Quantcast
Channel: 週刊俳句 Haiku Weekly
Viewing all 6011 articles
Browse latest View live

【週俳3月の俳句を読む】三浦郁 頭じゃなく体が感じてしまう句はすごい。

$
0
0
【週俳3月の俳句を読む】
頭じゃなく体が感じてしまう句はすごい。

三浦郁


「倒れてはる」て、鉢の椿に敬語やなぁ  白井健介

「・・・はる」はとても使いやすい敬語である。標準語にはこのアイテムに相当するものがないのがかねがね不便だと思っていた。
話し言葉で敬意を表すことのできるコンパクトでカジュアルな語である。「いらっしゃる」なんて長たらしくて会話がよそよそしくなってダレてしまう。
ただし、この句の作者(関西人かどうか不明だが、たぶん違うからこそ感じたのだろう)がちょっと揶揄気味に詠んだように、自分以外のものへ対して何でもかんでも用いてしまう。そこには思いやりみたいな話し手の気分が込められているからこそなのだが。
行き過ぎた例として、犯人を目撃した人がテレビの取材を受けて「あっちの方へ逃げて行きはった」のように答えていた場もあった。いや、ここにも広い愛があるのかもしれない。

産道を抜けて光を君は知る     山口優夢
人の中から人が出てくるかぎろひて  〃
頭だけ出て泣き初むる蜃気楼     〃
うららかに海から上がるやうに生まれ 〃
胎盤のしんと重たき春の雪      〃
君に子宮は狭かったのか春の空    〃

優夢さん華子さんおめでとう!

50句を成した作者の心境を思うに、父親になった感激というより、圧倒的な母親の世界に参加できないもどかしさが、何かしなくてはという欲求を起こさせたのではないか。もちろんこのお子さんにとってすばらしいプレゼントになるに違いないし、最初にこの50句を読んだときとても感動した。すぐにお祝いを言いたいと思ったくらいだ。(言えなかったのは彼のメールアドレスを失念してしまったからで、ここで果たせて感謝である)。

出産は母と子だけの仕事である。そこからの疎外感を補うためにと思われるが、いつの頃からか父親の立ち合い出産が行われるようになり、今やそれは当然のことになった。

そこで何が起こったか。それは当事者である母親でも見ることのできない瞬間を彼ひとりが凝視できるのである。妊娠中も出産時も耐えるのは(幸せ感もあるが)母親だけであるのに、この感動の場面を独り占めしてしまうなんてずるい。
おそらく、母親も鏡やモ二ターを通して見ることができるような病院もあるのだろうが、事の最中の女にはとても見ている余裕はないだろう。

そこで、本題なのだが、男がわが子の誕生を句に詠む価値は、ひとえにこの立場からにあると思う。50句の中から掲句を選んだ理由である。

そんな意味で、「人の中から人から出てくる」というこれ以上ないクールな写生が男の吾子俳句の新境地を開いたと思うのである。ただし季語がちょっと苦しいところが残念だが。

クリオネの一所懸命卒業期   山崎祐子

クリオネは常に手?を動かしている。可愛いのに健気。最初読んだとき、季語は入学の方が合うのではないかと思ったが、それでは甘いのだった。

嘘つかぬといふ嘘のあり晩夏光  関根かな

みんなその罪を犯しているよなあ。晩夏ってそんなことを思わせる。

全町非難玄関の貼り紙冴返る  風間博明

う~ん。どんなメッセージよりも強い。

ものの芽の二人の話聞いてをり  小澤麻結

深刻な話、あるいは・・・・。後者だろうね。聞かれちゃったって場面か。話の内容を勝手に再現してみたりして。

甘噛のさせ放題や春炬燵   齋藤朝比古

犬?猫?いやいやそれでは春炬燵が決まりすぎではないか。じゃあ・・・ 、やっぱり春炬燵は予定調和というか、古い。「させ放題」がいいのになあ。

待ち受ける途中で椅子になっている  藤田めぐみ

ずっと待ってるうちに、待つという感情をなくして、自分自身が椅子と一体化しているという面白い感覚の句、と読んでも充分いい句なのだが、一連の句から考えるとそうじゃないよね。

四十八手のうちにこれがあるのかどうかしらないが、体を椅子の形にしたふたり。背後の彼の顔を彼女の髪がくすぐる・・・。エロスの句もこんな風に詠めると昇華できている。

春泥を握れば人の髪まじる    堀下翔

シャンプーのコマーシャルやヴィーナスの髪はとても美しい。ところが一旦肉体から離れてしまうと、髪の毛は(たとえ自分のものでも)とたんにおどろおどろしいものになる。

爪だってそうだ。ちかごろの女性のネールアートはきらびやかだが、これも切られてしまうと、ただのゴミと違って気味が悪い。

死者の遺したものの中で、髪や爪はよく遺骨の代わりにされるのは、やはりこの霊的な要素があるからなのだろう。


第358号2014年3月2日
白井健介 乾燥剤 10句 ≫読む
山口優夢 春を呼ぶ 50句 ≫読む
第359号2014年3月9日
山崎祐子 海鳥 10句 ≫読む
関根かな 雪兎 10句 ≫読む
風間博明 福島に希望の光を 10句 ≫読む
第360号2014年3月16日
大川ゆかり はるまつり 10句 ≫読む
小澤麻結 春の音 10句 ≫読む
藤永貴之 梅 10句 ≫読む
第361号2014年3月23日
齋藤朝比古 鈍器 10句 ≫読む
第362号2014年3月30日
藤田めぐみ 春のすごろく 10句 ≫読む
堀下 翔 転居届 10句 ≫読む



わずかばかりの孤独を伴った一人の心地よさ 西村麒麟句集『鶉』の一句 近 恵

$
0
0
わずかばかりの孤独を伴った一人の心地よさ 
西村麒麟句集『鶉』の一句 

近 恵


玉子酒持つて廊下が細長し
  西村麒麟

西村麒麟の句集『鶉』は、どのページをめくっても麒麟君の顔が思い浮かんでしまう句がふわふわと並んでいる。どの句もそんなに難しい事を言ってなくて、どれも正直な感じがする。掲句もそんな中のひとつ。

玉子酒を持ってどこか部屋へ運ぼうと廊下に出たら、廊下が細長かったというだけのことなのだ。この玉子酒はきっと湯呑じゃなくマグカップに入っていて、それを片手で直に持っているに違いない。この玉子酒は誰が飲むのだろう。これから向かう部屋でだるそうにしている誰かに持ってゆくのか、それとも自分の部屋で一人ふーふーして飲むのか。私の思うところはなんとなく自分で飲むんじゃないかと思う。部屋へ行って、大好きな本とか読みながら、少しだるくて風邪気味の体を温めようと思っているのだ。そんな目論見で廊下に出たら、廊下が細長いということに気付いた。その細長さはどちらかというと居心地のよい細長さのように思える。長すぎず短かすぎず、ちょど歩きたいくらいの長さで、ぶつからず広過ぎもせず孤独になり切らない程度の細さ。そうやって自分一人の大事な時間を玉子酒で心地よくして過ごそうとしているんじゃないかなと思うのだ。

それは、誰かといることの心地よさとはまた違う、わずかばかりの孤独を伴った一人の心地よさも大事にしたいと思っているかのようだ。そして、その心地よさを望んでいるのは他ならない私自身なのではないかな、とも気付いたりして。

7周年記念オフ会 会場スナップ

$
0
0
撮影 佐藤文香さん

撮影 久留島元さん

撮影 近恵さん

(スナップ写真募集中)

7周年オフ会「今夜の一句/メッセージ」

$
0
0
週刊俳句7周年オフ会
今夜の一句/メッセージ(順不同)


今宵こそ葉櫻冷えの仲間なれ  広渡敬雄
「週刊俳句7周年おめでとうございます。ますますのご発展期待しています」

逃げ水を追いつ消えてく私です  祐天寺

先頭は道を産みつつ鳥雲に  中村安伸
「7周年おめでとうございます」

春渚七年目の浮標うかべたり  笠井亞子
「7周年オメデトウゴザイマス!
(6周年をやらなかった(忘れた)のもらしいです) 」

ボーダー柄の人集ひたる緑の夜  吉田悦花
「7周年おめでとうございます!
ご案内ありがとうございます!」

春の鬼五百人分の一人  久留島元

春おぼろ明治板チョコグーで割る  近藤十四郎

春灯の中再会と初対面  岡本飛び地
「いつもありがとうございます。
拙いジャグリングを披露しました。失礼しました。
次は9周年なのか10周年なのか、大変気になっております」

「7周年、おめでとうございます。
週刊俳句には、いつもきれいな風が吹いています」 岡野泰輔

春風や七周年という区切り  小林鮎美

たまに見る週刊俳句八重桜  寺澤一雄

讀賣を倒せと春の灯の揺れて  北大路翼

グレープジュースがワインの隣に春の会  福田若之

ゐない日のやうな風ふく四月の木  生駒大祐
「僕が俳句であるかぎり、俳句であることを願っています」

にはとりはをらねどみんなゐる緑夜  村越 敦

たくさんの声こんがらがる薇  茅根知子
「週俳のオフ会は、ネット上の人がリアルな人になる日です。
ああ、楽しい。ありがとうございます。おめでとうございます」

春の夜の声と名前となつかしき  村田 篠

賽の河原も金玉満堂春画春 堀田季何

龍天に登る尻子玉ななつあつめ 山崎志夏生
「おめでとうございます。これからも俳句を高く広くしていく「週刊俳句」に期待します」

箸置きはねじのささったコルク栓 野口裕

花は葉にたわわに実れさくらんぼ 谷雅子
「おめでとうございます」

四月のボールは床に落ちにけり 上野葉月

「はじめて参加しましたが皆様やさしく接してくれてありがとうございました」佐藤静

宇志やまと撰の話をしてゐたり 瀬戸正洋

花は葉に片言は奔流となる 近恵
「7周年おめでとうございます。週俳の歴史は私の俳句の歴史です。これからも末永く続いて、私の俳句生活をおぎなってください」

森の風揺れる 忘れがたき夜 白熊左愉

春闇に転げて落ちて七年か かまちよしろう
「七周年おめでとうございます。僕もなんとか七年生き延びました。あと七年、週俳と一緒に生き延びようと、毎朝、セブンイレブンの赤飯のおにぎり(好物)を食べながら、自分にエールを送っております」

春宵のぐんにやりとしたものばかり 小林苑を

晩春の自慰は体育館の裏 烏鷺坊

春風に六十二名丘に立つ しなだしん

人の間に居る幸せや春の宵 内藤独楽

語らいを照らす燈籠花だいこん 青葉有
「五周年から七周年へ。時の流れを感じます」

あおあおと日暮れて酔ふや七年を 井上雪子
「とても緊張して門をくぐりました。とても豊かな世界を感じました」

週俳の七周年目の春の暮 七

ジャグリングリボンの緋色春の夜 栗山心
「七周年おめでとうございます。ますますのご発展をお祈りしております」

朧夜に仲良くなりぬ二三人 西村遼

パーティーにゐて外を見る朧かな 五十嵐箏曲

猫の子の洗濯物に背伸びして 鷲巣正徳

ぼうたんの七周年の今日の赤 松野苑子
「七周年おめでとうございます」

春の宵ジャグリング越し笑顔かな 梅津志保

クローバの葉に似るグラス寄せ合へば 太田うさぎ
「七周年おめでとうございます。こんな大きなメディアになるとはスタートした時に誰が想像したでしょうか? 自由闊達な場としてこれからますますのご発展を!!」

