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〔今週号の表紙〕第525号 養老鉄道 山中西放

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〔今週号の表紙〕
第525号 養老鉄道

山中西放


養老鉄道は、駅員など何処にも居ない駅がつづくローカル鉄道。過疎化と車社会の影響をまともに受け衰廃する一方の地方。寂れた駅前ばかりある。そこに旧型電車が継ぎ目レールに大きな音を起てて走る。

家並みや田園に影して走るその電車はまるで過疎田園を鼓舞して走る勇者にも見える。

ローカル電車って何だろうと思う前に自分の乗った電車の影を車窓から映していた。夕方であれば自分の影もが映り込む。

実のところ、その美しく見える束の間の影こそがローカルの本質を物語るように思えてならない。



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自由律俳句を読む 156 「橋本夢道」を読む〔4〕 畠 働猫

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自由律俳句を読む 156
「橋本夢道」を読む4

畠 働猫


 前回に引き続き、橋本夢道の句を鑑賞していく。



▽句集『無礼なる妻』(昭和29年)より【大正13年~昭和29年】

【三十代】

せいちゆう四万の妻の子宮へ浮游する夜をみつめている 同
どうしても自分は榎本俊二の『えの素』という漫画を思い浮かべてしまう。
擬人化された精子たちが「わー」と言いながら卵子へ向かっていく場面だ。
こうした表現も映画的であり、本来見えない世界を描写している点が特徴的だ。
おそらく夢道は映像で思考する傾向があり、知識や伝聞が「見えるもの」に変換されるのだろう。



山が紅葉しそめたそうな月末の机の抽斗 同
この句も山の紅葉は伝聞である。
月末の抽斗にには支払いを請求する書類が詰まっているのか、あるいはからっぽなのか。そうした現実を前に、伝え聞く紅葉の様子が映像的に浮かんでいる。



おいら娘を売つたまでよ、今年も日照らぬ田よ寒むかんべ 同
父をののしつて社会はわたしを売り買いする 同
農村部の女性とその親の現実を描写したものである。「社会」という巨大なものへの批判は変革を求める叫びである。両者の視点から詠まれていることで、労働階級の現実を多層的に表現している。
しかしどこか他人事に感じるのは作為が過ぎるからであろうか。



資本主義社会の童話しかない国の絵本さがしてやる 同
「資本主義社会の童話しかない」までを「国」にかかるものと考えれば、資本主義社会に童話しかないというのは、それくらいしか価値あるものはない、ということか。そうした国の絵本を子のために探しているということは、それでもその世界の夢や希望を子に与えたいと思う親心なのか。
資本主義社会のすべてを否定するのではなく、美しいものは美しいと言える夢道の芸術家としての誠実さが表れている句と言えるだろう。



この銃口から父がおろおろ小作稲刈る手もとが見えた、瞬間 同
以前にも取り上げた句である。
この描写こそまさに映画である。
銃口を覗く者と父とは当然同じ場所にいるわけではない。
遠く戦地において人を殺すための銃口を覗いた瞬間に、ふと我に返ったものか。
あるいは銃口の先に、父と同じ年頃の農夫を見ているのかもしれない。
一つの物語がここから始まるようでもあり、ここで終わるようでもある。



玩具にされたようなその値に父の形相が沢庵石を投げて庭が凹んでいる 同
娘を売った父のその後であろうか。
しかしこの句は冗長である。
自らの思い描いた映像を正確に伝えたいという気持ちが描写を過多にしてしまっている。「父の形相」は語らずとも「庭の凹み」で伝わったかと思う。



渡満部隊をぶち込んでぐつとのめり出した動輪 同
この句も映画的である。
満州へ進軍する部隊を載せた列車が動き出すその瞬間に焦点が当てられている。
こちらも「銃口」の句同様に、物語の最初、あるいは最後を思わせる。
思えば、瞬間とはあらゆる物語の始まりであり、終わりであるのだから当然のことか。
この瞬間から、兵士としての物語が始まり、この瞬間に家庭に生きる男の物語が終わったのだ。



ここで泣く背中の子を汗ばんであやしている兵 同
これも物語である。兵が他者か自身かはわからない。
人を殺すことを命じられる兵士の手が、今は命を慈しんでいる。
その思想が色濃く反映された映像化であるように思う。



蛇が枝から垂れて百姓あつく働き喘ぐ息 同
スイッチを入れると機械が生きて俺と鋼鉄を削る夜だ 同
潜水服を着て降りん赤ん坊は生まれたろうか 同
これらの句にも働く者の姿を伝えようとする強い意志を感じる。
どれも過酷な労働である。
しかしその描写には、過酷さだけでなく、どこかあまやかなロマンチシズムが感じられる。そこに描写される過酷さは、労働の喜びと対になるものとして描かれている。労働者として生きる者の自然がそこには表現されているのである。
ここに、同じくプロレタリア俳句の中心人物であった栗林一石路との対比が見られるように思う。



かぶと虫を手にこの少年の父いくさして還らず 同
「背中の子を汗ばんであやし」た父とはまた別の父親の人生がここに描かれている。どちらの父も戦争という現象の前に無力に奪われていく。
夢道の思想は明確に戦争を憎んでいた。
そうした姿勢は、のちの俳句事件において弾圧の対象となっていく。



***********************************

 恋を「光」、労働を「力」として詠うことは、おそらくは夢道の自然であったのだと思う。それが時代の流れの中でプロレタリア俳句という形をとることが使命となっていったのではないか。
 その使命とは、語る力を持たないものの姿を伝えるということであった。
 それが知識や伝聞に根差した「見えない・見ていないもの」をも素材として映像化する句を生み出していったのだろう。

 上でも触れたが、同じく「プロレタリア俳句」の中心であった栗林一石路とは、その視点、創作の源泉が異なるように思う。
 例えば一石路の次の句を見てみよう。

シャツ雑草にぶつかけておく 栗林一石路
 ここに見られる労働への視線は、その過酷さ、炎天下の苦しさへ注がれている。
 夢道のようなあまやかさはない。
 二人の句はともに「プロレタリア俳句」と呼ばれるが、その根源にある思想は大きく異なっている。
 一石路を衝き動かしたものはジャーナリズムであり、夢道を支えたものはロマンチシズムであったと私は思う。だからこそ映画的な句が生まれたのだと。

これに続く四十代の句は、俳句弾圧事件による入獄中の句で始まる。
見えないものをもそのロマンチシズムで自由に詠いあげていた青年が、獄中の何も見るもののない世界で何を詠むのか。そして出獄し終戦後の世界で何を詠むのか。もはや労働の喜びも使命感もそこには読み取ることができない。
先週からこの稿を綴っていたが、この入獄という断絶がその句に与えた意味と変化をうまく消化できずに、一度原稿の完成をあきらめた。
その四十代の句を次回に回すことにして、とりあえずここまでの鑑賞を終えたい。



次回は、「橋本夢道」を読む〔5〕。

※句の表記については『鑑賞現代俳句全集 第三巻 自由律俳句の世界(立風書房,1980)』によった。

【週俳4月の俳句を読む】雑読々 瀬戸正洋

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【週俳4月の俳句を読む】
雑読々

瀬戸正洋


おん背中墨つけ給ふ寝釈迦かな  堀下 翔

涅槃図の諸貝に毛の描かれある  同

円丈に似たる兎や涅槃図に  同

ものをつくるとは経験をこころのなかで整理していく作業だ。涅槃像を彫った、あるいは、涅槃図を描いたひとも自分のこころを整理したのだ。彫り上げたとき、描き終わったとき、はじめて、この現実を受け入れることができたのだと思う。背中に墨をつける。諸貝には毛が描かれ、円丈に似た兎も描く。はじめは、個人的なことだったに違いない。このことは何もかもが偶然だったはずだ。必然であるほど薄っぺらいことはない。偶然には根拠や理由がない。そのうしろには、ひとのちからではどうすることもできないおおきな何かが控えている。

雑魚居るや吹かるゝ如く春水に  堀下 翔

宿の人靴下ぬれし紫木蓮  同

春になり水嵩の増した川や沼に小魚たちが群れている。その群れて泳ぐすがたをながめながら、あたかも、風に吹かれているようだと感じた。その風に吹かれている雑魚は自分であるという自覚がある。たかがにんげんの分際で何ができるのだと考えている自分がいる。サンダルを履いたまま水しごとを終えロビーへ戻って来た。靴下が濡れていることに気付く。気持ちが悪いと思う。紫木蓮の花は靴べらに似ていると思う。

木蓮の鋭き蕾芽が噛める  堀下 翔

蕾とは花の咲く寸前のもの。それを鋭いとした。芽とはこれから枝になるもの、それが噛むのである。つまり、蕾と芽は愛し合っているのだ。俗に言えば「あなたが噛んだ。小指が痛い」(「小指の想い出」有馬三恵子)ということになる。作品が「俗」なのではない。読む私が「俗」なのである。

雑読とは、見るともなく、眺めるともなく、ひたすらにそれを繰り返すことだ。その果てに何かが見えてくる。その見えてきたものを、ことばにして書き留めることだと思う。たとえ、それが「俗」の極みだとしても。

沈丁とまんさく混じり青かりし  堀下 翔

鯉食うて竹の秋とは川つめた  同

沈丁の花もまんさくの花も青くはない。沈丁の葉は緑である。沈丁の花もまんさくの花も満開。雨があがったあとに、それらの全てに青空が映ったのかも知れない。樹木は秋に紅葉するが竹は春に紅葉する。秋には、筍が育ち若葉を茂らせる。竹は天邪鬼なのである。鯉の旬は冬、鯉のあらいは夏である。川に竹の葉が散っている。川のつめたさを感じる。

篁に蜂あつまりて濃うなりぬ  堀下 翔

篁とは竹が盛んに生えているところ。そこへ蜂が集まってきている。竹と蜂とは関係が濃いのである。竹は竹に恋をして、蜂は蜂に恋をする。当然、竹は蜂に恋をし、蜂も竹に恋をしているのだ。

恋をすると、そのひとを知りたくなる。そのひとを知るとは、そのひとを知ろうとする自分を知ることだ。

焚けのこりたる菜の花に露滂沱  堀下 翔

菜の花が自分で自分に火を点けたのか何故か。刈り取ったあと、すこし、乾かせば、ぱちぱちと音をたてて燃える。翌朝、燃え残った菜の花は朝露でびっしょりと濡れている。それでも、菜の花はぱちばちと音をたてて燃え続けているのは何故か。

そとうみに澪の失せたる薊かな  瀬名杏香

遠く離れた海では水路を見つけることはできない。見つけることのできないものを見つけようとすることを徒労という。足元には薊が咲いている。それだけで、十分に幸福だと思う。

蜜蜂の重みに花のしたがへる  瀬名杏香

藤の花揺らげる陰に舸子憩ふ  同

花びらの沈むさまなのである。花は蜜蜂に蜜を与えるだけではなく蜜蜂に何もかもしたがうのだ。嫌なやつはいくらでもいる。逆らっても仕方のないことはいくらでもある。そんなときは、うつむいたままやり過ごすに限る。藤の花が揺れている。その下で舸子がからだを休めている。藤の花はからだばかりではなくこころにも休息をあたえてくれる。

県庁よりホースの伸ぶる万愚節  瀬名杏香

晴るる春水ポロシャツの学芸員  同

県庁には水が蓄えられている。ホースとホースリールも備え付けられている。ホースが延びるのは県庁の意思なのである。にんげんが、ホースを、あるいは水を操っているなどと思うことは不届き千万なのである。蛇口をひねるとホースはくねくねと動き出す。万愚節だったのでいつもよりおおきく、くねくねと動き出す。晴れている日の荒々しい川の流れ。そこにポロシャツの学芸員がいる。何故、学芸員がいるのか。何故、学芸員はポロシャツを着ているのか。知らないことは世の中にいくらでもある。

清明や大水槽のうへに橋  瀬名杏香

橋の下におおきな水槽があることに気付く。おおきな水槽があったから、そこに橋を架けたのだということに気付く。清明とは、字のごとく清く明らかなこと。動植物ばかりではなく、おおきな水槽にも、そのうえに架かっている橋にも、清新の気がみなぎっている。

屋根に絵や繁殖賞受賞の春  瀬名杏香

日本動物園水族館協会に加盟する園館で、飼育動物の繁殖に成功し、かつ、それが国内ではじめてであったものに与えられるというのが繁殖賞。その栄誉を知ってもらうために、動物園、あるいは、水族館の屋根に受賞動物の絵を飾る。春は繁殖の季節なのである。そこには、にんげんには知ることのできない愛の世界もある。

噴水の其れ及ばざる花に蝶  瀬名杏香

其れ及ばざる花とは噴水が届かず濡れていない花のこと。其の花に蝶がとまっている。其れ及ぶ花とは、いつも濡れている花ということ。そんなところの花が咲くはずもなく蝶がいるはずもないと思うことは間違いなのである。花はどこにでも咲く。蝶はどこにでもいる。にんげんはどこにでもいる訳ではない。

果ててなほ綱の乾ける牛合はせ  瀬名杏香

遠足に歌はるる地の奇巌濡れ  同

牛合はせのとき綱は乾いているものなのである。牛合はせが終わってもその綱はまだ乾いたままだ。牛合はせのとき、綱は、濡れているものなのか乾いているものなのか私は知らない。何故、終わったあとも、綱が乾いているのかも私は知らない。遠足のまえにガリ版刷りの歌集をみんなで作る。遠足の前、教室で歌い、遠足の日にも歌う。遠足が終わってしまえば歌うこともない。珍しいかたちのおおきな岩が濡れている。その前に立ち、おおきな声で歌う。

