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西原天気【2023年週俳のオススメ記事 1-3月】

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【2023年週俳のオススメ記事 1-3月】
読むことと追悼

西原天気


恒例の新年詠のあと、第821号(2023年1月15日には竹岡一郎による関悦史論「アルゴンたらむと関悦史」第822号(2023年1月22日)には三島ゆかりによる「橋閒石『微光』を読む」。これは『みしみし』創刊号(2019年4月)より転載(『みしみし』掲載の句集レビューをたびたび転載させていただいています。あらためて感謝)。

この号の【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】は追悼ジェフ・ベック。60年代から70年代のロックスターや大物ミュージシャンの訃報が頻繁に届くようになりました(翌週は、1月11日に亡くなった高橋幸宏追悼。さらにその翌週は1月29日に亡くなった鮎川誠の追悼)。

第825号 2023年2月12日には三島ゆかりによる「浅沼璞『塗中録』を読む」、友定洸太によるイベントレポート「小川楓子句集『ことり』出版記念トークイベント ことりと楓と俳句」

第826号 2023年2月19日には宮本佳世乃による「金子兜太「生長」を読む」。『炎環』誌からの転載です。



第831号 2023年3月26日には小笠原鳥類「ロ たなかあきみつ詩集『境目,越境』を読む」三島ゆかり「生駒大祐『水界園丁』を読む」。なんだかんだあっても、〈読むこと〉は忘れないようにしたい、週刊俳句の冬から早春にかけて。



週刊俳句 第871号 2023年12月31日

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 第871号

2023年12月31日

 2024新年詠 大募集 ≫見る

〔2023年週俳のオススメ記事
1月~3月 
読むことと追悼……西原天気 
≫読む
4月~6 ディスタンス迷宮、発足etc.
……村田 篠 ≫読む
7月~9月 少ないなりに……岡田由季 ≫読む
10月~12月 きんぴら……上田信治 ≫読む

週刊俳句2023年アンソロジー 1818
……福田若之・謹撰 
≫読む
 
ブラジル俳句留学記〔22〕
ブラジルの資料アクセス先(暫定版) ……中矢温 ≫読む

〔今週号の表紙〕第871号 フレーム
……村田 篠 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……村田 篠 ≫読む
 
 
新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

 

後記+プロフィール872 上田信治

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 後記 ◆ 上田信治

 

2024年の新年詠を、お届けいたします。
今年は、週俳当番の5人も入れて、130句。
ご参加いただきました、皆さまに、厚く御礼申し上げます


たいへんな年明けになりました。と、わざわざ言うのもアホらしいほどです。ほんとにねえ、びっくりしますよね。

こういうとき、俳句は何を書くべきか(書かないべきか)という話に必ずなるんですが。
 
「書く人」とか「俳人」は、人間の、恣意的に定義できるサブカテゴリーなんで、その人がありたいようにあれば、いいと思うんですよ。
 
あの年はこんな年だったけど、こんな俳句を書いてしまったなあ──で、いいんじゃないですかね。
 
 
それでは、来週の日曜日に、またお会いしましょう。


no.872/2024-1-7 profile

 

■谷口智行 たにぐち・ともゆき    
1958年生まれ 運河主宰、里同人。句集に『藁嬶』『媚薬』『星糞』

■杉田菜穂 すぎた・なほ
1980年奈良生まれ。句集に『夏帽子』ほか。「運河」無鑑査同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。

■小田島渚 おだしま・なぎさ
銀漢、小熊座 第39回兜太現代俳句新人賞 第一句集『羽化の街』


■井原美鳥 いはら・みどり
1949年生まれ 能村研三・磯貝碧蹄館に師事。現在「沖」蒼茫集同人、句集に『分度器』。俳人協会会員。

■有本仁政 ありもと・ひとまさ
1962年兵庫県生まれ。「韻」同人、「ひとつばたご」編集長、現代俳句協会会員、中部日本俳句作家会会員。

■大井恒行     おおい・つねゆき
1948年、山口県生まれ。「豈」同人

■んん田ああ んんだ・ああ
1962年大阪府生まれ 京都府在住 清掃作業員

■杉原祐之     すぎはら・ゆうし
昭和54年東京都生れ。平成10年「慶大俳句」入会、本井英、三村純也に師事。以降「惜春」「山茶花」「夏潮」に参加。第一句集『先つぽへ』、第二句集『十一月の橋』(共にふらんす堂)を上梓。

■岡野泰輔 おかの・たいすけ
船団の会 散会まで在籍。共著『俳コレ』、句集『なめらかな世界の肉』。

■鈴木茂雄 すずき・しげお
堺市在住「Picnic」編集 ハイヒール句会・KoteKote-句-Love所属 X(旧Twitter)「ハイク・カプセル」http://twitter.com/haiku_capsule

■上野葉月 うえの・はづき    
暫定句会、尻子玉、豆の木、義仲寺連句会。ブログ:葉月のスキズキNEO https://uenohatsuki.seesaa.net/

■飯田冬眞 いいだ・とうま
1966年札幌市生まれ。「磁石」編集長、「麒麟」同人。俳人協会幹事。句集『時効』

■篠崎央子 しのざき・ひさこ
1975年茨城県生まれ。「磁石」同人。2021年句集『火の貌』にて第44回俳人協会新人賞受賞。同年、第9回星野立子新人賞受賞。句集『火の貌』(ふらんす堂)。共著『超新撰21』(邑書林)。

■うっかり うっかり
1982年徳島県小松島市生れ。「ひまわり」会員、「奎」同人、俳人協会、現代俳句協会、徳島文学協会所属。うっとりしていたい。

■芳野ヒロユキ よしの・ひろゆき
1964年生まれ。静岡県磐田市在住。「窓の会」常連。「猫街」同人。句集に『ペンギンと桜』(2016年・南方社)

■竹内宗一郎 たけうち・そういちろう
「天為」同人。「街」同人・編集長。俳人協会幹事。

■小谷由果 こたに・ゆか
1981年生まれ。「蒼海俳句会」所属。俳人協会会員。

■広渡敬雄 ひろわたり・たかお
1951年福岡県生まれ、「沖」蒼茫集同人、「俳人協会」会員、「塔の会」幹事。日本文藝家協会会員、日本山岳会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。合同句集『塔』第九集、第十集、第十一集(塔の会編)。『俳句で巡る日本の樹木50選』。『全国俳枕の旅62選』(近々刊行予定)。2012年角川俳句賞受賞。2017年千葉県俳句大賞準賞。
    
■ハードエッジ
元twitter専業俳人。『角川俳句賞落選コレクション』刊行予定。

■クズウジュンイチ
1969年生まれ。「いつき組」「麒麟」。スパルタ句会。群馬県高崎在。

■中村想吉 なかむら・そうきち
1959年生まれ。東京都在住。蒼海俳句会。

■髙木小都 たかぎ・こと
蒼海俳句会

■五百石 ごひゃっこく
先人の句を師匠として、いくつかのネット句会を拠りどころに独学・独楽三十余年の老俳書生。

■原和人 はら・かずと
1952年生 銀化同人、いつき組 俳人協会会員

■酒井匠 さかい・しょう
1983年生まれ。東京都在住。「傍点」「麒麟」の幽霊部員。

■鈴木総史 すずき・そうし
1996年生まれ。北海道旭川市在住。櫂未知子、佐藤郁良に師事。「群青」「雪華」同人。俳人協会会員。第37回北海道新聞俳句賞、第11回星野立子新人賞。2月に第一句集を上梓予定。

■赤野四羽 あかの・よつば
1977年生まれ。『楽園』同人。句集『ホフリ』など。

■安田中彦 やすだ・なかひこ
「香天」同人。句集『人類』。現代俳句協会会員

■尾内甲太郎 おない・こうたろう
1984年生まれ。静岡県浜松市在住。ポエデイ(2024年2月24日)副代表、第9回詩歌トライアスロン三詩型鼎立部門受賞。

■青木ともじ あおき・ともじ
1994年千葉県生まれ。東京都在住。俳句甲子園13,14回出場。「群青」所属。

■大塚凱 おおつか・がい
一九九五年千葉生まれ。俳句同人誌「ねじまわし」を共同発行。イベントユニット「真空社」社員。 第七回石田波郷新人賞、第二回円錐新鋭作品賞夢前賞。共著に『AI研究者と俳人』(dZERO、二〇二二年)。

■金子 敦 かねこ・あつし
1959年神奈川県生まれ。句集『猫』『砂糖壺』『冬夕焼』『乗船券』『音符』『シーグラス』『金子敦句集』。1997年第11回俳壇賞受賞。「出航」同人。俳人協会会員。

■北大路翼     きたおおじ・つばさ
俳句サロン「りぼん」代表。ジュニアアイドル以外に心を奪はれるものがなくなつた。

■小林かんな こばやし・かんな
2018年より『ユプシロン』に参加。現代俳句協会会員。

■宮﨑莉々香 みやざき・りりか
1996年高知生まれ。「オルガン」に参加。

■火山晴陽 ひやま・せいよう
1968年生まれ。大阪府在住。「青垣」会員。

■森 青萄 もり・せいとう
1952年北海道生まれ 小熊座同人 ブログ「青萄ぶるう」

■西生ゆかり さいしょう・ゆかり
1984年福井県生まれ。「街」同人。第1回街未来区賞、第3回円錐新鋭作品賞白桃賞、第3回新鋭俳句賞(俳人協会主催)準賞、第68回角川俳句賞。

■長田志貫 ながた・しかん
2000年生まれ。東京工業大学大学院修士1年。青嵐俳談に投句。

■中矢 温 なかや・のどか
1999年愛媛県松山市生れ。「楽園」同人、現代俳句協会所属。2023年8月からブラジルのサンパウロ大学に半年間の留学中。



■藤井祐喜 ふじい・ゆうき
1962年、東京生まれ。「街」同人。俳人協会会員。

■中内火星 なかうち・かせい
1949年生まれ。現代俳句協会。「瓏玲」編集長。

■佐山哲郎 さやま・てつろう
1948東京根岸生、「月天」。

■山口昭男 やまぐち・あきお
昭和30年(1955年)4月22日・兵庫県生まれ。波多野爽波、田中裕明に師事。「秋草」創刊主宰

■岡田一実     おかだ・かずみ
『鏡』同人。この春、新句集上梓予定。

■マイマイ まいまい    
『いつき組』
    
■千野千佳 ちの・ちか
1984年新潟県生まれ。蒼海俳句会所属。第11回星野立子新人賞受賞。

■青島玄武     あおしま・はるたつ
熊本市出身、在住。1975年(昭和50年)3月生まれ。2002年(平成14年)作句開始。2003年(平成15年)、俳誌『握手』の磯貝碧蹄館に師事。2年後に同人。師の没後は無所属。邑書林刊『新撰21』に選ばれなかったほうの『新撰21』世代。現代俳句協会会員。熊本県現代俳句協会幹事。

