感想・告知ボード
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週刊俳句 第883号 2024年3月24日
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後記+プロフィール884 西原天気
後記 ◆ 西原天気
同じ木から穫れた夏みかん。知人のつくったマーマレードと我が家でつくった夏みかんをいっしょに食べ比べました。まず見た目が違う。味も違う。聞いてみると、作り方が違うのだから当然です。ちなみに、どちらも美味。
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このところ、嵐かと思えば、晴れ渡ったり、寒いと思ったら、暖かいを通り越して暑いくらいの日中だったり、それでも夜になったら冷え込んだり。天候の変化、気温の変化が忙しい。体調にはくれぐれもお気をつけください。
それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。
no.884/2024-3-31 profile
■若林哲哉 わかばやし・てつや
1998年生まれ。「南風」同人。第14回北斗賞。2024年中に句集を刊行予定。
■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年生まれ。田中裕明に師事。第20回俳句研究賞受賞。著書に句集『冬菫』『巣箱』『水瓶』(第68回滋賀文学祭文芸出版賞、第7回星野立子賞)、『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 対中いずみ』。「静かな場所」代表、「秋草」会員。
■中島憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年 第0句集「祝日たちのために(港の人)」山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」
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【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】マルコシアス・バンプ「シセリアのまつげの下で」
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
マルコシアス・バンプ「シセリアのまつげの下で」
天気●以前、ベーシスト特集をしばらくやっていて、立ち消えになってたんですが、おもしろいベースがあったので。マルコシアス・バンプ「シセリアのまつげの下で」(1992年)。
天気●むかしのテレビ番組「イカ天」に登場してデビューしたバンドと覚えています。
憲武●「いかすバンド天国」略して「イカ天」はバンドのオーディション番組で、いろいろなバンドが出てきました。有名なところではビギン、たま、人間椅子、Flying Kids、Little Creaturesなどなど。もちろんマルコシアス・バンプもそうですね。好きなバンドでしたよ。亡くなった従姉は大好きでした。
天気●ジャンルとしてはロックという以外、あまりよくわからんのですが、ルックス的にグラマラス。でも、ひところのヴィジュアル系と呼ばれるバンドとは、ちょっと音の感じがちがう。
天気●問題は、というか、注目は、ベースです。当時も「おっ、かっこいい音」と思った記憶がありますが、いま聴いても、おっ、おっ、と思います。
憲武●目立ってましたね。かっこよかったです。あまりロックぽくないといいますか。黒い感じもある。
天気●まず音が重くてうねってる。ファンカデリックっぽくもあるので、あくまでロックと言いながら、ファンク寄りのベースに聴こえます。
憲武●そうですね。ファンキー・ベースですね。
天気●ルックス/衣裳も愉しいのですが(イカ天では「こまわりくん」と呼ばれてました。本人は心外そうでしたが)。あとは、やはり手袋ですね。おお、これ、アリなんだ、と。
憲武●ベーシストの手袋って、あまり見たことないと思います。
天気●いろんな名手がいて愉しいです、楽器演奏という分野は。
(最終回まで、あと668夜)
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対中いずみ【解題】「後記」第305号
【解題】「後記」第305号
対中いずみ
「青」305号では「特別企画・山信」が組まれている。波多野爽波の文章と「山信」百句と裕明の小文が掲載されている。爽波の文章の一部を引く。
三百号の祝賀会の晩はしたたかに酔って、二次会の中途あたりからのことは僅かに記憶の断片があるのみであった。翌日、前夜辛うじて持ち帰った紙袋の中から忽然と現われたのがこの黄表紙の「山信」である。いつどこでこの句集がこの紙袋に納まったのか、私には全く記憶がない。
自分自身の二十歳という年令、そしてその年までの句集を振り返ってみて、些か愕然とさせられた。自分ではこと俳句についてはかなりの早熟で、もう二十歳ぐらいまでにはそこそこの句を作っていたとばかり思いこんでいたのだが、「舗道の花」を繰ってみても、二十歳という年限で区切ればまことに貧困である。裕明君のこの「山信」に較べれば“勝負あった”の一言に尽きるようである。果たしてこの青年はこれからどういう句作りの道を歩いてゆくのだろうか。
どうやら裕明は師に直接渡せなくて、その鞄にそっと忍ばせておいたようだ。限定十部を墨書コピーで作成した手作りの第一句集であったが、その全てを謹呈することもなかったようだ。実にはにかみがちな初々しい出発であるが、編集後記に島田牙城が「特別企画は、爽波先生のたってのご希望によるもの」と記し、「青」誌上で特集が組まれ、祝福に満ちた出発でもあった。
305号の裕明句6句。
何よりも鐘楼たかし池普請
冬草や満月谷にあふれけり
咳の子に籾山たかくなりにけり
餅搗や燃え付きし枝もちあるく
掛を乞ふ雨にうかびて欅あり
丈たかき草に一軒煤拂
(太字は句集『花間一壺』に収められている)
≫田中裕明「後記」第305号
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【空へゆく階段】№87「後記」第294号
【空へゆく階段】№87
「後記」第294号
「青」第305号(1980年2月)より転載
田中裕明
また今年の正月も吉野に青蛙さんを訪ねて俳句を作ってきた。あいにくの暖冬で雪はなかったが、初日よりあきらさんの専立寺を訪ね、俳句について色々とうかがうことができ、充実した年の始めになった。あきらさん曰く、俳句がうまくなるには大正期の作家、たとえば普羅・石鼎を読まなければならない、と。二日目はあきらさんとともに、前登志夫氏を訪問しお話をうかがった。前さんのお宅は吉野も山の奥で、折からの雨にすっかり靄がかかってきた。その靄の中で炬燵を囲んでのお話は得るところがあったが、お話のおわり頃には僕は酔っぱらって、失礼をしてしまった。誌上を借りてお詫び申し上げる。
結局、俳句は思ったほどできなかったが、恒例となっているこの吉野行で、前さんやあきらさんのお話をうかがえて大層有益であった。青蛙さんのお家でも大変お世話になった。ありがとうございました。
≫解題:対中いずみ
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10句作品 若林哲哉 ひとひら
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週刊俳句 第884号 2024年3月31日
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後記+プロフィール885 福田若之
後記 ◆ 福田若之
馬と汽車、といえば。
機関車の底まで月明か 馬盥 赤尾兜子
「馬盥」は「ばだらい」とも読めますが、調べると、兜子自身は「うまだらい」と読んでもらいたかったことがわかります。律動のうえでも、まあそう。
この句については、むしろ、「月明か」をどう読むのか――「げつめいか」なのか「つきさやか」なのか「つきあきらか」なのか――のほうが、よくわからないし、どう読むかでずいぶん句が変わる気がしています。 兜子が声に出して読んでいる記録とか誰かの証言とかが、どこかにあればよいのですが。個人的には、「つきさやか」を推したいところです。
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それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。
no.885/2024-4-7 profile
■千鳥由貴 ちどり・ゆき
1980年奈良県生まれ。「香雨」同人。2015年毎日俳壇賞。2016年狩座賞(新人賞)。句集に『巣立鳥』(2023年・ふらんす堂)。「香雨」の若手通信句会「萌の会」幹事。
■細村星一郎 ほそむら・せいいちろう
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
■太田うさぎ おおた・うさぎ
1963年東京生まれ。「豆の木」「街」会員。「なんぢや」同人。現代俳句協会会員。共著に『俳コレ』(2011年、邑書林)。句集に『また明日』(左右社/2020年6月)。
■岸田祐子 きしだ・ゆうこ
『ホトトギス』同人。日本伝統俳句協会会員。2009年、第20回日本伝統俳句協会新人賞。タロットカードと西洋占星術で俳句や句集を占っています。俳句と占い(https://819-fortune.amebaownd.com/)
■千野千佳 ちの・ちか
1984年新潟県生まれ。蒼海俳句会所属。第4回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞。第2回蒼海賞受賞。
■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年生まれ。田中裕明に師事。第20回俳句研究賞受賞。著書に句集『冬菫』『巣箱』『水瓶』(第68回滋賀文学祭文芸出版賞、第7回星野立子賞)、『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 対中いずみ』。「静かな場所」代表、「秋草」会員。
■中島憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年 第0句集「祝日たちのために(港の人)」山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」
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西原天気〔今週号の表紙〕第885号 函館
〔今週号の表紙〕第885号 函館
西原天気
函館は好きな街です。海が近く、山も近い。坂道をのぼれば、視界が空にひらけ、くだれば海にひらく。町並に歴史があるのもいいし、郊外の海岸から、対岸が見えるのもいい。
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週刊俳句ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら
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10句作品 千鳥由貴 船便
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タロット占い×俳句=?
