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超ひまつぶし鼎談 第2回 『ふるさとのはつこひ』を肴にする 竹岡一郎×関悦史×小津夜景

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超ひまつぶし鼎談 第2回
『ふるさとのはつこひ』を肴にする

竹岡一郎×関悦史×小津夜景
聴く 9分59秒



福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第1弾 歯ギターは序の口なんです。そのあと火つけるところまでいく。

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福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第1弾
歯ギターは序の口なんです。そのあと火つけるところまでいく。

聞き手:西原天気
Q●
福田くん、こんにちは。第一句集『自生地』上梓、おめでとうございます。それを記念してのインタビューの初回として、「ジミ・ヘンドリックス愛」について語っていただこうと思います。まず訊きたいのは、最初に聴いたときのこと。覚えていますか?

若之●
それと知らずに聴いていたことはあるかもしれませんが、それと意識して聴いたのは、じつは映像を通してです。なんと、大学の授業。当時、僕は1年生だったのですが、先生に言って、本来は2年生以上向けに組まれたカリキュラムに混ざって受講していました。たまたま目にしたシラバスがあまりにも魅力的だったもので。授業のテーマはたしか「サイケデリック」かなにかだったと記憶しています。ある日の講義で、1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルのライヴ映像を観たんです。もうね、その映像がすさまじくて。

Q●
ギターを燃やすシーンが有名なライヴですね。

若之●
まずその前にステージに上がっていたのがザ・フーなんです。記録によれば、どうやら直前になってジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・フーが出演順でもめたあげく、コイントスで決めたらしい。例によって例のごとく、「マイ・ジェネレーション」を演奏した終わりにピート・タウンゼントがギターをアンプにたたきつけてぶっ壊すパフォーマンスをやった後です。

僕にとっては、それだけでもけっこう衝撃的だったんですよ。そしたら、次に出てきた人がめちゃめちゃ良い演奏を披露した挙句、歯で弾き始めた(笑)

Q●
ザ・フーとジミヘン。すごい体験でしたね。生まれてはじめて行った中華屋で、フカヒレとアワビを食べちゃったみたいな。

若之●
そうそう、それまでロックなんてほとんどちゃんと聴いたことありませんでしたから。ロックンロールとロックの違いもよくわからず、エルヴィス・プレスリーとビートルズくらいの、それも漠然としかイメージを持っていないような状態で、それを観たわけです。

Q●
ザ・フーとジミ・ヘンドリックスは、1960年代後半、「ライヴで魅了するロックミュージシャン」として最高の位置にいたと思っています。時代を限らずとも、そうかな? 個人的には、このふたつの人/人たちは、ロックの最もカッコいいパフォーマンスを実現した双璧だと思ってるんです。そのふたつに大学の授業という意外な場所で出会うとは、なんと貴重な! で、聞きたいのは、そのとき、ザ・フーじゃなくてジミヘンだったのは、なぜ? ギター壊しよりも歯、イギリスのあんちゃんたちよりもジミヘンに惹かれた理由は? 出演順が逆だったら、「ザ・フー命」になっていた可能性は?

若之●
いやいや、歯ギターは映像としては序の口なんですよ(笑)。続きがあって、そのあと、火つけるところまでいく。で、このギターを燃やすシーンがね、なんかうまく言えないけどすっごくエロかったんですよ。恍惚する感じ。ギターを女体に見立てるとかそんな生易しいものではなくて、ほとんどギターそのものとセックスしているみたいな感じです。で、それを見ながら、あ、この人の「音楽」に匹敵するくらいなにかすごいことを俳句でやりたい、って思った。これは、ザ・フーのあのパフォーマンスには感じなかったことですね。だから、順番は関係ないです。



Q●
なるほど。

若之●
モンタレーの映像でほかにそれに近いことを感じさせてくれたのは、ジャニス・ジョプリンオーティス・レディングでした。

Q●
いずれも夭逝ですね。ジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョップリンが27歳、オーティス・レディングは26歳で亡くなっています。

若之●
そうか、僕、いま、オーティスが死んだ歳なんですね。オーティスの死んだ理由は飛行機の墜落なので、あとのふたりとは事情がすこし違っていそうですが、みんな、どうして早死にしちゃうんだろう……やっぱり、生きててほしかったですねえ。

ザ・フーに話を戻すと、僕は1970年のワイト島のライヴ盤が好きです。アルバムがどんどんコンセプチュアルになっていく時期があって、ロック・オペラとかをやりだす、あのあたりのザ・フーが好きなんです。これは、モンタレーよりはちょっと後のはず。1967年というと、『セル・アウト』がちょうどこの年ですね。これは、ハインツのベイクド・ビーンズをはじめとする実在の商品についてのコマーシャル・ソングを勝手にでっちあげて収録曲のあいだに挟みこんだり、同じくでっちあげのジングルを挿入したりして、全体を海賊ラジオ局の放送風に仕立てた一枚です。ザ・フーのアルバムがコンセプチュアルになっていくのはたしかこのあたりからではなかったかと思います。同じ年にビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を出していて、あれも実にコンセプチュアル。

Q●
『サージェント・ペパーズ~』の衝撃から、第一線のロックバンドがスタジオ録音、凝った音作りを志向する流れができていく一方で、67年モンタレー、69年ウッドストック、70年ワイト島と、伝説的な大規模野外ロックコンサートが連続した。ロックにとって新しい時代が始まった感じです。ウッドストックのジミ・ヘンドリックスは「星条旗よ永遠なれ」から「パープルヘイズ」。あの映像は、いつ観ました?

若之●
その映像を見たのは、しばらく経ってからだったように思います。あの「星条旗よ永遠なれ」から「パープルヘイズ」へっていうのはジミヘンのライヴではお決まりの流れですけど、そのつなぎ方が抜群にかっこいいんですよね。あの映像の何がすごいって、あれだけやっていながら、「星条旗よ永遠なれ」が曲としてばらばらに崩壊したりせず、ちゃんと一続きの音楽になっているところ。単純にハチャメチャをやっているようでいて、実はすごく洗練されている。

Q●
ハチャメチャではないですよね。例えば、テンポ感。等間隔というのではなくて、みごとにコントロールされたテンポ感。一方で、あれを初めて聴く/見る少年少女には、きちんと「ハチャメチャ」に映る。

ところで、モンタレーでは黒のストラトキャスター、ウッドストックでは白のストラトキャスター。若之くんが最初に見たのがウッドストックなら、白のストラトを買っていたと思っているのですが、それはそうなのですか?

若之●
実は、ギターを買ったのはジミヘンに触れたことが直接のきっかけではないんです。僕が大学2年の1月、サークルのひとつ下の後輩がゲーム店の福袋を買ったなかに、『ギターヒーロー3』というプレステ2用のソフトと専用のコントローラーが入っていたんです。

これはギター型のコントローラーで遊ぶ音楽ゲームなのですが、ちょっとかさばるし、本人はあまり興味もなかったらしく、まもなくそれらはサークルの部室に置かれることになりました。

Q●
ひゃあ! ゲームから? 世代ギャップを感じます。

若之●
これが音楽ゲームとしてはけっこう完成度が高くて、けっこう楽しかったんですが、やっぱりおもちゃはおもちゃ。ソフトに入っている曲をゲームとしてプレイできるというだけで、ほんとうに音楽を弾けるわけではありません。結局は本物に触ってみたくなって。

Q●
そら、そうなるわな。

若之●
しかも、あのゲーム、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロが出て来たりするのはいいんですけど、選曲がややメタル寄りな感じで、ジミヘンもジェフ・ベックも一曲も入ってなかったし! というわけで、その年の春休みには、立川のリサイクルショップで安いギターとシールドとアンプを買っていました。いま弾いているフェンダー・ジャパンのストラトではなくて、ぜんぶ合わせてたしか6,000円くらいの、ほんとの安物です。でも、やっぱり黒のストラトで、しかも指板はローズウッド。ジミヘンのスタジオ・アルバムでは『アー・ユー・エクスペリエンスト?』をいちばんよく聴いていたということもあって、ほぼ同時期にあたるモンタレーのジミヘンを少なからず意識していましたが、単純に、ストラトの造形ではその店に並んでいた他の色よりも黒に惹かれたというのも大きいです。それまでギターに触れたのは、中学校の音楽の授業でアコースティックギターをほんのすこしだけ。そのときは、ほとんどまともに音を鳴らせないまま終わりました。

Q●
『アー・ユー・エクスペリエンスト?』はファースト・アルバム。最初に買ったジミヘンのアルバムも、それ?

若之●
ええ、それはもうモンタレーの映像を観てまもなく買いました。オリジナル版の曲に加えて、ボーナス・トラックとして1stから3rdシングルまでの曲も入ったCDです。いまはなきディスクユニオン国立店でのことでした。

Q●
私はもっぱらライヴ録音を聴いてきたので、その『アー・ユー~』は未聴。さっき聴いてみると思いのほかサイケデリックな音ですね。

若之●
それを聴きまくって、大学最初のレポートで、僕はジミヘンのことについて書いたんです。具体的には、「ストーン・フリー」の読みかえをしました。歌詞カードなんかを見ると、曲中で連呼される"stone free"という言葉が「完全な自由」って訳されている。これを、"smoke free"(「禁煙」)に類する表現ととって、「麻薬でハイになることなしに」という意味を掛けてあるものとして読み解きなおしたんです。要するに、「完全な自由」は「麻薬でハイになることなしに」のものであるはずだ、と。「石」の意味では見慣れていたはずのstoneという語の意味の多様性に驚かされました。この歌詞の読みときから入って、細かいことは忘れちゃいましたけど、明確に麻薬的な曲である「マニック・ディプレッション」との音楽的な違いなんかにも言及して、「ストーン・フリー」を麻薬なしの音楽として捉えなおしたわけです。この読みでは、「麻薬中毒のジミヘン」という一般的なイメージとは異なる姿が浮かび上がってくる。さらにそれを伝記的な資料と照らし合わせながら、ヘンドリックスは音楽において麻薬なしの自由を志向していたのだ、みたいな結論を書いて。

Q●
聞き込みましたねぇ。歌詞カードとかの訳詞って、とくに昔はめちゃくちゃでしたからね。ま、stoneは石じゃないよね(笑)。「完全な」では、もっとない。freeは自由じゃなくて「ナシ」。「free」って「自由」と誤訳されることが多いですね。「タダ(無料)」を自由と訳しちゃったり……。そうすると、いちばん好きなアルバムも、これってこと?

若之●
そうですねえ、アルバムとしては、いまでは『アクシス――ボールド・アズ・ラヴ』のほうがより好きかなあと思います。『アー・ユー・エクスペリエンスト?』もめちゃくちゃ好きなのですが、その上をいく感じ。あと、エクスペリエンス解散後の、バンド・オブ・ジプシーズの時期なら『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト』。カットされている演奏があるのは残念ですが、アルバムとしてはよくできていると思います。ディスク2冒頭の「オールド・ラング・サイン」――あの「蛍の光」の原曲ですが、これは年越しライヴならではの粋なパフォーマンスでした。

Q●
ついでだから、聞いておきましょう。ベストのライヴアクト、YouTubeで聴けるなかから1曲選ぶとしたら?

若之●
ライヴは、ほんとうは、4枚組のボックスセット『ステージ』に収録の1枚に収められた、1969年5月24日のサンディエゴでのライヴの「レッド・ハウス」が最高にシブくてかっこいいのですが、YouTubeに音源がない……。ここは、せっかくなので、好きな演奏のなかから、ジミヘンの演奏があまり知られていないだろう一曲を紹介しておきます。「ディア・ミスター・ファンタジー」。スティーヴ・ウィンウッドが在籍していたトラフィックの曲のカヴァーです。



Q●
おお、変則で来ましたね。

若之●
あと、これは余談ですけど、「レッド・ハウス」のシブくてかっこいい演奏としては、最晩年のジョン・リー・フッカーによるカヴァーもいいですよ。なんというか、凄みがある。

Q●ジミヘンで好きなエピソード。なにかありますか?

