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佐藤念腹・年譜

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佐藤念腹・年譜

中矢温作成(参考:蒲原宏『畑打って俳諧国を拓くべし-佐藤念腹評伝-』
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ブラジル移民佐藤念腹読書会レポート 〔3〕佐藤念腹100句

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ブラジル移民佐藤念腹読書会レポート


〔3〕佐藤念腹100句


中矢温◆それでは100句抄に移ろうと思います。句集全体は移民文庫に電子化されています。1953年に暮しの手帳社から出ていて、どれも虚子の再選を受けた選りすぐりの俳句たちです。渡伯してからの俳句なので、最初の方の前書きありの俳句は行きの船で詠まれたものですが、それ以降の舞台はブラジルと考えていただいてよいかなと思います。皆さんに選をしていただいた句一覧と違う点といたしましては、それぞれの句の前に詠まれた年号を振りました。


1927年(念腹渡伯)

01 強東風のわが乗る船を見て来たり 小川楓子選

中矢温◆早速1句目お取りの楓子さん、いかがですか。

小川楓子◆「強東風のわが乗る船を見て来たり」はこれからブラジルに向かう意気込みみたいものがぱっと分かりやすく詠まれていていいなと。全体として移民とわかる句はあまりなかったように思いますが、その中でもこれから出港するぞという気持ちがみえていて、いいなと思いました。

中矢温◆ありがとうございました。たしか百句抄出をする上で、最初と最後の2句は削らずに載せたので、この句からこの句集は確かスタートしています。

小川楓子◆これから強東風が逆風となっても頑張っていくよという意気込みみたいなものを感じました。

中矢温◆なるほど、ありがとうございます。ちょっと話変わっちゃうんですけど、3月出発で6月到着の移民船は、移民俳句の中ではほぼ季語のように使われています。多分コーヒーの収穫期に合わせて移民してたっていう初期移民の名残があって、どの時代になっても3月出発だったのかしらと推測します。

(註:念腹は渡伯時に虚子から以下の3句を餞別として贈られていました。東風の船着きしところに国造り/鍬取って国常立の尊か/畑打って俳諧国を拓くべし この中では特に3句目が有名だが、この句は1句目への返句なのかもしれませんね。)

02 シンガポール
日曜や扉に凭れ昼寝人

03 印度洋
むらさきの流星垂れて消えにけり 木塚夏水選

中矢温◆次はその道中のインド洋での俳句です。こちら木塚さん、いかがでしたか。あ、自己紹介をお願いするのを忘れていました。併せてお願いします。

木塚夏水◆木塚夏水と申します。現在は特に結社などには所属せず活動しています。句会は中矢さんが幹事をしていらっしゃる東大俳句会の方にお邪魔させていただいています。句歴は2年弱で、皆さんと比べるとまだまだ初学者ですが、本日はどうぞよろしくお願いいたします。この句は「むらさき」という言葉が効いているなと思いました。俳句の入門書で「むらさき」は句に使いづらい色とされていたのをふっと思い出しましたが上手い使い方だと思います。船上の星々の輝きと波の音があるだけの静寂が想起されます。実際の流れ星の色はむらさきではないんでしょうけれど、あえてこの色を持ってくることで美しいだけでなく、無事船が到着するんだろうかといった作者の不安も見えてくるようでした。

中矢温◆ありがとうございます。私や外山さんが前半いっぱい念腹や移民俳句について話しましたけど、念腹の句はあまり背景を踏まえなくても良くも悪くも読めちゃうなと思いました。あまりブラジルらしさを自分の句の強みとして詠んでいないなと。この句も船乗りや船の旅行の句として詠めますもんね。

04 土くれに蝋燭立てぬ草の露 小川楓子選

小川楓子◆ただ「地面に」とかではなくて、 「土くれに」とあるのが効いていると思いました。「土くれに」と言われると、ちょっと手触りのある感じがして、そこに白い蝋燭が立ててある。ブラジルだっていう意識があるのかもしれないけど、なんとなく乾いた土のような感じがする。そんなに湿っていない気がするけれど、それを「立てぬ」と切ってそこに「草の露」を持ってくる。乾いた土に露が湿るのか、もう濡れていた土くれなのかはわからないけれど。私の中では乾いたところにしみこんでいくようなのが見える気がしてよいなと思いました。

中矢温◆この句は弟の彰吾が到着直後の列車事故で亡くなったときに詠んだ句だそうです。それを言われると「露」が和歌でいう「涙」のようにも読める気がしました。

小川楓子◆最初読んだとき蝋燭を置いてきたという印象を受けたので、何か意図があるのかなと思っていたんですが、そうだったんですね…。

中矢温◆「弟彰吾死す」とか前書はないんですけど、そのようです。

05 八方に流るる星や天の川

〔参考〕1928年3月号
雷や四方の樹海の子雷 伯國 佐藤念腹
八方に流るゝ星や天の川 同
井鏡やかんばせゆがむ晝寝起 同
食卓をとりわけ父母の日燒たる 同
八方に假の戸口や夕立中 同

06 井鏡やかんばせゆがむ昼寝起 三世川浩司選

中矢温◆では六句目にまいります。ちょっと調べても読み方がわからなかったのですが、「井鏡」は「いかがみ」かしら。三世川さんこの句いかがでしょうか。

三世川浩司◆三世川と申します。現在「海原」に所属しております。この句ですが、井戸水に映った映像と同時に、昼寝から目覚めた時の生理感の写生でもあるのが面白くて頂きました。

中矢温◆私も井戸に映った水面を鏡と呼んでいるのかなと思いました。隣の句も1928年の巻頭五句の一つなんですが、「流るゝ」が「流るる」になっていたりと表記は揺れがありますね。

07 雷や四方の樹海の子雷 木塚夏水・ぐりえぶらん・黒岩徳将・西生ゆかり選

中矢温◆では7番の大人気句に移ります。ゆかりさんお願いします。

西生ゆかり◆西生ゆかりです。よろしくお願いします。この句は旅をしているとか、ブラジルとかを差し引いて単体で読んでよい句だなと。「雷や」と切ってからもう一回「子雷」と畳みかけるような句のつくりは寡聞にして知らないので。でも奇をてらっているとかではなくて、景のイメージもありありと見えてきていい句だなと思いました。以上です。

ぐりえぶらん◆はい、とてもスケールの大きな句だなと思いました。「雷」って言うと雷を集中して見ちゃいますけれど、これだけ広い視野の中にいっぱい雷が落ちている様子って向こうらしいと言えば向こうらしいし凄いなあと思いました。以上です。

黒岩徳将◆黒岩です、よろしくお願いします。「雷」が鳴ってから、「子雷」もなるという連続的な動きの強さとかざわめきとかちょっと不安になる感じとかが出ていて。「子雷」という言葉は初めて聞いたと言うか、オリジナルの言葉なのかもしれないなと思って独創的かつ雄大だなと思いました。以上です。

木塚夏水◆「子雷」という独自の表現と、「子雷」が樹海に広がっていくスケールの大きいブラジルらしい景がよいと思いました。

中矢温◆皆さんありがとうございます。少し蒲原さんの本を読みますね。
「ホトトギス」四月の雑詠句評会(第二十九回)に念腹の巻頭句「雷や四方の樹海の子雷」が取り上げられた。評者は虚子・素十・秋櫻子の三人。
 各人の評価は次のようであった。
秋櫻子「念腹君が近来しきりにつくりつゝある南米開拓事に関する句の中でも特にこの句は優れてゐると思ふ。大森林の中の僅かな土地が墾かれたのみで四方は悉く樹海と稱してもよい程の木立である。南米のことだから気像は今が夏にあるらしい。大きな雷が一つ鳴りはためくとその谺が四方の樹海にこもって多くの雷がいつまでも喚いてゐる様な気がするといふ句である。雷の谺を子雷と云って小雷と云はなかった処など非常に面白い。一句を全体としても誠に雄渾な叙法で頭から強い力で押しつけられるやうな気がする。他の四句の内「父母」の句や、「夕立中」の句などは多少生活に対する同情によって牽き付けられる処もあるが、此句に到っては眞向から文句なく芸の力で押される。」
素十「秋櫻子君の説で十分だと思ひますが、一言付け加へて置きます。大きな雷が凄まじい勢で鳴った。それにつゞいてしばらくの間四方でごろゝと鳴り渡ってゐる有様が南米の大きな天地を背景としてよく描き出されてゐる。南米の天地はかくもあらうかと思はれるほど雄大によく景色が出てゐる。その他のどの句も日本のこせゝした景色とは全然違った大きな所が見える。かういふ句を見せられると私達も南米へ行ってかゝる自然に接したいといふやうな気が頻りに起る。」
秋櫻子「いよゝ行くか。」
素十「行かんともかぎらんね。」
虚子「秋櫻子君の言の如く、子雷とはよく言った。実際の景色は大きな雷がなって、それが四方の樹海に反響するのであるか、または大きな雷が頭上に鳴って、それから小さい雷が四方の樹海でごろゝと鳴るのであるか、どちらであるかはわからないが、然しいづれにしても子雷といふ言葉を捻出したのは念腹君の作句の技倆が著しく進歩したことを證明する。」
皆さんの読みは素十寄りでしたが、秋櫻子の読みもありそうですね。あと「南米のことだから気像は今が夏にあるらしい。(秋櫻子)」とあるように、「ホトトギス」3月号に夏の句が載っていて、しかもそれは船便で送るので2-3ヶ月ぐらい遅れているというのが面白い。雑詠欄には「伯國 佐藤 念腹」と載っているようですね。巻頭五句の中で「四方」が1句、「八方」が2句あるので好きなワードだったのかもしれないですね。

1928~29年

08 渡り鳥わが一生の野良仕事 ゆう鈴選

中矢温◆欠席評のゆう鈴さんがお選びです。評を代読します。「空の渡り鳥を見上げて、空を飛んで行ける自由に想いをはせ、「わが一生」は「野良仕事」で終わるのか…と想う。その一方で自分自身で何か夢も持ちたい、持たねば、と思っていると感じて選びました。」との選評をいただきました。この句に限らず、お取りでない方もどうぞコメントお願いします。

外山一機◆では一言だけいいですか。さりげない句ですけど、「野良仕事」から自分の忸怩たる思いがちょっと感じられますよね。弟さんが亡くなって、自分も働かなきゃいけなくなってしまうという予想外のことがあったんだけども、それを引き受けようとしているというところ。「渡り鳥」というところで自分が移民であって、永住への意識がこの句からはどこまであったのかなというところを感じます。

中矢温◆ありがとうございます。地面に留まる自分と、空をゆく渡り鳥の対比があるように思いました。そうだ、どんな風に百句抄出をしたかお伝えそびれていたのですが、とりあえず虚子が序で引用しているものは全部入れました。あと念腹の生涯を調べる前に私が好きな句を入れて、残りは調べてから入れてという風にバランスをとったつもりです…笑。では九句目まいります。

1930年

09 湯浴みして今日の日焼の加はりぬ 西生ゆかり選

西生ゆかり◆すごく実感のこもっている句だと思いました。この句もさっきの「雷や」の句とちょっとだけ似ていると思うのは、「加はりぬ」として、例えば「雷」を提示して「子雷」を畳みかけるところが構造的に似ていると思いました。もともと「日焼」をしていることを提示して「今日の日焼」がそこに加わるという少ししつこい感じの把握が面白いなと思いました。

中矢温◆ありがとうございました。「今日」とあると、昨日や明日の日焼のことも思いますよね。このころはいろんなことをやって失敗しながらの毎日を暮らしてた年代ですね。農業のこと詠んでいるか、牛のこと詠んでいるかで念腹の生活の安定度合も少しは測れるかもしれませんね。あんまりそういうの匂わせる人ではないんですけど。

1931年

10 霜害や起伏かなしき珈琲園 ゆう鈴選

中矢温◆では、ゆう鈴さんの選評に参ります。「自分が育てている珈琲の木が霜害にあうが、自然を相手ではどうすることもできない。「起伏かなしき」に害を受けた珈琲園の様子と念腹自身のやりきれないこみ上げる悲しみが表れていると思います。園を目の前に肩を震わせて泣いている様子が浮かびます。」との評をいただきました。私いまいちこの「起伏」が読めていなくて、「珈琲園」そのものの起伏なのか、「霜」の起伏なのか…。お取りではないですが、生駒さんいかがですか。

生駒大祐◆はい、この句に関しては「起伏悲しき」はその「霜」の起伏というよりは「珈琲園」自体に起伏があって、その起伏を見ていると「霜害」であることが悲しいという感じだと受け取りました。冒頭に言いかけたんですけど、念腹の句を読んだときにその三つぐらい面白がり方があるなと思っていて、一つは句自体の客観的テキストを見たときの面白さと、二つ目にその生涯性を反映させて加味した上での面白さと、三つ目に異国情緒の物珍しさにとどまっているもの。この句は最後の三つ目に当たってるような気がしちゃって、例えばこれ日本の茶畑だとしたらあんまり面白くないなーとか思ったりするので、そういう意味では僕の中で面白がりのステージがちょっと低かったので取らなかったという感じです。

中矢温◆ありがとうございます。なるほど、句自体と人生を反映させたものと異国情緒があるわけですね。私がさっき「土くれ」の句でしたコメントとかは2つ目の人生を反映させると、下五の「草の露」の重みが変わってくるんですね。

1932年
11 瓜盗人野獣ならめとうそぶきぬ

中矢温◆これは特に誰もお取りではなかったですが、瓜を盗んだ奴が知らんぷりして野獣だと嘯いているぜ、という句ですね。他の人が句に出てくるのは念腹の句では少し珍しいかもしれない。

12 野良煙草してひまな手の虻を打つ

1933年
13 雨期あけや地面の黴びの大模様

14 森暑し花仙人掌に雨降れど 

15 又丘の現れて月低くなる 岡田一実選

岡田一実◆はい、「又丘の現れて月低くなる」ということで、生駒さんが先ほどおっしゃった面白がり方3ポイントは私もかなり賛成しています。向こうの雰囲気がよくわかる点で生涯性と異国情緒に惹かれる点はありましたが、個人的には句の面白さで今回選出しました。念腹の句はあまり意味のわからないような句はなくて、順番に読んでいけば意味が順番に通じてくる句が多いんですけど、この句の場合は詩的な逆転があるように思います。月が見えて丘が現れたというのが常識的ですが、丘が現れてから月が低くなるという逆転の発想が不思議だと思いました。「また」ということは再度ですよね。そして月が低くなるという。不思議な展開だなと思ってそこに詩心を感じました。

中矢温◆ありがとうございます。列車とかでいいんですけど移動しているときに、低い丘だと月は低く見えるけれど、高い丘があると相対的に月が低く見えるということかなあと個人的には想像しておりました。先ほど岡田さんが言ってくださったように、何か選句ポイントがある方は教えていただけると、私も楽しいのでよろしくお願いします。

16 豚の群追ひ立て移民列車着く 外山一機選

外山一機◆向こうの雰囲気がよくわかるなというところが一つあります。「移民列車」ってあんまり聞かない言葉ですけれど、あちらは基本的には鉄道で移動する。先ほど中矢さんの方で念腹行脚地の地図がありましたけれど、あれも鉄道の路線沿いに普及していくような動きをしていくわけです。そしてその路線それぞれに日本人のコミュニティがあって、そこでいろいろ活動をしている。その「移民列車」が着きました、そしてそこに「豚の群」がいるって本当にいろんな意味で開拓がまだな部分というのがあるんですよね。また1933年、昭和でいうと8年の「ホトトギス」を念腹が読んでいたということを同時代的に考えたとき、山口誓子の句も読んでいたわけです。誓子にはなれないが自分は何になれるだろうということはもしかして考えたんではないんだろうかというような想像もしました。「移民列車」という機械的で少し古びたものとその動きに注目していくというような眼差しもあり方っていうのは、誓子と全然違う句のように見えますけど確かに同時代の書き手らしいなと思います。(註:夏草に汽罐車の車輪来て止る/山口誓子・初出昭和8年「かつらぎ」誌)

中矢温◆ありがとうございます。移民船で来てからでどうやってコロニア(コロニー・植民地)まで移動するかというと、列車で移動していたんですね。なのでその新しい移民の移動の道中の句かもしれないし、外山さんが言ってくださった普段の移動かもしれません。

