Quantcast
Channel: 週刊俳句 Haiku Weekly
Viewing all 5941 articles
Browse latest View live

俳句の自然 子規への遡行31 橋本直

$
0
0
俳句の自然 子規への遡行31

橋本 直
初出『若竹』2013年8月号
 (一部改変がある)

≫承前 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30


前回に引き続き、子規の「芭蕉雑談」における芭蕉句評と「俳句分類」について追う。今回は、

辛崎の松は花より朧にて

に着目したい。まず、芭蕉存命当時この句が難じられたのは切字の問題であり、「にて」止めの妥当性についてであった。子規は芭蕉より後代の俳書「芭蕉翁俳句大成」の説をもとに、この「にて」は典拠である「から崎の松の緑も朧にて花よりつゞく春の曙」(後鳥羽院)の「にて」を覚えず使ったものだとし、「此句は此歌を翻案せしものなれど翻案の拙なるは却て剽窃より甚だしき者あり。(中略)芭蕉の為に抹殺し去るを可とす」とかなり厳しいことを述べている。

しかし現行の注釈書類では子規の説は顧みられず、「詩的開眼につながる一句」(今栄蔵校注『芭蕉句集』新潮日本古典集成)や、「余韻を残した終わり方はすべてがおぼろな湖岸の描写に適合して秀逸」(雲英末雄・佐藤勝明訳注『芭蕉全句集』角川)のように、この句の評価は非常に高い。

実際のところ、子規が批判の拠り所とした書物のいうように、芭蕉がこの後鳥羽院の歌とされるものを本当に意識して引いていたかは未詳である。尤も、子規としてもその真偽の実証はさておき、旧派宗匠を批判する戦略上、ひとまず芭蕉を批判する材料さえあれば良かったのかも知れない。

さて、この句は「俳句分類」では春の部「朧」中の下位分類「(植物)」に分類されている。七句あるうちの三句までが辛崎にかかわるが、芭蕉以外の二句はいずれも後代の作者が芭蕉句を意識したもので、やや知の働きに傾く。

 辛崎の一句を賛す
器世界に物あり一ツ朧松  也柳(三千化)
 唐崎
朝凪や朧を残す松の色  馬光(馬光句集)

一句目の「器世界」は仏教用語。世界にとりたてていうべきものは、この芭蕉の詠んだ朧の松だ、くらいの句意であろう。その他四句も「松」と「花」のとりあわせである。

 淵
松影の龍に働く朧かな  雄山(宝暦十一)
花の蔭朧に見ゆる女哉  吐江(芭蕉庵再興集)
狩くれて花を朧の街かな  遅兎(新虚栗)

そもそも「辛崎(唐崎・韓崎)」は、古くからの近江の歌枕であり、既に『万葉集』にも詠まれ、平安時代には『枕草子』に「崎は 唐崎」(二七三段)と記され、『能因歌枕』に紹介されていた。また、和歌では伝統的に、月、夜雨、(唐崎の)一本松とともに詠まれている。さらに、歌枕としての「志賀」は、旧都(大津宮)の渚の花園としての風情を詠まれており、芭蕉の句はそれらをすべてふまえた作句であった。つまり、「辛崎の~」句は、歌の歴史的文脈をたっぷりと言外に湛えたものなのである。

対象に潜む前近代の歴史的文脈を取り払い、見たままそのものを写し取ることで対象そのものの美や詩情を表現する「写生」を方法の第一とする子規からすれば、この芭蕉の作句方法そのものが糾弾されてしかるべきものかもしれない。しかし、子規に絵の方法である「写生」を教える中村不折との出会いは、この「芭蕉雑談」の執筆を終えた直後のことであり、この項を書いている子規の念頭にいわゆる「写生」はまだない。子規の俳句革新の中心が俳句へのリアリズムと個人主義の導入であったとするならば、この段階ではまさしく個人主義的に、この句について先行する他者の作品を模してかつ失敗していることを非難をしたわけである。

次に、季語「朧」(朧夜や朧月は含まない)と植物を配合した子規の作句を確認すると、以下の四句が見出せた。

朧とは桜の中の柳かな  「寒山落木」 明二三
花のくもおぼろをやぶる筏哉  「松山競吟集第四回」
(句会稿)明二五年七月三一日
花の雲朧をくだく筏哉  「寒山落木」抹消句 明二五
月のなき夜の朧なり松の花  同前 抹消句 明二六

このように、みな「芭蕉雑談」執筆の明治二六年以前の句である。また、「俳句分類」の句と同様に、すべてに桜か松が詠み込まれている。つまり子規は、それまで江戸以来の型どおりの句作をしていたと言ってもよく、俳句分類と「芭蕉雑談」執筆を通し、この取り合わせの陳腐さを自覚し、作句したものも抹消句としたのではないかと思われる。

一方、明治二七年以降の子規の「朧」の句は二十句程度あるが、「行燈を消せば小窓の朧かな」(明二八年一一月「早稲田文学」)のように、自然物ではなく人事物との取り合わせが多くなる。実は、「俳句分類」の「朧」の下位分類に人事での項目立てはない。四項目ある中の、いわば「その他」にあたる「除地理」に人事句が数句あるのみで、少ないのである。子規はそこに目を付けたのだろう。句歌のメモや絵も含まれる最晩年の随筆「仰臥漫録二」(明治三五)にも、題「朧」(朧月・朧夜含む)で一七句あり、うち「末遂ゲヌ恋ノ始ヤオボロナル」他十句が「日本」に掲載されている。

ところで、子規は死の二ヶ月前、「朧」ではないものの、

辛崎の松は片枯れ片茂り

という句を「日本」(七月二四日)に発表している。きちんとした写生句のようでもあり、枯れゆく老松の姿を自己に重ねているようにも思われる。

【八田木枯の一句】野は天にいでやすくして揚羽蝶 角谷昌子

$
0
0
【八田木枯の一句】
野は天にいでやすくして揚羽蝶

角谷昌子



野は天にいでやすくして揚羽蝶  八田木枯

大正14年に生まれ、14歳で俳句に興味を持った少年は、父・海棠の句〈木枯や沼に繋ぎし獨木舟〉から俳号を採り、自ら「木枯」と名乗る。当時、その名前と確かな作風ゆえに、実際の木枯を知らぬ「ホトトギス」の人々は、老人と思っていたらしい。

長谷川素逝、橋本鶏二に師事し「ホトトギス」俳句の骨法を習得するが、何かものたりない。俳句の方向性に悩んだ末、22歳のとき、山口誓子の作品や選句幅の広さに魅かれて入門を決意する。そして伊勢天ヶ須賀で保養中の誓子を訪れたのが、運命の出会いとなった。

昭和23年に誓子の「天狼」が創刊されるとさっそく参加し、同年6月号で〈汗の馬芒のなかに鏡なす〉などが初巻頭を得る。

当時、誓子の「酷烈なる俳句精神」を標榜する「天狼」は文学青年たちの憧れの俳誌だった。同年、木枯は遠星集の上位をほとんどの号で占め、翌年も巻頭を飾っている。どれだけ青年たちの羨望と嫉妬を掻き立てたことだろう。

掲句は、「天狼」時代の作品を集めた『汗馬楽鈔』(1988年)に収められている。

揚羽蝶が広い野原を鋭い翅使いで飛翔している。見渡せば野の果てなる地平線は青空と接しており、大きな時空を目の当たりにする。揚羽蝶の荒々しさならば、「天」にまで至ることができるかもしれない。

だが作者は「揚羽蝶」ではなく「野」が「天にいでやすく」と描いてみせた。もちろん作者のイマジネーションの領域なのだが、具象性が強いので、読者はやすやすと木枯の術中にはまってしまう。

