第6回石田波郷新人賞受賞作を読む(後編)
さとうあやかとボク出張版波郷賞を読む
佐藤文香
≫前編
さとう じゃ、いよいよ準賞だ。
●眼を得る 永山智郎
ボク この作品はすごく好きでした。
さ ほほう。まぁ君が好きそうな句だな。
ボ まず最初の3句からしていいじゃないですか。
きさらぎの市場へ光りゆく轍
漆黒の眼球模型春きざす
ある高さからは色なき石鹸玉
若々しい、するどい詩性を感じます。
さ 〈轍〉とか〈漆黒〉とか〈模型〉とか、ポエティックワードに目くらましをくらってるだけじゃないの?
ボ つくりもしっかりしているじゃないですか。とくに〈石鹸玉〉の句がいいですよ。地に足をつけて立つ自分から、空へと離れていく石鹸玉の、映す景色も空になるから、もともとほとんど透明なはずの石鹸玉が本当の姿にもどっていくといいますか。発見なんですが、淋しくて冷静。
さ 透明といえば
声透明桜吹雪の向かうから
というのが面白かったな。桜舞い散る向こうから声がする、みたいな句はよくありそうだけど、この上五の「声透明」って、超唐突じゃん。上手ってかんじじゃないけど、ビビットだ。
ボ 全体に透き通っていて、きれいなんです。
さ でも、じゃあ、
大き手を褒められてゐる帰省かな
兄いもと寝網一つに入れてやる
とかは、べつにこの人がつくらなくてもよくない?
ボ たしかに、そつなくできてはいますが、愛のあり方としてはふつうですね。
さ あとさ、
古き恋聞き流しつつ桃を切る
これはどうなの? てか古き恋って何? お母さんの昔話とか?
ボ 親が夕飯のあとに、ちょっとお酒が入って饒舌になったりするじゃないですか。息子が高校生くらいになると、親も息子にわかってもらえると思っちゃうもんだから、言わなくていいこと言っちゃったりして。
さ それはわかるよ、うちもお父さんの高校生のころの片思いの話とか聞いたりするもん。ばあちゃんちのこたつに今でも好きだった子の名前が書いてあるし。
ボ さとうさんのお父さんの話は聞いてません。でも、いわれてみると、「古き恋」と言っただけだと、それが誰のものなのか、どれくらいむかしの話なのかがわかりませんね。
さ そうなんだよ。なんかコクのあること言おうとしてるのに、型のすずしさを優先させてしまってるんじゃないかと思って。
ボ 型のすずしさとは?
さ 俳句って、575の17音であるってだけじゃなくて、パターンがあるじゃん。上五「や」で切って最後体言止めとか、止めずに倒置法みたく上五に返すとか。
この人はそういう安定感のあるかたちをすでにいろいろ習得していて、書こうと踏み出す心よりさきに、完成形が見えてしまってるようなとこがあるんじゃないか。俳句を学びすぎてるんじゃないかと思うのさ。これは無意識かもしれないけどね。
だから、逆に言えば、この人の知っている完成形を超える作品が、生まれにくくなっているんじゃないかと思うんだよ。
ボ じゃあどうしたらいいんですか?
さ 福田若之になればいいのさ!
ボ 冗談じゃない、福田さんと永山さんの句は正反対じゃないですか!
