はごちゃごちゃとした迷路を歩いているようなものだ。

しかし、そんな僕にも、ある種の俳句を作ることができた瞬間、自分の枠から一歩「向こう側」にある作品を作ることができた瞬間には、小さくはあるもののある種の感動を覚えることがある。その感動は、きっと解放感に近いものだ。狭い迷路を歩いていてふっと広い出口を見つけた時のような、そんな種類の感動であろう。

作家性の形成は、おそらくはその解放感を高めていこうとする営みの中に生じる。ある種類の昆虫が明るい方向へと導かれるように遺伝子にプログラムされているのと同じく、作家とは自分の枠を広げてくれる、ある種の高みに導いてくれる作品を作りたいと欲望してしまう存在ではないだろうか。

高みとは、原始的には重力や周囲の物たちから解放された、密度の低い空間を指すのではないか、とも思う。解放感のもたらす快感は、縛られることへの不自由よりもはるかに魅力的である。
僕はまだその解放感の裾野に触れたにすぎない。それをてがかりに俳句を作り続けることで、いつか僕の俳句における「大通り」を見つけたいと思う。あの日大手町で出くわした、あの通りのような。
二科を見る石段は斜めにのぼる   加倉井秋を


【週俳5月の俳句を読む】きわめて俳句的な トオイダイスケ

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【週俳5月の俳句を読む】
きわめて俳句的な

トオイダイスケ



荻原裕幸さんが第369号に「世ハ事モ無シ」20句を発表していて、おお、と思いながら読みました。

私は俳句を作り/読み始める前に、枡野浩一さんや穂村弘さんの本で現代短歌に興味を持ち、その流れで当時書店に終刊号が置かれていた「短歌ヴァーサス」を読んで、荻原さんのしている仕事が、(「週刊俳句」も似たような性格を持つ)オルタナティブなメディアを作ることであるように感じていました。その荻原さんが「週刊俳句」に登場したのを見て、おお、重なった、と自分の中で勝手に思いました。

卯の花腐し急ぎ百枚名詞刷る  荻原裕幸

内容がぎゅっと十七字に濃密に圧縮されている印象を受けました。この内容でそのまま短歌になるような印象も最初はありました。

冒頭から順に読んでいくと、「急ぎ」で、卯の花が早送りの映像のように急速に朽ちていくイメージと強く長い雨とむせかえるような湿気を思います。

「百枚」で、逆に乾いた紙片がたくさん登場します。そして「名詞」「刷る」。頭から順にじっくりじっくり一語一語噛みしめて読んでいくかのように今は書いていますが、実際最初に読んだときはもちろん、「うのはなくたしいそぎひゃくまいめいしする」とするっと読みました。めいしする、は当然のように「名刺刷る」だと思っていました。

その後よく読み返すと、「名詞」を刷る、ということに気付き、それからこの句を読み返すと、タテ5センチ×ヨコ7センチくらいの四角い単語カードのような紙片が作中主体のまわり上下左右に百枚、ばっと浮き上がって、そこに念力でばばばばっと高速で黒く太いゴシック体でいろいろな穏やかでな い「名詞」が刷り込まれ、ばーーーっとそれらの紙片がすごい速さでこちらに次々と襲い掛かってくる、というイメージが湧くようになりました。

この百枚の刷られた名詞は、どうしても失いたくない武器/防具としての言葉(およびそれらの言葉に対する、数十年かけて深めてきた自分特有のものとしてのイメージ)なのでしょうか。それらを「急ぎ」、しかも「百枚」だけ「刷る」、ということに強烈な切迫感というかサバイバルを迫られている ような気持ちになります。

吉田健一は「自分の本棚には(本当に大切な、何度も読み返すことのできる)蔵書が500冊あれば充分だ」というようなことを語ったらしい(*)のですが、自分の身体の延長としての500冊というのは少なくない、膨大かつ豊かで享楽的なものです。

それを思うと、「急いで百枚刷る名詞」というのは、多くのものを今までのようにものとして実感しながら味わったり所有したりすることが良くも悪くもかなわなくなっている状況のなかでの、以前の豊かさのなかで育ってきた人間による必死の抵抗にも見えました。