タロット占い×俳句=?
記事化:岸田祐子
補足説明:西原天気
〔前口上:西原天気〕
タロットカードで俳句を占う、と聞いて、頭の中が「?」だらけに。カードを繰るのは岸田祐子さん。こちらのウェブサイトの随所で「占い」が実践されているが、これを見ても、私の頭の中はまだすっきりしない。そこで、実際に目の前でやってもらうことにしました。
2024年3月9日(土)参加者:細村星一郎、西原天気、太田うさぎ占う人:岸田祐子
この日、祐子さんに占ってもらう俳句は2句。細村星一郎作と私・西原天気作から、それぞれ1句ずつ。まずは、どの俳句を占うかを決めるわけですが、せっかくだから当季がいい。かつ、偶然の要素があったほうがいい。そこで、私は、『はがきハイク』の既刊から春季のものを3通用意。数字を適当に言ってもらい(2枚の5句目、といった具合)、この句に決まりました。
汝(な)よねむれ巴芹に水のゆきわたる 西原天気
カードの山から出現したのは、次の3枚。
1枚目「魔術師」・2枚目「女教皇」・3枚目「ペンタクルキング」
祐子●最初からどう読もうかなっていうカードが出ちゃってますけど……。
うさぎ●このカードって王様?
祐子●はい。タロットカードは大アルカナの22枚と小アルカナの56枚で構成されているんです。大アルカナは物事の本質的な意味を象徴するようなカードで小アルカナはもう少し具体的な現実的な世界観を表すカードと言われています。今回出たカードでは魔術師と女教皇が大アルカナ、ペンタクルのキングは小アルカナ、キングだから王様です。
天気●カードに数字が書いてあるのが大アルカナ? このカードは猫の絵なんだね。
祐子●そうです。数字が書いてあるカードが大アルカナ。猫が好きなのでこのカードを使っています。
うさぎ●カードが出てきた位置も関係あるの?真ん中に出てきたらどうかとか。
祐子●このスタイルは私が考えたものなので、位置は決めていません。タロット占いは絶対にこう占わなくてはならないっていう決まりはなくて、自分で決めればいいだけなので占う人や占うことによってスタイルは様々です。例えば、三枚カードを引いて一枚目が過去、二枚目が現在、三枚目を未来というようにすることもあります。
天気●ペンタクルって?
祐子●ペンタクルは金貨です。小アルカナはワンド、ソード、カップ、ペンタクルの四つのスート(シンボル)からできていて、トランプのクラブ、スペード、ハート、ダイヤに対応しています。あと、西洋占星術の火、風、水、土の四つエレメンツにもリンクしています。ペンタクルは物質的なことが管轄です。
天気●土の範疇かな。
祐子●そうです。そうです。
星一郎●トランプの枚数と大アルカナで構成されて78枚ってことですか。
祐子●トランプは一組52枚、小アルカナは一組が56枚だから、全く同じではないけれど似てますよね。一枚目の魔術師は「準備ができています」っていうカードなんです。数字も「1」ですし。カードの絵を見てもらえるとわかると思うのですが、机の上にいろいろな道具がそろっていて、「もうスタートできますよ」というカード。この句は「汝よねむれ」って言っているんですけど、ねむった後に何かが始まるのかなって思いました。
うさぎ●「巴芹に水のゆきわたる」っていうのも始まる感じ、準備ができている感じがあるよね。
祐子●ですよね。二枚目は女教皇というカードで、これは「知性」とか「直観」のカードなんですけど。これどういう風に読めばいいのかな……。
天気●「巴芹」という表記には「知的」な処理がありますよね。「巴芹」という漢字からは中原道夫さんの『巴芹』という句集が思い浮かびます。パセリという表記にはこの漢字を当てはめるとは限らないのだけどね。
祐子●カタカナの場合もありますよね。
天気●カタカナが一般的ですよね。あとこの句の「ねむれ巴芹」までは金子光晴の『ねむれ巴里』なんですよね。「芹」を「里」に変えれば。だから『ねむれ巴里』とか「中原道夫」を入れ込んでいるというところに知的な遊びがある感じがするのかもね。自解になっちゃうけれども。
祐子●なるほど。そっか、そういうことなのかな。
天気●他の句に比べて知的な処理が多いですよ。
祐子●そうなんですね。あともう一つ女教皇のカードはスピリチュアルな感じもあるんです。知的なんですけど言語化できないみたいなところも含まれている。ここからは占いというより私の感想ですが、この句にはちょっとふわっとした不思議なイメージがあると思うので、そこに女教皇の感じがある気がします。三枚目のペンタクルのキングは「上がり」のカードなんです。キングはそのスートの一番最後のカードなので、一旦の結果となるカード。ペンタクルは現実的な利益などを表すので、このパセリがどんどん育ってゆく暗示、水がすごくゆきわたっているのかなって。
一同●あははははは。
天気●雨が降って?
祐子●雨が降っているのかどうかはわからないですけど。
天気●まぁ、二通り考えられるよね。一つは台所で食べる前のパセリを水で洗っている。
うさぎ●植えてあるパセリだとは思わなかったなぁ。
星一郎●僕も使う前に洗っているのかなって思った。
天気●じゃないと畑でねむることになっちゃうからね。
祐子●あ、あの、植木鉢とか。
天気●なるほど。プランター。どっちにしろ食べる手前だね。
祐子●キッチンにパセリの植木鉢があってそれがよく育っちゃったとか。
天気●あはははは。それが3枚目のカードってこと。
祐子●はい。私はこのペンタクルのキングが育ち感を出しているのかなって。
うさぎ●そうすると、寝る子は育つ的な。
祐子●うん、そうじゃないかなって思っちゃった。でも、ちょっと詩的な解釈とは言えないかもしれないけれど。あと、キングは最後のカードなので「結果」の状態と考えると、このパセリはふさっとしている。小さくちょぼちょぼ生えているのではなくて、今ちょうど食べ時ですよという頃合いなのかなって。
天気●美味しそうですよね。パセリが好きなんですよ、僕。残しているのって意外だなって。パセリって美味しいじゃないですか。
祐子●少し深読み過ぎるかもしれないのですが、魔術師のカードが出ているのでちゃんと設備が整っているところで育てている感じがします。例えばペヤングソース焼きそばを食べ終わったあとの容器に土を入れて育てているとかじゃなくて。
天気●あー、話がどこにいくのかと思った。ちゃんとした、ちょっとおしゃれな、ね。
祐子●おしゃれかどうかは分からないのですけど、相応しい道具というんですかね。植木鉢なりに植えられているのかなと思います。ところで、なにか質問とかありますか?
天気●質問って言われても(笑)。
祐子●例えば、このカードの意味ってなに? とかあれば。
天気●二枚目のカードってなんでしたっけ。
祐子●これは「女教皇」というカードです。私もこのカードはいつもどう読もうかなって思うカードなんですけれど。タロットカードの大アルカナは0から始まって22で終わるのですが、人の成長と同じような流れなのですよ。だから0は生まれたばかりの赤ちゃん。次の1はこれから歩き始めますよみたいな感じ。
天気●0から22なの?
祐子●はい。大アルカナは。
天気●あ、これは1と2が出たわけ?
祐子●そうです。
天気●すごい。僕は1から3くらいまでしかないのかと思っていた。あ、じゃあ23枚のうちの1と2が出たんだ。
星一郎●へーー。
祐子●だから成長の段階という感じがします。
うさぎ●ほーーー。
天気●「始まる」という感じですよね。なおかつ、魔術師で準備が整っていると。
うさぎ●良い環境で育っているってことなのかな。
祐子●女教皇は「知識」とか「知性」のカードなので、人間の成長でいうなら言葉を覚えはじめるとかそんなタイミングかなと思います。タロットカードの大アルカナは0の愚者から始まって21の世界でお終いですが、これは、人がこの世に生れ落ちていろいろな経験をしながら成長してゆくという物語になっていて、21まできたらまた0に戻る。これを何回も繰り返します。占いではこのサイクルは螺旋状に繋がっていると考えられているので、同じテーマが巡ってくるけれども、受け取る場所の階層は毎回違うという考え方。小アルカナも「1」から始まって「キング」で終わり。キングまできたらまた1に戻って、それを繰り返します。占いではだいたいこんな考え方をしています。
天気●そう聞くと、寝顔もわりとイノセントなというか。大人にせよ子どもにせよ無邪気な寝顔に見えてきますよね。
祐子●ですね。「汝よ」ってことは「誰か」ですよね。
天気●うん。「あなた」ですよね。ま、実際には文字数をどうするかということがあったんですけどね。「ねむれ巴里」というところから作り始めたから。
祐子●カードから見ると、この寝ている人はまだ若い、若いというか幼い。それは生物的に幼いのか精神的に幼いのかはわからないけれど、いずれにせよまだ幼い感じがします。私はペンタクルのキングはもりもり茂っているパセリのことかなと思って、魔術師と女教皇はねむっている人のことを示しているのかなと思いました。
天気●ねむっている人は始まりだけどパセリは完成しているってこと?