若之●
まず思いつくのは、シャ・ナ・ナの話。クラブで偶然シャ・ナ・ナのパフォーマンスを観て彼らのことを知って、彼らがウッドストックに出演できるように、フェスティバルのプロデューサーに推薦したんだそうです。シャ・ナ・ナのライヴ・パフォーマンスは、僕、最高に愉快だと思います。

Q●
ジミヘンの推薦だったとは、知りませんでした。驚き。ジミヘンとはぜんぜん違うノリの音楽なのにね。シャ・ナ・ナは、ウッドストックの出演者のなかで異彩を放っていました。

若之●
あともうひとつ、1961年から1962年にかけて、彼は陸軍に所属していたのですが……。

Q●
軍服でギターを持っている写真が残っていますね(≫画像)。

若之●
そのころ、デューク・エリントンの「イースト・セントルイス・トゥードゥル・オー」をレコードで聴きながら、いつかあの音をギターで出してやるんだと友人たちに言って、ますますこいつはバカだと思われたという話です。

その後、1965年、アメリカのトーマス・オルガン社のエンジニアがアンプのミッドレンジブースターを改良中に、偶然、ワウ・サウンドの原理を発見して、エフェクターとしてのワウペダルの開発がはじまり、1966年にプロトタイプがジミヘンの手に渡ったとか。それまで与太話としか思われていなかった夢がひょんなことから実現できるようになった結果が、たとえば、『エレクトリック・レディランド』の「雨の日に夢去りぬ」と「静かな雨、静かな夢」かと思うと、ちょっと胸が熱くなります。



Q●
「イースト・セントルイス・トゥードゥル・オー」をギターで、というジミ・ヘンドリックスの夢も、1974年、スティーリー・ダンによって実現されるわけです。2枚目のアルバム『プレッツェル・ロジック』のA面最後

若之●
おおー、本家よりもワウワウしてる、たのしい! 

Q●
ギターはおそらくジェフ・バクスター。軍事マニアが昂じて、後年、米国防総省顧問を務めることになる人です。

若之●
それにしても、「静かな雨、静かな夢」って邦題はよくないですね。アルバムのうえでの二つの曲の関係を考えれば、"Still Raining, Still Dreaming"の"still"が「静かな」という意味の形容詞としてじゃなくて「いまだに」という意味の副詞として用いられているのは明らかです。「まだ降っている、まだ夢見ている」とでもすべきところ。聴いてないひとが訳したんじゃないかと疑うレベル。

Q●
あはは。さっき話したスティーリー・ダンの2枚目も当初『プリッツェル・ロジック〜さわやか革命』と、わけのわからない副題が付いていたようです。

若之●
まあ、ちょっと真面目な話をすると、「静かな雨、静かな夢」の誤訳は、"Rainy Day, Dream Away"を「雨の日に夢去りぬ」と誤訳したことに端を発したものでしょう。"dream away"は、"the dream has gone away."といった表現とはおよそ真逆の、「夢見心地で過ごす」という意味の熟語です。だから、原語の脚韻の良さを意識して訳すなら、たとえば「雨の日、夢見心地」とかそんな感じ。それを「夢去りぬ」と訳してしまったので、"still dreaming"を「まだ夢見ている」と訳すのが不自然に感じられてしまったのではないかと思います。夢は去ってしまったはずなのに、どうして「まだ」ということになるのかわからないから、間違った文脈の判断で「静かな」とやってしまったのではないかと。

Q●
洋楽業界では日常的にその手の失敗・事故が起こっていそうです。邦盤を買う習慣がなかったので、被害は受けていないのですが…。では、最後に、ジミ・ヘンドリックスに関する書籍でオススメはありますか。

若之●
そうですね、本を通じてヘンドリックスそのひとに触れるというのであれば、個人的にいちばんのおすすめはトニー・ブラウン編『クライ・ベイビー――ジミ・ヘンドリックス語録集』(上田茉莉惠訳、アップリンク、1998年)です。きっと編者の手柄なのだと思うのですが、この本のヘンドリックスはとても生き生きしていて、そのつど核心をつくようなことを語ってくれています。

より資料性の高いものとしては、スティーブン・ロビー編著『ジミ・ヘンドリクスかく語りき――1966-1970インタヴュー集』(安達眞弓訳、スペースシャワーブックス、2013年)もあるのですが、こちらは書名のとおり「インタヴュー集」なので、インタヴュアーの言葉やライターの文章にさえぎられるようなところがあって、ヘンドリックスそのひとに触れるつもりで読むとすこしじれったく感じられるかもしれません。

評伝であれば、チャールズ・シャー・マリー『ジミ・ヘンドリックスとアメリカの光と影――ブラック・ミュージック&ポップ・カルチャー・レヴォリューション』(廣木明子訳、フィルムアート社、2010年)をおすすめします。読みやすい筆致で、語られているエピソードも興味深いものが多く、ヘンドリックスの音楽を、他の音楽ジャンルやミュージシャンたち、あるいは、アメリカの文化や社会とのかかわりを押さえながらより深く知ることができる、優れた一冊だと思います。

最後に、コアなファン向けには、ビル・ニトピ編『ジミ・ヘンドリックスの創作ノート』(廣木明子訳、ブルース・インターアクションズ、1996年)。これは、ヘンドリックスが手書きした歌詞の草稿などを集めて、一枚一枚、図版として掲載してあるという代物です。直筆フェチのみなさんはぜひ。

Q●いろいろとおもしろい話が聞けました。ジミ・ヘンドリックス愛もよくわかりました。ありがとうございました。





【週俳8月の俳句を読む】愛敬って大事だよって先輩に言われて。  橋本小たか

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【週俳8月の俳句を読む】
愛敬って大事だよって先輩に言われて。

橋本小たか


「一流の作品は、どこかユーモアがあってかわいらしい」
句歴でいえば恐らく四十数年、ベテラン俳句作者のひとこと。

わが道を一所懸命にひた走るのはもちろん結構。
しかし、その作品群にどこかしら愛敬が感じられないようでは、まだまだ。
そんな教えかと思う。

たとえば蛇笏に愛敬があっただろうか?
「芋の露連山影を正しうす」は荘厳とも言える景にもかかわらず、
「ただしうす」という音がむやみにかわいい。
その結果、まじめな顔をして冗談を言う、イギリス式ユーモアのような調子があって、
すこぶる愛敬に富む。「なんつってね」と、はにかんでいそうだ。

蛇笏をよく知る藤田三郎さんによれば、龍太にくらべ蛇笏は冗談も猥談も好きだった由。突然、そういう話をはじめるのだという。
よくわかるね。やりそうだ。「芋の露」にかぎらず、蛇笏作品は愛敬がある。

ある年代の俳句作者たちの文体にもっとも影響を与えたのは蛇笏だった。
蛇笏の文体が俳句の文体になった。格調がある、無い、が基準になった。
それはそれでいい。けれど、格調と愛敬が裏表だということをうっかり忘れたまま、
ずいぶん多くの人が蛇笏を真似たせいで、俳句はきまじめになった。

高野素十のあれやこれやの有名句も、愛敬という面では近いところがありますよね。
感動の急所は、描写ではなく、愛敬だったのではないか。
素十ファンが多いのは、あんまりにも高精細に描こうとしたあの姿勢に
愛敬を感じたために違いなかった。

こういう愛敬は、えーと、ほら、カフカの小説の読み味にも似ているかもしれない。
奇妙な設定を設けたあとは、ひたすら精密なリアリズム。
そのくせ、弱火で沸騰しつづけるヤカンの湯のあぶくのように、
ぽつぽつと親しみとおかしみの情が沸き出てくる、あれですね。

8月号をそういう目で見てみたらどうだろう。
岡田耕治さんの「西瓜」は、

 トマトジュース最後の音を立てて飲む

をはじめ、かわいらしい。
「落蟬の突然暴れ出している」「西瓜の種よく飛ぶようになってくる」。
かわいらしくて、且つ賢い子の笑みに似ている。
うっかりしているようで、うっかりしていないところが、惜しい。
うっかりしたところが無いのは山口優夢さんの「殴らねど」も同じで、
「父母のごと我等も泣けり百日紅」など、なまなましさと滑稽さをまじえた
夫婦喧嘩の連作は、冷静な青い糸が貫かれて愛敬を生むには至らないのですね。
題材のせいか。いや、そもそも、愛敬がなくてもいいのだけれど。

三宅桃子さんの「獏になり」は、

 爪を切るあいだ背中にある泉

その他「豊年の真ん中犬の紐余る」「宝仏殿のような檸檬を手がえらぶ」など、才気煥発。8月号でいちばん緊張感と気合の高い作品群。
ぴりぴりとした勝負魂は、もはや愛敬などと言っている隙が無い。
 
そんな中で、図抜けて愛敬のただよう作品群が矢野公雄さんの「踊の輪」である。
 
 黙読のときにほほ笑む夜長かな

うーん、ぜんぜん感心しない。むしろちょっと気持悪いくらいの句かもしれない。
あるいは「虫の音や寄り道いつか迷ひ道」もまた、なかなかどうでもいい句かもしれない。けれども、どうも感心しないなあと思いつつ愛敬を感じるのはなぜだろう。
いたってまじめに本人はそう思ったらしい形跡が、
そこはかとなく、かわいらしい。
極めつけは、

 下の名をはじめて呼ばれ稲光

「稲光」と来たか。
「黙読のときにほほ笑む夜長かな」の人が「虫の音や寄り道いつか迷ひ道」を経て、
「下の名をはじめて呼ばれ稲光」。

とぼけている。ちょっと、とぼけすぎている。
真似のできないこのとぼけかたに接したとき、
私は電撃的にゆるぎない愛敬を感じることになった。

「世界観」をつくることはできるかもしれないが、愛敬をつくることは難しい。

そういえば仕事場でも「愛敬がいちばん」だなんて言われたっけ。
こればかりは、ちょいと途方にくれる。



第537号
岡田耕治 西瓜 10句 ≫読む
樫本由貴 緑陰 30句 ≫読む
三宅桃子 獏になり 10句 ≫読む
山口優夢 殴らねど 10句 ≫読む
矢野公雄 踊の輪 10句 ≫読む

【週俳8月の俳句を読む】隙間のような場所 小野裕三

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【週俳8月の俳句を読む】
隙間のような場所

小野裕三


帰省子に真っ先に来る海老フライ  岡田耕治

理屈として考えるとかなりまっとうな句と言うか、いつもは親元を離れて住んでいる帰省子なのだろうから、帰省時に大切にされるのは頷ける。だがそれだけでなく、この句には何か明るさのようなものがある。ポイントは「真っ先に」にあって、それは何かのスピードの感覚を喚起する。そこに繋がる台所での躍動感も想起できるし、さらにはそこに帰省してきた子たちの移動距離・移動時間も想起できる。もちろん、その移動中における帰省子たちの気持ちの高揚感も感じられる。これらの諸要素が、「真っ先に」に表される一直線の動きに繋がる。その直線の先にあるのは、それを待ち受ける子どもたちの笑顔。ストレートな構成の中にいろんなダイナミズムが集約され、それが句の明るさに繋がっている。

白シャツやふくらんで風その匂ひ  樫本由貴

この連作は、原爆という難しいテーマに真摯に取り組んでいて、好感を持った。印象的な句が多いが、その中でもこの句に惹かれた。この句自体はもちろん、今の時代を詠んでいるわけだし、ここには原爆を仄めかす要素も直接的にはない。むしろ、シャツや風という要素からは、さわやかな句と言うことすらできる。しかしながら、ここでの白シャツは不思議と原爆直後の惨状もまた二重写しのように想起させる。焼け焦げ、切り裂かれ、あるいは血に染みて、異臭を放つようなシャツ。この句の白シャツはそのように、今の時代と「あの時」と、その二つを対照させる仕掛けのような役割を果たす。声高に反戦を叫ぶ句でもなくただひたすらに生理的な句だが、それゆえに印象深い。