■大野泰雄 おおの・やすお
1950年生まれ。「銀化」同人。俳人協会会員。句集に「へにやり」「むつつり」。

■月波与生 つきなみよじょう
川柳社「満天の星」代表。Twitter句会『さみしい夜の句会』設置人。川柳散文集「にぎやかな落とし穴」(2021)、合同作品集「さみしい夜の句会」①(2022)②(2023)、句集「いちご畑とペニー・レイン」(2023)。※すべて満天の星より発行。

■土井探花 どい・たんか
1976年生まれ。「雪華」「ASYL」同人、「楽園」会員。超結社句会「ほしくず研究会」車掌。「カルフル」発行人。第40回兜太現代俳句新人賞。第一句集『地球酔』(現代俳句協会)

■直井あまね なおい・あまね
1949年生まれ。現代俳句協会会員。

■曾根 毅 そね・つよし
1974年生まれ。俳誌「LOTUS」同人。現代俳句協会会員。第八回俳句四季新人賞。句集『花修』(深夜叢書社)。

■柏柳明子 かしわやなぎ・あきこ
1972年生まれ。川崎市在住。「炎環」同人。「豆の木」参加。現代俳句協会会員。第30回現代俳句新人賞。句集『揮発』(2015年、現代俳句協会)、『柔き棘』(2020年、紅書房)。

■堀田季何     ほった・きか
「楽園」主宰

■内村恭子 うちむら・きょうこ
天為同人

■南十二国 みなみ・じゅうにこく
1980年生まれ。「鷹」同人。句集に『日々未来』。俳人協会会員。

■浅沼璞 あさぬま・はく
詩と川柳。日本現代詩人会会員。広瀬ちえみさん編集発行『What`s』に参加しています。

■しなだしん
1962年新潟県柏崎市生まれ 東京都在住 「青山(せいざん)」主宰 俳人協会幹事/日本文藝家協会会員/「塔の会」幹事 句集に『魚の栖む森』『隼の胸』『夜明』。

 ■井口吾郎 いぐち・ごろう   
回文製造 たぶん7906句目

■竹井紫乙 たけい・しおと
詩と川柳。日本現代詩人会会員。広瀬ちえみさん編集発行『What`s』に参加しています。

■雪我狂流 ゆきが・ふる
1948年生まれ、かわいいアクセサリーを作ってます。

■ごしゅもり
1957年生まれ。2016年「鯵句会」参加、17年「炎環」入会、18年「Biwa句会」参加、2022年「虎とバター」編集。

■五十嵐秀彦 いがらし・ひでひこ
1956年生まれ。札幌市在住。俳句集団【itak】、同人誌「アジール」代表。「雪華」同人。現代俳句協会会員。俳人協会会員。句集『無量』『暗渠の雪』(書肆アルス)。

■岡村知昭 おかむら・ともあき
1973年滋賀県生まれ。「豈」「狼」「蛮」所属。句集『然るべく』(草原詩社)、共著『俳コレ』(邑書林)。

■森 瑞穂 もり・みずほ
1972年生まれ 「香雨」同人。俳人協会会員。第1回新雨賞。第32回村上鬼城賞新人賞。句集『最終便』。

■玉田憲子 たまだ・のりこ
1948年秋田県生まれ。 「街」同人。
句集『chalaza』

■谷口智行 たにぐち・ともゆき    
1958年生まれ。「運河」主宰兼編集長、「里」同人。
句集に『藁嬶』『媚薬』『星糞』

■赤羽根めぐみ  あかばね・めぐみ
秋尾敏に師事。「軸」編集同人。2023年より「円錐」同人。

■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」「ユプシロン」参加。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)、『中くらゐの町』(2023年・ふらんす堂)。第67回角川俳句賞。

■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年生まれ。五七五、五七五七七、行分け詩などを書き散らす。
昨今は川柳の会と俳句の会をほぼ均等に出席する日々となり、何が川柳か何が俳句かがさっぱり分からないこととなっている。
句集「のほほんと」。希望有れば、お送りします。アドレス yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。

■神保と志ゆき じんぼ・としゆき
1976年生まれ。無所属。第42回現代俳句評論賞特別賞。富山県俳句連盟会員。俳文学会会員。論文に、「小杉一笑考」連歌俳諧研究145号(2023年9月)。

■津川絵理子 つがわ・えりこ
1968年兵庫県生まれ。1991年南風入会。鷲谷七菜子、山上樹実雄に師事。句集「和音」「はじまりの樹」「夜の水平線」

■黒岩徳将 くろいわ・とくまさ    1990年神戸市生まれ。「いつき組」所属、「街」同人。

■わたなべじゅんこ
1966年神戸市生まれ。六分儀句会、「窓」常連。

■うにがわえりも
1995年生まれ。「麒麟」「むじな」所属。第13回鬼貫青春俳句大賞。第8回北斗賞佳作。

■瀬戸優理子 せと・ゆりこ
1972年生まれ。「さっぽろ俳句倶楽部」主宰。「ペガサス」「豈」同人。第33回現代俳句新人賞。第5回口語俳句作品大賞奨励賞。句集『告白』(パレード、2017刊)。

■たま走哉 たま・そうや
鳥取県米子市生まれ。無所属。野球俳人。よく走ります。(主に多摩川界隈を年間3000㎞から4000km)。

■田中惣一郎 たなか・そういちろう
1991年高山市生れ。ばしりを通信。

■常原 拓 つねはら・たく
1979年神戸市生まれ。2016年「秋草」入会、山口昭男に師事。
第7回新鋭俳句賞準賞。2月に青磁社より第一句集を上梓予定

■小林苑を こばやし・そのを
1949年東京生まれ。月天・塵風・百句会に参加。句集『点る』。

■鈴木牛後     すずき・ぎゅうご
1961年生まれ。「雪華」同人。第64回角川俳句賞。句集に『にれかめる』など。

■矢口晃 やぐち・こう
1980生まれ「鷹」「銀化」を経て、現在無所属。

■村越 敦 むらこし・あつし
1990年東京都生まれ。「澤」同人。

■清水 航 しみず・わたる
洛南高等学校二年生。俳句歴1年数カ月。

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■橋本直 はしもと・すなお
「豈」同人。「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。第一句集『符籙』(2020年)。

■田中目八 たなか・もくはち
1978~。「奎」同人。パートタイム労働者。即興演奏。イグBFC3優勝。BFC5本戦ジャッジ。

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。「月天」「塵風」「百句会」。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」

■三倉十月 みくら・とつき
1980年生まれ、東京在住。「炎環」会員。

■伊藤左知子  いとう・さちこ
1966年生まれ。卯波句会(現・縷縷句会)で俳句を開始。「ペガサス」同人。現代俳句協会会員。

■井上雪子 いのうえ・ゆきこ
1957年生まれ。2008年~2014年「山河」に所属、2012年~2016年「豆句集 みつまめ」に参加。

■松野苑子 まつの・そのこ
1947年生まれ 「街」同人・俳人協会会員・日本文藝家協会会員 第8回俳句朝日賞準賞受賞・第62回角川俳句賞受賞
句集に『誕生花』『真水』『遠き船』

■伊加藤絵里子  かとう・えりこ
1987年生。東京都。所属は山河俳句会、現代俳句協会青年部。第40回兜太現代俳句新人賞佳作。

■楠本奇蹄  くすもと・きてい
暫定句会、豆の木など参加。句集『おしやべり』(2022)。

■倉田有希 くらたゆうき
1963年東京生、「鏡」同人、「写真とコトノハ展」代表。

■龍翔  りゅうしょう
1983年生まれ。歌人。「麒麟」所属。

■河本高秀 かわもと・たかひで
2006年宇治市生まれ。洛南高校俳句創作部所属。

■佐藤りえ さとう・りえ
1973年生まれ。「豈」同人、「俳句新空間」発行人。個人誌「九重」。句集『景色』(2018年・六花書林)。

■細村星一郎 ほそむら・せいいちろう
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。

■渡戸 舫 わたと・もやい
月に1回句会に参加する。数年に1回世の中に句を発表する。それがこの新年詠。

■有瀬こうこ ありせ・こうこ
いぶき俳句会。豆の木。大阪在住。

■宮本佳世乃 みやもと・かよの
1974年生まれ。「炎環」「豆の木」「オルガン」に所属。第35回現代俳句新人賞。句集に2012年『鳥飛ぶ仕組み』、2019年『三〇一号室』。

■湊圭伍 みなと・けいご
1973年生まれ。松山市在住。句集に『そら耳のつづきを』(2021年、書肆侃侃房)

■とみた環 とみた・たまき
銀化同人、俳人協会会員、新潟県長岡市在住。

■紀本直美 きもと・なおみ
1977年生まれ。広島出身・東京在住。句集『さくさくさくらミルフィーユ』『八月の終電』(創風社出版)。紀本直美の俳句ブログ。

■亀山鯖男 かめやま・さばお
1965年生れ。「恒信風」「草苑」「いぶき」。

■隠岐灌木 おき・かんぼく
1948年生まれ。大阪在住。「きっこのハイヒールひよこ組所属」。
    
■島田牙城 しまだ・がじょう
千九百五十七年二月九日京都生まれ。「里」世話人代表。

■駒木根淳子 こまきね・じゅんこ
1952年福島県いわき市生まれ。「麟」編集。句集に『頭上』『夜の森』(第五回星野立子賞)。

■月野ぽぽな つきの・ぽぽな
1965年長野県生まれ。ニューヨーク市在住。故金子兜太に師事。「海原」「豆の木」「青い地球」「平」所属。第28回現代俳句新人賞、第63回角川俳句賞受賞。月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino

■高梨章    たかなし・あきら
1947生 著・編著書 絵本『へへののもへじ』(林明子・絵)『みぎってどっち』(高畠純・絵)『高梨章書誌選集』3冊、『井上和雄 : 出版・浮世絵関係著作集 』『 蒲原有明日記 : 一九四五-一九五二』。

■九堂夜想 くどう・やそう
1970年生まれ。「LOTUS」編集人。句集「アラベスク」(六花書林)。

■山田耕司     やまだ・こうじ
1967年生まれ。俳句同人誌「円錐」編集人。句集『大風呂敷』『不純』。

■斎藤悦子 さいとう・えつこ
1950年広島市生まれ。「街」同人。詩誌「repure」「妃」所属。

■琳譜 りんふ
無所属

■西村麒麟 にしむら・きりん
昭和58年生まれ。「古志」同人。「麒麟」主宰。

■日原傳 ひはら・つたえ
「天為」同人、編集顧問。句集に『重華』『江湖』『此君』『燕京』、著書に『素十の一句』がある。『此君』で第三十二回俳人協会新人賞を受賞。

■林雅樹 はやし・まさき
1960年生。澤同人。共著『俳コレ』(2011)

■中山奈々 なかやま・なな
1986年生まれ。「百鳥」同人、「淡竹」「奎」所属。

■近恵 こん・けい
1964年生まれ。青森県出身。2007年俳句に足を踏み入れ「炎環」入会。同人。「豆の木」メンバー。「尻子玉俳句会」お世話係。2013年第31回現代俳句新人賞受賞。