うさぎ●成長のはじまり?
祐子●はい。もしかしたらロマンティック過ぎる解釈かもしれませんが、水がゆきわたってパセリが大きく育ったように、ねむっている人にもこれから大きく成長してほしい。そういう願いみたいなもの。
うさぎ●じゃあ、祝福の感じかな。
祐子●そうです。そうです。
天気●祝福の感じはすごく嬉しい。「汝」に対して安心して眠りなさいという。それは嬉しいですね。
うさぎ●なんかララバイみたいですね。子守唄みたいな。
星一郎●この句は充実している感じがします。準備のカードもあるし。
祐子●ですよね。私もそう思います。
天気●準備から最後まで。
祐子●そういうカードがでています。
うさぎ●なんだろうな、俳句を鑑賞するときにいろいろな鑑賞のやり方があるのだけれども、タロットに頼る、頼ると言うと少し違うけれど、タロットで出たカードを読み取ってみて、一瞬自分を無にしてみる。そうすると思わぬ読みにたどり着くねっていうのもやり方の一つとして面白いかも。
祐子●私もそこがちょっと面白いかなと思っていて。俳句を読んで自分が感じたこととは全然違うカードが出ちゃうことがよくあるんです。でも占いって自分がほしい答えを求めてしまうと占いをする意味があまりない。出たカードはなるべくそのまま読むことがいいというのが私の占いに対する考え方です。タロットカードの意味は象徴なのでいろいろな解釈ができるし、解釈の幅は広いのだけど、ハッピーなカードはハッピーに読むし、厳しいカードは厳しく読む。そうしないとあまり当たらない気がします。まぁ、俳句を占って当たるってどういうこと? というのはありますが……。
天気●無理に引き寄せたりはしないってことですね。
祐子●そうじゃないと占う意味がないなって、私はそう考えています。
天気●僕がひとつ思ったのはね、言葉はまだ鳴ってなくて、器、器というか楽器みたいな感じに存在していて、カードを並べることによって、そこから初めて音が出て鳴り響くみたいなね。読者の中でね。とくに俳句なんかそうだと思うのだけど、文字が書かれていて意味はわかる、だけど言葉はまだ鳴っていないということがある。でも、鳴り尽くしている句っていうのは言い過ぎていると言われたりすることがあるじゃないですか。
祐子●鳴り尽くしているというのはどういうことですか?
天気●そこでもう言い尽くされている。
祐子●多くの人に鑑賞し尽くされているということですか?
うさぎ●その俳句自体が自己完結している。
天気●そう、書き尽くされているというかね。
祐子●説明が多い句ということですか?
天気●説明というか明瞭。
うさぎ●余韻、というか余白がないということかな。
天気●句会などで、ここまで俳句で言ってしまうことが良いかどうかという意見がでることがあって、鳴り尽くしている句はあまり良い句とはされないことが多いのだけど、分かりやすい句でもまだもっと鳴りそうな句というのがあって、そういう句は人に印象を残しますよね。
祐子●なるほど。
天気●いや、わかんないですけど。ふふふふふ。
祐子●ふふふふ。
天気●例えば虚子の分かりやすい句にしても全部すごく明瞭で十人いれば十人に同じことが伝わるけれど、まだ鳴り切っていないというようなことがあるのかな、とか。どうなんですかね。
祐子●こういうことやるのは今回が初めてなので。
天気●はじめてなの? え、どういうこと、どういうこと。でも俳句は占っているんでしょ?
祐子●俳句は占っていましたけれど、今まではひっそりと自分一人で占っていました。
天気●あー、セッションが初めて。
祐子●はい。
天気●そう、でもそれはいいかも。聞き手がいるっていうのが。
祐子●ずっと一人で占っていたんですけど、セッションでやってみたいなって思い始めて。それで、今回お願いしました。
天気●それ、意味があるかも。
祐子●え?! 意味がありますか?
天気●だって、一人の読みよりも聞いている人、タロットの岸田さんの説明を聞いている人があるというのはすごく意味があると思う。
祐子●よかった。
天気●ここに集まった三人もみんな違うことを思うだろうし。
うさぎ●うん。
祐子●やっぱり、いろいろな方に来ていただいて良かった。なんとなく二人っきりでやるより他に人がいてくれた方がいいかなとは思っていたんですけど。
天気●それはいいと思う。作者と岸田さんだけだと作者はどうしても自解になるから言いにくいところあるしね。でもこの句は引用元を言いたくなるようなところがあるから、言っちゃうけどね。
祐子●解説?
天気●解説というか、ここはこういう風に仕掛けたんですよって。この句は仕掛けの多い句だからね。
祐子●「ねむれ巴里」のところですよね。
天気●「ねむれ巴里」から作り始めて、「ねむれ」で切りたかった。そうするならどうしたらいいかってなって、上にも文字をつけて、巴里ではないものを探したら巴芹ぐらいしかなかった。それで巴芹となった。
祐子●あ、だとしたら、カードに照らし合わせると二枚目の大アルカナと三枚目の小アルカナの間が「切れ」だということになりませんか。ちょっと無理矢理かな。
天気●おー。
うさぎ●へー。
星一郎●確かに。
祐子●一枚目と二枚目は「1」と「2」で続きの番号できているし、そもそもこの二枚は大アルカナなので、小アルカナとは分類が違うし。大アルカナと小アルカナの間に切れが入っているのかも。大アルカナの方は小アルカナより大きな時間軸なのかもしれない。
天気●大アルカナの二枚を一組で考えるというのは面白いかもね。この句は意味的には「汝よねむれ」で切れて「巴芹に」と続くわけだけど、作り方の仕掛けとしては『ねむれ巴里』があるから「ねむれ巴芹に」までが一つというね。「水のゆきわたる」は後で意味が通じるように付けたぐらいのあれだからね。そういう意味でも外観上の切れと作る時の手順の切れが違うという句だよね。
祐子●今回、初めて俳句の「切れ」をタロットカードが示すのを見ました。
一同●あははははははは
祐子●天気さんの話を聞きながらカードを見ていたら、カードでこんなふうに「切れ」が現れるのかって思いました。こういうことを見つけると占いって当たるなって思っちゃう。当たるっていうか、まぁ、妄想なんですけど。
うさぎ●なんか納得するというか、合点しちゃうというか?
祐子●はい。占いのこういうところが楽しいです。
うさぎ●これ、大アルカナの1と2で始まって、小アルカナではキングが出て、キングが「終わり」っていうのがちょっと面白いなと思って。
祐子●そうですね。大アルカナの方は「汝よねむれ」と言われている方の人生というか、長い時間というようなことを表している気がします。大アルカナは人の人生を表していると私は思っていて、小アルカナはもうすこし具体的なことというのかな、身近なところを細かく見てゆくというカードなので、そこにも「切れ」がある。
うさぎ●うんうん。
祐子●「水がゆきわたる」というのは具体的な感じがします。「汝よねむれ」も具体的なことだとは思いますがイメージ的なところもあるので、「水がゆきわたる」は具体的なことを示す小アルカナっぽさがあるなと思いました。ちょっと無理矢理な解釈かなぁ。
天気●まぁ、「汝よねむれ」はムードだものね。
祐子●ムードがありますよね。あと、一晩だけではなくて、そこから繋がってゆく時間、来年も再来年も十年後もずっとという長い時間を感じました。「汝よ」と言われている人の人生はこれから始まるんだよというのが二枚の大アルカナで示されているのかなって。えへへ。
うさぎ●なるほど、面白いね。
祐子●もちろん、この解釈が正解ですというようなことでは全然ないです。
星一郎●なんか、新しい読み方みたいな感じですね。
祐子●ね。「ね」って言っちゃった。
◆
さて、次は、細村星一郎さんの句です。「放蕩」10句から、次の句です
放蕩のわたしに水の汽車が来る 細村星一郎
出たカードは、次の3枚。
1枚目「ワンドの2」・2枚目「カップのペイジ」・3枚目「ソードのナイト」
うさぎ●あら、みんなかっこいい猫たち!
天気●小アルカナだけが出たということ?