色悪 江戸のピカレスク 古井戸秀夫

$
0
0
色悪
江戸のピカレスク

古井戸秀夫


『法然』(2000年2月・浄土宗報明照会)より転載

江戸の歌舞伎に、色悪(いろあく)と称される男たちがいる。おなじピカレスクでも、ニヒルで妖しい雰囲気を持っている。殺人も残忍に、ゆっくりとなぶり殺しにするような冷たさがある。透き通るような白い肌の美男で、自由に女を手玉に取り、いらなくなったら簡単に捨ててしまう。それゆえ色悪と呼ばれた。「四谷怪談」の主人公民谷伊右衛門も、色悪と呼ばれる男の一人であった。

伊右衛門は、赤穂の浪士でもあった。しかし、義士ではなく、その対極に立つ不義士であった。伊右衛門は、お岩という女に惚れ、結納金の帯代欲しさに御金蔵に忍び入り、御用金を盗み出す。お岩との仲は、「親の許さぬ転び合い」という私通であった。それゆえに、それ相応の金が欲しかったのであろう。伊右衛門は、大胆にも御金蔵破りの御法度を犯すことになる。この無鉄砲な行動力が、女を惹き付ける。やがてお岩は、伊右衛門の子を身ごもることになった。

色悪の男たちには、大胆なように見えて、その反面どこか間の抜けたところがある。それがかえって女たちには、かわいらしく見えて母性愛をくすぐる。このようなかわいらしさを、江戸の言葉で「愛敬」といった。伊右衛門にも、そのような愛敬があった。盗み出した御用金には、一両一両お家の刻印が打ってある。お岩の父四谷左門は帯代の金の封を切手、そのことを知ってしまう。悪人とはいえ、娘の恋人を告発するに忍びない。かといって、こんな男に娘を与えるわけにはいかない。迷っているうちに、江戸城松の廊下での刃傷事件が勃発して、お家は断絶、左門一家も伊右衛門も浪々の身となった。

ある夏の昼下がり、浅草観音の境内で、しつこく復縁を迫る伊右衛門に、左門は刻印の事実を告げる。面罵された伊右衛門は、舅殺しを決意する。浅草の観音裏の馬道にある浅草神社。その「お冨士さま」の小さな境内で、夜の闇にまぎれて伊右衛門は、四谷左門を騙し討ちにして殺す。しかも死体の身元が知れぬようにと、顔の皮を刀の先で切ろうとする。その残忍なところが色悪の真骨頂であった。

偶然にも殺しの現場に行き会わせたお岩がうろたえて自害しようとするのに対して、伊右衛門は、お前が死んだら、舅の敵は誰が討つと諭して、敵討ちの助太刀を餌にしてお岩との復縁を果たすことになった。そのとき妹お袖とともに泣き崩れるお岩の横で、伊右衛門は赤い舌をべろっと出して、夜の闇のなかに、にっこり笑う。

このようにして手に入れたお岩をも、伊右衛門は殺害することになる。隣家の伊藤の孫娘が、民谷伊右衛門に惚れて、恋の病におちいった。伊藤喜兵衛は孫の姿を見るに忍びなく、お岩という女房さえいなければと考えるようになった。

伊藤の家には南蛮渡来の毒薬が伝えられていた。それを飲むと面体が崩れ悪女の相好になる。そのような恐ろしい毒薬をお岩に飲ませ、伊右衛門を金と色で孫娘のものにしようと考え、それを実行に移す。髪の毛が大量に抜けて禿げあがり、顔面が糜爛した女房の顔を見て、伊右衛門は決意する。お岩をなぶるようにいたぶって、ついには死へと追いやることになる。

伊右衛門は、お岩にいう。あたらしい女が出来た。その女の櫛を買ってやる金が欲しいといって、赤ん坊のために釣ってある蚊帳を持っていこうとする。しがみ付いて止めようとするお岩。それを力ずくで奪うと、お岩の爪が剝がれて、指の先から血がしたたり落ちた。

伊右衛門は、傷ついたお岩に追い討ちをかける。宅悦というあんまの坊主を脅して、お岩と密通させ、追い出そうとした。そのような酷い仕打ちのなかでお岩は死んでゆくことになる。

伊右衛門は、事件を隠蔽するため、仲間の小平を惨殺して、お岩とともに一枚の戸板に釘付けにした。その戸板を、間男の男女を成敗したように見せて、面影橋から神田川へと流す。その夜、二人の死霊に取り付かれた伊右衛門は、花嫁のお梅と舅喜兵衛を誤って切り殺してしまう。

人殺しとなった伊右衛門は、深川に隠れ住み、そこで、さらにお梅の母と腰元を殺し、そのあとでお岩と小平を釘付けにした戸板に出会う。思わず引き上げるとお岩の死霊、裏返すと小平の死霊、ちょうど四十九日の夜にあたる、隠亡堀と呼ばれる妖しげな場所で見た伊右衛門の悪夢であった。

本所蛇山の庵室に隠れ住む伊右衛門は、夢で美しいお岩と再会し、目が覚めると恐ろしいお岩の死霊に苛まれた。そして雪の降る、ちょうど討ち入りの夜に、死んでいく。首が飛んでも動いてみせる、これが伊右衛門の最期のセリフになった。


「四谷怪談」は、いまから一七五年前(編註・執筆時)、文政八年(一八二五)七月、江戸中村座の盆狂言として初演された。「東海道四谷怪談」というのが、そのときの正式な題名であった。お岩に扮した人気役者三代目尾上菊五郎が江戸を離れて大坂へ行く、そのお名残の狂言だったので「東海道」と名づけた。伊右衛門には、菊五郎のお名残のご祝儀に、ライバルの名優七代目市川団十郎が出演して共演した。

七代目団十郎は色悪の名手で、ことに菊五郎との共演でその魅力を発揮した。二人とも立役の座頭で役どころが共通するが、一座のときには菊五郎が善人で、団十郎が悪に廻る。女形もできる菊五郎が女になったときが、団十郎の色悪の魅力が一番よく現れるときであった。「累(かさね)」の与右衛門とともに、この伊右衛門が現在でも繰り返し上演される団十郎の色悪の当たり役となった。

面白いのは、初演のとき、モデルとされた田宮家からクレームが付いた。歌舞伎の方では「民谷」としたから大丈夫だろうと思ったのだろうが、「四谷怪談」が大当たりとなって、ついに田宮家も黙っているわけにはいかなくなったのであろう。急遽、番付の文字を「押谷仁右衛門」に彫りなおして対応することになった。

幕府の方も見過ごすことができなくなって、四谷の名主に命じて、「於岩稲荷来由書上」という調査書を提出させた。ちょうど日本で最初の国勢調査が江戸で行われた直後だったので、その追加のかたちで調査が命じられたのである。それに拠ると、モデルとなったのは、幕府の御家人で御先手組(おてさきぐみ)の田宮伊右衛門ということになっている。娘の岩は疱瘡のために片目がつぶれ、醜い顔の女であった。跡継ぎがいないため入り婿にはいった伊右衛門が博打で借金をつくり、そのために岩が番町に下女奉公にいくことになった。岩の留守をさいわいに伊右衛門は新しい女房を家にいれ、それが知れて岩が鬼女のようになって発狂し、行方不明となった。そののち伊右衛門一家全員が急死するなど奇怪なことが起こった。これが貞享四年(一六八七)のことだという。

それから二十八年後、旧田宮の住居に、おなじく御先手組の山浦甚平という人が入ると奇怪なことがいろいろと起こったため、日蓮宗の妙行寺に頼んで勧進したのが「於岩稲荷」である。報告書の最後には、お岩狂走後、近々百五十回忌を迎えるので、お岩に戒名を贈ったとある。それが「四谷怪談」初演の直後、まだ初日から一月たらずの文政八年八月のことだという。

幕府に提出された調書とはいえ、内容は眉唾もので、そのまま信じることはできない。ただ、お岩稲荷は現在四谷に残っているし、妙行寺にはお岩の墓もある。「四谷怪談」上演時には、そこに御参りをするのが慣例になっている。そればかりか四谷のお岩稲荷の横には田宮神社まであって、田宮家の当主が神主をつとめている。そのような伝承の原型が、この報告書でつくられたことは間違いがなかろう。


色悪としての伊右衛門の人物造形には、実説と伝えられるモデルよりも、むしろ江戸の歌舞伎で上演されてきた、さまざまな色悪の人物が影響をあたえているとみたほうがよい。江戸で色悪が最初に流行するのは明和年間(一七六四~七一)で、団十郎の祖父にあたる五代目団十郎と初代の中村仲蔵(なかぞう)、その二人が色悪として鳴らした。

五代目は、まだ前名の松本幸四郎を名乗っていたが、それまでの公家悪(くげあく)と呼ばれた役柄から新しい色悪をつくった。幸四郎は「王子」と呼ばれる髪型で登場する若き皇族に扮した。みずから天皇として即位して、美しい姫君を無理やりに妃にしようとする。この当時の幸四郎の似顔絵をみると、まるで河童のように異様で、痩せて目だけ鋭く描かれている。その激しい恋ごころの表出が色悪の原型になった。

一方、仲蔵の色悪は「忠臣蔵」の定九郎の新演出に結実する。殿様拝領の黒羽二重(くろはぶたえ)の紋付を着て、頭から水を被って、花道を駆け出る。老人を殺害して五十両を奪うが、鉄砲の流れ弾に当たって死ぬ。どこにも女は出てこないのだが、死んでいく姿に色気があって、色悪の領域を押し広げることになった。

仲蔵を崇拝した五代目松本幸四郎の時代になると、定九郎は、死ぬときに赤い血反吐を吐くようになり、その血が真っ白に塗った男の足に落ちて赤い印を残す演出となる。この五代目幸四郎が、伊右衛門を初演した七代目団十郎の育ての親になる。伊右衛門が、月代(さかやき)は黒く伸びた「むしり」の鬘に、白塗りの顔、黒羽二重で出てくるのは、定九郎の色悪の延長線上にあることを物語っている。

団十郎は、父と尊敬する幸四郎が若き日に演じた『謎帯一寸徳兵衛(なぞのおびちょっととくべえ)』の大島団七をもとにして伊右衛門を演じた。大島団七も、父親を殺して女を手に入れ、敵を討ってやるという口実で同棲をする。その女をなぶり殺しにする悪人であった。

( 了 )

於岩稲荷。地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅(四谷三丁目交差点)から外苑東通りを信濃町方面へ、道の左側を歩くと、ほどなく四谷警察署。過ぎてローソンの角を左折。細い道を行き、すぐに右折。(撮影 2014年4月 以下同)

田宮神社。於岩稲荷の斜向かいにある。
左奥が於岩神社。右手前が田宮神社。周囲は住宅街。

俳句警察24時〜『遊戯の家』に潜入せよ!〜 石原ユキオ

$
0
0
俳句警察24時〜『遊戯の家』に潜入せよ!〜

絵・文 石原ユキオ




警視庁捜査第575課、通称俳句警察。ここでは事件性のある俳句について日夜捜査が行われている。

山さん「今回の被疑者は金原まさ子『遊戯の家』(金雀枝舎、2010年)だ」



インバネス「ゆうぎのいえ? 目が回りそうな題字ですね、山さん」

山さん「ゆげのいえと読む。遊戯(ゆげ)ってのは仏教用語で『心の赴くまま自在にふるまう』って意味だ」

インバネス「あやしい! 法令を守ろうという気持ちが感じられない!」

山さん「さっそく捜査だ」

入国す女掏摸花虻団一行  金原まさ子(以下同)

インバネス「『入国す』で切れています。5・5・10の変則的なリズム。季語『虻(あぶ)』が虻そのものではなく犯罪組織の名称の一部にカモフラージュされています。一息に詠まれた『女掏摸花虻団一行』の字余りは、女掏摸が何人も列をなして姿を現す様子のようにも思えます」