台湾にて吾を追ふ髭のゲイの春  関 悦史

髭のゲイに追われて不快なのである。ひとに好かれることは悪いことではない。むしろ、よいことではあると思っていても、困るものは困るのである。たとえば美しいご婦人に追われたらどうなのだろう。それも困るのである。つまり、追われるということは困るということなのだ。

紋白蝶にみなまみれゐる写生会  関 悦史

写生をしているこどもたちに紋白蝶がまみれている。写生をしているこどもたちを、あるいは、写生会、そのものを紋白蝶が汚していると感じたのである。日本ならば、写生会と紋白蝶といえばのどかで、ほほえましい風景であり、まみれゐるとは言わないだろう。台湾の紋白蝶は生体が違うのかも知れない。

謎めく瓶詰食ひサングラス売る女  関 悦史

サングラス売りの女なのである。瓶のなかの得体の知れないものを食べている。瓶詰の食べものだけではなくサングラス売りの女も謎めいている。人生は謎めいていなければならないのである。

油埃縒り垂らす台南の扇風機  関 悦史

豚や鶏を焼いたり、揚げたり、燻しているようなところの扇風機なのかも知れない。油は絡み合いながら垂れている。この油埃は、豚や鶏の怨念なのである。うつくしい花を咲かせるのは怨念だなどとよく言われるが、このようなところにも顔をのぞかせることもあるのである。怨むこと怨まれること。それを念じること念じられること。そのことに疲れ果てたとき、はじめて私たちに平和な社会が訪れる。

亜細亜にてマネキン並び黴び始む  関 悦史

洗練されていないマネキン、洗練されていない衣服、いかにも亜細亜らしいファッションセンス。それが並んでいる。作者の眼の中をがさごそと黴が侵食していく。台湾の旅をこころから楽しんでいないのかも知れない。

揚げ蟋蟀食む人混みを夜空ぬくき  関 悦史

揚げた蟋蟀とアルコールが胃のなかで遊んでいる。食事のあと街を散策する。たびびとにとってスタンダードな過ごし方なのである。街もからだもこころも温い夜空ににつつみ込まれている。

身命といふ春闇のアジアかな  関 悦史

アジアの東の端の日本国で生まれ、そこで暮らしている私たちは日本人である。これは宿命なのである。日本語を使い考えるしか方法がない。日本を離れたからこそ日本人であることを自覚したのだ。身命について思いを巡らす。異国の闇のそこここにも春の息吹が感じられる。

ネオンぎらつく関帝廟内朝を霞み  関 悦史

商売のかみさまなのでネオンがぎらついていてもおかしくはない。横浜中華街の関帝廟界隈を酔っぱらってふらふら歩くことは多々ある。中華街大通りからすこし外れた場所にあるので寂しいと言えなくもない。内朝とは、宮中で、天子の起居する部屋である。霞むとは、よく見えないということである。「内朝を霞み」とは、宮中で、天子の起居する部屋が、よく見えないということである。

厨房春朝女屈むは犬と話す  関 悦史

女は中華包丁を持っているのかも知れない。屈んで犬と話しているのだから、この女の前世は犬だったに違いない。厨房で朝食の準備をしている女のもとに犬が近寄ってくる。女は前世とは関りを持ちたくないと思っている。だが、犬は女と前世の思い出を語り合いたいのだ。不衛生だなどと言ってはいけない。犬とにんげんとを比べてみれば、どちらのこころが薄汚れているかなどということは考える必要もないほどあたりまえのことなのである。

飛行機に乗つて地球に倦みて春  関 悦史

地球に疲れたのである。地球に飽きたのである。飛行機に乗ることに疲れたのである。飛行機に乗ることに飽きたのである。季節は春。飛行機に乗ってそのことを実感したのである。飛行機から降りてそのことを実感したのである。

隠遁の楽師あつまる桑の花  小津夜景

俗世間からのがれて暮らすことを隠遁という。桑の花の咲いている下は俗世間ではないということだ。そこへ楽師があつまり銘々の楽器を奏でたのである。桑の花は満開となり散っていく。そのあと、あの甘酸っぱい桑の実が生るのである。

木の板のうすくひびくは鳥雲に  小津夜景

北へ帰る渡り鳥が雲の彼方へと去っていく。何を失ったのであろうか。木の板は厚くても薄くてもどちらでもいいのである。叩くとうすくひびく。それでいいのである。

龍天にのぼるオルガン組み果てつ  小津夜景

龍が天に昇ってあめを降らすとはずいぶんと大げさなことである。オルガンを組むとは、オルガンを組み立てることなのか。それとも、移動のための木枠を組むことなのか。どちらにせよ、このオルガンからメロディーは生まれない。あめとかぜだけが、あたかも楽曲のように流れはじめる。

いつせいに虹を帯びだす醜女かな  小津夜景

醜女と言われたら立つ瀬はないだろう。いっせいに、虹を帯びることができたとしても、それが何になるのだ。幸せであるか、不幸であるか、それは、人生のすべてなのである。醜女であろうとなかろうと、はじめの一歩は、自分を知るところからはじまるものなのである。

さかづきや調度のごとく沈丁花  小津夜景

沈丁花とは日常使う身のまわりの道具なのである。さかづきとは酒宴、あるいは酒杯のこと。沈丁花とは、酒宴につかう道具のことなのである。テーブルの片隅の一輪挿しに沈丁花を投げ込む。お酒のかみさまは微笑んでいる。

引き鶴を仕込みし甕にござりけり  小津夜景

北方へ帰ることは教えなければならない。これが、そのことを教え込んだ甕であるという。鶴は鶴から学ぶことは間違いなのである。にんげんも、にんげんから学ぼうなどと思ってはいけない。にんげんに帰る場所などあるなどと思うことは間違いなのである。

利き手ではない手で触るる櫃の花  小津夜景

かぶせ蓋のついた箱、その蓋に花の紋様が塗ってある、あるいは、彫ってある。櫃の花とは工芸品のことなのである。それを利き手ではない手で触れる。右の手なのか左の手なのか。意識して触れたということが、ただひとつの事実である。にんげんは無意識の場合は利き手で触れるものなのである。

うす睡りして休止符のあたたかし  小津夜景

休止符があたたかいのだ。休止符があたたかくなければ休止符を見つけたにんげんがのこころがあたたかいと感じるはずがない。うす睡りだからいいのである。熟睡ならば休止符のあたたかさなど感じることはできないだろう。

また逢へる日の戸を醸すかもじぐさ  小津夜景

どちらからともなく外す春の虹  同

再会を予感させるような雰囲気のある出入口。みどりいろのかもじぐさがそれを引き立たせている。会話を楽しんでいた。春の虹を見つけた嬉しさで、ふたりの頭の中は春の虹のことでいっぱいになる。会話のなかに春の虹という第三者が割り込んできたのである。会話はちぐはぐなものとなり、何故か、ものたりなさを感じてしまった。ふたりの会話によけいなものはいらない。

畳まれて子の高さなる春日傘  上川拓真

さへづりに遅れピピピと体温計  同

子の成長を喜んでいる。春の日傘を畳んだときに気付いたのである。つまらないことに気付いたななどと思う。些細なことが何と幸せなことなのかとも思う。春の日差しと、すこしの街の騒めき。なぜか元気がない。おでこに手をやるとすこし熱っぽく感じる。体温を測る。囀りが部屋の中にまで入ってくる。体温計のピピピという音。医者へ行こうか行くまいか迷っている。

夜の蒲公英が電灯に集まりぬ  上川拓真

電灯のあかりがたんぽぽを照らしている。あたかも、たんぽぽの意思によりたんぽぽが電灯のまわりに集まって来たように感じた。確かに、道ばたや野原で、同じ向きに咲いているたんぽぽをながめると、蟹のように這っているのだと思えない訳ではない。闇はひとのこころを変にまどわす。

遊郭より蝶一匹の放たるる  上川拓真

乳母車落花の中に残さるる  同

遊郭とは何と古風な呼び名であることだろう。そこから、一匹の蝶が放たれるのである。だれが放ったのだろう。なんのために放ったのだろう。そんなことを考えているうちに、一篇の通俗小説のストーリが動き始める。乳母車には誰も乗っていないのである。花の精に誘われた母と子は、あちらこちらをさまよっているのである。落花の中に残された乳母車こそ、この母と子が現世に戻る場所なのである。

おほさじの砂糖を均す昭和の日  上川拓真

「昭和の日」とは、昭和天皇崩御ののち「みどりの日」となり、現在は、このように呼ばれている。「砂糖」とは何を象徴しているのか。かつて、「私のことが『左』であるなら、世の中が右傾化しており、『右』であるなら、世の中が左傾化している」と言った文学者がいた。サラリーマンにとっては、ゴールデンウィークのはじめの日であるということがすべてなのである。

まだ小さき浅蜊を還すちひさき手  上川拓真

教えなければ子はこのようなことはしない。にんげんらしく生きるとは真似をすることだ。笑うことを真似、何かをつかむことを真似、立って歩くことを真似る。スプーンで食べることを真似、言葉を交わすことを真似、ひとを愛することを真似る。

俳人は他人の俳句を真似し尽して、全く新しい自分だけの俳句を作る。

いつせいに遠足子散る関ヶ原  上川拓真

その先は家鴨の吊るさるる朧  同

いっせいに子どもたちが自由行動に移る様を、すこし高いところから眺めている。四百十数年前のできごとに思いをはせている。歴史に触れるとは、このような個人的な些細なことが切っ掛けになるのかも知れない。店の軒先には家鴨が吊るされている。その吊るされた家鴨は、はっきりとは見えずかすんでいる。おいしいものを食べようとするとき、にんげんは残酷にならなければならない。血の臭いのかすかに漂う薄ぐらい路地。

春惜しむ一筆で鳥描き足して  上川拓真

春は出会いや別れの季節、何かをはじめる、何かを終わらせる季節でもある。みだれたこころを癒すために、ひとは何らかのアクションを起こす。このひとは、絵が得意だったのだろう。

芸術で倫理を殴れ殴れ殴れ  野名美咲

ずいぶんとストレートな言い方だ。怪獣だから、これでいいのかも知れないが、それにしても過激だと思う。「すこし揺すれ」程度でいいのかも知れない。もしかしたら、芸術でないものを芸術だと思うひとが増えてきた現代を風刺したかったのかも知れない。

シマウマの白に付箋を貼りまくれ  野名美咲

付箋とは一時的に貼り付ける小さなメモ紙のことである。それをシマウマの白いところに貼りまくれというのだ。メモの内容はどういったものなのか。シマウマの白い毛に貼ることは困難だろうから貼りまくれと、さらに気合を入れる。

どもれ人間!どおれいんれん!どぉーえにぎぇえ  野名美咲

どおれいんれん!どぉーえにぎぇえとは、怪獣の叫び声である。怪獣だと思って付き合うとにんげんであったり、人間だと思って付き合うと怪獣であったり、そんなことの多々ある世の中である。バラードとは、自由な形式の民衆的物語詩だという。

蝶々は喰いちぎったら少し苦い  野名美咲

蝶々は少し苦いのである。喰いちぎったから少し苦いのである。喰いちぎらなかったら苦くはないのである。「少し苦い」という表現のなかには、喰いちぎったもののこころの動き、つまり、痛みも含まれている。

パソコンに挟む資料や春のまち  野名美咲

珈琲店でノートパソコンにデータを打ち込んでいる。ひと区切りついたところで場所を変えようと思った。資料はファイルに入れてノートパソンに挟む。寒さのゆるんだ街を急ぎ足で歩きはじめる。

進めなめくじ芸術はお前のために  野名美咲

なめくじは私なのである。なめくじは怪獣なのである。作者は、自分自身に対して叱咤激励をする。「進ムベシ、芸術ハ私ノタメニ」

菜の花と折り畳まれし車椅子  野名美咲

菜の花畑を歩いている。何かいいことのあるような、そんな気持ちに誘われて車椅子から降りて歩きだしたのである。舗道を歩くと木造りのベンチがある。せめて、そこまでは歩いてみようと思っている。

短夜の湯に浮かべたる洗面器  野名美咲

洗面器を湯に浮かべることは不要なことなのである。だが、浮かべてみたくなってしまった。何故、そう思ったのか、いくら考えてもわからない。このようなことは、日常生活のなかでは多々ある。ひとまず、短夜のせいしておけばいいと考えた。

麦茶少し残して席を立ちにけり  野名美咲

麦茶の香ばしさが漂っている。麦茶は喉を潤すだけではなくあの香ばしさがたまらなくいいのだ。いちばんはじめに立ったひとのコップには麦茶がすこし残っている。

どこの毛も伸びっぱなしの夏休み  野名美咲

誰の毛も何の毛もどこの毛も伸びっぱなしでいいのである。自然は無駄なことはいっさいしない。そんな贅沢は許さない。だから、毛は伸びっぱなしであってもいいのである。花火をしているときでも毛は伸び続けている。西瓜を食べているときでも毛は伸び続けている。もちろん、怪獣の毛も、人形の髪も伸び続けている。


第519号 2017年4月2日
堀下 翔 篁 10句 読む
第520号 2017年4月9日
瀬名杏香 そとうみ 10句 読む
関悦史 台湾 10句 読む
小津夜景 そらなる庭に ピエロ・デラ・フランチェスカによせて 10句 読む
上川拓真 おほさじ 10句 読む
野名美咲 怪獣のバラード 10句 読む