なるほど「野」は「天」とつながっており、浮力をつけたならば大地は羽ばたくかもしれない。地球そのものが、宇宙と渾然一体となってしまいそうな巨視的発想だ。

「天狼」時代初期から木枯は「虚」の世界をリアリティをもって捉えることに熱中していたと分かる。また後年、木枯はさまざまないきものたちを陰陽師の式神のごとく使役したが、ここでも好みのモチーフ「蝶」をうまく働かせている。「蝶」は魂やエロスばかりでなく、超現実的な内容を象徴する。この句の「蝶」は「野」に現実の影も落とさず、未練も見せず「天」へとはるかに飛び去って行くのだ。


長嶋有×榮猿丸×野口る理トークイベント「春のお辞儀がしやりりと点滅」に行ってきた 堀下翔

$
0
0
長嶋有×榮猿丸×野口る理トークイベント「春のお辞儀がしやりりと点滅」に行ってきた

堀下翔

2014年5月10日の夜にジュンク堂書店池袋本店で催された長嶋有×榮猿丸×野口る理トークイベント「春のお辞儀がしやりりと点滅」(ふらんす堂主催)に行ってきた。最近それぞれが出版した句集の話をするイベント。そのときの様子を書く。詳細な内容は「ふらんす堂通信」第141号に掲載されるとのことなのでそちらに譲り、これは気楽な報告にしようと思う。

夕方、生駒大祐氏に誘われ、佐藤文香氏と三人でお茶。その後、ジュンク堂で上田信治氏と合流する。上田氏が「まわりが全員俳句関係者に見える」とつぶやく。まさにその雰囲気。会場に入ると、俳句関係者が何人もいる。ほんとうに全員が俳人なのでは……と思っていたが、どうやら長嶋の小説のファン層も多く来ているらしい。長嶋の「僕の小説を読んでくださってる人とか俳句というものになじみが薄い人も来ていると思うので、ぜひ、俳句そのものの面白さに興味を広げてもらって……」という切り出しから、会は始まる。

それぞれの句集から、他の二人が特選・並選5句・逆選を選出し、わいわい言い合う形で進行する。選は、以下の通り。

長嶋有『春のお辞儀』

榮猿丸選
◎手押しポンプの影かっこいい夏休み
○ベルリンにただの壁ある去年今年
○ラッパーの順に振り向く師走かな
○としまえん秋という短きものよ
○初夏や坊主頭の床屋の子
○かけてみたくなりすぐ返すサングラス
×昼の忍者桜をみたら眠くなる

野口る理選
◎七月やなんだといわれ森の猫
○エアコン大好き二人で部屋に飾るリボン
○ドーナツを食べ終えし手の甘さかな
○秋近しだんだんでなく森終わる
○(ああもっともだ)体は拭いにくきもの
○夏シャツや大きな本は置いて読む
×ストーブは爆発しない大丈夫

榮猿丸『点滅』

長嶋有選
◎テレビ画面端に時刻や春愁
○ゴダール黒縁眼鏡クロサワ黒眼鏡
○竹馬に乗りたる父や何処まで行く
○呼鈴の釦に音符蔦枯るる
○クレジットカードにホログラムの虹春立ちぬ
○滑走路より長き金網みなみかぜ
×手を入れて汝が髪かたしクリスマス

野口る理選
◎汝が寝息吸うて眠らむ夜の涼し
○朝起きてTシャツ着るやTシャツ脱ぎ
○欄干掴めば指輪ひびきぬ夏の河
○ガーベラ挿すコロナビールの空壜に
○受話器冷たしピザの生地うすくせよ
○髪洗ふシャワーカーテン隔て尿る
×女去るわれに香水噴きかけて

野口る理『しやりり』

榮猿丸選
◎夏座敷招かれたかどうか不安
○せんかうのけむりうらがへり苺へ
○虫の音や私も入れて私たち
○葱ぶんぶん回せば猫の立ち止まる
○恋人のほくろに小さき鶴棲むか
○毎日に要らねど欲しきテントかな
×死は神に捧ぐものなり志も私も詩も

長嶋有選
◎しづかなるひとのうばへる歌留多かな
○洗髪や目閉ぢてよりの声が変
○茶筒の絵合はせてをりぬ夏休み
○風鈴や家族揃へば夜が来る
○呼ぶための口笛強し青芒
○中年や木の実当たれば嫌な顔
×撮られまいとてラムネ振り浴びせけり

選を眺めるだけでたのしい。選評の全容は「ふらんす堂通信」をお待ちください。

この会、どうやら、鼎談というより、長嶋がホストとして設定されたものであったらしい。長嶋氏、とにかく喋る。全トークの七割は長嶋のものだったのではないか、ぐらいの印象。二人の選評を乗っ取っても喋る。その中で長嶋の俳人としてのキャラクターがよくよく見えてくる。

本業が小説家である長嶋有は、まさに文人俳句の作家だと思う。つねに俳句の世界の外から俳句を眺め、面白がる。会における氏の発言には、俳句の面白さというよりも、俳句という形式に身を置くことの面白さに魅せられたものが多い。たとえば、彼は、『しやりり』の句の並びが、正月から始まる季節順であることに驚く。「東京マッハ」の初回で、堀本裕樹氏が「保守的な、すぐ添削する俳人だったらどうしよう」と怖がる。「嫁が君」という難しい季語を使う榮・野口は「季語を使おうという意欲がある!」のだと思う。

いちばん象徴的だったのは、前書に関する発言。自句に前書をつける理由を彼はこう語る。「前書つけたい、と。句集って、ナントカカントカ、5句、みたいのあるじゃないですか。奥尻島、3句みたいな。あと、ナントカ先生をしのぶ、みたいな……(中略)あったほうがプロっぽい」。プロっぽい。句集を出版したあとでさえ、長嶋は、プロであろうとはしない。俳句的な慣習が身に染みついてゆくよりも、そういった慣習を外から面白がる方が、たのしい。句集を出すという行為自体、彼にとっては、そういう面白味のひとつだったのではないか、とも思える。

むろんその立ち位置は、俳句に関して素人である、ということとイコールにはならない(長嶋の公式Twitterのイベント告知には「ドサクサで俳人に紛れんとする長嶋の付け焼刃トークに期待」とあるものの、彼は20年の句歴を持っている)。彼は、『点滅』の逆選の理由は「リア充だから」だと笑いを取る一方、榮の作風を『点滅』中表紙の写真から指摘する(洗濯洗剤の計量スプーンで植物を育てている写真は、人工物に季感を見出す榮の句風を象徴している)など、鮮やかな視点をいくつももたらす。

榮、野口の話が面白かったことももちろんである。榮は田中裕明賞を受賞したばかりだし、野口はなんと臨月。(いい意味での)突っ込みどころが満載のイベントであった。


10句作品テキスト 仲田陽子 四分三十三秒

$
0
0
仲田陽子 四分三十三秒

初夏の固くなりたる白絵具
はんざきがスペアの鍵を預かりぬ
籐椅子に月役の身を深々と
舟遊び眠りに落ちるまで揺れて
くちなわを解いておれば湿りだし
舌先に触れているなり凌霄花
黒百合のふところ深く眠りおり
蚯蚓鳴く四分三十三秒
触角の長い順から虫籠に
醒めぎわに紛れ込みたる鉦叩