山さん「どんな組織か推理してみろ」

インバネス「国際犯罪組織ですね。国籍はわかりませんが日本語に訳したら『花虻団』になるんでしょうか。同じ組織が蛇頭と呼ばれたりスネークヘッドと呼ばれたりしますから。構成員は全員女性……ああ……」

山さん「どうした! しっかりしろ! インバネス!」

インバネス「う……春の日差しの降り注ぐ空港……。スカーフを風になびかせて飛行機のタラップを降りてくるサングラスの美女たちを想像していたらうっとりしてしまいました……!」

山さん「なるほどな。花虻の透ける羽からスカーフを、複眼からレトロかわいい大ぶりのサングラスを連想したのか」
インバネス「レトロかわいい……山さん、言うことが女性ファッション誌みたいですね!」

山さん「うるせえ。年頃の娘がいるから言葉遣いがうつるんだよ」

インバネス「花虻は花から花へ蜜を吸いながら移動していきます。主な被害者は華やかな富裕層ではないかと思われます」

山さん「これがもし『牛虻団』だったら印象がまったく変わってくるな」

インバネス「掏摸じゃなくて強盗団っぽくなりますね」

山さん「やっぱり花虻団じゃないとな。虻は植物の受粉を促す存在でもある。財布を抜き取るかわりに何か幸運をもたらしてくれそうじゃねえか」

インバネス「だからって犯罪組織の暗躍を許しておくわけには……」

山さん「しばらく泳がして様子を見るぞ。さあ、次の句だ」

連翹の根もとに腕のようなもの

指一本挿してありライムジャムの壺

インバネス「二句まとめて死体遺棄容疑がかかっています」

山さん「レンギョウってどんな花だったかな」

インバネス「そう言われると思ってWikiっておきました! こんな花です。春に開花します」
山さん「春先はこういう奴が増えて困るんだよ。桜の木の下に死体を埋めたり連翹の根元に腕置いたりな……」

インバネス「飽くまで『腕のようなもの』です。『バールのようなもの』は『バール』とは言い切れません。この件も断定するには証拠不十分です。しかし、血の色を失った腕が満開の連翹の下で黄色い光を浴びているところを想像すると……あぁん……」

山さん「どうした! しっかりしろ! インバネス!!」

インバネス「はっ……またうっとりしてしまいました!」

山さん「大丈夫か。二句目を推理しよう」

インバネス「ライムジャムを再現してまいりました。こちらです」

山さん「ほう」

インバネス「『壺』と書いてあるのを尊重して、金属の蓋付きの『瓶』ではなく樹脂製の蓋付きの『ジャムポット』に入れてみました」

山さん「うーん。どれどれ。ゲッ! 指が入ってる!」

インバネス「暴力団から押収したものです」

山さん「気持ち悪いもん作るなよ!」

インバネス「大丈夫です。暴力団から押収した証拠品の中に紛れ込んでたジョークグッズの指です。ロフトとかで売ってるやつ」

山さん「心臓に悪い……。こんなふうに細かく刻んだライムの皮も一緒にジャムにしてあると、中に多少変なもん入ってても一瞬気付かないな」

インバネス「そうなんです! ライムジャムの中に挿してあるものは犯人以外知り得ない。この句は犯人の立場から詠まれたものと言えます」

山さん「ひんやり冷えたジャムに指突っ込んでみたくなる気持ちをシュルレアリスムっぽく言ってみただけなんじねえかって気もするけどな……」

インバネス「だとしても衛生面で問題があります。食品衛生法違反で逮捕できますよ。そうだ、山さん。ここ見てください。殺人未遂の句があるんです」

裸寝の父は鳥葬にしてやらん

山さん「やさしい娘じゃねえか」

インバネス「えっ。そうでしょうか。父親が死ぬ話してますよ」

山さん「いやいや、これは愛だよ。仕事に疲れてお風呂上がりに裸のまま眠ってしまったパパ。大好きなパパ。パパももう結構な歳だ。こんなおだやかな寝顔のままいつか死んでしまうのだ。つらい。さびしい。パパが死んだら大自然に還っていけるように鳥葬にしよう。鳥と一緒に大空へ還っていったパパはやがて千の風となって……わぁたぁしぃのぉぉぉぉ〜♪」

インバネス「山さんだめです。JASRACが怖いのでそれ以上言わないでください」

山さん「泣ける話だろ」

インバネス「鳥葬ってどうやるかご存知ですか」

山さん「山の上に遺体を運んでいって鳥に食わせるんだろ? チベットの葬送の方法だよな」

インバネス「その際に、専門の職人に頼んで遺体を切り刻んでもらいます。食べ残しがあったら成仏できないと考えられているからです。細かく刻んだ肉をハゲワシっていうでっかい鳥につつかせます。画像は自己責任でググってください」

山さん「……ウッ……。けっこう手間がかかるんだな」

インバネス「俺が『鳥葬』と聞いたときにもっとも生々しく想像してしまうのは、鉈で人間のからだを分解している段階なんです。『裸寝』から『鳥葬』を連想するのはわかります。しかし、生きているひとをそのまま鳥葬にすることはできません。息の根を止める必要がある。『してやらん』という言葉には自ら手を下そうという意志が込められています。暑苦しい夏をより暑苦しくしている裸寝の父。もう嫌だ。我慢ならん。出刃包丁でギッタギタに解体してやる! そして鳥につつかせてやる! ああ! この強い強い殺意……!」

山さん「落ち着けインバネス! お前さん、父親になんか恨みでもあるのか」

インバネス「そんなわけで俺はこの句を殺人未遂と考えます。ちなみに日本でおこなった場合、鳥葬も死体遺棄です」

山さん「『遊戯の家』、死体遺棄率が高いな」

インバネス「青蜥蜴をなぶったり、モグラを剥いたり、動物虐待の句も目立ちます」

山さん「ううむ。動物虐待は猟奇殺人に繋がるからな。要注意だ」

インバネス「あっ……山さん」

山さん「なんだ」

インバネス「被疑者はすでに捕まる覚悟ができているのかもしれません。こんな句が見つかりました」

流氷を視ており牢屋へ入る前



刺すために BL(ボーイズラブ)と成員相互間善悪判断基準 藤幹子

$
0
0
刺すために
BL(ボーイズラブ)と成員相互間善悪判断基準

藤 幹子



悪徳とは何ぞや,と問いかける。

広辞苑第六版はいう。「わるい行い,道義にそむいた不正な行為」であると。道義とは何ぞや。それは「人の行うべき正しい道。道徳のすじみち」と。道徳とは何ぞや,それは「人のふみ行うべき道。ある社会で,その成員の社会に対する,あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として,一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく,個人の内面的な原理」という,ちと長い。

それでは再び問いかける。BL(およびその名が総称し想起させるもろもろの)作品とは悪徳なりしや?

雑誌「Ku+」創刊号において,問いかけられた「いい俳句」。この大アンケートに答えられた方々の多くが,「いい」とは何ぞや? と自らに問われたのではないかと想像する。週俳の前号で福田若之氏が告白しているように。

さて,あなたの「いい」はどこから? 「イイね!」と親指立てる「いい」? 楽しいの自分だけかもしれないけど,とおずおずする「いい」? 教科書に載せますよ,模範的な「いい」? 涎を拭いながらドュフフコポォって笑う「いい」? 「いい」は人さまざまにあるけれど,まさかに「道徳的であるからいい」と答えられた方はおるまい。

道徳的なところそれだけを尺度に「いい」,といわれる俳句は(おそらく)ない。しかし,悪徳的(あるいは背徳的)である事を,「いい」と感じられる俳句がある,という言葉なら,頷ける方もそれなりにいるのではないか。

もちろんそれはなぜか,の答えは簡単だ。前述したとおり道徳は暗黙の社会の規範であるから,そもそもがあらゆる言説の根底に道徳があることが前提とされている。ゆえに,殊更に道徳的である事が称揚されるはずもない。またそれゆえ,道徳から外れた(とみなされる)物や事,そしてそれを表現するということ自体が,耳目を集め,人によっては心を遠ざけ,人によっては惹き付けられる。それは社会の底をゆさぶるものと映るのだから。

「いい」は「わるい」で「わるい」は「いい」,と三人の魔女が唱えたとおり,道徳道義に反するものを好んでしまう者の価値観はどうにもそのようにできている(特に後半部分)。わたくしもまたしかり。属する社会の根っこをぐらりと傾けるような,あるいはひっそり齧り削られているような,そんな句に惹かれてしまう。

例えばそうだ,

 おまへの倫理崩すためなら何度でも車椅子奪ふぜ  御中虫

 蚊ではないものに手足を食はれけり  “

  小鳥来て姉と名乗りぬ飼ひにけり  関悦史

 造物主をミキサーにかけすりおろす  “

 われを焼きよろこぶ美少女の焚火  “

 放蕩や蛍を揉んでもみころす  金原まさ子

 ヒトはケモノと菫は菫同士契れ  “

 深夜椿の声して二時間死に放題  “

 高い窓に睡る看護婦縄に捲かれ  阿部完市

 るんるんと胎児つらぬく砲あつて  “

などなどの(いやもっともっとあるけれど)(関悦史氏なら「マクデブルグの館」連作などほぼ全てであるし)(御中虫氏の近作は)(意外と宮本佳世乃氏の句などにもあると思うのだけれど)(いや,きりがない)。

さて,ここで冒頭の問いに戻る。

実は私にテーマとして与えられていたのは「BL俳句」と「悪徳」であった。最初にそれを伺った時に考えたことは,BL(GL,つまり百合も含め)そのものが悪徳と言えるかどうかはともかく,それを楽しむ前提として,それらの根幹である『同性愛』が陰に陽に「背徳」であるとされている,ということがあるはずだ,ということだった。そして,もしそうであるならば,冒頭示した言葉の意義どおり,われわれが属する社会の「成員相互間の善悪を判断する基準」に背いていると考えられ,やはりBLは「悪徳」ということになる。

しかしながら,ここまで書いて,読者諸氏に問う。「BL」,説明必要ですか? 全く何のことやらわからない,今『同性愛』と書いてあるからそういう話なの? と初めて気づいた,という方,いらっしゃいますか。どちらかというと,「ぼんやりとだが,どうも少女マンガ的な美少年(あるいは美青年)が愛し合ったり行為にいたったりする小説やら漫画やらのことで,どうやら短詩界隈にもそれを好む人々が現れているようないないような,とにかく昨今女子から女子を遠く離れた人たちにまで妙な人気があるらしい」,ぐらいの知識はお持ちではないか。それは好悪に関わらず,頭の隅に入ってきてはいないだろうか。

(そしてゆるくご説明すると,BLとは,広義に少年愛,男性同性愛を扱う作品に冠せられる言葉でボーイズラブと読まれます。ボーイズと言いつつ,少年はおろか最近は壮年を扱うものでもそう呼ばれたりしております。GLはガールズラブであります。少女同士,女性同性愛ですね。)

時代はめまぐるしく変わっている。書を買いに町へ出よう,本屋の棚の其処ここに,BL(GL)は鎮座ましましている。立派にコーナーを設けられ,存在を明らかにされている。背徳で思い起こされるもう一極,SMや偏執的性嗜好(ようするに性欲につながるフェティッシュ)に比べたら,おそろしいほど明るみに出ている。(SMや変態性欲も,知られている,という意味においてはBLなどより昔から認識されているが,性的側面の強さゆえ年齢制限もあり,明るいところには出てこられない)