そう見ると、句の冒頭の「卯の花腐し」という季語が、当季であるというだけではなく、もっと大きな、日本や地球や人類の歴史規模での季節としての、豊かでどきどきすることが多く起こっていた春や、心地よく過ごしやすい初夏のイメージが崩れるように終わっていく、というかなしみを思わせるような気がしました。

その世界のなかで、少ない小さな言葉に自分の命や目に見える/見えないものの命を託して生きていかなくてはならない、というこの決意のようなものは、現代の様子を描写しているようでありながら、本来的に変わらないきわめて俳句的な感情のようにも思いました。

(*)吉田健一『金沢・酒宴』(講談社文芸文庫)の、近藤信行氏による「作家案内」より、篠田一士「吉田さんの本」というエッセイの引用として。


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【八田木枯の一句】天にまだ蜥蜴を照らす光あるらし  角谷昌子

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【八田木枯の一句】
天にまだ蜥蜴を照らす光あるらし

角谷昌子


天にまだ蜥蜴を照らす光あるらし  八田木枯

草の根元を抜け、石の陰を這い、蜥蜴は全身を日にさらされることを拒むように、大地に腹を擦りながら進む。日差しを浴びれば己の影がくっきりと映り、存在が際立ってしまう。敵の眼に触れぬよう逼塞(ひっそく)するさまは、誠に心もとない営為のようだ。果たして敵から逃れる己が虚像で、地面を滑る影が実像なのか。それとも切り落とされてうごめく尾だけが本当は実像か。

掲句では、どんよりした空から微かに光が差している。暗がりを縫ってきた蜥蜴が立ち止まったとき、背中の幼い縞が光にぼんやりと浮かび上がった。いや、蜥蜴の背に金属めいた反射をわずかに目にしただけかもしれない。だがここには作者の戸惑いが滲み、生命の輝きを詠もうとする積極的な姿勢はあまり感じられない。

塚本邦雄が木枯の句〈洗ひ髪身におぼえなき光ばかり〉を『百句燦々』に収め、木枯の根源的な「光」に対する懼れを指摘したが、掲句の蜥蜴にある光にも、畏怖の思いが濃い。木枯の原初的な闇への畏敬や親愛、安堵の情が、光への懼れに反転するためではないだろうか。

木枯の師である山口誓子には、〈蜥蜴照り肺ひこひことひかり吸ふ〉〈蜥蜴出て既に朝日にかがやける〉など多くの蜥蜴の句がある。ここには生命の躍動と光への希求があった。誓子は病身の己を労わる思いが強く、身ほとりに居る小さな動物たちを分身のごとく見つめ続けた。いのちの凝視は、モノトーンの背景の中、光への願望となって作品に表れる。

一方、木枯の作品には、生の眩しさへの怯え、実存へのかそけき問いかけがある。光と闇を描くことは、その生涯のテーマでもあった。木枯の本名が「光」であり、自ら「日刈」と称したことも、運命的な課題を負った証左とも言えようか。

詩人の会田綱雄(1914~90)は、異界の者が跳梁する世界を描いた。「鹹湖」に、「生きていることが/たえまなしに/僕に毒をはかせる/いやおうなさのなかで/僕が殺してきた/いきものたちの/おびただしい/なきがらを沈めながら」と書く。その作品には実存のさみしさが漂う。

木枯俳句は諧謔に富み、秘する花がある。決して暗くはないが、いずれの作品も中村草田男のような向日性があるとは言い難い。それは基調にある無常観と生きることの哀しみが、鈍色の尾を曳いているからだ。木枯の場合も、実存のさみしさが、詩人会田のように虚を捉え、異界の者を登場させることに結びつくのかもしれない。第一句集『汗馬楽鈔』の時代は、家族を詠んだ境涯詠や写生句も見られるが、第二句集からは虚実あわいの世界が積極的に描かれる。いよいよ木枯独自の作風が展開するのである。


『汗馬楽鈔』(1988年)より。

掲句は『俳句』(2011年8月号)より。


 

こもろ日盛り俳句祭 参加方法&関連ページ

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特集 こもろ・日盛り俳句祭
参加方法&関連ページ

参加方法は下記ページをご覧下さい。

≫こもろ日盛り俳句祭・応援facebook
≫「こもろ日盛り俳句祭」小諸市オフィシャルサイト

当日受付可
(高峰高原吟行句会・山城館句会は6月末日締切)
宿泊各自手配
(1日2日の小諸周辺ホテルは満室が出始めているようです)
小諸市観光案内所宿泊温泉のご案内 0267-22-0568)。