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。共著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。句集『リボン』(2017)エッセイ『成分表』(2022)。
 
■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」「ユプシロン」参加。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)、『中くらゐの町』(2023年・ふらんす堂)。第67回角川俳句賞。ブログ 「道草俳句日記」

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第1句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第2句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」

2024新年詠(テキスト)

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 2024新年詠(テキスト)

その日から行方不明といふ賀客  谷口智行
地上への石のきざはし初東雲    小田島渚
羊羹のタツノオトシゴ年迎ふ  杉田菜穂
置き配の荷のぽつねんと鳥総松  井原美鳥
逃げられぬ空もありけり初御空  有本仁政
晴れゆけば元旦にこそかの龍を  大井恒行
大旦核融合は音もなく  んん田ああ
フィッシングメールあれこれ年の夜  杉原祐之
万博は止めてなほ良し初神籤   岡野泰輔
さびしさが既読にならず去年今年  鈴木茂雄
昨年の卵でつくる目玉焼   上野葉月
風邪寝して龍の鱗の生えさうな  飯田冬眞
裏白や夜は絡み合ふ龍となる  篠崎央子
去年今年どこか緊張していたる  うっかり
初売りの出会いちろりと桜子さん  芳野ヒロユキ
初御空劣化してゆく頭を上げて  竹内宗一郎
荒畑をあたためてゆく初日かな  小谷由果
大海を振り切る揺らぎ初日の出  広渡敬雄
わだつみの胎内にある爆心地  宇井十間
ご恵贈感謝の会の初句会    ハードエッジ
クレーンの先に初鳩おめでたう    クズウジュンイチ
朝刊の少女淑気を届けけり    中村想吉
春永や艶のましゆく飴細工    髙木小都
初空や大楽天家の吾が上に    五百石
金剛山(こんごう)の光を娶り初茜  原和人
女正月なる季語捨てよ年新た  酒井匠
陽も風も均しく買初の背中    鈴木総史
てろりすとって誰終らぬ福笑    赤野四羽
参詣と排除ベンチの初景色    安田中彦
停止線を止まれきれずに初日の出 尾内甲太郎
元日のまづ替へにゆく花の水    青木ともじ
きみから凭れてサティアンの年守る 大塚凱
恩師より届く賀状の手書き文字    金子敦
元日もただの一日立ち小便    北大路翼
破魔矢ごとやっさもっさを抜け出さん    小林かんな
鏡餅いつしゆん正座やめてゐる    宮﨑莉々香
日の本や雑煮食ふひと食はぬひと    火山晴陽
淑気満ちぬ寒風のなか蒲団干す    森 青萄
初富士や絵よりも暗く美しく    西生ゆかり
aiko的恋愛玉子酒の底    長田志貫
ブラジルは地震を知らず初御空    中矢温
「ディスイズアモンキーショウ」と猿廻    藤井祐喜
緊急緊迫こおる元日のテレビ    中内火星
大津波警報きのえたつうるう    佐山哲郎
葉牡丹に思案の渦のありにけり    山口昭男
身のうちの眼と空の初日かな    岡田一実
初御籤ひとつ括ればひとつ落ち    マイマイ
門松とポストと地質調査員    瀬戸正洋
天井を這ふ虫螻や去年今年    千野千佳
家元が一番下手な能始    青島玄武
元日や一瞬先の闇揺るる    大野泰雄
初日記精通日にも似た白さ     月波与生
新年を不幸なひとのぶんも寝る    土井探花
年明くるユーエヌセキュリティーカウンシル    直井あまね
太陽と一対一や初氷    曾根 毅
花のごと髪の広ごる初湯かな    柏柳明子
殪すものたふさるるもの四方の春    堀田季何
再開発地区ビル街の御慶かな    内村恭子
囃しあふ四十雀はも初籤    南十二国
初辰の水かゞよへる屋根の端    浅沼璞
元日の地震や闇から津波来るか    しなだしん
七日粥新嫁宵に湯がかぬ菜    井口吾郎
昇り竜の尾っぽの安否確認    竹井紫乙
元旦の神対応の便座かな    雪我狂流
想像のディズニーランドにて三日    ごしゅもり
橙や好漢遠き日を笑ひ    五十嵐秀彦
元日や銀歯磨いてから眠る    岡村知昭
人日の眼鏡洗つてゐたりけり    森 瑞穂
段ボールの底見えてきし蜜柑かな    玉田憲子
稿なりて海を見にゆく初うらら    谷口智行
去年今年浮き実も顔も真四角に    赤羽根めぐみ
ペンギンのからだ充実冬銀河    岡田由季
たどり来て三百六十進法の余白    野口 裕
なゐのこと話し込んだる御慶あり    神保と志ゆき
余震また餅花ばらばらに揺れて    津川絵理子
越年す菱沼聖子のビフィズス菌    黒岩徳将
ふるふるるゆるるゆるると初景色    わたなべじゅんこ
紙袋鳴らし深夜の初電車    うにがわえりも
白龍の寝息こぼれて霧氷林    瀬戸優理子
駅伝やキプチルチルの歯の白き    たま走哉
八朔の蔕落す俎始    田中惣一郎
越南の醤油のあまき初昔    常原 拓
初空や非常階段に腰掛ける    小林苑を
正月のお目出度さうな花が瓶    鈴木牛後
黒豹の如く海荒れ姫始    矢口晃
恩給に購ふ御節なり囲む    村越敦
餅搗の自ずと足を踏み込みぬ    清水 航
遠山に観音立てり初湯殿    中嶋憲武
牛日を募金に換えられるいろいろ    橋本直
お雑煮のあれやこれやと平和来る    田中目八
ミニカバの赤ちゃんぷるん米こぼす    三倉十月
初明り不意に振られた話とか    伊藤左知子
藁を綯ふ域の時速や松の内    井上雪子
人類に地震戦争鏡餅    松野苑子
初風呂やとおい未来を思案する    加藤絵里子
羊日の無私をよそおふ犬の舌    楠本奇蹄
正月のスプーンを曲げる手品かな    倉田有希
目を閉ぢて啜る雑煮のあたたかし    龍翔
持ち帰るもののひとつにかざり海老    河本高秀
橙を頭に載せてするをどりかな    佐藤りえ
門松にいつも無限がついてくる    細村星一郎
初日はしたたり木の裏で乾く    渡戸 舫
初春や銘菓の餅はごく普通    有瀬こうこ
四日はや指に匂へるムール貝    宮本佳世乃
魚鷹かふて餅のつきたる椀の底    湊圭伍
三日はや貫く棒を焼けのこす    とみた環
祈りつつストーマ替える去年今年    紀本 直美
牛日の耳鼻科の椅子のきゆつと鳴く    亀山鯖男
元朝や地球に残る戦跡    隠岐灌木
初暦光悦展の待ち遠し    小川軽舟
初春の玻璃文鎮のほの青き    箱森裕美
太箸にへばりつきゐてねちねちす    島田牙城
初夢のなかを早くと叫ぶ声    駒木根淳子
心経の一字一字を筆はじめ    月野ぽぽな
咲くことも静かなことねフクジュソウ    高梨章
而して龍女は空へ密事始(ひめはじめ)    九堂夜想
逃げて逃げて逃げてこの世や松七日    山田耕司
喪服脱ぎ角に一尾のごまめ噛む    斎藤悦子
をりゐぶの芽ふくねがひや大旦  琳譜
蟹を見て蟹だと思ふ六日かな  西村麒麟
初日さす沙漠のなかの三日月湖  日原傳
分かりません雑煮の味を問はれても  林雅樹
うづみ火を孕んだままに日は運ぶ  鴇田智哉
元日を大地震後の日の沈む  関悦史
辛うじて今世も人のお正月  中山奈々
龍吠えるごとくに新年の放屁  近恵
双六の折皺越えて次の宿   西原天気
七草や横一列に生えてゐる  上田信治
門松の竹のうつろを落ちる雪  福田若之
ペンギンのからだ充実冬銀河  岡田由季
初空を見上げよ龍が流れゆく  村田 篠

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週刊俳句 第872号 2024年1月7日

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 第872号
2023年1月1日


2024新年詠 
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後記+執筆者プロフィール……上田信治 ≫読む

新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

●第八回 「円錐」新鋭作品賞・作品募集のお知らせ

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 第八回 「円錐」新鋭作品賞・作品募集のお知らせ



未発表の俳句作品20句をお送りください(多行作品は10句)

受付開始 2024年115

応募締切 2024年215

年齢・俳句歴の制限はありません。

応募料・審査料などの経費は一切必要ありません。

ご応募の際には、お名前(筆名・本名)、ご住所、メールアドレスなどの連絡先をお書き添えください。折り返し、編集部より連絡申し上げます。

受賞作品は「円錐」101号(2024年4月末日刊行予定)に掲載。

選者
小林恭二(特別選者)
山田耕司
今泉康弘

宛先 円錐編集部 ensuihaiku@gmail.com 

※上記HPにて、今までの受賞作品・審査コメントなどをご覧いただけます。

ジョニ・ミッチェル「ビッグ・イエロー・タクシー」【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】

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【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
ジョニ・ミッチェル「ビッグ・イエロー・タクシー」


天気●新年、最初ってことと無関係なんですが、きょうは、ジョニ・ミッチェルで2番目に好きな「ビッグ・イエロー・タクシー」を。

 

天気●まずもって、声が若い。1970年ですから、27歳! アニメもかわいいけど、声がキュート。

憲武●ジョニ・ミッチェルといえば、その声でしょうね。しかし若いですね。

天気●明るく吹っ切れた歌唱ですが、歌詞はシニカル。木をバッサバッサ伐って、なにゃかや建てて、リンゴを育てるにも農薬必須の、いわゆる「現代文明」批判ぽい。

憲武●窓から見える緑の風景を楽しんでいたら、その真ん中にどっかりと駐車場があったっていう歌詞ですね。

天気●これ、当初のスタジオ録音ですが、じつは、このたった4年後、音がまったくもってモダンな(当時モダンな)ライブ・ヴァージョンがもっと好きなんですが。

憲武●ギターのコードワークやエレピに時代を感じます。こっちの方が若干テンポアップしてますかね。

天気●「Miles of Aisles」という大好きなライブ・アルバムに入っていて、ほんと、よく聴きました。バックが、トム・スコット(サックス)のL.A.エクスプレスで、このバンドのインスト・アルバムも大好きなので、きっと、こういう音やノリがどうしようもなく好きなんですね。

憲武●おお、トム・スコット、いいですね。

天気●まあ、なんか新年とは関係なかったけど、今年も、心身すこやかに。せいぜい、ラヴ&ピース! で行きましょう。


(最終回まで、あと678夜)

ひろびろと青空 南十二国句集『日々未来』 西原天気【句集を読む】

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【句集を読む】
ひろびろと青空
南十二国句集『日々未来

西原天気


日の昇るまへの青空初氷  南十二国(以下同)