道徳という言葉の本来的意義からすると,多くの社会の成員はまだ『同性愛』を認めたとは言えない状況ではある。とはいえ,こうなると,もうBLという言葉,作品,そのものに,悪徳や背徳という看板を着せられるかどうかというのも甚だ疑問である。もはやそれは,ファッションにすぎない,BLにおける「悪徳・背徳」というものは。

そして,俳句において,BL句というジャンルが確立されているわけでもない。唯一公式に「BL句」と銘打って作成されているのは,ふらんす堂通信で関悦史氏が連載している『BLな俳句』内における氏の創作句だけではないだろうか。そして,公式に,現在BLと呼ばれ得ることがらをモチーフにしていると思われる句を集めて,それをBLとして鑑賞しているのもここだけであろう。しかし諸君。BLを愛好する人間にとって,この「モチーフとしていると思われる」の部分が何より重要なのである。

元来俳句は,読み・解釈にかなり左右される文学である。句の中に「君」が現れた時,果たしてそれは句の主体の友なのか他人なのか恋人なのか配偶者なのか,そもそも女性なのか男性なのか,はたまた句の主体自体,誰が想定されているのか,場所すら漠然としている場合も多く,その解釈は全て,読者にゆだねられている。もちろん創作物というのは多かれ少なかれそのような性質があるわけだが,俳句はとことん情報量が少ないので,読者に負うところが大きくなる。むしろ,そのような多種多様な読みが可能な事が俳句の醍醐味と言われている。

そこに,BL的読みを(具体的には句の中の登場人物の関係性を同性同士と考えてみる,句の主体に同性愛嗜好があると仮定しその感慨を読み取ってみる,たとえ対象が無機物であった時でもBL的な暗喩と捉えてみる,などなど)持ち込めたとき…おめでとう,その俳句はBL俳句へ進化した!(ただし読み手の中だけで)(そして「進化」といっていいのかどうか)

…長たらしい前置きを,また随分としたものであったが,そのような事柄を前提に,私が選ぶ悪徳(むしろ背徳)の一句を紹介したい。

それは,

 少年来る無心に充分に刺すために  阿部完市

だ。

有名句である。作者自身の自解もあったかと思う。それでも,「BL」「悪徳」のキーワードを頂いたとき,頭に浮かんだのはこの句であった。

少年来る,この少年が何のためにやってくるのか,句の主体者は知っている。あれはかつての自分であるから。彼は知っている,自分の力を試すために自分がかつてしてきた,無邪気な,しかし今大人の目から見るならば残酷で無意味な行為を。蟻を解体し,トンボの翅をむしり,コガネムシを踏みつけにし,生きものであれ植物であれ,石でつぶし,振り回し…その時の手ごたえを,力を持っている事の痺れるような悦びを,彼はよく覚えている。彼は刺しもしただろう。泥田へ,砂場へ,赤土へ,やがて命あるものへ。対象へぐっとめり込み貫くときの感覚は,彼に格別な快感を与えたものだ。力あることがうれしくて仕方がない。何ができるか,どこまでできるか。全能感に満ち溢れた日々。

しかしそれが今,なにゆえか逆流して現在の彼の眼前に現れたのだ。まだ少年の顔は見えない,だが確実に彼はやってくる。朝もやの中をあふれんばかりの力を振るうため,走る音が聞こえる。句の主体は知っている,得物は何でもよい,その力で何かを刺し貫く時のたとえようのない快感を。同時に彼は容易に想像できる,無心に,満足するまで力を振るい続けるであろう少年の恐ろしさ,そこから与えられるであろう苦痛は想像を絶するであろうことを。

彼の時間は少年であった日とつながり,円となって閉じた。逃げる事のできない時間の中で,遠い夏の日の自分に彼はいつまでも刺し貫かれ続ける。刺し貫く快感と貫かれる苦痛を同時に,そして永遠に味わいながら。

ああ,果たしてこれより背徳的な句がほかにあろうか。(いやない,と言いたいところだけれど多分ある)これをBL読みと呼ぶか否かは読者にお任せするが,私の中では十分にBL句であると強く主張するものである。

果たして悪徳とBL句,というテーマからは少しずれてしまったようではあるが,興味を持たれた方がもしいるならば,さあこわがらず,飛び込んでみましょう,BL読み・詠みの世界。手引き程度ならばしてさしあげます。さあさあどうぞ,さあどうぞ…






ロマンティックな手榴弾 小津夜景

$
0
0
ロマンティックな手榴弾

小津夜景



今回の「悪い俳句」特集。シュウハイ側のご説明によれば、この「悪」はワル、悪徳、背徳、不道徳などのラインで理解せよとのこと。どうやら俳句を「ノワール」の観点から読んでみなさい、という趣向らしいです。

さて枕話から入りますが、私はかれこれウン十年近く「武術業界」の最底辺をうろつく人生を送っています。この業界に足を踏み入れてしまった経緯については、それはもう色々ありました。一方ずっと足を洗わずにいる理由は、この業にハマっている人たちの頭のイカレっぷりを愛しているから、の一点だけ。

ところで武術というのは、伝聞によると東洋哲学のみならず現代思想ともたいへん相性がよろしいらしく、最近ではそうしたアプローチからこの道に興味をもつ人も割に少なくないようです。とはいえナマの現場を見るかぎり、言葉によって武術を「読みのネタ」へと引き倒すことの滑稽さに気づかない人は、この道を去ってゆくのもまた驚くほど早い、というのが個人的な実感。

なぜこの手の「知的」な人々は武術に飽きてしまうのか? これ、手近かつ素朴な印象としては、彼らが武術の「悪」の部分にさほど興味をもっていないことがすぐに思い出されます。翻って真性のクンファー(拳徒)はどうかと思い巡らすに、往々にして彼らはこの道を「人非人たちの吹き溜まる、畜生道なモンド・ノワール」と捉えているようす。

つまり真性のクンファーとは、知性などとはまるで別物の、もっとクレイジーでエイリアンなサムシングをもとめて日々精進する生き物である、という訳です。例を挙げれば、てのひらから波動砲を出す(これ、テクニカルタームで「如来神掌」と言います)とか、気のパワーで目玉焼きをつくっちゃう(周星馳が「食神」のクライマックスでかますあれ)とかその手のしょうもないノリ。こうやって書いてみると、必ずしも冗談でないだけに相当残念な気もしますが、総じてクンファーとは、黄金時代のショウ・ブラザーズのポスターやら何やらを仰ぎつつ、人に非ざる業をかくのごとく極めんとする哀しき徒である、と申すのがやはり適切でありましょう。

で、毎日こうした錬巧を黙々とやりつづけているとどうなれるかというと、もう本当に心の底から孤独になれます。あたかもアウトローのように。やっていることの意味が当の本人にも皆目わからないし、友だちも失いかねない。でもいかんせんクンフーはまるきり世間を顧みない、見えざる位相をのたうちまわってこそ俄然面白い。但し、これをうっかり口に出してしまうと、聡明な武術人たちから「は? 見えざる位相? それ別にアウトローと関係ないし。メルロ=ポンティの『読み』だって不可知なるアソコに狙い定めてヤッてんだけど?」みたいな感じの文句をつけられてしまうのですが。

ここで非常に問題な点、それは聡明な武術人たちというのが「この『不可知なるアソコ』って、ひょっとすると畜生界のことかもしれない」なんて風には想像すらしていないことです。大体が、良くて否定神学、下手すると大変スピリチュアルなものだと思っています。悟りとか、ニューサイエンスとか、そういうの。しかし武とは冗談抜きで「殺という視座」をめぐる体系なのですし、またそこで語られる死の意味するものが、形而上学とも宗教とも全く縁のない、そのまんまの「神なき世界」であることは改めて述べるまでもないでしょう。

と、まあこのように武術を「読む」人というのはその「悪」の部分にあまり興味がないか、もしくは都合良く理解してしまうことが少なくないわけですが、とはいえ個人的にはこうした現象を、武術に対する無理解と感じたことは実は一度もなかったりします。なぜかと申しますと、そもそも「悪」とは「読み」から最も隔絶したところに潜伏する性分である、と思うからです。

ようやくここから本題です。すなわち「悪」と「読み」との隔絶について。このふたつの相性というのは最悪というしかない。必ず、すれ違う。なにしろ「読み」というのはどうしたってその対象を理解しよう(時によっては救済し、最悪の場合は成仏させよう)とする行為です。一方「悪」とは他人からの理解を拒もうとする力学。この世のはぐれものたることを選んだ「悪」たちにとって「読まれること」は悪夢でしかありません。理解なんかされちゃあたまらない。畜生界では成仏も悟りもニューサイエンスも御法度なのです。

モンド・ノワールとはその孤独を単に生きるため、それに何の意味もなく耐えるために地上に存在する舞台であり、またそれでこそ無規範のロマンティズムも花開く。ジュネの『花のノートルダム』について何か書こうとしたデリダが思わず『弔鐘』のような怪書をものしてしまったのも、この「悪」と「読み」との相性の悪さ、すなわち 「悪」を強引に読もうとすると「いやらしい善意」の臭味がそこに避けがたく漂ってしまう、といった至上最悪の救済ヒューマニズムを回避するためでした(と、私も今これを書いていて気づきました)。かくしてデリダは自著をクレイジーなエイリアン化、というか哲学界のはぐれものとすることで、ジュネを「読み」に懐柔することなくその血肉に迫ろうとしたわけです(こんな不埒に自著を晒すとは、デリダというのも相当「悪い男」だったのでしょうね)。

つまるところ「悪い俳句」とは何なのか。それは「読み」を二重の意味で拒絶する俳句なのだと思います。「読者」を待たず「読解」を斥ける——おそらくこのような在り方こそ「悪い俳句」の美学に間違いありません。そして私たちはと言えば、どんなにその句を愛そうと、その馬鹿げたはぐれっぷりをそっと見守ることしかできない。しかしながらここで話を終えてしまうと若干愛想に欠ける気もするので、この「馬鹿げたはぐれっぷり」というのが一体どのようなものか、勇気をもって大いに通俗的な印象批評の水準にまで引きずりおろしてみます。すなわち以下のような条件を満たしている時、その句は思わずきゅうう…っと抱きしめたくなっちゃうほど「悪い」のではないでしょうか。

1 悪い俳句(=ノワールな俳句)とは、読者とその読解とによって昇華されることを頑なに拒む、強がりな芳香を放っている。

2 友のいない、孤独な、この世のエイリアンである性が、じんわりと滲み出ている。

3 この世のすべてを強奪したかのような豪壮な態度と、実際には何ひとつもっていない素寒貧の内実とが、同時に浮き彫りとなっている。

4 輝いていて、せつなくて、ただそこに転がる、最高にロマンティックな手榴弾である。


  街角に薔薇色の狼の金玉揺れる  山本勝之


10句作品テキスト 曾根毅 陰陽

$
0
0
曾根 毅 陰陽

骨肉や互いに水を温めたる

陰と陽いずれを選ぶ茄子の紺

日出ずる国の民とぞ柏餅

鶏頭を突き抜けてくる電波たち

角伐りの烏帽子がやけに眩しくて

健全なポインセチアと暮れにけり

力抜いて舌の先まで初詣

寒木を描き己を顧みず

頭とは知らずに砕き冬の蝶

蹄鉄の跡輝けり冬青空

10句作品 曾根 毅 陰陽

$
0
0
画像をクリックすると大きくなります。
週刊俳句 第365号 2014-4-20
曾根 毅 陰陽
クリックすると大きくなります
テキストはこちら
第365号の表紙に戻る