【週俳4月の俳句を読む】Haiku in Wonderland 小林苑を

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【週俳4月の俳句を読む】
Haiku in Wonderland

小林苑を


テレビをつけたら「Alice Through the Looking Glass」をやっていた。邦題は「アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅」で「Alice in Wonderland」の第2作。最初のは映画館で観た。珍しく第2作の方が面白い気がした。気がしたってのも、最近とみに記憶力が衰えてきてきているので、前の話がよく思い出せない。

「不思議の国のアリス」を元にした映画は他にも何本か観ている気がする(まただよ)。当然、どれも此処ではない何処かにトリップする話で、此処の私が出会う此処ではないワンダーランドは俳句に似ている、と強引に話をすすめることにする。

涅槃図の諸貝に毛の描かれある  堀下翔

円丈に似たる兎や涅槃図に  同

初っ端から、文字通りワンターランド・涅槃図の句。生真面目に正調で歌われたりすると笑いたくなるのが人間ってもん。だから「描かれある」とか「兎や」って可笑しいでしょ。この二句ほど直球でなくとも「篁に蜂あつまりて濃うなりぬ」、見事に写生ではあるけど「なりぬ」ですよ。この滑稽を逆手にとってるような(若い癖に老成している振りみたいな)節がこの作者にはあって、つまり俳句でしかできなさそうなことやってのける。確かに、円丈って兎に似てる。

蜜蜂の重みに花のしたがへる  瀬名杏香

県庁よりホースの伸ぶる万愚節  同

ワンターランドにどうやって行くかは人それぞれだけど、花に蜂が止まっているだけでもいい。蜜蜂の尻もなんだか可愛くて可笑しい。県庁はさらに滑稽。どこがですか、と引き戻さないで欲しい。ことに四月という晩春は呆けるのによい季節なのだ。

さへづりに遅れピピピと体温計  上川拓真

夜の蒲公英が電灯に集まりぬ  同

「ピピピ」は合図だ。なにかが起こる。電灯に照らされる蒲公英は謀議のために集まって来たのやも知れぬ。ワンターランドに行くのにいるのは想像力だけなので(ときどき記憶力も必要で困るが)、あとは勝手に遊べばいい。

どもれ人間!どおれいんれん!どぉーえにぎぇえ  野名美咲

短夜の湯に浮かべたる洗面器  同

ところで「怪獣のバラード」といえば、あの歌のことなのだろうか。あの歌をなんとなく思い出すと、「どもれ」の句が怪獣の叫びのように思えてくる。学校で合唱曲を歌わされたりしたのか、などと勝手に想像する。すると昼間は大人びた様子で過ごしている女の子が風呂場で洗面器を浮かべたりしているような気がしてくる。お約束として、怪獣は淋しがり屋だ。

台湾にて吾を追ふ髭のゲイの春  関悦史

亜細亜にてマネキン並び黴び始む  同

此処ではない「台湾」にこの作者に連れて行ってもらうことにしよう。連作なので全体の醸し出す雰囲気を楽しんで貰いたいのだけれど、結論から言うと「飛行機に乗つて地球に倦みて春」という、どことなく情けない旅なのだ。俳句は可笑しければいいわけでは勿論、もちろんない。だけれども、情けないというのはやはり滑稽だ。大上段に振りかざす権力的なものの対局にしかワンダーランドなんてあるはずがない。   

龍天にのぼるオルガン組み果てつ  小津夜景

利き手ではない手で触るる櫃の花  同

こちらも「ピエロ・デラ・フランチェスカによせて」とある連作。ピエロ・デラ・フランチェスカの絵画を目に浮かべて迷い込むべし。「隠遁の楽師あつまる桑の花」は入口に相応しい一句。場所も時間も飛び越えるのに、龍が天にのぼったり、利き手ではない方の手で触ったりするのはとても有効。そこには体感が、微熱のようなぬるさがあって、此処ではないのに確かにあるということが伝わるのだ。


第519号 2017年4月2日
堀下 翔 篁 10句 読む
第520号 2017年4月9日
瀬名杏香 そとうみ 10句 読む
関悦史 台湾 10句 読む
小津夜景 そらなる庭に ピエロ・デラ・フランチェスカによせて 10句 読む
上川拓真 おほさじ 10句 読む
野名美咲 怪獣のバラード 10句 読む

【週俳4月の俳句を読む】春なんだなあ 鈴木牛後

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【週俳4月の俳句を読む】
春なんだなあ

鈴木牛後


もう立夏を過ぎたのだが、当地はこれから春の盛りを迎えようとしている。桜の開花は5月9日、たんぽぽもようやく咲いた。それと同時に、農家にとっては仕事が急に忙しくなる季節でもある。このように、春の喜び、気ぜわしさ、眠たさなどが一気にやってきて、私は外側から、そして内側から春に揺さぶられている。そんな時間を過ごしながら、私にとって気分的にタイムリーな春の俳句を読ませてもらった。


蜜蜂の重みに花のしたがへる  瀬名杏香

蜜蜂と花との共生。小さいものが小さいものを頼り、そして頼られる。その関係性に人間の手の届かない親密さを感じる。掲句は、蜜蜂のはかない重さに花びらがほのかに撓む景を描いているのだが、「したがへる」という措辞に「乗る―乗られる」という一方的な関係ではない能動が感じられる。従うということも、ひとつの生命体の意志なのだ。


沈丁とまんさく混じり青かりし  堀下翔

おそらくは春らしい風景なのだろうが、わからないのが残念。それは、当地には沈丁花も金縷梅もないからだ。作者は北海道の出身だが、もうすっかり内地の人になったのだなあと思う。まったく俳句の鑑賞にはなっていないが、これも確かに春の感慨のひとつ。


夜の蒲公英が電灯に集まりぬ  上川拓真

電灯の下で蒲公英に花の色がよく見えるということなのだろうが、蒲公英が集まっているという擬人化がとても春らしい。当地でも春の花といえばたんぽぽ。牧草地や道ばたのどこにでもあり、春の生命力に満ちあふれている。本当に電灯に集まってくるくらいのエネルギーはありそう。


うす睡りして休止符のあたたかし  小津夜景

最近は仕事ばかりしているので休息ということにちょっと憧れる。トラクターのなかでうたた寝をすることがあるのだが、それが「うす睡り」なのかもしれない。耳がおかしくなる(もうなっているかもしれない)ほどのエンジンを停めて、ふーっと息を吐く。規則正しいエンジンストロークが停まり、からだ全体が休止符で満たされるあたたかさ。


第519号 2017年4月2日
堀下 翔 篁 10句 読む
第520号 2017年4月9日
瀬名杏香 そとうみ 10句 読む
関悦史 台湾 10句 読む
小津夜景 そらなる庭に ピエロ・デラ・フランチェスカによせて 10句 読む
上川拓真 おほさじ 10句 読む
野名美咲 怪獣のバラード 10句 読む

有馬朗人氏に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって 福田若之

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有馬朗人氏に反対する
俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって

福田若之


毎日新聞の4月24日付東京朝刊に掲載されたという国際俳句交流協会会長・有馬朗人氏へのインタビューをまとめた記事(聞き手は森忠彦)を同社のウェブサイトで読んだ。

有馬氏は以前から「仕掛け人」となってユネスコの指定する無形文化遺産に俳句が登録されるように働きかけている。このインタビューの話題は、おもにその運動に関することだ。

  ●

僕は、有馬氏の発言のところどころに見られるあやうさのいちいちをここであげつらおうとは思わない。有馬氏の「欧州とイスラムのけんかを俳句の心でやめさせたいんです」という個人的な思いを述べたにすぎない発言が、何らかの根本的な事実誤認を疑われても仕方のないものであるからといって、それはさしあたり、「俳句を無形文化遺産に」という動きの正当性についての議論とは無関係だからだ。

  ●

記事の前半では、アレン・ギンズバーグやトーマス・トランストロンメル、ダグ・ハマーショルドといった人々の名が挙げられたうえで、「もちろん、日本語の「五・七・五」ではなく、それぞれの国の言葉で読まれた短詩」である「HAIKU」の国際的なひろまりについて語られている。ならば、つぎの発言はどう理解したものだろうか。
俳句界の調整にも時間がかかりました。日本の俳句界には伝統的なものから現代的なもの、型にはまらないものまでありますからね。どこまでを対象とするのか。調整の結果、基本は「五・七・五の有季定型」。しかし、多少の例外として非定型、季語なしや、すでに海外で人気がある種田山頭火や尾崎放哉のような自由律も認めようと。
これを好意的に解釈するならば、作品が書かれたそれぞれの言語での数え方で五・七・五のシラブルないし字数を持ち、季節感のある語句を含むものを基本として、破調や無季、自由律の一切を対象とするということになるのだろうか。

  ●

それにしても、「多少の例外」とはいったいどういうことなのだろう。僕の知るかぎり、世界の俳句において、「五・七・五の有季定型」は、そのほかを「多少の例外」とみなしてよいほどには、けっして圧倒的な大多数ではない。

となると、ここで「俳句」と呼ばれているもの、すなわち、無形文化遺産として登録されようとしているものは、結局、日本語の俳句にすぎないということになるのだろうか。

もし、それを正当化するために世界の「HAIKU」を引き合いに出しているのだとしたら、そのこと自体が大きな欺瞞をはらんでいると言わざるをえない。

  ●

そのうえ、もし「五・七・五の有季定型」の一切を対象とするというのであれば、たとえば、少なくない数の川柳がそこには含まれてしまうことになる。下手をすれば、作者が川柳として書いたものがそのあずかり知らぬところで「俳句」として無形文化遺産に該当するというようなことにさえなりかねない。

このような「俳句」の定義づけは、無形文化遺産としての登録を考えるにあたって、まったく不用意なものであるように思われる。

まさか、あくまでも「俳句」と呼ばれているもののうちで、とでもいうつもりだろうか。だとすれば、「俳句」と呼ばれているもののうちで、どんな形式が対象外だといいたいのだろう。「俳句」と呼ばれているもののうちで、何が俳句ではないといいたいのだろう。

  ●

しかし、形式については、「例外」が認められているだけまだましかもしれないのだ。「なぜ、俳句だけを無形文化遺産にしようとしているのですか」という記者からの問いかけに対する有馬氏の次の回答は、僕をじつに不安にさせるものだった。
日本では短歌と俳句は常にワンセットですからね。最初は悩みました。短歌や川柳も入れるべきかと。しかし、今回は「HAIKU」の最大の特徴である「自然詩であること」を重視しました。
記事を何度も読み返したが、「俳句」ないし「HAIKU」について、有馬氏は、それが「自然詩」であるということについては、一切の例外を認めていない。それどころか、「豊かな自然あってこその俳句です」という別の発言からは、この規定を断固として押し通そうとする有馬氏の姿勢が読みとれさえする。

有馬氏が同様の主張を繰り返している理由は明白だ。それは、こうした前提だけが、短歌や川柳を差し置いて俳句を無形文化遺産にする動きを正当化するものだからにほかならない(そして、とりわけ「自然詩」という語がここで持ち出される背景には、すでに「和食:日本人の伝統的な食文化」が「自然を尊重する日本人の心を表現したもの」として登録されていることがおそらく関わっている)。

僕も、有馬氏がひとりの俳人として自らの創作の信念としての「自然詩」を語っているというだけであれば、それについて特に異論をさしはさむつもりはない。

だが、ことは「俳句を無形文化遺産に」ということに関わっているのだ。それはすなわち、「俳句」ないし「HAIKU」に何らかの公的な定義づけをしてしまうことに関わっているということだ。

それが意図的なことかどうかにかかわらず、結果として「俳句」を「自然詩」として規定してしまうことになるだろうこうした動きに対して、僕は、僕自身の意志にしたがって、反対の意を示さざるをえない。

  ●

そもそも、なぜひとびとは俳句になんらかの固定された定義を与えようとしてしまうのだろう。俳句とは何か、という問いに、そうまで簡単に答えようとしてしまうのだろう。しかも、なぜ何らかの公共性にもたれかかりながらそうしようとしてしまうのだろう。

俳句はもちろん決して有季定型に限定されるものではないし、「自然詩」にだって限定されないはずだ。ひとは、なぜ、多様性のあるものをマジョリティーとマイノリティーに分け、その上下関係あるいは中心と周縁の関係を捏造しようとしてしまうのだろう。

俳句の形式にかかわる有馬氏の発言は、たとえば「基本はヘテロ。しかし、多少の例外としてすでに社会的に認知されているLGBTも認めようと」とかいうのと同じくらい、見せかけの寛容さを取り繕った差別的な発言に思える。

  ●

僕は、決して、俳句とは「俳句」と呼ばれてきたものの総体だ、と言いたいのではない。むしろ、俳句は、高柳重信がその多行形式での第一句集を『蕗子』(1950年)と名付けたのと同じような心持ちで、すなわち、「俳句」とは何かはっきりしないまま、何かを是非「俳句」と呼んでみたくて仕方がないという妙な執心によって、そのつどかろうじて「俳句」と呼ばれるのではなかったか。

近代に読み返された俳諧の発句から、ジョン・ケージの五七五拍子のピアノの小品にいたるまで、僕たちはそのつど、僕たち自身が「俳句」と呼びたいものを「俳句」と呼びつづけてきた。

俳句は、究極的には、過去の集積によってではなく、ただこの名を呼びたいという僕たちの意志によってのみそのつど俳句でありつづけ、俳句でありそこないつづけ、そしてまた、俳句でありつづけそこなうだろう。