祐子●はい。今回は全部小アルカナです。
うさぎ●ローマ数字じゃなくてアラビア数字のカードもあるんだね。
祐子●えっと、二枚目と三枚目のカードは小アルカナの中でもコートカードとか人物カードと呼ばれていて、ペイジは小姓のことです。ペイジの他はナイト、クイーン、キング。小アルカナは1から10までの番号のカードと四種類のコートカードからできています。ワンドの管轄は情熱とか勢いとか。カップは気持ち、情緒、感情。ソードは知性や決断です。今回、私が最初に思ったのは、水という文字がある俳句にカップのカードが出てきたってところですね。
一同●ほーーー。
祐子●カップは水を表しますし、カップのペイジに描かれている絵を詳しくみると、背景に海もあります。まずそこがこの俳句にある「水」とリンクしているなって思いました。あと、ワンドの2ですがこのカードはちょっと立ち止まる感じがあるんですよね。かなりざっくり言ってしまうと、タロットカードの数字は奇数が動く、偶数は止まるとして考えることが多いです。ナイトは騎士で、肉体的に一番充実している時期の男性が描かれているカードなので壮年期の人、活動的というイメージです。カードを見て「放蕩のわたしに」というところに少し立ち止まった印象があるように感じました。ワンドの2はちょっと迷っているというカードなので、「放蕩しているわたし」は小さな迷いを持っている人なのかなと思いました。
うさぎ●ほーー。
祐子●水は占いでは気持ちや情緒を表します。ペイジは少年でまだ成熟していない。だから気持ちのコントロールが危ういとかそんな感じがあるんじゃないかなって。私がそう思ったってだけですけど。言い換えれば、無垢とか純粋な人とも言えるので、出てきたカードから考えると「放蕩のわたし」は若い人なのかなって思います。作中主体が誰なのかはわかりませんが、作者を知っていることもあって若い人なのかなって。でも、それを抜きにしてもわりと若い人なんじゃないかな。十代か二十代の前半くらいまでの感じ。「水の汽車」というのがどういう汽車なのかがよくわからないのだけど……。
天気●ちょっといいね、「水の汽車」って。いいよね。
祐子●カードから考えると、気持ちや感情のイメージとしての汽車なのかなっていう気がします。水の上を走ってくる汽車とかいうのではなくて。
天気●機関車って水を積んでいるからね。
祐子●えっ、そうなんですか。
うさぎ●機関車って石炭を燃やすのではないの?
天気●石炭を燃やした熱で水を沸騰させて、水蒸気の力で走る。水のタンクを積んでる。「水の汽車」という言葉には、機能的なこととイメージ的なことの両方があるね。
祐子●ソードは考えとか知性を管轄するので、考えながら放蕩しているという感じもあります。
うさぎ●この句自体が知的な作りっていうのがあると思うので、そうなるとソードはこの句自体を表しているのかなって。ちょっと思ったり。
天気●あとちょっと嫌味っぽくなっちゃうけど、「放蕩」っていう言葉は放蕩をしたことがない人が使いたがる気がするよね。
星一郎●へへへへへ。
うさぎ●あははは。なるほど。
天気●本当に放蕩をした人がつくる句ではないようなね。
うさぎ●「放蕩」というと「とうじん」っていうかね。
祐子●「とうじん」って?
うさぎ●放蕩の蕩に尽すで「蕩尽」。使い尽すとか溢れるとか、そこも水っぽいイメージがあるのかなあ。
祐子●出てきたカードは少し矛盾があって。ワンドの2は立ち止まるとか一旦考えるという意味なのだけど、ソードのナイトは動いているカードなのですよね。
うさぎ●矛盾を孕んでいるんだ。
祐子●矛盾というか、反対の要素のカードが出ています。うーん、例えば気持ちは止まっているのだけれど体は動いているとか読めばいいのかな?
天気●ワンドの2のカードで「放蕩のわたし」が立ち止まっているとするなら、対応していますよ。
うさぎ●「汽車が来る」のだもの。
祐子●あーーーーっ、汽車!!! かっ!!
天気●うん。「汽車が来る」ってね。
星一郎●この句の後半は動きがある。
天気●この句は「来る」がいいよね。「行く」じゃなくてね。
祐子●あと、汽車って、まぁゆっくり走る場合もあるかもしれませんが、基本的にはスピードがあるものなのでそこにもナイトの感じがあります。
天気●あのね、馬上と汽車は視線の高さがと同じなの。
祐子●ええっ!
天気●昔はある程度身分のが上の人だけが体験できた視線の高さを一般大衆が経験できる、汽車にはそういう意味があるんだよね。馬にのってその視点から景色を見ることができる人っていうのは、位が上の人じゃないですか。一般大衆ではないよね。汽車っていうのは大衆が上流階級の視点を体験できるという捉え方。そういう捉え方をしたら面白いよね。
うさぎ●ほーーーーう。
祐子●だから馬に乗っているんだ!
星一郎●馬も象徴的な感じですね。
天気●馬と汽車はすごく対応する。
祐子●やっぱりこのソードのナイトは汽車を表してるのかもしれないですね。
天気●視線の高さという意味で汽車と馬はイコール。
祐子●汽車にそんな意味があるなんて全然知らなかった。
天気●そこは僕の解釈ではなくて、むかし記号論とかの本で読んだ。発明や新しい事物というものはいろいろなものを大衆化するじゃないですか、塔や気球は神の視座の大衆化だし。
うさぎ●「水の汽車」というのはソードのナイトに対応しているのね。
天気●すごく合ってる。
祐子●ばっちり出ましたね。なんか嬉しい。
うさぎ●「放蕩」というのも情熱がないとできないしね。
天気●あはははは。逆のような気もするな。放蕩息子に情熱があるとは思えない。
裏腹もあるかもしれないけどね。
祐子●ワンドは冒険でもいいかなと思います。ワンドって、わりと能動的なんですよね。
天気●「ワンド」ってどういう意味なの?
祐子●棒。
天気●棒? あっ、杖か。
うさぎ●魔術師の杖というか?
天気●魔術師とは限らないんじゃないの。
祐子●うん、魔術師は関係ないです。
うさぎ●あ、そっか。魔術師はさっきの句に出てきたんでしたっけね。
祐子●星占いでワンドに対応しているのは火のエレメンツです。火の管轄は情熱とか冒険とか、あと戦いとか。なんていうのかな、ガツガツしてる感じです。
うさぎ●ガツガツしている、まさしく放蕩。
祐子●放蕩ってガツガツしているのかなぁ。
うさぎ●ガツガツだよー。
天気●放蕩のイメージがすごくまちまちだ。人によって全然違う。
うさぎ●放蕩、放蕩、放蕩息子。
天気●放蕩って女性に使う?
うさぎ●放蕩娘とは言わないね。
祐子●そういえば言わないですね。
天気●放蕩は女性性と結びつかないね。
祐子●放蕩ってもともとはどんな意味ですか?
天気●放蕩息子を一番わかりやすく言えば、親のお金を遊びで使い果たしちゃう。
うさぎ●身上潰しちゃうとかね。
祐子●そっかー、でも情熱がこの句にどう繋がるのかがよくわからないなぁ。
星一郎●真ん中のカードのカップのペイジにある「精神的な幼さ」っていうのは「放蕩」に少し関係ありませんか。そして情熱にも関係していて、どっちにもかかっている。
天気●あと、カップのペイジは「わたし」という一人称にもかかってくるよね。自意識っていうかね。だからすごく対応している。
祐子●ペイジには幼いというイメージの他にフレッシュとか無垢、純粋というようなイメージもあります。
天気●そういうイメージに「わたし」という一人称が結びつくよね。
祐子●ぴったりですね。
天気●あとは「放蕩」と「棒」か。
星一郎●なんか、おもしろいですね。
天気●うーーーん。でも、放蕩と棒ってイメージ的に結びつかないわけじゃないよ。
祐子●結びつきますか?
天気●うん、僕は結びつく。ところで、「棒」ってなんなんだろうね。
祐子●棒は、真っ直ぐで投げればぴゅーっと行くというイメージがあるので「勢い」とか「パッション」と解釈しています。
天気●このカードの人は何のために棒を持っているの?
祐子●何のために棒をもっているか。うーーーん、それは考えたことがなかった。
天気●なぜ持っているかは関係なくてただ棒のカードということなんだ。
祐子●そう思ってました。小アルカナは棒とカップとペンタクルとソードという四つのものからできているっていう以外に考えたことなかった。
天気●棒はなんのエレメンツなんだっけ?