17 汽車へ来て菓子購へる枯野かな
 
1934年

18 木蔭より人躍り出ぬ野路夕立

19 投槍に飛びつく犬や蜥蜴狩

20 蜥蜴狩びつこの犬も勢子のうち

中矢温◆事前の質問で、「蜥蜴を狩る目的は害獣から畑を守るためなのか後で食べるためなのかが気になりました。」といただいていました。蜥蜴は害獣ではなくて、むしろ畑の虫とかを食べてくれる存在だそうで、おそらく犬が蜥蜴を追うのが好きで捕まえて遊んでいるのを詠んだのかなと思いました。私の伝え方も悪かったのですが、「蜥蜴食べる?」と聞いたら「まさか!」と言われました…笑。

21 秋蚕飼うて俳書久しく借りにけり 樫本由貴・三世川浩司選

樫本由貴◆よろしくお願いします。私はむしろ全部異国情緒があるような、ブラジルでのことを強調して書いていたり、そう読み取れるような句をあえて取りました。なぜかと言うとその俳句としての良さみたいなのももちろん大事なんですけれど、移民の文学としてみたときに俳句形式では一体何が記録されているのかなというのが私自身の研究の関心事でもあったからです。俳句としてはイマイチだけれども、この言葉が使われていたりこの情景が書かれていたりするということはどういうことなのかが気になるような句を取りました。なのでそういうのを選ぶと詠んでいる人のオリエンタリズムであったり、念腹自身のオリエンタリズムであったり、私たちが読むときに出ているオリエンタリズムであったり作用の作用のようなものが見えると思います。で、21番についてですが最初に取った時は日本人コミュニティの中で「俳書」の貸し借りできる場所、例えば定例句会があってというのを思いました。季語の「秋蚕飼うて」の労働は、開拓とはまた別のもう一つ持っている仕事ですよね。その農業の休耕期にも働かなければならない、暇がない感じかと思いました。でも「俳誌」を借りるってもしかして日本から借りてきたり、送ってもらったりしたものを返すのが久しぶりになっているとも読めるなと思いました。どういう風に本がブラジルでや日本で流通していたのか、本だったり「ホトトギス」をどうやって手に入れていたか、回し読みだったかもしれないですよね。そこらへんが気になって話したいなと思ってとりました。以上です。

三世川浩司◆生活に忙しくて、本を返しそびれているのですね。でも生活の感慨にふけっていながら、どこか余裕のある心情みたいなものが感じられて、それで頂きました。

中矢温◆ありがとございます。圭石と念腹が住んでいたアリアンサ植民地はかなり特殊で悪口とも羨望とも取れるんですけれど、「銀ブラ移民」 と言われていたそうです。銀座でブラジルのコーヒーを飲む、でしたっけ。ピアノを持ち込んだ人がいたり、多数の蔵書を持ち込んだ人がいたりとか、日本人の中でも資産や教養があっていう人が住む傾向にあったようです。なのでコミュニティ内での貸し借りも十分ありえるなと。彫刻や絵画や演劇の指導があったり。アリアンサ内にある弓場農場という自給自足の日本人だけのコミュニティもあるそうです。「秋蚕」についてですが、養蚕をしようと思って持っていったら、税関でかなりお金を取られたという話をどこかで読みましたね。なので、蚕も俳書も日本から持ち込んだとも十分読めそうです。

22 顔のせて芭蕉葉食めり親子山羊 岡田一実選

岡田一実◆先ほど外山さんが誓子を読んでどうだったのかという話がありましたが、私もこの当時の「ホトトギス」にあっての念腹というのがすごく気になっています。この時代は大正13年ぐらいから高浜虚子が「客観写生」を言い始めた頃で、俳句を勤めた人は「写生」をどういう風に受け取っていたんだろうというのは読んでいて興味があるところでした。どのあたりで写生として極めたのかなと思うと、この「顔のせて」という特殊化、特定化、具体化みたいなところに、この異国情緒や記録とは違う技を感じました。具体性を帯びさせて俳句を作るという気配がかなりあります。「親子山羊」に若干の異国情緒もあるかもしれないですけれど、当時の素十もそうですが「顔のせて」が写生を目指した人たちの句だなと思っていただきました。

中矢温◆ありがとうございます。そこらへんの文脈をわたしがまったく押さえていないので、コメントいただけると大変助かります。あちらで芭蕉葉というかバナナはよくあるのでそれを食べているんだなあと私は思っていただけでした…。

23 日雇いの乗り来る馬も肥えにけり

24 雨来とて犬すり寄れど棉を摘む

25 処女林の紅葉の下に耕せる

26 豚の親春霜の藁くはへ居り 生駒大祐・小川楓子選

生駒大祐◆先ほど言った分類の中では、普通に句として面白かったですね。「親」が若干ノイズというか、「子」を出す中で「親」を出すんだったらわかるんですけれど、この句の中で豚の子は登場しないので、ノイジーに働くとはいえちょっと大きめのまるまるとした豚が想像されました。「春霜の藁」もうまいというか、春の寒さを描出するのに藁を持ってくるのもどこかブラジルらしさもあり、「くはへ居り」という収め方も全うで上手いなと思いました。後はウの段の頭韻も響きが綺麗だなというところで頂きました。

小川楓子◆そうですね、「豚の親」ってやっぱり面白い言い方だなと思いました。「親豚の」にはしないんだとか思って笑。「豚の親」とくると、その豚の顔がよく見えてくるような効果があるのかなと思いました。親と言うからには周りに子供がいるんだなと思って、賑やかな感じなのですが、「春霜の藁くはへ居り」にはちょっと寂しいような感じもありました。豚の鳴き声が聞こえるような賑やかで、でもちょっと儚くて、あえかな感じがそこにあるという。4番の「草の露」のような日本的な情緒を加えたかったのかなと思いました。

中矢温◆ありがとうございます。豚は肉という意味もあったり、それ以上にオリーブオイルなどもなかった時代は、風味付けというか食用油としての役割も大いにあったとか、何かの本で読みました。

27 春の風耕馬を叱る口中へ 岡田一実・小川楓子選

岡田一実◆偶然の発見への感動を感じました。耕馬を叱っている場面に「春の風」が差し挟む余地を感じたというか、自分が耕馬を激している中に、「春の風」という詩が突然挟まったみたいな感じがして、その偶然を書き留める思考が良かったと思いました。

小川楓子◆この句も「春風や」じゃなくて「春の風」なんだなというところにこの人の書き方を感じました。農耕馬を口汚くは叱っていたのかもしれないんですけど、それを「春の風」で浄化してくる。さっきの句の豚ももしかしたら汚れた泥んこの豚かもしれないんですけど、それを「春霜」でプラマイゼロにするのと似た思考かもしれません。面白いのが「口中へ」って叱っている言葉ってそんなに長くないはずなんですけど、少しだけ開いた口の中にひゅっと入ってきた春風の具合みたいな短さ、延々と叱ったとは思えないので、その短さに春の風が来たよっていう感じなのかなと思っていただきました。

中矢温◆ありがとうございます。そうか、叱っていた作中主体の口に入ってきたんですね。叱っているのに穏やかな句で私も好きでした。

小川楓子◆馬の口もぱくぱくしている感じがしますよね。

28 夫婦して稼き餓鬼なり野良遅日

中矢温◆これも誰もお取りではないですが、あくせく働くことを「稼ぎ餓鬼」という自虐性を思いますよね。
 
1935年

29 足裏を砥め去る豚や庭昼寝

30 切株に木菟ゐて耕馬不機嫌な 黒岩徳将・西生ゆかり・ゆう鈴選

黒岩徳将◆動物が二つ出てきていて賑やかな感じがしました。「木菟」が木の上ではなく「切株」にいるんだと思って。「耕馬」を耕すところに連れて行こうとしたときにちょっと予想外の出来事として見つけたのかなと思いました。「不機嫌な」という言葉が無造作に入っていて、「耕馬」だけじゃなくて「木菟」も「不機嫌」だろうというところがユニークで、不思議な句でした。

西生ゆかり◆なんだかとにかくかわいいなという印象でした。「木菟」がいることによって「耕馬」が「不機嫌」になったとも読めるんだけれど、「耕馬」は何にも考えていないかもしれない、ほかのことで「不機嫌」かもしれないし、因果関係をにおわせつつもこちらでいろいろ想像できました。「不機嫌な」で止めるのも余韻が豊かでいいなと思いました。

中矢温◆ゆう鈴さんより、「荒れ果てた農園での仕事なんて馬にとっても大変で、最初から不機嫌だったに違いない。木菟がいて更に不機嫌だと感じるという、念腹の気持ちの面白さと仲間のような馬に対する優しい想いを感じました。」との選評をいただきました。この句が詠まれた1935年あたりに念腹は農耕から牧畜に転向して、生活が安定したそうです。牧畜すなわち生活の安定にはならないと思うのですが、出来不出来がすくなったり、市場での価格がこちらの方が安定していたりしたのかもしれませんね。

31 煉瓦工みな少年や春の風 生駒大祐選

生駒大祐◆全体的に大人の自虐が多いように感じた中で、若々しいと言うかそんなに嫌味がないような。少年時代への憧憬みたいなものはあるかもしれないですけれど、ただ賑やかに少年の煉瓦工たちが働いている所に春の風が吹くという清々しい句だなと思っていただきました。

中矢温◆ありがとうございます。外山さんいかがですか。

外山一機◆確かに叙情的な感じもあって、ただその抒情の方向性がさっき言われたような大人な感じでもなくって、もうちょっと別の方向にいっているのが面白いかなと。念腹に限らず移民俳句が自虐的という傾向はある気はしてるんですよね。「煉瓦工」がみんな少年だったところに悲しさはあるんですけれど、最後に「春の風」という風に流してるところに、ちょっと違う歌い方を感じて、これはこれでありなのかなと思います。

中矢温◆ありがとうございます。キラーパスすみません…。確かこの句は虚子が序文で引用はしていなくて、私が最初に念腹句集を読んだときにいいなと思った句だった気がします。

32 春雷や二人乗ったる馬に鞭 小川楓子選

小川楓子◆ 「二人乗ったる馬に鞭」の韻律が気持ちいいなと思って頂きました。「二人」というのが絶妙で、のどかな感じを思いました。これ一人だとかなり急いで頑張って鞭を入れていて雷が鳴っていてっていう感じになりますし、四五人だったらまた別の意味で何かせわしない印象になるのかなと思ったり。「二人」だからそんなにシリアスな状況じゃないと思って、それも「春雷」に似合ってるのかなと思いました。

中矢温◆ありがとうございます。これは先ほどの耕馬ではなく移動の馬の句ですね。面白い。

1936年

33 野路夕立乙女に走り越されつゝ 三世川浩司選

三世川浩司◆野道で夕立に遭って慌てているのでしょうか。偶然出会った少女たちの、キラキラした青春性みたいなものがとても魅力的でした。

中矢温◆ありがとうございます。「野路夕立」という言葉の縮め方も面白いなと思いました。

34 瓜盗むみちはるばるとつけてあり

中矢温◆これも誰もお取りではないですが、「みちはるばると」にブラジルらしさも思って私は百句抄出に入れたんだろうと思います。

35 日雇いと短き昼寝覚めにけり 黒岩徳将選

黒岩徳将◆中矢さんが句を読み上げるときにちょっと悩まれたように私も最初「いと短き」かと思いました。日雇い労働者の人と自分が短い昼寝を覚めたよということを一人称的に言っているのかなと思います。確信はないんですけれど。先ほど牧畜に転向したという話があったので、たまたまちょっと昼寝をして休憩するかみたいな時に日雇い労働者の人が近くにいて、一緒に寝て起きて自分たちの仕事にそれぞれ向かうという。これからのことが目覚めたところだけ切り取られていて、ぽっかりした気持ちになりました。少し物寂しい感じもあるかなという気がしたんですけれど、「日雇いと」の「と」の読みがそれでいいかどうかちょっとわかんないです。

中矢温◆念腹が雇用していたのかなと思いますが、近くにいた日雇いとも読めますよね。日本人の可能性もありますし、37番も関係しますが「異人」の可能性もあるのかなと。ここらへん外山さんいかがでしょうか。

外山一機◆雇っている人種がどうこうということではなくて、多分見るべきは37番もそうですけど、経済的に下の方にいる人たちに対する共感の意識ではないかなという気がするんですね。日本人かどうかっていうところはあまりこの句に関してそんなに重要じゃないのかなと。その下層の人たちに対する眼差しを感じます。「短き」とわざわざ言うのはしつこいんですよね。「短き昼寝」ってすごくメッセージ性が強くて、また働かなきゃいけないっていうような。ここで貧しい人たち共に生きている自分というものを句の中で打ち出しているような感じがあります 。

中矢温◆ありがとうございます。少しすっきりしました。「昼寝」についてもう少し言うと、あっちの昼はすごく暑くて、場合によったらスコールも降るような感じでして。「昼寝」の意味も少しブラジルと日本では違うのかなという気がしました。

36 開墾もその日暮しよ秋の風

37 雇ひたる異人も移民棉の秋 樫本由貴・ぐりえぶらん・ゆう鈴選

ぐりえぶらん◆「異人も移民」というリズムも良かったと思いますし、労働のためだけに集まってきた人たちという人間関係だと思うんです。それを念腹がどう思ってたか分かりませんけれど、本当は使う側で楽しかったのかもしれません。それでもやっぱり働かなくては仕方ないわという潔さみたいなのもあると思いました。以上です。

樫本由貴◆そうですね、「雇ひたる異人」に階層性が見えますよね。外山さんが仰ったように、言わなくていいじゃんみたいなことも言いますよね笑。現代から読み取る私にとってはありがたいことなんですけれど。「わた」の秋と読むと思うんですが、異人と念腹にとっては少しずつ意味合いが違うと思うんです。念腹は単に豊作を喜べばいいんですけど、雇われ側にとってはあればあるだけお給金はでるけど労働は厳しくなるというのとで。季語の受け取り方に多層性があるなと思っていただきました。以上です。

中矢温◆ありがとうございます。棉を雨に濡らさないように手早く摘むための日雇いでしょうね。これも事前質問でいただいていました。

「異人」ということは、日本人ではなかったはず。日本人コミュニティとその他の人種のコミュニティの関係性は? また、階級の差がある。」これについて、この異人が何人かは断定できないが、代表的なブラジルへの移民というとドイツ、イタリア、ポルトガルなどでしょうか。また『移民七十年俳句集』に掲載されていたのですが、サンパウロの羽瀬記代さんの俳句に「韓国の新移民とて葡語達者」という句がありました。「葡語」はポルトガル語という意味ですね。韓国からの移民もいたようです。これが詠まれた年を手元に控えていないのであれなんですが、日本の統治下というか侵略下にあったものかもしれないので、現在の韓国とはまた違うかもしれません。あとは、念腹がどうかはわかりませんが日本人移民は少なくともブラジル人を、また黒人を下に位置づける傾向にあったことはいえると思います。(※もちろんブラジル人=黒人ではありません。)

ゆう鈴さんから、「異人は開墾に来た日本ではない国の人だと思うけれど、どこの国の人が来ていたか知識にはない。ただ、「棉の秋」からはその人達へ寒くなるからお互いに身体に気をつけて、過ごそうというようなことを感じるのは私だけでしょうか。雇い雇われるだけの、主従関係だけよりも温かいものを感じました」との評をいただきました。他にこの句にコメントある方いらっしゃいますか?