「俳句」という名は、ただそのつど何かを曖昧に指し示そうとするばかりで、一般化された何らかの意味に到達することはついにないだろう。

「俳句」という名は、意味しない。それゆえにこそ、俳句はあやういが、同時に、限りない可能性をもちつづける。

僕にとっては、それこそが俳句の魅力なのだ。だから、僕は、その魅力を俳句からまるごと剝脱しようとする動きに対しては、そのつど、僕自身の意志によって、強く反対の意を示さざるをえない。

それでは無形文化遺産として到底認めることができないというのなら、無形文化遺産なんて、こちらから願い下げだ。

  ●

それにしても、こうした動きに対して、四ッ谷龍氏、堀田季何氏、橋本直氏、西原天気氏や島田牙城氏をはじめ、あきらかに何か不穏なものを感じとっているように見えるひとびとが、それにもかかわらずこの問題に関して言葉少なにつぶやくだけで済ませてしまっているような印象があるのはどうしたわけだろう〔*〕。あるいはそうした印象は単に僕の勝手な思い違いなのかもしれないが、僕にはそのことが有馬氏の発言にもまして不穏なことに感じられる。

この動きがすでに俳人たちからなる四つの協会だけでなく、三十の自治体の関係者にまで広がっていることを考えれば、もはや、すくなくともSNSでのちょっとしたつぶやきだけで変えていくことのできる流れではないことは明らかだ。

ましてや、押し流されていくつぶやきに対して少しばかり「いいね」と背中を押してみたところで、いったい何が変わるというのだろう。代弁者に期待と賛意を表明するだけで何かが変わるとあなたは信じることができるだろうか。

もしそうでないなら、ひとりひとりがもっと多くの言葉を費やしていくしかないはずだ。

  ●

〔*〕当該ツイートへのリンク(一部)は以下の通り。
四ツ谷龍
https://twitter.com/leplusvert/status/857935654532993025
https://twitter.com/leplusvert/status/857935804034818052
https://twitter.com/leplusvert/status/857935955415539712
https://twitter.com/leplusvert/status/857946480237203457
堀田季何
https://twitter.com/vienna_cat55/status/857940089170665472
https://twitter.com/vienna_cat55/status/857940858246541312
橋本直
https://twitter.com/musashinohaoto/status/857764304434712577
西原天気
https://twitter.com/10_key/status/857931469775282176
https://twitter.com/10_key/status/857943322538659841
https://twitter.com/10_key/status/857947306192064512
島田牙城
https://twitter.com/younohon/status/860726901614067712

後記+プロフィール 第525号

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後記 ● 福田若之


まず、先日の文フリで小誌のブースにお越しくださったみなさま、どうもありがとうございました。

前に『オルガン』ではじめて文フリに出店したときは、人に酔うわ、なかなか売れないわ、売り子やってないときどこに行ったらいいのかわからないわで、正直、へたばってしまったのですが、今回は、たのしかったです。 いろんなひととお会いできましたし。

ブースの位置も幸いしたのかもしれません。背後が壁というのは、そちらに余計な意識を向けなくてよいので、すごく、落ちつく。


ところで、ぜんぜん関係ない話なのですが、パウル・ツェランの第一詩集が、刊行後まもなく、あまりの誤植の多さにツェラン自身の手でほとんど全て回収されて廃棄されたっていうエピソード、なんでそう思うのか自分でもよくわからないけどほんと最高だと思う。まあ、ツェラン本人からしたら、きっと、たまったもんじゃなかったんでしょうけど……。


それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.525/2017-5-14 profile

■畠 働猫 はた・どうみょう1975年生まれ。北海道札幌市在住。自由律俳句集団「鉄塊」を中心とした活動を経て、現在「自由律句のひろば」在籍。

■鈴木牛後 すずき・ぎゅうご
1961年生まれ。「いつき組」組員。「藍生」会員。「俳句集団【itak】」 幹事。2012年「大人のための句集を作ろうコンテスト」最優秀賞。句集「根雪と記す」(「100年俳句計画」2012年4月号付録。マルコボ・コム

■瀬戸正洋 せと・せいよう
1954年生まれ。れもん二十歳代俳句研究会に途中参加。春燈「第三次桃青会」結成に参加。月刊俳句同人誌「里」創刊に参加。2014年『俳句と雑文 B』、2016年に『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』を上梓。

山中西放 やまなか・せいほう
1938年京都生。2012年より「渦」編集長。句集『風の留守』、『炎天は負うて行くもの』。他詩集2冊。

福田若之 ふくだ・わかゆき1991年東京生まれ。「群青」、「ku+」、「オルガン」に参加。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

週刊俳句 第525号 2017年5月14日

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第525号
2017年5月14日

2016 角川俳句賞落選展 ≫見る
「石田波郷新人賞」落選展 ≫見る
5月7日「文フリ」に週刊俳句が参加します ≫見る


有馬朗人氏に反対する
俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって
……福田若之 ≫読む

自由律俳句を読む 156
「橋本夢道」を読む〔4〕
……畠働猫 ≫読む

【週俳3月の俳句を読む】
鈴木牛後 春なんだなあ ≫読む
瀬戸正洋 雑読々 ≫読む
小林苑を Haiku in Wonderland ≫読む

〔今週号の表紙〕
第525号 養老鉄道……山中西放 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……福田若之 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

【俳苑叢刊を読む】 第16回 細谷源二『塵中』 直截を貫く 西川火尖

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【俳苑叢刊を読む】
第16回 細谷源二『塵中』

直截を貫く

西川火尖


細谷源二は明治39年生まれ、12歳から工員生活を送る傍ら、内藤辰雄のプロレタリア文芸誌「労働芸術家」の編集同人を務め、口語短歌にも活躍の場を広げるなど文学への興味は強かった。そして昭和8年、源二27歳のときに「句と評論(のちの廣場)」の松原地蔵尊選に一句入選したことをきっかけに、本格的に句作を開始する。昭和13年、中台春嶺と共に工場労働者として生活を詠む「工場俳句」を提唱し、プロレタリア俳句の可能性を模索していった。その後、昭和15年、精密螺子工場の経営を始めるが、翌16年、新興俳句弾圧事件に連座し2年余り勾留された。

今回取り上げる「塵中」は昭和15年刊行、昭和13年から逮捕前年の15年の句を収録した第二句集である。

夕日が射すと機械油(オイル)の光る俺達かな
帽子を振つてもあしたこうばでまた會ふ人ら
さしこむ朝日にどの職工も染まらうとする


「塵中」はこの三句を冒頭に始まる。どの句にも直截的な口語表現と、大盛りの字余りでもって、労働者のシーンをのびのびと描映している。終業、退社、出社のサイクルを「夕日が射す」「さしこむ朝日」など労働者を光で演出することで、工場労働の日々を力強く印象付けている。

起重機の老工碧き空を背負ふ
つとめ長ければ誰か靑空に汽車を描け
白き初夏工女に菓子をすすめ食ふ
工場旅行少年工の帽靑き
鐵かつぐ黄いろき首を肩へ嵌め
鐵工葬をはり眞赤な鐵うてり


源二は「句と評論」に加わる以前、新鮮な表現と素材の広さに感銘を受け、馬酔木によっていた時期がある。当時の馬酔木は秋桜子のホトトギス離脱をきっかけに、新しい俳句を目指す若者たちが大挙しておしかけていた時期で、彼らが起こした新興俳句運動は白や青、赤などのカラーコードを積極的に用いて、都市生活者のモダンな心理的描写を可能にしたところに一つの特長があった。これらの句もその影響を色濃く受けており、モノクロの写真に着色したような鮮やかな色で工場生活を捉えてみせたところに、源二の詩的感覚の新しさがある。
 
しかし、源二は初期新興俳句のモダニズムを取り入れつつも傾倒しきることはできなかった。源二の自伝、「泥んこ一代」に当時のエピソードがある。

馬酔木の句会に「夕焼に油まみれの手を洗う」という句を出したところ、秋桜子は「夕焼の」と直せば採ったと答えた。源二は同行の俳人に次のように漏らした。
僕はうぬぼれているわけじゃあないけれど、あの夕焼の句はそんなに悪いと思ってないんだ。先生の言う「夕焼の」としたら、あの句は生活が主ではなくて、夕焼という自然現象が主になった句になってしまう。僕のような生活をしているものの感慨を強く伝えるには、「夕焼に」としなければ駄目だ。〔*1〕
同行の俳人の同意は得られなかったが、源二は俳句を始めてからかなり早い段階で、新興俳句運動初期の鮮やかな色彩の句に惹かれつつ、自身の置かれた環境や志向とは違うことを自覚していたことが伺える。句集には以下のような句もある。

勘定日さびしい西日が背に煮えて
赤き夕日へ無事に勤めし心を捧ぐ
悲しい過去をもつた常雄は鐵かつぐ
鐵かつぐ寒さでかけさうな鼻を曲げ
夕日背に機械油の手を洗ふ    


四句目までは当時も今も例えば句会などでは決して評価される類の句ではないだろうが、源二にとって譲ることのできない生活者としての証のような句だったのではないだろうか。そして最後の「夕日背に機械油の手を洗ふ」は前述の句会に出した「夕焼に油まみれの手を洗う」の推敲句と思われるが、源二の強いこだわりと表現の精錬が見られ非常に面白いと思う。

やや分析的な言い方をすれば、細谷源二は口語短歌的な情緒(詩質)と、新興俳句的な手法(方法論)、工場労働者としてのアイデンティティを融合させた点に彼の工場俳句の成果があるように思う。そのような句を少し抜き出してみると

ぼけた冬日を窓にかざつて働きます
工場帽そっぽにかぶり海の話
こぼした水がのびのび流れ職工冬
つとめ長し鐵より他に蹴るものなく
五月たのしおのおの赤き鐵をうち
公傷の指天にたて風の中
鐵工葬をはりクランクろんとめぐる
職工の洗面器ならぶ鐵製なり
そらあをく古き機械と肩ならべ


これらは、厳しい労働の現実に根を張り、そこに現れる悲喜を直截的に掴み取って句になったものである。工場労働の内側から労働者の感情を描出する試みは自然、字余りの多用、無季俳句へとなっていくのであるが、その感情の機微をいきいきと映し出すことができているのは、前述の詩質、方法論によるところが大きい。

新興俳句運動が俳句にモダニズム的価値観を付与した初期から、生活俳句や社会的感覚を標榜した後期へ移行していくなかで、細谷源二の存在が大きくなっていったのは、まさしく時代が彼の志向に合致してきたという点もあるが、それ以上に彼の「工場俳句」が、初期新興俳句が獲得してきた成果を損なわずに社会的感覚と融合を遂げられた点にあるのだと思う。

職工出征ばんざいの帽そらをたたく
人征きて馬征きて村に雪降れり
百姓ぞくぞく出征す太き眉を張り
百姓のさむき猪首のならび征く
職工面會所招集令を母がもちくる


これら戦時下を詠んだ句でも源二は他の句と同じスタンスで直截的に臨むことを貫いた。「ばんざい」なら「ばんざい」を、人も馬もでて征く村があればそれをそのまま詠んだ。少なくとも彼は無口ではいられなかった。

「塵中」の読後、改めて見回してみた現在の俳句は、「俳句に政治を持ち込まない」ことで純粋さと楽園性を得た代わりに、川を流れる盥のように黙って時代に流されていく存在に思えてならない。

〔*1〕細谷源二「泥んこ一代」春秋社, 1967年, p.117

感想・告知ボード 2017-04

〔今週号の表紙〕第526号 ペーパーウェイト 西原天気

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〔今週号の表紙〕
第526号 ペーパーウェイト

西原天気

窓を開け放つ季節になると、ペーパーウェイトが重宝。買うことはなく、拾った石にその役目を担ってもらうのですが、妻は、これが理解できないらしく、「なんでまた、ただの石を部屋に?」としか思わないらしい。

拾ってきた石ならゾンザイな扱いもしかたがないのですが、いちど、練馬区の鉱物屋さんで買った石が玄関を出たところの塀の上で雨ざらしになっている(捨てられている)のを見たときは、泣きそうになりました。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

うーふー 関悦史×江渡華子

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謎のおまけコーナー「うーふー」
ゲスト・江渡華子さん ハ)
聞き手・関悦史 エ)

エ)えー、る理ちゃんが卒業してしまったので、この謎のおまけコーナー「うーふー」も終わるかと思いきや、毎回女性ゲストを迎えてお話をうかがう「悦子の部屋」みたいなコーナーになることになりました。

というわけで今回のゲストは、最近第一句集『笑ふ』を上梓した江渡華子さんです。

江渡さんは、神野紗希さん、野口る理さんと三人で俳句ウェブサイト「スピカ」を運営していて、俳句結社『鷹』の同人でもあります。俳人の山口優夢さん(この辺、わりと親しい人が続くので「さん」とか付けると若干違和感あるんですが)と結婚されていて、長女をすでにご出産。そして第二子の出産予定日が迫っているということですなのですが、ご体調はどうですか。

ハ)実は妊娠糖尿病の診断を受けて、食事制限してます。。。産めば治るらしいんですけどね。

私はごく軽めなので、食事療法のみしかも一日二千キロカロリーオッケーという緩いものなんですけど、もともと甘味好きで時々チョコレート食べたくて発狂します。どうしても食べたい時は少量を朝に。残りは主人に処分してもらいます。

エ)処分させるのもまずいのですよね。優夢の減量というミッションも一応あるにはあったはずだし。

ハ)嬉々として処分してくれるので、処分させない為にも我慢です。。
後は、長女の時に切迫流産診断を受けていたので、今回も可能性があるからと、診断書貰って会社は休んでます。

説得力ないと思いますけど、元気ですよ(笑)関さんに前回お会いした時は、どちらとも言われてなかったので、あの時点で旅行しといてよかったです。

エ)こないだ京都に一緒に行っているのですよね。吟行企画に優夢を呼んだときに同行して一家三人で来てくれたので。

元気は元気に見えるのですが、長女ご出産のときけっこう危なかったりもしたのですね。

娘さん、男性が苦手らしくて、ゲンハイの勉強会のときに私と猿丸さんや鴇田さんで相手していたら泣かれてしまいましたが、ご長女含めて、お子さんに将来俳句をやらせたいと思いますか?

