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作品 餅 関 悦史 14句

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作品14句

関 悦史 














餅  関 悦史

ワクワクテカテカ膨れゆく餅の九相かな
餅膨れはじめはケイ素生物的
焼餅のひとつにバリバリと名付く
焼餅のひとつはベリベリとも名乗る
わが四苦の隣に餅の膨れけり
焼餅の舞踏四体網の上
餅四つ焼きぬ一体燃えあがる
焼餅やこんなに膨れちゃつたと恥ぢ
餅膨れ風呂にて唸る美姫の如し
非BLの焼餅白う二個くつつき
餅焼けつつ美童の精通など真似をり
餅焼くるや反重力を宿しつつ
餅焼けて食はるるときは一体ずつ
腹中に入り焼餅のぴよぴよ鳴く



伝書鳩3 杉山久子×佐藤文香

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伝書鳩
杉山久子×佐藤文香による往復書簡
第3回





久子さま

句集『泉』をありがとうございました! おもろかったです。ふらんす堂のシリーズの綺麗系な装幀なのがもったいないくらい「おもろい」と思いました(これ、褒め言葉のつもりで言ってます)。

上手なイイ句については、もう他の方がたくさんお書きでしょうから、わたしは『泉』おもろイイ十句を挙げますね。

星涼しトナカイの肉切り分けて
  捨てられしバナナの皮と本の帯
  人悼む白シャツにかすかなフリル

「トナカイ」が肉として食べられること、ゴミ箱のなかではバナナの皮と同列な「本の帯」、礼服の「フリル」。これらは、本来はどちらかといえば「素敵」な素材なのですが、あれれっと思うタイミングについて書かれているのがおもしろい。

秋の日に静止画像のごとくゐる
  露の世にボーカロイドのうたふ愛

動画を停止させたときみたいな妙な姿勢で、今「ゐる」と、客観的に自分の姿を認識している。シンプルでありながら、現代的な句だなと思いました。現代的といえば、あの高いピーっとした切ない声、「露の世」感ハンパない。今せっかくなんで「SPiCa」ってボカロ名曲聴いてるんですけど(@荻窪のスタバ。もちろんイヤフォンで)

ため息で 落ち込んでいた午後
   想うだけ 君の名を一人つぶやくわ
   あさはかな愛じゃ 届かないよね
   会いたくて ピアノ奏でた音
   苦しくて 溢れ出す
   余韻嫋々 君に届け
        (作詞:kentax vs とくP 作・編曲:とくP)

余韻嫋嫋って・・・・・・ちょっと感動していたら、隣の人が盛大にスターバックスラテ(ホット)をぶちまけて、店員さんが拭きに来て、恥ずかしかったので、一旦パソコンを閉じました。

  いにしへのパンクロックや月見草

これは、パンクロックというものの古い時代の曲を指すのか、それとも縄文時代におけるパンクロック的なものなのか(笑)。わたしは、銛を振り回しながら毛皮の人たちが火のまわりで歌うのを想像したので、後者であってほしいです。月見草が凛としてる(笑)。

  たよりなきファンひとりゐる冷奴

もちろん久子ファンのことですよね? でも、一人じゃなくて何人か思い浮かびますよ、俳句系中年男性。ま、そうじゃなかったとしても、たよりないファンが一人しかいないような人というのは存在として哀れなわけで、おかずとしても大変心許ない冷奴みたいな奴なのでしょう。

  珈琲におぼるゝ蟻の光かな

いやいや、かわいそうやし、蟻入ったらあかんし! あぁあ、その珈琲もう飲めへんし、久子さん見とらんと、どうにかし・・・・・・「蟻の光」とかカッコイイこと言ってる場合ちゃいますやん! なぜか関西弁で突っ込み。

  入金をたしかめてゐる生身魂

いますよねー、ATM。店の人に後ろから教えてもらってるから遅いんですよね。だいたいこういうときに限って小さい店舗で、機械が二台とかしかない。列に並んでると、その人のことばっかり見てしまう。こういう人が振り込め詐欺にひっかかるんじゃないかと不安に思ったりする。季語「生身魂」が最高ですね。「入金をたしかめてゐるおぢいさん」では、ここまでの味わいが出ない。もしかしたら、ATMが次の世につながってるかもしれません。

ここまでで九句紹介しました。「フリル」の句は句またがりですけど、すべてバッチリ十七音、有季定型。それがいいんだと思います。

人を笑わすときに自分が笑ったらいけない、笑わそうという意図が少しでも感じられたらいけない、なんなら真面目に言ってるつもりの人こそが、人を爆笑させられる。

有季定型というのは、その「真面目」ぶりなわけですから、そんなちゃんとした俳句から久子さんらしさ(「伝書鳩」は久子さんが面白いと評判)が滲み出てしまったときに最も輝くのです。そして、一番笑ったのは次の句。

  セーターの毛玉を取れと神の声

「神の声」て! 友達でも親でも自分でもない「神」。この声を聞いてしまったときの久子さん、もしかすると静止画像のごとし、かも。もさもさになったセーター着てる久子さん。もうなんて言えばいいのか。久子音頭? 最高ですよ。
てなわけで、「そんなつもりじゃない!」や句集裏話など、ございましたらぜひ。

文香



文香さま

『泉』の評をありがとうございました。大笑いしながら読みました。文香ちゃんが取り上げてくれた句はほとんどが句集の中ではマイナーだけど、自分では気に入っているもので嬉しかったです。

「珈琲におぼるゝ蟻」実際は紅茶に溺れていたような気もするけれど(どうでもいい情報)、勿論眺めた後は助け出し、飲みました。蟻くらいなら大丈夫なのよ。カメムシとかオタマジャクシとかだったら飲まない。

「いにしへのパンクロック」はいまだかつて誰にも取り上げてもらってないけれど、自分では「月見草がいい仕事してるわ」と思っていたので特別嬉しいです。

最初は古い時代のパンク曲の意味で作ったのだけれど、だんだんもっと古い時代の、出始めたころは衝撃的だったのに中途半端に時間が経って居心地悪くなってしまったもののイメージも自分で重ね合わせるようになってきました。わたしの「いにしへ」はせいぜい平安時代くらいまでですね。縄文時代まで遡ったのにはびっくり、大受け。

「神の声」、私にはこれくらいの啓示をくれる神様がいいかなと思ってます。あまり恐いこと言われても困るので。

毛玉の事を考える時、よく思い出すのが皇室の方々のこと。

いや、逆でした。冬に皇室の方々をテレビで見ると、つい毛玉の事を考えてしまうのです。この人たちは毛玉を見たことあるのかな? と。あるかもしれないけれど、毛玉のついたコートとかセーターを着ることはないだろうなと。別に普通のセレブの洋服沢山持っている人でもそうかもしれないけれど。あ~、毛玉って枝毛と一緒で取れば取るほど気になりだしてキリがないんだよね。

…て、またどうでもいい話に。

でもこの書簡は基本どうでもいい話で進んでゆくのであった、と気を取り直して。

今回の句稿を送った後気づいたのですが、前回

  筍とタウンページをもてあます

という句を出していたのをすっかり忘れていて、また今回「もてあます」句を出してしまっていた。内容は違うけれど同じ発想。入れ替えを頼むのもご迷惑だろうと思い、こうなったら「もてあますシリーズ」で色々作ってしまえと思い(乱暴な!)、そのままにしました。

「クプラス2号」を読んで下さったある女性の俳人の方から「伝書鳩」への感想をいただきました。

「パソコンゲームの話題には思わずうなづいてしまいました。私の気に入りはウィンドウズ本体ではなく無料のパズルサイトで「ケーキソリティア」というものです。とても可愛く一度解けてもしばらくすると忘れてしまい又楽しめるというもので密かにお勧めです」

一度解けてもしばらくすると忘れてしまうという一文に痺れ、これはやらねば!と探してみたのですが上手くいかず、イラッと来たので、昔やっていたフリーセルでもするかとあちこちのサイトをめくってみるも、私が知る過去のフリーセルと違う。カードがめくれていないではないか。益々イラッとしたまま時間だけが過ぎてゆくのであった。こんなことしてる暇はないのに。

…というように、気づけば私がもてあましているのは、筍よりもタウンページよりもモアイよりも赤い羽根よりも何よりも、そう、この私自身なのでした。

  もてあます恋猫ぶらさがり健康器 久子

文香ちゃんは自分のことをもてあますことありませんか?私ほどではないにしても。
お願い、あるって言って(笑)。
久子












久子さま

私も自分自身のこと、超絶もてあましてます。だいたい、一人で家にいると何していいんだかわからない(勤めていないのに。これでは何もできない)。テレビも見ないしガーデニングもしないし、本は読まなきゃだけどエイッと力を入れないと読めず、気がつくとツイッターとフェイスブックとメールの画面を交互に見ているだけの時間が過ぎていることがよくあります。

料理以外の家事はわりと積極的にこなすタイプなので、というより体を動かしていないと不安で、洗濯やクイックルワイパーをしてると気持ちが落ち着く。最近は断捨離と言うんですか、いらない服や本を捨てたり売ったり、何しろ体を動かして達成感を得る、というのが好きみたい。しかしそれは置いておいて、一人で一箇所に座っているのが苦手というのは、本当に仕事が進まなくて困ります。大して多くもない仕事が、いつまで経っても完成しない。

人に見られていると思うとまだマシ。だからノマド的にスタバに行ったりしてるわけですがそれも飽きてきて。こないだ「新宿 カフェ 勉強」で調べたら(我ながらヒドい検索ワード)、「Wifi完備・電源完備・三時間千円ドリンク飲み放題」というところを発見したので行ってみました。

オシャレだし店員のお姉さんは美人だし、居心地は大変よくて(隣はイケメンだった)良かったんですが、ブログとメールを何通か書いて満足してしまい、仕事は一向に進まず。

なんなんでしょう、書き仕事向いてないのかな……。でも家にいるよりはいい気がして、これはいっそシェアオフィスとか借りるべきなのかと思って検索し始めて、いやいやそんなするほど仕事ないだろ! と思っては、週三でカフェ行くのとどっちが安いかな、でも借りたら借りたでまた仕事できなくて落ち込んだりするんだろうな、と、考えは堂々巡り。

できるだけ人前に立つ機会を減らして、書き仕事を増やしていきたいという思いとは裏腹に、自分が一人で何もできない人すぎて、家にいても焦るばかりではかどらず、室内を歩いている。もうそんなに動きたいならむしろ? ということでランニングを始めました。続くといいですけど。

あと、何かひとつのことに集中するのが大変苦手で、気が散ってないと仕事がはかどらない。友達とメッセージでやりとりしながらとか、彼氏と電話を繋いでいる状態で一番仕事ができるという、なんとも迷惑な人間です。俳句を考えるときは一人でもいいのですが、別に誰かいたっていいという有様で。この前なんか、だらだら電話で喋ったり喋らなかったりしながら仕事をやり遂げたら、通話時間が異例の六時間超え。通話料定額じゃなければ絶対ありえません。はー、一人で仕事して一人で住んでる意味がわからない。

今これは自宅の炬燵で、大音量で音楽を聴きながら、ツイッターでカピバラの写真を見ながら、子宮頸がん検診の予約を入れたりしながら、どうにか書いています。久子さんはお勤めしてらっしゃるからこんなことはないと思いますが、どうやって集中力保ってます?

はぁ。

話は変わって、わたしはこの「クプラス」の他に「里」と「鏡」という同人誌に参加していまして、その「里」の若手八人で「しばかぶれ」という作品集を作ったので、お送りします。編集長の堀下翔は筑波大学の二年生。よく一緒に俳句の話をしたり、俳句の仕事を手伝ってもらったりしています。有能。

特集は中山奈々で、彼女も「しばかぶれ」の一員です。高校時代から俳句を書いていて、現在二十九歳なのですが、若手アンソロジーに入集しなかったので、私が今までの彼女のほとんど全部の作品を見て、百句選んでみました。

 腹痛の弱ささびしさ綿虫呼ぶ  奈々
 春寒の無礼を別の人が詫びる

情けなくてバカで面白くてほっとけない、かわいいヤツです。他のメンツもなかなか面白いので、ご笑覧いただければ幸い。
文香



超絶自分持て余しの文香さま

嬉しいです。持て余し仲間がいて。カピバラは和むよね。カピバラがお湯に浸かって目を細めている画像なんか見ると「こやつはなんでこんな幸せな目に遭ってるんだ」とほこほこします。今年の冬も柚子湯に入るのかな。

そしてこの人も仲間では?と思う人が。(違ってたらごめんなさい)。中山奈々さん。

「しばかぶれ」送っていただきありがとうございました。その奈々さんが特集されている!以前からこの人の句をまとめて読んでみたいと思っていた私にもタイムリーな発行でした。

とにかく句がおもしろい。選べないくらいどの句も面白い。意表をつかれるものばかりです。

 メロディーと名付けし春の雲崩れ   奈々
 バンダナで縛るカーテンほととぎす
 後輩の快挙文化の日の暮るる
 畳むたびずれる新聞桜桃忌
 母さんが優しく健康に産んでくれたので飛蝗捕る
 やることがすべて大げさ菖蒲風呂
 保育器に差し込む腕や小鳥来る

疾走感とほんわり感が奈々さん特有のリズムで繰り出される句の数々。時々作品の下に自分の名前を書き込んでしまいたい衝動にかられる作家さんがいるのだけれど、奈々さんもそんな一人。

 帰路持たぬ精子春一番か二番
 鳥雲に帰りの電車賃残す

帰路があってもなくてもなぜか寂しい。寂しいのに可笑しい。

 春寒の無礼を別の人が詫びる

可笑しくってかわいい。文香ちゃんがほっておけないという、多分他の皆さんもほっておけないのだろうという気持ちよく解ります。

田中惣一郎さんによるグラビアもいいね。

さくっとこんな颯爽とした雑誌を作った後の七人の皆さんの句を一句づつ。

 夕照を川は流さず実むらさき 堀下翔
 嘴のぶつかつてゐるプールかな 喪字男
 秋さびしなかやまななになが三つ 小鳥遊栄樹
 トンネルが長くて虹を覚えてゐる 青本柚紀
 流れゆく元親友の挙式かな 佐藤文香
  (注:原句横書き)
 生身魂小豆洗ひに似てゐたり 青本瑞季
 手袋外すはマスク外すため 田中惣一郎

第二号からも楽しみにしています。

ところでご質問のどうやって集中力を保つか?集中力は私もないほうで。これ書きながら、ついフェイスブック見てみたり、昨日友人が読み方が判らないと言っていた字を突然思い出して調べてみたり(「ひちりき」でした)、ついその辺の雑誌を読んでみたり、そうそう、文香ちゃんも書いていた断捨離というか、掃除してからとりかかると割に何かの原稿書くときはかどる気がするんだった…。と、思い出して、掃除を始め、やり始めるとあちこち汚れが気になりだし、疲れてお茶に。

昨日行きたくて行けなかった着物イベントを思い出して、別の機会にと着物コーデを考え出したら止まらなくなり、次の二胡ボランティアで手品をしようと仲間と話していたことを思い出してネットで手品グッズを調べたり…。基本俳句より他の事しているほうが好きで、特に文章書くのは嫌いなので逃避したくなり、ついそっちへ気が行ってしまう、という。

誰か集中力ある人を探しましょう!

