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Channel: 週刊俳句 Haiku Weekly
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後記+プロフィール683

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後記 ◆ 岡田由季


under construction


no.683/2020-5-24 profile

■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年生まれ。田中裕明に師事。第20回俳句研究賞受賞。句集に『冬菫』『巣箱』『水瓶』(第68回滋賀文学祭文芸出版賞、第7回星野立子賞)。「静かな場所」代表、「秋草」会員。

■鴇田智哉 ときた・ともや
1969年木更津生まれ。第16回(2001年)俳句研究賞受賞、第29回(2005年)俳人協会新人賞受 賞。句集に『こゑふたつ』『凧と円柱』。


■近 恵 こん・けい
1964年生まれ。青森県出身。2007年俳句に足を踏み入れ「炎環」入会。同人。「豆の木」メンバー。2013年第31回現代俳句新人賞受賞。 合同句集「きざし」。



■中嶋憲武 なかじま・のりたけ

1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■吉平たもつ よしひら・たもつ
1946年生まれ。現代俳句協会、新俳句人連盟所属。句集刊行検討中。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

岡田由季 おかだ・ゆき
1966年生まれ。「炎環」同人。「豆の木」「ユプシロン」参加。句集『犬の眉』(2014年・現代俳句協会)。ブログ 「道草俳句日記」

週刊俳句 第683号 2020年5月24日

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2020524





【空へゆく階段】№31
俳句のレシピ 特別作品評・第五十号より
     ……田中裕明 ≫読む
解題……対中いずみ ≫読む

【句集を読む】
盛り付けの作法その他
守屋明俊『象潟食堂』の一句……西原天気 ≫読む
 
【週俳4月の俳句を読む】
鴇田智哉 ふーうん・うむ ≫読む
近恵 そこからはじまる ≫読む 

中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
taco「きらら」 ≫読む

〔今週号の表紙〕巨岩……吉平たもつ ≫読む

後記+執筆者プロフィール……岡田由季 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編子規に学ぶ俳句365日のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

後記+プロフィール684

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後記 ◆ 村田 篠

(Under Construction)


no.684/2020-5-31 profile

■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年生まれ。田中裕明に師事。第20回俳句研究賞受賞。句集に『冬菫』『巣箱』『水瓶』(第68回滋賀文学祭文芸出版賞、第7回星野立子賞)。「静かな場所」代表、「秋草」会員。

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■上田信治 うえだ・しんじ
1961年生れ。句集『リボン』(2017)共編著『超新撰21』(2010)『虚子に学ぶ俳句365日』(2011)共編『俳コレ』(2012)ほか。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

■村田 篠 むらた・しの
1958年、兵庫県生まれ。2002年、俳句を始める。現在「月天」「塵風」同人、「百句会」会員。共著『子規に学ぶ俳句365日』(2011)。「Belle Epoque」

〔今週号の表紙〕第684号 ゴーヤ 西原天気

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〔今週号の表紙〕第684号 ゴーヤ

西原天気


ゴーヤは季語なんでしょうか。『日本大歳時記』(講談社)には載っていないようですが、夏のイメージですね。

ごーやーちゃんぷるーときどき人が泣く  池田澄子『此処』(2020年6月7日/朔出版)

はい。写真のゴーヤはチャンプルー(炒めもの)になりました。その夜は誰も泣かなかったけど。




週俳ではトップ写真を募集しています。詳細はこちら



中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 はちみつぱい「塀の上で」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
はちみつぱい「塀の上で」