10句作品テキスト 池谷秀子 蝉の穴

$
0
0
池谷秀子 蝉の穴

初夏やマチスの金魚見に行かん

衣更へて見知らぬ人へ書く手紙

ソーダ水飲んで若さを無駄遣ひ

水打つて夜が来るのを待つ子供

星涼し互ひの距離を侵さずに

熱の子に蚊帳の天井低かりし

子育ての日々の遠しよ蝉の穴

桐咲くやすでに長男老いはじめ

夏至の夜のもつとも遠き足の指

少し背の伸びたる心地白日傘

10句作品テキスト 庄田宏文 絵葉書

$
0
0
庄田宏文 絵葉書

絵葉書に人影のなしつちふれり

燭吊られ十字架吊られ春嵐

炒めれば甘藍青を思ひ出す

句から句詩息軽けれ枯野行

春寒の芯のごとくに女立つ

変幻にして従容と春落暉

人登りては消えてゆく春の坂

冥きもの寄せ来る春の汀かな

いくばくか太りし鳩や暮の春

ところにより雨玫瑰の咲く処

10句作品 庄田宏文 絵葉書

$
0
0
画像をクリックすると大きくなります。



週刊俳句 第370号 2014-5-25
庄田宏文 絵葉書
クリックすると大きくなります
テキストはこちら
第370号の表紙に戻る

10句作品 池谷秀子 蝉の穴

$
0
0
画像をクリックすると大きくなります。


週刊俳句 第370号 2014-5-25
池谷秀子 蝉の穴
クリックすると大きくなります
テキストはこちら
第370号の表紙に戻る

10句作品 仲田陽子 四分三十三秒

$
0
0
画像をクリックすると大きくなります。


週刊俳句 第370号 2014-5-25
仲田陽子 四分三十三秒
クリックすると大きくなります
テキストはこちら
第370号の表紙に戻る

週刊俳句 第370号 2014年5月25日

$
0
0
第370号
2014年5月25日


2013落選展 Salon des Refuses≫読む

池谷秀子 蝉の穴 10句 ≫読む

仲田陽子 四分三十三秒 10句 ≫読む

庄田宏文 絵葉書 10句 ≫読む
……………………………………………

長嶋有×榮猿丸×野口る理トークイベント
「春のお辞儀がしやりりと点滅」に行ってきた……堀下翔 ≫読む

連載 八田木枯の一句
野は天にいでやすくして揚羽蝶……角谷昌子 ≫読む

俳句の自然 子規への遡行31……橋本 直 ≫読む

自由律俳句を読む 44
本間鴨芹〔2〕……馬場古戸暢 ≫読む

〔今週号の表紙〕トラファルガー広場……橋本直 ≫読む


後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む

■日露俳句コンテストのお知らせ ≫見る
 「ku+ クプラス」創刊号 購入のご案内 ≫見る


 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ ≫読む
週俳アーカイヴ(0~199号)≫読む
週俳から相互リンクのお願い≫見る
随時的記事リンクこちら
評判録こちら

後記+プロフィール371号

$
0
0
後記 ● 上田信治

関悦史さんのご提案で、二つの「平成百人一句」を、掲載することができました。関さんありがとうございます。

宗田版と比べると若い作家の比率が多く、「老人と子供の百句」のような趣きになっている。その分こちらの方が、間に挟まる無風・伝統回帰の時期の、壮年作家たちの官僚的ともいえるような秀句を多く採り逃している。(関悦史「無風であったはずの時期の百句」)


関さん、思ってることが、口から出ちゃってますよ。

 

宗田さんが作者の生年月日順の配列、関さんが句集刊行年順の配列で、それぞれ、リストには、生年月日と刊行年月が付されている。お二人の綿密なお仕事に感嘆します。

 

こういうミニアンソロジーは、自分も作ったことがありまして、こう、ちょっと人を一所懸命にさせるところがある。思い出せる限り思い出し、読める限りは読んで選ぼうと、がんばってしまうわけです。

いい句を見逃したら作者に気の毒、ということもあるのですが、より強くは、その十年なら十年の「俳句の面目」を施したいという気持ちになる。ずいぶん勝手な使命感です。

じつは、この5月に、また一個作りました。7月に紙で出ますので、また何らかの形で、お知らせします。

 


それではまた次の日曜日にお会いしましょう。


no.371/2014-6-1 profile

陽 美保子 よう・みほこ
1957年島根県生まれ、札幌市在住。俳人協会会員、「泉」同人。第22回俳壇賞、句集『遥かなる水』にて第16回北海道俳人協会賞。

■宗田安正  そうだ・やすまさ
1930年生まれ。編集者として『現代俳句全集』(全六巻・立風書房
 1977~)ほか、多くの全集、事典等を編纂。句集『個室』『巨眼抄』『百塔』。

■関悦史 せき・えつし
1969年、茨城生まれ。第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞、第11回俳句界評論賞受賞。「豈」同人。共著『新撰21』(邑書林)。句集『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011)にて第3回田中裕明賞を受賞。URL:http://etushinoheya.web.fc2.com/(管理人は別人) URL:http://kanchu-haiku.typepad.jp/blog/(句集紹介用ブログ)   


■小林苑を こばやし・そのお
1949年東京生まれ。「里」「月天」「百句会」「塵風」所属。句集「点る」(2010年)。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。「月天」同人。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。

〔今週号の表紙〕第371号 国立競技場最後のラグビー試合 西原天気

$
0
0
〔今週号の表紙〕
第371号 国立競技場最後のラグビー試合

西原天気




撮影日は2014年5月25日。先週号の後記にも書きました。「Asian 5 Nations」の日本vs香港戦です。撮影者は、同行した妻。

国立競技場でラグビー試合を観たのは初めてです。この日、自分が主催している句会を延期してまで観戦に出かけたわけですが、これには2つの理由がありました。

1つは、現在のラグビー日本代表に少なからず興味があったこと。ケーブルテレビでの観戦を通して少しずつファンになっていきました。

ヘッドコーチのエディー・ジョーンズはオーストラリア出身。日本人の血が1/4(いわゆるクオーター)から来るルックス的な親近感もあって、なんだか雰囲気がいい。

この試合でキャップ数歴代1位(82キャップ)を記録した大野均選手を、1年ほど前でしょうか、近所で見かけたことも、ファン化のきっかけになりました。大野選手は東芝所属で、ウチはグラウンドのある東芝府中工場のすぐ近く。サンダル履きでママチャリに乗った大野選手(192cm・106kg)は弁当かハンバーガーかの買い物の途中だったのかもしれません。ひときわ目を引くアスリート体躯とカジュアル感の対照がえらく魅力的でした。

現在の日本代表は日本人プレーヤーと外国人のバランスもいいように思いますし、いわゆるキャラの立ったプレーヤーも多い。そんなこんなで注目なのですよ、エディー・ジャパンは。

ところで、この香港戦は勝てばワールドカップ(2015年・イギリス)出場が決まるという大事な試合。…のわりには、スポーツニュースで大きく取り上げられることもありませんでした。ラグビーもいまやマイナー・スポーツ? 残念なことです。

ついでにいえば、バドミントン。トマス杯=男子の団体世界戦で日本が優勝という大快挙も、さほど大きく報道されることはありませんでした。対して、サッカーは不自然なくらいに大きな注目を浴び、ニュースを賑わします。商業的には理解できますが、スポーツファンとしては少々シラケします。

話が長くなりました。観戦に出かけたもう1つの理由は、国立競技場の見納めということ。使用がこの5月で終了。7月に取り壊しが始まる。1964年の東京オリンピックの競技会場として建設されたので50年の歴史を閉じる、ということで、行ってきたわけです。

跡地に建設される新国立競技場については、暗澹たる気持ちでいっぱいです。

この建造物についての問題点について関心のある方は各自ググってでもいただければ幸いです。

グロテスクなデザイン、グロテスクな規模。

なにより深刻なのは、歴史的地域全体が破壊されるという事態です。

あのあたりは緑が多く、気持ちのいい場所です。この環境はこれまで「競技場周辺の高さ制限15メートル」という制限によって守られてきた側面がある。ところが、新国立競技場の設計デザインは当初75メートル。従来の高さ制限が今回取っ払われてしまいました。

反対の声も多く上がっていますが、おそらく良い方向には向かわないと思います。

付記するに、コンペで妹島案が敗れたことには、いまさらながら残念なことです。
参考 http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20121113/591210/