句集冒頭の美しい一句。太陽は顔を出す直前に空に青みをもたらします。それを「青空」と言い切ることで、景が大きく広がります。さらに「初氷」を対照させて、地上にも陽光が及ぶ。

季節の時間・瞬間を、大きく美しく垂直に構図させた句はほかにもあります。

水底の小石に朝日鳥の恋

雲割れておほきなひかり浮寝鳥

景を描くにのびやかな、見えるものへの愛おしさのあふれる句集です。

野が空を見上ぐる秋となりにけり

町並をのせたる大地春を待つ

米どころいちめん水や鯉のぼり


読んでいてふと気づくのですが、人事の句、つまり人間関係を詠んだ句が少ない。句集によって、作家によってはとても多い、他人とのやりとりが、ほとんど出てこない。この傾向は、『日々未来』の前半ほど著しく、後半に行くにつれ、しだいに増えていく。このあたりは、編年で句が並ぶ句集の楽しみ方のひとつ。

ただし、ひとりの人とのこれ以上になく近しい距離の句が、集中、離れた箇所に二句あって、

ねむるとき手に手が触れぬ星祭

鼻息のふれあふねむり春めける

この二句が、他人の登場が少ない句集だけに、なんだかせつなく愛くるしい。


のびやかで、ところどころちょっとせつない『日々未来』、全篇、気持ちよく読ませていただきました。


南十二国句集『日々未来』2023年9月/ふらんす堂


湯あがりのさっぱり感 井出野浩貴『孤島』の一句 西原天気【句集を読む】

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【句集を読む】
湯あがりのさっぱり感
井出野浩貴孤島』の一句

西原天気


新涼や日のあるうちの湯屋帰り  井出野浩貴

夏ならまだ暑く清涼感がない。冬だと、日のあるうちに湯屋を出てくるには無理がある(私が銭湯をよく使っていた頃は16時に開いていた)。

新涼の季節がちょうどいい。

まだ明るい時間に風呂を済ませるのは、存外気持ちがいい。いつもはまだ働くなどしていて、できない。それができる爽快。まだ身体がきれいさっぱりした爽快。

句の気持ちよさを、季語が過不足なく支えている。

この句集には、ほかにもこんな句。

銭湯の故障のままの扇風機  同

井出野浩貴『孤島』2023年5月/朔出版

小笠原鳥類 言葉を使って、言葉のある世界を

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言葉を使って、言葉のある世界を

小笠原鳥類


生野幸吉・檜山哲彦編『ドイツ名詩選』(岩波文庫、1993)の、檜山哲彦訳、ボブロフスキー「つねに名付けること」(299ページ、301ページ)から
「つねに名付けること、
木を、飛ぶ鳥を、」
テレビが、ワニのようだ(いつでも昆布が、ペンギンを待っている)
「緑に流れる川の
赤らむ岩を、」
ケーキ(と、マヨネーズ)が、イカを思いながら、クリームになりたいものだ・布とエイ(軟骨、)
「森越しに夕闇が降りてくるとき
しろい煙につつまれる魚を。」
ドラマと電気を出すウナギ(でんきうなぎ)と、歌(楽譜が金属のように鳩と、ペリカンと、みみずく・むささび・むささび)
「記号、色、それはひとつの
賭け。ぼくは考えこんでしまう、」
学校は机だ(トカゲだ)花だ。オルガンと水槽が並んでいるアザラシだ、上が緑色になっている。
「ぴったりうまく
けりがつかないかもしれない。」
映画で見た楽器とクラリネットが、歩いているアコーディオンであるだろうエビ。機械と、砂と、いろいろな金魚、
「だれが教えてくれるだろう?
ぼくが忘れてしまったことを。石たちの
眠り、飛ぶ鳥たちの」
ヒトデ。いそぎんちゃく
「眠り、木々の
眠り、――暗闇に
それらの話し声がするのに――?」
畳をボールと透明になったような(テニスをしながら、であるような)気持ちで気持ちで、見るだろう。蛙というものカモメというもの

瀬戸正洋【週俳12月の俳句を読む】空想による雑談

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【週俳12月の俳句を読む】
空想による雑談

瀬戸正洋


プルタブは墓標と思ふ土に雪  川田果樹

プルタブは墓標である。墓標とは墓石を立てるまでの墓地に立てておく角柱のことである。雪が積もっている。

冬の蜂その足跡は生きてゐる  川田果樹

冬の蜂の足とはぶらさがっているものである。冬の蜂の足跡は存在しない。地に残された足形、成し遂げた実績そのものも存在しないのである。

親指を引いて漲る冬のパー  川田果樹

ゴルフは知らない。冬の「パー」といわれても解らない。親指を引いたら何かが漲る。それもよく解らない。

寒濤や骨締めつける腕時計  川田果樹

岩に砕け散る波から腕時計を意識した。意識するとはそれが気になることである。不快なことではある。

百単語つらぬくリング神渡  川田果樹

英単語を覚えるためのリングである。神渡とは陰暦十月の頃の西風である。試験は神様にお願いするだけでいいのである。

骨格の弾けて戻る嚏かな  川田果樹

嚏をすると骨格が弾ける。嚏をすると骨格が弾けて元に戻る。嚏は骨格を尊敬している。

ペリカンや落葉の如きのどぶくろ  川田果樹

のどぶくろは示威行為のためのものである。のどぶくろは毒を生成したりもする。ペリカンののどぶくろのための落葉である。のどぶくろとは落葉のことである。

しあはせがながびかぬやう毛糸巻く  川田果樹

不幸せなときは不安になる。幸せなときも不安になる。不幸せも幸せも同じことなのである。故に、何かをはじめるのである。故に、毛糸を巻くのである。

繙けば猿立ち上がるクリスマス  川田果樹

ひとは自分勝手である。知識に触れるとすぐに立ち上がる。クリスマスであるからすぐに立ち上がる。

数へ日のあちこちに置くマグカップ  川田果樹

あと僅かである。ただそれだけのことである。あたふたするほど純粋ではない。お目出度くはない。あちこちに置きたければ置けばいい。マグカップとは、少し大きめのコーヒーカップのことである。

乳粥の零れより起つ雪女  竹岡一郎

乳粥とは釈迦が体力を回復させたといわれる食べものである。そののち釈迦は瞑想により悟ることができたとあった。悟るなどといわれると胡散臭さを感じてしまう。それより、その零れより真っすぐに立つ雪女に清々しさを感じてしまう。

帯解の子へ勾り橋捩れ橋  竹岡一郎

帯解とは七歳の女児がはじめて帯を締める儀式である。儀式とは法やしきたりなどにのっとったきまりのことである。橋とは何らかの障害を越えて道路や鉄道などを通す構築物のことである。勾ること捩じれること橋を渡ること、生きることの面倒くささを感じる。

帰り花滅びの歌をはつか羞ぢ  竹岡一郎

季節とは異なって咲く花を帰り花という。一度身請けされた女がふたたび遊女となることを帰り花という。二十番目の日のことをはつかという。ものごとの一端がかすかに現れるさまのことをはつかという。滅ぶことには異論はない。羞じることにも異論はない。

虎落笛たふとき魄に碧き塞  竹岡一郎

魄について思い入れはない。たふときについても思い入れはない。他人の自由を奪うことにも思い入れはない。碧くても碧くなくてもかまわない。虎落笛を聞くと不安になることもある。

世は蠱毒甕を覆へる室の花  竹岡一郎

最後に生き残った虫を毒として用いる。これは理にかなっている。平凡な暮らしとは呪術にかかっているようなものである。室で花を咲かせようとすることは呪術にかかっているようなものである。

皸の指が緻密な罠描く  竹岡一郎

単純な罠であっても緻密である。そのことは感じさせなくてはならない。ひとであるならばなおさらである。はじめに「皸の指」と置いたことで益々緻密さは増していく。

逆恩を受けし汝こそ小春の咒  竹岡一郎

逆恩とはいかにもにんげんらしい。自由に生きることが必要なのである。呪うことなど疲れるだけである。余計なことをしたから逆恩など考えることになってしまったのである。何もしない方がいい。

耳鳴りに血と眼が睦む雪の鹹  竹岡一郎

どうしてもできないことをしたいと思う。そんなとき存在していない何かが必要なのである。

白炭と化す銃身に月測る  竹岡一郎

白炭とは炭のことである。銃身とは銃弾が通過していく筒の部分のことである。測るとは量を調べることである。推量する。予測するという意もある。月を測るとある。太陽を測るのではない。

城址轟く猟夫と狒狒の受け答へ  竹岡一郎

猟夫と狒狒との対話である。ひとと妖怪との対話である。これほど有意義なことはない。

十二月八日躱せば血が終る  竹岡一郎

岩波文庫「日本国憲法」を読む。「大日本帝国憲法」「パリ不戦条約」「ポツダム宣言」「降伏文書」「日本国との平和条約」「日米安全保障条約」「英文 日本国憲法」が付録にある。

沈む柱は海溝を統ぶ鮫の嗚咽  竹岡一郎

鮫はむせび泣いている。まとまることは危いことである。そのきっかけを得ることは不服である。

饒舌に着ぶくれ逆恩愧ぢぬ彼奴  竹岡一郎

饒舌は醜い。着ぶくれることはしかたがない。逆恩といっても驚かない。日常茶飯事である。誰も恥じたりはしない。誰も後悔などしない。

閘門や色なす鬼火敢へて堰く  竹岡一郎

怨念が火となったものが鬼火である。堰くは閘門を強調している。血相を変えるとひずみが生まれる。そのひずみから鬼火が生まれるのである。

毛皮から血の粒除く簸るやうに  竹岡一郎

血の粒だから除くことができる。血の粒だからふるいにかけることができる。

耳塚聴けり鼻塚嗅げり餅搗を  竹岡一郎

首を弔った塚を首塚という。耳を弔った塚を耳塚という。鼻を弔った塚を鼻塚という。首、耳、鼻が武功の数を証したのだという。餅を搗くことが供養になる。たった数百年前のはなしだと思うと複雑な気分になる。

牛告げし事変をずらす世継榾  竹岡一郎

事変とは小規模、短期間の国家紛争、騒乱とあった。跡目、相続、時代錯誤のような気がする。最後のひと文字の「榾」が何とも微妙である。

凍つる分岐器へと注ぐ指の雨  竹岡一郎

分岐とは行き先が別れることである。分岐器とは車両の進路を選択する機器のことである。冷たい雨が降っている。霙になるのかも知れない。雪になるのかも知れない。その存在を認めたいのかも知れない。