ハ)どーなんでしょうねぇ。長女は誰の遺伝子なんだか、運動神経いいみたいで踊るのとか大好きなので、好きにさせるつもりです。

でも、こどもって親の本勝手に読むでしょう?だから、自然に身近には感じるのかなと。薄ぼんやりと思ってますよ。物心ついたら、何でこんなに俳句の本が?って思うんでしょうね。でも、スピカメンバーのこども同士で句会するのも面白そうですね(笑)

エ)それは見てみたいですよね。全員、俳句甲子園で戦っていたりするかもしれない。私も長生きしなければ。

ところでTwitterを拝見してると優夢ネタがかなり面白いんですが、優夢の生態観察とか、夫婦の日常はどんな感じで、文句をいうとしたらどういう点があります?

ハ)育休取るとか言うんですよ。だから、やめてくれと。家事一切できない人が家にいても、世話する対象が増えるだけだから、フルの金額稼いでくれと頼みました(笑)

前回の妊娠よりは大切にして貰えなくなりましたねー。前回は買い物袋なんて持ったことなかったのに、今は長女(現在十三キロ)毎日抱っこしてるし、それで買い物するし。お風呂掃除は妊娠中だけしてくれますね。

先日誕生日にネックレスくれましたよ。小さい子いるのに何故アクセサリー?と思ったら、もっと育児に参加するという表明らしいです。

彼は一人っ子だから、こどもが二人以上になるとこを不安に思うこともあるみたいで(いや、お前が希望したんだぞとも思うけど)私の妹に親からの育てられかたどーだった?みたいなこと聞いてましたね。

エ)私は二歳下の弟がいたんですけど、育てられ方がどうとかいうよりも、限られた家庭スペースで角付き合わせることになるので、一人っ子よりはイヤでも社会性みたいなものが身につくことにはなるでしょうね。女の子だとそんなに派手に喧嘩するのかどうかわかりませんが。

ハ)私は四人兄弟で兄、妹、弟がいるのですが、妹とケンカした記憶はあまりないですね。弟とは二十歳過ぎてからも取っ組み合いのケンカしてましたけど(笑)

長女の様子としては、保育園に入園しました。保育園楽しいみたいで、良かったです。よく食べるし寝るし遊ぶしで、手がかからないことが多いですけど、最近はよく反抗されます(笑)車に乗らない降りない服着ない服脱がない、ぜーんぶ反抗。一歳くらいまで、この子に声を荒げるなんて想像つかないって思ってたけど、今は簡単にこらー!!!って言いますよ。保育園から帰ると私にべったりなので、まぁ彼女なりに生活や私に何かしらの変化を感じてるのかと。

あ、「お腹に弟か妹がいるんだよー」って言ったら、首を横にぶんぶん振ってましたね(笑)

エ)やっぱり愛情が分散されるのがイヤなのかな。

優夢的にはどうなんでしょう、男の子だとちょっと苦手とか何かあるのかな。第二子出産について何か言ってます?

ハ)分散はしないですけどね(笑)優夢君は今回も出産に立ち会いしたいみたいなんですけど、長女も一緒だから前回みたいに陣痛の間に俳句詠むことはないかと。。

エ)あー、あったあった。陣痛中に優夢がわきで俳句作ってて華ちゃんがイカったという話……。

ハ)普通怒りますよね。いや、でも出来上がった句が悪くなかったからまだ許せる。彼も次回の句集には親になった句がたくさん含まれるかと。あと、新婚旅行。どこにもまとめてないですしね。

あ、全然関係ないですけど、夫話ということで中原道夫さんから夫に届いたハガキの末文が「娘を食べないように」でした。

痩せてほしい。高柳さん二人分より余裕で重い事実に衝撃ですよ。。こどもも増えるし、健康に長生きするために、育休よりもダイエット!ですよね。車覗いたらアイスのゴミがあって、こりゃダメだ。。ってなってます。

エ)高柳氏の二倍以上!(笑)

実際に食べるかどうかはともかく、こないだの京都で、娘さんのこと人目かまわずベロベロ舐めまわすような可愛がり方していて、われわれドン引きしていましたね。

えーとそれで、プライベートなことばかりじゃなくて、句集『笑ふ』のお話に行きたいんですが、手応えとかどんな感じですか?

ハ)正直まだよくわからないですね。鷹では評論書いて頂いたり、スピカでも鑑賞して頂くなどの企画はありますけど。。

あ、でも、Twitter通じて知り合ったママ友とかに興味持って貰って、俳句読んだことない人からもらう共感の言葉に感激したりします。
あ、あと私は自分が繊細だと思ってたので、それとは反対の評価が多いことに驚きました。

エ)それは多分周りの評価が正しいんじゃないかと。俳句まとめて見ると、それで初めて正体が知れるみたいなこともありますからね。俳句読んだことのない人から共感されるというのは、作り方がわかりやすいのでしょうかね。基本、文語体が多いし、省略とか見慣れない季語とかあるから、わりと全然わかられないケースも少なくないんですが。私のなんか全然わかられない。

ハ)単純に日常のことを詠んでるからってことが大きいのかと。徐々に反応が見えてきている最中なので、ありがたいばかりです。この時期にまとめてよかった。

死後の名声 藤田湘子――大衆化時代を代表する俳人の細い余韻  関悦史

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特集2 死後の名声

藤田湘子
――大衆化時代を代表する俳人の細い余韻

関悦史

いつどういう状態になれば「死後の名声」があると認められることになるのか。

〈大いなる春日の翼垂れてあり〉以外の句が現在あまり知られていない鈴木花蓑のようなケースでも死後の名声は皆無ではない。

基準のひとつとして考えられるのは、俳句アンソロジーを編集した際、そこに入るかどうかだが、たとえば平井照敏編『現代の俳句』の場合、収録俳人が多すぎて、藤田湘子をはじめ、今回この特集でとりあげられるグレーゾーンの俳人は大概入っていておかしくない。

そこでややハードルを上げ、朝日文庫の『現代俳句の世界』全十六巻を目安にしてみることにする。全巻の構成は以下のとおり。収録された俳人は全部で二七人である。

①高浜虚子集、②水原秋櫻子集、③川端茅舎・松本たかし集、④山口誓子集、⑤富安風生・阿波野青畝集、⑥中村草田男集、⑦石田波郷集、⑧加藤楸邨集、⑨西東三鬼集、⑩中村汀女・星野立子集、⑪橋本多佳子・三橋鷹女集、⑫高浜年尾・大野林火集、⑬永田耕衣・秋元不死男・平畑静塔集、⑭金子兜太・高柳重信集、⑮森澄雄・飯田龍太集、⑯富澤赤黄男・高屋窓秋・渡邊白泉集。

このシリーズが刊行されたのは一九八四年~八五年。全巻の解説を三橋敏雄が書いていた。高浜年尾、富安風生など現在どの程度のインパクトが残っているのか定かでない作者もいるが、刊行から三十年以上経った現在でも、この規模であれば、おおむね妥当な人選ということになるだろう。

この人選を見ると、俳句史的に何らかの大きな変動や新勢力の台頭があったとき、その中心的な存在であった人物が残りやすいらしいことに気がつく。

「4S」と呼ばれ「ホトトギス」一極集中を崩す先駆けとなった秋櫻子、誓子、女性作家「4T」の汀女、立子、多佳子、鷹女、「人間探求派」の草田男、楸邨、波郷、新興俳句の三鬼、赤黄男、窓秋、白泉他、その衣鉢をついで前衛俳句の兜太と対峙した重信、「龍太・澄雄の時代」を担った龍太、澄雄などなど。

そうした俳句史上の役割を果たしたことと、作品本体の魅力によって読み継がれ、後世に刺激をあたえつづけること、この二点が満たされれば名声を維持する確率が高いとはいえそうである。

ただしそれで充分とは限らないのは、大正主観派として一時期の「ホトトギス」を担った飯田蛇笏、原石鼎、前田普羅、村上鬼城、渡辺水巴らが前掲のリストから落ちていることからもわかる。

単に叢書の規模の問題なのかもしれないのだが、蛇笏、石鼎らの、ほとんど神秘性の域に接近するような高雅で大ぶりな力強い精神世界が、昭和末期の俳句大衆化の時代にあまりフィットしていなかったためとも考えられる。

さて藤田湘子だが、湘子が担った時代とは、まさにその、商業誌に入門記事しか載らなくなっていった俳句大衆化、俳句ブーム、「結社の時代」、「平成無風」の時期である。そのなかで湘子は大結社主宰として多くの弟子を輩出し、一般投句の選に当たり、実用性に富んだ入門書を書き続けた。湘子の俳句史的役割とは、大衆化の時代の名コーチであると見ることができる。

湘子本人がどこかで、俳句ブームのおかげで俳句はこの十年くらいうんと損した、裾野は広がってもその中心に山の高みはあらわれなかったという趣旨の発言をしていたことからすれば、いささか皮肉な役回りであったのかもしれないが、入門書の書き方の上手さ、優秀な弟子の多さといった特質は、表現の高峰と関係しない一般大衆とじかに結びついてこそ発揮される資質であり、それが俳壇的な存在感にも繋がっていた。

湘子の作品もそうした資質にふさわしく、きわめて明快でわかりやすく、永遠に人を引きとめる種類の謎はない。技術のたしかさは、不断の社会生活を送る自己という統合体の枠を少しも揺らがせることなく、かえってそれを強化する方向に作用する。湘子の句に関してよくいわれる抒情性というものが、そもそもそうした枠の上に組織されるものだろう。

「俳句は意味ではない、リズムだ」という言葉が指し示しているものは、意味の彼方ではなく、むしろ句の意味をことさら気にするまでもない指示性の明確さという土台の上に音律的な調子のよさを追及するといった作り方なのだ。

  愛されずして沖遠く泳ぐなり
  枯山に鳥突きあたる夢の後
  口で紐解けば日暮や西行忌
  筍や雨粒ひとつふたつ百
  うすらひは深山へかへる花の如
  わが裸草木中魚幽くあり
  あめんぼと雨とあめんぼと雨と

これら代表句のうち、読解において迷いが生じるのは師・秋櫻子との不和という伝記的情報が付随する〈愛されずして沖遠く泳ぐなり〉のほかは、字義通りにとると「突きあたる」が強烈な〈枯山に鳥突きあたる夢の後〉くらいであろう。

〈湯豆腐や死後に褒められようと思ふ〉〈ゆくゆくはわが名も消えて春の暮〉など死後の名声を詠んだ句にも自己の強固さが目立つし、結社「鷹」を継いだ小川軽舟の『藤田湘子の百句』などを読むと、次々に色んな俳人をライバル視してはそれを梃子に自己革新をはかる湘子像が浮き彫りとなり、俗な部分が原動力となっている点が目立つ。

しかし句を読み返していて気がつくのだが、その自己主張の強さが、句の技術や音律によって、やわらげられるというよりは、干されて軽くなり、うま味を増した何かへと変容させられているような気配も感じるのだ。

この辺、有季定型を墨守した上で自己主張も残し、なおかつ技術的な洗練でもってある高みを追及するという傾向の若手俳人が一定の割合でいる限り、ひとつのいぶし銀的な輝かしさを持つ参照項として、今後も読まれ続ける可能性がある。

ハロルド・ブルームは特定の書物を偉大にするものとは「異質さ(ストレンジネス)」に帰着するといっているらしいが、そうした意味での異質さ=偉大さに繋がる資質ではない。だからこそ死後の名声を云々されることにもなるのだが、大俳人として遇されるのとは別の生き残り方をするのではないか。

俳句人口のボリュームゾーンは現在七十代、現代俳句協会や俳人協会の平均年齢も、商業誌の購読層の主力も七十代である。今後二三十年のうちにはその大部分が退場することになる。結社の多くが存続困難という事態を迎えるはずである。

貧困化と出版不況も止まらず、句集の自費出版も減っていくのだろう。人口動態や格差社会と密着して俳句をとりまく環境が変わっていくなか、後世から見た湘子は、先にも述べたような、俳句ブーム~平成無風期を代表する作家として記憶されることになるだろう。

表現の高みとはさして生産的な関係を結ばなかったこの時代が、ことによったら俳句繁栄の時代として懐かしまれることになるかもしれない。

『現代の俳句』も『現代俳句の世界』も品切れ・絶版になって久しいが俳句が読解・鑑賞・再創造される限り、わかりやすさと玄人芸の間を縫う湘子の句は、そのなかで俳句愛読者=作者に曖昧な刺激を及ぼし続ける可能性がある。

