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【週俳5月の俳句を読む】藤幹子 大いなる胃袋の意思

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【週俳5月の俳句を読む】
大いなる胃袋の意思
 

藤幹子


牡丹散って蟄虫の屍へかぶさりぬ   金原まさ子

春を知らせんと蠢き出した虫は早くも使命を終えたのか。世は春に浮かれる中,同じく盛りを終えた花の王が,その衣を経帷子として下賜する。人の目の触れぬところで,厳かに行われる美しい弔いの景である。

九階から上半身出す聖五月

聖五月の明るさでまるで健康的に見えるけれども,危うい。なぜそんな高みから,恐れげもなく体を差し出せるのか。聖母の月に被昇天を願っているのだろうか。

人のような向日葵が来て泊まるかな

本当に向日葵に訪われる状況を想像できてしまうほど,向日葵は人に似た花だ。泊まる,というのだから明日にはまたどこかへ運ばれるのだろう。仮の宿に居心地悪げにおかれた花を面白がり,擬人化して見てやる温かみのある視点がこの句の主体の人柄を想像させる。

黒や白や毛がきらきらと野焼けあと

本来毛は残るはずもない。草木の絮の燃え残りにしても,光るはずもない。ならば,野焼けのあとの熱い原を走りぬけた獣が居るのだ。火の治まるのを待ち,人がやってくる前に,その身をさらすことも厭わず走り逃げた獣が。獣はいずこかへ去り,本能的な緊張と恐怖が置いていかれて光っている。そんな妄想をしたい。それがやはり絮の燃え残りかもしれなくても。

乱切りの白桃と葱の炒め物

こういうことは,ある。一人暮らしかもしれない,家族暮らしかもしれない,そのどちらでも,家という不思議な空間では,解剖台の上のミシンと蝙蝠傘のような出会いはしょっちゅう起こるものだ。香る白桃。香る葱。薄桃色のグラデーションのブロックと,半ば焦げのストライプの走るうす緑と白の重なり。起こってはいけない出会いのようでも,大いなる胃袋の意思は彼らを一つにしてくれるだろう。

セロリスティックの軽さで春の気狂れかな

さくりと噛んだ歯の内に,私もまいりましょう。読むほどに妄想を掻きたてていただいた作品の内へ,陽気に飛び込み,再び咀嚼され,消化されるために。

では,失敬。


第316号2013年5月12日
菊田一平 象 10句 ≫読む

第317号2013年5月19日
金中かりん 限定本 10句 ≫読む

第318号2013年5月26日
金原まさ子 セロリスティック 10句 ≫読む


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