祐子●棒は火のエレメンツです。
天気●あ、なるほどねー。
祐子●世界はこの四つのエレメンツからできているってことになっています。
天気●じゃあ、「放蕩」「蕩尽」に結びつくじゃないですか。「蕩尽」の一つの方法って火にくべるんですよ。
祐子●え? なになになに?
天気●「ポトラッチ」ってありますよね。
うさぎ●あっ。
祐子●ポトラッチってなに?
うさぎ●贈り物し合うことよ。二つの部族がお互いに競い合って贈り物をし合うの。
天気●贈り物もあるんだけど、火に放り込んじゃうんですよ。どちらがより大切なものを火に放り込めるかで勝負が決まるの。
祐子●自分の一番大切なものを燃やせることが強いっていうことですか? それが放蕩?
天気●それが蕩尽。マルセル・モースの贈与論とかの世界ですね。
祐子●へーっ。
天気●だから、気持ち悪いくらいに関連付けはできた。
うさぎ●ふふふ、天気さんもタロットにはまるかも。
天気●ふふふ、はまらないけど。タロットで俳句を占う時は知識のジャンルが違う人に来てもらうのがいいかも。僕は社会科学系、うさぎさんは外国語系。
うさぎ●外国語に詳しくないよぉ。
天気●ああ、すっきりした。放蕩と火はリンクしている。
うさぎ●そして、火と水っていうのがまた対照的よね。
天気●そうだよね。「水の汽車」が来るってね。
祐子●あと、ペンタクルが出ていないというのがひとつの鍵かなって気がします。この句って実のあることが何もない感じなんですよ。ちょっと言い方がよくないですが。
星一郎●いや、わかりますよ。イメージの世界というか。
祐子●「物が出来上がりました」とかそういうことがなにもなくて。ペンタクルは現実的成果のカードなので、出なかったということがこの句にあってる気がします。
うさぎ●ちゃんと反映されてるね。
祐子●あ、あの、成果がないというのは悪い意味で使ったわけではなくて、イメージっていうのもネガティブな意味ではないです。
星一郎●あ、はいはい。実態としては詠んでいないという。
祐子●えっと、俳句をどういう風に作っているかということではなくて。汽車は来るけどその後どうなるのかは何も言われていないっていうか。「来た汽車は西国分寺まで行きます」みたいなことが何もわからないという意味で、この句の中には現実的な成果といえるようなものがないなって。だけど、気持ちや知性、情熱みたいなものはギュッって詰まっていて、そこが面白いです。ペンタクルは出てこないんだねぇって。
天気●余談の冗談だけど、消しに来たんじゃないの。水で。
星一郎●火を?
うさぎ●そんな感じもちょっとあるよね。水の汽車が来るってね。
天気●タロットと俳句がクロスしている。
祐子●三枚目のカードから見ていくと汽車は右側からやって来る感じがありますね。
うさぎ●そうね。絵柄的にも左側に向かって進んでいる感じがあるね。
星一郎●馬が左側を向いてますもんね。
うさぎ●他のカードの人もみんな左側を向いているよ。
天気●カードの並びや絵柄の右左は偶然だけど偶然を楽しむ遊びなんだよね。解釈もね。
祐子●そうです、そうです。偶然を楽しみます。
うさぎ●おもしろいね。
祐子●あと、タロット占いはカードの持つ意味も大切ですけど、どんなものが描かれているのか絵をよく見るということも大切と言われています。どっちを向いているのかとか、背景に何があるのかとか。
天気●カードの色が赤と青。火と水だよね。
祐子●わ、わ、わ、ほんとだ。ワンドの2が赤い服でカップのペイジは青い服。「気持ち」という点では、私はこの句に暗さや不安はほとんど感じないのだけど、句全体としては少しざわざわした印象を持ったんです。暗さや不安が控えめなのはペイジの背景にいるイルカが可愛いからかなって思ったりして。でも、海は波が立っていてそこには少しざわざわの感じがあるし、ナイトの背景の雲が紫色なのもちょっとざわざわした感じがする気がします。
うさぎ●これはなに? ワンドの2の床にある染みみたいなもの。
祐子●えー、なんだろ? 影?
うさぎ●水の染みみたいにも見えるね。
天気●それ、おもしろいね。思わせぶりなこといっぱいでてくるね。
星一郎●赤と青を混ぜたら紫。
うさぎ●そうだーーーー。
星一郎●絵具だったらそうなりますよね。
祐子●紫って水の色っぽい感じがしますね。あ、汽車と黒い馬も。
うさぎ●そうだよね。
祐子●汽車は黒い気がしますね。電車ではなくて汽車ってところが。
うさぎ●汽車っぽい。黒い、黒い。
祐子●やっぱり占いって当たるね。
一同●あははははは。
天気●解釈とかもセッションでするのがいいみたいだね。
うさぎ●ね、みんなで考えて。
祐子●ねー、おもしろい。ありがとうございます。
星一郎●いや、なんかおもしろかったです。あと、占いっていうか、別に狙ったわけじゃないんですけど、なんか今日占った句は形が似ていますね。
天気●水が多かったね。
星一郎●「に水の」が二句に共通。
うさぎ●ほんとうだ!
天気●「眠れ」と「放蕩の」というのは観念の捉え方ってところが似ているし。
祐子●どっちの句もふわってしてますよね。
〔後記:西原天気〕
俳句には偶然の要素が少なくない。語を選び、並べているうち、思いもよらなかったかたちになることもあって、自分の操作の外側から何かが訪れて、一句をもたらした格好です。
偶然は、〈読み〉にもあっていいのではないか、と、うすうす思っています。読解というとおおかたがコントロールされた状態にも見えますが、思わぬ方向から〈読み筋〉が到来することもあるのではないか。
今回、3枚のタロットカードが、私たちの〈読み〉とは別の場所から、新たな〈読み筋〉をもたらしてくれたのかどうか。判断は読者諸氏に委ねますが、参加者の一人として、《タロット占い×俳句》のセッションをじゅうぶんに愉しみました。
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千野千佳【俳句のあたらしい作り方】家族旅行俳句チャレンジ
【俳句のあたらしい作り方】
家族旅行俳句チャレンジ
千野千佳
『蒼海』第21号(2023年9月刊行)より転載
八月初旬、家族で北海道に旅行した。総勢十一名。私の両親、姉一家、兄一家、そして私と二歳の娘。母の古希のお祝いのこの旅行に、私はある野望を抱いて参加した。旅先でいい俳句を得たい。自分だけは吟行のつもりだ。ちなみに、私の家族は誰も俳句を作らないし、私の俳句に誰も興味を持っていない。
結論から言うと、俳句どころではなかった。二歳の娘の世話をしながら(夫は仕事のために不参加だったので世話の負担が大きかった)、大人数の家族旅行を楽しみつつ俳句を作るなどという器用なことはできなかったのだ。
作句のためには一人になる時間が必要なのだが、旅行中一人になれたのが、朝早く起きて温泉に浸かり、子が起きるまでホテルの中を散策したときだった。〈立秋や竹の艶めく脱衣籠〉〈温泉の底の砂つぶ秋立ちぬ〉〈男湯でありし女湯秋涼し〉〈艶のなき卓球台や秋に入る〉〈はつ秋の温泉宿の易者かな〉。あとは帰りの飛行機の中、寝ている娘を膝の上に乗せつつ、窓外の空を眺めて句を作った。〈飛行機の窓の楕円や秋に入る〉〈抜け切れば雲あつけなき秋思かな〉〈秋雲のその奥に硬さうな雲〉。
そして帰ってきてから、旅の詳細を思い出して作句した。
新千歳空港周辺は大きくて白いもこもことした花がたくさん咲いていた。調べると男郎花だった。〈男郎花栞どほりにすすむ旅〉。空港からすぐに白老の「ウポポイ」(アイヌ文化が体験できる博物館)に行った。秋の植物がたくさん咲いていて、大きな湖が美しかった。(再訪してゆっくり吟行したい場所ナンバーワンだ)。〈アイヌ語の低き調べや萩の花〉〈秋雲や擦りあはせたる祈りの手〉〈新涼やアイヌの像の太き眉〉。登別温泉に泊まり、翌日は登別クマ牧場に行った。クマ牧場は山の上にあり、霧がかかっていた。〈たのしさや霧の展望台に来て〉〈人に手を振りたる熊や霧の中〉〈霧うごきうごき次第に雨となる〉。また、ホテルにはプールがあり、二歳の娘も楽しんでいた。〈子の腹にぴたりと嵌る浮輪かな〉〈水泳帽被りますます吾に似る〉。なにより旅の主役である母が旅行を楽しんでいたようなので良かった。〈立秋や母と鏡を分けあへる〉。
余談だが、この北海道旅行の二日後、姉がコロナ陽性になり、その二日後、私がコロナ陽性になった。いろいろな意味で忘れられない旅となった。
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対中いずみ【解題】「後記」第306号
【解題】「後記」第306号
対中いずみ
「青」306号では昭和五十四年度「青賞決定」の特集が組まれている。青賞は服部恵美、佳作に田中裕明の「神發ちて」が選ばれている。波多野爽波の「選後感」を引いておく。
この作者については前号に特集も編まれたことだし、私も一文を記しているので、ここに改めて書き加えることもないようである。ラグビーの選手あつまる櫻の木竹の根に水打つ朧夜のことぞ嬉しくもなき甘茶佛見てゐたり大学も葵祭のきのふけふ紫苑咲く子は真直に寝ねられず浮いて鳴く蛙や山に仁王をる降りぎはの柳揺れゐる火桶かな今回の二十句について云えば、ここに挙げた句などにはこの作者ならではの良質の詩を直ちに見て取ることができるが、全体として何回か通読しているうちに、何か小じんまりと纏まった句の数が目についてきて、全体としての迫力に些か欠ける憾みの方が表に出てきたという感じであった。