この案にも問題点は多々あるようですが、既存の景観との調和は、あの場所を一度でも訪れたことのある人なら誰でも一番に望むことだったはずです。

嘆くだけでは状況は変わらない。何をすべきかを考え、何かをすべきなのでしょうが、この件に関しては、どうにもこうにも暗い気持ちから脱することができないでいます。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫
こちら


自由律俳句を読む45 喜谷六花〔1〕 馬場古戸暢

$
0
0
自由律俳句を読む45
喜谷六花〔1〕

馬場古戸暢

喜谷六花(きたにりっか、1877-1968)は、曹洞宗の僧侶でもあった。ホトトギス主催の蕪村忌に出席して碧梧桐と出会って以降、碧梧桐に師事し、『海紅』において活躍した。なお一碧楼没後には、選者を担当するに至っている。以下『自由律俳句作品史』(永田書房、1979)より、数句を選んで鑑賞したい。

女白い腕を見する菜種が青くなつた  喜谷六花

女の白さと菜種の青さの対比が美しい生活詠。きわめて男らしい句だと思う。

鮟鱇の煮え隣の男の肘がさはる  同

食堂や会食でのひとこまか。現代でも詠まれそうな、味のある句。鮟鱇を食べてみたくなった。

からたちの花吾が日々の行持にちにち  同

次の句と同様、僧侶らしい一句。六花のお寺の境内には、からたちが生えていたのだろう。熱心な様子が伝わってくる。

礼仏子に怠らせず春の朝々  同

曹洞宗の僧侶であった六花らしい句。若干説明が冗長な気もするが、お寺にあってはこれが日常の景なのだろう。ゆっくりとした時間が流れて行く。

空蝉の部屋 飯島晴子を読む 〔 22 〕小林苑を

$
0
0
空蝉の部屋 飯島晴子を読む

〔 22 〕


小林苑を

『里』2013年5月号より転載

わたくしに烏柄杓はまかせておいて  『平日』

『平日』は、七十五歳の誕生日にと前書きのある <竹馬に乗つて行かうかこの先は> で始まり、< 丹田に力を入れて浮いて来い> で終わる。竹馬と浮いて来い、どちらも玩具で遊んだ子ども時代を思い出させる、老いと向き合う句である。

あとがきは、娘の後藤素子が記し、「ここに母に生前より頼まれておりました遺句集を出すことになりました」とある。最後の句集を準備して、平成十二年六月、晴子は自ら生涯を閉じる。

俳壇に衝撃を与え、多くの追悼文が書かれ、特集が組まれた。すべてに、何故という問いかけが滲む。栗原浩のインタビューに応えた中で〔※1〕、後藤素子は「母から『断念』という言葉を聞かされました」と語っている。

櫂未知子は、『未完なる老い』と題する晴子論〔※2〕で、自死直前の作で話題になった < 大空にぽつかりと吾れ八十歳>  < ミモザ咲きとりたる歳のかぶさり来> を紹介し、後者を晴子句としては異色とし、花材の選択を挙げる。晴子は「華といえば野の花。それもわびしげなものをとりわけ好んだ。華やかな花を句の素材として選ぶ時は、むしろその痛々しさを中心に詠むためだった」のに、このミモザのは違うと言う。

そして、「もう一点、過去の歳月を回想していることが挙げられる。回顧回想は、基本的に晴子の世界ではない。さらにもう一点、音読してみるとよくわかることがある。それは、この句全体のもったりとした音感と、まつわりつくような内容のもどかしさであり、これはそれまでの飯島晴子の句にはあまりなかったものである。それは、かつて< 老い放題に老いんとす>と詠んだ作者自身、予想せず、また読者も想像していなかった現実の老いの厳しさゆえだったのかもしれない」と語る。

老いはすべての人間に訪れるが、生きることが平等でないのと同じように、すべてに等しい老いがやって来るわけではない。病を得ることで、晴子の老いには翳りもあった。あくまでも毅然と美しくありたい人には厳しい現実だ。断念という決断、自死という選択は生きる側にあるのであり、晴子はそのように生き切ったのだ。

話題の句集『カルナヴァル』の作者、金原まさ子は百二歳だという。俳句形式を存分に楽しみ、どう老いるかという命題を掲げることなく、毎日をハレの日として遊ぶ。百歳の句集のタイトルは『遊戯の家』。タイトルのように、生きることのあれこれを面白がる。読み手にとっては、老いにまとわりつくネガティブな意匠から自由であることが心地よい。

晴子になかったのは茶目っ気かもしれない。健康的で楽し気な一面は十分にあるけれど、やはり生真面目な優等生なのだ。もしかしたら、と想像してみる。健康に恵まれて百歳になった晴子は、あらねばならない私から解放されて、悪戯な目を輝かせたかもしれないと。そんな晴子に出会ってみたい。でも、晴子は晴子らしく生きたのだ。

掲句は小気味よい。こう言われたら。おまかせするっきゃない。いかにも晴子らしい一句。 句意はよくはわからないけれど、単純にこの花のことは私がすべて知っているわよ、とそれこそ見得を切っているのだと思いたい。烏柄杓が気に入ったということであり、私だけのものと言いたいようでもある。

烏柄杓の実物は見たことはないが、写真で見ると確かに鳥の首を思わせる柄杓型で、晴子の好きそうな植物である。別名、半夏、狐の蝋燭、蛇の枕と、こちらも魅力的な呼称で、野にある花だ。

岡井隆は晴子の哀悼に掲句を挙げ〔※3〕、「なににしても、飯島さんが亡くなって居られるのでは、はかない話だが、それでも歳時記などひきながら、カラスビシャクの句とつき合つてゐると、たのしく慰められる。カラスビシャクではなく『烏柄杓』と書かねばならない。そういう句である。これは植物の名であって、しかもそこに、烏が棲んでゐる。烏が、柄杓に使ひさうな肉穂花の、その外の総苞である。あれは、水は汲めまいが、烏ならあれで汲みさうだ。ほんたうは、カラスビシャクは雑草として庭や畑に生えて来るので、この草の駆除は、わたしにまかせておいてよ、といってゐるみたいでもある。この柄杓で水を汲むのは、常人にはできないだらうから、このわたしめにおまかせ下さいと申しでられたやうな気にもなる」という。

この一文は「 < そのうちに隠れ住みたき鴛鴦の沼> と言ひながら、鴛鴦の沼ならぬ彼岸へ、旅立つて行つてしまはれた」と結ばれる。鴛鴦からは夫恋も感じられる。『平日』には < 父母祖父母はや赤蛙浮かぶ沼> という句もある。この句から、以前取り上げた < わたくしを呼ぶ父よ蛭と泳ぎ > を思う。晴子にとって、沼は血脈と出会う場所なのだろう。決して明るくはないが、土俗的な安らぎがある。沼は私に、かって日本人みんなが住んでいた家屋の薄暗さを思い出させる。


〔※1〕『続俳人探訪』文學の森 二〇〇九年二月 
〔※2〕『セレクション俳人―櫂未知子集』邑書林 二〇〇三年五月 
〔※3〕『飯島晴子読本』収録 「飯島晴子といふ俳人」

