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後記+プロフィール658

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後記 ◆ 岡田由季

知り合いの現代アート作家から、不思議な展覧会の案内が届きました。

会場は京都の報恩寺。夜な夜な鳴いて秀吉を悩ませたという「鳴虎図」を蔵しているお寺です。四人の作家とひとつのグループによる合同展なのですが、なんと、彼らが制作したアート作品は何一つ置かれていない、「何も展示しない展覧会」とのことなのです。

「報恩寺の角度」と題された展覧会、実体としてあるのは、報恩寺そのものと、展覧会の趣旨の書かれたリーフレットのみ。展示物は報恩寺の様々な「角度」ということになるのでしょうが、リーフレットの文章によると、その角度とは、単に建物や庭園を色々な角度で見てください、といったシンプルなものではなく、信仰の場としての報恩寺の存在や、「鳴虎図」等の報恩寺の寺宝、さらには見ている人自身の存在をも巻き込んだ、時間空間の多義的な「角度」のようなのです。

ある意味、究極と言えるような展示内容に意表をつかれ、色々と考えさせられました。俳句も、何らかの角度を提示するものかもしれない、とも。


「報恩寺の角度」
 会期は12/8までだそうです。




それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.658/2019-12-1 profile

■小池純代 こいけ・すみよ
1955年生まれ。歌集『雅族』(1991年)、『苔桃の酒』(1994年)、『梅園』(2002年)。

■三宅桃子 みやけ・ももこ
2005年より作陶を始める。2013年より俳句を始める。作陶は「土やき研究会」で活動。俳句は、超結社「豆の木」を中心に作句。2016年、「陸」入会。


■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。 

■樋口亜茶子 ひぐち・あさこ 1965年生まれ。東京都在住。「街」会員。

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

岡田由季 おかだ・ゆき1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。2007年第一回週刊俳句賞受賞。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ 「道草俳句日記」


〔今週号の表紙〕第658号 東京港野鳥公園 樋口亜茶子

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〔今週号の表紙〕
第658号 東京港野鳥公園

樋口亜茶子


東京港野鳥公園、潮入りの池。観察小屋には幾つか望遠鏡が備え付けてあり自由に見ることが出来る。すぐ後ろから見る感覚。鳥の名前に詳しくなくとも、あっという間に時間が過ぎるのだ。

しばらくして、色とりどりのコンテナを向こうに見た時、何やら現実に引き戻された気がした。


週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 BOOKER T & THE MG'S「GREEN ONIONS」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
BOOKER T & THE MG'S「GREEN ONIONS」


天気●少し前にね、通販でギターを買ったんです。テレキャスター型。といっても元祖のフェンダー社製じゃなく。で、なにがすごいかって、税込み8,228円。そのへんのちょっとリッチな俳人さんの夕食代くらいで、ギター1本買えちゃう時代なんですね。

憲武●大変な時代になってます。

天気●値段が値段だからダメダメ品質でもしかたないと思ってたんですが、たいした不具合もなく、じゅうぶん使えそうです。ほんと、大変な時代です。でね、テレキャスターといえば、スティーヴ・クロッパーというのが私のイメージなので、ブッカーT&MG'sの代表曲「グリーン・オニオン」。


憲武●いつ聴いてもカッコいい曲ですね。

天気●たまたまですが、私が買ったのと同じ白一色のテレキャスターです。

憲武●良いお買い物でしたね。booker tって言えば、林美雄のパック・イン・ミュージックで、"time is tight"が使われてまして、それで知りました。高2の頃です。で、カッコいいなと思ってたら、そのうち吉田拓郎がbooker tをプロデューサーに迎えて、ロスのシャングリラスタジオで「シャングリラ」ってアルバムを出しましてね。the bandのガース・ハドソンも参加してました。で、booker tも来るっていうんで、その凱旋ライブを日本武道館で観ました。1980年の初夏でしたかね。
https://youtu.be/50xx1_CbJTI

天気●スティーヴ・クロッパー(1941年10月21日~)は、メンフィスのソウル・レーベル「スタックス・レコード」でキャリアを開始。スタジオミュージシャンとして、ソウル歌手の大御所のレコーディングに数多く参加した人。

憲武●ジョン・レノンとポール・マッカートニーがメンフィスでセッションをやろうとしたんですが、ブライアン・エプスタインが止めたらしいです。

天気●ああ、それはなんだか似合わない感じ。でも、聴いてみたかった感も。スティーヴ・クロッパーキャブ・キャロウェイのときにも話題に出た映画「ブルース・ブラザース」では、バックバンドの一員でもありました。

憲武●その後の「ブルース・ブラザーズ2000」にも出てました。

天気●この曲、リフの繰り返しが主成分。そんなに盛り上がるでもなく、いたってクール。ファンキーだけど、レコードで流しておくぶんにはBGM的でもあって、そこがいいんですよね。


(最終回まで、あと878夜)
(次回は年末年始スペシャルの予定)