ランニング続いてますか?人がやっていると楽しそうでやりたくなる私。文香ちゃんはフットサルしてるから走るのは慣れてるよね。いまどきは格好がかわいいじゃないですか。私もああいう格好したさに、また山口県内にはなかなか魅力的なマラソン大会などもあって(大人気の下関海峡マラソンをはじめ、萩城下町マラソンなどなど)走ってみようとしたのだけど、じゃいつ走る?と考えると、夜はご飯食べたら動きたくないし、おばさんといえども田舎と言えども怖いし。

となると朝早く起きて?第一関門「布団から出る」というところで挫折したのでした。

挫折も得意な久子

作品 福田若之 ののの 16句

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作品16句
ののの
福田若之












 

ののの 福田若之

ののはくれよんでなんでもまっかなの
ばあができなくてののはいないいない
ののはきょうののなのはなのきぶんなの
なのはなはのののなののののなのはななの
のののなまえのふたつのあなはきこえない
ののたかいたかいはたかいからきらい
たかいくんがないたすごくまっかだった
ののもたかいくんもたかいたかいもまっか
ののはたかいくんをなかせたわるいふたつのあな
たかいくんごめんのののまっかななのはな
たかいくんはあたたかいくんだからうん
たかいくんのなまえにはあながないの
たかいくんはののでものののでもないの
ののはたかいくんはかせになりたいの
たかいくんたかいくんばあおりてきた
ののもたかいくんもあしたまたまっか



作品 阪西敦子 大きくて軽く 14句

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作品14句
大きくて軽く
阪西敦子














大きくて軽く    阪西敦子

森深く煉瓦朽ちたり風光る
寄り合うてしばしの空や石鹸玉
枝揺らし春の鴉となりにけり
大きくて軽くて遠足の鞄
惜春の鏡の中のハンガーよ
籠の影纏ふ卵や夏近し
紫陽花や頬杖つけば眠たくなる
帰りには青梅のある石畳
死してなほ縞笑ひをる藪蚊かな
サックスのぐるりに映り素足なる
菓子折の片側重き西日かな
もう帰る人がをるなり金魚玉
水蜜桃ランタンの灯の届きたる
ライオンに飽いて金木犀咲いて

作品 高山れおな かなしばり四季之詞〔忌日俳句篇〕、その他 17句

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作品17句
かなしばり四季之詞〔忌日俳句篇〕、その他 
高山れおな 














旧暦一月六日
ゆふぎりき たれ を なには の ゆめ で まつ

旧暦三月十五日
ゆふばえ は まなこ とぢ ても うめわかき

旧暦五月二十八日
にげまはる とき かゞやけり なりひらき

十月十三日
くも しろき あらかは を ひゞ ゆきひこき
ゆふなみ の マニエラ に そひ あき は きぬ

十一月二十五日
ヘレニズムはいく で あそべ いうこくき

ずいと出る軍艦巻や花の頃

踏み踏む我が俳は猫である

残像はみなベロ藍の春や昔














人の名も汗も流れて乾きけり

国立歴史民俗博物館 落合左平次道次背旗
花と散る磔の旗あかはだか

冷房に飯喰ふ天地と

秋天を飛ぶ玉音よ雑音よ

秋風にたゞよふ鳩の眼やいくつ

ドヤ顔も小顔も急ぐ神の旅

神の旅雲の上はた草の原

動機なき俳句つらぬる懐手

特別作品 心夕集 生駒大祐 50句

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作品1
心夕集 生駒大祐



奥行きに降りこむ雨や花薺
白梅に分厚き夜のかむさりぬ
茗荷竹くさぐさの喩を拒めるは
時のごと菜の花古びゆきたるよ
一睡と芝焼きたるは同じこと
蛤や水を叩けばはねかへる
暁はかならず槇のおぼろかな
海ちぎりとり掌に月日貝
明るしと思へば夜や街の梅
掲げむとして空に置く花篝















蚊遣の香消えゐる波の響きかな
雲は雨後輝かされて冷し葛
荒梅雨は柱のごとく歩み去る
梅雨さんざ活字零して去りにけり
菖蒲伐る仕草をすれば日の暮るる
仮の世の仮の水辺のあめんぼう
夕立は浮きたつものと皿小鉢
夕暮は金魚の旬と昔昔
橘の花に家居の旅心
戦国の世の空蝉は花ならむ














水を汲む時は水あり秋の湖
刈稲の光はあれど散蓮華
夢の日や壁にとんぼの絵がかかり
大空や絵にゆきわたる秋の水
蘭匂ふあそびにつかふ昼もまた
虫籠の中の日暮や爪楊枝
切先がなめらかに菊へとつづく
秋草の世の再見を言ひかはす
描かれて線は草木秋の園
指が引き伸ばす初秋の粗き景
















雪の空夜にはつかはれぬ言葉
うすらやみ梟のこゑ疲るるや
冬の雲高遊びして落ちてこず
冬晴れてはや逆光の椿の木
寒林を離れ立つ木も絶えし今
物憂さも冬の渚へ出る程度
かの月もやがて吾がもの蕪蒸
手遊びに似て膝掛に描かれし絵
水の世は凍鶴もまたにぎやかし
真昼から暗むは雨意の帰り花















魚どちのあたま高みに手漕舟
文字散し愉快な紙の上の宵
西国の人とまた会ふ水のあと
鉄は鉄幾たび夜が白むとも
白昼を鯉にまみえし泥煙
漱ぐ汝のうなじも連歌かな
陰日向吉野と聞けば駆け参じ
楡の暮れなづむ南無妙法蓮華
然と見る水無瀬の鳥はあをかりしや
いつやらの季題を君としてしまふ
















週刊俳句 第526号 2017年5月21日

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第526号
2017年5月21日

2016 角川俳句賞落選展 ≫見る
「石田波郷新人賞」落選展 ≫見る



まるごと『ku+ クプラス3号』(終刊号)

特別作品
生駒大祐 心夕集 50句 ≫読む
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特集1 ピッ句の逆襲

under construction

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作品
高山れおな  
かなしばり四季之詞〔忌日俳句篇〕、その他 
17句 ≫読む
阪西敦子 大きくて軽く 14句 ≫読む 
福田若之 ののの 16句 ≫読む
……………………………………………
伝書鳩3 杉山久子×佐藤文香 ≫読む
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作品
関 悦史  14句 ≫読む
依光陽子 踏襲 20句 ≫読む 
上田信治 手がきれい  20句 ≫読む
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ハイジ、ハイジに会いに行く
髙柳克弘 聞き手 高山れおな
≫読む
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作品
佐藤文香 遭ふ 20句 ≫読む 
杉山久子  14句 ≫読む 
山田耕司 誰だかわからない 14句 ≫読む
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特集2 死後の名声

藤田湘子――大衆化時代を代表する俳人の細い余韻
関悦史  ≫読む

森澄雄――
上田信治 ≫読む

季語に似たもの 
五郎丸と真田丸
阪西敦子 ≫読む

うーふー
関悦史×江渡華子 ≫読む

〔今週号の表紙〕第526号 ペーパーウェイト……西原天気 ≫読む

執筆者プロフィール ≫読む

後記……高山れおな山田耕司佐藤文香上田信治 ≫読む



新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

ku+3 編集後記

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ku+3 編集後記

佐藤文香
「クプラス」どうにかしましょう、とれおなさんに会いに行ったら、若い人がやったらいいじゃない、って言われて。でも、若い二人は「オルガン」に入っているから今更誘うのもね。というので、関悦史と二人雑誌「翻車魚」を発刊予定。「まんぼう」と読みます。1年1冊かな。

おーい! こっちの方で面白いもの書いてるヤツらがいるぞ! ってかんじは、「クプラス」が終わっても、続くといいなと思っています。

山田耕司
「クプラス」という名前は、気に入っていました(命名のいきさつについては、週刊俳句に掲載された記事をご覧ください。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/09/ku4.html

「クプラス」に集った作家たちに、そして、読者の皆さまに、あらためて感謝申し上げます。また、誌面を作るにあたってご尽力くださいました方々、ネット上などで支えてくださいました方々、ありがとうございました。

高山れおな
「クプラス」はいちおう10冊出すのが目標でしたが、一方、3号で終わるんじゃないかという予感もそもそもあり、目標には達しませんでしたが予感は当たったというオチでございます。紙で発足してwebで終わるというのも、今の時代相応でありましょう(実際、多くの商業雑誌がそうなりつつある)。しかし、こういうことならピッ句の絵は、モノクロではなくカラーでお願いしておくのであったよというのが若干の心残り。

この編集後記を書きあぐねているうち、岩片仁次さんから『居眠り句集』をいただきました。限定20部という超レアもの。後付に「後昭和二十八年九月二十四日」と刊記があるので、去年の制作らしい。なんで今頃と思いつつ拝見していたら、最後にこんな句が。

はてな
はてなと
はてなし島に
三日かな

デザインやロゴ、イラストレーション、写真等でご協力いただきました皆様に厚く御礼申し上げます。

上田信治

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執筆者プロフィール

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ku+執筆者プロフィール

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京都生まれ。古脇語の中の人ふたりのうちのひとり。もうみんな忘れてると思いますが、『クプラス』第2号のプロフィール欄に書いたアライダ・アスマン『想起の空間――文化的記憶の形態と変遷』(水声社、2007年)は、あのあとすぐジュンク堂のオンラインショップでみつかりました。今年中に第1句集を出す予定です。

生駒大祐 いこま・だいすけ
今年の6/4で30歳になるのですが、変化の年になりそうです。結果的に良い変化となるといいなあ、と思いつ。今後ともよろしくです。また元気でお会いしましょう。

佐藤文香 さとう・あやか
句集『海藻標本』『君に目があり見開かれ』、詩集『新しい音楽をおしえて』、編著『俳句を遊べ!』『大人になるまでに読みたい 15歳の短歌・俳句・川柳②生と夢』。2017年4月、第1回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞。若手アンソロジーの編著、7月末には完成させるべくがんばってます。終わったら遊ぼ。

関悦史 せき・えつし
土浦市生まれ。句集『六十億本の回転する曲がつた棒』(田中裕明賞)、『花咲く機械状独身者たちの活造り』、評論集『俳句という他界』。「豈」同人。クプラス三号が初出となる予定だった句が一揃い、第二句集に先に入ってしまった。子供の頃に出ていた文庫本をブックオフで見かけると装幀(及びそこから呼び起こされる書店空間の記憶)を目当てに買い、買うと中味に興味がなくても一応読んでしまう人生使用法続行中。

山田耕司 やまだ・こうじ
パソコン内の写真データが、ごっそり消えた。10年にわたる20,000枚ほどの記憶が失われて、「アイデンティティ崩壊」的なパニックに陥るかと思いきや、さほど未練がない。身近な人々の死を経験して、無常の風になじんだか。衝撃が強すぎて実感がわかないのか。よくわからない。「円錐」編集人

高山れおな たかやま・れおな
中島敦の「名人伝」に、弓の名人が年老いて弓という道具そのものを忘れてしまったことに世人が感動する場面がございますが、ほぼその境地に入りつつあります。お前べつに名人じゃなかろうという突っ込みはこの際、筋違いでしょうなあ。句集『ウルトラ』『荒東雑詩』『俳諧曾我』、豈同人。

杉山久子 すぎやま・ひさこ
「藍生」「いつき組」所属。句集『鳥と歩く』『泉』他。旅と猫が好きなので、旅先で猫に会うと必要以上に喜ぶ。
今年に入って卓球を始めたが、2ヶ月に1回程度しか行けないのでほとんど上達しないのが悩みの種。

依光陽子 よりみつ・ようこ

上田信治 うえだ・しんじ

表紙&ピッ句の野望
art direction &design : kusaka junnichi
design & type setting : akabae haruna

クプラスピッ句座談 ku+メンバーピッ句で遊ぶ 佐藤文香×福田若之×上田信治

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ピッ句座談
ku+メンバーピッ句で遊ぶ

佐藤文香×福田若之×上田信治


佐藤 今日は元漫画研究会の上田信治さんと元美術部の福田若之さんに、クプラス各人のピッ句について語ってもらいます。よろしくお願いします。

上田 近世の俳画の伝統が、近代俳句以降途絶えている、ということが前提としてありますよね。現代の神経では「古池や蛙飛込むみづの音」に、なかなか、絵をつけにくい。広瀬惟然の「水鳥やむかふの岸へつういつうい」なら、つけやすいけど。



うららかや犬の視線の先に猫 杉山久子















上田 この句は余白が多い句だよね。絵をつけやすい隙がある。

福田 いわゆる写生句よりは、滑稽味のある句、言葉遊びとかいわゆる「おばか俳句」みたいなのの方が絵がつきやすいなあというかんじはありますよね。

この句は犬の視線の先の猫に、うららかやという結構とぼけた季語がついてて、その余白がこの犬と猫の連なった輪郭線のイメージとよくあってる。文字の配置もかなり面白いです、「先に」まではすーっと読みくだすでしょう、そこから、「猫」にむかってぽーんと絵をまたぐ。ここにタメがあります。

上田 このピッ句のチャームポイント、犬一匹猫一匹じゃないところ。俳句は俳句の中で言っている内容と別の、言っていないことが成立しているかどうかが勝負ということがあります。

俳句をそのまま絵や写真で絵解きしてしまうと、その肝心の「言っていないこと」の邪魔になってしまうんですけど、このピッ句は、その弊を逃れている。

むしろイラストと俳句のずれの部分に、第三項のようなものが成立している。
こういう具合にいければ面白いんだよね、俳画って。



新築やナイフに映る冬林檎 佐藤文香














上田 俳句が、家とナイフとりんごの三要素。それに対して絵は、おっきいやかんとちっちゃいラー油と栓抜き。三要素の関係という意味で、絵と句がパラレルになっている。佐藤さんはなんでこの句で書くことにしたの?

