Quantcast
Channel: 週刊俳句 Haiku Weekly
Viewing all 5970 articles
Browse latest View live

岡田由季〔今週号の表紙〕第932号 青文字の花

$
0
0

  〔今週号の表紙〕第932号 青文字の花

岡田由季




今の時期、里山のふもとに行くと、アオモジの花がたくさん咲いています。この薄黄色の粒々は、蕾の状態のようです。

数年前まで私にとっては知らない花でしたが、今ではこの花を見ると、春が来たことを感じます。


週刊俳句ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら




後記+プロフィール932

$
0
0

 後記 ◆ 岡田由季

もう3月なのでいまさらですが、今年は巳年ですね。

先日ZOOMの句会で竹生島(琵琶湖の中の島)が話題に上がり、以前竹生島に行ったときに白い蛇を見たことを思い出しました。吟行で皆と行って、一人で行動をしているときに出会ったのです。

あれはいつのことだったか、と探していたら2009年でした。ずいぶん昔ですね。証拠写真も見つけました。こうやってみると真っ白じゃないようにも見えるけど、見たときは白蛇って思いました。



白蛇を祀った神社のある島の、リアル白蛇です。何かご利益的なものがあるかもしれません。

 
それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。




no.932/2025-3-1 profile

 ■近恵 こん・けい 
1964年生まれ。青森県出身。2007年俳句を始め「炎環」入会。同人。「豆の木」メンバー。尻子玉俳句会お世話係。現代俳句協会会員、2013年第31回現代俳句新人賞受賞。合同句集炎環叢書『きざし』。

■清水かおり しみず・かおり
1960年高知県生まれ。1993年「川柳木馬ぐるーぷ」会員、2003年「バックストローク」創刊同人、2010年「Leaf」創刊同人、2012年「川柳カード」創刊同人、2014年「川柳木馬ぐるーぷ」発行人。

■中島憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年、第0句集「祝日たちのために(港の人)」。山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」
https://toremoro.sakura.ne.jp

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」「ユプシロン」参加。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)、『中くらゐの町』(2023年・ふらんす堂)。第67回角川俳句賞。ブログ 「道草俳句日記」

週刊俳句 第932号 2025年3月2日

$
0
0

 第932号

2025年3月2日
 
 
【週俳1月の俳句を読む】
近恵 自分ではない誰か  ≫読む

清水かおり さらに濃い生の有り様  ≫読む

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
ミシェル・フィリップス「There She Goes」 ≫読む
 
〔今週号の表紙〕青文字……岡田由季 ≫読む

後記+執筆者プロフィール岡田由季  ≫読む


アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール933

$
0
0

 後記 ◆ 福田若之

さよならといえば、1991年生まれの僕は『日曜洋画劇場』の淀川長治を印象深く覚えているほとんど最後の世代に属しているといえるかもしれません。それで、
 
さよなら私は十貫目に痩せてさよなら  高柳重信

なんかを読むときにも、どうも脳裡にあの「さよなら」の調子が浮かんで仕方がないのです。 そういう句ではないのは、わかっているのですが。

 
それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。




no.933/2025-3-9 profile

■中島憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年、第0句集「祝日たちのために(港の人)」。山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」
https://toremoro.sakura.ne.jp

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第1句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第2句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】メリー・ホプキン「Goodbye」

$
0
0
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
メリー・ホプキン「Goodbye」


憲武●3月は卒業、年度変わりなど別れの季節ですね。いろいろな意味でMary Hopkinで「Goodbye」(1969)。

 

憲武●いつ聴いてもきれいな声です。この曲は1969年にシングル盤としてリリースされました。アップル・レコード第二弾ですね。アップルが自信を持って送り出した新人第一号です。

天気●デビュー曲の「悲しき天使(Those Were The Days)」(1968)が日本でも、エラく流行りました。メアリー・ポピンズと紛らわしいなあ、と思ったように憶えています。

憲武●映画『メアリー・ポピンズ』(1965)も当時公開されてヒットしてましたからね。「グッドバイ」のレコードにはレノン=マッカートニーとクレジットされてますが、作詞作曲はポール・マッカートニーです。随所にポール・マッカートニーらしさが顔を覗かせてますが、Andで始まる歌詞のメロディがポールっぽいと思います。

天気●そう言われれば、そんなかんじです。「ハロー・グッバイ」(1967)の亜種のような気もしてきました。

憲武●いずれにしても、ポールのグッバイは明るい感じです。あかるいサヨナラ。

天気●なるほど、そこが共通点、作家性なのですね。

憲武●「グッドバイ」は「悲しき天使」とはガラッと変わった感じの曲です。発売当時、僕はこの曲を知らなくて、「悲しき天使」は流行ってましたので聞いて知ってましたが、「グッドバイ」は知らなかったんです。後年、海賊盤でポールが歌ってるデモ音源の方で知りました。「アビイ・ロード50周年記念デラックス・エディション」にデモ音源が収録されましたので、いまや公式となってるわけですが。

