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10句作品 仁平勝 二人姓名詠込之句
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10句作品テキスト 今泉礼奈 くるぶし
くるぶし 今泉礼奈
餌売れば釣竿も売る初秋かな
秋扇としていつまでも使ひけり
虫の音や腕にやさしく菓子の重み
晴れてゐて去年と同じ案山子かな
稲架解きて控へめに畦交はれり
歯ぶらしと歯が濡れてをる月夜なり
溢蚊をそつとはらひて告白す
団栗を持ちそれなりの気分かな
颱風や船の名前が船と並ぶ
くるぶしの高さに差なし秋簾
●
餌売れば釣竿も売る初秋かな
秋扇としていつまでも使ひけり
虫の音や腕にやさしく菓子の重み
晴れてゐて去年と同じ案山子かな
稲架解きて控へめに畦交はれり
歯ぶらしと歯が濡れてをる月夜なり
溢蚊をそつとはらひて告白す
団栗を持ちそれなりの気分かな
颱風や船の名前が船と並ぶ
くるぶしの高さに差なし秋簾
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10句作品 今泉礼奈 くるぶし
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10句作品テキスト 小早川忠義 客のゐぬ間に
客のゐぬ間に 小早川忠義
缶ビール買ひしなぷしゆと開けられぬ
どぶ板の隙間の蝉の羽音かな
ごきかぶり客のゐぬ間にちりとりへ
秋立つや氷に賞味期限なく
二の腕の裏刺されたり秋の蚊に
銀漢や工事の泥の跡白く
七夕やいつもあなたとコンビにと
ドリンク剤ひと息に飲み秋祭
おにぎりのセロファンはがし運動会
山椒の実がりりと噛みて夜勤へと
●
缶ビール買ひしなぷしゆと開けられぬ
どぶ板の隙間の蝉の羽音かな
ごきかぶり客のゐぬ間にちりとりへ
秋立つや氷に賞味期限なく
二の腕の裏刺されたり秋の蚊に
銀漢や工事の泥の跡白く
七夕やいつもあなたとコンビにと
ドリンク剤ひと息に飲み秋祭
おにぎりのセロファンはがし運動会
山椒の実がりりと噛みて夜勤へと
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10句作品 小早川忠義 客のゐぬ間に
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週刊俳句 第335号 2013年9月22日
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10句作品 仁平勝 女の園
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10句作品 山岸由佳 よるの鰯雲
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10句作品 本井英 柄長まじりに
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週刊俳句 第342号 2013年11月10日
第342号
2013年11月10日
■本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
■山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
■仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
解題……仁平 勝 ≫読む
…………………………………………………………
【2013落選展を読む】
言葉で、モノの質感を……対中いずみ ≫読む
逆回転エコー……三島ゆかり ≫読む
■第59回角川俳句賞受賞作
清水良郎「風のにほひ」を読む……上田信治 ≫読む
【句集を読む】
他者の到来
柿本多映『仮生』の一句……西原天気 ≫読む
【週俳10月の俳句を読む】
ことり 俳句の中の「秋」 ≫読む
鈴木茂雄 変換する装置 ≫読む
津久井健之 句の手触り ≫読む
津髙里永子 それぞれの異彩 ≫読む
羽田野令 異形の世界のワンシーン ≫読む
藤井雪兎 感性の顔 ≫読む
西原天気 草・眼帯・頂点 ≫読む
■「あんばさまの町図絵」のこと
2013年11月10日
■本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
■山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
■仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
解題……仁平 勝 ≫読む
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【2013落選展を読む】
言葉で、モノの質感を……対中いずみ ≫読む
逆回転エコー……三島ゆかり ≫読む
■第59回角川俳句賞受賞作
清水良郎「風のにほひ」を読む……上田信治 ≫読む
【句集を読む】
他者の到来
柿本多映『仮生』の一句……西原天気 ≫読む
【週俳10月の俳句を読む】
ことり 俳句の中の「秋」 ≫読む
鈴木茂雄 変換する装置 ≫読む
津久井健之 句の手触り ≫読む
津髙里永子 それぞれの異彩 ≫読む
羽田野令 異形の世界のワンシーン ≫読む
藤井雪兎 感性の顔 ≫読む
西原天気 草・眼帯・頂点 ≫読む
■「あんばさまの町図絵」のこと
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〔今週号の表紙〕第343号 落葉 西村小市
〔今週号の表紙〕
第343号 落葉
西村小市
群馬県渋川市にある伊香保温泉に出かけました。温泉につかる前に物聞山にある上ノ山公園までロープウェイに乗り、徒歩で下りました。その時に遊歩道で撮影したものです。
●
週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら
第343号 落葉
西村小市