天気●日本の昔のバンドという前回までの流れで、はちみつぱい「塀の上で」です。


天気●ムーンライダーズの前身といっていいんでしょう。1973年のアルバム「センチメンタル通り」の1曲目です。梅雨も近いし、ジメジメした雨の歌がいいかな、と。

憲武●このアルバムは、ヘビロテしてました。歌詞にもあるんですが、どうしても羽田あたりの夜明けの雨降りのイメージがあります。鈴木慶一の地元ですからね。

天気●「外はそぼ降る鈍色の雨/牛乳瓶に注ぎ込む雨よ♪」。当時、鈍色という語に「へえぇ」と感心しました。

憲武●もう半世紀近く前なんですね。現代からみると、どの曲の歌詞も文学的な雰囲気あります。

天気●飲み干した牛乳瓶を外に出しておく、そこに雨が降り注ぐ、というのは、なんだかとてもリアルですが、いまはもうない風景ですね。

憲武●腰に手を当てて仁王立ちして瓶から牛乳飲む、という人が昔はいくらでもありましたが。

天気●失恋の歌。「ヒールが7センチのブーツを履いて、ぼくを踏み潰して出ていった朝よ♪」って、もう、すごい泣いてます。

憲武●この歌詞、なんかヒッピーテイストがあるんですよね。黒髪のほぼストレートの真ん中分け長髪のヒゲ生やした男が、塀の上で泣いてるイメージです。

天気●貧乏なアパート暮らし=同棲に見切りをつけて、出ていく女性。捨てられた男がいじいじ涙している、という。で、音的には、ザ・バンドを意識したような感じ。

憲武●ヨーロッパというよりは、アメリカですね。グレイトフルデッド調もありますか。

天気●そうですか。グレイトフルデッドはギターバンドな感じなので、それはあまり感じないですね。ヴァイオリンが入ってるぶん、センチメンタルの度合いが濃い音です。

憲武●武川雅寛の存在が大きいですね。


(最終回まで、あと854夜)
(次回は中嶋憲武の推薦曲)

【句集を読む】ウインナーコーヒー420円 関根誠子『瑞瑞しきは』の一句 西原天気

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【句集を読む】
ウインナーコーヒー420円
関根誠子瑞瑞しきは』の一句

西原天気


鬼貫忌上島珈琲にてひとり  関根誠子

上島鬼貫(1661-1738)なので、上島珈琲。なんとも安易な!

鬼貫は現在の兵庫県伊丹市の生まれ。上島珈琲は神戸に本社を置く。上島珈琲店は全国にあるが、イメージは近畿(残念ながら伊丹市にはない模様)。両者には、かすかなつながりがある。

って、そんなつながりはさして重要ではない。つまりは、安易。

ただ、ここで言っておかねばならないのは、安易は、ときとして素晴らしいということ。

鼻歌でも歌うような調子で一句、というのは大いにアリ。作るほうも読むほうも、なんだから愉快なのだ。それに、鼻歌には価値がなくて、朗々と歌い上げるオペラ曲は価値がある、なんてことはない。俳句は小さいのでオペラを喩えにもってくるのは無理があるが、それはそれとして、鼻歌にもオペラにもそれぞれ価値がある。

俳句というのは、鹿爪らしく向き合うとどんどん退屈になる。俳句はナメてかかるべきだし(暴論持論)、世の中もナメてかかるべき(持論為念)。

そうした覚悟、読者の覚悟をもってすれば、締めに置かれた「ひとり」の三文字は、なかなかに颯爽として、毅然。

なお、句集『瑞瑞しきは』は、上掲のように素敵に人を喰った句の一方、

石に寄り水に遅れし落椿

といった本格(?)写生句もあれば、

爪染めて髪染めて秋の豆腐屋へ

といった婀娜っぽい句も。

ほか、気ままに引くと、

冬近し寝しなに荒らす菓子袋

大年や湯気もろともに出汁移す

春の風邪われに自愛の日々もたらす

など。あかるくすこやかな句群が愉しい句集です。


関根誠子『瑞瑞しきは』2020年3月/ふらんす堂

【空へゆく階段】№32 解題 対中いずみ

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【空へゆく階段№32 解題

対中いずみ


「晨」1997年9月号は、第81号。「晨」誌上で裕明が魚目・あきら句を鑑賞するのはこれが三回目であり、かつ最後となった。魚目・あきらは、裕明の尊敬する作家であるが、句を語るときは、魚目を語るときの方が、なぜか裕明は昂っているように見える。

「晨」1998年9月号より、5句を引く。

長子とは泳ぐ手をふることもなく

糸瓜蔓アララギのうた長かりし

かるきゆゑ空蝉のかく美しく

子規の文字一寸角大新涼と

蓼の花横顔の子規いつも若し


≫田中裕明 特別作品評・第八十号より

【空へゆく階段】№32 特別作品評・第八十号より 田中裕明

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【空へゆく階段】№32
特別作品評・第八十号より

田中裕明
「晨」1997年9月号・掲載

 古往今来 宇佐美魚目

タイトルは魚目俳句のモチーフそのものである。二十年前に初めて読んだ時から、大きな環を描いて深化してきているけれども、なつかしい表情は変わらない。

牡丹を手桶に昼を深ねむり

眠りも魚目俳句の要素の一つ。読者をして夢に誘うような気息がある。日常、睡眠の意味などあまり考えることもないが、眠りは短い死である。そして目覚めは再生。『天地存問』の「父の忌の一としぐれまた一とねむり」はまさしく眠りの根元的な意味を教えてくれた。掲句は牡丹の花と眠り人が恐ろしいようなコントラスト。

そのはなし榾火板戸も笑ひけり

木曾灰沢と前書された八句のうちの一句。灰沢はもちろん魚目さんの曾遊の地。そしてまた今も友人と訪れるところである。炉辺に夜は更けても話は尽きない。思わず声をあげて笑うような楽しい話も、おおむね懐旧談である。その中で一番高いのは魚目さんの笑い声。