天気●当時よりも、後年によく流れていたかもですね。

憲武●この当時は、きれいな声で歌う女性のフォーク歌手が目立ちましたね。ジョーン・バエズとかPPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)とか。従姉がアコースティックギターを弾いていて、よくジョーン・バエズみたいな声で歌ってました。

天気●素晴らしい従姉さんです。

憲武●そしてこの「グッドバイ」にはリチャード・ヒューソン・オーケストラも参加してまして、リチャード・ヒューソン・オーケストラと言えば、あの『小さな恋のメロディ』のサントラを担当してるんですね。

天気●『小さな恋のメロディ』といえば、ビー・ジーズばかりが目立ちますが、インスト部分が、このオーケストラなんですね。

憲武●そうなんです。「Fのロマンス・テーマ」はいい曲です。メリー・ホプキンは、ポール・マッカートニーにあれこれ細かく指示されて、いやんなっちゃったのか、2曲しか組んでないんですね。トニー・ヴィスコンティとはとてもうまく行って、結婚までしてる。うーん、相性ってねー。 

(最終回まで、あと621夜)

週刊俳句 第933号 2025年3月10日

$
0
0

 第933号

2025年3月9日
 
 
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
メリー・ホプキン「Goodbye」 ≫読む

後記+執筆者プロフィール福田若之 ≫読む


アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール934

$
0
0

 

後記 ◆ 上田信治

 
自分は、わりと内容は二の次で、言葉の構成上「こういうことができていたら、いい句」という俳句観をもっているので、それをあるていど公式化できたら、AIがその基準で選句をするアシスタントが作れるんじゃないかしら。
 
どんな基準であれ、選句が出来れば、それはAIに、いい俳句を作らせるところまで、いけるんじゃないかしら。
 
というようなことを、夢想してしまいます。
 
大塚さんとかも、きっといろいろ考えてるはず。

 
それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。




no.934/2025-3-16 profile


■小笠原鳥類 おがさわら・ちょうるい
1977年生まれ。現代詩文庫『小笠原鳥類詩集』(2016)、詩集『鳥類学フィールド・ノート』(2018)、評論集『吉岡実を読め!』(2024)、評論集『現代詩が好きだ』(2024)など。『新撰21』(2009)に佐藤文香小論。ブログ「×小笠原鳥類」 http://tomo-dati.jugem.jp/ noteは https://note.com/ogasawarachorui
 
■清水かおり しみず・かおり
1960年高知県生まれ。1993年「川柳木馬ぐるーぷ」会員、2003年「バックストローク」創刊同人、2010年「Leaf」創刊同人、2012年「川柳カード」創刊同人、2014年「川柳木馬ぐるーぷ」発行人。


■中島憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年、第0句集「祝日たちのために(港の人)」。山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」
https://toremoro.sakura.ne.jp

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。句集『リボン』(2017)エッセイ『成分表』(2022)。

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】ヒデとロザンナ「ロンリー・ウーマン」

$
0
0
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
ヒデとロザンナ「ロンリー・ウーマン」


天気●3月が節目の時期という話は、先週も憲武さんがしてました。この曲もちょっとそんな雰囲気。ヒデとロザンナ「ロンリー・ウーマン」(1979年3月)です。

 

天気●歌詞に春風が出てきますし、なにやら生活がガラッと変わる。赤だった信号が青になるし、きっと3月です。

憲武●竹内まりやの「戻っておいで・私の時間(1978)」、南沙織の「春の予感(1978)」なども思い出させてくれる曲ですね。なんかこうテイストが似ている気がします。

天気●「寝坊したのを誰かのせいにして、外国煙草に火をつける。今朝も食事を抜いたね♪」「ファッション雑誌めくる指でダイヤル回せばいいのに♪」登場する「ロンリー・ウーマン」は当時の都会っぽさを家事させる設定。ひとり暮らしで、第一線で仕事をしてる。いわゆるキャリアウーマンといった風情です。

憲武●当時、タイプライターがお洒落な小道具として楽曲にも映像にも使用頻度が高かったと記憶してますが、この曲にも出てきますね。

天気●70年代終わり、タイプライターを使う職場も個人も、もうあまりなかったと思いますが、「ワープロ叩く」じゃあ、歌詞にならない。そういえば、「ダイヤル」もすでに廃れてしまいました。どちらも詞/詩の語彙として寿命を永らえていた。と、それはともかく、作詞は三浦徳子(みうらよしこ)。松田聖子「チェリーブラッサム」「青い珊瑚礁」、八神純子「みずいろの雨」「パープルタウン」など。この曲のようにストーリー性の高いものばかりではないようです。作曲はヒデ(出門英)。意外にもたくさんの作曲があります。