【週俳10月の俳句を読む】水の気配 三宅桃子

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【週俳10月の俳句を読む】
水の気配

三宅桃子



もし、句会で「『水』に関する句」という席題がでたら、私は深く考えずに、「川」「海」「湖」「雨」などの名詞を使って、情景に水を「みえる」形で登場させて詠むだろう。

ところが、青本柚紀氏の「水の回遊記」は、タイトルを水としつつも、水を示す言葉はほとんど出てこない。

一読、雨の気配や潮の香りに近い作品と感じた。

見えないけど、湿り気を帯びた空気が鼻先まで迫ってくる。

目にみえない、でも確かにそこに存在している気配というものは、心象的により一層、その存在を強調するようだ。

浮舟よ口に棗の緋を交はし  青本柚紀

この句で交わされているのは、唇と棗の「緋」であろうか。「移し」や「映し」といった一方的な言い回しを用いない点に、作者の工夫がある。

唇と棗が緋を双方向に「交換」しているのだ。交換には終わりがない。

この句には、半永久的に続く川のせせらぎをのような雰囲気がある。

仮枕手を流れ出て色は葛  同

この句において、「何が」手を流れ出たのかは語られていない。流れ出たものの色のみが語られ、それはそっと葛となり漂着する。「葛の色」ではなく、「色は葛」とすることで、因果関係の構造からうまく逃れている。

仮寝を意味する仮枕が効いている。

くだる身のあなたを波になる菊が  同

「くだる身のあなた/波になる菊」の、2つの景の対比が美しい。一輪の菊が流れていくのか、菊が波のようにそよいでいるのかはわからないが。

ここでも水は詠まれていない。

秋蛍食べては砂の弧をうつし  同

秋蛍のすぐあとに「食べる」と続き、瞬間の野性味にドキリとする。意味をとろうとすると難解であるが、言葉のひびきが耳に心地よい。

藻に代へてとどまる鮎を藤の香  同

藻→鮎という意味でとるなら、「代えて」という言い回しが少し苦しい気もするが、響きは気持ちよい。

藤の香が高貴な雰囲気を漂わせている。

明け暮れの散らかる川を骨は葉に  同

ようやく「川」という単語が出てきたと思ったら、そこには明け暮れが散らかっているんだという。

実在の川というよりは、三途の川のような趣がある。

萩は目に奥をひづめの澄みながら  同

ひづめの音に水の透明度をみた句である。

萩は目に/奥をひづめの澄みながらと、切って鑑賞した。

目「の」奥「に」でない点に、不思議さがある。

また、奥「に」ではなく、奥「を」であることに注目したい。

この助詞の用法は本作品で頻出しているため、作者は意図して使っているのだろう。

奥「に」ひづめの澄みながらとした場合、どこかしらに場所が限定され、本作品の根を持たない、波紋のような広がりが、若干失われるように思う。

場所や方向を断定する言葉を避け、作品の浮遊感を保とうとする、作者の意図が感じられる。

わたくしを傾け壺に棲む獏は  同

たとえば「壺を傾けわたくしに棲む獏は」とすれば、少し意味が通るように感じるところを、あえて言葉をシャッフルして難解にしたような趣がある。

いろは坂昏くてとどく雁の呼気  同

暮れの頃のなだらかな(ねむい)坂道と、雁のはばたきと、夜に向かって穏やかであろう呼気との波長の重なりが心地よい。

まばたきをうすももいろの鵙の木々  同

ここでも、まばたき「は」とすると、「まばたき」と、「うすももいろの鵙の木々」がイコールになり、ややピントが合った句になる。本作品において、それは作者の意図するところではないのだろう。ここでも「を」の使用。さすがに多すぎる気もしてくるが、作者の決意のようなものも伝わる。また、「まなうら」でなく、敢えて動作を示す「まばたき」とした点に挑戦をみた。

中間に配置された「うすももいろ」が、まばたきという肉体動作と、猛禽である鵙のイメージとをつないでいる。

見えてゐる痣に芒がかかり笑む  同

ここでも誰が笑むのかは明かされておらず、主体がはっきりしないが、見えている痣に芒が触るといったセンシティブさにドキリとする。

満ちて野の花さいごの水の輪を鳥が  同

ようやくここで「水」が出てきた。これまで浮遊した感じが続いて、はっと目が覚めたような感覚に。暖房の効いた部屋から、寒い屋外に出たみたいに。内容も平易でわかりやすい。

ここは月の間千の夜がどしや降りで来る  同

どしゃ降りで来るのは、あくまで「夜」、「千の夜」。月の光がどしゃ降り。どれほどの月光を浴びているのか。

終盤にきて、ここまで劇的であると痛快。破調も効いている。

木犀をはなれて舟の野に覚める  同

今まで夢を見ていたかのようなラストである。これまで夢の中で川くだりをしていたような気持ちになった。

本作品は、句を一つ取ってみれば、因果関係や主体が周到にぼかされ、ややピントが合わない印象を受けるが、作品全体としては、序盤から終盤にかけて起承転結があり、ところどころに緩急がつけられている。その流れにのって繰り返し読むうち、自分が回遊魚になったような快感がわいた。

作者の意図するところであるかはわからないが、こうした構成は、作品全体を水面に浮かぶ一艘の舟のように仕立てることに成功している。


田中惣一郎 はつ恋考 10句 ≫読む
島田牙城  10句 ≫読む
651号 20191013
青本瑞季 ありえない音楽が聞こえる 15句 ≫読む
青本柚紀 水の回遊記 15句 ≫読む