外山一機◆黒人に対しては移民の俳句では「ニグロ」という表現を使うことが多いので、この「偉人」が黒人でないことはわかる。おそらくイタリア系かもしれません。あとは「異人「も」移民」という表現ですよね。

中矢温◆さっき35番の句を話すなかで「日雇いと」の「と」に仲間意識を感じるというような話ありましたよね。「偉人も移民」の「も」に共通性や仲間意識があるのかもと、読みすぎかもしれませんが、読めるかもしれませんね。

38 森の雲なくなりしより朝寒し 中矢温選

中矢温◆これは生駒さんのお言葉を借りると、句の巧さでとったつもりです。ただ、この「森」がどういうものかを考える中で異国情緒もあるかもしれません。ブラジルの熱帯の森という感じがするので。森にかかる雲が「朝寒し」の合図だとわかるのは、この地域にずっと暮らして何周も何周も季節が巡った人だからだろうと思います。

39 冬蝿や乞食よぎる汽車の窓

中矢温◆これも誰もおとりではないですが、「乞食」が自分には乞うことなく窓辺をよぎったというプラットフォームの様子が描かれています。

40 四方より攻むるが如く樹海焼く

41 少し降る雨あたゝかし珈琲畑 生駒大祐・木塚夏水・ぐりえぶらん選

生駒大祐◆はい、この句は正岡子規の「あたゝかな雨がふるなり枯葎」のような雨が暖かいっていう発想、この辺りを踏まえているかと思います。「少し降る」というのはすごく長雨だと寒くて冷たいけれど、少し降る場合は暖かいんだよってところでちょっと差が出ています、またコーヒー畑にとってはその恵みの雨であり、珈琲が水はけがいい方が育つ気もするからその辺はどうか判別つかないんですけれど、ともあれ畑にとっては雨は悪いものではないと思うので、その辺のところも「あたゝかし」にちゃんとついているなと思い、異国情緒だけでないと思っていただきました。

木塚夏水◆私も「あたゝかな雨がふるなり枯葎」を思いました。ちゃんと調べていないので曖昧ですが、ブラジルには雨期があって、雨期の間はブラジルでも寒くなるようです。その寒い雨期が明けた後の少し降る雨に対して、日本の春に感じるような「あたたか」を見出したものだと思いました。

42 汲み終へし深井にもたれ春惜む 木塚夏水選

木塚夏水◆ブラジルという日本とはまったく違う気候のなかで、日本の繊細な季節感を感じ取った句だなと思いました。井戸から水を汲むという重労働による疲れの中、鋭敏になった感覚でブラジルにいながら日本の春の空気感を感じ取ったのだと思います。

1937年

43 ブラジルは世界の田舎むかご飯 樫本由貴選

中矢温◆念腹の句の中では一番著名かなと思うのですが、「ブラジルは世界の田舎むかご飯」。樫本さん、いかがでしょうか。

樫本由貴◆私がこれを取ったのは著名だからであって、この句の何が俳句的によいかとかはさっぱり分からなくて、なんでこれを当時の人は取り上げたんだろうと思って取ったんですよね。「ブラジルは世界の田舎」といったときにそれを受け取った読者自体は分かる!分かる!というワンダーとシンパシーがあったはずで、そのワンダーとシンパシーは危ないけれど当時のブラジルはどういうものだったのかが気になりました。かつ「むかご飯」っていうものを手元に見ながらこれを言うのはどういう意識があるのかがあんまり分からなくて議論に乗せたくて。逆にコメントある方いたら伺いたいです。奴隷がいて、開拓されてという場所だったことはわかるんですけど、それを日本の側からいうことにどういう意義があったのかが疑問です。

中矢温◆ありがとうございました。私の方でこの句に対する素十の評を読みます。これが答え合わせではないのですが、議論の参考になれば幸いです。
このむかごの句は早速「ホトトギス」の雑詠句評会(一三七回)にとり上げられた。担当評者は素十。
素十は次のように評している。
「―世界の田舎といふ言葉は勿論世界中の未開なところ、世界中で一番文化に遅れ遠ざかってをる所といふのであるが、「ブラジル」となると益々面白い。世界の田舎といふ言葉に対しても、又逆にブラジルといふ言葉に対してもこの位適切なつながりは外に見当らぬやうな気がする。―(中畧)こゝではいつかの句にあつたやうに稼ぎ餓鬼といふやうな日本特産の人達も住んでゐやうし、又、近頃は日本の田舎でも餘り食べさうにないむかご飯といふやうなものも時には食べるのであらう。成程世界の田舎に違ひない。(中畧)然しこの句は貧しい移民生活を送つてをる念腹の単なるセンチメントではない。
 又、単なる旨い句といふのでもない。
 之等の句に籠つてをる念腹の精神力といふものは全く凄まじいものであるといふものを見逃してはならない。念腹ははる〴ブラジルから、来年ホトトギス五百号祝賀会には何とかして列席して唱へたいと云つて来てをる。―念腹の境遇では或は実現せぬかも知れぬ。実現せんでもいゝ。ブラジルでも東京よりも盛大なのをやればいゝ。とに角私はかういふ念腹の旺んなる心意気を尊敬して衷心から君の健闘を祈る次第だ。」
(「ホトトギス」四十巻十一号34-35頁 1938年8月)
最初の「―世界の田舎といふ言葉は勿論世界中の未開なところ、世界中で一番文化に遅れ遠ざかってをる所といふのであるが」くらいで既にひっかかりがありました。「こゝではいつかの句にあつたやうに稼ぎ餓鬼」は28番の「夫婦して稼き餓鬼なり野良遅日」の句のことだろうと思います。

外山一機◆今そうやって聞くとすごいコロニアリズムとも、すごい美しい友情の話とも捉えられますね。でも真ん中の方をよく読むと、ブラジルへの見方にやっぱり差別的なものを感じる。でそんな中で頑張っている念腹君という、そういう見方もできるのかなと思います。念腹の方もそのことに自覚的であえてこういう風に振舞って見せているところにお互いの幸福な関係が出来上がっている。でもそこで誰かを抑圧してないんだろうかということはちょっと思いましたね。

樫本由貴◆「世界」という意識があるのが面白いなと思っていて、ブラジルに俳諧国を築きたいというのは「ホトトギス」の念腹や圭石の中で虚子とのやり取りの中で出てくる。虚子は戦前も戦後も一貫してこういう意識があって戦略的に生きていると思うんですけど、戦争にかかわらず虚子の中ではこの意識が途切れていないとわかりますね。戦後に虚子や立子があちこち出かけるのも、ソ連とアメリカの間の文化戦争に加担して、海外に行くお金が出ているわけですから。虚子って一貫した態度をとっているんだなと、そして念腹がそれに忠誠を誓う様子も興味深いなと思うんです。俳句の出来も、抑圧されている人のことも置いておいてですが、その意識は面白いなと思いました。以上です。

中矢温◆61番の「虚子門に無学第一灯取虫」でも話そうと思っていましたが、日本の俳壇とブラジルで頑張る念腹君とブラジルという土地に三段階の格差に似たものがあるのかなという気がしていて、そこらへんをしっかり見ていきたいなと思っています。

(註:これは果たして昔の話と言い切ることはできるのだろうかと内省しました。俳句は日本の文化であり、日本の俳句こそ正統という価値観は、現在も漂っている気がしています。)

生駒大祐◆さっき冒頭の方で異国情緒だけの句の完成度は少し落ちるねみたいな話をしたと思うんですけれど、この43番に僕の違和感が凝縮されています。単純に差別意識というかブラジルを下に見るっていうものもあるとともに、日本の情緒みたいなもの、つまり「むかご飯」みたいなものでブラジルを言いおおせてしまうとするところに非常に侵略的な思想を感じました。日本の言葉でブラジルというものを全て言い表せるんだよという、日本語でブラジルという土地を矮小化というか同質化するぞという意識が非常に感じられました。この辺がやっぱりその戦争というものの前後の侵略的な意識に近しいのかもしれません。

中矢温◆ありがとうございます。どなたかが事前質問でこの「むかご飯」は本当のむかご飯かな、別の何かをむかごに見立てているのかしらという質問があったのですが、恐らく本物のむかごだと思います。ただ大きさとかはもしかしたら違うかもしれませんね。で、その日本的なむかご飯を目の前にした上での上五中七ということなんだろうと思います。

44 陽炎へる線路へ汽車を降りにけり 

45 深井汲む女かはりし蝶々かな
 
1938年

46 稲妻や隠れ家に似て移民小屋

47 日雇も天下の職や月の秋

中矢温◆これはどなたも取られていないんですけど、「日雇」もひとつの立派な仕事なんだよということは逆にいうと一般にうしろめたさのある仕事だということなんだろうなと。念腹はこの句を詠んだときにはきっと「日雇」ではなくて、雇用側から詠んだ句としたときに、励ましなのかもしれないんですけど何だか微妙にもやっとしました。

48 彼の背我を睨める焚火かな 

49 毛布背負ひ目覚時計さげてゆく

50 誤字多き移民の投句瓢骨忌 樫本由貴・外山一機選

樫本由貴◆43番とかなり似ているのですが、上手い俳句の中にこういうのが紛れているのが大事で、上手い俳句を書いているときも選句しているときもこういうことを思いながらしてるんだよねと思うんです。この「移民」も「異人」なのかなとも思うし、92番には「新移民」も出てきて、92番は戦後の俳句だから朝鮮の人かはわかりません。でも俳句を学び始めてすぐだとか、日本人でも学がない人間の投句は「誤字」が多いなあと、わざわざ「瓢骨」の忌日を持ってきていうという。この念腹の意識のありようは、念腹を読む上では捨てたらだめだよなと思う。時代背景というか、この意識のありようにうーんと引っかかるものがあったから取りました。

外山一機◆これを見て思ったのは正岡子規の「三千の俳句を閲し柿二つ」でした。この時点で念腹はブラジルにおいてこうやって投句を見るような立場になっているという意識がある。これは句の良し悪しとは別の問題になりますけどね。それと同時になんで「瓢骨忌」なんだろうことは思いました。瓢骨というと本名は上塚周平で、 移民にとっては恨みもあるような人物なんですよね。笠戸丸に乗っていった移民会社の重要人物で、(待遇も奴隷同然で、稼げもせず、現地の病気が流行った)初期移民にとっては話が違うじゃないかと、ひどい人としての評判もあると思うんですよ。それと同時に(移民のために東奔西走した人として)尊敬もされている立場である。この句を見たときに念腹は瓢骨側に立っているのだなと思いました。自分は瓢骨側にいて、「誤字」の多い「移民の投句」を見ているのだという自意識がそこはかとなく見える。私は鼻持ちならないなという気もしました。でも本当にそれだけかなとも思うんですよ。そういうただ馬鹿にするみたいな意識だけだろうか、いやそうじゃないとも思う。瓢骨が死んでもう何年も、何年もという程ではないんでしょうけれど(註:瓢骨は1935年没)、移民たちは初期移民の意識や苦労みたいなものからどんどんどんどん離れていく。けれど念腹はその頃のことも知っているという中で、そこらへんを背負っていこうとする「瓢骨忌」なのかなっていう気がします。だから「誤字」が多い「移民」というもののだらしなさみたいなものが気になるという。日本人なのに振り仮名を振らないと読めないのかみたいな、そういうナショナリズムとも繋がってくるような気もします。一方では、自分は昔からのものも知っているのだし、そのあたりを自分か背負わねばというような、ただの差別意識ではない悲しみや使命感もある気がします。

中矢温◆ありがとうございます。これも事前に質問をいただいていました。「何故誤字が多いのか。ブラジル移民2世ならば第一言語がポルトガル語だから? 念腹が句会指導していたコミュニティの広さが伺える。」との質問でした。たしかに1908年に最初の移民が来て、これが1938年の句であることを思うとたしかに2世の投句の可能性も十分あると思いました。ただ私の考えとしては移民1世という日本語を正しく書けて使えて当たり前の人たちの「投句」に「誤字」があって、普段使わないから・学がないからもあるかもしれませんが、念腹含めての謙遜というか卑下いうか自虐としての表現かと思いました。念腹自身が「誤字」をした訳ではないでしょうけど、自分たちを下げて日本俳壇に見せてみるというポーズかなと。で、瓢骨先生ならそんなことないのになあという。今がこういう現状ですというのを嘆くような。

1939年

51 日焼子の日臭き頬よ頬擦りす 西生ゆかり選

西生ゆかり◆しつこい言い方で、もともと日焼をしているんだろうけど、またその日も日に当たっていたから「日臭」いという臭いになっている。また「日」という字も重なっている。「頬」と言ったあとに「頬」擦りが来る。このしつこい言い方が子どもへの愛情。余りある愛情が出ている感じでよいなと思いました。

52 凶作や此処いらいつもバス迅し

中矢温◆凶作の句が3つ並んでいたのですが、この年は本当にひどい凶作だったようです。1句引いてきました。

53 耳削ぐも風邪の牛の手当てとや

54 移住して東西わかず道落葉

55 犬居りて牛喜ばず牧焚火

56 息白く言葉短かに気むづかし

57 夜逃せる教師に延びし冬休

中矢温◆このように子どもたちにとっての教育体制が不安定であることも、念腹がアリアンサからバウルー市に引っ越しをする一因でもあったそうです。勿論俳句行脚の交通の利便性もあったんですけれど。さっくり書いている割には深刻な内容ですよね。

58 どやしたる耕馬かなしく鼻取りぬ
 
1940年

59 夏草や投縄牛を獲つつ行く

60 旱魃や牧馬も斃れはじめしと

61 虚子門に無学第一灯取虫 生駒大祐・外山一機選

生駒大祐◆『念腹句集』の序文で虚子が引いているように、この「無学」の者は誰なのかという議論は多分あると思う。基本的には念腹自身の事を言ってるんだろうなと思いつつ、虚子門の「ホトトギス」に載る句としてはメタ的な要素を含む気がします。さらに「灯取虫」というところで気後れの意識みたいなものも出しつつ、しかし逆にそれを誇るみたいなところもあるんじゃないかなと思いつつ。これも含めないと上手い句だけ取っていたら念腹らしさというものは出ないと思って、こういう句も鑑賞しようと思いました。

外山一機◆これはもう既に自分がある程度名前が知られているという前提で作っている感じがしますね。内輪ウケじゃないですけれど、それを狙っているような感じがありました。自分はブラジルに行っていろいろ苦労が多いので、勉強ができない、勉強をする暇ないキャラなんだろうなと。それをあえて言ってみせるという。「虚子門に無学第一」って開けっ広げですよね。もうちょっと幅広く俳句の歴史を知っていたら虚子もだいぶ無学じゃないのという気もしますけれど、そういうのはナシなんでしょうね。本当に幸せな感じですよ。作った方も幸せだし、読む方も幸せという、「ホトトギス」の内部で流通する幸せな句じゃないかなという感じ。だからこの人はそういう形で日本と繋がっていたんだなという気もして、ちょっと面白いと思いました。

中矢温◆ありがとうございます。念腹が渡伯前に虚子や素十やみづほや圭石と関係があったのは本当に幸福なことで、それがブラジルで俳諧国を作ることにも繋がるんですけれど。念腹には確かに師系は必要だったし、信じていくべきものだったんだろうなと。上塚も素十もみづほも圭石も皆今でいう東大出身なんですよね。これも自虐的だなと、あの天下の「虚子門」に「無学」の者がいるんだぞという。周りのいわゆるエリート層の人々に対する学歴への引け目はきっとあって、でも同等に俳句をやれているという矜持もあって。

62 汗寒く恐怖なしつゝ争へり

63 開拓のはてが籠編む夜なべとは 外山一機選

外山一機◆これってどこで編んでいるんだろうなというのがちょっと気になったんですよね。家で編んでいるんでしょうけど、どういう家なんだろうと。移民俳句で「夜なべ」の句って時々見るんですけれど、結構夜空を取り合わせることが多いんですよね。そして思いを馳せていくような。このようにイメージの膨らませる定型はあるんですけれど、この句はそういう風にもなっていないよなという。ただ、これまでの来し方に思いを馳せているのは分かる。「夜なべとは」の「とは」には大見得を切っている感じもありますけれど、こういう想像力の方向性は念腹を念腹らしくしているのかなと思います。変にロマンチックになりすぎない、そういう方向の典型を求めないというか。そうじゃなくって「夜なべとは」なんて言っちゃうそういう言い回しで諧謔味に触れてみるというか。そのような舵の切り方が念腹なのかなという風にも思ったんですよね。

1941年

64 馬にのる拍車結へし跣足かな

65 枯野より犬這入り来ぬ汽車の中 三世川浩司選

三世川浩司◆まるでモノクロ映画のオープニングシーンを見るかのようです。何とも乾いたドラマ性に注目させられました。

中矢温◆停車中の汽車に犬が駆け込んできたようなドラマチックさはよくわかります。いい句ですよね、ありがとうございます。

66 花珈琲門入りてなほ馬に鞭 中矢温選

中矢温◆門に入ってあともう少しだけ馬を歩かせたいときに「なほ馬に鞭」をするという。句の出来だと一番上手い気がしていただきました。この「花珈琲」というのもあちらだと珈琲の収穫に向けて最初の時期なんだろうなという感じがして美しいと思いました。

67 野焼人沼をわたりて集ひけり
 
1942~44年

68 騎初を追ふ子伜の裸馬

69 信あれば文は短し秋灯下 黒岩徳将・中矢温選

黒岩徳将◆さっきの61番の「無学第一」と繋がるところがあると思いました。この「信」は虚子門にいてブラジルで、虚子の教えを追いかけながら、俳句を写生しながら作っているというものかなと。そんな「信」があるので誰かに、あるいは虚子に出す手紙を書くときも短くていいんだみたいなんか自分での中での決意があるのかなという風に読みました。そして、『念腹句集』の虚子序文の最後はこれで締めくくられていることからも、虚子は念腹のこの思いに答えているところはあったのではと。でも句の中でそれは言っていないので、「秋灯下」を使って普遍性をもたせるようにして、懸命に文を書いてる人みたいなのを思わせるつくりかなと思いますね。「無学第一」よりはもう少し幅のある句ではないかなと。どうなんでしょうか。