もう少し自由奔放にやって貰いたい。ここ当分の間はそれで押し切れるのだから……。
「もう少し自由奔放に」の助言が、その後の『花間一壺』所収の句群に反映されていくのかもしれない。
306号の裕明句6句。
手毬つく村の干し物白くして
小寒の雪なき墓域黒げむり
初釜の客雨粒の顔なりし
吉野川右岸の塔や寒施行
黄楊畑成人式もまぢかなる
探梅やここも人住むぬくさにて
(太字は句集『花間一壺』に収められている。「吉野川」の句は、「島見えて浪の高しや寒施行」に改作されて収められている)
≫田中裕明「後記」第306号↧
田中裕明【空へゆく階段】№88 「後記」第306号
【空へゆく階段】№88
「後記」第306号
「青」第306号(1980年3月)より転載
田中裕明
二月はじめは吉田神社の節分祭で吉田山のあたりは賑やかになるのだが、大学のほうは後期試験がはじまって学生は沢山出てきているのに静かな空気である。その試験の為に今月号は編集にタッチできず、後記を書くのも申し訳ない気分。
三木清の『如何に読書すべきか』の中で発見的という言葉が見られる。発見的に読まねばならぬという。「先ず大切なことは読書の習慣を作ることである」という文ではじまるこの読書法は、発見的読書を説くのであるが、発見的読書というのは自分自身に問題を持って読むことである。考えながらの読書、著者との対話といってよい。読書は思索のためのものでなければならず、むしろ読書そのものに思索が結び附かなければならない。
発見的という言葉は良い言葉だ。
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週刊俳句 第885号 2024年4月7日
第885号
2024年4月7日
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【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】ニール・ラーセン「Sudden Samba」
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
ニール・ラーセン「Sudden Samba」
憲武●適度に暑い日もあったりする今日この頃です。季節先取りでNeil Larsenで「Sudden Samba」です。
憲武●突然サンバ? いきなりサンバ? ですかね。この曲はNeil Larsenの「Jungle Fever(1978)」に収録されてます。
天気●このアルバムも持っていましたが、1972年のFull Moon名義のをよく聴きました。知り合いの学生バンドが、ここに入っている「Midnight Path」という曲を演っていて、いい曲だな、と。それがきっかけ。
憲武●学生、特に軽音楽部の学生は一度は聴くんじゃないでしょうか。
天気●フュージョン好きなら、ね。
憲武●ハモンドオルガンの音色好きなんです。ニール・ラーセンはロックのアルバムなどでその名前を見ますが、初めて意識したのはジョージ・ハリスンのアルバムでした。
天気●ニール・ラーセンはいろんなスタジオでキャリアを積んでいるようですね。
憲武●ハモンドオルガンはもともと、パイプオルガンのような音色を身近で出せないかという発想で作られた楽器で、当時の人々はパイプが使われていないので、オルガンとは認めなかった歴史があります。それでもハモンドオルガンを身近に聴いて、育った世代はジャズやロックに取り入れるようになります。音楽が身辺にあるって、大事なことなんですね。
天気●ハモンド、あったかい音ですよね。
憲武●そうなんです。アピートやアゴゴというサンバお馴染みの楽器も使われていますが、基本的にオルガンとギターが印象的です。曲の構成もテーマが最初と最後の二回出てきて、その間をそれぞれのソロを演奏するというシンプルな構成ですね。
天気●ニール・ラーセン名義なのに、キーボードはそれほど目立たず、ギターが目立つ。
憲武●ギターはバジー・フェイトンで、この人もニール・ラーセンと同じようにいろいろなアルバムでその名前のクレジットを見かける人です。1980年にはラーセン・フェイトン・バンドを結成して、その名を冠したアルバムを出してます。
天気●最初の「フルムーン」以来のコンビですね。
憲武●本人たちのライブで観たことないんですが、この曲はライブで聴くといい曲だと思います。ポール・マッカートニーだって81歳で頑張ってますから、二人とも75歳なのでまだまだでしょうか。ブルーノート東京とか、来てほしいです。
(最終回まで、あと667夜)
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後記+プロフィール886 村田 篠
後記 ◆ 村田 篠
散歩の楽しい季節になりました。
ここ数年は、旅先で散歩をする「街歩き」にはまっていますが、観光地ではない「街道」をただ歩くだけの楽しさにも目覚めつつあります。この先は、ただ歩くだけの人生でもいいか、なんて思うこともあります。
くれぐれも足を大切にしたいと思います。
くれぐれも足を大切にしたいと思います。
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それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。
no.886/2024-4-14 profile
■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年生まれ。田中裕明に師事。第20回俳句研究賞受賞。著書に句集『冬菫』『巣箱』『水瓶』(第68回滋賀文学祭文芸出版賞、第7回星野立子賞)、『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 対中いずみ』。「静かな場所」代表、「秋草」会員。
1956年生まれ。田中裕明に師事。第20回俳句研究賞受賞。著書に句集『冬菫』『巣箱』『水瓶』(第68回滋賀文学祭文芸出版賞、第7回星野立子賞)、『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 対中いずみ』。「静かな場所」代表、「秋草」会員。
■瀬戸正洋 せと・せいよう
1954年生まれ。れもん二十歳代俳句研究会に参加。春燈「第三次桃青会」結成に参加。月刊俳句同人誌「里」創刊に参加。
■小笠原鳥類 おがさわら・ちょうるい
1977年生まれ。現代詩文庫『小笠原鳥類詩集』(2016)、『鳥類学フィールド・ノート』(2018)など。『新撰21』(2009)に佐藤文香小論。ブログ「×小笠原鳥類」 http://tomo-dati.jugem.jp/ noteは https://note.com/ogasawarachorui
■中島憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」2013年週俳eブックス「日曜のサンデー」2018年 第四回攝津幸彦記念賞・優秀賞受賞。2019年 第0句集「祝日たちのために(港の人)」山岸由佳とのコラボレーションによるwebサイト「とれもろ」
■西原天気 さいばら・てんき
■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」
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村田篠〔今週号の表紙〕第886号 花どきの城
〔今週号の表紙〕第886号 花どきの城
先日帰省したら、姫路城の桜が満開でしたので、思わず写真を撮りました。
城と桜の組み合わせは定番で面白みはないのですが、この風景をリアルタイムで目撃したという記録です。街中の風景はどんどん変わって行きますが、濠に橋が架かっているこのアングルからの風景は60年前とほとんど変わっておらず、子どもの頃からの記憶が堆積するばかりで、更新されないまま今に至っている希少なスポットです。
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週刊俳句ではトップ写真を募集しています。詳細は≫こちら
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【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】マーヴィン・ゲイとタミ・テレル「Ain't Nothing Like The Real Thing」
【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