季語に似たもの  五郎丸と真田丸 阪西敦子

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季語に似たもの 
五郎丸と真田丸

阪西敦子


冬が来ている。

昨年冬が締切であったこの原稿を、冬が来てもまだ書いている。

去年の冬…。そうそう、五郎丸歩。昨年今頃、唐突にその名は日本を席巻した。

2015年9月から10月にかけて開催された、ラグビーワールドカップ。日本は予選リーグ4試合中3試合を勝利したが、同リーグで共に3勝した2チームに勝ち点において劣り、全リーグ中唯一3勝したチームで予選敗退した。

特に南アフリカを倒した初戦は、世界のラグビーファンにも強い印象を与え、体格で劣りながら運動の量と質で敵をしのぐ姿はジャイアントキリングとして称えられた。

中でも、独特のポーズから繰り出されるキックで点数を重ねた五郎丸歩は、そのベビーフェイスや個性的な名前とともに人気に火が付き、帰国後もメディアで引っ張りだこになり、一種のブームを生み出した。

もともと私がラグビーファンであることを知っている友人たちは「五郎丸かっこいいよね、敦子がラグビー好きなのがわかる」という勝手な理解を示してくれ、「いえ、私が好きなのは大野均であって…」という小さな声は、「え、大野智?」としばしば聴いてはもらえない(大野智も好きだけどね)。

ちなみに大野均が誰かわからないという方は、特集「ピッ句の大冒険」を飛ばしてこのページをお読みいただいた方だろう。お礼を申し上げるとともに、「ピッ句の大冒険」での私なりの大野均像を見てもらいたい。

さて、五郎丸人気とともにその奇特な名、「五郎丸」についてもワイドショーが調査することがあった。

すごいことだ。ラグビーファンにとっては、五郎丸は早稲田の学生であった時から有名選手であって、その名前の不思議さ―スタジアムなどでアルファベット風に呼ばれた場合、その効果はいや増す―は当初印象的であったものの、それはすでに刷り込まれたもの。そんなに珍しいものだったのだと改めて驚かれる。

確かに珍しい名前であって、そう、季題っぽい。

試しに歳時記で「五」のつく季題をあたってみる。「五加木」のように必ずしも強く「5」という意味を持たないものもあるが、「五月雨」のように「五月」に何かが付くものも多い。

万物の生命力が強まり、また雨の季節でもあるこの季節は、節句を行なって五月玉(=薬玉)のように邪気を払うものや、五月鯉(=鯉幟)など力を増すものを飾った。江戸で相撲が開かれるのもこの季節。強さと護りを表す「五」の文字は五郎丸の背番号「15」にも含まれ、守護神であるフルバックのポジションにも似つかわしい。

ちなみにラグビーでたびたび耳にする「ノッコン」は「ノックオン(knock on)」の略。プレーヤーがボールを自分の前に落とす反則のことである。「残ん」でもなく「野紺」でもない。「ジヤケツ」「キヤムプ」などと同様、「ノコン」としてみたくなってしまう皆さんへ、念のため。

ラグビーといえばボーダーのユニフォーム。

これはもともと強豪チームが一色のジャージを設定して、色が足りなくなったために2色の組み合わせが考案されたという説がある。ボーダーとは「横縞」のこと。横縞には幅を広く見せる効果があって、女性にとってはデートに向かない柄として認識されているけれど、逞しく見せるにはよいのだろう。

「裏白」「目高」「眼白」「頬白」など形状をその名に持つ動植物は多い。そのぶっきらぼうなもの言いが、ラガーマンにも季題にもよく似合う。

しかし、ボーダー効果ももっともながら、やはり重要なのは実際の肉体である。「腹筋割る」とは、最近はダイエットの上のキーワードのひとつ。

もちろん割腹や開腹手術といったものではない。「割る」といいながら、腹筋についた贅肉を落として、各部位がはっきりして割れたように見えること。

現象である「雪解」を言う代わりに、溶けて現れた大地の姿である「雪間」「雪のひま」へ言及する俳句らしい行いだ。「腹筋割る」、季題っぽい。左右縦に三つずつにわかれたシックスパックは憧れの姿らしい。



同じ頃、にわかに話題となり始めた「丸」と言えば今年の大河ドラマ「真田丸」。

真田丸とは真田幸村が築いた大阪城の出城のこと、本丸、三の丸などの丸なのだが、これもまた季題っぽい。

「田」が日本の季節の移ろいの中心であることはもちろんのこと、代田、植田、青田、刈田、穭田の中に真田とおいてみれば、そのすわりの良さは一目。真田に晩年の名、「幸村」がつけば四字熟語の如く、「丸」と付けば、真田を擬人化したもの、佐保姫や龍田姫、炎帝、冬帝のような何かを思わせる。

真田氏といえば籠城。「籠」といえばもう…。俳句では、人々はさまざまな理由でよく籠る。精進で籠り、冬といって籠り、雪といって籠り、風邪といって籠り、煤をよけて籠り、大晦日といって籠る。

しかし、籠るというのは何なんだろう。能動的な屋内退避。この屋内退避というのも不思議な言葉で、屋内へ退避することというのは、内部へ入ることなので、それは退くことかといわれれば、なんだか少し違和感がある。

「籠る」ということにも、もともと内にいるべきものが外へ出ないという受動的な態度であるにもかかわらず、そこに能動性を認めるという倒錯が関係ありそうだ。

たとえば重ね着をして太って見えてしまう「着ぶくれ」、「立待月」「居待月」「臥待月」「寝待月」「更待月」などの「n待月」、「年守る」の壮大でありながらただ大晦日から元旦にかけて起きているというだけのつつましさ、「残る鴨」「残る雪」などの消えるはずのものが消えなかった事象、この何も起こしていない事象や時間をあらためて見出す習慣こそが、「籠城」を季題っぽくしている。「Stay tune」、チャンネルを変え…ない、つまりそういうことだ。

ところでこのドラマ、三谷幸喜の久々の脚本とキャスティングが期待された。

この場合はラグビーとは違って、私はストレートに主役の堺雅人のファンだ。ところで堺さんを主役にして、その役名をタイトルにヒットしたドラマに「半沢直樹」がある。

このドラマの中で半沢直樹がリベンジを決意するときに言う決め台詞「倍返しだ」のなかにある「倍返し」も実に季題っぽい。

まず、響きとしての「海蠃廻し」との類似がいい。

次には、何の倍なのか、語の中に曖昧な起点を含み、読者の理解に任せられている。たとえば「初日」「初雪」「初夏」はなにが「初」なのか、「上り簗」「下り簗」は何から上り下るのか、「うそ寒」「やや寒」は何に比べて「うそ」なのか「やや」なのか、「半夏生」「半仙戯」は何の半分なのかということ。季題っぽさもひとつではない、それもまた読者に委ねられるもの。

作品 山田耕司 誰だかわからない 14句

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作品14句
誰だかわからない
山田耕司














誰だかわからない  山田耕司

蓑虫よ靴は盃ではないとあれほど
両腿に挟まれてゐる顔の秋
虫かごをまたぐときの声だよそれは
朝顔やゆるしはないが耳を咬む
日輪にまつ毛は無くつても秋冷
秋の虹はたらけよいいから働けよ
暗きより出てその腕が菊人形
にんげんに育つて浮いて秋の岸
知命だもの穴まどひなどせぬつもり
腋に毛の剃るほども無く声の鹿
ゆく秋の口よりお湯が出るしくみ
お月見や脱ぐと誰だかわからない
んの字にしやがんで待つよ焼秋刀魚
手を握ろう団栗なんて捨てちやつてさ




作品 杉山久子 穴 14句

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作品20句

杉山久子














穴   杉山久子

もてあますものにモアイと赤い羽根
水洟や他の星の人おもふとき
穴といふ穴の凍れる日の来たり
オリオンやたたみてとがるオブラート
すれ違ふ蛍光色に着ぶくれて
足裏に懐炉かたまりつつ歩く
同時代生きてくれたる海鼠に酢
猫つつくための孫の手春を待つ
ささみ裂く指先白し春の雪
位牌置くトランクルーム鳥帰る
船酔ひののこるからだに蝶の影
朝寝してクリームパンのやうな人
恋猫と健康器具のごろごろす
うららかや賞状の筒トカゲ柄

作品 佐藤文香 遭ふ 20句

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作品20句
遭ふ
佐藤文香














遭ふ    佐藤文香

犬やはり息に寄り来る霜の晴
地に方位描かれてゐる林檎園
鳥やすむ近くの霧のうはずみの
つまさきかかと霧の尾を踏み尽くす
広島や呼気をしたがへ凩は
上着借りてまばらに白く夜の雲
夜警我ら音を南へ運ぶなり
すこし降る雨がダリアの枯れに遭ふ
荒星の赤きをこゑは伝へけり
舌下より涎の生まる冬銀河
夜の奥へ星の乱れてはりつきぬ
呼び声の枝にかかるも冬の湖
目のなかに念のかがやく雪野原
目が赤くなるこの冬を蝶がゆく
風花は空を剝がれてきて見える
ここであける手紙に雪がふれにくる
切株のまはりの木々や息白し
落葉踏む踏むそのなかの根の隆起
枯草の隙間を細く氷りけり
指させば彼方の見えて浦千鳥


ハイジ、ハイジに会いに行く 第3回 髙柳克弘 聞き手 高山れおな

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ハイジ、ハイジに会いに行く
第3回 髙柳克弘 
聞き手 高山れおな


















インタビューが行われたのは二〇一六年二月二十日のことなので、もう一年も前である。この間、髙柳氏にはお子さんが生まれたと聞いているし、さらに昨年五月には第二句集『寒林』(ふらんす堂)も刊行されている。

なかなか雑誌を出せずにいるうちに状況がいろいろ変ってしまったわけであるが、その点は目をつぶっていただくとして、なんで髙柳氏にインタビューをしようと思い立ったかと言えば文藝春秋の「文學界」に乗った一連の小説を読んで興味を引かれたからであった。すなわち、「文學界」二〇一五年四月号に「蓮根掘り」、五月号に「高きに登る」、七月号に「蟹」が載り、さらに十二月号にはもう一段の力作である「降る音」が出た。

氏の俳句はもう十数年来読んでいるわけだが、これらは俳人が書く小説として或る特徴を帯びているようでもあるし、特に最後の「降る音」は氏自身の来し方を踏まえていると思しい要素も見えて殊更面白く読めた。



――「文學界」からはどういう形で話があったのでしょうか。

髙柳 「文蓺春秋」本誌の巻頭に短歌と俳句と自由詩が載るコーナーがありますが、あれの俳句欄に依頼が来たのがきっかけでした。その時に担当して下さった編集の方が僕と同世代で結構やり取りするようになって、震災が起こった後で、震災の跡地をめぐる紀行文を書いたんですね。

――「文藝春秋」二〇一一年八月号に出た「崩れし『おくのほそ道』をゆく」ですね。

髙柳 そうです。それで小説も書いてみないかということになって、その方を通して「文學界」の編集者を紹介してもらったのが出発点です。

もともと物語は好きで、中学生の時に絵本の賞を獲って単行本にしていただいたことがあって、その記憶がどっかにあったと思うんですけどね。大学もロシア文学に行ってましたし、小説自体は読むのも好きだったんですけど。

――そもそも俳句ではなく小説を書こうと思ってたということはないんですか?

髙柳 ちょっとありましたね。しかし大学に入っていよいよやろうかなと思っても、ドストエフスキーとか読んでるとやっぱり圧倒されちゃうんですよね。あれの前で自分はもう何も書くことはないなという気持ちになっちゃって。で、俳句の方に大学時代は行ったという。

でもせっかくそういうお声がかかったんで、また気持ちを奮い起して小説を書くことをしたんですけど、最初はあまりうまくゆかなくてですね、ここ一年で四本載せて貰ったんですけど、じつは二、三年前から着手してまして、結構没も食らってます。

最初は大学生とか高校生を主人公にした青春物を書いていたのですがそれはあまり通らなくて、ちょっとやり方を変えてみようと、「蓮根掘り」というタイトルのほんと短いものなんですけど奇譚風のものを書いたらまあいいだろうということになって載ったんです。これがほんとに冬にたまたま「鷹」の茨城支部の吟行会があって、そこに招かれて行って。

――じゃあ、関悦史が住んでいるあたりですね。

髙柳 そうですそうです。土浦の霞ケ浦のあたりでしたね。蓮田がほんとに広がっているところで。小説が没食らいまくってくさくさしてましたから、もうヤケクソみたいな感じで、これをネタに書いてダメだったら止めようかくらいな感じでした。

――そうだったんだ。

髙柳 そうだったんですけど、とりあえずこれで首の皮が繋がりました。他愛ないもので今から読むと恥ずかしいものなんですけど。

蓮根堀り(あらすじ)
大学の冬休みの間、「この浦」でわかさぎ釣りをするのが習いになっていた「僕」は、ある朝、蓮田の泥の中から人の首が突き出ているのに気づく。男を泥の中から引き抜いてやった僕は、言われるがまま彼の家に立ち寄る。
それは蓮根を売った財で建てられた蓮御殿で、沓脱石の上には猫よりも大きいムジナがいた。僕は、おばあさん、おばあさんの妹、お手伝いさんからなる家族に迎えられ、釣果であるわかさぎは揚げ物にされることになった。わかさぎが揚がるまで、客間で向き合った僕と男はちぐはぐな会話を重ねる。
ふと、庭でムジナが動くのに気づいた僕が視線を戻すと男が消えていた……。

――それこそ、髙柳さんのご出身の浜松の有名な私小説家、藤枝静男を思わせるような。

髙柳 藤枝静男の影響ではないんですけど、なんとか載せなきゃいけないんで、モノを使おうかなというのはあったと思います。

――載ったのは4本ですけど、だんだん長くなっていくし、だんだん本格的な小説になっていく印象はあります。なにか摑めた感じはありますか?