字余り・字足らず・言葉足らず8月2日シンポジウム司会 筑紫磐井

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特集 こもろ・日盛り俳句祭
字余り字足らず言葉足らず

8月2日シンポジウム司会 筑紫磐井


こもろ日盛り俳句祭のシンポジウムは、数回にわたり季語をテーマに取り上げてきていた。

これはそれなりに有効で、例えば日本気象協会の24節気見直しキャンペーンに反対して、気象協会の担当者を呼んで議論し、その主張を撤回させることに成功している(最近刊行された協会の報告書では「一般の方からも「24節気を変えるのはやめてほしい」という意見が日本気象協会に寄せられました」と書かれている)。

もっとも、季語についてのテーマで延々と「写生」についての自説の主張を続け他人の発言の余地をなくしたパネラーもいたり、予想外の展開もあったりはしたが。



今回は、今までと趣向を変えて「字余り・字足らず」をテーマとすることとし、その司会を勤めてほしいと依頼が来た。

パネラーの顔ぶれをみると皆ひとくせもふたくせもありそうな論争好きな人ばかりで、今まで多少混じっていた純真そうな若手がいないので、シンポジウムとしては面白そうだが、司会としてはその運営が思いやられる。

たぶん司会としてはあまり自分の意見が述べられそうもないので、この際先に述べてしまおうと思う。


字余りのこと

今回の小諸にちなんで虚子『五百句』から異形の句を選んでみよう。

明治時代の句から選んでみると、大半が字余り句であり、字足らず句は少ないようである。

【五百句・明治編】
怒涛岩を噛む我を神かと朧の夜
書中古人に会す妻が炭ひく音すなり
曝書風強し赤本飛んで金平怒る
書函序あり天地玄黄と曝しけり
凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり
⑥叩けども叩けども水鶏許されず
⑦蛇穴を出てみれば周の天下なり
⑧友は大官芋掘つてこれをもてなしぬ
⑨石をきつて火食を知りぬ蛇穴を出る
⑩御車に牛かくる空やほととぎす
⑪此墓に系図はじまるや拝みけり

特徴的なのは、虚子にあっては、俳句575、つまり上5、中7、下5のうち、上5部分の字余りが多いことである(①~⑤)。

これに次ぐのが中7である(⑥~⑧、⑩~⑪)。下5は少ない(⑨)。

またこのことから、無制約に字余りにしているのではなくある種の法則性がありそうに感じられる(2か所に字余りにしている句もあるが一方に限って示すことにした)。

つまり、575の純粋な定型に、その一部だけを字余りにしてリズムを崩しているが、字余り部分を一気に読んでしまえば、全体は575の定型構造が維持されているように感じ取ることができる。

例えば、上5・中7・下5を頭・腹・足にたとえれば、特定局部、頭とか腹とかだけが異常に大きくて、その他の部分は普通であるという詠み方なのである。これが虚子の字余りの法則であった。

だから(櫂未知子のように)中7を8字にすることの抵抗感のようなものはない。

一方で、楸邨や草田男に多い下5を6字にする字余りは少ない。

次に字余りになる部分をよくよく吟味すると、皆文語であり、更に如何にも由緒ありげな表現となっていることに気づく。

これは虚子が能の家(池内家)に育ったことと無縁ではないようである。能の歌謡部分である謡曲にあっては、75調が主調であるが、一方で室町時代の様々な歌謡(例えばクセ舞)を取り入れ不定型となっている部分も多い。

これらは上の虚子の法則によくかなうのである。

このことから、虚子には虚子の字余りの法則、楸邨には楸邨の字余りの法則があることになる。

俳句では家々・師弟の伝承だけでなく、個人個人の文体につながる独特の表現法則があり、特に字余りはそれが多いようである。

相生垣瓜人のようにすべての字余りを排除する作家もいれば、字余りに無抵抗なもの、字足らずに無抵抗なもの、字余りであっても特定の型に対してのみ無抵抗なもの、等様々な傾向があるようである。