【八田木枯の一句】熱さめて虹のうぶ毛のよく見ゆる 西原天気

$
0
0
【八田木枯の一句】
熱さめて虹のうぶ毛のよく見ゆる

西原天気



高熱に苛まれて、心身が憔悴。やがて熱がひき、回復へと向かう。そのときの神経が妙に研ぎ澄まされた感じは、かつて経験したような気がします。

熱さめて虹のうぶ毛のよく見ゆる  八田木枯

虹はたいてい、絵に描いたようにくっきりと明確ではない。縁に産毛を生やしたような、やわらかな質感があります。


熱がさめる。それは大げさにいえば「再生」です。その瞬間、虹のすみずみが見えた。

視覚に関するモチーフでありながら、きわめて皮膚的な感応になっています。

いつかの遠い過去の出来事のようでありながら(子どもと高熱はセット)、妙に身近な感覚にも思えてきました。

掲句は『汗馬楽鈔』(1988年)より。




平成百人一句 無風であったはずの時期の百句 関悦史

$
0
0
平成百人一句 
無風であったはずの時期の百句

関 悦史

「GANYMEDE(ガニメデ)」第60号・2014年4月より全文転載


今回の「平成百人一句」を選出するにあたり、参考にした百句選が三種類ある。

まず髙柳克弘選の「ゼロ年代の俳句一〇〇選」。これは『現代詩手帖』二〇一〇年六月号「特集・短詩型新時代――詩はどこに向かうのか」に、黒瀬珂瀾選「ゼロ年代の短歌一〇〇選」と並んで掲載された。

この髙柳克弘の選句に対して上田信治が「この一〇〇句、短歌の隣におくと、ゆるくないですか?」とウェブマガジン「週刊俳句」二〇一〇年五月三十日号「『現代詩手帖六月号 短詩型新時代』を読む」で疑義を呈し、これを受けて、二番目に高山れおなが「「ゼロ年代の俳句一〇〇選」をチューンナップする」をウェブマガジン「豈weekly」二〇一〇年六月六日号に発表した。

そして疑義を呈した上田信治自身も三番目に「テン年代の俳句はこうなる──私家版「ゼロ年代の俳句一〇〇句」」を発表(「週刊俳句」二〇一〇年六月二七日号)し、都合三種類のアンソロジーが出来た。

これらは皆ゼロ年代の十年間に絞ってのアンソロジーだったが、「平成」年間は一九八九年一月八日から始まるため、これらのアンソロジーが対象とした時期に比べて、今回は前に約十一年、後ろに約三年、対象期間が伸びることとなる。

八九年の冷戦崩壊で二十世紀の世界構造が終わったとする見方もあることを思えば、実質「二一世紀の一〇〇句」を編むことになるが、この「前に約十一年」伸びたというのが曲者で、九〇年代まで入ってきてしまうと対象期間のキャラクターがかなり変わってくるのだ。

九〇年代=平成初頭には、山口誓子、阿波野青畝、加藤楸邨、飯田龍太、波多野爽波、永田耕衣、能村登四郎、上田五千石、攝津幸彦といった濃厚に「昭和」のにおいをまとった作者たちがみな存命なのである。当然、有名句が目白押しとなる。また「後ろに約三年」の間に東日本大震災が起こる。

序盤はバブル期にもあたり、夏石番矢、林桂、西川徹郎らの非伝統的な作家たちの絢爛たる活動も目立ったが、バブル崩壊後の大不況、さらに九五年、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が続けて発生すると、社会に息詰まるような閉塞感が立ち込め、前衛性や観念性は社会の雰囲気と乖離してリアリティを得にくくなり、おのおの独自の島宇宙のような位置へと遷移してゆくことになる。

九〇年代以後というのは単に経済的に不景気に陥っただけではなく、冷戦崩壊を境に人類規模で思想的、芸術的産出力が目に見えて落ちた時期でもあり、以後新しいものたちが綺羅星の如く登場して時代を画していくという動きは芸術・文化の全領域でなくなっていった。

これは俳壇規模では、いわゆる「平成無風」となる(この時期、ずっと「最若手」として俳壇を担ってきたのが岸本尚毅ら、小川軽舟いうところの「昭和三十年世代」であり、「型」や「伝統」が中心的な価値観とされることとなった)。

そして、最近数年間まで時代を下ってくると、ようやく俳句甲子園、芝不器男俳句新人賞、アンソロジー『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』等、従来の評価システムとは別の回路から新人がまとまって登場するが、その直後に東日本大震災及び東電福島第一原発の過酷事故が発生し、季語を半ば自然そのものと同一視してきた少なからぬ俳人たちが深い困惑に陥った。

その前に、九五年のウィンドウズ95の発売を機にインターネットが突如普及し、パソコン、ケータイが社会的インフラとして一般化していったという生活習慣レベル(むしろ文明レベルというべきか)での一大変化もあり、この基礎条件の変動なしには結社システム以外からの新人登場はあり得なかった(アンソロジー『新撰21』もネットを通して若手俳人の句集制作資金不足を知った篤志家からの出資の申し出があって初めて刊行し得た書籍だった)。

とはいえ、最近出てきた若手の多くも、概ね有季定型での句作りを中心としている。とそういったあたりが平成俳句の大まかな土台となる。

選句中はそうした社会的文脈は一応視野の外に置いて、名句、有名句を淡々と拾っていったのだが、九割八分ほど選句を終えた本稿締切の三日前、季刊誌『アナホリッシュ國文學』第五号「特集Ⅰ・俳句の近代は汲みつくされたか/特集Ⅱ・そして蕪村、世界のハイクへ」というのが届いて、そちらで宗田安正が同じ「平成百人一句」を編んで発表しているのを目にすることになった。

互いに全く知らずに作業を進めていたのだが、これを自分の選句と見比べると、偶然合致している句がかなりある。先行アンソロジーとの重複を避けるために入れ替えるというのも本稿の主旨からして変なので、宗田版アンソロジーを受けての変更はあえてせずにおいた。

合致していたのは以下の二十句である(なお宗田版は、収録句集刊行順ではなく、作者の生年順に句が配列されている)。

  白梅や天没地没虚空没   永田耕衣
  銀河系のとある酒場のヒヤシンス   橋 閒石
  おおかみに蛍がひとつ付いていた   金子兜太(克・れ・信)
  無方無時無距離砂漠の夜が明けて   津田清子
  百千鳥雄蕊雌蕊を囃すなり   飯田龍太
  葛の花来るなと言つたではないか   飯島晴子(克・れ)
  海鼠切りもとの形に寄せてある   小原啄葉(れ・信)
  黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒   八田木枯
  人類の旬の土偶のおっぱいよ   池田澄子(克・れ)
  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典
  万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり   奥坂まや(克・れ)
  瀧壺に瀧活けてある眺めかな   中原道夫
  神護景雲元年写経生昼寝   小澤 實(克・れ)
  空へゆく階段のなし稲の花   田中裕明(れ・信)
  双子なら同じ死顔桃の花   照井 翠
  一滴の我一瀑を落ちにけり   相子智恵(れ)
  気絶して千年氷る鯨かな   冨田拓也(克)
  つまみたる夏蝶トランプの厚さ   高柳克弘
  寂しいと言い私を蔦にせよ   神野紗希(克・れ)
  あぢさゐはすべて残像ではないか   山口優夢(克・れ)

 カッコ内の「克」「れ」「信」はそれぞれ髙柳克弘、高山れおな、上田信治のゼロ年代一〇〇句選でも選ばれていたことを示している。このあたりは既に平成俳句のスタンダードの地位を占めつつある句といえるだろう。

他にこちらが有力候補として残しながら、宗田選とは同じ作者の別の句を取ってしまったケースも三句ある。

宗田選で採られた《天皇の白髪にこそ夏の月》宇多喜代子は、こちらでは《天空は生者に深し青鷹》に差し替えられた。認知度という点からいえば前者が圧倒的なのだが、「こそ夏の月」にかかる句意がやや不分明で採りきれなかったためである。

また《万物は去りゆけどまた青物屋》安井浩司は、私が安井浩司論を書いた際にも最初に据えた句で、安井世界に特徴的な構造(「万物」から「青物屋」が除外されている)が明瞭であり、しかも無限の安らかさもある。名句は繰り返し言及されることで名句になっていくものであり、ここで再度とも考えたが、今回は安井俳句にはやや珍しいような立ち姿と湧出感が魅力的な《氷握る拳で夢野を照らすのか》を挙げた。