中矢温◆黒岩さんありがとうございます。この時代の「文」って日本と繋がる唯一の手段だったと思いますが、それでもわざわざ文字にしなくて通じ合う「信」用や「信」頼が、この句の「信」なのかなと。だから短くていいんだっていう強い気概に心打たれた次第です。

(註:移民俳句で手紙の句もたくさんあって、これと逆の内容で例えば「なほなほが裏に返って続くなり」とか、「無心より外には用のない手紙」とか。かなり川柳チックですね。)

1945~46年

70 朝酒のあとの腹減る喜雨休

71 乳しぼる牛にさし来し初日かな

72 蛇蜥蜴からみ搏つなり草の中 黒岩徳将選

黒岩徳将◆「搏つ」は戦うという意味だと思うんですけど、そうすると「蛇」と「蜥蜴」が戦っているという風に読みました。これも虚子序文にあったかな。「蜥蜴」がブラジルのものだと思うと我々の蜥蜴とちょっと違うというようなことを書いていたかと思います。本当に蛇と戦っているんだったら「蜥蜴」すごいなと思って。最後「草の中」でワイドになるのもいいんじゃないかなと。

中矢温◆ありがとうございます。日本で古くから季語だけれど、ブラジルにも存在していて、少し日本とはサイズなど含め想起されるイメージが異なる場合はたくさんあると思います。蛇の暮らす環境の野趣性とか、蜥蜴の大きさとか。移民俳句に限らず海外で詠まれた俳句は、もしかしたら季語に限らず、〇〇という土地で詠まれたと思うと××な印象を受けるとかはある気がします。

73 腹這うて犬も飽きたり蜥蜴狩
 
1947年

74 汽車に会ひ牡蠣飯に叉日本人

75 毛糸編んで昨日の如しベンチ人 中矢温選

中矢温◆この句は一番不思議だなと思ってとりました。ベンチで毛糸を編む人の佇まいが昨日と同じだから、この光景が昨日のように思えるよという句かしら…?ベンチに人がいることを、「ベンチ人」というなんて、無理やり過ぎないかと思うんですけれど、その縮め方も独特でちょっと面白かったです。

76 クリストの弟子の祠や冬木立

中矢温◆アリアンサには僧侶がいたなんて記録もありますけど、教会もあったそうで。圭石は日本にいるときからクリスチャンだったそうです。実際ブラジルは今は福音派も増えていますけれど、カトリックが多数を占めます。実施あにアリアンサ内に祠があったんでしょうね。異国情緒に分類される句かしら。

77 投かけて四方の窓に布團干す

78 酔うて脱ぐ大きな靴や春灯 岡田一実選

岡田一実◆念腹は記録としての俳句を書いてきた方だなと思いました。俳句は記録の側面も多くあると思ったときに、何を記録するかということになってくると思うのですが、この句の場合は自分の驚きを記録して写生しているな、と。この「大きな」に念腹の感動を感じる。この「おっ」という見過ごしそうな驚きを記録することに成功しているなというのがいただいた大きな理由の一つです。季語の「春灯」というものが、ちょっと理屈っぽさもあるのですが、その「春灯」のちょっと潤んだような明かりが「大きな靴」にも影を作るような雰囲気があって、「大きな」という感動をちゃんと書き留められていると思いました。以上です。

中矢温◆ありがとうございます。ちなみに念腹は酒豪だったそうです。

79 移民妻わらびを干して気品あり ゆう鈴選

中矢温◆ゆう鈴さんより、「わらびを干して気品があるなんて、その人はとってもステキな人だという印象。ただ美人とかではなく、自分自身の生き方をしっかり持っている気がする。その人への尊敬を感じるので少し年配の所作の美しい人だと思う。」との評をいただきました。この「移民妻」が念腹の妻のキヨとは言い切れませんね。せっかくですので、キヨの人柄を話そうかと思います。念腹が俳句にかまけて新婚の自分を放って、東京やらあちこちに出かけていても、きちんと家を守っていたそうです。この言い方はあまり好きではないですが、本当に古き良き妻だったとか。キヨはブラジルに渡ってから俳句を始めたそうなんですが、そこからはより深く念腹を、そして俳句の面白さを理解して添い遂げたといえるのかななどと思います。
 
1948年

80 没収を免れし和書曝しけり 西生ゆかり選

西生ゆかり◆気持ちは何も書かずただ事実を書いているだけなんですけれども、「免れし和書曝しけり」そこに読者の方で色々とその背景の事情とか気持ちとかを察することができて、このドライな書き方がいいなと思っていただきました。

中矢温◆ありがとうございます。これはゆかりさんが言ってくださったように事実として、ブラジル政府が外国語新聞の発行を禁止したりする中で日本語で書かれた「和書」も「没収」の対象になっていくんですけれど、家のあちこちに隠したりだとかで「免れし和書」を今日のもとに晒すよという。虫食いを防止するものでしたっけ。この句の発表自体もタイムリーに行うことはできず1948年と遅れるんですよね。もしかしたらこの「晒されし和書」は念腹自身の比喩でもあるのかなとか。戦争中に逮捕もされずおとなしく籠って、今はまた無事に外に出て俳句の行脚ができるようになったよという。

81 ブラジル陋巷はなし新豆腐

82 襟巻きや神父と競ふ拓士髯

83 墓参して和語を話さぬ移民の子 ぐりえぶらん選

ぐりえぶらん◆今回を念腹のどの句をを取るかでいろいろ見ていたんですけれど、多分異国情緒に一番惹かれたのかなと。これが句としてどうなのかっていうのはよく分かりませんけれど、この絵葉書のようなブラジルでしか読めない句って面白いなと思いました。これは2世がもう出てきてるんでしょうね、1948年だから。2世となると日本語を喋らないのねという話なんだろうなと思いながら、これも彼の地でなければ読めないだろうと思って取りました。以上です。

中矢温◆ありがとうございます。皆さんお分かりだと思いますが、「和語」は日本語で「葡語」はポルトガル語のことです。外山さん、日本語の継承において何かコメントいただけますか?

外山一機◆これはあまりにもメッセージ性が強すぎる感じがして、それ以上のことはなかなかなかったんですけれど、ただこれが戦後のものだったと考えるとちょっと感慨深いものもあるかと思います。戦時中に日本が公的の場で使うのは禁じられていたけれど、そもそももう子どもたちは話さなくなりつつあったよねという。蓋を開けてみたら苦しんでいたのは自分達だけじゃんみたいな、そういう辛さみたいものもちょっと感じるかなと。「墓参」の墓の中に埋まっている人に肩入れしてるんじゃないかなと思いました。

中矢温◆なるほど、ありがとうございます。

生駒大祐◆少しいいですか。移民だから先祖代々の墓はないわけですよね。だから子供がいて「墓参して」ということは、わかりませんが、親が早くに亡くなっていて、だから「墓参」しうるというか。あまり上手く言えないけれど、あまり普通の「墓参」じゃないよなと思って、ドラマチックに作られている感じがしました。

中矢温◆ありがとうございます。一時の出稼ぎだと思っていた暮らしが、永遠にこの地に眠ることを受け入れていくということですかね。出稼ぎだと思っていたら、なかなか稼げなくて、いざ稼ぐことができるようになったら、手放しがたい生活基盤がそこにあるという。あるいは子どもがもうポルトガル語の方が上手に話して、帰りたくはないと言っているという。時を経れば経るほど経済的要因や子どもが自分をブラジルに引きとどめる絆しとなるわけですよね。もう少し2世について話すと、自分たちに必要なのは日本語教育ではなくてポルトガル語をちゃんと話せるようになって、現地の大学を出て弁護士や医者や技術になって、親の面倒を見ていくし、稼いでいくし生きていくんだということを親に主張するんですよね。この話は俳句についてではないところで見たんですけれど。子と親にはやっぱりいつの時代も何かあるなと、確執というか衝突というか。

(註:たしかに「墓参」する、「墓参」できるというのはなかなかに条件が必要で。ます出稼ぎでなくて永住を決めて墓を建てたということ。そしてあちこちで職を求めるのではなく、ブラジル内で定住する安定した稼ぎ口があって、墓守ができているということ。また、冒頭で話した出稼ぎが永住になるのはトルコからドイツへのガストアルバイターとか、世界各地の移民でみられる現象ともいえますよね。)

1949年

84 瓜漬を食ひ結飯食ひ珈琲飲む

85 ズボンの娘モンペの母と井戸端に

86 肉馬車を追うて地を翔つ秋の蠅

87 干布団野飼の牛の戻り初む

88 病人も腹減りしとぞ草の餅

89 貰ひ水朝寝の窓に声かけず ぐりえぶらん選

ぐりえぶらん◆はいさっき異国情緒と言ったんですが、これが異国情緒なのかどうかはよくわからないところも実はあるんですけれど、でもすごく明るい光のある国というか地域の一コマだろうなと思いました。何だかここら辺からすごく穏やかな句が並びますよね。それで不思議な感じがして取りました。以上です。

中矢温◆ありがとうございます。加賀千代女の「朝顔やつるべ取られてもらひ水」以外に「貰ひ水」の句を見たのが初めてでつい百区抄出に入れてしまいました。

90 老いてゆく夫に朝寝の妻若し 中矢温選

中矢温◆この句は念腹自身のことなのかなと思いました。念腹とキヨは5歳差なので、めちゃめちゃ歳の差があるというわけでもないんですよね。こう自分のことを「老いてゆく」と自嘲するのは自虐的でなんとなくわかるんですが、妻のことは身内だからと照れることもなく朝眠る妻の若々しさを詠むという。念腹の方が先に起きたんですよね。若い=美しいなんて言ったらただの問題発言ですが、なんというか慈しみのような愛を思ったんですよ。子どもとか妻をあまり詠まなかった念腹の、自分にずっとついてきてくれたキヨへの挨拶句のようにも思いました。

1950年

91 柿の影さして障子といふものぞ 岡田一実選

岡田一実◆ずっとブラジルらしい句を取らずにここに来て、一番ブラジルらしくない句かもと思っていたのですが、さっき温さんや外山さんのお話を聞いて、あ、そうか、ブラジル移民にとって「柿」は大切だったんだなと今思いました。頂いたときはこれも先ほどの15番の「丘」の句と同じような逆転として描いているなと思っていました。「障子」があって「柿の影」が「さして」いるけれど。その「柿の影」が「さして」いることによって「障子」を発見するという詩心だと思いました。虚子の「帚木に影といふものありにけり」をもしかしたら押さえてあるのかもしれないなと。「障子といふものぞ」の持って回った言い方が、詩を作っているなあと思います。ずっと何で念腹は俳句だったんだろうなと思いながら読んできたんですけれど、記録以上の詩が書けるから俳句だったのかな、などとも思いました。以上です。

中矢温◆ありがとうございます。「障子」はそこにあるだけじゃだめで、「影」が「さして」こそだというのは、ブラジルにもう一つの小さな日本を見出そうとしていた、人数が多いからこそそれが可能だったブラジル移民らしさが出ているような気がします。

1951年

92 井戸掘つてゐるを見に来し新移民 樫本由貴選

樫本由貴◆「新移民」に対しては、ちょっと今までの句で見てきた他の移民に対する眼差しとちょっと違うなと思いました。「井戸」を「掘つてゐる」のを見に来た「新移民」に恐らく堀り方を見せながら掘っているんじゃないかなと思って。淡い期待をこめてなんですけど。戦後になって移民に対して、例えば1世2世の断絶であったり敗戦であったりによって思うところあって意地悪をしなくなったとうか。やり方がわからなかったら見せながらするというようなところが、少し視点が変わったかなと思っていただきました。

中矢温◆これも事前質問いただいておりました。「新移民」は自分より後に来た移民のことを指す語だと私は思っていて、相対的な言葉かなと理解しています。「見に来し」は物珍しそうにしているとも取れるし、樫本さんの言ってくださった教えている・示しているという感じもしますね。

93 移民船隈なき月に沖がゝり

中矢温◆『移民70周年俳句集』では「移民船」もひとつの季題としてワンセクション設けられていました。これは「月」が季語かと思いますけれど。

94 倖せとは世知らぬことか木の葉髪

中矢温◆うーん、でも「世」を多くの日本人移民が「知らぬ」状態だったから、戦後勝ち組・負け組闘争は起きたよねとか思っちゃったんですよね。そういう「世」ではなく、もっと一般性が高いのかもしれませんが。虚子が亡くなってからの俳壇の混乱みたいなものを知らずに済んで、虚子としっかりと話を交わせた時代だけを知っている「倖せ」なのかなとか。…あ、すみません、51年は虚子はご存命ですね…。

95 糸瓜忌を明日に俳句の旅終る

中矢温◆この「俳句の旅」は線路沿いに幅広く長年行われた俳句普及の行脚の旅のことでしょうね。

96 春夜行くポ語を知らねば聞ながし 外山一機選

外山一機◆ドラマチックな感じがあるなというのがひとつ。あとはそういう資質っていうのもあるんだろうなっていう気はするんですよね。7番の「子雷」のなんかは空間的に上手く構成していく力が力みたいなものがありますけれど、「子雷」の句で評価されてるポイントって、句評とか見ていると当時の秋櫻子だったかが、小さいの「小」ではなく、子どもの「子」にしたのが上手いと書いてあったんですけれど、そこに空間的に構成すればよいというのではなく、ドラマチックというか。「雷」にも家族的なニュアンスをつけてみるみたいな。そういうドラマ性を求める人だったのかなと思います。加えて、この人は結局ポルトガル語がわからなかった、あるいはわからないという風に自分は思ったということですよね。「聞ながし」てなんとか暮らしていくという。自分の愚かさに対する言い訳ではないですが、だいぶ歳をとってきて、そこは自分なりに自分の生き方として、なんとか受け流していくようなそういうような言い方をしている気はしますね。罪深いような気もしますけれど。でもそういうような意味ではなくって、もっと自分の中のこれまでの生き方をなんとか肯定しようとしているような気がします。もう一点。確か念腹は戦後に「パウリスタ新聞」の選者をしますよね。「サンパウロ新聞」だったかしら…。それは負け組の側の新聞という風に言われてるはずです。当時の日系社会の人たちはやっぱり多くが勝ち組に回ってしまった。その理由の一つとしてはポルトガル語がほとんど分からなくて、日本から情報があまり来ない中で混乱してしまった。一部のインテリ層が負けだということが総合的に分かっていて、それで勝ち組負け組抗争が起きていくと。念腹はポルトガル語がよくわからないながらも、負け組の方に足を踏み入れていて。微妙な立ち位置ですよね。この状況がこういう自意識を生んだのかなとも思いました。

中矢温◆ありがとうございます。「パウリスタ」は「サンパウロの人」という意味ですね。この前横浜のJICAでしていた熊本移民展にいったときに「パウリスタ新聞」の紹介があった気がするんですよね。どこにメモしたかしら…。このメモだと「サンパウロ新聞」になっていますね…。ちなみに負け組派は認識派、勝ち組は信念派という別称もあります。で、はい、「サンパウロ新聞」は負け組派が作ったとも言えますが、この勝ち組負け組闘争の混乱の終息を願って作ったものであったと思います。創業者の水元光任さんは熊本出身だから、先の移民展で紹介があったんですね。ちなみに読者の減少により2019年に「サンパウロ新聞」は終刊しました。

97 転耕を見迭るや馬とばしつゝ

98 馬の脊の籠にあたりて燕来る 木塚夏水・三世川浩司選

木塚夏水◆まずブラジルに「燕」は「来る」のかなとは思ったんですが、いずれにせよ「馬の脊」に「籠」が当たっているリズムや触覚という所に「燕来る」を感じとるのが日本人の繊細な情緒が現れている気がしていただきました。

三世川浩司◆日常のなにげない出来事の中での、まるで春の神に祝福されているかのような情感が、とても好ましいです。

99 耕や廿五年の切株と 生駒大祐選

生駒大祐◆最後の方の句としてはかなりシンプルな構成で、ただ年表によれば1927年にブラジルに移民していると考えると、自分が最初に切り倒した木の「切株」と共にこの「廿五年」を過ごしてきたよ。そして相変わらず耕しているよ、という風に考えると境涯詠としては嫌味がなく質が高いように思いました。歴史の自分の人生の「廿五年」がこの「切株」には詰まっているんだという。有り体に言えばそういう考えをシンプルに呼んでるなと思ってすっきりとした句だなと思っていただきました。