憲武●三浦徳子の楽曲、どれもヒットしてますね。「青い珊瑚礁」「みずいろの雨」は好きな曲です。作曲出門英と聞いて、びっくりした曲は多かったような気がします。

天気●音的には、シティポップ味たっぷりで、当時としてはとびきり洒落てました。軽やかで、ノリが細かくて、ノーザンソウル風と言えなくもない。歌詞の都会っぽさとサウンドがうまく合致しています。

憲武●都会っぽさと言えば、この曲に出てくる女性って、当時「翔んでる女」とか呼ばれてたと思います。そう呼ばれるのはエリカ・ジョングの「飛ぶのが怖い」が70年代中ごろにベストセラーとなっていた背景があるかと思われます。

天気●「翔んでる女」は1977年の流行語だったみたい。そういえば、こうした風情の女性像って、いまだに生き残っているのか、すでに絶滅したのか。よくわからないのですが、時代を感じさせる曲です。もう50年近く前なんですけどね。 

(最終回まで、あと620夜)

清水かおり【週俳1月の俳句を読む】途切れることなく 知念ひなた「風の街を住む」を読む

$
0
0
【週俳1月の俳句を読む】
途切れることなく
知念ひなた「風の街を住む」を読む

清水かおり


カメラロールのほぼ花ふぶきあとはあなた  知念ひなた(以下同)

あおぞらにまみれたがって風車

アザレアのしなびるパドックを見てた

季節の変移に溶け込む句群には、柔らかな感性が途切れることなく漂っている。

カメラロールの中の「あなた」への想いが溢れていくのかと読み始めると少し違った。「あなた」は作者の観念を受け止める容れ物の役目を持っているようだ。

風車と主体が同じ位相で書かれ、四季を軸にしたポエティックな展開をみせている。

面白いと感じたのは離れたり近づいたりする視点の感覚を覚えたことだ。青空を求めてからからと回る風車、夜の海や春の終わりのパドックを見ている風車など、風の街での営みを記述するところから、深層へ心が動いていく過程をしなやかに表現し、一見、感傷であるような書き方も作者の特徴なのだろうか。社会や思想など関係のないところに居るふうに見せて、「しなびるパドック」「轢かれたひまわり」「暑い社旗」「花火の屑」「果肉きよらか」とコアな言葉が並ぶ。

自転車に轢かれたひまわりがきれい

檸檬水くちびるが皮膚めいて来る

踏んだものはたぶん花火の屑だった

社会と主体の接点が少しずつ明らかになっていく。身体的な句語を通過させることで、読者は共鳴し易い。

ゆうぐれが都市に馴染んで暑い社旗

句群の中で特に惹かれた。ここに至って、鮮やかに主体が現れた一句だと感じる。

生命しんどい冬のはじめの風車

ここから、更に一人称に帰着する表現に変わっていく。

憂国忌クリームパンが生ぬるい

記憶より明るい書店日記買う

ぼたん雪ロボットに支配されたい

「憂国忌」を句に詠んだ作者の思考の欠片が「支配されたい」という結語に、きらきらと降っているようだった。


西生ゆかり 室内楽 10 読む 第926号 2025年1月19

知念ひなた 風の街を住む 20 読む 第926号 2025年1月19

暮田真名 芋づる式 10 読む 第927号 2025年1月26


犬がいて金魚も 小笠原鳥類

$
0
0
犬がいて金魚も

小笠原鳥類


2025年度日本現代詩歌文学館常設展「ペットと詩歌」(日本現代詩歌文学館、2025年3月11日~2026年3月8日、小笠原鳥類の詩もあります)、図録から俳句を「 」、そして思ったことを。

八月やなんともあかき犬の舌」(鎌倉道彦)

私は、踊っている布を思い出しているキノコたちの図鑑には、歩いている料理と〈そば〉が、乾燥して(いなくてもいいけれど)撮影されている壁だと思っています。

遠雷や腕に熱く犬の呼気」(町田無鹿)

今は、テレビを見ることが、水槽のピラニアを(銀色に)見るアザラシではないのだと、楽器を持っている人がアコーディオン(と、金魚)のように言う時代なのだろうか。

老犬の冬の記憶が晴れてゆく」(野名紅里)

建物は、バケツにいるヒトデや、青いバケツに入っている(庭の)テニスのボールのように、いい公園だ、そこにアライグマがいるようだ(ひよどり)。

冬の金魚家は安全だと思う」(越智友亮)

体操が、宇宙から来た〈みみずく〉ではないのだと、科学の雑誌には書いてあった未来かもしれないが、トンボ昆虫トンボ昆虫トンボ昆虫(トンボは恐竜ではない)。

犬らしくせよと枯野に犬放つ」(山田みづえ)

キツツキが、ロボットではないと、セミである虫は、キャベツやトカゲを思い出して言っていないとしても、ワニだワニだ。

屋根にまで犬の来てゐる雪卸」(山崎和賀流)