種池となりけりいまは月の山

木曾の月と言えば芭蕉の『更科日記』か。この句は種池が月を上げている。「なりけり」という措辞が絶妙。


 芥子咲いて 大峯あきら

季語を通じて時空を超越する、そういう作品である。と言うと、季語が何かの装置みただが、それよりもっと親しい手ざわりの言葉だ。

天日に木の芽触りて正午かな

木の芽という季語だけでできている。しかも木の芽というものが、何なのかを説明しているわけではない。読者の側にも木の芽という多面的な理解があることを承知のうえで、あらたにその本質を突きつけてくる。感覚的でありながら、たいへんに重い句である。

芥子咲いて祖母と遊ぶ子おとなしき

姿かたちはおとなしいが、俳句という詩のつよさ面白さを十全に味わうことのできる作品である。いま眼前におとなしい子がいるだけではない。作者にはずっと以前からの、子供が見えている。その中には作者自身もいるかもしれない。芥子咲いてという上句が、そういう時間性ももたせながら、かつ現在に定着させている。

惜春やそのもののふの母のこと

一見読む手がかりがなさそうだが、俳句はこれで十分なのだ。ここでも季語が見事。


≫解題:対中いずみ

週刊俳句 第684号 2020年5月31日

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2020531



【空へゆく階段】№32
特別作品評・第八十号より……田中裕明 ≫読む
解題……対中いずみ ≫読む

【2019落選展を読む .5】
「私性」と自由
古川朋子「みみづくの散歩」丸田洋渡「花のゆうべ」ふけとしこ句集『眠たい羊』を読む
……上田信治 ≫読む

【句集を読む】
ウインナーコーヒー420円
関根誠子『瑞瑞しきは』の一句……西原天気 ≫読む
  
中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
はちみつぱい「塀の上で」 ≫読む

〔今週号の表紙〕ゴーヤ……西原天気 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……村田 篠 ≫読む


新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
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【2019落選展を読む.5】「私性」と自由 古川朋子「みみづくの散歩」、丸田洋渡「花のゆうべ」、ふけとしこ句集『眠たい羊』を読む 上田信治

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【2019落選展を読む.5】

「私性」と自由

古川朋子「みみづくの散歩」、丸田洋渡「花のゆうべ」、ふけとしこ句集『眠たい羊』を読む

上田信治



今回は「8.みみづくの散歩」(古川朋子)と「9.花のゆうべ」(丸田洋渡)の2作品を読み、あわせて、高山れおなさんが2019年のベストにあげていた句集、ふけとしこさんの『眠たい羊』についても書きます。

三つの作品を取りあげるのは、それらが俳句に表現される「私性」の現在地点をよく現しているように、思えたからです。



2. 古川朋子みみづくの散歩」 >>読む

古川さんは「蒼海」(堀本裕樹主宰)所属。第6回星野立子新人賞を受賞。角川俳句賞でも2016年(*1)2017年と一次予選を通過した注目の作家です。 

春の川生きて可笑しなことを言ふ

かさぶたはかさぶたのまま牡丹雪

この先の靴跡深し菫草

日が溜まる大根畑の足跡に

海に来て山の近さよ氷水

立ちながら眠るペンギン秋の昼

遠目にもわかるおむすび岸は秋

鰡跳ねてけふ日曜のこの感じ

みみづくの散歩はひとの肩の上

室咲やひとりにひとつ長机

初夢に見てにぎやかなお正月

戸を引けば階段のある寒さかな

いちにちは全き青のヒヤシンス

さて。

春の川生きて可笑しなことを言ふ

この人は、その場にいて、個人的なことを言おうとしている。内容は、人がふつうに生きていて感じるであろう、生への肯定。けれど、この「生きて」は出そうで出ないフレーズで「盆踊人に生まれて手を叩く」(岩淵喜代子)「水無月や地球に生まれ傘をさす」(山本紫黄)のような、人間のどうしようもなさを描く句を思い出した。つまり、この句は、日常のスケッチのようでとても思弁的で、生のストレートな肯定のようで、かすかに淋しい。

また「生きて可笑しなことを言ふ」は、単独では成立しないフレーズなわけだけれど、その不安定さに加えて、春の川とのバランスに価値がある。

鰡跳ねてけふ日曜のこの感じ

けふ日曜の」の調子の良さと「この感じ」の大胆さ。冗語に冗語を重ねることは、日曜日の感じを出すための、認識の引き延ばしであり、また、「鯔跳ねて」のあとにしばらくの時間があったことの強調でもある。