週刊俳句 第365号 2014年4月20日

$
0
0
第365号
2014年4月20日


2013落選展 Salon des Refuses≫読む


曾根 毅 陰陽 10句 ≫読む
…………………………………………………………

特集「悪い俳句」

ロマンティックな手榴弾……小津夜景 ≫読む

刺すために
BL(ボーイズラブ)と成員相互間善悪判断基準
……藤 幹子 ≫読む

俳句警察24時~『遊戯の家』に潜入せよ!~
……絵・文 石原ユキオ ≫読む

色悪江戸のピカレスク……古井戸秀夫 ≫読む

悪漢俳句:断章……西原天気 ≫読む

…………………………………………………………
創刊7周年記念オフ会(4/19)より
「今夜の一句/メッセージ」 ≫読む
会場スナップ ≫見る
…………………………………………………………
【句集を読む】西村麒麟句集『鶉』の一句
 わずかばかりの孤独を伴った一人の心地よさ……近 恵 ≫読む

自由律俳句を読む 40
第二回全国自由律句大会〔2〕……馬場古戸暢 ≫読む

【週俳3月の俳句を読む】
三浦郁 頭じゃなく体が感じてしまう句はすごい。≫読む
西丘伊吹 用途をはなれて ≫読む

赤羽根めぐみ 世界が停止する一瞬 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……上田信治 ≫読む


 「ku+ クプラス」創刊号 購入のご案内 ≫見る


 
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』発売のお知らせ ≫見る





新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ ≫読む
週俳アーカイヴ(0~199号)≫読む
週俳から相互リンクのお願い≫見る
随時的記事リンクこちら
評判録こちら

後記+プロフィール366号

$
0
0
後記 ● 仮屋賢一


関西俳句会「ふらここ」は活動4年目を迎え、ついに週刊俳句をまるごとプロデュースできるまでに至りました。

4年目にして初の出来事が、今回の週刊俳句第366号。366といえば、4年に1度の閏年。こういうところに偶然のめぐり合わせがある、と感じてしまうあたり、自分は考えすぎであると考えざるを得ません。

いくら一つの団体であるとはいえ、オーケストラのようにそれぞれに明確な役割分担があるわけでもなく、表現の方向性を一つに導いてくれるような指揮者もいないわけですから、俳句も自由奔放、てんでバラバラ……となってもおかしくないのですが、さすがふらここ。バラエティには富んでいると自負しておりますが、団体のカラーも出現しているのではないでしょうか。これを、ふらここの代表の人間性の賜物と言わずして、如何に表現すべきでしょうか。

さて、こんな我々ふらここですが、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。

まだ、プロフィールが残っておりますので、もうしばらく、お付き合いください。


no.366/2014-4-27 profile

仮屋賢一 かりや・けんいち
1992年京都府生まれ。関西俳句会「ふらここ」代表。京都大学工学部情報学科。作曲の会「Shining」会員。Lotus Castle - 俳句のある空間

山本たくや やまもと・たくや
1988年生まれ。船団所属。

木田智美 きだ・ともみ
1993年大阪府生まれ。別俳号、雀子。関西の星屑。龍谷大学。TwitterID:@kida2xyz

山下舞子 やました・まいこ
1994年愛媛県生まれ。同志社女子大学。

寺田人 てらだ・じん
1990年兵庫県生まれ。広島大学。広島大学俳句サークルH2O、立体交差、青春句会、くかいぷ元幹事、くかいぷち幹事。第5回石田波郷俳句大会新人賞秀逸10句選、芝不器男俳句新人賞一次予選通過。TwitterID:@trfhh0jin

中山奈々 なかやま・なな
1986年大阪府生まれ。「百鳥」同人、「里」人、「くまねこ」(ネットプリント)のサボってる方、「手紙」のうちの一人。「ほめてあげたい人賞」(中学生時代)。たまに、なかやまなな。TwitterID:なかやまなな(@fukurofuaribai)、がらんちょ(@kamiwotakusan)

川嶋健佑 かわしま・けんすけ
1993年大阪府生まれ。俳号、ぱんだ。甲南大学。

小鳥遊栄樹 たかなし・えいき
1995年1月21日沖縄県中頭郡西原町翁長生まれ。本名、仲里栄樹。讃岐うどん穂の川吹田店勤務、青春元主催、若太陽、立体交差、ふらここ、里、群青、週活句会、象さん句会、-blog俳句空間-戦後俳句を読むにて連作連載中。第13回21世紀ケロリン俳句大賞学生の部優秀賞、第14回21世紀ケロリン俳句大賞一般の部入選。

栢原悠樹 かやはら・ゆうき
1995年1月15日三重県生まれ。立命館大学情報理工学部、立命館大学囲碁研究部所属。

黒岩徳将 くろいわ・とくまさ
1990年兵庫県神戸市生まれ。俳号、希望峰。俳句集団「いつき組」所属、2011年「関西俳句会ふらここ」を設立し、2014年卒業。第五回石田波郷俳句新人賞奨励賞受賞。

浅津大雅 あさづ・たいが
1996年広島県生まれ。京都大学文学部。

脇田躍志朗 わきた・やくしろう
1990年生まれ。「百鳥」所属。

塩分 えんぶん
1992年4月6日大阪府茨木市生まれ。本名、田口明日香。神戸親和女子大学在籍(現3回生)。

吉村俊洋 よしむら・としひろ
1992年大阪府生まれ。

いけ
1991年茨城県生まれ。都留文科大学、くかいぷち。TwitterID:@iiiiikera(シーチキンbot)

甲斐千晶 かい・ちあき
1991年大阪府生まれ。

寒天 かんてん
1992年大阪民国生まれ。京都外国語大学。Twitter(https://twitter.com/xk_10x)

喜川 きがわ
1993年栃木県生まれ。京都造形芸術大学。

光 こう
1989年生まれ。2011年学生俳句チャンピオンベスト10。

丸山美早 まるやま・みさ
1992年広島県生まれ。俳号、たみこ。広島大学。

抹茶フラペチーノ まっちゃふらぺちーの
1995年愛媛県生まれ。早稲田俳句研究会。

中田岳俊 なかた・たかとし
1993年愛媛県生まれ。俳号、ひで。京都大学。第13回神奈川大学全国高校生俳句大賞最優秀賞。

野住朋可 のずみ・ともか
1992年愛媛県生まれ。神戸大学。

大林桂 おおばやし・かつら
1993年神奈川県生まれ。同志社大学、俳句結社『鷹』。

岡田朋之 おかだ・ともゆき
1992年大阪府生まれ。甲南大学。

水谷衛 みずたに・まもる
1996(平成8)年京都府生まれ。俳号、鯖。京都大学文学部。第16回俳句甲子園地方大会最優秀賞、全国大会入選。TwitterID:@mackerel8129(鯖江@ぶんしゃかぶんぶんぶんがくぶ(悟))

沙汰柳蛮辞郎 さたやなぎ・ばんじろう
呪われし1995年福井県生まれ。本名、川中秀明。同志社大学商学部1回生。

和氣由布子 わけ・ゆうこ
1994年愛媛県生まれ。俳号、さしはら。京都大学経済学部。第13,14回神奈川大学全国高校生俳句大賞入選。

辻本鷹之 つじもと・たかゆき
1996年奈良県生まれ。洛南高等学校出身、和歌山県立医科大学在学中。

福家 ふくや
1988年兵庫県生まれ。京都大学。

羽田大佑 はだ・だいすけ
1988年3月6日大阪府生まれ。俳号、ローストビーフ。吹田東高校(第7・8回俳句甲子園出場)にて始める。百鳥。第16回お~いお茶新俳句大賞 後援団体賞NHK文化センター選、第8回神奈川大学全国高校生俳句大賞 最優秀賞、第6回鬼貫青春俳句大賞 大賞、第7回龍谷大学青春俳句大賞 最優秀賞

東里こずえ ひがしざと・こずえ
1993年沖縄県生まれ。京都産業大学。

品川由衣 しながわ・ゆい
1993年三重県生まれ。立命館大学。

やそーか
1995年愛媛県生まれ。



第10回鬼貫青春俳句大賞受賞記念 今井心「眼鏡をはずす時わらう」を読む 黒岩徳将

$
0
0
第10回鬼貫青春俳句大賞受賞記念
今井心「眼鏡をはずす時わらう」を読む

黒岩徳将



鬼貫青春俳句大賞は、数少ない30歳以下の若手の登竜門の賞の一つであり、審査員四人の公開審査会によって受賞作が決まる。年々、応募作品数が増えており、今年は44作品が集まった。その中で、ふらここ所属の今井心が大賞を受賞し、角川『俳句』3月号p262-263に掲載された。

http://www.kakimori.jp/2013/12/post_192.php

  春光や眼鏡をはずす時わらう  今井心

細かいシチュエーションは自分で想像すればいいが、やわらかな光がある場所で主体は眼鏡をはずして笑う。理由などはあえて隠されていて、句の眼目は状況の意味ではなく、笑っている自分を確認することにある。この句単体で見ると、笑っているのはささやかな理由なのかもしれないが、「眼鏡をはずす時わらう」は30句連作のタイトルでもあり、意味深な「笑い」の要素が以後の29句にひっそりと織り込まれているように見えてくる。

  風船の重りとしての身体かな

二句目も同じく、最後に視点が主体自身に移る。句の構成から、独善的な内容に陥る危険性があるが、この作者は季語の斡旋と素直な語り口で、それらをかわしていく。

  雛祭りわたしのいない母の家

母は子ども(たち)が家を去っても、恒例行事をかかさない。あるいは雛壇は押入れにしまわれているのか。平明中七だが、自分の家ではなく、母の家と表現したところに母への思いが見える。この人が地元へ戻ることはあるのだろうか。

  東風吹いてかたまりになる一年生

運動場での体育の時間を思い出した。「かたまり」が適切で巧い。前へならえ、気をつけなどするのだろうか。わらわらと列を直そうとしている様子が見えてきた。

  春の夢自我をご用意致します

30句の中で最も採れなかった。誰が誰に向かって用意しているのか、このシチュエーションにおける自我とは何を指しているのか、ムードに凭り掛かりすぎているのではないか。深まる謎についていけなかった。

  宮島の客船夏を往来す

主体の存在する具体的な場所が伝わってくるのは、この句と17句目「除雪車や夜がさみしくないように」の2句のみ。大鳥居を横目に、客船がゆったりと行き来することを「夏を」と大きく捉えたところが手柄である。しかし、型にはまったきちんとした作りのこの句のすぐ近くに

  夏祭りスーパーボールのにおい嗅ぐ

があり、幅の広さも見せている。夏祭りの華やぎの中、実感をしっかり引きつけて書いた。しつこいまでの自己観察。

  秋麗大道芸に銭を置く

大道芸は俳人好みの素材だと個人的に思っている。句としてポエジーを出すための「銭」という卑俗な表現をあえて使う。五円か十円か百円か、銭入れに響く小さな音が聞こえてくるかのようだ。主体が初めて銭を置いたのか、他の人に誘われるように置いたのか、想像の広がりがある。

  林檎置きやがて絵となる美術室

まず始めに誰かの手と林檎が映り、そこから手がゆっくりと離れ、林檎の背景の黒板やイーゼルや絵の具、蛇口が見える。種明かしとしての下五が心憎い。説明するのが野暮だと思ってしまう。