佐藤 私は具体物を描こうと思ったんですね。で、俳句も具体物を書いたものにして、どれも素材がかぶらない、というのを考えました。

福田 ひょっとして、これ、三つがそれぞれ対応してます? 新築というのは空間で、ポットは容器ですよね。どちらも中にものが入る。ナイフと栓抜きは金属でできた、どちらも台所にありそうな道具。

上田 映るっていう関係でちっちゃいもの2つが結びついてる。

福田 しかも、ラー油と冬林檎はどちらも赤。

上田 なるほど。ところで、れおなさんが言ってた、俳画は下手じゃなきゃダメっていうのはなんでだろう。その場で描くとか簡単に描くということかな、ちょこちょこっと座興として。

福田 昔のひとたち、お酒なんか飲みながら、興が乗るのにまかせて描いてそうなイメージありますよね。いや、あくまで勝手なイメージですが。

上田 昔の趣味人は、いろいろ腕に覚えがあるという人がいたんだろうね。

福田 文香さんのピッ句に話をもどすと、句が横書きなところも印象的です。さらっと横書きで書かれているかんじは、絵のかんじとあってる。

上田 美術部っぽいからじゃないですか。日本人の洋画のサインも、普通、横書きだし。



身にしむといふは春もよ昼ねざめ 高山れおな














佐藤 高山さんより、「葛飾北斎の『己痴羣夢多字画尽』(おのがばかむだじえづくし )の中の絵を写しました。この本は、北斎先生が初心者のために制作した絵手本でございます。書き順の指示まであります。その通り写したのでございます。」とのことです。

福田 この絵、側頭部の生え際の感じはすこし男性っぽいような……。どっちでしょうか。

上田 遊女じゃないのかな。男だとしたら、流連の遊び人みたいなかんじ? れおなさんが自画賛としてこの絵をつけてきた、と思うと、なんとなく伝わるものがある。。

福田 絵手本の写しというのは、意図があるように感じます。句も、自分の句を書き写す作業があるわけでしょう。だから、句も写し、絵も写し。だから、ここでは句や絵自体の独創性ではなくて、絵と句の組み合わせが問題になってるわけですよね。合わせるっていうところにピッ句のある種の本質を見出して、そこに照準したやり方。

ところで、ここで写されている北斎の絵手本は、それ自体、複数の文字の組み合わせによって絵のかき方を表現しているんですね。この絵だと、たとえば、左腕のところは「氏」という字。で、髪は「叶」。ふすまの模様とかは別にして、輪郭線は、全部そんな具合に文字で構成されているわけです。だから、いま句と絵の組み合わせといいましたけれど、このピッ句において、絵と文字との境界は、ひそやかにかきみだされているともいえる。



 (e+πi)0=1 福田若之














上田 偽オイラーの等式なんだって?。

福田 はい。本当のオイラーの等式はeiπ+1=0というものです。表記する順番がπiだったりiπだったりするのはそれぞれ理由があるのですが、割愛。とにかく、オイラーの等式は、それぞれ非常に意義深い定数が、足し算、かけ算、累乗という基本的な演算で無駄なく結び付いているんですね。それで、数学史上最も美しい式と言われたりする。で、僕の書いた偽オイラーの等式は、そのオイラーの等式に擬態したもの。こっちは、数学的にみると無駄が多いんですね、ゼロ乗すれば、括弧に何が入っていても基本的には1になるわけですから。オイラーの等式に表れているような、真正なるものの唯一的な美に対して、擬態の美や、偽物の美、無駄の美などについて考えてみたくて。それは、いわゆる数学的な美しさとはきっと異質なものなんでしょうけど。

上田 これ前書きつくの?

福田 いや、分かる人にだけ分かれば。分かったところでさしたる意味もないですよ、たぶん。けど、そんな無意味な式でも、こういうふうにかまきりを思わせる筆跡のまとまりと合わせると、それが俳句に見えてくるんじゃないか。かまきりらしきかたちにまとまった無数の線をこの数式の隣に描いておくと、その筆跡の束が俳画に見えてくるんじゃないか。要するに、俳画に擬態した何かを書こうと思ったんです。今回提示された「ピッ句」という呼称も、チープさを狙っていて、もどき感があるので、それに合わせてみました。

上田 ぐらぐらしてるもの同士いいかんじに支え合う? それが俳画の伝統かもね。
俳句をやってない人から(殊能将之という作家の小説に出てくるらしいんだけど)「E=mc2秋の暮」はどうですか、と聞かれたときに、面白いけどよくある手なんだ、とこたえました。俳句の模型としてよくできているよね、という。

福田 ちなみに、「かっこいーたすぱいあいのぜろじょうはいち」と読むと、七七五の字余りで、中七下五にかけて句またがりをした韻律に乗ります。

上田 前書きはいるは、ふりがなはいるは、だね


 灯ともせば心うつむくをみなへし 生駒大祐

上田 バンと心理的なものを出してきたよね。やー生駒くんはまじだよなー。
福田 この絵を見たときに思い出したのは、ソール・スタイバーグっていうアメリカのだまし絵的なイラストを描くイラストレーター。こんな絵を描く人です。









スタインバーグの人物が線に解体されていくのに似て、生駒さんの絵も、電球を構成する線が解体されて電球をおさえる手を構成する線になってる。ここに描かれてるのは電球とか手とかじゃなくて線なんだ、っていうのを意識させる絵ですよね。

電球は、句の「灯ともせば」という言葉のイメージと結びついているんですけれど、見方を変えるなら、この文字だって線でしかない。この線の束を「灯ともせば」と読んで灯りを想像するっていうのは、考えてみれば奇妙なことなわけですよ、少なくとも、添えられたこの線描を電球だと思うのと同じくらいには。要するに、文字と絵が線でできているという意味で等価である。どちらもあたかも絵であるように文字であるようにふるまっているが、つまるところ線なんだ、という。これは、さっきの高山さんの絵にも通じるところです。

上田 句は「をみなへし」のところで、外の世界へ開かれる。家に帰ってきて電気をつけた、あらためて孤独の中にある人が外の女郎花を思う、それが救いになっているという構造の句。でも、絵は上の12音に集中してるので、暗いよね。蛇の尻尾呑みみたいなもんでしょう。

福田 せつない……。スタインバーグの絵はユーモアとか笑いに通じている度合いが強いけれど、生駒さんの絵はそうではないわけですよね。ペーソスに通じている。

上田 まじでいいよね。



路面を知り擦り傷黒き梨をもらふ 関悦史











上田 面白いなぁ。

福田 この句、韻律は五七五ぴったりじゃないけれど、段切りがきれいに上六・中七・下六の三行に分かれてるじゃないですか。これって、よく素人くさいっていわれる表記法でしょう。梨の絵の配置なんかも、ともするとありがちなキッチュになりかねない。というか、たぶん、そこを狙っているんでしょう。だけど……そこでですよ、この目っ!

上田 これがなかったらどうよ(と言って目を指で隠す)。俳画の絵ってイラストじゃないですか。意味と支えあうことによって成立するものでしょう。福田くんの言うこの目が、意味として突出してる。杉山さんの「こんなにいっぱいいたのかよ!」というのと同じで、余計なはみ出し部分があってうまく支えてる。この目は、関さんのトレードマークのオリビアの目でもあるし。

あと、関さんの俳句って、ときどき、わざとイラスト的なつくりになってるのがあるよね。言いすぎて意味がありすぎて何かある、という。同じことを絵でもやってくれている。

福田 「知り」のとこなんですよね、目に対応しているのは。句において、梨はまさに「知る」ことの主体として語られている。絵においては、目によって、その主体が表現されているというわけです。

上田 そうなのよ! この目は署名でもあるからね。どっちかというと、もらった語り手より、梨のほうがむしろ主体。マジなのは関さんも生駒くんも依光さんも同じなんだけど、関さんのはやっぱ変なユーモアがあるんだよね。

福田 認識の主体はすなわち目であるという発想は、俳句の文脈でいえば、「写生」が支配した近代俳句のありようと深いかかわりがあるように思われます。「秋風や眼中のもの皆俳句(高濱虚子)」。この関さんのピッ句は、そうした「写生」的な文脈における目の隠喩をふまえながら、それにたいする穿ちの態度によって、非「写生」的な句と絵のほうへ突き抜けていく。まさしくその抜け穴として、この眼孔があるのかもしれません。



冬の蛾よ我は野面の石であつた 依光陽子















上田 似てるわ、句風と画風(と言ったら大げさだけど)絵と俳句の書きぶりがそれぞれ。面白い。

福田 これは句に即したものを並べてある。蛾の見切れてる感じがオシャレ。

上田 無意識の計算だと思うんだけど、光が飛んでるところと、蛾が見切れてるところね。冬の蛾こそがこの句のなかの非現実で呼びかけの対象なんだ、と見える。俳句だけ読むとそれは逆で、石は心理で冬の蛾はいるんだけど。

福田 キュンとさせられたのは、この赤い線。ここにこの赤が入ってるのが、印刷だとうまく伝わるかわからないですけど。細部の妙味です。

上田 蛾とビー玉みたいな光だけじゃ理に落ちるところを、赤の謎の筋で救ってるよね。みなさん、さすが、絵を描かせてもそう簡単に絵解きに落ちない。

福田 まず油性のクレヨンで赤い線をかいて、その上から水彩絵の具ですっと一刷毛いれているみたいですね。滲み方がそういうふうになっています。。

上田 枝とか地べた的なものだよね。現実と非現実というか具体と抽象が入れ替わるように描かれている。なかなか素晴らしいのではないでしょうか。この三連チャンはすごかったな。



自動車はシンメトリーで冬の海 上田信治

















上田 この句は自分としてはマジ。元は古谷利裕の「偽日記」というブログで見た、駐車場に車が停まってる写真から作った句だから、それを、また元にひっくりかえすのは面白いんじゃないかなと。

あと、ぼくは漫画とかアニメを生業にしているので、ここはコマ割りだろうと。

福田 今の話を聞いていて思ったのは、信治さんのなかで、この句と自動車のイメージそのものがもとから繋がっているから、繋がっているものを出すとこうなるということなんだろうなということでした。信治さんのなかでのこの句のあり方により近いものがピッ句に出ているんだろうなと。そこが興味深いです。

「自動車は」から「シンメトリーで」に移るときに、ちょっと引くかんじがオシャレですよね。余白が生きる。で、「冬の海」で「ザザッ」と。この句をパッと読んだときに浮かぶのは、一瞬を切り出した感じなんですけど、このピッ句だと動いている海とじっとしている車があるっていうのが、時間が取り返される感じがあって、それはコマ割りの力なんだろうな。と。



ラグビーの胸ラグビーの腿の下 阪西敦子














 佐藤 「大首絵にしました」と送られてきました。阪西さんはお母様が似顔絵作家なので、顔に対する思いがあるのではないでしょうか。

福田 大首絵って、浮世絵の顔のアップになってるやつのことでしょう、阪西さんはそれのバリエーションとしてこの絵を置いてるということですね。

上田 これはほんとに〈絵と言葉〉じゃなくて、〈絵〉だな、と思った。絹谷幸二だっけ。絵に文字をガリガリ書く人いるよね。字がとりこんである絵。
ラグビーの句って男性の肉体とか青春性を賛美する句が多くて、あまりいただけなかったけど、こうやってモロに体を出されると、わかりました、受け取りましたという気持ちになるね。

佐藤 阪西さんはラグビー部のマネージャーでした。

上田 このラガーの壮年ぶりはいいよね。「ラガー等のそのかちうたみじかけれ(横山白虹)」のラガーは学生ラグビーってかんじがするけど。

福田 そうですね、あとは、「ラグビーの頬傷ほてる海見ては(寺山修司)」なんか、完全にラグビー部。

上田 ラグビーの句ってエロいよねー。

福田 絵に壮年の雰囲気があるからかもしれないけど、この句はなんだかこの人の肌に彫り込まれた古傷のようなかんじがする。この俳句は、書かれてるとか記されてるっていうよりも、刻まれてるなぁってかんじがします。

上田 この絵の主人公はきっと肉体に対するフェティシズムとともに人生を送ってる。フランス語が書かれてるから、きっと海外遠征に行くような選手なんだな。絵の一部に句を彫り込むという、ピッ句のあり方ですね。



狼よ誰より借りし傘だらう 山田耕司



















上田 かっこええですなぁ。

福田 傘の部分は、写真を切り抜いてるようですね。写っているのは動物の毛なのかな。写真俳句の新しいかたちともとれる。

佐藤 狼の毛でしょうか。

上田 狼を連想させるような人の後ろ姿を見ているというような構図が浮かぶよね。狼はナルシズムを託す対象なんだな。あと「絶滅のかの狼を連れ歩く(三橋敏雄)」も念頭に置かなきゃかな。

福田 なんとなく意識の隅にありました。ああ、これは「真神」としての狼だよな、って。この句の狼は、金子兜太の狼よりは、三橋敏雄の狼を思わせますよね。切り抜きも文字も、荒凡夫的なごつごつした感じではなく、すっとしている。でも、それでいながら、芯のところに激しさがある。そのあたりが敏雄の句を思わせるんでしょうかね。

上田 ふだん傘なんか持たない人が、似合わない意外な傘を持ってるんで、その人が歩いてるのを見ながら、ああ、あの人だ、傘誰かに借りたんだ、という句。俳句には摂津さんとか三橋さんとか、いなくなっちゃった人がたくさんいるから、そういう人を思い出させるよね。

福田 字の線が、細いんだけど骨のあるかんじです。それが、傘の柄のかんじと響き合ってるなと。

上田 正中線が意識されている字なのかもしれない。字が上手い人はずるいな。

福田 ほんと、かっこいいですよね、これ。

上田 佐藤さんも字うまい。

佐藤 や、私はホワイトボードに書くのが一番いいぐらいです。

上田 ああ、そういやピッ句って、ホワイトボードに描いて消しちゃうのとかが一番いいありようかもしれないな。

福田 「文台引下ロせば則反故也(芭蕉)」みたいなことでしょうか。

上田 そうだね、座興としてこんなことしたらすごい楽しいっていう。それってずっと昔から続いてる本質だよね。だから、ここは銀漢亭にホワイトボードを設置するなどしていただいてだな。笑

佐藤 集まった俳人が描いては消す、みたいな。



上田 イラストレーターさんに描いてもらったのを見るのがすごーく楽しみになってきたね。1号目の鴇田智哉さんの「上着きてゐても木の葉のあふれ出す」とかすごくよかったじゃないですか。

自分の句で描くと、すごくナルシスティックになりがちだよね。自句自解的な内容になったり。純粋読者の側から句を読んだ人の絵が、どうついてくるかは楽しみ。関さんのやつとかも別の人が描いたら多分違う絵になってただろうから。絵をつけることによって明らかになることもあるよね。

はじめに広瀬惟然の「水鳥やむかふの岸へつういつうい」とかはつけやすいって言ったけど、今だと西村麒麟さんとかがやるといいよね。「上手くいき鶯笛で人気者」とかさ(笑) 

福田 「初めての趣味に瓢箪集めとは」に瓢箪じゃないものの絵を添えてみるのとか、いいかも。

上田 超時代的な可能性をはらんだ方法を、麒麟さんは確信犯でやってるから。
この、絵のつけやすい俳句にある空間とか隙というのはなんなんだろう。

福田 体感としては、句のしなやかさというか、しゅっとしたかんじのあるものは、そこが絵のつくための余白になってるかんじがある。必ずしも滑稽じゃなくてもいいんだな、という気がしました。例をあげるついでに少し振り返ってみると、たとえば、れおなさんのなんかは高等な滑稽ですよね。他方、山田さんのは、決して滑稽ではないんだけれど、しゅっとしていて、余白がある。

上田 すこし歌ってるかんじかもしれない。福田くんや関さんは、人間の自然な歌声を抑圧して、ごつごつしたところに重層性をつくるじゃないですか。

でも、すらっと歌ったところに気分のようなかたちでもう一個の項目が成立しているというのが、合わせやすいのかもしれないね。杉山さんも飄々としてる。あの人も面白いややこしい俳句も書くけど、人柄でぽんと立たせちゃうというのが近年は多いような気がするな。

新聞や雑誌で、活字で読むものという芸術として俳句はあって、僕らはここだけでどこまでもややこしくして見せるというつくり方で。でも、そうじゃない書き方ってあるよね。




死後の名声 森澄雄 ──作家は生きていてナンボか 上田信治

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特集 死後の名声
森澄雄
──作家は生きていてナンボか

上田信治


1.死後の名声について

作家は「生きていてナンボだ」という言い方がある。 私たちの俳句は「師系」という言葉がある世界であることもあって、死んだ人がだいじにされるほうだけれど、あらゆるジャンルの、大半の作家にそういう現実がある。