【七七七五の話】第6回 思い切る瀬と切らぬ瀬 小池純代

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【七七七五の話】
第6回 思い切る瀬と切らぬ瀬

小池純代



「どどいつ」という呼称についてもうひとつ。都々一坊扇歌の「都々一」はどこから来たのか、という話である。扇歌より以前に「そいつはどいつだ どどいつどいどい」という囃子文句があって「どどいつ」はそこから生まれた名称なのだそうだ。

お囃子というのだから話は音曲の分野に及んでゆく。和楽器の女王、三味線と手を携えた都々逸は音声の文芸へと歩を進める。道をはずしたのではなく「うた」の王道に戻ったのだ。
「そいつはどいつだ」は尾張の遊里で遊女を買う「そいつ」は「どいつ」だという歌意がそもそもらしい。卑俗な出自は裏返せば即、洗練の極みとなる。たとえば本條秀太郎『三味線語り』に神戸節の紹介がある。
そいつはどいつだどどいつどいどい浮世はサクサク  神戸伝馬町に二瀬がござる 思い切る瀬と切らぬ瀬と そいつはどいつだどどいつどいどい浮世はサクサク
「神戸」は名古屋の地名で「ごうど」と読む。付録のCDで聴いてみるとおそろしく淡い。淡いが勁い。恋情をうたっておよそ甘さがない。

八音三句のお囃子のクッションに挟まれた二十六音の機知の詩句。言わばご当地ソングだが、川のある町だったら名前を差し替えてどこの唄にもなる。なにさまでもなにものでもない。しかし、なにものにもなる。こういったフレキシブルなふところの深さ、変化に対するカジュアルな腰の軽さは、都々逸の特質のひとつだろう。

「思い切る瀬と切らぬ瀬と」は切るか切らぬか白黒つけたいわけではなく、思いの川にあるさまざまな瀬から二つの瀬を掬ってみたというに過ぎない。切る瀬と切らぬ瀬の逢瀬の発生だって考えられる。
白だ黒だとけんかはおよし白という字も墨で書く
あきらめましたよどうあきらめたあきらめきれぬとあきらめた
まるで自問自答する禅問答のようだ。のほほんとした小理屈に救われる思いがする。

都々逸には「冠付け」という形式がある。二十六音の頭に五音を載っける。合計三十一音になるが短歌とは違う。「あんこ入り」というものもあって、これは「上七中七」と「下七座五」の間に漢詩の一節を入れる。お腹を割ると漢詩のあんこが出てくるという次第。

この変幻自在ぶりは宴席や高座といった空間と空気がもたらしたものかもしれない。虚無に満ち、その奥に諦観が漲り、底ではすべての種類の笑いが波立つ。声をあげていくらでも笑っていていい場所。ほぼ極楽ではあるまいか。そこから眺める浮世の音はサクサク。
世間はちろりに過ぐる  ちろりちろり
世間は霰よなう  笹の葉の上(え)のさらさらさっと  降るよなう
「世間」は「よのなか」と読む。どちらも『閑吟集』の小歌。ちろりちろり、さらさらさっと、サクサク。この世はなんと可憐にして爽やかな音を立てているのだろう。

週刊俳句 第658号 2019年12月1日

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658
2019121



第四回 「円錐」新鋭作品賞・作品募集のお知らせ



【七七七五の話】
6 思い切る瀬と切らぬ瀬 ……小池純代 ≫読む

【週俳10月の俳句を読む】
水の気配 三宅桃子 ≫読む


中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
BOOKER T & THE MG'S「GREEN ONIONS ≫読む

〔今週号の表紙〕第658号 東京港野鳥公園……樋口亜茶子
 ≫読む

現俳協青年部第163回勉強会@東京
 「柿本多映俳句集成を読む」(12/7)≫見る

後記+執筆者プロフィール……岡田由季 ≫読む


 

後記+プロフィール659

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後記 ◆ 西原天気

under construction


それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.659/2019-12-8 profile

■井口可奈 いぐち・かな
1988年北海道生まれ。zine「たぶんサワークリーム」(俳句と短歌と小説と一言)「ねむるまえにかたまれ」(小説とイラスト)など。第一回円錐新鋭作品賞うずまき賞。
(俳句甲子園を機に作句を開始。大学進学後は俳句から離れるが、就職、退職を経てふたたびつくりはじめるようになった)

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。 

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

〔今週号の表紙〕第659号 コンビナート 西原天気

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〔今週号の表紙〕
第659号 コンビナート

西原天気


コンビナートがロシア語由来であることは今回初めて知りました。多くは石油コンビナートを指すようですが、海岸の一風景として、水平に広がるそれが、石油関連なのか何関連なのかはわかりません。


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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 ビートルズ「レイン」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
ビートルズ「レイン」

憲武●12月の声を聞き、時節柄といいますか、今週と来週に渡って僕と天気さんで、ビートルズを一曲ずつ推薦することになりました。というわけで、雨が降ると、この曲を思い出します。ザ・ビートルズで「レイン」。


憲武●ビートルズ公式曲全213曲の中から一曲選ぶのは、かなり厳しかったです。あれもこれも、それもいいので。

天気●むずかしいですよね。

憲武●ビートルズはアルバム発表ごとに、それに先立ってシングル盤を発表してたんですけど、この「レイン」は、「ペイパーバック・ライターのB面だったんです。こんな傑作がB面ですよ!