マーヴィン・ゲイとタミ・テレル「Ain't Nothing Like The Real Thing」
天気●ここで何度か取り上げたマーヴィン・ゲイ。後期の代表曲「What's Going On」のイメージが定着している感がありますが、前期のアイドル的な歌唱もなかなか良くて、タミ・テレルとのデュエット・アルバム「You're All I Need」(1968)から「Ain't Nothing Like The Real Thing」。
天気●いかにもハンサムな青年が、かわいらしい女性歌手とデュエット。溌剌とした歌唱で微笑ましい。
憲武●タミ・テレルは好きな歌い手です。と言ってもベスト盤しか持ってないんですが。夭折してますよね、確か。
天気●1970年に24歳で亡くなってますね。曲を書いたのは、こちらはパーマネントなデュエットとして活躍した Ashford & Simpson(Nickolas AshfordとValerie Simpson)。こっちも歌ってるんじゃないかと探してみると、1982年のステージが見つかりました。
しっとりとしたテンポで、ちょっとオトナな仕上がりです。
憲武●このテンポもいいですね。80年代っぽい。この頃の「ソリッド」っていう曲は印象に残ってます。
天気●●当時のモータウンは曲が良いのはもちろん、音やアレンジが大好きで、表現が難しいのでしょうが、キュートとゴージャスが両立している。そこに男女デュットが乗っかるわけですから、たまりません。
憲武●一聴、すぐにそれとわかりますよね。豪華できらびやかな感じ。モータウン・サウンドと言われる所以です。
天気●問題意識や音楽的成熟に目覚めたあとの「What's Going On」も素晴らしいのですが、ファンの歓声の中で恋を歌い上げる時代のマーヴィン・ゲイも貴重です。ま、歌は、最初から巧いしね。
(最終回まで、あと666夜)
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小笠原鳥類 『吉岡実を読め!』を書きました
『吉岡実を読め!』を書きました
小笠原鳥類
本ができましたので、宣伝します。
小笠原鳥類『吉岡実を読め!』ライトバース出版、2024年3月31日発行、458ページ、税込3,480円。
『吉岡実全詩集』(筑摩書房、1996)と、吉岡実句集『奴草』(書肆山田、2003)を読んで、去年夏(2023年8月)から約半年、書きました。全詩集の、すべての詩、1つ1つについて、長さは1つ1つ違う文ですが、書いています。
「静物」「僧侶」などの、アンソロジーで読める詩だけではなくて、私がほとんど読んでいなかった詩についても。〈全部を読む〉というルールで書くことが、たくさんの知らなかったことを知ることができて、おもしろいのでした。読んでくださる人が、どう思うのか、わからないですが。
今、書店に吉岡実の本が、新本では、(思潮社の現代詩文庫『吉岡実詩集』『続・吉岡実詩集』も、あまり)見つからないようですし、古本も、高いものが多いようです。でも、読んでいて、おもしろいですので、書店にあって、読むことができると、いいと思います。
学校、教科書で詩を読むことが多いようですので、〈詩は正しいことが書いてある〉〈いいことが書いてある〉と、思われてしまうのかもしれません。でも、吉岡実は正しいことや、いいことを書いていなくて、おもしろいこと、好きなことだけを書いています。正しいこと、いいことを読もうとすると、そのようなことが書かれていないから、〈難しい〉と思ってしまう。
文章を書くときに、つまらないと思う部分であっても、説明するときに書くことがあるのですが、しかし、吉岡実の詩は、つまらない部分(文、単語、文字)は書かなくて、おもしろいと思ったことだけを書くので、すっきりと読める文章には、なっていません。わからなくても、おもしろいと思える、好きになることができる詩です。
『吉岡実を読め!』という本で、吉岡実の詩が、すべて好きである、とは言いませんでしたが、でも、最初から最後まで、いやにならずに書くことができました。吉岡実が亡くなった1990年のあとの、今の詩についても、書いています。〈むかしはよかった。今は……〉ということは言っていません。今の詩も、いいぞ、ということを言っています。
題名について。中山康樹『ディランを聴け‼』(講談社文庫、2004)が、そのときまでのボブ・ディランの、公式に発表されていた録音の「全582曲」の、すべてについて書いている本でした。おもしろい文章ですし、吉岡実を読むときに、中山さんが言っているアイデアを、生かすことが、できた(のであれば、いいなあ)と思っています。
題名は「読め!」でしたが、読んでいただけると、うれしいです。
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瀬戸正洋【週俳3月の俳句を読む】サングラスと珈琲
【週俳3月の俳句を読む】
サングラスと珈琲
瀬戸正洋
紫外線から眼を守るためサングラスを勧められた。どこへも行くところがないので珈琲屋へ行く。二十歳の頃、喫茶店のはしごをしたことがあった。二時間で四軒、ちょうど八時間になる。
珈琲を飲みながら俳句を読む。その頃、珈琲は一杯、百五十円か百八十円だったような気がする。五十年も前のことだ。そのときも、どこかに同じようなことを書いた記憶がある。
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春や春ひと日の窓を開け放し 浅川芳直
ひと日には、終日、ある日などという意がある。春といえば前に進む季節である。入学、入社と新しい生活がはじまる。新しい生活とは現在とは異なる生活ということだ。窓を開け放しにしているのは春だからである。
猫柳弾けば大き雨雫 浅川芳直
猫柳は明るい。猫柳はあたたかい。指でふれてみたくなる。せせらぎが聞こえる。猫柳が弾ける。大きな雨雫も弾ける。あたらしい世界に飛び出すことになる。雨雫は大きければ大きいほど行末は不透明になるということだ。
大空や犬繋がるる梅三分 浅川芳直
犬は大空に繋がれている。犬は梅の木に繋がれている。犬は何の疑問も持たずに繋がれている。ひとは大空に繋がれている。ひとは梅の木に繋がれている。ひとは何の疑問も持たずに繋がれているのである。
てふてふの小石に翅を余したり 浅川芳直
余すことは間違いなのである。除外することは間違いなのである。もてあますことは間違いなのである。ひとはいつも同じ間違いをくり返す。戦前に発表され教科書にも載っていたてふてふの詩を思い出す。
針葉樹被りて飛ばす斑雪かな 浅川芳直
飛ばすのは雪である。飛ばされるのも雪である。斑雪とは時間のことなのである。関東で目にする斑雪とは違うような気がする。針葉樹とは針葉をつける樹木のことである。
薄氷の浮沈の崩れバケツの黄 浅川芳直
崩れること、その欠片、沈んだ薄氷。これは生きているということなのである。このことを繰り返していくことが人生なのである。バケツの黄は見たことがない。
服薬は菓子食ふやうに春の風邪 浅川芳直
薬を飲むこと。菓子を食うこと。これらは同じことなのである。自然な行為なのである。春の風邪だから騙すのである。春の風邪だから騙されるのである。春の風邪は騙したり騙されたりしていることを理解していない。
閏日を寝返り夢のなき朝寝 浅川芳直
寝返りとは質の高い睡眠を持続するためのものである。夢とは睡眠中に見続けるものである。夢とは希望のことである。夢とは幻覚のことである。夢とは真実のことである。閏日は・・・・である。老人が朝寝を嫌うのは死にたくないと思っているからなのかも知れない。
福耳のやをら田螺へ串を刺す 浅川芳直
ゆっくりと田螺に串を刺している。福耳が田螺に串を刺している。二度とはない一日である。串は確実に刺さなければならない。
宅上灯ほのぬくくあり卒業期 浅川芳直
卓上灯にてのひらをあててみることはしない。満たされているからである。何かが足りないということを忘れている。卒業期とはそのことを確認する時間のことなのかも知れない。
きさらぎの銀河の果てのパイプ椅子 宇佐美友海
パイプ椅子には誰も座らない。誰も座らないから銀河の果てなのである。パイプ椅子は美しく並んでいるだけなのである。
ぼたん雪大きな指の攫ふ塔 宇佐美友海
気づかれることなく奪い去ってしまうのである。塔とは仏舎利を安置し供養、報恩などのために設ける建造物のことである。大きな指でかくすのである。大きな指であることは幸いである。何をするにも気づかれないことは幸いである。ぼたん雪が降っている。
流水やいつかの私だったもの 宇佐美友海
氷のかたまりが溶けている。氷塊となり海面を漂流する。流れていなくても流れていても氷塊とは海水のことである。氷塊とは私のことなのである。
伸びすぎた影から春の水離れ 宇佐美友海
影は緊張している。春の水も緊張している。影の緊張がゆるむ。春の水の緊張もゆるむ。いつのまにか緊張のかたちが崩れていく。
薄氷の絶命の跡つづきをり 宇佐美友海