ある時間の中の一瞬の偶然が、平板な生の持続に何の影響も与えない(かのように見えて、何かを動かしている)。それは誰もが見たことのある「」がはねるという現象(季語でもある)から析出された、普遍的なものだ。

この人の季語に対する意識は、「春の川」から生命感を浮かび上がらせる繊細な手つきにもあらわれている(擬人法と考えると全く面白くなくなるので、そうは取らない)。

かさぶたはかさぶたのまま牡丹雪

この先の靴跡深し菫草

海に来て山の近さよ氷水

室咲やひとりにひとつ長机

牡丹雪」のやさしさと、それが終わった季節のなごりであることが「かさぶた」に二重写しされること(この取り合わせは、津川絵理子さん的に上手い)。「菫草」の句に、さらりと芭蕉が重ねてあること。海水浴場だろうか、この「山の近」い海が、すでに、すばらしく涼しいこと。「室咲」の句が、習字教室?を思わせつつ暗示にとどめ、物だけを書くことで、季語を場面の一要素に縮小することなく、きれいにオブジェ化していること。

これらの句、言葉の運用も内容も人を驚かせることが少なくストレートでありながら、複雑なたくらみがしかけられ、立体化している。

そうやって、俳句という小さな詩型のもつインティマシー(親密さ)を大切にしながら、詩として高度なものを作り出していることに、この作者の志向が見える。

微量の不自然さを含む語法に見られる新しさへの志向と、季語の扱いに現れる繊細さと複雑性。ここには、いわゆる「平成俳句」の可能性を生きのびさせる方向が現れているのではないかと、予想屋めいた言い方だけれど、わりと本気で思っている。

立ちながら眠るペンギン秋の昼

遠目にもわかるおむすび岸は秋

みみづくの散歩はひとの肩の上

初夢に見てにぎやかなお正月

これらの句に現れた「親しさ」「かわいさ」もまた、俳句がまだ攻め尽くしてはいない可能性だろう。こういったものを「かわいい」と感じることを自分に許すことも、また「私性」の俳句への持ち込みだろう。(*2)

滝の音すこし歩めば川の音」「しづけさのまま夜に入る野分あと」のような(俳句読者全体との距離を計量するような)常識的な作もあり、「また少し夕日くづれて梨の花」「いきいきとおたまじやくしに蛙の目」のような、魅力的だけれどゆるさを感じる句もある。

古川さんには、この際、ご自身が、俳句の最も新しい価値の一部を作りつつあるということに、開き直ってしまわれることを期待したい。



*1 古川さんの2016年作品はこちら 

>> http://weekly-haiku.blogspot.com/2016/11/2016413-14-15-16-17.html

*2 2010年に「ゼロ年代の100句」というミニアンソロジーを作った際、その傾向を五項目に分類したうちの一つに「私性=ノーバディな私による「私」語り」という項目を立てたのだけれど、そこには、まだ野口る理さんも福田若之さんも名前がなかったわけです(あれから10年かあ、とこれは個人的つぶやき)。

ここしばらくの、俳壇で話題となった作者・句集を固めて読んでいて気がついたのは、非常に小さな、ささやきやつぶやきのような句の多さです。それらを、ノーバディな=誰でもない、誰でもいい、どこにでもいる(しかしまぎれもなく、どこかにいる)「私」の声、というふうに名付けてみたら、ふに落ちるものがありました。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/06/100_2462.html







9.  丸田洋渡「花のゆうべ」>>読む

丸田さんは、20代前半の若い書き手。平野皓大、柳元佑太、吉川創揮さん達とともに、短詩形ブログ「箒」を創刊。こちらで、定期的に近作が読めます。

http://houkipoetry.com/



春暁の谷を隔てて鳥と鳥

鷲の巣や静かな場所で書き直す

噴水のひよひよとでて巻きもどる

木洩れ日に犬さしかかり五月の犬

芍薬や喜びは球体である

風鈴を繋げるように坂上る

朝曇二つしかない家の鍵

吾亦紅夢に出てくる町の地名

鹿の毛の斑らに光るところあり

鵯や妹にまだ小さな手

寒鯉は手をかえす踊りのように

この人も、俳句を「私的」に書こうとしている。それは、短歌的なアプローチだとも言える。

俳句はともすれば、いわゆる「個性」をいったん棚上げし、採点競技のような共通の価値観によって、作品を律することを好む。とりわけそれは「修練」や「師承」を強調する、結社の主流をなす考え方で、じつは、若書きが素朴派的に面白くなってしまいがちな短詩形の特徴を、いったん抑圧しておくことに主眼があるのだと思う(*3)