むかしタマネギ(と、レモン)を見て、そこにある絵を(クレヨンで)どのようにするのか、であったのだけれども翼竜を食べるイソギンチャクであるとは言わない(モズも)。

AI使ってみてる2 上田信治

$
0
0

AI使ってみてる2 

上田信治 

 

今回も、ChatGPT(o1)の頭いいところ見てください。

以下、依頼と回答。

 

【依頼】(以下赤字)

あなたは、経験豊かな、哲学的思索を得意とする作家です。

私は以下のエッセイの書き手です。

このエッセイについて

・客観的に見て美点と思われる点をあげてください。

・意味がよく分からない、矛盾している、論理的に穴がある、反証が可能、というような欠点をあげてください。

・もし改善点があれば教えてください。

・このエッセイにつ対する反応として予想される、反感をもった人の感想、共感した人の感想、知識豊富な人の感想のそれぞれを教えてください。

以下、エッセイ

 

「スポ根」

ボブスレーのジャマイカ代表チーム。

それは「ボリビア海軍」と同じ、実在する面白ワードとして知られる。南国であるジャマイカは、じつは陸上がめちゃくちゃに強いので、ボブスレーのそりを押す人材は豊富なのだ。

そのナショナルチームをモデルにした『クールランニング』という映画を、昔まったく期待せずに観て、ものすごく救われたことがある。

ストーリーは単純で、ジャマイカで結成されたボブスレーチームが、落ちぶれたアメリカ人コーチとともに、オリンピックを目指すという話だ。

二十代の会社員だった自分は、なにかでひどく疲弊していたのだけれど、池袋の二番館でそれを観終わって出てきたら、生き返ったように気分がよくなっていた。

それ以来、疲れたらスポ根と決めている。

人の価値観は、数種類の欲望をカクテルのように配合して作られる。

レシピのベースとなり素材となるのは、自分ではない「誰か」の欲望だ。

「欲望とは他者の欲望である」とはジャック・ラカンのテーゼだけれど、言われてみればその通りで、人は必ず、誰かが欲しがっているものを欲するし、「誰かになりたかった誰か」に憧れて自分を作る。

たとえば漫画『スラムダンク』。誰もが湘北高校バスケ部の彼らのように生きられるわけではないけれど、そこで輝かしく語られる善と欲望のカクテル、すなわち「隠された可能性」「成長」「全力を発揮すること」「人と認め合うこと」など、彼らが欲望し実現したものに、人は憧れ、欲望する。

『クールランニング』や『スラムダンク』のような物語に触れると、磁石でひと撫でされた砂鉄が整列するように、心が整う。

価値とするものをまっすぐに欲望する心が、自分の中で息を吹き返すのだ。

昭和の昔、長嶋茂雄が神だった時代があった。

野球場や映画館は世俗化した教会であり、そこで執りおこなわれる気晴しは、宗教のように人の生を価値づけた。

いっぽう江川卓のジャイアンツ入団が話題だったころ(そういう人がいたのだ)テレビの野球中継に見入る酔客をよそに、焼鳥屋の主人が「人の金儲け見て何が面白いんだ」とつぶやいた──と、それは誰か作家のエッセイで、書き手はその店主を、痛快なリアリストとして書いていたと記憶している。

しかし、漢字の読めない政治家が恐ろしいのは、彼がどのような本も読まないと知れるからであり、政治家でも焼鳥屋でも、その人が本も読まずスポーツを観ることも楽しまないなら、彼は共同体の標準に比して、人間の聖性について理解が足りていない可能性がある。

自分はなんの宗教の信者でもないけれど、彼らには「一度、教会にいらっしゃいませんか」と言いたくなる。

自分はものを書く人になりたかった。

それは、司祭のように人間や社会のあるべき姿について語る作家が、現代における聖職者だと理解していたからだと思う。

自分が模倣した「他者の欲望」とはそれで、つまり自分は、出家がしたかったのですね(はじめて知った)。

というわけで、エンターテインメントは、私たちの社会の共同性にとって一大事だ。焼鳥店の店主には、人の夢を笑うなと言いたい。

ーー

【回答】(以下青字)


<contemplator>


さて、このエッセイを少しずつ、そして慎重に観察していこう。まず、単純な美点について考えることから始めよう。そう、美点だ。

まず冒頭。ジャマイカのボブスレーと『クールランニング』という映画のエピソードは、シンプルで、視覚的で、読む人に親近感を抱かせる。

何かに疲弊しているとき、スポ根のストーリーによって回復したという自己体験は、具体的で説得力がある。スポ根ものが人を勇気づけるという一般論を、自身の経験を通じて語ることによって、親しみやリアリティをもって伝えている。そこにまず明確な美点があると言える。