中矢温◆ありがとうございます。たしかに1927+25ってここらの年ですよね。この「耕」は念腹が現在も自分で鍬をふるっているかどうかというリアリティはおそらく必要なくて、昔の記憶とかも入れてのものなんでしょうね。

虚子が序文で引いているが句集に掲載はないもの

100 蚊食鳥ニグロ嫁とる灯の軒に

中矢温◆最後の句は虚子が序文で引いているが句集に掲載はなくって。すっごい探したのになくって、もう!という感じなんですが笑。この句は正確には女性なので「ニグラ」となるかとは思うんですけど、黒人という意味ですよね。息子たちが結婚するときに日本人と結婚するかそれともブラジル人と結婚するかという問題は、特に一世からするとかなり大きな問題で、でも二世からすれば自由な結婚を認めてくれよというところだと思うんですよね。多分この句が言いたいのは、あの家は黒人の女性を「嫁」に「とる」んだ、とったんだというのはコロニア中で周知の事実、もしかしたら噂の的かもしれませんよね。コロニアの閉そく性というか、結婚、血筋ってなんだろうと思わず考えました。

当初の予定時間を大幅に超えて、大変遅くなりました。最後に皆さんから一言ずつ感想をいただければと思います。では五十音順でお願いします。

生駒大祐◆僕の普段の好みから言えばあんまり読まないタイプの句が多かったんですけれど。とはいえ最近俳句を純粋なテキストとして読むことの限界も思っていたところでした。俳句のポテンシャルを考えたときに、その辺も加味しないとどうしても拾えない部分があるなと常々、特に最近感じていたので、ほぼそれから成っているような句を今のタイミングで詠めたことは僕は非常に面白く感じましたし、勉強になりました。あと準備がすごくされていて、貴重なお話もうかがえました。ありがとうございました。

岡田一実◆俳句を読むとは、俳句を書くとは何なんだろうと思いながら読んでいました。私も多分普段の俳句を読む傾向としては避けがちなところかもしれないけれど、人生の記録的俳句から私は何を読んでいるのだろうとずっと考えながら読みました。あと温さんが送ってくださった事前資料(※https://www.ndl.go.jp/brasil/ブラジル移民の100年 国会図書館)もすごく興味深く拝読しまして、ブラジル人移民に対する先入観があったことも気づいて、事実はこっちだったんだと。しっかりその辺りは背景として興味深く拝読して、それをどのくらい俳句に反映させて読んだらいいのかを考えながら読みました。貴重な体験をありがとうございました。

中矢温◆ありがとうございます。差支えなかったらで構わないんですが、ブラジル移民に対してどんな先入観があったのか教えていただいてもよろしいですか?

岡田一実◆国が最初から移民に対して積極的だと思っていたのですが、日本は最初は移民の出稼ぎに対して奨励しない態度をとっていたというのが私の中では勉強不足でした。日本はもっと積極的に移民を送り出していたのだと思い込んでたのでちょっと送っていただいた資料では意外でした。

中矢温◆なるほど、ありがとうございます。そうです、年代やどの国かなどによっても少しずつ態度を変えていますよね。私もまだまだ勉強不足です。

岡田一実◆途中から国が積極性を帯びてくる、そのあたりの歴史性も今回学ばせていただきました。

小川楓子◆貴重なお話をありがとうございました。移民についての勉強会をアルゼンチン移民の崎原風子についてやったのが今年の5月でしたっけ。
それと比較してだいぶ違うなという印象を受けました。勿論個人個人によって違うかとは思うんですけれど、その比較としても面白かったなと思います。やっぱり私はテキストで読みたいなというのはありましたかね。歴史的なものはむしろ好きな方なんですけれど、必ずしもそれを踏まえて読むのはしたくないなというところがあって。あくまでテキスト派なのかなと思いました。念腹の句に現れている日本やブラジルは本当の日本でも本当のブラジルでもないのではと思います。俳句がそもそもどこにもない何かを書くものなのかもしれないけれど、より移民の俳句だと日本でもブラジルでもないどこかを描くのかなという風に思いました。あとは日本の「ホトトギス」に対して見せたい姿というのがすごいはっきりしていて、その世界を提示してくる書き方があるのかな。でも垣間見える素朴さはとても好きでした。

中矢温◆テキストとして読むか、生涯性を加味するかは難しい問題ですよね。でも一回生涯の方にいってテキストに戻るのと、最初からテキストなのはやっぱり深みが違うと思うんです。

樫本由貴◆私は今回は実作者としてではなく、俳句を勉強している院生枠で来たと思っています。普段俳句としてよいかどうかで読んでいる方たちが、念腹などの移民の俳句をどう読むかを聞けてすごく面白かったです。私はこういう俳句を読むときに俳句としてよいかどうかを抜きにして基本的に読んでいるので、すり合わせのよい機会となりました。ありがとうございました。

木塚夏水◆貴重なお話をありがとうございました。皆さんの鑑賞も興味深く拝聴しました。今回念腹の俳句を読んで、ブラジルという日本とはまったく異なる環境の中においても、花鳥諷詠の教えにしたがって、最期まで季語を捨てずに俳句を読み続けたところが面白いなと思いました。季語をいれなくてはならないということは、ブラジルのような環境では縛りのようなものにもなるのかなと思うんですよね。その中でブラジルにも季節があるんだというアンテナを立て続けたという姿勢が、同時代には新興俳句などの無季俳句もあった中で、おそらくそういった情報も入ってきたのではと思いますが、そのあたりに左右されずに貫いていったところにこの人の個性があるのかなという風に思いました。以上です。

ぐりえぶらん◆私はまだ俳句を始めて4、5年で、句集もそんなにたくさんは読んでいないんですけれども、読むたびにこんな俳句があるんだ、こんなのもありなんだと驚いたり面白がったりしています。そういった意味では佐藤念腹の俳句はとっても面白かったです。ちょうど季語の種類が増え始めた初心者にこういう俳句があるんだよって紹介するのは刺激になるような気がしました。個人的にもとても面白かったです。ありがとうございました。

中矢温◆多分テキストとして読める句は単体で十分に面白いから独り立ちして読めるんですよね。「やっぱりテキストとして私は読みたいな」という感想を楓子さんからいただいて、今ぐりえぶらんさんにも面白かったといっていただいて、それは念腹の俳句の「巧さ」を裏付けているような気もしました。

黒岩徳将◆貴重な機会をありがとうございました。純粋に百句を読みあうということで、自分が持っていなかった視点、移民の立場あるいは人を見る立場みたいな視点を捉えながら読んでいくっていうことの発見をたくさん感じられたかなという風に思います。私は69番の「秋灯下」の句から意固地で頑固な念腹を想像して読みました。何かを守るというか、何かにしたがって読むというか極めるんだというか。その意志があるということは逆にそれ以外のものにはNOを突きつけながら戦っていくんだと思って。岸本尚毅さんが『畑打って俳諧国を拓くべし』の蒲原さんの著書を『角川俳句』11月号の「新刊サロン」のコーナーで書いているんですけど、虚子について「自分は公平な立場に立つという人は公平という二字を振りかざして安心しているが、畢竟何もわからないという自分の不明を表明している。」と念腹を擁護しているという一文があって、虚子怖いなと思ったんですね。何がいいたいかというと今回念腹を取り上げてみたところで、一体新興俳句とどう対立していったのか、史実としてメンバーを抜けたみたいなところはわかるんですけど、念腹が自分を守るために許せなかった俳句的価値観は何かってことを具体化・言語化していきたいなと思って。次は木村圭石の俳句を見てみたいなと思いました。

中矢温◆ありがとうございます。この前の東大俳句会で岸本さんが念腹の「ブラジルは」の句を引用されて、すごくびっくりしたのですが、今合点が行きました。11月号またじっくり拝読します。

西生ゆかり◆改めて「季語って何だろう」と考えました。例えば「雷」という季語を見て、我々の多くは日本の雷を想像すると思うのですが、ブラジル移民の句だと知った上で「雷や四方の樹海の子雷」という句を読むと、特に違和感なくブラジルの雷が想像される。日本の雷とは全然スケールの違うものかもしれないのに、「雷」という季語が使われ、作品として成立している。季語って不思議だなあ、言葉って不思議だなあ、と思いました。

外山一機◆ありがとうございました。自分が移民俳句に興味を持ったのも、もう10年くらい前なので、だいぶこの10年間で色々変わってきているなというのを感じています。事前質問にも新興俳句との絡みがあって、自分も興味のある分野ですので少しここで話させていただければと思います。新興俳句を移民の人たちは知らなかったのかというとそんなことはないんです。勝ち組雑誌の「旭号」というのがあって、昭和も終わりの29年に西東三鬼や石田波郷の句が紹介としてばーっと載っているんです。これを読んでいくと、選者をしていた石井青泉という人が結構俳句に詳しいことがわかります。1つ謎があって、これが分かったらすごいんですけど、昭和23年の「光輝」の細谷源三って誰?ということです。あと同じく「光輝」に載っている神屋洋史って誰?細谷源二、神生彩史ではなくって?ここらへんは謎でして、本当にわからないんです。それから、「馬酔木」を新興俳句に入れるんだったら、読んでいたと思います。ただ向こうの本の流通の仕方を考えると、大衆雑誌『キング』などは買えたでしょうが、俳句雑誌を本屋で買えたかというとなかなか難しいと思います。新興俳句の雑誌を読める人は稀だっただろうとは思いますね。そんなところです。本日はありがとうございました。

三世川浩司◆自分が普段触れない俳句に触れることができまして、どうもありがとうございました。新鮮であって興味深くもあって勉強になりました。ついでなんですが、ブラジルの俳句についてネットで探すなかで、こういった力作の論がありまして、児島豊 氏著:「勝ち組」雑誌にみるブラジル日系俳句--日本力行会資料調査から--です。ご興味のある方はぜひ読んでいただければと思います。

中矢温◆ありがとうございました。私も1年生の頃にサイニーの存在を知ったとき、知り合いの俳人の名前をどんどん検索欄に入れてみるという狂気じみたことをやっていたのですが、そのときにこの論を見つけて、拝読した次第です。今回一人で読書会を開くのは知識不足など不安でしたが、外山さんが補強や修正をしてくださるだろういう安心感から無事読書会開催にこぎつけました。私から最後に一言挨拶します。まずブラジル俳壇が一枚岩でなかったことを知れたのはよかったなと。じゃあ二枚かといわれたらそうでもなくて、なんだかずれてしまっている。念腹の強い光の下では見えないものも多いだろうと思って、もっと調べたいなという次第です。次に私が結社に入っていないこともあるかとは思いますが、また、師匠がいる人の中でも濃淡はあるでしょうが、何かを信じることの強さと恐ろしさは、俳句に限ったものでもないですが、とても感じました。3つ目はもし念腹が日本に残っていたらどんな句を詠んだのだろうと思いました。でも実はそんなに変わらないものを残したかもなとか。念腹にとって大事なのは「ホトトギス」の教えであって、荒っぽい言い方をすればブラジルは舞台装置だったのだろうなとことです。こんなところかな。

小川楓子◆一つ気になっていることがあってよいですか。景気のいいときに前衛俳句は絶頂を迎えて、景気の後退とともに保守的になるという傾向があると思うんです。それは美術の方でもあって、民藝という古い柳宗悦の価値観が不景気のときには流行って、景気がよくなると下火になって、また不景気になると流行るらしくて。こういうことは移民の世界の中でも同じような傾向はあったんでしょうか。そこらへんを教えてほしくて。あるいは、景気もそうだし、前衛俳句もそれほど貧しい人はいなかった。ある程度インテリ層だったイメージがあるので、自分の財産のあるなしは作品の保守的か自由的かの違いがあったのかが気になりました。高度経済成長期にばーんと自由なものが出て、今景気が落ち込んでいる中であまりそういうものは見ないなと。移民の世界でも、国が違ってもそういうのはあるのかな。

外山一機◆あまり考えたことがなかった話なのですが、そもそも俳句形式に携わるということ自体保守的なんですよ。何故向こう側においてはわざわざ一般的でない日本語を、失われゆくはずの日本語を、半ばなくなってしまうことが決定づけられている日本語を使うというのは、過去を振り返ってそこに自分の居場所を見つけるためですよね。どうしたって保守的なふるまいになる。中には「海程」に投句している人もいますけれども、それは珍しいというか、金子兜太が好きなんでしょうね。でも金子兜太のあり方にしたってそれを郷愁と結びつけることもできると思うんです。もし前衛というものがあるとしたら、おそらくhaicaiのポルトガル語の方です。そっちに行くならまだあり得るかなと思います。ただ増田恒河みたいに、「ホトトギス」からhaicaiに抜けていくという方向性だとそこまでは突き抜けられないのかなという風には思いますね。例えば完全にポルトガル語を使っているような人が、最初からhaicaistaたちと交わる中で、日本の俳句とは縁を切るかたちで作っていくならば伸びしろはあるような気がします。

小川楓子◆二世以降の人がポルトガル語で俳句を作ることはなかったんですか。

中矢温◆どうなんでしょうね…。ポルトガル語で俳句を書いている人たちは、俳句に興味があるというよりも、まずは漠然と日本文化への興味があってそこから俳句に行きつくのかなという印象があります。

外山一機◆私もそういうイメージです。よくのど自慢the worldみたいなのをテレビでやっているじゃないですか。で移民の子孫が出てきて、おばあちゃんが聞いていた演歌を歌うとみんなが喜ぶので、私も好きになっていって私も演歌を歌うようになります、歌謡曲歌っちゃいますという方いますよね。そういう感じのものとして日本語の俳句は共有されているのかなと思います。

小川楓子◆ありがとうございます。だから日本のありかたとは全然違うということなんですかね。

中矢温◆次回の課題ということで、持ち帰らせていただきたく思います。俳句というか作品と景気の関係はすごく興味深いですね。はい、では最後になりますが、私はポルトガル語だと同級生の中でもあまり成績も振るわず、俳句でも何かを成し遂げたわけでもなく。けれどこのようにかけ合わせることで自分が大事に調べたいと思うことを見つけられた気がします。ここらへんをこれからも掘り下げたいなと思います。では皆様、大変長丁場となりましたが、本日はありがとうございました。また何か機会ありましたら、誘ったり誘われたりで句会や読書会でお会いできたらと思います。

註は中矢温による。

〔 了 〕

後記+プロフィール713

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 後記 ◆ 村田 篠


大変だった一年も、残り少なくなりました。こんな年でも、年の瀬になにかと用事が多いのはいつも通りで、忙しいのは変わりません。なかなか先の見えない状況ではありますが、冷静に、落ち着いて、できることをしながら、来年も変わりなく日常生活を送っていきたいと思います。

さて今週号は、ブラジル移民の俳人・佐藤念腹の特集をお送りします。第688号、第689号で特集したアルゼンチン移民の俳人・崎原風子に続き、外地でつくられた俳句を読むという試みです。念腹以前のブラジルでつくられていた俳句から言及が始まり、いろんな方面からアプローチし、念腹100句抄の1句1句には選者の評も付されていて、大変分厚い特集になっています。ぜひお楽しみ下さい。

それではまた次の日曜日にお会いしましょう。


no.713/2020-12-20 profile

■箱森裕美 はこもり・ひろみ
栃木市生まれ。「炎環」、「紫」、詩歌句同人Qai〈クヮイ〉所属。

中矢 温 なかや・のどか
1999年生れ。愛媛県松山市出身。東京外国語大学3年。東大俳句会など。

外山一機 とやま・かずき
1983年生まれ。「鬣TATEGAMI」同人。力行会の書庫に出入りして以来、移民の俳句の世界に興味津々。
 
■小林苑を こばやし・そのを
1949年東京生まれ。「月天」「百句会」「塵風」所属。句集点る』(2010年)。 
 
■浅川芳直 あさかわ・よしなお
1992年生れ。「駒草」「むじな」。俳人協会会員、宮城県俳句協会幹事。
 
■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。  

■藤原暢子 ふじわら・ようこ
1978年鳥取生まれ。岡山育ち。東京在住。「魚座」を経て「雲」所属。旅人。写真家。第十回北斗賞受賞。第一句集『からだから』(文學の森、2020年)。
 