画家が死ぬと、新作の供給がなくなるのだから絵の値段は上がるだろうと思うと、ほとんどの場合下がるのだそうだ。画壇での声望や政治力は、本人とともに消えてしまうのだから、その底上げ部分が消えるのだと考えれば分かりやすい。

小説家の川上宗薫や田中小実昌が死んだとき、たちまち書店の棚から彼らのスペースが消え、すぐ、本自体、全く手に入らなくなったことをよく憶えている。作家の肉体の消滅とともに作品が求められなくなるのは奇妙なことに思えたけれど、人が文化芸術と言いったものを求める動機の、かなりの部分をコミュニケーション欲求が占めている。作家本人が好きで作品を好んでいた読者が、たとえは悪いが、けものが死ぬと逃げ出す蚤のようにサアッといなくなるのだろうと、今は思っている。

もっとも若くして死んだ有元利夫などは、いっこうに値段が下がらないどころか、ますます人気のようだし、笹井宏之や尾崎翠や金子みすゞ、なんなら、カフカやゴッホのような巨人も、死後に名声を得た作家として挙げられる。

そして、波多野爽波や田中裕明が重要な作家として再評価されたことも、ほぼ本人没後のことだった。



森澄雄は、言わずと知れた昭和後期の大俳人の一人だけれど、近年、その評価が定まらないというか、あの高評価はなんだったんだろうという空気があるように思う。

森澄雄本人は、その人間性についてゴシップ的にいろいろ言われていて(本稿のために調べたり、人に話を聞いたりした)、そういう人は、死後に敬意や愛情に恵まれにくいということはあるだろうけれど、そんな話をしたいわけではなく、一人の作家の句業がかつて高く評価され、今もしそうでないとしたら、それはなぜか、また、その現在の評価は何か大事なものを見落としていないのか、ということを考えてみたいのだ。

とはいえ、物故作家を評価を改めるということは、その人の生涯の仕事の価値を「俳句の現在」なる未完成の価値基準において確定するということで、鼎の軽重を問われるのは、判者気取りでしゃしゃり出てきた読み手のほうになる。それゆえ大勢としては、かつてその人が得た賞賛については問うことなく、なるべく触れずにおこうという形で、じょじょに、その人の二度目の埋葬が行われるわけだけれど。

2.当代一流と書けば揶揄に当たる

さいきん、青木亮人さんが、昭和50年代初めの森澄雄に対する、同世代の有力俳人、金子兜太・飯田龍太・飯島晴子・高柳重信の、座談会等における発言について書いていた。

それは、澄雄がその芭蕉回帰の志向を鮮明にしたことに対する反応で、青木文章『俳誌要覧2017年版』の「目利きと、承認と──俳誌の「評論」、そのいくつか」に引用されている発言はこうだ(孫引きご容赦)。

金子兜太 最近の森澄雄の句は、もじりじゃなくてなぞりだと思う(…)なにやらひどく気の抜けたところで、てめえのところに引きずり込んでいくんですね(…)そして、どっかで芭蕉の作品の匂いをなぞを出みたりね(…)芭蕉の匂いを採用しながらてめえの部屋の匂いをよくしているような……(…)
飯田龍太 あれだけ図々しくなぞっている俳人というのはかつてなかったし、今日もないと思ったね。これは逆説ではなく、感心しているんだ。

(「俳句」昭和52年1月号鼎談)

森澄雄がシルクロードの旅のさなかに「芭蕉の近江にひかれ」「『行春を』の一句が浮かび上がり、何故かふかぶかとした思いにさそった」(昭和50年「奧の細道」)と書くことが、兜太には「てめえの部屋の匂いをよくしようとする」自己演出にしか見えなかったらしい。それは、兜太の文学観・作家観から理解できなくはないが、それにしてもひどい言いようだ。

飯田龍太も、澄雄の仕事が、金子のいう「なぞり」であることは否定していない。龍太はここで「なぞり」自体の生産性までを否定しているわけではないが「数段人の悪い表現で冷静に見ている」(青木前掲文)

飯島晴子 森さんがああいう風に仰るし、ああいう風な作品をお書きになって、ああいう方向に向かわれる必然性みたいなものは分かるんだけれども、それが森さんという一人の作家個人の事情を離れて、俳句全体の風潮としてよしとするという風に移行してしまう所に問題があるんじゃないかと思うんですけどね。(…)楸邨から脱出するためには、ああなるのが一番賢明 ────、と言っちゃ悪いけれど、それで私も同情はするんですけどね(…)

高柳重信 (…)師匠の楸邨より弟子の森のほうが、何となく保守的になっているように見える。その傾向について、現在の俳壇の一部では、さまざまな論を立てて擁護しようとしている。

(昭和52年12月「俳句研究」年鑑座談会)

ここで、晴子と重信は、森澄雄の試みは試みとして、その俳壇的評価の高まりを好ましくない趨勢として、取り上げている。

青木さんは同じトピックをとりあげた別の稿(『カルチャーラジオ文学の世界 俳句の変革者たち』)で、当時は戦後の高度成長期が一段落した「モーレツからビューティフルへ」「DISCOVER JAPAN」の時代であり、金子兜太もまた、その時代に風土性、土俗性をよりどころにする作風に変化したのだと指摘する。

それは、いわゆる「戦後」の終わりであり、レジャーブームと俳句人口の急増の時代でもあった。

青木さんは、平畑静塔の論(『俳句の本Ⅲ 俳諧と俳句』所収「昭和の俳句(戦後)」)を援用して、戦後の文学思潮・時代思潮が経済的成長にともなって変化し、一方で、俳句のレジャー化カルチャー化があり、それらの背景が、森澄雄の作風を時宜にかなったものとしたのだ、とする。

青木さんは、漂泊の俳人「芭蕉を「ビューティフル」に発見した」のが森澄雄でした、とラジオのテキストで書いていて、さすがにそれは澄雄に気の毒だと思うけれど、森澄雄の高評価には時代思潮と俳壇の趨勢による追い風的評価があった可能性があることを示している。



もうひとつ引用したいのは、小林恭二『この俳句がスゴい!』の森澄雄評だ(本書とその続編『これが名句だ!』の、個々の句に対する読みの深さと作家を位置づける手さばきは素晴らしく、俳句を読み書き楽しむための基礎教養書として推薦したい)

小林は、森澄雄について「1990年代以降のハイクシーンに対して、最大の影響を及ぼした俳人」であり、澄雄以前と以後とでは「俳句の質は明らかに向上」し「洗練度に大きな差」があるとする。

これは、最大限の評価と言っていいだろう(雑誌掲載は、澄雄の存命中だったと思う)。しかし、小林は、その評価にある留保をつける。それは、澄雄の俳句の、真似やすさについてだ。

たとえば、山口誓子や三橋敏雄のような句風は、彼らの才能のきらめきによって成立しているので、並の俳人に、真似ようとしても真似られるものではない(やっても、失敗する)。

ところが、森澄雄は、もちろん素晴らしい俳人だけれど、その句風は長年の努力によって作り上げたものであり「才能の輝きというより、境地で勝負している」「そしてその境地というのが、存外真似しやすい」

小林は、澄雄の句を仔細に見ればその模倣者との差は明らかなのだと述べつつ、しかし、彼が学生のころ澄雄の主宰誌「杉」の句会に出席した経験について書いている。「当時、森澄雄は絶頂期」にあり、小林は「学生ながら澄雄の句は見分けがつくと思っていた」のだが(鑑賞力には相当自信があったに違いない)、弟子たちの読むそれふうの句と、澄雄の句は、まったくぜんぜん区別がつかなかったのだそうだ。



澄雄が努力と苦闘によってその方法にたどりついた作家であるという小林の評価、そして、澄雄の「芭蕉」回帰について同世代の有力俳人たちがリアルタイムで発言したそのニュアンス。ここには、なかなかデリケートなものが、あらわれている。

こういうとき、視野の広さと公平性においてもっとも頼りになる、三橋敏雄による朝日文庫の解説はどうなっているかというと、その森澄雄評の冒頭はこうだ。

先に飯田龍太について「当代一流」と記したが、まかりまちがうと揶揄にも当たる空疎な言葉づかいであった。消そうと思ったけれど、現俳壇におけるいわゆる伝統派の雄として人気抜群であることにはちがいはない。森澄雄もまた、どちらを先にするにしろ、龍太と並んで同様の名声を分けあっている。(現代俳句の世界「飯田龍太・森澄雄集」解説 昭59)

これもまた、じつに微妙で、敏雄は、「当代一流」という飯田龍太について書きつつ(ほぼ)撤回している語を、森澄雄評のために残している。そして、あらためて澄雄も含めて「伝統派の雄として人気抜群」であると書き、その「まかりまちがうと揶揄にも当たる」言葉づかいを避けていない。

もっとも優れた読み手から澄雄に向けられたいくつかの評言から浮かび上がってくるのは、澄雄が、昭和俳句の錚々たる代表作家の一人であることに間違いはないが、当代随一であるとは言えなかったのかも知れない、ということだ。

いや、青木さんが引いている座談会での言われようなど、やや格落ちであると見なされていたようですらある(そりゃ澄雄もひがみっぽくなろうというものだ)。

しかし、森澄雄が飯田龍太と同格の第一人者として遇されていたことは間違いない。相撲の二人の横綱を並称する「柏鵬時代」「栃若時代」のような言い方で「龍太・澄雄の時代」という言葉があったのだ。



ここまで来たら、もう、自分の目で、作品を読んでみよう。


3.代表句を読み直す

森澄雄のいわゆる代表句は、次のようなものだ。

冬の日の海に没る音をきかんとす 『雪櫟』(昭29・35歳)
枯るる貧しさ厠に妻の尿きこゆ
家に時計なければ雪はとどめなし
除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり
磧にて白桃むけば水過ぎゆく 『花眼』(昭44・50歳)
綿雪やしづかに時間舞ひはじむ
雪嶺のひとたび暮れて顕はるる
餅焼くやちちははの闇そこにあり
雪国に子を生んでこの深まなざし
年過ぎてしばらく水尾のごときもの   
さくら咲きあふれて海へ雄物川  『浮鷗』(昭48・54歳)
寒鯉を雲のごとくに食はず飼ふ
田を植ゑて空も近江の水ぐもり
秋の淡海かすみ誰にもたよりせず
雁の数渡りて空に水尾もなし
白をもて一つ年とる浮鷗
ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに 『鯉素』(昭52・58歳)
西国の畦曼珠沙華曼珠沙華
春の野を持上げて伯耆大山を
若狭には佛多くて蒸鰈
炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島
ふり出して雪ふりしきる山つばき
みづうみに鰲(がう)を釣るゆめ秋昼寝
大年の法然院に笹子ゐる
さるすべり美しかりき与謝郡 『游方』(昭55・61歳)
火にのせて草のにほひす初諸子
つくだにの湖のいろくづ佛生会
億年のなかの今生実南天
朧にて寝ることさへやなつかしき 『四遠』(昭61・67歳)
はるかまで旅してゐたり昼寝覚
妻がゐて夜長を言へりさう思ふ 『所生』(平元・70歳)
木の実のごとき臍もちき死なしめき 
なれゆゑにこの世よかりし盆の花 『餘日』(平4・73歳)
やすらかやどの花となく草の花 『白小』(平7・76歳)
いとほしや人にあらねど小紫 
水仙のしづけさをいまおのれとす 『花間』(平10・79歳)
美しき落葉とならん願ひあり 『虚心』(平16・85歳)


以上は、複数の代表句選(「現代俳句の鑑賞101』『現代俳句の鑑賞辞典』『俳句』森澄雄追悼特集等)を参考に選んだ。これは、衆目の一致するところの代表句と言えると思う。



その作風の展開を見ていこう。

『雪櫟』『花眼』の澄雄(二十代〜四十代)は、非常に理知的でレトリカルな書き手だ。

冬日が「海に没る」とき音がしそうだという普通の見立てを「きかんとす」と、だめ押しすることで心象とする。妻の排泄の音をきく感傷を「枯るる貧しさ」と前衛俳句風に一勝負する。雪と時間の関連づけも普通の発想だし、水尾のごときもの、は、虚子の棒のごときものを連想させるけれど、茫洋とした声調に魅力がある。

この頃の澄雄の代表句のほとんどは(地に足のついたといえば褒め言葉になるけれど)誰もがもちそうな発想・感慨を、冴えた言葉づかいで目立つ句に仕立てたものだ。

楸邨にくらべればより観念的かつ技巧的で、突出したものは少なく、良くも悪くもウェルメイドな印象を残す(「父の死顔そこを冬日の白レグホン」(昭38)というやる気ばりばりの句もあるが)。

ただ「除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり」については、女性を白鳥にたとえることはあまりにも当たり前だけれど、「除夜の妻」の含蓄、そして湯浴み姿を白鳥の曲線に結びつける映像で、理想化した女性像を定着している。また「磧にて白桃むけば水過ぎゆく」を、青春の時間が過ぎる早さと読んでしまえば平凡なのだけれど、磧と桃と水のそれぞれ違う物質性と時間性の交感が、使い減りしない興趣を生んでいる。

この「除夜の妻」と「磧にて」の二句は名句だと思う。ただ、その価値は近代芸術の範疇にあって、その後の澄雄の真骨頂とされる句群とは、目指すところがだいぶ違う。

つづく『浮鷗』『鯉素』『游方』という、澄雄の六十代の十年間に出された三冊の句集が、彼の同時代への影響と評価を最大にした。

「寒鯉を雲のごとくに食はず飼ふ」は大名句で「ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに」は有名句だけれど、この時期の澄雄の本質は、それ以外の句にある。

さくら咲きあふれて海へ雄物川 『浮鷗』
田を植ゑて空も近江の水ぐもり
秋の淡海かすみ誰にもたよりせず
白をもて一つ年とる浮鷗


それぞれ芭蕉の〈さみだれをあつめて早し最上川〉〈田一枚植えて立ち去る柳かな〉〈初秋や海も青田の一みどり〉〈行春を近江の人とおしみける〉〈此秋は何で年よる雲に鳥〉の言い換え、またはレスポンスとして読める句だ。

こういう書法を指して、兜太や龍太は「なぞり」と言ったのだろう。

モチーフと語順がともに相似する句が見つかってしまうというのは(小林恭二は前掲書で「みづうみに鰲(がう)を釣るゆめ秋昼寝」が、赤尾兜子の「大雷雨鬱王とあふ朝の夢」を下敷きにしている可能性を指摘していた)、横にお手本を置いて書いているようで、やや鼻白むけれど、自分は、俳句のフレーズやリズムは、ポピュラー音楽のそれと同様、写し写されしながら更新されていくものだとも思うので、この「なぞり」はアリだ。もちろん、それぞれ佳句であり名句であると思うし、こんな書き方もあるんだと驚かされる。

「空も近江の水ぐもり」という意味的にぎりぎり伝わる語法は、芭蕉の「海も青田の一みどり」というよく分かるフレーズと対比すると、その茫漠たる精神の演出としての意味の解体に、しびれるような現代性を感じる。