群馬県渋川市にある伊香保温泉に出かけました。温泉につかる前に物聞山にある上ノ山公園までロープウェイに乗り、徒歩で下りました。その時に遊歩道で撮影したものです。
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週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら
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後記+プロフィール 343
後記 ● 西原天気
むかしむかし「ひょっこりひょうたん島」という人形劇がありました(NHK総合テレビで1964年4月6日から1969年4月4日まで放映)。好きな話、好きなシーンがたくさんありましたが、大好きなのが、島の住人たちで野球をやる話。
ドン・ガバチョが投手としてマウンドに上がって投げた球。これがまあ、とんでもないスローボールで、いつまで待ってもバッターのところまで来ない。
それで、どうするかというと、全員、いったん帰宅する。翌朝ふたたびゲームがスタート。球はようやくバッターの手元。
スローボールにも程がある、というくらい、遅い。というか、数ある野球譚の魔球のなかでも、一等の魔球です。
で、 何が言いたいのかというと、焦ってもしかたがない、ということ。
「俳句はどこにも逃げていかない」と、ときどき人に告げます。少し話が違うかもしれませんが、焦ってもしかたがない。何をしていようが、いったん俳句を離れようが、俳句はいなくならない。待っていてくれる。
一方で、個人的には、このところ、近しい人の死や病に接しました。そのとき思ったのは、「人は、人の世は、あっけないものだ」ということです。
あっけないから、そのとき大切に思うことを、せいいっぱい大切にしないといけない。
焦ってもしかたがない。けれども、気づくと、大切なものはすでになくなったあとかもしれない。ふたつの事柄のはざまで、「じゃあ、どうしたらいい?」の答えを、私は見つけられないままです。
「俳句と、週刊俳句と、どんな関係があるんだ?」なんて訊かないでくださいね。そんなに厳密に考えて書いているわけではないので。
●
さて、落選展は、まだまだ続きます。
≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/11/34020131027.html
今週号には、落選展関連の記事のほか、佐藤文香さんが三橋敏雄を読む新シリーズ「SUGAR & SALT」がスタート。小林苑をさんの「空蝉の部屋 飯島晴子を読む」と同じく、『里』誌からの転載です。また、谷口慎也さんの「ショルダーバッグの中に 高橋龍句集『十余二』」は『連衆』誌からの転載。小誌『週刊俳句』では、このように、同人誌・結社誌(紙媒体)からの転載も、積極的に進めていきます。紙媒体の読者とはまた別の新しい読者に、記事が出会う。これは、読者にとっても、記事(書き手)にとっても、悦ばしいことではないか、という考えです。
●
それでは、また、次の日曜日にお会いしましょう。
no.343/2013-11-17 profile
■関根誠子 せきね・せいこ
1947年4月群馬県に生まれる。国立音楽大学声楽科を卒業。1988年「寒雷」入会。現在、「寒雷」「つうの会」「や」「炎環」所属。現俳協会員。句集に『霍乱』、『浮力』。東京都渋谷区初台在住。
■大和田アルミ おおわだ・あるみ
1960年6月18日生まれ。東京都出身&在住。句誌「唐変木」所属。
■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年大阪市生まれ。2000年「ゆう」入会、田中裕明に師事。2005年第20回俳句研究賞受賞。「静かな場所」代表・「椋」同人。句集『冬菫』『巣箱』。
■三島ゆかり みしま・ゆかり
俳人。1994年より作句。 http://misimisi2.blogspot.com/
■小川春休 おがわ・しゅんきゅう
1976年、広島生まれ。現在「童子」同人、「澤」会員。句集『銀の泡』。サイト「ハルヤスミ web site」
■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。二人誌「五七五定型」(小池正博・野口裕)完結しました。最終号は品切れですが、第一号から第四号までは残部あります。希望の方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。進呈します。サイト「野口家のホーム ページ」
■西村小市 にしむら・こいち
1950年神戸市生まれ、埼玉県在住。2007年より「ほんやらなまず句会」参加、2012年「街」入会。
むかしむかし「ひょっこりひょうたん島」という人形劇がありました(NHK総合テレビで1964年4月6日から1969年4月4日まで放映)。好きな話、好きなシーンがたくさんありましたが、大好きなのが、島の住人たちで野球をやる話。
ドン・ガバチョが投手としてマウンドに上がって投げた球。これがまあ、とんでもないスローボールで、いつまで待ってもバッターのところまで来ない。
それで、どうするかというと、全員、いったん帰宅する。翌朝ふたたびゲームがスタート。球はようやくバッターの手元。
スローボールにも程がある、というくらい、遅い。というか、数ある野球譚の魔球のなかでも、一等の魔球です。
で、 何が言いたいのかというと、焦ってもしかたがない、ということ。
「俳句はどこにも逃げていかない」と、ときどき人に告げます。少し話が違うかもしれませんが、焦ってもしかたがない。何をしていようが、いったん俳句を離れようが、俳句はいなくならない。待っていてくれる。
一方で、個人的には、このところ、近しい人の死や病に接しました。そのとき思ったのは、「人は、人の世は、あっけないものだ」ということです。
あっけないから、そのとき大切に思うことを、せいいっぱい大切にしないといけない。
焦ってもしかたがない。けれども、気づくと、大切なものはすでになくなったあとかもしれない。ふたつの事柄のはざまで、「じゃあ、どうしたらいい?」の答えを、私は見つけられないままです。