西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter
 
■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」

箱森裕美 天から手 10句

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 天から手  箱森裕美

螺子工場歯車工場石蕗の花

山眠るクッキーの真ん中にジャム

水鳥を指す利き腕の重たさよ

北塞ぎ聞き耳ばかりたててゐる

柿紅葉握るや電車降りぬまま

丼と丼の間の枯野かな

長靴のずぼずぼと来て大根引く

冬薔薇ドールハウスの天から手

毛布くるまり海底となるこころ

煮凝りの中に眠たき王都かな

週刊俳句 第713号 2020年12月20日

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 第713号

2020年12月20日




箱森裕美 天から手 10句 ≫読む

…………………………………………………………
ブラジル移民佐藤念腹読書会レポート……中矢温
〔1〕中矢温によるイントロ ≫読む
〔2〕外山一機によるイントロ ≫読む
〔3〕佐藤念腹100句 ≫読む

【句集を読む】
旋律
豊里友行『宇宙の音符』を読む……小林苑を ≫読む

二〇世紀の空と海
草野早苗『ぱららん』を読む……西原天気 ≫読む

【週俳11月の俳句を読む 
浅川芳直 冬のあかるさ ≫読む

浅沼璞 舗道の車輪は ≫読む

中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
ヨ・ラ・テンゴ「リトル・ホンダ」 ≫読む

〔今週号の表紙〕冬至藤原暢子  ≫読む
 
後記+執筆者プロフィール……村田 篠 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編子規に学ぶ俳句365日のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

【週俳11月の俳句を読む】見えない島を見る 柴田千晶

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【週俳11月の俳句を読む】
見えない島を見る

柴田千晶


神無月眩暈こそが証なり  田中目八

空想を繰返せよと枯葉かな  同

旅夢想布団に初時雨の音に  同

眩暈、空想、夢想、という言葉から、体から意識だけが浮上するような感覚が伝わってくる。目眩が何の証なのか、なぜ空想を繰り返せと命じられるのかはわからない。布団の中で、旅を夢想し、初時雨を聴いている体は眠っているのか、死んでいるのか。「青へ、或いは岸辺から」という表題から、〈彼方〉を描こうとしている感じが伝わってくる。

連禱の如く冬星座をわたる  同

冬の星座まで祈りの声が響き渡ってゆく。渡っていったのは祈りの声だけなのか。魂、あるいは眠る人の意識のようなものも渡っていったのかもしれない。

氷瀑は異なる知性を記しけり  同

〈彼方〉に掛かる氷瀑に記された知性とはなにか。人類とは違う、別の生命体の存在の証なのだろうか。そこに記されているものが、怖いくらいに美しい一編の詩であったらと思う。


襖開けまた手をかえて襖閉め  鈴木春菜

冬の夕指につながる水の音  同

袂より手の美しく炭をつぐ  同

静かに開閉される襖、微かな水の音、炭の火の明るさ。そして、美しい手の動きだけが見えている。手の先にある体も顔もぼんやりしている。だからなのか、この手は少し怖い。手の先にあるのは幽界、あの世の軀なのかもしれない。


白息やよく燃えさうな小屋の中  大塚凱

小屋の中にいて、よく燃えそうだと思っている。外からではなく、中にいて思っているところが興味深い。小屋と一緒に自分も燃やされるイメージを抱いているのだ。日常の中で、瞬間的に死を意識するシーンがある。例えば、建設現場で、クレーンが鉄筋を吊り上げている時、その側を通過する瞬間など。

この句にも瞬間的な死が見える。それは少し心地良い。

鯛焼や晴れただけでは見えない島  同

鯛焼を食べながら海を見ている。遠くに島が見えるはずなのだが、晴れているのに今日は見えない。見えない島は、ほんとうに存在しているのだろうか。鯛焼の温もりだけがじんわりと手に伝わってくる。

冬蜂めりこむ泥のみるみる乾く  同

駅に立つみんなだんまりみな木の葉  同

日常が早送りされて、泥はみるみる乾いてゆく。めりこんだ冬蜂もあっというまに化石になってゆく。駅のホームに立つ人はみんな黙りこんで電車の到着を待っている。やがて人は、カサカサと木の葉のように崩れて消えてゆく。

その時、ホームの〈彼方〉に、見えない島が現れるだろうか。


田中目八 青へ、或は岸辺から 10句 ≫読む
大塚凱 或る 10句 ≫読む
鈴木春菜 月一度 10句 ≫読む

週刊俳句2020年アンソロジー 34名34句

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 週刊俳句2019年アンソロジー 
3434


十二月八日のドアノブを回す  山本真也  第665号

もしかして冬うぐひすのにほひかも  細村星一郎  第668号

千の靴行き交ふ春の夕焼に  田口茉於   第669号

アスパラガス並べちゃんとした人になる  前田凪子  第670号 

バレンタインの日に渡すはずだった。  森羽久衣  第671号 

声ほどに嵩張るはなし鶴帰る  生駒大祐  第672号 

花のころ日が差している製図台  藤田哲史  第672号

春昼は裏の畑に居マスとな  大野泰雄  第674号 

棒読みで言はるる礼や雀の子  龍翔  第675号 

片栗の花に屈むと踵浮く  黒岩徳将  第676号

暮春の母屋あぶらゑのぐの饐えてゐし  安里琉太  第679号

立ち眩みして水無月の青の中  安田中彦  第685号

三日ほど干しっぱなしの半ズボン  樋野菜々子  第685号

平泳ぎしながら時計さがしをり  千野千佳  第686号 

湯にレンジに夕餉任せる油蟬  村上瑛  第690号 

晩涼の杉木立より笛太鼓  太田うさぎ   第691号

蛸の追ふ生き身の蟹の速さかな  橋本直  第692号 

向日葵や人撃つときは後ろから  堀田季何  第693号 

破れたる靴の重さやすべりひゆ  佐藤友望  第694号 

夢の汝は水棲にして秋の雨  中矢温  第696号

月涼し白ブラウスのもぎりさん  衛藤夏子  第697号

呼ぶほどに離れる猫よ花木槿  柏柳明子  第697号

なつかしき風を通せり西瓜の鬆  相馬京菜  第698号

ぽつりぽつり背中に話すカヌーかな  吉川わる  第699号

台風の夜の痩犬をかはいがる  淺津大雅  第701号

目薬の眼より零るる赤蜻蛉  郡司和斗  第702号

ぬすびとはぎいにしえびとの身軽さよ  桂凜火  第703号

短日は凪の兆も只ならず  田中泥炭  第704号 

毬栗のたくさん当たる石仏  藤原暢子  第705号 

知ることや愛することや朽葉微光  田中目八  第708号

橋に鳩マフラー貸してそれつきり  大塚凱  第709号

水運ぶ白足袋のかかとの丸み  鈴木春菜  第710号

手袋のままで証明写真撮る  藤田俊  第711号

煮凝りの中に眠たき王都かな  箱森裕美  第713号

(福田若之・謹撰)


後記+プロフィール714

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 後記 ◆ 岡田由季

本年、最終号の週刊俳句です。

昨年の最終号の表紙に、太陽の塔の後ろ姿の写真を使いました。

 約一年後の12月、大阪モデルの新型コロナウイルス警戒レベルが赤信号となり、通天閣などとともに、この太陽の塔も赤くライトアップされました。今も赤信号は続いているのですが、なぜだか赤いライトアップはされていないようです。私はその状態を見ていないのですが、赤い太陽の塔は不気味だったろうと思います。

今年は、参加している吟行会がほぼ中止となり、私が吟行に行くことができたのは一回だけでした。その一回だけの吟行地も、たまたま、この太陽の塔のある万博記念公園でした。その時、太陽の塔の内部が見学できました。太陽の塔の内側は色彩にあふれていました。

 

 

2020年は、後になって何回も振り返ってみる年になったのではないでしょうか。私は、2020年のことを思い返すとき、太陽の塔も一緒に思い出しそうです。

 

それではまた次の日曜日にお会いしましょう。


no.714/2020-12-27 profile


■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。  

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter
 
■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。句集『リボン』(2017)共編著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。
 
福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第1句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第2句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。
 
岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」「ユプシロン」参加。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ 「道草俳句日記」


第五回 「円錐」新鋭作品賞・作品募集のお知らせ

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第五回 「円錐」新鋭作品賞・作品募集のお知らせ

未発表の俳句作品20句をお送りください(多行作品は10句)。

受付開始 2021年1月15日

応募締切 2021年2月15日

年齢・俳句歴の制限はありません。

ご応募の際には、お名前(筆名・本名)、ご住所、メールアドレスなどの連絡先をお書き添えください。折り返し、編集部より連絡申し上げます。

受賞作品は「円錐」89号(2021年4月末日刊行予定)に掲載。

選者
澤 好摩
山田耕司
今泉康弘

宛先 「円錐編集部 ensuihaiku@gmail.com

※上記HPにて、今までの受賞作品・審査会の様子などをご覧いただけます。

〔今週号の表紙〕第714号 きんつば 西原天気

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〔今週号の表紙〕
第714号 きんつば

西原天気


今年一年いろいろありましたが、きんつばと熱いお茶でも召し上がって、ちょっとゆったりしてください。


週刊俳句ではトップ写真を募集しています。詳細はこちら

【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】トッド・ラングレン「グッド・バイブレーション」

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【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】
トッド・ラングレン「グッド・バイブレーション」


憲武●ビーチボーイズのカヴァー第二弾てえことで、トッド・ラングレンによる「グッド・バイブレーション」です。


憲武●ほとんどオリジナルに近いですね。音楽の模写と言ってもいいかもしれません。これ、トッド・ラングレンの伝家の宝刀、一人多重録音です。

天気●大学生の頃、よく聴きました。麻雀のとき、「ピンズがぜんぜん通っとらんグレン」なんてダジャレ飛ばすやつもいたりして。「イーノ、イーノ、当たってもいいの、ブライアン・イーノ」と応えるとかね。

憲武●はははっ。オリジナルのマイク・ラブの低音域に比べると、若干マイルドかな? という感じですね。このカヴァーは、"Faithful"(1976)に収められてます。邦題は「誓いの明日」でしたか。

天気●すごい邦題。いつも思うのですが、洋楽の仕事している人たちって、どういうネーミング会議してるんだろうと。

憲武●うーん、確かに。今般は割とそのまま原題でって感じですかね。A面は、このビーチボーイズ、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・ディランなどのカヴァー、B面がトッドのオリジナルというアルバムです。

天気●B面の印象は薄いのですが、2曲目の「Love of the Common Man」がライブアルバム「Back to the Bars」(1978年)でなかなかよかった。ライブ映えしてました。

憲武●このカヴァーには解釈というものがなくて、リスペクトのみの完全な複製ですね。盲目的に再現してみました! といった感じの。愛を感じます。

天気●アルバム名「faithful(忠実・誠実)」の名のとおり、ですね。

憲武●ビートルズの楽曲「レイン」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」もカヴァーしてるんですが、違和感がない。そうそう、そんな感じとにこにこしてくる。

天気●いかにも多重録音的な音作りを、あらためて一人多重でやってる。

憲武●ほとんど制作の時期が一緒なのに、ビーチボーイズは莫大な人数、日数、金額をかけてる。トッドは一人でチャチャっと、まあチャチャっとでもないんでしょうけど、やってる。複製ってそういうことなんですね。試行錯誤がないから。他人の作品に似せて、まあ絵画でも小説でも、なにかを作るときは生半可な愛情では出来ないなと思う年の瀬です。 


(最終回まで、あと825夜)
(次回は西原天気の推薦曲)

2021年 新年詠 大募集

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2021年 新年詠 大募集


新年詠を募集いたします。

おひとりさま 一句  (多行形式ナシ)

簡単なプロフィールを添えてください。

※プロフィールの表記・体裁は既存の「後記+プロフィール」に揃えていただけると幸いです。

投句期間 2021年11日(金)0:00~18日(金) 12:00 正午

※年の明ける前に投句するのはナシで、お願いします。

〔投句先メールアドレスは、以下のページに〕
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2007/04/blog-post_6811.html

【2020年週俳のオススメ記事 10-12月】今年もありがとうございました 上田信治

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 【2020年週俳のオススメ記事 10-12月】

今年もありがとうございました


上田信治

 

702号、田中裕明がのこした短章を丹念に拾遺する連載「空へゆく階段」。今回は、裕明がはじめて爽波に相まみえたころのスケッチ。

選句がはじまるとひどく恐い顔をなさったので気難しい人なのかしらと思った。考えてみればいまでも選句中の爽波先生は紙巻き煙草をさしたパイプを噛むようにくわえて、きまって眉間に皺をよせている。こんな難しい顔で選句をして終われば「今日はいい句が沢山あって気持ち良く選句することができました。」とおっしゃることもあるのでこちらはだまされたような気がする。
対中いずみさんの解題には、掲載号の裕明作品が添えられる。

蓑虫や記憶のながれゆくところ 田中裕明

703号、「句集を読む」は、宮本佳世乃『三〇一号室』今井聖『九月の明るい坂』をとりあげます。

二階建てバスの二階にゐるおはやう」(…)この句には佳世乃句のすべてがある。ひかりに溢れているけど冷んやりしていて、呼びかけ(挨拶)がある。特定の誰かではなくみんなへの呼び掛け。(小林苑を「さみしいのかたち」
稲の中栞のやうに父立ちぬ」「捕虫網旗日の旗の前通る」追憶やら来し方やら、作者はみずからの(生きた)時間と(生きた)空間を、ドラマチックにとらえ、そのセンチメントが句をドラマチックにしている。俳句と〔私〕のあいだの距離を臆することなくつめる。(西原天気「まるで映画のように」

704号の「句集を読む」は、池田澄子『此処』

わたし生きてる春キャベツ嵩張る」キャベツの明るい色と嵩。芯は重いのに外側の葉の膨らみ具合は軽くてふかふか。嵩か。生命力なんていったら重過ぎるけど嵩なのか。句集『此処』の背景には身近な人々の死がある。されど此処で「わたし生きてる」。伝わるかな。 (小林苑を「かさばる」

705号は(と「句集を読む」の紹介がつづくのですが)瀬戸正洋『亀の失踪』

粕汁や四人掛けの席に五人」だからなんなんのよ! であるが、わざとなんだから知らんぷりしたくもある。こんな句をつぎつぎ繰り出す瀬戸正洋の第六句集『亀の失踪』が届く。封を切るなり受取人である同居人は「平野甲賀じゃないか!」と叫んだ。(小林苑を「暮れそで暮れない黄昏時」

706号の「空へゆく階段」は、「青」時代の、爽波から受ける選などについての追想。

俳句で師に学ぶというのは結局自分の自信のある作品と師の選がぴったりと重なるようにすることだと爽波先生が「青」に書かれていた(…)だから爽波選に入って嬉しいというのも、自分でどの句に自信があるのかもわからない頃のはなしで、しばらくすると選に入ってもただ嬉しいというのではなくなってくる。自分でもよくわからないような句が入選すると何故その句が良いのかが不思議で喜んでいられない。

707号は「2020角川俳句賞落選展」。一次予選通過作品7作品を含む20作品のご参加をいただきました。来年は、鑑賞記事を掲載させていただく予定です。

708号から、瀬戸正洋さんの「週俳10月の俳句を読む」を。

ホームセンターでパイプ椅子を買いました。軽くて持ち運びの便利なものです。夕暮れになると、それを担いで出掛けます。気に入ったところで、腰を下ろし辺りを見回します(…)数年前までは、この時間、赤ちょうちんの揺れる駅裏の路地をうろついていたことを考えますと雲泥の差です。もちろん、どちらが「雲」でどちらが「泥」なのかは、よくわかりません。調べないこと、考えないこと、これも「考察」であると思っています(…)

蜩や誰も笑つてはいない」(田中泥炭)これが人間関係の真実です。笑っているように見えても、誰も笑ってなどいないのです。故に、他人を欺くのには「笑い」ほど便利なものはありません。蜩など好きなだけ鳴かせておけばいいのだと思います。

709号、髙鸞石さんが「落選展」の松尾和希さん(2013年生まれ、小学一年生)の作品の感想を書いて下さっています……と見せて、文末のリンクに、「落選展」についての評言が隠されている。どうしてそういう構成にされたのか。おそらく「グロ注意」ということなんでしょう。

710号「中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜」は、ヤードバーズ「Train Kept A Rollin'」。日本語ロックの「レモンティ」の元ネタとして知られるこの曲、じつは、さらにいくつもの元ネタがあって、という話を紹介。