また「秋の近江」の句の中七「かすみ誰にも」の「かすみ」のぶっ込み方。一気に芭蕉の「ゆく春」のイメージを引き込んで、その下でいきなり切れて、うっすらと三段切れしかも句中で切れるという形になっている。句全体のゆるやかな気息の中に、きわめて複雑なリズムを潜ませていることに、現代俳句としての新しさを感じる。

この二句などは、真似ようにも真似られないほうの句だろう。

若狭には佛多くて蒸鰈 『鯉素』
炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島
大年の法然院に笹子ゐる
さるすべり美しかりき与謝郡 『游方』


つづく二冊の句集『鯉素』と『游方』の代表句はじつに悩ましい。

「若狭には」は、田中裕明へとつながる飛躍した取り合わせの句として、「炎天より」は、波多野爽波ばりの無意味無内容の写生句として、読めるし価値が分かるのだが……。

大年の法然院に笹子ゐる

日常的な意識から飛躍のない構文、しかし、いわゆるただごと俳句ではなく、季語が二つと歴史的背景のある地名という「よき」要素ばかり。カードを三枚出して「上がり」を宣言されているような句で、「役は?」と聞き返したくなる。しかも「笹子ゐる」……声がきこえたのだろうけれど、気配をのこして、鳴く声を消してしまっている。これは、もちろん、わざとそうしているのだ。

さるすべり美しかりき与謝郡

この句は「杉」誌に発表の直後に、山本健吉が東京新聞で激賞した。「一読はっとさせる句。気づくと何かさわやかなもの、優雅なものが、胸のうちいっぱいに拡がってくるのを覚える句である」そして、その感興の実態は掴みにくいしながら、「与謝郡」といえば天橋立、あるいは、蕪村のゆかりの地であるのに、たださるすべりが美しかったと、ただそれだけが浮かび上がってきたのだとする。つまり、地名から連想されるものを見せ消ちにした(と言ってしまうと、そんな単純な話ではないと、二人に叱られそうだけれど)句であると。

澄雄は、山本の文章に「恐らく今の俳壇に出しても通らないでしょう」と礼状を書き、山本は「多分に君が言うように通らんだろう。ただし、これが“俳”だ」と返信してきたそうだ。(『森澄雄とともに』榎本好宏)。

「大年の」「さるすべり」の二句に、共通するのは、そこにほぼ、何も書かれていないということだ。季語があって、地名があって、それがよかったという。内容は、地名と、季語。表現上のレトリックと言えるようなものも、おそらく意識的に排除されている。

何も書かれていないと言っても、これは「ただごと」ではない。いわゆる「客観写生」の延長にある、生の現実性に回路をひらく「ただごと」の方法とは対照的に、これはいわゆる「花眼」による朦朧体によって、世界の直接性と自我をともに希薄化するための方法だ。

五七五の調子に合わせて、ただ、よきことの名前が唱えられる。こんな書き方は、芭蕉もしていなかった。

榎本好宏によれば、昭和54年ごろから、弟子から見て、句会で澄雄の句を取れなくなる、共感、感動できる部分がすくなくなった、(読み手への)サービスがなくなった、作品から指導性がなくなった、と感じられていたらしい。

ただ、この書き方、よけいなことを「言わない」コツを呑み込んでしまえば、あとは、季語と地名のカードを三枚出すだけなので、希少性、一回性が、失われやすい。小林恭二が、「境地は真似やすい」と書いたのは、ここのところではないかと思う。

つまり「森澄雄」が、この書き方で、なにも書かないで書くという発明をやってみせた。それは、一回限りの初発性において、最大の効果を発揮するものだった。

金子兜太は、森澄雄の死に際して「彼の句業の位置づけが不十分なことが思われてならなかった」「この機会に私なりに森澄雄の独自の俳句観(まさに彼の俳句観が見えてきてはっきりこう言えると確信しているわけだが)をここに書きとめておきたいと思う」「こうした俳句観を固めた俳人は、私と同時代の者のなかでもユニークだと思う」と、たっぷりと前置きをおいたあと「それは「近世文人意識」への傾倒」なのだと言う。

「近世文人意識」が、澄雄にとって(あるいは兜太にとって)なんだったかと言えば、それは、アンチ「近代文学」ということだろう。そして、それはアンチ「楸邨」なのだという診立ては、青木さんの引用によれば、あるていど共有されていたとも思える。

大阪やけふよく晴れてうめもどき 『浮鷗』
竹青しことに丹波の西日山 『鯉素』
白桔梗白木槿みな海蔵寺
行春の旅にゐたれば法然忌


同時期の作品から、上の二句のような、ミニマリズムを感じさせる句を拾った。

これらについては「けふよく晴れて」「ことに丹波の」という言葉のシナ、あるいは「曼珠沙華曼珠沙華」に通じる「白桔梗白木槿」という繰り返し「行春」と「法然忌」の季重なりのような、最小限のレトリックを加えて、成立している。

何も書かないために、よきものの名で十七音を使い切ってしまうという、澄雄独特の書法は、残りのスペースでニュアンスを加えることで、成立するものでもあった。

もし、この方向での作品の展開があったとすれば、デュシャンが「泉」のあとも、白いオブジェを作り続けたように、そこにあらわれる最小限のニュアンス、それによる固有性というものが追求されていったことだろう。


4.生きていてナンボかどうかは分からないけれど、病気はしないほうがいい

森澄雄は、六三歳の年に脳梗塞を発症し入院する。

楸邨とシルクロードの旅行が五十三歳。その後、十年で第三句集『浮鷗』第四句集『鯉素』第五句集『游方』を得てののちの発症だった。上のいわゆる代表句群でいえば『四遠』以降が、病後の作になる。『浮鷗』『鯉素』『游方』の三冊の達成と、『四遠』以後の作品では、はっきりと断絶がある(『四遠』以降の澄雄の句は、甘いと言ってしまっていいと思う)。

森澄雄は、飯田龍太と並んで、戦後俳句における伝統回帰の代表的作家と見なされていた。それは、澄雄が、戦後の現代俳句にあった近代文学的なもののアンチたらんとした作品の新しさによるものであった。

その試みの展開は残念ながら中断されたが、一度上がった番付は下がらないという俳壇的メカニズムによって、その盛名は維持され、作家の長寿によって、過大評価と言わざるを得ない部分が、時間と共にかさを増していったのだと思われる。

たとえば、龍太を(虚子でも、楸邨でも、敏雄でもいいのだけれど)最良の作家と考える俳句観から、澄雄のもっともオリジナルな部分は、評価のしようがない。

澄雄の死後の評価が、生前のそれに比して、さびしく見えるのは、そのせいだと思う。生きて、書き続けてくれないと、何をやっているんだか意味が分からない作家がいるのだ。

赤瀬川原平という人現代美術作家であり文章家でもあった人について、弟子筋といってもよさそうな糸井重里が、「生きていてナンボ」と言い放ったことがあって(もちろんまだ赤瀬川氏は生きていた)、わ、なんて酷薄なんだと驚いたことがあった。けれど、赤瀬川氏本人が動き続けてベクトルを示しているのでなければ(つまり生きて手形の裏書きをしていなければ)その作品を十全に評価できないという人がいるのだと思う。

森澄雄の作品のいくばくかは、森澄雄の顔込みで作品であったかもしれない。それは、彼の最もわかりにくい作品に対する導入にもなり、また、その難解さを覆い隠しもしたと思う。

もちろん、そうでない人もいる。

田中裕明や波多野爽波の現在の評価は、平成俳句が彼らの試行をとりこんで、いわばその延長に可能性を試しているからであることは明らかだ。

森澄雄は、小林恭二によれば「一九九〇年代以降の俳句シーンに最大の影響を及ぼした」そうだけれど、彼の試行のベクトルは、進化のどん詰まりだったのだろうか。

たとえば、写生の方法による宇佐美魚目や飴山實といった作家との影響関係はどうか、岡井省二という精神性や境地の方法論を引き継いだ作家、あるいは朦朧体ということでいえば田中裕明に、澄雄はどう継承されたか。あるいは、澄雄派であったらしい村上鞆彦さんは、いま自身の作品に澄雄句の遺伝子を受け継いでいるのか。

森澄雄という作家の「食べどころ」は、けっこう残されているのではないかと、思ったことであった。












後記+プロフィール 第527号

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後記 ● 西原天気


先週号の『クプラス』第3号(終刊号)はお楽しみいただけたと思います。話題を集めた「紙の俳誌」の終刊の場に「週刊俳句」を選んでいただけたのは、小誌としても光栄なことでした。

紙で発行する一方、ウェブ/週刊俳句ともうまく連動させる、というアイデアを『クプラス』創刊当時にほんのりと聞いたような気がします(記憶がおぼろげですみません。万事がこんな調子です)。今回、本格的な連動が実現したという意味でもうれしいことです。

もっとも、終刊号を週俳で、と聞いたとき(およそ1か月前、信治さんからのメール)はそうとう吃驚したわけですが。



さて、今月号も盛りだくさんです。

まず、柳本々々さんの新連載 「『ただならぬぽ』攻略」。去る2017年4月22日(土)に開催された現代俳句協会青年部によるイベント「読書リレー・ただならぬ虎と然るべくカンフー」の評判は、会場に行けなかった私のもとにもさかんに届いていました。とりわけ、々々さんによる『ただならぬぽ』レビューがとても面白かったとのこと。おお、それでは、ぜひ週俳誌上で、その面白さを再現あるいは新展開していただきましょう、ということで実現したのがこの「『ただならぬぽ』攻略」です。



新シリーズがもうひとつ。「中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜」は、音楽を俳句にからめて、というわけではまったくなくて、「俳句と無関係でもオッケーよ」というコンセプト。気ままで、いいかげんに、テキトーに続けます。「俳人は、俳句雑誌は、俳句にかまけすぎ」というのが日頃からの持論。週俳も、あまり俳句ばかりに集中しすぎると、顔の皺が増えます。



第8回田中裕明賞を受賞した『フラワーズ・カンフー』は、内容もさることながら、読者への届け方もユニーク。そのあたりの話を小津夜景さんにお聞きしました。


それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.527/2017-5-28 profile

■岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。東京出身、大阪在住。「炎環」「豆の木」所属。2007年第一回週刊俳句賞受賞。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ「ブレンハイムスポットあるいは道草俳句日記」

柳本々々  やぎもと・もともと
かばん、おかじょうき所属。東京在住。ブログ「あとがき全集。」

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。句集『フラワーズカンフー』 。ブログ「フラワーズ・カンフー

竹岡一郎 たけおか・いちろう
昭和38年8月生まれ。「鷹」月光集同人。句集『蜂の巣マシンガン』(平成23年、ふらんす堂)『ふるさとのはつこひ』(平成27年、ふらんす堂)

■小林かんな こばやし・かんな
1965年京都市生まれ。現代俳句協会会員。

■堀下翔 ほりした・かける
1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。筑波大学に在学中。

■橋本 直 はしもと・すなお
1967年生。「豈」同人、「鬼」会員。BlogTedious Lecture

中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter 

〔今週号の表紙〕第527号 地図を描く 西原天気

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〔今週号の表紙〕
第527号 地図を描く

西原天気

絵がうまくなりたいとはあまり思わない。もうあきらめている。けれども、きれいな地図、人が安心して頼りにするような地図、人が心惹かれるような地図が描けたら素敵だろうとは思う。



週俳ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら

【週俳4月の俳句を読む】隠し味 小林かんな

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【週俳4月の俳句を読む】
隠し味

小林かんな


10句という単位には作者の志向するスタイル、テーマなど、作品全体の方向性、一貫性が伴われることが多い。その一貫性の中に、読み手の私はちょっとした違和を見出そうとする。それが作者の意図だろうと、無意識だろうと、隠し味というのも侮れないものだ。

「おほさじ」は幼子とその家族の日常を描く穏やかな基調を成す。

遊郭より蝶一匹の放たるる  上川拓真

上の句が四句目に置かれたことで、10句全体が少し複雑な色を帯びる。それが疵なのか、個性なのか、浮力なのか、見極めようと、私は立ち止まる。

県庁よりホースの伸ぶる万愚節  瀬名杏香

「県庁」のサイズ感に納得する。「都庁」では大きいし、「町役場」でもない。「万愚節」で念押すあたり、作者の茶目っ気は隠しおおせない。

隠遁の楽師あつまる桑の花  小津夜景

木の板のうすくひびくは鳥雲に  同

龍天にのぼるオルガン組み果てつ  同

「隠遁」は禁じられた楽曲を思わせる。ただの「木の板」も楽器めいてきて、やがてオルガンに組み込まれる。オルガンは龍を送る楽を奏でるようでもあり、龍の臓腑として天にのぼるかのようでもあり、ポリフォニーな働きぶり。この通奏低音は10句の結びまで行き渡り、どことも知れない世界をふんわりと支えている。1句目、2句目、3句目と前句を踏まえて、だんだん加速し、ふくらませる配置、句間距離、句風が巧みだ。

麦茶少し残して席を立ちにけり  野名美咲

「殴れ」「貼りまくれ」「どもれ」と威勢の良い命令形3句で始まり、文語体の俳句らしい俳句に収束する意外な構成か。10句弾け通して、俳句の堅牢な枠を揺さぶってみたら、どうなっていただろう。殴れ殴れ殴れ。


第519号 2017年4月2日
堀下 翔 篁 10句 読む
第520号 2017年4月9日
瀬名杏香 そとうみ 10句 読む
関悦史 台湾 10句 読む
小津夜景 そらなる庭に ピエロ・デラ・フランチェスカによせて 10句 読む
上川拓真 おほさじ 10句 読む
野名美咲 怪獣のバラード 10句 読む

俳句の自然 子規への遡行 57 橋本直

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俳句の自然 子規への遡行 57

橋本 直
初出『若竹』2015年10月号 (一部改変がある)

前回までの「ぬ」に引き続き、俳句分類丙号における「切」について検討する。次項は「かな」である。子規は「かな」を分類するのにあたり、切れの位置に注目し、上五末の「かな」切れに焦点化して、それを春(九句)夏(八句)秋(八句)冬(十一句)で分けている。

  乞食哉天地を着たる夏衣  其角
  浮世哉月にはまふた芋に砂  杉風
  枯野哉雪くれて寝て見ん不二の味  言水 
  枝も哉嵐の木葉霜の花  宗砌

現在、一般的には上五を「哉」で切るのは嫌われる作句法であり、初心者には例外的なものと説明されているように思われる。これは切れ字の上が三音に固定されやや窮屈であることと、「哉」が座五で使われることが多いゆえに相対的に読者に違和感をもたれたり、倒置のように読まれやすくなったりして、結果切れの前後の飛躍が判じ物のように理屈でつながってしまうためかと思う。子規の分類においても収集数は四十句に満たないから、近世においても多くは詠まれなかったのかもしれない。それでも、引用したように、其角、杉風言水ら近世を代表する作家達が詠んでいる。また、最後にあげた宗砌(そうぜい)は室町中期の連歌師であり宗祇の師である。子規が集めた中で最も古い時代の句群の一つということになるだろう。先に述べたように、上五の切れに「哉」を用いることは現在あまり行われないゆえに、顧みられることが少ないのであるが、子規の分類によって歴史的にはかなり古い段階から継続実践されていたことが確認できる。