「俳句と、週刊俳句と、どんな関係があるんだ?」なんて訊かないでくださいね。そんなに厳密に考えて書いているわけではないので。
●
さて、落選展は、まだまだ続きます。
≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/11/34020131027.html
今週号には、落選展関連の記事のほか、佐藤文香さんが三橋敏雄を読む新シリーズ「SUGAR & SALT」がスタート。小林苑をさんの「空蝉の部屋 飯島晴子を読む」と同じく、『里』誌からの転載です。また、谷口慎也さんの「ショルダーバッグの中に 高橋龍句集『十余二』」は『連衆』誌からの転載。小誌『週刊俳句』では、このように、同人誌・結社誌(紙媒体)からの転載も、積極的に進めていきます。紙媒体の読者とはまた別の新しい読者に、記事が出会う。これは、読者にとっても、記事(書き手)にとっても、悦ばしいことではないか、という考えです。
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それでは、また、次の日曜日にお会いしましょう。
no.343/2013-11-17 profile
■関根誠子 せきね・せいこ
1947年4月群馬県に生まれる。国立音楽大学声楽科を卒業。1988年「寒雷」入会。現在、「寒雷」「つうの会」「や」「炎環」所属。現俳協会員。句集に『霍乱』、『浮力』。東京都渋谷区初台在住。
■大和田アルミ おおわだ・あるみ
1960年6月18日生まれ。東京都出身&在住。句誌「唐変木」所属。
■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年大阪市生まれ。2000年「ゆう」入会、田中裕明に師事。2005年第20回俳句研究賞受賞。「静かな場所」代表・「椋」同人。句集『冬菫』『巣箱』。
俳人。1994年より作句。 http://misimisi2.blogspot.com/
■生駒大祐 いこま・だいすけ
1987年三重県生まれ。「天為」「トーキョーハイクライターズクラブ」所属。「東大俳句会」等で活動。blog:湿度100‰
■小林苑を こばやし・そのお
1949年東京生まれ。「里」「月天」「百句会」「塵風」所属。句集「点る」(2010年)上梓。現代俳句協会会員。 ■佐藤文香 さとう・あやか
1985年生まれ。句集『海藻標本』。
■谷口慎也 たにぐち・しんや
1946年、福岡県大牟田市生まれ。20~30歳ころまで、俳句・川柳・短歌・詩の雑誌に同時参加し実作を重ねる。それ以降俳句に焦点を絞り、幾つかの句 誌を経て、平成元年に『連衆』誌創刊、現在に到る。句集に『谷口慎也句集』『残像忌』『俳諧ぶるーす』。評論集に『虚構の現実―西川徹郎論』『俳句の魅力 ―阿部青鞋選集』(共著)。
■柴田千晶 しばた・ちあき
1960年横須賀生。「街」同人。句集『赤き毛皮』(金雀枝舎)、共著『超新撰21』『再読 波多野爽波』(どちらも邑書林)。詩集『生家へ』(思潮社)など。映画脚本「ひとりね」。https://twitter.com/hiniesta2010
■野口る理 のぐち・るり
1986年生まれ。共著に『俳コレ』、『子規に学ぶ俳句365日』。
■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。
■谷口慎也 たにぐち・しんや
1946年、福岡県大牟田市生まれ。20~30歳ころまで、俳句・川柳・短歌・詩の雑誌に同時参加し実作を重ねる。それ以降俳句に焦点を絞り、幾つかの句 誌を経て、平成元年に『連衆』誌創刊、現在に到る。句集に『谷口慎也句集』『残像忌』『俳諧ぶるーす』。評論集に『虚構の現実―西川徹郎論』『俳句の魅力 ―阿部青鞋選集』(共著)。
■柴田千晶 しばた・ちあき
1960年横須賀生。「街」同人。句集『赤き毛皮』(金雀枝舎)、共著『超新撰21』『再読 波多野爽波』(どちらも邑書林)。詩集『生家へ』(思潮社)など。映画脚本「ひとりね」。https://twitter.com/hiniesta2010
■野口る理 のぐち・るり
1986年生まれ。共著に『俳コレ』、『子規に学ぶ俳句365日』。
■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。
1976年、広島生まれ。現在「童子」同人、「澤」会員。句集『銀の泡』。サイト「ハルヤスミ web site」
■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。二人誌「五七五定型」(小池正博・野口裕)完結しました。最終号は品切れですが、第一号から第四号までは残部あります。希望の方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。進呈します。サイト「野口家のホーム ページ」
■西村小市 にしむら・こいち
1950年神戸市生まれ、埼玉県在住。2007年より「ほんやらなまず句会」参加、2012年「街」入会。
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朝の爽波92 小川春休

小川春休
92
帰省してその夜月の出遅くあり 『一筆』(以下同)
学生か、それとも就職して社会人となったか、久々の帰省の際にはいろいろと積もる話もあろう。食卓の上もいつもより賑やかに、遅くまで四方山話に花を咲かせたことだろう。句には月の出の遅さが述べられているばかりだが、様々に想像を遊ばせてくれる句だ。
贈とある金文字賤し日の盛
贈り物というものは、ささやかな物でも、贈る気持ちが一番肝心。しかるにわざわざ贈り物であると主張し続ける「贈」の金文字は、何とも鬱陶しく感じられる。『骰子』所収の〈冬ざるるリボンかければ贈り物〉と併せて読むと、作者の贈答への意識が見えてくる。
校正の済みて糸蜻蛉と遊ぶ
意識を原稿に集中させ、表記や意味内容まで吟味する校正。大抵長時間に渡る、骨の折れる作業である。その作業を終えた目に飛び込んできたのは糸蜻蛉。指を出したか、それともふっと吹いたか、「遊ぶ」という部分に、緊張から解き放たれた心の状態が窺われる。