けれど、彼/彼女にはじめから作者たる自恃があるならば、どれだけ個に執しようと、それは、必ずしも遠回りではない。

鷲の巣や静かな場所で書き直す

鷲の巣」を見て、それから、それに背をむけて、自分の場所に戻ろうという内容の句なのだろう。ここには時制の齟齬があるのだけれど、鷲の巣を見たと思ったらもう自分の場所に帰ろうとしている性急さに、面白みを感じた。つまり自分は、この人が「静かな場所で書き直す!」と言っているように読んだのだ(「鷲の巣」が「静かな場所」とイコールだとも取れることは、句の結構を弱くしているかもしれない)。

木洩れ日に犬さしかかり五月の犬

芍薬や喜びは球体である

どちらも、さいごに「!」を足して読んでいいような同じ性急さを感じる二句。「芍薬」の川柳的な言明もいいけれど、「五月の犬」は、そこまでゆるく進んできて(「さしかかり」は相当ゆるい)、下五で急に、そう思ったからそう言った(つまり「!」)が出てくるのが楽しい。

噴水のひよひよとでて巻きもどる

朝曇二つしかない家の鍵

鹿の毛の斑らに光るところあり

こちらは、採点競技的にも、得点がねらえそうな句。

この人は、よくできた句への指向と私的なものへの指向を合わせ持っていて、そのバランスを見つけようとしている所なのかもしれないけれど、筆者はそのゆらぎに魅力を感じている。

とりわけ「朝曇」の句の、なにを文句言ってるんだか分からない(イコール詩的に上質な)淋しさと、色彩には惹かれた。

鵯や妹にまだ小さな手

はじめ「カササギ」と空目して恋の句と思ったのだけれど、「」であれば、現実の記憶。「まだ/小さな」と句切れをはさんで読み進めると、手の中の妹の手がしゅーっと小さくなってしまうような、時間が巻きもどって自分も子供にもどってしまうような、魔法的な美しいイメージが手渡される。

「や」と打ちだして、遡行の出発点に眼前性を加えたこともよい。

意味だけとれば誰かがどこかで詠んでいてもおかしくない内容だけれど、むしろ、普遍的な内容に、言葉で微量のマジックを加えているというべき。佳句だと思う。

*3 若い落語家たちの群像劇である映画「のようなもの」(森田芳光)は、そのあたりの事情をうまく点描していた。







ふけとしこ句集『眠たい羊』(ふらんす堂)

ふらんす堂オンラインショップ

ふけとしこさんは、「カリヨン」(市村究一郎)をへて「椋」(石田郷子)「船団」(坪内稔典)に所属。『眠たい羊』が第五句集となるキャリアの長い作者です。

ふけさんのような作家の句集と「落選展」の作品を、並べて鑑賞することに、失礼さを感じる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし新人賞の応募作には、同時代のもっとも先端の問題意識があらわれている(べきだ)と、自分は思っていて、同じ課題を、ふけさんの句集は、分けもっていると感じたのです。(新人賞の応募作もまた、作家の作品として読まれるべき、ということも思います)

『眠たい羊』は、本当に佳句揃いなので、ランダムに引いていきます

日が溜まる大根畑の足跡に 

古川さんの「菫草」の句と同じく、足跡がモチーフ。

足跡が刻印された瞬間とそこから経過した時間、いま私がそこに視線を向けている時間と、一つのアングルに、二つの時間の幅が書かれている。それは、そこに痕跡をのこした人が今はいないということだけが、描かれている絵だ。

鉄橋の三角三角春がくる

淡雪や干菓子焙じ茶いただいて

調子でできているような二句。

なのだけれど「三角四角」といえば、字数が合うところを、あえて「三角三角」で中八にしている、この破調、胸にきませんか? 「春が来る」をこう配しての、この「三角三角」は、人をはげます調子であるように、自分には思えた。

淡雪」の句。「干菓子焙じ茶いただいて」の助詞を飛び石のように飛ばしていく軽さと、室内画の一部にでもなったような静かさとの、微量のアンバランスに味わいがある。

三角三角」や「干菓子焙じ茶いただいて」に、自分が句会で出会ったら「わがままな言い方」と評すだろう。

前回取り上げたクズウさんのような(あるいは、生駒さんや青本さん達のような)言葉に負荷をかけてたわめていく行き方ではなく、もう少しカジュアルに、楽に、言いたいように言葉を使われる。

要するに、自由度が高い。

というと「型や形式を逸脱しない中にも自由はある」という話を出してくる人がいそうだけれど、そういう不自由さを感じない(感じない)から「自由」ということではなく、もっと積極的に、書きたいように書いてはみだしてしまう、むしろはみ出してしまう自分の勝手さを面白がるという行き方。私性と自由を、どちらが原因・結果というのではなく、一つのものとして追求していく書き方がある。