誰何せよ澄める屍が氷湖割る  竹岡一郎

屍を澄めるとしたのは精神の問題である。屍が氷湖を割るとしたことも精神の問題である。屍とは死んでまだ葬らないからだのことである。

軋みけり魂ずれ著き傀儡師  竹岡一郎

魂はずれるものなのである。ずれれば軋むものなのである。魂のずれを修正する。運の流れはよくなる。傀儡師に偏見を持ってはいけない。傀儡師に頼ればいいのである。

熊裂けて梁のわが魔を降し得ず  竹岡一郎

梁とは柱などを支点として水平に渡すものである。魔とは不思議な力でひとを迷わすものである。要するに魔とはこころの揺れのことである。一瞬の判断、それを誤ることを魔が差すという。注意深く生きることにも限界はあるのである。

逆恩を糺す鬼火の結晶化  竹岡一郎

逆恩であるかないかは時間が決める。その時々ではよくわからないものである。だから鬼火なのである。鬼火とは気体である。鬼火とは液体である。鬼火とは個体である。鬼火とは鬼火である。

すくひ放題やつめうなぎへねぶりの血  竹岡一郎

掬うと救うとでは雲泥の差がある。だが、掬い放題のやつめうなぎには何らかの救いが必要である。ねぶりとはねむることである。

息白し人死の毎かはる番地  竹岡一郎

番地とは住居表示のことである。地番と番地の違いについて確認したことがあった。名刺に地番を入れたひとがいたからである。

吐く息は白くなる。ひとは生きている。番地は同じである。だがそこに住むひとは変る。宛先不明の年賀状が戻ってくる。

鐘氷る巨眼の化石あざらけし  竹岡一郎

化石がある。巨眼である。眼は生きているものなのである。すべてのものが氷っている冬の日。氷った鐘が響いている。

鬼の読経はいつのまに寒茜色  竹岡一郎

鬼とは超自然的な化けものである。その鬼が経を読んでいる。冬の西の空はいつのまにか茜色に染まっている。

咳きや轆轤の律にまつろはず  竹岡一郎

轆轤を回している。何があろうと轆轤を止めてはならない。集中しなくてはならない。咳きという偶然の出来事から何らかの新しさを感じたりもする。

鷹鳴くが殯の鏡もゆる証  竹岡一郎

殯の儀礼としての鏡なのである。天真爛漫であることの理由など必要ないのである。

雪女眼窩の棘へ緋の息吹  竹岡一郎

眼窩とは顔面骨のくぼみである。棘とはもつれからみあっていることをいう。雪女には眼がないのかも知れない。息吹は緋色なのかも知れない。

獄門の跡地が舞台漫才冴ゆ  竹岡一郎

罪人の首をさらした場所である。漫才とは滑稽な掛け合いや言い合いで笑わせる芸である。笑わせることは残酷なことなのである。漫才は平安時代に成立した芸だといわれている。

眉引くに閨の余韻を夕霧忌  竹岡一郎

遊女夕霧太夫の忌日である。ながれるような上五と中七である。遊女が生きるとはながれるようでなくてはならないのかも知れない。

骨の手の忽と銭置く夜鷹蕎麦  竹岡一郎

夜鷹とは下級遊女のことである。遊女に下級上級があるのである。ひとにも下級上級があるのである。故にひとはみな平等でなくてはならないのである。骨から寒さを感じる。忽からも寒さを感じる。

生殖や小禽に似て病む鬼火  竹岡一郎

生殖とは厄介なものである。小禽とは厄介なものである。病む鬼火とは厄介なものである。愛することは厄介なものである。憎むことは厄介なものである。

雪兎月は和毛を与へたし  竹岡一郎

月は雪兎の独壇場である。太陽は存在さえも許されない。与えるから和毛なのである。これは絶対なのである。

鎌鼬跋扈の痕も顔彩る  竹岡一郎

自由にふるまった後は何もかも消し去りたいものである。その痕跡などもっての外のことなのである。

焼くや縊るや狐火嚙んで髪しごき  竹岡一郎

焼く縊る嚙むしごくのである。「狐火」「髪」は、その空想を助けるものなのである。

「あたしの羽」虚空の冴えをしふねく撫で  竹岡一郎

執着心、執念深さ、しつこさ、やさしさなどを消し去る行為である。軽くふれてやさしく動かす。「あたしの羽」だからなのかも知れない。虚空の冴えだからなのかも知れない。

雪の胚はらむ天命うつろ貝  竹岡一郎

雨とは多細胞生物なのである。雪とは多細胞生物なのである。雨は雪を宿すのである。うつろ貝であることは天命なのである。

除雪車を積み白炎の座礁船  竹岡一郎

座礁した船には除雪車が積まれている。船に積まれた除雪車は白炎をあげて燃えている。

崖たり囚徒たり凍鶴が星かくまふ  竹岡一郎

凍鶴は星をかくまう。かくまうことは罪悪である。かくまうことは正義である。囚徒とは牢獄に入っている善人のことである。

磐に啓くが狼の智慧と声  竹岡一郎

岩盤に真実は存在する。ありのままに把握し見極め認識力を持つものを狼という。声とはのどにある特殊器官をつかって出す音のことである。

敬虔の乳噴く天を雪女  竹岡一郎

深く敬わなくてはならない。自分を殺さなくてはならない。雪女でなければならない。乳とは哺乳類が乳幼児に栄養をあたえ育てるためのものである。

梟が螺旋の夜を連れてくる  村田篠

梟は「商売繁盛」「健康祈願」の縁起物といわれている。螺旋とは三次元曲線の一種である。回転しながら回転面の垂直方向へ移動する曲線である。曲線とは「商売繁盛」「健康祈願」の縁起物といわれている。

煙突のてつぺん点滅して寒し  村田篠

高い煙突である。煙突のてっぺんには灯がともっている。それも点滅している。安全のための点滅である。寒々とした景である。

山の端のかたちに燃えて遠い火事  村田篠

山と空とが接している境のことを山の端という。山が燃えているのではない。火事によって山の稜線がくっきりと浮き出ているのである。

襟巻きをして親切な警備員  村田篠

思いやりを持っているひとを尊敬する。他人のためにつくすひとを尊敬する。警備するひとを尊敬する。警備とは身体に対する危害の発生を警戒防止することをいう。寒い日の襟巻はことのほか温かい。

組み敷いてみればサンタクロースかな  村田篠

ひとがいる。サンタクロースもいる。善人としてふるまうこともある。悪人としてふるまうこともある。組み敷かれているサンタクロースは何を思っているのだろう。

北風は右から吹いて三丁目  上田信治

事実ではないはずだが事実のように思ってしまう。「右から吹いて」でおやっと思った。「三丁目」で再びおやっと思った。北風はますます強くなる。北風は寒いから苦手である。

黄色くてあたたかコインランドリー  上田信治

冬の日のコインランドリーはあたたかい。サッシ一枚の戸の内と外とでは雲泥の差である。黄色とは脳髄のことである。脳髄も黄色になればあたたかくなる。

手を借りて脚立をおりる冬の空  上田信治

老人の足の骨折の原因の多くは脚立が関係している。果実の収穫、庭での剪定、脚立の出番はことほか多い。老人の足の骨折は生死にかかわる重大事である。冬の空は冷たく、そっ気ない。

誰もゐない塩と胡椒とテーブルと  上田信治

テーブルのうえには塩と胡椒が置いてある。椅子に腰掛けそれを見ている。静かである。孤独ではない。

この空かこの青空のふゆのそら  上田信治

この空である。この青空である。このふゆのそらである。生きている。幸福であると思う。

セーターで見分けてゐたり兄の友  岡田由季

区別することを見分けるという。兄の友であることを理解した。特定のひとであることを理解した。セーターとは編むものである。編むことによってつくられた上着の一種である。

始まつてゐる教室へ綿虫と  岡田由季

罪悪感はある。動揺もしている。綿虫はこころの揺れをおさえてくれている。綿虫は親友である。

転送の電話枯野の端に受く  岡田由季

たまたま枯野の端にいた。枯野の端にいたことは偶然である。端にいたことは幸せである。端とは居心地がいいところなのである。

亀固く蛇やはらかに冬眠す  岡田由季

亀は冬眠をする。蛇は冬眠をする。ひとは冬眠をする。誰も彼もが冬眠をする。眠るとは心身の活動が休止することである。眠るとは無意識の状態になることである。固「く」、やはらか「に」とはこころが自然であるということである。

テノールの食ひ込んでくる冬の夜  岡田由季

深く入り込んでくる。限界を越えて入り込んでくる。その部分をなくしてしまう。音(テノール)はこころに食い込んでくる。冬の夜のこころに食い込んでくる。

生という枯れ野の空の果てとしか  福田若之

生きるとは積極的なことである。生きるとは消極的なことである。枯れ野の空の果てとは積極的なことである。枯れ野の空の果てとは消極的なことである。

偽の木に金の林檎を吊る冬至  福田若之

太陽の機嫌を取っている。偽の木に金の林檎とは西暦2023年12月の日本(世界)のことである。

はやぶさに都市は夜が来るたび滅ぶ  福田若之

はやぶさは生きている。都市は夜が来るたびに滅ぶ。都市は朝が来るたびに滅ぶ。都市は昼が来るたびに滅ぶ。都市ははやぶさが滅んだときに甦るのかも知れない。

暖炉に火ビンゴ!と指を鳴らし笑む  福田若之

ビンゴと叫ぶことは罪悪である。指を鳴らすことは罪悪である。暖炉の火が燃えていることは罪悪である。笑うことは罪悪である。

年の瀬の雪の曇りの奥の月  福田若之

あるはずだと思うことは錯覚である。ないはずだと思うことは錯覚である。年の瀬も雪も曇りも奥の月も何もかもが錯覚なのである。


川田果樹 ペリカン 10 ≫読む 868号 20231210

竹岡一郎 敬虔の乳 42 読む 870号 20231224

村田 サンタクロース 5 読む

上田信治 この空  5 読む

岡田由季 テノール 5 読む

福田若之 果て 5 読む

三島ゆかり 【句集を読む】清水径子『雨の樹』を読む

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【句集を読む】
清水径子雨の樹』を読む

三島ゆかり


清水径子『雨の樹』(角川書店、二〇〇一年)について書く。作者は秋元不死男、永田耕衣に師事、耕衣没後『らん』を創刊。本句集は九十歳で上梓した第四句集。I~IVの四章からなる。

Ⅰ.