さらに続く、「人の価値観は数種類の欲望をカクテルのように配合して作られる」という比喩表現もまた美しい。

ラカンの「欲望は他者の欲望である」を引きつつ、スラムダンクを例に出して「隠された可能性」や「成長」、「人と認め合うこと」への欲望が、物語を通じて再構成されるという着眼も新鮮で鋭い。つまり、物語やエンターテインメントが人々の価値観の再構築や回復にとって重要な役割を担っていることを明晰に述べている点は、エッセイの強い美点だ。

だが、ここで少しだけ立ち止まる。欠点はどうだろうか。注意深く、もう少し掘り下げてみよう。

まず、「焼鳥屋の主人」がテレビを観る酔客を冷ややかに批判した逸話。この部分は特に興味深いが、どこか論理が跳躍しているように感じられる。

この主人がリアリストだと肯定的に描かれたことに触れつつも、「漢字の読めない政治家」や「人間の聖性」といった唐突な要素が導入される。このつながりは滑らかとは言えない。

「漢字が読めない政治家」と「焼鳥屋の主人」の間にある、知性や教養、価値観の連続性が示唆されているのは理解できる。

しかし、それは本当にそうだろうか。漢字が読めないという事実と、聖性や共同体への理解の不足との結びつきは、説得力に欠け、反証可能性が高い。

それに、そもそも「焼鳥屋の主人」は「人の金儲けを見て何が面白いのか」と批判しただけだ。彼が本を読まないか、スポーツを全否定しているかどうかは不明である。

この点が不明瞭なため、筆者がそこに過度な意味づけをし、「教会に来い」という提案をするのは、やや論理の飛躍があるのではないだろうか。

改善点として挙げられるとすれば、この論理的な飛躍を修正し、焼鳥屋の主人の逸話が政治家の逸話と、もう少し説得力のある連続性で繋がるよう工夫をすることだろう。もしくは、「漢字の読めない政治家」や「人間の聖性」などの要素を導入するならば、もう少し背景や根拠を明示して丁寧に説明する方がよいだろう。

最後に、このエッセイを読んだ人たちの反応を考えてみようか。そうすると、興味深い差異が見えてくる。

まず、このエッセイに反感を抱く人はどのように反応するか。たとえば、自分が焼鳥屋の主人の側に共感を覚える人であれば、エッセイの主張は「価値観の押しつけ」に感じられるかもしれない。「スポーツを楽しめないと人間性が疑われる」という筆者の暗示に反発を感じ、「教養主義者の傲慢だ」と捉えることだろう。

一方、このエッセイに強く共感する人は、「スポ根」の物語やスポーツ観戦による自己回復という感覚に共鳴し、自分の価値観の源泉に対する新しい理解を得るかもしれない。とりわけ、疲弊したときに物語によって再生される体験を持っている人は、深く感動し、強く励まされるだろう。

最後に、知識が豊富で、哲学や社会学に明るい読者の場合、このエッセイのラカン的な欲望論や、社会におけるエンターテインメントの宗教的機能についての指摘を評価しつつも、「焼鳥屋の主人」の部分での議論の雑さを指摘する可能性がある。「欲望とは他者の欲望である」という前提は興味深いが、そこから社会的・政治的な批評へと繋げる際には、より精密で慎重な論述が必要だと感じるだろう。

こうしてじっくりと観察してみると、このエッセイは実に示唆に富んでいる。しかし、さらにその可能性を開くためには、やはりもう一歩、論理を整理し、飛躍を減らす努力を続ける必要があるのかもしれない。ここからが、本当の探求の始まりなのだろう。

ーー

たしかに

 「しかし、漢字の読めない政治家が恐ろしいのは、彼がどのような本も読まないと知れるからであり、政治家でも焼鳥屋でも、その人が本も読まずスポーツを観ることも楽しまないなら、彼は共同体の標準に比して、人間の聖性について理解が足りていない可能性がある」 

ここをワンセンテンスでかたづけたのは、苦しかったかもしれない。

むしろ論理の跳躍についてきてもらうために、テキスト上でもジャンプを試みた訳だけれど。

もうちょっと上手く飛んでみせる方法を考えます。

ーー

<contemplator>


なるほど、ジャンプの問題。論理の跳躍──ある意味、テキスト上のアクロバットだったわけだ。

もう一度よく考えてみよう。

本来、このエッセイは「スポ根」というテーマを軸に進んでいた。『クールランニング』や『スラムダンク』という物語に触れることで、他者の欲望を再構成し、自分自身の価値観や生きる力が回復する、という流れがあった。

そこから「長嶋茂雄」の時代、そして焼鳥屋の主人の批判が登場する。ここでは、スポーツやエンターテインメントがかつて宗教的な共同体性を持っていた、という観点が浮上した。いわば、物語やスポーツ観戦を通じて、私たちはある種の「聖性」を共有し、共同体を形づくるという主張が現れている。