宝物殿のような檸檬を手がえらぶ  三宅桃子

宝物殿のようなレモンとはどのようなレモンなのか。結局のところ、この比喩は明快な像を結ばないが、にも関わらずこの比喩にはなぜか説得力がある。宝物殿とは煌びやかだが古めかしくもある存在だ。一方で、レモンは小さくて瑞々しい。と考えると正反対の特徴を持つもののようでもあるが、なぜか納得させられる。このレモンは手(たぶん女性のやわらかい手)によって選ばれたわけだが、この手はまるでその人の意図を離れた独立物のようにも思え、川端康成の有名な短編なども想起させる。そして、ここでレモンが選ばれたという行為は、逆に言えばすべてのレモンが宝物殿のようなものであるわけではないことを示唆する。ひょっとすると、そんなレモンは世界にたったひとつかも知れない。そんなレモンと生き物めいた手との邂逅は、なんともセクシーでもある。


妻から指をつないで帰る墓参かな  山口優夢

この連作は興味深く読んだ。赤裸々な告白なのか、きわめて世俗的なテーマでもある。夫婦というテーマなら、もっと他にいろんな側面を持ちうる。美しいことも、幸せなことも、いくらでも探してくることができるだろう。なのにあえてこの側面を作者は素材として選んだ。もちろん、夫婦の人間関係にこのような面があることも厳然たる事実であり、作者はそのことに目を背けなかった。そんなこの連作の中で、この句だけはちょっとほっとする感がある。指は妻の指で、だから料理や洗濯をしたりもすることもある指だろう。そんな指は、頭や眼や口とは違う何かを見知っている存在かも知れない。その妻の指と夫の指という肉体的な触れあいは、墓参が示す血の繋がりのようなものも想起させる。特に帰り道なのが、この句ではいい。務めを果たしてほっとした心の隙間のような場所に、指が忍び込んできたようにも思える。


いまだ輪とならず踊の三曲目  矢野公雄

踊りって、なんだかいかにも俳句的ないい素材だなあと昔から思っていて、なんとか秀句をものにしてみたいと僕自身も何度も挑んできた。だが、踊りはだいたいどこの場所でも似たような状況で行われるし、だから独自性のある特徴をそこから抽出するのはどうも難しい。なので、句にするにはどうしても《コロンブスの卵》的な発見が要求される。この句もそんな句のひとつだが、ポイントはもちろん、三という数字だ。一曲目が輪にならないのはまあ当たり前だろう。だが、二曲目はそろそろ秩序らしきものができて、輪になっていてもいい頃だ。それが三曲目も輪にならないとなると、どうなのか。想像だが、反応は二極化するような気がする。相当いらいらしている人もいる一方で、その無秩序ぶりをかえって愉しんでいる人もいそうだ。そういうなんとも「トホホ」な感じをうまく捉えた、見事な発見の句だと思う。



第537号
岡田耕治 西瓜 10句 ≫読む
樫本由貴 緑陰 30句 ≫読む
三宅桃子 獏になり 10句 ≫読む
山口優夢 殴らねど 10句 ≫読む
矢野公雄 踊の輪 10句 ≫読む

【週俳8月の俳句を読む】書き殴る 藤本る衣

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【週俳8月の俳句を読む】
書き殴る

藤本る衣


帰省子に真つ先に来る海老フライ  岡田耕治

菜箸に挟まれ揚げたての海老フライが、鼻先を掠め皿の上へ。いつに変わらぬ、ははの愛。じゅうじゅう音のしている句だ。

西瓜の種よく飛ぶようになってくる  同

鈴鹿山脈から流れてくる小川に祖母が、西瓜を冷やし待ちかまえていたあの夏休み。きんと冷えた西瓜、 食え食えと笑顔だが、小6と小5の姉弟は、汽車旅疲れもありそんなに食べられるものではない。横では、従弟たちが器用に西瓜の種を飛ばしている。真っ黒でよく滑る小さな種を舌の先端にそっと乗せ、唇を窄め当て思い切り吹く。向こうのカンナに上手く命中するようになるまで。日盛りの種飛ばしが 目に浮かび楽しい句。

蜩に生まれて翅を濡らしけり  同

ひぐらしの♂の腹部は、うすく大きく半透明でそこが共鳴器となるらしい。句調からすると、狐雨とか小雨の感じ。蝉の翅には、小雨がうつくしい。


素麺冷やして母系の家や猫までも  樫本由貴

「冷素麺」としなかったのがいい。「素麺冷やして」で、素麺を笊にとり水にさらしている動作がくっきりする。そして母系という、少し鬱陶しい言葉が澄みはじめてくるのは
流しっぱなしの水のひかりがあるからだ。

原爆ドームに楽止まぬ日や蚊に刺され  同

想像を絶する人類の悪業の歴史。見るのさえ苦しい展示写真。惨禍をくぐりきし遺物の数々に接した後だろうか。二度と再びあってはならないと気を引き締める。讃美歌だろうか流れている曲に気を 取られる作者。そして蚊に刺された不快感に、全身が囚われているのも、生者とっては自然なこと。

どの碑にも蟻ゐるそれも大きな蟻  同

びっくりするほど大きな蟻が 幾つかの碑を伝い歩いている。時代の不穏、不安感の象徴のように思えて、「それも」がとても不気味。

白シャツがふくらんで風その匂ひ  同

灼熱の風がシャツを一瞬ふくらませ 鼻を掠めて抜けたのだろう。自分の汗の匂い。私が、いま生きている匂い。

萩を描かず原爆ドームのスケッチよ  同

もし「原爆ドームを描け」という命令が下ったとして わたしも、萩を描かない。猫も描かない。


爪を切るあいだ背中にある泉  三宅桃子

溢れてくる言葉の泉だろうか。それとも 誰かを想うきらきらの泉なのか。
 若いっていいなあ~。

くちびるで風を送りし金魚かな  同

たしかに、風を送るから水が押されて動く。が、言われてみるまでは、その一瞬の詩に気づかない。良~く見ていた桃子さんに脱帽。

宝物殿のような檸檬を手がえらぶ  同

若い手でうつくしい檸檬を品定めする。今夜忍び込めば、正倉院に 光る檸檬が積まれているのかもしれない。

花野の隅にオレンジ色の日付つく  同

夕闇迫る花野。ぽっと明かりが灯りはじめたらオレンジ色の日付にしてしまおう。


夏痩せの妻と喧嘩や殴らねど  山口優夢

「殴らねど」が切ない。喧嘩をしなくてはいけないと思う。結婚生活は。例外はあるとして人間同士、しかも男女の共同生活だ。分かりあうのは、喧嘩しかない。しかし次の喧嘩では、前回より、マシな喧嘩をしなくていけない。

皮肉も自嘲も泣き声に負け冷酒酌む  同

泣かれると負ける。負けたふりをする。男は。泣き叫び羽枕を投げつける奥さんの洋画のワンシーンが浮かびます。次回からは、お互い少しクールにいきませんか。それでなくても 疲れる現代の暮らしです。自嘲も皮肉も相手にぶつける前に、思いっきり走り書きしてみる。書き殴ってみる。まず自分で自分のガス抜きが必要。頬っぺた殴られるより、相手も痛くない。

別れるの死ぬのと母も昔の夏  同

お母さんにも 若く生々しい時代があって、次の世代もまた、こうして健やかに繰り返す暮らし。

言ひ負かしたのではなく見限られたのかも、夜  同

夫婦間の句としてではなく、友人同士の句としても。むしろ、その方が面白いかもしれないなと思う。無季はなぜか 気にならない。

おしろいや終はつても済んでない喧嘩  同

DVは 絶対!NO!だけど、これからも分かりあう為、いっぱい派手に喧嘩して欲しい。喧嘩 仲直りを散々繰り返そう。物心さえ付いていれば、子どもの前でもやっちゃいましょう。子どもなりに、人間同士になにが大切なのか感じていけるから。

妻から指をつないで帰る墓参かな  同

喧嘩の後の木犀の匂い。


黙読のときにほほ笑む夜長かな  矢野公雄

最近「せつない動物図鑑」(ブルック・バーガー/服部京子訳)を読んで、最初から最後までワタシは、ほほ笑んだ。本を読んでて 思わず吹き出すこともある。そんなとき
なぜか、わたしは 生きててよかったと思う。

下の名をはじめて呼ばれ稲光  同

無音の閃光、稲光り。職場なのか野外なのか いづれにしても、うれしいびっくりだったのだろう。
 
仏にも鬼にもなれず濁り酒  同

にんげんで・す・か・ら、あたり前田のクラッカー。李白も呑んでいたらしい、濁り酒の斡旋が良い。



第537号
岡田耕治 西瓜 10句 ≫読む
樫本由貴 緑陰 30句 ≫読む
三宅桃子 獏になり 10句 ≫読む
山口優夢 殴らねど 10句 ≫読む
矢野公雄 踊の輪 10句 ≫読む

【週俳8月の俳句を読む】雑読々Ⅲ 瀬戸正洋

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【週俳8月の俳句を読む】
雑読々Ⅲ

瀬戸正洋


帰省子に真っ先に来る海老フライ  岡田耕治

子どもは海老フライが好きなのである。子どもが海老フライを好きだから母親も海老フライが好きなのである。母親は、海老フライを食べる子どもの笑顔が好きなのである。父親は母親の目線ではなく子どもの目線に立っている。だから、真っ先に「出す」とは言わない。真っ先に「来る」なのである。

トマトジュース最後の音を立てて飲む  岡田耕治

紙パックのトマトジュースにストローを刺して思い切り吸い込む。紙パックは徐々に変形し最後には、あの音がして、くしゃくしゃになる。コップであっても最後にあの音はする。少し残しておくことがエチケットなのかも知れない。少し残すことは感謝の精神が足りないのかも知れない。ストローを使いこなすのは難しいのだ。トマトジュースを使いこなすことも、もちろん難しい。生きていくことも・・・・。

蟬飛んでもう戻らないつもりらし  岡田耕治

人生は短いのである。あなたのことなどかまっている時間などない。誰もがそう思っているのである。そんなことはないなどと思ったとしたらそれはあなたの錯覚なのである。あるいは騙されているのかも知れない。蟬は飛んでいってしまった。戻ってくるはずなどない。あのひとも戻ってくるはずなどない。それでいいのである。

落蟬の突然暴れ出している  岡田耕治

落ちたばかりなのだろう。仰向けのまま暴れ出す。油蟬なのかも知れない。死ぬときは静かに消えるように逝くものなのか、それとも、この蟬のように突然暴れ出して今生の別れの記念とするのか。蟬にも個性はある。個性とはやっかいなものなのである。真夜中の縁側の庭先で突然暴れ出す蟬。

関節の音立てている立葵  岡田耕治

公園の広場では子どもたちが集まり、今まさにラジオ体操がはじまろうとしている。花壇には立葵が咲いている。それを眺めていたとき関節を連想したのだ。子どもたちといっしょに膝の屈伸運動をした時、関節がぽきぽきと鳴った。老いたなと思う。立葵には関節があるということを知った、とある夏の日の朝。


原爆ドームに楽止まぬ日や蚊に刺され  樫本由貴

原爆をテーマとして俳句を作るということは「反戦」ということでいいのだろう。八月六日、広島平和記念公園に隣接する原爆ドームでは音楽が鳴り続けている。その日、そこにひとが集まることも「反戦」ということでいいのだろう。平和記念資料館を見学する。頭の中は広島に投下された原子爆弾のことでいっぱいになる。気が付いたら蚊に刺されていた。蚊に刺された「私」について考える。どこかに行ってしまった「蚊」について考える。これも「反戦」ということでいいのだろう。

原爆を見し人氷菓吸うてをり  樫本由貴

原爆投下後の広島を展示物や資料で見たひとということなのだろう。資料館より資料を脇にかかえた若者たちが片手で氷菓を吸いながら歩いてくる。これも「反戦」なのである。作者がここにいてこの若者たちを眺めていることも、作者がこの作品をつくったことも「反戦」なのである。

黙礼やみな立葵見てきしが  樫本由貴

立葵を見てきたことは無意識のことなのである。黙礼とは黙ってお辞儀をすること。そのことを願い黙ってお辞儀をするのである。だが、何千何万の黙礼は、たとえ、目的は同じてあっても、それぞれの方法は異なっているのである。その異なった黙礼の集まったパワーが、このひとたちに戻ってくるのだ。立葵は薬草でもある。