天気●B面で来ましたか。意外と言えば意外です、「レイン」は。

憲武●リンゴ・スターの印象的なスネアの五連打から始まるこの曲の歌詞は、

雨が降ってくると/人は走り頭を覆う/死んでしまったのと/おんなじだ/雨が降ってくると/雨が降ってくると

陽が照ってくると/人は陽影にすべりこむ/そしてレモネードを/すするのだ/陽が照ってくると/陽が照ってくると

雨/ぼくは平気/陽が照る/素敵な天気

雨が降って来ても/すべてはおなじ

教えてあげよう/教えてあげよう

雨/ぼくは平気/陽の照る/素敵な天気

ぼくが言っているのが聞こえるかい/降ろうと照ろうと/心のありかたが/かわるだけだよ/聞こえるかい/聞こえるかい
(ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、片岡義男訳「ビートルズ詩集2  角川文庫より)

雨でも晴れでも態度の問題だ、と言っているんです。

天気●カム・レイン・オア・カム・シャイン、ですね。

憲武●そうです。この曲は、テープの逆回転を始めて取り入れたということで有名ですが、そういう革新性とポップな感覚のバランスがいいんじゃないかと。時期的にはアルバム「リヴォルヴァー」の頃です。

天気●「ラバーソウル」から大きく変わった時期ですよね。実験的な要素がぐんと増えた。それと、コンサート活動を終わりにするとかね。

憲武●スタジオに籠もり出した時期ですね。ビートルズはこの年(1966年)のサンフランシスコのキャンドルスティック・パークでの公演を最後に、コンサート活動を辞めています。この曲聴いてると、だんだん呪文でもかけられているみたいな感じになります。ジョージ・ハリスンのギターのフレーズはインドっぽいし。

天気●60年代後半、ヒッピー・ムーヴメントとインドが結びついた時代でもありました。

憲武●リンゴ・スターのドラムは大活躍です。これ聴いてると、リンゴ・スターのドラミングは目まぐるしく展開して、この曲を決定づけているようですね。

天気●メロディー楽器が大きくうねるようで、そこに、このドラム。スネアの連打が印象的ですが、いま聞くと、繊細ですね。もっとバタバタしたルーズな音を記憶してた。

憲武●ちょっとテクノっぽいところもありますかね。

天気●んんん、それはよくわからないですが、クールなドラミングですね。なんとなく。

憲武●ビートルズっぽいといえば、ビートルズっぽい曲だと思います。「ラバー・ソウル」「リヴォルヴァー」の頃が、一番ビートルズっぽいビートルズだったような気がしてます。

天気●人によって、ファンによって、そのへんは違ってきそうですね。

憲武●やっぱりこの曲でも、ジョン・レノンの歌唱が、歌唱というより声ですね、魅力的です。歌は声がいのちということを再確認させられます。惜しい人を亡くしました。

天気●はい。今日12月8日が命日ですね。……えっ? どうしたんですか?

憲武●(やおら椅子の上に立ち上がって)ジョーーーンッ、どおして死んじまったんだよおーーーっ! 


(最終回まで、あと877夜)
(ビートルズ特集は次回につづく)

10句作品 井口可奈 好きだと決めたから愛します

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井口可奈 好きだと決めたから愛します

セーターの模様にはあらわれない情

つめたさにチューブ引き絞って余る

里神楽手懐けられてしまう犬

指をさす手前で逃げる冬の鳥

湯豆腐の豆腐揺らして遊びけり

実験のための明かりや冬景色

目覚めないコールドスリープ鯨来る

この人に見せる歯ならび十二月

きみならばできる葉牡丹押し広げる

冬霧やスワンボートに囲まれて

週刊俳句 第659号 2019年12月8日

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659
2019128



第四回 「円錐」新鋭作品賞・作品募集のお知らせ


井口可奈
 好きだと決めたから愛します 10句 ≫読む
…………………………………………

中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
ビートルズ「レイン ≫読む

〔今週号の表紙〕コンビナート……西原天気 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編子規に学ぶ俳句365日のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール660

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後記 ◆ 福田若之

先日、機会があって、近代の俳人たちの自筆の句をいくらかまとめて眺めることがあったのですが、なかでも、久保田万太郎の字は、やはり、とりわけゆかしいものに感じられます。ゆかしいというよりほかに、僕には、今のところ、いわくいいがたいのですが。

万太郎の書を眺めていると、僕は、よくわからないうちに、何だか不安な気分にさえなってくるのです。


それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.660/2019-12-15 profile

■松本てふこ まつもと・てふこ
昭和五十六年生まれ。
平成十六年「童子」入会、以降辻桃子に師事。
平成二十三年『俳コレ』に筑紫磐井選による百句入集。
平成三十年、第五回芝不器男俳句新人賞中村和弘奨励賞受賞。
令和元年、第一句集『汗の果実』(邑書林)刊行。「童子」同人。 