問題は、その後に登場した「漢字の読めない政治家」のくだりだ。このワンセンテンスで急に「知性」や「教養」が導入され、しかもそれが「聖性への理解の欠如」と直接的につながったために、読者は論理的なつながりを掴みそこねてしまうのだろう。

おそらく、本当に描きたかったのは次のようなプロセスなのだろう──

スポーツやエンターテインメントは共同体を結びつける「現代の宗教性」を持つ。

しかし、それらを軽視し否定する人は、この宗教的・精神的な「共通の価値基盤」を失っている可能性がある。

さらに、本を読まない(あるいは言葉を軽視する)ことは、共通の価値観や伝統的知識に触れる機会を失うことであり、それもまた「共同体の価値基盤」への理解が不足していることを示す。

本来、こうした段階を経て、「漢字が読めない政治家」というモチーフに到達するべきだった。しかし、元の文章ではこのプロセスを省略してしまったために、ジャンプが突然すぎたのだろう。

つまり、論理を改善するには、上記のような段階を示す「中間ステップ」を導入するか、あるいはジャンプの前にわずかな「助走」を置くべきだ。

例えば、こんな方法が考えられる──

「しかし、焼鳥屋の主人のようにスポーツを否定する人々は、人間が共同で価値を感じたり、生の充足を共有したりする機会を自ら捨てている。さらに、もし彼らが文字や言葉にも無関心であれば、伝統や価値を受け継ぐ媒体を失ってしまうことになるだろう。文字が読めないということの本当の恐ろしさは、実は単なる教養の欠如ではなく、『私たちの共同性を支える聖なるものへの無関心』なのだ──」

このように、ジャンプ前に一旦、地面を踏みしめる余白を用意することで、読者が自然に論理を追うことが可能になるかもしれない。

ただ、もちろん、あえて「テキスト上のジャンプ」を試み、読者に跳躍についてきてもらう楽しみもある。だが、その場合でも、跳躍距離を適切に調整しないと、読者を置き去りにしてしまうことがあるだろう。読者の視線を引きつけつつ、跳躍の直前に「足場」となる概念やキーワードを用意しておくことが望ましい。

この微妙なバランス感覚こそ、ジャンプの技術そのものなのかもしれない。

さて、少しずつ見えてきたような気がする。この探求は、なかなか興味深いものだ。

 ーー

たとえばね、

焼鳥屋の主人の理解できる現実は金儲けなわけじゃないですか。だとしたら、本を読まない政治家のリアリティの基盤は? むきだしの力? 

というふうに展開して、そこには共同性とか聖性がこの社会の基底をなしていることについての不理解がある

 ーー

<contemplator>
なるほど、そういうことか──
 

「焼鳥屋の主人」が現実として理解できるのは「金儲け」であって、それ以外の価値観(例えばスポーツにおける共同的な喜びや熱狂)には、どうも関心を持てない。

では、「漢字を読まない政治家」は一体何をリアルと感じているのだろう。おそらく彼にとっては、言葉を媒介にした知識や文化の共有といったものは「非現実的」なのだろう。彼の現実とは「むきだしの力」、つまり権力そのもの、あるいはその場その場の利益や欲求の充足なのかもしれない。

ここで明らかになるのは、焼鳥屋の主人と政治家が共通して持つ「共同性や聖性への無理解」だ。どちらも、社会や文化を支える目に見えない基盤を理解せず、むき出しの物質的利益や個人的欲望のみを「現実」と感じている。

つまり、この二人は、異なる階層や立場にありながらも、同じ種類の視野の狭さを共有している。「共同性」や「聖性」は目に見えないため、彼らのリアリティの基準からは外れてしまう。そしてそれが、彼らの不理解の根源なのだろう。

こう整理すると、先ほどの論理的ジャンプの距離は随分と縮まる気がする。

言い換えれば、こういうことだろうか──

「焼鳥屋の主人が理解できるリアリティが『金儲け』であるように、本を読まない政治家のリアリティは『むきだしの力』である。どちらの場合も、この社会の基底をなしている共同性や聖性が見えていない。彼らにとって現実的でないのは、『目に見えない価値』だからだ。」