  冬晴れや光の凝る熊の檻

冬眠中で出てこないのだろう、看板にも固まった光が留まっているのかもしれない。

  コート着るあなたが何か呟いた

30句目。それまでほぼすべて自己に回帰する句を読み続け、最後の句で他者を明確に登場させた。主体は「あなた」に聞き返すのか、なんとなく聞き返さない気がする。

総じて、一句における情報量は少なめで、それが余裕のある詠みぶりに繋がっている。今井は短歌をメインに活動している作家だが、俳句にその手法を適応できているのは、句の構造ではないだろうか。また、現代かな遣いが句の雰囲気に合っていることもこの作者の大きな武器だと言える。人間の登場する句が多かったので、次回は是非違った素材の扱った作品を読みたい。今井の呟く「何か」をこれからも期待している。

ふらここ新2回生紹介 栢原悠樹

$
0
0
ふらここ新2回生紹介

栢原悠樹



初めまして。関西俳句会「ふらここ」新2回生の栢原悠樹です。今回このような場をいただけるとのことでプライベートでも仲の良い「ふらここ」の新2回生の紹介をさせていただこうと思います。この人物紹介は本人から自己プロフィールと自選句2句および選句理由を用意してもらい、筆者が本人の許可を得たうえで軽く編集する形で書いていきます。
それでは男性陣から。


仲里栄樹(俳号:小鳥遊栄樹)

浦添高校OB。高校2年の夏から俳句を始め、第15回俳句甲子園全国大会に出場。現在「ふらここ」以外に沖縄俳句会「若太陽」、「里」、「群青」に所属しているほか、「-blog俳句空間戦後俳句を読む-」の連載、ネット句会「週活句会」、「象さん句会」参加、メール句会「立体交差」参加、メール句会「青春」元主催運営など幅広く俳句活動に取り組んでいる。

好きな季節は「初夏」、好きな季語は「星月夜」とのこと。趣味は俳句のほか短歌、写真、音楽と広く、特に音楽はギターやベースを弾く、LIVEに行くなど彼の1番の趣味であるらしい。そんな彼の最近のイチオシアーティストはBrian the Sun、Piano Girl、感覚ピエロとのことだが、このほかにもイチオシのアーティストがおり彼のTwitterに聞けば教えてくれるらしいので興味のある方は(Twitter@tibi_takanashi)に聞いてもらいたい。

彼の俳句は「里」、「群青」に掲載していただいているもののほかに「-blog俳句空間戦後俳句を読む-」にて10句連作連載をしているため興味のある方はぜひ読んでいただきたい。ちなみに「ふらここ」新2回生6人の中でおそらく句会参加率が1番高いと思われる。愛称は「えーきくんorえーきさん」である。

(自選句)
サンダルに流星蹴つたやうな傷
飼い猫の鼻ひくひくと夕涼し
(選句理由)
どちらも自分の代表句と言えるお気に入りの俳句であるから。


森本直樹(俳号:森直樹)

高田高校OB。高校2年の春から俳句を始める。第14回、第15回俳句甲子園全国大会に出場。第15回では高田高校Aチームのリーダーとして活躍し、敗者復活を勝ち抜いてチームは第3位となる。現在「ふらここ」以外に「鷹」俳句会に所属しているほか、ネット句会「週活句会」に参加している。

社交性が高く高校時代には俳句部の外交担当としても活躍。最近小さい子供が主人公の小説にはまっており、かつて子供のころ地元にあったいかにも廃屋といった家に「お化けが住んでいるに違いない」などといった空想で友人と盛り上がったこと、そして成長した今となってはそんな空想はもうできないことに少し寂しく思ったらしい。そのことからか子供の発想の豊かさや身体感覚に驚かされたり、子供のような自由な発想が出来たらいいなと思いながら毎日を過ごしているとのこと。

ちなみに見た目は怖いが目がとてもきれいでありそのギャップに驚く人も多数。

(自選句)
ストリートダンサーの臍春めいて
少憩に外す軍手や鳥帰る

(選考理由)
1句目は「鷹」の新人会に初めて出した句の中で一番のお気に入りであるから。
2句目は最近読んだ句の中で一番気に入っている句であるから。


栢原悠樹

高田高校OBでありこの文章の筆者。高校1年の冬に俳句を始め、第14回、第15回俳句甲子園全国大会出場。現在「ふらここ」以外の俳句会には所属していないが、メール句会「青春」に時々参加している。

俳句以外の趣味は料理と囲碁であり、料理では高校時代にカヤハラチャーハンで同級生から高評価を得た。声が高く、話すのが早いため「慣れないと聞き取れない」と言われることがかなり多い。

(自選句)
土色の軍手外して雲の峰
水桶に小さき足や夏の昼
(選考理由)
一句目は第15回俳句甲子園に出した句の一つであり、自分が初めてこれがいいと顧問の反対を押し切って出したことや過去に自分が作った句で浮かんでくる風景が一番お気に入りであり自らの代表句と言えるほど気に入っているから。二句目は夏の暑い昼下がりの風景をしっかりと切り取ることができ、俳句としてうまくできていると思っているから。ちなみにこの二句が高校時代俳句部で「昭和」と評される原因になったと思われる


さて、ここらで裏事情を一つ言わせていただくと、上の紹介のえーきさんと森本の紹介だけ本人からの草稿を一部カットしています。実のところ自分の分と安岡さん以外の女性陣はむしろ加筆しています。

続いて女性陣の紹介をどうぞ。


山下舞子

済美平成中等教育学校OG。中学1年から俳句を始め、第13回、第14回俳句甲子園全国大会に出場。現在「ふらここ」以外にネット句会「週活句会」に参加している。愛称は舞子さん。歌がうまいほか、おっとりした空気から突飛な言動など行動が読めない人物であるが、「これからもいろいろな俳句に出会っていきたい」と言うなど俳句に懸ける熱意は本物である。

(自選句)
目印は麻生さんちの山茶花よ
その中にふらここひとつ揺れている
(選考理由)
選句時点の気分で決めた。週活句会のおかげで作られた最新の俳句であるから。


安岡麻佑

済美平成中等教育学校OG。中学3年の秋から俳句を始め、第13回、第14回俳句甲子園全国大会に出場。現在「ふらここ」以外の俳句会には参加していないがメール句会「青春」にまれに現れることがある。「ふらここ」に入るきっかけは前代表の黒岩さんに「関西にくるならぜひ『ふらここ』へ!」とプレッシャーをかけられたことであるとか。

「ふらここ」に所属したこの1年間で高校俳句と大学俳句の違いをしみじみと感じたり、性格が大雑把になるなど変化があったとのこと。しかしながら、「自分の言葉で伝える」といったポリシーは変わらず強く持ち続けており、「どんなに幼稚な言葉であっても市販の安い言葉を使いたくない」という一心で俳句を作り続けている熱意を持った人物。

今年のテーマは「もっとオリジナリティを出す」とのことらしく、そのために多くの経験を重ねていくとのこと。ちなみにえーきさんよりも背が高くえーきさんをたびたび身長ネタでからかっている。

(自選句)
月光を溜めし蓄音機の音色
恋という仮説どんぐり転がりぬ
(選句理由)
一句目はクラシカルでしっとりとした情景を読みがちな私の私らしさが前面に出た句であり、俳句を始めたときから「安岡の句は難しい」と言われ続けた私の句の中では割とわかりやすく、それでありながら私の大好きな空間や雰囲気を表してくれるまさに代表句と言える作品であるから。二句目は私の斜に構えたかわいげのない性格が出た句であるが、そもそも私が今まで詠んだ恋愛句はすべて率直に愛を伝えるタイプのものではない。そんな中で2句目は恋自体を仮説と断定する思い切りの良さがあり、私らしい特徴の句であるから。ちなみにいずれの句も自分らしさが出ており気に入っているとのこと。


和氣由布子(俳号:さしはら)

済美平成中等教育学校OG。中学3年から俳句を始め、第13回、第14回俳句甲子園に出場。現在「ふらここ」以外の俳句会には参加していないが、「俳句ポスト365」に時々投句している。

高校1年でアイドルに目覚め、大学で踊りに目覚めるなど充実した生活を送っているが、それゆえに多忙でありなかなか「ふらここ」句会で会うことができない人物である。アイドルは愛媛のローカルアイドルであるひめキュンフルーツ缶とももクロを現在応援しているとのこと。ちなみに前述のとおり句会などで会うことが出来たら幸運であると筆者は思うくらいのレアキャラであるが、Twitterの出現率は結構高い。

(自選句)
春の海H He Li Be B C N O F Ne
占いは最下位ふらここ独占す
(選句理由)
一句目は高校時代に作った思い出の俳句であるから。二句目は俳号の「さしはら」としてのデビュー句であり、思い入れがある句だから。


ここでもう一つ裏事情ですが、この紹介の並び順は草稿が送られてきた順です。それがたまたま男性陣、女性陣の順になったのでその分け方を使わせてもらっています。なお筆者の草稿が3番目なのは気にしない方針でお願いします。

さて、こんな長い紹介なんて読んでいられないと思われた方に向けて個人の寸評を用意しました。「それを最初から書け」「そんなのあるんなら上の紹介文いらないんじゃ」とは言わないようにお願いいたします。なお、上の紹介文の内容には含まれてない部分や個人の感想が中心のため上の長い文章を読んだ方も楽しめるようになっています。

仲里栄樹……自他ともに認めるバイト戦士。「ふらここ」が行う句会などで背が少し低めで眼鏡をかけていて帽子をかぶった人がいたら9割方彼であると判定できる。バイトの掛け持ちによる深夜の活動や不健康な食生活などによる体調の崩れが心配されるが当人はお構いなしでバイト戦士としての役目を果たしている。ちなみに彼の家は「ふらここ」勢のたまり場の一つであり様々な人が置いていったものがある。

森本直樹……基本的にまじめな好青年だが、周りが友人のみもしくはパーティーのような場所ではテンションが高いことが結構多く、そういう人物が苦手な方は要注意である。交友範囲がかなり広いため結構いろいろな情報が入ってくるのか情報を提供してくれることがまれにある。一時、月1でえーきさん宅へ料理を作りに行っていたことがあるなど面倒見も良い。

栢原悠樹……筆者。基本的に頼まれたことを断ることが出来ないため面倒事を抱えることが多く、森本とは逆に基本的にノリが悪いため交友範囲は狭い。高校時代問題児の扱いを押し付けられる、癖の強い俳句部部員をまとめるなどの立場にあったためか癖の強い人物等への耐性は高め。

山下舞子……一言で表すならば「不思議ちゃん」。初めて行くえーきさん宅へ誰の案内もなく到着するなど驚くべき行動をすることがあり個人的には彼女の行動が完全に読めればその人物は株などで大儲け確実であると思う。LINEにおいてスタンプを使うことが多いが会話の流れとは合わないスタンプが使われていることも。

安岡麻佑……女性陣では新2回生で最も多く句会などにいるイメージがある人。「ふらここ」句会において背の高い女性がいたらおそらくは彼女です。怖いものが苦手なようであるが、それをネタにすると恐ろしいのでネタにしない方が吉。

和氣由布子……新2回生のレアキャラ枠、出会うことが出来たのならばその人は幸運である。部活、学業、バイトに力を入れておりおそらく一番大学生らしい大学生活を送っているといえる人物。ある時期から「さしはら」を名乗っているがその理由は不明である。

以上が筆者から見た6人です。結構適当と思いますが、外れてはないと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

音楽を詠む Galileo Galileiで見る四季 小鳥遊栄樹

$
0
0
音楽を詠む Galileo Galileiで見る四季

小鳥遊栄樹


一般人の季節感と俳人の季節感とでは何処かしら違うものがあるのではないかと時々思うことがあります。一般人の春はもしかしたら俳人の夏かもしれない。一般人の無季だって俳人は季節の色をつけられる。そんな季節感の違いを俳句と並ぶ趣味、音楽を通して見ていけたらいいなと思ってこの記事を書かせていただきました。