ではなぜ定型に逸脱するのであろうか。上にあげた虚子など、大正時代に入ると自ら「守旧派」(伝統派)と宣言するのであるが、その直前にはこんな自由な文体を駆使していたのである。

これに対して、歌人の岡井隆や阿部完市の主張するリズム論は、なかなか示唆に富む。

定型というリズムはもちろん575の伝統的な形式で厳然としてあるが、これを原型のリズムとすれば、別に意味のリズムがあるという。

「意味が、拍による等時的リズムに干渉し、その等時性を乱す。その時に生ずる音の線の流れを、意味のリズムと呼ぶ」

「拍を単位とする等時的リズムを原型とみるならば、意味の干渉を受けて生まれる意味のリズムは、そのヴァリエーションである」

「そして、意味のリズムが、原型から隔たれば隔たるほど、詩のリズムとしての価値は高まる(逆に原型のリズムにちかづけばちかづくほど、単調になり、そのリズムの表現力は弱まる)」という。
 


つまり我々は、575のリズムに支配されつつ、それが永遠に続くことにいらつくのである。虚子でさえいらいらしたのである。

実際、虚子の⑩⑪などは、字余りにする必要性は認めがたく、虚子のいらつきばかりが伝わってくるように思うのである。

そこで、あの最も自由律に近い阿部完市は 

「一句一句それぞれに、・・・字余りという特別の律にあらぬ、定型十七音の一句として、心中に立ち上がらせ、静かに存在せしむる事が可能となる」

 と主張する。

つまり字余りは、意味のリズムから見れば、異形のものではなく、純正な定型となるとまで言い切るのである。


超字余りのこと

最後に話題を転じよう。『超新撰21』で華々しく登場した種田スガルであるが、彼女の作品集には次のような句がある。

白壁のリビングに溶ける扇風機と愛撫のノイズキャンセラー

ほぼ短歌に匹敵する長さである。これは短歌であるか俳句であるか。しかし、こうした伝統は江戸時代からあり、談林の俳諧にも長い発句は登場している。

与市に酒を喰ハせ子を雉のませよなんとゝあり 定之
三味線調べ男はつれなげにあちらむきたる 三井秋風

正に前衛は戦後の金子兜太にばかり始まったわけではない。江戸の前衛も歴然と存在した。そして芭蕉さえこうした句の影響を受けて、字余りの句が初期には登場する。

あら何ともなやきのふは過てふくと汁 芭蕉
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉
櫓の声波ヲうつて腸氷ル夜やなみだ

よくみると虚子と同様に、字余り部分は文語であり、更に如何にも由緒ありげな表現となっている。字余りの法則は、芭蕉も虚子も余り変わりはなかったのかも知れない。

さてこれらは短歌か俳句か、少なくとも俳句ではないのか?字余りはどこを超えると俳句ではなくなるのか。種田スガルの例に照らせば、俳句ではないと言いたくなる人がいるに違いない。


安吾の「第二芸術論」

さて最近、若い人たちに再び人気が出始めている坂口安吾に「第二芸術論について」(『坂口安吾全集』第5巻)という評論というかエッセイというか、文章がある。

当然桑原の第二芸術論に対する感想かと思うと、冒頭「私は桑原武夫氏の「第二芸術論」を読んでゐない」というから、桑原とは無関係な坂口固有の第二芸術論である、すこぶる面白い。

「むろん、俳句も短歌も芸術だ。きまつてるぢやないか。芭蕉の作品は芸術だ。蕪村の作品も芸術だ。啄木も人麿も芸術だ。第一も第二もありやせぬ。」

これは俳人が喜びそうだ。しかし、「然し日本の俳句や短歌のあり方が、詩としてあるのぢやなく俳句として短歌として独立に存し、俳句だけをつくる俳人、短歌だけしか作らぬ歌人、そして俳人や歌人といふものが、俳人や歌人であつて詩人でないから奇妙なのである」なんか雲行きがおかしい。

「俳句も短歌も芸術の一形式にきまつてゐるけれども、先づ殆ど全部にちかい俳人や歌人の先生方が、俳人や歌人であるが、詩人ではない。つまり、芸術家ではないだけのことなのである」おやおや、俳句や短歌は立派だけど、俳人や歌人は二流だと言っているのだ。