■若林哲哉 わかばやし・てつや
1998年生まれ。『南風』所属、『奎』同人、『WHAT』編集部、金沢大学俳句会代表。

■森舞華 もり・まいか
1998年生まれ。広島県出身。第1718回俳句甲子園出場。岡山大学俳句研究部代表。

■竹村美乃里 たけむら・みのり
1998年生。関西俳句会「ふらここ」所属。

■中矢温 なかや・のどか
1999年生まれ。愛媛県松山市出身。東大俳句会共同幹事。 

■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年生まれ。田中裕明に師事。第20回俳句研究賞受賞。「静かな場所」代表、「椋」会員。句集に『冬菫』『巣箱』『水瓶』。

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。 

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。2007年第一回週刊俳句賞受賞。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ 「道草俳句日記」

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第一句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第二句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

10句作品 松本てふこ 家族旅行

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松本てふこ 家族旅行

大雪を妻もくもくと荷造りす

十二月八日朝餉に味海苔が

保安検査場よろよろと着ぶくれて

子供にも旅荷ありけり石蕗の花

冬浜にゆるやかに散り一家かな

レノン忌や貝殻砂に埋めなほし

幼稚園バス冬紅葉横切りぬ

避寒地のガードレールやよく汚れ

旅に来てシャンプー安しシクラメン

冬帽の夫が佇む渚かな

〔今週号の表紙〕第660号 マガモ 岡田由季

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第660号 マガモ

岡田由季

秋に渡ってきた頃には、マガモのオスは地味な姿でしたが、今の時期は綺麗な生殖羽に変わり、メタリックな緑色の頭が目を引きます。

写真を撮ったところ、、たまたまオス・メス・オスの順になり、この三者の関係性は不明です。なんとなく真ん中のメスがコケティッシュな表情にも見え、気に入っています。



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第二回 全国学生俳句合宿レポート 若林哲哉・森舞華・竹村美乃里・中矢温

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第二回 全国学生俳句合宿レポート

若林哲哉・森舞華・竹村美乃里・中矢温


【はじめに】(文責:若林)
去る9月28日・29日、滋賀県彦根市にて、第2回全国学生俳句合宿が開催された。この合宿は、一昨年茨城県つくば市で行われた第1回を引き継いだものである。両日の講師に関悦史氏、2日目の講師に対中いずみ氏を招聘し、全国からのべ27名の参加者が集まった。なお、幹事は、関西学生俳句会「ふらここ」の竹村美乃里、東大俳句会の中矢温、岡山大学俳句研究会の森舞華、金沢大学俳句会の若林哲哉が務めた。


【集合~第一句会】(文責:若林)
集合場所は、彦根駅前。一人か二人くらい遅れてくる人が居るだろうと思って時間を早めに設定しておいたが、誰も遅刻しなかったため予定が狂い(?)、句会場の使用開始までかなり時間が出来てしまったため、そのまま駅前で自己紹介をすることとなった。

その後、駅から程近い句会場へ移動し、第一句会が始まった。

第一句会は、当季雑詠5句出し(事前投句)である。参加者は関氏を含めて28名、まだ顔と名前の一致しない人たちも居る中で、ゆったりと始まった。初めは皆、探り探り評をしている空気だったが、撰を入れた人はもちろん、入れていない人も意見を述べ、そのうち、司会が仕事をしなくても勝手に進行してゆきそうに思われた。一席は、
洗はれて皿さはがしき残暑かな  材木朱夏(広島大学)
二席に大きく差を付け、堂々の一席であった。撰評では、「〈皿〉に対して〈さはがしき〉という形容詞が新鮮」、「たくさんの〈皿〉ががちゃがちゃと音を立てるイメージと、〈残暑〉の鬱陶しさが良く響き合っている」、一方で、「〈て〉という接続助詞によって生まれる時間経過が却って違和感を生む」、「上五の受動態は実は生きていないのではないか」など、非常に充実した意見交換が為された。作者の材木さんには、第二句会の兼題の決定権を進呈。句会終了後は徒歩でホテルまで移動し、夕食までの一時間余りを、吟行したり、部屋で寝たり、ラグビーワールドカップの日本対アイルランド戦をテレビで観戦したりと思い思いに過ごした。


【第二句会】(文責:森)
夕食には地元の野菜や魚が並び、心ゆくまで食事や会話を楽しんだ。

夕食後、部屋を移動して第二句会が始まった。シャワーを済ませている人も多く、Tシャツや浴衣などラフな格好での句会となった。題は、第一句会で一席となった材木さんより季題「案山子」、関先生より字題「温」を出していただき、各題一句で計二句出しの持ち寄り句会となった。関先生曰く、字題は幹事の一人である中矢さんの名から取ったという。投句数が少ないため、三人ほどで一枚の清記用紙を担当する形になり、肩を寄せ合いながら清記や投句を行った。

一席は
水の秋皿は温サラダの重さ  もちか(お茶の水女子大学)
手に感じる皿の重さ、その上にのっている野菜の重さを瑞々しく表現している句で、その感覚に多くの人が共感した。”さ”の音の繰り返しも印象的だった。口に出してこの句の韻律を確認している人も多かった。