もっとも、自由であろうとすることは、それなりに「家賃の高い」行き方でもあって、それこそ生来の(天然のと言ってもいい)「上手さ」と「品の良さ」がないと、目も当てられないことになる。

梅花藻の水にタオルを絞りけり

ご無体なようだけれど、雑巾じゃないんだから、きっとこのタオルの水もきれいなんだろう(というような「品の良さ」の話をしている)。

水草の花の裏本意(*4)は、たぶん「別天地」なので(「河骨に金鈴ふるる流れかな 茅舎」「水草に白楼ひくき門もてり 多佳子」)、タオルの水をじゃーとしぼるのは、あの世とこの世、肉体と抽象の次元のちがいを攪乱し、ひとつながりにしてしまうことだ。

山近く暮らし秋刀魚を焦がしけり

古川さんの「海に来て」と発想は似ているのだけれど、この理屈の通らなさ。というか、あやうく通ってしまいそうになる理屈の、念の入ったナンセンスには、滋味掬すべきものがある。ほんとうに何の意味もないけれど、なんとなく色合いもキレイだし。

春昼や壁へ広がる湯気の影 

擂粉木をつるりと洗ひ夕長し

風鈴や酢へ放つべく魚を切り

待春やスープの底にひよこ豆 

発想が、生活感情に近い。

偉大なる明治大正時代に生き、あるいは生まれた人々(主に男性)とは、どうにも、もともと人間が違う。偉大さや荘厳さが身に沿わないという「私たち」が、この世にいる。

小さくひそやかで親密であることで、その感受性の正当性を訴えることが、いわゆる「石田郷子ライン」(と筆者を含む何人かが一括りに呼んでしまった作家たち)の、分けもった時代精神なのだと思う。

ただ「擂粉木」の句の「つるりと」、「風鈴」の句の「放つべく」という言葉の軽さには、この人の固有性がある(もちろん「船団」の気風でもある)。

雀蛾に小豆の煮えてゐる匂ひ

山の日の丸テーブルを三つ寄せ

義士の日の混み合うてゐる足湯かな

雪の日を眠たい羊眠い山羊 

雀蛾」という、蛾の中に雀がいるような奇体ないきものに、赤茶色の小豆の匂いを、「丸テーブル」を三つ寄せることの落ち着かなさと、歴史性を感じない「山の日」のよるべなさ、をそれぞれ二重写しにすること。「羊」と「山羊」と「眠たい」と「眠い」の違いが字数でしかないこと、などなど。この句集の、オリジナルな面白さを数えていけば切りがない。

とりわけ「義士の日」の句。忠臣蔵といえば雪の日にざっざっざっざと歩いて行くわけですが、その四十七士の足だけの幽霊が現れたかのようで、ごく当たり前の日常風景だと言っても通ってしまう、その知的なはからいに大いに喜びました。

製材所の焚火のなんといい匂ひ

そりゃそうだろうなあ、っていう、計らいの無さも面白かった。



*4 裏本意については、昔こちらに書きました。>>

後記+プロフィール685

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後記 ◆ 西原天気

感染者数やニュース頻度からすると、新型コロナウイルス感染症のピークは越えたようなのですが、現在のこの状態、緊張と緩慢、危機と安堵、鬱屈と開放の成分比率は人それぞれ、場所それぞれのようですが、この状態はかなり長く続きそうです。

私事ですが、コロナがなければ、きのうはライブだったのでした(去年の模様はこちら)。人生なにがどうなるかわかりません。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.685/2020-6-7 profile

樋野菜々子 ひの・ななこ
1999年生まれ。「東大俳句会」と「むじな」で俳句を書く。

■安田中彦 やすだ・なかひこ
1956年生まれ。「香天」同人。句集『人類』(2017年邑書林)。札幌市在住。

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

〔今週号の表紙〕第685号 花菖蒲 西原天気

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〔今週号の表紙〕第685号 花菖蒲

西原天気


堀切菖蒲園(東京都葛飾区)の花菖蒲が見頃のようです。




週俳ではトップ写真を募集しています。詳細はこちら

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 プラスチックス「TOP SECRET MAN」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
プラスチックス「TOP SECRET MAN」


憲武●日本の昔のバンドシリーズ第4弾ということで、プラスチックスで"TOP SECRET MAN"です。


憲武●この人たち、音楽一辺倒ではなくて、本業を持ってたんです。それぞれイラストレイター、スタイリスト、グラフィックデザイナーなどですね。ギョーカイの人たちなんです。