まずは順不同で何句か見てみたい。

露なんぞ可愛ゆきものが野に満つる  清水径子(以下同)

巻頭句である。「露」は王朝和歌以来はかなきもののたとえに用いられるのが通例であるが、それを「可愛ゆきもの」と捉えてみせる。本句により、以後冥界と幾たびも行き来することになる径子ワールドの扉を開ける。

朝顔はさみしき色をとり出しぬ

人滲むやうに菫はすみれいろ

全体に植物あるいは色と取り合わせた句はかなり多い。それを基本的なトーンとして、心象の世界へ出入りするような進行となっている。

白桔梗よりも古風な撫で殺し

人間はまたも謝る月の下

「撫で殺し」と言えば「撫で殺す何をはじめの野分かな三橋敏雄」思い出さない訳にはいかないし、並べられたもう一句は広島の原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」を踏まえた「あやまちはくりかへします秋の暮三橋敏雄」をも思い出させる。奥付によればこの句集は二〇〇一年十二月二〇日発行で、三橋敏雄は先立つ同年十二月一日に亡くなった。訃報を聞いて句集に入れることはまず不可能な期間だと思うので、まさに「奇しくも」というところであろう。なおこの年の九月十一日にはアメリカで同時多発テロが起きている。

とはいえ、社会で起きた事件と結びつけて読む必要もないし、三橋敏雄と結びつける必要もないのかもしれない。径子ワールドにおいて、死はどこかエロスをまとっている。

亡弟と花を摘みます雪の暮

あれは父あれも父かと雲の峰

「亡弟と」の句は「人間は」の句の次で、雪の暮に摘む花などなかろうに故人が現れる妖気を帯びた句となっている。「あれは父」の句はだいぶ離れたところに置かれていて、故人を回想しているというよりは、天上からしきりにお迎えが来る趣である。

菊といふ名の残菊のにひるかな

春の野のどこからも見えぼへみあん

うぐひすやまだ体内のあるこほる

外来語はひらがなで表記される。一九一一年生まれの作者にとって自然なこととしてそうなのか、特殊な効果を狙ってのことなのかはさだかでない。さだかではないが、「にひる」といい「ぼへみあん」といい「あるこほる」といい、遠く懐かしい青春時代の甘くて切ない響きが感じられる。

俤のまた吹きすさぶ芍薬忌

忌のごとし泉にもある生(なま)夕暮

「芍薬忌」はどなたか作者に近しい方の忌日なのか、架空の誰のでもある忌日の造語なのか。一方、ルビをふられた「生(なま)夕暮」は明らかに造語だろう。こんこんと湧く生命の根源のような泉が、「生(なま)夕暮」の時間帯には忌のようだという。なんという生と死の交錯。

水の精かかときれいな葦の花

前後するが、「忌のごとし」の句の一句前に置かれた句。「葦」は「足」と掛詞になっていて、みずみずしくもなまめかしい。

枯るるまでさ迷うて居る恋慕とは

ほととぎす言葉みじかきほど恋し

九十歳での句集であることにとらわれすぎてはいけないのだろうが、狂おしい。

梟やこころ病まねど山坂がち

欲望や都忘れのあたり過ぎ

単純に狂おしいばかりではない。ヤマ、ヤマと韻を踏み、植物名には原義を掛ける。いろいろな技法が熟成し渾然一体となってあらわれる感がある。

かの夜から菊の根分けを指図せり

驢鳴集おぼろの雨戸しめかぬる

『驢鳴集』は師・永田耕衣の句集。あたかも冥界との通信が途絶えないように雨戸をしめかねている風情がある。


II.

Iの句を見たときには、全体を通じての特徴を把握したかったので敢えて順不同に取り上げたが、IIではなるべく作者が並べた順に取り上げたい。なお私の記事の常で最後まで読み終わる前に書くことを旨とし、序文、跋文、他の方の書かれた文献などは極力読まず伝記的な事実も無視し、ただ書かれた句に沿って実況中継的に読みたい。

卯の花の一心不乱終りけり

妄想の花咲く二人静かな

桐の花半日遊び一日病む

「…の花」で漢数字を伴った句が三句続く。「一心不乱」と言い「妄想」と言い、花への感情の仮託が続く。また章中、「青空よごす十一月を俯きて」「冬一日腹這ふと死が近く居る」などもあるので、いかに伝記的な事実を無視しようとしても病がちであったことは察しがつく。

ああああと春のこころの塞ぎをる

人の亡きあとの牛蒡をささがきに

倦怠または死と対置する現実として、「牛蒡をささがきに」を持ってきた。料理は生命を維持するための忍耐強い地味な作業であるが、よりによって「牛蒡をささがきに」は絶妙である。

めんどりはここここといふ夏の花

華厳とよかなかなも樹も雨あがり

塞ぎがちな句が並ぶ中で、一転して「ここここ」「かなかな」と続き、気分が上向く。

左みて右みて遠し鬼薊

鬼の色少し足りねど鬼薊

一句目の「遠し」は何が遠いと言っているのだろう。交通標語のような「左みて右みて」からすると道路の向こうに鬼薊があって遠いと言っているようにも思えるが、二句目と並べると、どこか遠くの鬼がいる世界を夢見ているような気もしてきて怖い。

大夕立あとの大字(おおあざ)夏木立

青痣の榠樝と忍び笑ひせり

大字は市区町村の区画であるが、それほどまでに大きい夏木立というのが、なんとも飄逸である。そして「大字」の次に「青痣」を並べてみせる。じつに可笑しい。

落椿見付けられすぐ見捨てられ

青簾たちまち吾れの無くなれり

章の最後の二句は、「すぐ」に対し「たちまち」を並べている。ただの青簾なので、現実的には見えなくなるだけだが、この世からの消滅のイメージを重ねているに違いない。


III.

いまものを言へばみぞれが雪になる

章の最初の句。なんともファンタスティックな心象のものいいである。

かの世から秋の夜長へ参加せり

お彼岸のをみならはみな蝶であれ

南風(みなみ)吹きはかなくなれり姉は草

転生の直後水色野菊かな

彼岸此岸を自在に行き来し、人でないものに転生する自在な句境に達している。

白夕立われも物質音立てる

いい顔で睡てゐる月の列車かな

二句目は乗客ではなく列車が寝ていると読める書きっぷりで、擬人法というよりは生命体と非生命体の間をも行き来する趣がある。

濁世とは四、五日さくらじめりかな

「濁世」は辞書的には、仏教で、濁り汚れた人間の世。末世。だくせ。それが「さくらじめり」だと言う。「さくらじめり」は辞書にない。辞書にはないが桜蘂を濡らすあの頃の万物に生命をもたらす雨のことだろう。濁世とはまさに生命のみなもとなのだ。

浅き川なら足濡らす今日虚子忌

虚子忌の四月八日はまた仏生会。灌仏の行事の故に発想は水に及ぶ。余談となるが「虚子の忌の大浴場に泳ぐなり辻桃子」もそのひとつだろう。

夢に見て紅い椿を折りにゆく

折りとりて指揮棒によき濃りんどう

いずれも濃い色の花を手折る句だが、「指揮棒によき」は夢というよりも狂気に近い妖しさがある。

まだ生きてゐるから霜の橋わたる

章の最後の句は、章の最初の句と呼応する趣がある。どこか口語めいた「いまものを言へば」に対し「まだ生きてゐるから」。「みぞれ」「雪」に対し「霜」。


IV.

雪は止んで一月真昼それから

章の最初の句は6+7+4=17音の破調。四音で打ち切られた「それから」の後に余情がある。

裏口に帰つてゐたり夏の月

月のぼるよと二階より声まぼろし

文学は真実である夏の月

春の月やさしき人と居る心地

二階にてもてなす春の月まんまる

月に濡れ森閑と樹の倒れをる

寝ころんでしばらく春の月と居る

「月」を詠んだ句がこの章には多々ある。全体として月にも人格があって、帰っていたりもてなしたりしばらく一緒にいたりする関係のようである。

白露(はくろ)けふ淋しきものに昼ご飯

「白露(はくろ)」は二十四節気のひとつで九月七日ごろ。そして「けふ」。暦が進んだだけで「昼ご飯」が痛切に淋しい。ただならぬ吐露である。

わたくしの電池を替へてみても秋

もう少し歩き秋風たのしまむ

どこからか姉来て坐る秋の風

一句目は飄逸な詠みっぷりであるが、この「秋」はまたしても痛切に淋しい。二句目はそういう秋の風に浸ろうと言っているようである。そして故人である姉がふとどこからか現れる。

手を入れて野川の春をそそのかす

「そそのかす」が抜群にすばらしい。この世に生きていて何かをすれば世界が作用する。

比較的あきらめのよき落椿

およそ詩のことばとは思えない「比較的」がじつに効いている。

病みて幾日吹雪くとは胸の中

章の最後の句は7+5+5=17音。「雪は止んで」に始まり「吹雪く」で終わる。この句は「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る芭蕉」の裏返しとなっていて、内面が外界をかけ廻るのではなく、内面は内面のまま吹雪いている。人生の最後の句集としてまとめたであろう『雨の樹』は、本句を挙句として終わる。




対中いずみ【解題】「後記」第292号

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【解題】「後記」第292号

対中いずみ



一日百句とはいいながら、裕明は百句に至らなくても悠々としていたようだ。『しばかぶれ 第二集』(邑書林)、島田牙城特集に牙城はインタビューに答えて語っている。
「だいたい泊まりがけで、どこかへ行って、一晩で百句作るぞ、という会ですね。面白いもんで、俺なんかはガチガチに百句作るぞって意気込んでいくんやけど、裕明なんかは五十句も作らへんねん。そういう裕明のゆるさ、というよりは大らかさは、宇佐美魚目譲りですね」
「吟行。必ず吟行でしたね。嘱目で、と。だから裕明は数作らへんわけよ。宿帰ってから、なんかくにゃくにゃと書いて。」
百句会のはなしではないが、「「青」の系列でいうと僕は爽波系なんだ。青蛙はたぶんあきら寄りで。裕明は魚目だった。その三人で集まって楽しく過ごしたね」とも語っている。

第292号では雑詠欄巻頭に、以下が掲載されている。

ラグビーの選手あつまる桜の木

青写真駅のホームが濡れてをり

水涸るる上に道あり人通る

栗の木の下に屈みて息白し

産土神へ懸けしばかりの菜もありぬ

大根引く人三方に立ちにけり

※太字は第一句集『山信』に収められている。「水涸るる」は、「鞍馬」と前書きを付し、「水涸るゝ」に改められている。

≫田中裕明・後記 第292号

【空へゆく階段】№84 「後記」第292号 田中裕明

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【空へゆく階段】№84
「後記」第292号

田中裕明


「青」第292号(1979年1月)より転載

あけましておめでとうございます。

歳晩歳旦と、いかがお過ごしでしたでしょうか。私は家の留守番ばかりさせられて、俳句のほうはすっかりお留守になった年の暮でしたが、年も改まり、さあ俳句を作ろうと思っています。まず三日からの吉野行。牙城さん、青蛙さんと三人で三日間、一人一日百句ずつ作るのが目標です。去年の夏、酷暑の中でがきの会稽古会を行なった吉野の冬の姿を見ることができると楽しみにしています。吉野には雪があるでしょうか。雪の中を歩きたいなァ、雪の句を作りたいなァと思っています。この号が出る頃には既に帰っていますが、さて良い句をものにできていますやら。