原爆以後この緑陰に人の棲む  樫本由貴

七十数年前に原子爆弾が投下された以後も、この地にひとは棲み続けてきた。春になると草が生え、樹木は芽吹く。ひとは少しずつ戻り家を建てた。唯一、ひとを守ってくれたのは自然だけだったのである。暑さからひとを守ってくれたのは緑陰だけだったのである。

どの碑にも蟻ゐるそれも大きな蟻  樫本由貴

碑とは銘文を刻んで建立したものである。碑文に書かれているものは、そのことなのである。どの碑にも蟻がいる。それも大きな蟻がいる。その大きな蟻は碑の表面を歩きまわっている。銘文を読んでいる。その蟻は被爆したひとたちなのかも知れない。

空蝉がゐて被爆樹の添木かな  樫本由貴

被爆樹が何十年も枯れずに生きていることに驚く。だが、ここに立ち続けるためには添木は必要だったのである。それは誰もがそうなのである。老いればひとの助けがいるのは誰でも何でも同じことなのである。蝉の幼虫は被爆樹を登り羽化をした。作者は、自身が生きていることも含めて何もかもに感謝をしている。


水を打つそばから乾く水を打つ  柘植史子

単純な光景である。単純であるがゆえにいろいろと考えさせられることがある。何かが足りないということは誰もが、そう思って生きている。これかと思い動きはじめてみても途中で違うような気がする。水を打つそばから水は乾いてしまう。よしんば、乾いていなくても水は打たなければならない。水を打つ、ただ、ひたすらに水を打つ。何故か、楽しくなってくる。

天井へとどく棚の書夜の蟬  柘植史子

本というものは家中のいたるところにあるものだ。玄関に置かれ、床の間に積まれ、廊下に放り出され、机のうえにも積まれる。本は本棚に並べ置かれるものなどということは幻想なのである。本は家中を侵食していく。ありとあらゆるところに積まれる。棚にも当然積まれる。積み始めれば天井に届かなければ終わりとならない。いらない本ならとっとと捨ててしまえなどと言ってはいけないのである。蟬も夜ぐらいは鳴き止めばいいのにと思う。

返されし雨傘を提げ星月夜  柘植史子

雨が止んだから返されてしまったのである。返されるのは翌日以降、それも届けてくれるのかと思って貸したのである。それが、すぐに雨は止んでしまい、傘は返されたのである。つまり、傘をふたつ提げて歩いているのだ。夜空はすっかり晴れ渡り星月夜。間の抜けた自分自身の歩くすがたが影となりあとを追う。

桃香り桃の形を思ひだす  柘植史子

桃を食べたことのないひとは香りがしても、それが桃であるのかどうかわからない。桃の形を思い出すこともできない。桃が嫌いなひとは桃の香りがしても気にもならない。たとえば、好きな楽曲がラジオから流れてくると、今まで聴いた中でのいちばん気にいっている演奏がよみがえり、あたまのなかを鳴り響いていくのである。

秋日傘発掘作業の脇を抜け  柘植史子

麦藁帽子やヘルメットを被ったひとびとが地べたに這いつくばって、じょれんや移植ごてで遺跡の表面をきれいに削っている。その脇を秋の日傘を差したご婦人が通り過ぎるのである。和服すがたなのかも知れない。土木作業現場と、そこを通り抜ける秋日傘のご婦人。これを歴史というのかも知れない。

石榴割る海馬のなかに声の匣  柘植史子

割った石榴から脳をイメージし「海馬」まで繋げる。「海馬」とは、脳の記憶や空間学習能力に関わる器官なのだそうだ。その「海馬」の中に声の匣があるという。確かに記憶にないことばは声として発することはできないと思う。


爪を切るあいだ背中にある泉  三宅桃子

泉とは水の湧き出る場所である。爪を切るあいだ背中に泉があるのだという。背中から水が湧き出るのだという。からくり人形しか思いうかべないとしたらイマジネーションが貧弱なのか。からくり人形は日本書紀にも記載があるという。

くちびるで風を送りし金魚かな  三宅桃子

水の中でも風か吹いていることはあたりまえのことなのである。たとえば海にもぐったり川にもぐったりプールにもぐったりすると風を感じることがあるだろう。水槽のなかに風が生れるのは金魚がくちびるで送り出したからだということはあたりまえのことなのである。金魚にくちびるがあるかないかなど確認する必要などないのである。

ひまわりやコップの下の水たまり  三宅桃子

ちいさなひまわりを投げ込んだコップの下のちいさな水たまり。洗ったばかりのコップを使ったのだろう。ちいさな水たまりは台所のテーブルのうえ、ちいさな水たまりは書斎の机のうえ。外にできた水たまりと同じように、いつのまにか消えてなくなってしまうのである。

獏になり氷菓を舌で受けとめる  三宅桃子

獏は未来を食べるのではない。悪夢を食べてくれるのだ。過去に出会ったひとびとの怨念が悪夢となる。考えてみれば楽しい夢など見たためしがない。ひとにとって獏は必要な動物なのである。それが架空の伝説の動物だなどといわれても何ら気にすることはない。架空の伝説の動物、現実の動物、私たちの暮しの中では同じことなのである。さて、夢の中で獏になったこのひとの舌で受けとめた氷菓とは誰の怨念なのだろう。

坂道のひらたくなって麦の秋  三宅桃子

麦秋とは麦の穂が実ったころの季節をいう。坂道のひらたくなったところの麦畑とは、坂道を下ってきたところにあるのか、坂道を登ってきたところにあるのか。どちらにしても坂道は老人には堪える。さわやかな風が吹き抜けていくひらたくなったところ。もうすぐうっとうしい梅雨がやってくる。

中元の箱をもれなく開きおり  三宅桃子

めんどくさいのでそのままにしておいたが賞味期限のあるものもある。結び紐を鋏で切り、包み紙をひらき、箱を開ける。食品と、消費用雑貨類に分ける。山村の生活はゴミの分別などしない。大方は裏の畑で燃してしまうのだ。もちろん、白いけむりのでるものしか燃しはしない。そのくらいの分別はある。


夏痩せの妻と喧嘩や殴らねど  山口優夢

夫婦喧嘩は止め時を計算して仕掛けるものである。つまらぬ感情に押し流されて、うっかりと始めてしまうものではない。妻であるがゆえに嘘をつきとおさなければならないことも多々ある。妻であるがゆえに本音は隠し通さなければならないのだ。夏痩せの妻を殴ることなどもってのほかなのである。

妻は思ひ出し怒るみんみん蟬のごと  山口優夢

みんみん蟬が鳴いているのは過去を思い出しているからなのである。妻が怒っているのも過去を思い出しているからなのである。「あなたの何もかもか癪にさわるのよ」ということなのである。みんみん蟬が鳴いているのも妻が怒っているのも、必ず朝が来ることを知っているからなのである。

言ひ負かしたのではなく見限られたのかも、夜  山口優夢

言い負かして勝ったような気がしているのだが何かがおかしい。妻は私の知らないところでほくそ笑んでいるのかも知れない。居間にも台所にも玄関にも夜のしじまが忍び寄ってくる。時間が経てばこころが落ち着いてくる。そういえば、妻を言い負かしたことなどいままで一度もなかったことに気付く。

盆の寺出て霧雨が手に頬に  山口優夢

掃除をして花と線香。そして、近況報告。雨の降りはじめに気が付くのは、いつも手や頬である。決して、目や脳髄ではない。お盆、春と秋の彼岸、そして、年末のお墓の掃除。墓にも隣近所があり、毎年、数回、集まることになる。寺の裏山では蜩が鳴いている。

妻から指をつないで帰る墓参かな  山口優夢

指と指を絡めあって帰る。指をつなぐ夫婦。怖ろしい光景なのだと思う。「捕まえたから、もう離さないわよ」ということなのである。「あなたの家のお墓なのだから」という声も聞こえてくる。だが、もううんざりなのである。妻や子と別れて、ひとり珈琲でも飲んで帰りたいのである。とにかく、ひと時でも、自由になりたいのである。やさしかった頃の面影が消えてしまうことなどわかっていたはずなのに。

おしろいや終はつても済んでない喧嘩  山口優夢

口を利かなくなってからが本当の喧嘩なのである。夫婦にとって口汚くののしり合うことなどご愛嬌なのである。庭の片隅にはおしろい花がひっそりと咲いている。これから私もひっそりと暮らしていくのだ。会社でこき使われて、自宅に戻れば無言地獄。誰もが歩いた道なのである。これからは憂鬱な日々が続くのである。


旧約の薄きページや星月夜  矢野公雄 

旧約聖書のページは確かに薄い。何故、辞書のように薄いのだろう。ホテルのベッドの脇の引き出しに置いてあったりする。ホテルの窓からながめる星月夜。だが、何かが違うような気がしないでもない。私は右でも左でもないふつうの日本人のつもりだが、日本のホテルならば「古事記」の現代語訳がふさわしいだろうと思う。

虫の音や寄り道いつか迷ひ道  矢野公雄

寄ることが必要だと思ったから寄ることにしたのである。だが、何度も寄っているうちに、それでいいのかと考える。つまり、これは目的の場所へ行くことではなく精神のはなしなのである。これは私たちの生活のいたるところにあるものなのである。迷ったらしない方がいい。日本の古典にも、そんなことが書いてあった。日本の古典にも虫は鳴いている。

いまだ輪とならず踊の三曲目  矢野公雄

民謡は流れているが、まだ、ひとが集まっていない。やぐらのうえも誰もいない。そんなときは踊りたいひとが好き勝手に踊ればいいのである。生ビールの紙コップをふたつ持って知り合いを捜すひと。夢中で世間ばなしに興じているひと。三曲目あたりの、この自由さがたまらなくいいのである。

一歩づつ夜の深まる踊かな  矢野公雄

昼が深まるとは誰も言わない。夜だから深まるのである。一歩づつの一歩とは踊るための一歩なのである。踊れば踊るほど夜は深まってくる。踊れば踊るほど闇は深まってくる。闇が深まってくれば魑魅魍魎の世界が拡がる。魑魅魍魎の世界が拡がってくれば、今まで見えなかったものが見えるようになる。それを盆踊りという。

さきがけもしんがりもなき踊の輪  矢野公雄

盆踊りならば確かに先頭も後尾もない。輪があるだけである。先駆けとは、まっさきに敵中に攻め入ることである。殿とは、退却する最後尾にあって追撃する敵を防ぐ役のことである。いくさの言葉を使っているところが面白い。都会の盆踊りは知らないが、田舎の盆踊りは提灯のあかりの届かないところから先は闇となる。不気味なほどの闇となる。よく近所の亡くなったひとが紛れ込んで踊っているんだなどという話を聞いたりもする。「あそこで踊っているひとは誰」などという会話がときおり聞かれたりもする。

仏にも鬼にもなれず濁り酒  矢野公雄

仏になることは辛いことなのである。鬼になることも辛いことなのである。仏になることは簡単なことなのである。鬼になることも簡単なことなのである。麹の糟を漉しさえすれば簡単なことなのである。とある裏町の立飲み屋では濁り酒の方が高価なのである。

この世には未練残さず曼殊沙華  矢野公雄

未練とは、「あきらめきれないこと」のほかに「熟練していないこと」という意味もある。「この世」がある以上、「あの世」も必ずある。もちろん、「その世」だってある。「この世」という言葉が浮かんだということは、妄想の歯止めが緩んできたのである。「この世」には未練はいくらでもある。それは「あの世」も同じことなのである。故に、未練など何もない曼殊沙華が野原に咲き誇っているのである。



第537号
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【週俳8月の俳句を読む】光あれ 西生ゆかり

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【週俳8月の俳句を読む】
光あれ

西生ゆかり


二行にて足りる日記や虫の声  矢野公雄

「光あれ」と言ってみた。
そしたら光ができた。
  某月某日 神

たぶん、世界最初の日記はこのようなものだったのではないか。ごてごてした情景描写や、理屈っぽい解説や、字数稼ぎの会話文はなく、一筋の光のような文章が、ぽん、と置かれたのではないか。それが膨らみ、継ぎ足され、光の中に命が生まれ、神々の世が、人の世が、これまで連綿と続いてきたのではないだろうか。もちろん「世」はそれだけではない。犬の世、猫の世、猿の世、牛の世、鳥の世、虫の世、魚の世……。様々な「世」がひしめいている。それぞれの「世」の中で、皆うめいたり、わめいたり、鳴いたり、泣いたり、笑ったり、歌ったり、踊ったりしている。人々がわあわあ泣いたりうめいたり笑ったり歌ったりする声は、ひょっとしたら神の耳には、虫の声のように聞こえているのかもしれない。