薄氷である。絶命のあとが続く。薄氷であるから絶命のあとが続くのではない。
寝室に一つ灯れるヒヤシンス 宇佐美友海
ヒヤシンスが寝室の花瓶に投げ込んである。ただ、それだけのことである。だが、そのことによってどれだけこころが動いたのか。それは理解することはできない。
平日のまんなか春コート泳ぐ 宇佐美友海
スクランブル交差点を春コートの老若男女が渡りはじめている。平日とは休む日のことではない。働かなければならない日のことである。
山笑ふどろりと眠くなる頭 宇佐美友海
濁ってとろけてやわらかくなる。眠くなる頭とはそんなものなのかも知れない。山は笑っているように見えるのではない。げらげらと声をたてて笑っているのだ。こんなときは、なにも考えずひたすら眠ればいいのだと思う。
成人の背中の産毛おぼろ月 宇佐美友海
温泉の露天風呂である。産毛についた水滴がきらきらと輝いている。湯けむりとおぼろ月。知らないひとの背中ばかりが見える。
黄水仙へその真上に手指を組む 宇佐美友海
腕の置きどころが不安定である。不安定であるから落ち着かない。手指をへその真上で組む。思いのほかこころは安定した。黄水仙の花は重く首を傾げている。
血沼海むらがりとぶは杉の胤 岩田奎
血沼海とは「大阪府和泉地方の古名」とある。「穢れを嫌い、穢れを洗い流すことを風習としていた」「太陽に向かってではなく太陽を背にして戦った」「故に、南から回り、この地に到着し、その手の血を洗い流した」とある。杉である。植物である。血筋である。ひとは海に飛び込めばいいのだ。ひたすら泳げばいいのである。
ながし雛ながれ腐りや血沼海 岩田奎
ながし雛とは「ひとがたに厄を移して水に流す」「こどもの無病息災を祈る行事」腐るとは「食物が微生物により食べることのできない状態になる」「比喩的にはだめになったひと」とあった。腐ることと穢れることは似ている。悪いときはそれを並べてみればいいのである。濃淡を見極めてみればいいのである。
血沼海かぢめ醜と女学生 岩田奎
かぢめとは搗藻のことなのかも知れない。血沼海、醜、女学生と続く。泳ぐことは罪悪である。それでも泳がなくてはならないのである。
卒業の脛美しや血沼海 岩田奎
脛は美しいものである。卒業であればなおさらである。血沼海という地(血)にたどり着く。こころは騒めいている。
血沼海骨くきやかに春手套 岩田奎
手套のなかに手がある。骨がはっきりと見える。春が来る。血沼海の春が来る。
べとべとと桜餅あり血沼海 岩田奎
道明寺餅はべとべとしている。長命寺餅とは違う。特別なことでもない。ふだんの暮らしである。道明寺餅を食べる。ありふれた春のいちにちの出来事である。
血沼海蝶脈脈ともやう継ぐ 岩田奎
船をつなぎとめる。生業は大切である。血沼海あたりでの博覧会。××と××にまみれたひとたちの騒乱である。世の中に対する批判は私には分不相応だと思う。自分に対する批判。そのことだけで手いっぱいである。
朝寝して間寛平血沼海 岩田奎
悲劇とは喜劇である。喜劇とは悲劇である。悲劇とは悲しい結末の劇である。喜劇とは笑いを誘う劇である。間寛平は役者である。朝寝をしたあと血沼海で清めるのである。悲しみで穢れたからだを血沼海で清めるのである。
新社員配属血沼海ぞひに 岩田奎
一般的な行事である。※※支店とはいわず血沼海ぞいにといった。ひとつの祝意なのである。これから何十年のあいだたっぷりと穢れるのである。そのはじめの一歩が血沼海ぞいにある。これはまぎれもない祝意なのである。
夏蜜柑殖ゆるなかぞら血沼海 岩田奎
夏蜜柑は生っている。なかぞらに生っている。遠くに血沼海が見える。なかぞらが殖えていく。夏蜜柑も殖えていく。
建国日花粉が涙あふれしめ 若林哲哉
建国日とは花粉の飛びはじめの季節である。神話とは歴史が創り出したものである。季節性アレルギー性鼻炎はじわじわとひろがってきた。古代から花粉をたっぷりと浴びてきた。急にいまさらなどとは思わない。その理由をうすうすと気付いている。
芽柳の下まで包丁を運ぶ 若林哲哉
包丁もたまには違うことをしたい。同じことは飽きるのである。小川のせせらぎが聞こえる。芽柳の下まで包丁を運ぶ。そのあとのことは芽柳が決めるのである。
火を点し火を拝み火へ春の雪 若林哲哉
火とは燐寸から生まれるものである。火からはじまり火で終るものが燐寸なのである。春に感謝しなくてはならない。春雪に感謝しなくてはならない。燐寸に感謝しなくてはならない。
蘆牙へ翅ひとひらの浮き届く 若林哲哉
いっぺんの翅が蘆牙のあたりで落ちた。水辺はゆらゆらと動いている。水もゆらゆらと動いている。春とはゆらゆらと流れる水のことなのである。
黄沙降るつややかなるは八手の実 若林哲哉
黄砂とは「酸性雨を中和する。海洋の栄養源となる」とある。体調が悪くなる。不快になる。つややかな八手の実がそこにある。
煮し三葉載せし三葉や玉子丼 若林哲哉
三葉は幸福である。誰からも喜ばれない生き方は虚しい。玉子丼の味については別の話なのである。
その部屋のひねもす灯る雪柳 若林哲哉
ひとつの花が咲いているのではない。いくつもの花が咲いている。いくつもの花が咲いているから灯るのである。部屋にはおおきな花瓶がひとつある。
白蓮や吾が跫に鳩の飛び 若林哲哉
跫で鳩が飛んだのは白蓮が咲いていたからである。白蓮でなければ跫ぐらいでは鳩は飛ばない。情報は見ることより聞くことの方が鋭い。耳からだけしか入らないとなるとなおさらである。
花馬酔木土嚢破れて土あらは 若林哲哉
積んで何年も経った土嚢である。詰め込まれた土もすっかりと馴染んでいる。破れたとしても土嚢袋の役目は十分に果たしている。馬酔木の花はころころと咲いている。
てふてふのなかかはせみのゐしやうな 若林哲哉
翡翠は美しい鳥である。狙った獲物は逃さない。縁起の良い鳥だともいわれている。てふてふがいる。翡翠はいるかいないかはわからない。なんとなくそんな気がするということである。考えてみれば世の中はそんなことばかりなのである。
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カウンターの端の席が好きだ。話すことは嫌いである。そのことを知っているから誰も話しかけてこない。珈琲屋の良し悪しは水である。今年の春は雨の日が多い。雨の日が多いと水は不味くなる。足りすぎると碌なことがないということなのかも知れない。
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対中いずみ【解題】「後記」第295号
【解題】「後記」第295号
対中いずみ
前号の後記では、法隆寺近辺で菜の花を見、「菜の花の葉がとても明るい色だった」と書き、今号では吉川で「しみじみと牛の顔を見ました」と書いている。どこかおかしくて呑気である。青蛙さんの「私の読んだ本」は、前登志夫さんの『存在の秋』について書かれている。
295号では雑詠欄に6句が掲載されている。
寺の雨けふ手焙りのやや重た
春ショール三井寺へ道うねりをり
雨ながら田打に池の明りかな
茎立ちの雨隠れなる山ありぬ
春の泥乾きて藁の上にあり
弟は病院へ行き桃咲けり
(太字は第一句集『山信』に収められている。「寺の雨けふ手焙りのやや重た」は「やゝ重た」の表記。『山信』は墨の手書きであったのでその気息がにじんでいるかもしれない)
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田中裕明【空へゆく階段】№89 「後記」第295号
【空へゆく階段】№89
「後記」第295号
「青」第295号(1979年4月)より転載
田中裕明
春休みのがき稽古会は吉川へ。総勢十人でだいすけさんのお宅に乗り込みました。爽波先生の句の通りすぐそこに田圃があって、嬉しくなって縁側へ湯呑を持ち出したのは青蛙さん。木曾や吉野ほど山と山の間隔が詰ってなくて風通しの良い明るいところです。木曾灰沢でも牛を見ましたが、どの家も二、三頭しか飼っていませんでした。吉川では何十頭も飼っている牛舎があり、しみじみと牛の顔を見ました。
「森澄雄読本」お読みになりましたか。僕はまだ随筆のところしか読んでいません。「妹への葉書」など僕に近い年齢の時の葉書ですが、親しみというより羨望(勿論、時代にではなく青年の精神の在り様へ)を感じます。本音をいってしまえば脱帽。『だがそれよりも激しく一日も早く戦線に出たいと思ってゐる。「蛇の口から光を奪へ」―激しいものの中にしか活路はないといふ、あるつきつめた気持になってゐる……。』
本号の青蛙さんの「私の読んだ本」本当は旧かなづかいなんですが、青の文章は現代かなづかいで統一しているので直しました。旧かな遣いのつもりでお読み下さい。
≫解題:対中いずみ
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週刊俳句 第886号 2024年4月14日
第886号
2024年4月14日
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