髙柳 まだ全然摑めてないとは思うんですけど、小説といえば青春物みたいな先入観が無くなったのはよかったのかなという感じですかね。

――でも、ドストエフスキーを読んでたわけだから、小説といえば青春でもないと思うけど。

髙柳 『罪と罰』のラスコーリニコフとか、ああいう青年の文学が小説なのかなという思い込みがどっかにあったんだと思いますね。『カラマーゾフの兄弟』でも、イワンの主張とかに引かれてたので。だいたい小説というと青年が挫折をして一皮むけるみたいなのが本道なのかなと、でもそれがあんまり向いてなかったのかなと。

――この「蓮根掘り」と「高きに登る」と「蟹」の3作は短めの、いわゆる奇譚ですよね。だけど「降る音」になるとがらっと変わって私小説的な要素も強まってますね。

髙柳 せっかく俳人が書くものなので旅文学をやってみたいなと思って書いたのが「降る音」なんです。それも物理的な旅だけじゃなくて時間的な旅も入ってくると深くなるかなと思っていたら、だんだん私小説っぽくなってきた感じですね。

たまたまこれにとりかかっていた時、ご存じかどうか知りませんけど、澤田和弥君が亡くなってしまったので、彼のこともどこかに書き残したかったというのもありましたね。

降る音(あらすじ)
若手俳人の茅野(かやの)は、2014年の年明け、出版社から伊勢参りの紀行文の注文を受ける。前年に式年遷宮があり、今年が「おかげ年」にあたることから立てられた企画だった。
車を使うのが好適と思われたが、茅野は運転免許を持っていない。そこで運転手を買って出たのが、1年程前から押しかけ弟子になっていた梅木だった。箱根に泊まり、三島から沼津へとたどる旅は、だんだん茅野の故郷である浜松に近づいてゆく。
梅雨晴れ間の旅の情景の合間に、1年半程前の恋人・武子との別れや、その頃自殺した高校大学時代の友人・柿田をめぐる回想がさしはさまれる。

――この梅木と柿田に、澤田さんのいろんな面が分裂して配分されているのかなと思ったのですが。

髙柳 もちろんそのままじゃないんですけど、確かに分裂させて書いてると思います。主人公の茅野という名前は、私の苗字に柳という字が入ってるんで、同じく靡く植物で茅を出してきたんですが。れおなさんは澤田君には会ったことありますか?

――佐藤文香の第二句集が出た時にお祝いの会があったでしょう、そこで。初対面だったんですけど、いきなりにこにこ近寄って来て握手を求められました。

髙柳 ちょっと変わった奴でしてね。僕とは高校が同じで、進学したのがやはり同じ早稲田でした。同級生で他に早稲田に行った人がいなかったので、1年生の頃は結構接点があったんですけどね。

――俳句は、彼の方が髙柳さんを誘ったというふうにも聞いたんですけど。

髙柳 そうなんですよ。もともと高校まで僕は寺山修司ってノーマークだったんですけど、面白いから読めと澤田に勧められました。競馬のエッセイとかいいぞということで教えて貰って。寺山って若い頃に俳句と短歌を作っていたんで、それもあって大学では俳句やろうぜみたいな感じで誘われました。で、俳句研究会に行ったら津久井(健之)さんとか村上(鞆彦)さんとか日下野由季さんとかが居て。

――そこに髙柳さんが加わったらなかなか豪華ですね。

髙柳 でも、僕はあんまり、澤田君ほどはハマらなかったんですけどね、入ったばっかの時には。

――澤田さんはそうとうハマってた?

髙柳 そうとうハマってましたね。

――『革命前夜』(澤田和弥句集 2013年刊)にもその頃の句は入ってるんですか、少しは?

髙柳 入ってますね。『革命前夜』を出す時、いちおう事前に原稿を見せてもらってたんですよ、見てくれないかということで。初稿はすごい下ネタが多くて。下ネタ別に嫌いじゃないんですけど、なんか俳句になってない下ネタというのかな。それは止めろということで、その時はちょっと厳しく言いました。

もともと研究会に入った時からそういう傾向はあったんですけどね。女の子がいるじゃないですか、サークルの中に。その子が読んでキャアとかっていうのが楽しいみたいなところがあって。

――村上さんはその頃からあの調子ですか?

髙柳 基本的に澤田がちょっと変わってただけで、大学の俳句サークルとしてはかなり古典臭というのかな、伝統的な俳句を芸としてやろうというムードの方が強かったと思いますね。村上さんがいたからというのもありますけど。

――若い人たちの中に、あれぐらい上手い人がいると影響されるでしょうね。

髙柳 はい、かなりみんな影響されてたんじゃないかなと。

――でも、髙柳さんはなんで「南風」に行かなかったの?

髙柳 いや、今に至るまで村上さんとは志向が合うというわけじゃないんですよ。私は飯田龍太派で、向こうが森澄雄派で、いつも言い争ってました。

――そうなんですか。村上さんはスタイルは古典的に端正ですけど、森澄雄みたいに古典を踏まえるみたいなことはあまりないように思うのですが、それは僕の読み過ごしかしら。

髙柳 澄雄はもろに踏まえますよね、芭蕉とかね。でもなんか憧れてました、村上さんは。そういう雰囲気の中で、村上路線じゃないところを目指そうという気持ちはありました。早稲田の校風なのかな。れおなさんも早稲田でいらっしゃるけど。

――でも早稲田で俳句やってたわけじゃないですから、大学の頃から書いてはいましたけど。

髙柳 ちょっと反抗精神があるんじゃないんですか。慶応のサークルとも交流してたんですけど、ほとんどホトトギス系で、本井(英)さんの「夏潮」とか「惜春」とか「若葉」とか、だいたい学生もそれらの結社に入っていくんですけど、早稲田はみんなばらばらでしたね。

――指導する俳人というのはいなかったんですか。「降る音」では、郵政省の役人をやっている俳人が指導に来てるというふうに書いてあったけど。

髙柳 あれはフィクションですね。いちおう「海」の主宰の高橋悦男さんが月に1回来てはいました。高橋さんは早稲田の社学の英語の先生でしたけど、みんなあんまり言うこと聞いてなかったですね。ほんとにばらばらで、そこはちょっと慶応との違いなのかなと。

まあそうした澤田との大学の思い出をそう詳しく書くつもりじゃなくて、基本的には『東海道中膝栗毛』みたいな道中記を楽しく書ければと思っていたんですが。

――伊勢神宮のレポートを書くための取材旅行というのはフィクションですよね。文藝春秋に東北の方で紀行文を頼まれた経験を踏まえてるんでしょうけど。

髙柳 それは一応踏まえつつも、自分で四日市とかまでは行って来て、取材旅行みたいなのはしてます。ただ、それは個人的なものでしたけど。

――「降る音」の中で、自殺の名所のK岬で迷子を拾って云々といったあたりは、「野ざらし紀行」から来てるんでしょ?

髙柳 そうです。さすが見抜いて下さって。

――梅木が女絡みで脇道にそれて、茅野と別行動をとるのは、「奥のほそ道」の最後で曾良と別れるあたりを重ねてるんでしょうけど。

髙柳 梅木の元恋人の家でのエピソードは、「野ざらし紀行」の最後に芭蕉がお母さんの遺髪に泪した場面から来ているというふうに、芭蕉の紀行文をいろいろ織り交ぜてるんですが。

――なるほどねと思いつつ読んだんですけど、でもなかなか普通の小説の読者は分からないでしょう? そこは痛し痒しだよね。

髙柳 そこはもし分かってくれたら嬉しいけど、分からなければそれはそれでという。

――ということでしょうね。

髙柳 俳人の書く散文というのは、旅文学か庵文学かどっちかなんですよね。庵文学というのは「幻住庵の記」みたいなもののことですけど。自分としては両方書きたいなというのがあって、まずは旅文学からやってみたということです。

――そういう仕掛けもありつつ、澤田さんのことも書いてるし、自分のこともいろいろ変化させながら書いているということでしょうか。

この主人公の茅野というのは、観察至上主義というか写生主義者として描かれてるんですが、その辺はご自分のナマな思いなんですか?

髙柳 いや、自分は結構、叙情派かなと思っていて、かなり情が入ってくるタイプだと思ってるんですけど。

――ただ今回、句集以後(『未踏』以後)の句を「鷹」のバックナンバーで確認したんだけど、それこそ村上さんと比べると彼の情の出し方のほうが分かりやすくはありますね。自意識の翳りみたいなのを即物的な表現に乗せるのがすごく上手いじゃないですか。

そこへいくと髙柳さんの句集以後で僕が一番感心したのは、〈ビルデイングごとに組織や日の盛〉という句で、それに限らず、情というよりは認識を語ってるタイプの句がいいなと思ったんですけど。

髙柳 それは自己評価としては思ってなかったですね。茅野と自分の俳句観は全く違うということで書いたつもりなんですが。

――せっかく芭蕉も踏まえた紀行文になっているわけだから、ここに俳句が出せるといいんでしょうけど、そこはなかなか大変なんでしょうね?

髙柳 そうなんですよ。ほんとは入れたかったんですけど、実際に入れるとなにか濁るんですよね。これまで没になった原稿の中には、結構もろに俳句を挟んだものもあったんです。でもそうするとそれが目立って、俳句の方が勝ってしまって物語の方が負けちゃってるというような、編集からの評を貰ったりもしました。

「降る音」でも、茅野が作った句とか、あるいは周りの梅木や柿田なんかが作った句を入れられれば、それはそれで面白かったんでしょうけど、そこにハマる句が出来なかったし、流れの中にうまく入れられなかった。散文と俳句の照応は夢ではありますけど今回はまだ出来なかった。

――「蟹」の方にはトランプの句を洒落た感じで埋め込んでありましたが。

髙柳 あれは遊びですよ。完全にいたずらみたいなものです。

(あらすじ)
詩人のMは、3年前、無数の蟹の襲撃によって壊滅した島にやってきた。復興予算の余りで画家や作曲家やカメラマン、小説家が島に派遣され、復興を記録したり励ましたりする作品を作ったが、さらにその残金で呼ばれたのがMだった。Mの任務は、島の高台に建てる予定の記念碑に刻む詩を書くこと。Mを《復興委員会》に推薦したのは蟹の島の近くの島で高校の理科教師をしている旧友の宝だった。
与えられた一か月の取材期間中に島で起こる出来事が描かれるが、そこにMが昔、宝のために宿題の俳句を代作して「揚羽蝶をつまんだら、トランプみたいだっていう」句を作った思い出話が出てくる。

――ここはこういう形で俳句を取り込んだのかと思って読みましたけど。

髙柳 小説は小説でほんとに奥が深くて、まだ何年もかかりそうな感じがします。散文と韻文って結構垣根があるというか、散文書く人は散文だけだし、韻文書く人は韻文だけですよね。

どちらかというと韻文の人の方が保守的なところがあって、文章を書く人は俳句が駄目になるとか言われるじゃないですか。だから小説なんか書き始めて俳句が駄目になるぞみたいなことを言われるかなと思ったし、自分でもそうなる危険性もあるかなと思ってたんですけど、今のところ俳句が作りづらくなったとか、あるいは逆に小説の方が書けなくなったということもなく、いちおう自分の中では同居しているので、今の形でこのままやっていければなと。

言いませんか、エッセイとか書いてる人は俳句が鈍るって。

――「鷹」ではよく言うんですか?

髙柳 龍太が結構そういうことを言われて、でも自分は文章の方も頑張ったんだって書いてるんです。龍太ってエッセイも面白いじゃないですか。でも結構それを周りに言われて大変だったこともあるようです。

――それは批評も含めてそういうことを言うのですか?

髙柳 だと思いますね。

――でも歴史的にトップの俳人は大抵文章もたくさん書いてますよね。だいたい虚子は小説家なわけですから。

髙柳 そうなんですよ。自然なことかなと思ってたんですけど、龍太がそう言ってるんです。長谷川櫂君もそれで苦労しているようだ、みたいな感じで書いてました。

――そういうことを詰まらない人が言った例もあるのかも知れないですけど、それが一般的な世論としてあるとは思えないけどなあ。龍太が嘘ついているか、あるいは被害者意識、被害妄想ということもあるかも知れない。基本的には頭のいい人の方が俳句も文章も上手なんですから、それはパラレルの関係になるわけでしょう。

髙柳 パラレルが常識だと思うんですけどね。ともかく文章も磨きたいなという思いはあったんで、ほんとに良い機会を与えていただいたいてます。

――僕は文芸の方の編集はやったことがないのですが、結構細かい具体的なことまで言われるのですか?