二席となった
宇宙人襲来案山子焼け残る  君嶋浩(早大俳句研究会)
の句には関先生も撰を入れていた。宇宙人が来て人類が襲われたとしても、案山子だけは静かに残っている。そんな景を想像するとすこし背筋がぞくっとする。何となく、秋の閑散とした里山の様子が思い起こされた。漢字が連なっている表記も不穏な空気感を伝えてくる。

夕食後ということもあり、緊張も解れた中での句会となった。解散後は、各々部屋で合宿の夜を楽しんでいたようだ。


【第三句会①】(文責:竹村)
二日目はよく晴れた彦根で吟行句会。めいめい琵琶湖や彦根城を訪れたのち、句会場へ移動。関先生・対中先生の二グループに分かれ句会を行った。

対中先生のグループでは、以下の二句が一席となった。
秋のヨット駝鳥の如くふくらめる  対中いずみ
流木を剥がせば秋の砂軽し  もちか(お茶の水女子大学)
〈秋のヨット〉は琵琶湖で見たあまたのヨットを思わせる一句。ヨットの帆が風に吹かれるようすを、だちょうの首から体にかけてのフォルムとして捉えた斬新な比喩に注目が集まった。ヨットは夏の季語だが、秋の湖の穏やかさを思わせる。

〈流木を〉は、ダイナミックな書きぶりと繊細な感覚の発見を併せ持つ句。「剥がせば」という語は流木を拾い上げる行為を捉えにくいのではないか、のように、あらわしたい内容に対する表現の適切さを問う議論があった。


【第三句会②・第四句会】(文責:中矢)
琵琶湖や彦根城、商店街などを午前中各自自由に吟行をした。私は初めて落鮎を見ることができ嬉しかった。琵琶湖は砂浜もあり、写真に撮るとほとんど海のように見えた。

関先生と12人の参加者で第三句会は始まった。

一席は
水うまき国に吊され柿あかし  平野皓太(早大俳句研究会)
軒先に吊るしたばかりのまだ赤い柿がある。水の名産の場所で育った柿はさぞ美味かろう。「吊し柿」という季語を分解してよいのかという意見も出た。

二席は
飛行機雲脊髄ひややかに無音  茜﨑楓歌(立教俳句会)
飛行機雲を見上げて伸びる背骨とその中の髄液。無音なのは脊髄であるが、近づけば轟音の飛行機も飛行機雲となれば無音である。

1日目の夜の第2句会で関先生が上五に「淡海」の入った句を出句された以降、淡海を多くの参加者が好んで使った第3句会であった。さてそんな淡海だが、印象的だったのは
生の時間秋の淡海まで来たり  関悦史
「淡海というと芭蕉の〈行く春を近江の人と惜しみける〉や森澄雄の〈秋の淡海かすみ誰にも便りせず〉などが思い浮かぶように、様々な人の「生の時間」が交錯した場所としての淡海(水が落ち合う場所でもあるし)に、また自分も訪れたんだ、ということを、戦後俳句の重たい文体で書いた句だ。(柳元佑太・早稲田俳句研究会)」同じ句を読んでいても蓄積の豊かさによって句の旨みにたどり着けないことの悔しさのようなものを個人的に感じた一句でもあった。

さて時間にかなり無理のある中、席題「敗荷」で1句出しの第四句会を行った。思ってもみない言葉で作ることができた。

関先生からは「短い短歌」にならないようどこかに緊張を持たせることなどご指南頂いた。参加者同士の評でも逆選の弁をしたこともあり、多くの学びがあった。


【終わりに】(文責:中矢)
この度は30名近い学生の皆さまにご参加頂きました。また、両先生方は残暑厳しい折に多くの御指南を頂き、誠に感謝しております。第3回は関東圏で開催予定です。(特に関東圏の学生の皆さまは参加者だけでなく主催者側としての関わりもご検討ください…笑)

皆さまありがとうございました。


中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 ビートルズ「サムシング」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
ビートルズ「サムシング」


天気●ビートルズで一番は何? という企画、今回は私です。



天気●「サムシング」です。アルバム『アビーロード』(1969年)のA面2曲目。

憲武●この曲、シングル盤では「カム・トゥゲザー」の片面なんですが、両A面扱いになってるんですね。ジョージの名曲中の名曲ですから、ジョンとポールも認めざるを得なかった、ということでしょうか。

天気●ジョージ・ハリソンの声、好きなんですね。甘くて。

憲武●はい。私も好きですね。実はビートルズの中で一番好きなのはジョージなんじゃないかなあと最近考えているんです。

天気●この曲、なんで大好きなのか、説明は難しいんですが、Aメロは、ジョージの声が生きる甘いメロディー。ちょっととろけるようなメロディー。で、サビは、ジョージなりに精一杯声を張った感じで、キュート。