それから《車にも仰臥という死春の月》高野ムツオは、東日本大震災に際して詠まれたものとしては最も知られた句のひとつだが、季語「春の月」による救済が早過ぎるようにも感じ、津波描写に特化した無季句《膨れ這い捲れ攫えり大津波》の不気味さを取った。この辺の季語に対する対応の違い、一見些細なようだが、ここで無季に踏み切れるかどうかは、その作家にとって大きな岐路ともなりうる。

今回の百句選は、俳句表現が概ね無風と見られてきた時期のそれであり、二度の大震災に直接材を取った句などを別にすると、社会や暮らしのファンダメンタル上の変化はさほど顕著に反映されていない。パソコン・ケータイ普及後の作と一目でわかるのは《君はセカイの外へ帰省し無色の街》福田若之くらいではないか(なお福田若之の場合も《ヒヤシンスしあわせがどうしても要る》という、より人口に膾炙した句が既にある)。

そうした中で先の大戦を反芻した句が妙に多くなっているのは、現在の状況が選者(関)の無意識を大きく侵食しているためだろう。宗田版と比べると若い作家の比率が多く、「老人と子供の百句」のような趣きになっている。その分こちらの方が、間に挟まる無風・伝統回帰の時期の、壮年作家たちの官僚的ともいえるような秀句を多く採り逃している。

なお宗田選、関選ともそれぞれ自作は除外しているが、互いの句《人類に空爆のある雑煮かな》関悦史と、《水なりと突然椿のつぶやけり》宗田安正を結果的に採りあっていた。

      

なお筑紫磐井句は、のち句集『我が時代 ―二〇〇四~二〇一三―〈第一部・第二部〉』に収録された。

平成百人一句  選後所感 宗田安正

$
0
0
平成百人一句 
選後所感

宗田安正

『アナホリッシュ國文學』第5号冬・平成25年12月20日発行より全文転載




与題は「百人一句」。四半世紀に達した平成年間の作品を対象に何かを表現しようとしている作品を中心に選んだ。

近代俳句は、子規の俳句革新以来、常に近代化、つまり近代的主体の表現をめざしてきたが、昭和末期の経済至上主義、情報社会の進展による社会構造の変化により絶対だったその近代的主体が溶解、俳句にも前代のような文学運動は皆無になり、俳句自体も表現する器から表現できるものを探す器に変質した。

また高度経済成長による余裕とカルチャーブームで、女性の俳句人口が激増。作品自体も、日常生活での共感、頷き合い、表現の洗練のレベルで満足するものが支配的になる。

平成に入り、バプル景気も破綻したがその俳句の趨勢は変わらず、〈情緒安定産業〉(江里昭彦)として俳壇に或る種の経済的繁栄をさえもたらすことになる。

ところが近年、或る新人達のアンソロジーをきっかけに、にわかに若手中心に新しい〈表現〉を求める動きが出てきた。

たとえばかつての高柳重信、夏石番矢なども句集ごとにテーマと表現方法を変えたが、関悦史句集『六十億本の回転する曲がつた棒』(平23)は、現代風俗詠、或る館をめぐる高踏派的幻想的作品、介護俳句、『百人一首』パロディー、震災俳句など七テーマを、テーマごとに一般的表記、総ルビ・正漢字、カタカナ表記など表現方法を変え、一冊に収める。

この多元性が関の内面の現実から発せられているため、全く分裂感がない。

先輩格の高山れおな句集『俳諧曾我』(平24)も、『曾我物語』やシャルル・ペローの童話に基く連作、フィレンツェ印象詠、『詩経』の俳句化、「原発前衛歌」などの有季俳句、多行俳句、横組俳句、平仮名俳句等を一巻に収める。

関句集よりもテーマの設定と作者との関係が自由で、それだけより自由にテーマ、俳句形式及び言語そのものの多元的可能性に挑むことになる。

高橋修宏句集『虚器』(平25)も、九・一一同時多発テロや東日本大震災と原発事故など、近代の人間中心主義の崩壊により露出した〈虚〉に注目、俳句による壮大な〈虚の人類史〉〈虚の叙事詩〉を展開する。

これらの句集からも各一句を抄出したが、その成果は句集を読んで戴くしかない。

世界文学の一ジャンルとしての俳句運動を海外で展開する夏石番矢、実存俳句九千句を書下ろす西川徹郎ともども、近代にはなかった新しい時代の表現主体の登場と言ってよい。

従来の方法による俳句の展開、大震災の俳句への影響の深まり(中世の『方丈記』が対峙した地震などの天災、社会運動によって露出する無常は、『平家物語』や『徒然草』、更に後の能や石庭などを生み出すことになる)ともども、その今後に期待したい。 