川床遊び戸惑ひ顔のうつくしや
納涼のため川に突き出して設けた桟敷を川床と言う。元々遊興の色合いの濃い川床であるが、殊更「遊び」と言うことで、浮き立つような気分も伝わってくる。さて、一体何に戸惑っているのか知らないが、もう少し困らせてみたいようないたずら心を誘われる。
灯の下へ桃色日焼もちて来る
炎天下で働く労働者や練習に励むスポーツ選手の日焼けに比べれば、「桃色」の日焼けなど可愛いもの。わざわざ見せに来ているところからも、それが子供の行動であると読み取れる。「もちて来る」という言い回しからは、二の腕の袖の境目の日焼けが想像される。
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林田紀音夫全句集拾読 291 野口 裕

林田紀音夫全句集拾読291
野口 裕
犬連れて薄暮は言葉すくなくて
平成四年、未発表句。ちょっと暗くなってきた中、黙礼だけで行きすぎた人。犬だけが前へ前へと進もうとしている。佳句。
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運動会午後へ乾いた曲流す
平成四年、未発表句。「へ」で生きた句。呪詛に近い響き。
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或るときは霧笛もまじえ鳩時計
平成四年、未発表句。そろそろ鳩が飛び出す頃かと時計を眺めていると、あらぬ方からもっと低音が響いてきた。外は霧なのだと気づく。気を取られているうちに、鳩が何回飛び出したかがわからなくなってきた。不眠症の紀音夫が寝つけずに出会った景か。
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木の葉降る天に傷して飛行雲
平成四年、未発表句。生命を失った物体のゆるやかな下降とは裏腹に、下降速度よりもさらにゆっくりと上昇してゆく視線の先に、飛行機雲を認める。「傷」は、長い実生活で得た痛ましい体験よりも万人が持つ言いがたい感覚、すなわち「感傷」と読んだ方がこの場合はすんなりと納得できる。
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自由律俳句を読む 19 北田傀子 〔1〕 馬場古戸暢
自由律俳句を読む 19
北田傀子 〔1〕
馬場古戸暢
北田傀子(きただかいじ、1923-)は、随句(自由律俳句)結社『草原』の主宰である。かつては千秋子の俳号で、『層雲』の主力作家として活躍していた。『層雲』を脱退し、『草原』を立ち上げて後は、文学としての自由律俳句を「随句」と呼ぶことを提唱し、その主張を『随句の基調』(随句社、2006年)としてまとめている。以下、第一句集『傀子集』(随句社、2011年)より数句。
思わぬ金が入って口笛の人といる 北田傀子
思わぬ金を手に入れたのが作者ととるか口笛の人ととるかで、句意が大分変わってくる。この二人の次の会話は、いったいどのようなものとなるのだろうか。
吸ったことのある唇の発言をメモする 同
思えば「唇を吸う」とは、なんと直接的で艶やかな表現だろうか。掲句では、この唇と作者との関係性が非常に気になる。
あなたも黙ってみぞれを歩いた 同
みぞれが降る中で流れて行くふたりの静かな時間を、読み手側も共有できる。
添寝の銀髪のよく眠っている 同
奥さんとの景だろう。「銀髪」に時の流れを感じるが、今なお添寝をできるところに、変わらない想いを見る。
両方の女に話して蛍への道 同
女二人を両手にはべらかして、蛍狩りにやって来たのだろう。なんたる贅沢。しかし均等に扱わなければまずいのだろうか、二人の女に交互に話しかけながら歩いている様子が浮かぶ。
※掲句は北田傀子『傀子集』(2011年/随句社)より。
北田傀子 〔1〕
馬場古戸暢
北田傀子(きただかいじ、1923-)は、随句(自由律俳句)結社『草原』の主宰である。かつては千秋子の俳号で、『層雲』の主力作家として活躍していた。『層雲』を脱退し、『草原』を立ち上げて後は、文学としての自由律俳句を「随句」と呼ぶことを提唱し、その主張を『随句の基調』(随句社、2006年)としてまとめている。以下、第一句集『傀子集』(随句社、2011年)より数句。
思わぬ金が入って口笛の人といる 北田傀子
思わぬ金を手に入れたのが作者ととるか口笛の人ととるかで、句意が大分変わってくる。この二人の次の会話は、いったいどのようなものとなるのだろうか。
吸ったことのある唇の発言をメモする 同
思えば「唇を吸う」とは、なんと直接的で艶やかな表現だろうか。掲句では、この唇と作者との関係性が非常に気になる。
あなたも黙ってみぞれを歩いた 同
みぞれが降る中で流れて行くふたりの静かな時間を、読み手側も共有できる。
添寝の銀髪のよく眠っている 同
奥さんとの景だろう。「銀髪」に時の流れを感じるが、今なお添寝をできるところに、変わらない想いを見る。
両方の女に話して蛍への道 同
女二人を両手にはべらかして、蛍狩りにやって来たのだろう。なんたる贅沢。しかし均等に扱わなければまずいのだろうか、二人の女に交互に話しかけながら歩いている様子が浮かぶ。
※掲句は北田傀子『傀子集』(2011年/随句社)より。
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俳句セブンティーズ 2013/10/06 11/03放送分
構成&パーソナリティ 小池康生
本誌「商店街放浪記」などでおなじみの、小池康生さんの、「俳句セブンティーンズ」(京都FM)、俳句とクラシックの番組(小池さん、本職は放送作家なのです)
俳句をめぐるヨモヤマばなしと、すてきな音楽。
投句コーナーで俳句募集、一名の方に小池康生の句集『旧の渚』プレゼント。
≪投句先≫FAX:075-344-8940
e-mail:575@fm-kyoto.jp
『俳句セブンティーンズ』FM京都(89.4MHz)
放送:毎月第1週目の日曜日
時間:6時~6時45分
本誌「商店街放浪記」などでおなじみの、小池康生さんの、「俳句セブンティーンズ」(京都FM)、俳句とクラシックの番組(小池さん、本職は放送作家なのです)