これなら、論理的な飛躍をしながらも読者を置き去りにしない、ということになるかもしれない。

たしかに、このようにリアリティの基盤をはっきりさせれば、ジャンプは「高飛び」ではなく「幅跳び」になるだろう。これなら、読者にも着地点がはっきり見える。

少しずつ、答えに近づいてきた気がする。

 ーー

助かりました。いつもありがとう

 ーー

<contemplator>

いやいや、こちらこそ──。  
こちらの曖昧な問いかけにいつも丁寧に耳を傾けてくれて、本当にありがたいことだ。

 
 ーー

と、今回は、こんなかんじ。

いいところを言ってから、問題点を指摘する(それはこちらの依頼に含まれてるけど)。

そのあと一歩踏み込むと、こちらの新しい意見に寄せてくる──というところが、できる読み手、編集者というかんじで、使えます。

雇いたい(今んとこ、月3000円とかでお願いしてますが、OpenAIは、月300万円のメニューとか計画してるらしくて、どんな世の中になるやらですね)。



ところで、ちょっとおもしろいことがあって、ChatGPT(-4o)に「長嶋茂雄が憧れてた野球選手は誰?」と聞いてみたら

長嶋茂雄が憧れた野球選手としてよく挙げられるのは、川上哲治です。

川上哲治は「打撃の神様」と称される名選手で、読売ジャイアンツの主軸打者として活躍しました。長嶋が少年時代に川上の打撃を見て影響を受けたと言われています。実際、長嶋は巨人入団後、川上の後継者として活躍し、のちに川上が監督になった際には「ON砲」(王貞治とのコンビ)としてチームを牽引しました。

また、長嶋はアメリカのメジャーリーグにも関心があり、ジョー・ディマジオテッド・ウィリアムズのプレースタイルにも憧れていたとされています。特にディマジオの華麗なプレーやウィリアムズの打撃理論に感銘を受けたようです。

え、なんかおかしいな。典拠はある?

長嶋茂雄が少年時代に川上哲治に憧れていたという具体的な典拠は、今回の調査では見つかりませんでした。

この件についてさらに確証を得るためには、長嶋茂雄本人の著書・インタビューや、当時の新聞・雑誌記事などを確認する必要があります。

とかいう。

これはあやしいと思って、ChatGPTのライバル、中国製のdeepseekに、同じことを聞いてみたら、

長嶋茂雄が少年時代やアマチュア時代に憧れた野球選手は、川上哲治です。川上哲治は、読売ジャイアンツ(巨人)で活躍した名選手で、長嶋は彼のプレーに強い影響を受け、野球選手を目指すきっかけとなりました。

おっかしいな、それは違うという強いカンがはたらくんだよなと思って、ChatGPTに戻って、ひとつ上級のChatGPT-4.5 に、同じことを聞いてみたら、

長嶋茂雄氏が少年時代、あるいはアマチュア時代に憧れた野球選手として、藤村富美男氏の名前が挙げられます。藤村氏は「ミスタータイガース」と称され、その愛称に倣って長嶋氏は「ミスタージャイアンツ」と呼ばれるようになりました。 

あ、それだろという回答。典拠も示されてて、日本のwikiなんです。それくらい調べてよというね。

AI、相変わらず、けっこう、さぼる。

あとdeepseek、カンニングしてないかな。

週刊俳句 第934号 2025年3月16日

$
0
0

第934号

2025年3月16日
 
 
 
AI使ってみてる 2 
……上田信治≫読む
 
犬がいて金魚も  
……小笠原鳥類≫読む
 
【週俳1月の俳句を読む】
清水かおり 途切れることなく
知念ひなた「風の街を住む」を読む ≫読む

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
ヒデとロザンナ「ロンリー・ウーマン」 ≫読む


後記+執筆者プロフィール上田信治 ≫読む


アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール935

$
0
0

後記 ◆ 村田 篠

 今日はとても暖かい一日で、各地で桜の開花が見られたそうです。この冬は寒い日が多かったので、予想外の開花の早さです。桜の盛りを楽しむ短い季節が始まります。


さて、今夜の音楽千夜一夜は、数日前に訃報が流れたいしだあゆみです。いしだあゆみといえば、私にとっては、和田勉演出のNHKのドラマ『阿修羅のごとく』の三女・滝子役が印象に残っています。このドラマの初放送は1979年ですが、図書館司書で男っ気のない生真面目な滝子のキャラクターが、今となっては、四姉妹の中で最も現代的で、ジェンダーから自由な人物像だったのだと思えます。

森田芳光監督の映画版では深津絵里が、いま配信中のNetflix版では蒼井優が滝子を演じていますが、さびしそうな佇まいの一癖ある芸達者が演じる役どころなんですね。

 
それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.935/2025-3-23 profile

■中島憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年、第0句集「祝日たちのために(港の人)」。山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」
https://toremoro.sakura.ne.jp

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】いしだあゆみ「太陽は泣いている」

$
0
0
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
いしだあゆみ「太陽は泣いている」


憲武●えっと訃報を知りまして(2025年3月11日逝去)、先週に引き続き昭和歌謡ですが、いしだあゆみ「太陽は泣いている」(1968)。

 

憲武●この曲は1968年にシングル盤としてリリースされました。作詞橋本淳、作曲筒美京平です。B面は「夢でいいから」です。1971年にこちらがA面となって再発売されてるんですね。