≫解題:対中いずみ

岡田由季 〔今週号の表紙〕第873号 イカルチドリ

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 〔今週号の表紙〕第873号 イカルチドリ

岡田由季



イカルチドリという種類の千鳥です。

野生の千鳥を見たことがないという方は結構いらっしゃって、私も野鳥を見るようになる前はあまり意識したことのない鳥でした。

気をつけて見ていると、川や海辺、田んぼなど身近な水辺で見ることができ、そこまで珍しい存在でもないのかなぁと思います。

小型で地味な種類が多く、冬などは風景にまぎれてじっとしているので、見つけにくさはあるかもしれませんね。




週刊俳句ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら


後記+プロフィール873 岡田由季

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 後記 ◆ 岡田由季

 
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それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。



no.873/2024-1-14 profile

■小笠原鳥類 おがさわら・ちょうるい
1977年生まれ。現代詩文庫『小笠原鳥類詩集』(2016)、『鳥類学フィールド・ノート』(2018)など。『新撰21』(2009)に佐藤文香小論。ブログ「×小笠原鳥類」 http://tomo-dati.jugem.jp/ noteは https://note.com/ogasawarachorui

千野千佳 ちの・ちか
1984年新潟県生まれ。蒼海俳句会所属。第4回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞。第2回蒼海賞受賞。

■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年生まれ。田中裕明に師事。第20回俳句研究賞受賞。著書に句集『冬菫』『巣箱』『水瓶』(第68回滋賀文学祭文芸出版賞、第7回星野立子賞)、『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 対中いずみ』。「静かな場所」代表、「秋草」会員。

■三島ゆかり みしま・ゆかり
俳人。1994年より作句。http://misimisi2.blogspot.com/ 

■瀬戸正洋 せと・せいよう
1954年生まれ。れもん二十歳代俳句研究会に参加。春燈「第三次桃青会」結成に参加。月刊俳句同人誌「里」創刊に参加。

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年 第0句集「祝日たちのために(港の人)」山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」
 
■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」「ユプシロン」参加。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)、『中くらゐの町』(2023年・ふらんす堂)。第67回角川俳句賞。ブログ 「道草俳句日記」



醤油の国 仲寒蟬句集『全山落葉』の一句 西原天気【句集を読む】

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 【句集を読む】

醤油の国
仲寒蟬句集『全山落葉』の一句

西原天気


冷奴に粗塩をふりかけるのを見て、皮肉屋の友人が意地悪そうな目を向けて、笑う。通ぶった俗物主義と映るのだろう。とんかつにはソース、冷奴にはだんぜん、醤油なのだ。彼にしてみれば。

しかしながら、美味しい豆腐、とくに寄せ豆腐とかいう、整形もしていないのに通常の木綿豆腐、絹ごし豆腐よりもランクが高いらしいこの豆腐には、醤油よりも塩が合う。私自身、とんかつの横に盛られたキャベツの千切りにも、ドレッシングでもソースでもなく塩を振る。べつに「通」を気取るわけではない。

日本に醤油ありけり冷奴  仲寒蟬

醤油の偉大さは、私も理解している。食卓の味付けは醤油だらけ。焼海苔は醤油なくしては存在し得ない。

この句、「ありけり」の格調の高さに支えられて、反論を許すところがない。というのは、嗜好だけでなく、句としての姿に。

醤油を愛する日本人たる私は、同時に、醤油から逃れられない土俗の悲しみのようなものも抱えつつ暮らしている。「日本に」と切り出す掲句が、ナショナリズム、エスノセントリズム(わざわざ英語を使ってみたよ、自民族中心主義)の色濃いわけでないが、その国はその国の匂いがある。外国から日本に降り立った人がまず思うのは、醤油臭さだと、聞いたことがある。日本は醤油の匂いに包まれた列島なのだろう。

ああ、待ち遠しい。豆腐の上に、その日その日の薬味をのせて、うえから醤油を垂らす季節が来るのが待ち遠しい。


仲寒蟬句集『全山落葉』2023年7月/ふらんす堂

千野千佳【俳句のあたらしい作り方】マインドフルネス俳句

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 【俳句のあたらしい作り方】

マインドフルネス俳句

千野千佳
※蒼海20号(2023年6月刊行)より転載。

NHKの番組「あさイチ」で、ストレスケアの方法として「マインドフルネス」が紹介されていた。「マインドフルネス」とは、「今していることに注意を向ける」という科学的なメンタルトレーニングとのこと。番組ではマインドフルネスのひとつとして、「食べる瞑想」が紹介されていた。

具体的には、目の前の食べ物を、生まれてはじめて見たという感じで、五感をフルに使って食べる。色、形、におい、食感、味を丁寧に感じる。番組では、先生の指導のもとにアナウンサーが苺を食べていた。「まずは苺を見つめてください。」「色は?」「形は?」「ゆっくり噛んでみてください。」「形がなくなるまで丁寧に噛み続けてください。」「舌がどう当たりますか?」「歯はどちらでたくさん噛んでいますか?」と先生に問いかけられつつ、一粒の苺を三分くらいかけて丁寧に食べるアナウンサーを見て、あることを思った。まるで作句対象を前に、納得のいく一句ができるまで、対象を観察し尽くす俳人のようではないか。

わたしも「食べる瞑想」を行い、俳句を作ろうと思った。苺は家になかったので、バナナでやってみる。①じっと見つめる→スイートスポットがへこんでいる。〈黒点のへこんでゐたるバナナかな〉②撫でてみる→キュルキュルとしてゴムのような質感。〈ゆつくりと撫づればきゆると鳴るバナナ〉③匂いを嗅ぐ→バナナは部位により匂いが異なることに気づく。〈青々と匂ふバナナの細き首〉〈尻すこし黴のにほひのバナナかな〉④ゆっくりと皮を剥く→〈バナナの皮最後は太く剥きにけり〉⑤ゆっくり噛んでみる→バナナを噛んでいるときの音に初めて耳を澄ませてみた。〈バナナ噛むシズッシズッと音のして〉⑥形がなくなるまで丁寧に噛む→〈バナナ噛みつづけてをりぬ左右の歯〉⑦舌にどう当たるか→〈バナナ食ふ舌を前歯に押し付けて〉⑧食べ終わった皮を見る→バナナの匂いの本体は皮だということに気づく。〈くんにやりとバナナの皮の匂ひけり

成功している句ばかりではないが、五感をフルに使ってバナナの句を作ることはできた。句の出来を気にしていては、マインドフルネス(ストレスケア)にならないので、これでいいのだと思うことにした。「食べる瞑想」はやっていくうちに上達するらしいので、この作句方法も慣れればきっといい句ができると思う。

週刊俳句 第873号 2024年1月14日

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 第873号

2024年1月14日



小笠原鳥類 言葉を使って、言葉のある世界を
……小笠原鳥類 ≫読む

【俳句のあたらしい作り方】
マインドフルネス俳句
……千野千佳 ≫読む

【空へゆく階段】№84
「後記」第292号……田中裕明 ≫読む
解題……対中いずみ ≫読む

【句集を読む】
清水径子『雨の樹』を読む 三島ゆかり ≫読む

ひろびろと青空
南十二国句集『日々未来』を読む 西原天気 ≫読む

醤油の国
仲寒蟬句集『全山落葉』の一句 西原天気 ≫読む

湯あがりのさっぱり感
井出野浩貴『孤島』の一句 西原天気 ≫読む


【週俳12月の俳句を読む】
瀬戸正洋 空想による雑談 ≫読む

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
ジョニ・ミッチェル「ビッグ・イエロー・タクシー」 ≫読む

〔今週号の表紙〕イカルチドリ……岡田由季 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……岡田由季  ≫読む

 
 
新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

中矢温 ブラジル俳句留学記〔23〕悲観主義から生まれる希望:日本の少子化と世界の俳句を結ぶ私の価値観

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ブラジル俳句留学記〔23〕
悲観主義から生まれる希望:日本の少子化と世界の俳句を結ぶ私の価値観

中矢温


年が明けて1月6日(土)の昼に、サンパウロ市内で美味しい中華料理を御馳走になった。こちらに移住して長い日本人のおじさまたちと歓談しながら幾つかの質問を受け、今の私なりの回答を試みた。その日若者は私ひとりだけだった。いつかこの日を振り返るときのために、歓談の一部始終を書き残しておくことにした。

(Nさん)そうだ、中矢さん。日本社会はどんどん少子化になっていますよね。そして今の若い人たちはあまり結婚をしたがらない傾向にあって、結婚しても子どもをあまり作らない。それは中矢さんから見ても若い人たちの実際の傾向だと思いますか。これからもどんどんこの傾向は続いていきそうですか。

(中矢)……そうですね、全体的な温度感としてはそうかもしれません。いつかのニュースの街頭インタビューで、ある若者が「(パートナーや子どもなど)他人の人生に責任を持つような経済的・心理的余裕がない」という旨の回答をしていたのを覚えています。

(Tさん)でも「産めよ殖やせよ」の時代のときはもっと金がなかったはずですよ。物資も金もなかった。

(Yさん)貧しい国の方が出生率は高いですよね。

(Tさん)経済が少し落ち込まないと、だめなんですかね。「責任を持ちたくない」という言葉だって、色々将来のことを考えて頭のなかで計算しちゃっているからですよね。

(F1さん)経済がよくなると、そういうことを考える余裕ができるんですよね。だから子どもを作らない。経済とセットになるのが教育だと思っています。両者って比例するじゃないですか。

(Tさん)教育によって色々考えすぎちゃうようになるという意味では、教育の仕組みによって若者が自分で自分を苦しめるようになるとも言えますよね。それで男女均等に教育の機会があると、婚期が遅れるのは当然じゃないですか。だからといってパキスタンのように、あるいは明治時代以前の日本のように、「女子は勉強しなくてもいいんだ」という訳でもないんですが……。だって、大学の学部を卒業すれば22歳ですよね、その年齢で数人子どもがいた女性がいたんだから。

(F1さん)少子化対策の一つとして、近年話題になっている教育の無償化については、教育関係者のTさんはどう思いますか。中矢さんの今後の進路をさっき聞いたら、「借りた奨学金を自分で返したい」というのが、社会人になることの一つの理由だと仰っていたけれど。ここブラジルでは公立に進めば教育は無償ですよね。

(Tさん)教育が無償化してもしなくても、学部が終わったら22歳ということには変わりがないでしょう。大学で勉強しながら結婚・出産・子育てはなかなか大変でしょう。それに養育費は教育費だけじゃない。少子化の解決策はそこじゃないと思うな。別の要因があって、子どもを殖やすことに対して稀薄になっているんじゃないかなと思うんです。「産めよ殖やせよ」の時代のように、例えば20歳までには子どもが数人いるような時代が来ないと、日本はだめなんだと思います。こういうベビーブームをもう一度作らなきゃいけないだろうが、日本には恐らく来ないと個人的に思うな。

(Nさん)中矢さん、今の傾向でいくと、日本はどんどん少子化になって、落ち込んでいく。「それは仕方ない」という考え方なのか、あるいは「我々若い世代が頑張って子どもを作ろう」という考え方なのか。後者の考えはなかなか出てこないですか。これからの日本に対して危機感はないですか。