次に、中七の「かな」切が分類されている。中七の分類は、さらに数が少ないこともあって春夏秋冬には分けられていないが、中七にはあるが座五に哉を用いてないもの(子規の用語では「除句尾ニアル者」)と連体接続ではないもの(子規の用語では「除名詞ヨリツヾク者」)のまとまりと、単に中七中にあるもの(二句切れ、中間切れ)の二つに分類されている。とはいえ、こう書いてもいささかわかりにくいものなので補足説明をしておく。まず前者の分類では、

  道はこゝにとゝまれる哉神神楽  宗因

のように、中七の切れの「哉」が活用語や付属語に付いている句を分類してあり、後者では連体接続のものが分類してある。ゆえに、前者には「除名詞ヨリツヾク者」と断り書きがつく。

次に、後者では、

  若草にはや浮世かな末の露  昌察
  梅柳さそ若衆哉女哉  はせを 

これらように、中七の切れ字の「哉」(一句目)と、中七の切れでもあるが、並立表現になっていて下五でも切れになる場合(二句目)を併せて分類してある。ゆえに前者の分類に、「除句尾ニアル者」と断りが付けられているのである。

また、前者の分類の中には、

  夏木立哉池上の破風五寸  其角
  梅に月枕もがなの数ならず  東水

このような句も分類されているのであるが、前者は「夏木立哉」という上五の破調であろう。また、後者は「かな」ではなく「もがな」と思われ、いずれも子規の勘違いではないだろうか。この他、座五の「かな」切れのみの分類はない。それが、子規がその必要を感じなかったからなのか、多すぎて後回しにしたままになったものなのかは未詳である。

ところで、さきほど見たように、子規は下位分類をする場合、時折、連体接続か否かのように品詞の接続で分けようとする。それが数を分ける場合に都合がよかったからなのか、それ以上になにかの分類の方法概念が導入されていたのかはまだはっきりしないが、特徴的な態度ではあるので、なお注目していきたいと思う。

つぎは「よ切」である。句末の「よ」は、命令や呼びかけなどの「主体の意志・感情・判断・意見などを強く相手に押しつけようとする気持ちを表わす」(「新明解国語辞典」)語であるが、子規はこれを意味(①「命令話シカケ」)と接続(②「名詞」、③「形容詞」、④「除名詞形容詞」)の四通りに分類している。

  ①若楓矢数の篝もみちせよ  蕪村
  ②這ふ子にも土は薬よ瓜の蔓  素外
  ③くふて寝る身の不性さよ波の鴨  野坡
  ④衣打つよ田舎の果の小傾城  几董

このように、「ぬ」や「哉」と違って、切れの位置による分類を行っていない。当然「よ」も上五中七下五それぞれの末に使われているのだが、先の二語と違って、そこで分ける必要を感じていなかったということなのだろうか。

一方、続いて分類されている「ぞ切」はまた位置の分類に戻っている。基本、上五、中七、下五の句末にあるもので分類され、中七のみ名詞とそれ以外の接続にさらに分けられている。なお、

  口もとにある名そあれは草の花  踏青
  何急く家そ灯ともす秋の暮  几董

この二句のみ「切字」と書かれて別に分類されているが、見る限りはいわゆる中七の中間切れであり、やはり位置の意識で分類されていると思われる。


【俳苑叢刊を読む】 第16回 片山桃史『北方兵團』 戦争という日常 竹岡一郎

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【俳苑叢刊を読む】
第16回 片山桃史『北方兵團』

戦争という日常

竹岡一郎


北方兵團」は、片山桃史が昭和12年、日中戦争に応召された時の、いわば俳句による記録。尤も、「戰爭以前」と「戰場より」の二部に分けられ、句集のほぼ半分は戦争以前の、平時のモダンな句である。句集の題は、「戰場より」中の

北望すれば北方兵團の眼玉

による。この直前に「南京陷つ輜重默々と雨に濡れ」とある。昭和12年12月、南京陥落の際、日本中が戦勝の喜びに湧き、東京では奉祝の提灯行列が40万人に達したという。桃史の部隊が南京陥落の際、その場に居合わせたかどうか定かでないが、少なくとも大陸の戦場には居た。掲句においては輜重(しちょう)、即ち、食料品、武器、弾薬等、長い行軍に必要な諸々の物品、それらを運ぶ輜重兵たちが黙々と雨に濡れている。(或いは桃史自身も輜重兵か。)桃史の眼玉が見た風景に、勝利の興奮も正義の確信も反映されてはいない。ただ沈黙と重荷に満ちている。それが現場の目線であろう。「黙して」ではなく、「黙々と」と、中八にしてまで表したかったのは、蜿蜒と続く隊列の沈黙、この先も蜿蜒と続くと予感される沈黙の行軍だ。

「北望」の句に戻ると、北を望んでいるのは桃史だろう。では、北方兵団とは何か。南京陥落の直後だから、敵部隊とは考えにくい。自分たちの部隊よりも北方に居る味方の部隊か、桃史の属している部隊か。もし自分たちの部隊なら、桃史は部隊の只中にありながら、第三者(いわゆる神の視点か)のように、自分も含めた部隊を眺めていることになる。もし北方に居る部隊を眺めているなら、それはやはり日本の軍隊の動きを遠望しているに等しい。

なにもない枯原にいくつかの眼玉

斥候」と前書きのある掲句は、枯原を行く斥候の眼玉とも、また斥候が発見した敵兵の眼玉とも取れようが、前書きを外すと、空虚な枯原に眼球だけが、てんでバラバラに転がっているような印象を受ける。戦争の中でじっと瞬かない個人たちの眼だけを描いたようにも見え、その方がこの句集の本意に沿った読み方のような気さえしてくる。なぜなら、この句集は、聖戦賛美とも戦意高揚とも程遠いと思われるからだ。その代わりに、先の眼玉の句に象徴される如く、能う限りの客観性を以て戦争を描こうとしたのではないか。

北方兵團」の序に、桃史は言う。

戰場俳句に於ける僕の射擊は激情の速射を戒しめ、距離の測定、照準の正確、引鐵を落す指先ばかりに囚はれたため、彈著は槪ね對象の足許で土煙をあげた。本當はそれらを統べる精神の問題だつた。俳句と云ふ銃に裝塡される激しい作家精神の彈は、射擊敎範に云ふ「暗夜に霜の下りる如く」狙ひ擊つとき對象の心臟部を強く貫通するに違ひない。

一見、聖戦に従事する兵の本分に忠実な印象を受ける。しかし、桃史の正直な「作家精神の彈」は時代のどんな制約も受けずに、「對象の心臓部」、つまり、この句集においては、「ある特定の国家に属する兵」という立場抜きに、戦争という人類普遍の本能を貫通し暴きたいと欲する筈だ。そして貫通した結果が、この名句集なのだと思う。

この頃、大陸へ赴いた兵隊の感想を聞いたことがある。「戦闘よりも行軍の方が辛かった。戦闘が始まると、地面に臥せられるので、ほっとした。」この句集でも、同じような感慨が見受けられる。

冷雨なり眼つむり步く兵多し
秋風よ追擊兵は疲れたり


行軍中、あまりの疲れに歩いたまま眠っているのだ。「冷雨」が容赦ない置き方だ。二句目では、「秋風よ」という呼びかけが切ない。「追撃」と勇まし気な言葉であっても、その実態はひたすら歩いてゆくのだろう。風にでも呼びかけるほかなき疲れだ。

我を擊つ敵と劫暑を俱にせる

正直な感慨だろう。「不倶戴天の敵」というが、戦場で撃ち合うのは相手に恨みがあるわけではない。兵の義務だから、撃ち合い、殺し合う。あちらも暑いだろうと思い、敵兵と俱(とも)に炎天を戴き、奇妙な幻の共感をふと抱くのだ。

空爆の衝動快く憩へり

味方が敵を空爆しているのだが、それが勝利の幻想を抱かせるわけでも敵への憎悪或いは憐れみを掻き立てるわけでもない。敵が空爆されている間は、休める。神経を尖らせることも引鉄を引くことも無く、物陰に隠れて只休める。休める事が何よりありがたい、それだけだ。

「空爆の衝動」とは、空爆によって五感に突き刺さる衝迫、大気の振動であり地響きであろう。それすらも快い。束の間の休息を保証してくれるからだ。果てもなく行軍してきた兵士にとって、戦争は日常だ。

彈ひとつ壁刺ししのみ長閑なる

ここでは、そんな日常が皮肉に詠われている。平時なら、只一発の弾で忽ち非日常だが、ここでは一発程度の弾は、のどかな部類に入るのだ。

一線は射ち我れ飯を喰ひ梅を嚙む

一線では戦闘が行われている。作者は、そこから少し下がった所に居る。「衞生隊」という章にある事から、作者自身はこの時、衛生兵なのかもしれない。いつ負傷者が出るかもしれないし、いつ呼ばれるかもわからない。何よりも、一線がこちらへと下がってくることだってあり得る。ともかく眼前の飯を喰ってしまわねばならない。梅を嚙んだのは、慌てて種を嚙み砕いてしまったのか、それとも少しでも栄養を取るためにあえて嚙み砕こうとしているのか。戦友が戦っているときに自分は飯を喰っているという黒いユーモアだが、作者のひそかな罪悪感も含まれているだろう。

戰場の動物たち」という章に「」と題された句がある。

食ひあかずかなしきかなや天に風

眼前の豚を詠っただけではなく、いつも飢えて行軍している自嘲でもあろう。風ならば飯を喰わなくとも良いので、自由に天までも行ける。同じ章に「驢馬」と題された句、「愚かなる瞳(め)は戰爭の拔けし孔」と合わせ読む時、戦争という行為に絶えずかきたてられる人類の一員としての自嘲かもしれない。「黃天」の章にある「死の夏天驢馬に愚かな縞ありぬ」も同じ感慨であろう。

葬り火か飯を焚かむと來て禮す

戦友を火葬しているのだろう。それとは気づかずに、飯盒を火に掛けようと近寄った。「禮す」には哀悼の意の他に、自らは生き延びて飯を喰う事への、死者に対する恥じらいが含まれているだろう。

冷雨なり二三は遺骨胸に吊る」の句から、火葬した遺骨は兵士たちが可能な限り持ち歩いていたと思われる。

胃を照らす月光圍りには寢息

腹が空き過ぎて眠れぬのだ。月光は我が胃の空洞を照らしているようにさえ思えてくる。個人の飢えを照らしているのだ。周囲はみんな寝息を立てている。この状況で「胃を照らす月光」と洒落たことを言える作者を眠らせないのは、肉体の飢えだけではなかろう。
次の句はいずれも「戰爭以前」に収められた句である。

タイピストすきとほる手をもつ五月
透明な紅茶輕快なるノック
雨がふる戀をうちあけようと思ふ
雨はよし想出の女みな橫顏


本当は、澄んだもの、優しいもの、清純なるものに精神が飢えているのだ。戦闘も取り敢えず果て、皆が寝静まった夜中、澄んだ月光に照らされて、美しい数々が浮かび上がる。大陸でも日本でも、同じ月光であろう。雨が降ればよいのに、と密かに思ったかもしれぬ。

擔架舁けりちきしやう狙擊してやがる
軍醫の灯つゝしみぶかき手に蓋はれ
水を欲(ほ)り重傷者なりやるべきか
水欲し亢奮の掌にのみこぼす


いずれも「擔架中隊」という章の句。担架を支えている最中も弾が飛んでくる。弾を潜り抜け、何とか味方の陣に転がり込む。軍医の傍らで、指図のままに灯を手で覆い、或いは灯の方向を調整している兵の、困惑と冷静さと沈痛な面持ちを「つつしみぶかい」と表現している。戦友は水、水と呻く。「やるべきか」とは、腹に被弾しているのか。もし腸が裂けているのに水をやれば、死ぬ。だが、やらなくとも死ぬかもしれぬ。末期の水と思って、渇きを癒してやるべきか。結果、水は与えられたのだ。「亢奮の手にのみこぼす」という表現に、負傷兵の切迫した息遣いが顕れる。

雷雲の上に臥しなほ擊ちあへり
もりあがり地平のしかゝりくる苦熱


超現実の描写がなされているが、実感だろう。一句目では、砲撃か空爆の地響きが、この身にとっては雷雲そのものの上に臥しているように伝わるのだ。二句目では、爆風が土煙が、地平の起き上がり我が身へとのしかかるように熱く、息を詰まらせるのだ。

穴ぐらの驢馬と女に日ぽつん

女は唯一残った財産である驢馬を連れて、穴ぐらに避難していたのだろう。陽が差し込む程度だから、隠れるには浅すぎる。「ぽつん」とは、女の、明日の見えない心でもあろう。

殺戮の涯し風ふき女睡れり

殺戮の漸く果てた後で、硝煙や血や呻きの匂う風の中で、女はひと時の眠りに落ちる。疲労が限界に達したゆえの眠りであって、安らかでもないし深くもない。

暴河かの一點の灯に棲む人は

氾濫の多い河の向こうに棲む人も、やはり不安な夜に、希望とはとても言えぬ灯をともす。こちら側から見れば、あえかな一点に過ぎない。「暴河」の語には河の氾濫のみならず、戦争の暴虐も重なるだろう。

ここに詠われる人々は、作者の味方側ではない。大陸の、いわば敵側の民である。敵味方や正義という概念を超えて、見知らぬ一人の女を、誰のものとも知れぬ一灯を思っている。帝国でも軍でもない一個人として、同じく一個人の抱えている不安と絶望と一時の休息に寄り添っている。だからこそ、次の句群で作者は儚い希望を詠う。

難民の駱駝秋風より高し
天上に颶風童女を載せ駱駝


駱駝の上が秋風より高いのは実景のように見えて、実は作者の密かな願いである。二句目では、童女(当然、難民の子であろう)は、駱駝ごと大風に乗り、天上を馳せる如く見える。そうあって欲しいと祈る作者には、罪責感情があるだろう。どうしても兵になりきれない桃史である。

うすあかうほとりは春の唇死ねり

死んだのは戦友だろうか。或いは敵の兵士か。民間人の女子供かもしれない。死せる唇以外、時間も場所も状況もおぼろげだ。「うすあかう」とは暁なのか、夕暮れなのか、それとも地の色か、或いは飛び散り沁み込んだ血か。

「ほとり」とは、「我が身のそば」の意かもしれず、「大河の水際」の意かもしれず、「片田舎」の意に取れば「都(東京)から遠く離れた戦場」の意かもしれず、或いは「極み」と取れば、「戦闘の果てにおいて」の意かもしれない。

死ぬのは「春の唇」、笑ったり食べたり言葉を発したり口づけたりする器官だ。「春」というからには、まだ若い唇が想起される。死の、取り返しのつかなさを、茫洋と抱きしめているようだ。

ひと死ねり御勅諭を讀む日課なり

御勅諭とは、「軍人勅諭」だろう。「日課」とあるから、兵の義務として課せられた口誦の景かもしれない。それとも束の間の個人的な時間に、国家の兵とは何か、その本質を、勅諭の悲愴な文体から探ろうとしているのかもしれない。

「ひと死ねり」の際に読み、想い湧き乱れる箇所は、「世論に惑わず政治に拘らず只々一途に己が本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」ではなかったろうか。いずれ自分も無残な死を遂げるかもしれぬ、その時の為に「死は鴻毛よりも軽し」と、日々己が心に叩き込まなくてはならぬ。しかしそれならば、