平成百人一句  選・関 悦史 テキスト

$
0
0
平成百人一句  選・関 悦史
「GANYMEDE(ガニメデ)」第60号・2014年4月より全文転載


豊旗雲の上に出てよりすろうりい  阿部完市『軽のやまめ』一九九一年七月

忘年や身ほとりのものすべて塵   桂信子『樹影』一九九一年一一月

百千鳥雄蕊雌蕊を囃すなり   飯田龍太『遅速』一九九一年一二月

日盛の橋に竣工年月日   波多野爽波『波多野爽波全集 第二巻』一九九二年一月

荒々と花びらを田に鋤き込んで   長谷川櫂『天球』一九九二年四月

路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな   攝津幸彦『陸々集』一九九二年五月

みちのくは底知れぬ国大熊(おやぢ)生く   佐藤鬼房『瀬頭』一九九二年七月

霜掃きし箒しばらくして倒る   能村登四郎『長嘯』一九九二年八月

銀河系のとある酒場のヒヤシンス   橋閒石『微光』一九九二年八月

夏の浪中上健次大むくろ   夏石番矢『楽浪』一九九二年一一月

花の悲歌つひに国歌を奏でをり   高屋窓秋『花の悲歌』一九九三年五月

猩々に糞投げられし春の昼   岡井省二『猩々』一九九三年九月

天我を釣り揚げんとす凧   阿波野青畝『宇宙』一九九三年一一月

水(みづ)より高(たか)きに/肉(にく)を/量(はか)りて/暮春(ぼしゅん)かな   林桂『銀の蝉』一九九四年一一月

どうころがしても口中の水の秋   安東次男『花筧後』一九九五年二月

白梅や天没地没虚空没   永田耕衣『自人』一九九五年六月

筍掘るとどめの音を土の中   鷹羽狩行『十一面』一九九五年七月

そこにあるすすきが遠し檻の中   角川春樹『檻』一九九五年一〇月

八雲わけ大白鳥の行方かな   沢木欣一『白鳥』一九九五年一二月

瀧壺に瀧活けてある眺めかな   中原道夫『アルデンテ』一九九六年四月

大出目錦やあ楸邨といふらしき   加藤楸邨『望岳』一九九六年七月

倒・裂・破・崩・礫の街寒雀   友岡子郷『翌』一九九六年九月

縁の下しずかに茂る鉈に鎌   鳴戸奈菜『月の花』一九九六年一〇月

みづから遺る石斧石鏃しだらでん   三橋敏雄『しだらでん』一九九六年一一月

虫の夜の星空に浮く地球かな   大峯あきら『夏の峠』一九九七年六月

南無八万三千三月火の十日   川崎展宏『秋』一九九七年一二月

賚(たまもの)のごとく小雪や朝寝して   高橋睦郎『賚』一九九八年四月

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典『ぽぽのあたり』一九九八年七月

墨塗りの昭和史があり鉦叩   矢島渚男『翼の上に』一九九九年五月

青大将太平洋に垂れ下がり   大串章『天風』一九九九年七月

無方無時無距離砂漠の夜が明けて   津田清子『無方』一九九九年一〇月

何をしていた蛇が卵を呑み込むとき   鈴木六林男『一九九九年九月』一九九九年一二月

天の河/右岸/左岸も/瞑いなあ     岩片仁次『砂塵亭殘闕』一九九九年

海鼠切りもとの形に寄せてある   小原啄葉『遥遥』二〇〇〇年四月

水なりと突然椿のつぶやけり   宗田安正『百塔』二〇〇〇年一〇月

連翹やかがむと次元一つ消ゆ   和田悟朗『坐忘』二〇〇一年一月

火に投げし鶏頭根ごと立ちあがる   大木あまり『火球』二〇〇一年三月

おおかみに蛍がひとつ付いていた   金子兜太『東国抄』二〇〇一年三月

葛の花来るなと言つたではないか   飯島晴子『平日』二〇〇一年四月

山藤が山藤を吐きつづけおり   五島高資『雷光』二〇〇一年六月

白魚にをどり食ひされゐたりけり   平井照敏『夏の雨』二〇〇一年一〇月

年寄は風邪ひき易し引けば死す   草間時彦『瀧の音』二〇〇二年五月

水の地球すこしはなれて春の月   正木ゆう子『静かな水』二〇〇二年一〇月

水温む鯨が海を選んだ日   土肥あき子『鯨が海を選んだ日』二〇〇二年七月

天空は生者に深し青鷹(もろがえり)   宇多喜代子『象』二〇〇二年一〇月

明朝活字填(つま)りて邃(ふか)し石榴なり   竹中宏『アナモルフォーズ』二〇〇三年六月

甘酒の銀泥怖るのんどかな   磯貝碧蹄館『馬頭琴』二〇〇三年七月

寂しいと言い私を蔦にせよ   神野紗希『星の地図』二〇〇三年八月

見ゆるごと蛍袋に来てかがむ   村越化石『蛍袋』二〇〇三年一〇月

気絶して千年氷る鯨かな   冨田拓也『青空を欺くために雨は降る』二〇〇四年三月

空へゆく階段のなし稲の花   田中裕明『夜の客人』二〇〇五年一月

万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり   奥坂まや『縄文』二〇〇五年四月

人類の旬の土偶のおっぱいよ   池田澄子『たましいの話』二〇〇五年六月

神護景雲元年写経生昼寝   小澤實『瞬間』二〇〇五年六月

鷹柱じんるい白き火をあやし   嵯峨根鈴子『コンと鳴く』二〇〇六年五月

風が出て蝉の骸の地を退る   林田紀音夫『林田紀音夫全句集』二〇〇六年八月

をみなとて空山幽谷ふところ手   澁谷道『蘡(えび)』二〇〇八年五月

地球より出る細胞の鬨の声   高橋修宏『蜜楼』二〇〇八年七月

蝸牛やご飯残さず人殺めず   小川軽舟『手帖』二〇〇八年九月

睡蓮やあをぞらは青生みつづけ   恩田侑布子『空塵秘抄』二〇〇八年九月

「しんかい」や涅槃の浪に呑まれけり  ドゥーグル・J・リンズィー『出航』二〇〇八年一二月

ニュートリノ桃抜けて悲の塊に   石母田星人『膝蓋腱反射』二〇〇九年二月

我はなほ屍(かばね)衞兵(ゑいへい)望の夜も   眞鍋呉夫『月魄』二〇〇九年三月

つまみたる夏蝶トランプの厚さ   高柳克弘『未踏』二〇〇九年六月

テキサスは石油を掘つて長閑なり   岸本尚毅『感謝』二〇〇九年一〇月

目刺焼く炎の中の笑ひごゑ   男波弘志『阿字』二〇〇九年一一月

人参を並べておけば分かるなり  鴇田智哉『新撰21』二〇〇九年一二月

雪・躰・雪・躰・雪 跪く   田中亜美『新撰21』二〇〇九年一二月

一滴の我一瀑を落ちにけり   相子智恵『新撰21』二〇〇九年一二月

手紙即愛の時代の燕かな   佐藤文香『新撰21』二〇〇九年一二月

今日は晴れトマトおいしいとか言って  越智友亮『新撰21』二〇〇九年一二月

どの眼にも 髪まつはりて 青嵐   斉木直哉『強さの探求』二〇〇九年

火の入りし岐阜提灯の花よ葉よ   宇佐美魚目『松下童子』二〇一〇年二月

氷(ひょう)握る拳で夢野を照らすのか   安井浩司『空なる芭蕉』二〇一〇年九月

黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒   八田木枯『鏡騒(かがみざい)』二〇一〇年一〇月