俳句をめぐるヨモヤマばなしと、すてきな音楽。
FM京都あるふぁステーション89.4MHz
『俳句セブンティーンズ』(第一日曜朝6時~6時44分)第3回
出演:小池康生/中川舞美 ゲスト仮屋賢一(ふらここ所属)
FM京都あるふぁステーション89.4MHz
『俳句セブンティーンズ』(第一日曜朝6時~6時44分)第4回
出演:小池康生/中川舞美
ゲスト:久留島元(船団所属、俳句Gatheringプロデュー サー)
投句コーナーで俳句募集、一名の方に小池康生の句集『旧の渚』プレゼント。
≪投句先≫FAX:075-344-8940
e-mail:575@fm-kyoto.jp
『俳句セブンティーンズ』FM京都(89.4MHz)
放送:毎月第1週目の日曜日
時間:6時~6時45分
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【週俳10月の俳句を読む】俳句は「受領書」
【週俳10月の俳句を読む】
俳句は「受領書」
西原天気
■村越敦 秋の象
この秋、上野動物園をかなりひつこく歩き回った。吟行だったので、同行した友人たちの反応も見ていたが、ハシビロコウ人気は絶大だった。
ハシビロコウ微動ぞそれを金風と 村越敦
ともかく動かない。剝製か? と思うくらい動かない。面妖な面立ちも人気の理由だろうが、その動かなさには、立ち止まってしばらく見入るしかない。
金風は秋風のことで、貴金属の金との関連は薄いが、ハシビロコウの微動を「金」の価値アリとする気持ちはよくわかる。
■生駒大祐 あかるき
トーンのよく揃った10句。ムードの良い雰囲気の句がいくつもあるなか、それでも(それだから)、
今訪はば京に誰彼(だれかれ)烏瓜 生駒大祐
といった10句の中ではやや異質な句に目がとまる。この世界にこの作者しか存在しないかのような淡さ、静かさのなかで、この句だけが「人」の存在の悦ばしさを伝えるからだろうか。
■山口優夢 戸をたたく
奥様のご懐妊、誠におめでとうございます。
…とだけ書いて終わろうかと思ったが、そういう冗談が伝わらない読者もいらっしゃるだろうから、一句。
コスモスの中を進みて妊婦は船 山口優夢
これは、いいなあ。
書くことと書き手のあいだに距離があるのがいい。他の句は、この作者以外でも「妊婦の夫」なら誰が書いてもいい、という感じもする。作者が、自分のほ うから感情・抒情の「鋳型」に嵌り込んでいる。よく出来ている証拠(一般ウケする)かもしれないが、通俗とギリギリ(それは人気作家、大作家の条件でもあるのだが)。
■上田信治 SD
タクシーを降りれば雪の田無かな 上田信治
田無の市名はもはやない。2001年(平成13年)1月21日に保谷市と合併し西東京市となった。
田無以外から田無までタクシーを使うと、少なくとも数千円はかかる。そんな無粋なことを思う貧乏性の私にも、雪は降ってくれる。上等のオーバーコートにも素寒貧の肩にも、雪は平等に落ちてくる。雪は賜り物だ。
日々私たちが賜るものに特別なものはあまりない。なんでもないもの、なんでもないこと。「受け取りましたよ」という受領書。それが俳句ということだ。
■高橋修宏 金環蝕
なめくじり夢殿ひとつ産みおとし 高橋修宏
巨大なナメクジと夢殿(≫画像検索)を頭に思い浮かべることしか、私たちにはできず、同時に、それ以外のことをする必要がない。俳句はしばしば、他の何よりもコンパクトで素早い、すなわち効率的な「幻視の仕掛け」「夢見の機械」となる。そのあいだ、世界全体がナメクジ色に染まる。
日常は、いかにも日常的な事柄ばかりで成り立つのではない。日常と非日常、というより、日常は「日常らしくないもの」も含めて日常だと思う。おかしな言い方になったが、実感として、そう。
第337号 2013年10月6日
■高橋修宏 金環蝕 10句 ≫読む
第338号 2013年10月13日
■西原天気 灰から灰へ 10句 ≫読む
■上田信治 SD 8句 ≫読む
第339号 2013年10月20日
■山口優夢 戸をたたく 10句 ≫読む
■生駒大祐 あかるき 10句 ≫読む
■村越 敦 秋の象 10句 ≫読む
第340号 2013年10月27日
■鈴木牛後 露に置く 10句 ≫読む
■荒川倉庫 豚の秋 10句 ≫読む
■髙勢祥子 秋 声 10句 ≫読む
俳句は「受領書」
西原天気
■村越敦 秋の象
この秋、上野動物園をかなりひつこく歩き回った。吟行だったので、同行した友人たちの反応も見ていたが、ハシビロコウ人気は絶大だった。
ハシビロコウ微動ぞそれを金風と 村越敦
ともかく動かない。剝製か? と思うくらい動かない。面妖な面立ちも人気の理由だろうが、その動かなさには、立ち止まってしばらく見入るしかない。
金風は秋風のことで、貴金属の金との関連は薄いが、ハシビロコウの微動を「金」の価値アリとする気持ちはよくわかる。
■生駒大祐 あかるき
トーンのよく揃った10句。ムードの良い雰囲気の句がいくつもあるなか、それでも(それだから)、
今訪はば京に誰彼(だれかれ)烏瓜 生駒大祐
といった10句の中ではやや異質な句に目がとまる。この世界にこの作者しか存在しないかのような淡さ、静かさのなかで、この句だけが「人」の存在の悦ばしさを伝えるからだろうか。
■山口優夢 戸をたたく
奥様のご懐妊、誠におめでとうございます。
…とだけ書いて終わろうかと思ったが、そういう冗談が伝わらない読者もいらっしゃるだろうから、一句。
コスモスの中を進みて妊婦は船 山口優夢
これは、いいなあ。
書くことと書き手のあいだに距離があるのがいい。他の句は、この作者以外でも「妊婦の夫」なら誰が書いてもいい、という感じもする。作者が、自分のほ うから感情・抒情の「鋳型」に嵌り込んでいる。よく出来ている証拠(一般ウケする)かもしれないが、通俗とギリギリ(それは人気作家、大作家の条件でもあるのだが)。
■上田信治 SD
タクシーを降りれば雪の田無かな 上田信治
田無の市名はもはやない。2001年(平成13年)1月21日に保谷市と合併し西東京市となった。
田無以外から田無までタクシーを使うと、少なくとも数千円はかかる。そんな無粋なことを思う貧乏性の私にも、雪は降ってくれる。上等のオーバーコートにも素寒貧の肩にも、雪は平等に落ちてくる。雪は賜り物だ。