ひと死にて慰問袋の獨樂まひ澄む
ひと死にて色盲の子の圖畫とどく
氣輕に死に一箱の煙草匿(かく)しゐき


これらの死の状況は、御勅諭の外にある。御勅諭を以て納得する事の出来ぬ死である。鴻毛よりも軽く、気軽に死んでゆく兵の、一箱の煙草に託していた密かな休息よりも、御勅諭はかけがえがないのか。遥か故郷から海を渡り来て、眼前に舞い澄む独楽よりも、御勅諭は清らかであるのか。色盲の子の描いた、全面戦争へ傾いてゆく世相を体現したような色の図画よりも、御勅諭は切実であるのか。

黃天にキリストのごと落伍せり

行軍について行けなくなった瞬間であろうか。或いは、落伍したのは友かもしれぬ。自らであれ、友であれ、行軍からの落伍者を敗者とは視ず、キリストと観たのだ。(キリストは、勝者こそが正義である糞のような世の只中にあって、勝ち負けという二元対立を遥かに超えて輝く義か。)つくづく軍隊に向いていない作者だ。

この「キリスト」の句の直前には、「いつしんに飯くふ飯をくふはさびし」と、動詞の繰り返しの句が置かれ、直後には「旗をふり旗をふり城壁より墜ちし」と、同じく動詞の繰り返しの句が置かれている。生きるため喰う事を反復する句と、死に至るまで正義の旗を振り続ける句の間に、キリストは挟まれているのだ。この配置に秘められた作者の眼差し。

戰爭以前」にはこんな句がある。

雨ぬくし神をもたざるわが怠惰
紫雲英野をまぶしみ神を疑はず
蝶ひかる風ふき神は寢たまへり


行軍中には次のような句を作っている。

叱られてられてありたりし神よ
花の上に神々を見失ふ勿れ


戰爭以前」よりも神の立場は一層切実となっているように思える。「哀悼」という章の冒頭に置かれた、この二句の後に、先に挙げた「ひと死にて慰問袋の獨樂まひ澄む」「ひと死にて色盲の子の圖畫とどく」が置かれている。

「叱られて叱られて」は、童謡「叱られて」(作詞・清水かつら、作曲・弘田龍太郎。大正九年四月、少女雑誌「少女号」に発表)の冒頭部分をそのまま思い出す。戦後に至るまで人口に広く膾炙している歌だ。小間使いや子守として遠く奉公に出された子供たちの哀しみを詠った詞で、桃史の少年時代には、巷に良く唄われたであろう。

哀悼」とあるから、戦友の死を悼んでいるのだが、桃史がこの童謡の歌い出しの部分を使ったのは、桃史と同年代の兵に捧げるためではないか。陸軍の初年兵は、怒鳴られ殴られ続ける日々であった。

恐らく「叱られて叱られてありたりし」で一度、句は切れる。そのあと「神よ」と嘆くのは、桃史であり、死んだ戦友であろう。

二句目も、死んだ戦友に語りかけていると同時に、自らに言い聞かせている筈だ。惨たらしい死を遂げた友に、せめて花という慰撫を捧げている。「神々を見失ふ勿れ」の意味を、「神」という語から本来想像されるべき、優しく穏やかな気高い雰囲気に即して思い、かつこれが戦場から発せられたと考える時、胸が詰まる。

(「神」の二句により死者の童心を、「ひと死にて」の二句により遺児の童心を描き、二つの童心を並列させることにより、戦争から死者を解き放とうとする、桃史の祈りも読むことが出来よう。どちらの童心もあまりに哀しい。)

戦場においても神を見失わなかった桃史が、「燃ゆる街」という章において記した句群を、ここでどうしても挙げねばならぬ。(無念を詠うとは、むごたらしさを詠う事か。多分、そうだろう。では、無念に寄り添うとは、怨念を背負って立つ事か。)

生きの身燃えひとりいや二人だ燃えつゝ擊つ

敵兵が飛び出してきたのだろう。「ひとりいや二人だ」、敵兵の身は炎に包まれて、個人単独の肉体という領域を無くしつつあるように見える。そもそも戦争がそういうもの、個人の領域を踏みにじるものだ。炎に包まれて撃つ動作は、指の肉が焼け縮む結果に過ぎないのかもしれない。こちらが何もせずとも直ぐ倒れ、肉塊となるだろう。その敵兵の、瀕死の痙攣的なあがきを、大幅な字余りとギクシャクとしたリズムによって写生している。写生されているのは死ではない。いつ果てるとも知れぬ地獄だ。

燃ゆる街犬あふれその舌赤き   
犬あふれ屋根の上にも人死ねり


犬は炎に囲まれて、その舌もまた炎を吐き出すごとく赤い。人は地に死ぬのみではない。銃撃と炎に追われて、あらゆる場所で、屋根の上でさえ死ぬ。犬なら、燃える街でも生き延びるだろう。犬は殺戮の対象ではないからだ。兵は人間をこそ殺さねばならない。殺さなければ兵ではない。生きるために殺すのか、いや、殺すのは義務らしい。いつの間にか義務となった。では、生きるのは殺すため、殺すために飯を喰うのか。

街燃ゆる劫暑のにがき舌に飯

苦いのは、街に燃える瓦礫や焼ける屍や炭となる未来の味かもしれぬ。それでも、飯は何としても喰わねばならぬ。

頭あり我あり發射彈快調

撃つべき頭がある。相手にとってはやはり撃つべきわが頭がある。恨みはない。名も顔も、その家族も知らない。敵兵だから撃つだけだ。発射弾は日常の如く快調である。快調に気軽に死は飛び交っている。

喇叭ふき人ら岩攀づ墜ちては攀づ
あるひは墜ち墜ちしまゝ手榴彈の音
人をめき岩攀づ鐵火そこに裂け
屍らに天の喇叭が鳴りやまず
雷電と血の兵が這ひゐたる壕


この連作において、初め兵が吹いていた喇叭は、人体と共に炸裂する手榴弾の音や、岩もろとも人体を抉る銃弾の閃光を経て、いつか天に何者かが吹く喇叭と化す。やがて雷となって地をおびやかす。生者が死者へと変化するにつれ、喇叭は地を離れ、天に属するものとなる。

ここに戦場の興奮と幻視が存する事は否めない。何としても生き残るために、肉体が、脳が高揚するのは自然の摂理である。この世の終わりに立ち会っているような、恐ろしい血の滾りであり、実際、戦闘する当事者たちにとっては、この世の終わりに等しい。この滾りと恐怖と絶望を、遥か東京の指令部で、飢えず凍えず焼かれず、大陸の地図を広げている者達は、味わう事がない。なぜ終末の、黙示録の喇叭は、我々の上にばかり鳴り止まぬのか。

一齊に死者が雷雨を驅け上る
屍なほ鬪へり月の炎あげ


「死者」とは霊であろう。死して尚、戦争の激情の最中にあり、その激情の具現化であるかのような雷雨を駆け上る。雷雨は高みから、避けられぬ運命の如く地上を打ち、死者達は地上からの逆襲のように、雷雨と同じ烈しさで、天を叩きつけんと駆け上る。だが、掲句における「死者」とは、本当に死者なのだろうか。彼らは実は生者であり、生きながら既に死者として疾駆しているのではないか。

では、二句目の「屍」とは何だろう。未だ戦いの意志を顕わし、力み、ねじくれ、見開いたまま息絶えた肉体を描いたとも取れよう。もう一つは精神の無い肉体、思考も感情も絶えた肉体だけが動き、殺し合う様を詠ったとも考えられる。それは理想の兵かもしれぬが、すでに人外のものだ。月光であり陰性の光である冥府の光源は、「屍」を照らすのだが、地上の生き物が太陽の光に活かされるように、彼らは月の光によって活かされ、全身から月の冷たい炎を上げ、炎を呼吸する。

兵は、もはや生きているのでも死んでいるのでもない。生にも死にも如何なる安らかさも見出せぬゆえに、生と死の区別がつかない。この二句が集中の白眉であり、絶唱である。何と痛ましい白眉であるか。

陽炎よ耳盲ふるは花の光か

戰爭に捧ぐ」の章にある、この奇妙な句を、砲撃爆撃の為に耳が聞こえ辛くなった様と読んでも良いが、戦争によって五感が互いに入り交じり常のものではなくなったと見ても良い。陽炎の中で、何もかも霞んで見えるのだ。それは聴覚の減退によって生じているのかもしれぬ。言葉通りに読めば、耳が聞こえなくなったのは花の光ゆえ、あるいは耳が聞こえないこともまた「花」である光だ、とも読めそうだ。

しかし、これは戦闘果てた後の、まるで生きながら彼の世にいるかのような静寂を表現したかったのだと思う。戦闘の極度の緊張からまだ回復していない五感に、世界は陽炎のように揺らぎ、静寂は聾(みみし)いたように思え、無残な戦を経た目には花の色は余りに眩しく、光そのものから形作られているように思えたのではなかろうか。戦禍と、あまりに美しい花や風景との、激しい落差が人を狂わせる、その例を、沖縄の地上戦において聞いたことがある。

(尤も、「戰爭以前」の句に「いんいんと耳鳴りわれに時亡ぶ」がある。平時よりふっと彼の世に心跳ぶ作者であったかもしれぬ。または自らの運命を予感していたのだろうか。)

秋風部落」と題された一群は、占領した部落のさまであろう。

頑是なき人に銃擬す秋風裡
女去る秋風の兵を眼に視ざる
紅の鞋(くつ)手榴彈秋の土間に蠅


ここに勝利の実感は皆無なのだ。この期に及んで銃を突きつけねばならない遣る瀬無さ。恐怖からか怒りからか、決してこちらを見ない現地の女、その寄る辺ない後姿。女か子供かの美しい靴と、手榴弾が、同じ空間に転がっている。屍の空虚な眼にたかるように、かつて生活の在った土間に居る蠅。

生きてくふ飯荒寥とひとりびとり

それでも飯を喰い、次に進んでゆく。まだ生きてまだ行軍するために、飯は食わねばならぬ。「荒寥」とは兵士の心情でもあり、眼前の大地でもあろう。勝ち残った筈なのに、栄えある皇軍兵士として意気軒高と食うのではない。暴力の果てた後、暴力の当事者として、「ひとりびとり」、個人の孤独の中で飯を喰うのだ。

片山桃史は日中戦争から帰還して、昭和15年10月、この句集を出した。昭和16年、再び応召、その年の12月8日、太平洋戦争勃発。各地を転戦し、昭和19年1月21日、飢餓とマラリアの蔓延するニューギニアにて戦死。享年33歳。

戰爭以前」の中から二句引こう。

夕燒けてマストの十字架(クルス)ひとおりる

船の十字型マストから人が降りたと読める。しかし「クルス」とルビを振っているから、まるでキリストが磔刑から解放されたようにも見える。先に「黃天にキリストのごと落伍せり」を引いた。十字架(クルス)から降りたのも、やはり片山桃史ではなかったか。

身のまはり靑き濕度の手紙書く

「靑き濕度」に片山桃史の憂愁と詩性を見る。戦争以前にそうであったように、大陸の乾いた戦場にあっても、彼は青き湿度を以て句を作ろうとしたのだと思う。生きて帰れば、戦後俳句にどれほどの色彩と清澄が、何よりもどれだけの良心が加わったことだろう。

新連載 『ただならぬぽ』攻略1 ふとんからでる 柳本々々

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新連載
『ただならぬぽ』攻略1
ふとんからでる

柳本々々

  ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ  田島健一

『週刊俳句』編集をされている福田若之さんから田島健一句集『ただならぬぽ』について書いてみませんかとお話をいただいたので、何回かにわたって書かせていただくことにした。

今年の二月くらいに田島健一さんの句集『ただならぬぽ』をイベントで読んでみませんかというお話を現代俳句協会青年部からいただいてもともと田島さんの俳句に一度ちゃんと向き合ってみたいという思いがあったので、はいやります、と言ったのだが、田島さんの俳句にどこから向き合えばいいんだろうと隙があると寝込んだりもしていた。かつて田島さんの「白鳥定食」の句の感想を書いて、なんだか自分が負け戦をしていたような負い目もあった。

田島さんの俳句に〈どこ〉から向き合えばいいのか、というのは結構むずかしい。ひとは、俳句に、〈どこ〉から向き合うんだろう。俳句をふだんつくらない私が俳句を読むことができるんだろうか、これちょっとまずいんじゃないか、〈ただならない〉状況なんじゃないか、私は多摩図書館にほんとうに行けるんだろうか、多摩図書館のリアリティがぜんぜんないぞ、とふとんのなかで思ったりもしていた。会場が多摩図書館だったので。ちょっとした、旅になる。私が昔住んでいた国立(くにたち)の近くだ。じんせいは、わからない。ふしぎなちからが、ある。

そのときふっとふとんのなかで思い浮かんだのが、『ハゲの女歌手』を書いた不条理演劇の作家イヨネスコが書いた日記である。私は人生のそのときどきでイヨネスコが書いたその一節を思い出していたのだが、〈そこ〉から始めればいいんじゃないかと思った。田島健一とイヨネスコの組み合わせは意外だったが、しっくりいった。引用してみよう。
わたしは小さな田舎町を散歩していた。突然私は心臓部に強い衝撃を受けた。それは事物の境界を崩壊させ、定義をばらばらに分解し、事物や思考の意味をなくさせてしまった。わたしはつぶやいた。「これ以外に、これ以外に真実はなにもないのだ」と。そのこれをむろんわたしは定義できなかった。それは定義の彼岸にあるものだった
(イヨネスコ『過去の現在 現在の過去』)
コトやモノがとつぜん意味がなくなりばらばらになってしまう世界。しかしそれがこの私にとっては真実のように強く感じられてしまう世界。でもその強く感じられたことを言葉にすることがまったく意味をなさない世界。そういうアクロバティックな認識の〈根っこ〉の世界が田島句集の世界観なんだと、わたしは直観した。これぞまさしく、〈白鳥定食〉であり、〈ぽ〉ではないかと。

田島健一は俳句で〈世界のただならなさ〉を描いているんだと。

しかし、と私は(まだ)ふとんのなかで思う。こんなことを突然話し始めて、あのひとは少しようすがおかしい、だいじょうぶなのか、と言われないのかという心配があった。世界の根っこについて話すということは、けっこう、危機的な体験である。世界のルールに抵触するからだ。聞き手の生駒さんが、こいつなんかヤバいぞ、という眼でわたしをみつめている絵が想像できた。

うーん、でもなあ、と思う。

  世界ずたぼろ夜空に実る枇杷の量  田島健一

田島さんの「世界」は「ずたぼろ」なんだよ、と思う。だって俳句にそう書かれているんだもの。だから、根っこの話をするしかないんだよ、と。たとえ、やぎもとくるっているとおもわれても。まあでも基本的に文学は《くるっている》。

わたしはその話をすることに決めた。ふとんから、出た。

  己が何か知らざる咲いてみれば菊  田島健一

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 第1回 ザ・ビーチボーイズ「想い出のスマハマ」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
第1回 ザ・ビーチボーイズ「想い出のスマハマ」


天気●夏ですねえ。

憲武●暑いですねえ。

天気●夏といえば、ベタですがビーチボーイズ。といっても、ちょっと変わり種。



憲武●うーん、これ、失敗作ですよね? でもどこか憎めないって感じ。

天気●欧米の映画なんかでたまに出てくる妙にエキゾチックな日本。勘違いな日本です。

憲武●前奏は一瞬、伊福部昭か! と思いました。あまりにもオリエンタル。

天気●曲とか音とか、それほど悪くないんですが、なんか、背中ムズムズするですよね。

憲武●ムズムズしますよね。

天気●途中では日本語も歌う。

憲武●日本語の歌詞はメンバーの女性秘書フミコが書いたとか、メンバーの秘書兼恋人スマコ・ケリーという韓国人ティーンエイジャーが書いたとか、諸説あるようですが。

天気●韓国人でスマコ?