さ 冗談じゃない! 君も不勉強だな、福田若之だって高校時代に石田波郷新人賞に出してたころはむっちゃくちゃ定型な句を書いてたんだぞ! 『俳コレ』の最後の章を見てみなさい、〈風邪声はうをのうろこのうすみどり〉〈探梅や水のかをりは陽のかをり〉〈未完なる詩を夏痩せの手が隠す〉これが若之の高校時代だ、君も好きだろう、こういう句
ボ 正直、今の若之さんの句より、こっちの方が好きですね……
さ 永山智郎の句はこのころの若之に及んでないと思う。
君の好みはわかるが、こういうタイプの句は成長過程なんだよ。すべての武器を手に入れて、じゃあそれをどう使って戦うか。武器をどう改造して、どう体を鍛えて、どんなダンスを踊るか。作家になるかどうかは、ここからが勝負なんだ。
ボ 武器のたとえはまぁわかりますが、ダンスはしなくていいでしょう。ボクは芝不器男みたいな、透明感のある端正な句を書く作家が好きですし、うまいと思います。べつに福田さんやさとうさんみたいに、戦ってほしくも、踊ってほしくもないんですけど。
さ 君は知らないのかい? 優雅に泳いでいる鴨が、水面下で足掻いていることを。
かものはし お呼びでしょうか
ボ 鴨の話であってかものはしの話じゃないよ。
かものはし 泳ぐのは得意ですよ。
さ 聞いてないって。要するに、きれいな句を書くにしたって、書き続けるためには足掻かなきゃいけないのだよ。でも大丈夫。きっとかしこい人だから、わたしなんかがそんなこと言わなくても、自力で自分のやり方を探す人だ。これからが楽しみだね。
ボ ぜひ、今の方向性で書き続けてほしいです。
さ だから、それは君の好みだから。作家を信じなさい。
●しがみつく 堀下翔
かものはし ようやく新人賞までたどりつきましたね
ボ お前は何もしてないじゃないか。
かものはし わたくしは今回の堀下さんの20句は、いかにも新人賞にふさわしいと思いましたよ
ボ どうせ動物の句がたくさん入ってるからだろ。
かものはし そのことです。20句中、実に8句が、小動物を詠んだ俳句です。いい作家ですね
さ たしかに動物の句は多いし、それ以外でも自然を詠んだ句がほとんどだ。〈風船の飛びだしてゆく駐車場〉と〈脱走かも知れず大西日の気球〉あたりがかろうじて人間社会っぽいというか、でもこの2句は正直そうでもないな。
ボ 実直で堂々としていて好感が持てますが、その反面、ボクには好感度狙いに見えてしまいました。句会でご老人ウケしそうな好青年。
さ 君は心が狭すぎる(笑)
ボ だって、型や句材への挑戦が少ないじゃないですか。〈亀の鳴く八方に水ありにけり〉〈蜘蛛小さし槐にしがみついてをり〉〈花火までおほきく風の吹いてをり〉、これらの下五の、無駄な余裕と言いますか、そのあたりが気に食わない。
さ ははぁん、さては、新人らしさみたいなものを期待してるわけね? こう、薄氷に罅が入るような、ハートをむぎゅっとしめつけるみたいな、盗んだバイクで走り出す的な……
ボ 違います。非難されることを承知で言えば、審査員がこういう句好きそうなんですよ。とくに、岸本さんあたりが。新人賞を獲りに行くためにチューニングしすぎじゃないかと。うまいのはわかりますけど。
さ さすが、本気で賞の研究して20句まとめて出したのにかすりもしなかっただけあるな。
ボ うるさい!〈茶づくりのだんだん晴れてきてゐたる〉なんかも、内容はいいですけど、「だんだん」とか「きてゐたる」の引き延ばし方が、いかにも玄人じゃないですか。
さ しかし、残念ながら、この人は高校時代からわりとこういう句も書く人だよ。もっとも、いろんな句が書ける人でもあるから、少しは賞の性格にあわせることもしただろうけどね。
かものはし いい句がありましたよ
秋風やかはうその尾が川のうへ
「かわ」で韻を踏んでいるだけに、かわいいですね
さ 風と川の、ゆるやかな流れが感じられるいい句だね。「かわ」の音だけじゃなくて、「秋風」の「か」、「尾が」の「が」も効いてる。この20句は音がいいよ。とくにはじめの、
熊ん蜂二匹や花を同じうす
なんて、「熊ん蜂」の「ん」で弾んで、まん中の「や」で切れて、最後「同じうす」の「じゅーす」でねばって、おもしろいじゃないか。
ボ でも、花に熊蜂が2匹いたってだけでしょう? ありきたりじゃないですか?
さ それを、〈熊ん蜂二匹や花を同じうす〉と書いたところがすばらしい。君、「同じうす」なんて言えるかい? とまってたんじゃないんだよ、花の蜜を吸ってるってだけでもないんだ、「同じう」してるんだよ。むかしっぽい言い方だけど、今書かれることがむしろ新しいよ。
あと、20句の景色がいい。意味する内容の自然の世界もそうだけど、句をひろげてみたときの、漢字と仮名のバランスがやさしい。まだ見てない人はぜひ20句全体を見てみてほしい。細部までよく気がまわってると思う。
作品だと、さっきの「かはうそ」の句もいいし、
ある葉桜の立つてゐる日陰かな
黒揚羽とほくに見えて奥に消ゆ
濡れてをる柘榴やあれはさつきの雨
このへんを見れば、決して審査員好みにつくられた句じゃないのがわかるよ。葉桜s でも a 葉桜 でもなく、「ある葉桜」であることではじまりそうな物語や、「とほく」に「奥」があること、水のしずくに光る柘榴を見て、遠ざかる雨雲の存在を思うと、手元がいっそう明るくみずみずしく感じられること。な、いいだろう?