今回、僕が詠もうと企画しているアーティストは、敬愛するアーティストのうちのひとつ、Galileo Galileiです。

※Galileo Galileiとは?…2008年、ハローグッバイ(「雨のちガリレオ」収録)にて全国約一万組の応募の中から初代閃光ライオットグランプリに見事輝き、2010年、ハマナスの花(「ハマナスの花」収録)が史上最年少でau LISMO のCMへタイアップされメジャーデビューを果たしたアーティストである。おおきく振りかぶって、機動戦士ガンダムAGE、荒川アンダーザブリッジ、あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない、等数々の有名作品の主題歌を担当する。処女作、管制塔(「雨のちガリレオ」収録)は歌詞のストーリーをもとに三木孝浩映画監督により映画化されている。その際に管制塔のアコースティックver.を1stアルバム「パレード」に収録している。何度かのメンバーチェンジを経て3ピース(+サポートメンバー×2人、合計5人)に落ち着く。


ハマナスの花/Galileo Galilei
http://youtu.be/LwYfT8LijfI

曲のタイトルで使われているハマナス、晩夏の季語です。ですがこの曲のMVを見たときに誰も夏の曲だとは思わないでしょう。僕は晩春から初夏くらいの曲じゃないかなと思います。

  蛇穴を出づ身体より小さきドア

  ハマナスの散る早さで広がる世界

  カーテンふわり花吹雪包まるる


夏空/Galileo Galilei
http://youtu.be/X1Vm1YnDbj4

この曲はまさしく夏の曲ですね。盛夏と見てもいいかもしれませんが、曲調の爽やかさから初夏らしさも感じられるのではないでしょうか。個人的にこんな部屋に住みたいです。

  夏空を創りし神様の脚立

  浮き輪潜つてパラレルワールドに入る

  人居らぬ椅子水平線を向けり(無季)


四ツ葉さがしの旅人/Galileo Galilei
http://youtu.be/wfwpu-CVvXo

この曲もタイトルに使われている四ツ葉(クローバー)、春の季語ですが、僕は曲調やMVの色合いから秋らしさを感じました。緩い暖かみのようなものは春と秋に共通しているのではないかと思ってます。

  秋気澄む目覚まし止める利き手かな

  秋空を統べたる神の杖長し

  夢落ちの果てに金木犀香る


僕から君へ/Galileo Galilei
http://youtu.be/QfKWbAtVnoI

この曲はMVの雰囲気や冷たさを感じる曲調から、冬らしさが見えてくるような気もします。晩秋から初冬にかけての曲でしょうか。歌詞を見ながら曲を聞いてみると季語として冬銀河がぴったりくるのかなとも思いました。

  冬鳥の一斉に飛ぶ水面かな

  犬溶けて凍星となる準備かな

  スケボーの反り北風を貫けり


青い栞/Galileo Galilei
http://youtu.be/mF-Da9NXmb4

この曲の爽やかさと緩い暖かみのようなものは晩春から初夏にかけての曲でしょう。夏空と青い栞は僕が一番好きな曲です。

  春浅しカラーボールに人の熱

  廃線の真つ直ぐに伸ぶ鳥曇

  空瓶を捨て終点に石鹸玉


さよならフロンティア/Galileo Galilei
http://youtu.be/eoe8WikDG1I

この曲の爽やかさを残しつつ落ち着きもある曲調は晩夏から初秋にかけての曲でしょうか。MVに出てくる増減する立方体の色合いからも季節感が感じられるような気がしないでもないです。

  パステルの多き四角や夏始め

  流星や四角イコライザのごとく

  皆髪の長きバンドや夏日射す


明日へ/Galileo Galilei
http://youtu.be/Kmcc8WQvlJg

この曲の落ち着きもありつつ何処かしら冷たさも含んだような曲調は晩秋から初冬にかけての曲でしょうか。曲を重ねるたびにエレクトロニックな感じが増してきているような気がします。

  白鍵に這わせたる指秋深し

  蛇穴に入る黒鍵の深き黒

 

今回以上の7曲をお借りしてGalileo Galileiで四季を詠ませていただきました。今回使用しなかった曲も良い曲が多いので、是非聞いてみてください。

これはあくまで未熟な僕の俳人として見た、聞いたときの勝手な季節感です。至らぬ点もたくさんありますが、暖かい眼で読んでいただけたら嬉しいです。

拙い文章で大変読み辛かったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

ハイジャンパー俳句始めました。 川嶋健佑

$
0
0
ハイジャンパー俳句始めました。

川嶋健佑



自己紹介を兼ねて

私は2006年、中学1年生の時から陸上競技の走高跳を始め、はやいもので、今年で9年目になります。記録としては2m05cmの高さが今のところの自己ベストです。どれぐらいすごいか? 調べてみると元横綱の曙の身長が2m03cmらしいので曙は跳びこせるということですね。と言っても走高跳の世界記録は2m45cm。サッカーゴールの高さが2m44cmなのでサッカー日本代表川島永嗣選手のセーブでは阻止できないということになります。

もしかしたらあまり実感は湧かなかったかもしれませんが、この文章を読んでいる読者の頭の上なら私は、たぶん3歩助走をつければ跳び越せると思います。私は3歩あれば最大1m95cmの高さのものを跳び越えられます。どれぐらい跳ぶか想像できたでしょうか?

そんなアホは高いところ好きという言葉を9年間実践してきたのが私、川嶋健佑という人間でございます。


なぜピョンピョン野郎が俳句を?

一応、出身校は大阪府立吹田東高校という俳句甲子園の常連校で俳句に触れる環境が近くにはありました。しかし! 高校3年間は俳句には目もくれず陸上競技一色という3年間を送ってきました。だからよく俳句をやっている方に「すいひ」(吹田東の略称)卒です。というと俳句甲子園のことや俳句部のことを聞かれるのですが答えに窮してしまいます。

だって陸上漬けの3年間でしたから(笑)

私はスポーツ推薦で大学に入りました。当初は心理学を勉強したかったのですがスポーツ推薦は希望した学部にいけるとは限らず、案の定第三3希望の日本語日本文学科に入学が内定しました。ガチガチの国語系の学科です。

そんな私が俳句を始めたのは大学1年生の終わり頃です。授業の一つに俳人のわたなべじゅんこさんが講師をしてくださっているものがありました。その縁で句会に2度ほど呼んでいただき、それが私の俳句を始めたきっかけです。初めていった句会では7人中5人が素人、席題は「靴」「春の雲」の2つで2句出しでした。わけも分からずワイワイと俳句を作って

  ズリズリと灼熱の上靴の底

  春の雲気の向くままに我がままに

この2句を投句しました。

その結果は1選ずつ入りました。しかしまったく満足ができませんでした。だって私はどうしても、わたなべ先生に取らしたかったんです!

なにくそ!と思って歳時記を買って「俳句、はじめました」というエッセイを読んで、むかえた2回目に句会。当季雑詠が2句、席題「梅」「鳥」の4句出し。私は、

  春雨が我が身を削る事知らぬ

  梅の下白と黄色のミルクティー

  うぐいすを追う少年の左足

  若草や行方を知らず勇み足

の4句を投句。そのなかで「若草や」の句に1つしか選が入りませんでした。(ダジャレじゃないですよ)

この句会では凝りに凝った句を出したつもりでしたが、わたなべ先生からは「一句の中に言いたい事多すぎてまとまってない。勇み足なのはアンタやん」と言われる始末。あぁ、難しきかな俳句。木端微塵に打ちのめされました。

まぁ、けど俳句とかそのうち飽きるやろ。当時はそんな感じでした。


なぜふらここ?

わたなべじゅんこさんに俳句教えてもらったんやったら船団特集で出るんちゃうの?なんでふらここの特集なん? と思っている方がいるかもしれないですね。私がふらここに入るまでの経緯について話したいと思います。

初句会、2回目の句会が終わってから約1年ツイッターで俳句は垂れ流しせども句会には出ず。そんな日々を送っていました。本業の走高跳もあって句会どころではなかったこともあったんですけどね。それで陸上の2013年シーズンが終わって少し近辺が落ち着いたので昨年12月に行われた俳句ギャザリングを見に行かせてもらったんです。それでまた自分の中で俳句熱が湧き上がってきました。うわーまた俳句したいな。そう思っていた時に俳人でふらここメンバーでもある中山奈々さんにツイッターで見つけてもらい「ふらここ入会希望者おるでー」と奔走していただき今に至るというわけです。ツイッターつながりで入会するってイマドキですね(笑)

恐るべきSNS!


自分にしか詠めない俳句とは

上述していたように私は陸上を9年間やってきて俳句はまだ始めてからほんの短い期間しか経過していません。だからまだ俳句の右と左は分かるような気がするけど土地勘がないなぁといった状態です。だけど今まで9年間も走高跳やってきたので走高跳について見事に俳句で詠んでみたい! そう思いつつ作ったのが

  2メートル跳べば反転してる春

自分では自画自賛! だけど本当は走高跳でジャンプしてから着地までは一瞬で景色なんか見ている暇なんてないんですよ。感覚的にはジャンプしてから、グン、ボワン、グルンという感覚なんですが、、、あんまり伝わりませんね(笑)

理屈で言うと遠心力を使って踏み切りの瞬間に頭の先から足の先まで一直線に保ち地面反力と起こし回転運動を利用して、、、となるんですが、とにかく感じているものと表現に大きな隔たりがあります。

感覚を17音のことばのピースをはめて表現する。至極難しさをひしひしと感じております。でもこの難しさが俳句の心地よさなのかもしれませんね。頭をフル回転させてもなかなかいいことばが出てこない。だけども何にも考えていない時にフッと突然、グッとくる言い回しが降りてくる。本当によくわからないものです。


最後に

ここまで長くお付き合いくださいましたありがとうございました。今回、エッセイということで自分の拙くてお恥ずかしい文章を大々的に書き記してきました。素直に書こうと思ったので「とか弁」や「言文一致体」とかをふんだんに使い大変読みづらかったと思います。特にネットでの配信ということで近畿圏以外の方も見ておられると思います。近畿圏以外の方にまったく配慮をしない文章で申し訳ありませんでした。

俳句に精を出してからこの3月でまだ3か月。まだまだ取り合わせってなんだ? 切れ字の「や」って何? というレベルでございます。またどこかで会う機会がございましたら優しく叱っていただければ幸いです。それでは皆様に直接会えることを楽しみにして私のお話を終わっておきます。

チュース!!

楽しいムーミン一家で楽しい俳句 木田智美

$
0
0
楽しいムーミン一家で楽しい俳句

木田智美


俳句は楽しいものだと思う。音楽を聴くこと、映画を観ること、買い物をすることと同じように私は俳句と遊んでいる。他に楽しいものといえば、楽しいムーミン一家である。私が生まれる少し前に放送されていたアニメだが、一昨年地方局で毎朝再放送があり、毎晩腹筋をしながら見ていた。絵本のような映像、突っ込みどころ満載の展開、夢のあるストーリー、可愛らしいキャラクターたちにすぐに魅了された。

ムーミンに嵌った一昨年、アニメ吟行をし、いくつか俳句を作った。その一部を紹介する。

  梅雨明けて魔女になりたき少女かな

  ハーモニカ吹く船上や青葡萄

  パンプキンスープいつの間にか家族

  ラディッシュが布団に潜り込んできた

  白樺は住民を皆知っている

そして、今回このエッセイを書くにあたり、もう一度アニメの特にすきな話3つを見て俳句を作ってみることにした。お時間のある方はお付き合いください。


13話 地球最後の龍

大雨が降った翌日、水たまりでムーミンは龍の子を捕まえる。ムーミンは龍の子と友だちになろうとするが、スナフキンにしか懐かない。そこでスナフキンが取った行動とは?