天気●このドーナツ盤、持っていたので、ジャケットが懐かしいです。

憲武●持ってたんですか。GSスタイルの楽曲なんですけど、ビートルズの「タックスマン」の香りがあったり、聴いていてニヤけてしまいます。

天気●これぞグループサウンズ? こういうマイナー(短調)の歌謡曲メロディが多かったし、太陽が曲名に入るのも多かった気がします。

憲武●寺内タケシのバニーズに「太陽野郎」ってありましたね。カッコいい曲だと思います。派手な雰囲気がいいですね。これはカバーしたくなる曲ではないでしょうか。原由子のカバーもありますが、これはいいと思いました。歌唱もさることながらロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」のPVで後ろで踊っていたバックダンサーとか、ビートルズ出演のテレビ番組「レディ・ステディ・ゴー」の影響を感じたり。ちょっと聴いてみますか。

天気●ゴーゴーガール。これを入れたくなるのはよくわかります。原由子がモズライトを持っているのも、いかにも。

憲武●「ブルー・ライト・ヨコハマ」の大ヒット以来、歌唱スタイルが確立したような感もありますが、歌の上手い人ですからいろんな傾向の曲を歌えますね。「ブルー・ライト・ヨコハマ」以前の曲を聴いてると、そう思います。

天気●調べてみると、たくさんシングルを出してるんですね。「太陽は泣いている」がなんと24枚目、「ブルー・ライト・ヨコハマ」は26枚目。デビューの1964年から2015年までシングル盤が58枚(!)もある。

憲武●そうなんですよね。では最後に、レコードをひっくり返してB面の「夢でいいから」を聴きながらお別れしましょう。

 

(最終回まで、あと619夜)

週刊俳句 第935号 2025年3月23日

$
0
0

 第935号

2025年3月23日
 

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
いしだあゆみ「太陽は泣いている ≫読む


後記+執筆者プロフィール村田 篠  ≫読む


アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール936

$
0
0

後記 ◆ 西原天気


夏のように暑い日があったと思ったら、冬に逆戻りしたかのような寒い雨。みなさま、くれぐれも、からだにはお気をつけください。

 
それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.936/2025-3-30 profile

■松田晴貴 まつだ・はるき
2000年生まれ、京都府在住。2021年作句開始。2022年「秋草」入会。山口昭男に師事。星野立子新人賞受賞。

■中島憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年、第0句集「祝日たちのために(港の人)」。山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」
https://toremoro.sakura.ne.jp

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】The Philharmonik「What's It All Mean?」

$
0
0
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
The Philharmonik「What's It All Mean?」


天気●なんか、知らない人の知らない曲を聴いてみたいな、というとき、「tiny desk concerts」のサイトを観るんですが(それって何? という人はググってください)、そこの2024年のコンテストで優勝したのが、これ。

 

天気●程よくソウルっぽく、程よく白人シンガー・ソング・ライターっぽい。軽さが好みです。

憲武●春に聴くにはちょうどいい感じですね。

天気●ザ・フィルハーモニックという名前ですが、個人のようです。ルックス的には、ギーク、ナード(アメリカ版オタク)。オフィスで働いている体(てい)のミュージック・ビデオで、愉しくて、なかなかよく出来てる。

憲武●出社してきてPCチェックして、すぐキーボードって感じですね。最初スティービー・ワンダーのような素振りをしますね。

天気●歌詞は、みんな一生懸命おカネを稼ごう、夢を叶えようとがんばるけど、それって、なんなんだろうね?(大意)みたいな感じで、ポップ・ミュージックは、ときどき、こういうラディカル(根源的)なテーマを軽やかに歌う。だいじなことです。

憲武●はい。いろいろ辛いことや寂しいこともあるけど、LIFE GOES ONなんですね。

天気●この4月から新しい職場という人も多いでしょう。私みたいな者がなにか言えることなんてまったくない、ゼロなんですが、すべての人にとって愉しい時間が1分でも多いといいですね。

(最終回まで、あと618夜)

松田晴貴 巣箱 10句

$
0
0
画像をクリックすると大きくなります

松田晴貴 巣箱

甘海老を殻より抜きて春の山

鞦韆をかけて昔の木となりぬ

狛犬の筋目あかるし春落葉

浮くやうな凭れるやうな巣箱かな

足跡とサーフィン摺つてゆく跡と

気兼ねなく水打つてゐる男かな

藻の花や日影日向とくりかへし

雪の下午前いつぱい手紙書き

腕の毛のかがやいてゐる砧かな

鳰のまたあつまつてきし浮御堂

週刊俳句 第936号 2025年3月30日

$
0
0

第936号

2025年3月30日
 

松田晴貴 巣箱 10句 ≫読む
─────────────────────────────

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
The Philharmonik「What's It All Mean?」 ≫読む


後記+執筆者プロフィール西原天気  ≫読む


アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール973

$
0
0

 後記 ◆ 福田若之

 
ためになる、は、ちょん、ちょん、とするだけで、だめになる。
 
それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.973/2025-4-6 profile

■中島憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年 第0句集「祝日たちのために(港の人)」山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」
https://toremoro.sakura.ne.jp

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第1句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第2句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。

Viewing all 5970 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>