さきがけもしんがりもなき踊の輪  矢野公雄

命には、始まりがあり終わりがあるとされている。時間は、過去から未来へ一直線に流れるものとされている。しかし、本当にそうなのか。そういうことにしておかないと崩れてしまうものがあるから、そういうことにしているだけではないか。本当はそうではないことを時々思い出すために、人は踊るのではないか。主婦も町内会長も、先生も生徒も教頭も、コンビニの店員も警官も、肩書のある人もない人も、生まれてから間もない人も、まだ生まれていない人も、随分長く生きている人も、かつては生きていた人も、皆輪になって踊っている。輪の中心には、光がある。光の中で、皆うっとりと溶け合っていく。


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西遠牛乳 1. つながりへの意志 牟礼 鯨

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西遠牛乳 
せいえん ぎゅうにゅう

1 つながりへの意志

牟礼 鯨














「一つの場所にとどまらず移動しながら生活し続けたい」とSは言った。

「移動し続ける人が存在するには、一つの場所にとどまる人が必要なのではないだろうか」と私は言った。

いつも下北沢だった。

代沢三差路近くの郵便局を背に細い路地へ入ると、豆乳チャイを飲める夕焼色の店があった。カウンターカルチャーの古書店「気流舎」と名乗る、ニット帽と無添加食品の似合う店だ。

そこで二〇一六年五月から翌年六月までジョン・アーリの『モビリティーズ』読書会が催された。主催はS。

一ヶ月に一章『モビリティーズ』を読み進めながら、本の記述を解きつつ参加者の実体験を織りまぜて、人やものの移動はもちろん情報の移動についても話した。たとえば、退職願はなぜラインではなく紙なのか、とか。

読書会だけではなくフィールドワークにも取り組み、目黒天空庭園へ赴いたり、夕方の調布飛行場を訪れたり、松陰神社から豪徳寺の界隈を町ゆく人のまなざしを探りながら歩いたりした。

観光のまなざしについての段落で私は観光資源としての歌枕について話しをもちかけた。私は読書会に毎回参加している常連だった。

二〇一六年晩秋のある日、Sは常連であった私を経堂駅前のケンタッキーに呼び出し、読書会のインターネット利用について相談をもちかけた。

それをきっかけにSと私は一緒に熱海へ混流温泉文化祭の展覧会を観に行った。

特急列車が通過するときに唇の動きだけで会話できるようになった。私は「ちゃんと別れ話ができそうだな」と思った。それが恋愛の必要条件だった。

その年の十二月、読書会のない夕方、私は豆乳チャイを飲みに気流舎へ行った。店番で香辛料を砕いていたSは私に質問した。

「鯨さん、俳句ってカウンターカルチャーですか?」

面食らった。だが、こういうことらしい。

フランスに住む俳句作者から気流舎の広報担当であるSに俳句を収録した自著を気流舎で取り扱えるか尋ねるメールがあった。気流舎はカウンターカルチャーの古書店であり、新刊をあまり扱っていなかったためSは判断に迷い、私に訊いたのだ。

「米国のカウンターカルチャーの文脈からすれば、禅のように俳句も西洋詩に対するカウンターカルチャーなのかも。ほらファイト・クラブで主人公が同僚全員に俳句を送りつけたように」と私は答えた。

Sは「ファイト・クラブ」を観たことがなかった。私もSがフランスに住む俳句作者にどう返答したのか知らなかった。そして、半年後に自分たちを待ち受ける運命さえも知らなかった。

黄落す夜の映画をまきもどす 鯨

10句作品 土佐夕焼 柳元佑太

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土佐夕焼 柳元佑太

赤とんぼ荷造りはゆつくりがよし
首都おのが光に照りぬ秋の雨
天高し崩れずの城ながむれば
さはやかに四万十までの頼みごと
われの影われよりも美し土佐夕焼
こほろぎの草喰ふかほが目の前に
秋雲や千切れて飛べる雲の中
みづうながすみづの流れや澄みてをり
天の河まなざしをして何釣らん
ねむりびとまたひとり増え星流れ

週刊俳句 第542号 2017年9月10日

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第542号
2017年9月10日


2016 角川俳句賞落選展 ≫見る
「石田波郷新人賞」落選展 ≫見る

柳元佑太 土佐夕焼 10句 ≫読む
……………………………………………

福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第1弾
歯ギターは序の口なんです。そのあと火つけるところまでいく。
聞き手:西原天気  ≫読む

新連載 東京から浜松へ
西遠牛乳
1 つながりへの意志……牟礼鯨 ≫読む

【週俳8月の俳句を読む】
橋本小たか 愛敬って大事だよって先輩に言われて。 ≫読む
瀬戸正洋 雑読々Ⅲ ≫読む
藤本る衣 書き殴る ≫読む
小野裕三 隙間のような場所 ≫読む
西生ゆかり 光あれ ≫読む

超ひまつぶし鼎談 第2回
『ふるさとのはつこひ』を肴にする
……竹岡一郎×関悦史×小津夜景 ≫聴く

中嶋憲武西原天気音楽千夜一夜
第16回 ハンク・ウィリアムズ「Long Gone Lonesome Blues」 ≫読む

〔今週号の表紙〕
第542号 西陣織……西原天気 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール 第543号

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後記 ● 岡田由季



今号は台風接近中の更新になりました。各地に影響が出てしまいそうですが、大きな被害になりませんよう、願っています。

秋の深まりとともに誌面も充実してきました。『自生地』刊行記念インタビュー第2弾は、小津夜景さんを聞き手に、読書遍歴について。他、好評連載多数です。

連載っていいなぁと思うのです。定期的に、小さな楽しみがやってくる。日々を元気に過ごすには、少し先へ目が向くことが大切ですよね。
週刊俳句に、お気に入りの連載を見つけていただければ嬉しいです。



それはまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.543/2017-9-17 profile

■森澤 程 もりさわ・てい
1950年、長野県生。現在、奈良県橿原市在住。「花曜」「光芒」「風来」を経て、現在 「藍」同人。

牟礼鯨 むれ・くぢら
1984年静岡県熱海市生まれ、東京都育ち。2014年に「花鳥」入会、2015年から「俳句と超短編」に参加、2017年に「短詩会風翳」所属。ブログ「夕立鯨油」を運営。

■青本瑞季 あおもと・みずき
1996年広島県生まれ。「里」「群青」同人。
竹岡一郎 たけおか・いちろう
昭和38年8月生まれ。「鷹」月光集同人。句集『蜂の巣マシンガン』(平成23年、ふらんす堂)『ふるさとのはつこひ』(平成27年、ふらんす堂)

■関悦史 せき・えつし
1969年、茨城生まれ。第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞、第11回俳句界評論賞受賞。句集『六十億本の回転する曲がつた棒』(第3回田中裕明賞)、『花咲く機械状独身者たちの活造り』、評論集『俳句という他界』。共著『新撰21』他。「豈」同人。 ブログ:http://kanchu-haiku.typepad.jp/blog/

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。句集『フラワーズカンフー』 。ブログ「フラワーズ・カンフー

中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■内村恭子 うちむら・きょうこ
2002年「天為」入会。2008年「天為」同人。2010年「天為」新人賞。2013年、句集「女神(ヴィーナス)」。俳人協会会員。国際俳句交流協会会員。

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。句集『自生地』(東京四季出版/2017年8月31日)

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。2007年第一回週刊俳句賞受賞。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ「続ブレンハイムスポットあるいは道草俳句日記」



〔今週号の表紙〕第543号 ニキ・ド・サンファルのタロットガーデン 内村恭子

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〔今週号の表紙〕
第543号 ニキ・ド・サンファルのタロットガーデン

内村恭子


ローマの北東、車で約2時間の海に近い小さな村の丘の上にニキ・ド・サンファルのタロットガーデンがある。

ガウディのグエル公園に刺激を受けたといわれるこの公園には、タロットカードをモチーフとしながらもニキ独特の解釈の加わった造形作品、有名なナナ、ドラゴン、蛇、鳥、死神などが点在している。



南トスカーナの明るい陽光の下では、タロットという重さはなく、オリーブの木々に囲まれて、多用された硝子のモザイクが輝いている。



中を通り抜けられる彫刻というか建物も多く、老若男女が楽しそうに散歩している。外界から隔てられ、そのスケールは圧倒的な迫力を持ちながらも、中に入れば包み込まれ浄化されるような作品群だ。

ニキが友人から土地の提供を受け、数十年の歳月をかけて作り上げた世界。パートナーのティンゲリーとのコラボ作品も見どころのひとつだ。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第17回 ホルガー・シューカイ「クール・イン・ザ・プール」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第17回 ホルガー・シューカイ「クール・イン・ザ・プール」


天気●追悼的な回もあってもいいと思って、9月5日に亡くなったホルガー・シューカイを取り上げます。


天気●チューカイって言ってたと思うんですよね、最初に聞いた頃には。

憲武●チューカイって言ってました。当初は。

天気●「ペルシャン・ラヴ」が有名ですよね。

憲武●そのアルバム買いました。下北沢のレコファンで、たしか800円くらいだったかと。

天気●中古ですね。当時、中古ばかり漁っていました。レコファン下北沢店、調べてみると、2012年に閉店しています。

憲武●スネークマンショーの2枚目の「死ぬのは嫌だ、恐い、戦争反対!」に「ペルシャン・ラヴ」が入っていて、ホルガー・シューカイを初めて知ったんですよね。

天気●「ペルシャン・ラヴ」でもよかったんだけど、本人はお茶目で巫山戯たおっさんのようなので、この『クール・イン・ザ・プール』にしました。

憲武●このPV初めて見ました。なんか剽軽。イメージ違う。

天気●ドイツのニューウェイヴ・バンド「カン(The Can)」でキャリアをスタートさせた人です。

憲武●当時の映研の部室で、the canとかphewとか、かかってましたね。一学年下の部員の中に、そのへんが好きな奴がいたんですね。

天気●アパートで遺体が見つかったけど、死因は現在のところ不明(ウィキペディア)。オフィシャル・サイトを見ると、「news」の更新は2011年が最後。79歳だから、孤独死なのかもですね。

憲武●しゅん。

天気●でね、今回の訃報で知ったインタビュー記事があってね。

憲武●ふむふむ。

天気●シュトックハウゼンに師事した理由を訊かれて答えた箇所最後のほうにオチがあるんですが、それが、もう抜群なんですよ。


憲武●おお!

天気●芸術を志す男に必要なのものは、才能でも努力でもなく、「お金持ちの妻」かもしれません。

憲武●ゲージュツはお金かかりますからね。



(最終回まで、あと984夜) 
(次回は中嶋憲武の推薦曲)

2017 「角川俳句賞」落選展作品募集のお知らせ

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2017 「角川俳句賞」落選展作品募集のお知らせ
出展50句作品募集!


第63回角川俳句賞は、月野ぽぽなさん「人のかたち」に決定いたしました。
おめでとうございます!!