憲武●サビはなんか泣けてくる感じですね。最近のポールのライブで、ウクレレを弾きながらポールが、ジョージを偲んで歌うんですけど、泣けますね。毎回。

天気●ほかに好きなとこ、あるかなあと、かなり考えたのですが、いい文言を思いつかない。曲名のとおり「何か」が私を惹きつけてやまない。歌詞も彼女の「何か」しかわからない。そんなものですね、音楽も恋も。説明できない何かに魅惑される。

憲武●説明できない何かって、重要ですね。

天気●ところで、1曲ずつ挙げた結果、ポールが出なかったですね。80歳近くになって、まだがんばってるのに。ここはひとつ気を使って、次回とその次、ポール・マッカートニーの1曲をやりましょうか。対象曲はビートルズ時代に限定して。

憲武●こりゃ大変だ。大変難しい選曲です。


(最終回まで、あと876夜)
(次回は中嶋憲武が推すポール・マッカートニーの1曲)

【句集を読む】紐について 辻美奈子『天空の鏡』の一句 西原天気

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【句集を読む】
紐について
辻美奈子天空の鏡』の一句

西原天気


季語とそれ以外の部分の関係については、膨大な説明と議論が存する模様。二物衝撃とか取り合わせとか十二音技法とか、まあ、あるわけですが、話を広げることはせず、例えば、実作に際しては、〈連想〉のような操作が作者のアタマの中で展開されることもないわけではないだろう。それが正当か適切か称揚されるかどうかは別にして。

蝌蚪生まれ行ったことなき紐育  辻美奈子

行ったことのない場所を詠む時点で、また、わざわざ漢字表記である時点で、言語遊戯(まったくもって悪い意味ではありません)と、読者は知らしめられるわけで、この創作的12音が作者に浮かんだのちは、季語を何にする? という話に、なにしろ俳句であるからには、なるわけです。

紐から蝌蚪へ。

あるいは連想の順序が逆、すなわち「蝌蚪の紐」という歳時記の一項目(一副題)から、ニューヨークへ。

ニューヨークとおたまじゃくしに、つながりはありません、言語的事象でのつながりを除いては。

紐がつないだ一生物と一都市というわけで、俳句を遊ぶ愉しさ、ことばを遊ぶ愉しさは、作者の、また読者の気持ちを軽くしてくれます。


辻美奈子句集『天空の鏡』2019年11月5日/コールサック社

空へゆく階段 №21 解題 対中いずみ

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空へゆく階段 №21 解題

対中いずみ


竹中宏(「翔臨」主宰)は、2冊の句集をもつ。1984年3月に刊行された『饕餮』と、2003年5月に刊行された『アナモルフォーズ』である。

第一句集と第二句集のあいだに約20年の歳月が流れ、第二句集以後すでに16年の歳月が流れている。第三句集はずいぶんと待たれているがなかなか上木されない。何度か第三句集を出して下さいとお願いしたが、あるとき、「タイトルが決まらないんですよ」と言われた。「タイトルなんて! 「アナモルフォーズⅡ」でもいいじゃないですか」と言ったらものすごく嫌そうな顔をされた。それから数年を経て「タイトルが決まりました」と教えてくれた。しかし、その後4、5年は経っている。20年に1冊とでも決めているのだろうか。決して寡作なわけではないが句集上木へのこの抑制ぶりは、現代俳句ではひじょうに希有な例といえよう。

ここでは第二句集『アナモルフォーズ』の句と自跋の最後の一文を掲げておこう。

  頭韻をいましめ竝ぶ目刺しの目

  夢に化(な)る蝶を黄とおもひ何以(なぜ)とおもふ

  色と光のあはひ微(かす)かに入る陽炎
「アナモルフォーズ」を僭稱してゐるのだから、その構造をなぞっておくなら、この句集において、雑然たる風景のなかからにじみ出るのは、明晰な圖柄ではなく、もうひとつの混沌なのだといはなくてはならない。どれほど現實を微分してもその背後にはりつく、正體のとらへがたい、むしろ、正體がないといふのが適切な、このもうひとつの混沌の時空にわたる奥ゆきは、不安の源泉であるけれども、同時に、地上のまなざしのまへに、現實をのりこえるためのいざなひでもある。