春暁の母たち乳をふるまうよ   金原まさ子『遊戯の家』二〇一〇年一〇月

燃ゆる手に包まるる手よ語りつづけ   四ッ谷龍『大いなる項目』二〇一〇年一一月

ダンススクール西日の窓に一字づつ   榮猿丸『超新撰21』二〇一〇年一二月

白鳥定食いつまでも聲かがやくよ  田島健一『超新撰21』二〇一〇年一二月

じきに死ぬくらげをどりながら上陸
御中虫『おまへの倫理崩すためなら何度(なんぼ)でも車椅子奪ふぜ』二〇一一年四月

あぢさゐはすべて残像ではないか   山口優夢『残像』二〇一一年七月

コレラコレラと回廊を声はしる   青山茂根『BABYLON』二〇一一年八月

長雨や人のたまごか野に青む   中村光三郎『春の距離』二〇一一年一一月

君はセカイの外へ帰省し無色の街   福田若之『俳コレ』二〇一一年一二月

ゆく雁やひたすら言語(ラング)たらんとして   小川双々子『非在集』二〇一二年一月

薬湯のような紅茶にただ飛雪   江里昭彦 ウェブマガジン「詩客」二〇一二年一月二〇日号

棺一基四顧茫々と霞みけり   大道寺将司『棺一基』二〇一二年四月

げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も   高山れおな『俳諧曾我』二〇一二年一〇月

双子なら同じ死顔桃の花   照井翠『龍宮』二〇一二年一一月

とびおりと巻き添え非対称性雁ゆく   大沼正明『異執』二〇一三年四月

侘助に朝の光やロゴスとは   長澤奏子『うつつ丸』二〇一三年六月

永遠に絶叫している白い皿   西川徹郎『幻想詩篇 天使の悪夢 九千句』二〇一三年六月

厠から九月の滝は淋しけれ   澤 好摩『光源』二〇一三年七月

吾(あ)と無   筑紫磐井「GANYMEDE」第五八号、二〇一三年八月

相打ちのつもりで摘むや花菫   志賀 康『幺(いとがしら)』二〇一三年八月

かたつむり刃を渡りきりこちら向く   萩澤克子『母系の眉』二〇一三年八月

魂魄はスカイツリーにゐるらしい   柿本多映『仮生』二〇一三年九月

膨れ這い捲れ攫えり大津波   高野ムツオ『萬の翅』二〇一三年一一月

雪熄みし月の高野の初櫻   黒田杏子『銀河山河』二〇一三年一二月

梅園を歩けば女中欲しきかな   野口る理『しやりり』二〇一三年一二月




平成百人一句  選・関 悦史

$
0
0
クリックすると大きくなります





週刊俳句 第371号 2014-6-1
平成百人一句  選・関 悦史
クリックすると大きくなります
テキストはこちら
第371号の表紙に戻る

平成百人一句  選・宗田安正 テキスト

$
0
0
平成百人一句  選・宗田安正
『アナホリッシュ國文學』第5号冬・平成25年12月20日発行より転載


白梅や天没地没虚空没  永田耕衣  明33・2・21生

銀河系のとある酒場のヒヤシンス  橋 閒石  明36・3・2生

まさかと思ふ老人の泳ぎ出す  能村登四郎  明44・1・5生

他界にて裾ををろせば籾ひとつ  中村苑子  大2・3・25生

艦といふ大きな棺(ひつぎ)沖縄忌  文挟夫佐恵  大3・1・23生

草の根の蛇の眠りにとどきけり  桂 信子  大3・11・1生

われもまたむかしもののふ西行忌  森 澄雄  大8・2・28生

帰りなん春曙の胎内へ   佐藤鬼房  大8・3・20生

おおかみに蛍がひとつ付いていた   金子兜太  大8・9・23生

短夜を書きつづけ今どこにいる   鈴木六林男  大8・9・28生

死者あまた卯波より現れ上陸す   眞鍋呉夫  大9・1・25生

無方無時無距離砂漠の夜が明けて   津田清子  大9・6・25生

百千鳥雄蕊雌蕊を囃すなり   飯田龍太  大9・7・10生

山に金太郎野に金次郎予は昼寝   三橋敏雄  大9・11・8生

葛の花来るなと言つたではないか   飯島晴子  大10・1・9生

海鼠切りもとの形に寄せてある   小原啄葉  大10・5・21生

薄氷の吹かれて端の重なれる   深見けん二  大11・3・5生

チューリップ花びら外れかけてをり   波多野爽波  大12・1・21生

全身を液体として泳ぐなり   和田悟朗  大12・6・18生

在りて遙かな〈古代緑地〉白鳥は發つ   坂戸淳夫  大13・3・4生

黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒   八田木枯  大14・1・1生

死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ   藤田湘子  大15・1・11生

紅梅や謠の中の死者のこゑ   宇佐美魚目  大15・9・14生

米袋ひらいて吹雪見せてあげる   澁谷 道  大15・11・1生

霜柱人柱幾百万柱   川崎展宏  昭2・1・16生

永遠のいまどのあたり蝉時雨   津沢マサ子  昭2・3・5生

子探しに似て黄落の木より木へ   岡本 眸  昭3・1・6生

いたりやのふいれんつえ遠しとんぼつり   阿部完市  昭3・1・25生

こつあげやほとにほねなきすずしさよ   柿本多映  昭3・2・10生

日輪の燃ゆる音ある蕨かな   大峯あきら  昭4・7・1生

ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず   有馬朗人  昭5・9・13生

初凪や轟沈といふ昔あり   鷹羽狩行  昭5・10・5生

風立ちぬ//骸骨として/蹶(た)つべきや   岩片仁次  昭6・9・24生

生まざりし身を砂に刺し蜃気楼   鍵和田秞子  昭7・2・21生

虹顕つや海汲みつくさむと幼な   柚木紀子  昭8・12・2生

雲触れて膜が溶けあふペンテコステ   小島俊明   昭9・4・27生 注 ペンテコステ=聖霊降誕祭

閃光を見たる閃尖塔蝉時雨   大林信爾  昭9・5・7生

夕刊のあとにゆふぐれ立葵   友岡子郷  昭9・9・1生

船のやうに年逝く人をこぼしつつ   矢島渚男  昭10・1・24生

天皇の白髪にこそ夏の月   宇多喜代子  昭10・10・15生

万物は去りゆけどまた青物屋   安井浩司  昭11・2・29生

人類の旬の土偶のおっぱいよ   池田澄子  昭11・3・25生

はらわたの熱きを恃(たの)み鳥渡る   宮坂静生  昭12・11・4生

やすらへ花・海嘯(つなみ)・兇火(まがつひ)・諸靈(もろみたま)   高橋睦郎  昭12・12・5生

父の帯どろりと黒し雁のころ   大石悦子  昭13・4・3生

花の闇お四國の闇我の闇   黒田杏子  昭13・8・10生

鳥辺野や七竅(しちけう)を穿(うが)たれ混沌は   齋藤愼爾  昭14・8・25生

後の世に逢はば二本の氷柱かな   大木あまり  昭16・6・1生

桃の花死んでいることもう忘れ   鳴戸奈菜  昭18・4・18生

歳旦の松にきかねばならぬこと   辻 桃子  昭18・11・8生

人寰や虹架かる音響きいる   寺井谷子  昭19・1・2生

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典  昭19・4・22生

明日は野に遊ぶ母から鼠落つ   志賀 康  昭19・11・11生

肉屋に肉入れるところや夏の月   谷口愼也  昭21・5・17生

前衛に甘草の目のひとならび   攝津幸彦  昭22・1・28生

車にも仰臥という死春の月   高野ムツオ  昭22・7・14生

たくさんの舌が馬食う村祭   西川徹郎  昭22・9・29生

陽炎や母といふ字に水平線   鳥居真理子  昭23・12・13生

頭には男根生やし秋の暮   久保純夫  昭24・12・14生

もりソバのおつゆが足りぬ高濱家   筑紫磐井  昭25・1・14生

男を死を迎ふる仰臥青葉冷   山下知津子  昭25・3・15生

ずずずずと鯨の浮力で目がさめる   江里昭彦  昭25・7・12生

万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり   奥坂まや  昭25・7・16生

香水の体を脱いで夜のジムへ   今井 聖  昭25・10・12生

瀧壺に瀧活けてある眺めかな   中原道夫  昭26・4・28生

地下鉄にかすかな峠ありて夏至   正木ゆう子  昭27・6・22生

命あるものは沈みて冬の水   片山由美子  昭27・7・17生

網戸より雨の森とは遠くあり   星野高士  昭27・8・17生

この母の骨色の乳ほとばしれ   鎌倉佐弓  昭28・1・24生

初雪は生まれなかった子のにおい   対馬康子  昭28・10・22生

はんこ屋という秋風に近きもの   永末恵子  昭29・2・15生

初山河一句を以て打ち開く   長谷川櫂  昭29・2・20生

たかんなにはらわた詰まりゐはせぬか   角谷昌子  昭29・2・23生

愚かさや海岸の怪獣へ津波   夏石番矢  昭30・2・23生

尾の見えてすめらみことの更衣   高橋修宏  昭30・12・27生

神護景雲元年写経生昼寝   小澤 實  昭31・8・29生

男来て出口を訊けり大枯野   恩田侑布子  昭31・9・17生

八月の橋を描く子に水渡す   水野真由美  昭32・3・23生

春の山たたいてここに坐れよと   石田郷子  昭33・5・2生

万両は幻影に色つけた実か   四ッ谷龍  昭33・6・13生

空剔(えぐ)る巨大放送局真冬   浦川聡子  昭33・12・12生

空へゆく階段のなし稲の花   田中裕明  昭34・10・11生

春は曙そろそろ帰つてくれないか   櫂未知子  昭35・9・3生

日沈む方へ歩きて日短   岸本尚毅  昭36・2・7生

死ぬときは箸置くやうに草の花   小川軽舟  昭36・2・7生

稲子みる稲子に貌の似てくるまで   岩田由美  昭36・10・11生

断崖に開けつぱなしの冷蔵庫   皆吉 司  昭37・5・13生

夏潮のちからもらひて生まれ来よ   千田洋子  昭37・8・3生

双子なら同じ死顔桃の花   照井 翠  昭37・9・7生

とととととととととと脈アマリリス   中岡毅雄  昭38・1・10生

顔洗う手に目玉あり原爆忌   五島高資  昭43・5・23生

秋簾撥(かか)げ見るべし降るアメリカ   高山れおな  昭43・7・7生

逃げ水を小さな人がとほりけり   鴇田智哉  昭44・5・21生

人類に空爆のある雑煮かな   関 悦史  昭44・9・21生

一滴の我一瀑を落ちにけり   相子智恵  昭51・2・25生

気絶して千年氷る鯨かな   冨田拓也  昭54・4・26生

つまみたる夏蝶トランプの厚さ   高柳克弘  昭55・7・1生

寂しいと言い私を蔦にせよ   神野紗希  昭58・6・3生

海開その海にゐる人々よ   佐藤文香  昭60・6・3生

あぢさゐはすべて残像ではないか   山口優夢  昭60・12・28生
Viewing all 5941 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>