天気●いわゆるクリエイティヴな人々ですね。

憲武●でもラフ・トレードからデビューして、海外で通用する日本のバンドだったんですね。サディスティック・ミカ・バンド、イエロー・マジック・オーケストラと比肩してます。

天気●調べてみると、79年のシングルデビューがラフ・トレードですね。78年のレーベル設立から間もない頃だ。当時、英国のニューウェイヴ系のバンドがたくさんいて、聴きましたねえ。キャバレー・ヴォルテールとかヤング・マーブル・ジャイアンツとかペル・ウブとかザ・レインコーツとか。このプラスチックスみたいなテクノは、このレーベルのイメージじゃなかった。

憲武●その辺がよくわからないんですけどね。確かに毛色が違います。1980年当時の日本は、海外の人たちから「ウサギ小屋に住んでるサル」などとバカにされまくってたんですね。3者に共通してるのは、その辺を逆手に取って成功したんではないかと。

天気●一種オリエンタリズムでしょうね。

憲武●デビュー当時はリズムボックスの音が軽いし、声もヘンなので、あまりピンと来なかったんです。解散後、立花ハジメがどんどんソロアルバムを出すようになったり、チカと中西俊夫が「メロン」というバンドを結成したりしてから、プラスチックスのファーストを再度聴いてみたら、なんつーか心地よかったんですね。あのリズムボックスが。

天気●テクノ? でいいのかな? あまり聴いてなかったです。このバンドも名前だけなんとなく聞いたことがあるという程度で、1曲通して聴くのは初めてだと思います。

憲武●そうなんですね。中西俊夫の声もデビッド・バーンのような浮遊性があって聴いてると、なんかいいじゃんみたいになってきまして。

天気●うん、ちょっと似てる。でも、違う。デビッド・バーンは美術学校出身で、クリエイティヴな香りがする人ですが、なんか違う。トーキング・ヘッズ/デビッド・バーンには〈ロック〉を感じるけど、こちらには感じない。人種主義ではないと思うんですが……。モード的すぎるのかなあ。

憲武●なんでしょう。グルーブかな。この曲の収録されてる「ウェルカム・プラスチックス」という日本でのデビューアルバムなんですけど、「ウェルカム・プラスチックス」って曲が収録されてます。これね、作詞作曲が安井かずみと井上忠夫なんです。

天気●へえ、ブルコメの井上忠夫?

憲武●はい。今は井上大輔ですけどね。ジャッキー吉川とブルーコメッツが、ビートルズ来日の時に前座を務めたんですが、そこで歌ってたのが「ウェルカム・ビートルズ」って曲で、プラスチックスは「ビートルズ」のところを「プラスチックス」に、「4人」のところを「5人」に変えてうたってるだけなんです。

天気●ああ、だから井上忠夫なんですね。

憲武●ビートルズとプラスチックス。一見、なんの繋がりもないかと思うんですけど、実は繋がっていたんですね。

天気●ロックバンドならすべてなんらかにビートルズとつながってますよ。

憲武●アルバムの中の"CAN I HELP ME"って曲ではHELPとかPLEASEとかbeep beep beep beep,yeahとか、うわーっていうようなキーワードが出てきて。

天気●オマージュ。

憲武●まあ、なんというかキュートなバンドですね。立花ハジメのギターの音色がカラフルだし。

天気●キュートっちゃあキュートかもしれませんが、ちょっといらっとさせるかんじです。音も外観も演出も。好みの問題だけど。

憲武●それがだんだん慣れてくるというか、癖になったのが私な訳だ。訳です。ま、好みの問題だと思いますが。メンバーは現在ほとんど鬼籍に入られてしまいましたけど、タワレコにはコーナーがあって、アルバムは売れ続けているようです。嬉しい限りです。 


(最終回まで、あと853夜)
(次回は西原天気の推薦曲)

10句作品 画面内の 樋野菜々子

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画面内の 樋野菜々子

子らに端食われたのかも花畠

見にしむや講義終わりの友と夜

棚ひとつぐっと移動す掃納

絵双六戻るマスにも止まってみたい

そういえばわたしも二十歳ひなかざり

オンライン授業は春の夢までも

花の雨期限の切れた定期券

君の待つURL夏来る

三日ほど干しっぱなしの半ズボン

金魚鉢私も画面内の人

10句作品 ひるの金魚 安田中彦

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ひるの金魚 安田中彦

いま欲しきもの叔母さんの白日傘

らんちうの死す感傷がやや足りぬ

立ち眩みして水無月の青の中

鳥として骨となりたる昼寝かな

告白す鈴蘭の香を嫌ひつつ

でで虫の愛なら伝へやすさうな

骨格は螺子にてゆるぶ揚羽蝶

万緑やわが身一つを隠匿す

教科書を踏まれてひるの金魚かな

狂ひつつたたかふ子ども立葵


週刊俳句 第685号 2020年6月7日

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202067



安田中彦 ひるの金魚 10句 ≫読む

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中嶋憲武✕西原天気音楽千夜一夜
プラスチックス「TOP SECRET MAN」 ≫読む