≫田中裕明 俳句探訪 竹中宏「饕餮」

【空へゆく階段】№21 俳句探訪 竹中宏「饕餮」 田中裕明

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【空へゆく階段】№21
俳句探訪 竹中宏「饕餮」

田中裕明

「青」1984年8月号掲載
【編註】タイトルのうち〈竹中宏「饕餮」〉部分は
今回の転載に際して加えた

始は忘じぬ終は見えこずと踊り子  竹中 宏

句集「饕餮」より。集名はたつてつと読む。その謂は中国古代の青銅器の文様として刻された怪獣と自跋にある。この石川淳ふうの自跋がたいへんにおもしろい。もちろんおもしろいとか楽しいとか言うのはこのような真率な文章に対して失礼にあたるのかもしれないが読者は楽しめばよいしそれならば書き手も楽しくないはずはない。さてその自跋の中で作者は師故中村草田男の世界を「俳句は、はじめに、生命のよみがへりともいふべき、芳烈な至福の体験とともにあったのであり、そのひとの生と表現とをともに繋ぎとめる錨、ともにささえる礎石が、その場所にすゑられた。その基礎構造は、きはめて堅固で安定したものであって、爾後半世紀にわたる草田男俳句の千変万化の発展過程をとほして、すこしもゆるがなかったといへる」と感じたのちひるがえって次のように言う。
うたふにあたひするなにものを、わたくしはもつものであらふ。かへって、それらをみいだすために、わたくしは俳句をつくりつづける。わたくしのうたが、うたふにあたひするものであるのかどうか、実際にうたつてみるまでは、わからない。うたつてみて、不分明の度ははほもまさらう。一句ののちに、さらに一句をもとめねばならぬなりゆきである。ここに、文学といひ、対して芸といふ。このばあひ、うたふにあたひするものといふ含意を腹中に呑んでゐずには、文学なる概念はなりたたず、他方、うたつてみるといふ実際の動作には、芸がまねかずとも来つて、まつはる。けだし、文学は、これを芸の渦中にするほかなきものか。しかも、啓示はどこからもきこえず、象徴の構造はほぼ荒廃に帰した。(後略)
散文というのはおかしなものでたとえば詩は無内容であってもかまわなくてたとえば韻律がととのっていればそれでよくても散文ではそうはゆかない。詩がことばの伝達生をできうるかぎりおさえたものであるのに対して散文はそれを十全にはたらかせてはじめて散文である。あるいは無意味な散文など考えられない。ところが実際にはそうとばかりも言えなくて(はじめての散文というのはおかしなものでというくだりはこのあたりにかかります)散文で韻律がととのっているといえば間違いにきまっているけれどもまぁそういうほか言いようのないような文章もあるにはあってそのような文章なら伝達すべき内容などなくてもよいのではなかろうか。こうは言ってみても無意味な散文などないという前提は厳然としてあるからこの句集の自跋にしてもたとえばさきほど引用したところの最後の一文はやや気にかかる。象徴の構造はほぼ荒廃に帰した、はたしてそうなのだろうか。あきらかに間違っているというのではなくてたしかに心のそこからうべなう声が聞えるような気もする。しかしながら象徴の構造がいまだ存在するというような作り方で俳句をつくってゆくのもひとつのいきかたであるとも思えてどうせならあると考えていたほうがかえって別のことが言える。

  廃工場のギリシア風柱頭まひるの藤

  降車して芯なき人波懸崖菊

  滝行場へ足あと小さくしだいに密

  軽き死もあるか噴水はさらに脱ぐ

  虚無と名づけあと揺ぎをり野の日傘

  下肢は木のやさしさ佛月浴びて

  鯉おさへ切ると餅花へも目くばり

  帰り花生れて遊ぶもの短袴

  ほととぎす火の舌失せて朝の蠟

  箱庭や遊びをせんとしつくしてか

  マラルメて誰梨は木に灼け響き

  ピカソ春に死し夏はての船首の牛頭

  午睡界より朱の祠率てもどる

  頭韻法、蟻地獄消え蟻生きのこる

  凍鶴や鐘楼に継ぐ素木の脚

  餓鬼忌から十日餘りやこの半世紀や

最後の句は中村草田男を悼むという前書きのある四句のうちの一句。この句集は中村草田男にささげられているけれどもその集尾に師を悼む四句が屹立している姿はかなしいものである。しかしながらこの弔句には感傷はみじんもない。「先人の経験は、おほきなはげましである。とはいへ、かなしいことに、それがすぐに、わたくし自身のうへの事実とはならない」と言いきった作者の哀切はあってもセンチメンタルなひびきのないのと同様である。とくにこの一句昨年の真夏になくなった中村草田男の長い俳句とのかかわりあいを鳥瞰してあますところがない。しかして頭韻法の句、これはアリテラシオンとルビが振られている。つまり頭韻法という言葉で韻がふんであるという趣向である。作者によれば「小歌には小歌なりのなぐさみがある。だが俳句形式には、もっと強靱な弾性がひそむとみてあやまつまい」ということだけれどもこの句などはちょいと小唄ぶりとみてかまわない。もともと詩を純粋詩と小唄ぶりに分けて考えたときにかならずしも純粋詩にくみするほうではない。どちらかと言えばライトヴァースとして俳句をとらえるのが性にあってはいるのでこういう句はおもしろい。たとえば現代詩ではライトヴァースに見せかけたディフィカルトポエトリーを書くということがあるけれども俳句ではそんな芸のこまかいことはできない。あるいはもっと芸がこまかいのでそういうつくりにはならなくてたとえば脇をさそうということがある。もちろん純粋詩と小唄ぶりの両方をそなえていることが大切なのであってどうやら中村草田男は純粋詩としての俳句の作者ととらえられているけれどもそしてまたしんじつそうにちがいないがやはり小唄ぶりの作品もあってそれが草田男の名をおとしめるということはない。そして草田男のディフィカルトポエトリーの部分だけをまなぶということはないからこの句集の作者もまたライトヴァースの味を知っている。それをこの句集でややかくしたきらいがあるのは作者一流の照れであろう。踊り子の草田男はまさしく純粋詩のようだがずいぶんまわりくどい方法で脇をさそってはいないか。

週刊俳句 第660号 2019年12月15日

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20191215



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