ボ ボクだって、もちろんいいと思った句もありますよ。
一面に蝌蚪をりすべて見失ふ
半夏生くづれて水にある葉先
あんなにいた蝌蚪のすべてを見失ってしまう、それは世界に取り残されてしまうのに似ています。「一面」、「すべて」という大きな言葉をつかいながら繊細な一句です。また、「くづれ」たのは「半夏生」なのか「水」なのか、いやどちらもでしょう、読み手が試されるところですが、透明な世界に葉先の輪郭だけが確かにある。
さ 君は透明とか繊細とか世界にひとつだけの花とかが好きだな。
ボ SMAPは聴きません。
さ なにしろ、分厚い感性に保証された作家の登場を、心から祝いたい。
かものはし 期待の新人ですね、これからもこの路線で、小動物を愛する句をつくっていってほしいです
ボ それはお前の好みだろ、作家を信じろよ。
さ さっき自分が言われたこと言ってる(笑)
ボ というわけで、このあたりで、石田波郷新人賞受賞作を読む出張版「さとうあやかとボク」を終わりましょう。勝手なことを申しまして、失礼いたしました。
さ どの作家にも言えることだけど、自分や他人の持っている「作家像」にしばられることのないように、これからも書いていってほしいな。俳句だけじゃなくて、いろんな経験をしてほしいと思うね。
好きな子と付き合えたはいいものの彼女を親友にとられてぐだぐだになったとこを救ってくれた女の子を家に呼んだら、もともと好きだった子が「やっぱりあなたしかいない」って言ってきて二股をかけたら両方にバレて、修羅場なところを新興宗教に勧誘されてうっかり入ってしまって抜けられなくなって実家に逃げるとかね。
ボ ……受賞されなかった方も、受賞された方も、今回とはひと味違う作品を、どこかで読めることを期待しています。
さ 君ももっと人生経験を積んで、来年はがんばってくれ。
ボ 経験値で俳句の出来を語らないでください! これだから俳句は老人の文学とかいわれるんだ……
かものはし かものはしの俳句もつくっていただきたいですね
さ かものはし林檎を剝いてくれないか。無理か。じゃ、またねー♪
●
さとうあやかとボク出張版波郷賞を読む
佐藤文香
≫前編
さとう じゃ、いよいよ準賞だ。
●眼を得る 永山智郎
ボク この作品はすごく好きでした。
さ ほほう。まぁ君が好きそうな句だな。
ボ まず最初の3句からしていいじゃないですか。
きさらぎの市場へ光りゆく轍
漆黒の眼球模型春きざす
ある高さからは色なき石鹸玉
若々しい、するどい詩性を感じます。
さ 〈轍〉とか〈漆黒〉とか〈模型〉とか、ポエティックワードに目くらましをくらってるだけじゃないの?
ボ つくりもしっかりしているじゃないですか。とくに〈石鹸玉〉の句がいいですよ。地に足をつけて立つ自分から、空へと離れていく石鹸玉の、映す景色も空になるから、もともとほとんど透明なはずの石鹸玉が本当の姿にもどっていくといいますか。発見なんですが、淋しくて冷静。
さ 透明といえば
声透明桜吹雪の向かうから
というのが面白かったな。桜舞い散る向こうから声がする、みたいな句はよくありそうだけど、この上五の「声透明」って、超唐突じゃん。上手ってかんじじゃないけど、ビビットだ。
ボ 全体に透き通っていて、きれいなんです。
さ でも、じゃあ、
大き手を褒められてゐる帰省かな
兄いもと寝網一つに入れてやる
とかは、べつにこの人がつくらなくてもよくない?
ボ たしかに、そつなくできてはいますが、愛のあり方としてはふつうですね。
さ あとさ、
古き恋聞き流しつつ桃を切る
これはどうなの? てか古き恋って何? お母さんの昔話とか?
ボ 親が夕飯のあとに、ちょっとお酒が入って饒舌になったりするじゃないですか。息子が高校生くらいになると、親も息子にわかってもらえると思っちゃうもんだから、言わなくていいこと言っちゃったりして。
さ それはわかるよ、うちもお父さんの高校生のころの片思いの話とか聞いたりするもん。ばあちゃんちのこたつに今でも好きだった子の名前が書いてあるし。
ボ さとうさんのお父さんの話は聞いてません。でも、いわれてみると、「古き恋」と言っただけだと、それが誰のものなのか、どれくらいむかしの話なのかがわかりませんね。
さ そうなんだよ。なんかコクのあること言おうとしてるのに、型のすずしさを優先させてしまってるんじゃないかと思って。
ボ 型のすずしさとは?