髙柳 そんなには言われないですね、思ったよりも。でもやっぱり私が俳人だからか、結構端折って書くことが多いので、その端折ってる部分を書いて下さいと言われることはありますね。

――そうね。例えば「蟹」でも、あの女子高生と寝る場面、あそこは…。

髙柳 あそこはちょっと叩かれたんですけど。

――あそこをしっかり書くのが小説だろうとは思いましたけどね。

髙柳 ちょっとね、恥ずかしくて飛ばしちゃったんです、もう分って下さいみたいに。読者に対する甘えですよね。

――甘えとは言わないけど、この辺はまだ練れてない部分かなとはあれを読んだ時には思いました。(註……ただし、今回再読したところ、この場合の省筆はむしろ妥当かと印象が変わりました)

髙柳 いや、恥ずかしいなあ。ああいうところがまだ足りてないかなと思います。でも、でもやっぱり文章を書くにしても俳句を作るにしても、クリシェを避ける、決まり文句を避けるとか、自分の文体を作るとかっていう点では同じだし。

――文体という点ではどうですか。季語をやたら意識した文章になっているなというのは印象としてあるのですが。

髙柳 私もいろいろ考えちゃう方なので、俳人が書くものだから季語を入れた方がいいよなみたいな。

――「文學界」の人はなんと仰ってるのでしょう。要するに俳句をやってる人間だとあっまた季語だって分かるし、こだわりすぎではと感じられる場合もあれば、普通の散文の人、小説家では出来ない光の当て方をしてるなと思う場合もありケースバイケースですけど、俳句やってない人はそもそも季語という意識は無いわけじゃないですか。

髙柳 まあそうなんですけど、いちおう自然を取り上げるというのは意識してますね。例えばさっき家の前に赤い花があったのを、カメラマンの方は赤い花がと言ってましたけれど、赤い花が咲いていたと書くのは抵抗あるんです。やはり木瓜の花が咲いていたと書きたい。だから自ずと季語が増えてくるところはあるでしょう。

あとは単純に俳人が書いた小説という看板を掲げる以上は、サービス精神じゃないですけど、そうやった方がいいのかなとも思いまして。

――そういうことかなとは思いつつ按配は難しいところではありますよね。例えば、谷崎の「吉野葛」とかは驚く程すぐれた自然描写がありますが、でもよくよく読むと案外アバウトだったりもします。

髙柳 「吉野葛」は素晴らしいですよね。私も感動しました。それこそ俳人が読んだら感動するでしょう。素晴らしいですよ、川の描写とか。

――「吉野葛」じゃないんですけど、最近、「蓼食ふ虫」でヒロインが朝食を摂るシーンを写真にしようとしたんですが、じつは描写がすごく曖昧なんですよ。写真とか絵というのは道具立てから何から全部を具体的に決めていかなくてはいけないわけですが、そういう意味では全然細かく書かれていない。

髙柳 そういう曖昧さですね。具象性。

――具象性。単に文章として読んでる時は全然過不足なく了解できるんだけど、いざそれを具体的な絵に落としこもうとするとたちまち曖昧になる。写真で言うとソフトフォーカスというか、決して全体にがちがちにシャープネスを合わせている文章というわけではないんです。

髙柳 確かにそうなんです。僕自身、ちょっと写実主義というかリアリズムに拘っているのかなというのはありますね。4Kのテレビでパシッと映すような映像じゃなくて、朦朧体とまではいかなくてももっとぼかすというのがほんとは小説の文体としては魅力的なのかも知れない。でもちょっとそこにまだ至れないので、とりあえず現実を生々しく感じさせられたらなと思っています。

――まさに描写がしっかりしているという意味のことを、新聞の文芸時評で田中和生さんが書いてましたね。

髙柳 でもそれはごく素朴な近代主義なので、ほんとにここからという感じですよね。奇譚を書いてるから、リアルを忘れないようにということでバランス取ってるところもあるんですけど、谷崎の「吉野葛」なんかは現実を、ちゃんと記録的な感じで書いてるんですけど幻想性がありますものね。

――蓮實重彦が「吉野葛」について書いてるんですが、時間設定とかがおかしいというか、どこの時点から何を見ているかがよくわからないというか、論理的には説明できないような微妙な書き方がいっぱいあると指摘してました。それも計算づくというのではなくて、一種の呼吸みたいなものだと思うんですけどね。

髙柳 あれは計算して書いては出来ないでしょうね。僕は逆に計算しちゃってるので、バランスを取ろうと思ってこうなってるのかなと思いますね。

――それはもう数を書くしかないでしょう。

髙柳 それはそうだと思います。僕は、文体で言えば大江が好きなので、大江っぽい文体になっちゃってるのかもしれません、リアリズムとか比喩表現の多さといったあたりは。もちろん全然及んではいないんですけど。

――やっぱり比喩表現は意識的に多めに入れてる感じですか。直喩が目立ちますね。

髙柳 多めだと思います。好きなものですから。

――それも、4作の中で見てもだんだんうまくなってるというか、こなれていっている感じがします。例えば2作目「高きに登る」の〈若者の血潮のように赤い花が、溌剌と群れ咲いている。〉というのはいかがなものかと思ったんだけど。

髙柳 大江の真似して失敗したみたいでちょっと恥ずかしいな。

――でも「蟹」になると〈ケーキ皿からケーキが消えて、アルミの皿が後に残るように、島はからっぽになったのだ。〉という具合にだいぶ洗練されてます。

高きに登る(あらすじ)
明治初期の特異な俳人・蟇目沙中土(ひきめさちゅうど)を研究する「僕」は、沙中土に興味を持つ編集者の「筥崎さん」と共に、文学研究者仲間のハイキング登山に参加した。駅の売店で、弟が就職した郷里の食品メーカーが製造した「鯖棒寿司」を見つけた僕はそれを購入し、「こんな山の駅でも売ってたぞ!」と弟に携帯メールを送る。
やがて山に馴れた一行から遅れた僕は、空腹を覚えて棒鯖寿司を食べたが、その直後、両手の爪の先が「濁った金色」に染まっているのに気づく。変色は徐々に広がり、自分が鯖になりつつあるのを悟った僕は、水で洗い落すことに望みをかけて水音のする方へ向かう。滝にたどりついた僕は、そこにいた男から一緒に滝行をしないかと誘われ、滝に入ってゆく。

――どうですか、「降る音」となるとかなり長いし、普通の意味で書く苦しさはあったでしょうけど、澤田君のこととか私小説的要素を盛り込むことの楽しさ苦しさみたいなものもあったでしょうね。

髙柳 実際の人物をモデルにするわけですから、確かに周りの例えばご親族とか澤田君の他の友達なんかはよく思わないだろうなとも思いつつ、しかしあまり倫理や道徳に縛られてもいけないなみたいな気持ちもあって、でもやっぱりそれは苦しみでもありますよね。

今まで自分自身のことを俳句でそんなに出してこなかったところがあるので、今回の茅野はあくまで作った人物ではあるんですけど、自分の俳人としての生活とか、今まで言わなかったような本音の部分も結構書いてしまっているので、その気恥ずかしさみたいなものもあったし。苦しみはそこかな。

でも基本的には楽しかったです。自分が今まで書いたことのないものを書くという単純な開墾する楽しさがあったし、自分が俳句を始めるに至った経緯とかを自分の記録としてある程度は書けたかなという手応えもあります。そういう意味では楽しかったというか良かったと思いますね。

もちろん課題もあって、今までの話にも出てきましたけど、旅文学として時間を取り込もうとしながらも、その時間の射程がまだまだ小さかった。ちらっと江戸時代のお伊勢参りのことが出てはきますけど、もっと時間を遡って東海道を行き来したいにしえの旅人とかを絡められたらよかったのにと思いました。いずれはそういう時間の旅文学というのをもっと掘り下げたい。

――どんどん書いてこなれてくれば、現在と過去を入れ子にしたりとかいろんなことができるでしょうね。

髙柳 そうなんですよ。そこら辺のテックニックをまだまだ身に付けないですね。

――でも、「高きに登る」にはすでに、放哉と井月をこき交ぜたような、蟇目沙中土という俳人も登場してますね。

髙柳 変な名前ですけどね。

――架空の過去の俳人を作り出そうとしてるんですけど、こういうのだって俳句そのものが入れられるとすごく面白くなりますよね。

髙柳 そうですよね、確かに。だから、芭蕉ないし芭蕉的人物を出して、現代小説なんだけど過去の時代の折々の意識なんかも織り込めたらなというところはあるんです。それが課題ですかね。

――俳句の方は順調ですか。「降る音」の茅野は、ハケン俳人が登場してから俳句が不調になったという設定ですが、髙柳さん自身はそんなことはないわけですね。

髙柳 あんまり不調とか、そういうことは感じてないですね。

――不調と言ったら私は不調の権威ですから。全然作ってないですから。もともとたまに気が向くと作るだけでしたけど。

髙柳 私は自分で作りたいというよりは外圧で作る方なので、小説もそうなんですけど、書いてみませんと言われたら書くし。俳句も結社に属していると毎月〆切りがあるし、雑誌なんかの依頼もあるので。そうしてると不調というのはあまりないですね。

――私は毎月の〆切りという作り方をしてこなかったので。

髙柳 自分は結構焦りがあって、三十五歳になったんですけど、今書けるだけ書いておかなきゃまずいぞっていう、常になんかそういう意識があるんですよ。いつか書けなくなるんじゃないかという意識が。別に不調というわけじゃないんですけど、今書けてても明日には書けないかも知れないしという強迫観念みたいなものをずっと持っていて、不調と言って書かないと後からもっと後悔するかなあという。なんかわけも無い、昔からの癖なんですけどね。

とにかく、自分としては「降る音」を一つの足掛かりにして、俳文じゃないですけど俳人が書く小説といった意識で書いていきたいなというのはあります。次は現代の庵文学みたいなものが書きたいですね。



髙柳克弘五十句 高山れおな選

第一句集『未踏』(二〇〇九年 ふらんす堂)より
ことごとく未踏なりけり冬の星
やはらかくなりて噴水了りけり
名曲に名作に夏痩せにけり
満目の枯みづうみに水輪なし
何仰ぎをるやおでん屋出でしひと
つまみたる夏蝶トランプの厚さ
うみどりのみなましろなる帰省かな
晩夏なり地に膝つきてエレキギター
秋の暮歯車無数にてしづか
ストローの向き変はりたる春の風
キューピーの翼小さしみなみかぜ
蜘蛛の囲の端やポピーをひつぱれる
かよふものなき一対の冬木かな
枯原の蛇口ひねれば生きてをり
秋冷や猫のあくびに牙さやか
はばたきに鳥籠揺るる愁思かな
秋蝶やアリスはふつとゐなくなる
焼薯屋進むあやふきまで傾ぎ
口中に薄荷の冷やかたつむり
まつしろに花のごとくに蛆湧ける
鳥渡るこんなところに洋服屋
刈田ゆく列車の中の赤子かな
缶詰の蓋に油や冬の滝
絵の中のひとはみな死者夏館
洋梨とタイプライター日が昇る

第二句集『寒林』(二〇一六年 ふらんす堂)より
浜草履いんちきくさき色したる
吾に手紙落とす鳥来よ秋の昼
歳晩や次の人打つ酒場の扉
眠られぬこどもの数よ春の星
人は鳥に生まれかはりて柿の空
いのちなき影が鶏頭とほり過ぐ
ぼーつとしてゐる女がブーツ履く間
バス発ちて寒き夜景に加はれる
  災害の地にて
瓦礫の石抛る瓦礫に当たるのみ
サンダルをさがすたましひ名取川
月とペンそして一羽の鸚鵡あれば
藻を踏みて蝦のあゆめる秋日かな
もう去らぬ女となりて葱刻む
川暑しあれこれ草に引つかかり
ぶらんこに置く身世界は棘だらけ
愚かなるテレビの光梅雨の家
ぺらぺらの団扇を配る男かな
冷房に黒き想念湧きやまず
見る我に気づかぬ彼ら西瓜割
ビルディングごとに組織や日の盛
見てゐたり黴を殺してゐる泡を
寒鯉のしづけさは子にうつりけり
すぐ忘る噴水にゐし人のかほ
この世から消えたく団扇ぱたぱたと
新幹線キーンと通る墓洗ふ

作品 手がきれい 上田信治 20句

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作品20句
手がきれい
上田信治 














手がきれい  上田信治

影がもう秋で干されてビニル傘
夜の海フォークの梨を口へかな
冷やかや口で感じるものは味
カンナ咲く小学校の長さかな
鯊の秋チョコレート色ばかりなり
秋晴のふと目をさます鸚鵡かな
菊咲けよ小学生は手がきれい
秋汐の小石の浜にうねる岩
落花生割つてこれから献血など
渡される紙にりんごと書いてある
額入りの仔牛の写真花八つ手
葱になる白から青へ生えてきて
トラックが船に似て冬あたたかし
さいきんは夕方のこの冬の道
石蕗の花縦ブラインドやや乱れ
歯が寒い冬たんぽぽを見つけたり
西口のひかり重なり冬のバス
温室でうつそりと出す長財布
そろそろ行かうか冬の漁港は置いたまま
看板が冬日に光つてゐて読めない


作品 依光陽子 踏襲 20句

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作品20句
踏襲
依光陽子 














踏襲  依光陽子

むかうにも我ゐて春の泥を踏む
これは詩ではなくてブルーズ夏の薊
鳥に応ふる草笛や手にはなし
らんちうやとてもかなしい人であつて
六月やまた手のひらに戻る桃
蟬時雨白き樹液が焼けてゐる
葛咲くや背を通りたる川昏く
菩提子を木喰仏と見る揺れる
歩くこと蝶にもありて秋日和
その模様負うて胡蝶といふべしや
桃と思うて握つてをれば李なり
松手入松に見られてゐながらに
何年も何人も来て松手入
その奥の木瓜は実となり詫びてをり
鉦叩鳴らずの鉦もそのあたり
蛇瓜は丹で緑青の雨を曳く
花つけてゐる数珠玉は唄ひけり
臘月の日にあらはれし蚊それから
年詰まる桜の太きこの町に
木の葉いま水の音して燃えはじむ





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