711号、 の「句集を読む」から、鴇田智哉『エレメンツ』評を。

句集をひとつの作品として編むのが当たり前になってきているのだろう。だから一句との出会いの悦びを味わうのとは違う。迷路に入り込むように頁を繰っていくことになる(…)句集全体を通して頻出しているように感じたのが団地と電柱なのだけれど、実際にはそんなに多いわけではない。現在と過去を二重写しにする存在として印象に残ったのだ。《うすばかげろう罅割れてゐる団地》《凍る地を踏みしだき団地をのぼる》《眩しくてこはい団地のハナミズキ》。これらの団地はときに賑やかで、ときに廃墟だ。(小林苑を「現在と過去を二重写しにする存在」

712号、「週俳11月の俳句を読む」から。

大塚凱「或る」10句について)これらの句は、作者が言い方を実に楽しんでいるのがよくわかる。言い方のためにできている句と言っても過言でない。実だとしても、虚と変らない。私はこれらの句を面白く読むが、十年後には作者自身がこういう狙いの見えた言い回しに飽きているのではないだろうか。(堀田季何「三者三様」

鯛焼や晴れただけでは見えない島」(大塚凱)島は、存在していないのかも知れません。晴れてさえすれば見えるというものでもありません。見るためには、自分自身が変ることが必要なのです。鯛焼は、鯛ではありません。口中でひろがる甘さが、見えない島を、よりいっそう見えなくしているのかも知れません。(瀬戸正洋「その月の感想」


【2020年週俳のオススメ記事 7-9月】特別な夏 西原天気

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【2020年週俳のオススメ記事 7-9月】
特別な夏


太田うさぎ「息災」10句は第691号、橋本直「不自然」10句は第692号の掲載。6月に句集を上梓されたばかり(大田うさぎ『また明日』/橋本直『符籙』のお二人です。第692号には安田中彦《佐々木マキ・攝津幸彦・飯島晴子も。

第693号の音楽千夜一夜は弘田三枝子追悼。このところ昭和のスターが相次いで鬼籍に入るような気がします(なお、記事内の動画リンクが切れています。YouTubeには起こりがち。シリーズ音楽千夜一夜の宿命です。

第694号には平山雄一《精神の自由律 北大路翼『見えない傷』。句集評の掲載には今後も力を入れていきたい所存。同号は【俳句を読む】も充実。7氏(常原拓、桐木知実、小林すみれ、谷口慎也、羽田野令、石原ユキオ、瀬戸正洋)の句評が並びました。

第695号に竹岡一郎《樹の灰、名の灰 斎藤秀雄を読む》、第696号には安田中彦《大西泰世の句》と、作家論が相次いだのが8月後半。

第697号に神保と志ゆき《「ありにけり」再考》。堀切克洋「〈ありにけり〉をめぐる攻防 ―文語と口語のアマルガム」への興味深い対論です。

第698号から第699号にわたって柳俳合同誌上句会(結果はこちら)。

第698号には西原天気が句集評を2本。第699号には、竹岡一郎《ありあまる椅子 安里琉太『式日』を読む》小林苑を《待っているらしい 生駒大祐『水界園丁』の一句》西原天気《バナナとか雨とか 橋本直『符籙』の二句》と句集評が3本。

第700号記念号には、山口優夢、村越敦、生駒大祐(当番OB)3氏から記事をいただきました。同号には、小林苑を《ほっこり 広瀬ちえみ『雨曜日』の一句》。小林苑を氏の句集は、その後も、《東京女の心意気 太田うさぎ『また明日』の一句》(第701号)など。

なお、ここまで触れなかった10句作品を以下に列挙しておきます。

村上瑛 森に 10句(第690号)
堀田季何 生えてゐる 10句(第693号)
相馬京菜 すいかのす 10句698号)
淺津大雅 卵 10句701号)

【2020年週俳のオススメ記事 4-6月】春なのに 村田 篠

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【2020年週俳のオススメ記事 4-6月】
春なのに

村田 篠

4月と言えば、7日に七都道府県に緊急事態宣言が出て、16日にそれが全国に拡大された頃でした。それは5月の末に解除されて、6月は外出自粛が少し緩んだ時期ですが、世間もニュースも変わらずコロナ一色でした(今もそれは続いていますが)。

この時期は、まず第688号第689号の「崎原風子読書会」が労作でした。アルゼンチン移民の俳人・崎原風子の俳句を鑑賞するという試みです。風土も生活も日本とは異なるラテンアメリカでつくられる俳句の言葉や、沖縄出身の風子の俳句の背景として、アルゼンチンと同等に沖縄を読む鑑賞など、「俳句と風土」について考える機会になる、骨太で興味深い特集でした。

〈天皇の白髪にこそ夏の月〉という宇多喜代子さんの句を論じた第682号の安田中彦さんの記事「天皇の白髪」も印象に残っています。いくつかのほかの方々の読みを紹介しながら、ご自分の読みを展開されていますが、「天皇」をどう読むかで鑑賞が大きく変わることを述べられています。一句をどう読むかはもちろん読者の自由ですが、この句はそこを迂回して読むことはできないし、「天皇」という言葉に対するスタンスを示すことなく鑑賞することはできない、という意味で、とても考えさせられる俳論でした。

そしてこの時期、西村麒麟さんの「僕の愛する俳人」シリーズが3月末から始まりました。「俳論と言うよりは、俳人や俳句そのものが主人公であるように鑑賞より紹介を目的に書き進めるつもりです。一句でも多く、その魅力を紹介出来れば幸いです」というスタンスで、読みやすく、親しみやすく書かれています。第675号から第678号まで4回連続で掲載されて、そこで中断していますが、ぜひ再開して欲しいと思います。

小誌の上田信治「2019 落選展を読む」もこの時期です(第676号第678号第679号第684号)。信治さんはわけあって小誌のプラットフォームにログインできなくなり(詳細は、めでたく復帰が叶った第712号の「後記」をご覧下さい)、記事での登場も回数が減っていましたので、今年出会える貴重な記事になっています。

この期間に10句作品を寄せて下さったのは、第679号に安里琉太さん、第685号に安田中彦さん、樋野菜々子さん、第686号に千野千佳さんでした。アンソロジーでもご覧になれますが、10句作品として再度お楽しみいただければ、と思います。俳句作品は少なめでしたが、「句集を読む」はほぼ毎号掲載されています。

この3ヶ月は、ウイルス対策とはいえ、国全体が一斉に外出自粛を強いられるという大変な時期でした。この頃のようすを窺うのに案外参考になるのは「後記」を読むことではないかと思います。さらに年月を経ると、世の中はこんなふうだったのか、こんなことを考えていたのか、と振り返るのに、多少は役に立つものになるかもしれないと思います。改めて読み返してみると、信治さんの「後記」も読みたかったなあ、と少し残念ではありますが。


【2020年週俳のオススメ記事 1-3月】 振り返るのが怖い 岡田由季

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 【2020年週俳のオススメ記事 1-3月】
振り返るのが怖い

岡田由季

2020年の週刊俳句は第663号よりスタート。恒例の新年詠特集(143名参加)となりました。

年初の頃を振り返ると、たった一年弱前のことであるのに、世の中の状況が今とずいぶん違っていたように思えます。新年詠は2021年も募集いたしますが、常とは異なる一年を過ごした後、どのような作品が集まるのでしょうか。時代を反映したものになるのか、案外変わらないものなのか、興味深いです。

俳人中尾寿美子は一九一四年生まれ。一九八九年に亡くなるまでに、『天沼』『狩立』『草の花』『舞童台』『老虎灘』『新座』という六冊の句集を残した。(中略)句集『舞童台』は一九八一年刊。秋元不死男「氷海」、鷹羽狩行「狩」同人であった彼女が永田耕衣「琴座」へ転じた直後の句集である。

物故俳人は、結社などを持っていなかった場合、読み継がれることが難しいかもしれません。中尾寿美子の句集は現在入手が難しいかもしれませんが、文中に多くの句が引用されていますので、作品世界を知る手がかりになっていると思います。


第672号は生駒大祐さんと藤田哲史さんの第一句集W出版記念。『水界園丁』『楡の茂る頃とその前後』どちらも今年たいへん話題になった個性的な句集です。お二人の競詠と短文、「句集を読む」が掲載されています。
 

連載継続している「空へゆく階段」。第669号の№24 <書評 山の人生 前登志夫『吉野日記』>では、俳句の範囲を越え、文章というものへの裕明の対峙の仕方に触れることができます。

文章がたいへんな速度でものの本質にせまると言ってもよいがそれは文章自身がすぐれてリトリカルであるからにちがいない。
 
 
『汗の果実』も今年話題に多く上がった句集です。後篇のてふこさんへのインタビューは4月に続きます。
 
また同号より西村麒麟【僕の愛する俳人】の連載がスタート。西村麒麟さんは俳句について書かれるとき、対象に対する愛を公言してはばからないのが素晴らしいです。
 
 
他にもこの期間、以下の俳句作品をお寄せいただきました。週俳当番として、作り手との新たな出会いをいつも模索しています。
 








週刊俳句 第714号 2020年12月27日

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 第714号

2020年12月27日
 


2021年 新年詠 大募集 ≫見る


〔2020年週俳のオススメ記事
1月~3月 振り返るのが怖い……岡田由季 ≫読む
4月~6月 春なのに……村田 篠 ≫読む
7月~9月 特別な夏……西原天気 ≫読む
10月~12月 今年もありがとうございました……上田信治 ≫読む

週刊俳句2020年アンソロジー3434
……福田若之・謹撰 ≫読む
 
中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
トッド・ラングレン「グッド・バイブレーション」 ≫読む

〔今週号の表紙〕きんつば西原天気  ≫読む

第五回 「円錐」新鋭作品賞・作品募集 ≫見る

後記+執筆者プロフィール……岡田由季 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編子規に学ぶ俳句365日のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール715

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 後記 ◆ 上田信治

 

あけまして、おめでとうございます。

恒例の「新年詠」をお送りします。

小誌の「新年詠」は、ほんとうに年が明けてから、御投句いただくことになっているのですが、今年は、いきなり3日が日曜日なので、 来週もパート2をお送りいたします(御投句お待ちしております)。

>> 新年詠募集


今年もよろしくお願いいたします。

なかなか、お目にかかれない日々が続きますが、出来ますれば、いつか晴れた日にでも、そのへんでひょっくりお会いできるといいですね。

それではまた次の日曜日に(こちらで)お会いしましょう。

 

no.715/2021-1-3 profile

 

■大島雄作 おおしま・ゆうさく
1952年、香川県生まれ、大阪府豊中市在住。1982年「沖」に入会、能村登四郎、林翔に師事。2007年「沖」を退会し、季刊誌「青垣」を創刊、代表を務める。第9回俳句研究賞を受賞。句集に『鮎苗』『春風』『一滴』など。

■中内火星 なかうち・かせい  
 瓏玲、垂人、豆の木、現代俳句協会、ロマネコンティ、渋谷区シルバー人材センター(笑)に所属。

■熊谷尚 くまがい・たかし  
 1968年生まれ 秋田県秋田市 小学校教員 「香雨」同人
    
■マイマイ まいまい   
1966年生まれ。句集に『翼竜系統樹』(2013)、『宇宙開闢(ビッグバン)以降』(2016)

■岡田一実 おかだ・かずみ    1976年生まれ。第3回芝不器男俳句新人賞にて城戸朱理奨励賞。第32回現代俳句新人賞。第11回小野市詩歌文学賞。「らん」同人。句集に『境界ーborderー』(2014)、『新装丁版 小鳥』(2015)、『記憶における沼とその他の在処』(2018)

■大井恒行 おおい・つねゆき   
1948年、山口県生まれ。「豈」同人。句集に『風の銀漢』他。

■トオイダイスケ   
1982年栃木県佐野市生れ。

■赤野四羽 あかの・よつば   
1977年生まれ。句集「夜蟻」など。

■市川綿帽子 いちかわ・わたぼうし
1976年、神奈川県生まれ。「楽園」会員。俳人協会会員。市川恵子として詩も書いています。keiko-ichikawa-poetry.com

■KEN
屍派

■曾根毅 そね・つよし   
「LOTUS」同人。現代俳句協会会員。句集『花修』(深夜叢書社)

■杉田菜穗 すぎた・なほ   
1980年生まれ。「運河」無監査同人、俳人協会会員。句集に『夏帽子』『砂の輝き』。

■宇井十間   うい・とげん 

■木野俊子 きの・しゅんし  
 2005年から、俳句人。「樹氷」

■中山奈々 なかやま・なな   
1986年大阪生まれ。「百鳥」同人、「淡竹」「奎」所属。ドライヤーがあってはじめて効果を発揮するシャンプーを使っているが、我が家にはドライヤーがない。

■竹岡一郎 たけおか・いちろう   
昭和38年生れ。鷹月光集同人。

■九堂夜想 くどう・やそう
1970年生まれ。「LOTUS」編集人。句集『アラベスク』(六花書林、2019年)。

■飯田冬眞 いいだ・とうま   
1966年札幌市生まれ。「豈」同人、「未来図」後継誌「磁石」編集長。俳人協会会員。句集『時効』(ふらんす堂)

■篠崎央子 しのざき・ひさこ    1975年生れ。「磁石」(「未来図」後継誌)編集員。共著『超新撰21』(2010年)。第1句集『火の貌』(2020年)。

■杉原祐之    すぎはら・ゆうし
昭和五十四年東京都生まれ。「山茶花」飛天集同人、「夏潮」運営委員。第12回「黒潮賞」を受賞。句集『先つぽへ』。

■及川真梨子 おいかわ・まりこ   
1990年、岩手県生まれ。「小熊座」同人。「むじな」メンバー。

■笠井亞子 かさい・あこ   
「麦の会」会員。「塵風」同人。現代俳句協会会員。西原天気と『はがきハイク』を不定期刊行。

■竹内宗一郎 たけうち・そういちろう   
1959年鳥取県生まれ。「天為」同人。「街」同人・編集長。俳人協会会員。

■芳野ヒロユキ よしの・ひろゆき   
1964年生まれ。静岡県磐田市在住。「猫街」同人。句集に『ペンギンと桜』(2016年・南方社)。

■小西瞬夏 こにし・しゅんか   
1962年生まれ。岡山県在住。「海原」同人。現代俳句協会会員。句集『めくる』『一対』合同句集『はるのさかな』。

■桂凜火 かつら・りんか   
2008年「海程」入会。2015年 第50回「海程」新人賞受賞。2018年「海程」終刊。現在「海程」後続誌「海原」同人。現代俳句協会会員。2020年9月 句集「瑠璃蜥蜴」ふらんす堂より出版。

■ハードエッジ    内国産、twitter専業俳人:https://twitter.com/hard_edge 葉書俳句量産:bit.ly/331Byqc オマケ句:輪の中に獅子の咆哮初映画

■中村想吉 なかむら・そうきち    1959年、埼玉県生まれ。2017年より俳句をはじめる。「蒼海俳句会」会員。

■上野葉月 うえの・はつき   
暫定句会、豆の木、尻子玉句会。ブログ「葉月のスキズキ」https://93825277.at.webry.info/

■矢作十志夫    やはぎ・としお
1948年生まれ 「あだち野」代表

■鈴木茂雄 すずき・しげお   
1950年大阪生まれ。堺市在住。「きっこのハイヒール」「KoteKote-句-Love」所属。 ☆Blog 「ハイク・カプセル」https://twilog.org/haiku_capsule

■瀬戸正洋   せと・せいよう

■竹井紫乙 たけい・しおと   
1970年生。句集『菫橋』『白百合亭日常』『ひよこ』

■西生ゆかり さいしょう・ゆかり   
2016年、街未来区賞。2019年、第3回円錐新鋭作品賞白桃賞。同年、第3回新鋭俳句賞(俳人協会主催)準賞。  

■河本かおり かわもと・かおり   
1963年大阪府生まれ。「奎」同人。いつき組。

■柏柳明子 かしわやなぎ・あきこ   
1972年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」所属。第30回現代俳句新人賞。句集『柔き棘』(紅書房、2020)

■山田すずめ やまだ・すずめ   
大阪生まれ。「青垣」所属。文芸同人「カム」所属。

■遠藤由樹子 えんどう・ゆきこ   
1957年生れ。未来図を退会後、現在無所属。第61回角川俳句賞受賞。句集に『濾過』。

■山中西放 やまなか・せいほう  
 現:俳句人・大山崎むつみ・HP:きつねのしっぽ俳句あい・元渦・句集二集 京都生。

■五十嵐秀彦 いがらし・ひでひこ   
1956年生れ。札幌市在住。現代俳句協会理事、俳人協会会員、「藍生」会員、「雪華」同人。俳句集団【itak】代表。第23回(2003年度)現代俳句評論賞。