憲武●これ、ぼくが高校三年か浪人の頃リリースされたかと記憶してますが、最初に聴いたのがたしかラジオで、「日立ミュージック・イン・ステレオハイフォニック」だったか。あ、BYニッポン放送です。当時はこういう勘違いな日本モノってブームだったような気がします。

天気●日立がスピーカーとか作っていた時代ですね。Lo-D。

憲武●テイスト・オブ・ハニーが「スキヤキ」を歌ったり、スティーブン・ビショップのビッグハウスという曲では、「ルニーは日本からやって来た」って歌詞のあとに中国風のフレーズが入ったりと。しかしタイトルが「スマハマ」って。日本語タイトルは「想い出のスマハマ」!

天気●最初、砂浜をスマハマと聞き違えたのかな? sunahama と sumahama は音も字面も似てるし。ま、アメリカ人だから、しゃあないな、と。

憲武●しゃあないですね。

天気●でもね、兵庫県人としては、ひょっとして須磨のこと? と。で、ちょっと調べてみると、須磨浜だった。この曲の作曲・歌唱のマイク・ラブは当時、マネジャーのスマコさんと恋仲で、そのスマコさんは一時期、須磨の近くに住んでいた。スマコさんだし須磨だしってことで、このラブソングが誕生したというわけです。

憲武●ええっ? そのスマコさんって韓国人ティーンエイジャーの??

天気●ま、アメリカ人だから、しゃあないな、ですね。

憲武●しゃあないですね。

天気●須磨だと思えば、源氏物語チックな雰囲気もしてきて、10年に1回くらいは聞いてもいいかな、という曲なんですよ、私にとっては。

憲武●なるほど。言われてみると心づくしの秋風のように沁みてきますね。

天気●ああ、夏が始まったばかりなのに、もう秋風、吹いちゃいましたね。

(次回は中嶋憲武推薦曲)

俳句雑誌管見 破綻はあるけれど 堀下翔

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俳句雑誌管見
破綻はあるけれど

堀下翔

初出:「里」二〇一五年七月号(転載に当って加筆修正)
初出時タイトルは「破綻を無視する」

「鏡」二〇一五年七月号に掲載されている羽田野令「翳り」十四句が面白かったので今回はこれについて書いてみる。たとえば一連はこの句から始まる。

渡廊下は涅槃図を出てからのこと  羽田野令

涅槃図のなかにはいろんなのがいる。羅漢だとかの仏弟子をはじめ、心を持たない動物たちまでもが来て、釈迦の入滅を悲しみ、今生の縁を結ぼうとする。釈迦が涅槃に入ろうとすると空の色が変わるので、それで事態を察した世界中の者たちが押し寄せるのである。だから涅槃図というのを見るとだいたいものすごい混みようである。よく見ると象なんかがいてのたうちまわったりもしている。そしてみんながみんな号泣しているので涅槃というのはある種とんでもない騒ぎだったのだろうなと思うのである。

掲句はその涅槃図から誰かが抜け出てきたという。空想的なことを書いているようだが、文字通り受け取ってみる。渡廊下は涅槃図が掛けられている寺あたりのそれだろうか。涅槃図目当てに観光客が来ている寺でもいいが、やはり、寺らしい、粛然とした空間を想像したい。涅槃図の中の喧騒を想像するにつけ、この渡廊下のしいんとした感じは際立ってくる。

ところでこの句の形はちょっと変だ。「渡廊下」を主語にし、そこに区別の助詞「は」を使う。だからこの句が話題にしているのは「渡廊下」である。単に涅槃図から誰かが渡廊下に出てきたというだけではないニュアンスがある。涅槃図を出る前から、その先にあるのは渡廊下であるとこの人は知っていて、目指していた。あるいは、渡廊下を去った後、涅槃図から現在までのみちゆきで最も印象深かったのは渡廊下であると考えている。いまいち読み切れないうらみはあるが、「渡廊下は涅槃図を出てからのこと」という表現を見る限り、ともかくも主題化しているのはなぜか渡廊下であり、文脈が見えないことによる不可思議な読み心地が、この句の魅力になっているのだ。

「こと」というのもヘンだ。「渡廊下」は名詞なので、これを受けるとすればふつう「もの」になる。「こと」というのは、なかなか説明しづらい概念だが、たとえば、出来事を受ける言葉である。そうなるとこの渡廊下は、単なる場所ではなく、何かの出来事の換喩として、この人に認識されていることになる。「渡廊下(で起こる/起こったこと)は涅槃図を出てからのこと」だとか、「渡廊下(でわたしが行う/行ったこと)は涅槃図を出てからのこと」だとかの省略と説明すると分かりやすいか。

とはいえ、そこまで生真面目に言葉を補う必要はないだろう。何の断りもなく「こと」と書かれている以上、この人にとっての渡廊下は、「もの」ではなく、疑いなく「こと」だったのだ。この句にはそのような不思議な把握の仕方が内面化しており、それを追体験すべく、想像力を駆使することが、読者の愉楽なのだ。

さて、さらに言うと、「こと」のあと、述語に相当する部分が欠落しているのも掲句の特徴だ。掲句が読み切れなくなっている原因はここにある。「こと(だろう)」なのか「こと(だった)」なのか、あるいはほかの何かなのか、時制がはっきりしないがために、句意があいまいになっているのだ。このあいまいさは、この一句が空想の産物であることと、表裏一体をなしている、

「翳り」の句の多くは、このように、意味を伝達するには表現が破綻しており、具体的な像を結ばない。

蒲公英の葉をぎざぎざと遡行する  同

蒲公英の葉はぎざぎざで、だからあの葉を遡行するとなれば、たしかにその遡行の様子は、副詞でいえば「ぎざぎざと」になるだろう。「葉」を修飾する慣用的な表現が、さりげなくずらされ、「遡行する」を修飾する副詞になっている。

「遡行」とは何だろう。文字通り、遡ることだけれど、これは基本的には、水の流れに対して使う言葉である。川を遡行する、とか。SF小説で「時間遡行」などということもあるが、これもやはり、時間を水流に譬えているのである。だから「蒲公英の葉」を「遡行」するというのは、日常の言語感覚とはズレている。

掲句の主語は何だろう。というか、具体的にどういうことを言っているのだろう。考えるほどに頭がこんがらがってしまう。

小さな虫が葉をちょこまかと登っている、という読みがまずひとつありえる。虫を擬人化しているきらいがあって、少し幼いが、そういう自然詠として受け取ることができる。この場合、「虫が」という主語が省略されていることになる。

だが、日本語が省略する主語といったら、何を置いても、わたしだ。だからこの句はもうひとつ、人間が蒲公英の葉を指先でもてあそぶ景と読むことができる。葉先から茎の方へさわることか、あるいはその逆かを「遡行」と言っているのである。この場合は「遡行」という表現に破綻があるが、詩的な破綻のうちだろう。人間の指にはごく小さい蒲公英の葉に対して「遡行」という大げさな言葉を持ち出すことで、葉にさわっている時間の長さもわかる。

他、同句群中には「天頂の翳りへ蝶を追ひつめる」「おとうとにあぢさゐの息濃かりけり」といった句も見ることができる。日常の言語感覚の破綻を逆手に取ることで微妙な気分を再現する句群といえようか。

小津夜景インタビュー わたしは驢馬に乗って本をうりにゆきたい

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小津夜景インタビュー
わたしは驢馬に乗って本をうりにゆきたい 


Q●夜景さん、こんばんは。「みみず・ぶっくすBOOKS」のシリーズ、楽しませていただいています。かわいらしい本、ちょっと変わった本。毎回、心躍ります。

夜景●このシリーズはヴィジュアル重視なんです。手に入りにくい他国の本を「良書です」と言ってみても、本当かどうか誰も確かめられないでしょう? それで写真を多めにして、みんなそれぞれに俳句を愉しんでいる様子を中心に紹介できたらいいな、と。

Q●昨年はご自身の本『フラワーズ・カンフー』が出ました。内容やデザインとは別に、私が驚いたのは、上梓後に夜景さん自身が、いろいろな本屋さんに『フラカン』を卸していらっしゃることです。これは当初からのプランなのですか?

夜景●いいえ。でも自宅に届いた在庫を眺めていたら不思議と売りたくなりました。

Q●ああ、そうなんですか。

夜景●これを自己分析すると、なんというか、人類学的所業としかいえない感じで。つまり人類には、目の前に山積みになっているモノを見ると、それを「交換」の糧として旅する習性がある、とでもいうか……。とにかく『フラカン』を売り始めたのは、私自身にとっても思いがけない原始的衝動でした。

Q●夜景さんのブログの句集紹介ブログ記事に並んだ「小さな本屋さん」の数々。どこも素敵ですね。従来の書店とはひと味違う個性的でおシャレな書店が増えていることはなんとなく知っていましたが、「全国にこんなにもたくさんあるんだ」と、ちょっと驚きました。

夜景●あれは「本屋さん・素敵」でネット検索して、まず大まかなリストを作成し、次に各店のオンラインショップや検索画像などから扱っている本の傾向を確認しています。

で、そこから具体的な交渉先を絞り込んでメールを差し上げるわけですが、内容は、(1)『フラカン』の基本情報、(2)著者による紹介、(3)出版社による紹介、(4)著者のさいきんの活動、(5)販売条件を一覧にした上で、ブログに載せている現物写真へのリンクをつけています。

Q●ご自身のプロフィールは?

夜景●略歴・句歴・賞などは書かないですね。訊かれたこともないし。

Q●本の営業であって、自分の営業じゃない。そのへんは潔癖ですね。

夜景●さいきんでは本屋さんの側が「あそこに連絡してみたら?」と教えて下さったりもします。いちばん時間をかけるのは、本屋さんのキャラクターの把握です。なにせ手元の在庫が限られているから、いいなと感じた場所に卸さないと本がなくなってしまう。だからネットで拾える情報は端折らず確かめて、じっくり販路を広げるよう気をつけています。

Q●量が捌(は)ければいいという姿勢ではないんですね。

夜景●その姿勢だと東京偏重になるでしょう? この本は田舎の女の子に触ってみてほしいなというのが素朴な次元としてあるんです。私、自分が田舎育ちなので。

Q●「触る」んですか?

夜景●はい。触ってほしい。私自身、高校生くらいまではお金もないし、おしゃれな思想書とか、きれいなアートブックとか、ほとんどの本はお店でじっと眺めておしまいでした。でも実は、あのとき手に入らなかった本こそが今の自分の嗜好に大きな影響を与えているというのを、ほんと事あるごとに感じるんですよ。

田舎のほうが情報が乏しいからか、それらの本のタイトルや雰囲気を、書物への純粋な憧れを形成してくれたものとして、いまだにちゃんと記憶しているんですね。もちろん買ったり読んだりしていただけるのも、とても嬉しいことですけれど。

Q●なるほど。

夜景●都会以外では『フラカン』をあつかう本屋さん同士が地理的に近くならないよう配慮したりもしています。これは或る本屋さんとご縁をもったら、無粋を避けるために、もうその周辺の本屋さんには営業をかけないという意味です。

Q●その手の仁義はだいじです。

夜景●あと、やってみてわかったのは、新刊・古本を同時にあつかう本屋さんに魅力的な店がとても多いということ。それに気づいてからは古本屋さんもチェックするようになりました。

Q●お聞きしていると、たいへんな労力のように思えます。同時に、事務処理能力も必要です。

夜景●いえ、素敵な本屋さんって必ず「立ってる」から手間はかかりません。それに本をもって飛び込みで一軒一軒を回り、小売りするのは楽しいですし。日本に住んでいたら、きっと週末ごとに本屋さんをリアル行商していたんじゃないかしら。

Q●鴨居羊子に『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』という本があります。「ロバに乗って句集を売りにゆきたい」というわけですね。

夜景●鴨居羊子! 喩えにしても、あまりに畏れ多い……。

Q●そうですか。驢馬は、似合うような気がします。

夜景●あの本は今、ちくま文庫から出ているようですね。初版は三一書房だし、あの表紙だし、すごく格好良かった。ついでに申し上げると私、鴨居玲も、鴨居まさねも好きです。こちらに引っ越すことが決まったとき、鴨居まさねの漫画は日本から持ってきました。『秘書・恵純18歳』の恵純ちゃんが、かわいい。

ともあれ、一対一の出会いや旅が好きな方には、特に行商をオススメしたいです。全国の本屋さんとお話していると「ああ、こんな場所にこんな人がいたんだなあ。そしてみんな素敵に生きているんだなあ」と、いつも感動します。

Q●いい経験ができているということですね。もちろん、積極的にご自分で販路に関わったからこその経験。

夜景●はい。まったく新しい世界でした。

Q●『フラカン』はユニークな句集です。それは内容だけではなく、読者にどう届けようとするかという点でもユニークなのですね。

夜景●そうですか?

Q●通常、句集をつくったら、相当の部数が贈呈にまわり、その残りが手元に残る。大型書店や詩歌専門書店に並ぶ句集もありますが、それはあくまで一部。Amazon経由で売れていく部数も知れています。それが句集上梓後の一般的な流れです。

『フラカン』はそうした「通常」の枠組みをはみだした。日本に住む多くの俳人が思ってもみなかった販売方法を、日本から10,000キロ離れて暮らす夜景さんが軽やかにやってのけたわけです。

夜景●いえ私、ほんとうに何も考えていないだけで。というか、考えていたら、こんな一見大変そうなこと絶対できない。

Q●句集の売り方は、いま大きく変わってきているのかもしれませんね。このまえ「文学フリマ」(文フリ)というイベントに週刊俳句が参加したところ、並べさせてもらった句集が思った以上に売れました。『フラカン』も売り切れ。一般書籍に比べれば微々たる部数ですが、それでも、以前にはなかった販売ロケーションであることにはちがいない。

夜景●文フリ、覗いてみたいですね。

Q●フランスには「文フリ」のようなものはあるのですか?

夜景●文フリのような、プロアマ混じってという形態は存在します。ただ私にはその区別がつきませんが。さいきんも知人が本を出して、それは日本でいう自費出版だったのですけれど、発行元の屋号もあるしアマゾンでも売るしで、外から見ているだけではどれが非商業的マインドの活動なのかわからないなあと実感したばかりです。

Q●プロアマの境界が崩れつつあるのかもしれません。あ、そうだ、機会があれば、文フリで売り子をやってみるといいです。週俳のブースで。

夜景●嬉しい! その時はぜひよろしくお願いいたします。


(聞き手:西原天気)


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