さて。

今年も『週刊俳句』では「落選展」を開催いたします。

第63回角川俳句賞に応募され、惜しくも受賞ならなかった50句作品を、この落選展にお寄せください。応募作品の全てを『週刊俳句』誌上に掲載いたします。

(10月25日発売の「俳句」11月号誌上に掲載された作品は、発表を見合わせます)

掲載の各作品には、誌上にて、鑑賞・論評がなされますことをご了承下さい。


●送付〆切 2017年10月27日(金)

●送り先

福田若之 kamome819@gmail.com
岡田由季 yokada575@gmail.com
村田 篠 shino.murata@gmail.com
上田信治 uedasuedas@gmail.com
西原天気 tenki.saibara@gmail.com

●電子メールの受付のみとさせていただきます。

●書式:アタマの1字アキ等、インデントをとらず、句と句のあいだの行アキはナシでお願いいたします。

●あわせて簡単なプロフィールを、お寄せ下さい。

ご不明の点があれば、上記メールアドレスまでお問い合わせください。

なにとぞ奮って御参加くださいますようお願い申し上げます。

超ひまつぶし鼎談 第3回 『花咲く機械状独身者たちの活造り』を肴にする 竹岡一郎×関悦史×小津夜景

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超ひまつぶし鼎談 第3回
『花咲く機械状独身者たちの活造り』を肴にする

竹岡一郎×関悦史×小津夜景
聴く 12分42秒



【週俳8月の俳句を読む】一度はなれて 青本瑞季

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【週俳8月の俳句を読む】
一度はなれて

青本瑞季


樫本由貴「緑陰」30句は表題句〈原爆以後この緑陰に人の棲む〉のほか、〈水馬やみづのまだらを被爆以後〉など、原爆にまつわる句がところどころに差し込まれ、かつて原爆を落とされた広島の街の現在を詠んだ連作という印象が強かった。

発表が8月6日だったということ、自分が作者同様広島出身であるが、広島を離れてからは原爆への問題意識も、薄れていたことから原爆の土地を中心に据えて俳句を詠むという地域に根ざした問題意識はさすが広島にずっと住んでいる人だと、一瞬その作句態度に終始した評価をしてしまいそうになった。

これだけ原爆関連の句が入っているので主題が原爆でないとするのには無理がある。けれど、この強い主題の中で詠まれたものを、その主題を取り扱おうとする態度のみで無条件に是としてよいのだろうか。原爆、震災、戦争、道徳的なものが絡んで来る主題をあつかうときその主題を扱うこと自体の態度論を褒めることは作品の表層に触れたことにしかならないだろう。ひとまずその文脈から離れて(あえて離して)この連作の句を読んでみたいと思う。

あをぎりの裂傷鳥のこゑのなか  樫本由貴

主題通りに読めば、平和祈念公園の中にある被爆アオギリのことになる。提示されるのはその古傷だ。

けれど、この連作の外に置かれたなら単に青桐の生々しい傷、匂い立つような新しい傷に鳥の声が染みていくような感覚と読んだかもしれない。こゑのなか、と止めるぼんやりとした終わり方が効いている。

どの碑にも蟻ゐるそれも大きな蟻  同

これも平和祈念公園内に散在する石碑のことだとわかるが、そこを読もうとしなくても石碑が多くあるところとまで確定できればこの句を読むことができる。たとえば史跡でもありうる景。石碑が置いてあるところというのは、なぜか周りに木があることが多く、そのせいか小さな蟻よりクロオオアリが多い。目が効いた発見の句だ。

七夕にながき昼あり血を病んで  同

被爆の後遺症としての白血病は色々な作品として扱われてきたが、そこを考慮することがかえってノイズになるような句だと思った。七夕はその夜のことを思いがちだけれど、その前の昼の時間に着目してその長さを見せたあと、下五で病室が見えてくる。入院中の手持ち無沙汰が灯の消えたうすぐらい昼間の病室の不安感を際立たせる。

萩を描かず原爆ドームのスケッチよ  同

原爆ドームも長い間あの状態にあるので、それ自体やその周りに草が繁茂している。それでも、萩をはじめとして、そういったものはなかったかのように描かれるのは結局原爆ドームだけだ。原爆ドームの句ではあるけれど、これはときに中心に据えるもの以外を捨象してしまうわたしたちのまなざしのあり方そのものでもある。



第537号
岡田耕治 西瓜 10句 ≫読む
樫本由貴 緑陰 30句 ≫読む
三宅桃子 獏になり 10句 ≫読む
山口優夢 殴らねど 10句 ≫読む
矢野公雄 踊の輪 10句 ≫読む

10句作品 レモン捥ぐ 森澤程

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レモン捥ぐ  森澤 程

鳶色に地球は老いぬ女郎蜘蛛
滝みちの思う存分ひとりかな
オーボエは朗らか水馬に似て
真っ暗な鏡へ踊りより帰る
レモン捥ぐ松の肌あざやかな昼
ひんやりと森の出口の月桂樹
語り尽くした眠たさの草かげろう
階段も雲もテンペラ小鳥来る
さざめきに月の加わる飴細工
核の世の網棚に置く榠樝の実

福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第2弾 しびれることです。感電すること。それと、本っていうのは物体です。聞き手:小津夜景 

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福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第2弾
しびれることです。感電すること。それと、本っていうのは物体です。

聞き手:小津夜景


1. 幼少時代

Q●
子供時代の本の思い出を教えてください。

若之●
絵本で強く思い出に残っているのは、『みにくいあひるの子』です。たしか幼稚園のころですけど、繰り返し読んで、読むたびに号泣していました。母に読んで聞かせたりしてたんですよ、頼まれたわけでもないのに。で、蔑まれていたみにくいあひるの子がりっぱな白鳥になるあたりの場面にさしかかると、朗読しながら、いつも、わけもなくひたすら泣く、泣きながら朗読する、そんな感じでした。あれは、まちがいなく、これまでの僕の人生でいちばん泣きながら読んだ本です。ほかには、電車の絵本をたくさん読んだ記憶があります。『ぐんぐんはしれちゅうおうせん』とか。

Q●
電車モノは多くの子供が楽しむジャンルですね。他方『みにくいあひるの子』の方は、はっきりと〈カタルシス〉を得るために読書しているところが面白い。絵本以外にも、楽しんだ本はありますか?

若之●
『鉄道ファン』を幼稚園生の頃から親にねだって購読させてもらっていました。ほんとに、鉄道好きだったんですよ。

Q●
『鉄道ファン』は〈見ること〉の求道的な快楽がありますものね。

若之●
鉄道の、とりわけ正面から撮った顔の写真がすごく好きだったんです。あのころの僕はちょっとした観相学者のようでした。ほかに、もうすこし本らしい本というと、学研の『昆虫の図解』ですね。図鑑ではなく、図解。スズメバチの顔の拡大図とかね、すごいインパクトでした。あとは、『からだの地図帳』。たぶん、いきものの身体の中身がどうなってるかみたいなことに興味があったんです。身体に詰まっているそれぞれの器官が働いてひとつのいのちを動かしている、そういうことに感動する子どもでした。いわゆる文芸を読むようになったり、本をつうじて言葉に関心を抱くようになるのは、もうしばらく先のことです。

Q●
もののしくみの図解本は多岐に渡りますが、昆虫、からだ、などの流れからして鉄道も一種の〈生命器官〉として魅力を感じていたのかな?といった印象を受けました。

若之●
そうですね、〈生命器官〉として。そして、ある種の色見本のようなものとして。魚類の図鑑もそうですね。鉄道と魚には色彩のよろこびがありました。

Q●
なるほど。色見本というお話は『ぐんぐんはしれちゅうおうせん』の裏表紙にも通じるかも。スタイルブックみたいな感じ。


2. 小学校時代

若之●
小学校のころに読んだ、いわゆる児童文学で印象深いのは、原ゆたかさんの「かいけつゾロリ」シリーズや斉藤洋さんの「なん者ひなた丸」シリーズ、それから、五味太郎さんの絵本です。『るるるるる』や『ビビビビビ』といった音の絵本シリーズや2冊の『ことわざ絵本』は、僕にとって、ことばのよろこびの原体験のひとつです。

加藤治郎さんに《にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった》という歌がありますけど、あの歌を初めて読んだときに連想したのは、やはり五味さんの絵本でした。

あ、夜景さんには前にすこしだけお話ししたかもしれないのですが、実は、五味さんには『俳句プラスアルファ象』という句集があるんですよ。数年前に、とあるブックセンターいとうで発見して、思わず買ってしまった。

Q●
「かいけつゾロリ」シリーズはしっかりしたストーリー。「なん者ひなた丸」シリーズは言葉や物語のウィット。そしてウィットといえば五味太郎。私、なぜか本人のブロマイド持ってました。あとアトリエに取材が入った号の『ELLE DECO』とか。

若之●
ブロマイドとかあるんですか! 知らなかった……。

Q●
ううん、さすがにないと思います(笑) 周囲にいた誰かがつくったんじゃないかな。プリンタで。

若之●
『象』はね、すごくアマチュア的でいいんですよ。最初の一句からして、《たわむれて熱おびつつ錐の先》、この無季と字足らずのブリコラージュ感! 錐のたわむれっていうのが、またいかにも日曜大工の感じがして。

表題句は《象が居てのそりのそりと伽(おとぎ)する》、これは下五で物語が一気にゆたかになりますね。

逆に、上五で世界の無限のひろがりを感じさせてくれるのが、《法則の西瓜は井戸に冷えてあり》。この句は「の」がすごい。ほかに、《草喰めば己が歩みの滞る》のそれこそ自らが象になってしまったかのような感じや、《ぎざぎざと草はこの世に繁りたり》の、絵本に描かれた草を思わせるような「ぎざぎざ」。

「プラスアルファ」という書名のとおりいくつものイラストと短いエッセイが七本収められているんですが、そのなかの「俳句」と題されたエッセイに、俳句をトランジスタラジオの組立てキットに喩えた一節があります。
俳句もぼくなりのひとつの行為、そして作業ではある。説明書も組立て図もどこかで何度か見た憶えがある。ハンダ付けまがいの技術というやつも、それなりにあるのだろう。そしてなんとなく組み立った十七文字に右往左往する。うん、なかなかいい、本当かね、いや本当だ、でもね、ま、いいか、うん、これでいい、などとなる。そこが堪らない。そこでやめられない。だから俳句なのだ。
まさしくブリコラージュ。

Q●
つくることの喜びですね。ところで当時の福田さんは「ことばのよろこび」に触れつつ、子供が漫画を書くみたいに、ご自分でも言葉による創作めいた遊びをしたのでしょうか?

若之●
それこそ漫画を描いたりもしたのですが、小学校のころにやった言葉の創作めいた遊びというと、だじゃれとなぞなぞです。

だじゃれは、落語の小噺なんかを絵入りの物語にした本が岩崎書店からたくさんシリーズになって出ていて、それを読んだりしながら惹かれていったんじゃなかったかと思います。落語の下げは、だじゃれというか、掛詞になってることがけっこうありますよね。「鹿政談」の「きらずにやるぞ」、「まめでかえります」みたいなの。なぞなぞも掛詞をよくつかいますから、ふたつの遊びは僕のなかではひとつながりになっていました。

とりわけ落語の本を繰り返し図書館で借りていたのが、たしか中学年から高学年くらいのことでしょうか。このころ、実は、小学校の図書室にあった禁帯出資料を、そしらぬふりして借りまくってました。恐竜をテーマにした科学漫画とか、すごくいいのがあって。もちろん「禁帯出」のシールが貼ってあるんだけど、貸し出しはクラスから選ばれた図書委員の子たちがやってるわけです。みんな、「禁帯出」の意味なんて分かってなかった。昼休みにカウンターに持っていけば、借りられたんです(よいこはマネしないでね!)。

Q●
あはは。わかってやってたんだ!

若之●
もうちょっと小さい頃は、架空の鉄道の路線図を描いたりもしてました。それが低学年から幼稚園くらいのことですね。これがどうして言葉遊びに含まれるのかというと、路線名とか駅名とかを、漢字辞典を引きながら捏造するんですよ。例えば、海辺の路線の駅名はさかなへんとさんずいの漢字をふんだんに盛り込んだりして。

Q●
「漢字辞典を引きながら捏造する」といったアイデアはご自分で思いついた? それとも何かの影響?