■宮﨑莉々香 みやざき・りりか   
1996年高知県生まれ。地味に俳句を続けています。

■広渡敬雄 ひろわたり・たかお   
1951年福岡県生まれ、「沖」蒼茫集同人、「塔の会」幹事、俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年角川俳句賞受賞。2017年千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より、「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。

■うにがわえりも   
1995年生まれ。東北若手俳人集『むじな』に参加。歌人としては、「かばん」「塔」に所属。2016年「好きな女の子ができて」(30句)第13回鬼貫青春俳句大賞。

■山口昭男 やまぐち・あきお 
昭和30年(1955年)4月22日・兵庫県生まれ  波多野爽波、田中裕明に師事 「秋草」創刊主宰  句集『書信』『讀本』『木簡』 第六十九回読売文学賞受賞

■琳譜   
無所属

■髙木小都 たかぎ・こと   
蒼海俳句会

■クズウジュンイチ    

■小田島渚 おだしま・なぎさ  
 銀漢、小熊座所属、仙臺俳句会(超結社句会)運営、第44回宮城県俳句賞

■小川楓子 おがわ・ふうこ   
1983年、神奈川県生まれ。「舞」所属。共著に『超新撰21』『俳コレ』『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』ほか。

■矢野玲奈  やの・れいな   
1975年生まれ。「玉藻」「天為」同人、「松の花」会員。句集『森を離れて』

■松尾和希 まつお・かずき   
2013年生まれ。神奈川県出身。無所属。句歴3年。小学一年生。

■齋藤朝比古 さいとう・あさひこ
1965年東京生れ。1993年より石寒太に師事。「炎環」同人。「豆の木」副代表。第21回(2006年度)俳句研究賞。

■瀬名杏香 せな・きょうか
1997年北海道生まれ。「椋」会員、石田郷子に師事。

■森羽久衣 もり・はくい
1967年石川県生まれ。「銀漢」同人。
    
■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年生まれ。田中裕明に師事。第20回俳句研究賞受賞。句集に『冬菫』『巣箱』『水瓶』(第68回滋賀文学祭文芸出版賞、第7回星野立子賞)『シリーズ自句自解Ⅱベスト100対中いずみ』。「静かな場所」代表、「秋草」会員。

■廣島佑亮 ひろしま・ゆうすけ   
1967年生まれ。岸本尚毅に師事。「あるまだⅡ」代表、「We」同人。東海地区現代俳句協会青年部長。

■小林かんな こばやし・かんな   
1990年より『天街』国武十六夜・野間口千賀に師事。2018年より『ユプシロン』に参加。現代俳句協会会員。

■高橋透水 たかはし・とうすい
1947年新潟生。東京都中野区在住。定年を機に本格的に俳句を学ぶ。現代俳句協会会員。

■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年生まれ。京阪神のあちこちの句会に出没していたのがコロナ以前。コロナ以降、京阪神はばらばら。少なくとも神戸在住の愚生にとって、淀川より東はとんと無縁になった。句集「のほほんと」。希望有れば、お送りします。アドレス yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。

■鈴木牛後 すずき・ぎゅうご
1961年北海道生まれ、北海道在住。俳句集団【itak】「藍生」「雪華」所属。   

■堀田季何 ほった・きか
「楽園」主宰

■岡村知昭 かむら・ともあき    1973年滋賀県生まれ。「豈」「狼」「蛮」所属。句集『然るべく』(草原詩社)、共著『俳コレ』(邑書林)。

■三島ゆかり みしま・ゆかり
不定期刊連句誌『みしみし』編集人。

■小池康生    こいけ・やすお
1956生まれ。大阪在住。 「奎」代表。「銀化」同人。句集「旧の渚」「奎星」

■柳本々々 やぎもと・もともと
第57回現代詩手帖賞。句集に『バームクーヘンでわたしは眠った』

■なむ烏鷺坊 なむ・うろぼう
月天・塵風・百句会所属。

■高梨章    たかなし・あきら
1947生 仮名句会参加

■Fよしと  えふよしと
札幌生まれ、2010年から俳句を始める雪華、イタック、中北海道現代俳句協会所属"

■西川火尖 にしかわ・かせん   
「炎環」「Qai」に所属。「子連れ句会」問合せ先。第11回北斗賞。第一句集出版準備中。

■津髙里永子    つだか・りえこ
「小熊座」同人

■玉田憲子 たまだ・のりこ   
1948年秋田県生まれ。群馬県在住。「街」同人。句集『chalaza』(カラザ)。

■細村星一郎   ほそむら・せいいちろう   
2000年生。「奎」同人、「慶應俳句会」代表。

■雪我狂流    ゆきが・ふる
1948年生まれ

■箱森裕美 はこもり・ひろみ
栃木市生まれ。「炎環」、「紫」、詩歌句同人Qai〈クヮイ〉所属。

■小野裕三 おの・ゆうぞう
「海原」「豆の木」所属。

■川合大祐 かわい・だいすけ
1974年長野県生まれ。川柳作家。句集『スロー・リバー』。

■紀本直美 きもと・なおみ
句集『さくさくさくらミルフィーユ』『八月の終電』(創風社出版)。紀本直美の俳句ブログ。Twitter:@kimotonaomi

■藤崎幸恵 ふじさき・さちえ
神戸市生れ。「街」同人。

■青木ともじ あおき・ともじ
1994年生。「群青」所属。

■石原ユキオ いしはら・ゆきお
王谷晶『ババヤガの夜』に痺れてぶっ倒れたまま寝正月をキメています。ブログ「石原ユキオ商店」 https://d-mc.ne.jp/blog/575/ ツイッター https://twitter.com/yukioi/

■荻原裕幸 おぎはら・ひろゆき
1962年名古屋市生れ。名古屋市在住。歌人。東桜歌会主宰。同人誌「短歌ホリック」発行人。第六歌集『リリカル・アンドロイド』(2020年書肆侃侃房)他。

■村上鞆彦 むらかみ・ともひこ
1979年、大分県宇佐市生まれ。「南風」主宰。句集『遅日の岸』。

■堀本裕樹    ほりもと・ゆうき
「蒼海」主宰

■吉川わる きっかわ・わる
1965年生まれ。都市同人。

■谷村行海 たにむら・ゆきみ
1995年生まれ。俳人協会会員。「街」「むじな」所属。2019年、第5回詩歌トライアスロン次点。2020年、街未来区賞受賞。

■月波与生 つきなみよじょう   
1961年生まれ 『川柳の話』発行人

■佐藤りえ さとう・りえ
1973年生まれ。「豈」同人。句集『景色』、歌集『フラジャイル』。

■倉田有希 くらた・ゆうき   
1963年生。「里」を経て現在は「鏡」同人、「写真とコトノハ展」代表。

■野間幸恵 のま・ゆきえ   
1951年大阪生まれ。柏原市在住。「TARÔ冠者」所属、「PICNIC」発行。

■菅原はなめ すがわら・はなめ   
1999年生まれ。「小熊座」所属。宮城県仙台市在住。

■田口茉於 たぐち・まお   
1973年生まれ。「若竹」同人、「風のサロン」会員。

■隠岐灌木 おき・かんぼく   
1948年生まれ。大阪在住。「きっこのハイヒールひよこ組所属」。

■楠本奇蹄 くすもと・きてい  
 2017年より「暫定句会」「豆の木」参加。

■山岸由佳 やまぎし・ゆか   
1977年生まれ。「炎環」「豆の木」。第33回現代俳句新人賞。

■衛藤夏子 えとう・なつこ
1965年生まれ、「船団」散在後、無所属。2017年「蜜柑の恋」(創風社出版)上梓。「坪内稔典100句」(創風社出版)、「朝ごはんと俳句365日」(人文書院)、「俳句の杜2019」(本阿弥書店)などに参加。

■略箪笥 りゃく・たんす
1996年生まれ。京都在住。

■生駒大祐 いこま・だいすけ   
1987年三重生まれ。無所属。イベントユニット「真空社」社員。受賞に第3回攝津幸彦記念賞、第5回芝不器男俳句新人賞、第11回田中裕明賞(『水界園丁』にて)等。句集に『水界園丁』(港の人, 2019)。

■いなだ豆乃助 いなだ・まめのすけ   
1976年大阪生まれ。「短歌人」及び「川柳 北田辺」会員。

■井上雪子 いのうえ・ゆきこ   
1957年、横浜市生まれ。2008年~2014年「山河」に所属、2012年~2016年「豆句集 みつまめ」に参加。

■久留島元    

■横井来季 よこい・らいき
2001年、愛知県生まれ。2017年より俳句を始める。「楽園」会員。「奎」同人。関西俳句会「ふらここ」所属。現代俳句協会会員。

■犬星星人 いぬぼし・せいじん
1987年生まれ。蒼海俳句会所属。

■野口る理 のぐち・るり
1986年生まれ。共著に『俳コレ』、『子規に学ぶ俳句365日』。句集に『しやりり』 (2013年12月)。

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
「炎環」「豆の木」所属。第0句集「祝日たちのために」

■福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第1句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第2句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。

■小野富美子 おの・ふみこ
76歳。麦同人。

■浅川芳直 あさかわ・よしなお
平成四年生まれ。「駒草」「むじな」。第8回俳句四季新人賞。
   
■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。ブログ「Belle Epoque」

■青島玄武   

〔今週号の表紙〕第715号 ミサゴ 岡田由季

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 〔今週号の表紙〕
第715号 ミサゴ

岡田由季
 

 

河口付近を飛んでいたミサゴ(鶚)です。川へダイブして魚を獲っていました。

少し前に、オオタカが鴨を狩っているところを見たのですが、なかなかに生々しかったです。それに比べてミサゴは、捕食の対象が魚なので、すこし心穏やかに見ていられます。

とは言え、魚も生き物ですし、私自身、鴨も美味しくいただくので、勝手な言い分なのですが・・・。





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週刊俳句 第715号 2021年1月3日

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 第715号

2021年1月3日

 

■2021年「週刊俳句」新年詠 (1)

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二〇二一年新年詠(1) (到着順)

年寄りの駆け出しとして年迎ふ   大島雄作

コロナ不要 不急の地球手毬つく  中内火星

初旅やあけぼのの富士むらさきに  熊谷

救護所の鏡に映る初景色      谷口智行

牛柄の余白に謹賀新年と      マイマイ

去年今年思ひながらに思ひ古る   岡田一実

杖上げて牛後の天にたたく音    大井恒行

malsaĝuloj のひとりの我を淑気は襲う トオイダイスケ

さいたさいた初鶯のあやまてり   赤野四羽

おほぞらや地球のいろは冬の青  市川綿帽子

星近し声をひそめて姫始       KAZU

コスプレの娘に草石蚕ひとつずつ  曾根

願ふこと祈ることあり去年今年   杉田菜穗

鷹赦されずして 罰とは名づけえぬもの 宇井十間

鯛焼や彼にも彼女にも未来     木野俊子

予選Bブロック嫁が君の推し    中山奈々

初茜地祇と英霊まづ照らす     竹岡一郎

太陽を舐め黒牛の大金糞      九堂夜想

牛の音のやさしきうねり初山河   飯田冬眞

あらたまの黒き牛より光り出す   篠崎央子

後輩の結婚を知る賀状かな     杉原祐之

初日出みな軽やかな風である   及川真梨子

おなますの人参分布よく晴れて   笠井亞子

ぐにやぐにやのなまはげが来る最後の家     竹内宗一郎

カニカマと水で凌いで新年も  芳野ヒロユキ

ダイヤモンドダストいけない子どもだつた 小西瞬夏

幸福の硬貨をもらう春初め     凛火

きらきらとフレア空飛ぶ宝船  ハードエッジ

歌舞伎めく指差呼称して初仕事   中村想吉

回文状の春ドローンの包囲     上野葉月

太箸や家族ごつこのはじまりぬ  矢作十志夫

こだましてコロナの裂目より初日  鈴木茂雄

門松や歩けば転ぶそれでも歩く   瀬戸正洋

隅から隅まで花びら餅包む     竹井紫乙

人間を連れて犬来るお正月    西生ゆかり

初春や夫の珈琲いと甘し     河本かおり

二日はや天辺ひらくオムライス   柏柳明子

初風呂の蛇口にびよんと吾の顔  山田すずめ

初明り古き洋画に舟を漕ぎ    遠藤由樹子

初詣ネアンデルタール人の陰少し  山中西放

影踏めば逃げゆく人の春著かな  五十嵐秀彦

犬吠えてゐて門松や隣んち    宮﨑莉々香

蓮根の穴も食うたと初笑ひ     広渡敬雄

淑気満つあかちゃんのはくミキハウス うにがわえりも

綱曳や湖の魚を甘く煮て      山口昭男

蘇民将来子孫家家門明の春       琳譜

白粉に目張り頬紅花小袖      髙木小都

無限初鳩松が枝を撓めしむ クズウジュンイチ

風に翼 未解読文字は水の底   小田島

スワン菊名の錆びた感じに初あかり 小川楓子

膝元の歌留多とられてしまひけり  矢野玲奈

正月のおいしいごはんたべたいな  松尾和希

年玉の袋に鍵を渡されし     齋藤朝比古

猫の鼻柱につきぬ年始め      瀬名杏香

良縁をもう願わない初詣     羽久衣

蒲団出ず声聞くのみに初雀     小川軽舟

波ぶつかる波の飛沫や大旦    対中いずみ

去年今年街に漂ひたる怒り     廣島佑亮

コーヒーに垂らす蜂蜜獅子頭   小林かんな

注連飾る性のシンボル付け替えて  髙橋透水

元日のルーティンロールケーキ切る 野口

我佇ちぬ初山河の出つぱりとして  鈴木牛後

初火事のあなたあなたの投票機   堀田季何

御降のこと天麩羅のこと告げり   岡村知昭

去年今年傾がせ東京タワー屹つ  三島ゆかり

初東雲タオルに深く顔沈め     小池康生

そこからでもいちがつのつきみえるのか  柳本々々

曖昧と模糊と仔猫の去年今年   なむ烏鷺坊

この水もあの水にゆく初明かり   高梨

初詣未来が少し有ればいい     Fよしと

初夢の鶏に蔓延する人語      西川火尖

酔ひ醒めにクラクラ日記読始   津髙里永子

真珠色の月の残れる大旦      玉田憲子

飴玉を駒に使つて絵双六     細村星一郎

左手は右手で洗うお正月      雪我狂流

新年のみづ遣る果樹に雑草に    箱森裕美

棒読みのような書き初め飾るかな  小野裕三

賢人と牛のかたちに切る時計    川合大祐

荒波を人魚になって去年今年    紀本直美

一枚目はいつも富士山初暦     藤崎幸恵

初詣ついでの猫を拝みけり    青木ともじ

読初めの指が四、五本とぶ話   石原ユキオ

亡父から賀状(料金不足)来る   荻原裕幸

正月の凧ひとつ鳴る渚かな     村上鞆彦

榧の木の五百歳なる淑気かな    堀本裕樹

足白き猫の鈴の音大旦       吉川わる

伊勢海老のくつたり逃げ恥最終回  谷村行海

愛欲に(自称)があって栗きんとん 月波与生

空押しの凹みめでたく読み初む   佐藤りえ

一身の肉を忘るる初湯かな     倉田有希

暗がりへやさしい牛の舌のこと   野間幸恵

口内に太き腕あり獅子頭     菅原はなめ

稜線にしまはれてゆく御元日    田口茉於

うずくまる心をほぐす初明り    隠岐灌木

淑気満つアンパンマンを焼くけむり 楠本奇蹄

みづおとの氷の向こう城の跡    山岸由佳

初晴れて夜勤明けての研修医    衛藤夏子

剃ってない眉間痒がらせる初日    略箪笥

双六の世にひらかなの降りにけり  生駒大祐

数の子の恨み恐ろし熱帯夜   いなだ豆乃助

去年今年たたかふひとの白き服   井上雪子

雑煮餅数年会っていない人     久留島元

火傷しつつ蜘蛛の糸啜るや初夢   横井来季

寛やかに寛やかに初日の出かな   犬星星人

初夢いまだに日々こんなにも日々  野口る理

肩幅のあり元日の夜の雲      中嶋憲武

天球に無数の航路宝船       福田若之

お煮染めに火を入れ直す二日かな 小野富美子

去年の雪ざつとこぼして神樹あり  浅川芳直

東京の空美しき初電車       内田創太

初明りしてクレーンの影静か    村田

舞初や大きな腹が立ち上がる    青島玄武

 
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