「外国にも二行詩三行詩はあるが、二行詩専門の詩人などゝいふ変り者は先づない」「日本は古来、すぐ形式、型といふものを固定化して、型の中で空虚な遊びを弄ぶ。然し流祖は決してそんな窮屈なことを考へてをらず、芭蕉は十七文字の詩、啄木は三十一文字三行の詩、たゞ本来の詩人で、自分には十七字や三十一字の詩形が発想し易く構成し易いからといふだけの謙遜な、自由なものであつたにすぎない」うーむ。

だから「俳句も短歌も私小説も芸術の一形式なのである。たゞ、俳句の極意書や短歌の奥儀秘伝書に通じてゐるが、詩の本質を解さず、本当の詩魂をもたない俳人歌人の名人達人諸先生が、俳人であり歌人であつても、詩人でない、芸術家でないといふだけの話なのである」これが結び。

桑原武夫の「第二芸術」よりひどいではないか。




8月2日 16:00〜18:00
2日目 日盛俳句祭シンポジウム
字余り・字足らず
司会=筑紫磐井
パネリスト=井上泰至岸本尚毅櫂未知子島田牙城

なお、当シンポジウムでは、フロアー発言を積極的に募りたいと肝煎=本井英氏が話しておられます。ご参加下さる方々、是非、これだけは言いたいということを考えておいて下さい。





句会の本道―平等の場 スタッフ俳人 奥坂まや

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特集 こもろ・日盛り俳句祭
句会の本道―平等の場

スタッフ俳人奥坂まや


初めて句会に出席した時、司会者の「作者はどなたですか?」の問いかけに対して、ファーストネームのみを名乗るというルールにびっくりしました。仕事や生活の上では、フルネームまたは名字のみが当然と思っていましたから。

何故なのかを、先輩の俳人が説明してくれました。江戸時代、句会は参加者のまったくの平等の場であって、当時は名字を持っているのは武士に限られていたので、名字を名乗ればそれだけで身分の差を持ち込むことになるから、というのです。私は、とても感激しました。



「こもろ・日盛俳句祭」の句会は、この「平等の場」の精神をまっすぐに受け継いでいます。

 今日、俳句を始めたばかりの方も、何十年もやっていて俳誌を主宰しているような方も、句会ではみんな5句出句・5句選。

選んだ5句の感想も、全員が発言します。

20人ほどで一組の句会に、2~3人のスタッフ俳人が参加していますが、私たちスタッフ俳人も、まったく同じ出句・選句です。

スタッフの役目は、句会のスムーズな進行。選句の披講と点盛が主な仕事です。ちなみに、どの句会に誰がスタッフとして派遣されるかは籤引で決まりますので、当日になるまで分かりません。

スタッフはみんな俳句が大好き。本井英さんの趣旨に心から賛同して雑用係りを引き受け、句会が平等で楽しい場になるよう心を配っています。宿泊費と交通費の一部を頂戴している以外は、ボランティアです。

結社に所属している方も、同人誌の一員の方も、あるいはメール句会に参加している方も、どうしても句会のメンバーは固定された顔ぶれになってしまうと思います。

小諸では、ここでしか実現しない新鮮な組み合わせの、まさに「一期一会」の句会を堪能できます。今年で6回目をむかえますが、このような句会に魅せられて、リピーターも沢山いらっしゃいます。

「俳句祭」の3日間は、午前中は吟行、午後は句会のスケジュールになっていますが、スタッフはもちろん吟行にも参加。

同じ場所で見たものが、どのような作品になって登場するかも、お互い興味の尽きないところです。特に昨年から「高峰高原吟行」が用意されて、信州ならではの山の自然を満喫できます。

8月1日~3日、小諸でお待ちしています!


こもろ・日盛り俳句祭 スタッフ俳人
井越芳子、伊藤伊那男、井上泰至、小川軽舟、奥坂まや、櫂未知子
片山由美子、岸本尚毅、窪田英治、小林貴子、高田正子、高柳克弘
筑紫磐井、土肥あき子、仲寒蝉、永方裕子、中田尚子、中西夕紀、西山睦、
橋本榮治、山田真砂年、山西雅子の各氏と、
本井英氏(肝煎)および島田牙城(fb管理者)以上24名


 

日盛、暑ツ! こもろ・日盛俳句祭"肝煎"本井 英

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特集 こもろ・日盛り俳句祭
日盛、暑ツ! 