(中矢)私は悲観主義のきらいが強いですし、若者代表としてお話することは難しいかと思うことを先にお伝えさせてください。で、正直に申しますと私は「日本の人口を増加させなければ」という前提の時点で、既に躓いているんです。皆さんが前提とされているこの問いの一個前にいるんですよ。強い言葉でいえば、「日本人というかそもそも人類が絶滅したらだめなのか」という問から考えたいなと思ってしまいます。

(Yさん)日本人が絶滅する訳ないよ。あのね、ところで私は例えばブラジルにこれだけの数の日本人が移住して、他の地域でも日本人は受け入れられてきた一方で、何故受け入れる側になるとこれだけ躊躇するのかが分からないんです。

(Tさん)何が日本人なのかという話ですよね。日本人って元々「雑種」で、国家を定めてから作られた概念じゃないですか。どこまで今の日本人で団結をして、どこまで他の人々を受け入れるかを考えて、どのように今住んでいる人たちを守っていくかを考えないといけないのに、全然政策がないですよね。

(F1さん)保守派を中心として、日本では移民に対して反対意見が根強いですよね。私が興味深いし摩訶不思議に思うのは、ここコロニアの日本人の多くも、日本に移民を受け入れることに対して反対であるということです。自分たち自身はブラジルに受け入れられた身であるのに。日本列島に暮らす人たちだって、他の大陸からやってきた移民のようなものじゃないですか。Tさんのいう「日本人の団結」は、この移民への反対というところなんじゃないのかな。

(F2さん)僕はブラジルに長く暮らして、これからも暮らすだろう皆さんが、日本の少子化をこんなに気にする理由が分からない。それよりはここブラジルの経済や社会がどうなっていくかの方がよっぽど私事じゃないですか。それより貴女、僕たちの議論で発奮して、来年には「子どもができちゃいました!」なんて言わないでよ(笑)。

(Tさん)日本社会の喫緊の問題は、医療や福祉の制度を支える若手がいなくなることですよね。日本人の絶滅といった抽象的な問題ではなく、自分老後に関わる具体的な問題なんでしょうね。日本に暮らした私の両親なんかはいいときに死にましたねえ。

(F2さん)貴女、やっぱりね、この議論で「こんにゃろ」と思って、どんどんどんどん子ども産みなさい(笑)。

(中矢)……こういう大きいお話と自分の人生はなかなかすぐには結びつけられないですねえ。

(F2さん)でも貴女もう24歳の訳だしね。見たところ随分悲観的だけれど、そういう考えは何歳くらいから出てきたのよ。

(中矢)そうですね、中学受験をした小学生の頃から、少子高齢化については授業やニュースで見て来たので、元を辿ればそのころから悲観的なのかもしれません。あとは成長する過程で、少子高齢化に解決の兆しがないことを確認するたびに、この考えを追認してきたという感じでしょうか。どの程度が元来の個性・性格で、どの程度が後天的なのかは断言しがたいですね。

(Tさん)だからやっぱり情報が多すぎるということに戻るんですよね。教育が余りにも浸透してしまっている。「とりあえず今を生きよう」という我武者羅な昔と違って、先を見通せてしまっている。これがやっぱり要因だと私は思いますよね。親も自分たち世代も無謀だったはずですよ。貯金やらマイホームやら完璧になってから子どもを持とうとすると、特に女性は身体的に遅すぎる。或る程度冒険しなくちゃいけないし、足りないものは二人で補いあえばいいじゃない。その勇気までも社会がお膳立てしてあげないといけないのかね。或る程度冒険や失敗をして成長していくのでいいんだという教育をしないといけない。無理をしてできたのが、高度経済成長期だった訳だから。あのねところで中矢さんにはね、日本のいい文化やエッセンスをどうやったら他地域や他言語で残していけるのかということを、例えば貴女の研究している俳句という視点からでいいから、考えていっていただきたい。

(中矢)実は世界の俳句への私の興味関心と、日本の少子高齢化に対しての私の姿勢は結構繋がるところがあるんですよ。俳句は日本発の短詩ではあるんですが、もうとっくに日本の俳句人口より世界の俳句人口の方が多い訳です。日本の俳句界も少子高齢化ですから、きっとこれからも世界の俳句人口の方が増えていくだろうという見立てがあるんです。

(Tさん)じゃあ、正しい俳句を中矢さんが広めていかないと(笑)。

(中矢)実はですね、私は人口の移動だけでなく、文化においても文化を受容する側の国や地域に需要がなければ、供給(伝播)は生まれないと思っているんです。つまり、日本がいくら「正しい俳句」というもの、一つに定められるような何かがあるとは思っていない立場なのですが、これを広めたいと思ってもそれは供給側がコントロールできるものではないと思っています。この面だけを見せたいとか、こう理解してほしいとかそういうものではないと思うんですね。翻訳や普及活動や各種文化的イベントといったその努力や組織が無駄だという意味では決してないのですが、その努力すらも文化の受容と影響のダイナミズムの一糸を成す形で飲みこまれていく訳なんです。で、これからも世界を一人歩きしていくだろう俳句に対して、私は希望を見出したいんです。私が死ぬことは確かだとして、その先に日本の俳句コミュニティが、まるでブラジルにおける日本語の俳人コミュニティのように小さくなる将来が来て、そのときにも私が愛した俳句は、形や様相を変えながら、きっと名前はそのままに、世界のどこかで愛されているんだろうなという未来への確信があるんです。私はその世界の様相を思うと、安堵のような温かい気持ちになれるんですね。あ、勿論その小さくなっていくだろう日本国内における日本語の俳句コミュニティにも、私は温かいものを感じます。決して憐憫のようなものではなく、です。で、ですね、話が長くてすみませんが、先ほどTさんの言われたように、「今の世界の俳句への理解には不足点や誤解がある」という意見もあります。私個人としては、「不足点」や「誤解」という価値判断を下す前に、その差異を楽しみつつ、色々な言語で書かれる俳句の共通性にも目を配りたいんですけれどね。で、まあその「不足点」や「誤解」に対して「日本の正しい俳句」を広めたいと思う方々や実際に活動をされる方々もいて、きっとそちらの方が日本の俳句界の意見としては多数派なのかなという肌感覚はあります。で、私のような静かな傍観者でありたい人間、悪くいえば主体的に変革を起すことを希望せず、そのエネルギーもないような人間からすると、活動する人たちは眩しくて力強い存在で、自分が関わるかはさておいても、少しでもその思いを理解したいという純粋な気持ちがあります。それと同時に私の思いとしては、そもそも俳句が独り歩きしていった起源とその旅路を知りたいと思っていて、例えばそれをここブラジルという地域から考えたいというそういうことなんです。

(F2さん)例えば寿司も、カリフォルニアロールとか、ブラジルでも人気の揚げた寿司とかあって、邪道だというかどうかみたいなことかしらね。ここブラジルでお寿司はもう食べられましたか。

(中矢)はい、クリームチーズと苺の乗った甘いお寿司や、揚げたお寿司(Hot Roll)もいただいて、どちらも個人的には好きでした。いや、やっぱりフルーツは分けて食べたいかもしれません(笑)。

(Nさん)中矢さんの日本に強くこだわらないという考えは、私たちのように日本の外に暮らした人間の考えと通じるところがありますね。歳を重ねると、すっかり行く先が見えて、つい人生を振り返りたくなるんですよ。これは本能的な欲求だと思います。それでもう離れて何十年も経つ日本の将来を心配して、日本に暮らしてきた貴女を捕まえて、色々と聞いたりしてしまうという訳なんです。

(F2さん)老人たちが口うるさくてごめんね!でもこんな機会なかなかなくて、貴重でしょう。

(中矢)はい、有難いです。勉強になりました。

(Nさん)中矢さんがF2さんの言葉が真に分かるようになるには60年くらいかかるんじゃないでしょうか(笑)。中矢さんが我々の歳になったとき、どんな風に考えるんでしょうね。そのとき振り替えることができるよう、今回の議論で感じたことは我々の機関誌でもいいし、是非何かに書いてみてください。記録もね、録ってありますから。

(Tさん)新年会の録音上手くできているか分かりませんが、あとで皆さんにお送りします。

(中矢)あ、録音されていたんですね(知らなかった)?!あの、F2さんにおかれましても、144歳くらいまでどうぞお元気で長生きされてください。

(F2さん)そんな長生き、冗談じゃないよ!(笑)


[補足]

最後の私の言葉に参加者が皆笑った。関西人の性なのだろうか、オチが上手くついて安堵したのを覚えている。実際にこのあとすぐこの昼食会はお開きとなった。

私個人の人生設計は未定だが、仮に会の参加者の方々の望むように、将来の私が婚姻や出産を行なったからといって、どなたが知ることでもなく、どなたのためのものでもなく、24歳の私を裏切るような行為でもないということははっきりと私のために書いておきたい。私の胸中を占めていたのは、会話が噛み合わない度に感じる困惑と、コンフォータブルゾーン(心地よい空間)の外にいるという実感と、久しぶりの中華料理のおいしさだった。

私には悲観主義や絶望だけでなく、ある種の楽観主義があると思うのだが、恐らくそれは伝わらなかった。人類がなかなか滅亡しないように、日本という国家もそう簡単になくなりはしないのだろうという希望的観測がある。ただし、「この世に生れることが幸せかどうかはわからない」という私の考えはやはり悲観的なものであって、参加者の方々との大きな違いだろう。ただし私自身生れてきたからには幸せになりたいし(現に幸せだし)、他者も幸せになってほしいという思いは、参加者の方々と私に共通した考えだろう。

加えて、苦悩や悲観主義からこそ生まれる希望や恍惚、そして耽溺があることを会の皆様には伝えそびれてしまった。が、この特権的なナルシシズムのような幸福は、私だけが分かっていればそれでいいと思う。心の一角を誰にも見せず触れさせず、これまで私は私を守ってきたのだろう。でも同時に語りたいという欲求も同時にあって、私の心の世界の一端や瞬間を俳句形式のなかで昇華させてきたのだろうか。



〔ポルトガル語版〕(escrevi o resumo no português)

Na reunião da restaurante, participei oito pessoas. Eu sou mais nova e outros são idosos. Eles me perguntaram sobre a problema da baixa de natalidade. Tenho uma ideia de tipo de antinatalismo e para mim foi difícil aceitar a ideia mais população nova creio mais felicidade. Também sou egoísta quero viver na minha vida. Um disse que o meu lado de pessimista é resultado da educação superior... A graça de educação, estou feliz porque posso entender o melancólico de inteligentes, escrito em literatura. Alem disso, estou feliz porque pela minha pesquisa posso acreditar que haicai/haikai(meu favorito poema) vai não morrer mesmo que depois o Japão ser extinto no futuro. O mundo incluindo o Brasil já tem fãs do haiku/haicai/haikai. Mesmo tempo, eu acredito que a comunidade de haiku no Japão não vai morrer até o último pessoa morrer, como a comunidade de haiku do imigrantes japoneses no Brasil. 

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