  コーヒーのホット秘密は瓶の龍

41話 ムーミン谷の怪事件

ムーミン谷では、毎日のように署長とミイの姉がデートをしている。あまりにも平和でクビになりそうな署長を救うため、ムーミンたちは犯罪を犯す!?

  クロッカス仕事なくなるほど平和

  犯罪がないなら犯せ春の谷

56話 旅に出たママ

毎日同じご飯で飽きてしまった家族たち。ムーミンママは食材を探す旅に出る、スナフキンと一緒に。

  エプロンをしたまま初夏の星の下

  冒険のあとのさくらんぼをパイに

こんな具合でいかがでしょうか。最後に春の季語「スナフキン来る」で一句。

  スナフキン来る甘き香引き連れて

Stand by Me - B. E. King 中山奈々

$
0
0
Stand by Me - B. E. King

中山奈々



When the night has come
ぎりぎりと締めつけて夜を球にせん(佐々木貴子)

And the land is dark
イ(にんべん)とはぐれバーコードの森に入る(豊里友行)

And the moon is
the only light we see
月光や森は地球の耳となる(吉田拓馬)

No, I won't be afraid,
関揺れる揺れてない場所さがしつつ(御中虫)

Oh, I won't be afraid
両手に星をつかみたい子のバンザイ(住宅顕信)

Just as long as you stand,
山笑ふみづうみ笑ひ返しけり(大串章)

Stand by me
プラハまで行った靴なら親友だ(小池正博)

So  darling, darling,
立夏から立夏へわたしから君へ(大角真代)

Stand by me, oh stand by me
人が人を愛したりして青葉に虫(池田澄子)

Oh stand now, stand by me,
夜泣子を抱きしめてをる河鹿かな(島田刀根夫)

Stand by me
短夜のラーメン屋にも行ける仲(島津雅子)


If the sky that we look upon
should tumble and fall
青年期過ぎつつありぬソーダ水(西村麒麟)

Or the mountain should
crumble to the sea
風鈴のいつぱい鳴つても誰も来ず(山口優夢)

I won't cry, I won't cry,
いつになく酔ひたる喪主のはだか踊り(山田露結)

No, I won't shed a tear
忘るるにつかふ一日蔦茂る(佐藤文香)

Just as long as you stand,
寂しいと言い私を蔦にせよ(神野紗希)

stand by me
裸木の側にしばらく居てやりぬ(村越化石)

And darling, darling,
麦藁帽妙に深くて淋しいぞ(八田木枯)

Stand by me, oh stand by me
木の葉ちる明るさに君あらはれよ(夏井いつき)

Oh  stand now, stand by me,
コスモスなどやさしく吹けば死なないよ(鈴木しづ子)

Stand by me
あれが星であるならこれはタンポポ(青山ゆりえ)

Darling, darling
かすかなる空耳なれどあたたかし(森賀まり)

Stand by me, oh stand by me
さくら満ち一片をだに放下せず(山口誓子)

Oh  stand now, stand by me
同胞たちに噴水のまぶしい夜(福田若之)

Stand by me
指先で静脈探られて涼し(池原早衣子)


Whenever you're in trouble
海流のぶつかる匂ひ帰り花(櫂未知子)

Won't you stand by me, oh stand by me
いつしかに蟻の味方となりて居し(波多野爽波)

Oh won't you stand now, oh stand
マスクしてそれでも笑顔だとわかる(江渡華子)

Stand by me
さよならライオンきみのまつげに雪がふる(宮崎玲奈)



トマトを詠んだ男 寺田人

$
0
0
トマトを詠んだ男

寺田人



向き合い受け入れることこそが人を成長させる。その男の生き様は、私の恩師の言葉を正しく体現して居た。

黒岩徳将が自身の築いたふらここという句座を飛び出す決意を表明したのはいつのことだったであろうか。それは、彼の就職に伴う転居を以って現実となる。親鳥を失することとなった雛鳥たちは狼狽えただろうか。否、雛鳥たちは彼を自分たちの出来る限りの力で送り出すことを誓った。

三月某日。その男はある会議室に呼び出される。そこには句座の面々が。そう、サプライズ卒業式であった。「どうかふらここを潰さないでくれ。」そう告げて彼はふらここを後にしたかった。したかったはずである。ここから始まるのは卒業式に続く企画「お別れ会」である。

彼にも、葬り去りたい過去はあった。それは万人に等しくある、初学の頃。彼の人生で初めて詠まれた句が、お別れ会の会場に掲句された。

  向かい合いトマトな君に赤っ恥  黒岩徳将

立つ鳥跡を濁さず。礼には礼を、句には句を。彼の人生最初の句に対してふらここの面々は敬意を評し、それに対して挨拶句を添えることで、彼の卒業を祝うことを目指した。

彼の句に対し掲句されたうち、黒岩本人の選を得たのは以下の句であった。

  痴話喧嘩黙しトマトの熟れてゆく  寺田人

  刃の通りサラダとなれるトマトかな  小鳥遊栄樹

  晴れの国行け葱坊主晒し首  川嶋パンダ

  向かい合え!!恥と呼ばれたトマトかな  吉村

  新卒の部屋にかざるるトマトかな  鯖江

  全席の皿を統べたるプチトマト  川崎

  青の濃い国でトマトにしずくかな  野住

  赤恥は昔話にトマト喰ふ  福家

どの句もそれぞれの切り口で、掲句に対しての応答となる句となっている。向かい合うだけで赤っ恥だった頃から時を経て、痴話喧嘩となるもの。トマトがサラダとなるもの。その時の彼がまさしく晒し首のようであるというもの。その句に向かい合えと訴えるもの。新卒の彼を捉え直すもの。そんな彼が皆を総べていると捉えるもの。自身の色を対比させるもの。昔話にしてしまうもの。

彼は掲句を 「葬り去りたい」と口にして居たようだ。それに対してのふらここの返事は「否、その句から黒岩は始まった。」

  花びらは私を向きて落ちにけり  黒岩徳将

掲句より八年を経て、彼自身が彼の句に宛てたふらここ最後の句が、上述した花びらの句である。初学にしてトマトと向き合った彼は、俳句と向き合い、ふらここと向き合い、自身と向き合い、そして花びらと向き合った。

向き合い受け入れることこそが人を成長させる。その男の生き様は、私の恩師の言葉を正しく体現して居た。

彼はこれからも俳句とそして自身と向き合っていく。

初心忘るべからず。初学忘るべからず。自身の初学の頃の句に宛てた句を詠んだとき、違った世界が見えていることを再認識できるかもしれない。そう、ふらここを卒業した彼のように。

ここで、筆者も自身の最初に詠んだ句とそれに宛てた句を置き、締めくくりたいと思う。黒岩君、卒業おめでとう。

  月なくし光なけれど心悪  寺田人

  灯火を失くした人の春の月


FAQ ふらこことは?と思ったら 仮屋賢一

$
0
0
FAQ ふらこことは?と思ったら

仮屋賢一



このページは、ふらここに関する FAQ《(in)frequently asked question》集です。

ふらここに関する疑問が生じた際は、とりあえずこちらの(I)FAQ集をお読みの上、それでも解決しない場合は窓口 furakoko.819〈at〉gmail.com (〈at〉をアットマーク@にご変更ください)までお問い合わせください。


Q1. 「ふらここ」って何?

A1. 関西俳句会「ふらここ」のことです。関西の大学生を中心に、社会人までをも含む若手の俳句集団です。


Q2. だから「ふらここ」って何?

A2. あ、そっちですか。「ぶらんこ」の別名です。人口に膾炙している言葉でないので、電話などでは大抵訊き返されます。


Q3. 関西ってどの範囲?

A3. あなたが「ここは関西だ」と思えば、そこは関西です。


Q4. 関西在住じゃないと入れないの?

A4. あなたの気持ちの一部だけでも関西にあれば、たとえ世界中のどこにいようと入れます。現に、東日本にもメンバーはいます。興味がある方はお気軽にご連絡ください。


Q5. 何をしているの?

A5. 月に2回ほどのペースで、句会や吟行を執り行っております。場所は、京都や大阪が主ですが、他の場所へ赴くこともあります。


Q6. 個性的な活動をしているって聞いたけど……

A6. はい。2011年の創立以来、徹夜で活動をしてみたり、裁判所や映画館に吟行に行ったりなど、様々な活動をしてまいりました。最近では、調理室を借りてチョコフォンデュ句会を行ったり、ある人物を対象にサプライズ卒業式を執り行ったりなど、他にないバラエティに富んだ活動も行っております。


Q7. 真面目な活動はしているの?

A7. ふざけてなどおりません。いつでも本気です。


Q8. いや、そうじゃなくて……

A8. 勉強会の開催経験もありますし、一般的な句会や吟行、また、連作俳句の検討会などの活動も行っております。


Q9. 代表って誰?

A9. 仮屋賢一が務めております(2014年4月現在)。何かご用命があればお気軽にどうぞ。


Q10. ふらここの会員と非会員との見分け方は?

A10. 人が集まった際、眼鏡を掛けている人数の割合を気にしだしたら、高確率でその人は会員です。


Q11. 年会費、値切って

A11. そもそも徴収しておりません。


Q12. ふらここって句会だけ?

A12. 俳句又は会員に関する様々な情報共有の場でもあります。


Q13. 会員ってどれくらいいるの?

A13. 現在で50人は超えております。今回の「ふらここ春の蟲祭り」に俳句を寄せた人以外にも会員はいます。


Q14. ゴキブリ好きなんですか?

A14. 彼だって生きているんです。


Q15. 皆さん俳句はご自身で?

A15. 句会では席題も用意しているので、ゴーストライターの介入する余地はありません。Yahoo!知恵袋に頼んだってろくな俳句が集まりません。


Q16. SNSは利用しているの?

A16. Facebookページ(https://www.facebook.com/furakoko)、Twitterアカウント(https://twitter.com/furak0k0)があります。


Q17. 恋愛禁止なんですか?

A17. もしも、ふらここのメンバーで最近博多へ行った人がいるならば、それは旅行です。


Q18. 関西で若い俳句の人たちと連絡を取りたい!

A18. とりあえず、ふらここまたは代表・仮屋へご連絡ください。もっと若い高校生の方がいいなんて言わないで。


Q19. っていうか、まともな人いないの?

A19. 俳句の集団にそういうこと求めます?


Q20. どうせみんな俳句甲子園経験者なんでしょ

A20. そんなことねーし、大学以降で始めた人だっていっぱいいるし。


Q21. みなさん俳句以外にはどんな活動を?

A21. 様々です。奏でている方、踊っている方、働いている方、跳んでいる方、学んでいる方などなど、バリエーションも豊富です。


Q22. 算数が苦手でも入れますか?

A22. 当団体では、毎回の句会で「一人あたり決まった句数を提出した際の俳句の総数」、時に「眼鏡の着用率」の計算を行っております。これらの計算ができない場合は補習授業が開講される場合があります。


Q23. 俳句モードのスイッチが入らない
A23. 起動するには俳句歳時記(別売)が必要となります。句帖(別売)も併せて入手いただくことをお勧めいたします。


Q100. いきなり質問番号が飛んだのですが

A100. キリが無いので途中を割愛しました。そもそも、何か質問があれば連絡先は挙げていますし、今更ながらこのページの存在意義に疑問を感じた結果でございます。


Q101. では、最後に一言

A101. まだまだ序の口です。



ぶらんこのことを危険だと思って撤去したとしても、ふらここのことはいつまでもご愛顧ください!


Viewing all 6011 articles
Browse latest View live
<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>