日々私たちが賜るものに特別なものはあまりない。なんでもないもの、なんでもないこと。「受け取りましたよ」という受領書。それが俳句ということだ。
■高橋修宏 金環蝕
なめくじり夢殿ひとつ産みおとし 高橋修宏
巨大なナメクジと夢殿(≫画像検索)を頭に思い浮かべることしか、私たちにはできず、同時に、それ以外のことをする必要がない。俳句はしばしば、他の何よりもコンパクトで素早い、すなわち効率的な「幻視の仕掛け」「夢見の機械」となる。そのあいだ、世界全体がナメクジ色に染まる。
日常は、いかにも日常的な事柄ばかりで成り立つのではない。日常と非日常、というより、日常は「日常らしくないもの」も含めて日常だと思う。おかしな言い方になったが、実感として、そう。
第337号 2013年10月6日
■高橋修宏 金環蝕 10句 ≫読む
第338号 2013年10月13日
■西原天気 灰から灰へ 10句 ≫読む
■上田信治 SD 8句 ≫読む
第339号 2013年10月20日
■山口優夢 戸をたたく 10句 ≫読む
■生駒大祐 あかるき 10句 ≫読む
■村越 敦 秋の象 10句 ≫読む
第340号 2013年10月27日
■鈴木牛後 露に置く 10句 ≫読む
■荒川倉庫 豚の秋 10句 ≫読む
■髙勢祥子 秋 声 10句 ≫読む
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【週俳10月の俳句を読む】妄想スイッチ 柴田千晶
【週俳10月の俳句を読む】
妄想スイッチ
柴田千晶
ともだちが帰つてこない冷蔵庫 西原天気「灰から灰へ」
物流倉庫の低温庫の中でチョコレートの検品作業をしたことがある。低温庫なので凍え死ぬことはないと思うが、扉が閉まるときはいつもちょっと不安になる。冷蔵庫といえば死体、という妄想スイッチが入ってしまう。
「ともだちが帰つてこない」と「冷蔵庫」の取り合わせは怖い。一緒に遊んでいたともだちがいつの間にか姿を消している。黙って家に帰ってしまったのかもしれない。そういうことはよくあることだ。
でも「冷蔵庫」が頭の中に浮かんでしまう。とり残された子どもは、ともだちの死を一瞬思い浮かべたのかもしれない。ともだちはきっと空き地に捨てられた冷蔵庫に入ったまま出られなくなってしまったのだ、という妄想に取り憑かれてしまう。子どもは冷蔵庫に死を見たのだ。
だが、この句の「ともだち」が子どもであるとは限らない。大人もある日ふと日常から姿を消してしまうことがある。冷蔵庫のようなものの中に入ったまま出られなくなってしまうことがあるのだ。満員の通勤電車のレールが、枯野に不法投棄された巨大な冷蔵庫に繋がっていることもあるかもしれない。そんなことまで妄想させてくれる一句。
雁の鳴くゆふぐれならば輪の浮かぶ 生駒大祐「あかるき」
「輪」ってなんだろう。水面に浮かぶ輪のことかな、と思いつつ、輪といえば首吊りの輪、という妄想スイッチが入ってしまう。
雁の鳴くゆうぐれにぼんやり浮かぶ一つの輪っか、死んだら楽になれますよ、とでも言いたげな。別に死にたいわけじゃないけど。
だが、死が日常のすぐ隣にあることを、ふと意識する瞬間というものが人にはあるのではないか。そんな瞬間にふと心に浮かんでくる「輪」なのかもしれない。
舎利成型器稼動永遠天の川 村越 敦「秋の象」
人がこの世から消えてしまった後にも、すしロボットは永遠にすし玉を作り続ける。真っ白いご飯にも死のイメージがある。人が亡くなったときに枕元に供えるご飯を思い浮かべてしまうからか。舎利という言葉から骨を連想してしまうからか。
天の川という遙かなところから、舎利成型器が永遠に作り続けるすし玉を見つめている人がいる。その人は何を思っているのか。面白い素材の句。
埋もれてしづかな機械暮の秋 鈴木牛後「露に置く」
この句も好きだけれど「冷蔵庫」や「舎利成型器」と比べてしまうと「機械」が一般的で弱いように思う。
秋霖や赤く肉屋のショーケース 鈴木牛後「露に置く」
秋霖に赤く灯る肉屋のショーケースがいい。店の奥の暗がりには大きな冷蔵庫がある。なんて、それ以上の妄想はしないでおこうと思う。
私が心ひかれてしまう作品は、一句の遙か彼方に「死」というものが見えている句のようだ。作者の意図とは違う読み方をしてしまったかもしれないが、これらの句の遙か彼方にも明るい死の川が流れているように思う。
第337号 2013年10月6日
■高橋修宏 金環蝕 10句 ≫読む
第338号 2013年10月13日
■西原天気 灰から灰へ 10句 ≫読む
■上田信治 SD 8句 ≫読む
第339号 2013年10月20日
■山口優夢 戸をたたく 10句 ≫読む
■生駒大祐 あかるき 10句 ≫読む
■村越 敦 秋の象 10句 ≫読む
第340号 2013年10月27日
■鈴木牛後 露に置く 10句 ≫読む
■荒川倉庫 豚の秋 10句 ≫読む
■髙勢祥子 秋 声 10句 ≫読む
妄想スイッチ
柴田千晶
ともだちが帰つてこない冷蔵庫 西原天気「灰から灰へ」
物流倉庫の低温庫の中でチョコレートの検品作業をしたことがある。低温庫なので凍え死ぬことはないと思うが、扉が閉まるときはいつもちょっと不安になる。冷蔵庫といえば死体、という妄想スイッチが入ってしまう。
「ともだちが帰つてこない」と「冷蔵庫」の取り合わせは怖い。一緒に遊んでいたともだちがいつの間にか姿を消している。黙って家に帰ってしまったのかもしれない。そういうことはよくあることだ。
でも「冷蔵庫」が頭の中に浮かんでしまう。とり残された子どもは、ともだちの死を一瞬思い浮かべたのかもしれない。ともだちはきっと空き地に捨てられた冷蔵庫に入ったまま出られなくなってしまったのだ、という妄想に取り憑かれてしまう。子どもは冷蔵庫に死を見たのだ。
だが、この句の「ともだち」が子どもであるとは限らない。大人もある日ふと日常から姿を消してしまうことがある。冷蔵庫のようなものの中に入ったまま出られなくなってしまうことがあるのだ。満員の通勤電車のレールが、枯野に不法投棄された巨大な冷蔵庫に繋がっていることもあるかもしれない。そんなことまで妄想させてくれる一句。
雁の鳴くゆふぐれならば輪の浮かぶ 生駒大祐「あかるき」