若之●
子どもの頃は、実際の路線図を眺めると、それだけで知らない漢字とたくさん遭遇できたわけです。それで、漢字の調べ方を、あれはたしかお母さんに教えてもらって。漢和辞典は、中学校のときにはすでに引き慣れていましたね。

Q●
すごいなあ。一見子供らしい話に聞こえて、実は内容の極め方が半端じゃない。他にもまだあったりして。

若之●
妖怪に興味を持ったのも小学校のころです。図書室にあった落語の本と同系列の本で、怪談とか奇譚の本もあったので、手が伸びたんです。それから、近くの図書館にあった常光徹さんと飯野和好さんの『妖怪絵巻』をよく眺めていた記憶があります。

鳥山石燕を知るのはもっと後のことですが、水木しげるの妖怪たちにはたしかこのころ出会いました。水木さんの妖怪図鑑や、それからウルトラ怪獣図鑑とかも大好きでした。正義の味方に対してよりも、怪獣や宇宙人たちに対して、はるかに強いあこがれと親しみを感じていたんです。ウルトラの星のひとたちがずらっと並んでいても殺風景でしょう? でも、怪獣たちは違う。夏休みの自由研究に、自分ででっちあげた怪獣の図鑑を提出したこともあります。

その翌年には、たしか、やはりでっちあげのポケモン図鑑も。初代のポケモンの数に合わせて151匹描きました。妖怪や怪獣たちの姿かたちは個性的で、造形的で、それぞれの物語と、固有名詞の名付けの面白さがあった。物語といえば、小学校のころに出会って読み切ることのできた小説はウェルズの『タイムマシン』と漱石の『坊っちゃん』でした。ほかには、エジソンの伝記や、ファーブルの『昆虫記』のフンコロガシの話などにも触れた記憶がありますが、それ以上長いものは読めなかった。

Q●
ただ造形や背後の物語に惹かれるだけではなく、コンテンツ、ひいては体系を把握したいという情熱がつねにあったのですね。これは以前、福田さんにお話したことがあるような気がしますが、私は福田さんの知的嗜好の土台を知る重要なエッセイとして〔ためしがき〕の「植樹計画」が外せないと思っているんです。そしてあのエッセイも、体系化しえないような体系、すなわち真なる体系について語ったものでした。

若之●
体系化しえないような体系に共通する性質は、それが開かれてあるということだと思います。バルトの『記号の国』についてはまたのちほどお話しすることになると思いますが、そこでは、開かれた体系のことが繰り返し語られていますね。これはいま言われて気づいたことですが、怪獣もポケモンも妖怪も、伸び、増え、枝分かれしつづける「植樹計画」の注釈と同じように、それぞれ開かれた体系をなしている。

Q●
ところで、長い物語が読めないとおっしゃいましたけど漫画は? 

若之●
漫画は別です。児童館にあった『ドラゴンボール』や『地獄先生ぬ~べ~』、三年生のころ先生が学級文庫にしていた『ブラック・ジャック』や『はだしのゲン』も、たしか読破した記憶があります。もうほとんど忘れちゃいましたけど。


3. 中学校時代

Q●
中学に入ると環境ががらりと変わったと思います。新しい世界を知ったという意味で印象に残っている本はなんでしょう? 

若之●
環境について、ひとつ誤解のないように言い添えておけば、僕が開成に入ったのは高校からで、中学は公立校に通っています。

Q●
あ。そういえば、そうでした。

若之●
その中学校の教材で、いまでも大事に取っておいているものが1冊だけあります。それは国語の便覧です。言ってみれば、僕はこの本で近現代の俳句や短歌と遭遇したんですよ。

俳句は、《いくたびも雪の深さを尋ねけり》(正岡子規)、《春風や闘志いだきて丘に立つ》(高浜虚子)、《曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ》(河東碧梧桐)といったものから、《果樹園がシャツ一枚の俺の孤島》(金子兜太)、《じゃんけんで負けて蛍に生まれたの》(池田澄子)や《ソーダ水つつく彼の名でるたびに》(黛まどか)に至るまで。《棹さして月のただ中》(荻原井泉水)や《こんなよい月を一人で見て寝る》(尾崎放哉)、《あるけばかつこういそげばかつこう》(種田山頭火)といった自由律俳句もちゃんとカバーしてあります。

もちろん取りこぼしもあって、例えば自由律なら中塚一碧樓がいないのはいま見返すと実にさびしいものですが、それでも、僕は俳句とこんなふうに出会うことができた。それは、おどろきとよろこびでした。

Q●
ここでもう俳句の話! 早すぎる(笑)。

若之●
ごめんなさい、でも、嘘をつくわけにもいかないし(笑)。便覧の俳句がどれだけ充実していたかお伝えしたいので、ここで出会った俳句で当時強く惹かれたものをいま挙げた句のほかに挙げると、《春ひとり槍投げて槍に歩み寄る》(能村登四郎)、《雪だるま星のおしゃべりぺちやくちやと》(松本たかし)、《青蛙おのれもペンキ塗りたてか》(芥川龍之介)、《水すまし水に跳て水鉄の如し》(村上鬼城)、《をりとりてはらりとおもきすすきかな》(飯田蛇笏)、《海に出て木枯らし帰るところなし》(山口誓子)、《ピストルがプールの硬き面にひびき》(同)、《万緑の中や吾子の歯生え初むる》(中村草田男)、《美しき春潮の航一時間》(高野素十)、《いなびかり北よりすれば北を見る》(橋本多佳子)、《金粉をこぼして火蛾やすさまじき》(松本たかし)、《ねむりても旅の花火の胸にひらく》(大野林火)、《咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや》(中村汀女)、《木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ》(加藤楸邨)、《鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる》(同)、《子に母にましろき花の夏来る》(三橋鷹女)、《バスを待ち大路の春をうたがはず》(石田波郷)、《水枕ガバリと寒い海がある》(西東三鬼)、《摩天楼より新緑がパセリほど》(鷹羽狩行)、《湾曲し火傷し爆心地のマラソン》(金子兜太)、《銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく》(同)そして《少年の机に地図と空蟬と》(大木あまり)。ほかに、竹下しづの女、森澄雄、水原秋桜子、杉田久女、星野立子、川端茅舎、芝不器男、富安風生、飯田龍太などの句も載っています。いったい誰がこれらのページをつくったのか、書いていないからわからないのですが、いまでもずっと気になっています。

Q●
その充実を充実と捉えうるのは、もっぱら福田さん側の感性の力でしょう。国語便覧ので内容が充実していたのは、おそらく俳句だけではなかったと思います。にもかかわらず、こと俳句に惹かれた理由はわかりますか?

若之●
短歌や近代詩にも惹かれるところは大いにありました。短歌では、《不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心》(石川啄木)、《岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊の歌》(斎藤史)、《のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ》(佐々木幸綱)、《観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生》(栗木京子)、《べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊》(永井陽子)、《たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか》(河野裕子)などなど。

近代詩では高村光太郎「道程」と「あどけない話」、黒田三郎「ある日ある時」と「海」、谷川俊太郎「かなしみ」、長田弘「鉄棒」、安西冬衛「春」、石垣りん「くらし」などなどです。とりわけ、黒田三郎の「海」と石垣りんの「くらし」は、もう、電流の走るような感じでした。短い詩に惹かれたのは、それらが短く、鮮烈で、シンプルで、しかも、これがいちばん大事なことだった気がするのですが、便覧のページのうえで作品そのものと出会うことができたからだと思います。俳句は、その短さを極限まで突きつめているように感じられました。

Q●
そうか、国語便覧ってハンディ型の事典ですものね。つまり幸運にも、自分にぴったりの媒体で、自分好みの造形をしたことばと遭遇することができた、と。他に新しいジャンルや作家の発見は?

若之●
ショートショートというジャンルを知ったのはこのころです。2年生の頃、朝のホームルームの時間に読書をする日というのが決められて、本を読まなければいけなくなって。読みやすい本を父に尋ねたのか、それとも本棚を勝手に漁ったのかは忘れましたが、とにかく父が文庫本で持っていた星新一の作品群と出会ったんです。芥川をはじめて読んだのも中学生のころでした。新潮文庫版の『羅生門・鼻』。収められていた短編のなかでは、当時は「芋粥」がいちばん好きでした。星新一や芥川は、小説ってこんなに短くてもいいんだ、って思わせてくれた。

Q●
短さはやはり重要なファクターなんだ。

若之●
それから、インターネットを自由に使えるようになったので、web小説に触れるようになりました。自分でも書いてみたくなって、いろいろ調べたんですよ。いまでもありますけど、『ライトノベル作法研究所』とか。そう、ライトノベルというジャンルを知ったのもこのころでした、本では読まなかったですが。このウェブサイトに掲載されていた投稿作品で印象に残っているのは、クッパ「ノンフロン6型冷凍冷蔵庫、と私」という中篇。トップページからは辿れなくなっているようですが、タイトルでググると、いまでも本文が出てきます。

Q●
自分で書いてみたのはどんな作品? ネット投稿とかしてました?

若之●
自分で書いていたのは、いわゆるロー・ファンタジーです。中学2年から高校1年ぐらいにかけて書いて、最終的には、だいたい8000字ぐらいの挿話が16並びました。投稿はしていません。比喩ではなく、僕は小説を明確に自慰のために書いていたので。品のない言い方をすれば、外から手に入れられるオカズが不足していたので、自分でつくっちゃったというわけです。露骨な性描写はなかったけれど、妄想たくましい中学生が自慰をするのに、かならずしもそうした場面は必要ありませんから。表向きは、超能力を使って、都内に出現する怪物を倒す少年たちの話。それを、薄暗い欲望を注ぎ込むようにして書いていたんです。

やっぱり、人物よりも怪物のほうに凝りました。どうにか完結させたんですけど、大学入った頃に見返して、あまりにひどかったので消しちゃって。いまはもうどこにも残っていません。タイトルも忘れちゃいました。

Q●
それは残念です。


4. 高校時代

若之●
高校に入ってから、すこし長い小説も読むようになりました。たしか、短編集の『新釈 走れメロス 他四篇』を通じて、森見登美彦の小説に出会ったのがきっかけだったように思います。

Q●
森見登美彦、かわいいですよね。

若之●
そう、そしてオモチロイ! はじめて、これなら長くても読めるぞ、ってなった。それから、だんだん、ほかにも現代の小説をすこし読むようになって。

村上春樹をはじめて読んだのが、たしか高校のときです。『アフターダーク』、それから、『海辺のカフカ』。

一方で、海外の文学からは以前にもまして遠ざかりました。というか、正確には翻訳文学から遠ざかったというべきでしょうか。翻訳だからあたりまえなんですけど、ページをひらくと、例えばロシアのひとたちが日本語で日常を送っていたりするわけです。それにすごく違和感を覚えてしまって。要するに、日本語に訳されているということ自体にある種の嘘くささを感じてしまって小説そのものにのめりこめなかったわけです。

Q●
同意です。翻訳って、その中へ入っていきにくい。

若之●
かといって、原典を直接に読むほどの関心も能力も僕にはなかったので、おのずから、僕の興味は日本の現代小説に向かっていきました。あと、評論や随筆なんかを国語の授業以外で読むようになったのもこのころですね。大塚英二『初心者のための「文学」』、米原万里『必笑小咄のテクニック』、大澤真幸『不可能性の時代』の3冊は、高校生のころに読んだものとして、はっきり記憶に残っています。

Q●
評論に関しては、読んでおくと受験に便利なリストが参考書に出ていたりしますよね。私の頃は国語便覧ならぬ人文学便覧として、中村雄二郎『術語集』や橋爪大二郎『はじめての構造主義』などが紹介されていて、はじめて体系的に学問を見渡すことができたという意味でとても新鮮だったのですが、そういった受験勉強を兼ねた本は?

若之●
人文学便覧!? そんなものがあったんですか。

Q●
いいえ、私の造語。あと『イミダス』の人文社会学系の項も、趣味と実益を兼ねて読んでいました。1987年度版が家にあったのですけど、この版は一年で113万8000部という、辞典としては驚異的なセールスだったのです。

若之●
僕はもう、図書館でも本屋でも、棚にいって、タイトルとかカバーとかに惹かれた本を手にとってすこしぱらぱらして、こいつぁいける! ってなったものを読むだけでしたよ。記憶がうすれてますけど、たぶん、雑学的な関心で読み始めたんだと思います。


5. 大学以降

Q●
当初、大学で学びかったのはどういったことでしたか?