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後記+執筆者プロフィール……西原天気 ≫読む


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後記+プロフィール686

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後記 ◆ 福田若之

地球上のさまざまの言語で、お茶を表す単語に /t/音が付きまとうのは、元を辿れば茶の原産地とされる中国の言葉に由来しているようです。

数えきれないほどの伝言の繰り返しを越えて届いていった /t/音のこの強固さは、いったい何なんだろう。そんなことを思ったりします。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.686/2020-6-14 profile

■千野千佳 ちの・ちか
1984年新潟県生まれ。蒼海俳句会所属。第4回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞。

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。句集『フラワーズ・カンフー』 。随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』。ブログ「フラワーズ・カンフー」

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第一句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第二句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。

〔今週号の表紙〕第686号 ニース天文台 小津夜景

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〔今週号の表紙〕第686号 ニース天文台

小津夜景


ニース天文台(Observatoire de Nice)はモン・グロ(Mont Gros)の頂上にあります。街の中心から市バスで20分の距離です。

週に数回、森の小道を通る2時間のガイド付きツアーがあり、モン・グロの建築(天文台はパリ・オペラ座のシャルル・ガルニエの設計、メインドームはギュスターヴ・エッフェル)と地中海の植生、そして弧を描くような海岸線をもつアンジェ湾のパノラマを鑑賞できます。

ウッディ・アレン「マジック・イン・ムーンライト」予告編の最後(1分50秒あたり)にこの天文台の屋根をひらくシーンがあります。ウッディ・アレンの映画の中で見ると、星と月までがウッディ・アレンっぽいのがすごい。




週刊俳句では、トップ写真を募集しています。詳細はこちら

10句作品 いへ 千野千佳

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いへ  千野千佳

夏きざすベンチに鳩の座りをり

立てばすぐ席とられたる薄暑かな

銅像のわきのしたより噴水が

場所とりのミニーマウスの日傘かな

冷さうめんみるみる雨のつよくなる

夏雲やかすれしポスカぐつと押す

リュック背負ひシートベルトを夏の朝

おりがみの家に窓描くすずしさよ

白南風や店員の私語たのしさう

平泳ぎしながら時計さがしをり

中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜 コーネリアス「Thank You For The Music」

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中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
コーネリアス「Thank You For The Music」


天気●和物をさらに続けるということで、Cornelius(小山田圭吾)「Thank You For The Music」です。


天気●いわゆる渋谷系をほとんど聴いていなくて、で、ある日、廉価CDの箱を漁っていて、予備知識もほとんどなく、唐突に、Corneliusのアルバム「FANTASMA」(1997年)を買ったんです。500円かそこらで。すると、これが素晴らしくてね。

憲武●ふむふむ。なるほど。渋谷系と呼ばれる人たち、僕はピチカート・ファイブとオリジナル・ラブをよく聴いてましたね。フリッパーズ・ギターは聴かず嫌いというか、なんとなく聴かなかったんです。

天気●そのへんもほとんど聴いていないです。フリッパーズ・ギターの片一方、小沢健二は昔も今もまったく聴きません。この曲「Thank You For The Music」(音楽に感謝)はアルバムのラス前、クライマックス・大団円的な曲です。

憲武●アルバムを通して聴くと、曲の印象も違うでしょうね。バスドラが心臓の鼓動のようで、いい効果になってると思います。

天気●サンプリングは擬音を含めコラージュのような処理も多々。このアルバムの曲を振り返るようにフラッシュバックして一節が流れたりと、なかなかに凝ってる。

憲武●リプライズしてるんですね。それは通して聴いてないとわからないですけど、あの辺のコラージュの感じは好きです。

天気●曲全体にお祭りのようながっしゃんどっしゃんした音作りも愉しい。出だしの歌詞は「Bye Bye ぼくのくだらない空想の旅に、きみのたいせつな時間使ってくれてありがとう♪」。ステージの最後の挨拶になっています。

憲武●出だしからBye Byeですか。歌詞はよく聞き取れない感じの歌い方です。呟きのようでもある。ラストではadiosと歌ってるし。

天気●寄席の音楽ショウ(かしまし娘とか)でも、よくあるやつです。これで最後だ、それではみなさま、さようなら~♪ 


(最終回まで、あと853夜)
(次回は西原天気の推薦曲)
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