「輪」ってなんだろう。水面に浮かぶ輪のことかな、と思いつつ、輪といえば首吊りの輪、という妄想スイッチが入ってしまう。
雁の鳴くゆうぐれにぼんやり浮かぶ一つの輪っか、死んだら楽になれますよ、とでも言いたげな。別に死にたいわけじゃないけど。
だが、死が日常のすぐ隣にあることを、ふと意識する瞬間というものが人にはあるのではないか。そんな瞬間にふと心に浮かんでくる「輪」なのかもしれない。
舎利成型器稼動永遠天の川 村越 敦「秋の象」
人がこの世から消えてしまった後にも、すしロボットは永遠にすし玉を作り続ける。真っ白いご飯にも死のイメージがある。人が亡くなったときに枕元に供えるご飯を思い浮かべてしまうからか。舎利という言葉から骨を連想してしまうからか。
天の川という遙かなところから、舎利成型器が永遠に作り続けるすし玉を見つめている人がいる。その人は何を思っているのか。面白い素材の句。
埋もれてしづかな機械暮の秋 鈴木牛後「露に置く」
この句も好きだけれど「冷蔵庫」や「舎利成型器」と比べてしまうと「機械」が一般的で弱いように思う。
秋霖や赤く肉屋のショーケース 鈴木牛後「露に置く」
秋霖に赤く灯る肉屋のショーケースがいい。店の奥の暗がりには大きな冷蔵庫がある。なんて、それ以上の妄想はしないでおこうと思う。
私が心ひかれてしまう作品は、一句の遙か彼方に「死」というものが見えている句のようだ。作者の意図とは違う読み方をしてしまったかもしれないが、これらの句の遙か彼方にも明るい死の川が流れているように思う。
第337号 2013年10月6日
■高橋修宏 金環蝕 10句 ≫読む
第338号 2013年10月13日
■西原天気 灰から灰へ 10句 ≫読む
■上田信治 SD 8句 ≫読む
第339号 2013年10月20日
■山口優夢 戸をたたく 10句 ≫読む
■生駒大祐 あかるき 10句 ≫読む
■村越 敦 秋の象 10句 ≫読む
第340号 2013年10月27日
■鈴木牛後 露に置く 10句 ≫読む
■荒川倉庫 豚の秋 10句 ≫読む
■髙勢祥子 秋 声 10句 ≫読む
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【週俳10月の俳句を読む】そして、すべての把手は
【週俳10月の俳句を読む】
そして、すべての把手は
野口る理
風一片灰から灰へのりうつる 西原天気
灰が風に吹かれるさまを、風主体に詠んだ一句。「風一片」という言葉のしなやかさだけでもしばらく愉しめる。「風」が乗り移ったような「灰」の動きを見つめていると、その「風」は次の「灰」へ「のりうつる」という。そこには目が良いというだけではない抒情があるだろう。
灰といえば、“earth to earth, ashes to ashes, dust to dust”というキリスト教の葬儀のときの祈祷の言葉を思い出す。土葬でも灰になるの?と不思議に思ったものだが、やはり聖書の一節。土や灰、塵は類義語とし〈われわれは塵埃から来て、塵埃へ戻る〉ということらしい。「のりうつる」という言葉からも、生死を司るものとしての「風一片」というものを思わずにはいられない(そして、デヴィッド・ボウイが時折見せる生気のない瞳を思った。funk to funky)。
鍋釜に把手やさしき月あかり 上田信治
前書きに〈にぎりしめる手の、ほそい手の、ああひとがすべて子どもであった日の手の 笹井宏之〉。笹井の歌の手は無論「把手」に直結しないが、ゆるく掲句に響きあう。
「鍋釜に把手やさしき」までで切って読んでみたい。「鍋釜」の「把手」が人にやさしいのではなく、「把手」が「鍋釜」にやさしいのである。人へのやさしさとは違い、少なくとも私たちの理屈では語れないやさしさがそこにはある。「把手」のやわらかな曲線、「鍋釜」本体からはみ出てしまうそのフォルム、「月あかり」を返す鈍い光、これらすべてが「やさしき」ものそのものなのだ。そして、すべての「把手」はやさしきものである。
〈つきあかりを鞄にいれてしまいます こんなにもこんなにもひとりで 笹井宏之〉の孤独感へ寄り添う句でもあるだろう。掲句は「月あかり」を「鍋釜」にいれてしまうのではなく、「月あかり」によって「把手」のやさしさにつつまれている。
第337号 2013年10月6日
■高橋修宏 金環蝕 10句 ≫読む
第338号 2013年10月13日
■西原天気 灰から灰へ 10句 ≫読む
■上田信治 SD 8句 ≫読む
第339号 2013年10月20日
■山口優夢 戸をたたく 10句 ≫読む
■生駒大祐 あかるき 10句 ≫読む
■村越 敦 秋の象 10句 ≫読む
第340号 2013年10月27日
■鈴木牛後 露に置く 10句 ≫読む
■荒川倉庫 豚の秋 10句 ≫読む
■髙勢祥子 秋 声 10句 ≫読む
そして、すべての把手は
野口る理
風一片灰から灰へのりうつる 西原天気
灰が風に吹かれるさまを、風主体に詠んだ一句。「風一片」という言葉のしなやかさだけでもしばらく愉しめる。「風」が乗り移ったような「灰」の動きを見つめていると、その「風」は次の「灰」へ「のりうつる」という。そこには目が良いというだけではない抒情があるだろう。
灰といえば、“earth to earth, ashes to ashes, dust to dust”というキリスト教の葬儀のときの祈祷の言葉を思い出す。土葬でも灰になるの?と不思議に思ったものだが、やはり聖書の一節。土や灰、塵は類義語とし〈われわれは塵埃から来て、塵埃へ戻る〉ということらしい。「のりうつる」という言葉からも、生死を司るものとしての「風一片」というものを思わずにはいられない(そして、デヴィッド・ボウイが時折見せる生気のない瞳を思った。funk to funky)。
鍋釜に把手やさしき月あかり 上田信治
前書きに〈にぎりしめる手の、ほそい手の、ああひとがすべて子どもであった日の手の 笹井宏之〉。笹井の歌の手は無論「把手」に直結しないが、ゆるく掲句に響きあう。