こもろ・日盛俳句祭"肝煎"本井 英


今年も「こもろ・日盛俳句祭」の季節がやって来ます。ことしで未だ6回目ですが、最近は盛夏のイベントとして初めから手帳に予定を書き込んで下さっている俳人も少なくないようです。

「日盛」のそもそもの発端は明治41年8月。

当時、半分以上、足を小説にかけていた虚子が、8月一ヶ月間、数人の仲間と毎日俳句会を開いて「俳句にのめり込んだ」日々でした。本当の目的が奈辺にあったかは不明ですが、結果として最終日8月31日に「俳壇引退」を宣言、その後数年俳句を詠まない人生を送ります。

その「まるまる一ヶ月、俳句漬け」という設定にずっと憧れていた筆者が平成18年に逗子の自宅で催したのが「二回目」の「日盛」。98年ぶりの復活でした。当時は犬と猫との三人暮らし。仕事は3月で辞めてありましたので、なんとか一月、一日二回、合計62回の俳句会を終えることが出来ました。その間延べ800人ほどの俳人が我が家を訪れて下さり実に充実した日々でした

こんな楽しいことはない、もっと沢山の人と「日盛俳句会」をしたいものだ、というので虚子ゆかりの地、小諸での開催を計画。市のご協力が得られて「こもろ・日盛俳句祭」の実現にこぎ着けた訳です。

小諸は高原の町ですが、真夏の昼間は結構「暑い」。そんな「暑さ」を楽しむのも俳人の根性ではないでしょうか。懐古園を歩いても良いし、市内の坂道に季語を求めても良い。無料の巡回バスで、真楽寺の「泉」へ連れて行ってもらうのも「お得」です。

「日盛俳句祭」の特徴は「俳句会」に尽きます。明治時代は「運座」とも呼んだ。参加者全員同じ数の句を投じ、同じ数の句を選ぶ。丁度、子規庵に集まった、当時の書生さん達のように、どこまでも平等に俳句を楽しむ。そして普段は出会わない、恐らく「俳句観」も異なる俳人達と年に一度交流することで、自らの足許をよく見つめてみる。現在日本中を探してもこんな愉快なイベントは無い、と確信しています。

勿論、関連行事も楽しいものです。

「講演会」は講師として今年は矢島渚男さんが来て下さいます。「虚子のことなど」という演目です。

「シンポジウム」の今年のテーマは「字余り・字足らず」おそらく実践的な話が沢山出るでしょう。

司会は筑紫磐井さん。パネリストに、岸本尚毅櫂未知子島田牙城。それに近世文学の専門家として井上泰至さんが加わります。

「日盛」のシンポジウムはフロアーが賑やかなのが特徴。独りでも多くの方の発言をお待ちしています。

夕刻には「懇親会」が会費1000円で開かれます。シンポジウムの延長戦をやってくれても結構ですし、昼間の俳句会の反省でもよろしいでしょう。

「懇親会」がはねてから、又俳句会をするグループもあれば、飲み直す人々も、カラオケに行く連中もあるらしい。夜空の浅間山を仰ぎながら、「こもろの夜」は更けて行きます。

≫ 参加方法&宿泊案内



10句作品テキスト 梅津志保 夏岬 

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夏岬 梅津志保

青嵐明神の旗起こしけり
景品の種から発芽して5月
鉋屑盛り上がるかな梅雨晴れ間
パラソルの陰を半分もらいけり
波終わりはじまる所夏岬
紫陽花やのれんを仕舞う定食屋
こぼれたるパンに繋がる蟻の列
白玉や口ごもりたる話あり
翡翠の繰り返し打つ水面かな
白球の白さ受け取る夏の空




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10句作品 梅津志保 夏岬

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週刊俳句 第374号 2014-6-22
梅津志保 夏岬
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週刊俳句 第374号 2014年6月22日

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2014年6月22日



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■特集 俳句の林間学校
こもろ・日盛り俳句祭

日盛、暑ツ!
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句会の本道―平等の場
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字余り字足らず言葉足らず
8月2日シンポジウム司会筑紫磐井 ≫読む

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関連ページ
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