若之●
ただ漠然と、僕が俳句に生かせそうなこと、です。それで、文学をやりたいと思ったのですが、親の手前、俳句のことを考えたいので文学を勉強したいです、では通らなかった。経済学部に行け、就職のことも考えろ、と。とりわけ、私立の文学部を受けることは許されませんでした。喧嘩もして、すれちがいもあったけれど、結局、あいだをとって、社会学でならアプローチ次第で芸術についても学べそうだということで、受験のときはそっちに進む道を考えていましたね。

Q●
俳句側から眺めると、ぎりぎりの選択ですね。

若之●
両親が最終的に表象文化論を専攻にすることを認めてくれたのは、結局、僕が大学生になってからのことです。1年次のあいだに最終的な専攻を決定する仕組みだったから、そのあいだにいろいろ自分なりに挑戦して、それを両親に見せたんです。基本的に、うちの教育方針は成果主義でした。やりたいこと言ってるだけでは決して認めてくれないけれど、現にやってみせて、その過程で何かいいことがあれば、それはそれとして認めてくれる、という。そういう意味では、首都大に教養課程があってほんとによかったです。

Q●
そうやって、ゆくべき方角が決まり、それからは殊人文学方面へ目覚めてゆく、と。

若之●
大学に入るまでは、結局、俳句のことで頭がいっぱいだっただけなので、学問にちゃんと興味を持ったのも、やっぱり大学に入って1年目のことでした。もちろん、いろんなことがあって興味が深まっていったのですが、あえて1冊だけ決定的なものを挙げるとすれば、ちくま学芸文庫版のスーザン・ソンタグ『反解釈』でしょうか。

バルトではありません。バルトの本をはじめて読んだのもそのころでしたが、それは石川美子訳の『記号の国』でした。『物語の構造分析』でも『零度のエクリチュール』でもなかったんです。『記号の国』は、バルト自身の言葉を借りれば、あくまでも「ロマネスク」な本ですし、僕をとりたてて学問へ駆りたてることはありませんでした。『記号の国』は、ただひたすら、あたらしく句を書くことへと僕を駆りたてたんです。

Q●
今せっかく2冊上げていただいたので、もう少し踏み込んでお伺いできれば。

若之●
すこしあやうい言い方かもしれませんが、ソンタグは、僕にとって、速度の経験でした。ソンタグの文章は、具体例から具体例へと、次々に思わぬ仕方で飛び移っていくんです。バルトはといえば、もっと素朴に、光の経験だったように思います。『記号の国』は、僕にとって、いきいきした光の空間でした。そこでなら、なにかあたらしいものを書ける気がしたんです。

Q●
なるほど。幼少の頃からの話を伺っていると、最初から福田さんは〈読む人〉ではなく〈書く人〉だった印象を受けます。多くの読書が、ご自分の創作活動を刺激するものとして捉えられているという意味で。中学時代に書いた小説のエピソードも、ふつうなら途中で放棄するような枚数です。当時、作品を完成させられたのは何故だと考えますか? 

若之●
高校に入ってから最初の1年のあいだに、強引に結末をつくってとりあえず終わらせたんですよ。基本的に1話完結で、他人を楽しませる必要もなかったからその気になればいくらでも続けられたんですけど、飽きてしまったので、けりをつけたんです。続いたのは、まあ、動機が動機でしたから……。

それと、ファンタジーをうまく現実世界に落とし込むために、設定をつくりこんだんです。実際に小説に登場させた怪物は各話ごとにだいたい1種類ずつくらいですが、たしかその5倍くらいの数の怪物の設定資料集を書いた記憶があります。例の怪獣図鑑の要領で。

Q●
それはやはり書くことに向いていますね。集中力がある。

若之●
それから、実在の都市を舞台にしていましたから、まあ、さすがにわざわざ取材に行ったりはしませんでしたけど、地図などにも頼りました。あとは、そうやって書き溜めたり集めたりした資料を、必要に応じて本文に落とし込むだけです。自分で読むためだけに書いているものですから、読みやすさは二の次。

Q●
大学時代の読書生活では、子供の頃のように集中して「嵌まった」本ないし領域はありますか? また読んでみて「この本は自分に合わないと思った」という本も聞いてみたいです。

若之●
かならずしも「嵌まった」というわけではないのですが、ここでようやく翻訳文学とまともに触れ合う習慣ができます。

ドストエフスキーやカフカにはじまって、ボルヘスやカルヴィーノと出会ったあたりから、いわゆる「実験的」な小説に惹かれていきました。マーク・Z・ダニエレブスキー『紙葉の家』、サルヴァドール・プラセンシア『紙の民』、ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』、ジョルジュ・ペレック『人生使用法』、それから、W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』などなど。

僕は小説に驚きを求めていたんです。また、そうした興味関心が持続するうえでの補助線として、ロシア・フォルマリズムや、ジェラール・ジュネットの『物語のディスクール』をはじめとする物語論の研究がありました。

Q●
英国文学およびアイルランド文学はいかがでしょう? 以前『トリストラム・シャンディ』の話をしていたような記憶があるのですが。

若之●
アイルランド文学ではベケットの『ゴドーを待ちながら』、それから、イギリス文学ではルイス・キャロルもこのころに読みました。スターンは、もうちょっとあとですね。院に入ってからだったと思います。ジョイスも、それから、恥ずかしながらシェイクスピアも学部時代には手つかずのまま。ほかにこのころ読んだイギリス文学だと、たしかオーウェルの『一九八四年』とか。あ、ウェルズは小学校の頃に読んでいました。

Q●
近現代の作品が多いのですね。で、逆に合わなかったのは?

若之●その一方で、コンセプトには引き付けられながらも、どこか肌に合わないと感じたのは、ジュリア・クリステヴァのテクスト理論です。ジュネットのそれには一種の奇想があるように感じられたのですが、クリステヴァはあまりにも真面目すぎるように思ったんです。文学を、科学的に、かつ面白く取り扱うにはどうしたらいいのか、ということを考えていたのですが、クリステヴァには科学しか感じられなかった。同様の理由で、バルトでも、『モードの体系』は他の著作に比べてそれほど好きになれないんです。

Q●
批評以外で、読んでおきたいのに肌にあわない本は? 

若之●
読んでおきたいなって思っている段階では、手に取っていないから、肌に合うかどうか分かっていません。で、いざ読んでみて肌に合わなかったら、読みすすめたいって気持ちは自然となくなってしまう。だから、あてはまる本が思いつきません。

Q●
あの、自分の話をしますと、私って読破できない本ばかりなんですよ。でもその本の存在は気になるので、たまに開いて一行だけ読んだりするんです。聖書の使用法みたいに。読めない本から、すごく影響を受けているんですね。ほとんど読破できないけれど大切な本ってありますか?

若之●
折にふれてつまみぐいして、とてもほっこりした気分になるのは、ちくま学芸文庫から出ている『ベンヤミン・コレクション』のシリーズです。手元にあるのは1巻から4巻まで。話してたらまた読みたくなってきちゃいました。でも、あれを読破したいという欲望は、ありません。そういう本は、いくつもあります。


6. おわりに

Q●
ところで福田さんは基本的に自分自身の興味に沿って本を読む方なのでしょうか? 例えば私は自分の好きな人が面白く読んだという本を読むのが好きなのですけれど、そういう〈あなたまかせ型〉の読書ってします?

若之●
基本はやっぱり自分の興味のおもむくままですね。ひとにお薦めの本をたずねることもありますけど、そういうときも、こんな本が読みたい、というのが先にある場合がほとんどです。あ、もちろん、読書会とかの場であれば話は別ですよ。

Q●
読書にはあくまでも孤独な快楽を求め、好きな人と一緒に映画を見たり、音楽を聴いたりするみたいに、同じ本を読んでほわわんとする、みたいなコミュニケーション・メディアとしての活用法はしないということ? 互いに朗読しあう、とか。福田さんって喋る間合いがすごく良いし、朗読なんか好きそうに見えるんですけど…。

若之●
えっ、ほんとですか!? でも、僕は書かれたものと朗読の関係を自分なりにうまく納得することがまだできていません。朗読というのが、書かれてあるものにとってなにごとであるのかがよくわからないんです。それに、音楽も映画も本も、たしかにそういう意味でのコミュニケーション・メディアになることはあるけれど、僕の場合、それはたまたま同じものにもともと興味があったり、そうでなければ、話しているうちに同じものに興味が湧いたりするからですよ。そうじゃないと、たぶん、僕はあんまりほわわんとできない。

Q●
福田さんにとって、本を読むとはどういうことですか? かつてと現在とに分けてお答えいただければ。 

若之●
いまも昔もたいして変わりません。一言でいえば、しびれることです。感電すること。それと、本っていうのは物体です。情報ではなくて物体を、なんだろう、たしかめることでしょうか。それを繰り返すと、だんだんだんだん、その本が自分の棲むひろがりになっていく、そんな、たしかめることです。

Q●
では、これから「たしかめてみよう」と思っている本があれば教えてください。

若之●
じつは、最近、ようやくカントを読みたいと思えるようになってきて、『判断力批判』に手をつけたところです。

Q●
たいぶ広範囲に読書遍歴を語っていただけた気がします

若之●
いや、実を言うと、まだまだ語りそこなってしまっている本がいくつもあるんです。句集をどう読んできたかについてもお話ししていないし、ほかにも、そう、例えば、バシュラールの『蝋燭の焔』のことも……でも、長くなりすぎてもいけないし、今回はこのくらいで。

Q●
このたびはありがとうございました。




西遠牛乳 2. 花早き女坂 牟礼 鯨

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西遠牛乳 
せいえん ぎゅうにゅう

2. 花早き女坂

牟礼 鯨














 Sは川の近くに住むのが好きだった。

Sが北沢五丁目に借りていた築四十年の部屋は二十歩ほど歩けば森厳寺川の暗渠が現れる、小さなハケの上に建っていた。

他の町を歩いていたとき
「あ、ここは川があったね」とSは言った。暗渠もない普通の住宅地だったのに。

「なぜ気づいた?」と私が訊くと
「川風が吹いたから」とSは応えた。

Sは国立印刷局と癒着している大学の契約社員だった。

二〇一七年の初春には、九月にSの契約期間が切れたら多摩川の沿岸地方で同棲でもしようかという話になった。

その時の私は薄給の正社員で契約社員のSより手取りは低かった。

そのことを知ったSに
「はやく転職して」と詰められた。

当時の私は自分の不遇の原因を自分の無能さではなく社会の構造におしつける怠惰の典型に陥っており「Sが転職先を紹介してくれればいいのに」くらいに思ってのらりくらりとしていた。

勤務先の上司に「辞めたいんならいつでも辞めていいんだぞ」と詰められても「ここで働きたいんです、働かせてください」と嘘をついていた。本当は今すぐやめたかった。

その年の四月三十日、神宮前の地下にあるクロコダイルで俊読があった。

俊読をざっと説明すると谷川俊太郎の詩を谷川俊太郎本人の前で登壇者が代わる代わる朗読するイベント、だろうか。

そこで私はSと待ち合わせをしたが、Sは新幹線を一本乗り遅れたため開始時間に来なかった。

イベントがはじまって一時間くらいたったとき、もりさんと吉田和史さんの朗読が終わったあたり、入口で出番待ちをしていた石原ユキオさんの後ろからSがクロコダイルの青い光に照らされて現れた。

「内定をもらいました」とSは言った。

Sは就職活動で面接試験を受けに静岡県浜松市へ行っていた。

「おめでとう。いつから浜松で働き始めるの?」

「七月から。鯨はどうする? 鯨のことを話したら社長が『面接しますよ』だって」

Sはあと二ヶ月で浜松へ移住する。舞台では登壇者が言葉以前の言葉を吐いていた。川風が頬を撫でた。Sについていけば、今までのとるにたらない人生が少し変わるかもしれない、と私は思った。

「浜松へついていくよ」

行春の尾にびつしりと鱗かな 鯨

週刊俳句 第543号 2017年9月17日

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第543号
2017年9月17日



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福田若之『自生地』刊行記念インタビュー 第2弾
しびれることです。感電すること。それと、本っていうのは物体です。
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連載 東京から浜松へ
西遠牛乳
2. 花早き女坂……牟礼鯨 ≫読む

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