「鍋釜に把手やさしき」までで切って読んでみたい。「鍋釜」の「把手」が人にやさしいのではなく、「把手」が「鍋釜」にやさしいのである。人へのやさしさとは違い、少なくとも私たちの理屈では語れないやさしさがそこにはある。「把手」のやわらかな曲線、「鍋釜」本体からはみ出てしまうそのフォルム、「月あかり」を返す鈍い光、これらすべてが「やさしき」ものそのものなのだ。そして、すべての「把手」はやさしきものである。
〈つきあかりを鞄にいれてしまいます こんなにもこんなにもひとりで 笹井宏之〉の孤独感へ寄り添う句でもあるだろう。掲句は「月あかり」を「鍋釜」にいれてしまうのではなく、「月あかり」によって「把手」のやさしさにつつまれている。
第337号 2013年10月6日
■高橋修宏 金環蝕 10句 ≫読む
第338号 2013年10月13日
■西原天気 灰から灰へ 10句 ≫読む
■上田信治 SD 8句 ≫読む
第339号 2013年10月20日
■山口優夢 戸をたたく 10句 ≫読む
■生駒大祐 あかるき 10句 ≫読む
■村越 敦 秋の象 10句 ≫読む
第340号 2013年10月27日
■鈴木牛後 露に置く 10句 ≫読む
■荒川倉庫 豚の秋 10句 ≫読む
■髙勢祥子 秋 声 10句 ≫読む
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SUGAR&SALT 1 家鴨光りまひるともなき道に出づ 三橋敏雄 佐藤文香
SUGAR&SALT 01
家鴨光りまひるともなき道に出づ 三橋敏雄
佐藤文香
三橋敏雄全句集をいただいた。
ようやく箱から出し『太古』の「序」を読もうと試みる。いつも自分がするように、はじめのページを画面のように見る……胸が詰まり、怖くなり、本を閉じる。
そういえば、いつだったか、三橋敏雄の全作品を書き写そうと大学の図書館の地下に行ったが、すぐにやめてしまったのを思い出した。
今やめたら、あのときと同じだ。そう思い、もう一度、本を開く。また文字を見てゆく。文字は文になる。
この「序」、言葉のなかで意味が苦しんでいて、文字を出られずにいるように見える。意志の量に対して、無意味な言葉を削ぎ落としすぎているのだろう。
辛いので音読したが、音だけが抜けてゆく。
また黙読しようとするが、途中から意味を追えなくなり、無意識のうちにはじめに戻ってしまう。これはすべて書き写さねばならない、と思ったとき、以降の三橋敏雄の仕事の大きさに耐えかね、呆然とし、動悸がする。読めない。悔しくて泣く。
だいたい、三橋敏雄のすべてを理解しようとするなどおこがましい。にもかかわらず、どこかで、理解できない筈がないと思っている。
……理解? 私以外の人は皆三橋敏雄を理解していて、私を嘲る? お前、三橋敏雄も読んでないのか、と……その皆は、私の外の皆ではなく、私の内なる皆である。私のみぞおちのあたりで輪になって踊るとんがり帽の小人族たちである。
その中心に膝を抱えて座り、私は泣いている。三橋敏雄どころか、誰も知らない私。小人たちは輪の中心にいる私を、くちぐちに「便所!」と罵る。その便所の位置、次第に深い落とし穴の底のように暗く狭く、私を閉ざす。こんなに暗いと本が読めないじゃないか。走り出せないじゃないか。
この暗い落とし穴にいる現在の私にとっては、手の届かぬ光こそロマンである。走り出す、読む、そのための光。それは、こじあけるべき我が心奥に埋もれている光源と同じものか?
とすれば、その明るみを思い、ありのままに書こうとするのが私ではないか。書ければ作品は、未来に存する。
私と未来のために、私は書く。そして、そこで得た光のもと、三橋敏雄を読むために。
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家鴨光りまひるともなき道に出づ 三橋敏雄
佐藤文香
「里」2010年4月号より転載
三橋敏雄全句集をいただいた。
ようやく箱から出し『太古』の「序」を読もうと試みる。いつも自分がするように、はじめのページを画面のように見る……胸が詰まり、怖くなり、本を閉じる。
そういえば、いつだったか、三橋敏雄の全作品を書き写そうと大学の図書館の地下に行ったが、すぐにやめてしまったのを思い出した。
今やめたら、あのときと同じだ。そう思い、もう一度、本を開く。また文字を見てゆく。文字は文になる。
この「序」、言葉のなかで意味が苦しんでいて、文字を出られずにいるように見える。意志の量に対して、無意味な言葉を削ぎ落としすぎているのだろう。
辛いので音読したが、音だけが抜けてゆく。
また黙読しようとするが、途中から意味を追えなくなり、無意識のうちにはじめに戻ってしまう。これはすべて書き写さねばならない、と思ったとき、以降の三橋敏雄の仕事の大きさに耐えかね、呆然とし、動悸がする。読めない。悔しくて泣く。
だいたい、三橋敏雄のすべてを理解しようとするなどおこがましい。にもかかわらず、どこかで、理解できない筈がないと思っている。
……理解? 私以外の人は皆三橋敏雄を理解していて、私を嘲る? お前、三橋敏雄も読んでないのか、と……その皆は、私の外の皆ではなく、私の内なる皆である。私のみぞおちのあたりで輪になって踊るとんがり帽の小人族たちである。
その中心に膝を抱えて座り、私は泣いている。三橋敏雄どころか、誰も知らない私。小人たちは輪の中心にいる私を、くちぐちに「便所!」と罵る。その便所の位置、次第に深い落とし穴の底のように暗く狭く、私を閉ざす。こんなに暗いと本が読めないじゃないか。走り出せないじゃないか。
かけがへなく重大なる現代に生きる人間のひとりとして、私の心奥にはもつともつと明るい光源がある筈であると確信するとき、そこから生れてくる未来性を、必ず後代に現実化し得る自信をもつて、厳正なる意味でのロマンチシズムを、素朴に作品化し肉体化しようと思ふ。(『太古』序より)厳正なる意味でのロマンチシズム?
この暗い落とし穴にいる現在の私にとっては、手の届かぬ光こそロマンである。走り出す、読む、そのための光。それは、こじあけるべき我が心奥に埋もれている光源と同じものか?
とすれば、その明るみを思い、ありのままに書こうとするのが私ではないか。書ければ作品は、未来に存する。
私と未来のために、私は書く。そして、そこで得た光のもと、三橋敏雄を読むために。
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