さ 俳句って、575の17音であるってだけじゃなくて、パターンがあるじゃん。上五「や」で切って最後体言止めとか、止めずに倒置法みたく上五に返すとか。
この人はそういう安定感のあるかたちをすでにいろいろ習得していて、書こうと踏み出す心よりさきに、完成形が見えてしまってるようなとこがあるんじゃないか。俳句を学びすぎてるんじゃないかと思うのさ。これは無意識かもしれないけどね。
だから、逆に言えば、この人の知っている完成形を超える作品が、生まれにくくなっているんじゃないかと思うんだよ。
ボ じゃあどうしたらいいんですか?
さ 福田若之になればいいのさ!
ボ 冗談じゃない、福田さんと永山さんの句は正反対じゃないですか!
さ 冗談じゃない! 君も不勉強だな、福田若之だって高校時代に石田波郷新人賞に出してたころはむっちゃくちゃ定型な句を書いてたんだぞ! 『俳コレ』の最後の章を見てみなさい、〈風邪声はうをのうろこのうすみどり〉〈探梅や水のかをりは陽のかをり〉〈未完なる詩を夏痩せの手が隠す〉これが若之の高校時代だ、君も好きだろう、こういう句
ボ 正直、今の若之さんの句より、こっちの方が好きですね……
さ 永山智郎の句はこのころの若之に及んでないと思う。
君の好みはわかるが、こういうタイプの句は成長過程なんだよ。すべての武器を手に入れて、じゃあそれをどう使って戦うか。武器をどう改造して、どう体を鍛えて、どんなダンスを踊るか。作家になるかどうかは、ここからが勝負なんだ。
ボ 武器のたとえはまぁわかりますが、ダンスはしなくていいでしょう。ボクは芝不器男みたいな、透明感のある端正な句を書く作家が好きですし、うまいと思います。べつに福田さんやさとうさんみたいに、戦ってほしくも、踊ってほしくもないんですけど。
さ 君は知らないのかい? 優雅に泳いでいる鴨が、水面下で足掻いていることを。
かものはし お呼びでしょうか
ボ 鴨の話であってかものはしの話じゃないよ。
かものはし 泳ぐのは得意ですよ。
さ 聞いてないって。要するに、きれいな句を書くにしたって、書き続けるためには足掻かなきゃいけないのだよ。でも大丈夫。きっとかしこい人だから、わたしなんかがそんなこと言わなくても、自力で自分のやり方を探す人だ。これからが楽しみだね。
ボ ぜひ、今の方向性で書き続けてほしいです。
さ だから、それは君の好みだから。作家を信じなさい。
●しがみつく 堀下翔
かものはし ようやく新人賞までたどりつきましたね
ボ お前は何もしてないじゃないか。
かものはし わたくしは今回の堀下さんの20句は、いかにも新人賞にふさわしいと思いましたよ
ボ どうせ動物の句がたくさん入ってるからだろ。
かものはし そのことです。20句中、実に8句が、小動物を詠んだ俳句です。いい作家ですね
さ たしかに動物の句は多いし、それ以外でも自然を詠んだ句がほとんどだ。〈風船の飛びだしてゆく駐車場〉と〈脱走かも知れず大西日の気球〉あたりがかろうじて人間社会っぽいというか、でもこの2句は正直そうでもないな。
ボ 実直で堂々としていて好感が持てますが、その反面、ボクには好感度狙いに見えてしまいました。句会でご老人ウケしそうな好青年。
さ 君は心が狭すぎる(笑)
ボ だって、型や句材への挑戦が少ないじゃないですか。〈亀の鳴く八方に水ありにけり〉〈蜘蛛小さし槐にしがみついてをり〉〈花火までおほきく風の吹いてをり〉、これらの下五の、無駄な余裕と言いますか、そのあたりが気に食わない。
さ ははぁん、さては、新人らしさみたいなものを期待してるわけね? こう、薄氷に罅が入るような、ハートをむぎゅっとしめつけるみたいな、盗んだバイクで走り出す的な……
ボ 違います。非難されることを承知で言えば、審査員がこういう句好きそうなんですよ。とくに、岸本さんあたりが。新人賞を獲りに行くためにチューニングしすぎじゃないかと。うまいのはわかりますけど。
さ さすが、本気で賞の研究して20句まとめて出したのにかすりもしなかっただけあるな。
ボ うるさい!〈茶づくりのだんだん晴れてきてゐたる〉なんかも、内容はいいですけど、「だんだん」とか「きてゐたる」の引き延ばし方が、いかにも玄人じゃないですか。
さ しかし、残念ながら、この人は高校時代からわりとこういう句も書く人だよ。もっとも、いろんな句が書ける人でもあるから、少しは賞の性格にあわせることもしただろうけどね。
かものはし いい句がありましたよ
秋風やかはうその尾が川のうへ
「かわ」で韻を踏んでいるだけに、かわいいですね
さ 風と川の、ゆるやかな流れが感じられるいい句だね。「かわ」の音だけじゃなくて、「秋風」の「か」、「尾が」の「が」も効いてる。この20句は音がいいよ。とくにはじめの、
熊ん蜂二匹や花を同じうす
なんて、「熊ん蜂」の「ん」で弾んで、まん中の「や」で切れて、最後「同じうす」の「じゅーす」でねばって、おもしろいじゃないか。
ボ でも、花に熊蜂が2匹いたってだけでしょう? ありきたりじゃないですか?
さ それを、〈熊ん蜂二匹や花を同じうす〉と書いたところがすばらしい。君、「同じうす」なんて言えるかい? とまってたんじゃないんだよ、花の蜜を吸ってるってだけでもないんだ、「同じう」してるんだよ。むかしっぽい言い方だけど、今書かれることがむしろ新しいよ。
あと、20句の景色がいい。意味する内容の自然の世界もそうだけど、句をひろげてみたときの、漢字と仮名のバランスがやさしい。まだ見てない人はぜひ20句全体を見てみてほしい。細部までよく気がまわってると思う。
作品だと、さっきの「かはうそ」の句もいいし、
ある葉桜の立つてゐる日陰かな
黒揚羽とほくに見えて奥に消ゆ
濡れてをる柘榴やあれはさつきの雨
このへんを見れば、決して審査員好みにつくられた句じゃないのがわかるよ。葉桜s でも a 葉桜 でもなく、「ある葉桜」であることではじまりそうな物語や、「とほく」に「奥」があること、水のしずくに光る柘榴を見て、遠ざかる雨雲の存在を思うと、手元がいっそう明るくみずみずしく感じられること。な、いいだろう?
ボ ボクだって、もちろんいいと思った句もありますよ。
一面に蝌蚪をりすべて見失ふ
半夏生くづれて水にある葉先
あんなにいた蝌蚪のすべてを見失ってしまう、それは世界に取り残されてしまうのに似ています。「一面」、「すべて」という大きな言葉をつかいながら繊細な一句です。また、「くづれ」たのは「半夏生」なのか「水」なのか、いやどちらもでしょう、読み手が試されるところですが、透明な世界に葉先の輪郭だけが確かにある。
さ 君は透明とか繊細とか世界にひとつだけの花とかが好きだな。
ボ SMAPは聴きません。
さ なにしろ、分厚い感性に保証された作家の登場を、心から祝いたい。
かものはし 期待の新人ですね、これからもこの路線で、小動物を愛する句をつくっていってほしいです
ボ それはお前の好みだろ、作家を信じろよ。
さ さっき自分が言われたこと言ってる(笑)
ボ というわけで、このあたりで、石田波郷新人賞受賞作を読む出張版「さとうあやかとボク」を終わりましょう。勝手なことを申しまして、失礼いたしました。
さ どの作家にも言えることだけど、自分や他人の持っている「作家像」にしばられることのないように、これからも書いていってほしいな。俳句だけじゃなくて、いろんな経験をしてほしいと思うね。
好きな子と付き合えたはいいものの彼女を親友にとられてぐだぐだになったとこを救ってくれた女の子を家に呼んだら、もともと好きだった子が「やっぱりあなたしかいない」って言ってきて二股をかけたら両方にバレて、修羅場なところを新興宗教に勧誘されてうっかり入ってしまって抜けられなくなって実家に逃げるとかね。
ボ ……受賞されなかった方も、受賞された方も、今回とはひと味違う作品を、どこかで読めることを期待しています。
さ 君ももっと人生経験を積んで、来年はがんばってくれ。
ボ 経験値で俳句の出来を語らないでください! これだから俳句は老人の文学とかいわれるんだ……
かものはし かものはしの俳句もつくっていただきたいですね
さ かものはし林檎を剝いてくれないか。無理か。じゃ、またねー♪
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